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はてなキーワード: 自然死とは

2021-09-15

anond:20210915111210

あまえすぎ

歴史的には自然死のほうがずっと多かったやろ

時代ガチャSSRの中で比較してるだけや

2021-08-30

anond:20210830200842

こないだのワクチン接種後に30代が2人死んだのも、確率的には自然死なんだから、これも自然死では?

2021-08-25

祖母が死んだときのこと。そして懺悔と後悔の記憶

祖母が死んでからもう二年がたつ。

祖母の死に関連して、自分の感じた後悔と、自分気持ちに対する懺悔を、ただでさえ持ちの悪い僕の記憶が風化する前にどこかに残しておきたくてここに記す。

あれは僕が大学院入試を控えたコロナ以前の夏の日だった。

祖父が死んでから10年目のあの夏、言い換えればばあさんの一人暮らしが始まってから10年目の夏。ばあさんもも結構参ってしまっていたんだと思う。

からばあさんの家が近かったこともあって、何かあったらばあさんの家に遊びに行くほどのおばあちゃんっ子だった僕は大学に入って一人暮らしをしてからも暇を見つけてはばあさんに電話を掛けたりしていた。

そんな僕から見ても電話をするたびにばあさんがやつれていっている気がしていたのを今でもなんとなく覚えている。

そんな夏のある日に、いきなり親父から電話がかかってきたのを覚えている。

「ばあさんが危篤だ。なんとか帰ってこれないか?」

つい数日前にばあさんと電話をして、来週帰るからその時にあいさつに行くねなんて言っていた僕はその電話を聞いて信じられない思いだった。

その直後に教授とのミーティングの予定だったのだが、それをキャンセルしてすぐに帰省の準備を始めた。……はずだ。

~~~

すごいね人間記憶ってのは大事なことに対してもすごく曖昧で、ここに帰省の準備を始めたって書いた瞬間に、帰省の準備を始めた記憶とその実感がわいてきてしまう。

出来る限り覚えている事実を元に書きたいけれど、あいまいな記憶をもとに手探りで書いていくからたぶん事実と違うこともたくさん書かれてしまうと思う。

なるべくあいまいな記憶をもとに書かれた文章には「はずだ」とか、注釈だったりをつけて対応していきたいと思うよ。

~~~

そして帰るまでだったか帰ってからだったかのどこかで、父親から追加で連絡があったはずだ。

いつ連絡が来たか記憶すら定かではないし、どのような媒体で連絡をされたのかも定かでないけれど、知らされた内容だけは覚えている。

「ばあさんが死んだ。それは自然死ではなくて、自殺だった。そしてこのことは秘密にしておいてほしい。」

どうやら、ばあさんは自殺を試みて、無事死ぬことができたらしい。今の僕の価値観だと自分で死を試みるほどにこの世界から去りたくて、これを完遂できたのならそれはもう僕がとやかく言えることじゃないのかなという気もするけれど、この時の僕はまだそこまで割り切ることができていなくて純粋に悲しんでいたのだと思う。

僕の叔母(つまりは父の姉)の元にばあさんからまるで最後挨拶かのようなメールが届いたらしい.

それを見た叔母は父に連絡を取ってばあさんの家に行ったとのことだ。

そこでばあさんが首を吊っているのを見つけたという。

ばあさんをおろした時はまだ、ばあさんの体は温かかったらしい。

~~~

あぁ、たぶんこの話を聞いたのはまだ実家に帰る飛行機に乗る前だ。飛行機の中でどうしようもなく自分に問いかけていた覚えがある。さっきと一緒でもう今の自分の中には飛行機の中で自分に問いかけていた記憶ができてしまっているけれど、たぶん飛行機に乗る前だ。

当時の人との連絡の記録を後で見返そうかなとも思うけれど、自分がそれで死んじゃわないか心配

~~~

どうにかして実家に帰った後、ばあさんの家に遊びに行った。

ばあさんの家の机の上には遺書が置いてあって、そこには涙の跡もついていた。

この時、本当に涙の跡ってつくんだって思ったのを覚えている。

多分この涙の跡は叔母の涙の跡で祖母の涙の跡ではないのだけれど、それでも涙の跡のある遺書というのはなかなかに来るものがあった。

そのまま遺書を読み進めると、もう、一人でこの世界で生きていくのが辛かったらしい。

遺す人たちに対する謝罪のあたりで読んでいた僕まで泣いてしまった。

~~~

遺書の内容は要確認。ほかにどんなことが書いてあったか確認しておきたい。

~~~

遺書を読み終えた後はばあさんの遺体*が安置されていた祖母宅の近くの葬儀社に向かった。どうやら叔母がばあさんの近くに付き添ってくれていたようだった。

最初無意識のうちに死骸と書いていた。どうやらあれだけいとしく思っていた祖母でも、死んでしまえば等しく死骸であるみたい。

丁度、父の従姉妹たち(つまり祖母の姪)が到着したところみたいで、ばあさんを見てみんな泣いていた。僕が到着するのを見ると、みな僕がばあさんっ子だったのを知っていたみたいでせっかくだからと僕とばあさんを二人きりにしてくれていた。どうやら、泣かない僕を見て「他の人がいる状態では僕が泣くことができないだろうから」という思いやりかららしい。

ここからが僕の後悔と懺悔のキッカケが始まる.

せっかく最後にと僕と祖母を二人にしてくれたのに僕は全く泣けなかったのだ.

それどころか, その時の俺の心にあったのは, [首を吊った死体首には本当に縄の跡が残るのか]という好奇心だった.

せっかくの首を吊った死体と僕しかいない状態で, 僕が部屋から出てくるまでは誰も部屋に入ってこないと約束されている状況である. そんなの今後の人生で二度と来ないであろうチャンスじゃないかと.

そこで死体の様子をうかがうと, やすらかな顔をして化粧をされている. そして肝心の首は, 状況が状況だからかしっかりと隠されていた. ここをめくるだけで僕は僕の好奇心を達成できる.

ただ, どうしてもなけなしの倫理観邪魔をしてその覆いをとることはできなかった. やはり遺体を、それも僕が生前一番なついていたばあさんの遺体自分がいじることはできない……と。どうしても僕の記憶に残すばあさんとの最後の二人きりの思い出をそんな穢れた好奇心で汚すことはできない……と。

せめてもの抵抗にと最後祖母の頬を触った. ドライアイスに冷やされてとても冷たかった.

ただ, どうしても俺は, 祖母首に縄の跡が残っているかいないのかを確かめたいという好奇心を消すことはできなかった. あれだけ僕を愛して, かわいがってくれていた祖母に対して孫が抱く最後の望みが, その死にざまが残す跡を見せてくれという穢れた好奇心で本当にすまないとは思っている. ただ, 本当に僕はただ好奇心ケモノとしてここまでの時を過ごして来てしまたからか, どうしてもその欲望を消すことができないんだ.

このあとは、もう普通の人が死んだ後の風景だった。

ばあさんの眠る部屋を出て叔母にあいさつをして実家への帰路に就いた。このとき、泣くことができた?という質問に対して僕は苦笑を返すことしかできなかった。きっと叔母は僕が照れていたと思っているのだろうけれど、僕としては泣けてないんだよなぁという思いしかなかったわけだから

実家に帰った後は通夜葬式に関する準備をすすめ、親族として葬儀の受付などを行い、最後に棺に花を添えてばあさんを見送った。この時、火葬場に送り出されるばあさんをみて泣けて少しだけほっとした。

そして火葬場で焼かれた祖母が出てきたときに俺が思ったのは, やはり[もう, 祖母首に縄の跡が残っているかどうかを確かめることはできない]というおもいだった.

父と叔母に[祖母首に縄の跡が残っていたか]ということを聞くこともできない俺にはもう, これ以上事実を確かめるすべはない.

この後悔は一生ついて回るだろうし, 祖母の死骸を前にそんな穢れた好奇心が湧き出してきたということに対する懺悔も一生続くことだろう.

