はてなキーワード: 行政区画とは
結婚の見込みがない29歳正常独身青年が、ご先祖様に申し訳ないという気持ちから先祖の戸籍を請求した。6市町から31通の戸籍謄本を取り寄せ、Excelにまとめた。戸籍制度の変遷や行政区画の歴史を知ることができ、何故か海外移民の歴史にも繋がり、祖父母との会話のきっかけにもなった。独身の暇つぶしにはもちろん、子供の自由研究にもおすすめである。かわいいあの子と新戸籍編製したい。助けて。
俺が末代だ(誤用)→ ご先祖様に申し訳ないにゃあ → そもそも先祖って具体的に誰やねん → そうだ、戸籍、取ろう
ワイ、29歳素人童貞。自分は子孫を残せないかもしれないというぼんやりした不安がいよいよ現実味を帯びてきた今日この頃。親にも祖父母にもご先祖様にも顔向けができぬと思った時、はて自分の先祖ってどんな人たちだったんだらうという疑問が湧いてきた。祖父母に聞いてみても、こんな先祖がいたという話は出てくるがそれが自分にとって何にあたる人なのか(曾祖父?曾祖母?高祖父?)が分からない。墓石や位牌を見てみても名前と戒名と行年が分かるだけ。家系図なんて高尚なものもなし。というわけで、先祖の戸籍、取り寄せてみました。
僕は埼玉生まれ埼玉育ち、岐阜県在住29歳素人童貞工場勤務現場労働限界サラリーマン。父親は次男で地元は山口県、母親は次女で地元は栃木県、そんな2人が地元を捨てて東京の大学で出会い、埼玉で僕が爆誕したってわけ。親の背中を見てすくすく育った僕は当然のように親元を離れ、縁もゆかりもなかった岐阜で働き、親に会うのも年1回、これが因果ってやつです。
さて、いざ戸籍を請求しようと思っても、やり方もようわからん。こういう時はとりあえずググる。ふむふむ、直系尊属の戸籍なら請求できる、と。まずは自分とか親の戸籍を取って、そこに親の名前と前の戸籍の本籍地が書いてあるから、親、その親、そのまた親って遡っていけばいいわけか。同じ市町村内なら先祖の戸籍をある分だけまとめて請求も出来るんだな。自分の本籍地が父親の実家にあることは以前に住民票取った時にわかってたから、山口県の役所まで行かなきゃいけないのかなと思ってたけど、どうやら郵送でも請求できるらしい。これはありがたいね。で、必要なものは、と……、まず請求書か、これはあとでコンビニでプリントだな(プリンターなんて持っていない限界独身青年)。本人確認書類は免許証でいいな、これも後でコンビニでコピー。返信用封筒と切手は買ってこなきゃ。あとは手数料を、定額小為替?、何だこれ、ていがくしょうかわせって読むのか?郵便局でしか入手できないし、貯金窓口って平日16時までしか空いてないのか、これは面倒だな……。
実際の手続きは市区町村のサイトにやり方書いてあるんで、それを見れば誰でもできます。面倒だったり時間がなかったりする人は司法書士とか行政書士とかに依頼したらやってくれるらしいよ。僕はコミュ障だからそっちの方が面倒なので1人でやった。手続き関連で意味わからんのは定額小為替。読み方もわからんくて、僕は最初郵便局の窓口で「ていがくしょうかわせください」って言って小恥かいた(ていがくこがわせ)。これは要するに戸籍の発行代を、現金は郵送できないから代わりに為替で送るってことなんだけど、小為替の額面にかかわらず1枚の発行に200円の手数料がかかる(2022年までは100円だったらしい)。200円の定額小為替1枚にも200円かかるし、750円の定額小為替5枚で1,000円の手数料だよ⁉ 平日の昼間になんとか時間作ってるのにこんな手数料取られるの、ほんとアホらしい。オンライン決済に対応してくれ。社会人の時間と金を返せー。北方領土も返せー。
まあそんなことは置いといて、戸籍の請求の時に用意しとくと便利なもの挙げときます。①プリンター: これがないと請求書の印刷とか本人確認書類のコピーとかでいちいちコンビニに行かなければいけなくなる。行った。必要項目さえ書いてあれば手書きの書面でもいいらしいんだけど、今時そんな人なかなかいないよね。②角形2号封筒: 請求書発送と返信用として同封する分で結構使う。③A4クリアファイル: 封筒に入れる書類はクリアファイルに入れる、これ社会人の常識ね。え?ギリギリ働けているだけの無能が社会人面してんじゃねえ?いいいいイキってすみません…
戸籍には、3つ種類がありまして、戸籍に除籍に改製原戸籍、この3つなんですが、まあ大雑把に言ってしまえば生きている戸籍と死んだ戸籍と旧版の戸籍って感じです。先祖のことを知りたいのなら、とりあえず全部1通ずつ請求すればオケ。現存している先祖の戸籍は全部手に入れてやるくらいの気持ちでいきましょう。請求理由に家系図作成のためって書いておけば、まとめて請求もできます。
戸籍はこれまで法改正によって6種類の様式が作られていて(明治5年式・明治19年式・明治31年式・大正4年式・昭和23年式・平成6年式)、現在入手可能で最古のものは明治19年式。ここまで遡れれば、だいたい江戸後期生まれの先祖がわかります。そして、さらに遡りたくなります、なるんです。ところが、明治5年式はいわゆる壬申戸籍ってやつで、新平民とか元穢多とかの表記があるらしく、昔の差別ガーって五月蠅かった奴らのせいで見ることができない。これ、完全に国民の知る権利の侵害じゃね?今の法律だと直系尊属の戸籍しか請求できないんだし、見せてくれたって何の問題もないよね。まあそもそも、部落差別がどうとかいう話がまず胡散臭すぎるし(職業差別なんか?地域差別なんか?血統差別なんか?)、そんなもん現代に存在しないやろ。解放同盟とか、差別反対って叫んでる連中が日本を歪めてるって、こんなとこでもわかんだね。みんなも部落探訪、もとい曲輪クエスト(©鳥取ループ)してこ♪ 楽しいよ!
