はてなキーワード: 排外主義とは
直接的な金銭によるトリクルダウンは期待できない世の中ではあるが、ハイテク製品を安価に提供するという意味でトリクルダウンを体現しているのは紛れもなく中国なんだ。
長い間世界の工場として蓄積されてきたノウハウを、ODMやIDHという仕組みで効果的に発展させてきた。「中国 IDH」でググってみれば分かるだろう。
そうやってもう日本とは天と地ほどの差があるほど恵まれた環境でもって先に進んでいるのが、中国の先端テック企業。だからそういうことが可能になる。
どの国であれ、世界をリードする企業は投資する価値がある。なに人であろうと、優秀な人々は国境なんて気にしていない。世界を良くしよう、正しくあろうとしている。
こういう高いレベルの話に限っては、ナショナリティに縛られていては、人類の進歩の足を引っ張るだけだ。
5Gや6Gをめぐる水面下の経済戦を展開しているような当事者たちが敵対勢力に唾吐くのは分かるが、まったく関係ない市民が排外主義に染まっているのは無意味な独善でしかない。
・日本は戦争をしたがっている(そのために世論誘導されている)
とか言ってるパヨクが、マスコミが政府批判すると、それがエビデンスだと喝采をあげ熱狂するの滑稽だよね
それとも、検閲されてないのか?
なんでかネトウヨだけが陰謀論を喧伝してるかのように言われるが、パヨク連中も相当なお花畑だぞ。
【日本の若者を殺す海外派兵】と喚くパヨクが、日本のエネルギーと経済を支えるタンカー航路の防衛について、国連軍や米軍の若者なら死んでもいいのか?と問うて、答えてくれたことは一度もない。
沖縄などくれてしまえとか、一緒に酒を飲めば解決するとか、頭のねじが外れた妄言なら聞いたことがあるが、それではタンカー航路を守れない。
BLMでは「沈黙は差別賛同」「差別問題にコミットしないのはヘイター」とまで言っていたのに、ウイグル問題ではだんまり。
どっちもどっち論を批判する流れで乗り切ろうとしてるみたいだが、そもそもの立ち位置が違うだろ?
オマエラが言うネトウヨは、差別上等のヘイターなんだから、矛盾なんかしてないんだよ。
押し寄せる不法「移民」や中国製品にEUやアメリカ経済が押されている所に米トランプ大統領の登場、イギリスのEU離脱、反グローバリズム、保護主義(排外主義)の盛り上がり
そして軍拡する中国へ反感の機運が盛り上がり掛けていた矢先に中国発のコロナウイルス登場
反中の右派はすかさず事態の原因は「中国の武漢ウイルス」と宣伝する。コロナ騒動の開始だ
移民とか政敵を感染症や病原体になぞらえる修辞の(右派的な)排外主義との親和性はナチスを引き合いに出すまでもなく既知のものだ
当初左派は差別の比喩としての「ウイルス」が持つ意味に反応し批判していたように(少なくとも自分には)思えた
もしトランプが外国から持ち込まれた「チャイナ・ウイルス」の脅威を目ざとく反グローバリズムに利用し感染症の脅威を誇張し不法移民をウイルスになぞらえマスクの着用推進など「社会統制」を強める方に向かえば
反トランプの左派は立場上「トランプ=ナチスからの自由のため」に右派のコロナウイルスの脅威の誇張を指摘し騒動を納める方に向かっただろう
しかしリバタリアニズムの影響かまたは一貫性の欠如の故かトランプはじめ右派はマスクを拒否し統制からの自由を求める
中国のウイルスを強烈に敵視する一方で国内ではウイルスなんてただの風邪だとうそぶき統制を嫌う。
外国からの移民に不寛容な右派が外国からのウイルスには寛容になると言うパラドックス(そしてこれはトランプとナチスとの違いでもある。トランプは快楽主義者であってヒトラーのような禁欲主義者ではないのだ)
このパラドクシカルな状況で、状況を俯瞰するだけの視野を欠いたまま反トランプのスタンスを愚直に貫き論陣を張った左派
いきおいコロナの脅威を誇張する事でトランプの感染対策の無策過失を強調する方向に向かう事になってしまった
右派に加えて左派もトランプ叩きや政権批判のためコロナの脅威を叫ぶようになった
こうして右も左もコロナの恐ろしさを叫びパニックが扇動される結果になった
このパニックを納めようとしているように見えなくもない勢力はホリエモンのようないかにも感じの悪い経済系ネオリベを除きもはやいない
Intl Cons. Invest. Journalists (3)
Unherd-LockdownTV (1)
dossierゴーン (253)
eスポーツ (1)
journalist・津田大介 (15)
「村上春樹は三流」 (5)
あとで読む (132)
いんちきアベノミクス (58)
いんちき株高 (1)
お大事に (14)
お粗末極まる安倍外交 (26)
くたばれ籾井 (1)
これはひどい (6)
つけあがるな、米軍 (19)
でたらめな内閣官房 (1)
でたらめ政治屋二階 (15)
ふざけるな安倍晋三 (3)
オウム真理教 (41)
カネカネカネの世の中 (1)
ゲル語録 (98)
コメディアン松元ヒロ (1)
サイバー攻撃 (1)
サブスクリプション (1)
ダジャレ (21)
ヒアリ、恐るべきアリ (13)
フィンセン文書 (3)
ブラック企業 (1)
ヘドが出る安倍政権 (3)
ペーパーレス化 (2)
メディアリテラシー (1)
リアル書店の衰退 (1)
七味(ひちみ) (1)
三遊亭円楽 (1)
不誠実極まる安倍晋三 (1)
事なかれ主義の果てに (1)
仁和地震は反復する? (7)
例:実力制第四代名人 (1)
保守速報・栗田薫? (1)
個人情報保護法 (1)
全く変質した自民党 (1)
再エネの推進を! (1)
医食同源 (2)
単に口の悪い冗談です (2)
口の曲がった麻生太郎 (5)
史上最悪の安倍政権 (2)
史上最悪の米大統領選 (4)
囲碁 (19)
国会を閉じるな (14)
奢りが極まる菅政権 (4)
嫌味な老人の繰り言 (2)
安倍に鉄槌を (52)
安倍は辞めろ (496)
安倍昭恵頭悪すぎ (8)
安倍晋三こそが失礼 (1)
安倍晋三のお友だち (1)
対米ケツ舐め安倍政権 (53)
対米ケツ舐め経産省 (1)
対米ケツ舐め自民党 (5)
将棋 (374)
怒りのダジャレ (5)
政権交代を裏切った輩 (9)
文筆家・内田樹 (1)
新型コロナウイルス (557)
日本一せこい男舛添 (32)
日本人の野蛮性 (6)
日本語を正確に使え! (2)
日米合同委員会 (4)
映画専門・石飛徳樹 (25)
暗愚極まる菅政権 (5)
書評 (8)
最低のNHK会長籾井 (49)
最低の環境相丸川 (4)
一見左派の方が常識的な反応だ、しかし良く考えて見よう、本当にそうだろうか?
