はてなキーワード: 経済面とは
私は今の日本が嫌いだ。リーマンショック以前はアメリカよりも大嫌いだった。しかしそれでも世界3番目の大国。この国がしっかりしなければ、先進国の足並みをそろえて衰退への道に歯止めを掛けることはできない。そこで、私なりの「日本再生プラン」を考えてみた。
まず必要なことは資本至上主義発想の解体だ。良く言われているように、今の日本の諸問題は資本主義の暴走にあって、それに歯止めをかけるものがない。これは良く言えば一時期のアメリカに匹敵する経済構造を支えていた。
しかし今の日本では、資本主義が国家の味方というわけではない。むしろ弊害が増えていて、公務員でも資本主義を嫌悪する人も多い。そんな彼らからすれば「資本主義カースト上位」もモンスター思想家と同じくらい嫌悪すべき存在で、結果的に資本主義を活かしたプランが嫌われる傾向がある。
かつて大きな資本主義が必要だったのは日本の社会そのものが未熟だったからでもあるが、今の日本社会は成熟している。要するに社会主義的な考え方が導入・実践されており、たとえば高度な社会保障が持続化できるようになっている。
欧米各国で広まっている社会主義運動の流れを艦みて、日本はこの際、もう資本主義の拡張を諦めるべきではないか。勇気ある行動で示してほしい。資本主義社会も社畜思想もどうみても同じ側の存在であることは明白だ。旧来型の資本主義思想ときっぱり決別し、社会主義との共生への道を示すことを鮮明にすれば、国民は「日本は変わったな」と評価するはずだ。
日本国民はまとまりがなく「烏合の衆」とされていた。もともとが学生運動崩壊後にノンポリがごった煮になった国民なので、内心極左だった人もいれば極右もいる。その節操なさが日本国民の強みとも言われていたこともある。
ところが実際には、平成のポスト好景気になった時に、これがネックになった。景気回復問題、そして国民の荒れなど、是非が左右できっぱり分かれるテーマに直面した時に、はっきりと決断できなかった。妥協すれば国民は失望するし、一方をとればもう一方を失う。派閥抗争も激化した。
日本は当初、第二次世界大戦敗戦の際にアメリカなどの西側諸国と同盟を組んでいたが、韓国が反発し、戦前問題ではアメリカ人も躊躇するような過激思想が台頭し、2000年代の対中接近路線で一気に友好関係が破綻した。そうしたら、西側諸国との協調関係は崩壊したのである。
なので日本国民が烏合の衆である必要性はない。現状では、なんだかんだで一致団結すべき困難が続いているので、ネトウヨや新自由主義エリートたちが敵ということがわかりきっているのなら、日本国民がすべきは内部にある彼らを忖度することではなく、むしろ追放することではないか。
村田蓮舫がかつて述べた「私は多様性の象徴」という言葉にあるように。多様性こそが今の日本社会に必要なことなのである。日本社会の敵が右翼カラーの全体主義に陥る中、日本国民が示すべきは寛容な多様性主義である。そのために、まず右派なんか追い出したほうがいい。
日本社会のもとに集まるべきは、新自由主義エリートでも右派思想でもない人であり、インテリであり、社会主義になびく人ではないか。烏合の衆を脱し、多様性の国民に生まれ変わることも、日本の再起のために必要なことである。在特会みたいな小物右派をさっさと追放しろ。
かつて日本は藩閥社会(江戸時代のエリートの末裔)、帝国主義(天皇制シンパ)という大きな権威を抱える国家で彼らの末裔が総理大臣になったりした。現在も「日本2677年の歴史」であることから現状も帝国主義であると思い込んでいる人が多いが、それは間違いだと思う。日本の現状はどちらかといえばポスト帝国主義国家、つまりそれをブランドにしているに過ぎないのだ。
実際、本当の安倍政権の最大の支持者である藩閥主義者、帝国主義者は東京への搾取で裏切られ、選挙で左翼系が彼らを乗っ取る光景ももう当たり前だ。地方創生や天皇制問題を見ても、美しい伝統を民意を圧殺してぶち壊しているようにしか見えない。形は残っても中身は残っていない。
藩閥主義者や帝国主義者は安倍政権を支持しないが、高齢者なら左翼、若者は極左で大衆なら中道となると、残るは中道でも左翼でもない「右翼」というポジションである。経済面では、エコカーやコンパクトカーや安い車を作っても日本人の車離れは改善せず、公共交通の混雑は市場競争の弊害でむしろ激化するが、政治はちっとも進歩しないのだ。
そこで日本社会がすべきことは、安倍政権が見限った藩閥主義者、帝国主義者の受け皿になりつつ、歴代政権が放置し続けている諸問題(たとえば都市問題や経済問題など)に取り組むことである。ついでに共和制移行も検討してしまえばいい。なぜこれができないのか、不思議でならないよ。
今の持つ層と昔の持つ層と持たない層できっぱり考えが割れる傾向はアメリカを筆頭に共和制の先進国では当たり前になっているが、日本の場合はアメリカのような進んだ政治もなければ果てしなく富裕層を排出するような最高クラスの経済もない。「量産型化」したロボット国民の存在があまりに多いので、現役勝ち組と元勝ち組と負け組で割れない。
これら私の掲げる方向転換を日本国民が実施してくれる可能性はたぶんないだろう。だが、それくらい思い切った変化がなければいけない。あれほど圧倒的な勢いで経済成長できた日本が、わずか四半世紀で好景気終了後に凋落がとまらないのは、国家が現状維持以外の何もできずにいることに国民が失望しているからだ。
自己中
私は小中高校生時代にいじめにあい, 人格否定をされ続ける日々だった.
空気のような存在になっていても, 「なぜ学校に来るのか」「なぜ生きているのか」と四六時中囁かれ続けた.
家では, 両親は多忙で, 仕事から返ってくるなり, 「お前みたいなやつは, 社会に出てから通用しないよ.」と叱責されていた.
どんなに頑張っても認めてもらえない.
私の存在意義とはなんなのか, 幼少ながら悩んでいたが, 自殺する勇気もなく, 今思えば不思議な事に, 登校だけは出来ていた.
一人の時間は好きだったので勉強には没頭した. そして勉強をしていれば, 両親だけは私を認めてくれていた.
その後, 大学に進学した.
理由は勿論, 両親・親戚に認めてもらいたかったからであり, 大学の専門分野には特に興味はなかった.
しかし, 口だけは動いていて, 「この分野が好きだから(全くの嘘)」「この学科は有名企業への内定実績があるから」と話して褒められている時間が幸せだった.
大学の友人関係においても, 常に気に入られるように. 自分を押し殺し. 自分の経済面, 疲労面など考えず, ひたすらに他者に尽くすことだけ考えていた.
しかし, 時がたつにつれ, 尽くしているだけでは認めてもらえなくなった.
さらに, いくら認めてもらえるように無理をしても, 認めてもらえるどころか, 便利な人としてテキトウに扱われることもあった.
他者からの期待に答えられなくなったとき, 再び私の存在意義はなくなった.
気がつけば, 私自身は何も意見を持たず, 勉強はしたが自信を持ってアウトプットも出来ず. 本当に何もない空気のような大人になっていた.
こんな人いるのか. と思われるかもしれないが, 会話の返答が全て, まず相手によく思ってもらえる言葉を考え, 自分の意志や現状関係なく最善だと思われる適当な回答をしてしまうのである.
だから私は, 最初に述べたような, 自分の意志を優先し, 自分の幸福を追求できるような, 自律した人間になりたいと思う.
https://anond.hatelabo.jp/20170722215329
この人の懐事情が良くないのは自身も奥様も浪費家だからだとおもう
ブログでは奥様が重度の浪費家と出ていたけど
奥様はもともとそんな浪費家ではない、少なくとも20代前半のころはそんな印象だったけど子どもを作るのを断られ夜の生活がなくなった空白を浪費行動で埋めた、という線が濃厚だと思う
お金はあると思ってガンガン使って足りなくなったを繰り返してブラックリスト入り
ブログのメルカリの話からも直也氏自身もたいして着ていないブランド服類をかなり持ってるようだったし、
夫婦そろって浪費傾向ではある まあ似たもの夫婦なのか、影響しあってそうなったのか、どっちが先かわからないけど
不倫に走る前に夫婦でカウンセリングなど受けたほうがよかったんだろうな
問題に向き合おうともしない直也氏の技術顧問としての働きぶりっていうのはなんなんだろ
経済面でも精神面(甘えまくりという意味で)でも、20歳くらい年下のかほ里さんにおんぶにだっこですごい
そもそもこういう立場の人は、素人にそういうことをしてもらうのではなく、プロに毎月いくらって契約してやるもんだよな
分不相応なことをやってきたしっぺ返しがきた
彼とは二年ほどご無沙汰だったのだが, これが非常にできる後輩で, 名ばかり先輩の私は, 学生時代常にケツに火がついた心持ちだった. 緊張感と競争心を掻き立ててくれた彼には頭が上がらない.