2021-08-07

anond:20210807000702

辛坊治郎がどっかの記事に書いてたけどワクチン打ち始めたら30万人死ぬらしい

1日3000人

自然死死ぬのがこのくらいらしい

それに比べたら全然少ないな

ワクチン死じゃなくてたまたま死期が被っただけだろ

2021-07-27

コロナワクチン死について

厚生労働省発表の新型コロナワクチン接種後の死亡として報告された事例の概要

https://www.mhlw.go.jp/content/10601000/000809324.pdf

を読むと、751人がワクチン接種後亡くなってるんだが、

ざっと見て、8割以上が1回目の接種で亡くなっているんだわ。

死者のおそらく600人以上が1回目ではないか

ワクチン関係ない自然死だとすると、こんなに1回目に偏って死ぬだろうか。

今日時点のワクチン接種数は、1回目4600万人、2回目3200万人つまり、1対0.7になる。

死者は均等配分だと1回目440人と2回目310人にならんかな。

確率は低いがワクチンに反応して死ぬ人がいるんだと思う。

2021-06-28

anond:20210628164837

海外にある寿命とその死因を当てるというシステムなら知ってる

自然死以外の病死事故死も含めた寿命と死因が分かる

殆どの人がエラーで測定できないんだけど測定可能な人は高確率で当たるらしい

あと白人しか測定できないんだと

2021-05-30

コロナ死は自然死として扱えばいいのでは

高齢者はいつかは死ぬんだし、もういいじゃん

コロナ死を受け入れよう

若者活動犠牲にしていつか死ぬ高齢者を守る必要ないっしょ

2021-05-03

anond:20210503133342

中国については外婚制の問題もあるけどね。

それ以前に自殺世界比較するには、統計ちゃんと整備されてないから単純に比較できん。

なかに自殺は恥ずかしいから遺族が自然死扱いにしてくれっていう場合もあるらしいし

自殺統計がないから「不審死の半分を自殺に」なんて国もあるみたいだし

2021-03-12

あなた達の政治運動には迫力が足りない


https://www.chugoku-np.co.jp/local/news/article.php?comment_id=730608&comment_sub_id=0&category_id=256

小森龍邦氏死去、88歳 元衆院議員部落解放同盟広島県顧問

 解放運動の巨星がまたひとつ墜ちた。私もあと十年生きるか怪しい身である自分政治運動に対する考えを少しばかり綴ってみてもいいだろう。

 上のニュースの人は、かつて解放同盟事務方トップだった方だ。昭和7年に広島県東部被差別部落に生まれ中高生の時分から老年に至るまで部落解放運動に携わってこられた。

 私が活動していた地域とは遠く離れているが、それでも半年に一度は彼の実家の傍にある、ちんまりとした選挙事務所へ行き、地元産のワインを飲みながら語り合ったものだ。

 私などが知己と呼ぶのがおこがましいほど尊敬できる人格の持ち主だった。家族地域や仲間のためであれば、危険を顧みずに行動する力を持っている。それでいて、思慮深いうえに頭の回転が速く、無謀な策を講じたりはしない。講じるとしたら、背後に確かな計算を持っている。そういう方だった。

 それが、こんなに早くにお亡くなりになってしまった。悔しい限りだ。

 私の番はいつ来るのだろう。運が良ければ二十年は生きられるかもしれない。運が悪ければ数年後か。その前に、自分の想いを吐き出す機会が欲しい。



 さて、表題意味について。あなた達の政治運動には『迫力』が足りないとは、どういう意味か。

 言葉どおりの意味だ。特に伝統的な分野、例えば労働組合などが挙げられる。昔に比べて弱体化が著しい。

 企業ごとの組織率は低下し、労働者組合加入率も低下し、賃金は下げられ放題、追い出し部屋希望(半強制退職蔓延も放っておかざるを得ない。数十年後には、労働組合というもの事実上消滅していてもおかしくはない。

 また、高校大学など、学校内の自治を求める活動もそうだ。私は元高校教師だが、昔に比べれば、学生たちが自ら声を上げて学校ルールを変革するために動くことは減っている。感覚としてはそうであり、数字においてもそうなっている。悪い意味で、子ども大人のいいなりになっている。

 反対に、成功しつつある政治運動もある。

 近年話題になったものだと、#MeToo運動だ。女性がこれまでに男性から受けた、性を主とする嫌がらせ公共の場告発することをいうようだ。

 日本ではそこまで定着しなかったが、本場のアメリカでは著名な人物の一部が職や名誉を失っている。最悪の場合は、裁判により実刑判決を受けることになる。

 LGBT社会運動も、社会価値観を変革しつつある分野のひとつだ。

 大衆消費社会が訪れてそうまで時間も経たない頃から同性愛者としてのカミングアウト文学活動デモ行進芸能界での活躍自分たちを侮辱する者に対する訴訟提起(府中青年の家裁判)、ゲイであることを周囲に言いふらした者及びその所属校への糾弾一橋大学アウティング事件)など、仲間の権利を守るための諸活動を行ってきた。

 以前は、映像作品において、同性愛者が精神異常者として描かれるのは当たり前のことだった。子ども向けのアニメなどでもそういった描写があったが、昔に比べればなりを潜めているように思える。批判を恐れて、ゲイレズビアン人達を描けなくなっているだけかもしれないが。

 これらの成功している政治社会運動には、共通する点がある。

 相手の痛いところを突いていることだ。

 この方針なくして勝利はない。しかし、近年の伝統的な政治運動の類を見る限り、相手の痛いところを見抜くことができる知性、または攻撃する度胸を欠いているように思う。

 特に組合関係団体がそうである。昔の労働組合は、使用者と刺し違える覚悟があった。

 意図的給与の支払いを遅らされても、当局側が雇った暴力団に夜道で襲われても、工場社員寮ごとロックアウトされても、それでも不屈の覚悟で戦い抜いてきた。

 それが今では、使用者の言いなりとなり、組織から仲間を追い出すための行為に協力している。情けない限りだ。



 話が逸れた。

 相手の痛いところを突くことの具体例として、昭和40年頃の話をする。私の高校時代の級友の話である。K君とする。

 高校二年の時だった。夏の午後の授業中に、ある教師教室の窓の向こうにある山を指さして言った。「お前らみてみい、あの山にはよっつが住んどる」(※手の指が四本であるという意味

 その教師は、部落に住んでいる人間馬鹿にしたのだ。当時はまだ、被差別部落生活する人々と、それ以外との間に貧富の差があった。馬鹿にされやすかった。

 どれだけ悲惨生活だったか、今の生活と対比しながら述べると、家にトイレはなく(集落で共同のトイレだった)、上水道は通っておらず、生活汚水は外に垂れ流しであり、雨樋や排水溝がないので大雨が降ったら屋内は水びたしになっていた。

 家族食卓を囲んだ光景にいい思い出はない。口に出して述べたくないし、思い出したくもない。

 さて、その男言葉に頭にきたK君は、翌日に地域の仲間(私を含む)を連れて職員室に入っていった。K君が連れてきた解放委員会の男が怒鳴ったのを覚えている。「教頭、どういう教育をしとる!」という大声に、周囲に緊張が張り詰めた。校長までやってきた。

 その教師に向けて、「そんなことは言ったらいけんど」と説得しようとしたものの、それ以前の問題だった。その教師は、私達の質疑に対して、最後までしらを切り通したのだ。「そんなことはしていない」と言い張った。

 このままではK君の立場が危ういわけだが、私にはどうすればいいかからない。しかし、協力をしたかった。

また翌日、K君は教室の中で証言者を探すために、級友の前で声を上げた。「このままでは俺は嘘つきになってしまう。証言をしてくれ」と皆に伝えた。が、私ともう一人か二人以外に協力者は出なかった。

 次の日だった。今度は、級友一人一人と話をする作戦に切り替えた。校庭に級友を呼び出し、どうして協力してくれないのか、と訴えたのだ。それでも駄目だった。みな、「それは勘弁してくれ」と言うばかりだったという。

 さらに次の日、K君は50枚ほどのA6程度の大きさの小紙を持ってきた。それを級友の一人一人に渡して、「これに証言を書いてくれ。後で預かる」とお願いして回ったのだ。

 翌週、K君は再び、地域の仲間と、同じ地区解放委員会役員を連れて校長室に入っていった。私は外で待っていたが、勝利確信していた。K君は、20枚以上はあろうかという紙の束を持っていたかである

 その年度の末をもって、その教師は異動になった。県内の一番端にあるエリアに転勤していった。彼はまだ赴任して2年目だったこから、今回の作戦が功を奏したとみていいだろう。

 この、K君の動きを間近で見たことが、私が政治運動を志したきっかけだった。



 今度は、少し規模の大きい話をしよう。

 それから三十年以上が経って、平成の初期だったと記憶している。被差別部落生活文化的環境改善するという一連の政策国会での議決を受けてから、長い時が経っていた。

 K君の事件きっかけにして、私は解放委員会正式に加入し、高校社会科を教えながら政治運動に身を投じていた。40になる頃に教師を辞めて、今度は別の公職に就いた。

 ある年の冬だった。私が活動していた県の幹部職員が、「同和関係補助金はすべて凍結する」と、あろうことか県議会で答弁した。

 寝耳に水だった。まさか、そんなことはあるまいと考えたが、確かな事実だった。議会答弁はテレビ中継もされていた。

 当時、私が所属していた団体幹部が全員呼び出され、偉い方々から対策を指示された。それぞれの支部からも、来年度の予算について雨後の筍のように質問が寄せられていた。

 発砲ふさがりかと思われたが、ふと、K君のことを思い出した。彼はもう立派な社会人であり、解放委員会からも抜けていた。それでも藁にすがる思いで相談に行こうとしたものの、気が乗らない。

 彼に迷惑をかけるのでないかという想いもあったが、何よりも私個人の意地だった。同和教育人権思想を啓もうする活動を担う一員である以上は、自分達の力で解決せねばならないという気概があった。

 とはいえ、K君と話をしたかった。結局、正式相談ではなく、共に食事をしながら今回の件について話し合うという形式を取った。K君は、「ここで折れたら前例になろうが」という話からまり、諸々の助言をいただいた。今でも感謝している。