右派はCMが「自分達に向けられたもの」だと解釈し、その上で怒っている
一方左派はどこか他人事だ、「日本には差別がある」は「私も差別をしている」ではなく「私ではないアイツラが差別をしている」という意味だ、彼らには自身が差別の加害者である自覚がない
加害者として名指されている自覚のある右派と、自覚の無い左派、果たしてどちらがマシだろうか?
場合に分けて考えよう、右派と左派、それぞれ差別の加害者である場合とそうでない場合に彼らの言っている事はどういう事に成るのか、
差別加害者でない場合(つまり下段)、マシなのは明らかに左派だろう
しかし差別加害者である場合は難しい、右派は差別を否認する一方、左派はそもそも自分が加害者だと言われている自覚すら無い
加害者が、あのCMを見て「自分も加害者かも知れない・・・・」ではなく「加害者許せん!」と憤っているのだ、これは酷い
右派は加害者だと言われている自覚があり、それ故にそのメッセージの強烈さに拒否反応を示してしまって居る
一方左派は、加害者だと言われている自覚が無い為に、右派の様な拒否反応も回避出来てしまって居る
左派に拒否反応が無いのは彼らの良心故と言うよりは、自らの加害性の自覚の無さ、というドス黒い理由であるとも言えてしまうなら、
これは、果たしてどちらがマシなのか?
ほぼYESだと言える
まずCMに登場する3人の内、恐らく最も議論の俎上に上げられている在日朝鮮人の少女について
誤解している人が多いが、CMの中でいじめを受けているのは彼女ではない、いじめを受けているのは(恐らく)日本人の少女で、
在日朝鮮人の彼女の苦悩は自身の出自が周囲にどう受け止められるのかという不安、周囲の視線、浮いていないか、という不安だ
つまり彼女のケースにおいて加害行為とは「彼女を奇異の目で見る事」に他ならない
仮にあなたがチマチョゴリを着る彼女を他意の無い目で見ていたとしても、それは彼女に不安を与え得る以上、加害になり得る、つまりあなたは加害者なのだ
外国人と日本人のハーフ(恐らく)の少女についても同様だ、明らかないじめを受けているのは日本人の少女のみの為、直接的な加害をしていなくてもあなたは加害者になり得る
また、右派と左派で排外主義的な傾向の偏りは有るかも知れないが、日本人同士のいじめであれば加害者である確率は変わるようには思えない(むしろもし、あなたが「右派は学校ではイケてないグループだったに違いない」という偏見を持つなら、右派がいじめる側に回れる確率が少なくなり、相対的に左派のいじめ加害者率を高く見積もる理由も出来てしまう)
あなたは日本人に対していじめをした事が有るだろうか?もし有るなら、あのCMで糾弾されていた加害者はあなたである
在日外国人やハーフへの視線と日本人に対するいじめ、あのCMで加害者だと言われているのはあなたである
その加害者が、あのCMを見て自分の事を言われていると自覚すらせず、「これだから差別主義者は」と憤っていたとしたら、非常に悲しい事だ
その場合、あなたの反差別意識は自身の加害性を見つめる為ではなく、自身の加害性を見ない様にする為に役立ったと言わざるを得ない、最悪だ
あなたはあのCMを見て「自分も加害者かも知れない」と思っただろうか?
それとも「加害者許せない」と他者を責める事ばかり考えただろうか?
・あのCM、途中で唐突に出てくる大人の女性サッカー選手(サッカーに詳しくないので名前は存じ上げない)の「ありえないって」が物凄くカッコイイと思うのだけど、誰か共感してくれる人は居ないだろうか?
・長くなってしまったが、短く纏めると右派は「差別は日本にとって他人事」だと思っているのに対し、左派は「(日本にとって他人事だとは思っていないが)差別は自分にとって他人事」だと思っている、と言う事だろう
ナイキのCMがネトウヨの罵倒とリベラルの喝采を浴びるのを横で眺めながら、モヤモヤしたので書く
どうして全員女性でなければならなかったのだろう?
CMの中で3人の女性がいじめを受け、それに抗う様子が描かれる、良いCMだと思う、でも、どうして全員女性なんだろう?
いじめを受ける3人は女性だから、いじめる側も周囲の女性になる、CMを見ても加害者はほぼ全員女性だ
どうして全員女性なんだろう?
まるで「女性は陰湿だから」「女の敵は女」と妄想を口に出すミソジニーみたいに、どうしていじめの加害者を女性として描くのだろう?
