はてなキーワード: 鈴木康友とは
静岡県知事選が行われ、鈴木康友元浜松市長が新県知事となった。
いろいろ言われているが、西部出身で、中部と東部にも在住経験がある増田が思うことをつらつらと書いてみた。
中部…伝統に誇りを持っている、お公家っぽい(今川さん)、変化を嫌う、ゆっくり
東部…伊豆、温泉、リゾート、観光業・サービス業が多くて金銭的に大変そう
てか正直遠すぎて(特に東部)バチバチに意識しているというより無関心に近い。
西部と中部というのは、わかりやすく言えば大阪と京都なのだと思う。商いのまち大阪と歴史伝統お公家さんのまち京都。
中部に引っ越してきて驚いたのは、この令和の時代に高齢者のみならず、10代20代の若者まで当たり前のように伊勢丹近くの元城下町のことを「おまち」と呼んでいたことだ。わたしはいまだにちょっと恥ずかしくて言えない。いつまで駿府城下町を引きずってるだよとちょっと思ってしまう()
でも、観光資源(国宝久能山東照宮などの歴史・世界遺産三保の松原・梅ヶ島温泉・エスパルス)と都市のバランスは良いと思う。西部は工業は栄えているけどわざわざ遠くから遊びに来たくなるような楽しいところ全然ないから。
正直住む前は、東部=伊豆であり、田舎というイメージで、三島や沼津、御殿場に対する印象がすっぽり抜け落ちていた。しかし住んでみると沼津・三島・御殿場などは関東圏に近いことや、御殿場アウトレットに外国からの観光客がたくさんくるのでかなり栄えているしハイカラな感じがある。関東圏に近い洗練された東部にくらべると、西部はもう田舎臭すぎる。全然違う。
鈴木康友氏を支持した。
理由は彼以外の候補から「稼ごう・財政を潤わせよう」という気を感じられなかったからだ。
正直自分は一般市民で、どの程度某自動車メーカーと彼がズブズブなのかはネットの噂程度しか知らない。メガソーラーや水道の民営化については彼のマイナスポイントだと思っている。それでも彼に投票したのはただ、稼ごうともせずに福祉や防災の話ばかりする人間が信用できないと思ったからだ。
これこそ上記であげたとおり、工業のまちである西部民の気質であり、今回の康友氏の西部票の一因でないかと思う。(ちなみに一番多いのは、「市長やってた」「名前知ってる」とかその程度でなんとなく入れてる人だと思う… 西部vs中部とか、打倒自民とか、組織票とかそんな大した陰謀論みたいな理由はあまり関係ないと地元民的には思う)
今回の選挙結果から、正直西部の支持が重要だと可視化されてしまった感は否めない。ゆえに西部はこれからも優遇されると思う。東部に関しても、個人的にはある程度優遇されると考えている。なぜなら中部を優遇するよりは、下記の2点でメリットがあるからだ。
正直中部の人間が、少しくらい優遇したところで寝返る率は東部を優遇したときほど高くないというのは西部の人間の肌感としてある。となれば、「ちゃんと東部を見ている」というアピールをすれば票になる東部はある程度優遇されると思われる。実際今回の結果を踏まえると、西部を盤石にしたうえで、東部にそっぽを向かれなければ次も安泰だろうし。
かつて廃墟と化したらしい熱海が、最近はインスタ映えで栄えている。隣県だが、箱根も若い人すごくたくさん旅行に来ている。伊豆半島も、鉄道・地理・観光資源すべてにおいて上記に続けるポテンシャルがある。票が稼げるうえにお金も稼げるなら投資する価値はある。
中部はなんというか都市としても観光としても中途半端。住む分にはいろいろあって楽しいんだけどね。県外や国外から人を呼ぶにはちょっと弱い(≒投資しても無駄)感がある。清水港に豪華客船来るからそれは活かしたいけどね。ちょっと海外旅行の需要を生むほどの観光地化は難しそう。
観光地以外の方法でお金を作ろうにも、いまだにおまちを引きずっていて、旧静岡市内にはイオンモールを建てられないくらいに商工会議所かなんかの発言力がある中部(というか静岡市)を工業開発・商業開発するのもめんどくさそう。それなら新幹線も停車して関東に近い東部のほうがいい。
おわり
2024年5月26日、静岡県知事選は自民党推薦の元総務官僚、大村慎一が勝利を収めた。この選挙結果は「劇的な逆転勝利」と報じられたが、県政ウォッチャーとしては予想通りの展開だった。ここでは、その背景とプロセスについて詳しく分析する。
