はてなキーワード: サイエンスコミュニケーションとは
これ
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/togetter.com/li/2460507
女子枠の試験問題が簡単すぎるというアンフェに対してブクマカたちは
・凡人には回答できない
・上位1%を選抜できる
・院生なら回答できるかもしれない
などなど大絶賛している
しかし、これはそもそも大学受験の問題で受験するのは高校卒業見込みの女性のみに出題されるもの。
男性にも女性にも出題される一般入試の問題と比べて、女性のみに出題されるものが前者よりもはるかに難しくてもよかったの??
女子枠の女性だけが受験のレベルを遥かに超えてて院生にも難しいような問題が出題されるって差別じゃないの?
「女性だけ難問が出題される(点数が取りにくい)」が差別じゃないなら「女性だけ一律減点される(点数が取りにくい)」も差別じゃなくなっちゃうよ。
つまり、ブクマカはアンフェを攻撃できるという目先に利益につられて女性差別をしてるんだけど、これってアスペ的な特性で誘導されてるのか、本心からやってるのかどっちなんだろう
言ってることは間違ってないが、その態度は間違っている。
お前が「例外もある」とどこかで言ったならば、相手はどう思うかに想いを馳せろ。
サイエンスコミュニケーションのない「科学をやっている」人間になど、平成以降、もう価値はないんだ。
科学的な(ふりをしている)料理レシピでよくある「浸透圧によってうまみが抜けない」「浸透圧によって肉汁が抜けない」など
ていうかはてなは理系エンジニアが多いんだから高校化学で学習する浸透圧くらいちゃんと指摘・訂正してくれよと思った
浸透圧は半透膜(多くの場合は細胞膜)を挟んだ「溶媒」分子の移動に伴って生じる圧力のこと
あらゆる物質は濃度勾配に従って濃度が高い方から低い方へと移動する
この移動に際して小さい分子のみを通す穴の空いた膜が挟まると、小さい分子のみが移動できる状態になる
細胞膜は(厳密には違うが)水のみを受動的に通す膜と考えていい
水に食塩など様々な物質が溶け込むと、相対的に「水の濃度」が低くなる
水は濃度が高い(他の物質が溶けてない)方から濃度の低い(いろんな物質が多く溶けている)方へと移動する
浸透圧は水の移動のみに関わるため、当然だがうまみ成分(核酸やアミノ酸)を留める働きなどはしない。
細胞膜を通り抜けられるものは通り抜けていくし、通り抜けられないものはその場にとどまるだけ。
では肉や魚を食塩水に漬けることによるメリットは何かというと、
真水に漬けるのとに比べて肉に余計な水が浸透せず、水っぽくならないということになる。
これを防ぎつつ、細菌の働きで表面に生じた臭み成分などを塩水中に溶かし出すことで旨い肉を作る。
(もう一つ、水溶性タンパクを溶かし出して熱変性による硬化を防ぐというのもある。ブライニング処理という。)
また、高張液に肉などを浸すと逆に内部の水分が流出し、うまみを含む成分が濃縮される。
(やり過ぎると水分が抜けすぎてしわしわになり食感が損なわれる。漬物を想像するといい。)
以下は補足だが、昆布の出汁が海の中で出ないのはなぜかというと
そもそも生きている昆布はうまみ成分を多く持っていない。あれは天日で干す過程で死んだ昆布の中で作られるためだ。
当たり前だが浸透圧は一切関係ない。生の昆布を真水につけてもうまみは出ない。
【追記】
伸びると思ってなくてビビった
サイエンスコミュニケーションとしてはこの辺(高校化学)が限界かと思ったよごめんね
間違っているとだけ言った人はぜひ参考書籍などを書いていってくれ頼んだぞ
はい、ごめんなさい私の間違いでした。
うまみ成分(アミノ酸や核酸)は生体に必須な物質なので基本的には膜内へ能動的に輸送しているので
細胞膜が健全に保たれているうちは外においそれと出てくるものではないってことね
これは言及しようか迷ったが「うまみが逃げる」という文章が細胞の破壊にまで言及してると読み取れなかったから元増田では省いた。
同様のことは冷凍・解凍のプロセスでも起こっていて、食材が水っぽくなる現象の一部はこれによるもの。
ただ、例のレシピ程度の時間(室温から茹でて沸騰するまで)の時間でそこまで破壊が内部まで進行するか疑問ではある。表面のごく一部だけではなかろうか。
ついでに、3%の食塩水は細胞内に比べてかなり高張で(生理食塩水が1%弱)
「水の出入りを無くす」というより「水を抜く」方へ作用する濃度になっている。
これ料理的には塩味をつけることへの貢献のほうが大きいと思う。
焼き魚を同様に食塩水で味付けすると全体に均一に塩味が入ってうまいという調理法があるので、それの応用ではなかろうか。
【追記2】
・「浸透圧はそうじゃない」指摘について
これは私の書き方が誤りでした。
上で私が言ってる浸透圧は正確には「2つの浸透圧の異なる溶液が半透膜を介して接したときに生じる溶媒の移動に伴う圧力」ということね?
