はてなキーワード: ミサトさんとは
夫と一緒に見に行ったんだけど、なんか夫は納得?満足?してて、余韻に浸ってるのかなんなのかわかんないけど、そっとしておいて欲しい…みたいな空気出してるから聞けない
漫画読んでないから詳しく知らないんだけど、マリは冬月先生のとこの学生さんだったらしいけど、じゃあなんで一人だけ老けてないの?
エヴァに乗ってると老けないみたいな設定?だったけど、マリがエヴァに乗ったのってQの最初の方で加持さんと一緒にいたところが初めてじゃないの?時間軸が違ったの?
それともエヴァパイロットだから老けないって言う設定とは別の設定があるの?最初からカオルくんみたいに人間じゃなかったってこと?
カオルくんはループしてるみたいな話だったような気がするけどループしてるってどういうこと…?
Qで死んだカオルくんとは別のカオルくんも色んなところで死んで、また月みたいなところの棺桶から同じ姿で生えてきて、死んだあとの時間軸にカオルくんとして登場してくるってこと?
冬月先生は何がしたかったの?自分のとこの学生がヤバい道に進んで取り返しがつかなそうだから一蓮托生で最後に刺し違える気持ちだったってこと?
マリがエヴァをたくさん食べて、シンジくんを迎えに来たときにエヴァの姿が色々切り替わってたけどあれはどう言う意味があったの?
アスカのシーンで、回想しながら沢山のアスカの写真が一枚ずつ消えてったのに、レイの説明の時には一枚しか写真が残らなかったのに、アスカの時には最後に2枚残ってたのはなんでなの?
惣流と式波で2枚?じゃあ惣流ってどこで何してんの?出てこなかったよね?
アスカってなんで眼帯してるの?あの眼帯の中はどうなってたの?中から出てきた青いのはなんなの?
加持さんがサードインパクトを止めたって言う話だったけどどうやって止めたの?なんか私が見てないだけでウィレ?ができるまでの映画とかアニメとか設定とかがあったの?
どうでも良いけど、ミサトさんと加持さんガンダムSEEDのマリューラミアスとムウラフラガみたいだなって思った
なんかみんな満足とか不満足とか判断できるくらいには理解できてるみたいだし、アラサーアラフォーのオタクの共通言語的な雰囲気の作品みたいだし見てみるか〜って今年になってから見た私みたいなにわか知識では全然理解できないシーンばっかりだったけど、多分、シンジくんはお父さんと和解?できて、中学生の頃の初恋みたいなものにもケリがつけられて、自分が不幸にした世界でも頑張って生きてる同級生を見て立ち直る決心をして、ハッピーエンド的な感じで大団円ってことで良いんだよね…?
他の人の感想読んだりもした。
大前提として。
作家性が出るのはアニメだけじゃなく、絵画や音楽、小説、家具、庭、すべての創作物に当てはまることを声を大にして言っておきたい。
エヴァシリーズでこれほど考察や感想に「庵野」という男が出てくるのはその作家性の強さがとても強いからだ。彼が手掛けてきた作品の中でも、エヴァシリーズはより強く反映された作品だからだ。
作家性の強さは作品作りの良し悪しには特に影響を受けず、受け取り側の好みの問題であることを前提としたい。
・冒頭の「これまでのエヴァンゲリオン」良かった。欲しいシーン全部乗ってた。
・トウジは死んだと思い込んでたので出てきた時びっくりした。
・「委員長や。」あら^〜
・限られた食料、自給自足していかないといけないような村で外部から来た人達を嫌わないの凄いな。
・ヨモコさんの絵本出てきてフフフてなった。
・アヤナミが目の前で消えても一人できちんと、自分の足で立ち続けたシンジくん。
・「もう一度エヴァに乗る。」
・↑もう一度作品を作って終わらせる庵野を彷彿とさせる。良い。
・「ここに居てもええんやで?」「僕は行くよ」
・所謂、イマドキデザインのミサトさん。(前髪が1房顔の真ん中に伸びてる)
・みんなはアクション、戦闘の絵作り最悪って言ってたけどそうかな…
・大量のインフィニティ。レンダリングどれくらいかかるんだろう…。圧倒的な数で不気味演出最高。
・脳みそ拾っとる。撃たれても死なないのにわざわざ拾っとる…。
・目が無い。不気味さと何かから目を背ける(直視できない、したくないみたいなニュアンス。)デザインとしては最高の出来。ブラボー。
・ゲンドウはネブカドネザルの鍵でアニメの人類補完計画、旧劇の人類補完計画を認知した。所謂ループもの。
・ミドリちゃんサクラちゃんブチギレ。ミサトさん撃たれて負傷する。
・シンジくんはこれから父親と向き合うのでまだ心身共に子供。大人として責任を取る姿勢のミサトさん。
・ゲンドウ、エヴァ(13号機)に乗れたのが嬉しすぎて量子テレポート(^ω^ ≡ ^ω^)
・マリ、冬月と再開。漫画版と同じ設定でエヴァの呪縛を受けた冬月研究室の一人。
・イスカリオテのマリア。研究室を裏切った、クローン技術の発端者。
・初号機から綾波。14年間、シンジがエヴァに乗らなくても良いようにそこにいた。
・先のシーン、アスカがマリに髪を切ってもらっているシーンと対比。
・人である証拠に髪は伸びていく。綾波は髪がモサモサに。かわいい…。何故か勝手に、綾波はクローンだから髪は伸びないと思い込んでいた。
・アスカもクローンだった。迎え撃つのはオリジナルのアスカ。(アニメ版?)
・ヴィレの槍を作るためにリツコに無茶振りをするミサトさん。さらに作業員へ無茶振りするリツコさん。怖い組織だ…。
・ヴィレをマイナス宇宙に突っ込ませる。ミサトさんはヘアゴムを解いて以前のヘアデザインに。
・人と目を合わせないようにかけていたゴーグルを外して、髪型を戻し、まっすぐ前を見るミサトさん。原点回帰。良い。
・槍でやり合う碇親子。
・モーションキャプチャ登場。初号機と13号機がヌルヌル動く。違和感あるけど人造人間なのでこんな動きしててもおかしくないよな…と思う。
・メタ的な現実とエヴァの背景を行き来しながら決着をつけようとする親子。このあたりから庵野からのメッセージがより強くなる。
・メタ的な現実の意味でもエヴァの世界観でも、エヴァンゲリオンを終わらせようと躍起になるシンジ(庵野)。
・個人的メモ(鬱々としてる時って実は気持ちがいい。居心地が良い。)
・大人になろうとするシンジを見てやり合うのをやめて対話する。
・自らの非を認めることで初号機に取り込まれていたユイとゲンドウが再開。
・乗っていた電車から降りる。庵野監督作品の電車って演出的に結構特殊。
・カオルくんがリアリティーで立ち直ったんだねと悟る。
・個人的メモ(立ち直ったと言うのは簡単でも実際根っから立ちなおるのは結構大変。)
・旧劇のラストシーンに出てくる海辺でアスカが横たわる。あの背景見たときヒュッってなった
・エヴァの呪縛から開放されて28歳。ちょっと色っぽくなる。好き。めっちゃ好き。
・好きだったことを告白される。キモチワルイとか言わなくて良かった…ほんと良かった…。
・一足先に精神的に大人になっていたアスカ。シンジのことは好きだったけど、ムカつくし嫌いになったしキモチワルイ。その間にケンスケが良いパートナーとしてアスカを支えた。
・自己愛のメタファー的存在カオルくんも還る。アァーーーッ司令服似合ってる似合ってる似合ってるありがとーーーーーー!!
・初号機で槍を自身に貫く時、ユイと再開。初めてユイと目が合う。
・Qまで、シンジくんはあまり人と目を合わせなかった。Qは合わせようと思ってもみんな目を合わせてくれなかった(ミサトさんのゴーグル然り)。シンは立ち直ってから色々なものと目を合わせた。
・アニメゲンドウは人と関わりたくないのでサングラスをして視線を反らしていた。シンでは現実逃避の末人間を辞めてしまったので目がなくなっていた。マジで最高のデザイン。
・エヴァは過去のものになった訳ではなく、イマジナリになったっぽい。無かったこと?
・なので海が青くなる。
・迎えに来たマリはシンジと共にマイナス宇宙から帰る。アスカは海辺で大人になってたけどマリはまだっぽい?