排外主義の差別を受けるのは女性だけではない、CMで1人でもいじめられる男の子を出せば加害者が全員女性なんて事は避けられたし、そっちの方が自然だ、どうしてそうしなかったのだろう?
ネトウヨはあのCMを「日本人は差別主義者だと描いている」と叩いているがそうじゃないだろう、加害者の中に男性は描かれていないんだから、あれは「日本人女性は差別主義者だと描いている」んだ
そんな不快感を抱えてあのCMの反応を見たら、女性も、リベラルも、あのCMを賞賛していた、絶望した
一応検索したら私と同じ感想を持った女性は居た様だけど、少数でいいねも付いてない、殆ど居ない様なものだった
ああ、またミソジニーは無視されて無かった事にされるんだな、と思った
能天気だな、とあのCMを賞賛する人達に思う、どうしていじめるのが全員女性なのか、そこにあるミソジニーにも気付かずに、褒めたたえている
例えば、あのCMが外国人差別に苦しむ女性じゃなくて、トランスジェンダーの苦悩を描いていたら、あの人たちは気付いただろうか?(トランスジェンダーの人と女性スポーツの話は少し前にはてなで話題になった)
また『「ミグタウ」が非モテの道!』みたいなバカが現れたのでいい加減警告しておく。
別にミグタウに限らないが、彼らは自己定義で都合のよく切り取って語ってるだけで、その言葉の意味に触れるつもりも理解するつもりもない。
自分で勝手に言葉を定義して『「ミグタウ」は穏健派の非モテです!だから素晴らしいんだ』とかトートロジーと変わりない。自分でそのおかしさに気づかないだとしたら、頭の正気を疑ったほうが良い。まぁ、「私は正気だから正気なのだ」と言うんだろうか。
そもそもミグタウの思想を理解していたら、公の場で「ミグタウは素晴らしい!」なんて言えるはずがない。
ミグタウの根幹を成しているものは強固な社会構造、ヒエラルキーが存在すると言う思想である。そのヒエラルキーとは「メスが最上位に君臨しその下にアルファオスがいて、メスとアルファオスで世の中を支配している。自分たち非モテは最下層のガンマである。そしてその価値は犬猫にも劣る」と言う家畜人ヤプーのような強烈な女尊男卑を内面化している。
そして、そのヒエラルキー最下層であるという意識は深い孤独、強烈な自己否定、存在否定に結びついている。自分は犬猫にも劣る社会的価値が皆無であり、世の中から見捨てられた存在だと言う意識。それがミグタウの思想であり、言うなれば消極的な自殺者だ。
そしてそのヒエラルキーを維持する事を是としないと言う意識から強い排外主義に陥る事もある。「私は社会に関わらない。だから社会も私に関わるな」と言う思想はミグタウ界隈ではしばしば見られる。(「私は助けられることは無いのだから、助けを求めるな」という方が近い)
これらは実際のミグタウコミュニティの自己否定や拒絶の一端を表したに過ぎない。しかし、それだけでもミグタウは非モテの救済になどなり得ず、ましてやフェミニストとの協調など持ってのほかだと言うことを理解するには十分だろう。
言葉は人それぞれで揺らぎがあり、意味が異なるものではある。しかしミグタウの思想に触れようともせずに自分の都合の良いように定義してこねく回すしてなんの意味があるのだろうか。彼らがやりたいのは「非モテの救済」や「非モテの苦しみの低減」などではないことは明らかだ。ミグタウ一つとっても、彼らを見る事も、その思想、苦しみを理解するつもりはさらさらないのだから。
自分で都合の良いように勝手に定義して都合の良いように論をこねくり回して悦に浸る。その言葉はお仲間に向けた馬鹿げたスピーチ以外の何であるというのか。
トランス女性が女性にとって特に危険だと主張しているわけではありません それを示唆する証拠は ほとんどありません しかし、私はトランス女性が極端なミソジニーの暴力で脅しているのを見てゾッとしています。
私は、ほぼ毎日のようにソーシャルメディア上で、TERF(トランス排外主義的な急進的フェミニスト)と呼ばれる女性を狙った暴力的な脅迫を目にしています。
昨年9月には、ロンドンの60歳の女性が、30年以上年下の身長180センチのトランス女性に殴られました。
この女性、マリア・マクラクランは、単に自己認証の提案を議論する会議に出席するためにそこにいただけでした。
4月にサンフランシスコで開催されたアート展では、「I punch TERFs」とプリントされたTシャツに偽の血をまぶしたものや、トランスの旗の色で描かれた野球のバット、斧、スレッジハンマーなどが展示されました。
ミュージシャンのソウル・フラワー・ユニオンによるツイートが、日本で生活する重度精神障害者への差別を煽る投稿であるとして議論になっている。
5月23日、ソウル・フラワー・ユニオンは、「木村花さんの死が問いかける、ネット上の誹謗中傷の罪とプラットフォームの責任」という記事に言及する形で、数年前に「中川敬を殺す」という書き込みが続き、事務所が警察に被害届を出したことがあったと投稿した。
<滅入る。ネットの誹謗中傷による悲しい結末。数年前に「中川敬を殺す」という書き込みが続き、事務所が警察に被害届を出したことがある。結果警察が動き、犯人から謝罪文が来て終わらせた。重度精神障害で逆にこちらが気を揉むような状況だったが、やはりヘイト含め、SNS会社にはやるべきことがある。>
投稿によれば、ソウル・フラワー・ユニオンは被害届の提出後、犯人から謝罪文が来て終わらせたという。
ソウル・フラワー・ユニオンが述べていることが事実なのだとすれば、「中川敬を殺す」という書き込んだ犯人は罰せられるべきだし、被害に遭ったソウル・フラワー・ユニオンはお気の毒ではある。しかし、ここで「重度精神障害」という属性を敢えて書い他ことが、フォロワーの差別心を煽ったこともまた、否定できない事実だろう。
そもそも、もし現行犯で捕まえた犯人が健常者であったら、<逆にこちらが気を揉むような状況だったが>とツイートしただろうか? おそらくしないだろう。