溶液それぞれに浸透圧という値があるわけで(これがポテンシャルということかな)、その差によって浸透現象が起こるということが正確に書けていなかった。
時間差で氷砂糖が溶けて浸透圧変化であれこれっていう話に言及してるブクマがあるけど
ここまでの流れを自分なりに整理したくなったのでまとめてみた
増田A...…どうして優生学がタブーとされるのか知りたい増田。すべての始まり。
増田B...…集団遺伝学の視点から優生学に意味がないことを諭す増田。この議論の流れを作る。
増田C...…増田Bの議論に科学的に怪しい点を多数発見し指摘。人の手の介入により人間は遺伝的に強い生物になれるという立場。ちょっと口が悪い。
増田D...…かつて集団遺伝学の論文の投稿経験もある実力派。増田Cの反論に対して、より現実的な立場からの意見を述べる。
某ミュージシャンの「国がスーパースターの遺伝子を管理して、スーパースター同士で子供を作らせればより強いスターができるじゃない!」という発言が炎上したことに対し、増田Aが違和感を抱く。
「個人レベルでは優秀な遺伝子でパートナーを選別するのはみんな当たり前にやっているのにどうして?」
これをはてな匿名ダイアリーに投稿したところ、「なにをいまさら……」みたいな感じで軽く盛り上がってしまう。余談だが、ここで増田Aが「優生学」と「優生思想」という言葉を混ぜて使ってしまったことで議論が少しややこしくなった気がする。
反応の多くは倫理的な批判だったが、その中で目を引くトラックバックを投稿したのが増田B。ゲノム科学者と名乗るBは、集団遺伝学的な以下の点から優生学は突出した人類を生み出すことは不可能と述べる。(私はここでちょっと納得しちゃいました)
拍手喝采!増田Aも「こういうのが読みたかった!」と追記し、物語は終わりを迎える……。ように思われたが、よくよく調べると増田Bの言っていることは科学的に怪しいということがわかってくる。
その代表が増田Cの投稿だ。CはBの投稿を精査し、一文一文について真偽を確かめていった。
Cが「間違い探し?」と言っているように、指摘の多くはBの自論を補強するための根拠に誤りがある、というものなので割愛するが、最も大きな意見の違いは以下のBの意見が完全に誤りだと述べている点だろう。
動植物の育種に代表されるように、遺伝的に有利な集団を作り出すことは人間でも可能というのが増田Cの意見である。
そこで現れたのが増田Dである。当初は増田Cと同様、増田Bには反対する立場だったが、トラバを眺めてるうちに「意外と合ってるんじゃね?」となってCの議論に意を唱える結果となったらしい。
個人的な感想だが、増田Dはより「ヒト」という種全体での形質について着眼しているように感じた。
増田Cの意見としては、「背の高い人同士で子供を作らせて、背の低い人は子供を作らせないようにすれば種全体として平均身長が上がる」って話だと思うんだが、増田Dの意見は自分は以下のように解釈している。(間違ってたらゴメンナサイ)
Cの意見はBの意見を否定する材料としては十分だが、以下の理由から優生学的に人類を選別するメリットはあまりないというのがDの意見かなと思う。
淘汰圧に上限を設定するというのが増田Dの意見の大きな根拠かと思いました。集団遺伝学は難しいですね。
Aさんの「ほんとに優生学って悪なの?」という疑問に集団遺伝学的な面からメスを入れるという議論が見られて面白かったです。この流れを作ったBさんに感謝ですね。
増田Cさんはかなり議論を具体化してくれたんのですが、立場がいまいちわからなかったのがモヤモヤポイントでした。増田Bさんの誤りにイライラして投稿したのは伝わってきたのですが条件設定が非現実的で、ちょっと極端な思考実験的にも感じました。あと思想として優生学的な手法を是とするか否とするが気になったところです。(もう少し優しい感じのサイエンスコミュニケーションを見たいかもね……)
Cさんの意見がその他の条件を一切排除した場合の考察に対し、増田Dさんは現実的な条件設定のもと選択圧を適用したという仮定について考察されてよみやすかったです。