・また電車。実際、演出の話で言うと電車はすごく便利だし、思入れのある監督はとても多い。電車演出はどんな使われ方されていても私はかなり好きな演出方法だと思う。
・まさかの神木隆之介くんが大人シンジ。良かった。違和感ない。
・DSSチョーカーを外されて、本当にエヴァとはさようなら。DSSチョーカーは案外あっけなく外れる。
・シンジの手を引くマリ。マリは信じの匂いをいい匂いと感じていたのでシンジとすぐ打ち解けられた。
・個人的メモ(フェロモンに関係する。いい匂いだと感じる人の事を好きになる。)
・宇部新川駅。庵野監督のお地元。現実を駆けていくふたり。庵野監督とヨモコ先生。
思っていたよりゲンドウが喋ってくれて、ゲンドウはユイと共に居れて、シンジは現実でマリと共に過ごしていく。これ以上無いくらいきれいに終わった。すごく良かった。
あとエヴァの完結を(心のどこかで)待っていた私達。
シン・エヴァンゲリオンのタイトルに反復記号がついていて庵野監督的には誰かにやってほしかったんじゃないかと笑ってはいる。
委員長の「さようならはまた会うためのおまじない」っていうのは個人的にあまりキャラクター的にしっくり来なくてメタ的な信用はしてない(苦笑)
良いなーーーーー自分の苦境をこんなクソデカ作品にできるのはすごく羨ましい。
ヨモコ先生が庵野監督に付き添って尽力した結果も、それまでに培ってきた庵野監督の人望や行ないだからこそでしょ。
私はこの二人が大好きなので、見ず知らずの人が作り出した理解のある彼くんなんていい方絶対出来ない。
怒ってる。
最後に。
学生時代、アニメ・漫画や映画などで演出を教えてくださったぬまた先生に感謝します。
ミサトさんが「母親らしいことは無理だから父親みたいなことするわ!」とばかりに自己犠牲にはしりまくるのがなんとなく肯定的に描かれているのはなんで?
母親らしいことが出来ないにしても生きて帰るくらいはやってみせるのが加持リョウジ(父親)の気持ちに応えることなんじゃないのかな。
結局セカンドインパクトの時に自分をかばって死んだ父親しか親としてのロールモデルがないから同じことをやってるってことなのかもしれないけど、そこはなんか変に感じた。
というのもミサトさんと同じく子供に母親らしいことが出来なかったバリキャリ女性というのが出てくるアニメとして「ブレンパワード」があるわけだけど、そこでも「じゃあ父親やるわ」とばかりの行動にでるわけだけど結末としては悲劇となっている。まあブレンパワードは親子、家族の話なのに別に和解しないでも別に新しい家族つくればいいんじゃね?みたいな話なのでそれはそれで歪んでるよなとはおもうのだけど。
エンディングのあとの世界がどうなってんのかよくわからんところはあるけど、おそらくミサトさんは死んだままでリョウジ(子)はのちのちあんたの母親は世界とアンタを守るために犠牲になったのよって赤城博士あたりから聞くわけじゃない?それ聞いてしまったらミサト本人みたいに歪んでしまうとか考えないのかなあ。
もちろんのようにネタバレを含むので、注意してほしい。
見終わった感想は、「本当に終わった」だった。
すごく丁寧に「伝える」ことに真摯に向き合っていると感じた。
それは描いていることだけではなく、描かれなかったことも含めて。
きちんと振り返り部分がある丁寧さが、この映画を象徴しているといっても良い部分。
復習して来いよ、ではなく、劇場でこれまでを振り返る。その丁寧さが全編にわたってある。
忘れてならないのは、これは劇場4部作ではなくて、エヴァンゲリオンの最終作ということ。
だから、題名からして「シン・エヴァンゲリオン劇場版」であって「ヱヴァンゲリヲン新劇場版」でないところで主張してる。
そして、「まごころを君に」「世界の中心で愛を叫んだけもの」ときて、「未来からのホットライン」で落としているところに、本当に最後なんだな、という気概を感じる。
NOTでも(NOT)でもなく、今までの否定でも追認でも無い、終わりが来たんだなという予感は正しかった。
「ヱヴァンゲリヲン新劇場版序破QはTVシリーズみたいなもんで、今回が劇場版」みたいな位置づけっぽくみえる。
冬月副指令側はネルフパリ支部を守る陽電子砲側で、ヴィレは侵略する側。
派手なアクションシーンであるとともに、赤いヤツって戻せるんだアレというのをこれ以上ないほど明確に見せる場面。
直接の描写が牧歌的なだけで、薄氷を踏むような生活というのが描かれずに表現されているように思う。
トウジは「医者の真似事」だし、ケンスケは「なんでも屋だが風車のメンテはできない」。
食事は配給制で、一軒家はトウジの医者という特権性に由来する特別扱いになっている。
綾波型初期ロットはそのトウジの客人ではあるが、農作業にわりとしっかり従事させられている。
そしてそこにいるのは老婆が中心。
若い男女や男性は、綾波型の心の触れ合いのような農作業には出てこない。
銭湯や図書館も牧歌的ではあるが、つまりは個別の風呂や嗜好品が持てない生活を、直接の描写なしに示唆している。
でも、並行複発酵である日本酒を飲める程度には豊かさがある。衣服も残ってる。(心の余裕はまず生活の余裕から)
でも、味噌汁に口をつけないことで激昂する大人がいる程度には食料に余裕がない。
たぶん、ココを受け付けるかどうかはその人のエヴァンゲリオンへの思いによる気がする。
第四話の「雨、逃げ出した後」だよねココ。
ひどい経験をしたシンジが家出をして、ケンスケとキャンプする。
TV版では、その後無理やり連れて帰られるけど、ネルフから出ていこうとして、自分の意志では電車に乗らなかったと言う流れ。
ケンスケの描き方はあの時からある意味で一貫している。自身の興味には忠実だが、相手の心情には過度に踏み込まず、黙って見守る。
「なんでみんな僕にやさしいんだよ」という嗚咽がほぼすべてだけれども、誰にも強制されることなく、しっかりと時間をかけてシンジだけで結論を出すのが良かった。
今までのシンジくんって、口ではみんな色々言うけど、それほぼ強制じゃんってのが多かった。
あなたが決めなさい、とか。それシンジくん考えられる状況か?その環境作るのが大人だろうっていう。
あの農作業をしていたのがシンジで、みんなの優しさに触れてこの村を守るために戦うんだ、だったらたぶん流石についていけなかったと思う。
で、今までのエヴァだったら絶対にあのアスカの「泣くだけ泣いてスッキリしたから家出は終わりか」みたいなセリフ入れなかったと思うんだよね。
その後の、ケンスケとの見回りと治水の管理で「基幹産業たる農作業を免除されてる」とか「池が村の生命線」とか言わなかったような気がする。
村が赤く浸食されてない理由とか、ニアサーも悪いことばかりじゃなかったさみたいなのは、察しろよ、みたいな描写になってたんじゃないかな。
プラグスーツを着ていないと体を保てない綾波型が、その短い生の間に、様々な感情を駆け抜けていったのも象徴的だったように思う。
その一方で、加持さんの子供がしっかりと「世界をもとに戻す」実験に従事しているというのも、良かった。
ミサトさんは、スイカの種を見るだけなんだよね。種をまいて育てるのじゃなくて、種を残す方。
あの村のシーンこそが、シン・エヴァンゲリオン劇場版の急所だと思う。
シンジに好意を持つように設計された綾波型が感情を受け入れるも、なお運命の通りになる。
シンジは誰からも放っておかれる状態で、本当に自分がかけたいだけの時間をかけて、やっと決断する。
最初こそアスカに無理やり食わされるけど、シンジくん自分でレーション食ってんだよね。そして食うことに対して泣く。
自分で食い、自分で泣き、自分で時間をかけて、最後に無垢な問いかけに返す形で結論を出す。本当に良かったと心から思った。
アスカが途中で言ってたけど、そんなシンジくんみるの相当しんどいと思う。
で、そこは委員長の異様なほど優しい言葉や綾波型初期ロットとのやりとりでカバーされてる。
TVシリーズだったら赤木博士に「村での摩擦は死に直結するわ。学習性無力感の一種ね」くらいは言わせたと思うんだよねマジで。
落ち着いた後で、トウジと会話をしてお前は十分やったって言われたり、ケンスケからは親父とは話しとけよって言われたり、加持と出会ったり。
時間計ってないけど、かなり丁寧に時間をかけてあの一連のシーンが描かれてたと思うし、相当な比重じゃなかったのかなアレ。
でもなあ、序破ときて、Qでのカヲルくんとのやりとりって、アレまんま洗脳だろ。そらシンジくんでなくても壊れるよ。
親しい人と引き離して孤独にし、信頼を得てから既存の価値観を壊し、そのショックが大きい間に新しい方向性を示す。
で、洗脳が解ける前に、信奉した教祖たるカヲルくんが自分のせいで目の前で死んだら、そら壊れるよ。
それをきちんと作品内で比重を置いて向き合って時間をおいてくれたの本当に良かった。
アスカのDSSチョーカーみて吐くシーンは象徴的過ぎてインパクト強いけど、マリもアスカも対爆隔離室内に自室があって爆薬増やされてるってことは、シンジくんと同じよね。
シトと一緒だからじゃなくて、エヴァに乗る適性がある人間に対しての強い警戒心。
あと、振り返って考えると「ワンコくんとの進捗どうだった」のあと、「年頃の男には興味ないか」みたいなことマリがアスカに言ってなかった?