 後日、県の横暴に対する対抗策がまとまった。開始時期は、一週間後とした。

 数万人規模の組織で、ここまでの速度で動くのは無理がある。組織全体の足並みが揃わなくなる恐れがあったが、予算全凍結は目の前だった。

 まずは、各自治体の教育委員会オルグ実施した。

 あの時のK君のように、各市町の教育委員会庁舎に数人で飛び込んだなら、「どうしてこんな卑劣なことをするのか。子どもらが人権意識もつための活動ができなくなっていいのか」というメッセージを何時間にも渡って、毎日伝え続ける。

 庁舎の外には最大100人程度を待機させていた。みなそれぞれ、横断幕拡声器を使って、スローガンを堂々たる態度で表し、相手方にこちらが本気であることを知らせた。朝方から始まって、日中は休憩を挟みながら、日が沈む頃まで毎日続けた。

 場所関係なかった。公共機関であれば、どこででも実施した。教育委員会だろうと、市役所入り口だろうと、学校門前だろうと、警察署の前だろうと、県会議員の自宅の玄関だろうと、場所関係なかった。

 かつて、私たち基本的人権の享有を受けられなかった。その歴史を繰り返してはならない。私たちは本気だった。

 議会での答弁から半年後、私達の本気は伝わった。予算の凍結が撤回されたのだ。

 これまでと同じように、これまでと同じだけの金額子ども達への教育活動個別学習会や勉強会に使うことができるようになった。

 私たちは、相手の痛いところを突いた。突き上げを受けた教育委員会は、通常の業務を行うにあたって支障が出る。日中は、私たちが絶えず抗議をするので、それに対応せざるを得ないからだ。

 それが数日であれば持ちこたえるだろうが、何か月にも及ぶとさすがに根を上げる。

 「予算の凍結はやめてくれ。現場がもたない」と各市町とその教育委員会は、県の決定に抗議する流れができる。

 さらに長い期間に渡って続けば、県としても、予算の凍結の続行と、各市町の疲弊とを天秤にかけざるを得なくなる。

 私たち勝負に勝った。

 相手の痛いところを突けばいいというものではない。こちらも痛い目を見る覚悟必要だ。というのも、現実的には、まずはこちらが痛い目を見る可能性が高いからだ。

 上記場合、県による予算凍結の撤回を求めて戦うにあたり、相手方に攻勢をかける必要があったわけだが――初期の段階が一番苦労した。まず、動員をかけても会員は集まりにくかった(当事者意識の欠如)。これがただの動員ではなく、緊急事態を打破するための闘いであることをわかってもらうために熱弁を振るう必要があった。この説得のための活動、すなわち県内支部巡りに最も時間を要した。

 人が集まり相手方に攻勢をかけることができるようになったとして、最大のリスクがある。警察通報されることだ。特に要職にある者が動けなくなるのはまずい。敵にとっての追い風になる。

 今回は、そうした事態が起こることはなかった。絶対暴力行為脅迫行為をしてはならないと、組織内で固く申し合わせをしていたからだ。

 私が若い頃の解放運動だと、警察など介入する余地はなかった。デモ活動オルグ最中通報があって警察官が駆け付けたとしても、我々を見て尻込みをするのは当たり前で、あちらの方が逃げ出すこともあった。

それほどまでに、当時の私たちは気迫に満ちた政治社会運動をしていた。物事に対する「本気」というものが、警察すら怯えさせるほどに昇華されていた。

 時が経ち、平成時代になると、部落に住む人々も豊かになったこともあり、ハングリー精神が見えなくなっていた。集団の気迫はすっかりと消えてしまい、周りから見ると――デモ活動の全てが滑稽なものに映るようになっていた。満たされた人間政治運動はできない。それだけのことだった。

 ところで、予算凍結に対する対抗策の実施にあたり、最大の懸念事項があった。

 県と市町との連携だ。もし、予算凍結の議会答弁を打つよりも前に、県議会が各市町に根回しを行い、さらに我々を抑えるための手を考えていたとしたら、負けていた可能性が高い。

 逆に言えば、同和対策事業に関する予算の凍結という重大事項について、事前に各市町と連絡調整をしないというミスを県が犯したからこそ、我々は勝利することができたと言っていい。



 最後になる。

 相手の痛いところを突くこと、その直近の事例としてミャンマーデモを挙げたい。

 アウンサンスー・チーを頭に据える民主派が勝つにはどうすればいいだろうか?

 武力では国軍に勝てない。ならば、「国軍は間違っている」というメッセージを、自国内と国際社会に訴えかけるしかない。

 経済面ではゼネラル・ストライキを行い、社会面では民主的思想制度について啓もう活動を行い、政治面では大規模デモによって世界に窮状をアピールする。

 アメリカがすでにミャンマーへの経済制裁を行っているし、世界的な空気として、国軍より民主派を推す声が大きいのは間違いない。

 民主派のやり方というのは、それでいい。とことん大きなデモを打って、自分達の正義アピールする。

が、その代償として、民主派は多くの命を失っている。つい先ほど、未成年デモ参加者が銃で撃たれて亡くなったというニュースが飛び込んできた。先日のデモでは50人以上が亡くなったという。

 民主派グループの中でも、指導者に近ければ近い者ほど、身体危険が迫る。国軍にしてみれば、今が正念である世界各国から評価が低下することを気にかけず、民主派指導者層を徹底的に弾圧し、デモ活動を先導する者を少なくし、事態を膠着状態に陥らせ、軍事政権を持続させるとともに――軟禁しているアウンサン自然死を狙うメリットの方が大きい。

 もし日本が、ミャンマーのように危険状態だったとして、あなたが立ち上がって戦わねばならなくなった時、どういう心構えで、どういう行動を取るべきだろうか? 相手の痛いところを突くために、どこまでのリスクを背負えるだろうか?

 その問題に直面していたのが、私が生まれ時代よりもさらに昔、明治以降被差別部落に暮らす人々だった。あまりに苦しい生活環境であるがゆえ、生存権を得るために戦わねばならなかった。しかし、どうやって戦えばいいのか?

 多くの者が基本的人権を得るために戦い、痛い目に遭いながらも戦いを続け、そして今の、(経済的意味に限っては)被差別部落問題解決した現在に至る。

 あなた人生にとって、重大な戦いをせねばならない時がくるはずだ。その時に、どういった行動を取ればいいのか、当日記がその際の助けになれば幸いだ。

 40代以下の若い人に向けて、このトピックを書いたつもりだ。あちらへ、こちらへとぶれた文章になって申し訳ない。読み返してみると、まとまりのなさに驚いている。ご容赦いただきたい。

 あなた幸せのあらんことを。

2021-03-07

中古マンション内見日記

ヤクザだけどクッキー焼いたよ!の元ネタがわかる世代で、年収700万くらい。都内賃貸住まい第一子が生まれたばかり。

夫婦合算で1000万円ちょいあるけど、妻が一回り以上若くかつ昇給しづらい職種なので、自分の現収入かつボーナスに頼らずに買える範囲内でマンションを買うことにした。予算は3500万円に設定。

そうすると、SUUMO眺めて15分くらいで「新築だけ検索してても埒があかないな?」ということに気づく。その後適当神奈川埼玉千葉あたりの中古物件ポチポチ、問い合わせから内見の流れに。

内見初日にすげーびっくりしたんだけど、居住中の人がお出迎えしてくれる。あと、現地に着くまでに仲介会社の人が「今の部屋を手放す理由」を教えてくれたりする。

離婚したので手放すお部屋

仲介会社の人と合流した直後「今日見学するマンション居住者は離婚されたようで」と一言。見るからに幸の薄そうな(偏見)男の人が、ボサボサ髪でお出迎え。子供部屋だったであろうスペースには、学習机撤去した跡地に古いオモチャが散在しており、物悲しさが漂っていた。どんよりした気持ちで「わー広いベランダ」とはしゃぐふりをしてみるも、眼前には広大な墓地。なるほどこの眺望ありきの価格かと察した直後、仲介会社が「せっかくだから居住者の方に質問ありますか?」と空気を一ミリも読まないキラーパス。思わず「あ、大丈夫っス」というこいつ絶対買う気ゼロ台詞が飛び出してしまい、内見終了。

スリッパに厳しいお部屋

コロナ禍だからなのか、仲介会社営業は大抵使い捨てスリッパアルコールを持ち歩いており、それをお借りすることが多かった。居住者にしてみても安心だろう。そんな使い捨てスリッパからこちらとしては「できるだけスリッパを脱がずに見学しよう」と思うが、居住者にしてみたらカーペットや畳にスリッパで入って欲しくない気持ちが当然ある。そのため「あ、今ここにスリッパで踏み込んじゃったけど、居住者の人が明らかに嫌な顔したな」という事案が発生してしまった。ごめんなさいと素直に口に出せず、悶々としたまま内見終了。

購入者が住んだことがないお部屋

購入契約を締結した瞬間に海外転勤が決まり、泣く泣くいったん賃貸に出しつつ機を伺っていたものの、コロナ禍のあれこれで帰国の目処も立たず、また収入も減少して結局手放すことになったお部屋を見学居住はいないし、賃貸ハウスクリーニング済なので物一つない綺麗な空間最初はうきうきしていたが、間を持たせようとした仲介会社営業が「いやー大企業に勤めていても何があるかわかりませんね」「なるべく高く売ってくれとお願いされてます(笑)」など調子に乗り出したところでテンションが下がり内見終了。