たしかにこういう議論になると極端な設定を考えてしまいますが、絶滅しても淘汰圧かけるぞ!とはなりませんもんね。勉強になりました。
結局のところ優生学がなぜ悪か、という一番知りたかったテーマにはたどり着けていないのですがいろんな人が取り上げてた本を読み漁ってみます。
Aさん、Bさん、Cさん、Dさん、その他のみなさん、ありがとうございました
医者・医師会はこれまでコロナウイルスについて「正しく恐れる」ことが重要だとして、様々な啓蒙活動を行ってきた。
この「正しく恐れる」ための情報発信は、社会全体の感染抑制に資するものであり、重要な役割を果たしてきたと思う。
ただ、「医療崩壊」についても同様の明晰さと誠実さを兼ね備えた情報発信がなされているかというと、かなり怪しいと感じてしまう。
政府・経済側は「医療崩壊」の定義が曖昧だから良いように使う、といった批判があるけれど、同様のことは医療側にも言えるのではないか。
あいまいな定義で利益相反を無視して無駄に煽っているのは、お互い様なんじゃないか。
この辺りを整理すれば、もっと有益な議論や判断ができるのではないか。
論点を例示すると、
何かよく判らないけど「医療崩壊」とかするんですよ!
それが怖かったら愚民どもは俺たちお医者様の言うことを聞けよ!
と言うなら、それはコロナに関する無責任な情報発信と同様、利益相反の煽りでしか無い。
「正しく恐れる」ための情報発信を、それぞれの専門性のもとで貫いてほしい。
そうでなければ、専門家への信頼は地に落ち、誰も望まない混乱が今後も続いていくだろう。
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https://anond.hatelabo.jp/20210110030830
いくつか内容の理解に役立ちそうな情報をメモしておきます。...
https://anond.hatelabo.jp/20210110113704
いろいろ議論はあるけど、一つ重要な切り口は「公的病院」(公立病院、国公立大学病院等)と「民間病院」(医療法人経営の病院、開業医院)の性質の違いかな。...
一つの観点としての公的病院と民間病院の対比。どのあたりを変えると今後の効率化につながりそうか。
たくさん議論をいただいたけれど、定量的な全体の状況把握はやはり難しそうか。本当は厚生労働省あたりに頑張ってほしい。
「コロナウイルスとは」あたりまでは純粋なサイエンスコミュニケーションの問題であり、個人や行政から良質な情報提供があった。
あるいは、足りない部分は英語サイトを自分でたどれば議論もデータも豊富にあり、状況把握にも行動指針策定にも支障はなかった。
これが「医療制度とは」「医療崩壊とは」になると、やたらと強い言葉で根拠不明なことを言う人が増えて、よく判らなくなった。
しかも日本のことなので日本語の情報をたどるしかなく、もうちょっと何かないかと増田に書いた次第。
全体的なことは判らないままだけど、上記のようにもうちょっと効率的にできる要素はありそうということは判った。
煽るなと言いつつお前が煽ってるだろ、というのはそのとおりで、正直すまんかった。
が判らないと解釈できなくない?ということ。個別事象ではなく全体像を踏まえないと、状況や医療者の提言、また為政者の行為(あるいは行為しないこと)を評価できない。
日本国民は残念ながら上記のような定量的な考え方で意思決定を行う訓練を受けておらず、副作用かもしれないエピソードをニュースで見たからといってHPVワクチンを撲滅して喜ぶ人たちなので、あまり大きな期待はしていない。ただ、(あるいは左記のような国だから順接として、)個人的にはもう少し全体像を知りたいと思う。
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追記1・みなさんの反応
tobalno1 全身麻酔での手術後は数日間呼吸器管理になってICUに入室することも多いから、コロナで呼吸器や病床が埋まるとあらゆる科での重症の手術をストップしないといけなくなるんで全ての科で医療崩壊するよ。