そんな優秀な彼が学生結婚ということで, もちろん私は全力で祝福しているのだが, 彼の心中はどうにも全てが順風満帆というわけではないらしい.
それは, 遠い親戚や私の同窓達の面々のなかで, 一部批判的, 風当たりが強い人がいるというものが原因らしい.
私は正直驚いた. 今まではとても良好な関係を築いてきた(私もその同窓たちとは面識がある)はずなのに, 学生結婚したらいきなり態度が豹変, 批判的になることなどあるのだろうか. なぜだろうか. と.
私は(ちょっと悲しいことに)学生結婚という話題に全く縁がなく, ワードを聞いたことがある程度だったので, お節介だとは思うが少しネットで情報収集をすることにした.
すると出るわ出るわ. 学生結婚を認めない大人たちの厳しい意見が
反対意見の中でも, はやまるなというアドバイスから, 本人たちの人格否定, 具体的な貯金額の条件まで. 私の調べ方がまずかったのか, ネットでは反対意見が多数派のようだ.
後輩は大学院に在学中だが, 嫁さんの方は独立しているし, もちろん所謂できちゃった結婚ではない.
結婚を期に, 後輩本人の研究・就職へのモチベーションも高まっているそうだ.
う~ん. 特に私には絶対にやめておけとまで言う材料は見当たらない.
むしろ子供が出来たとしても, 両親の支援を受けながらだとしても, 本人たち(両親含め)が同意し, 支え合って努力しようと思っているのであれば特に問題はないのではないかとすら思えた.
そうやって幸せになっている事例をいくつか知っているし, 高卒の同窓たちは, 金がない自由がないといいつつ, 子どもたちとの笑顔いっぱいの写真を送りつけてくる.
という批判的な同窓たちの考えについて小一時間頭を悩ませた結果行き着いた私の答えは
だった. という話
35歳の節目、私は家を建てた。
会社のマドンナだった女性を妻にして、子宝にも恵まれ、平凡だが充実した毎日を送っていた。
自然な流れで、更なる幸せの象徴、そして家族の夢である「マイホーム」を手に入れようとした。しかし、この時悲劇がおきた。
まさか、東証一部上場企業勤務の私が「住宅ローン」でこんな絶望に追い込まれることになるとは。。。
過去、あなた個人に自分では見過ごすほどの小さなミスがあれば、いくらいい会社に勤めていても住宅ローンに通らない可能性がかなりある。
住宅ローンなんて実際に借りようと思わなければ、その業界にいない限り詳しくは知らないものだ。
家族や友人は、住宅の申込みをした時点で既に家は手に入ったと思っている。
私は本当に運良く、一度は落ちた住宅ローンを他行から借りることができ、今ではマイホームを手に入れ、以前より充実した生活を送ることができている。
「こうすれば落ちることはなかったのに」と
後悔していることをあなたに伝えたいと思い、
この体験談を書いてみようと思った。
興味があったら読んでみてください。
自分で言うのも何だが私は平凡だ。見た目も普通。特に華やかな青春時代もなく 地方の公立から、そこそこの大学を出て、運良くまあまあ大手企業と呼ばれる会社に滑りこむことができた。
クラスにいるあまり目立たないやつというのが、他人が抱く私への印象だろう。
平凡だと思っていた私の人生にとって最もインパクトがあったのが、妻との出会いだ。社内のマドンナであった妻はなぜか私の素朴さを気に入ったようで、 数回デートを重ね付き合うようになった。会社中に驚きが走ったのを今でも覚えている。
1年程付き合った頃、妻の妊娠が発覚し、自然な流れで結婚に至った。
自分にはもったいないくらいの女性と結婚ができた私は、家族のために生きることこそが私の人生だと。強い決意をもち仕事にも精が出た。
子供が出来た時点で28歳、まだまだ給与も低く、妻は専業主婦を望んだため、生活はなかなか厳しく、日々の生活で手一杯という感じだった。だが決して楽ではないが幸せを積み重ねている実感はあった。
結婚から6年程たったころだ。 子供が来年から小学校に上がるタイミングで妻から
「そろそろマイホームを考えてみるっていうのはどう?」
という提案があった。
正直貯金も十分に用意できていない状況だ。今までは憧れはあったが具体的に考えたこともなかった。
マイホームなんて。。。と思ったが、よくよく考えてみると会社の同期達はもうすでにマイホームを持っているものも多い。
私は彼らと比べても、仕事の成績は悪くはなかったし、特に給与に違いがあるわけではない。なぜだろうと思い、同期の一人に聞いてみると、 うちの会社の信用が大きいので、住宅ローンが降りやすく誰でも結構簡単に家が建てられるとのこと。
妻、そして家族の夢であるマイホームが一気に現実を帯び、急激にそれを手に入れたくなったのを覚えている。
持ち家を考えた時は建売、中古住宅、若しくはマンション全てを選択肢には入れていた。
とは言え、私が住んでいた場所は駅近くで全体的に値段が高く、なかなかよい物件は見つからない。
私は、場所を変えて広い場所で広い家もありだなと思っていた。過去に同僚が家を新築で立てたばかりのタイミングで、家に行ったことがあったのだが、 郊外だが非常に広く、とても魅力的に私は感じた記憶があったからだ。
しかし、そこに反対をしたのは妻と子供。子供にとって転校というのはかなり抵抗があるらしく、妻にも猛反対されてしまった。
結局、現状と同一学区希望、大きな場所の移動はなしという制約条件の中、私の家探しは始まった。
家を建てようと思い切って決断はしたものの、まず何をしていいかわからない。
「俺って家に関して何も知らないのに、こんなに意気込んでいたのか・・・・」
私は自分のあまりの無知ぶりに驚き、恥ずかしさがこみ上げてきた。同僚に何から何まで聞くのも忍びないので、まずネットから情報収集を始めた。先程の通り、場所は現状からさほど変えられないため、近隣で値段を軸にリサーチをした。
まずは値段が安い中古物件から開始。予算内で良さそうな中古物件いくつかがあった。早速、仲介業者に数社にアポイントを取る。最初の数社はだいたい建売かマンションを紹介したが、どこも予算がオーバー。
加えて頭金0を希望すると「それはさすがに難しいです」と一刀両断。中には鼻で笑うような会社もあった。3社目に出会ったA社さんは非常に誠実かつ親切な対応で安心感があった。
ところが、A社は一通り私の現状と希望を伺った後、注文住宅を提案してきた。
建売やマンションですらキツイのに注文住宅なんてとんでもない…と思っていた私は既に注文住宅をなんとなく選択肢からは外していた。
と思い始めてきた。
中古、建売、マンションの欠点を考えず目先の金額だけを追っていた私は
・建売はほとんどが建てられた後に購入なので、中身が見られない。よって購入後、不満が出ることが多い
・マンションは、自分固有の土地が持てず、何かあった時に何も残らない。
・また、マンションだと部屋の購入以外にも、毎月に修繕費などの積立等があり、割高感はある。
・中古住宅も同じ理由で中身がわからないし、安く買えても結局リフォームをするケースが多く、結局かなり高い。
という説明で
「必ずしも安ければいいものではない。」
という考え方に変わった。
ところが、「さあ、注文住宅にしよう」と言ってはみるものの、最も大事な「お金の話」が出てくる。
中古住宅、建売ともに頭金0でというので断られ続けている。まして注文住宅となればなおさら。
「今回も無理だろうなー」 そう思っていた。
しかし、A社さんは「頭金0でも構いませんよ」と言ってくれた。
私の年齢がまだ若いことと、大手企業勤務というところを評価してくれたようだ。これまでの誠実な対応、親切な説明、そして頭金0でもやってくれるという経済面での提案。全てが私にとってポジティブだったので、A社さんに注文住宅をお任せしようと決定した。
早速詳細な話をA社さんと始めることになった。
資金が潤沢にあれば、住みたい土地から決めていくのだろうが、先程の通り頭金0で進めるので、予算がいくらぐらい確保できるか? というところから打ち合わせを始めた。
私は年齢がまだ若い部類に入るので、35年ローンと長めのローンがいいのではないかとの提案をもらった。
具体的な予算としては月8万程度の返済を前提に、利息も考慮して、3500万円が適正ということに。
但し、家を建てるには単純に土地+家を建てるお金だけではない。土地の登記や仲介手数料、土地の状態によっては地盤改良も必要となる。それをすべて踏まえての3400万、となると実質土地にかけられる値段は1200万。
ここまで話が進んだところで既に8月くらいを迎えていた。