そういや、冷酷っぽくふるまってるアスカが、劇中ほぼ唯一恥じらってるのがケンスケにカメラ向けられたときなんだよな。
シンジくんって、ヴィレ判定で精神的に安定してるって言われてるから、綾波型初期ロットとの直接のお別れを経験後なわけで、親父すでに超えてるんだよな。
たしかその前後で、冬月副指令が、「自分と同じ喪失を経験させるのも息子のためか碇」とか言ってなかったかな。
あと、どのシーンでもマリって劇中で誰かと相対するときには、相手のパーソナルスペース内に入ってんだよね。
破で、シンジくんの匂いを嗅ぐ、引きこもってるシェルター内のシンジくんを引きずり出す。
アスカには抱き着く、後ろに回って髪を切ってあげる。シンジくんの後ろから手を回してだ~れだって問いかける。
古今東西の書物を読み漁り、相手の懐に入り、どのタイミングでも余裕たっぷりなのは、イメージとしては「魔女」だよな。
アスカが死に装束でしょと返したスーツを着た後、シンジにわざわざ会いに行ったのはどう考えても最後だと思ったからで、
わざとだよなあの艦隊戦とあの曲。
そういや、エヴァで誰を殺せば世界が平和になるかって言ったら真っ先に冬月副指令だと思うんだよな。
Q以降、ほぼ単独で組織的な攻撃に対応してるのとか、そもそもの研究室の件と言い、このオッサンが元凶だろう。
舞台を整えるの全部やり切ってるしな。
セカンドの海の浄化、サードの大地の浄化だったら、フォースって空の浄化じゃないんかい。
あとゲンドウがきっちり葛城大佐、赤木くんって呼んで反論しててちょっと面白かった。
ミサトさんに息子の話をするシンジくんは、はっきりあいつのこと好きだよって言ってるんだよね。
自分が人を評して、それを他人に伝えることに躊躇しない最初の相手がミサトさんなのは結構グッと来た。
アレなニュアンスの旧劇ではなく明確に母親ポジションとして描かれているので安心した。
ゴルゴダオブジェクトの上で、マイナス宇宙でヒトが認識できる形を記憶からLCLが作ってるんだっけか。
きっちり旧劇っぽく親子喧嘩をメタっぽく描いてるのがエヴァだよねって感じで良かった。
よくよく考えると、わりと新劇場のゲンドウって、最初から甘いんだよな。
息子とは墓参りに行くわ、息子との食事会には行こうとするわ、わざわざ褒めるわ、本部壊すまで駄々こねた息子をギリギリまでやらせるとか。
聞けば答える、本当にコミュニケーションが苦手な親父として描かれている感が最初からあったけど、まあそうなるかなーという。
やるべきことを完全にやり切って、マリの必要なものも全部集めておいて、見届けずにL結解密度が高い中で無茶してLCLになる冬月先生。
やっぱこの人が完全に元凶な感じがしてならない。
ただまあ、ユイさんってこうサークラじゃないけど、なんだろうこのワールドクラッシャーな感じ。
ゲンドウが大人の理解力と表現力で、内面をきっちり吐露していくシーン。
「ユイと出会い、楽しかった、ユイだけが受け入れてくれた」みたいなところで、どの場面でもマリがちょっかいかけてるのに一切触れられてなくて草生える。
あの流れだけ見ると、昔ちょっと好きだったゲンドウくんの息子のシンジくんを迎えに行く女みたいになるんで、それはちょっとという気にもなる。
新しく作られたガイウスの槍のシーン、シュワッキマッセリーって流れてて、聖☆おにいさんを思い出しました。
ただ、ミサトさんの死と思いを受け取れるシンジくんはほんとにゲンドウじゃないけど、大人になったなって感じた。
最後に息子から歩み寄られて謝っておそらくは和解したゲンドウが、息子の中にユイを見出すの、
繰り返しになるけど、死を否定したり無かったことにするのではなくて、受け入れたうえで先に進もうとするメッセージ性を強く感じた。
狂言回し、なんだろうな。ゲンドウが降りたらもう確かに誰もその位置に立てないしな。岸辺露伴ポジション。
旧劇の場所でアスカに思いを伝えるシーン、マリが出てくるのバグってるっぽいなー
カヲルくんと加持さんが出てくるシーン、ゲンドウとシンジとの両方の位置にカヲルくんが居るんだよね。
シンジくんに依存しない世界でのカヲルくんの理想の世界は、加持さんと接してたところになるのかなー
加持さんは、ヒトの存続よりも種の多様性を残そうと尽力したって位置づけなんだろうな。神の使徒に愛される男。
時間も世界も戻さずに、エヴァに乗らなくて良い世界に書き換える。
時間の巻き戻しではなく、違うパラレルワールドでも無くて、継続したまま治そうとする。
たしか、マリさんも迎えに来るからって綾波に伝えて別れを告げる。
てことは、アノ世界はなかったことにはならずに継続したまま、シンジくんにエヴァを消された世界に作り替えられるけれども、シンジくんは戻れないってことだよな、と思った記憶がある。
あれだけゲンドウがユイの胸で泣きたかったって言ってたのに、母さんを送りたかっただけなんだねって納得するのは、シンジくんの理解力が大人で成長したなあと。
それを、アニメーションのセル画っていう低次(二次元)の存在に落としたうえで、マリに迎えに来てもらって元に戻すっていうのは、すごいな。
マリに相変わらずいい匂いって言われたあと、相変わらず可愛いよっていうシンジに対して、
いっぱしの口を利くようになってといって、DSSチョーカーを外すのって、あれシンジの主時間で時間経過してない表現だよな。たぶん。あれが入らないと、何年も経ってるように見えるし。
そのために甲板でDSSチョーカー嵌めたのかなあ、自ら進んで嵌めるって演出にも見えたんだけどヴィレ的には必然性ないよなアレ。
最後、シンジから手を引いて階段を昇っていくのが、ああ、終わったんだなって。
というか、ぶっちゃけると、シンジくんが緒方恵美さんの声から声変わりしていた瞬間の衝撃が強すぎて、あとは流れるように見ていた。
ハッキリと明確に、彼が大人になったと感じた瞬間だった。
ああ、エヴァンゲリオンのアニメーションとしての作品は終わったんだなと思った。
一人一人に引導を渡していって、最後にあまり知らないが好意を持ってくれる女と手を繋いで階段を昇っていく。
この先どうなるかはわからないけれども、しっかりと大人になったシンジを見て、ああ、本当に良かったと思った。
鏡を見ろ現実に帰れみたいな突き放し方じゃない、同じ意味でも伝え方の違うアニメーションの力。
加持さんは裏で我儘を通し切ってた。ミサトさんは意地を押し通した。ペンペンはきっと殖えてる。
今までは「今更追いかけてもなぁ…」と思っていたのだけど、シンエヴァにはアラフォーオタクも満足という感想を聞いて今更でも気になってきて、時間があったのもあり、新劇場版、TV版、旧劇場版と一気見した。
新劇場版は、今までみんなが言っていたネタの意味が分かったって感じ。
ミサトさんすげー、人類の運命決める作戦を判断してさらに14歳のメンタルケアもするとか自分だったら絶対やだ、とか思っちゃうのが歳とったなと思う。
TV版面白かった。テレビ版と新劇場版で途中から話が違ってることも知らなかった。
途中の映画じゃ飛ばされてる普通のアニメっぽい話も面白いし、最終話の「おめでとう」も(ここだけ大昔に見た事あったんだけど)今見ても面白い映像演出だし、突然抽象的哲学的になった訳じゃなくて、人類補完計画で人間同士の境界がなくなった状態を表してるって流れならなるほどと思った。
映画版だと全然出番ないじゃんと思ってたアスカもTV版だとちゃんと丁寧に描かれてる。
ただ、TV版の加持さんはちょっと気持ち悪かった。多分25年前なら許された男のマッチョ感が今みると気持ち悪いのだな。
あとみんな親子のつながりが強調されすぎるのも気持ち悪かった。
まどマギとかその後のアニメがエヴァに影響受けてああなったんだなぁと思うところも多々あって興味深かった。
今更でも観て損はなかった。
10代や20代前半に観ていたらまたもっと違うことを思っただろうし、時間をかけてアレコレと考察するのも楽しかっただろうな。でもこの歳で初見ってのもなかなかいい体験だったかも。
このままの勢いでシンエヴァを観たいような、逆に勿体ぶって寝かせてみたいような気持ち。エヴァファンはこんな気持ちを25年ずっと経験してたのか。いい人生だなぁ。
ヱヴァンゲリヲン新劇場版:序から見返そうとしたら、死ぬほど頭悪いコメントがアマゾンレビューについてて
「はぁ?」
って思った。
いや、序とか破に相当する部分って、年齢に応じてシンジに共感したり、ゲンドウに共感できたりするすごく心理描写が高度なシーン多いのに…それがわかんないんだ…
典型的なのが
「乗るなら早くしろでなければ帰れ」
的なシーンですよ。
アレ、14歳のガキからすりゃロボットに乗るのは怖いですし、親から突き放されたこと言われるのは、ガッカリです。
でも、お仕事として重責を担ってるゲンドウとしては職務的にも状況的にもそれしか言えんわけで…
「みんなまとめて死にそうな時に、自分本位で駄々こねてるシンジってクソガキだし、ゲンドウって非情なようでいて立場的にアレしか言えないよね。」
っていうのを理解していくわけですよ。
だから、エヴァが思春期向けだ、バトルアニメだ言うやつはバカなのよ
「参考になったレビュー」
「序破Q以前に、基礎の基礎からエヴァについて説明しないとダメなんじゃないか?」
みたいな危機感に震えてる…。
このレベルのことがわかんないやつが映画見に言っても多分ムダだぜ?
