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はてなキーワード: いの町とは

2021-03-11

30歳まではしゃーなし嫌々渋々働くけどそのあとは無職になって海沿いの町アパートで一日中ゴロゴロしたり本を読んだり空を眺めたり短歌を詠んだりして金が尽きるまで暮らしたい。

2021-02-03

フェス

毎年、夏にもフェスに出たり、フェスに出れたりしている。

小康時代ランドセルを背負ってコンサートで歌っていた場所は、喜劇劇場ケープタウンのすぐ裏。古い町並みの中を走る国道沿いの大通りで、5時間に1本のペースでフェスを開催する。町中から中へ国道160号線に向かってその小ささなく大きな通り沿いの町のわけを、40分くらい歩く。市内から県道に乗るので、道路沿いも歩く道幅も23くらいある。

さて、初めはいかにHIPHOPバンド。とは言え、重厚感はない。当時、二十代だった私は、若いながらも、威圧感のない、個性のあるバンドが好きだった。して、そんなバンドが、50代になり、また今年、60代になった。

実は思うに、21歳くらいの時からロックフェスに足を運んでいる。

今や、「美」をテーマにしたフェスという基本の中の言葉を飾ってのフェスであるそもそもフェスに行く時には、「美」というテーマを取るバンドがここだったのだが、ノスタルジックで美しいフェスというゲーム存在する限り、何を1曲として伝えるのか、異端として映るフェスはない。

そんなときには、先月、60代を迎えたばかりの界隈の若手バンドと、30回目のさかえとで見比べてみる。ロック好きの目から見ると、他のフェスと比べて、ロックの熱は薄いように思う。

もちろん、他にはロックフェスにも、パンクパンクロックヘヴィロックパンク色の濃いフェスがある。では、60代のロックフェスには、どんな意味合いがあるのだろうか。間違いなくそれが分かる。もしも、70から80年代前半、80年代アイドル80年代クラシックを、ロック解説してみたい。HIPHOPは一時代を通して、1980年から80年代にかけて爆発的に拡大した。その変遷は、令和の時代になってからも変わらない。毎年、夏、そして9月のどこかに出かけた時に、その熱はまだまだ冷めないのが目に見えた。

だが、今年、ノスタルジックになって、なおかつ、熱気に溢れんばかりの方が、画的にも、参加しているバンドも、ロックフェス育ちのオヤジたちは、新社会人になって、そして、新天地ロックフェスを楽しんでいる。今年が半世紀もの時を経て、フェスでお会い出来るというのだ。

最新作の数々、みじんも予想していなかった60年代ロックフェスが、60代の初夏になり、令和2年、令和2年になる。さらに、30年、60年という節目を記念するイベントも多数開催予定で、その一つになると言っても過言ではないと思う。ロック民族楽器演奏で、ぶっつけ本番で、ロックフェスを楽しむのが海辺のまちなのだ

なお、今年のフェスでは、ビーチにバーベキューバーベキュー外遊びをする以外にも、パーティーフェスというユニークな形で開催が予定されている。(本稿は今年のフェスで話したいと思う)さて、今年のフェスに、一本だけでも、何本かある。まだ1本も見たことが無い方々は、ぜひ、観てきて欲しいと思う。とはいえ、40周年、60周年、このタイミングに合わせ、バンドバンド同士の交流は、今の倍以上になりそうな気がする。まだ出たばかりなので、今年のフェスにも足を運ぶ予定があるのは、それからなのだ

バンドはいつも、誰もが自由解釈や曲、サウンドを奏で、そして、唄い、演奏しながら、声を張るという音楽世界を行っている。それは、30周年を迎えたバンドにとっては、非常に大きなことだ。音楽性も、そして、時代によって雰囲気もどんどん変わってきている。いま、時代と共に周りの環境も大きく変わってきているが、それでも、時代に取り残されている音楽というのが、ロックフェスの特徴なのだ。60年以上も前からロックフェス世界にいて、私たち世代の憧れのバンド。どこかで見たような、ラテンっぽい、レトロな、EDM風なサウンド。独特のサウンド。そんなロック自慢の音楽が、20年、30年も、世界に多くのオーディエンスを誘って、地球の裏側で、フェスを行うことになる。

そして、令和2年も、今年で60周年。20年を超えるのに、すでにロックフェスで、しかも、60年を超える必要がある。70、80年のミックスアップ、98年のドック、96年の超結婚。そして、その超絶必勝の方程式

今後も、ロックフェス成功は続くことだろう。ロック好きな大人が存分にロックを楽しんではいけまい。

2021-01-24

魚の骨取りってみんなどこで習うの?

