はてなキーワード: 一橋大学とは
河野 真太郎氏の私が一橋大学の教員を辞めた理由〜国立大に翻弄された苦しい日々
これが分断統治であるということの意味は、「教養対専門」の対立は、「大学改革」を押し進めるための人為的な対立だ、ということである
これは事実に反すると思う。「教養対専門」の対立は「大学改革」を押し進めるための人為的なものではなく、新制大学発足当初からある構造的なものである。そして、大学設置基準の大綱化を奇貨として大学側が旧教養部を解体したことで、むしろその対立が緩和されたと考えられる。
例えば、平成10年の大学審議会の議事録に以下の認識が残されている。
△ 教養部再編の時に各大学が積極的になったのは、教官グループ内の差別がなくなるということがインセンティブになったから。これから、大学院専任と学部専任という仕分けができてくるとすると、教養部の時に一度解決しているのに新たな差別を持ち込むこととなり、非常に強い抵抗があると思う。
また、旧教養部の成立から解体までを詳しく分析した第3章 教養部の形成と解体 一教員の配属の視点から 吉田文は、大綱化の背景を以下のように要約している。
P.61
一般教育に関わる規定が大学設置基準から消えた背後には、一般教育そのものに対する大学内外からの批判や不要論よりもむしろ、一般教育のみを担当する教員やその所属組織の存在に対する大学教員自身の卑下と格差解消の願望の歴史があったといってよいだろう。
もちろん河野氏も「とはいえ、大綱化によって、それまで存在しなかった教養対専門の分断・対立が生まれたという話ではない。その対立はずっとあった」と述べてはいるが、ではその対立とは一体どんなものだったのか。
P.65
民主化の旗手のようにいわれて新制大学に導入された一般教育であるが、専門教育しか行ってこなかったうえに、新制度下の組織編成も専門教育を行う学部が中心であった旧制度下の大学には、一般教育の根付く場がなかったのだといってよい。新制のもとでの教育がスタートしてわずか数年のうちに一般教育の座りごこちの悪さは、どのようなタイプの大学にとっても問題となって、それぞれの方式で解決策を見出そうとした。
で、一般教育の座りごこちの悪さはどのようなものだったかというと、
P.66
こうした(引用者注:教養部を法制化して学部と格差を埋める)要望が出されるに至った背景には、教養部が劣悪な教育・環境条件におかれていたことがある。名古屋大学の場合では「学部だと・・・文科系で教授三十二万五千円、助教授が十七万円。・・・理科系になると教授百二十三万円、」助教授でさえ七十五万円になる。それが、教養部となると、教授でも文科系が十三万五千円、理科系四十四万七千円。とても学部助教授諸君の足元にもよれない。」(名古屋大学、1989、p. 250)といった状況が記されている。こうした物質的な条件格差に加えて、「ごく最近のことだ。全学教授が顔をそろえた席上で『大学ではねぇー、こんな風にやっとるんだが、教養のはどうだね』と、・・・教養部の教授たちは、さぞくちびるをかみしめたことだろう」(名古屋大学、1989, p. 251)というような、条件格差を身分格差とみなすような日常が教員間には醸成されていたようだ。
このように、大綱化のはるか前から深刻な「教養対専門」の格差と対立が存在したのである。上記の名古屋大のエピソードは1950年代後半から60年代初頭の間のものと思われるが、そのエピソードをわざわざ1989年発行の大学史に載せるぐらいだから、大綱化直前の大学内の空気を推して知るべきだろう。そして、大綱化によってカリキュラム編成の裁量拡大が大学側に与えられ、このような格差を是正するために旧教養部を解体することを大学教員側が決断したのである。
ツイッター上には大学設置基準の大綱化によって旧文部省が大学の教養教育を破壊した、という言説が蔓延っている。しかし、教養教育を破壊したのは1990年代の当の大学教員側である。「教養対専門」対立に関する河野氏の主張も含めて、これらは大綱化を巡る歴史修正主義ではないか。
ウツ病になり、会社に説明したのだが理解を得られず、半ばバックレの形でやめた。その後実家に戻ってこの請求書を見て数日経つけれど、ずっと動悸が治まらない。
親父が俺の名義でかなり昔勝手に借金してるのが最近発覚して(蒸発して本人がどこに居るかは分からない)その返済も間に合っていないし、大学の奨学金も払い終わっていない。
そんな所にこんな額の請求が来ても正直払えない。というか元々いた会社の賃金2ヶ月分とか払えるわけがない。
ただでさえ実家は貧乏で、俺のような人間がのうのうとうんこ製造機として稼働することが許される状況ではない。
請求自体も俺が休職中の保険料だとか社宅の解約違約金とか修繕費を出せ、って事らしくきっと無効にするのは不可能だ。個人的に社宅関係はお前が出せよと思ってしまうけれど…。
