はてなキーワード: 加持リョウジとは
→第3村自体が「なかったこと」にはなっていないが、あの時点では無くなっているかもしれない。(通常の街が使えるようになったのに、あそこに住んでいる理由がないため)
・エヴァのない世界になったけど、それ以前に死んだミサトや加持等は死んだまま?
→死んだままであると思われる。シンジはエヴァの必要がない世界(使徒やその他神の思惑がない世界)を望んだのであって、死者の蘇生は含まれていないため。
・最後の駅のシーンで元チルドレン達は皆本来の年齢である28歳くらいになってる?年齢が分かりにくい絵柄なのでいまいち分からない。
→不明だが、シンジとマリに関してはそうだと思う。向かいのホームにいたチルドレンたちは虚構だから違うと思う(現実だとしたらシンジやマリがなんのリアクションも取っていないのが不自然&劇場特典のレイ&カヲルは年を取ってないように見えるため)
・ニアサードの後で生まれたトウジとヒカリの娘や息子の方の加持リョウジはあの世界では存在してるの?
→存在していると思われる。「何もかもなかったこと」になったのではないので
・元の世界ではシンジが加持リョウジ(息子)と仲良くなってたみたいだけど、世界が再構成されて年齢が離れちゃったならそういうのもなかった事になってそうでそれが残念。
→個人的な想像だが、年齢が離れたとしても友人関係は続いていると思う。何度も言うが「何もなかったこと」にはなっていない。「神の思惑がない世界」になっただけで、歴史も記憶もそのまま。
他の人の感想読んだりもした。
大前提として。
作家性が出るのはアニメだけじゃなく、絵画や音楽、小説、家具、庭、すべての創作物に当てはまることを声を大にして言っておきたい。
エヴァシリーズでこれほど考察や感想に「庵野」という男が出てくるのはその作家性の強さがとても強いからだ。彼が手掛けてきた作品の中でも、エヴァシリーズはより強く反映された作品だからだ。
作家性の強さは作品作りの良し悪しには特に影響を受けず、受け取り側の好みの問題であることを前提としたい。
・冒頭の「これまでのエヴァンゲリオン」良かった。欲しいシーン全部乗ってた。
・トウジは死んだと思い込んでたので出てきた時びっくりした。
・「委員長や。」あら^〜
・限られた食料、自給自足していかないといけないような村で外部から来た人達を嫌わないの凄いな。
・ヨモコさんの絵本出てきてフフフてなった。
・アヤナミが目の前で消えても一人できちんと、自分の足で立ち続けたシンジくん。
・「もう一度エヴァに乗る。」
・↑もう一度作品を作って終わらせる庵野を彷彿とさせる。良い。
・「ここに居てもええんやで?」「僕は行くよ」
・所謂、イマドキデザインのミサトさん。(前髪が1房顔の真ん中に伸びてる)
・みんなはアクション、戦闘の絵作り最悪って言ってたけどそうかな…
・大量のインフィニティ。レンダリングどれくらいかかるんだろう…。圧倒的な数で不気味演出最高。
・脳みそ拾っとる。撃たれても死なないのにわざわざ拾っとる…。
・目が無い。不気味さと何かから目を背ける(直視できない、したくないみたいなニュアンス。)デザインとしては最高の出来。ブラボー。
・ゲンドウはネブカドネザルの鍵でアニメの人類補完計画、旧劇の人類補完計画を認知した。所謂ループもの。
・ミドリちゃんサクラちゃんブチギレ。ミサトさん撃たれて負傷する。
・シンジくんはこれから父親と向き合うのでまだ心身共に子供。大人として責任を取る姿勢のミサトさん。
・ゲンドウ、エヴァ(13号機)に乗れたのが嬉しすぎて量子テレポート(^ω^ ≡ ^ω^)
・マリ、冬月と再開。漫画版と同じ設定でエヴァの呪縛を受けた冬月研究室の一人。
・イスカリオテのマリア。研究室を裏切った、クローン技術の発端者。
・初号機から綾波。14年間、シンジがエヴァに乗らなくても良いようにそこにいた。
・先のシーン、アスカがマリに髪を切ってもらっているシーンと対比。
・人である証拠に髪は伸びていく。綾波は髪がモサモサに。かわいい…。何故か勝手に、綾波はクローンだから髪は伸びないと思い込んでいた。
・アスカもクローンだった。迎え撃つのはオリジナルのアスカ。(アニメ版?)