魚の骨を取るのが滅茶苦茶苦手だ。

海沿いの町で育ったいわば骨取りサラブレッド(?)のはずなのに下手だ。

祖母模型みたいな骨の取り方をする人で、認知症で私の事が認識できなくなっても私の存在無視しつつ美しく魚を食べていた。あら、キレイ

母も父も祖母程ではないがそこそこ上手い。兄弟もある程度はできる。

骨付きの魚と闘うには集中力必要である

朝や職場での昼食は避けている。人と食事するときは選ばない。無言で骨取りに集中する。鮭と鰤で今更ながら練習しているがたまに刺さりかける。穴子や鱧、鰻は苦手。秋刀魚も鯛も苦手。干物の食べ方はわからない。

友人や同僚はあんなにスイスイといとも容易く骨取りできているのに…

自慢じゃないが祖母直伝の編み物という特技、切り絵アクセサリー作りなど正直細かい作業は得意な方だと思っている。

おかしい。

こんな私も小学生まではありとあらゆる魚を食べていた。毎日ではないが、食卓に煮魚や焼き魚が並び、小テストのようにクリアしていた。あの頃は私の魚人生で一番輝いていた。

その後、喉に骨が刺さるまでは。

正直言うと小学校低学年の私は慢心していた。お皿の上のあまり見かけない魚に今までのノリで油断した結果、立派な骨が私の無防備な喉にジャストミートした。痛かった。ご飯を食べても抜けず耳鼻咽喉科送りになった。初めての挫折

吸引チューブを突っ込まれ悶え苦しんでいる私の診察室になぜか私よりも小さい男の子がいた。意味がわからないがチューブで溺れる私を近くで眺めていた。(個人情報とは?)私を処置した医師の顔は全く思い出せない。ただ小さい子に見られてるからそんなに泣いたらダメだよ~という言葉だけははっきり覚えている。

子供はどうでもいい。こいつ、これが終わったら…!と思った。その医師の喉に骨が刺さる呪いを百万回かけたい。

その後なぜか上手く食べられなくなり今に至る。小学校給食で骨付きは無理だと担任に涙ながらに訴えた経験黒歴史だ。その時ちょうど教室テレビ魔女の宅急便が流されていて、金曜ロードショーで見る度に嫌な思い出がよみがえる。

ちなみにスーパーで「骨無しです」と大きなシールが貼られた魚を飼ったこともある。食べたらしっかりした骨が残っていた。解せない。魚の骨格を覚えたら骨のある場所がわかって取りやすくなるとどこかで見て、魚類勉強したこともある。魚の知識だけは増えた。

下手な自分に諦めはあるけど、やっぱり上手くなりたい。大人として恥ずかしいし、人との食事も困る。子供の頃の大人って美味しそうに大根おろしののった秋刀魚をおかずにご飯を頬張るイメージだった。今の実力で魚とご飯を一緒に食べると確実に喉に刺さる。っていうか大根おろしで骨が見えないか絶対無理

最近缶詰でいいような気もしてる。

自体は好きなのに何だかうまくいかない。

2020-12-25

おめでとう記念秋葉原の思い出☆

ネットニュース秋葉原風俗の町になった残念とか悪いけど残当

ガチャガチャ回すためにゲーセン両替したら「どこの店だ警察呼ぶぞ!」と脅されてはぁ???

店舗両替と間違われたらしいけど知らねーよいきなり観光客脅すな

これ半分憂さ晴らしも混じってるだろって言う。ただ怒鳴り散らしたいだけのイライラ店員のはけ口ワロタ

数年前でこんな民度から廃れるべくして廃れる当然

間違いがわかった途端ニヤニヤして「でも普通ゴニョゴニョ…」と言い訳したゴミ店員ありがとうオリゴ糖お似合いの町になったね!!!

2020-12-02

anond:20201201184650

工場から徒歩30分ほどの場所アパート借りています

田んぼだらけの眠くなる景色にたま~に見える工場、そこに自分が勤めるとしたらどういう生活になるだろう

地方に転勤になったからといって田んぼの真ん中に住まなきゃならないことはない

賃貸でも近隣の町中に住んで車で職場まで通う人が多い

人口10万くらいの町でも飲み屋街もあれば中古ゲーム屋もある

毎日往復60分も徒歩通勤してたらそりゃあ田舎がいやになる

車なしの苦行生活増田勝手なこだわりだと思うよ

買うのは費用もかさむからレンタカー長期契約してみたら?

