はてなキーワード: 一橋大学とは
夫の義両親と同居させてもらって3年目。義父は80代。年上の夫と結婚したのもあり、30代の私からすると「お父さん」というよりは「おじいちゃん」といった感じだ。この義父がよくわけの分からないとを言う。
初めて言われたのは、まだ同居の準備で夫の実家と自分の家を行き来してた頃。夫実家での用事が終わって自分の家に帰ろうとした時に「帰るんか」と声を描けられたので「うん、また明日ね」と言って帰ろうと靴を履いていたら突然、先程とは全然違う口調で「外うろうろしてたら朝鮮のミサイルに狙われるぞ!」と言って来た。
いきなりだったので凄く恐かった。思わず無視して玄関を出てそのまま帰ったが、帰り道で「ああ、ボケてんのか」と納得することで落ちついた。動きもヨタヨタし、入れ歯が必要なのに普段は付けていないので妙に歪んだ口元をしている老人だ。そりゃボケてはいるかなと。
一緒に暮らし出したら、そういうおかしな発言をよく聞くようになった。内容は基本的に中国人か韓国人にキレているか、大昔の偉人にキレている。「(土地名)に行ったら中国人にだまされるぞ」みたいな感じだ。平安時代の天皇にもキレていたこともある。こういう発言をしている時はうなるように低い声でぶつぶついうので6割くらいしか聞き取れないし、こっちもちゃんと聞く気がないので、多分そんなことを言ってる…程度にしか分からない。(そういってる時の目は完全にいってんなぁといった感じなので、正気じゃないんだろうなと思う)一度、一橋がどうたら〜と言っていたので、一橋大学出身の有名人にキレてんのかなと思っていたら、よく聞いたら徳川御三家の一橋家のことだったのでさすがに笑ってしまった。テレビで見た情報と自身のオリジナル解釈での妄言らしいので、情報の真信憑性は勿論ない。
夫に義父はボケてるのかと聞いたところ、そういう発言は若い時からよく言っていたらしい。しかし、夫は3人兄弟の長男なのだが、兄弟では夫しか言わず、後は義母に言ってるらしい。その時点で、ある程度、人は見て言ってるんだなと思った。この義両親、明らかに長男の夫よりも下の兄弟たちの方を可愛がっているし、夫も子どもの頃から他の兄弟との格差を感じて育ったようだ。2人とも結婚して外で暮らしてはいるが、今でもビックリするような援助を義両親から受けている。援助事態は義両親のお金だし、嫁の立場でどうのこうの文句を言うつもりはない。しかし夫が一番不遇を食らっているのだけはよくわかった。そんな一番扱いが低い息子の嫁だから、こいつにも言っていいと思われたんだなと思っていた。
嘘の害のない情報だが、頻繁に聞いていると非常にうざくなってくる。よく夕飯時に言うが義母も夫もタイミングによればたまにキレてるが、基本は無視でスルーするようにしているので、それに習って私もスルーしていた。スルーしてても義母も夫も相当ムカついてるので場の空気が悪くなるのでごはんがまずくなる。
義母や夫がいる時はまだいい。私が一人でいる時は特に言われる確率が高かった。私は話しの内容よりも、ぶつぶつ唸るような口調が恐くて本当に嫌だったし、他にもイライラさせられることが多い方なので相乗効果でかなりムカついていたが、スルーするよう頑張っていた。
よく義父と単独でエンカウントするのが朝、仕事に行く身支度をするのでトイレに行くのに起きた時だ。朝のコーヒーを用意している義父がよくいる。普段からうざいなと思ってることを朝6時の起き抜けに言われるのは非常にこたえる。そうでなくても昔から私は寝起きの機嫌が非常に悪い。高校の修学旅行で起こしてくれた同室の友達にキレて泣かせてしまったことがある程だ。我ながらよく我慢してるなぁとは思ったが、ある日我慢できなくなった。
一応、朝に鉢合わせすると「おはよう」と挨拶をする。義父も「おはよう」と返してくれる。そして、その「おはよう」とは明らかに違った口調で「(土地名)に行ったら中国人に騙されるぞ」と唸った。その土地名は私が出勤する方向とは真逆の場所な上に、丁度その数日前に義父が明らかな詐欺に騙されかけて家族全員が止めてたところだった。騙されるのはお前じゃろうがい!!とブチ切れてしまった。
朝っぱらだったが、まーまーの声量で「知らんがな!!!!」と言い返した。ちなみに私自身もわりと見た目で舐められる方である。デブで丸くて色が白い上に、移住して15年くらい経つが今だに訛ってるらしい。実母の「女は愛嬌でどうにかなるから笑っときなさい」という教えが染み付いてるので、トータルでどうやらほわっとした優しい印象らしい。職場で「何言っても許してくれそう」とか言われたことがある(そんで失礼なことを平気で言うやつもいる)でも恋人にはわりとすぐキレる方だから、夫はそのギャップが相当恐いらしい。
多分、言い返した時に義父も恐かったようだ。言い返したすぐは、何かぶつぶつ言ってたいたが「だから何??」と強めに言ったら黙った。
その後、一人で居る時に言われることは無くなったし、食卓でも回数が減ったように思っていた。最初は丁度その頃、諸事情で義父の運動量が増えたので「やっぱ運動は健康にいいからボケにも効くんだな」と思っていた。昨日、仕事が終わって家に帰ったら義母が「も〜〜今日は暑かった!!」というので「暑かったね〜」と返したら「暑いし、お父さんは分け分からんことばっかりずっと言うから、もう気がどうにかなりそうだったわ」というのだ。
じじい、やっぱ人を見て言ってるだろう。私が恐くなったから言わなくなっただけのようだ。ボケてる老人ですら人を見てこんな態度なんだから、だいたいの人間、そうなんだろうなと思った。
別にLGBでいることが悪い訳じゃない。先天的だろうし。ただ、大半の人と違う道を選べば人生大変なんだよ。それを覚悟の上で他人に迷惑かけなけりゃなんの問題もなし。
だが、最近のLGBT活動家の「我々の意見を認めろ、異論は許さん」の圧は異常だ。たとえば、会社が利益効率を上げようと思ったら個別で配慮がなくてOKな人の方を、そりゃ採用したいでしょ。
発達障害だろうと精神疾患だろうと、障害者枠じゃ正社員と同じ給料を貰えないの。先天的だろうがね。ブサイク・ハゲだからって特別手当は出ないの。頭悪くても特別手当は出ないの、知能なんて半分は遺伝なのに。ジェンダー以外にも世の中は公平じゃない。
だから、発達障害薬とか育毛剤とか整形とかで、多数派に迎合するようなアプローチを模索してるじゃん。まだ完全ではないけど。でもLGBは、そういう方向からのアプローチを放棄しちゃったんだよ。おそらく活動家がロビー活動で。だからWHOがLGBはいかなる場合でも精神疾患じゃないと表明した。
まあ、=疾患ではないし、自分が気に入らないからと迫害はダメだ。しかし、異性愛者になる方法の模索を放棄する必要はなかった。ここが他のマイノリティと違う点だ。30年もあれば今なら、何かしらアプローチ法が分かったかもしれないのに。
だから、立場が宙ぶらりになった。他人からの差別より、絶対に叶わない恋をする、子供を残せない自分の存在意義について自問自答、親に孫を見せられない、みんなと好きな異性の話して馬鹿騒ぎしたかった、の方がよほど辛いと思う。近年は物質的豊かで平和な世だったからいろんな生き方が認められてたけど、これから中国とドンパチや産めよ増やせよの時代になったら、いつまでも相手変えてフラフラしてたら周りから白い目で見られるし、本人も何やってんだ俺となるだろう。
特に今となっては、活動家は野党に迎合しちゃって話がこじれてる。これらフラストレーション溜まって、活動家は差別だ差別だと、差別禁止法案を作ろうとしている。それがさらなる分断に繋がりかねないのに。LGBT理解増進法の差別禁止規定についても、どういう場合を差別と定義するか活動家が提案すればいいのに言わない。認めろのゴリ押し。政治的意図があるんだろう。LGBT当事者からも疑問視してる声が多いのに、それは無視。今となっては本当に当事者を救おうとしてるのか?人権ビジネスだよね。
マスコミにもみんな不信感を持ってる。一橋大学事件にしろ、求愛された方もアプローチが強烈で困った果てのアウティングらしいのに、一方的に告られた方を悪者扱い。何年も昔のLGBTは虐げられてるというデータを流して、LGBTは被害者と印象付けようとする。今ではYoutubeでLGカップルが動画上げてるよ?悩みの種が少しズレているのに、虐げられ像だけをクローズアップ。差別禁止法案をそこまでして通したいのだろうか?