オプション代金を回収したいお部屋

「次のお部屋は、実家の都合でどうしても引っ越さざるを得なくなってしまったご家庭で。同じマンション同じ面積のお部屋よりも数百万高いですが、永住するつもりでだいぶ仕様グレードアップされてるんですよ」という話を聞きながら入室した築3年のマンション。確かに壁紙やら照明やら棚やら、お金をかけた感はものすごく伝わってくる。ただそれ以上に、出迎えてくれた奥様の気合の入り方がエグい。普段買ってるトイプードルは「嫌がる方もいるから」との理由ペットホテルへ出し、お父さんと子供は近所の公園で待機。隅から隅までホコリひとついくら掃除済の部屋で「この仕切りは子供が掴まりやすいように」「このリネン棚は私の家事がしやすいように」とマシンガントークめまいがしてきたので内見終了。仲介会社営業に「すみません、安い方の部屋を本命します」と伝える。

破れた壁紙背中で隠し続けるお部屋

見出しで言い切ってしまった。いろいろ丁寧に説明してくれていた居住者の奥様(上白石萌歌似)が、ほんわかニコニコ立ち続けていた壁がビリッビリに破れていることに気づいたのは内見終了1分前。こちらが「あ」と気づいた瞬間のバツの悪い表情は、演技派女優でも再現できないほど。前述のお部屋は極端だけど、中古売買なので売主側としては「良く見せたい」「悪いところは伏せたい」という気持ちが当然ある。それは重々理解するけど、やっぱり上白石萌歌裏切られるのは辛い。

事故物件ではないけれどなお部屋1

事故物件定義は詳しく知らないけれど、仲介会社から本来は告知事項ではないんですが」との前置きがあったお部屋が2つあった。1つは部屋で自然死。ここまでは「許容範囲かな?」という購入者も多いらしい。ただ本物件孤独死で、長期間放置されたため、腐敗で床が抜けてしまったお部屋。フルリフォーム済なのに超安い価格掲載されているので問い合わせも多いが、ここまで聞くと「うっ」となる購入者が大半とのこと。戦国時代まで遡れば全部事故物件論者なので個人的には気にならなかったが、一人の買い物ではないので深追いせず。

事故物件ではないけれどなお部屋2

もう一つは「隣の部屋で自殺があった」部屋。売り出されてる部屋自体はピカピカなんだけど、こういう事情も事前に伝えるものらしい。さらに、「前向きに検討されるならもう少し細かい事情をお伝えします」とのこと。聞いてみたいという好奇心はなくも無いけど、聞いてから購入する可能性はゼロだなと察したので、深追いせず。

今回の結論

新築マンションを購入しました。良かったです。

2021-03-04

anond:20210304202459

何それ?

そんなのがあるの?

事故った時に自分も死んだ業務上過失致死とかの判決かな?

けどただ自然死なら別に責任とかなくねぇって思うんだけど。

まあ死骸片付ける人はめちゃくちゃ迷惑するだろうから、その分のスン氏は残しといたほうがいいかもしれんけど。

2021-01-29

 政府は約3600万人いる65歳以上の高齢者に対して、3か月以内に接種を終える目標を掲げる。辛坊氏はそもそも1年で137万人が〝自然死〟しており「その大半が高齢者」と指摘。

 そのため「3千数百万人に一斉にワクチンを打ったときに、直後に体調を崩された方はワクチンで崩されたのか、高齢によるもともとの病気で崩されたのか、見極めがものすごく難しい」と語った。

これが事実なら、ワクチンで137万人が死んだことにされそう。

2021-01-28

anond:20210126211637 新型コロナから日本を救うたった一つの方法

ウォール・ストリート・ジャーナルWSJ)の超過死亡の記事をみました?日本を含む59カ国の超過死亡を調査し、コロナによる死亡者分析しているんですけど、世界中で例年より12パーセントも死亡者数が増えていて、世界に甚大な影響ですよ。

ところが、そのうち9カ国はなぜかむしろ超過死亡者数が減っていて、特に日本ものすごく減っています

これどういうことか、あたまのえらいはてなーさんならわかりますよね。コロナ対策しすぎて、人が死ぬどころか、むしろ死んでもおかしくない人が死ななかったんです。

日本に於ける新型コロナウイルスファクターXとやらの存在については山中教授らも言及していますが、まだ明確な特定には至っていません。

ただ少なくてもこの1年を振り返ると、日本では新型コロナウイルスの死者数というのはインフルエンザ死者数(例年2000人から3000人)よりは多かった(5000人超)ものの、超過死亡の減少を考えると総合的に大きく変わらない。

日本アメリカヨーロッパを同列に考える必要はないでしょう。変異は恐ろしいですが、確認されていない情報に振り回されるよりも、データーをみましょう

日本にはゆるふわロックダウンで乗り切ってきた実績もあります


とりわけです。若年層の死者数は本当に少ない。え、っていうくらい少ない。若年層にだって重症化する可能性はもちろんあるのだけれど、それはインフルエンザだっておなじ。

後遺症も報告されていますけど、これもインフルエンザだっておなじ。ダメージを受けた肺などの臓器は簡単回復しないんですよ。なんで知らなかったの?

要するに若年層のリスクってのは、自然死に遠く及ばないのです。交通事故件数や死者数のがずっと多いけど、日本社会から車を廃止しますか?

そして実際、高齢者や重い基礎疾患を持っている人(以下高齢者等)は、リスクが高いんです。治療期間はインフルエンザより遙かに長く、感染力も高い。院内感染とかがすごくおこりやすい。この人たちが増えると医療崩壊する。これもまちがいありません。


もうわかりましたね。

日本式のコロナ対策として重要なのは高齢者等がコロナにかからないようにすることです。ハイリスクでない層にもやりすぎているからこそ、世界で類をみないほど超過死亡がものすごく減少しています

もう一回問います

交通事故をなくすために、車を廃止しますか?そんなはずはありません。

ではなんで日本経済止めてるの?倒産件数自殺者増えてますね。これからも増えますね。将来的には社会保障も存続できなくて、もっと人が死ぬ


高齢者等には引き続き自粛必要です。なんなら今以上の自粛必要です。高齢者等にはロックダウン必要かもしれない。

gotoの時百合子さんが言いましたね。「65歳以上は自粛してください。」本当にそれだけなんです。

申し訳ないけれど、いのち社会を守るために、まだしばらく高齢者等は自宅にいてください。自宅でも接触を最低限にしてください。

そしておなじく、いのち社会未来を守るために、それ以外の人は経済を回していきましょう。

街が消えていく、未来が消えていく、自殺者すごく増えてますよね?経済を守るって、いのちを守ることですよね?いのちを守ろうよ。

オリンピックだってそうでしょう?いまさらやめて、経済的に日本にとどめをさして、もっとたくさんの人が死ぬのを選びますか?そうして生まれてこれなくなるこどもたちのことはどう考えるの?

日本衰退国家っていわれています。あと1年こんなことやっていたら、本当に事実上中国(かアメリカ)に吸収されていくでしょう。

データーをみよう、世界に稀な推移です。日本勝機は十分にある。

日本コロナ対策重点項目は高齢者等。超過死亡のデータが雄弁に語ります


あと高齢者等だけ自粛!とかいうと、やっぱりさみしかったり気に入らないと思うので、個人的には高齢者等を「保護」するという名目にして、もしかしたらそこにはお金サービスを投入してもよいかもしれませんね。

お金をあげるから、お願いだからからでないで。健康管理とかちゃんと自治体とかでやりますからって。

っていうか、実際に高齢者等は本当にハイリスク、あっという間に悪化して死んだりします。いのち危険がありますあなたいのちを守りたいから、家からでないでください。

よくいったじゃないですか、若いもんはって、戦後の混乱を乗り越えてきたあなたたちならできます。さいごにもう一度大和魂をみせてくださいよ、ほんと。


5月頃だったかな、自治体レベルで競うようにコロナ対策経済対策をしていた時期があったとおもうんです。○○県すごい!とか、△市いいなー!とかよくおもってました。

高齢者保護政策も、どこか地方自治体からやってくれるといいなって思います田舎とかコロナに敏感だし、高齢者保護したほうがいいのではないかな。若者はがんばったほうがいいのではないかな。


あ、議員さんたちももちろん適用対象になるので、若い議員さんたちは大変だと思うけれどがんばってください。高齢者いのちを守ろう。ちょっといろいろ年齢層あがってしまったし、この機会に高齢者から日本を取り戻そうよ。