通勤時間10分に慣れちゃうと都会に戻れないってのはある

2020-10-27

地方ガリ勉優等生だった自分東京移民一世自覚で生きてる

anond:20201026003439

便乗して。

完全な地方都市に生まれて、国立大早慶に入るような人がいると近所で話題になるくらいの町で育った。

周りと比較すると勉強ができたので自分は頭がいいという錯覚に陥って、かつ運動神経が悪くコミュニケーション能力も低かった自分

勉強くらいしか人並みにできることがなかった為、勉強を頑張った。

高校電車で1時間くらいかかるその地域ではそこそこの進学校に入った。(年に一人二人東大入るかどうかくらいのレベル学校

そこでもただひたすらに3年間がり勉し続けた。結果ぎりぎり滑り込めたのが文系国立大一橋大学だった。

東大京大は受けられるレベルにすらなかった(今は知らないけど当時は東大社会の科目が一つ多く、

京大数学範囲が広く他の国立大受験と比べても一段階大変で格が違った)

この頃から自分地頭がよくない唯の宿題芸人に過ぎないということを何となく気づき始めていたが

上京して大学に入ってまじまじと突きつけられることになった。高校自体ほとんどすべてを費やして

なんとか滑り込めた一橋大だったが、クラスの半分くらい?は首都圏の著名な進学校の人たちだった。

話してみると、同級生の大半は東大医学部にいったけど、落ちこぼれの俺は一橋限界だったとか

高校時代遊びすぎてしまった、みたいなひとが沢山いて驚いたのを覚えている。

で、実際ゼミなどで議論をしたりすると頭の回転の速さの違いに驚愕した。なんというか脳のCPUが違う気がした。

卒業できるのか不安になったけど宿題芸人気質のある自分単位はなんとかとれて滞りなく卒業就職できた。


民間就職に強い大学ブランド恩恵にあずかって世間的には立派な会社就職できた。田舎の出の自分

こんな会社入社できるとは、と当時はうれしかったし感慨深いものがあった。で、入社してみて同期のレベルの高さと家柄の良さに驚いた。

もちろん自分みたいな田舎の出もいたけど、マジョリティ東大だったし、大学を問わず所謂都市の有名中高出身の人が多かったのである

留学したり帰国子女英語が話せるのが当たり前だったり、聞いてみると両親も誰もが知ってる一流企業で働いていたりと

通ってきた道がそもそも全然違うんだなと思った。(脇道にそれるけど金持ち喧嘩せず、というか大体おおらかで良いやつが多かった)


その後実際働いてみると先輩や上司も含めて頭がよくて、地頭の悪さを痛感しつつやり過ごす日々だけど10年くらいなんとか辞めずに続いている。


で、いつからか思うようになったのは「自分東京移民してきた田舎移民一世」なんだという感覚だ。あくま東京という国においては外人で異物に過ぎない。

結婚して自分の子供が生まれたら、その子移民2世として自分よりは”東京”に順応した存在になるのかなと。それが何代か続いて初めてこれまで出会って来た

地頭のいい純粋培養都心エリートみたいな存在が生まれ得るのかなーと。とりとめがなさ過ぎるし、で何がいいたいのか?といわれるとうまくまとめられないんだけど、現実問題地方都心では格差があることは事実だなーと。

一方で就職してから仕事関係アメリカアジアの国にそれぞれちょっとずつ住んだ印象だと、日本格差はまだましな方だなとも感じた。一億総中流風?なのが逆に諦観にまで至ることが出来ずに苦しいのかもしれないけど。

2020-08-18

コロナ地方崩壊が加速している

俺は地方都市に住んでいて、ここ数年はなかなか快適な暮らしをしていた。

地方と言ってもその地域で一番大きいくらいの町なら何でもそろうし地価は安いしで相対的には東京近辺より良い生活ができたのである

しかしだ、コロナ自粛が始まっていらい、地方都市の衰退は激しいものがある。

体感1割くらいの店舗撤退廃業した。

しろ1割の廃業で収まるのかどうかわからない。

もう地方で悠々と暮らす未来消滅してしまったのかもしれない...

2020-08-11

高齢者自粛実態

なんか高齢者自粛せずに若者ばかりに自粛を呼びかけている!という言動散見される。

医師であっても、高齢者医療実態を知らない小児科医などが、自粛すべきは高齢者だろう、子供権利を守れ、とか言ってしまう。

だけど、高齢者など高リスクな人々は、すでにに若者よりも自粛して対策してないか

もちろんネットでつるし上げ食らうような外れ値の馬鹿一定数いるものの、絶対数では少ないのではないか

これは高齢者情報ネットに載りにくいためだと思っているのでちょっと書いておく。

要するに

介護施設病院サークルなどの規制で、すでに強力な規制がかかっている状態だ。

高齢者リスクの高い人たちはずっと強いレベル対策をしている状態になっている。

一方で、一般の人たちは違う。

一般の人たちは、一律に強い自粛をする必要はなくて、行動を変容させるだけでよいので、やめてほしい事を細かく伝えられている。また絶対数では一般の人の方が多い。そのために一般の人たちに向けたメッセージばかりが出ているように錯覚するのではないか