実際に差別するのはダメでも、他人の気持ち悪いという内的な感情までは変えられない。それは相手の権利侵害。内的差別は詭弁だ。生理的に無理な相手から性の対象と思われたら、モーションかけられたら一定の距離を置きたくなるって、そりゃ。女性には生理的に無理な男性っているじゃん。
それが気に食わないなら、みんなと群れられないことが悲しいなら、うるさい活動家は異性愛者になればいい。そういった研究を進めるべきだよ。今までの転向療法に根拠がなかったのがいけない。しっかり基礎研究に取り組めば良い。初めから子供作る選択肢ないのは悲しいと思うしな。
繰り返すが、LGBであることを悪く言ってない。人と違う人生は大変なことも多い。でも、都合よく個性と被害者像を使い分け、野党と結託してノイジーマイノリティになるのはやめろと言っている。
小森龍邦氏死去、88歳 元衆院議員、部落解放同盟広島県連顧問
解放運動の巨星がまたひとつ墜ちた。私もあと十年生きるか怪しい身である。自分の政治運動に対する考えを少しばかり綴ってみてもいいだろう。
上のニュースの人は、かつて解放同盟の事務方のトップだった方だ。昭和7年に広島県東部の被差別部落に生まれ、中高生の時分から老年に至るまで部落解放運動に携わってこられた。
私が活動していた地域とは遠く離れているが、それでも半年に一度は彼の実家の傍にある、ちんまりとした選挙事務所へ行き、地元産のワインを飲みながら語り合ったものだ。
私などが知己と呼ぶのがおこがましいほど尊敬できる人格の持ち主だった。家族や地域や仲間のためであれば、危険を顧みずに行動する力を持っている。それでいて、思慮深いうえに頭の回転が速く、無謀な策を講じたりはしない。講じるとしたら、背後に確かな計算を持っている。そういう方だった。
それが、こんなに早くにお亡くなりになってしまった。悔しい限りだ。
私の番はいつ来るのだろう。運が良ければ二十年は生きられるかもしれない。運が悪ければ数年後か。その前に、自分の想いを吐き出す機会が欲しい。
さて、表題の意味について。あなた達の政治運動には『迫力』が足りないとは、どういう意味か。
言葉どおりの意味だ。特に、伝統的な分野、例えば労働組合などが挙げられる。昔に比べて弱体化が著しい。
企業ごとの組織率は低下し、労働者の組合加入率も低下し、賃金は下げられ放題、追い出し部屋や希望(半強制)退職の蔓延も放っておかざるを得ない。数十年後には、労働組合というものが事実上消滅していてもおかしくはない。
また、高校や大学など、学校内の自治を求める活動もそうだ。私は元高校教師だが、昔に比べれば、学生たちが自ら声を上げて学校のルールを変革するために動くことは減っている。感覚としてはそうであり、数字においてもそうなっている。悪い意味で、子どもが大人のいいなりになっている。
近年話題になったものだと、#MeToo運動だ。女性がこれまでに男性から受けた、性を主とする嫌がらせを公共の場で告発することをいうようだ。
日本ではそこまで定着しなかったが、本場のアメリカでは著名な人物の一部が職や名誉を失っている。最悪の場合は、裁判により実刑判決を受けることになる。
LGBTの社会運動も、社会の価値観を変革しつつある分野のひとつだ。
大衆消費社会が訪れてそうまで時間も経たない頃から、同性愛者としてのカミングアウトや文学活動、デモ行進や芸能界での活躍、自分たちを侮辱する者に対する訴訟提起(府中青年の家裁判)、ゲイであることを周囲に言いふらした者及びその所属校への糾弾(一橋大学アウティング事件)など、仲間の権利を守るための諸活動を行ってきた。
以前は、映像作品において、同性愛者が精神異常者として描かれるのは当たり前のことだった。子ども向けのアニメなどでもそういった描写があったが、昔に比べればなりを潜めているように思える。批判を恐れて、ゲイやレズビアンの人達を描けなくなっているだけかもしれないが。
これらの成功している政治(社会)運動には、共通する点がある。
相手の痛いところを突いていることだ。
この方針なくして勝利はない。しかし、近年の伝統的な政治運動の類を見る限り、相手の痛いところを見抜くことができる知性、または攻撃する度胸を欠いているように思う。
特に、組合関係の団体がそうである。昔の労働組合は、使用者と刺し違える覚悟があった。
意図的に給与の支払いを遅らされても、当局側が雇った暴力団に夜道で襲われても、工場を社員寮ごとロックアウトされても、それでも不屈の覚悟で戦い抜いてきた。
それが今では、使用者の言いなりとなり、組織から仲間を追い出すための行為に協力している。情けない限りだ。
話が逸れた。
相手の痛いところを突くことの具体例として、昭和40年頃の話をする。私の高校時代の級友の話である。K君とする。
高校二年の時だった。夏の午後の授業中に、ある教師が教室の窓の向こうにある山を指さして言った。「お前らみてみい、あの山にはよっつが住んどる」(※手の指が四本であるという意味)
その教師は、部落に住んでいる人間を馬鹿にしたのだ。当時はまだ、被差別部落で生活する人々と、それ以外との間に貧富の差があった。馬鹿にされやすかった。
どれだけ悲惨な生活だったか、今の生活と対比しながら述べると、家にトイレはなく(集落で共同のトイレだった)、上水道は通っておらず、生活汚水は外に垂れ流しであり、雨樋や排水溝がないので大雨が降ったら屋内は水びたしになっていた。
家族で食卓を囲んだ光景にいい思い出はない。口に出して述べたくないし、思い出したくもない。
さて、その男の言葉に頭にきたK君は、翌日に地域の仲間(私を含む)を連れて職員室に入っていった。K君が連れてきた解放委員会の男が怒鳴ったのを覚えている。「教頭、どういう教育をしとる!」という大声に、周囲に緊張が張り詰めた。校長までやってきた。
その教師に向けて、「そんなことは言ったらいけんど」と説得しようとしたものの、それ以前の問題だった。その教師は、私達の質疑に対して、最後までしらを切り通したのだ。「そんなことはしていない」と言い張った。
このままではK君の立場が危ういわけだが、私にはどうすればいいかわからない。しかし、協力をしたかった。
また翌日、K君は教室の中で証言者を探すために、級友の前で声を上げた。「このままでは俺は嘘つきになってしまう。証言をしてくれ」と皆に伝えた。が、私ともう一人か二人以外に協力者は出なかった。
次の日だった。今度は、級友一人一人と話をする作戦に切り替えた。校庭に級友を呼び出し、どうして協力してくれないのか、と訴えたのだ。それでも駄目だった。みな、「それは勘弁してくれ」と言うばかりだったという。
さらに次の日、K君は50枚ほどのA6程度の大きさの小紙を持ってきた。それを級友の一人一人に渡して、「これに証言を書いてくれ。後で預かる」とお願いして回ったのだ。
翌週、K君は再び、地域の仲間と、同じ地区の解放委員会の役員を連れて校長室に入っていった。私は外で待っていたが、勝利を確信していた。K君は、20枚以上はあろうかという紙の束を持っていたからである。
その年度の末をもって、その教師は異動になった。県内の一番端にあるエリアに転勤していった。彼はまだ赴任して2年目だったことから、今回の作戦が功を奏したとみていいだろう。
この、K君の動きを間近で見たことが、私が政治運動を志したきっかけだった。