もし重度精神障害が「中川敬を殺す」という書き込んだ犯人であったとしても、それをTwitterに書くことが、フォロワーのどういった反応を引き出してしまうか、ソウル・フラワー・ユニオンはもっと思慮深くなるべきだったはずだ。
「重度精神障害者に殺人予告をされた」ことが事実であるとして、その事実をそのまま伝えれば「日本で暮らす重度精神障害者全般」への人々の憎悪を煽りかねないことや、日本でマイノリティとして生活する一般の「重度精神障害」をどれだけ苦しめることになるかを、よく考え
てみてほしい。
現在、日本には排外主義的な考えが浸透してしまっている。「重度精神障害者の犯罪率は高い」「重度精神障害者が増えて街の治安が悪くなった」という意見を、さも事実であるかのように信じ込み、伝えようとする人も少なくはないようだ。
だが実際には、「重度精神障害者の犯罪率は高い」「重度精神障害者が増えて街の治安が悪くなった」という話はデマである。
犯罪白書によると、年間の精神障害者の犯罪検挙数は全検挙数の約0.6%であるとされている。精神障害者の数が全人口の約2%であることからすると、精神障害者の犯罪率はむしろ一般より低いといえる。しかもこの統計は、精神障害者に加えて、警察が「精神障害の疑いがある」と判断した数も含めているから、実際にはもっと少ないかもしれない。
こうした数字が出ているにもかかわらず、前述したような重度精神障害者への差別意識はなくならない。だからこそ、SNSを通じてネット上の誹謗中傷被害を訴える際には「重度精神障害」というレッテル貼りをすることに対して注意深くならなければならない。
歴史を振り返れば、約100年前の同じ9月、関東大震災の際に「朝鮮人が井戸に毒を入れた」「朝鮮人が暴動を起こしている」というデマが飛び交い、多くの人が尊い命を奪われた。「犯罪」と「重度精神障害」を安易に結びつけることはこういった悲劇を再び生む危険性も孕んでいる。
---------------------------
改変元:
https://wezz-y.com/archives/80942/2
https://twitter.com/soulflowerunion/status/1264103555264208898
http://www.kansatuhou.net/60_johonyushu/01_nyumon/02_Q&A6_10.html
---------------------------
改変してみた理由
・「結構きわどいことを言ってるけど、特に炎上していない投稿」をあえて炎上したものとして改変することで、炎上する投稿と炎上しない投稿の何が違うのかをハッキリさせられるのかなと思った
改変してみた感想
「そのうえでつるの剛士はフォロワーからのコメントにリプライするかたちで、<一応目星がついていますので。畑近くの工場で働いてる外国人。もちろん次見つけたら通報します>とつぶやいた。
その後、こうした一連のツイートが外国人に対する差別を煽るかたちになっていると指摘を受けるとつるのは猛反論。
<日本人だろうが外国人でろうが農産物を盗む行為は歴とした犯罪。差別でもなんでもなく事実です>(原文ママ)
<日本人でも外国人でも農産物を盗む行為は歴とした犯罪!こちら100%被害者!差別??現行犯!事実!今回許してしまいましたが今後はこのような難癖つけられないよう次こそ必ず通報します!>」
「いま現在、つるの剛士のTwitterのリプライ欄には、今回の件に乗じたヘイトツイートを投稿しているアカウントが多数見られる。」
・「指摘されて強弁したこと」と「フォロワーの投稿内容」が炎上するかどうかのカギなのかもしれない。
・極端な思想に基づいてコメントしてくるフォロワーは、元の発言に肯定的な趣旨だったとしても全員ブロックするのが今後の処世術となるのかもしれない
・仮につるの剛士が「差別的に取られる可能性がありますよ」と指摘されたときに「不用意でしたね、当該投稿は削除します」と応じていれば特に問題にはならなかっただろうし、それが最適解だったのかなとも思う。
・個人的には、「つるの剛士、不用意な発言かもしれないけど、そこまでクソミソに叩かれるほどでもないな」という感想。
・同様にソウル・フラワー・ユニオンの投稿も、もちろん不用意な発言だとは思うが、クソミソに叩かれるほどのことではない(そして現実には誰も叩いていない)
・個人的には「いつもヤバイたまにダサいそん時はそん時でごめんなさいby呂布カルマ」の精神でありたい。
ツイッターを見ていたらTLに『中年童貞』という漫画の数ページが流れてきた。
買って読んだわけじゃないから詳しい内容はわからないけど、テンプレ的な「ネトウヨ」像をテーマにしたエピソードがあるらしい。
なるほど世界的に見れば孤立した中年はナショナリズムに走りやすいという傾向はある。
だが単純にそれが日本に当てはまるわけでもなく、これを見て自分は違和感しかない。その違和感について書いていきたい。
この話をするうえで、「中年」と「ネトウヨ」の概念が重要だが、ルポ漫画という割にはその点が雑なように見える。
1つ1つ追っていきたい。
「中年」についての明確な定義はないが、ウィキペディアによれば、NHK放送文化研究所のアンケートでは40歳から、内閣府が中高年層を対象にした調査では40歳以上を対象していたことから、世間一般では40歳からという認識があると考えられる。
一方でこの漫画では、「30歳を超えて性交未経験の『中年童貞』」と言っているように、30歳以上が中年の定義のようだ。世間一般のイメージからすると若干若い。
たった10歳差で誤差みたいなもの、と思うかもしれないが、この後の話をするうえでこの10歳差は大きい。
ネトウヨの定義も明確でなく、「ネット上で活動する保守思想・右翼思想の者」くらいの定義から、人格否定めいた要素までくわえられた定義もあるが、多くの人がイメージするうえで下の2つの要素があるのではないだろうか。
しかし、実際に話を聞いていると、こと2つを兼ね備えた人というのは意外に少ない。