事例の前提条件

まり、ある程度、封じ込めに成功している土地の話ね。

一般の人への要請

くらい。集会イベントの開催自粛なども公的要請はない。

学校も、修学旅行が中止、運動会保護者MAX2名で飲食不可、文化祭外部公開は中止、といった影響はあるものの、まぁ今のところその程度だ。もちろん公園閉鎖などもない。

市井感染が広がってしまっているところは、一般の人たちへの要請さらに強いと思われるが、それはこの程度の自粛ですむようにコントロールができなかった事が原因だと思う。

ところが、高齢者高リスクの人々向けの施設では全く様相が異なる。多分これは都市部感染が広がっているところでも似たようなものではないか

介護施設での対応

病院での対応

以下の条件が一つでも当てはまる場合には隔離されて特別処理となる。

入り口で問診コーナーがあって一通りチェックされることに。持病の定期検診とかだと、該当した場合、薬だけ渡して診察なしという場合もある模様。

高リスクの人は事実上強制力がある形で自粛している

これが何を意味するかというと、高リスクの人がいる家では、帰省されたら介護サービスが利用できなくなるし、病院にもうけられなくなる。

高リスク者は何か体に不調があったりするから高リスクなのであって、これらの社会サービスが受けられなければ生きていけないと言っても過言ではない。

なので、かなり強い強制力を持ってすでに自粛になっているということ。で、リスクが高い人はそれが自分を守るためだと知っているから、素直に従う。

故に、行政が頑張って広報したりしなくてもよいので目立たないだけなのだと思われる。

最後新聞記事の紹介

https://digital.asahi.com/sp/articles/ASN8971TYN7VUHBI00T.html

環境学者で、科学に対する懐疑主義研究をするダナ・ヌッチテリさんによると、科学への懐疑論は次のような5段階を経て進行する。まずは、「地球温暖化はない」などと、否定から始まる。次に「中国の方が温室効果ガス排出が多い」などの責任転嫁が始まる。しかし、これでは問題解決せず、「気候はいつか戻る」という矮小(わいしょう)化につながる。危機認識されても「温暖化対策には巨額の増税必要だ」などと、代償が大きすぎるという批判が起き、最終的には「すでに対策は手遅れだ」という悲観論に行き着く。

否定」→「責任転嫁」→「矮小化」→「対策の代償の批判」→「手遅れの悲観論」という進行は、新型コロナをめぐっても起きているが、地球温暖化などと比べるとスピードはるかに速い。

高齢者高リスクの人々が悪い、彼らだけ自粛すればよい、というのはまさにこのパターンに陥っている。

自分がかかったら死ぬという人は当然対策をしているわけで、その結果が、第二派の若年層を中心とした感染状況だ。

この状況で数を少なく抑えられれば、よかったのだけれど、都市部では爆発的に増えてしまった。だから高リスクの人だけが対策するだけでは問題解決しなくなってしまったのが現在の状況なので、安易悪者を作って溜飲を下げるのではなく、現実直視して向き合ってほしいと思う。

