よく頑張ったと褒めたい。
どう考えても悪役の名を冠したキャラが居る時点で「こいつが犯人」と言ってるも同じなので
どういった犯人なのか考えるのが視聴者の仕事だったんだろうけど。
推理モノって京極くらいしか読まないし、おまけに読んでも推理出来ないし(ただ読むだけ)
このアニメも「あー…?わかんねー」と思いながら適当に見ましたが。
これ、中盤まで持ちこたえて完走出来た視聴者はどれくらい居たのだろうか…。
それでもまあ、完走出来たということはそれなりに何かがあったのだろう。
さて。
やっと地獄の連勤を終えて明日明後日休みなので、なんか面白いアニメ見よう。
いっそ原作知ってるやつにでもしようかな。
これがわからせか
バナジュー飲みたい
マジかよサバカレー最低だな
663人ってロサンゼルス郡だよね?LAを含むロサンゼルス郡の人口は1000万人だよ。あと、中国や韓国で実際にコロナの新規患者がほぼいなくなっているのはロックダウンの効果としか考えられないけど。
ならないぞ。
お前がサボってるだけな
ボリビアの首都ラパスは高山地帯にあるすり鉢状の都市で、空気が濃いすり鉢の底のほうに高所得者が、空気の薄い縁のほうに低所得者が住んでいる
とか
オーストリアにはフッキング(Fucking)という地名があって、ファッキンと読めるのが面白いということでメチャメチャ道路標識が盗まれる
とか
血液の提供ならいくらでもやっていいんだけどルームに行くことで感染リスクが増えることには変わらないんだよな。
別に今までだってインフルゼンザやノロが流行してる時期に平気でも平気でルームに行ってたしそれらと新型コロナ何が違うんだって言われるとうーんなんだけど
俺は家にこもっているがこれは自粛じゃない。
それらに勝てる人間が社会をめちゃくちゃにしてこのクソみたいな無補償無責任な圧力をぶっこわしてくれるなら俺は応援するぞ。怖いし家からは出ないけど。
献血ルームもスカスカで漫画を読む暇もなく採血終わるくらいにはガラガラだ。まったくもって密じゃない
どうせ今年は健康診断なんてできやしないんだから、今のうちに血液検査だと思って献血に行け
カフェなんてほとんど臨時休業なんだから、コーヒーとハーゲンダッツを食いに献血に行け
献血は不要不急ではないと赤十字が声明を出している。堂々と外出する名目のために献血に行け
理由なんてなんでもいい。今血液が必要な奴がいる。将来血液が必要になる奴がいる。足りなくなって困る奴がいる。それはもしかしたら俺かもしれないし、おまえかもしれない。おまえの血液がそいつを救うんだ
友人と旅行すると,興味ない人には日本の伝統建築って全部同じに見えてるんだろうなーって思うことが多い.つまり,「見えて」いても「見えてない」んだな.解像度が低い.だから,その深み凄みを紹介するために10の建築を選んでみた.
この増田で,日本建築のどこをみればいいかが少しでも理解してもらえればいいな,と思っている.あくまで日本建築を楽しむための「入り口」として,もしくは旅行の楽しみを一つ増やすためのお手軽ツール(やや自嘲をこめてるよ,これ)として,読んでくれると嬉しい.
法隆寺は誰もが行ったことがあるだろう.しかし,一般人は教科書に載っている五重塔と金堂があるなーって思って,終わりなんじゃないだろうか.違うのよ本当に.中門なんだ.中門から回廊にかけての柱.伊東忠太がエンタシスと呼んだ,胴張りの柱.この列柱をみて,何も感じない人間は,おそらく建築に対するセンスを持ち合わせていないのだろうから,これ以降この増田は読まなくてもよろしい.建築は細部に宿るのだ.その原初的プロポーションは,日本にも偉大なる古典(クラシック)があったという証なのだ.
東大寺に行くと,一般人は大仏殿で満足して帰る.ちょっと詳しい人は,二月堂まで登って景色を楽しんで帰る.じゃあ玄人は?その横の法華堂だ.しかも,入り口ではなく,裏側からまずその建築美を楽しむ.この風景こそが,まさに創建時代の東大寺だからだ.実はこのお堂は,左半分が奈良時代の仏堂であり,鎌倉時代に右半分の礼堂を増築している.だから側面からみるとチグハグな印象を受ける.なぜこんな事になっているか.原初的には,仏像は外から拝むものなのだ.お堂の中は仏の領域であり,そこに人が入ることはなかった.しかし,日本は雨が多いため,実用的な理由で,仏堂に並び建つ形で礼堂という,人が入って拝むためのお堂が作られるようになる.そして,その後この仏堂と礼堂を一つの大きな屋根で覆うようになったのが,日本の最も一般的な正方形に近いお堂の形だ.なぜ奥行きがあるのか,それは二つのお堂を包摂してるから.そして,内部を内陣(仏の領域)と外陣(人の領域)に分けている.
