はてなキーワード: 他律とは
自己肯定感がなかった頃に合わない環境を選んでしまって、日々その環境にストレスだったけど、「主語が自分ではない悩みは捨てる」(自分のために)と決めたので、捨てるために、嫌なところを書いて、悩むのはやめる。
嫌なところ、合わないところ
・年寄りばかり
(職場でも、周りの人間がチラチラ見てくる。狭い世界しか知らない=同一視が激しいから、他者への干渉が激しい人間が多い。自分と他人は関係ないという意識がある人間が少ない。他人の目を気にして、他人の言動で自分の言動を変える人が多数派、気持ち悪い)
・民度が低い
(車のマナーは悪いし、トイレは汚いし。駅のトイレは定期的に誰かが詰まらせてる。都会で暮らしてたとき、そんなに頻繁にトイレの詰まりを見かけなかったので、田舎はいかにマナーやルールを守るつもりがない人間ばかりなのか、と思う。
都会でも規範意識が強すぎて、自分の抑圧を他者に押し付けてくる人間が多い環境は避けたいけど。田舎みたく民度が低すぎず、かといって規範意識に縛られて抑圧が強い人間ばかりでもなく。この中間がいい。
今暮らしてるようなド田舎でもなく、東京みたいな中心でもなく、程よい都会。
中心にいけばいくほど、規範意識が強くなり抑圧も強くなると思うから。(東京でも、規範に縛られた人間ばかりではない地域もあるのかもしれないけど
職場も、低学歴DQNの集まりみたいな環境と高学歴で規範意識の高い大企業や官公庁のような環境の中間、程よい規範意識の環境を目指す。
地域は民度の低さに偏ってて、職場は規範意識の強さに偏ってて。
個人的に、同一視が激しい人間が苦手なので、田舎はそこが一番嫌だ。
他者と自分を比べるのが当たり前、察するという領域侵害をしてくるのが当たり前で、気持ち悪い。
必要なことがあればこっちから言うから、察してこないでくれたらなぁ。(これも、自分の期待ではあるけど
常に周りを観察してて、他者のニーズを忖度するという領域侵害をしてきて、それを良かれと思ってる不健全な人間たち、気持ち悪い。
自分にもそういう時期はあったけど。
言ってもないことを先回りしてやるのが良しとされてる、同一視が当たり前の国、気持ち悪い。
「おもてなし」とか迷惑でしかないし。少なくとも私は、マニュアル至上主義のチェーン店で誰に対しても同じな画一的な接客をされて、望んでもないサービスを押し付けられて、迷惑としか感じない。
自分のニーズを無視されて、相手が勝手に先回りした相手が良かれと思う接客を押し付けられ。それを海外に堂々と美点としてアピールしようと思うのって、忖度する・されるのが当たり前になりすぎてるからだよね、怖い。
そうやって自他の境界線がない人間が大多数で、そんな人間たちは、勝手に他者に期待して失望して、文句を言ってくる。自分の期待が大きすぎるのが、問題なのにね…
田舎で生まれ育ったからなのか、周りの目を気にし過ぎる高校生を見かけて、痛々しいなぁ、と思った。
ワンマン列車(あまちゃんの世界かよ。ド田舎はドラマで見るにはいいけど、暮らすのは合わない)で目の前にいた高校生グループが、カレーを持ち込んでるのは周りからひんしゅくを買うのではないかと心配して、「私のではない」と何回も言ってみたり、「ツイッターに書かれてたらどうしよう」と心配してたり、挙げ句の果てには全て食べてみたり。
自分が世界の中心と考えるのは思春期だと自然なのかなと思うけど、それに他者の目を過剰に気にするところが入ってくるのが、不健全だな、と思う。
同一視が激しくて相互監視社会みたいな日本で、更に同一視が激しい田舎に生まれ育ったら、周りに監視されてるのが当たり前というマインドになるのかもしれないけど、そういう考え方では生きづらいよなぁ、と思った。
私もそういう時期はあったけど。
自分がどうしたいか、何をしたいか、より、他人からどう見られるかという他者の目を気にする他律的な行動をする人が多くて、怖いなぁ、気持ち悪いなぁ、と思う。
都会に行ってもそういう人間は多いんだろうけど、田舎は更に、そんな他律的で自意識過剰な人間ばかりだよな、と感じる。
日本のなかでも更に相互監視度合いが高いのが田舎(自分=他人な人間が多いから)
似たような境遇と見た目に囲まれてるとそうなるんだろうから、単一民族国家な日本人は同一視に陥りやすいんだろうけど、それが当たり前になってる社会は、怖いなぁ、気持ち悪いなぁ、不健全だなぁ、と思う。
テレビやネットの大手や、主流のメディアの価値観は「他人からどう見られるか」だから。
自分の頭で考えられない教育を受けた人間たちが、メディアを鵜呑みにして、他律的な価値観で生きてて、抑圧を押し付けあってて、気持ち悪いなぁ、と。
自由に自律的に生きてる人間を叩くから、そういった他律的な人間は。
病む国には病むシステムや価値観があるんだな、とわかったから、健全な国のシステムや価値観を真似るか、健全な国に住むのが自分のためだな、と感じる。
国にいくら文句を言っても変わらないから、自分が出て行くしかないし。
まずは田舎を出て、その後、日本以外で生きていけるスキルを身につけて、海外で暮らしてみて、どっちが合ってるかを判断したいなぁ、と。
いわゆる社会人となって25年、定年まで10年ほどのおじさん。新社会人となる若い方々に向けて教訓めいたものを書いておこう。頼むぞ、若いの!。
1. 言われたことをきちんとやる→言われなくてもきちんとやる→何をやるか(やらないか)自分で判断する。
最初から何でもできる人は基本的にはいないので、まずはこの順番で。事務系だったら、遅くとも半年程度でクリアしてほしい。
2. 自分ができることをやる。
様々な人の手法を参考にするにせよ、最終的には自分のスタイルを見つけ、自分なりにやるしかない。他人の単純な物まねは、ストレスがたまるばかりで、意味がない。
3. 嘘をつかない。
積極的に嘘をつくような人はまずいないとは思うが、例えば他律的な状況の変化によって約束や説明が守れなくなりそうな場合など、取り繕い的な消極的な嘘をつきがち。こういう時はさっさと上司に相談すること(次項)。
自分の権限・能力の範囲を超えることを抱え込むとロクなことがない。問題は早めに上司に放り投げる。上司たる上司であれば、然るべく拾い、対処策を示してくれる(実際には、そういうのから逃げ回る偽上司も多いのだが..)。
自己中
私は小中高校生時代にいじめにあい, 人格否定をされ続ける日々だった.