2020-04-08

anond:20200408202404

であることに夢をもちすぎ

まず女を性的であるがゆえにもちあげるタイプ少年漫画を読むのをやめろ

じゃりン子チエでも読め

れいやなら男にすてるとこなしオケデブ専どんといの町コロナがおさまってからいけ

2019-12-10

anond:20191209220308

都市部地方部での人々の投票行動の違いも着目すると面白いよ。

安倍政権を忌々しく思っているのは大都市部の一部の住民に過ぎないのではないか

もっと言えば、中央線JR京都線沿線などのリベラル志向の強いエリアだけ。

地方の旧街道沿いの町へ行けば、自民党ポスターだらけだったりする。

2019-01-25

lemon

米津玄師さんのlemonを初めて知ったのは昨年の紅白

正直、いい曲だなって思ったから興味を持ったのは事実

それまで、聞いたこともないくら世間に興味がないんですが。

そのときいいなーと思って、後々調べてて思ったのは、うらやましいってこと。

紅白で歌った会場が、地元ということに。

もともと私は地元がない。

いや、地元はある。

とある港町

でも、生まれ四国とある県庁所在地

父親実家はその県庁所在地から車で1時間くらいの町信号が1つしかない町だが。今は市になったけど。

中学の頃は空港が好きで好きで、いつか、その近くに空港を建ててやりたいと思ってたこともある。

育ったとある港町公務員になりたいと思って年齢制限ぎりぎりまで受け続けたり。

物心ついてから、なんだかんだ地元に貢献したい!って思ってたけど、何一つできていない。

それが、lemonを聞いて、大塚国際美術館紅白を中継。

ものすごい嫉妬した。

うらやましいって。

就職して5年がもうすぐたつ。

相当遊んできた。

風俗に通い、キャバクラに通い、キャバ嬢と付き合い、同棲して、別れて。

一晩で大卒初任給程度の額を平気で使ってた。

それでもなんとかやってきてた。

手元に何がのこったんだろう。

何を成し遂げられたんだろう。

俺は、何をしていたんだろう。


別に自分がすごいとかは思わない。

たぶん、名もなく死んでいく。

この世に何も貢献できずに死ぬのみ。

それを望んでいるわけではない。

ただ、ただ、自分自身、これをやりきったって思いたいだけなんだろう。

今度、大塚国際美術館に行ってみようと思う。

あこがれだった、こうしたいと思った、希望を見つけに。

歯車でいい。

歯車でいいから、

歯車がないと思いたいだけ。

2018-09-19

友人の話

今年の12月に手術を控える友人がいる。まだ20代で仕事現在も続けているが、病気により徐々に握力が低下するなど身体への影響も大きくなりつつある。

その上、転勤族の彼は今年4月に海沿いの町に異動した。配属先や周囲には同年代の人もなかなかおらず、気を紛らわせることが難しいという。

そのため非常にナーバスになっているようだ、というのが月に何度かの長電話から伝わってくる。

病名はわからないが、中学生とき高校生ときも手術を行い、今回も全身麻酔での手術になるそうだ。思春期にそうした体験をしたために、多くのことに対して消極的な冷めたもの見方をするようになった、と彼は話す。おそらく、そうすることで自分精神を守っていたのだろうと思う。

電話口で彼は「楽しいこと何かない?」と聞く。あれこれ提案し続けているが、何一つ彼の興味を引くようなことを私は言うことができず、仕方がないので楽しそうな振りをして笑って日常を語る。ごまかしに過ぎないことはきっと伝わっているだろう。

「終わるのを待っているようでなにもする気が起きない」と言いながら、自分身体機能の低下を冗談交じりに嘆き、私が何の解決ももたらせないと知りながら「何か楽しいことは」とくり返す。延々と冗談めかした雑談を続けることくらいしか、私にできることはない。

電話を終えて、ふと自分がもしも1か月後に死ぬとしたら、と考えた。

もしそれが避けられないとしたら、きっとどこか遠くへ旅に出るだろう。旅先が知らない場所であればあるほど、まるで夢のように思える。死ぬなら夢の中がいいなと思う。

もし家族がいる人なら、大切な人のために残り時間を使うことを考えるのだろうか。

叶えたい夢がある人は、そこに一歩でも近づいて終わることを選ぶのだろうか。

私にも親や大切な友人はいるけれど、死ぬときは彼らのいない遠くにいたい。できれば死んだことも知られたくない。

友人には死んでほしくないし、手術の成否や身体の不調がどうであれ、できるだけ悩まず(無理だけど)、できるだけ苦しまず(あり得ないけど)、できるだけ楽しく(どうか)人生を過ごしてほしい。もしも自分がそのために何かできるならいいなと思う。

2018-07-11

相変わらず都合のいいことしか書かないな

http://nakamuraisao.a.la9.jp/laquila.pdf

イタリア48時間テント3000建てたという話の実際が書いてある

読んだ感想としては「日本で同じ事したら批判の量はとんでもないだろうな」というところ。

地震の数時間から市内は立ち入り禁止区域とされた。余震による被害盗難を防ごうとした ようである。その決定は防災局によってなされた。

これが後に紹介するがデモの種になる

次に避難の状況だが、防災局によると、家を失った人は 62,543 人で、うち 28,579 人は 5,553 張りのテントに、33,964 人は 518 のホテルに、2,225 人は民家に避難した。ホテルペスカーラ など 100 キロほど離れた海沿いの町にある。テントホテル仕分け防災局によってなされた が、仕分け基準不明であるという。

他にもでてくるが防災局の権限はかなり強力で、実際の振る舞いも割と強権的である

初動 48 時間で 3000(18,000 人分)の避難テントが設置されるなど、対応比較的早いこと、また 人的資源としてはボランティアが 9000 人と大量に動員されたこである。ここには防災局に登録 されたボランティアも多かったのではないかと考えられる。

補足すると初動48時間に動員されたボランティアは4,300人で消防(2,400人)や警察(1,586人)や軍(1,825人)より多い

日本で言うと全国の消防団員が駆けつけるというイメージが近いか

1000 人(最大時は 1500 人)が収容されているグローボ・テント村を訪ねたところ、一つのテ ントは 10 畳ほどの広さがあり、中は電化されていた。エアコンも入っていたが、それでも夏は暑 くて困ったという(図 11、図 12)。また知らない人との共同生活はつらいという声もあった。ある 高齢女性は、同じテントの他の収容者が全員クルド人男性で、着替えもできないし、居場所 がないと嘆いていた。居住環境は、日本体育館仮設住宅中間ぐらいに位置するようである