とまあ,東大寺法華堂だけで日本の建築史が語れるんだけど,法華堂自体の価値とは,その仏堂と礼堂の処理の過渡期的な建築であることはもちろん,何よりも,天平建築と天平彫刻がそのままの形で残っていることだ.奈良時代,日本はやっと中国・唐から最新の様式を導入できるようになった.そしてそれは王者の建築なんだな.力強く,おおらかで溌剌とした建築.柱と梁によるシンプルで強い建築.その素のままの美しさでは,天平建築にその後の建築は敵うはずがないのだ.
平安時代の建築って,数も少ないし奈良時代以前の建築に比べて,それほど素晴らしいとは思えない.よくも悪くも日本ナイズされて,よく言えば品のある住宅風の,悪く言えば構造のダイナミズムが弱い建築が作られた.平安時代,人は仏堂の中に入り,座って祈りを捧げるようになった.それゆえ,天井は低く,落ち着いた空間が好まれるようになった(卵が先か鶏が先かはわからないが).軽く高床にして,床下の風通しをよくしているのも日本化のひとつ.これらの日本的要素を建築史的には和様と呼ぶ.平等院鳳凰堂が和様の代表みたいに言われているけど,あれはまあ,例外的な派手派手金持ち建築なわけで,一般的な仏堂というのは,この富貴寺大堂のような三間四方(柱が4本で間が3つの正方形型)の阿弥陀堂だろう.これがよい.実に素朴で,柔らかい建築.人と仏像の距離がちょうどよくて,いつまでも中に入って祈りを捧げられるような,そんな自然体の空間.こういう空間は,奈良時代のダイナミックな,ところせましと仏像が建ち並ぶ空間とは異なり,ほっとするんだな,日本人なら.とはいえ,この富貴寺は大分のド田舎にあるので,さすがに東京から行くにはマニアじゃないと無理かな.東日本なら,福島県いわき市にある白水阿弥陀堂も同様の建築でよい(らしい.東国はいまいち詳しくない).さらに,平安時代に由来する浄土式庭園の中にあるので,こちらの方が平安時代的でよいかもしれない.
日本建築史上の最大のトピックといえば,鎌倉時代に東大寺再建に関わった僧,重源の大仏様である.先述したように,平安時代には天井を低く住宅風の落ち着いた仏堂が好まれたが,重源が宋からもたらした建築は,その真逆をいくエポックメイキングなものだった.天井は貼らず,屋根裏まで高く伸びる柱.縦横無尽に頭上を飛び交う貫(ぬき,柱と柱をつなぐ水平の補強材).そんな規格外の建築.東大寺大仏殿という世界最大級の木造建築を作るためには,従来の和様建築では構造的に不可能であった.それゆえ,より合理的でダイナミックな中国・宋由来の建築が取り入れられた.日本建築史上最も巨大な,今見られる大仏殿の3倍にもなる内部空間.それはパンテオンにも劣らぬ迫力のものであったろう.そんな鎌倉期大仏殿を今,見ることはできない.戦国時代に田舎侍が燃やしてしまったから.しかし,東大寺南大門は当時のまま残っている.東大寺の南大門をくぐる時は,ふと上を見上げてみよう.そして,圧倒的な上昇感に震えてみろ.
多宝塔って知っているだろうか?下層が方形,上層が円形の平面を持つ,ちょっと変な建築だ.空海に由来するため,真言宗系の寺院によく見られる.これ,塔がそもそもはインドのストゥーパ(釈迦の遺骨を納めた仏教最初期の半球系の建造物)に由来していることをあらわしている.先祖帰りの建築だ。中国にも存在しない、日本オリジナルの奇形建築。木造建造物としては,かなり無理矢理な形をしていることから,よほどの宗教的な意味があったのだろうと思う.今は15mほどの小型のものが多いが,そのオリジナルは高野山のコアである根本大塔だ.しかしあれは無理があったのか,燃えては再建を繰り返し,今ではもう鉄筋コンクリートだ.そんな中,金剛三昧院の多宝塔は本場高野山にありながら,鎌倉時代のもので,有名な石山寺多宝塔と並んで最も古く美しい形をなしている.どっちでもいいんだけどね,やっぱり本場の多宝塔を見た方がよいかな,と思うわけだ.
軽くさわりだけなのに,予想以上に長くなってしまった.まだ鎌倉までしか進んでいない.この増田が反響があったなら,あとの5つも書いてもいいかな.