・ヴィレの槍を作るためにリツコに無茶振りをするミサトさん。さらに作業員へ無茶振りするリツコさん。怖い組織だ…。
・ヴィレをマイナス宇宙に突っ込ませる。ミサトさんはヘアゴムを解いて以前のヘアデザインに。
・人と目を合わせないようにかけていたゴーグルを外して、髪型を戻し、まっすぐ前を見るミサトさん。原点回帰。良い。
・槍でやり合う碇親子。
・モーションキャプチャ登場。初号機と13号機がヌルヌル動く。違和感あるけど人造人間なのでこんな動きしててもおかしくないよな…と思う。
・メタ的な現実とエヴァの背景を行き来しながら決着をつけようとする親子。このあたりから庵野からのメッセージがより強くなる。
・メタ的な現実の意味でもエヴァの世界観でも、エヴァンゲリオンを終わらせようと躍起になるシンジ(庵野)。
・個人的メモ(鬱々としてる時って実は気持ちがいい。居心地が良い。)
・大人になろうとするシンジを見てやり合うのをやめて対話する。
・自らの非を認めることで初号機に取り込まれていたユイとゲンドウが再開。
・乗っていた電車から降りる。庵野監督作品の電車って演出的に結構特殊。
・カオルくんがリアリティーで立ち直ったんだねと悟る。
・個人的メモ(立ち直ったと言うのは簡単でも実際根っから立ちなおるのは結構大変。)
・旧劇のラストシーンに出てくる海辺でアスカが横たわる。あの背景見たときヒュッってなった
・エヴァの呪縛から開放されて28歳。ちょっと色っぽくなる。好き。めっちゃ好き。
・好きだったことを告白される。キモチワルイとか言わなくて良かった…ほんと良かった…。
・一足先に精神的に大人になっていたアスカ。シンジのことは好きだったけど、ムカつくし嫌いになったしキモチワルイ。その間にケンスケが良いパートナーとしてアスカを支えた。
・自己愛のメタファー的存在カオルくんも還る。アァーーーッ司令服似合ってる似合ってる似合ってるありがとーーーーーー!!
・初号機で槍を自身に貫く時、ユイと再開。初めてユイと目が合う。
・Qまで、シンジくんはあまり人と目を合わせなかった。Qは合わせようと思ってもみんな目を合わせてくれなかった(ミサトさんのゴーグル然り)。シンは立ち直ってから色々なものと目を合わせた。
・アニメゲンドウは人と関わりたくないのでサングラスをして視線を反らしていた。シンでは現実逃避の末人間を辞めてしまったので目がなくなっていた。マジで最高のデザイン。
・エヴァは過去のものになった訳ではなく、イマジナリになったっぽい。無かったこと?
・なので海が青くなる。
・迎えに来たマリはシンジと共にマイナス宇宙から帰る。アスカは海辺で大人になってたけどマリはまだっぽい?
・また電車。実際、演出の話で言うと電車はすごく便利だし、思入れのある監督はとても多い。電車演出はどんな使われ方されていても私はかなり好きな演出方法だと思う。
・まさかの神木隆之介くんが大人シンジ。良かった。違和感ない。
・DSSチョーカーを外されて、本当にエヴァとはさようなら。DSSチョーカーは案外あっけなく外れる。
・シンジの手を引くマリ。マリは信じの匂いをいい匂いと感じていたのでシンジとすぐ打ち解けられた。
・個人的メモ(フェロモンに関係する。いい匂いだと感じる人の事を好きになる。)
・宇部新川駅。庵野監督のお地元。現実を駆けていくふたり。庵野監督とヨモコ先生。
思っていたよりゲンドウが喋ってくれて、ゲンドウはユイと共に居れて、シンジは現実でマリと共に過ごしていく。これ以上無いくらいきれいに終わった。すごく良かった。
あとエヴァの完結を(心のどこかで)待っていた私達。
シン・エヴァンゲリオンのタイトルに反復記号がついていて庵野監督的には誰かにやってほしかったんじゃないかと笑ってはいる。
委員長の「さようならはまた会うためのおまじない」っていうのは個人的にあまりキャラクター的にしっくり来なくてメタ的な信用はしてない(苦笑)
良いなーーーーー自分の苦境をこんなクソデカ作品にできるのはすごく羨ましい。
ヨモコ先生が庵野監督に付き添って尽力した結果も、それまでに培ってきた庵野監督の人望や行ないだからこそでしょ。
私はこの二人が大好きなので、見ず知らずの人が作り出した理解のある彼くんなんていい方絶対出来ない。
怒ってる。
最後に。
学生時代、アニメ・漫画や映画などで演出を教えてくださったぬまた先生に感謝します。
ミサトさんが「母親らしいことは無理だから父親みたいなことするわ!」とばかりに自己犠牲にはしりまくるのがなんとなく肯定的に描かれているのはなんで?