で、戸籍請求して特に不備がなければ、1週間程度で返送されてくる。僕は最初に戸籍をまとめて請求した時、想定よりも枚数が多かったので小為替が足りず、追加で小為替を送ることになった。小為替は多めに用意しとくのがヨシ。
ここからは自分の先祖の戸籍の話。父方の実家は山口県の田舎で、江戸時代からそこに住んでいたと聞いていたので、1回の請求で割と簡単に明治19年式戸籍まで入手することができた。しかし、よく見ると本籍地の表記が現在のものと違っている。もちろん市町村合併が何度かあって〇〇郡〇〇村とかが今と違うのはわかるんだけど、番地が全然違うのだ。今の番地が「〇〇番地」なのに対し、明治19年式では「第△□番屋敷」になっていて数字も違う。調べてみると、現在の本籍地は地番を記載しているが、明治19年式の段階では地番とは別の壬申戸籍編製時に家ごとにつけた屋敷番号というものを載せているらしい、ということが分かった。そしてややこしいのが、地番と屋敷番号は全く対応していないようなのだ。その辺は地域差もあるみたいで、近代化の過渡期って感じのカオスが面白いですね。まあ現代でも住所表記は複雑で統一されてないし、そんなもんか。もしこの明治19年式の期間に先祖が転籍していたら、以前の本籍地が現在でいうどの場所にあったのか、地番と対応していないのでちょっとやそっとじゃわからないらしい。僕も詳しくはないから、知りたい方はググってみてくれ。そう思うと、父方の家が江戸時代からずっとそこにあるというのは、運がよかったのかもしれん。
他にも、高祖母の家系の明治19年式戸籍で、「〇〇郡〇〇浦」という、「町」でも「村」でもない表記のものがあった。町村制は明治22年施行だから、それ以前の藩政時代の表記が残っていたのだろう。これまた過渡期って感じでたまらぬ。こうなると郡制とか府県制とか市制町村制とか、行政区画の歴史についても、わたし、気になります!状態。心の中のえるたそが犬みたいに瞳を輝かせて迫ってくる。やれやれ、僕の頭脳はほうたるだからね、手短にね、やっちゃいましょうかね(Wikiを読む)。
そんなこんなで、クソ労働により病みそうで病まない少し病んでいる状態になりつつも請求を粛々と進め、とりあえず6市町から31通の戸籍を入手した。ある程度集めたところでExcelにまとめる作業に入り、そちらの作業の方に時間がかかってしまってまだ先祖の戸籍すべては請求できていない。単純に高祖父母の代まででも2^4=16家系あるからね、というのは言い訳ですごめんなさい。今のところ、一番遡れた人が高祖母の祖母にあたる人で文政3年(1820)生まれ、さらにその1代前の両親まで生年月日は不明ながらも名前は判明した。やろうと思えば200年くらい遡れるんやな。
戸籍には生年月日や出生地、婚姻などによる入籍・除籍日、死亡日、死亡地などが載っているので、ひとまずExcelでまとめてみた。眺めてみると、子供が早くに亡くなっていたり、夫と死別して出戻りしていたり、養子を迎えたり、韓国京城で死んでたり樺太真岡で死んでたりアメリカで死んでたり、戸籍から見えてくるものなんてその人の人生のごくごくわずかな部分にすぎないけれど、だからこそいろんな人生があったんだなと想像しちゃう。それに対して僕の人生……。もうずっと静止期、Stationary phase。Log phaseが一瞬すぎたんよ。いや、まだ長すぎるLag phaseの途中って可能性もないことも……ないか。
戸籍で父方の方を辿っていくと、長男がずっと(途中養子を挟んでいたが)家を継いでいて、一方母方の方を辿ると四男の四男の長男みたいな感じで家を継ぐという感じではなく、そこは対照的だなという感想をまず持った。自分のアイデンティティはやっぱり父方の方にあるけれど、自分自身の境遇(次男の長男です)を思うと、母方の方にも親近感が湧く。故郷を離れる、離れざるをえない人生というものに。特に母方の方は、一度栃木県を離れて北海道に渡ってからまた栃木に戻ってきており、中には樺太に渡って真岡で死んでいる親族もいて、これはおそらく長男の家系じゃなかったから移住したのだろうと思う。真岡なんて真岡郵便電信局事件でしか知らなかった地名だよ。こんなところで樺太と繋がるとは思わなかった。戸籍だと直系しか辿れないから、祖父母の兄弟とか曾祖父母の兄弟とかの傍系がその後どうなっていったのかまではわからないんだけど、自分自身が親元を離れていて昔の次男三男みたいな生き方をしているので、そっちの方も気になってしまう。それでも、おそらく当時の人たちには生まれ故郷という感覚はあったんだろうなと思ってて、自分なんかはもはや故郷が存在しなくていつか故郷に戻るみたいな感覚が全くないので、故郷が欲しい帰る場所が欲しいと思ってしまうんだけど、これはないものねだりだよね……。強く生きていくしか、ないね……。
父方の方は父方の方で、明治末から大正時代にアメリカに渡ってアメリカで死んだ親族が2人もいた。で、調べてみると山口県は全国でも5指に入る移民送出県らしい。有名なのは周防大島(屋代島)からのハワイ移民で、島には日本ハワイ移民資料館もあるよ。行ってみたいね。海外移民の歴史については、詳しくはググればWikiとかも出てくるし(Wikiの「広島県人の移民」の項目は読み応えあった)、興味ある方は調べてみてほしい。実際、父方の実家からは瀬戸内海を挟んで周防大島がよく見える。でかい。一時期周防大島出身の民俗学者・宮本常一の本を読んでいたことがあって、そこに宮本常一の父親が明治27年にフィジーに出稼ぎに行く話が出ていたので、まあ島と本土の違いはあるとは言え、あの辺一帯に外に出ていく気風みたいなものがあったのかなと想像してる。こんな感じで、家系っていう私的なものから歴史に繋がるのも面白いですな。
ここまで調べたことを表にまとめて、父方の祖父母に見せてみた。よお調べたのおって言われました。
「この人はアメリカに渡って、稼いだから家を建てちゃるけぇって言っちょったけど、向こうで喧嘩を止めに入って死んじゃったんよ」