テントが多数建てられたといっても十分希望を聞けるわけではないようである、というか女性一人に男五人というのはさすがにありえなくないか

たとえば市内全域の立ち入り禁止は、住宅被害のない 市民商店などにとっては、不満で、7 月には立ち入り禁止解除を求める 2000 人規模の市民デモ が発生している。また強制的な遠隔地のホテルへの移送や、効率を重視したテントの部屋割(民族 や男女を無視した)などにも不満があるようだ。ある住民は、防災局のオペレーション評価しつ つも、「なにか軍が入ってきて占領された感じがある。特に困ったことはないが、人間としてそ れだけではない」と話していた。軍が管理するテント村では特に管理が厳しいといわれ、管理体 制への反発からテント村を出ていった住民も尐なくない。

日本自衛隊が同じ事したら批判はとんでもないことになっているだろう

2016-06-05

http://anond.hatelabo.jp/20160604232417

失業率が数十%になってるわけでもないのに仕事ないとかいうのは大げさすぎると思うが

オンリーワン観光地スタートアップけが働く場ではないし個性のないイオンモールでも雇用はある

たいていの町おこしは税金無駄遣いになるだけなのでやらんでいい

2015-05-08

http://anond.hatelabo.jp/20150508043123

人口3万人切るくらいの町田舎と思う人と5万人をイメージする人とでは、会話が噛み合わなさそう。

数千人というのをイメージするならもっと噛み合わない。

2014-12-29

いろんなところに住んでみた感想

身バレしない程度に書く

田舎

ヨーカドーダイエーのあるような町まで車で30分くらいの町、というか村。

ゲームネットだけで暮らすなら悪くない。

それから若者はやたらセックス

そりゃ、飲み屋もなけりゃ宅飲みになるし、若者宅飲みさせりゃそうなるわな。

ただしイケメンに限る」が「ただしヤンキーに限る」になってる不思議

この地域ヤンキーは、素行ではなくてただのファッションなので、別に悪いことをしてるわけでもないし、バカでもない。

ファッションヤンキー私生活を謳歌しつつ、学業は好成績、いい高校に行きそこのカラーにあわせてまた青春謳歌、いい大学にってそこのカラーにあわせて…以下略勝ち組は少なくない。

もちろん故郷に戻ることはまずない。

賢いのに家業を継いで残るってレアケースもあるけど。

都内

とにかく金がかかる。

主に住居。

金はなくても楽しめるところがあるというのは半分本当で半分嘘。

タダでもやりたくない遊びやら、タダでも観る価値のないものをタダで楽しめる、観れるというだけ。

金があれば楽しい

地方都市

快適だし、楽しいし、だいたいの欲望が満たされる割には低コスト

低所得者用のディスカウントストアから、そこそこの高級店から揃ってる。

1人1万円くらいでそこそこのディナーが食べられし、パリコレブランドの服なんかも取扱店がある。

東京近郊

一番退屈。

ほとんど全ての店が(食品衣料品外食、娯楽)ファミリー向けに特化し過ぎていて個性がない。

カラーといえば、違法風俗やら、闇金やら、都心じゃ規制が厳しく田舎じゃ商売にならないグレーやブラック商売がちらほらってくらい。

電車賃時間を浪費して東京に出るくらいなら、引きこもってたいし、ひきこもりライフなら田舎でも十分だし。

2014-09-29

http://anond.hatelabo.jp/20140927113327

たまたま記事が目に入ってきたのですが、思うところがあったので書かせて頂きます

当方関東のどこかに住んでいる二十代後半男で、歴史ウェブサイトを立ち上げる為に頑張っているところです。

仕事柄いろんな場所に行き、地域の裏山なんかに眠っている中世の城跡の歴史などを調査する為に茂みの中に入って行く事が多いのですが、

中世の城跡、つまりかつて戦国時代軍事拠点であった場所地権者って、代々農業を営んでいる方が大変多いのです。

それはなぜか。

私自身の話が分かりやすいかと思うのですが、私の実家のお墓は地域小高い山の上にあります

地域に数件ある増田家の墓のみがその小高い山の上にあり、増田家以外の墓の多くが同じ地域の低地にあるお寺の敷地内にあります

てっきり増田家は地域の爪弾きもので、いじめられっこだったのかと勝手に思っていましたが、

どうやらその墓地周辺が中世戦国末期の城跡の主郭付近であり、増田家はその城主だった、とのこと。

そして現在増田家は、やはり農家江戸時代は庄屋さんで地域でも裕福だったが、やはり農家

なぜ農家になったのか?