エヴァンゲリオンの話に戻るけど…
「ミサトでいいわよ」
「中学生の異性に下の名前で呼ばせるミサトさん、けっこう攻めたことするよなぁ〜」
って思った。
シンジくんに近い年齢の時は距離詰めてくれるお色気お姉さん感あったけど、大人的にはやべぇ
ミサトさんって独身で一人暮らしなのに、シンジくんに併せて距離を詰めたんだとしたら、それはものすごく頭のいい人だよね。
逆に、ミサトがシンジに料理作らせ、数分で下の名前で呼ばせてるところを見ると
「子供の時は気づかなかったが、実は結構やべぇ女なんおでは?」
とおっさんは気づいたり…
ミサトさんをヤベェ女だと気づくと、Qって納得なんだわ。
序といい、破といいシンジくんの理解者ポジのキャラみたく思ってたところがあった。
だけど、大人的には理解者というよりもうちょっと気分屋というか激情家というか、感情で動いてる人なんだろうね…女らしいといいますか
ミサトさん、気を使ってフランクに接してるんじゃなくてやべぇ女の方で固めたほうがいい気がしてきた。
ネルフに降下中のささいなシーンなんだけども、中学生にワキ見せる格好でいて少しも気を使わない大人ってなんか想像できん。
いきなり下の名前で呼ばせたのも含めてけっこう強烈だよなぁ
やべぇ、ミサトが大人として本来持ってるはずの距離感がないやべぇ女だと気づいた後に、律子に
「ゴメン(*ノω・*)テヘ」
ってやってるのをみて、
「ああやっぱこれ大人が見た時にはやべぇ女か相当なパーティーピーポーみたいな性格なんだな」
って改めて思った。シンジくんに対してだけでなく
「乗るなら早くしろ、でなければ帰れ」
の後に、よく見ると作業員さんもゲンドウとシンジくんのやり取りを申し訳ないやら、早くしてほしいやらの複雑な表情で見てるんだね!
シンジくんの言い分もわかるし、ゲンドウの言い分通りに仕事を進めて欲しいしで、複雑な表情をしてるねぇ
大人的にもシンジくんみたいな情緒不安定で、未成熟な子どもに命がけでエヴァに乗って欲しいとは思ってないんですよ。
自分の仕事が完遂できるかどうかに他人が入るだけでも大変なのに、ましてや子どもが入るんでしょ?
みたいにいう人いたんだけど、逆よ!
大人になると子供の時とは違う細かーいところに共感したり、申し訳なくなったりする「ダメまたは普通の大人を描く」ことがエヴァの魅力ですって
薄々思ってたんだけど、碇親子はね…都合のいい女に慕われるスキルやたら高いと思う!!
モテてるという感じじゃないけど、かわいいとは思われてるのはなんか伝わるよね〜
「ちとはしゃぎすぎたか」
でも、演技でも過剰だし、その後も感情的にキレたり優しくなったりを繰り返してるからミサトさん単細胞というか感情的な女性なんですよ…やっぱり
一貫性がないこともないんだけど、目の前の感情で行動が大げさになりすぎるのがミサトさんなんですよね。
と思われがちだけど、エヴァの大人で感情表現が大げさな人って逆にミサトさんぐらいなんですよね。
序を見終わったけど…序を見た当時高校生ぐらいだった時に比べて、ミサトさんが全然違うキャラに見える不思議。
ゲンドウが理不尽というかアスペっぽく見えるところもあるんだけども、【余計なことを言って周りに気を使わせる上司や先輩】という職場理不尽あるあるを知るとアレはアレで気づかいしてる
序の印象が変わった理由としては、昔はミサトに違和感どころか、シンジくんの理解者的な側面を感じてたのに、今見るとけっこう気分屋なんですよね。
ネルフの大人で唯一感情的な発言をいっぱいするからこそ愛されてたりもするし、ゲンドウのやりすぎに歯止めをかける部分もあるんだけども…
なんてエヴァファンの間ではよく言われてたけど、大人になると一番ガラッと印象が変わるのはミサト。
最初シンジくん目線で見て、ゲンドウの気持ちが少しわかる年になり、ミサトのヤバさに気づく年になるみたいな…そんな感じ。
予習してよかった
中2病卒業できたつもりになってシンジに共感してるやつを見下ろしてご満悦って・・・ただの高2病やん!
高2になって高2病発症するのはいいけど僕もおっさんになったわーっていいながら高2病って!
書きたいところだけ。
旧劇のラストでは、世界を滅ぼして融合させても、他人の心は一体化できないし、拒絶されるときは拒絶される。しかも突然それはやってくる。ということを高い映像技術と滅茶苦茶な演出センスと訳の分からない熱量で伝えられた。と思ってる。見た人の解釈が沢山あるから、言いきれないけど、そう思ってる。
それが当時の監督の失恋の表象だったとしても、ディスコミュニケーションの表現としてはある程度昇華されていたし、共感を呼べた。だってみんな思ったでしょ。「そんなの酷い!」って。
そんなの、が「キモチワルイ」って言われたことに対してなのか、受け入れられなかったことに対してなのか、説明もなく終わったことに対してなのか、は視聴者ごとに違うのだけど、世界は自分を受け入れないまま唐突に終わる酷い場所だっていう気持ちを共有して、世界の底を見せたところでエヴァンゲリオンは完結した。
底を見てしまったからには、各々自分の世界に戻って自分のやり方で上っていくしかない。テレビ版と旧劇はそういう話だった。と思う。
だから続きをやるには、今度はコミュニケーションの階段を上がっていくしかないのだけれど、エヴァンゲリオンは上がるため物語ではなく、底を覗くための物語なので、エヴァに上る方法を期待しても仕方がない。
仕方がないと思うんですけど…エヴァの物語の中にコミュニケーションの成就を望む人が多いんだな、ハピエン主義って結構根強いんだな、というのが「序」が始まった時に感じたことでした。そこに無い物語を望んでも、無いものは無いのに。(結局劇場では「序」しか見てなくて、「破」と「Q」はレンタルになってから見た。)
今回は本当に終わり、ということなので卒業の意味で公開初週に見に行った。
シンエヴァの終わりはハピエンだった。崩壊しかけた、ハピエンだった。
成長と生殖と日常を肯定し、現実へ行こうとしていたけど、映像としてイマイチだったな…。
だから、まあ、エヴァはコミュニケーションの成就を描くための物語じゃなかったんですよ…狭いところで悲しい気持ちになるための物語。そういう役割の物語も世の中にはある。ハピエンだけじゃない。
でも、監督は、カラーを作ったから、エヴァを再起動したし、エヴァを終わらせないといけなかったんですよね。シンエヴァは奥さんの影響はあるだろうけど、カラーを守りたいっていう気持ちの方を強く感じました。
カラーを存続するっていう意味での成長と生殖なんじゃないかね…。シンエヴァが100%監督とシンクロしている話だったら、監督には子供いないじゃんおかしいじゃん、とは思う。
震災を経て、Qを経て、病気を経て、さあついに終わろうってなった。しかも前向きに終わろうって。
ポジティブに考えられるものを作ろうとなって、監督にとっての前向きで成長していく大事な何かってカラーのことなんだな、と。
監督も同人で作ったガイナックスを卒業して(せざるを得なくて)、自分の国を作ったから、カラーを守りたい、育てたいっていう気持ちを第三村やミサトさんの子供に託すのは分かるんやだけどやな。
「うちの国、わりといいところだよ」っていう気持ちを、エヴァにのっけて終わらせようとしてしまったのが監督の残念なところだな…エヴァはそういうことを言うのに適した器ではない…いろいろ考えると仕方ないけど…。
ところで、監督は群像や組織を描けないという批評もあって、それを読んで納得しかけたけど、いやいやシンゴジはまあまあ上手くいってましたやん。巨災対を視聴者のみんなは愛したし、政治家パートには議論が巻き起こった。映画としては普通の人間模様になっていたし、そのうえで最高に格好良い怪獣と戦闘機がのっかったから、世間一般も巻き込んでブームになった。ポジティブな人間関係描写が一番うまい監督ではないけど、全然駄目でもない。
私は思春期にナディアに出会った人間なんですけど、ナディアの人間関係は若い子向けの前向きさで一貫していて、その背後に大人や世界の薄暗さが垣間見えてとても楽しかった。
単にエヴァが群像向きではなく、徹底してシンジとゲンドウの話だったから、無理に全員の幸せを描くとおかしくなっちゃったんでしょう。
エヴァでは「女性は弱い」という描かれ方が旧劇からされてないので良い
・マリの「どこにいても見つけ出してみせるからねワンコ君」への違和感。そんなにシンジに思い入れある?