4月初めに川勝前知事が辞任を表明した直後、大村は速やかに出馬を表明。彼は3年前の知事選でも自民党の対抗馬として名前が挙がっていたが、準備不足を理由に辞退していた。その後、彼は静岡県内の中東部政財界とのコネクションを築き、次の選挙に向けた準備を着実に進めていた。
地元紙は公示前から、大村が川勝前知事の4期目の間に自民県連を通じて影響力を強化し、次の知事選への布石を打っていたと報じていた。また、川勝辞任直後から、総務省に影響力を持つ自民党幹部が各市長に「大村を頼む」と直接依頼するなど、密接な連携が見られたという。
鈴木康友元浜松市長が出馬表明後、県内テレビメディアは候補予定者の人となり報道を開始。しかし、その報道内容は明らかに大村寄りだった。各テレビ局は大村のスローガン「オール静岡」を強調し、分断解消への決意を伝えた。一方、鈴木候補については、スズキ自動車の鈴木修会長からの支援を中心に報じられ、企業色を強調される形となった。
さらに、連日のように「今日は伊豆市の市長が大村支持を表明」「今日は伊東市の市長が大村支持を表明」「今日は島田市長が大村支持を…」というニュースが報じられ、県全域が大村を支持しているかのような印象を与えた。ここで県民は「次の知事は大村だろう」と確信するに至った。
浜松市のある県西部には大企業が集まっているが、県内の論調が形作られるのはテレビ局が集まる県中部の静岡市である。このため、多くの静岡県民は早い段階で大村の勝利を予測していた。
県内メディアは、選挙争点をリニア問題などよりも「県営浜松野球場建設の是非」に重きをおいて報道し続けた。大村は建設計画をゼロベースで判断するという白紙撤回もありという立場を主張し、県民VS浜松という対決構図が強調されるようになった。
今回の選挙は「県西部VS県中部」と報じられることが多かったが、正確には「浜松市VS浜松市以外のオール静岡」の対決だった。大村は県内全域の支持を獲得し、浜松市のみが鈴木候補の支持基盤となった。負けは確定的だったと言えるだろう。
日刊ゲンダイなどのタブロイド紙では4月下旬に自民党の情勢調査に基づき、大村が惨敗すると報じた。しかし、この調査は4月前半に行われたものであり、大村の知名度がまだ低い時期のデータに過ぎなかった。元副知事であった大村は、県民には「誰それ?」状態であったが、4月半ばからのメディア攻勢により知名度が急上昇し、4月後半には鈴木候補との差が一気に縮まった。この勢いを見た岸田自民党は、確実な勝利を見込み、大村への推薦を正式に決定した。衆院補選で三連敗して後が無い岸田自民党が、負ける候補者に推薦を出すはずがないのだ。
大村の選挙戦はさらに激化した。出陣式には現静岡市長の難波喬司が登場し、官僚出身のエリートとしての信頼感を強調。県西部での出陣式には、「Suzuki政治を許さない」と書かれたプラカードを持つ集団が応援に駆けつけ、強烈な鈴木康友批判を展開した。
リニア問題でも、大井川流域の島田市長に「川勝が作った県の専門部会を解散させるべき」と発言させ、リニア本工事の早期許可を公約とするなど、川勝前知事の方針とは一線を画す姿勢を示した。このように、公示前に穏健な印象を与えつつ、公示後には支持者・支援者向けにやや過激な戦術を展開するという二面性の戦略が奏功した。
前回の知事選で自民が敗北した際、自民県連は「次は必ず勝つ」と誓い、準備を進めてきた。川勝の失言を徹底的に攻撃し、彼の人間性を問題視するキャンペーンを展開。浜松市を含む施策も戦略的に抑え込み、対川勝の選挙戦を想定して準備を進めてきた。結果、川勝は思わぬところで自爆して対戦相手は別人になったが、その成果は相手が誰であれ、与野党対決の選挙において通用するものとなった。
総じて、大村慎一の勝利は偶然ではなく、長期的な戦略と綿密な準備、メディア戦術の成果であった。静岡県知事選2024は、まさに大村慎一のための選挙戦だったと言えるだろう。