「このおばあさんは酒造の娘でのぉ、気位が高い人じゃった」
「このおじいさんは働かん人だったみたいでねぇ、田んぼを売っちゃって大変じゃったんを○○さん(息子)が頑張って立て直したんよ」
あとは祖父が実は山口ではなく東京で生まれて幼少期は東京で暮らしていたり(当時は東京府東京市)、祖母が京都で生まれていてそれが実は自分が大学時代に下宿していた場所の近くだったり、なんてことも初めて知って、いろいろと話せて楽しかったです。
① 引き続き戸籍を請求:多分まだ結構取り寄せられる戸籍が残っているので、続けていこうと思う。古い戸籍は廃棄している自治体もあって(実際にもう無いですって3件ほど言われた・昔は除籍後80年経過したら廃棄してもよかったらしい・今は150年)、あれはとても悲しい。1回広島市に請求した時に無いですって言われたので、もしや原爆のせいか⁉と思って調べてみたんだけど、戸籍は疎開させていて無事で、単純に大正3年以前に除籍された戸籍を廃棄してだけでした。貴重な資料なんだし、廃棄せずに何とか残せんかったんかな。
② 昔の住宅地図を見る:せっかく先祖の本籍地を集めたので、古い住宅地図で本籍地がどういうところだったのかを見てみたい。複写したい。でも住宅地図は図書館でも禁帯出で、地域の図書館とか国会図書館とかの現地に行かないと見ることができないからな……。やるか――住宅地図複写旅――。
③ 菩提寺に過去帳を見せてもらう:これもいつかやってみたいね。
実際にやってみて思ったけど、これ、中学生の自由研究とかにいいんじゃないかな。役所で手続きして、資料集めて、整理して、発表用にまとめる。広げようと思えば家制度とか行政区画とかの歴史にまで広げてレポートにもできる。祖父母との会話のきっかけにもなる。お子さんがいる方、おすすめですよ!もちろん子供をもつ見込みのない独身の暇つぶしとしてもかなり面白いと思う。まあ、休日に何してるの?って職場で聞かれたときに先祖の戸籍集めてまとめてますって答えたらちょっと引かれたけどね。そもそも休日が少なすぎて疲弊して遊びにも行けんのじゃこのクソ会社がコラ。でも一人、この話に食いついてくれた女の子もいたので、あわよくばお近づきになりたいよ。一緒に新戸籍編製しませんか?住宅地図複写デートとかどうですか?もちろんオシャレなカフェとか映画館とか夢の国とかにも行きますから。高いご飯も奢りますから。自分、やれます、やらせてください。使うあてもないのにNISAで順調に積み立てられていく資産、何も積み上らない人生、虚しい。寂しい。一発やるまで死ねるか!!!
デンマークといえば、みんな大好き「(植民地とかではない)メインの領土が大陸にあるのに首都が島にある」2か国のうちの1つだけど(もう1つは赤道ギニア)、確かに「現在の」地図を見れば、首都コペンハーゲンはずいぶんと端っこにあるように見える。だが、コペンハーゲンはもともと国土の中心にあった。現在のスウェーデン南部スコーネ地方はもともとデンマーク領だったが、17世紀に戦争でスウェーデンに奪われたのだ。つまりコペンハーゲンは、ユラン半島とスカンジナビア半島南端部というメインの2つの領土をつなぐ、ちょうど真ん中の位置にあったことになる。仮に東北地方がソ連に奪われていたら、東京はずいぶん国土の端っこにあるように見えるのではないだろうか。
言うまでもないだろう。仮に将来南北統一が実現したら、ソウルは統一コリアのど真ん中に位置することになる。
これも言うまでもない。独立当時のアメリカは東部の13州しかなかった。13州のうちの北部と南部のあいだの妥協案として南部に新しい首都が作られたが、地図を見ると、まあ、「真ん中よりちょっと南」の立地と評価できるのではなかろうか。
ソフィアはずいぶんと国土の西側に偏っているが、本来はそこが国土の中心になるはずだった。20世紀の初頭、オスマン帝国領バルカンに残されたマケドニア地方を周辺の3カ国が虎視眈々と狙っていた。セルビア語とブルガリア語の中間のような言葉を話すその地の住民を、セルビアはセルビア人と呼び、ブルガリアはブルガリア人と見做し、ギリシャはスラブ化したギリシャ人の裔であると主張した。二度のバルカン戦争を経て、その地方は主にセルビアとギリシャの間で分割される(このオスマン領マケドニアのうち、セルビア領になった部分が現在の北マケドニア共和国)。……そう、ブルガリアはマケドニアという果実を得られなかったのだ。仮に幻の「大ブルガリア」が実現していれば、ソフィアは「大ブルガリア」の中心部に位置することになっていただろう。
オーストラリアはもともと1つの国だったわけではなく、オーストラリア大陸に作られたいくつもの植民地が寄り集まって独立した国だ。独立するときに二大都市のシドニーとメルボルンのどっちを首都にするかでモメたので、その2都市の間に新しい首都を建設することにした。つまり、国土の中心ではないが、二大都市の中間に首都があるということだ。まあ、オーストラリアの文字通りの中心、人住めなさそうだもんね……
交通に便利なパナマ地峡に街(パナマシティ)が作られる→交通に便利すぎて街のそばに運河が作られる→アメ公が大西洋と太平洋をつなぐ運河の支配権を欲しがる→運河地帯の住民による独立運動を煽ってコロンビアから独立させる、という経緯で作られたのがパナマ共和国。つまり首都のまわりが国土になるように切り取られた国なので、国土の真ん中に首都があるのは当たり前なのだ。