なんで普通に生きたいだけなのに、普通に生きることが出来ないんだろうと思わされて今めちゃくちゃ絶望してる。
子供の頃から貧乏で、お勉強だけは出来たので一橋大学に行きたかったがそれも家が許さなかった。親は高卒で頭が悪く、一橋大学の存在を知らなかった。絶縁覚悟で入りたかったが、子供にはそもそも試験を受けるための上京費用を捻出出来ず教師に頼み共に説得したけれど無駄に終わった。
ここに書いてもじゃあ増田死ねよと言われるのは分かってるし、今事実本当に自殺したいなと思っている。
頭がずっとぐちゃぐちゃで、そこそこ文章力には自信があったのだが何を書いていいのか分からないし文章がしっちゃかめっちゃかになっている。いつもならすぐに分かるはずなのにどう直せばいいか全然分からない。
ゲームしてても何してても吐き気は収まらないし、眠れない日々が続いている。
何をすればいいんだろう。働きたい。社会人に戻りたい。
病院で診察を受けたいが、そんな金はない。たかだか合計100万にも満たない額だし、きっと働けば一年もせずに返せる額だと思う。それでも、こんなウツ病の自分が働けるのか、どうせ働けないんじゃないか、死ぬしか無いんじゃないかと思わされる。
27歳。もうアラサーだ。アラサーにもなろうという人間が、たかだがこの程度の額払えずに死を考えている。この事実だけでもう自分に未来は無いんだなと思わされるし、実際未来なんて無いと思う。
多分このまま何も出来ない人間として一生を過ごすのだろうし、これならもう今死んだ方がこんな一日中現実から逃げる人生からも逃れられるし、そっちの方がいいんじゃないだろうか。
周りは結婚、出産をしている。その中で自分はコレ。あまり人との比較は好きではないが、流石にこんな人生を送っている自分が嫌になる。
知り合いや家族に今までありがとう、とだけ伝えてさっさと現実から完全に逃げ切った方がいいのだろうか。生きていたいとは思うが、生きている事が苦痛でしょうがない。
死にたいのか生きたいのか結局分からない。でも意識が続く限り俺には自殺願望が常に脳をよぎるし、ゲームをやっていても、何をしても付き纏う。
助けて欲しいけれど、こんなクズを助けても誰のメリットにもならないのは分かっている。
生活が困窮しているのにこんなゴミを抱えている母にも申し訳ない。
自分がどうしたいのかが分からない。分からないまま死を選んでいいのかも分からない。でも、多分遅かれ早かれ自殺するんだろうな、と思う。
一橋に行けないと分かったあの日からずっと考えてきた自殺。とうとう実行する時が来たのかな。
デブだしモテないしキモイ見た目だしセクシャルマイノリティだし、多分もう自分には生きている価値が無い。
自分には何も無い。何も無いなら死んでしまった方がいいのかな。誰にもこんな事言えないし、ブログにも書けない。
Twitterでは昔通りアホなツイートをするし、友達と通話するときも普段通りで居るように心がけているけれど、もう限界かもしれない。
生きるべきなのか、死ぬべきなのか。分からない。たかだが100万も満たない額で死ぬのは本当に嫌だけど、結局払えそうにないし死ぬしか無いんだと思う。
地裁の判決はレベルが低いと言われるが、特にこの数週間の判決の不誠実さは目に余る。
弱い立場の人間が酷な目に遭っている現状を追認するばかりか、当事者の訴えを次々と踏みにじっている。
医療機関や大学などの公的な性質を持った機関が守るべき者を全く守ろうとしない。
障害者施設出て死亡、遺族の賠償請求棄却 名古屋地裁 :日本経済新聞
http://b.hatena.ne.jp/entry/s/www.nikkei.com/article/DGXMZO41628950S9A220C1CN8000/
医師無罪判決、わいせつ被害訴えた女性「どう立証すればいいのか」会見で涙 - 弁護士ドットコム
http://b.hatena.ne.jp/entry/s/www.bengo4.com/c_1009/n_9273/
一橋大学アウティング裁判、大学訴えた遺族が敗訴 - 弁護士ドットコム
http://b.hatena.ne.jp/entry/s/www.bengo4.com/internet/n_9304/
そのような中、美大の環境型セクハラに対する受講者の提訴が話題となった。
今回こそは弱い立場の人間を守る誠実な判決を求めたいが、不安が尽きない。
「会田誠さんらの講義で苦痛受けた」女性受講生が「セクハラ」で京都造形大を提訴 - 弁護士ドットコム
http://b.hatena.ne.jp/entry/s/www.bengo4.com/internet/n_9302/
かなり昔に都立高校生だった私が、現在の母校の位置づけを知るためにネットで検索してみたらこんなのが出てきた。
概ね私が当時持っていた(学校の)レベル感とそう大きくは変わっていないんだけど、学区制がなくなって自由に学校を選べるようになった結果として、ガリ勉してでも有名大学に行きたい子と、そんなに成績が悪いわけじゃないけど、受験勉強にばかり青春を捧げるのもちょっとね…という子がどの学校を選ぶかという差が出てきてるように思う。