母親らしいことが出来ないにしても生きて帰るくらいはやってみせるのが加持リョウジ(父親)の気持ちに応えることなんじゃないのかな。
結局セカンドインパクトの時に自分をかばって死んだ父親しか親としてのロールモデルがないから同じことをやってるってことなのかもしれないけど、そこはなんか変に感じた。
というのもミサトさんと同じく子供に母親らしいことが出来なかったバリキャリ女性というのが出てくるアニメとして「ブレンパワード」があるわけだけど、そこでも「じゃあ父親やるわ」とばかりの行動にでるわけだけど結末としては悲劇となっている。まあブレンパワードは親子、家族の話なのに別に和解しないでも別に新しい家族つくればいいんじゃね?みたいな話なのでそれはそれで歪んでるよなとはおもうのだけど。
エンディングのあとの世界がどうなってんのかよくわからんところはあるけど、おそらくミサトさんは死んだままでリョウジ(子)はのちのちあんたの母親は世界とアンタを守るために犠牲になったのよって赤城博士あたりから聞くわけじゃない?それ聞いてしまったらミサト本人みたいに歪んでしまうとか考えないのかなあ。
いぇ〜い👏
〜正体がわかった後もやっぱイケメンだった〜
正体はヴィレの司令だったのかな?
真の目的は人類補完計画で生命が死滅(統合)される前に、種を地球から逃すこと。
想像以上に規模のデカい男(そもそも使徒だけど)だった、でもシンジ君は変わらず好き❤️
なのに、それに気づきシンジの独り立ちを見た途端に切り替えられる余裕、素敵。
〜お子さん、素直に育っていますよ〜
暗躍するカヲル君を支え続けた右腕。
自分の命を賭してニアサードを止めたヴィレの精神的リーダー(ニアサードを止めたのってカヲル君の槍じゃなかったっけ?よくわからん)
なんかよくわからん奴が二位になれるのがエヴァのいいところって事でいいかな?(正直いちいち書くのがめんどい)
奇跡の起きた後の世界(新世紀)ではカヲル君と土いじりするっぽい。
〜ちゃんと服を着せなさい〜
シンジ、アスカと絶妙な距離感を取りつつ確実に支えになっていた。
一生懸命生きているのにあの余裕、あの距離の取り方、アスカも好きになるよ。
シンジのことをガキ呼ばわりしてたけど、素直になれなかったアスカもやっぱ子供だね、と再認識させてくれる存在。
〜お父さんは強い〜
赤ちゃんのほっぺた触りたい👶
〜もうウジウジなんてしないよ〜
エヴァファンを救ったと同時に現実という絶望へ叩き落としたこの物語の主人公。
ポストアポカリプスな集落(通称農村)で相変わらずウジウジしていたが、地獄のような世界で精一杯生きている人たち、かつての同級生、タイムリミットがあることを知っていながら懸命に生きて最後魂を手に入れたそっくりさんのおかげで成長し、大人になった、なってしまった。
(関係ないけど最後、アナザーインパクトの爆心地でアダムスの器にそっくりさんの魂がちゃんと宿っていることがわかる描写は良かったね)
20数年でようやく世界とみんなを救うことができて良かったね、と思いつつ、以下のように叫んでいる自分もいる。
「お前が大人になったら終わっちゃうじゃないか!」(カツマタ君状態のファン心の叫び)
あと、やっぱ最後はおっぱいの大きさだよね!わかる!わかるよ!
