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2020-12-03

[] 俺にとっての「武俠小説」ってこんなやつ

(没理由:書き終えたときには武俠小説叩きの流れが終わっていたから没にしたらしい)

(書いた日:2020年9月20日くらい)

武俠小説はなぜ流行らないのか、みたいなまとめを読んだ。

ブコメTogetterでは中国の歴史の話扱いで「だから流行るわけがない」とボロクソに叩かれていた。

しかに今の日本で武俠小説と謳われる作品の大半は中国歴史ロマンか、そうでなければ後宮じゃない中華風ファンタジーだ。ウィキペディアにもそれっぽいことが書いてある。

でも武俠小説といえばチャイニーズトラディショナルカンフーバトルwithスーパーオーラパワー(内功を伴った武術での戦い)だろ???

重要なのは歴史ではなく功夫だよ。少なくとも俺にとってはな。

じゃあ俺の好きな武俠小説の話をしよう。

武俠の何がいいって「内功」だよ。気の力。これで武芸者達は肉体の能力を飛躍的に向上させ、超人的なパワーを発揮する。

修行すればツボを突いて身体麻痺させる「点穴」や、身体を軽くして高速移動や大ジャンプができる「軽功」が使えるようにもなる。点穴は北斗神拳の殺さない版、軽功はカンフー映画でワイヤー使って跳んでるアレね。『Thunderbolt Fantasy』のなんかキラキラした絶技も、だいたい内功によるもの。たぶん。

次に「外功」。肉体を鍛える技や武術の型、武器の使い方みたいなの全般。ご存知の少林拳も名門の技として出てくる。これに内功のブーストがかかって、繰り出される技はとんでもない威力になる。軽功と組み合わせて空中コンボもやる。

武器もいい。刀剣は言うに及ばず、敵を点穴するための「判官筆」っていうデカ金属製の筆とか出てくるし、鉄製の碁盤やソロバン刺繍針で戦うやつらもいる。でも最強は飛刀かな。

そして武俠小説を更に魅力的にしているのが、中国語の持つ高い厨二性能。中国語はドイツ語に勝るとも劣らぬ厨二言語なんだよ。向こうは音だけど、こっちは字面がかっこいい。「降龍十八掌」「六脈神剣」とか、技が名前からして強いでしょ。二つ名にしても「追魂奪命剣」は強い。強過ぎる。

歴史過去時代舞台にすれば絡んではくる。じゃあ江戸の三代将軍を知らなきゃ『甲賀忍法帖』あるいは『バジリスク』が一切楽しめないかっていうと、そうはならないだろう。知っていれば知っているなりの、知らねば知らぬなりの楽しみ方があるだけ。時代小説なんてそういうものでしょ。俺は頭韋小宝だから中国史なんて三国演義と洗衣院しか知らなかったけど楽しかったぞ。

歴史重要って認識は、徳間書店金庸を「中国吉川英治」って売り出したり、田中芳樹が紹介する際に史実に絡めたがったり、作中の年代特定したがったりしたせいもあると思う。

しかし武俠小説には「昔の中国のいつかどこか」ぐらいの曖昧な設定の作品も多い。古龍作品時代設定が曖昧なくせに、作品同士の「あれから◯◯年後」みたいな繋がりがあるせいで、真面目に考察すると頭がガイエになるぞ。

それから義云々。それは確かに武俠にとって重要概念ではある。

義気が重要なら武俠ではなく、日本任侠ものでいいだろうという意見もあった。確かに講談で語られる「渡世」と武俠小説に出てくる「江湖」は、流れ者達の社会という点で似ている。俠客達の「一家」と武芸者達の「門派」は、疑似親子関係を結ぶ点で似ている。

けれど無宿人は内功ができない。だから置き換えはできない。

俺が見たいのは内家と外家の武功をもって俠を成すひとの話なんだよ。

江湖を舞台に仇を巡る殺し合いやら秘宝争奪の大冒険やらが繰り広げられ、そこにヤバい武器や武林の秘伝書がついてきて、強い漢字で厨二マインドが刺激される。これがいいんだよ!

そしてこのワクワクは武俠小説しかいから、他のジャンルで置き換えられない!

だいたいにして、ほとんどのジャンルには他のものでは置き換えられない醍醐味があることぐらい分かるだろ!

繰り返しになるけど、今の日本で武俠小説と謳われる作品の大半は中国歴史ロマンか、後宮じゃない中華風ファンタジーだけど、俺が好きなのはもっと限定的

日本作品で言うと、嬉野秋彦武侠三風剣』、虚淵玄鬼哭街』、深見真『武林クロスロード』、藤野恵美『紫鳳伝』は俺の求める武俠小説だった。『武侠三風剣』は北宋舞台だけど特に歴史知識要求されることはないし、他は近未来SF中華風ファンタジーなので、中国史は知らなくていい。でも功夫はあった。

重要なのは史実ではなく功夫

そこを分かってくれ!