ブラチスラバは国土の端っこにあり、立地的にはほぼウィーンである。スロバキアというのは、元々「ハンガリー王国北部でスラブ系言語を話す人たちが集住しているところ」に過ぎず、伝統的な行政区画を持っていなかった(これは「オーストリア側でスラブ語話者がいっぱい住んでるところ」に過ぎなかったスロベニアと同じ。この2つの国名が似ているのは偶然ではなく、両方とも「クロアチア」みたいに伝統的な地域名を持っていなかったので、それぞれが「スラブ人の土地」と名乗った結果なのだ)。それが第一次世界大戦のドサマギでハンガリーから分離したわけだが、当然「どっからどこまでがスロバキアか」という合意があるわけではなかったので、チェコスロバキアとハンガリーによる実力での分捕り合戦になった。その中で、「大都市(当社比)だし交通の要衝だから、スラブ人率は低いけど占領しとこうぜ!」となって占領されたのがポジョニ、のちのブラチスラバである。ブラチスラバはあまりに「国際色」が強すぎたので(20世紀初頭の時点で人口の4割がドイツ語話者、4割がハンガリー語話者)、国土の中心にあってスロバキア民族運動の拠点でもあったマルティンにスロバキアの首都を遷そうぜ! という議論が戦間期に行われたのだけれど、結局ブラチスラバが首都として維持された(ところで日本語版ウィキペディア、マルティンの記事名が「マルチン」になってるな。確かにスロバキア語ではtiと綴ると「チ」と読むけど、Martinみたいな外来語の場合は「ティ」の音が維持されるんだよ!)。
島国といっても、メインの島が1つなのか、複数なのかでだいぶ違ってくる。というのは、小さな島がたくさんある国だと、まずもって「国土の中心かどうか」というよりも「島のデカさ」で首都が決まることがありえるからだ。そりゃ、真ん中にある小島よりも、端っこにある大きな島に首都置きたいよね……典型的にはトンガとかがそうで、南端にあるトンガタプ島のヌクアロファに首都が置かれている。あるいは、「大きな島+小さな島」の組み合わせでできている国は、たいてい大きな島の方に首都がある。バレッタ(マルタ)とか、バセテール(セントクリストファー・ネイビス)とか、セントジョンズ(アンティグア・バーブーダ)とか、ポートオブスペイン(トリニダード・トバゴ)とか……(元増田が挙げてるニュージーランドは例外)
では、メインの島が1つしかない国はどうだろう? これなら「国土の中心」も定義しやすい……あれ、意外と首都の位置偏ってんな。元増田が挙げてるアンタナナリブ(マダガスカル。ちなみにマダガスカル語ではoと綴ってuと読むので「アンタナナリボ」は間違い)は確かに真ん中ら辺にあるし、ダブリン(アイルランド)やダグラス(マン島)やディリ(東ティモール)やアロフィ(ニウエ)やポートルイス(モーリシャス)やスリジャヤワルダナプラコッテ(スリランカ)もギリギリ真ん中辺りと言えるかもしれないけど、台北(台湾)もハバナ(キューバ)もキングストン(ジャマイカ)もレイキャビーク(アイスランド)もマナーマ(バーレーン)もヌーク(グリーンランド)もヤレン(ナウル)も島の端っこの方にあるな……首里、沖縄本島の中心都市として見ると南すぎるけど、奄美~先島までの琉球王国の首都として考えると割と中心に近くて草。
首都の立地はよくよく考えますよね。ここは盆地で長らく中央集権国家だったから真ん中に首都があるやろとか、端っこの部族が全土を統一したから首都は端っこにあるんだよとか、東部は原生林が多いから人口の多い都市は西部に偏ってるんだよとか、港町を中心に発展したんだよとか、そういうことを地図描きながら妄想するだけですごい楽しい……だから元の「首都が国土の中央部にないのはおかしい」っていうツッコミは全然理解できないっていうか、変な形の国作って変な場所に首都置くのが楽しいんやんけ、となってしまうよね……
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元々、ネットネタとしての京都人いじりは大概うんざりしてたんだよね。もちろん、県民ネタはある種テンプレ化したやり取りを楽しむって側面もあるから一概に悪いとは言えないけど、ネット上の京都人ミームは特に性格上の「悪い点」にフォーカスして弄るのが多すぎる。年配のごくごく一部でやる人がいるかもしれない(俺は遭遇したことないけども)ぶぶ漬け伝説やら、やっぱり一度も聞いたことがないピアノ上手ならはったなあとか。それでもネタならいいんだけど、花街関連のツイートでついでとばかりに京都人叩きまで始める「性格悪い」ツイートを多数見てで吐き気がする。京都人に差別的な発言を平気でする人がどの口で人権を語れるのか。ちなみに、本題じゃないけど、舞妓さんとどうこうは大抵の京都人は興味もないし体験もしたこともなかろう(俺も別に特に興味なかった)ってのが正直な実感。さすがに高級キャバクラ的な側面はあるよねってくらいのことは皆肌感で知ってるし、だからこそ行く人も多くないから実態もあんまり知らないのだけど。
もちろん、京都人だって人間だから、性格悪い人もいい人もいるし、婉曲に言う人もストレートに言う人もいる。地域や生まれによってドロドロした内面を持っている人だっている。でも、それは日本人全体で色々な人がいるのと同じ話でしかない。なんでこう京都人を特別攻撃したがる怨念深い人がいるのか。京都人が~とネットで叩いている人の方が「よっぽど」地域差別主義者で陰険で性格悪いじゃんかと思う。
京都が好きな京都っ子の一人として言いたいんだけど、京都に居て「嫌味な人」に出会ったのなら、それは「その人が嫌味」なのであって、別に京都人が総じて嫌味なわけでもない。逆に素直に言ってくれる人に出会っても「京都人「でも」こういう人がいるんだ」じゃなくて、単にその人が素直なだけなんだよ。地域バイアスというか、ネット上の真偽定かならぬ情報が広まって都市伝説を一部事実と思っちゃう人がいるのは仕方ないけど、自分たちが地域で人を差別するという陰湿なことをしているのはそろそろ気づいて欲しい。
その上で、あえて「京都人」なるものを語るなら、一つにはいわゆる洛中・洛外みたいな区別はある。ただ、昔(肌感では70 overくらいでそう思ってる人はたまにいる)ならいざ知らず、現代っ子(俺は30台だけど)だと、北は北大路通、南は八条通(京都駅)まで(東西は人によって見解が異なると思う)、それより北とか南になると「単に風景が違う」からなんとなく「別の区画」って認知してるだけ(同高出身の友人と以前に語ったんだけど、思春期に洛中とか洛外とかいう意識はなかったけど、「風景が違う」ことは同じように認識してた)。あとは市内中心部(たとえば二条駅近く)とかはアクセスがいいから「便利だなー」って意味で「羨ましいなー」みたいな会話が繰り広げられることはあるけど、基本的にはそれだけ。地域でマウント取り合ってるとかそういう深読みしてる人もネットにいるんだなと思うけど、それはその人が日常的にマウント取りあってる性格悪い人なんじゃないかと思う。