http://www.kyoiku.metro.tokyo.jp/press/press_release/2017/release20170824_02.html
それにしても東京都教育委員会はずいぶん変わったなぁ…と思う。昔はあまり高校間のレベル差を強調しないよう、内申の比重を高くして、生徒たちを成績に応じて入れそうな高校に振り分けるのが中学校側の腕の見せ所で、いわゆる名門と言われる高校でもさほど倍率は高くなかった。が、そのことによってかつては東大等への合格者数が多かった元進学校が凋落することとなった。(特に東京23区内では進学に強い私立校が増えたというのもあると思うけど。)
で、そのことに業を煮やしたと思われる都教委が出したのが「進学指導重点校」なるものを指定して学校間の競争をあおり、かつての名門復活を目指す作戦だ(あくまでも私の推測だけど)。いかにもお役所っぽい書き方でごにょごにょ書いてあるけど、要するに偏差値で行くとトップが(1)進学指導重点校で、次が(2)の進学指導特別推進校で、それに続くのが(3)進学指導推進校だよね。
別に私はこのやり方が間違っているとは思わない。頭の出来が一緒でも塾に行く金や名門私立進学校に行く金のある子だけがエリート大学に行けるのではなく、安い学費でも進学に力を入れる都立高校で勉強すれば名門大学に入れる…という選択肢を作ったんだからね。
そして、ここには「難関国立大学等」として「東京大学、一橋大学、東京工業大学、京都大学、国公立大学医学部医学科」というのが明記されている。関東圏の人であればだいたい納得するしかないラインナップではあるが、塾とか予備校でもここまで特定の大学名を出さないのではないかと思うようなターゲットの絞りっぷりである。
「お金持ちの家に生まれなくても、努力すれば名門校に進学でき、将来有望な職業に就くことができる」という意味では素晴らしい制度だと思う。が、比較的緩い制度の時代に都立高校生として青春を送った身からするとちょっとえげつないなぁ…という気もするのである。
Hagex殺害事件の時にも犯人の学歴に過剰反応してた(twitterでははてなと比べてそこに反応してる人少なかった)
今回も、学歴の話につられすぎ。
この代表者氏名が明記されているので「 」でさっそくググっていると思うが、一橋大学院のレポートが出てくるはずだ。そうです。
一橋大院卒というのも実は学歴ロンダリングで、大学は首都大学東京(旧都立大)で、なんとわたしの後輩なのであった。ww 最近は大学院の人気が薄く、定員割れも多い。大学院にはいるほうが大学よりよほど楽です。ww
しかし案の定めっちゃ学歴ネタにつられるはてな民。そこどうでもいいやろ。
NETGeekはクソだけど、大学院行って勉強することを学歴ロンダリングと揶揄する風潮も同じように嫌い
首都大学東京→一橋大学大学院なら大したロンダリングではないのでは
海外だと専門の関係で大学院を変えることは普通なのに日本だと学歴ロンダとか揶揄されるのは変だよな
大学院で勉強するのは学歴ロンダリングじゃないだろ。このサイトもレベル低い。
のFBのプロフィールが「灘高等学校に在学していました」になっているのが、前から気になっている。灘中を中退して公立中高を出たのなら「灘高等学校に在学」していたことはないだろう。
1970年代前半に、仙台市内の中華料理店「まんみ」にて賄い料理として提供したのが始まり。
//ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BB%99%E5%8F%B0%E3%83%9E%E3%83%BC%E3%83%9C%E3%83%BC%E7%84%BC%E3%81%9D%E3%81%B0
発案者が思いついたのが10年前と言っていたので、
//detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q11156573366
ただし他にも元祖を名乗る店がある。
14〜15年前ですかね。パンって、夏は本当に売れないんですよ。暑いからみんなソーメンを食べたり、おやつもスイカになったりしてね。なんとか夏に売れるパンができないかなぁと思って開発したのが、塩分補給もできる塩パンだったんです
//tabi-labo.com/287605/painmaison-yawatahama
//ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AB%E3%83%A9%E3%83%95%E3%83%88%E3%82%B7%E3%82%B7%E3%83%A3%E3%83%A2
ただし他にも元祖を名乗る店がある。
【第22巻・第213話】いま話題のおにぎらずはクッキングパパが発祥!