妻からの強い要望で子供の学年が変わる4月には新しい家で住みたいとのことなので、かなり突貫な形で進めることとなった。
A社さんは私の事情を理解して、土地探しをかなりの急ピッチで進めてくれ、結果、数週間で現在の賃貸マンションから3km程度のところに良い土地を見つけてくれた。
現状と同じ学区であることで、妻の要望も満たしていた。実際に見に行った際に、確かに広くは無いが、私も周辺施設、雰囲気含め気に入った。加えて、価格も予算内だったのですぐにOKを出した。
土地が決まれば次はいよいよローン審査。銀行を選んで審査を受ける。
銀行の審査など受けたことが無い私はさっぱりだったので、色々と伺うと、いきなり本審査というのは今はやらないらしく、事前相談という形を取るという。今までもA社さんに任せきりだったため銀行の選定もハウスメーカーに行ってもらった。
「一応、東証一部の企業に努めているし特に大きな借金もないから審査は余裕だろうな-」
そんなことを思っていたのを覚えている。今思えばこの決断が住宅ローンにおける私の苦難の始まりだった・・・
ハウスメーカーと取引が多くあるのでコミュケーションが取りやすい、
かつ ・利息が低めである という理由でS銀行、Y銀行、R銀行の3行を選定された。
この時、提出した書類は以下の通り。
そして、いよいよ申し込みだ。 しかし、この3銀行に申し込むにあたり少し不安になることが出てきた。審査基準は明確には説明がされないため、ちょっと気になって調べてみたのだ。
② 勤務先の安定性、及び勤続年数
④ 既存の借入の有無
とのことだった。③、④は思い当たる節があったのだ。
まず1つは過去に1~2回ほど携帯の支払いを滞ったことがあった。これについては、その時偶々銀行に入金し忘れており、督促が来た時点ですぐに支払いをしていた。不安に駆られ率直にハウスメーカーに聞くと、やはり返済忘れ、滞りはかなり印象が悪いとのこと。
2つ目はクレジットカードのショッピングリボ&キャッシングの金額が残っていたこと。支払い自体は毎月ちゃんと行なっていたのですが、額は40万近く残っていた。そのうちキャッシング枠も10万位使っていた。
私の場合、この③と④に引っかかりそうな部分が多々あり、かなりの不安を持っていた。
そんなことを言ってももはやどうにもならない。流れのままに、R社さんとの建築請負契約締結も完了。 家族も「いよいよマイホームだね」と頭の中では家が既に完成している。
もう引き返せないところまで私は来ていた・・・・
審査結果は2週間以内に返答が来るとのことだった。全ては「考えすぎだ」と思うしかなかった。
ハウスメーカーを通じて思ったよりも早く事前相談の結果が返ってきた。
結果としては、3行全てNG。。。。
NGを聞いた瞬間。私は頭の中が真っ白になった。 その後に家族の期待を裏切ることになる絶望感、同僚を含めた周囲からの目線への恐怖心がこみ上げて来ました。 そこそこ名の知れた会社で真面目に10年勤めてきたのに、たった数個のポイントでこれまでの人生を全て否定されたような感覚に陥った。 まさに絶望の縁といった状態だったと思う。
「これでは仕方ありませんね。ローンが降りなかった場合に解約できる特例条項はついているので契約自体を解約されますか?」
と即座に聞いてくる。
物腰は柔らかだったが、私には手のひらを返したような対応に感じて「あなたも敵か」と一瞬感じてしまった。
ただ、私はどうしても諦められなかった。 妻、子供平凡な私が手に入れた身に余る幸福を手放すわけにはいかない。なによりローンが通らなかったなんてかっこ悪くて言えるわけがないのだ。
自分にはもったいないほどの妻が私に愛想をつかしてしまうかもしれない。これまで積み上げてきた幸せにヒビが入っていくのを感じた。
「少しお時間をいただけませんか」
その場はそれを言うことで精一杯だった。
私はその日から誰にも相談できない大きな悩みを抱えることになった。時間がない。同僚にはこんなこと言えやしないから人脈もない。ここからどう住宅ローンの問題を解決したらいいか。正直、仕事中も住宅ローンのことばかり考えていた。
結果、
という結論になった。
審査が通りにくくなるから複数の銀行に行くのはやめたほうがいいという意見もあるが背に腹は代えられない。
「だがどうやって?」
銀行に一つ一つ連絡を取って審査を行うことはできなくは無いが、私は会社員、平日は動きにくいため膨大な時間がかかる。ハウスメーカーからもそんなに長くは待てないとの回答も来ている。
妻からも「家の件どんな感じ-」と数日私から報告がないことを怪しんで来ている。
私には時間がなかった。
ここまで追い詰められて私はやっと「人に聞く」という選択をした。同僚で最も信頼できる聡志に電話をした。去年マイホームを手に入れ、私が一戸建てをいいなと思ったきっかけになった友人だ。
聡志は私が家を建てようとしていることを知っていたのもあるだろうか。電話で話をしてみると思いの外すんなりとローンの悩みを打ち明けることができた。
「おー、そりゃ大変だな。実はさ、俺もそれ苦労したんだよ。うちの会社ってちゃんとしてるから余裕で通るかと思ったんだけど、カード支払いの遅延が結構あってさ、かっこ悪いからなかなか人には相談できないし、相談したところでどうにもならんし大変だよな。」
聡志もなのか!と同じ立場の人間が同じことに悩んでいたことに一瞬安心した。
しかしすぐに
「こいつはなぜ家を持ってるんだ」
という疑問が湧いたので、質問をした。
「あー、時間ないし、一行一行あたるのもキツイからどうしようと思ってたんだけど、複数の銀行をまとめて審査してくれるサイトを使ったら2行くらい手を上げてくれてその後、すぐ審査してもらっていけたぞ。」
と回答があった。なるほど。
私は藁をもつかむ思いで即座に住宅ローン一括査定サイトを調べ、早速仮審査申込みを行った。 一括査定のサイトを使うと複数の銀行に審査を取っても金融機関にはその情報はいかないそうだ。 私は既に3行に直接相談をした経緯があったので、この部分の安心感はかなりあった。
早速アポイント調整を行い、面談。こちらの現状を伝え、資料は既に揃っているので全て提出。
結果は・・・
金利も最初に審査を行った3行とさほど変わらず良い条件だった。
落とされるのではないかという恐怖感に支配されていた私は条件付きであれど、あらゆるプレッシャーからの解放が見えたからだろうか。一気に喜びが爆発した。
条件付きの「条件」とはクレジットカードのリボ払い、キャッシング残金の精算だ。借入とみなされるものがあると、月の返済がそちらにもあると見なされる。
結果、住宅ローンの月返済見積もり額を減らされ、最終的には希望する額の借入ができないという問題となるようだ。これは40万円ほどであったので、親に頭を下げて借りて解決をした。
親は少し渋い顔をしていたが、これまでの経緯など説明を尽くしなんとか理解してもらうことができた。
すぐにA社、ハウスメーカーさんに審査を通過したことを報告。融資が確定したので、まず土地の金消契約を行った。
そして1月ほど経ち(この間、家の間取り等の大まかな計画はR社さんと進めてきました)、12月初旬。土地の決済が行われました。
ここまで行けばあとは家の完成を待つばかり。もちろん家の打合せ等はたくさん入り、ほぼ毎週A社さんの方や、各メーカーの展示場を見たりした。
決済は以下のように行った。
中間金として、建物代金の半額を決済。2回目の決済で全額決済を行いました。 最後の建物決済は、銀行にて行った。
約半年ほどで住宅は完成。 狭い土地とはいえ、短期間で且つ内部もしっかり作っていただき、とても満足いく出来に仕上がりになった。
完成した家を見た妻の表情、子供のはしゃぎぶりをみて、男として、父親として一つ大きな仕事ができたかなと安心したのを覚えている。 全てが解決した今でも、未だに住宅ローンで問題を抱えていたことは家族には言えていない。やはり男のプライドも関わるこの問題は悩みが深いと思う。 思ったより多くの人がこの問題で悩んでいるのではないか。 誰にも言えず、たった一人でどうしたらいいか絶望しているのではないか。 私の経験、解決策が全てだとは思わない。
親に頼んで保証人になってもらったりという選択肢がある人はそれでもいいと思う。 ただ、そういった選択肢がない人は、私の体験を少しでも役に立ててくれれば嬉しい。
http://anond.hatelabo.jp/20170602214735
ダラダラやってた婚活へのモチベを上げるため、結婚について色々考えてた。けど結局「結婚すれば今より苦しくなるだけ」という結論にしか辿り着かなかった。