わかりやすい例が、「習近平国賓問題」で、排外主義ネトウヨは「国賓なんてありえない!粗末に扱え!」と主張する。一方で安倍支持ネトウヨは「10年国賓扱いしてこなかった元首や要人は国賓扱いするのが慣例だ」と擁護する。
コロナ対策にしても前者は「さっさと中国人を入国拒否すればよかったんだ」と批判し、後者は「根拠のない入国拒否はできない」と主張する。
(どちらが正しいかとかはここで話す話題じゃないのでスルーします。)
このように前者は安倍総理を盲目的に支持しているわけではなくむしろ批判的であり、後者はルールを曲げてまでの排外主義をしようとしない安倍総理を擁護すれば必然的に強硬な排外的な主張は取れない。
なぜこのような違いが生まれるかといえば、「年齢」だ。
ネトウヨの存在と切っても切り離せない2ちゃんねるの全盛期がいつであるかというのは、それだけでいくらでも語れる話題だろうが、ここはひとまず「ドラマ版電車男」が放映された2005年としよう。(実際はもうちょっと後だと思うが。)
この2005年時点で30歳だった人が現在の45歳、20歳だった人が現在の35歳だ。つまり前者は完全に中年の域に入った世代で、後者は一般的な中年のイメージからすると若干若い(若干だけどね!)。
前者がどういう世代かといえば、いわゆる就職氷河期世代で、就職もうまくいかない、経済的に安定しないから結婚も難しい。
そういう時に出会った(出会ってしまった)のが2ちゃんねるとネトウヨ思想というわけだ。
そういう状況に置かれると、自己の存在価値を高めるためにナショナリズムに走りやすいというのは日本だけでなく世界共通の傾向だ。
ただし自民党を支持しているかといわれると必ずしもそうではない。
自分たちが就職できなかったのは90年代の自民党政権が見捨てられたからだ、と認識しているからだ。
GOTOによってコロナが広まることを心配してるのかと思いきや、「就職氷河期世代を見捨てたのに、なんで観光は救うのか」だそうだ。
こういうタイプは排外主義ネトウヨに染まりやすい。結果として桜井誠や一周して山本太郎、もしくは共産党あたりを支持する。
実際にこの2人もこの世代を取り込む戦略をとってるように見えるし、この前の都知事選でも他の世代よりこの2者への投票率が高いのがこの世代の特徴だ。
良くも悪くも社会に対する不満が思想を先鋭化させているだけで、右に転ぶか左に転ぶかは結果論でしかない。
後者はどういう世代だったかといえば、学生時代に2ちゃん、ネトウヨ思想に出会った人間ということになる。
そこまで追い詰められた状態でもないから、そこまで思想と自己の尊厳が直結していない。
就職も第一次安倍政権の2006年ごろは景気も安定しており、前者に比べれば基本的に余裕があった。
これがずっと楽勝なら勘違いしてしまうかもしれないが、リーマンショック・民主党政権時代は厳しかった。
「あの優秀な○○先輩が内定1つもないの?!」という時代もあった。
しかし、第2次安倍政権で就職状況も改善した。○○先輩も「手遅れ」になる前にちゃんとした会社に就職できた。
だからこの世代は安倍総理に対して好感を持っている人が多くて、不当に安倍総理が叩かれていると感じたらむしろ過剰な擁護になりやすい傾向がある。
よって、排外主義ネトウヨになりやすいのか、安倍総理支持ネトウヨになりやすいのかは世代、就職のタイミングによる違いが大きい。
流れてきた画像を見る限り、モデルになってる「中年」はかなり先鋭化したネトウヨに見える。排外主義的ネトウヨだろう。
ただネトウヨだからこうなった、というよりはたまたまそっち側に転んだだけで、逆方向に発露していれば強烈な反政府活動をしている人もいる。
そしてそこまで就職に苦労していない下の年代のネトウヨもいる。
絵師の絵柄も2010年には完璧に追いつかれて、みんな好きなように描いている。
ここで、「萌え絵が盗まれた。文化の盗用だ」という意見が主流にならなかったことは幸運だった。
ポリコレの一環として文化の盗用論を出されると、その文化が衰退する。
萌え絵がもし「日本人以外描くな。萌え絵を生産・消費してよいのは日本人だけだ」と言われたら、中華系の絵師さんとも、韓国系の絵師さんとも、台湾系の絵師さんとも、米国の絵師さんとも交流できないし、コミケに来る同好の士や外国人の友人絵師さんも「こいつらは差別してる」と追い出さねばならなかった。
文化交流の際、文化の盗用というのはただの差別や排外主義のツールでしかない。
マイノリティの権利を守るためとは一切機能せず、排外的に文化を腐らせる効果しか今のところない。
博物館の中でしか存在を許されなかったり、マイノリティだけが使うことを許されるような文化は、一気に衰退する。
和服も「海外に販路を作り多くの外国人に着て生き残り戦略を立てていた」が、文化の盗用論でその生存が阻害されている。
萌え絵も「描いていいのは日本人だけ」となったら、途端に進歩は止まると思っている。
それほどに中国、韓国、台湾、米国の絵師のレベルは高く、相手の開発した技術や絵柄に刺激を受け合って、ここ数年での進歩はすさまじいものがある。
日本人だけの物として「萌え絵イラスト」をやっていたら、ネット絵師や作家の技術は恐らく途中で止まっていたと思っている。
だからもう使うべきではない。
あれはリベラルが、文化をコレクションして博物館に入れるだけで、実際には博物館でしか生きられない文化にしてしまう極めて危険な概念だ。
結局のところ、マジョリティの文化に戦いを挑まなければ、世界と接続できず、博物館のなかで保護されるだけの存在として朽ちていくのだ。
それは保護しているように見えて、実際には安楽死させているようなものだ。
文化の盗用とは、白人文化以外の文化を全て博物館の展示にしてしまう。
だから、オタク文化は文化の盗用論で擁護されても蹴っ飛ばさないとまずい。
排外主義が蔓延する現在、“純“日本人に対して「おまえらが移民や難民になったらどうするんだ?」と問いかける以外の目的で2020年に「日本沈没」を語り直す意味ってある?