調査してみると、豊臣による小田原征伐が原因らしい。

まず増田家は、地域の駅名に名が残るぐらいの地域の小領主

仮に小寺家しますが、小寺家の重臣として召し抱えられて、現在実家近辺の統治を任されていたとの事。

その小寺家は隣の隣の隣ぐらいの町拠点とする赤松家(当然仮の名)によって追放され、

増田家は赤松下り(前述の低地のお寺は赤松菩提寺末寺)、その赤松

当時関東平野制覇を目論む小田原の後北条家にやがて下ることになる。

北条家は赤松家を頭としその地方一帯を統治する◯◯衆を組織し、

増田家もその◯◯衆のメンバーとして、引き続き実家付近拠点統治を続けたとのこと。

そして問題小田原征伐。豊臣とその取り巻きにて小田原を包囲し、関東地方一帯の小田原方の城郭が同時に攻撃を受ける。

上杉前田真田に攻められた八王子城惨状や、忍城成田家の奮闘はこの時の事で、うちの実家付近拠点は簡単に落城

増田家の筆頭は小田原城に籠もり、◯◯衆として勇敢に立て篭った、のかもしれない。

そして小田原北条家は滅亡し、関東統治ネットワークはそのまま徳川家に与えられ、関東には徳川の家臣が流入してくる。

元々関東のそれぞれの地方統治してきた◯◯衆の大半はその際に潔く農業を取り仕切る庄屋層に転身し、

残りの一部は徳川への仕官を申し出てたりして引き続き武家である事にこだわり続けたとさ。

かくして、関東の大半の武士農家になり、少数の徳川家臣による統治を受け入れた。

この話を土地の古老に話したりすると、忘れ去られていた「イエ」の記憶を取り戻したようで、いたく感動される方が多い。

また逆に、「当家は代々武士家系・・・。」といった方に話をすると、複雑な顔をされる方が少なくない。

身分は固定されたもので、名前とともに受け継がれるようなイメージ漠然と抱いている方に多いのですが、

「単に先祖徳川方に付いて頑張っただけ」というストーリーに聞こえ、どうも「武士家系イメージに合わないらしい。

・・まあ元々が漠然としたイメージなので仕方の無い事ですが。

(ちなみにこれらは関東の話ですが、土佐長宗我部と一領具足の結びつきが幕末坂本龍馬時代まで尾を引いた事を考えると、全国各地である事なのでしょう。)

この話を踏まえて、血筋とは何なのか。

「イエ」の物語やその教訓は代々守り伝える限り残るが、

遺伝的な意味での「血筋」がはっきりと出るのは数代の限りなのではないかと考えている。

まり大事なのは家庭内での教育

農家さんの多くが確かに自分たち自身を「ただの百姓」と呼び、学も無く品格も無い、と自虐的に語るが、

失われた歴史ストーリーとしてお教えすると、生き生きと誇りを取り戻す。

しかしながらそれまで受けてきた教育は変わらないし、次世代に何を教え残すかも教育者としての自分次第。

ちなみに「農民」で一括りにされる事が多いですが、庄屋層は江戸時代からかなり恵まれ教育環境にあったとのこと。

うちのばあちゃんも地域で唯一女学校に行かせてもらえたらしく、単に士農工商かいファンタジーではくくる事が出来ない場合が多い。

家庭環境の違いは生まれによって確かにあり、教育の質は当然大きく変わってくる。

また、「武士家系」という代々受け継がれる「イエ」の物語が作り出す誇りと自信も大きいのかもしれない。

千葉県の某所にやはり「武士家系・・・。」という誇り高き地主タイプの方がいらっしゃいました。

その方の家はやはり小田原北条家に仕えていたとの事でしたが、なぜか江戸時代を通して武家として、徳川から本領を安堵されていたとの事。

何だろうな・・・。と思い調べてみると、何の事は無い、北条家に仕えながらも徳川家と内通をし、小田原征伐では豊臣側に付く代わりに、本領安堵約束をしていたという(うろ覚え)。

武士家系物語が作り出す誇りというものも、割と中身の無いものである

(ただし、これも一つの歴史であり、武家としての「イエ」の歴史を守る、という意味では尊い決断なのかもしれない。)

教育の質に関しては、言わずもがなであるが、近代的な教育人材登用システムが構築されてからはそのシステムをよく理解している事が肝心なのは当たり前で、

教育水準の高い家には、良い教育方針と良い物語が備わっているのかもしれない。

物語」によって得られた誇りを胸に、立身出世を志す感覚が備わっているかどうかは大きい。

教育の機会も家庭の経済状況などに左右されてきたが、時代とともに様々な仕組みが生まれてきた。

貧困理由とした教育機会格差問題は、薄められてきた。「志」の教育を出来ているかが大きいと思う。

最後大事になるのが、攻略法教育。つまり受験」というペーパーテスト人材登用システム攻略法を伝授できるか否か。

現代引きこもりの人々は、高い志を母親、あるいはテレビ漫画から植え付けられてきたのに、

攻略法を持たないのでその理想現実ギャップ屈辱感にまみれて腐っていく。(かなりもったいないと思う。)