彼女が大好きだから結婚して彼女の子ども産みたい。←これは理解できるよ。自分の場合は婚活の話ね。
まず家事や生活な話→俺の場合は問題なく自分で家事してるし、共働き前提だから別に楽になるということもない。専業主夫なら楽できるけど(あえて楽とハッキリ書くけど)、離婚したくなったときに生活的な理由でできない!とかは最悪の不幸すぎるから専業主夫の選択肢は最初から無い。同様の理由で、かつ全く魅力を感じないので、専業主婦もナシ。
40代以降寂しいんじゃないか問題→これ、意外に全然心配してない。友達に恵まれてるし1人でいるのも好きだし一生続けられる趣味もある。家族仲も良い。最近よく見る「中年独身女性の孤独」みたいなのは、女性には申し訳ないが性別も関係してる気がする。いつまでたっても男は男でベタベタ固まって遊ぶのに対して、女性はあまり他の女性に興味がないように思う。でも俺は男だから、40代も50代になっても、なんか普通に男友達と酒飲んだりゲームしたりしてるんだろうなと思う。
性欲→なし。セックスしなくていいの?楽じゃん。
最大の焦点、子供→そもそも子供欲しい理由てなんだっけ。可愛いからだけでは済まされない大変さと自己犠牲がそこにある。
正直、子供を持つのは親のエゴでしかないと思ってる(少子化うんぬんは置いといて) 実際、俺が子供のときは「親に感謝しなさい」と言われる度に、「別に産んでほしいなんて頼んでないし!」と何度も思った(言ってはいけない気がしたから口には出さなかったけど) 子供作る理由に、種の保存(…?)とかいう人もいるけど、「まじかよ」って思う。
あと経済面はやっぱり、男側の負担がハンパない。自由時間ほぼなくなるわ家庭面は死ぬわ、体型が一瞬で中年化するわ食事制限辛いわ、パパ友だとかPTAだとか悩み尽きないわ。なんか雇用機会均等法とか色々あるけど、女性は、結局働く気あんまないと思う。婚活してみて思い知った。女性は仕事とか自由を制限する気はそこまでなくて、夫にほぼ丸投げする気でいる人が大多数。というか、丸投げする気だからこそ、仕事や政治というものを調べないから知らないし、どこか他人事に感じてるから気軽に「結婚したい」とか言えるのだと思う。
「そんなことない!私は違う!」という人がいると思うけど、日本人女性の社会への参加率は先進国の中でもド底辺中の底辺を這ってるから、俺は統計の方を信じるわ。そこまでして婚活相手の子供を産みたいか…と言われると、そんな勢いは、ない。
恋愛結婚だったら2人で四苦八苦していけばいいよ、その中でやっぱり上手くいかなくて脱落してしまう人もいるみたいだけど。婚活から恋愛に発展するのって一体どのくらいの確率なのかな。例えば相手が失職したときに、支えていける自信があるかな。自信、ない。
結局、「絶対に結婚するぞ!」という盲目的な宗教に入っていない限り、1つ1つ見ていくとマジで結婚の意味ってないって思った。よく「結婚は勢い」というけど、確かに頭で考えてたら無理ゲーですわ。でも、考えちゃうんだよね。だって「もっとよく考えればよかった」とか後悔したくないから。
結論。こんだけ並べてみると「なぜあえて修羅の道を選ぶ?」って気持ちになっちゃうんだよね。苦労して「普通」に生きるか、楽に自分勝手に生きるか。
もうかなり、生涯独身キメるつもりではあるんだけど、あとは独身の友達を探せるようなコミュニティがあれば完璧かなぁと思う。子持ちとはどうしても話もスケジュールも合わなくなっちゃうから。独身貫いてる男って、高学歴高収入でバリバリ働いて、性格に一癖あっても会話するとすごく面白くて興味深い人が多いんだよね。そういう人達で繋がれたらめっちゃ楽しい暮らしできるんじゃない?ってワクワクする。
ここまで書いたけど、「結婚した方が幸せになれそうな人」ってのも確実にいると思う。趣味がない、とか1人が寂しい、他人に依存体質しがち、とか。あとは自分のために生きられなくて他人のためじゃないと頑張れない人も一定数いる。友達がいない人なら、最低限家庭という居場所を確保しとくのは有効。
世話焼きとか、家事上手いとか、子供と遊ぶのが好きとか家庭で発揮できるプラス要素を持っている人もいるけど、問題ない人は1人でいても結局問題ない、って思う。
いずれ然るべき機関に相談をしたいと考えているので、そのときのために今抱えている不安を文章化しておく
これが一番大きいかな。
自分は年収400万に満たないし、奥さんも多少は多いけれど似たようなもの。世帯収入で800~900万くらいか。
さらに奥さんはフリーランスなので育休や産休という仕組みは無い。そのため彼女が仕事ができない間は自分が働くしか無いが、単純に考えてその間の世帯収入は半分だ。
こんな状況で子供を産んで、育てることができるのだろうか。病院や入院、子供が着るもの食べるもの、おむつや寝床、託児所や保育所、いずれは幼稚園など考えればお金がかかることばかり。こんな収入で乗り切っていけるのだろうか。
自分は30未満だが、奥さんはすでに30代後半。出産経験はもちろん無い。年令を重ねる毎に、生まれてくる子供や奥さんの体の負担は大きいと聞くし、周りからもそう言われたので「早くした方が良いよ」とは言われる。
しかし、経済面での不安が重くのしかかって前に進めない。もう少し貯金が溜まったら、年収が上がったら・・・そんなことを言っている間に年は流れリスクが高くなる。
自分は小さいときから大きな音が苦手だ。スポーツの応援や遊園地での歓声、ホラー映画の絶叫。子供たちの出す声なんて言うまでもない。
大きな声を出している人たちのところに出ると、自分は黙り込んでしまう。完全にうつむき状態になって、一見すると不機嫌そうな顔になる。実際、不機嫌なのかもしれないけれど。
自分の子供に対しても同じようなリアクションをしてしまうのではないだろうか。
自分も奥さんも地方の出身で、東京で働いているが電車で1時間未満のところに親戚や家族は誰もいない。
子育てにおいてリスクは分散したいと考えていて、自分や奥さんに何かがあった時子供を託すことのできる環境がない。
できれば実家とか兄弟が住んでいる街で働くことができれば良いなとは思っているのだけれど、すぐに事が進むものでもない。
こういった不安を誰に相談すればよいのかわからない。子供を育てる過程や、育てるという前提の人を対象に相談ができる機関は存在しているようだけれど、子供を作るかどうかを悩んでいる人に対しての機関は存在しているのだろうか。
ひとまず、不安に感じていることを文章化できたので、一旦良しとしよう。
今は自分と奥さんで面白おかしく暮らしているけれど、できれば子供を作ってもっと家族を面白くしたいと思っている。ただ実際のところリスクはものすごく大きいような気もしている。果たしてどうするべきなんだろうかな。
ADHD診断済の者です。
ここ最近、借金玉氏のブログ(http://syakkin-dama.hatenablog.com/)が立ち上がったり、そこでの記事が話題を呼ぶのを見て、にわかにはてな界隈でも発達障害に関する話題が盛り上がっているのかなと思っていた所、
http://anond.hatelabo.jp/20170206102543
↑こちらの中学受験の話と、それに付いていたブクマコメントが、あまりにも「そうッ!」という思いだったため、少し乗り遅れた感ありますが思わずキーを叩いてしまっています。
そのコメントとは、id:Outfielder 氏の
知能に遅れのない高機能発達障児は、中学で内申が出ないから高校受験で詰んでしまい人生終了がほぼ確定してしまうから少々無理してでも中学受験すべき、という体験談は聞いたことある
というもので、まさに自分がそれだった、その通りや…と瞠目してしまいました。
自分がそれ、と言っても結局中学は公立に進んだのですが、幸いなことに人生終了は(おそらく)しておらず、今は自分にとっては環境面・経済面でも充分有難い場所で働かせてもらっています。
でもそれはたまたま、運が良かっただけという気がしていて、振り返るとこれまでの人生の中で、ADHDのせいとは一概には言えないけれど、幾つかの「挫折ポイント」があったので、もしこれからの進路にお悩みの発達障害傾向のあるお子さんを持つ方などが居たら、参考になればと思いつつ振り返ってみます。
(多分あんまり参考にはならないですし、それよりも自分が整理して書き出してみたいというADHD的衝動によるものが本心です)
子供の時から、自分は周りとは違う人間だ、という自覚は多少なりともありましたが、それは割とポジティブに捉えていました。運動は苦手だけど、勉強はわりといいところ、そして休み時間や家ではマンガを書くこと、それを披露することでクラスで固有のポジションを得ていた覚えがあります。