今度は、少し規模の大きい話をしよう。
それから三十年以上が経って、平成の初期だったと記憶している。被差別部落の生活・文化的な環境を改善するという一連の政策が国会での議決を受けてから、長い時が経っていた。
K君の事件をきっかけにして、私は解放委員会に正式に加入し、高校で社会科を教えながら政治運動に身を投じていた。40になる頃に教師を辞めて、今度は別の公職に就いた。
ある年の冬だった。私が活動していた県の幹部職員が、「同和関係の補助金はすべて凍結する」と、あろうことか県議会で答弁した。
寝耳に水だった。まさか、そんなことはあるまいと考えたが、確かな事実だった。議会答弁はテレビ中継もされていた。
当時、私が所属していた団体の幹部が全員呼び出され、偉い方々から対策を指示された。それぞれの支部からも、来年度の予算について雨後の筍のように質問が寄せられていた。
発砲ふさがりかと思われたが、ふと、K君のことを思い出した。彼はもう立派な社会人であり、解放委員会からも抜けていた。それでも藁にすがる思いで相談に行こうとしたものの、気が乗らない。
彼に迷惑をかけるのでないかという想いもあったが、何よりも私個人の意地だった。同和教育、人権思想を啓もうする活動を担う一員である以上は、自分達の力で解決せねばならないという気概があった。
とはいえ、K君と話をしたかった。結局、正式な相談ではなく、共に食事をしながら今回の件について話し合うという形式を取った。K君は、「ここで折れたら前例になろうが」という話から始まり、諸々の助言をいただいた。今でも感謝している。
後日、県の横暴に対する対抗策がまとまった。開始時期は、一週間後とした。
数万人規模の組織で、ここまでの速度で動くのは無理がある。組織全体の足並みが揃わなくなる恐れがあったが、予算全凍結は目の前だった。
あの時のK君のように、各市町の教育委員会の庁舎に数人で飛び込んだなら、「どうしてこんな卑劣なことをするのか。子どもらが人権意識をもつための活動ができなくなっていいのか」というメッセージを何時間にも渡って、毎日伝え続ける。
庁舎の外には最大100人程度を待機させていた。みなそれぞれ、横断幕と拡声器を使って、スローガンを堂々たる態度で表し、相手方にこちらが本気であることを知らせた。朝方から始まって、日中は休憩を挟みながら、日が沈む頃まで毎日続けた。
場所は関係なかった。公共機関であれば、どこででも実施した。教育委員会だろうと、市役所の入り口だろうと、学校の門前だろうと、警察署の前だろうと、県会議員の自宅の玄関だろうと、場所は関係なかった。
かつて、私たちは基本的人権の享有を受けられなかった。その歴史を繰り返してはならない。私たちは本気だった。
議会での答弁から半年後、私達の本気は伝わった。予算の凍結が撤回されたのだ。
これまでと同じように、これまでと同じだけの金額を子ども達への教育活動、個別学習会や勉強会に使うことができるようになった。
私たちは、相手の痛いところを突いた。突き上げを受けた教育委員会は、通常の業務を行うにあたって支障が出る。日中は、私たちが絶えず抗議をするので、それに対応せざるを得ないからだ。
それが数日であれば持ちこたえるだろうが、何か月にも及ぶとさすがに根を上げる。
「予算の凍結はやめてくれ。現場がもたない」と各市町とその教育委員会は、県の決定に抗議する流れができる。
さらに長い期間に渡って続けば、県としても、予算の凍結の続行と、各市町の疲弊とを天秤にかけざるを得なくなる。
相手の痛いところを突けばいいというものではない。こちらも痛い目を見る覚悟が必要だ。というのも、現実的には、まずはこちらが痛い目を見る可能性が高いからだ。
上記の場合、県による予算凍結の撤回を求めて戦うにあたり、相手方に攻勢をかける必要があったわけだが――初期の段階が一番苦労した。まず、動員をかけても会員は集まりにくかった(当事者意識の欠如)。これがただの動員ではなく、緊急事態を打破するための闘いであることをわかってもらうために熱弁を振るう必要があった。この説得のための活動、すなわち県内の支部巡りに最も時間を要した。
人が集まり、相手方に攻勢をかけることができるようになったとして、最大のリスクがある。警察に通報されることだ。特に、要職にある者が動けなくなるのはまずい。敵にとっての追い風になる。
今回は、そうした事態が起こることはなかった。絶対に暴力行為や脅迫行為をしてはならないと、組織内で固く申し合わせをしていたからだ。
私が若い頃の解放運動だと、警察など介入する余地はなかった。デモ活動やオルグの最中に通報があって警察官が駆け付けたとしても、我々を見て尻込みをするのは当たり前で、あちらの方が逃げ出すこともあった。
それほどまでに、当時の私たちは気迫に満ちた政治(社会)運動をしていた。物事に対する「本気」というものが、警察すら怯えさせるほどに昇華されていた。
時が経ち、平成時代になると、部落に住む人々も豊かになったこともあり、ハングリー精神が見えなくなっていた。集団の気迫はすっかりと消えてしまい、周りから見ると――デモ活動の全てが滑稽なものに映るようになっていた。満たされた人間に政治運動はできない。それだけのことだった。
ところで、予算凍結に対する対抗策の実施にあたり、最大の懸念事項があった。
県と市町との連携だ。もし、予算凍結の議会答弁を打つよりも前に、県議会が各市町に根回しを行い、さらに我々を抑えるための手を考えていたとしたら、負けていた可能性が高い。
逆に言えば、同和対策事業に関する予算の凍結という重大事項について、事前に各市町と連絡調整をしないというミスを県が犯したからこそ、我々は勝利することができたと言っていい。
最後になる。
相手の痛いところを突くこと、その直近の事例としてミャンマーのデモを挙げたい。
アウンサン・スー・チーを頭に据える民主派が勝つにはどうすればいいだろうか?
武力では国軍に勝てない。ならば、「国軍は間違っている」というメッセージを、自国内と国際社会に訴えかけるしかない。
経済面ではゼネラル・ストライキを行い、社会面では民主的な思想や制度について啓もう活動を行い、政治面では大規模デモによって世界に窮状をアピールする。
アメリカがすでにミャンマーへの経済制裁を行っているし、世界的な空気として、国軍より民主派を推す声が大きいのは間違いない。
民主派のやり方というのは、それでいい。とことん大きなデモを打って、自分達の正義をアピールする。
が、その代償として、民主派は多くの命を失っている。つい先ほど、未成年のデモ参加者が銃で撃たれて亡くなったというニュースが飛び込んできた。先日のデモでは50人以上が亡くなったという。
民主派グループの中でも、指導者に近ければ近い者ほど、身体に危険が迫る。国軍にしてみれば、今が正念場である。世界各国からの評価が低下することを気にかけず、民主派の指導者層を徹底的に弾圧し、デモ活動を先導する者を少なくし、事態を膠着状態に陥らせ、軍事政権を持続させるとともに――軟禁しているアウンサンの自然死を狙うメリットの方が大きい。
もし日本が、ミャンマーのように危険な状態だったとして、あなたが立ち上がって戦わねばならなくなった時、どういう心構えで、どういう行動を取るべきだろうか? 相手の痛いところを突くために、どこまでのリスクを背負えるだろうか?