これは公立病院については今ある脅威。一方で、コロナを受け入れていない医療法人経営の病院は大丈夫なのではないか。あるいはICUを持つような医療法人経営の病院はほとんどコロナ対応をしているということなのか。その辺の定量的な情報もあまり発信されていないように思う。
noho-sibe コロナ関係の対応が逼迫するだけでも十分医療崩壊だと思う、今コロナに感染するリスクが高くなっているわけだし
コロナに関してはそうだけど、それ以外の医療についても崩壊するというイメージ作りが行われているので、その確度が知りたい。「コロナが大変」と「コロナとその周辺が大変」と「もう何でも全部大変」はかなり違うのに、その辺りを混ぜて定性的に煽るのは不毛。
skgctom というか医療に限らず、自粛で仕事なくて死にそうな人とコロナで仕事増えまくって死にそうな人が同じ国の中で別々に苦しんでるのがほんとやるせない。中国みたいな共産国なら簡単に人員のやりくりが出来るんだろうか
一文目について同意。煽り合っている場合ではない。中国がどうなっているのかはよく判らないけれど、日本とは制度も規模も違いすぎるのであまり参考にはならないのではないか。
furseal コロナに割けるリソースが限界を超えることを医療崩壊と呼んでるのは明白。そうなると、高度医療から提供が難しくなる。医療者はそれを避けたいが、どの病院も機能しなくなるまで崩壊してないと言いたいならどうぞ
このコメントのように、「どの病院も機能しなくなる」ことまで示唆する人がいる一方、本文にも書いたようにそこにいたる機序があまり説明されていないのが問題。専門性の壁があるので全員コロナ医師・全部コロナ病院には出来ないなら、どの病院も機能しなくなるというのは単なる煽りではないか。
nmcli きのう都内では透析患者の病床が満床というニュースが出た。今日以降は透析を受けられずに死ぬ都民が出てくることになる。コロナ以外の死者が増えたらもうこれは医療崩壊だと思うが、その視点がないのはなぜ。
このニュースかな。
コロナ感染透析患者 都内は満床 https://www3.nhk.or.jp/shutoken-news/20210108/1000058672.html
基礎疾患のある人がコロナになると大変というのはよく知られているし、その近隣の医療機能が飽和するといった影響はあるだろう。ただ「どの病院も機能しなくなる」といった発言が散見されるので、もう少し粒度の高い情報発信が、建設的な議論のためには必要と考える。
yzkuma 「それは医療崩壊ですか?」そんなの今定義しても意味ないし議論してる暇もない。今どんどん「通常診療を切り崩して」コロナに充ててる。ベッドも人も資源も結構限界だって言ってる。とにかく外に出ないでください。
推奨行動指針としては「とにかく外に出ないでください」で良いのかもしれない。ただ市民としてはどのような根拠や予測の元にそうなっているのか知る必要がある。その議論や情報共有が無意味とするのは危険だし、現状の課題把握にも将来の改善にもつながらない。あなたは全知全能の独裁者か何かか?
a8888 今必要なのは公的病院の急性期病床とその人員で、私的病院の慢性期病床がいくらあっても意味がないからねぇ。そういう意味では、ずっと病床を削減してきたせいだという批判も的が外れているのよね。
このコメントのように、単なる病床数ではなく、病床の性質も踏まえた議論も必要、というのが、医療者が市民や為政者に発信できる重要な情報。これを踏まえて今後の制度改善が行われれば良い。煽りは不毛。
医療崩壊がバズワードなので、それを「否定しようとする」とか言われてもよく判りません🦁
soratansu 第1波時よりも少ない病床数で乗りきれると思っていた医療体制側は非難されて然るべき https://www.nikkei.com/article/DGXZQODG041BM0U1A100C2000000
本文と少し視点は違うけど、この辺もしっかりしてほしいと思う。
ツイッターとかで、小学校の算数で掛け算を逆にしたらバツというのはおかしいとかドヤ顔で騒いでるじゃん?