(絵師の皆さんなどもどこかで記憶のあるような体験なのではないでしょうか)
問題のポイントが、中学受験。親の方針もあり、自分もなんとなく説得され特に断る理由もなかったので(通学が遠くなるのはめんどくさいなあくらい)小4くらいから中学受験に向けた塾通いをするようになります。
しかし、それがだんだんキツくなり、小6のいつ頃だったか、日曜も朝から夕方まで模擬試験、しかも提携してる友達も居ない知らない塾まで通っての体制になり、多分その環境に自分のストレス耐性がピークに達してしまった気がします。
と同時に、なぜ今の小学校の友達と離れてまで、遠い中学に通わなきゃいけないのか、さっぱり意味がわからないと涙ながらの突然の抵抗。自分が覚えている限りの自我の芽生えその1です。
結局、これ以上は無理と親も理解したらしく、中学受験は断念、塾も同じ塾内の進学コースから普通コースに移動しました。この時の迎えてくれた友達の安心感たるや今でも思い出します。
この公立中学が地域圏内では割と悪評の高い、まあいわゆる「荒れてる」と言われるような学校だったようなのですが、幸いなことに僕が入学する直前辺りから目立って悪い行いは無くなっていったようで、中学の3年間は気の合う(ヲタクな)友達も狭い付き合いながらも出来、全体的には、例えばいじめに遭うなどという特段嫌な思い出もなく平和に過ごせました…
が、
心境的には、中学2年辺りから周囲との違和感を強く感じ始めていました。
まぁこれは、誰にでもある思春期の訪れだとも思うのですが、良くないことに同時期に、インターネットに桃源郷を見出してしまいました。
テレホタイムは親のPCでこそこそチャットや掲示板に入り浸り…(なんとなくこれで年齢が分かりますね)
今思えば、このあたりもADHDの衝動性、過集中にフィットしてしまい、その後にやってくる虚脱によって学校を休むことが増え、やがて内申はどんどん悪くなっていきました。。
はい。ここで2度めのポイント、そして最大の「人生終了」感を味わいました。
中学での内申に引っ張られ、「お前はここにしか行けない」という公立校にヒィヒィ言いながら入りました。(試験の点数だけで言えば中の上レベルの人たちと張ってたのに…と今でも悔やむことがありますが、まあしょうがない)
なんで辞めたのか。今でも正直言ってこれといった理由が言葉に出来ないのですが、幾人かの「いやなタイプ」の人の顔、そして、排外的な雰囲気、それに合わせることの絶対できない自分の中の何か。
気づいたら高校に行けなくなっていました。僕みたいな人間は、居心地が良くないとマジで死ぬんだなあ、ということが身に沁みてわかりました。
多分この時ほど親は、上記のコメントと同じことを思ったことは他にないでしょう「少々無理してでも中学受験すべきだった・・・」
その後、半年ほど引きこもりをしてから、今度は底辺私立校に一年から入り直すことになります。
ぶっちゃけ誰でも入れるような所で、周りを見渡せば一目瞭然の発達障害、ヤンキー、そしてほぼ知的障害とも言えそうな人まで、ワケアリな人種ばかりが揃った愉快な空間でした。
それでも、そんな所に高いお金を払って再チャレンジさせてくれた親には大変感謝しているし、また学校行けなくなるのではという恐怖も乗り越え再びやり直すことを決めた当時の自分も、割とがんばってたと思います。(引きこもってた時分は外に出るだけで怖かったです)
そしてこの私立校が、思いのほか自分には合い、割と気ままに過ごすことが出来、大人になった今でもLINEでくだらないことを言い合うような親友も出来ました。
特にその学校ではPCを使った授業に力を入れていて、もともとネットにハマってたくらいなのでPCに触ることは自然だったのですが、その中で自分の特性に合ったジャンルを先生が見出してくれて、「大学受験してみないか?」という運びになります。
その高校での先生たちの手厚いサポートのおかげで、(あの悪評高い)AO入試制度を使い大学への入学を果たします。
2ちゃん等ではFランと呼ばれるランクでしょうが、世間的にはそこそこ名だけは知られているところでした。
そして自分の学生時代を見返してみても、この大学時代が一番輝いていたように思います。
興味のある授業内容、自由な雰囲気のキャンパス、そしてどことなく普通じゃない人達の集まる文化系サークルに出会い、居場所と夢中になれることの両方が目の前に広がり、自分の人生が本格的に始まった感じがしました。
色々あったけど、特にここで語るべきことはこれ以上ありません。
就活は例に漏れず苦痛でしたが、それでも思ったよりあっけなく、自分に合いそうな所に内定を得ることが出来ました。
そして、光に満ちた4年間が終わり、ここから暗く長い旅の始まりです・・・。
といっても、第3のポイントは1年目序盤にあっさりと訪れます。会社に数日行けなくなりました。
体が動きません。会社のメールも見れません。連絡したくありません。何もかもから逃げ出すことしか考えられなくなりました。
それでもなんとか数日休んで、這うような思いで出社し、耐え、またしばらくすると行けなくなる、を繰り返しました。
メンタルクリニックにも行き、「抑うつ状態」の診断書を突きつけたりもしつつ、それでも時には自分に合った業務に携われる期間もあり、何より会社の人が良い人だったので、なんとか辞めたり休職したりはせずに、自分の心と身体を騙し騙し、一つの仕事に人より何倍も時間を浪費しながらも、続けられていました。
ADHD的に特に難しかったのは、やはり外部とのコミュニケーション、スケジュール管理、企画書作成といったところでしょうか。
これらを、自分を無理に奮い立たせながら乗り切っていたため、やがてそういった業務をすればするほど、図太くなるどころか気づいた時にはストレス耐性が全く無くなり、再びしょっちゅう休むようになりました。
それがここ1年ほどのことです。
再びクリニック通いを再開し、軽うつに対応するような薬を飲みつつも、相変わらず同様の環境で仕事を続けており、このままじゃどんどんダメになるのではという漠然とした不安と焦りが募っていました。
そして約半年前、同じクリニック内で医師が代わり、その医師の診断方針もあり状況を見直した所、「ADHD」という判断を受けました。
それまでもネットで色々情報は見ていたため、あ~やっぱり、という感じでした。
その後、自分はADHDであり、こういう業務はどうしても脳の形状的に難しいのだと諦めがつくようになり、まずは環境を変えなければどうしようもないと思い、同じ社内ではありますが異動を相談したところ、あっさり通り、そして始めのほうに記したような、落ち着きつつある現在の状況があります。
中学受験・高校・社会人と何度も「周囲との違和感」「やってみてはダメになる」「周りと同じような適応は出来ない」を繰り返してしまっていたのですが、それでも、親や教師の理解やサポート、たまたま巡り会えた環境に恵まれ、なんとか人生終了せずに、今は地道に日々の幸福度を回復させていけるようになりました。
中学受験に成功していれば全てが上手くいった、とは思わず、結局はどこかで周囲とのギャップ、そして挫折を経験していたと思いますが、それでももっと早くADHDという認識を与えられ、それに対応した生活の見直しや進路を定められていたら、もうちょっと楽に歩むことが出来たんじゃないかなと思います。
一歩間違えれば人生終了待ったなしだった気がするので、それを回避するためにも、もし自分が、そして自分の子供がちょっとあやしいなと思ったら、診断を受けてみたり歩み方を普通の人とは変える、認識を良くも悪くも諦めるようなタイミングが、必要なんじゃないかなと思うのでした。
ギャルや不良は1990年代に社会問題化し、2000年代に排斥が進んだが、むしろこの差別が社会のイメージアップに繋がったのではないか。
彼らがそうなった同期には恐らく社会問題や学校環境の問題に起因するものが多い。
差別の原因となった見栄えや振る舞いはともかくとして、彼らには生産性がまったくない。その点を気づかせたと言うことで必要悪だった。
他方、オタク排除の動きがアニメで、鉄道で進んでいる。オタクの楽しめるアニメは深夜から消えつつあり、今では単なる消費型の番組が多数を占めている。
鉄道についても、最近では薄っぺらい観光列車やラッピング電車など、あからさまにオタクを向いていない列車が増えつつある。
また、オタク排除に関する運動の根拠が、「醜い」の一言だけだ。しかしこれは偽善ではないか?