その問題に直面していたのが、私が生まれた時代よりもさらに昔、明治以降の被差別部落に暮らす人々だった。あまりに苦しい生活環境であるがゆえ、生存権を得るために戦わねばならなかった。しかし、どうやって戦えばいいのか?
多くの者が基本的人権を得るために戦い、痛い目に遭いながらも戦いを続け、そして今の、(経済的な意味に限っては)被差別部落問題が解決した現在に至る。
あなたの人生にとって、重大な戦いをせねばならない時がくるはずだ。その時に、どういった行動を取ればいいのか、当日記がその際の助けになれば幸いだ。
40代以下の若い人に向けて、このトピックを書いたつもりだ。あちらへ、こちらへとぶれた文章になって申し訳ない。読み返してみると、まとまりのなさに驚いている。ご容赦いただきたい。
18人の参加者中、17名が大卒以上、1名が不明。日本の4年制大学進学率は2000年時点では47.5%、過去最高を記録した2020年でも54.4%にとどまる。17回コイントスして全部表が出る確率ってどれくらいだろう?
また出身大学が明らかになっている17名のうち14名が関東(というか南関東)の大学の出身者である。2015年の日本の大学生の総数は286万人だが、そのうち南関東4県の大学生は116万人にとどまる。
出演者が男性ばかりであることのホモソーシャル性はすでに話題になっているが、同時に「首都圏の男子大学生のクラブ」でしかないことのホモソーシャル性にも目を向けていい。昨年マイケル・サンデルも指摘したように、多様性を標榜する集団であっても、こと学歴という一点においては強固な均質性や偏見を獲得する。社会問題を語るのであれば、「社会」には男性だけがいるわけではないし、同様に高学歴者だけがいるわけではない、関東人だけがいるわけではないというのは気付きそうなものだが……。
結局のところ、たまたま都会の太い実家に生まれたボンボンたちが自分たちの加害性に目を向けてみせるポーズをして贖罪できたと錯覚して気持ち良くなってるだけにしか見えない。
氏名 | 出身地 | 高校 | 大学・大学院 |
---|---|---|---|
荻上チキ | 埼玉県浦和市(兵庫県生) | 埼玉県立浦和西高 | 成城大学、東京大学大学院 |
古田大輔 | 福岡県福岡市 | 福岡県立福岡高 | 早稲田大学 |
斎藤幸平 | ウェズリアン大学 ベルリン自由大学修士課程 フンボルト大学博士課程 | ||
後藤正文 | 静岡県島田市 | 静岡県立島田高 | 関東学院大学 |
今井紀明 | 北海道札幌市 | 立命館アジア太平洋大学 | |
クボユウスケ | |||
松岡宗嗣 | 愛知県名古屋市 | 明治大学 | |
望月優大 | 埼玉県草加市 | 慶應義塾大学 東京大学大学院 | |
中野晃一 | 埼玉県蓮田市 | 伊奈学園総合高 | 東京大学 オックスフォード大学 東京大学大学院 プリンストン大学博士課程 |
西谷修 | 愛知県 | 東京大学 東京都立大学大学院 パリ第8大学 | |
せやろがいおじさん | 奈良県天理市 | 沖縄国際大学 | |
三浦崇宏 | 東京都世田谷区 | 暁星高 | 早稲田大学 |
清田隆之 | 東京都足立区 | 日本大学豊山高 | 早稲田大学 |
牧野圭太 | 千葉県茂原市 | 早稲田大学 東京大学大学院 | |
下地ローレンス吉孝 | 一橋大学大学院 | ||
津田大介 | 東京都北区 | 東京都立北園高校 | 早稲田大学 |
武田砂鉄 | 東京都 | 明治学院東村山高 | 成城大学 |
田中俊之 | 東京都立武蔵高 | 武蔵大学 武蔵大学大学院 |
便乗して。
完全な地方都市に生まれて、国立大や早慶に入るような人がいると近所で話題になるくらいの町で育った。
周りと比較すると勉強ができたので自分は頭がいいという錯覚に陥って、かつ運動神経が悪くコミュニケーション能力も低かった自分は
勉強くらいしか人並みにできることがなかった為、勉強を頑張った。
高校は電車で1時間くらいかかるその地域ではそこそこの進学校に入った。(年に一人二人東大入るかどうかくらいのレベルの学校)
そこでもただひたすらに3年間がり勉し続けた。結果ぎりぎり滑り込めたのが文系の国立大の一橋大学だった。
東大や京大は受けられるレベルにすらなかった(今は知らないけど当時は東大は社会の科目が一つ多く、
京大は数学の範囲が広く他の国立大受験と比べても一段階大変で格が違った)
この頃から、自分は地頭がよくない唯の宿題芸人に過ぎないということを何となく気づき始めていたが
上京して大学に入ってまじまじと突きつけられることになった。高校自体のほとんどすべてを費やして
なんとか滑り込めた一橋大だったが、クラスの半分くらい?は首都圏の著名な進学校の人たちだった。
話してみると、同級生の大半は東大か医学部にいったけど、落ちこぼれの俺は一橋が限界だったとか
高校時代遊びすぎてしまった、みたいなひとが沢山いて驚いたのを覚えている。
で、実際ゼミなどで議論をしたりすると頭の回転の速さの違いに驚愕した。なんというか脳のCPUが違う気がした。
卒業できるのか不安になったけど宿題芸人の気質のある自分は単位はなんとかとれて滞りなく卒業、就職できた。
民間の就職に強い大学のブランドの恩恵にあずかって世間的には立派な会社に就職できた。田舎の出の自分が
こんな会社に入社できるとは、と当時はうれしかったし感慨深いものがあった。で、入社してみて同期のレベルの高さと家柄の良さに驚いた。
もちろん自分みたいな田舎の出もいたけど、マジョリティは東大だったし、大学を問わず所謂都市の有名中高出身の人が多かったのである。
留学したり帰国子女で英語が話せるのが当たり前だったり、聞いてみると両親も誰もが知ってる一流企業で働いていたりと
通ってきた道がそもそも全然違うんだなと思った。(脇道にそれるけど金持ち喧嘩せず、というか大体おおらかで良いやつが多かった)
その後実際働いてみると先輩や上司も含めて頭がよくて、地頭の悪さを痛感しつつやり過ごす日々だけど10年くらいなんとか辞めずに続いている。
で、いつからか思うようになったのは「自分は東京に移民してきた田舎移民一世」なんだという感覚だ。あくまで東京という国においては外人で異物に過ぎない。
結婚して自分の子供が生まれたら、その子は移民2世として自分よりは”東京”に順応した存在になるのかなと。それが何代か続いて初めてこれまで出会って来た
地頭のいい純粋培養の都心のエリートみたいな存在が生まれ得るのかなーと。とりとめがなさ過ぎるし、で何がいいたいのか?といわれるとうまくまとめられないんだけど、現実問題地方と都心では格差があることは事実だなーと。
一方で就職してから仕事の関係でアメリカとアジアの国にそれぞれちょっとずつ住んだ印象だと、日本の格差はまだましな方だなとも感じた。一億総中流風?なのが逆に諦観にまで至ることが出来ずに苦しいのかもしれないけど。
一人当たり申請上限額(院生希望図書 30,000円、学生希望図書 15,000円)
年間予算額(院生希望図書 200,000円、学生希望図書 50,000円)
・申込みの上限 年度において1人3冊以内かつ合計金額が20,000円以内
年度1人当たりの購入上限冊数 7冊
税込み価格が10,000円を超える図書は附属図書館選書委員が購入の是非を検討
和書・洋書とも、図書1点当たりの定価が、1,000円以上、50,000円以内のものに限る
当該年度につきリクエストできる冊数・金額の上限 年10冊まで(月5冊まで)、合計金額が3万円以内
価格(税抜き定価)が1,000円に満たない、もしくは30,000円を超えるものは対象外
一人が同一年度内に申し込める上限 原則として12冊まで、もしくは総額120,000円まで
リクエストできる図書 希望者本人以外にも広く利用される図書であること
国公立大学医学部医学科、それは入るだけで将来が約束される夢の学科。
私立大学の学費が数千万円という大金にも関わらず、国立大学の学費は年間52万円ほどと格安。
奨学金を借りれば、一銭もお金をかけずに入学、卒業することも可能。
医師国家試験の合格率は90%程度と卒後は医師としての道が約束される。
中には5浪というツワモノもいる、それ以上も....