2019-11-09

anond:20191109181437

「一生続けられないお仕事」でよかったっけ、有名どころを抑えてらっしゃる

よしながさんは弁護士というか法学部教授が2~3人持ちキャラにいるけど在野に降りたのはやっぱきのうなにたべですなあ

あっアンティークの元同僚・・は法学部から商社だっけ

体裁判官検察官ジュリストのほうがエリートコースという考えもあるらしいので

意外と劣等感あったり体力仕事だったり調べると面白いんだろうけど編集でもわからないだろうなあ・・

  

まあ山田さんとよしながさん以外だと編集取材力なくて

痴漢される受けに名刺出すだけ、あと私生活スパダリでした

とかでごまかしちゃう気もする

2015-10-11

北海道増田投稿歴史

北海道江別市西野幌にある「道立増田投稿者養成センター」の歴史は古く、明治2年に開拓判官島義勇が建白した「匿名筆録掛創設ニ関スル建白」にその淵源が求められる。

その後、初代北海道庁長官岩村通俊の時代にその必要性が認められ、明治20年に「庁立増田所」が札幌創成川沿いに設置された。

当時は札幌農学校講師教授役を務めた。吏務員としての素養を高めるとともに人の気をひく匿名文章を如何に作るかについて、北海道開拓というプレッシャーの中、日々を研鑽を積んでいた。当時はインターネットは無く、増田専用の文書回覧し、開拓使に勤める吏員印鑑を押下することによってブックマークとしていた。有名な職員の押印はやはり注目を集めた。岩村も自らが創設した部局とあって積極的ブックマークを行ない、出身薩摩ネタ(「何言うちょっかわかりもはん」かが決まり文句)が職員の笑いを誘った。

ブックマークを多く集めた文書は翌日以降の函館新聞(のちの函館毎日新聞)や小樽新聞掲載された。現在と同じく、文書にはウケ狙いのもの政治社会に関するものがあり、それに対する道吏員コメント新聞読者の注目を集めた。時に道政の指針となるような匿名文章ブックマークがあり、北海道における増田は、開拓を進める上で次第に重要性を増していった。

明治44年の後の大正天皇行幸に合わせて「庁立増田所」は発展的に解消。「庁立匿名記事錬成所」と改められ、その機能が増強された。すなわち、道庁以外の要人にも押印の権利が与えられたのである現在雨竜町に大農場経営した蜂須賀茂韶しげあき)や、清水町に広大な土地を所有した渋沢栄一ら、北海道土地を所有したり工場経営する政府要人ブックマークが認められるようになった。このように北海道開拓傾向性と同じく、北海道における増田についても官の強力な資本投下により推し進められた側面が強い。

大正年間の北海道庁長官宮尾舜治もまた名物ブクマ家であった。ほとんどの記事ブックマークしたため、彼の部下が空気を読んで同じくブクマ。その結果糞増田が多くエントリされ、増田の質が多いに低下した。これは第一次大戦好景気経験した道民デモラティックな感性を大いに刺激し、増田改善運動が各地で起こった(釧路での原勝治の運動が著名)。これに対する宮尾の名言「糞増田もまた増田」は、今でも道民記憶に遺されるものであった。

戦時中は統制政策のもと増田文章は時の第一次東條内閣により圧力をかけられた。しか増田家やブクマ家は当局面従腹背うまいことごまかした文章ブクマを行ない、ネタ時局批評を織り込んだ。こうした官製でありながら反体制的な場としても機能したことについては、言論の自由を考える上でも高い評価を得ている。

戦後民主化により、昭和23年に「庁立匿名記事錬成所」は解体野幌現在地民間資本による「北海道匿名記事養成所」が設置。講師以下執筆者、多くの職員に至るまでを公選とすることで、増田さらなる民主化が図られた。残念ながら諸般の事情資金面での苦慮により昭和29年増田執筆者公選制度頓挫北海道重要性を再認識し、再び道立への移管がなされた。戦後北海道では漁業鉱業が盛んであり、そうした労働者に関する増田文が多くを占め、時代の潮流になった。時の社会党党首佐々木更三をして「北海道労働者あり増田あり」の評言は、現在でも北海道増田左派を中心に語り草になっている。近年では現北海道長官高橋はるみ萌えネタが多くを占め、歴史の長い北海道増田界隈にも、萌えの波が押し寄せていることは今更贅言する必要性もないだろう。また北海道十一区中川侑子代議士スキャンダラスネタ増田小説えっちな)も定番になっている。「増田所」設置の明治20から130年の歴史が経過しようとしている。北海道匿名世界リードした増田。これからさらなる飛躍を祈ってやまない。

2007-12-07

http://anond.hatelabo.jp/20071207101452

判官びいきとか、もう死語なのかな。判官意味も分からない奴多そうだし。

そもそも読めないやつ多数。

 
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