というわけで、高齢者は家にいてください。あなたいのちを守りたい。


はてな村民より。


https://anond.hatelabo.jp/20210126211637

2020-09-11

逆に精神的に健康作品コンテンツについて考えてみた

前回はこちら 

https://anond.hatelabo.jp/20200911202150

精神的に不健康作品コンテンツの例として、青年向け漫画も取り上げる予定だった。もつあきさんと無望菜志さんと朝凪さんを取り上げようと考えていた。

迷った挙句に書かないことにした。男性しか読んで楽しめないものは書くべきではないと考えたからだ。かといって、私がボーイズラブ世界に足を踏み入れるわけにもいかず。

その代わり、ブクマコメント要望のあった、精神的に健康コンテンツを取り上げてみようと思った。

各編ひとつずつ選んで紹介する。ひとつにつき1000字程度。たまにネタバレをする。

漫画

火の鳥

 久しぶりに読み返して、精神的に不健康作品ってそもそもどんなものなのか?と自らに問いかけることになった。

 これは面白い。「何も聞かずに読んでみて!」と無条件で人に勧めることができる数少ない漫画だ。

 火の鳥。生き血を飲むと不老不死になる。彼女(?)は人間世界を見守っている。たまに人間に捕まえられて血を取られたり、稀に自分から血をあげることもある。その血を巡ってドラマが繰り広げられる章編もあれば、そもそも生き血を飲みたいという展開のない章編もある。

 精神的に不健康描写が数多くある。不老不死テーマなだけに理不尽な死も多い。エロもあるし、グロもある。昔の漫画なのでよくない言語表現もある。

 でも、読んでいるうちに何が何だかからないまま時間が経って、読み終えると心が静かになっている。何も考えられない。心が作品に持っていかれる。

 前々回の記事で、『完全なる経営から読み取ることができる、精神的に健康人間要件として以下の5つを挙げた。

 ・今の状況をありのままに捉え、不確実な状況でも耐えることができる

 ・創造的やユーモアがある

 ・自分自分に関わる人間幸福を願う

 ・夢中になれる物がある

 ・自分能力を惜しげなく発揮している

 火の鳥に出てくる主要人物は、このいずれかを必ず持っている。持っていないこともあるが、成長とともに持つようになる。

 どのシーンも主人公に厳しい。安息の時はない。あったとしても理不尽に打ち砕かれる。各編の主人公には欲しいものや、なりたいものがある。それらを目指して戦い続ける。

 彼らが生の終わりを迎えた時、死の跡には必ず何かが残っている。

 精神的に健康/不健康作品を分かつものは、破壊創造バランスなのだと思う。精神的に不健康作品コンテンツは、最後は何かが崩壊して終わる。対して、精神的に健康作品というのは、最後に何かが創造される。

 物語過程で、登場人物が絶えず営為を繰り返している。だから読者の心に爪痕が残る。

アニメ

プリキュアシリーズ

 精神的に健康になりたいのなら、土日の朝にやっているアニメを見るのが近道かもしれない。

 人として正しい道へと導いてくれる作品が多い。

 プリキュアはその筆頭だろう。プリキュア作品を見た児童は、正しい人格の在り方や、仲間のために何をしてあげればよいか、敵に対してはどのような態度で接すべきかなど、社会生活を営むうえで大事なことを学べる。

 大人が視聴すると、忘れかけていた大事なことを思い出させてくれる。

 今やっている『ヒーリングっどプリキュア』だと、15話がよかった。のどかラビリンがあることをきっかけに喧嘩となり、冷戦状態になる。なんというか、リアルなのだラビリン問題行動を起こすきっかけも、のどかが怒った理由も。ケンカ中の態度も。

 イザという時にケンカ裏目に出てしまう。信頼関係がなくなったせいで〇〇に失敗する。

 ラテ仲介によって二人は仲直りするのだが、これもまたリアルだ。現実でも、こんなやり取りを見たことのある人がいるのではないか

 創作世界に生きている人間を、現実に生きているように描く。これができるのは一流の作品だ。当たり回はいくらでもある。騙されたと思って是非視聴してほしい。

(余談)

 大人児童向けアニメを見ても面白くないという意見もある。特に作画児童向けアニメというのは、1年間放送する関係で1話当りの予算が少ない。作画がよくないイメージが強いのではないか

 その点は安心だ。ハートキャッチプリキュア!の辺りから予算が上がっている(ような気がする)。それまでのプリキュアシリーズというのは、月に一度は作画が崩れてプリキュアの顔がおっさんになるという事態が生じていた。

 いい時代になった。ただし弊害もある。スタッフお気に入りプリキュアが贔屓されるようになった(※今は特定キャラが贔屓されることはない)。個人的意見になるが、キュアムーンライトの変身時の作画枚数が少ないのは、キュアサンシャイン変身バンクを盛大にするために暴走したスタッフのせいだと思っている。

 プリキュアシリーズがたくさんありすぎて選ぶのがしんどいと思われた貴方には、私が選んだ大人向けのプリキュアを紹介させてもらう。作品紹介は最小限に留めている。

 ★ハートキャッチプリキュア!2010年

  キャラデザは子ども向け。物語シリアスファッションショー回にスタッフの愛を感じる。

 ★スイートプリキュア♪2011年

  本物の友情を描いている。硬派で軟派。中学生なのに色気がある。

 ★ドキドキ!プリキュア2013年

  男の子向け? 保守寄りの価値観ベースにしている。お笑い描写に定評がある。

 ★Go!プリンセスプリキュア2015年

  誇りや気高さ、心の強さを描いている。みんな大好きキュアトゥインクル

 ★魔法つかいプリキュア!2016年

  少女友情がメイン。スイプリに比べれば甘々な感じ。最後の方は泣ける。

ゲーム

・かたわ少女

 フリーゲームだ。一時期話題になったので知っている人もいるだろう。

 主人公ヒロインは、病気障害を持っている。主人公である中井久夫は、ある時に心臓であることが判明し、30まで生きられるか怪しいという状態物語スタートする。

 ヒロイン障害は様々だ。目が見えない子、話すことができない子、足がない子、手がない子、火傷のある子……。

 この作品の、いったい何が精神的に健康なのかといえば、キャラクター同士の人間関係の深みを追体験できることだ。

 外国人の有志が作ったゲームなので、そのあたりの深みはとんでもない。愛情で繋がるシーンが感動的なのと同じく、信頼が消えるシーンもまた同じくらいの衝撃で心を抉ってくる。

 笑美のルートがよかった。外国人から見たとき模範的恋人同士ってこうなのかな、というのが伝わってきた。個人主義秘密主義を貫いていた笑美が、心の弱さを久夫に見せられるようになる過程に癒された。

 テキスト量が凄まじいゲームなので、ホームページを読んで感じるものがあった子をプレイするのがいい。

 ゲーム編の番外作品として、高橋邦子シリーズを挙げる。

 某動画サイトではお馴染みのシリーズであり、2011年頃までは定期的に動画投稿をしていた。

 このシリーズは、各作品制作時期によって印象がてんで異なる。

 初期の作品は見るに堪えない。まさに精神的に不健康だ。理不尽な死は基本であり、人権侵害を地でいっている。実際に見てみるのが一番早い。

 時代を経て作風は変化する。

 初期に投稿されたのは、邦子子どもの頃に作ったと思われるものだ。キャラクターはとりあえず雄叫びを上げ、とりあえず戦闘突入し、とりあえず死ぬ。そんな作品しか言いようがない。ただし、作者のセンスが飛び抜けているので結果的面白いストーリーになる。

 邦子大人になってから作ったと思われる作品は、初期のものとはまるで違う。理不尽な死が基本であるのは変わらないが、以下の特徴が挙げられる。

ユーモア意識している。特にセリフ回し。

視聴者テンションの変化を読んでプロットを組んでいる。ハリウッド映画研究している。

・真面目でひたむきなキャラが無残な死を遂げるのが減った

 現在新規作品がアップされることはまずない。

 高橋邦子大人になってしまったのだと思う。新しめの作品を視聴すると、このことがよくわかる。

 精神的に若くないと、ああい作品を作るのは難しい。例えば、会社員として適合してしまうと、そっち方面アイデアが湧いてこなくなる。

 邦子作品をまた見てみたい。

小説

百年の孤独

 1967年に発表されたガルシア・マルケス長編小説

 これまでに30ヵ国語以上に翻訳され,1000万部以上を売ったとされる。架空の町マコンドの創設から、その滅亡に至るまでのブエンディア一族歴史が描かれる。

 ブエンディア一族は、みな自らが決めた使命や、本能のままに生きている。長生きした者もいれば、短命だった者もいるが、誰一人例外なくキャラクターが濃い。

 キャラの立ち方について、「根が明るい」とか「聡明」とか「向こう見ず」とか、そういう言葉で表すのではなく、具体的なエピソード表現している。

 読了後は放心状態になる。静かな気持ちの中で、この本を選んでよかったという感慨を得ることができる。

 大衆向けの作品でありながら純文学でもある。思わず吹き出ししまうシーンもあれば、「お前ここで終わるんか…」みたいに物悲しいシーンもある。

 一番のおススメは文章だ。一文字文字読書中の脳に突き刺さる。以下の例はほんの一部だ。

 屋敷のなかが恋であふれた。アウレリャノはその恋心を、初めも終わりもない詩にうたい込めた。メルキアデスからゆずられたざらざらの羊皮紙や浴室の壁、自分の腕にまで詩を書きつけた。あらゆるものに、変身したレメディオスの姿を認めた。午後二時の睡魔をさそう風のなかのレメディオス薔薇の穏やかな息遣いにつつまれたレメディオス、蛾の浮いた静かな水時計のなかのレメディオス明け方パン匂いにただようレメディオス。いたるところにレメディオスがいた。永遠に変わらぬレメディオスがいた。 P.73