・トウジー!生きてた
・綾波が「私は綾波レイじゃない」というと、「そうなの、そっくりさん」という流れで自然に肯定されてたのがよかった。
・その後もレイはプラグスーツを脱がないけど、「汗水たらして働いて」周りに受け入れられるにつれ、
「エヴァパイロットではない自分」としてのアイデンティティを確立できて、プラグスーツを脱ぐことができるようになったのがよかった。
・レイが委員長に「おやすみって何」「おはようって何」ってたくさん聞いたとき(それこそ赤ちゃんのように)、委員長の答えがお母さんのように優しくて、
よかったねという気持ちと、女に母性を求める意図が透けて見えて気持ち悪かったという気持ちの両方があった。
・トウジやケンスケがシンジに話しかけるシーン、自分は大人になったのにいきなり14歳のままの同級生(シンジ)が出てきたらどう接していいか戸惑うだろうなと思った
・ケンスケのことをアスカが「ケンケン」って呼んだのが一番衝撃だった。そして全裸のアスカ。動じないケンスケ。あっ・・これはやることやってませんか?
アスカとシンジがくっつくものだと信じていたので、あこりゃだめっぽいなと少し悲しみがありました
(と思ったけどこれ、ケンケンが大人でアスカが14歳の体だから動じなかっただけなのかな。そしてラストでは大人の体になっていたので無事ケンケンとくっつけるとか)
・アスカにもDSSチョーカー。後で明かされるけどアスカも人造人間で使徒入りのため?
・だんまりなシンジにアスカが無理やり食事をさせて、そこで無気力にしてるかと思ったら、勢いよく家出していって驚いた。鬱の人ってそんな衝動的に行動できる?
・アスカがレイに「サードのこと好きになるように設計されてる」と言ってたのが印象的だった。そしてアスカもそう。悲しい。
アスカも人造人間だったんだ。式波に改名されてたのも理由があったんだね。
シンジが庵野の投影だとすると、モテモテな自分みたいなのが透けて見えて少し嫌だった。
・アスカがシンジのこと「好きだったわよ」というのがよかった。過去形!「卒業」という感じを受けた。
なお、ラストでシンジも「僕も好きだったよ」と返すの、さわやかだと思ったけど、庵野がアスカの声優に一方的に恋してたエピソードもあるので、
「お互い好きだったけどうちらもう卒業だね(アスカにはケンケンがいるし、シンジにはマリがいる、あとボク庵野には安野がいるし)」みたいな良い話風にねじまげるのはちょっと…と思った
・レイが渡したカセットプレーヤーを跳ねのけたのはどういう心境だったんだろう。ただの拒絶?プレーヤーを拾ってくれてたはずの本当のレイはもう死んじゃったから?
・ペンペンがたくさんいてほっこりした。トウジと委員長とツバメのシーンでも思ったけど、子を産み、次世代に託していくことの尊さのモチーフがいっぱいあったね。猫とか。
・シンジの「どうしてみんな優しいんだよ」の嗚咽、緒方さんほんとよかった。
旧劇で「どうしてみんな優しくしてくれないんだよ」みたいな台詞があったけど、そのアンサーだと感じた
・レイがシンジに「名前を付けてほしい」とお願いするシーン、ラストのほうでユイがゲンドウに「子供の名前決めてくれた?」と尋ねるシーンとの対比でよかった
・レイが目の前でLCLになっちゃうシーン、シンジにまた新しいトラウマを植え付けるなんてひどい…と思っちゃった
・加持さん!一瞬綾波式波みたくクローンかと思ったけど子供!ミサトさんは産休とったんだろうか?とる暇なさそう。
あと死んだお父さんと同じ名前つけるってどうなってるの?呪い?
・シンジ乗船後にアスカとサクラが話すシーン、アスカは「監視」としてシンジを引っ張ってたんだな・・・と切なくなった。ヴンダーに乗らなくてもいいとも言ってたし、それだけじゃないだろうけど。
・マリがアスカにべったり。レズ的に好きなの?そういえば漫画版ではマリはユイにガチレズで…と思ったけどラストでマリはシンジと(ry
・13号機がトリガーなの、13っていう忌み数と関係あるのかな?
・ヴンダーがめっちゃ攻撃受けてるとき、クルーがみんな最速で状況伝達していてよかった。パリでのマヤとのやり取りと違って弱音を吐かない。
・リツコがためらいなく速攻でゲンドウに発砲したのよかった。旧劇では撃てなかったので…
リツコのベリーショート、昔の男(ゲンドウ)からの「卒業」感を感じて好き。評判悪いけど。
・ゲンドウが脳みそ拾うところちょっと笑っちゃった。要るんだそれみたいな。
・ゲンドウが意味深なカタカナ語いっぱい話すの、ビジネス用語を多用しすぎる上司みたいで笑っちゃった
・ところで六分儀ゲンドウっていう旧姓が新劇ではなかったことになった件、考察必要ですか?惣流→式波の改名も意味あったわけだし…。それともユイの苗字を綾波にしたかっただけ?
・ミサトが一番好きなので、ミサトのサングラスが銃で吹っ飛んで彼女の感情が見えるのがよかった。
誰かが言ってたけど、ミサトとゲンドウはサングラスで視線の全部を、アスカは眼帯で視線の半分を隠してシンジと目を合わさないという考察。これでやっとミサトの心が見えるようになる。
・サクラ「怪我したらエヴァに乗らんでいい、ちょっと痛いかもしれないですけど我慢してくださいね」、その通りなんだが、めちゃくちゃだな…
・ミサトがシンジを庇って「私がすべての責任を取ります」というシーン、よかった…よかった…
・そのあと、シンジと抱擁を交わすシーン、シンジ大人になったなあという感じ。親愛はあっても、その間にあるのは大人のキスではなく、他人である別の人間との適切な距離感。
・量子テレポート、めちゃシュバババってなってて笑うでしょあんなの…
・親子対決、いきなり特撮っぽいなと思ったけどミサト家や学校やらでいきなりスケール感のおかしいエヴァが暴れてるの、どういう演出なの…?シン・ウルトラマンの番宣ですか?
・シンジがゲンドウと対話したいと伝えたの、大人になったなという感じ
・ゲンドウの過去、全く想像通りのやつがお出しされてそうだねとなった
・ゲンドウがピアノ好きなの、Qでのシンジとカヲルのセッションが効く演出でいいなと思ったけど、シンジのチェロ設定どっかいっちゃった?
・冬月はなんで(どういう理屈で・どんな感情で)LCLになっちゃったの?
・ミサトさん…死んじゃって悲しいけど、加持さんのところに行けてよかったね
・ゲンドウがシンジの中に「そこにいたのか」ってユイを見出してよかった。
ユイがいなくなっても、いなくなったからこそ忘れ形見のシンジを大事にしなくちゃいけなかった。
ゲンドウが幼いシンジを大事そうに抱きしめるシーン、今まで描写がなかったので良かった。シンジと向き合えないっていう不器用な愛情だけじゃなくて、やっと向き合えた。
人は子を産み育てることが尊いという生命賛歌。生きてていいんだという存在の肯定。
・この辺旧劇とそれほど伝えたいこと変わってないのかな?と思ったので、こんな大々的に焼き直す意味はあったのかな
・どこだったか忘れたけどシンジの突然のすしざんまいに笑っちゃった
・大人ゲンドウを子供シンジが見つめ、今度は子供ゲンドウを大人(少年)シンジが見つめるのがよかった。親のインナーチャイルドを息子が癒してあげたんだね。そういうことあるよね。
マリがシンジに執着するの、漫画版を読んでいたらマリがユイにガチレズ感情を持ってたためにユイの息子(シンジ)に執着してたって視点を持てるけど
ゲンドウの追憶で出てきた、マリがゲンドウにユイを紹介したシーンでBSS(僕が先に好きだったのに)の波動を感じ取れと…?