これなんのために作ったの?
助けを求めて日本にやってきた人たちに入管でやってるようなことを日本人もされるんだよ、こういう状況になったら
何ロシアですんなり受け入れられて普通に豊かな暮らしを享受してるねん
主人公姉弟はいわゆるハーフだけど、これ絶対ストーリー変えて主人公も”純”日本人にした方がよかったよ。ネトウヨという設定だったらもっとよかったと言いたいとこだけど、一般的な日本人は大体ほんのり差別的で排外的だから別にどっちでもいいかもね
主人公姉弟がハーフであることに作劇上の必然性はあったのかな?
私もハーフなのでフィクションの中にハーフのキャラが出てくるとすごく嬉しいんだよね、ハーフであることに必然性がないともっと嬉しい、でもこれに関してはなんか警戒しちゃった
ラップバトルの中で吐露される姉弟の気持ちがいかにも”純”日本人が考えましたって感じで
あと最終話に出てきた在りし日の「日本」の風景アーカイブ、製作陣の「日本」に対するイメージが貧しすぎて絶望しちゃった
取ってつけたような金閣寺、取ってつけたような厳島神社、取ってつけたようなメイド
国語力なくてごめん…
「フェミやポリコレに狂ったネット女闘士や攻撃的で病質的な意識高い系の人たちや排外主義とか」について語ってるの?それともそれを叩いてる人たちのことを言ってるの?
そういう人たちが自らの生い立ちを書くことが多いこのはてなをいろいろ見て思ったんだけど、ネットで明らかに異常な思想に陥ってる増田やネット民たちって
温室育ちのまま、いきなり社会に放り出されて自己実現に失敗した人達が多いんだよな、なまじ単なる弱者じゃない場合が多い。
だから自分たちも、中には非定型の人間たちさえいるのに、そいつらは自らを弱者と規定してるのに他の弱者や底辺や、発達障害者たちを自己責任だとかマウントで病的なまでの攻撃性を発揮し始める。
よっぽどリアルで鬱屈や鬱憤溜まってんだろうなって思う、普通に考えて20代や30代で年収500万円も稼げるならそれってもう凄いじゃない、彼女や彼氏いなくてもいつかいい人できそうじゃない、そんな身を焦がすような大恋愛とか、周りがうらやむようなパワーカップルとかって、ならなくてもいいじゃない。幸せの形なんか人それぞれなのに。
でも、そういう人たちは、自分がヒーローやヒロインでなければいけないっていう、病的な強迫観念に近く、そんな人間存在しうるわけがないくらい意識を高みに向けて非現実な目標がかなえられなくて狂気に陥ってるような場合が多いんだよね。
そういう増田がネットに向けて他者に向ける怨念や憎悪っていうのは「自分たちを救ってくれ!」っていう悲痛な叫びなじゃないだろうか、なまじ周りの悪影響はおいといても、金稼ぐ能力自体はあるが、私生活では福祉では救うには漏れてしまう、そういう増田みたいな健常者とギリギリの精神障害者って、どう社会が救えばいいんだろうか?
右翼は、右翼を批判している人たちのことを『政権批判する反日は、中国と韓国、北朝鮮の手先。自衛隊を憎み、米軍を撤退させようとしている』と思っている
左翼は、左翼を批判している人たちのことを『アベを支持する国粋主義者で全体主義者。中国と韓国を排除したがっていて、戦中のような政治体制にしたっている』
だけどそりゃ端っこの方で、
『中国政府の覇権主義に警戒感を持ち、香港の民主化を支持し、日本でも民主主義を存続させたい。だが安倍内閣の方針は全体主義感が強く支持はできない。』
『国粋主義でも全体主義でもなく、法の支配の下に自衛隊を自衛軍にし、独立独歩で軍事と外交できる自律した日本を望むが、排外主義にはノー。地域的にも中韓とは距離を持ちつつ付き合っていく。だから一部安倍政権には支持ができる』といったレイシストとは離れたタカ派みたいなのもいると思う
原発の話は置いといて
経済問題に関してはどう考えてもリベラルよりはキクマコ先生に分がある
今後、日本経済の低迷とともに排外主義の台頭→好戦気分の盛り上がりから軍拡と第三次世界大戦のリスクは間違いなく上がるんだよな
これは第二次世界大戦やサッチャー政権下のイギリスなど歴史的教訓から明らかなんだが、
日本のリベラル勢力ってなぜかこの経済問題に関する回路が異常に弱く、気づいてない。
もともと金持ちお坊ちゃんお嬢ちゃんの趣味みたいなところがあるからだろうな
進歩的リベラルの倫理観とか、クソの役にも立たず、排外主義、国粋主義、右翼思想が広がっていくのを止められない。
そういう社会を見ることになると思うよ。
COVID-19の疫病は特異な歴史的コンテクストに現れました。まず、グローバル資本主義と自由民主主義の折り合いをつけるには他に解決策(ソリューション)がないと30年間も信じてきた後で、人類は自らに課した昏睡状態からしだいに目覚めつつあります。状況が改善するかもしれないが、急激に悪化するかもしれないという考えにもはや誰も驚きません。
他方で、これまでの4年間、ブレグジット、トランプの大統領当選、ジェレミー・コービンの登場と失脚――じきにバーニー・サンダースも同じ運命をたどることになりました――といった出来事から、グローバル資本主義がかなりしぶといものだということが見えてきました。世界主義から排外主義へ、ネオリベラリズムから社会民主主義へ、イデオロギーがたんに変わるだけでは、社会的・経済的な諸関係は変わりませんでした。資本主義の完全な作り直しという課題に直面して、かつてはあれほどラディカルに見えたイデオロギーが無力で陳腐なものであることが明らかになりました。