京都市以外は京都と認めないみたいなお話もあれは外の人から見た偏見であって、単純に「市内」と「それ以外の京都府」だと風景が違い過ぎるから同じに見られないというだけ。東京都でわかりやすいように言うと、23区とそれ以外をなんとなく地理感覚として区別するだけの話かな。たとえば、宇治は行政区画上は「京都府」だけど一度も行ったことがなくて、そこにある風景が肌感としてわからない。宇治出身の人に、「宇治てどんなとこです」と聞いたら「過疎化してますねー」とかえってきたことがあるんだけど「なるほど、宇治は過疎化してるのかー」と思うだけで、そもそも宇治の風景を知らないから語りようがないんよ。これが、市外の人からすると「見下されてる」という思い込みにつながるんだろうなとも感じるけど。
あとまあ、日本有数の観光地だけあって、コロナ禍前は観光客多すぎてうんざりみたいな地元話はあるけど、こういうのもどこにでもある話よね。でも、別にそれは陰湿であるとかそういう話ではなくて、地元で観光業に関わる人でなければ、人増えすぎて日常生活が阻害されるからしんどいってだけの話でしかないんよ。
洛中に住んでるとかドヤ顔でいう人は(リアルではまず見ないけど)どうもネットの一部には棲息してるのは確かだけど、リアルでそんな時代錯誤なふるまいを取る人に遭遇したら間違いなく仲間内では「やな感じの人だよねー」って話になるよ。結局、京都人といっても現代日本に住んでるし、しかも比較的都市部だから大枠では現代日本人だし、嫌味な人に遭遇したらそら嫌味だなって感想にしかならない。
もう一つだけ、京都人、特にいわゆる洛中区画に居る人の特殊性が一つあって。いわゆる洛中って地域として超狭いから、そこに住んでるだけで「お互い結構ご近所にいる」って感覚なのよね。だから、その地域にある地名とかは一発でお互いに通じるし、京都の外でその辺の人に会ったら「ご近所さんだな」という感覚にもなる。だから、その地域にいる人ならすぐ通じる話とかあって内輪で盛り上がる習性は少なからずあるのは間違いない。この辺とかも、外から見ると「洛中出身の人が外の人にマウント取ってる」みたいな感覚になるのかもしれないけど、もう端的に言って誤解。もしマウント取ってる人がいたら、やっぱり「あの人やな感じよねー」となるだけよ。
ちなみに、個人的なエピソードを語ると、俺はチェーン店より個人経営の飲食店が好きでよく行くんだけど、基本的には美味しかったら、素直に「このカレーとっても美味しかったです。また来ますね」みたいに褒めた方が喜ばれるし、嫌味に取る人なんぞ遭遇したことがない。というか、そう素直に褒めるだけで、次から顔覚えてて挨拶してくれるいい店主が多いくらい。一方、京都市内ってとにかく狭いから周りに迷惑かけないようにマナーに敏感な人は(これは偏見じゃなくて)多くて、周囲の人に迷惑をかけないように張り紙してる人とか多いけどね。地方都市の割に「狭いところに多くの人が住んでいる」故に神経質だったり繊細な人が多いのは京都人に多い気質かもしれない。
京都人を差別的に見ている人に、「京都人といっても普通の現代日本人だよ」という感じが少しでも届けばと思ってちょっと書いてみることにした。
追記:
洛中洛外の差別意識を自覚してないとか、宇治を差別してるとかいう人がいて、なんで普通に読んでくれないんだろうなと悲しくなるよ。
東京(墨田区)に一時期住んでたから、別の地域でわかるように書くと、亀戸と錦糸町は駅としては隣接してるけど駅付近の雰囲気は違うなーと思ったことはあるわけだ。たとえば、亀戸はやっぱ年配の方が多い気がするなーとか、遊べるところは少なめだなとか、街としてはおとなしめだなとか。一方、錦糸町はより栄えてて、駅北は家族連れ多くて全然雰囲気違うなーとか。そういう感覚で「いわゆる」洛中と洛外の雰囲気の違いはあるなと感じるというお話。亀戸の人はどうだとか錦糸町の人はどうだとか論じたらダメだけど、街としての違いを論じたら差別とかいうのは暴論もいいとこでしょうに。
「ウイグル」は民族名だ。地名じゃない。「新疆」とか「東トルキスタン」とか「ウイグリスタン」ってのが地名だ。
「ウイグルでひどいことが起きている」のように「ウイグル」を地名のように扱うのは見ていて恥ずかしいので即刻やめろ。何もわかっていないのが丸わかりだ。「ウイグル人にひどいことが行われている」のように民族名として扱え。
「アイヌ」と同じだ。「アイヌ」という民族はいるが「アイヌ」という土地はない。「北海道」や「アィヌモシㇼ」が地名であって、「アイヌ」は地名じゃない。
北海道でアイヌの伝統的なサケ漁が禁じられていることを「アイヌで漁を禁止された」と言ったらおかしいだろう? 「アィヌモシㇼで漁を禁止された」か「アイヌが漁を禁止された」と言うべきだ。
「チベット」や「モンゴル」は民族名でも地名でもある。「日本」や「朝鮮」と同じだな。「朝鮮で弾圧が起きた」でも「朝鮮人が弾圧された」でもOKなように、「チベットで弾圧が起きた」でも「チベット人が弾圧された」でもどっちでもよろしい。
話をウイグル人に戻すと、「新疆ウイグル自治区」ってのは「新疆」にある「ウイグル人の自治区」って意味だ。
中国は民族区域自治を採用しているから、少数民族が集まって住んでるところには「○○(地名)・××族自治州」みたいなのが設置されている。その一番でかいやつ(省と同格)が自治区だ。
だからたとえば、内モンゴル自治区の外にモンゴル人が大勢住んでいるところがあれば、そこは「○○・モンゴル族自治県」のような行政区域になる。