馬鹿?
バツに決まってる。
そうじゃないと、将来大人になってさ、
Aさんは、常にエクセルファイルを、物品名、金額(円)、個数(個)、合計金額(円)の順で管理していました。
たとえば、ペン、50、60、3000みたいに。
Bさんは、常に、物品名、個数、金額、合計金額の順で管理していました。
でも、どちらだとしても数学的に誤りではないので、上司も誰も何も言いませんでした。
ある4月、AさんはBさんの部署に異動になりました。Aさんはいつものように、エクセルファイルを立ち上げ、今日購入する分を……。
確かに、異動して新しいところに来たんだから、ちゃんとファイルの項目名確認して慎重にやれよっていうのはわかる。
1日目は、慎重にやるかもしれない。でも、時間が経って、何も考えずルーチン的にやるようになると、習慣って馬鹿にならないよね。
日本全国で、色んなミスが多くなれば、少なからずそれって損失になる。
誰が悪いかはさておき、どうすべきか、パッと思いつく効率いい方法って、たぶん今思った事と同じっしょ?
それが、義務教育であって、社会で生きていくための教養だと思う。
んなこと、小学生でもわかるし、わかるからこそ逆にしちゃうの。
気になるなら、物理学科に行ってから、可換かそうでないかとかそういうの議論すりゃいい。
そういうセンセーとか自称科学リテラシー高い人に限って、逆にしただけでバツつけんなとか言ってるけどさ、
「サイエンスコミュニケーション」って、「科学的素養の無い愚かな一般人に正確な科学的考え方を啓蒙しよう」じゃないっしょ。
方向性として、たとえば、「科学的知見を、わかりやすく社会に役立つ形で提供して、より良い社会にすること」でしょ?
だから、算数の順番は、それが数学じゃなくて算数で、社会で生きるための義務教育である限り、
なるべく統一されるべきであって、それが本人の役に立つと思う。
いくら、科学が出来ても、社会に出て、○○さんの書類はぐちゃぐちゃで作り直さないと使えない、とか、
そこの「ルール」よりも自分のルールにこだわってスムーズにいかない、とか、
誰だって言われるの嫌じゃん? 頑張って勉強したのに、そういうことで批判されるの悲しくない?
研究職にはついていない。
論文はある程度読み取れる。
stap関連のあれこれはそれなりに追っている。
とにかく声を大にして言いたいことは、これはサイエンスコミュニケーションにかかわる問題だということです。
科学者コミュニティ(だいぶアバウトなまとめ方ですが、便利なので使っていきます)からすれば、
小保方さんが随分と悪質な捏造を行ったことはほぼ確定ルートと言って良い状況と思います。
ここで修士を出た程度の僕があれこれ書き散らすまでもなく、
理研や有志の方々がいずれ粛々と事実を明らかにしてくださることでしょう。
そしてその結果得られた見解が科学者コミュニティ共通のものとなることに、
(そこまで専門性の高い知識がなくとも判断できる程度の捏造があるので)それほど困難はないはずです。
少なくとも小保方晴子という人の科学者としての信用は既に地に落ちていて、再び浮上することはないでしょう。
しかし巷の人々に聞けば、
「よくわからない」「結局stap細胞があればOK」「佐村河内は悪いけど小保方さんはかわいそう」「理研の偉い人に利用されて、尻尾切りね」
と言いますよ。尋常ではない割合の高さでこのどれかが返ってきます。
それこそがこの問題のすべてといっても過言ではない。
だからこそ僕たちはこんなにもこの件に関して憤っているのではないですか?
この問題がここまで広がったことの一因は、最初の時点での広報戦略でしたが、
理研が疑義についての会見を開いた後、あれだけ不利な状況で弁護士を雇って反論会見を開くなどと、
度肝を抜かれたのは僕だけではないはずです。
小保方さんという人は一般の人々に対する訴えかけが本当に上手だった。
一方で理研の会見から、一般の人々が何か読み取ることができたでしょうか?