第六位 冬月コウゾウ
ゲンドウよりおじいちゃんだけど、実質ゲンドウのヘルパーさん役だった男。
みんなしょんべん臭いゲンドウから離れていった中、最後まで付き添ってあげた男。
ゲンドウはユイのことしか考えてなかったけど、冬月の愛というか憐れみの心もなかなかすごかったと思う。
当初はユイに会いたいという共通の目的があったと思うが、割と早い段階からこの惨めな男(ゲンドウ)に付き合ってやろうというヘルパー魂が冬月を突き動かしていたと思う。
〜ユイはずっと側にいたのに…〜
第七位 碇ゲンドウ
本作唯一の子供。みんなが成長して真面目に生きている中ずっと厨二ワードを並べまくったフォーエバー厨二。
厨二ワードで自分を守りながら、惨めで寂しい男だった自分を隠し続けていた。
でも、あんなに惨めな姿を最後によく観客の前で晒すことができました!
他にも委員長のお父さんとかヴンダーの操舵士?とか若い男三人衆とかいろいろいたけど省略!
庵野の分身としてのゲンドウとかそういう話もできると思うけど、とりあえずこのテンションで語るのがこの作品には正しい気がする。
できてるかな・・・
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終劇
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数日前、毛に関することが話題になってたので、せっかくだし自分のヒゲ脱毛の経験について書く
ヒゲ剃りに苦しんでいる人や、脱毛を検討している人は参考にしてくれると嬉しい
■脱毛に至るまで
肌:クソ雑魚
ヒゲ(脱毛前):範囲は狭いが濃く剛毛、毎日(場合によっては一日複数回)剃る
指毛・腕毛:薄め、放置
(ヒゲ剃り前提の環境だと)ヒゲってのはムダ毛の中で最も厄介なものだと言える
何故ならヒゲは長袖で腕を隠すように常時隠して生活することが非常に難しいからだ
おまけにコンマ数ミリの差がその人の印象を大幅に左右するうえに毛の中でトップラスの強さとしぶとさを持っているのだ(同じ太さの針金と同程度の硬さらしい)
ヒゲ濃いマンかつ肌弱マンにとってはヒゲ剃りというのはもはや拷問に等しい
しかし、前述の通りコンマ数ミリの差が決定的になるのがヒゲなので、その拷問を毎朝やらねばならない
蒸しタオルやスキンケア等様々な工夫をこらしてもヒゲ剃り後無数の裂傷により顔面血まみれになってしまう
もはやヒゲ剃りに際してはスキンケアより傷薬のほうが必要なくらいである
脱毛して改めて思ったのはヒゲ剃りという行為は「顔面の皮膚を刃物で削る」非人道的な行為だということだ
他の身だしなみのような「めんどくさい」とかそういう次元ではないのだ(もちろん面倒くささも半端ないが)
しかも、これはヒゲに限らずムダ毛処理全般に言えることだが、ヒゲ剃りというのは「マイナスをゼロに近づける行為」であり、これだけの苦痛を伴うにも関わらず、髪型や化粧や服装と違い、いくら頑張ってもゼロを超えてプラスになることはないのだ
ともかくそんな苦しみに十年苦しんできた俺だが、たまたまクリニックの近くに引っ越したのをきっかけにヒゲ脱毛を始めることになった
多分脱毛を考えている人にはこれが一番気になるところではないかと思うけれど
俺の場合は口周りと顎と頬のレーザー脱毛で税込30万円はいかなかった
現状について詳しくは後述するが10回程度施術して抜群の効果は実感しているがまだ脱毛完了には至っていない(≒ヒゲ剃りから完全に解放されていない)
俺の通っているところは一度支払ったら回数無制限で追加料金がかからないので、回数制のところと比べると高く見えるかもしれないが、(どこまで脱毛したいかにもよるが)髭濃いマンだと10回じゃ足りないと思うのでそれを含めて費用検討した方がいい
あとレーザー10回やってもまだ生えてくるので、光脱毛は止めたほうがいいと思われる
■施術について
多分費用の次に気になるのは「痛み」だと思う
レーザー脱毛とはレーザーにより毛を毛根ごと焼き殺すものだが、俺は「その感覚」を明確に感じた
要は(そのまんまの例えで申し訳ないが)「照射範囲の毛のと同じ本数の熱した細い針」で刺されるような痛みである
それを一回の施術で数十回行う