新疆ウイグル自治区にはウイグル人以外の少数民族もそれなりに住んでいるので、新疆ウイグル自治区の内側にはイリ・カザフ自治州があり、さらにその内側にはホボクサル・モンゴル自治県というのがある。これを「カザフ」や「モンゴル」とするのは間違いだ。それはあくまでも「イリにあるカザフ人の自治州」「ホボクサルにあるモンゴル人の自治県」であって、土地の名前は「新疆」にある「イリ」や「ホボクサル」だ。
仮にサンフランシスコの日本人が自治権を獲得して、「サンフランシスコ日本人自治区」ができたとして、それを「日本」と呼ぶのはどう考えてもおかしいだろう? 「新疆ウイグル自治区」を「ウイグル」と略すのも文法的にはそれと同じことだ(ウイグル人は日系アメリカ人と違って先住民族なので政治的には大違いなのだが、そこはひとまず措いておく)。
世界の国名の中には、「○○人の国」という意味の国名がいくつもある。英語で考えてみると、東欧のスロバキアはSlovakiaで、スロバキア人はSlovaksという。Slovakの国だからSlovakiaなのだ。Croatsの国だからCroatiaで、Scotsの国だからScotlandだ。これは、日本や朝鮮や琉球のように、「○○」という国がまずあって、そこの国民だから「○○人」、という名付け方とは真逆になる。
日本語ではそこを考えず「スロバキア人」「クロアチア人」「スコットランド人」としているわけだが、いくつかの民族については、日本語でも厳密に民族名と地名を区別している。
わかりやすい例を挙げると、「アラブ」がそれだ。「アラブ人」の土地だから「アラビア」なのであり、「アラブ諸国で」「アラビアで」とは言うが「アラブで」とは基本的に言わないはずだ(ところで、言語名が「アラビア語」なのはよくよく考えるとおかしいと思う。言語は土地じゃなくて民族にくっついてるんだから「アラブ語」だろうJK)。
そして、中央アジアでは、このへんきちんと区別されている。カザフスタンの基幹民族はカザフ人だ。民族名の「カザフ」に「~の土地」を意味する「~スタン」をつけて「カザフスタン」だ。同様に、トルクメン人の国だから「トルクメニスタン」で、ウズベク人の国だから「ウズベキスタン」で、歴史的にテュルク系民族がいっぱい住んでた土地だから「トルキスタン」なのだ。
「ウイグル」もこれに当てはまる。「ウイグル」は民族名であって、地名に使うのは間違いだ。「ウイグル人の土地」と言いたければ「ウイグリスタン」、中国語で「新しい土地」と言いたいなら「新疆」、「歴史的にトルキスタンと呼ばれてきた地域の東半分」と呼ぶのなら「東トルキスタン」だ。
ウイグル問題に関心を持つ人が大勢いるのはとても良いことだ。東トルキスタンで起きているジェノサイドは許されるべきではないし、中国政府の所業は大々的に糾弾されるに値する。だが、もうちょっと正確な語法を使ってもらえまいか。少し事情を知っている者からすれば、「ウイグルで弾圧が起きた」のような文章を見ると「書き手はウイグル問題の基礎知識を理解できていないのでは?」と不安になってしまうのだ。せめてそれが民族名であり、地名ではないことくらいは意識しておいてもらいたい。
自治州・自治県レベルだと新疆の外にウイグル人の自治領域はないっぽい。これはウイグル人が新疆に集住してるという事情があるからだと思う。ていうかウイグル人(テュルク系)が集住してるからトルキスタンっていうわけで。
回人の自治州が寧夏の外にもあちこちにあるのは、彼らが散らばって住んでるからだよね。モンゴル人自治州があちこちにあるのと同じ。この2民族は歴史的経緯から居住地が広範囲にわたっている。
チベット人自治州は青海省とかチベット自治区の周りに集中してるけど、これは自治区がチベット人の居住地に比べて狭すぎるからだよな。あのへん、前近代は清朝とガンデンポタンの勢力圏が重なり合う地域で、現在の中国の行政区画はそういう曖昧な領域の多くを自治区から外してるから、自治区の外にたくさんのチベット人地域が取り残された形になってる。
別に大阪都構想も道州制もそれ自体ではたいへんけっこうお好きなように主張なさればよろしい、という感じなんだけど、両立しない主張なんだよね。
大阪都構想は大阪市と大阪府の担当区域が被りすぎなんだから大阪市を分割して広域行政は大阪府に一本化しようという主張であり、
道州制は現在の都道府県よりも広い領域を州という行政区画にしようという主張なんだから、
仮に道州制を採用するなら大阪都市圏の広域行政を担う自治体としての大阪市は必要じゃねーか! って話になる。
この2つを同じ口で言ってる時点で維新はほんと信用できないんだよな。モノ考えてないか詐欺師かの二択なんだから。
(もちろん理論的には都道府県を存置したままで上位の行政区画としての州を設置するという道州制もありうるしそれなら大阪都構想と矛盾はしないけど、小さな政府大好きの維新がそんなの支持するわけないだろうし)
都道府県魅力度ランキングで、毎度ワースト争いをするのも致し方ないといえる程度にはダサい。
そもそも、律令国の時代には「武蔵国」として、埼玉県は東京都と一体だったのだ。
で、武蔵国から東京を分離した「あまりの部分」が現在の埼玉県なのだから、これがダサくなくてなんであろう。
(余談ながら、ことあるごとに埼玉はおろか、東京すらも下に見る、あの鼻持ちならない「横浜」という地域の大半も、
かつては「武蔵国」であって、そういう意味では、横浜と埼玉は兄弟であって、ペリーの来航による開港がなければ、
かつての城跡あたりに県庁やら市役所やらNHKやらが集まっている地域が多い。
そこには、それぞれに領主がいて、城下を繁栄させ独自の文化や産業をはぐくんでいたのだろうが、
さしたる文化的な蓄積がない。
そもそも幕府の直轄領だったらしいから、まあ、東京(江戸)の一部みたいなもので、独自性もへったくれもない。
実際、小江戸と言われたこの街には、日本百名城の一つがあるし、寺社仏閣や蔵造の街並みが観光資源として使える程度には残っている。
にもかかわらず、今一つ存在感が薄いのは、この地をがっちりと育ててきた大名が存在しないからではないか。