現在の健康上の緊急事態をどう考えるべきでしょうか。COVID-19の引き起こした危機が世界を変えて開放する可能性に希望を抱く人は、すぐに失望することになるかもしれません。私たちの期待が過剰だというのではありません。ユニバーサルベーシックインカムやグリーンニューディール政策は妥当だし、まさに必要なものです。ですが、私たちは現行のシステムのしぶとさを過小評価し、また同時に、思想が堅固な技術的・経済的インフラなしで世界を変える能力を過大評価しています。そうしたインフラがあってはじめて思想を作動させることができるのに。
「ネオリベラリズム」のドグマは諸悪の根源とみなされることが多いですが、このドグマであらゆることの説明がつくわけではありません。知的には「ネオリベラリズム」には似ているものの、これとはまた別の悪について、10年ほど前から私は指摘しています。それは「ソリューション主義」といいます。
このイデオロギーは、ポスト・イデオロギー的であることを標榜しており、グローバル資本主義が生み出す問題や矛盾を解決しながらこれを動かし続けるために、いわゆる「実践的」な、個別の対応策をまとめたものを勧めます。そして驚くべきことに、こうした対応策には美味しい利益がついてくるのです。
ソリューション主義のもっとも有害な帰結は、スタートアップではなく私たちの政府がもたらします。ソリューション主義国家とは、その前の時代の監視国家が人間的になりつつもより巧妙化したもので、二重の使命を帯びています。イノベーションを引き起こす人々(デベロッパー、ハッカー、起業家)は御しがたい存在ですが、これらの人々がその能力と既存のリソースを〔現在のグローバル資本主義とは異なる〕他の社会組織を作る実験に用いないよう、ソリューション国家は気をつけていなくてはなりません。AIやクラウドコンピューティングの恩恵を十全に受けたいのなら、資金的に余裕のあるスタートアップを作らなくてはいけないようになっているのは、偶然ではありません。逆にそれは意図的な政治的努力の結果なのです。
その帰結。非商業的なしかたで社会を編成する制度を生み出す可能性があり、既存の体制を転覆するおそれのある試みは、頓挫する。そういったものは胚子の段階で殺されます。そういうわけで、ウィキペディアの流れをくむ団体はもう20年以上現れていません。とにかくデータが欲しい多国籍企業が世界を完全にデジタル化してゆく時代に、国家は自分の分け前を手に入れようと目論んでいます。監視が完全に行き渡ったことに加えて、企業が世界をデジタル化してきたことで、諸国の政府は市場を利するかたちでソリューション主義的な数々の介入を進めることができるようになりました。
ナッジ (nudge)の技術はソリューション主義の完全な実践例です。ナッジのおかげで、問題の原因は変えないまま、取り組みやすい作業の方に集中することができる。それは、個人の行動を不可変の現実(それいかに残酷な現実であっても)に「合わせる」という作業です。
ソリューション主義者のみなさん! COVID-19はソリューション主義国家にとって、9/11のテロが監視国家にとって持っていたのと同じ意味を持っています。しかし、ソリューション主義が民主主義的な政治文化に対して示す脅威は、〔監視国家よりも〕陰険とはいわないまでも、より微妙なものです。
COVID-19の危機にさいして中国、韓国、シンガポールがとった独裁主義的な戦略は評価されました。3国ともに、市民が何をしてよいか、してはいけないか決めるために、アプリ、ドローンやセンサーの展開をトップダウンで決定しました。西洋で民主主義的な資本主義の擁護者を標榜する人たちは予想通り、すぐさまこれらの国を批判しました。
エリートの臆見をもっとも雄弁にうたう詩人たるユヴァル・ノア・ハラリがファイナンシャル・タイムズのコラムで表明した代替案は、シリコンバレーのプロパガンダマニュアルからそのまま出てきたようなもので、知識によって市民を自律的にしよう! というものでした。
人道主義的なソリューション主義者はみんなに手を洗ってほしいと思っています。それがみんなにとって、社会にとってよいことだと知っているからです。中国政府が暖房や電気を切るぞと脅したように、みんなを力ずくで束縛するよりは、そのほうがよいと思っているのです。このような言説は、政治のアプリ化〔アプリで市民を監視し行動を制限する方向性〕にたどりつくだけです。手洗いの奨励をめざして作ったアプリがその人道的な見地によって報酬を受けたとしても、そうなるのです。
認知行動的な介入によって市民を自律的にしようというハラリの呼びかけは結局のところ、キャス・サンスティーンやリチャード・セイラーに代表されるようなナッジの擁護者が推奨するステップとたいして変わりません。こうして、過去数百年で最大の健康上の危機への政治的な対応は、石鹸や手洗い槽の自販機というかたちで「実践的な」言説に還元されてしまいます。これはサンスティーンとセイラーが〔共著の『ナッジ』で事例として紹介しているアムステルダム〕空港の小便器の形をめぐる思考〔小便器の底に蠅の絵を印刷するというナッジにより、男性利用者がトイレの床を小便で汚す率が大幅に減るというもの〕の系統にある発想です。
ソリューション主義者の想像の中では、あらゆる中間団体や制度は、歴史と同様、政治のシーンからほぼ消えてしまったので、他にできることはあまりないのです。ハラリやサンスティーンのような人たちにとっては、世界は本質的に、消費者としての市民、企業、政府で成り立っています。労働組合、アソシエーション、社会運動、そして感情と連帯で結びつけられたあらゆる共同的制度のことをこの人たちは忘れているのです。
「知識による自律化」というお題目は古典的なリベラリズムの根底にあるものですが、今日ではひとつのことを示しているだけです。もっとソリューション主義を、ということです。だから諸国の政府は、去年私が「生存のための技術」(survival tech)と名付けたもの(つまりスペクタクル(見せ物)としての資本主義が、その主要な問題を緩和しつつ続くようにするデジタル技術の総称)に大金を投資するものと予期しておかねばなりません。そうやってソリューション主義国家は自分が「中国の道」は採らないことを標榜しつつ、自己の正当性を強化することになります。