その流れから惚れた相手(同性)の息子(異性)に「だーれだ」「胸の大きいいい女」って躾込んでるって考えたくなくないですか…?【追記ここまで】
・アスカケンケンカプを公式でダメ押ししててつらかった。そんな、余ったの適当にくっつけるみたいな…
・カヲルの救済はなんで加持だったの?接点あった?あと渚指令ってなに?
・「今度こそ君だけは幸せにしてみせるよ」とか意味深だったけど、円環とか言ってたからループ世界だったんだね。
・ユイがこのためにエヴァにいたんだというのもよかった。子の背中を押して親は去る。
・槍に貫かれて「さようなら、すべてのエヴァンゲリオン」はものすごくきれいだなと思った。ここでも「卒業」を感じた。
シンジに、ゲンドウに、レイに、アスカに、カヲルに、すべてのエヴァンゲリオンに、そして『エヴァンゲリオン』という作品に。さようなら。
・シンジとマリがくっついたの、旧劇にはいなかったマリ(安野)を手に入れて救われましたっていう庵野と嫁のストーリーだなと感じた。
なんで神木隆之介なの?君の名は。?なんでスーツ着てるのに昼間から仕事してなさそうなの?
そもそもシンジとマリって接点あった?なんでマリはDSSチョーカー外せるの?
ていうかDSSチョーカーずっとつけっぱだったんだ…
チョーカー外すってモチーフはエヴァの呪縛からの脱却ってわかるけど、それはエヴァを槍で刺したのとシンジが大きくなってるのでもう分かるし…虚構から現実への移行のトリガーとして外したの?駅構内で?
・レイとカヲルとアスカが遠くにいて(遠くの虚構)、こっちにはシンジとマリ(庵野と安野・現実)、そして宇部新川駅(庵野の出身地)という現実に帰っていく。
これは、シンジとゲンドウに仮託した庵野の個人的な成長ストーリーだったのだ…
【終劇】
シン・エヴァンゲリオンは私にとって完璧なエンディングだった。
言うべき人が言うべきセリフを言い切って、みんなが解放されたと思う。ただ一人を除いて。
女子校に通いアニオタ声優オタ腐女子として目覚め、それらを順調にこじらせていた真っただ中だった。
そりゃドはまりするわ。謎めいた舞台装置は厨二病をこじらせた根暗な女子にはドストライクだった。
はまって、はまって、毎週ダッシュで学校から帰ってきて、18時だったか18時半だったか、録画もしつつ必ずリアタイしていた。
(今思えばウテナと前後した放映で、よくよく当時のテレビ東京の夕方アニメ枠は頭おかしかった)
前半は惰性で見ているところもあったが、物語が進むにつれてのめりこむようになった。放映時のことは今もよく覚えている。
MAGIにハックしかける使徒とその迎撃は、PCなんて持っていなかった私にこんぴゅーたーかっこええ!と思わせるに十分だった。
バルディエルのぐっちゃーのシーンが放映された日、夕飯は焼肉でさすがにちょっときつかった。
ミサトさんと加持さんの例のシーンはぴったり夕食時で(夕食時に食卓で親の前でエヴァ見るなよ、と今なら思う)、
母親から冷たい声で「あんた、いつもこんなん見てるの?」と言われたトラウマは今も忘れない。あれが私の冷や汗デビュー。
高校の声楽の授業でヘンデルのメサイヤ歌った時は22話のアスカのことを思い出して最高に興奮した。
でも私がひそかに熱狂していたのは、個性の強いメインキャラやストーリーそのものではなく、オペレータの日向マコトの存在だった。
上記イロウルによるMAGIハックの回ではやや出番は多かったが、基本的にセリフも少ない。
マヤちゃんほどキャラが立っているわけでもなく、人柄を掘り下げられることもない。
(が、ロン毛の青葉シゲルよりはやや目立つあたりがまたいい)
そんな彼に一瞬強いスポットライトが当たったのは、24話。いわゆるカヲル君の回。
カヲル君がセントラルドグマに降下していき、管制室に緊張が走る中で当初のプランどおり自爆を考えるミサトとのやりとり。
ーーーーー
ミサト:初号機の信号が消えて、もう一度変化があったときは・・・
マコト:分かってます。その時はここを自爆させるんですね。サードインパクトが起こされるよりはマシですから。
ミサト:すまないわね。
ーーーーー
日向くんはミサトが好きで、そのためなら死んでも構わないと、すこし掠れた声で決意を伝える。
が、そもそもミサトは加持さんと付き合っているのはネルフ内でも自明で、つまり日向くんの恋は叶わないことが前提だった。
劇中で恋心はちょいちょい漏れていたが(そしてEOEで彼のLCL化を導く使者はミサトの姿をしていた)、明確に伝えたのはこの時だけで、
盛り上がるストーリーと逆に一瞬だけ静寂が訪れるこのシーンが、ミサトと加持さんの例の直接的なシーンよりも大人の世界に見えて、
14歳のあの時から今に至るまで消えない記憶として残っている。
私は報われぬ恋をしている日向くんに、ミサトではなく正面を向いてひとりごとのようにそっと告白する彼に、恋をしたのだ。
そんな日向くんは新劇でも登場はしたものの、TV版や旧劇で見せたミサトへの恋心を表に出すことはせず、
新劇だからあの片思い設定もなくなったのか、ま、尺の問題もあるだろうししゃーないな、と思いつつ見ていたところの、今回のシン・エヴァンゲリオンだ。
物語終盤で特攻するためにヴンダーに残るミサト。彼女を一人残して脱出ポッドに乗るクルーたちが映る。画面右に日向くんもいた。
そのシーンで残ったミサトを思い、自分も残る、と言ったのは、日向くんではなくQから登場した新キャラの長門っちだった。
いやいやいやいやいやいや、ちがうだろ、いや、ちがうだろ。そこは日向くんでしょう。そのセリフを言うなら日向くんでしょう。
画面にいるじゃん、長門っちの右にいるじゃない。いや、長門っちも思わぬ感じでいいけど、
でもそこに日向くんがいるのよ、なぜ彼がそのセリフを言わないの?
いや、新劇はTV版とも旧劇とも関係ないから、この世界線なら日向くんはミサトのこと好きじゃないしそんなセリフ言わない、ってことかよと一旦は自分を納得させた。
が、その後私を待ち受けていたのはTV版も旧劇も貞本漫画版すらもすべて包含した、完全なるエンディング。
繋がってるのかよ!!!!TV版と!!!!旧劇と!!!!!お帰り惣流の方のアスカちゃん!!!!
だったら日向くんの恋心はどこいったの?なぜ、彼にこそミサトのもとに残りたいというセリフを言わせてくれなかったの?
日向くんはね、ミサトが加持さんとの間に子供生もうがなにしようが、もうそういうのに左右されないんですよ。
そんなことはとっくに受け入れて覚悟して、仕事に生きるミサトを部下として支えていこうって決めて、ネルフからヴィレまでずっとついてきているんですよ。
彼女も作らず結婚もせず、日々仕事(というには壮大だな)に忙殺されながらも、ずっとそっとミサトを見守ってきたんですよ。
あのバイザーをつけて髪形を変えて自分を捨てて頑なに艦長として生きざるを得なかった14年間のミサトにずっと寄り添ってきたんですよ。
加持さんが死んでミサトは一人になったけど、そこに付け入るとかじゃなくてただそっと寄り添ってきたんですよ、メイ見たもん!!!
もうおっさんになってプラグスーツ着るの恥ずかしいだろうに、がんばって着ちゃうくらい覚悟決まっているんですよ。
(完全に余談だけど予告編でプラグスーツ着るシーン見て鼻血出たよね)
なのに最後の最後にすら、日向くんに思いを語らせてあげないなんて。そのシーンが無いならともかくあるのに!なんで!