確かに、外観は醜い人がそこそこいるし、オタクになった動機を聞くと、社会環境が原因だと言う人が多い。
しかし、オタクはギャルや不良と違って経済面での生産性がある。アニメだけとっても300億ぐらいはあるだろうか。
しかも、ギャルや不良のように代わりの居場所があるわけでもない。オタクの中にはリア充環境に溶け込めにくい人もいる。
メニエールなんだけどさ、命に関わる病気ではないけれど無理をすると症状が重くなって動けなくなったりしてあとが大変なんだわ。
やりたくない事は大体やらないと生きていかれなくなるので無理してもやらざるを得ない。
やりたいことはやらなくても経済面に直結しないので無理してまではやれない。
綺麗な場所で行ってみたいな、宝くじ当たったら行けるかなとか思ったところで自分の現実に気がついた。
行けないんだよ、体に無理がかかるから行けないんだよ。
無理して行っても現地で具合悪くなるから無駄なんだよ。宝くじに当たっても行けないんだよ。
やりたくないけどやらなきゃいけないことで無理しているから、
やりたいことをする余裕なんてないしな。
やらなきゃいけないことをやらずにやりたいことを無理して一度でもやると
文句をいう奴が身近にいるんだよ。だから心配で旅行に行く夢想もできない。
生き抜くだけで精一杯。生きてるだけで手一杯。
人生ってこんなもんだったんだな。
大卒の人が大卒は正しいと喚く記事を読んで、学歴コンプレックスっていうコメントを見たわけだけど、これって学歴コンプレックスとは違う何かじゃないかなあ。
抽象的なはなしだけど、多分その記事の筆者は(そして多くの人は)「幸せが確定するチケット」を求めていて、この20年位、それは大卒の肩書だと思われていたし、購入者もそう信じていたのではないかな。
彼が記事の中で肯定しようとしたのは「大学卒業資格は人生を幸福にする」ということそのものではなくて、「過去自分が行ったチケット購入判断は間違っていない」ということなのだとおもう。
彼が守ろうとしたのはは「大学卒業資格は人生を幸福にする」という事実ではない。もちろん「幸福」ってのは主観的なものなので、統計で一刀両断にはできないんだけど、経済的な側面で言えば、大卒資格者のほうが高卒資格者よりも、生涯賃金が大きくなるというデータが有るのでそれですむ。示す必要すらなくて、彼自身がその統計を見て「そうだな」と思えばそれで済むので、そもそも記事を書く動機にはなりえない。
そういう経済面に限れば、大学卒業資格というものが、100%確定ではないにせよ確率論的にはある程度効果のあるチケットだったっていうのは有る。しかしそれは同時に、「確率論的」「ある程度効果のある」にすぎないわけでもある。「それを購入すれば購入者は確定した幸福を保証される」わけではない。効果の程は購入者によって程度の差がある。
(そもそも大学というのは研究/教育機関なわけで、そこに「幸せ」なんて主観的な、しかもチケット一枚で生涯を保証するようなものを求められても、大学側は「知らんがな、困るがな」でしかない。この件で大学が悪いわけではない)
筆者が守りたかったのは、「俺は大学を出て幸福だ」という以上の、もっと広範な「大卒チケットを購入した人間は幸福になれる」という「世界観」だったのではないか。それはすなわち「過去自分が行ったチケット購入判断は間違っていない」という保障でも有る。もうちょっと踏み込むと、「攻略法Xを実践すれば人間は幸福になれる」みたいな思想なんだとおもう。そして、これは、すごくわかる。
人間は日々を生きる上で脳みそ空っぽで生きるのは難しい。どうすればうまくいくか考えちゃうし、試行錯誤しちゃうし、うまく行けば嬉しいし、失敗すればなにが悪かったか考えてしまう。「セカイには攻略法が有るはずだ」って思想は人類進歩において巨大なアドバンテージだった。それは、自然科学分野においてはおおむね正しい。背景には物理法則があって、同じ入力には、同じ出力が返ってくる。技術研鑽や職人的な人生においても、概ね正しい。そういう態度で経験を扱えば、一定の知見が得られる。
だから「攻略法Xを実践すれば人間は幸福になれる」みたいな思想はすごくわかるし、自分を点検しても、この類型は形を変えていくつも発見できる。
でも実際問題、本当にこれが正しいかって言うと、ぜんぜんそんなことはない。人生という関数は入力が同じでもその個人ごとに出力がぜんぜん違うようだ。そもそも「同じ入力をする」ということ自体が人知では制御できないほど難しい。双子なのにぜんぜん違う人格になったり将来を迎えたりするわけで。人生という巨大関数はすくなくともワンチケットでフリーパスになるほどちょろいものではない。信用できるデバッガもない。
でも、その事実はかなり痛みを伴う。「人生に攻略法がない」というのは(もちろん確率論的にだが)「どんなに頑張っても不幸にしかなれない人間が存在する」ということを意味するからだ。
(※もちろんこれは一部宇宙の事実と異なります。瞑想とジョギングと野菜はすべての人生を攻略します。Yes、ぶくまますたー!)