//cookpad.com/recipe/2831394
第22巻は1991年発売。
ご存知のとおり発祥には諸説ある。
落合「僕が帰って来たのが1981年で、前のお店を開けさせていただいたのが1982年ですから。
(中略)
1982年に魚のカルパッチョを作ったとは語られていないが、近い時期であることが示唆されている。
古くは本朝食鑑の鱗部の巻「鰯」の箇所に「或有甘塩者有糟漬者有塩麹漬者号曰黒漬」という下りがあり、「塩麹漬」という文字列が見られる。
日本人はいつから牛の生肉や生レバーを食べるようになったのか。
焼き肉などの食文化に詳しい滋賀県立大の鄭大聲(チョン・デ・ソン)名誉教授は「戦後、在日韓国・朝鮮人が家庭で食べていたものを焼き肉店で出すようになり広まったのではないか」という。
//sankei.jp.msn.com/life/news/120428/trd12042822020023-n1.htm
「つけめん」が定着するきっかけとなったのは2000年頃からのことです。つけめんの考案者である東池袋大勝軒の店主 山岸 一雄氏のお弟子さん達が独立し始め、大勝軒系列の店が増えたこと、大勝軒の常連客から人気店になった「べんてん(高田)」、「道頓堀(成増)」といったお店が繁盛したこと、そして川越にある「頑者」が「自家製極太麺×魚粉×濃厚つけだれ」という新しいジャンルのつけめんを生み出したことが影響し大きなエポックとなりました。
//web.archive.org/web/20130622095039///www.asahi.com/business/pressrelease/ATP201005190013.html
プロジェクトが始まったのは86年。当初の計画では、輸出の要はカペリン(カラフトシシャモ)だった。しかし、その前年、時の漁業相らが日本を視察して方針が変わった。日本には生のサーモンを食べる文化がない。江戸前寿司にもない生サーモンの握り寿司を考案し、試食会を重ねた。
日本のイタリア料理史の中で、最大のブームとなったのは「ティラミス」と言って間違いありません。80年代半ばから評判を呼び、90年に雑誌「Hanako」で特集が組まれるや、人気は最高潮に達します。
日本の輸入量は1970年代までは微々たるものだったが、1970年代後半から増え、1980年には479トン、1990年2163トン、2000年14070トン、2005年は28150トンと急増している。
//ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%9C%E3%82%AB%E3%83%89
1908年(明治41年)、魚の油漬け加工に必要なオリーブ・オイルの自給をはかるため、農商務省がアメリカ合衆国から導入した苗木を三重県、鹿児島県と香川県に試験的に植えた。香川県の小豆島に植えたオリーブだけが順調に育ち、大正時代の初めには搾油が出来るほどの実が収穫された。
//ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AA%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%83%96%E3%83%BB%E3%82%AA%E3%82%A4%E3%83%AB
//www.amazon.co.jp/dp/4478039674
//ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%81%E3%82%AD%E3%83%B3%E3%82%BF%E3%83%84%E3%82%BF
単なる竜田揚げとして見れば×。
1952年(昭和28年)に創業した国立市の一橋大学そばの「三幸」が、のびたラーメンをヒントに昭和30年代前半頃から酒の肴として提供を開始したとする説や、同じく昭和30年代に武蔵野市境の亜細亜大学そばの「珍々亭」が中国の拌麺をヒントに油そばを発売したという2説が存在している。
新規企業の太洋醸造が当時自由販売化していたイモとホップを使用したイモ・ビールの試験醸造を申請して認可され、1950年(昭和25年)から新発売され、日本の市販発泡酒第1号となった
垣島在住の夫婦(夫は中国・陝西省西安出身の辺銀暁峰、妻は東京都出身の愛理)が、具材を食べるタイプのラー油を開発し、2000年(平成12年)、石垣島にて開催されたイベントで販売したのが始まりである(ただし、具の入ったラー油そのものは中国にて古くから存在している)。