見終わった後、エヴァがこんなに見事に完結した余韻と、その中で唯一成仏しなかった日向くんの恋心を思い、私は虚脱状態になった。
そしてこのエントリーを書くことでやるせなさを供養しようと思っていたのだが、はたと気づいた。
叶わぬ恋だからかもしれないけど、決して自分の気持ちを押し付けることはなかった。
だから今回、ミサトの意思を尊重して脱出することこそが、彼の愛をそっと示す行為だったのではないか。
一緒にいたいとかそういう意思表明をするなんて表層的なことではなく、もっと深い部分で愛しているからこそ何も言わず、指示に従い下船したのではないか。
14年前からこの時までの長い時が、彼の恋を愛に変え、その最終的な結実があのシーンだったのではないか。
「日向くんが何も言わない」というシーンを見せるために、敢えて他のキャラにセリフを言わせたのではないか。
日向くんの恋心は消えてなんかいなくて、ちゃんと成就したんだ。
私が好きだった、他の人を好きな日向くんは、ちゃんといたんだ。
100点なところと0点なところがあって平均30点ぐらい。ハードルを高くしすぎたかもしれない。
私はまず前提として旧劇大好きマンだから新劇は結構にわか。最近やっと考察とか見てほーーんなるほどねってなったレベル。だけどシンエヴァめちゃ楽しみだったからこそ辛口評価になるけどほんとクソだと思う。
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最初にケンスケの声した時はうぉぉ!?ってなったしトウジ出てきた時も生きてたんかワレェ!なった。トウジ結婚した聞いて絶対委員長だろうな!って思ったらまさにで笑った。
赤ちゃんもいて最初は気にならなかったけど、これが一つ目の0点ポイント。ニアサー、サードを経験してる上に、現状コア化で地獄みたいな世の中に新たな生命生み出すなボケ。
黒波がいろんなことを知って街に馴染んでいく様子は日常シーンを沸騰とさせて語彙力ないけどいいっ!ってなった。そこで赤ちゃんとの絡みが必要だったんだろうけど、やっぱりナタ要素無理……。
アスカが激おこでシンジに飯食わせるシーンは印象的だった。シンジの気持ちもアスカの気持ちもわからんでもないからあのシーンは心にきた。アスカが使徒化してて飯がいらないから、ご飯を食べれるだけ幸せに思え!みたいなこと言ってて、おう…ってなった。
黒波がLCLになったのは衝撃だった。あれがシンジが覚悟を決めるのに必要なんだろうけど、これまで人間味を持ち始めてた黒波を簡単にパシャらせるの酷いなってなった。
シンジが立ち直ったあと色々なことをしていく上ででR.KAJI出てきて、は?何コナン的な?若返り??って思ったら息子でびっくりした。ミサトとリョウジの子供て。ここまた、は?ポイント。
ヴンダー合流してからはいつものエヴァって感じだった。あまり覚えてないけど。
ここでリョウジが死んだのが分かったのかな?その時すでに身籠ってたのほんと気持ち悪い。14の子供が使徒と死に物狂いで戦ってる時子作りしてたってことやろ?気持ち悪すぎる。
でも破の最後の「行きなさいシンジくんry」を後悔してたっていうのはわかってよかった。
戦い始まってからはもうロボットアニメよね。よくわからんけどなんか壮大なことが起こってた。冬月先生強いなってくらい。
マリがアスカのことを姫って呼んでるのにアスカがガチのピンチになると、アスカ!って呼んでるのはいい演出だなって思った。
アスカが眼帯外して目の中から呪詛柱出した時はびっくりして口あんぐりした。アスカが使徒化してまで止めようとしてたのに呆気なく負けてたのほんとアスカいじめるの好きだな監督ムカつく!ってなりましたね。このシーンは何度も見たい。
そのあとなんか色々あったけどもう覚えてない
後半旧作オマージュあったのは良いなって思った。
あとゲンドウの過去語り、何言ってるかよくわからなかった。とりあえずユイちゅきちゅきユイしか勝たん!って感じかなぁ。ゲンドウはずっと未熟なのにユイと子作りしてるのがまたキモいよね。
アスカが実は綾波と一緒で式波シリーズだったのはよくわからん。名前からしてそういう系かなって思ってたけど、そうである必要性がわからなかった。オリジナルが誰なのかもわからないし。アスカが親を欲してる中でケンスケに父という役割を担わせつついい関係になってるの気持ち悪すぎ。1人で生きていけるアスカが好きだった。
マリがゲンドウやユイと同じゼミってのは予想通り。冬月先生がLCL化したのは驚いた…。
マリがなんか無双してたけど何してたか全くわからない。マリがシンジを必ず迎えに行くってあんなに執着する意味がわからない。マリの存在意義となぜあんなに人気なのかがわからない。マリは庵野の配偶者を意味してるって考えを見て存在意義についてはああ察しって感じ。
結局1人で拗らせてた庵野に、家族ができて、自分を理解してくれる人がいるからもういいや、配偶者、子供、家族愛はいいぞぉ!みたいな押し付けを感じた。
フィクションとしてのエヴァが好きなのに、それは虚構だよって作る側が提示してたのが意味がわからない。虚構ってわかってエヴァが好きだったんだが。
マリアス、カヲシンをあんなに押しといて最終的にシンマリって…ケンアスって…何でもかんでもヘテロにするな。
旧劇の方がいいなって思う私はまだ厨二病なのかもしれない。けどおっさんたちがこれで感動してるのは意味がわからない。
俺は厨二病卒業して家族をもって愛を知ったぞ。お前らも卒業しろって突き放されて、エヴァは全部虚構だよって言われて納得するか?俺たちの25年なんだったんだよ‥ってなるでしょ。
個人的なよかった点と悪かった点
良かった点
・宇多田ヒカルさんの歌。最高。
悪かった点
・渚司令などまだまだ謎なことが多い
・結局空白の14年間が謎のまま
まあ端的にいうと、ナタ要素きもい!です。
100点なところと0点なところがあって平均30点ぐらい。ハードルを高くしすぎたかもしれない。
私はまず前提として旧劇大好きマンだから新劇は結構にわか。最近やっと考察とか見てほーーんなるほどねってなったレベル。だけどシンエヴァめちゃ楽しみだったからこそ辛口評価になるけどほんとクソだと思う。
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最初にケンスケの声した時はうぉぉ!?ってなったしトウジ出てきた時も生きてたんかワレェ!なった。トウジ結婚した聞いて絶対委員長だろうな!って思ったらまさにで笑った。
赤ちゃんもいて最初は気にならなかったけど、これが一つ目の0点ポイント。ニアサー、サードを経験してる上に、現状コア化で地獄みたいな世の中に新たな生命生み出すなボケ。
黒波がいろんなことを知って街に馴染んでいく様子は日常シーンを沸騰とさせて語彙力ないけどいいっ!ってなった。そこで赤ちゃんとの絡みが必要だったんだろうけど、やっぱりナタ要素無理……。
アスカが激おこでシンジに飯食わせるシーンは印象的だった。シンジの気持ちもアスカの気持ちもわからんでもないからあのシーンは心にきた。アスカが使徒化してて飯がいらないから、ご飯を食べれるだけ幸せに思え!みたいなこと言ってて、おう…ってなった。
黒波がLCLになったのは衝撃だった。あれがシンジが覚悟を決めるのに必要なんだろうけど、これまで人間味を持ち始めてた黒波を簡単にパシャらせるの酷いなってなった。
シンジが立ち直ったあと色々なことをしていく上ででR.KAJI出てきて、は?何コナン的な?若返り??って思ったら息子でびっくりした。ミサトとリョウジの子供て。ここまた、は?ポイント。
ヴンダー合流してからはいつものエヴァって感じだった。あまり覚えてないけど。
ここでリョウジが死んだのが分かったのかな?その時すでに身籠ってたのほんと気持ち悪い。14の子供が使徒と死に物狂いで戦ってる時子作りしてたってことやろ?気持ち悪すぎる。
でも破の最後の「行きなさいシンジくんry」を後悔してたっていうのはわかってよかった。
戦い始まってからはもうロボットアニメよね。よくわからんけどなんか壮大なことが起こってた。冬月先生強いなってくらい。
マリがアスカのことを姫って呼んでるのにアスカがガチのピンチになると、アスカ!って呼んでるのはいい演出だなって思った。
アスカが眼帯外して目の中から呪詛柱出した時はびっくりして口あんぐりした。アスカが使徒化してまで止めようとしてたのに呆気なく負けてたのほんとアスカいじめるの好きだな監督ムカつく!ってなりましたね。このシーンは何度も見たい。
そのあとなんか色々あったけどもう覚えてない
後半旧作オマージュあったのは良いなって思った。
