1946 年の内閣告示により 1948 年に制定された「当用漢字」は、
1973 年に改訂され、1981年に「常用漢字」の制定にともない廃止されました。
1973 年の改訂では、添付文書で改訂の趣旨について以下のように述べています:
・改定に当たっては,昭和23年内閣告示の当用漢字音訓表の持つ制限的色彩を改め,当用漢字改定音訓表をもって,漢字の音訓を使用する上での目安とすることを根本方針とした。
これは、1946年~1948 年に制定された「当用漢字」には制限的な意味合いがあった
ということを公式に認めたものだ、と読むこともできます(表現規制だぁーww)。
では何故、「制限的色彩」があったかというとあったかというと、
わが國において用いられる漢字は、その数がはなはだ多く、その用いかたも複雑であるために、教育上また社会生活上、多くの不便があつた。
大本営発表をはじめとする政府(特に軍部)から出てくる公式文書や、
戦中の御用メディア(当時の新聞)の文章が大袈裟で難解な漢語表現ばかりで
「なんかスゴそうだけど、よく考えたら意味不明だった」「あの表現に騙された」という感覚だったんだろう。
つまり、大きな流れとしては、1946 年に戦中の反省から「当用漢字」ができて、
1973 年に「そろそろ戦争の反省より実用性かな」というノリになり、
中曽根康弘が総理大臣になる(1982年)ような時代になって廃止されたということですね。
というようなことを週末に家族と話してたんだけど、
月曜の朝にミリタリークラスタが「鹵獲」なる言葉を使ってるのを見てモヤった次第です。
英語だと「キャプチャー」という日常の言葉と地続きのフツーの言葉なのに、
日本語の「鹵獲」はどの辞書を引いても戦争や軍隊という文脈限定の
自分は(他人もだけど)専門用語を多用したくなったら要注意だと思ってる。
専門用語を多用したがる「気持ち」はどこからやって来るんだろう?