ホセアルカディオが寝室のドアを閉めたとたんに、家じゅうに響きわたるピストルの音がした。ひと筋の血の流れがドアの下から洩れ、広間を横切り、通りへ出た。でこぼこの歩道をまっすぐに進み、階段上り下りし、手すりを這いあがった。トルコ人街を通りぬけ、角で右に、さらに左に曲り、ブエンディア家の正面で直角に向きを変えた。閉っていた扉の下をくぐり、敷物を汚さないように壁ぎわに沿って客間を横切り、さらひとつの広間を渡った。大きな曲線を描いて食堂テーブルを避け、ベゴニアの鉢の並んだ廊下を進んだ。アウレリャノ・ホセ算術を教えていたアマランタの椅子の下をこっそり通りすぎて、穀物部屋へしのび込み、ウルスラパンを作るために三十六個の卵を割ろうとしていた台所にあらわれた。

「あらぁ大へん!」とウルスラは叫んだ。 P.142~143

 モンカダ将軍は起きあがって、シャツの裾でべっこうの分厚い眼鏡をふき、次のように言った。「恐らくね。しかし、わたしが気にしているのは、銃殺されるかどうかということじゃない。結局のところ、われわれのような人間にとっては、銃殺自然死と変わらないんだから」。 P.172

 真ん中の描写は、マジックリアリズムという。

 現実世界ではありえない現象を何度も何度も描くことで、読者に対してこういう世界なんだなと思わせる。慣れてしまうと、どんな不思議な情景が現れても自然に読める。この小説マジックリアリズム極致にある。

 時間のある人は図書館で手に取ってみよう。時間のない人はほしい物リストに放り込もう。

YouTube

フェルミ研究

 イラスト形式人生に役立つ知恵を提供している。あなた動画を見たことがあるかもしれない。

 このコンテンツも、高橋邦子と同じく、作者が人間的な成長を遂げたタイプだ。

 初期の頃は、インターネット上の疑問やネタを集めて電撃ランキングやその他まとめ的な成果物を作り、電ラン子というキャラクターに解説させるスタイルだった。

 だが時を経て、そういったランキングで使うテーマや疑問、ネタを自らの手で作り出すようになった。

 そこまで珍しい作風ではない。ほかにも、「ネタざんまい」や、「これ本当かも」、「アシタノワダイ」、「セカイノフシギ」など、イラスト形式日常・非日常の疑問を解説するページはけっこうある。

 フェルミ研究所が、類似コンテンツよりも抜きん出ているところ――精神的に健康な要素というのは、ひとえに笑いだ。

 他に比べて、フェルミ研究所が一番笑えるし、絵も可愛いし、ネタ豊富だ。他のコンテンツは、ストーリーの傾向がシンプル意味で「精神的に不健康である

 一応はディスる内容なので、どのコンテンツがこういう内容で精神的に不健康である~といった具体的な説明はしない。

 一般的な傾向として、ストーリーが語られる中で不幸になるキャラ存在している。そんな、不幸になった人物ラストに描くことで、視聴者に「ざまあみろ」という感情を吐き出させる。

 精神的に健康人間は、そういったコンテンツを好まない。再生ボタンを押したとしても、臭いを感じた時点でページを閉じる。

 フェルミ研究所にしても、初期~中期にかけてはやりたい放題やっていた感がある。

 恋愛を扱った回だと、童貞を煽るようなナレーションを連発したり、女性キャラ恋愛に挑んで失敗した男性辛辣セリフを吐いたりしていた。

 今では、そういった描写は少ない。むしろ恋愛に挑む若者応援するような作品を作るようになっている。

番外編(R-18

スミヤ

 青年向け漫画活躍している。性別非公表一般的エロ漫画に比べて絵が独特なので見たらすぐにわかる。

 ここで取り上げる理由は、その物語性にある。

 男女別の作品を好む傾向として、「男性シチュエーション萌え女性人間同士の関係性に萌える」というのがある。

 スミヤ作品には、そのいずれも在る。

 このふたりはこういう関係で、あの時こんなことがあって、だから今はお互いにこう思っている、といった情報さりげなく挿入されている。読者はこれから行為をする者同士の気持ちを知ることができる。

 では、肝心の行為をしているシーンはどうかといえば、これがまた…略

 はてな匿名ダイアリーなので、あまり詳細に書くことはできない。一般的男性であれば満足できる。「スミヤでは抜けない」といった意見もあるが、漫画をよく読んでいないからだ。

 肉々しいタイプの絵柄ではないので、作中の行為だけを見て興奮するのは難しい。ふたり関係性を理解したうえで楽しむのが筋といえる。

 男性向けのエロ漫画において描かれる女性というのは、実は女性ではない。女の姿をした男だ。最初は嫌がっているものの、性的な興奮によりスイッチが入り、快楽に抗えなくなる。最後は自ら求めるようになる――愛よりも肉を優先せざるをえない。それが男だ。

 純愛が多い。ふたり愛情を描いたうえで行為表現する。最初愛情がない時もあるが、ラストではお互いに何らかの感情が芽生えたことが示唆される。

 スミヤ作品に触れて、多くの感情を得ることができた。もちろん、他の作家からも得られるものは多かったけれども、ここでスミヤを紹介したのは、「これって男性から女性からウケるんじゃないのか?」と私が勝手に思ったからだ。面白くなかったらごめんなさい。

2020-08-07

もともと柔道国体にも行った人で、教え子にも恐れられるほど厳しい人だった。生徒指導では床に霜の降りた冷たい柔道場に、暖房も入れずに何時間正座させて足を凍傷にさせたり、炎天下グラウンドを何周もさせて、熱中症救急搬送させるような人であった。それも教育のためと信じていた。

悲劇が深刻化

鍛えていた体から繰り出されるパンチキックで、骨折したりケガをしたヘルパーさんが後を絶たず、長期間待ってようやく入れた介護施設からは早々に追い出された。

まれない長寿

老人とは一体なにか。

親というもの子供が不幸になってまで生きていなければならないのか。子供は親にとことん奉仕しなければならないのか。

病院で働いていて悲惨人生に遭遇すると、そんなことすら頭をもたげる。

この話のように、「認知症になった身内の介護に困り果てている。糞便を垂れ流し、目を離せば家の外に徘徊し、大声を上げ続け、近所に奇異な目で見られる。こんないつ終わるともわからない介護地獄で疲れ果ててしまった。なにをしでかして呼び出されるかわからないので、フルタイム仕事と両立は無理なので泣く泣く仕事をやめた。介護費用もかかるし、収入も絶たれてしまったし、貯金も底をついた。

できれば消えてもらいたい。

首絞めて殺す訳にはいかない。病死とか自然死に見せかけて死なせることはできないのか」といった切実で悲痛な声をよく耳にする。

こちらも何度も申し上げていますが、それは病院にいう話じゃないです。病院に連れてきたら、たとえ嫌でも助けられちゃうんですよ、自動的に。僕らの仕事ですから。そりゃあ僕らも本当にそうするべきなのかわからない人もいますよ。でも、死なせる権限は僕らにはない

追記

ブックマークコメントから

p_o_n

空手を習えばいいのでは?

ゴルァ!!!

mlr

マンガみたいだな>「酸素を吸いながらたばこを吸うと、火ダルマ

コラコラ?!

okai8

鍛え抜かれた体から繰り出されるパンチキックかぁ… ドリアンキャンディ〜…

不謹慎だぞ。ゴルァ!!

トラバから

ALS協会人権ビジネスマン安楽死制度を許さないのは、自分介護者にならないからだろうな 自分が被介護者になるとき経済的選択肢があるし、底辺介護させたらいいという考え.

追記だよ! 老害

医療費の金勘定制度論をこねくり回すのは、医者ではなくて、

政治

トータルすれば、これまでの医療費は1千万

2020-07-26

安楽死と死に得な税制

https://anond.hatelabo.jp/20200725133254

国民の知性やモラルというよりか金の問題かと思う。「ボケたおじいちゃんやおばあちゃんはとっとと死んでくれたほうが金銭・労力的に儲かる」状態なのが今一番まずいし、安楽死情勢にブレーキを掛けていると思う。

まり安楽死を導入するなら「おじいちゃんおばあちゃんが出来るだけ生きてくれないと遺産が目減りする」ような税制とセットで導入するのが必須だろうと思う。金だけには目ざとい国民は本人が死にたがっても生きるように説得するし、逆に(意識がある間なら)財産分与を盾に自身安楽死費用勘定にいれることも可能だろう。「ちょっと高くつくけど本人の希望もあるし私達も見ているのが辛いから」ぐらいの運用

ただ安楽死費用釣り上げると自然死安楽死区別で悶着しそうなのが難点。相続税云々でありがちな生前贈与まわりの始末の問題もあるかもしれない。苦しんでいる病人をだらだら生かし続ける家族も出るかもしれんがそれは今だって変わらない。

2020-05-05

生き続けてほしいという祝福と呪い

祖母が末期癌で入院している。

最近麻薬のような強い麻酔薬を入れないと痛みをごまかせない段階に至った。祖母は81歳だが全くボケておらず、マスクをしたまま面会しても三人の娘と五人の孫を識別できるし、冗談を飛ばす余裕もあった(ただ面会後は丸一日寝てしまっていたようなのでやはり疲れさせてはしまったようだが)