俺は比較的痛みに強いほうだが、ヒゲ脱毛の施術後はあまりの苦痛に涙と脂汗でぐちゃぐちゃになる
俺は頬の部分はあまり毛が濃くないタイプだったからいいもののモミアゲまで青ひげになる広範囲ヒゲ濃いマンだったらと思うと恐ろしい
また、回数を重ねれば毛が薄くなり痛みは減っていくというが、結局レーザー出力もあがっていくので相変わらず痛い
施術前にロキソニンを飲んでいくなどの対策を講じてみたが焼け石に水だった
何故俺は高い金を払って貴重な休日を使いこんな酷い目にあわねばならんのだと怒りとも悲しみともつかない感情が湧いてくる
そんな地獄を乗り越えても翌日からは毛嚢炎と通称「泥棒ヒゲ」の地獄がまっている
おおよそ3日程度続く
後者については、燃え残った髭が焼け爛れることによって太く見え、施術前よりヒゲが濃く見える状態だ
施術直後に抜け落ちる毛は全体の2〜3割程度であり、残りはまだ顔面に残ったままになる
不思議なものでこいつらはまだ生きてるのだ。なので伸びる。つまりヒゲ剃りが必要なのである
しかしレーザーでボロボロの肌に生える焼けカスになった毛を剃るのはなかなか大変なので結果的に普段以上にヒゲ濃いマンになる
だいたいこれが二週間くらい続く
なので施術後二週間くらい、特に直後数日は大事な用事は入れないほうがいい
逆に2週間すると焼けカスたちがポロポロ抜け落ち、ヒゲ剃り不要のゴールデンタイムに入るので、大事な予定の2〜3週間前に施術するのもいいだろう
ちなみに次の施術の予約は毛の周期に応じてクリニックから「次回は○週間(施術回数を重ねるほど増える)後以降に来てください」と言われるのだが、なかなかこの期間が絶妙で、ちょうど○週間経つと髭が目立ってくる
■現状
脱毛のデメリットを多く語ってきたけれど結果的にはヒゲ脱毛して本当によかったと思う
カミソリで撫でるだけで綺麗になるので、ヒゲ剃りが毎朝の歯磨きや洗顔程度の行為になった
ヒゲの密度が圧倒的に減ったからだ(エヴァンゲリオンの加持リョウジのヒゲの生え方をそのまま実写にしたような密度だ)
どのくらいヒゲ剃りが楽になったかと言うと、「マイカミソリを持たずに旅行に行けた」くらいである
この行為がどれくらい凄いかはヒゲ濃いマンならすぐピンときたかと思うが
マイカミソリを持参せず旅行するということは、もはやただの凶器と呼ぶ方が適切な使い捨てのカミソリでヒゲを剃らねばならないのだ
また「めんどくさければ1,2日程度ヒゲ剃りをサボれる」程度にもなった
これもヒゲ濃いマン以外には「たった数日」と思われるかもしれないが、清潔感を保てるのが半日までのヒゲ濃いマンにとっては、風呂や洗濯が数日に一回で無臭になったくらいの衝撃なのである
絵柄も似てる
うさぎドロップの絵柄とも似てる
1巻読んだだけだと切ろうかと思ったけど、2巻からの回想が面白くて読んでよかった
その後また現代に戻って一気に時間が飛んでからはそこそこ巻数もあってお話もあったはずなのにほとんど印象がない
回想部分が一番おもしろかったな
まあ全体としては回想も込みでトータルでストーリー考えられてるから過去編だけだと作者的には未完成なんだろうけど
あねさんの子どもの本当のちちおや のところでもちょっとひいちゃったし
うさぎドロップの第二部、あるいはラスト並に女作家のキモさを感じてしまった
落語はじゅげむと時そばとじょしらくって漫画とアニメがあることくらいしか知らなかったけど、それでも雰囲気で読めばまあしらんでも楽しめた
ヒカルの碁みたいな感じ
まあそこいらの若手にできるもんじゃねーよな一応マジな落語のアニメの声優なんて
そっかやまちゃんか
ホモっぽさもそこそこあったけど不快なレベルではなかった・・・と思う
うーん面白くなかったわけでもなかったけど特段おもしろかったわけでもなかったなあ
とりあえずどうしてもエヴァをループものにしたいやつはまどマギを楽しみにしたほうがその人のためだし、
巨神兵までエヴァの一部みたいに思っているやつは風の谷のナウシカという漫画を一度は読むべきだし、
ミサトさんひどいとかいってるやつはもうちょっと人の意図というものを読み取る訓練をしたほうがいい。
たしかにエヴァというのは穿った見方をさせようとするような磁場がある。