2024年5月26日、静岡県知事選は自民党推薦の元総務官僚、大村慎一が勝利を収めた。この選挙結果は「劇的な逆転勝利」と報じられたが、県政ウォッチャーとしては予想通りの展開だった。ここでは、その背景とプロセスについて詳しく分析する。
4月初めに川勝前知事が辞任を表明した直後、大村は速やかに出馬を表明。彼は3年前の知事選でも自民党の対抗馬として名前が挙がっていたが、準備不足を理由に辞退していた。その後、彼は静岡県内の中東部政財界とのコネクションを築き、次の選挙に向けた準備を着実に進めていた。
地元紙は公示前から、大村が川勝前知事の4期目の間に自民県連を通じて影響力を強化し、次の知事選への布石を打っていたと報じていた。また、川勝辞任直後から、総務省に影響力を持つ自民党幹部が各市長に「大村を頼む」と直接依頼するなど、密接な連携が見られたという。
鈴木康友元浜松市長が出馬表明後、県内テレビメディアは候補予定者の人となり報道を開始。しかし、その報道内容は明らかに大村寄りだった。各テレビ局は大村のスローガン「オール静岡」を強調し、分断解消への決意を伝えた。一方、鈴木候補については、スズキ自動車の鈴木修会長からの支援を中心に報じられ、企業色を強調される形となった。
さらに、連日のように「今日は伊豆市の市長が大村支持を表明」「今日は伊東市の市長が大村支持を表明」「今日は島田市長が大村支持を…」というニュースが報じられ、県全域が大村を支持しているかのような印象を与えた。ここで県民は「次の知事は大村だろう」と確信するに至った。
浜松市のある県西部には大企業が集まっているが、県内の論調が形作られるのはテレビ局が集まる県中部の静岡市である。このため、多くの静岡県民は早い段階で大村の勝利を予測していた。
県内メディアは、選挙争点をリニア問題などよりも「県営浜松野球場建設の是非」に重きをおいて報道し続けた。大村は建設計画をゼロベースで判断するという白紙撤回もありという立場を主張し、県民VS浜松という対決構図が強調されるようになった。
今回の選挙は「県西部VS県中部」と報じられることが多かったが、正確には「浜松市VS浜松市以外のオール静岡」の対決だった。大村は県内全域の支持を獲得し、浜松市のみが鈴木候補の支持基盤となった。負けは確定的だったと言えるだろう。
日刊ゲンダイなどのタブロイド紙では4月下旬に自民党の情勢調査に基づき、大村が惨敗すると報じた。しかし、この調査は4月前半に行われたものであり、大村の知名度がまだ低い時期のデータに過ぎなかった。元副知事であった大村は、県民には「誰それ?」状態であったが、4月半ばからのメディア攻勢により知名度が急上昇し、4月後半には鈴木候補との差が一気に縮まった。この勢いを見た岸田自民党は、確実な勝利を見込み、大村への推薦を正式に決定した。衆院補選で三連敗して後が無い岸田自民党が、負ける候補者に推薦を出すはずがないのだ。
大村の選挙戦はさらに激化した。出陣式には現静岡市長の難波喬司が登場し、官僚出身のエリートとしての信頼感を強調。県西部での出陣式には、「Suzuki政治を許さない」と書かれたプラカードを持つ集団が応援に駆けつけ、強烈な鈴木康友批判を展開した。
リニア問題でも、大井川流域の島田市長に「川勝が作った県の専門部会を解散させるべき」と発言させ、リニア本工事の早期許可を公約とするなど、川勝前知事の方針とは一線を画す姿勢を示した。このように、公示前に穏健な印象を与えつつ、公示後には支持者・支援者向けにやや過激な戦術を展開するという二面性の戦略が奏功した。
前回の知事選で自民が敗北した際、自民県連は「次は必ず勝つ」と誓い、準備を進めてきた。川勝の失言を徹底的に攻撃し、彼の人間性を問題視するキャンペーンを展開。浜松市を含む施策も戦略的に抑え込み、対川勝の選挙戦を想定して準備を進めてきた。結果、川勝は思わぬところで自爆して対戦相手は別人になったが、その成果は相手が誰であれ、与野党対決の選挙において通用するものとなった。
総じて、大村慎一の勝利は偶然ではなく、長期的な戦略と綿密な準備、メディア戦術の成果であった。静岡県知事選2024は、まさに大村慎一のための選挙戦だったと言えるだろう。
2024年5月26日の静岡県知事選挙において、自民党推薦の元総務官僚、大村慎一は敗北した。その敗因を分析することで、選挙戦術の課題や静岡県の政治情勢を明らかにしたい。