そんなわけで、件の記事はなんだか悲鳴のようにも聞こえた。「この世界に攻略法は有るよ、ぼくらが幸せになれるチケットは実在するよ! ボクの過去の努力コスト支払いは間違ってなんかない! なぜならボクはいまそのチケットで暮らしているからだ!」――あの記事で筆者が説得したかったのは、誰より筆者自身だったのではないかと思う。
同様の光景はあちこちで見ることが出来て、それが先鋭化すると、論理が逆流を始め「(大卒資格が幸福チケットであるという)世界観を守るために、高卒以下の人間は不幸でないとならない」な方向に拗れてしまう(連中は全員DQNみたいな発言)。そうなると地獄の二次生産だ。だがどちらにせよ、それは学歴コンプレックスと言われているものとは、隣接しているけれど、もっと何か違うものなのじゃないかと思う。
【実在の登録商標名をネット上に書き込みをしたりニュースで言うと、商標権の侵害となったり使用料(ロイヤリティ)が発生する。】という意見があります。結論から言うと、その意見は誤解です。商標権の侵害となったりお金を請求され払わなければならないという事は【ありません】。
http://oshiete.goo.ne.jp/qa/284937.html
「STAP細胞はあります」が商標登録出願されたと話題に / Twitterユーザーの声「意味不明すぎる」「ないのに」
http://news.livedoor.com/article/detail/9875730/
下記はソースです。専門家の方が名前を出して解説しているため、信頼性が高いものと思います。
(もっとも、法律の条文を読んでも、名前を書くことが商標権の侵害の要件となるという根拠を見つけることは出来ませんでした。)
http://www.tamba-pat.com/article/13612390.html
また、似たような誤解で、他人が登録商標を使用したらどんな場合でも商標権の侵害になるというものもあります。
登録商標が指定商品又は指定役務に関連して用いられて初めて商標権の侵害となるのであって、登録商標を商品やサービスから離れて、たとえば文章中などで用いたりしても商標権の侵害とはならないのです。
紹介文
http://news.ameba.jp/20160923-83/
たとえば、『iPhone』は商標登録されていますが、単にiPhoneという表示をしただけ、あるいはiPhoneを紹介したとしても、商標権侵害とはなりません。これは、自他識別機能や出所表示機能が害されているわけではないからです。
紹介文
*著者:弁護士 清水陽平(法律事務所アルシエン。インターネット上でされる誹謗中傷への対策、炎上対策のほか、名誉・プライバシー関連訴訟などに対応。)
http://ipfbiz.com/archives/kuchikomi.html
そしてもう一つ、単に商標の文字列を記載する行為のみでは、商標としての使用にはなりません。商標的使用であるためには、出所表示機能や自他商品等識別機能を発揮する態様での使用である必要があります。
紹介文
安高史朗@IPFbiz
特許庁での審査官補、シンクタンクでの知財コンサルタント、インターネット企業での知財戦略・知財法務・政策企画を経て、安高特許会計事務所を開業しました。
@ITに掲載されている栗原潔氏の記事でも同様の説明がされています。
http://www.atmarkit.co.jp/ait/articles/1305/16/news018_3.html
言葉やマークが製品やサービスの出所を示す機能を提供していなければ、それは商標ではありません。そのような使用に対しては商標権の効力は及びません。
しかし、例えば、自動車雑誌でポルシェという言葉を使って記事を書くために独ポルシェ社の商標権の使用許諾を得る必要はありません。この場合、ポルシェという言葉を商標的に(製品やサービスの販売とともに)に使っているわけではないからです。書籍タイトルや歌詞にポルシェという言葉が出てくる場合も同様です(もちろん、業界の礼儀として一言断りを入れておくべきという話は別です)。
商標権とは言葉やロゴの使用そのものを独占できる権利ではありません。その言葉やロゴを、製品やサービスを提供する際に出所を表示するために使用する(つまり、商標的に使用する)ことを独占できる権利です。
名前を書くこと自体が商標権の侵害になるわけではないと解説されています。
本当に簡単に言ってしまうと、商標を無断で言う(書く)のは合法、商標を無断で使うのは違法という事です。
また、商標権という言葉は出てきませんが、この問題に似た事案について判例が存在します。
http://www.courts.go.jp/app/hanrei_jp/detail4?id=84462
結果 棄却
3 争点
(1)本件ページへの本件名称の掲載が本号(不競法2条1項2号)所定の不正
競争に当たるか(争点1)
イ 本件ページへの本件名称の掲載が原告の商品等表示と同一のものの使用
に当たるか
(2)本件ページへの本件名称の掲載が原告の人格権に由来する名称権等の侵害
4
に当たるか(争点2)
(3)原告の損害及びその額(争点3)
イ(本件ページへの本件名称の掲載が原告の商品等表示と同一のものの使用
に当たるか)
本件サイトは,新聞や雑誌,一般のブログ等とは異なり,掲載された情
報に経済的価値を認め,広告価値を最大化して利益を得ることを目的とし
ているから,本件ページを含め,飲食店の情報が掲載されたウェブページ
は,それぞれが独立して経済的価値を有し,取引の対象となっているとい
うことができ,商品性があるので,被告は,本件名称が表示された本件ペ
そして,本件サイトを利用する者は,上記各記載のほか,本件サイトの体裁自
体によっても,本件サイトが各地の飲食店の基本情報や口コミを集積し,一
般消費者の利用に供するウェブサイトであることを,容易に認識することが
できる(甲2,乙6,16,23の7)。
したがって,被告による本件ページへの本件名称の掲載は,被告の商品等
の出所を表示したり,被告の商品等を識別したりする機能を有する態様で本
件名称を使用しているということはできず,被告が自己の商品等表示として
原告の商品等表示と同一又は類似のものを使用していると認めることはでき
ない。
しかし,本件についてみると,法人の名称ではない店舗の名称について個
人の氏名と同様の保護が与えられるべきか否かはともかくとして,被告は,
本件ページを掲載することにより本件名称を表示していることが認められる
ものの,その態様は,前記1(2)のとおり,本件店舗を本件サイト内にお
いて特定したり,本件ページのガイドや口コミが本件店舗に関するものであ
ることを示したりするために本件名称を表示しているものにすぎず,本件名
称を用いて,被告が本件店舗を営業しているかのように装ったり,原告が本
件サイトを運営管理しているかのように装ったりしているわけではなく,本
件店舗や本件サイトの運営主体の特定や識別を困難にするものではないから,
冒用には当たらない。
しかし,原告は,法人であり,会社であって,広く一般人を対象にして飲
食店営業を行っているのであるから,個人と同様の自己に関する情報をコン
トロールする権利を有するものではない。そして,上記のような原告の要求
を認めれば,原告に本件店舗に関する情報が掲載される媒体を選択し,原告
が望まない場合にはこれを拒絶する自由を与えることになるのであり,その
反面として,他人の表現行為や得られる情報が恣意的に制限されることにな
ってしまうのであって,到底容認できるものではなく,原告の上記主張も理
由がない。
名称を書くだけでは名称利用には当たらない、裁判となった被告のサイトに本件名称を書いただけだという事は被告のサイトを見れば分かるとして、裁判所は原告の主張を退けています。
また、原告が情報媒体を選択できるなら、表現の自由の侵害の恐れがあるいう趣旨のことを述べています。
これらはインターネットに限らず、書籍や漫画などでも同様でしょう。
※このダイアリーで記述しているのは商標権の話です。名誉毀損、誹謗中傷、プライバシー侵害は別の問題ですので、誤解無きようお願いします。正当な批判の範囲を超えた、名誉毀損のリスクのあるような内容ならば、配慮の必要性があり初めから触れるべきではないと思います。言い換えるなら、それらの名誉毀損、誹謗中傷、プライバシー侵害などの問題が無い限りは、実名を出すことに問題はないでしょう。
余談:
・上で紹介した教えてgooトピック内の投稿に「マスメディアは公に正確な情報を報道する義務をもつ。
いろいろと他の決まりがあるのでマスメディアとweb siteでは違います。」という部分があります。
これは私の想像ですし言い方が悪いのですが、この部分は、「一面に大きく載る銀行の統廃合の記事も,経済面にのる新商品の紹介も,社会面で報じられるどこそこ本社の火事も,いちいち伏せ字にするか,記事を書くたびに取材相手の会社にお金を払っているか,許可を得た上でないと報道できないことになります。」という他の人からの指摘に対して、話の辻褄を合わせる為に持ってきた話ではないかと感じます。
しかし、この説明の仕方には違和感を覚えます。第三者が登録商標名を投稿することが違法であるとして法律問題を主張するのであれば、マスコミによる報道についても「例外規定が法律上存在します」という法律論であるべきではないでしょうか。
実際には例外規定は法律に存在しません。第三者が登録商標名を投稿する事自体が法律上禁止されていないので、そもそも例外規定は存在しません。
マスコミは正確な情報を報道するべきであるという、あるべき論で言えば、我々一般人も誤解や誤りの無い正確な情報発信をすべきであるし、それがマナーだと私は考えます。
http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20160713-00002526-besttimes-soci
ホリエモンこと堀江貴文さんがインタビューで語っていた記事を読んでみた
確かに今の大学は昔と違って上位大学のエリート路線は変わっていないが、それ以外の大学は本当に機能しているのか疑問に感じる