けれど、投与を始めてからは話しかけてもああとかううとか唸る程度で殆ど反応を示さず、会話もできず、指一本も動かせず、自力寝返りを打つこともできなくなってしまった。ただ、薬が効いている間は目が虚ろなのだが、時折目に光が宿るので、その合間を見ては話しかけたりしていた。

投与を始めてから三日目、看護師さんに歯磨きをしてもらった直後、突然祖母が暴れ出した。本当に、指一本も動かせないような容態だったのに、点滴を外そうと暴れて、「殺して」「早く死なせてくれ」と泣き出した。親戚で必死にとりなして、落ち着く薬を投与してもらい、事なきを得たが、私は無意識のうちに「ごめんなさい」と涙が出てきた。「息をするだけで痛くて苦しいとわかっているのに、おばあちゃんに生きていてほしいがために、苦しさを強いて生かしてごめんなさい」と。

延命治療家族エゴだと思う。祖母が好きだから、愛しているから、家族祖母がどんな姿になっても、一分一秒でも長く生きていてほしいと願って薬を投与して生かそうとする。医者だって患者を生かすために手を尽くしてくれる。ただ、意識があるのに話すことも体を動かすこともできず、ただ黙って死を待つのは、あまりにも残酷ではないのだろうか。

私は祖母の嘆きを聞いて、もう最期を迎えさせてあげてもいいのではないかと思った。ただ叔母らは、「大丈夫からね、もう痛いことはしないからね」と祖母をとりなし、薬の投与を続け、まだ自然死をさせてやるつもりらしい。いや、全然大丈夫じゃないじゃん。祖母は薬の投与で再びあまり動かなくなった。けれど、たどたどしく「終わり、終わり」と投げやりに呟いている。親族は相変わらず、祖母の呟きを聞いては涙している。

誰も祖母を苦しみから解放してやる気がないらしい。

ただ、早く逝かせてあげるのが祖母にとっての幸いなのではないかと、こんなふうに考えているのは私だけなのかもしれないと思うと、なんだか急に恐ろしくなった。おかしいのは私なのか、親族なのかがわからない。愛しているから生きていてほしいのか、愛しているか解放してやりたいと思うのか。人によるのだろうか。たまたま私の親族が前者の思考だっただけで、世の中には私のように考える人も多いのだろうか。

勿論、祖母のことは好きだ。というより、毎朝毎晩仏壇に手を合わせて念仏を唱え、「ご先祖様助けてやってください、安らかに逝かせてやってください」と一心に祈っている85歳の祖父を想うと、祖父意思尊重すべきなのだろう。祖父は、祖母がどんな姿になっても、一分一秒でも長く生きていてほしいのだ。

生きることも難しいが、死ぬことも大変だ。

2020-04-30

死ぬしかねぇってことをズルズル言ってる

死ぬほど絶望したとか、嫌なことがあったとか、そんなことは全然ないんだけど、あまりクズ社会で生きていくのが難しいので早めに死ぬしかないような気がする。

社会生活を営むと鬱になるっぽい。人生20年中盤で気づいた。

落ち込むのは昔からネガティブで慣れているか問題がないんだけど、体が言うことを聞かない。

寝れて3時間くらいしか寝れないし、体が動かないし、涙が勝手に出てくるし、注意力散漫だし、動悸がうるさいし、食欲ないし、食べると気持ちが悪い。体の不調を無視して社会生活を送ってたらマジでダメなやつになった。腹痛、嘔吐発熱、喉の痛みが止まらんくて連続ではないけど計半年くらい寝込む羽目になって(ゲロ撒き散らしながらさすがに働けない……)、治るのに1年くらいかかった。この時、精神科に行ったんだけど、鬱だって言われた。信じられなくて人生で初めてセカンドオピニオンしたけど、そうらしい。

鬱って脳の病気精神的にスゲーヤバくなっちゃって自傷行為とか自殺ちゃうみたいな感じだと思ってたからびっくりした。自分思考平常運転で体の調子がクソなだけなのに。もちろん、元からネガティブってのも伝えたし。

薬を飲んだら体は楽になったし、ご飯も食べれるようになったのはよかったんだけど、ポジティブになったのは怖かった。別人になってしまったみたいで。なんでこんな前向きで希望であるんだろうって少し焦ってた。

薬をやめてからネガティブに戻った。良かった。この世はクソで、自分もっとクソなゴミ屑以下の価値なし人間。心からそう思える。

ネガティブだけど前向きではあるから、そのことを悲観することはないんだよね。世界は概ねクソだけど少しはいものがあるし、その少しのいいものはすごく価値があるから世界のクソさを打ち消すには十分だと思う。自分価値がないけど配られた手札で全力を尽くすのが人生からさ。

でも、また最近体の不調が出てきた。これはまた半年寝込むやつ。治って1年経ってないのに。ヤバげなので会社に辞めたい意向を伝えだけど、受理されなさそう。体調崩したら休めばいいって、体調崩すまで休むなってことでしょう。嫌だなぁ。あれキツいんだよなぁ。

まれたり反対されると断れないんだよねぇ。退職代行とかことを荒立てることもしたくないし。

それに今辞めたところで次のところで体を壊すのは目に見えてる。お金も2ヶ月生きられるくらいしかないし。

こんなままならない人生大人しく手札を捨ててフォールドするのが賢明だと思うんだ。もう遅すぎて掛け金が釣り上がりまくっているけど。70歳まで生きると考えればまだまだ前半だし。50年でも半分だし。

船を係留する用の丈夫な縄も準備オッケー、予行演習もしてる。けど、肝心の死場所がない。家は家主さんに迷惑だし、遠くの土地へ行くのはそこの人に迷惑だし、適当公共の場所とか病院の近くも迷惑だし、樹海自衛隊迷惑だし。死体が出るのって自然死じゃない限りどうやっても無理なのよね。誰かに死体を見つけてもらわなきゃならないけど、死体見つけるなんて最悪だしトラウマものでしょ。

積極的死にたいわけじゃなくて、苦しんで生きて死ぬor餓死or野垂れ死or自殺のどれかしかねぇ、しゃーないわ一番マシな自殺で行こうって感じだから死ぬめっちゃ怖いしね!軽く試した感じ首吊りが一番楽でむしろ気持ちいくらいだったか首吊り固執してる。餓死は全身の不調がヤバくて早く殺して……って感じで一番ダメ飛び降りはすっごい怖い。足がすくむって言うか、怖すぎて柵に縋り付いて泣いちゃった。ジェットコースターは好きなのに。バンジーダメタイプなのかも。

貧乏っぷりを知ってる知り合いからは国から補償もらえとか言われるけど、親族には援助できる経済能力があるから無理。そしてそんなものをもらってるなんて許せないだろうし。一方的にこっそりめちゃくちゃ嫌ってるから親族に助けを求めるくらいならそれこそ死ぬわ。


意味のない文章をダラダラとすまんね!

今日死ねずに明日仕事に怯えてる。あと、寝れないから夜が暇。

趣味は色々あるんだけど、この状態だとそれすらまともにできねぇの。ゲームはすぐ死ぬし、本は文章が頭に入ってこないし、絵はなんど描き直してもピカソみたいになるし、小説言葉が出てこない。

今もめっちゃ取り留めなくダラダラ書いてるし。

そもそもまれてこないか、何も感じないロボットになれたらいいのになー。

2020-04-04

自分死ぬ前提だからこそ、経済停止には反対だ」への反論

こんにちは

記事は以下の記事への(部分的な)反論です。


※前提として、筆者は首都圏大阪だけでも早急に経済停止を含む処置(少なくとも緊急事態宣言)をとるべきだと考えています

これについては、文章最後に私以外の人の意見もいくつか紹介していますので、反論自体に興味がない人も読んでいただけると嬉しいです。


なお、増田における個人への言及規約違反になりうる、という話については承知していますが、

上記記事の著者であるdeztecjp氏自身がそれについて 「穏当な批判まで第三者が不当視することではない」というスタンスをとられていることと、

今回の内容がなるべく多くの人の目に触れてほしいということを鑑み、増田という形を選ばせていただきました。

もし、deztecjp氏自身から削除依頼があれば、対応いたします。


さて、私がdeztecjp氏の記事について引っかかったのは、主に以下のような箇所です。

新型コロナだけ、必死対応しようとする人々は、他のほとんど全ての危険について、忘れているのではないか。だからこそ、一点集中で全リソースを投入することを望むのではないだろうか。