僕はそう思いません。
小保方さんが不正をしたんだぞって雰囲気が、理研の会見にはほんとになかったな…。
これだけわかりやすい不正を、これだけ沢山の人々が認識できずにいることは、
わからないことを印象だけで判断し信じこんでしまう人々にも問題はありますが、
仮に分野外の人がこの問題に感心をもち、実際何が起こっているかを独自に調べ始めたとして、
この件に関して発信される情報のほとんどが、一般の人々に対する意味をなしていないのです。
例え話を使って上手に解説してくださっているブログ記事もいくつかありますが、数が少ない。
とにかく科学者の皆さんは、慎重で、控えめで、それは本当は素晴らしいことなのですが。
そりゃ、根拠となる資料は沢山公になっていますよ。
今回問題になった小保方論文だってオープンアクセスになっているし。
けれど真にフェアに問題を議論するためには、生命科学や論文作成、実験作法についての教養を身につけ、
論文を始めとする膨大な資料に全てあたってから論じなければならないわけです。
「あれだけ堂々とstap細胞あります!って言い切ってんだからたぶんあの子悪くないよ」って、なりますよ。
だから、科学者コミュニティが今しなければならないことは、ただ事実のデータを列挙することでも、
専門用語を駆使して不正を検証していくことでも、他の研究者の不正を洗っておくことでもなくて、
自分のフィルターを通して、この問題を一般にもわかる言い方で伝えていくことだと思っています。
小保方さんばかり追及してないで他の研究不正も、という主張の方もいらっしゃいますが、
内容のお粗末さもさることながら、
著名人にも小保方さんを的外れに擁護している方が散見されます。
挙句山中さんにまで飛び火して、科学そのものに対する信用の崩壊にさえつながろうとしている最中に、
悠長に他何人もの論文を調査して、「悪意のある捏造」の定義を詰めている場合ではないです。
ただそれを丁寧にやればやるほど専門化が進んで、コミュニティ内部でのみ効力を発揮することになっていくはずで、
少なくとも結果わかったことをそのまんま発信する意味はほとんどないと思います。
正しく正確であればいいってものじゃない。
もちろん、
研究不正を防ぐため、あるいは明らかにしてこれを罰するために何をすべきか。
研究ができればいいというものではない、研究者間の人間関係、権力争いのあれこれ。
など、
今回の件が提起する問題は山とありますが、研究不正はこの件に限った話ではないです。
ことstap論文問題について特筆される問題は、一般に対する訴求力です。
これに尽きます。このことをもっともっと問題視していただきたいと考えます。
僕の拙い文章で、うまく伝わるでしょうか。
理系離れ対策は「サイ活(サイエンス活動)」から——。政府は近く、若者と研究の現場との橋渡し役となる「サイエンスコミュニケーター」を募集する。
これまで地域や大学単位でサイエンスカフェなど科学の普及に取り組んできた国内の大学・NPO、市町村などが互いに連携する「にっぽんサイエンス応援団+(プラス)」(仮称)を、国が新たに組織。そこでサイエンスコミュニケーターが情報を集約し、将来ある若者と研究室との「出会いの場」づくりをするという構想だ。
サイエンスコミュニケーターはNPO法人に雇用してもらう。「視野が広く、柔軟な人になってもらいたい。年齢や性別、既婚未婚は問わないが、博士号取得者に期待する。ただし予算には期待しないでほしい」と国の担当者。
国によると、国内の大学の理工系学生の割合(平成20年)は男子12%、女子7%。いずれも文系学生の割合を大きく下回っており、10年前と比べると男性は2ポイント、女性は1ポイント減っている。また、博士号取得者の就職率は63%(平成20年)で、博士の就職問題が深刻な問題になっている。大学院重点化政策尻ぬぐい課の担当者は「博士の就職の場をサイエンスコミュニケーションの場にも広げることで、これまで接触のなかった人どうしが出会え、博士の就職問題および理系離れ解消にもつながる」と安易に期待している。(多重杏奈)
Inspired by 「お見合いおばさん、ならぬコーディネーター 山形で募集http://www.asahi.com/national/update/0618/TKY200906180321.html」
*これはフィクションです。実在の人物、団体とは一切関係ありません。
*統計資料:平成20年度学校基本調査http://www.mext.go.jp/b_menu/toukei/001/08121201/index.htm、
BTJジャーナル2008年9月号http://biotech.nikkeibp.co.jp/btjjn/#btjj0809