空気のような存在になっていても, 「なぜ学校に来るのか」「なぜ生きているのか」と四六時中囁かれ続けた.
家では, 両親は多忙で, 仕事から返ってくるなり, 「お前みたいなやつは, 社会に出てから通用しないよ.」と叱責されていた.
どんなに頑張っても認めてもらえない.
私の存在意義とはなんなのか, 幼少ながら悩んでいたが, 自殺する勇気もなく, 今思えば不思議な事に, 登校だけは出来ていた.
一人の時間は好きだったので勉強には没頭した. そして勉強をしていれば, 両親だけは私を認めてくれていた.
その後, 大学に進学した.
理由は勿論, 両親・親戚に認めてもらいたかったからであり, 大学の専門分野には特に興味はなかった.
しかし, 口だけは動いていて, 「この分野が好きだから(全くの嘘)」「この学科は有名企業への内定実績があるから」と話して褒められている時間が幸せだった.
大学の友人関係においても, 常に気に入られるように. 自分を押し殺し. 自分の経済面, 疲労面など考えず, ひたすらに他者に尽くすことだけ考えていた.
しかし, 時がたつにつれ, 尽くしているだけでは認めてもらえなくなった.
さらに, いくら認めてもらえるように無理をしても, 認めてもらえるどころか, 便利な人としてテキトウに扱われることもあった.
他者からの期待に答えられなくなったとき, 再び私の存在意義はなくなった.
気がつけば, 私自身は何も意見を持たず, 勉強はしたが自信を持ってアウトプットも出来ず. 本当に何もない空気のような大人になっていた.
こんな人いるのか. と思われるかもしれないが, 会話の返答が全て, まず相手によく思ってもらえる言葉を考え, 自分の意志や現状関係なく最善だと思われる適当な回答をしてしまうのである.
だから私は, 最初に述べたような, 自分の意志を優先し, 自分の幸福を追求できるような, 自律した人間になりたいと思う.
自分の人生を自分の責任でやろう、という意識が低いんだろう、ということと、それに関して無自覚なんだなと思った。
そして、自分に対して無責任であることに、無意識・無自覚だからこそ
他者を攻撃する一方で自分への攻撃は忌避したいという、矛盾を平気で併存させることができる。
多くの人は、増田と同様、誰かを存在意義にして生活している。多くの場合は配偶者や子が存在意義になる。要するに増田はごく普通の人だ。
一方で、自分の存在意義を、血縁の人間以外にしている人だって少なくない。
友人だったりペットだったり、他人だったり(社会活動家なんかはこのジャンル)、モノ・コト(趣味とか)だったり。
更に一方で、自分の存在意義を、自分自身の中に探すことができる人もいる。芸術家とか。
自分の存在意義の見出し方が、どういう方法であれ、上下関係はない。
自律的であれば偉いわけでも立派な訳でも全くないし、他律的で家族第一であれば善良なわけでもない(増田が他害的な発言を無意識にせよしてしまったように)。
http://b.hatena.ne.jp/entry/anond.hatelabo.jp/20141226041111
宿題=残業もしくは仕事を家に持ち帰るブラック体質、っていうブコメが割とたくさんあって、
よほどひどい担任に当たったならともかく、小学校低学年の宿題って、
修得に反復継続が必要なものや、学習定着のための予習復習が中心だよ。
自発的に勉強ができるようになるために必要な「練習」のようなもんだと思うんだけど。
それを、仕事が終わらないから家に持ち帰るブラック企業体質、と同じだと思っちゃうって。
宿題の意味も理解してないし、「仕事」というものの認識もすごく浅い。
頭脳労働してる人って、書類やら資料やらを家に持ち帰ることはしないにしても、
割といつでもどこでも仕事のアレこれを考えていたりする人が多いし。