最大限の見積もりでも総人口の数%が死ぬ程度で、おそらくはスペイン風邪(総人口の1%)が現実的な目安になる。

ひとつのご意見として理解しますが、少なくとも「総人口」を基準に置く書き方はフェアではないかと思います

リスクの高い場所都心など)に住む人々の何%が死ぬか、というファクター重要ではないでしょうか。


ひとつ思考実験として、より極端なケースを考えてみればはっきりするかと思います

例えば、コロナとは別にある特殊ウイルス流行したとしましょう。

このウイルス日本国民ほとんどは免疫がありますが、

特定区域に住む260万人の人々だけは免疫を持たず、感染した場合確率50%死ぬします。

また、何も対策を打たない場合、この区域の人々に徐々にウイルス感染していき、やがて全員に感染するとします。


この場合、亡くなるのは日本人口1億3000万人の1%程度です。

しかしながら、これを放置するのは、「日本中の1%が(ランダムに)死ぬウイルス放置する」というのと比べ、倫理的に大きく問題があると考えます

それは、「放置する」という決定は国民全員(の代表たる国会)でしても、そのリスクを負うのは一部の人々だけであり、また当該の区域に住む人が死ぬまでに感じる恐怖といった面も無視できないからです。

さらには、生き残った50%の人たちについても、家族を含む当該地域人間関係複数失うことが想定され、

その人たちのQOLに大きく悪い影響を与えてしまうというようなこともいえます

大雑把に言うと、「人間関係の5割を失う悲しみを味わうひとが130万人いる」というのは「人間関係1%を失う悲しみを味わう人が1億数千万人いる」より望ましくない状態だということです(筆者の考えでは)。


以上のようなことから、私は、「日本中の1%が(ランダムに)死ぬケースなら経済を止める必要がないかもしれない」「しかし、今回のケースでは経済を止めるに値する」と考えます

その上で、deztecjpさんが「いや、今回のケースでも命の値段はそこまで高くない」と考えるのであれば、私に説得することはできません。

(実際のところ、自動車事故自然死も「完全に平等な死」ではない以上、どこまでいっても価値観問題ではあるかもしれません)

それでも、「命の値段はリスクの不平等さによっても変化しうる」という点については、同意していただけないかと考えるのですが、いかがでしょうか。


なお、私個人としては、コロナとの戦いを諦めた場合、死亡リスクが高い地域においてパニックが起きると考えており、その意味でも首都圏大阪は少なくとも緊急事態宣言を行うべきだと考えています

(以下、いくつか私が同意している意見引用します。ツイート文脈については引用しきれていないので、すみませんクリックでご確認ください)

最後のtakeda25氏の意見ちょっと本題と逸れますが、「冷血」などの価値判断はともかく、「結局のところコロナ対策を行うことになる以上、対策を行うのは早いほうがよい」というのには理があると思い、紹介させて頂きました。

実際、下記のニュースのような状態になったら、封じ込めに転換しないというのは不可能だと考えます。(deztecjpさんの書く "負けが明白になっても食い下がるのは、なしにしてほしい。" というのはこのような状態を想定しているのでしょうか? 私は、仮に経済をある程度重んじるとしても、下記のような状態を避けようとする対処は最低限必要不可欠と考えます


ともかく、「経済リスクについて考える」という意味でも、

上記のような「完全に崩壊した」地域経済リスクについて考慮する必要があると考えます

その点、deztecjp さんの「総人口の数%が死ぬ程度」というような書き方はそのようなリスクを見えなくするものであって、ミスリーディングさを孕むように私には感じられました。

(4/4 追記)

※一瞬「4/3追記」として下書き内容を誤って公開していました。ごめんなさい。

2020-04-02

自分死ぬ前提だからこそ、経済停止には反対だ」への反論

こんにちは

記事は以下の記事への(部分的な)反論です。


※前提として、筆者は首都圏大阪だけでも早急に経済停止を含む処置(少なくとも緊急事態宣言)をとるべきだと考えています

これについては、文章最後に私以外の人の意見もいくつか紹介していますので、反論自体に興味がない人も読んでいただけると嬉しいです。


なお、増田における個人への言及規約違反になりうる、という話については承知していますが、

上記記事の著者であるdeztecjp氏自身がそれについて 「穏当な批判まで第三者が不当視することではない」というスタンスをとられていることと、

今回の内容がなるべく多くの人の目に触れてほしいということを鑑み、増田という形を選ばせていただきました。

もし、deztecjp氏自身から削除依頼があれば、対応いたします。


さて、私がdeztecjp氏の記事について引っかかったのは、主に以下のような箇所です。

新型コロナだけ、必死対応しようとする人々は、他のほとんど全ての危険について、忘れているのではないか。だからこそ、一点集中で全リソースを投入することを望むのではないだろうか。

最大限の見積もりでも総人口の数%が死ぬ程度で、おそらくはスペイン風邪(総人口の1%)が現実的な目安になる。

ひとつのご意見として理解しますが、少なくとも「総人口」を基準に置く書き方はフェアではないかと思います

リスクの高い場所都心など)に住む人々の何%が死ぬか、というファクター重要ではないでしょうか。


ひとつ思考実験として、より極端なケースを考えてみればはっきりするかと思います

例えば、コロナとは別にある特殊ウイルス流行したとしましょう。

このウイルス日本国民ほとんどは免疫がありますが、

特定区域に住む260万人の人々だけは免疫を持たず、感染した場合確率50%死ぬします。

また、何も対策を打たない場合、この区域の人々に徐々にウイルス感染していき、やがて全員に感染するとします。


この場合、亡くなるのは日本人口1億3000万人の1%程度です。

しかしながら、これを放置するのは、「日本中の1%が(ランダムに)死ぬウイルス放置する」というのと比べ、倫理的に大きく問題があると考えます

それは、「放置する」という決定は国民全員(の代表たる国会)でしても、そのリスクを負うのは一部の人々だけであり、また当該の区域に住む人が死ぬまでに感じる恐怖といった面も無視できないからです。

さらには、生き残った50%の人たちについても、家族を含む当該地域人間関係複数失うことが想定され、

その人たちのQOLに大きく悪い影響を与えてしまうというようなこともいえます

大雑把に言うと、「人間関係の5割を失う悲しみを味わうひとが130万人いる」というのは「人間関係1%を失う悲しみを味わう人が1億数千万人いる」より望ましくない状態だということです(筆者の考えでは)。


以上のようなことから、私は、「日本中の1%が(ランダムに)死ぬケースなら経済を止める必要がないかもしれない」「しかし、今回のケースでは経済を止めるに値する」と考えます

その上で、deztecjpさんが「いや、今回のケースでも命の値段はそこまで高くない」と考えるのであれば、私に説得することはできません。

(実際のところ、自動車事故自然死も「完全に平等な死」ではない以上、どこまでいっても価値観問題ではあるかもしれません)

それでも、「命の値段はリスクの不平等さによっても変化しうる」という点については、同意していただけないかと考えるのですが、いかがでしょうか。


なお、私個人としては、コロナとの戦いを諦めた場合、死亡リスクが高い地域においてパニックが起きると考えており、その意味でも首都圏大阪は少なくとも緊急事態宣言を行うべきだと考えています

(以下、いくつか私が同意している意見引用します。ツイート文脈については引用しきれていないので、すみませんクリックでご確認ください)

最後のtakeda25氏の意見ちょっと本題と逸れますが、「冷血」などの価値判断はともかく、「結局のところコロナ対策を行うことになる以上、対策を行うのは早いほうがよい」というのには理があると思い、紹介させて頂きました。

実際、下記のニュースのような状態になったら、封じ込めに転換しないというのは不可能だと考えます。(deztecjpさんの書く "負けが明白になっても食い下がるのは、なしにしてほしい。" というのはこのような状態を想定しているのでしょうか? 私は、仮に経済をある程度重んじるとしても、下記のような状態を避けようとする対処は最低限必要不可欠と考えます


ともかく、「経済リスクについて考える」という意味でも、

上記のような「完全に崩壊した」地域経済リスクについて考慮する必要があると考えます

その点、deztecjpさんの「総人口の数%が死ぬ程度」というような書き方はそのようなリスクを見えなくするものであって、ミスリーディングさを孕むように私には感じられました。

2020-03-25

anond:20200325103702

わかる。

10人に一人、それも高齢者高リスク者含む、って言われると低い気がするよな。俺は関係ないじゃん、的な。

具体性がないもん。ピンとこない。

そこで、具体的シチュ記載してみる。

仮定

とすると、人間の8%が死ぬと言う状況になる。具体的な状態に当てはめて、8%が死ぬとは、その流行期間約2ヶ月の間に

1割ってのは十分に社会を壊滅させる数字だよ。医療崩壊した場合の全体の死亡率は実験や測定が不可能から何とも言えないけど、崩壊していない場合の死亡率、1%でも実は十分にやばい

2020-03-20

anond:20200320222825

ちょうど100日後に自然死事故死させるの難しくね

2020-03-15

anond:20200315202157

人の多い場所を出歩きまくってればそのうちコロナ自然死できると思ふ

2020-03-09

検査しなければ病人はいないという発想の転換

検査をしなければ、そこには病人は居ない」


シュレーディンガーの猫と同じような発想


オリンピック安全に行うにはどうしたら良いか?という最善の策を緊急で考えた結果、


検査を極力しなければ感染者数は増えない、肺炎での死者が出ても検査をしなければ自然死になる


これで感染者数は確実に抑えられる


病は気からというのは本当で、病人なんて居ないと思えば居ない事になるのだ


オリンピックを開催するにはこの戦略が一番正しい


片っ端から検査してやみくもに患者数を増やしても、

人民の恐怖を煽るだけである

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