川勝前知事の辞職表明後、真っ先に出馬を表明したのが大村慎一だった。彼は、川勝前知事によって生まれた分断を解消する「オール静岡」を掲げ、静岡県の未来を担う候補として期待された。地元紙によれば、3年前の前回知事選から自民推薦候補としてリストアップされており、その時は準備が整わず辞退したが、前回選挙直後から県内中東部の政財界にコネクションを築き、出馬の地固めを進めていた。総務省に影響力を持つ自民党幹部も、県内各自治体の首長らに「大村を頼む」と支持をお願いする電話をかけ回っていたという。
結果、出馬表明後、県内の各自治体の首長が続々と大村支持を表明し、地元メディアも連日「今日は〇〇市の市長が大村支持を表明しました」と報じた。特に、リニア問題で注目されている大井川流域市町の盟主である島田市長の支持表明は大きく取り上げられた。一方、対抗馬の鈴木康友に関しては、スズキ自動車の会長とのつながりくらいしか報じられなかった。
また、大村も鈴木も「環境を守りつつリニア推進」と表明したことで、争点がリニアから浜松球場の建設問題に移った。何百億円も県予算をかける工事見積もりのため、浜松市以外の人から見れば反対が多い。メディアは最大争点として浜松球場問題を扱い、大村は「ゼロベースで見直し」を掲げて支持を広げた。
ここまでは完璧だった。
自民党内部の情勢調査によれば、4月前半は当初は鈴木康友氏に大幅リードを許していたが、下旬になると一気に差を詰めていたという。
その結果、岸田率いる永田町の自民党本部が大村に推薦を出した。
選挙戦が本格化する中、大村陣営は「SUZUKI政治を許さない」といった過激なプラカードを掲げ、対抗馬の鈴木康友への批判を強調した。この手法は、川勝前知事がJR東海を批判して支持を集めた「分断を煽る」戦術そのものであり、県民の一部からは逆効果となった。
リニア問題でも、「1年以内に解決する」と表明し、リニア工事の環境アセス審査に期限を設けた。しかし、岐阜県の水枯れが報道され、大村は演説先で急遽公約が書かれたプラカードの「1年以内に解決」の部分をステッカーで隠し、公約を取り下げるという失態を犯した。このような混乱は、有権者の信頼を失わせた。
争点として浜松球場問題を強調しすぎたことも問題だった。この戦術は浜松市との対決色を強調しすぎる結果となり、地域対立を煽る形となった。西部VS中部の構図が目立ち、東部・伊豆の選挙への関心が低下し、更に浜松市の鈴木陣営の結束を固めさせる結果となった。
自民党本部の推薦も裏目に出た。自民党が裏金問題で国民から拒絶されている現状では、推薦がむしろマイナスとなった。応援演説には地元の上川陽子以外、政権幹部が応援演説に入ることはなかった。その上川陽子の演説も「失言」として報じられ失点にしかならなかった。
鈴木康友の選挙戦は、謙虚な姿勢で始まった。東部地域の市長から「挨拶に来ないのは東部を軽視しているからだ」と批判された際には、出陣式を地元西部ではなく東部で行い、批判をかわした。特定の政策を強調することなく、リニア問題で岐阜の水枯れが報道された時も「拙速には進めない」と上手くかわした。さらに、河村たかし名古屋市長など民主党時代の同期を動員し、幅広い人脈をアピール。立憲民主党の議員が応援演説を行い、与野党対決を前面に出すことで、大村側の自民党色を目立たせた。一方で、鈴木を全面的に支援したのは自民党の浜松支部であり、また、菅義偉前首相との蜜月関係も報じられるなど、自民支持層にも食い込んだ。
大村慎一の敗北は、逆効果な選挙戦術、リニア問題での混乱、地域対立の煽り、自民党本部の推薦の裏目など、複数の要因が重なった結果である。これらの要因を総合的に考慮すると、大村が敗北したのは必然とも言えるだろう。この選挙結果は、静岡県の政治情勢に新たな課題を投げかけている。
基本的に自分は行政サービスの縮小(not民営化)や福祉の縮小希望で、企業誘致や観光資源のブランド化など、静岡県には稼いでほしいので、鈴木康友候補を推したい。
以下自分語り
・リニアは慎重派