大坂の陣で江戸留守居役を務めた酒井重忠とか、家光・家綱に仕えた酒井忠勝とか、
知恵伊豆こと松平信綱とか、綱吉の寵愛を受けた大老の柳沢吉保とか
これは要するに、徳川政権の高級官僚が、江戸の手近のところに領地を与えられたという話であって、
「優秀な人ほど、東京に通勤していて、地元にそんなに愛着がない」という
西武線沿線、東武東上線沿線、JR東北・高崎線沿線、東武伊勢崎線沿線と、
東京と各地を結ぶ鉄道沿線沿いに都市圏が発達し、住民はなにかと東京のほうを向いていて
県内の各地域の「横の連携」が弱く、それ故に県としての一体感が弱いのも埼玉県の特徴だ。
たとえば「埼玉西武ライオンズ」といっても、さいたま市あたりの住民などは、ほとんど愛着がない。
なにしろ、ライオンズの本拠地たる所沢に行こうにも、鉄道で行くとなると、
いったん、池袋(埼玉県であるとの説もあるが、行政区画としては東京都)に出なければならないのだ。
愛着なぞ沸くはずもない。
なぜなら、各地域の基盤となっている前述の鉄道路線が、おおむねかつての街道筋に沿っているからである。
http://anond.hatelabo.jp/20150913161839
東京市15区、つまり「江戸」以外は東京を名乗るのをやめてほしい。
15区とは具体的にいうと、麹町区、神田区、日本橋区、京橋区、芝区、麻布区、赤坂区、四谷区、牛込区、小石川区、本郷区、下谷区、浅草区、本所区、深川区を指す。いまの行政区画だと、千代田区、中央区、港区、台東区、文京区の全域および江東区、墨田区の西半分、新宿区の東半分あたりだ。
新宿や渋谷、品川あたりは江戸から外にお出かけするときの「宿」だったわけで、「江戸」ではない。さいたま市民の愛する池袋なんて単なる農村だった。
「東京で住みたい街 ベスト10」みたいなテレビ・雑誌の特集で吉祥寺や中目黒や二子玉川が取り上げられることがあるけど、東京15区在住の人間からすると失笑するしかない。「それ、東京じゃないじゃん」って。
つい先日クリミアが独立宣言を行い、さらにロシアが併合を決定しました。
ここはてなでも一連の流れを受けて様々な議論が巻き起こっていますが、本稿ではクリミアがウクライナから独立した件に絞って、国際法の観点から分析していきたいと思います。併合の是非については触れません。あくまでも、分離独立した件についてのみです。なお、筆者はこの分野に明るくないので、間違いがあれば遠慮なく指摘してください。
「旧ソ連時代以来ウクライナ共和国内の自治共和国として存在していたクリミアが2014年3月11日に行った独立宣言の是非について」
新たな国家が成立するためには、(i)領土(ii)住民(iii)実効的な政府(iv)外交能力の四つが必要であるとされています(この内(iv)は(iii)の一部として考えられることがよくあります)。とは言え、これらは絶対的なものではなく、第二次大戦後の非植民地化の過程において、実効的政府要件に関しては「自決権」の名の下で緩和されることがよくありました。「自決権」とは何かというのはまた難しい話なのですが、国際人権規約共通第一条は、すべての人民がその政治的地位を自由に決定し並びにその経済的、社会的及び文化的発展を自由に追求する権利と定義しています。これに関連して、1960年に「植民地独立付与宣言」が国連総会で採択されましたが、その中で、植民地は、植民地住民の意志によって独立することが可能であるとしており、植民地住民の自決権を否定する"国家"は、たとえ上記の四要件を充足していても、"国家"として認められないこともありうるのです。この文脈において自決権は、政治的独立・自治達成のための根拠としてとらえられているので「外的自決権」とも称されます。
外的があるなら内的もありそうな話なのですが、実際にあります。「内的自決権」とは、植民地住民ではなく、独立国家内部の人民の自決権です。ここで注意しておきたいのは、分離独立は、元の国家が存在しているという点において分裂と異なり、植民地支配からの脱却のための自決権行使ともまた違うということです。
さて、国連総会が1970年に採択した友好関係原則宣言の中の一部を、少々長いですが、見てみましょう。注目すべき箇所は3/4あたりからのくだりです。
国際連合憲章にうたわれた人民の同権及び自決の原則によって、すべての人民は、外部からの介入なしに、その政治的地位を自由に決定し、その経済的、社会的及び文化的発展を追求する権利を有する。いずれの国も憲章の規定に従ってこの権利を尊重する義務を負う。
いずれの国も、共同の行動及び個別の行動を通じて、憲章の規定に従って、人民の同権及び自決の原則の実現を促進し、また、
(b)当該人民の自由に表明した意思に妥当な考慮を払って、植民地主義を早急に終了させること、
を目的として、かつ、外国による征服、支配及び搾取への人民の服従は、この原則に違反し、また基本的人権を否認するものであり、したがって憲章に違反するものであることに留意して、この原則の実施に関して憲章により委託された責任を遂行することについての国際連合に援助を与える義務を負う。
いずれの国も、共同の行動及び個別の行動を通じて、憲章に従って人権及び基本的自由の普遍的尊重と遵守を促進する義務を負う。
主権独立国家の確立、独立国家との自由な連合若しくは統合、又は人民が自由に決定したその他の政治的地位の獲得は、当該人民による自決権の行使の諸形態を構成する。
いずれの国も、この原則の作成にあたって上に言及された人民から自決権並びに自由及び独立を奪ういかなる強制行動をも慎む義務を負う。かかる人民は、自決権行使の過程で、こうした強制行動に反対する行動をし、また抵抗をするにあたって、憲章の目的及び原則に従って援助を求めかつ受ける権利を有する。
植民地その他非自治地域は、憲章上、それを施政する国の領域とは別個のかつ異なった地位を有する。憲章に基づくこうした別個のかつ異なる地位は、植民地又は非自治地域の人民が、憲章とりわけその目的及び原則に従って自決権を行使するまで存続するものとする。