あとゲンドウの過去語り、何言ってるかよくわからなかった。とりあえずユイちゅきちゅきユイしか勝たん!って感じかなぁ。ゲンドウはずっと未熟なのにユイと子作りしてるのがまたキモいよね。
アスカが実は綾波と一緒で式波シリーズだったのはよくわからん。名前からしてそういう系かなって思ってたけど、そうである必要性がわからなかった。オリジナルが誰なのかもわからないし。アスカが親を欲してる中でケンスケに父という役割を担わせつついい関係になってるの気持ち悪すぎ。1人で生きていけるアスカが好きだった。
マリがゲンドウやユイと同じゼミってのは予想通り。冬月先生がLCL化したのは驚いた…。
マリがなんか無双してたけど何してたか全くわからない。マリがシンジを必ず迎えに行くってあんなに執着する意味がわからない。マリの存在意義となぜあんなに人気なのかがわからない。マリは庵野の配偶者を意味してるって考えを見て存在意義についてはああ察しって感じ。
結局1人で拗らせてた庵野に、家族ができて、自分を理解してくれる人がいるからもういいや、配偶者、子供、家族愛はいいぞぉ!みたいな押し付けを感じた。
フィクションとしてのエヴァが好きなのに、それは虚構だよって作る側が提示してたのが意味がわからない。虚構ってわかってエヴァが好きだったんだが。
マリアス、カヲシンをあんなに押しといて最終的にシンマリって…ケンアスって…何でもかんでもヘテロにするな。
旧劇の方がいいなって思う私はまだ厨二病なのかもしれない。けどおっさんたちがこれで感動してるのは意味がわからない。
俺は厨二病卒業して家族をもって愛を知ったぞ。お前らも卒業しろって突き放されて、エヴァは全部虚構だよって言われて納得するか?俺たちの25年なんだったんだよ‥ってなるでしょ。
個人的なよかった点と悪かった点
良かった点
・宇多田ヒカルさんの歌。最高。
悪かった点
・渚司令などまだまだ謎なことが多い
・結局空白の14年間が謎のまま
まあ端的にいうと、ナタ要素きもい!です。
ミサトさんにとってシンジがなんだったのかが分からないんだな。
ああ可愛そうに。
そんな人がエヴァ見ても勿体なかったね。
きっと楽しめなかったよね。
可愛そう。
君みたいなやつでも楽しめるのがエヴァだったのにね。
騙されたね。
梯子を外されたと怒っていいよ。
君の言うとおりだよ。
・エヴァを見る。ゴキゲンな音楽で良い。ちょっと古めのウッキウキな曲いいよね。僕も好きさ! 操演線が見えるロボの戦闘シーン、行け! あるるかん! となって燃える。
・突っ込み待ち感のすごい戦後バラック文学あるいは残されコロニーもの文学パロディ長すぎない? みんな真剣に見てるっぽい静謐な映画館で笑うの不味いよな、でも笑いをこらえ続けるのこらえつづけるの難しいんだけど! と思ってたら特に突っ込みも発生せず本筋だったのは、あー、マジ? そういう感じ? となる。ひぐらしあるいはうみねことエヴァ、みたいな話をちらちら見たことあったせいか、ケンスケが富竹さんに見えてしまって困る。ひぐらしのストーリーを知らないから見た目だけの話だ。
・あのー、あれさ。ジョジョネタを見続けた人が後でジョジョ読んで、ネタやん! ってなるかんじかもしれない。二次創作綾波たちのセルフパロディ。これは、おはよう?
・カオル君と綾波、ミサトさんの出るシーンがなんか無条件に面白く感じてしまうの、えるさんのモノマネでバカ笑いしてた記憶のせいという気がしてならない。アスカやマリはあまり面白モノマネ対象でなかった気がするし、シンジ君は映画内でしゃべり始めてからはパロディ対象となった演技をしてたころのシンジ君ではなくなってるし。
・テレビ&旧映画と新映画シリーズの話を切り分けられてないので、あー新しい方ではこっちだったけ、と頻繁になる。
・後半のバトルシーンもゴキゲンな絵面で良いよね。艦艇ミサイルとか脱出ミサイルとかの加速感。面白感が匂いたつゲンドウエヴァとシンジエヴァの1on1。言語化が加速する。韜晦ではない。言葉を額面通り受け入れろ。ユイさんが本当にシンジ君の中にいたよ。
・ミサトさんも生き残る
・エヴァンゲリオン田楽刺しがマップ兵器として実装され演出ONでは範囲内の敵キャラが一体ずつ刺されていく
あと一つは?
TVシリーズも旧劇もリアルタイムでは見ていないが、新劇の前には一通り見ていた、程度の思い入れ。
解説サイトとかはつまみ食いするけれど、資料集とか一次資料などにはほとんどあたったことがない。
いや、面白かった。観てよかったし、何度も観に行くと思う。
特に、ミサトさんが良かった。撃たれるシーンや突撃のシーンとか泣いたよ。
(撃たれて壁によりかかってるシーンは、アウトレイジの大友の「何かってえと腹やられるな」というセリフがふと浮かんだ)
終盤のそれぞれのストーリのところは。右隣のオッサンがいちいち嗚咽してたから急に冷めたけど。
それはよいのだが、乗り切れないのはラストシーンだよ。
俺が、特に旧劇を観てエヴァがいいなと思ったのは、ハッピーちゃん♪ちゃん♪で終わらせてない点だった。
普通の映画なら「色々辛いことはある。でも、他人がいる世界を望むんだ!」となったら
エンディングはアスカと手を取り合って世界を再建していくみたいな雰囲気で終わるだろ。
他人と触れ合えて幸せを感じても、結局ひとりになる瞬間はあるし、恐怖を抱く瞬間も必ずある。
それに映画はラストシーンで終わるが現実は死ぬまで続く。その人生の終焉が不幸で終わるということもある。
その両面性を見せずに美味しい上澄みだけ掬って提供されるのが普通の映画だと思っていた。
エンターテインメントとして、そのような楽しさは理解しているし好きではあるのだけれど、
「でも虚構よな。現実はこんなんじゃないじゃん」という心の声が常に響いていた。
だけれど、旧劇は「気持ち悪い」で終わった。
ハッピーだけじゃなぞ甘ったれるな、という現実っぽさも入っていた。
キャラクターや映像も好きだったけれど、俺にとってリアリティがあったから好きだった。
それがシン・エヴァでは、徹底的に破壊された世界がいつの間にか再建されて平和な日常になっていた。
そして未来に向かってつがいが走っていくという陳腐なラストシーンだった。
シンエヴァ、俺も公開初日観たけど、あれは物語内の登場人物も、作り手も、ファンも全て救う回答を出しているはず。
ただの願いや偶然ではなく、諦めずに人の手によって前に進むことの大切さをミサトさんの特攻で描いてた。
受け取り方を変えろよ。25年経ってもまだ捻くれてんな。
諦めんな。
まず舞台は宇宙世紀0079の地球にある国「SIN-TOKYO」ですね。ここまでは基礎知識。
ここでは巨大戦闘兵器エヴァーってのが開発されてて宇宙からくる悪の使徒帝国と闘うってのはみなさんご存知だとおもうので割愛します。
本来であればロボットにのる人間が主人公なんですが、シン・ゴジラみたいに今回の主人公はその都市に住む宇宙災害対策課NERVの職員のシン。
相方はエヴァーのパイロットのリオン。この二人が繰り広げるドタバタハートフルギャグコメディに映画館は笑いに包まれてました。
特にリオンの「エヴァー、売るよ」は有名なセリフだと思うのですが、今回の映画は至る場所でいいますねw ちょっとくどいと感じる人がいるかもしれないので注意です。
まず最初になんか◆の使徒がせてめくるところからはじまります。
ここでシンの「逃げちゃダメだ」がいきなり炸裂!ファンサービスを忘れてませんね。会場も「9年ぐらい立っても大丈夫だな」とホッとしたとおもいます。
宇宙災害対策課としてはとにかく冷静に市民に避難させるところなんですが、Bブロックのミサトさん家のペンギンがなかなか避難しない模様。
シンが「俺にいかせてください!」というのですが職員の安全を第一に考えるゲンドウは中々首を縦にはふりません。
リオン「ほら これでここも安全じゃなくなったぜ」ってセリフに痺れました。
いつものリオンらしい強引さに会場の女性ファンはメロメロですね。
シンがBブロックのミサトさん家につくとペンギンが立てこもってました。
なんか◆の使徒がもうそこまで迫ってきている…ペンギンを説得するシン。
そこでエヴァーにのったリオンが再び登場!「ペンペン聞いてるか?エヴァー、売るよ!」でましたこのセリフ。
リオンの大立ち回りで避難が完了。おなじみ「ローリングエヴァーバスターライフル」でなんか◆の使徒は倒しました。
ここでもう1時間過ぎてることに気がつく。体感3分ぐらい。それぐらいのめり込みました。
できてるかな・・・
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終劇
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