水枯れが嫌すぎるけどリニアそのものが嫌なわけじゃない。水が守られるなら開通はしてほしい。理想を言うなら迂回ルートでさっさと開通してほしい。
反対。子供嫌いな自分に利がないのが一番な理由だけど()子供が大切な存在というのは認識している。しかし正直そんな焼け石に水みたいなことで少子化改善できる気もしないのでやはり反対。周り見てるとこの程度の支援なくても子供欲しい子は産むし産まない子はこの程度の支援じゃどうにもならないくらい金が足りないか自由がなくなるとか子供嫌いとかそもそも子供産む気ない人。そのわりにお金はかかるし、他のことに使った方が有意義。
賛成。
・企業誘致
大賛成
大賛成。但し市役所の窓口対応、休日開庁とかそういうホスピタリティ系。インフラの民営化は絶対反対。
・福祉の縮小
賛成。とにかく全体的に福祉をもう少し手薄くして、稼ぐ方に注力してほしい。
大っ嫌い。景観悪すぎ。太陽光パネルどうせ大して発電できないのにコスパ悪すぎ。そんなことするなら原発の安全性を高めることに資金投入してさっさと再稼働してほしい。
ちきりんの
http://d.hatena.ne.jp/Chikirin/20161017
を見て、じゃあ政令指定都市はどうなっているんだと単純に疑問に思い調べてみた。
政令市名 | 市長名 | 生年 | 回数 | 経歴 |
---|---|---|---|---|
網掛け= | 女性市長 | 70歳以上 | 5期以上 | 中央官庁出身 |
札幌市 | 秋元克広 | 昭和31年 | 1期 | 市職員 |
仙台市 | 奥山恵美子 | 昭和26年 | 2期 | 市職員 |
さいたま市 | 清水勇人 | 昭和37年 | 2期 | 県議会議員 |
千葉市 | 熊谷俊人 | 昭和53年 | 2期 | NTT、市議会議員 |
川崎市 | 福田紀彦 | 昭和47年 | 1期 | 県議会議員 |
横浜市 | 林文子 | 昭和21年 | 2期 | 日産、ダイエー |
相模原市 | 加山俊夫 | 昭和20年 | 3期 | 市職員 |
新潟市 | 篠田昭 | 昭和23年 | 4期 | 新聞記者 |
静岡市 | 田辺信宏 | 昭和36年 | 2期 | 市議会議員、県議会議員 |
浜松市 | 鈴木康友 | 昭和32年 | 3期 | 衆議院議員 |
名古屋市 | 河村たかし | 昭和23年 | 2期 | 衆議院議員 |
京都市 | 門川大作 | 昭和25年 | 3期 | 市職員 |
大阪市 | 吉村洋文 | 昭和50年 | 1期 | 弁護士、市議会議員 |
堺市 | 竹山修身 | 昭和25年 | 2期 | 府庁職員 |
神戸市 | 久元喜造 | 昭和29年 | 1期 | 自治(総務)官僚 |
岡山市 | 大森雅夫 | 昭和29年 | 1期 | 建設(国土交通)官僚 |
広島市 | 松井一實 | 昭和28年 | 2期 | 労働(厚生労働)官僚 |
北九州市 | 北橋健治 | 昭和28年 | 3期 | 衆議院議員 |
福岡市 | 髙島宗一郎 | 昭和49年 | 2期 | キャスター |
熊本市 | 大西一史 | 昭和42年 | 1期 | 商社、県議会議員 |
こうして見ると、中央官庁出身者は20人中3人で多くはない。全員中国地方近辺というのは偶然か。
多いのは地方議員(6人)と自治体職員(5人)で合計すると過半数だ。
やはり地方の行政組織や選挙(政治)に密着しているのは強みなのだろう。
民間企業経験者は5人(うち2人はその後、地方議員経験あり)、女性は2人と、
ちきりんの言う「改革派」市長ばかりではないだろうが、都道府県知事と比較してみると概ね、
・若い
・期数が短い
・中央官僚は少ないが、政治・行政出身が多いことは変わらない。
というのは確かだ。
この結果として、非都市部と比べて、住民が利益を受けているのか、不利益を受けているのか、
あるいは、中央と対峙しているのか、そうではないのか、といったことは、よく考えてみると、
とても面白いのではないだろうか。それに、各都市の構造も一様ではない(大阪市と浜松市では中枢性が違いすぎるように)。
また、都市の中の都市である、東京23区の首長の経歴がどうなっているのかも、調べてみると興味深いだろう。
ぜひ誰か調べてみてほしい。