新劇は、ヱヴァンゲリヲンといったっていいけれど、これは前と違って至極真っ当な物語なのだ。
それは序、破ではみんなわかっていたはずで、
かつてのエヴァにくらべると真っ当だ、ということを強く認識していたはずで。
でもQの極端な急展開にめくらましを食らっている。
繰り返しになるが、僕が強く主張したいのは、新劇は、とても真っ当な物語である、ということ。
そしてどこまでも観客のために作られている作品だということ。
前置きが長くなったけれど、タイトルどおり、まともな見方を提示したいと思う。
エヴァQという作品の肝心な部分は、
碇シンジを観客のラインまで下ろしてきて、感情移入できるキャラにする、というところだ。
正直行って第壱話からぼくはなんでシンジがエヴァに乗ったのかわからなかった。
そりゃ綾波だとか親父だとか、そういった要素で乗ったという論理は捉えられたけれど、
その気持ちを理解できるかといえば完ぺきにノーだ。
時はたち、彼は序、破とどんどん成長していって、シンジさんなーんて呼ばれるような大人びた存在になってしまう。
そこにいるのは僕ら――この二十年近く前のアニメのリメイクをよろこんでみている僕らとは、まったくかけ離れた存在だ。
どうぞエヴァQをクソつまらんといって月9ビブリア古書堂でもみてください。
もともとエヴァの、シンジの魅力というのは、どこか僕ら側にいる主人公だ、という点だったはずなんだ。
それがTV版では話が進むうちによくわからなくなっていって、
旧劇の完全に狂った彼の姿は僕らとはまったく関係ないところにあった。
それとベクトルは真逆の方向を向いているけれど、破でもシンジも僕らとは関係ない存在だったわけだ。
「綾波を、返せ!」というセリフをはじめて耳にしたときの印象を思い出してほしい。
僕はまったくしっくりこなかった。どこかそれは英雄じみていたから。
こんなクソみたいな生活を相変わらず続けているる僕とは似ても似つかないキャラクターだった。
でも僕は破に夢中になった。爽快だったし、ポジティブな綾波やアスカも快楽主義的な立場で可愛さを感じたから。
そしてQだ。はじめて見たときは面食らった。
14年後って設定もヴンダーのデザインもゲンドウのサングラスもなにもかもに。
面食らっているうちに『つづく』の文字が黒背景に浮かんでいた。
見終わったあともしばらくポカーン状態がつづいていたけれど、一日くらい経つと、何か残るものがあった。
見事なまでに、僕とシンジの心象が重なり合っていたのだ。
というより、自分が映画を見ながら思ったことを、シンジが感じていたことだと考えてみると、
とてもしっくりいくことに気付いた。
起きたら14年経っていたときの驚きがまずそうだろう。
あのヴンダーだとかサングラスだとか新キャラだとかの強烈な違和感。
冗談だろと思いながらも、でも14年は立ったんだ、それはまるで旧劇から今までの時間のように、という曖昧な実感。
24話んときはどうもキモかったカヲルくんにも、妙な親近感がある。こいついいやつだな、という。
そしてサードインパクトの結果も、『急にこんなこと言われたってなあ……』という、
そして、『この世界をやり直したい』という強い気持ちと、2本の槍にすがってしまう気持ち。
なにもかもが手に取るようにわかったのだ。
いままでのシンジの行動は、観客が責めることができるか、褒めることができるか、そのどちらかだった。
でもQでの彼の行動は、どこまでも理解できるものだった。
そしてシンジの行動を観客に理解できるようにするには、この構成とストーリーは、必要不可欠であるように思うのだ。
ミサトさんだって『行きなさいシンジくん、とか言ってたくせして、あなたは何もしないで、といってひどいやつ』
みたいなコメントをいくつか見かけたけれど、ちゃんと映画全部見たのか疑うレベル。
もしくは親からも先生からもしつけられたことのないゆとりか。14歳の感想だったらゆるせるけれど。
エヴァQをつまんなかったというひとは、ハリウッド映画みたいなのを期待しているならもう見ない方がいい。
逆に、謎の考察ばっかしてる加持リョウジじみた人は、もうちょっと主人公たる碇シンジの視点によってあげてほしい。
いまさら人類補完計画の全貌がなんだろうが、どうでもいいでしょう? ゼーレの正体とか気になる?