東大問わず大学に入った理由に明確な目的のある秀才やその大学の為にひたすら勉強し無事入学を果たせた者などさまざまである
2008年からの大学全入時代になってからは入学できる敷居が低く、その為の推薦入試まで投入されたことも一つの要因である
さらに偏差値や入試結果などの詳細が見れる受験サイトや大学の口コミサイトでその大学の特色を情報で知ることも可能となった
そこで受験者の高校生、浪人生は何が何でも高いネームバリューのある大学に進学したほうが肩書きにもなったりでそちらを選考するのは百も承知
仮にある有名大学ばかりに定員が集中してもおかしくないと思える
ただ、有名でもなく他の大学と学部が被っていたりする大学は本当に必要なのだろうか
少子化で子供の数が減っているのに大学の数だけ多いのは反比例に感じる
それにその大学自体がどういう研究成果を出しているのかさえ危うい
大学はその補助金でなんとか生き残っているとこもあるが、それがいつまで保つかは不明である
奨学金の問題は現在でも深刻なことであり、これは個人または家族観での責任ではあるものの経済面で中退する者は後を絶たない
いずれにしても2018年問題よりも前から問題視されている日本の大学の在り方を厳しくしなければ、この先研究機関ではなく就職予備校が一向に増える傾向だと考えられる
http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20160713-00002526-besttimes-soci
ホリエモンこと堀江貴文さんがインタビューで語っていた記事を読んでみた
確かに今の大学は昔と違って上位大学のエリート路線は変わっていないが、それ以外の大学は本当に機能しているのか疑問に感じる
東大問わず大学に入った理由に明確な目的のある秀才やその大学の為にひたすら勉強し無事入学を果たせた者などさまざまである
2008年からの大学全入時代になってからは入学できる敷居が低く、その為の推薦入試まで投入されたことも一つの要因である
さらに偏差値や入試結果などの詳細が見れる受験サイトや大学の口コミサイトでその大学の特色を情報で知ることも可能となった
そこで受験者の高校生、浪人生は何が何でも高いネームバリューのある大学に進学したほうが肩書きにもなったりでそちらを選考するのは百も承知
仮にある有名大学ばかりに定員が集中してもおかしくないと思える
ただ、有名でもなく他の大学と学部が被っていたりする大学は本当に必要なのだろうか
少子化で子供の数が減っているのに大学の数だけ多いのは反比例に感じる
それにその大学自体がどういう研究成果を出しているのかさえ危うい
大学はその補助金でなんとか生き残っているとこもあるが、それがいつまで保つかは不明である
奨学金の問題は現在でも深刻なことであり、これは個人または家族観での責任ではあるものの経済面で中退する者は後を絶たない
いずれにしてもいずれにしても2018年問題よりも前から問題視されている日本の大学の在り方を厳しくしなければ、この先研究機関ではなく就職予備校が一向に増える傾向だと考えられる
一応それ関連の記事などは一通り読んだつもりですが、報道内容や該当JKのツイッターなどから「本当にその生活が貧困なのか」というような部分に火がついているのだろうと。
産まれた家庭の経済面で他人と比較したことがないですから、相対的に自分の家が貧困だったかは分かりませんが、うちは非課税世帯だったので裕福ではなかったとは思ってます。
そういう家庭で育っているので、うららさんが言っているように将来の進路を選択する時には「金」の問題が常についてきました。入学金の多少、学費の多少、生活費の工面、奨学金などの制度。進路の選択には偏差値などの学力に関する問題と併せて「金」に関しても考えないといけなかった。
しかしこのことについては、よっぽど裕福な家庭に産まれでもしない限り「みんな」同じように考える問題だと思います。こども自信が考えるのか、親だけが考えるのか、考えた結果、選択可能な進路はどれくらいに絞られるのかが違うだけで。そしてこの最終結果となる選択可能性については、特に親の将来設計で大きく変わるのはことは知っています。
そして当事者である子ども本人です。うららさんは「みんなが当たり前にできることが自分だけできない」「夢を持っているのに目指せない自分は不幸」と言っています。この考え方なんですが、自分自身が進路で悩んでいる時と同じなので強くは責められないし、責める資格もないと思う。しかしまぁ、同じようなことを考えていた人だけに何か書かずにはいられないもので。
まず「夢を持っているのに目指せない」ではなく「実現しようとしていない」だけだと思います。確かに親が自分の将来の学費をどれだけ貯めているか、貧乏か裕福かで「進路選択時」だけ切り取れば一見かわいそうな自分が見えてくると思う。でもそれは、そもそも自分が裕福な家庭に育っておらず、将来やりたいことのためにはどれだけのお金がかかるのかを早くから認知していればいくらだって対処法はある。うららさんの言う「夢」はいつから叶えたいものとして彼女の中に湧いたのか、叶えたいものとしてどれくらいの重みがあるのか分からないですけど、本当にやりたいことであれば真剣に考えていれば方法は見えてくるはずだし、見つかるまで考える。
それから、「みんなが当たり前にできること」なんて実はないです。学校なんかで集団生活を送っていると、ほんとうは個人単位で見た時にはそれぞれ出来ない部分があるのに、ある程度おおきな集団の一部になると一部の出来ないものは見えづらくなって「みんな出来る」ものに見えてしまうものです。これは今回のような貧困もそうだし、たとえば自転車の運転、なわとび、計算の速さ、記憶力の違いなんかもそうです。
ほんとうは個人個人、身体的な障害なんかの非常に見えやすい違いを除けば、それぞれが自分の出来なさを克服しながら前に進んでいて、それぞれがそれぞれの苦しさを抱えていると思います。
人は産まれ持つ能力を選べません。自分の将来設計をする上で、たとえば夢を語る時に「才能がないから」という理由で簡単に諦めるような夢ならば語らない方が良い。人より体格が劣っているからメジャーリーガーの夢を諦めていたなら今のイチローは存在しない。夢を実現させたかったら人との差、足りなさを埋める努力をしなければいけない。
産まれ持つ能力を選べないように、産まれる家の財力も選べません。これも言い替えれば「才能」のようなものです。自分に備わってないものは何かしらの手段で埋めるしかありません。
100メートル走で一番になりたいという夢があったとして、その夢はボルトと同じ身体能力を持って生まれ、同じ環境で育つというフィールドが整わないと夢の実現の可能性がないのか。
今回の場合、うららさんがやりたいことはキャラクターデザインの勉強なのか、それとも「お金」がかかるから実現できない(と思っている)専門学校に行くことなのか。
日本は5〜6人に1人(正確じゃなくすみません)の子どもが貧困層らしいです。ひとクラス40人なら7〜8人が貧困層であって、珍しい存在ではありません。ただ実際問題、学校生活で貧困などが問題として表出するのは義務教育以降です。
貧困層の子どもはたいてい学力が低いので、高校に行かないか、行っても同じような貧困層で学校を構成します。なので数字上は珍しくもない貧困の子どもが認知されにくいんだと思います。
貧困だから将来の選択肢が狭まるというのはある意味正しいと思うのです。だから子どもの貧困について知らない人に知らせるというのも大切だとも思います。
自分が貧困だということに早く気づくこと、現実を受け入れること。子どもに対して伝えたくない事実だとは思うけど、親がきちんと伝えること。そして現状を知ったら解決に向けて何が出来るのかを調べること、考えること。
貧困だから叶わない夢って、まぁ金がなきゃ叶わない夢も当然ありますけど、たいていは貧困だから「楽には」叶わない夢なんじゃないでしょうか。
http://anond.hatelabo.jp/20160729212345
こちらの元増田です。
多くのトラックバックおよびコメントをお寄せ頂きありがとうございました。
おおいに参考にさせていただき、マインドセットの整理を行った上で
今後の行動指針を決定しました。
人生上の優先度を整理し、行動指針を以下のように定めました。
今回しっかりと考えてみて、自分には彼女が重要だと結論しました。
この結論に至った自分の感情はそれなりに強固なものだと思われますので、
当面はこの行動指針を運用していけそうです。
東京への転職は取りやめました(エージェントに辞退の旨を伝えました)。
彼女の仕事や実家の状況的に許されないことが腹落ちしたためです。
また、経済面での上昇も今すぐ果たす必要がないことがわかりました。
それらの状況は以前からある程度把握しており、私は経済的な充足で解決するものと
思っており、だからこそ転職活動を始めた部分もあったのですが、
もちろん、長期的には経済力が必要になって来ることもはっきりしたので、
キャリア面での成長・前進をこの場所で図っていくことになります。
また誰に相談することもありませんでした。
それが周囲から見た際に一貫性の無さとして写っていたのかなと思いました。
今回、この場も含めて色々な人に相談し、
また彼女ととも本当に腹を割って話すことができて良かったです。
悩んだら関係する人に相談すると良いことがある、というのが今回の最大の学びでした。
ここまで廻り道してこんなことを言う私はやはりずれた人間なのでしょう…。
といった考えには非常に納得できました。
上記の行動指針を順守することで結果として一貫した人格と見なされるようになり、
万一別れるとなった時にメンタルを崩壊させたり彼女を逆恨みせずに済むよう、
そしてその際には新しい行動指針に移行できるように何らかの手立て(覚悟?)
を打っておく必要はありそうで、その点は引き続き検討しようと思っています。
そう考えると他者ベースの行動指針を採用するのはやっぱり高リスクだなとも思ったり。
読み込んでいたこともあって、著者のid:ockeghemさんから
以上です。皆さまありがとうございました。