この危機から脱するためには「ポスト・ネオリベラリズム」の政治が必要なだけでなく、とくに「ポスト・ソリューション主義」の政治が必要です。まず、スタートアップか、中央集権的な計画経済か、といった人為的な二項対立はもうやめてもいいでしょう。この考え方は、私たちが今日、イノベーションや社会的な協力を考える仕方を規定しています。
新しい政治的議論の中心となる問題は、「社会民主主義とネオリベラリズムのどちらの勢力が市場で競合する力を制御できるか?」ではなく、「社会的な協力と連帯の新しいかたちを追求するうえで、デジタル技術がもたらす巨大な機会をどの勢力が活かすことができるか?」でしょう。
「ソリューション主義」とはだいたいのところ、「他に選択肢はない」(There is no alternative)というマーガレット・サッチャーの有名なスローガンを応用したものにすぎません。このようなロジックは残酷で実践できるものではないことを、左翼の思想家は過去40年間にわたって明らかにしてきました。とはいえ、〔このサッチャー的なロジックが〕破綻していても、政治的な権力を持つようになるうえで支障はなかったのです。結果的に、私たちの暮らす技術的な世界は、市場が支配する世界秩序を逸脱するような試みはぜったいに制度化されることがないようにできています。私たちの議論の輪郭〔つまり議論の組み立て方〕そのものが、そのような〔逸脱の〕可能性を排除してしまっています。
COVID-19への技術的な対応策を考えるさいに直面する困難は、ポスト・ソリューション主義的な政治の方向性が私たちにどれほど必要か示しています。イタリアのような国では――私はローマで外出制限の3週間目に入るところです――提案されるソリューションは酷いほどに野心を欠いたものです。私生活と公衆衛生のあいだで妥協点をめぐって議論が繰り返されており、さらには、これはハラリが示した方向性に従うことですが(「反抗または生存」を参照)、「生存のための技術」を使ってスタートアップがイノベーションを引き起こしやすいようにしなくてはいけないという議論になっています。
他の選択肢はどこに行ったのかという疑問が浮かぶのはもっともなことです。なぜ公衆衛生のために私生活を犠牲にしなくてはならないのでしょうか。テクノロジー企業や通信事業者が作った現在のデジタルインフラが、それを提供する会社のビジネスモデルにかなった利益をもたらすようにできているからなのでしょうか。
現在のデジタルインフラは、私たちを個別に消費者として識別し、ターゲティングを行うようにできています。集団の行動についてマクロなレベルで匿名の情報を提供するようなインフラを実装する努力があまりされてきませんでした。なぜでしょうか。そのような〔匿名のデータ〕分析をする必要について検討した政治的プロジェクトがなかったからです。非商業的なしかたで社会を編成する形態の中でも、とりわけ〔社会主義的な意味での大規模な〕計画はネオリベラリズムが用いる手法ではなかったからです。社会民主主義を信奉する人たちのなかでも、そのような手法を用いるべきだと主張する人はいませんでした。
現在のデジタルインフラは残念ながら個人が消費活動をするためのインフラであり、相互扶助や連帯のためのインフラではありません。デジタルプラットフォームと同様、現在のデジタルインフラは、アクティヴィズム、人の動員や協力といったさまざまな目的に使うことはできますが、そのような使い方は、たとえそう見えていなくても、高くつくことになります。
ネオリベラリズム的でもなくソリューション主義的でもない社会秩序の基盤としては、これはじつに脆いです(さらにこうした基盤には、消費者、スタートアップ、起業家とは違う働きをする人が必ずいなくてはなりません)。アマゾン、フェイスブック、あるいはあなたがお住まいの国の通信事業者が提供するデジタル基盤のうえにこの新しい秩序を建てる誘惑にもかられますが、そうしてもろくなことにならないでしょう。それは良くてソリューション主義者が跋扈する新しいフィールドになるか、悪くすれば、監視と抑圧に基づく全体主義的で押し付けがましい社会となるでしょう。
この危機的事態を権威主義的な体制よりも民主主義がうまく収拾できると熱く説く声が、左翼方面からさかんに聞こえてきます。このような呼びかけは無意味なものに終わる可能性があります。現在の民主主義は民主主義的でない私的な権力の行使にとても依存しているので、名ばかりの民主主義になっているからです。これぞ「民主主義」と考えるものをほめたたえることで、潰れかかっているスタートアップの見えない持ち分を意図せずほめたたえたり、スタートアップほどには無害でなくソリューション主義国家を構成するテクノクラートの持ち分をほめたたえたりすることになります。
もしこの生ぬるい民主主義がCOVID-19を生き延びることができるのなら、私企業の権力から完全に自由になるためにポスト・ソリューション主義の道をまず選ばなくてはならないでしょう。そうしなければ権威主義的な体勢への道へまた踏み出すことになります。それは「民主主義的価値」、「規制の機序」、「人権」について、以前にもまして偽善的なエリートの支配を許す道です。
Covid-19, le solutionnisme n’est pas la solution
*ナッジとは、「行動経済学や行動科学分野において、人々が強制によってではなく自発的に望ましい行動を選択するよう促す仕掛けや手法を示す用語」(株式会社日立総合計画研究所)