そんな人生保証レールだが今現在、他の大学に大差をつけて、最も入りやすいであろう国立医学部が存在する。
今回は徳島大学医学科に入りやすい理由を述べるだけで、他の大学については言及しない。
それでは始める。
まずはボーダーを見ていこう。
パスナビによるとセンターボーダーが83% 偏差値62.5であった。
2020年は900点満点中、ボーダーが779点、最低点が724点(80%)である。
2020年は400点満点中、ボーダーが276点、最低点が214点(53%)である。
ここで出したデータは正真正銘、合格者平均(ソースは徳島大学)です。
ボーダー自体は境界の意味しかないので、どの境界かは予備校ごとによって異なります。
(河合塾のいう「ボーダーライン」は、「合格と不合格の割合が50%になるセンター試験得点のライン」らしいです。)
色々ごちゃごちゃ言いましたが「ボーダー」は忘れてください、合格者平均だけ見てください。
実際の集団で考えればわかるが、
集団の半分の実力を持つというのは、大学受験を合格するに際しては必ずしも必要ではない。
逆に合格者平均に近い点数を取っていれば、大抵の場合受かると考えていい。
実際に合格、不合格を争うのは下位10%程度、合格最低点周辺の人達である。
驚くのはこれだけではない、徳島大学医学科は「国立医学部随一のセンター配点の高さである」
つまりこういうことだ
センター試験でほとんど決まってしまう大学にも関わらず、合格最低点が国立医学部随一の低さ
驚くなかれ80%に毛が生えた程度というのだ。
ここまでで十分入りやすさは伝わったと思うがまだ実は半分も紹介できていない。
センター試験は国語、英語、社会、数学1、数学2、理科1、理科2の7科目で構成される。
よって合計900点満点
徳島大学のセンター配点も900点であるため変わらないと思う人もいるかも知れない。
実は徳島大学医学科のセンター配点は社会50点、国語150点、理科300点である。
理系の人ならわかるだろうが、この配点で最低点が80%というのは医学科として考えられない低さである。
一般的に国立大学医学科の合格者は85%〜87%程度の得点率を叩き出すが
これは数学、英語、理科はほぼ満点、社会と国語で以下に落とさないかの勝負になっている。
つまり数学9割、理科9割、英語9割、社会8割、国語8割ぐらいの得点率で8割後半を叩き出しているのだ。
人によっては数学満点、理科満点なんて人も珍しくない、むしろ9割を切ってしまうと合格は厳しい、それぐらい理系科目だよりなのだ。
話を戻そう、一般的な国立大学医学部合格者が徳島大学の配点で計算すると、
数学180/200
理科270/300
英語180/200
社会40/50
国語120/150
合計790/900 →87.7%
さて、先程も述べましたが、受験はボーダーで考える必要はありません
合格最低点を超えればいいのです
どれぐらいの点数なら合格最低点になるのでしょうか。
数学180/200
理科270/300
合計750/900 →83%
国立大学医学部合格者なのに7割科目が複数あります、考えられない点数ですが受かってしまいます。
更に下げて最低点を目指します。
理科270/300
合計730/900 →81%
おわかりいただけたとおり、現在の徳島大学は国立大学でも有数の入りやすさです。
まずは得点率の低さから、400点満点というただでさえ少ない配点にも関わらず
これではセンター試験が偶然うまくいった連中に追いつくことができません。
次に科目数の少なさについてです。
なんと2科目です。
驚異的です。
考えられません。
センター試験後死ぬ気で2科目勉強すれば落ちるどおりがありません。
もうおわかりいただけたかと思いますが、更に追い打ちをかけます。
多浪であろうと、女性であろうと、差はつけられません(女性合格者が多いことからもわかります。)
いやいや、でも進級が厳しいんじゃないの?
嫌でも現実が伝わったと思いますので、最後に私が考える徳島大学の受験計画について語ります。
まずはじめに念頭に置いてほしいのが
一方古文漢文と社会はすぐ忘れます(3ヶ月ぐらいで忘れていきます)
大体大学合格したら高校の勉強なんてしませんが、今の私ですら数学、英語、現代文はまともな点数が取れます。
一方社会、古文、漢文、理科(化学の暗記事項)は全国平均点を切るでしょう。
こんなことは進学校出身なら常識です、もし知らなかったなら理解しましょう。
あなたは1年生の社会のテストでまともな点数が取れますか?取れませんよね
じゃあ数学のテストは?取れないと困りますよね。そういうことです。
センター試験では9割は落とさないレベルまで持っていってください、
その代わり他の科目の勉強はしなくていいです。
数学英語は二次試験まで解けるように、理科はセンターの範囲だけでいいです、9割を割らないようにしましょう。
かんたんです、理科で9割超えはかんたんです。
3ヶ月で間に合うか!!って思った人、間に合います。
古文漢文は満点取らずに7~8割取れればいいです、その代わり死ぬ気でやりましょう。
社会は平均点に毛が生えた程度でいいです、1割が5点分しかありませんから、驚異的低さです。
英語170/200→85%(9割ほしかったですがリスニングで大コケしました。)
社会30/50→60%、(大コケです、全国平均点程度しかありません。)
国語105/150→70%、(大コケです、全国平均点に毛が生えた程度しかありません。)
合計点は
770/900 →85%
とにかく量をこなすだけです。
毎日長文2文以上
数学は4問中2完1半でした。(2完と言っても取らせる問題でした。)
次に英語です。詳しい点数はわかりませんが半分は取れました。
後にわかった点数によると
数学110点(2完ではありませんでしたが、部分点で稼ぎました)
英語120点(大体これぐらいだと思っていました。)
ちなみに大コケしてます、だって合格者平均が7割平均のテストですから。
さて、合計点ですが
ちょうど1000/1300点でした。
振り返りましょう
センター試験では理科数学は普通に取れました、英語は若干コケましたが耐えました、国語と社会は大コケも大コケです。
二次試験ですが、合格者平均には及ばない点数でした、半分ちょい、6割程度の得点率。
結果を発表します。
めちゃくちゃ大コケしても数学と理科さえ取れていれば受かる大学です(センター試験レベルで)。
なぜこんなに入りやすいのか疑問に思う人もいるでしょう。
答えは倍率にあります。
志望者258人に対して、定員は114人
倍率にして2.3倍、国立では考えられない倍率です。
これだけではありません、徳島大学の推薦志望者は一定数いますが
受験条件として8割があげられているので、ほとんど全員が一般にも志望しています。
実際に試験を受けた人は200人でした。
合格者数も118人に増えて、実質倍率は1.695倍です。
書きミスじゃないですよ、1.7倍です、高校入試じゃないですよ。
正確には2倍周辺ですね。
ありえないほど低いことに変わりはありませんが....