前記パラグラフのいかなる部分も、上に規定された人民の同権及び自決の原則に従って行動し、それゆえ人種、信条又は皮膚の色による差別なくその領域に属する人民全体を代表する政府を有する主権独立国家の領土保全又は政治的統一を、全部又は一部、分割又は毀損しうるいかなる行動をも承認し又は奨励するものと解釈してはならない。
いずれの国も、他のいかなる国又は領域の民族的統一及び領土保全の一部又は全部の分断を目的とするいかなる行為をも慎まなければならない。
この中でも、
前記パラグラフのいかなる部分も、上に規定された人民の同権及び自決の原則に従って行動し、それゆえ人種、信条又は皮膚の色による差別なくその領域に属する人民全体を代表する政府を有する主権独立国家の領土保全又は政治的統一を、全部又は一部、分割又は毀損しうるいかなる行動をも承認し又は奨励するものと解釈してはならない。
の部分は、実は独立国家による領土保全を、自決権主張に対して正当化するために書かれているところなのです。独立国家の人民にも外的自決権を認めようという考えもあることはあります。たとえばケベック分離事件において判示されたように、内的自決権を否定されている人民には、(i)当該実体が自決権行使主体である「人民」であり、(ii)「内的自決権」行使の否定が存在していれば、独立国家からの分離独立が正当化される可能性があります。しかしながら、この二要件の充足は難しい上に、上記の友好関係原則宣言の規定(実はほかに所属国家からの分離独立に関する権利に触れた文書はありません!)や国家実行(チベットやビアフラなど)を考慮したら、内的自決権は、実質的には、まだ国際法上の権利として明確に認められていないといえそうです。とは言え、禁止されている訳ではなく、事実として分離独立が発生する可能性は大いにあり、実際にバングラディシュや旧ソ連諸国などの例があります。
当然のことですが、独立国家から分離独立する際に制約は存在しています。
新国家が独立する際によく参照される国際法上の原則にウティ・ポシデティス・ユリス原則(principle de l'uti possidetis juris)があります。これはローマ法の法原則であるところの「汝の占有する状態で占有を続けよ」に由来するもので、国際法においては中南米諸国の独立において、植民地時代の行政区画の境界線を、独立後の国境とするために用いられました。一見すると明確に思える原則ですが、実際には形式上の行政区画とは異なる実効的支配が行われていることもあるので、なかなか厄介な問題もはらんでいます。とは言え、この点に関しては既にブルキナファソ・マリ国境紛争事件で、法的根拠が実効支配に優越するという形で決着が着きました。また、旧ユーゴスラヴィアを巡る問題では、この原則は独立国家にも適応されうるという見解が示され、さらに民族区分によって国境を画定することは許されないとの見解も出されました。ここに、一つの制約が出てくるわけです。
また、独立主権国家は自国の領域に関して領土保全原則によって守られています。この原則は、領土・領域の状態がそのまま維持されるというもので、植民地以外の国家の一部領域における独立は保障されないとされます。国際秩序の安定性の維持がここで出てくるわけです。
ただ、先述したケベック分離事件を踏まえたら、内的自決権の否定が存在していたら分離独立が正当化される可能性は存在しています。
ここまでつらつらと書いてきましたが、結局最後は政治の問題になります。分離独立が権利として認められていようが認められていまいが、国家承認によってすべての関係性が決定されてくるからです。分離独立が元となる国家の承認を得ていたのなら大きな問題になりませんが、そうでない場合は第三国による承認が政治問題に発展することは容易に想像がつくところと思われます。コソボがまさにそうでした。
国家承認には、第三国が承認して初めて国家として認められるとする創設的効果説と、国家の成立要件を充足さえすれば国家として認められるとする宣言的効果説の二種類の学説がありますが、現代においては後者が通説となっています。なので、たとえある国が新独立国を国家として認めていなくても、当該国家は国家として法的に存在していることに変わりはありません。あくまでも、国家実行としての国家承認は、既存の国家が新国家の成立を確認する一方的行為なのです。しかしながら、それでも国家実行上、国家承認は重要な役割を果たしていますし、国家としての要件を充足していないのに国家承認したら「尚早の承認」であるとして国際法違反になります。かつて日本も満州国を巡り、尚早の承認であるとみなされたことがあります。
やはり欧米の分が悪いかなと。というのも、ウクライナはクリミア自治共和国に対して内的自決権を否定するかのような行動をよく取ってきたからです。また、クリミア自治共和国という行政区画単位での独立を行いましたし、国家としての要件は十分に満たしているように見えます。なので、結局のところ国家承認が問題になってきます。よくコソボが引き合いに出されますが、あれは政治的理由によって国家承認がされる/されないの好例です。国連の暫定統治下にあったとはいえ、当時のコソボは国家の要件を充足していたと一般(欧米社会)には評価されています(したがって国家承認を行っても「尚早の承認」にはあたらないので国際法に則ってる)。今回のクリミアの分離独立もやはり同様の構図と言えるでしょう。理論的に考えたら今回のケースにおいてもクリミアの分離独立を認めるのはもっともな話ですが、国際社会がそれをどうとらえるかはご覧のとおりです。もっとも、ロシアが介入を行っているため、正当性の観点からまた別の問題が存在していることも事実です。また、その後の併合の動きを見ても、結果論ではありますが、果たして分離独立が正当なものだったかは疑問符がつくでしょう。が、あくまでも繰り返しになりますが、本稿は分離独立にのみ焦点をしぼっているので、これ以上は触れません。