いまだに本気でTV版の伏線まで回収してくれるなんて思っちゃいないよね? 先はどんなに予測しようが何の意味もないし。
伏線の回収なんかより、胸踊るサスペンスなんかより、キャラクター同士の馴れ合いなんかより、
そして14年前、旧劇で『現実に戻れ』とバケツ一杯の冷水を浴びせられながらも、
学びもせずまたアニメらしいアニメを期待していた僕らへの、再びのメッセージなのだ。
しかし旧劇のように、庵野さんは水を浴びせるだけで済ますのではない。
観ることで自分の現実にまで意識がいくように、丁寧に構成を組んだのだ。
そして、僕たちにはまだシン・エヴェンゲリオンが用意されているというではないか。
なんてサービス精神の旺盛な人なんだろうか、庵野秀明という人は。
僕は、エヴァQは一つアニメの新天地を切り開いたと思っている。
少なくとも碇シンジに関しては成立させているように感じた。
本人ならぬお前にどうしてわかるのか不思議なんだよ。
そんなの下手すりゃ本人だって判然としないだろうに。
たとえばミサトの話をするとき「ミサトさん」と呼ぶ30歳のオタクが居るとして、
1・14歳のシンジになりきって保護者のお姉さんを見上げてるのか、
2・入れ子細工のようにシンジとミサトの関係性を楽しんでるだけなのか、
なんてことをどうやって判断してるの他人が?
元増田の話に当てはまるにはまだ二次試験も通らないといけない。
二次試験は「アニメ消費以外の場面でも14歳になりきってるか」。
どうやって判定するのかなぞだし、
http://anond.hatelabo.jp/20091004232244
中田氏、おめでとう。
39歳、おめでとう
「僕は僕が嫌いだ」
「でも、中田氏できれば好きになれるかもしれない」
「僕は中に入れてもいいのかもしれない」
「そうだ、僕は僕でしたくない」
「僕は僕でしたくない」
「僕は中に入れたい」
「僕は中に入れてもいいんだ」
『嫁に、ありがとう』
『ホロに、さようなら』
『そして、全ての非モテ達に』
『おめでとう』
実物空間での、『会話したことの無い憧れの女性』を表現している。会話したことの無さが、表情のなさとして表現されている。
実物空間では「僕」にとっての部活動の先輩であることは、劇中で碇シンジと同居していないことからわかる。年長者としての権力をフルに使って愛しのあの子(=綾波レイ)を奪ってしまう。
部活の先輩は父の幻影を背負っているが、ゲンドウはその父の幻影を本当に父として物語空間に描かれてしまったもの。
実物空間における、視聴者。幼児的な万能感を持ちながら、無能さにも気付いている『僕』。
物語空間では、幼児的な万能感が、チェロの演奏能力やエヴァンゲリオンを操縦する能力として現れている。
シンジの行動の良し悪しを判定する指導的な親の役割をしていることからわかるように、実物空間において、ミサトは「僕」にとっての父である。加持リョウジとの性的な結合(=アンドロギュノス)や、彼と同じく人類保管計画発動前に死亡することから、彼とは実物空間では同一人物であることがわかる。アスカ的な性的積極性を持っているのは、作り手の単なるイタズラ。
実物空間における同一人物(=葛城ミサト)が持っていない父的な外見を、物語空間で描いたもの。実物空間では、「僕」(=碇シンジ)の父親。
猥談により、性交というファンタジーは実在するらしいと「僕」は信じている。友達から、それは確からしいものとして聞かされている。
しかし、内気な性格のために、「僕」と女性の間には距離がある。物語のなかで性交を実現させるために、グロテスクなまでに性的な積極性を持った存在、それがアスカ。