東京大学に入ったって、一橋大学に入ったって、早慶に入ったって、旧帝大学に入ったって、
でも、今年だけじゃないの?
→ここ数年はこの傾向が続いています。
多ければやめる、少なければ出願する。
ということが可能なのです(ちなみに大学でも受付はしているはずです。)
そうはいっても最終日に跳ね上がるかもしれないじゃんと思った方。
再受験サイトで、ここ数年の倍率の推移が見られるので見ましょう。
でも立地が悪いじゃん。
さあ、国公立大学医学部を目指す皆さん、徳島大学へ行きましょう。
準備はいいですか?
→傾向は変わりましたが、この配点で次年度入試も行うようです。
・医者忙しいじゃん。
楽しようとすれば幾らでも楽できます。
それで医療が成り立つかどうかは問題ではありません、医師に責任はありません。
→受験生の何人がこの記事を見ますかね、この記事の影響は限りなく0に近いです。
・医者なんてすぐに食いっぱぐれるぞ。
→いつかはそうなるでしょうが、その前に世の中の多くの仕事がなくなっているでしょう。
また、食いっぱぐれたくないなら外科医になればいいです、忙しいですが食いっぱぐれない。
ボロカスに叩かれるほど悪いとは思えない。
フェミニストでも、守られたい。フェミニストだから、守りたい | かがみよかがみ
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/mirror.asahi.com/article/13432941
強い家父長(男性)による庇護と安定的な経済資源の供給のもとでフェミニズムの学習と実践に取り組み
家父長制を否定しつつ結果的にそれに頼る傾向があると批判されることもあったが
家父長による庇護の必要性を自覚的に論じるフェミニストはほとんど例がない。
奇をてらった初学者の思いつきというわけでもなく
モヤモヤした気持ちを救ってくれたのもフェミニズムだった
一橋大学の佐藤文香先生はゼミ生たちと『ジェンダーについて大学生が真剣に考えてみた あなたがあなたらしくいられるための29問』(明石書店)という本を出しておられます。その中で「専業主婦になりたい人もいるよね?」という問いがあり、先生からの答えも掲載されています。先生は、フェミニズムの観点で問題なのは、職場での男女差別や賃金の非対称性によって専業主婦にならざるをえなかった女性たちだと答えています。専業主婦になるならないという選択は、「性別にとらわれず、自由に生きられる社会の実現」というフェミニズムの観点からすればいずれも間違ったものではないのです。
主張の根幹を支える既存のフェミニズムのテキストも存在しており
フェミニズム界に新たな風を吹き込むのみならず
2015年4月に一橋大学法科大学院の男子学生Aが同級の男子学生Bに対しLINEを介して「好きだ。付き合いたい」などとメッセージを送って恋愛感情を告白したところBは「付き合うことはできないが、これからも良い友達でいたい」などと応答した。その後Bは同級生である友人たちが見ているLINEグループに「お前がゲイであることを隠しておくのムリだ。ごめん(Aの実名)」と投稿し、Aが同性愛者であることを第三者に暴露した。
裁判の中でBは、交際を断ったにもかかわらず、Aが「普通の友人以上」に連絡などをしてくることが「全く理解できず、大変困惑し、精神的に不安定になり夜眠れなくなっていった」として精神的に追い詰められてこれを回避するには暴露しか手段がなかったと主張し、大学は対応は適切だったと主張している
Bがかわいそうすぎる事件だったよね。これ。
https://quoteinvestigator.com/2018/01/14/time-art/
ピカソ説は英語で探してもあやしいビジネス書しか出てこないので確実に嘘だが
ジェームズ・マクニール・ホイッスラーという画家が1878年にほぼ同じ意味の会話をしており、こちらは1890年刊の自伝に確かなソースがあるので、これが元ネタである可能性が高い
彼は『黒と金色のノクターン - 落下する花火』という抽象画を酷評されたことに腹を立てて批評家ラスキンを告訴したのだが、その時のホーカー法務長官とホイッスラーの対話が下記
「しかし実際あなたは2日で描いた作品に200ギニーもの値段をつけたわけですよね?」
https://hermes-ir.lib.hit-u.ac.jp/rs/bitstream/10086/10613/26/ronso1220300820.pdf
2ch(現5ch)の著名なコピペの中に「東工大(信大)コピペ」なるものがある。
伯父「○○君も大学生か!小さい頃よくだっこしてやったんだぞ!がっはっはー」
俺 「覚えていますよ」
伯父「どこの大学に行っているんだ?」
伯父「そうか、工業大か!高校時代遊びすぎたんだろ!でも浪人しなくてよかったな!」
「お前と同じ年の息子の××覚えているだろ!深志から信大工学部だぞ!(勝利者宣言)」
親父「無言・・・(瞳が潤んでいた)」
伯父「おい、信大生こっちこい(息子の××を呼ぶ)」
向こうでも大学の話をしていたらしい××が鼻高々でやってきた。
××「(馴れ馴れしく)○○、久しぶりー、元気!」
「あっ、叔父さん、こんにちは、俺、今年から大学生になりました。」
親父「そうか、大きくなったな」
××「信大に行っているんですよー(勝利者宣言)○○君はどこに行ったの?」
俺 「東工大w」
ニヤついている伯父を尻目に、一瞬にして××の顔色が変わった。
伯父「○○に勉強教えてやれよw」
××「(しばし、絶句)・・・みっともないからやめてくれよ親父」
伯父「?」
動揺しまくりの××は伯父を速攻連れだした。
久しぶりに無口な親父の晴れ晴れとした顔をみた。
帰り際、充血した目をした伯父と目があった。
コピペの大枠としては、
高卒で就職した伯父が、大学受験を経験していないためか、高校受験における普通科高校に対する職業科の高校である工業高校と同様と認識(いわゆる普商工農の序列)、あるいは東京工業大学をただの無名工業大学と認識していたために、地元の有名進学校(松本深志)から地元の国立大学(信州大学の工学部)に入った伯父の息子「××」(「俺」のいとこ)の方が優れていると認識(誤認)して話している、というものである。
A高(地元トップ校)からB大(地元国立大学)が東工大より優れている、というものであるが、長野以外だとどうなるのか、どういったものがあるのかという発想からこの記事は来ているものである。
記事作成者のイメージと、実際に地元で思われているイメージとは違うのかもしれませんが、何卒ご容赦ください。
また、大学は、有名な高偏差値であること、よりも何を学びたいか(何をしたいのか)で選ぶものであると思います。勿論、高い偏差値の大学と学習環境は相関関係にあるのかもしれませんが、何処(大学)で、何(学部・学科)を、誰(教員・ゼミ)に学ぶのか、その視点をどうか忘れないでください。
コピペでは工学部とあったので、基本的に学部は工学部としましたが、工学部が存在しない大学については理系学部(理学部、情報学部)にしました。
※コメント
(地理的に離れている等で、一部の都府県に公立大を入れてあります。)
「お前と同じ年の息子の××覚えているだろ!南高から北大工学部だぞ!(勝利者宣言)」
※地元に留まるなら、悪くなさそう。
「お前と同じ年の息子の××覚えているだろ!弘高から弘大理工学部だぞ!(勝利者宣言)」
「お前と同じ年の息子の××覚えているだろ!一高から岩大理工学部だぞ!(勝利者宣言)」
「お前と同じ年の息子の××覚えているだろ!一高から東北大工学部だぞ!(勝利者宣言)」
※鳥人間コンテストに参加したい、航空宇宙学を学びたいのかな?