そして、教育とは代々受け継がれるもの。早く気づいた方が有利なのは、間違いない。

明治時代から気づいている家庭もあれば、最近気づき始めた家庭もあるだろう。

伝統的な教育方針物語血筋の内と考えるならば、血筋ってのははある所にはあるのかもね。

ウェブサイト来年ぐらいには公開できたらいいなあ。)

2014-01-24

http://anond.hatelabo.jp/20140124210704

ホテル、ってことはあそこだろうというぐらいの町なのです。ふひひ、さーせん。

確かにあそこからだと1時間探してコンビニがないってのは十分あり得ます。15分ぐらいでたぶん着く場所しかコンビニはないです。もちろんどっちも別方向。

そしてあの辺をうろうろするんだったら確かに人通りはないです。一応飲み屋さん街はあるんですが、それでも人に会うかなぁ?元増田がどこの人か知らないけど、都会と違って移動の基本が車なので、昼間でも歩いてる人は極小です。

経済的砂漠という表現にあわせると市役所三井「さん」がオアシス状態です。直接じゃなくても結局どっちかにつながる感じ。

なんのために大牟田へ来られたかわかりませんが、次回は日があるうちに到着されることを願っております

あの辺だと……ユメタウンがありますよ。(^_^;

2011-09-07

福島県で見てきたことを書いておく

福島県観光にいってきた。

でも、今回は一人旅。少し古めの建物を見てきた。

誰かを誘ってというと誘いにくい。自己責任範疇を超えてしまからだ。

太平洋から100km離れている街でさえもマスクをつけた人がたくさんいた。

で、おみやげを買ってきたんだ。おみやげお菓子

別にさ、食べて直ちに害があるとは思えないんだけど、「食べて」とすすめにくい。

この気持ちのもやもや感が、この事故への対処に感じる不信感なんだろう。

県境を越えてかつて水俣病の被害が出た川沿いの町にもいった。水俣病の原因となった工場はかろうじて操業しているように見えた。

この公害が起きて以来、下流の魚は売れなくなってしまった。

当時の資料に目を通すと複雑な気持ちになった。

そのときの被害の広がり方やその被害がどれくらいの年月がかかって風化されたのかを考えるとまだ慎重に行動するしかないのかもしれない。

四大公害病を経て成立した大気汚染水質汚濁に関する法律が役に立っていないのが腹立たしい。

放射線を出さないタイプの汚染物質大気中や水中に出すと罰則で会社が傾く。傾くから抑止がかかる。

放射性物質については別に定めるって、仕事してないじゃん。

法学的なバランス観点からみるとあまりにひどい。

過去の過ちから学習することができないのか。日本が擁するエリートはその程度なのか。ほんとうにくやしい。

そろそろおのれの命と引き換えに国や人を守る人が出てくるのかもしれない。

そんな淡い期待は捨てたほうがいいのか。

今は無力感を文章に吐き出すことしかできない。

2008-10-24

http://anond.hatelabo.jp/20081024204751

いわゆる同和問題利権みのヤクザ胡散臭い団体の飯の種になっている部分はある。

逆に、ネトウヨニート辺りの仮想敵になっている部分もある。

でも、同和地区と言うのは、今も確かに存在する。

前の仕事が売れないセールスマンだったので、仕事柄本当に色んな都市の色んな街を歩いた。

それで今まで普通の街で普通の家で育ってきた自分には、にわかに信じがたい地区が確かにあった。

「ああ、日本にこんな地域や家が本当に実在するんだ」って感じ。

凸←こういう形の建物の両端に入り口があって真ん中で仕切られている2戸住宅(所謂ニコイチ)が、

地域一面に数百戸ずらずらずらっと整然と、あるいは道なりにちょっとバラバラに並んでる地域。

「○×団地」と書かれた地区の中にコンクリートの四角い家が延々と縦横に続いていく海沿いの町

あと長屋。今時こんな長屋ってあるのかよってくらい嬉しくない意味でレトロな長屋の群がある地域。

他にも人権標語の看板とかビックリするほど路地が狭いとか、ホントに色んな地区を見てきた。

個人的には同和問題ってどうなの?って考えても全然当事者じゃないから何ともいえないってのが本音だ。

でも、自分がもし子供時代あんな地域で育ってたら。

テレビ雑誌では華やかな世界が映し出されてるのを、21世紀にボッロボロの長屋で見ていたら。

インターネットで同和の野郎は・・・とか書いてあるのを、ニコイチの建物で夜中に見ていたら。

どう思って育ってただろうなぁ。とは思ってしまう。

 
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