「お前と同じ年の息子の××覚えているだろ!秋高から秋大理工学部だぞ!(勝利者宣言)」
「お前と同じ年の息子の××覚えているだろ!山東から山大工学部だぞ!(勝利者宣言)」
「お前と同じ年の息子の××覚えているだろ!福高から福大理工学群だぞ!(勝利者宣言)」
「お前と同じ年の息子の××覚えているだろ!水戸一高から茨大工学部だぞ!(勝利者宣言)」
「お前と同じ年の息子の××覚えているだろ!土浦一高から筑波大理工学群だぞ!(勝利者宣言)」
「お前と同じ年の息子の××覚えているだろ!宇高から宇大工学部だぞ!(勝利者宣言)」
「お前と同じ年の息子の××覚えているだろ!前高から郡大理工学部だぞ!(勝利者宣言)」
「お前と同じ年の息子の××覚えているだろ!浦高から埼大工学部だぞ!(勝利者宣言)」
「お前と同じ年の息子の××覚えているだろ!県千葉から千葉大工学部だぞ!(勝利者宣言)」
「お前と同じ年の息子の××覚えているだろ!日比谷から東大工学部だぞ!(勝利者宣言)」
(「お前と同じ年の息子の××覚えているだろ!日比谷から東大理一だぞ!(勝利者宣言)」)
※お互いに認め合ってそう。
「お前と同じ年の息子の××覚えているだろ!立高から首都大システムデザイン学部だぞ!(勝利者宣言)」
「お前と同じ年の息子の××覚えているだろ!翠嵐から国大理工学部だぞ!(勝利者宣言)」
柏陽-横浜市立大学
「お前と同じ年の息子の××覚えているだろ!柏陽から市大理学部だぞ!(勝利者宣言)」
「お前と同じ年の息子の××覚えているだろ!県高から新大工学部だぞ!(勝利者宣言)」
「お前と同じ年の息子の××覚えとるやろ?中部から富大工学部やぞ!(勝利者宣言)」
※自宅から通えない(一人暮らしが許可されない)女子学生だと、頭が良くても富大に行くらしい。
「お前と同じ年の息子の××覚えとるやろ?泉から金大理工学域やぞ!(勝利者宣言)」
※伯父はマジで誇ってそう。金大生、ああいい響き。息子が松本深志から信大に行って誇る気持ちも良くわかる。
「お前と同じ年の息子の××覚えているだろ!藤島から福大工学部だぞ!(勝利者宣言)」
「お前と同じ年の息子の××覚えているだろ!南高から梨大工学部だぞ!(勝利者宣言)」
「お前と同じ年の息子の××覚えているだろ!深志から信大工学部だぞ!(勝利者宣言)」
「お前と同じ年の息子の××覚えているだろ!岐高から岐大工学部だぞ!(勝利者宣言)」
「お前と同じ年の息子の××覚えているだろ!北高から静大工学部だぞ!(勝利者宣言)」
「お前と同じ年の息子の××覚えているだろ!旭から名大工学部だぞ!(勝利者宣言)」
※トヨタとかトヨタ系列は名大出身者が多いみたいなので、トヨタ系に就職なら名大で良いのかも。
「お前と同じ年の息子の××覚えているだろ!四高から三重大工学部だぞ!(勝利者宣言)」
「お前と同じ年の息子の××覚えているだろ!東高から滋賀大データサイエンス学部だぞ!(勝利者宣言)」
「お前と同じ年の息子の××覚えているだろ!堀川から京大工学部だぞ!(勝利者宣言)」
「お前と同じ年の息子の××覚えているだろ!北野から阪大工学部だぞ!(勝利者宣言)」
※西日本の人間なので、東工大より阪大に行きたい。変わらないと思う。
「お前と同じ年の息子の××覚えているだろ!三国から府大工学域だぞ!(勝利者宣言)」
※市大との合併で「大阪公立大学」になるそうですが、相乗効果とやらで神大は越えられそうですか……?(小声)
「お前と同じ年の息子の××覚えているだろ!神高から神大工学部だぞ!(勝利者宣言)」
※経済・経営等、社会科学系が強いイメージなので、理系学部はあまり印象にない。
「お前と同じ年の息子の××覚えているだろ!かことんから県大工学部だぞ!(勝利者宣言)」
※同じ県内に関西で別格とされている神戸大がある影響で、肩身の狭い思いをしていそうだけど、地元の播磨地区を中心にリスペクトされていそう。
「お前と同じ年の娘の××覚えているだろ!奈良高から奈良女理学部だぞ!(勝利者宣言)」
※奈良県のみ共学の国公立大に理工系学部がなかったので、女性に改変。
桐蔭-和歌山大学
「お前と同じ年の息子の××覚えているだろ!桐蔭から和大システム工学部だぞ!(勝利者宣言)」
「お前と同じ年の息子の××覚えているだろ!西高から鳥大工学部だぞ!(勝利者宣言)」
「お前と同じ年の息子の××覚えているだろ!北高から島大総合理工学部だぞ!(勝利者宣言)」
「お前と同じ年の息子の××覚えているだろ!朝日から岡大工学部だぞ!(勝利者宣言)」
※地元縛りだとそうなりそう。
「お前と同じ年の息子の××覚えているだろ!基町から広大工学部だぞ!(勝利者宣言)」
※地元縛り(ry。でも広島大学も地域の基幹大学として研究環境は良好だと思う。
「お前と同じ年の息子の××覚えているだろ!山高から山大工学部だぞ!(勝利者宣言)」
「お前と同じ年の息子の××覚えているだろ!城東から徳大理工学部だぞ!(勝利者宣言)」
「お前と同じ年の息子の××覚えているだろ!高高から香大創造工学部だぞ!(勝利者宣言)」
「お前と同じ年の息子の××覚えているだろ!東から愛大工学部だぞ!(勝利者宣言)」
「お前と同じ年の息子の××覚えているだろ!追手から高知大理工学部だぞ!(勝利者宣言)」
「お前と同じ年の息子の××覚えているだろ!修猷から九大工学部だぞ!(勝利者宣言)」
※地元就職かな? 東工大ぐらいなら、九大でも良いや、って思われる方はどれぐらいいるんだろう。
「お前と同じ年の息子の××覚えているだろ!倉高から北九大環境工学部だぞ!(勝利者宣言)」
「お前と同じ年の息子の××覚えているだろ!西高から佐賀大理工学部だぞ!(勝利者宣言)」
「お前と同じ年の息子の××覚えているだろ!西高から長大工学部だぞ!(勝利者宣言)」
「お前と同じ年の息子の××覚えているだろ!済々黌から熊大工学部だぞ!(勝利者宣言)」
※校地が隣なので、自然の流れで…
「お前と同じ年の息子の××覚えているだろ!上高から分大理工学部だぞ!(勝利者宣言)」
「お前と同じ年の息子の××覚えているだろ!大宮から宮大工学部だぞ!(勝利者宣言)」
「お前と同じ年の息子の××覚えているだろ!鶴丸から鹿大工学部だぞ!(勝利者宣言)」
開邦-琉球大学
「お前と同じ年の息子の××覚えているだろ!開邦から琉大工学部だぞ!(勝利者宣言)」
伯父「どこの大学に行っているんだ?」
俺 「一橋大学です」
伯父「そうか、私立大か!高校時代遊びすぎたんだろ!でも浪人しなくてよかったな!」
「お前と同じ年の息子の××覚えているだろ!深志から信大経済学部だぞ!(勝利者宣言)」
伯父「どこの大学に行っているんだ?」
伯父「そうか、工業大か!高校時代遊びすぎたんだろ!でも浪人しなくてよかったな!」
「お前と同じ年の息子の××覚えているだろ!深志から信大工学部だぞ!(勝利者宣言)」
※どっちでも良い希ガス。
伯父「どこの大学に行っているんだ?」
俺 「工繊大、あっ、京都工芸繊維大学です」
伯父「そうか、工繊大か!上田と並ぶ繊維の名門じゃないか!よかったな!」
「お前と同じ年の息子の××覚えているだろ!深志から信大工学部だぞ!(勝利者宣言)」
※そうはならんか。
伯父「どこの大学に行っているんだ?」
伯父「そうか、農業大か!高校時代遊びすぎたんだろ!もう大根踊りは踊れるようになったか!」
「お前と同じ年の息子の××覚えているだろ!深志から信大工学部だぞ!(勝利者宣言)」
※大根踊りは東京農業大学。かの有名な白石さんが勤務していたのが農工大の生協。東京(関東)で就活するなら農工大、地元なら信大なのかな。
貴重な休日を潰してまで書くような内容じゃなかった気がする。
せっかく女体化したのに、女を呼んで百合プレイをするというチキンな展開もどうでもいい。
「(女体化したら)乳首が服に当たるだけで痛い」「新たにできた神経が過剰反応しているせい」
→いや人間の男の乳首だって神経通ってるよな?と突っ込んだが、まぁそれも許す。
途中で男性の性産業従事者に対するルッキズムっぽいものもあった気もするが、
まぁキライなオカズに当たっちまった時の反応だろと思ってスルーする。
オチとは以下の通りだ。
両性具有の天使が女体化した折に、プレイの相手としてハイエナ娘(男根がある)を選んだことを
……一同、振り返って異形を見る眼付で天使を見る。
天使「?」
(終わり)
いや何だよこの展開!
男が男性をセックスの相手にすることを、明らかに変態の趣味として扱ってるよな?
衝撃の事実とか笑いの要素とか、そういうものとして扱ってるよな?
これ作ったやつら、いったい何を考えてるんだよ!
これを出した脚本家、
これを通した脚本会議のメンツ(少なくとも制作進行と監督は絶対同席するはず)
これのコンテ切ったやつ、
誰一人「この展開はマズいのでは」と思わなかったんだな?
描いておいて違和感も何も感じなかったんだな?
この内容に完全に無反応。
つまりこういうことか?
単に演技が下手とか展開が無理やりすぎとか映像がチープとかそういうことじゃなくて
この反応を見る限りはそういうことだよな?
そして制作スタッフは全員、美輪明宏氏の「紫の履歴書」を読め。
当事者にどれほどの悲しみや苦しみを与えてきたのかちったぁ理解しろ。
以下、気づいたことや補足など
・インキュバスボーイの広告…褒められた行為ではないが、対象者が目の前にいない
・人間とエルフの脳内妄想……そもそも脳内の妄想で、(作品内の)現実に存在する人間への差別ではない
・セリフはないが、異形を見る眼付で天使を見る人々の中に酒場のウェイトレス(女性)も混じっている
・本人に面と向かっては言っていない、それと人間の男のように受け入れる者もいる
要するに第三話のラストで問題なのは、以下の4点がそろっている点である
・酒場という不特定多数の人(この場合の人とは、知的生命体の意味)が出入りする、準公共的な場所
・その場にいた全員
・(異性愛者であり)同性愛者である天使を、本人が視線に気づくほど公然と異形を見る目つきで眺める
・蔑まれた天使の背後に、同性愛者のシンボルとして有名であり、作品中でも「同性と性交可能」の隠語として使用されている虹が出る
人間とエルフとドワーフの三人だけがテーブル囲んでひそひそ話をしながら天使を異形を見る目つきで眺める、だったら印象は変わる。
「話の流れに必要不可欠なネタでもないのに、安易に人の趣向を貶めやがって。も少し頭使えや阿呆ども」と思うだけで、わざわざ行動に移しはしなかった。
黙って見過ごすのは良いことではないと感じたのだ。
このアニメのOP曲は,かなり「Go West」をネタにしているというか、パクってるように聞こえる。
Village Peopleの音楽に乗っかって、同性愛を差別するってどういう了見なんだ。
侮辱にもほどがあるだろう。
話題になっているPaidyの支払い方法を公式サイトで調べてみた。
Q.Paidyの支払い方法について教えてください。
1ヶ月間のご利用分を翌月にまとめてお支払いいただけます。
え、これコンビニで支払わなかったらどうなるの?
PayPayなり楽天Payなり、店頭で決済するときに電子的に現金相当額が引き落とされたことをスマホ上で店員が確認している。
クレジットカードも当然。
決済・商品受け渡しを一つのトランザクションとみなしたとき、現金の引き落としが確定しない この仕組みそのものがおかしくない?
paidyでの支払いがなかったら債権回収が店舗に責任があるのは、決済システムとしてありなのか?
後払いなら、クレジットカードみたいに審査もないし、ブラックリストもないのかな?
経営陣見ると、金融に詳しそうなんだが、、、メディアは各個人に名指しで取材もしてほしいな
メリルリンチ証券とゴールドマン・サックス証券を経て東京に株式会社Paidy(旧エクスチェンジ・コーポレーション)を設立。スタンフォード大学院数理ファイナンス修士。
富士銀行(現みずほFG)、アクセンチュアを経て、新生フィナンシャル代表取締役社長、新生銀行常務などを歴任。東京大学卒、コロンビア大学MBA並びに金融工学修士。
楽天にてトラベル事業の営業統括、イーブック事業の立ち上げ後、DeNAで渉外部長・事業開発部長を歴任、PayPalにて大手加盟店の拡大や各パートナーとのアライアンス統括に従事。
JPモルガンでM&A・資金調達アドバイザリーに従事後、カーライルで投資評価・実行、企業価値向上施策から上場含むエグジットまで関与。東京大学薬学部卒、東京大学工学修士。
AXA生命CTOやNN生命COO/CIOなど、生命保険会社でマネジメントに携わった経験を持つ。IT、オペレーション業務に深い知見を持つ。リヴァプール大学MBA。
キャピタルワン、クラーナなどにて勤務、リスクマネジメントに深い知見を持つ。Paidyではリスク・与信・分析業務に携わる。セントルイス・ワシントン大学卒。
VP of Experience
シリコンバレー、サンフランシスコで約20年間、Walmart、Electronic Arts、GlassdoorなどでUX/デザインディレクターの経験を持つ。サンホゼ州立大学卒。
東京とニューヨークを拠点に、Fortune 500及び日系大手企業の事業戦略・マーケティング戦略を電通、EYやNetflixにて手掛けて来た。東京大学卒、Ashridge Hult MBA。
VP of Product
東京にて20年にわたりモバイル、Eコマース、ペイメントに従事。VP PMO、CSOなどを経て、直近はPayPal、MastercardにてHead of Productを歴任。ラフバラー大学工学修士、リヴァプール大学MBA。
VP of HCM, GA and Compliance
マッキンゼー、ヘイグループなどで戦略および組織・人事領域のコンサルティングを国内外の有力企業に提供。東京大学卒、INSEAD MBA、一橋大学DBA。