//ja.wikipedia.org/wiki/%E7%9F%B3%E5%9E%A3%E5%B3%B6%E3%83%A9%E3%83%BC%E6%B2%B9
29歲ゲイです。
気を悪くしたらごめん。
その片思いは少なくとも実らないよ。
昔より社会的にLGBTに寛容になったとはいえ、ノンケ(ゲイではない異性愛者)かもしれない人に「自分はゲイで、あなたが好き」と告白した場合、拒絶されるのがほとんどだと思うから。
ましてや告白しないにしても、恋心が周囲に漏れてしまった場合、学校や職場など閉鎖されたコミュニティであれば、揶揄の対象になりかねない。
あなたがそれをも「いや、俺はゲイでそれがおれのパーソナリティだけど何か?」と撥ねつけられるような性格ならいいけれど、そうでないなら今は恋心もゲイであるということも胸の奥深くにしまっておくべきだ。
ネットも今みたいに発達してなかったから非公開のブログにつらつら書いてたくらい、。
普段の生活では胸にしまっておくべきだけど、現代にはネットがあるしSNSがある。
Twitterなんかで検索かければ匿名だけど学生でゲイだとプロフィールに書いているアカウントも少なからずある。
もし気持ちを抑えられなくなった時や悩みが大きくなった時は、そういった場所で吐き出すことで少しは楽になるかも(増田にこうして書いたように)
あとは日記もアリかもね。
※あくまで個人が特定されないよう、誰かに発見されないように気をつけて
あと、家族や友達にゲイだとカミングアウトするのは、現時点では限りなくリスキーだし場合によっては一生涯言わないという選択肢もある。
もし両親にカミングアウトするのなら、就職して家を離れたあと、つまり両親の援助が終わった以降に言うのがポイント。
まだ学生の段階や家にいる段階で両親にカミングアウトしてしまうと、考えられる最悪の事態は「勘当」「学費の打ち切り」だったりする。
それくらい親にとっては子供が異性愛者であることがショックな出来事だから。
家を出て仕事について安定した状態であれば、勘当はもしかしたらあるかもしれないけども、もう一つ資金援助の心配はなくなるから、もしするならそこくらいのタイミング。
※カミングアウト前にテレビとか見ながらそれとなく、同性愛者に対してどんな気持ちを抱いているか聞き出しておくこと。
友達に関しても、地元のコミュニティから離れたあとに言うのがいいよ。
本当に誰にも秘密を漏らさないような信頼出来る友達なら話してもいいかもだけど、それでも現状話すことにはアウティング(本人の同意なしに第三者にバラされること)危険が付きまとう。
自分は家を離れているけど、地元の友人や両親兄弟には一切話してない。
Twitterでゲイだとプロフィールに書いてるアカウントを作って、同じゲイの人と交流するくらい。
社会人になると、世間は思った以上に自分個人のことを見なくなるから、そこからがどうするのかきめるのが最善かと。
最後に恋のほうだけど、大学生になると交友関係が格段に広がる。
18歳になれば、ゲイ向けの出会い系アプリなんかも使えるようになるから同じ悩みをもった人とも会えるようになれると思う。
色々書いたけど「自分はゲイだけど、誰かにカミングアウトしたほうがいいのか」「恋がしたい」ここあたりの増田の悩みに対しての増田自体の答えは、ここあたりで出てくるかもしれない。
結論としては、
あと1年、ひとまず待ってみませんか?ということ。
今の片思いを諦めきれないなら、その相手と同じ大学に行くという思い切った手もある。
ある大学で学園祭の実行委員をしています。業務としてはいわゆる「広報」を担当していて、他大の学園祭もいろいろウォッチしています。(で、今回の話を見つけて、なんとなく調べてます)
今回の本筋とは関係ないですが、学生だった時以来一度も学園祭に行ってない、みたいな人は早稲田祭でも五月祭でも、どっかの大きな学園祭にもう一度行ってみるといいですよ。単に「来場者」としてまわる学園祭はめっちゃ面白いはずです。
学園祭に主体的に関わったことのある人でないと分からない、ビミョウな関係性についての知識です。
これは学園祭全体でみたらイレギュラーな状況です。ふつうミスコンを主催している大学祭実行委員会(東京大学駒場祭においては「駒場祭委員会」)は駒場祭のミスコンの運営に関与していません。つまり、駒場祭委員会にとって、形式は違えど、「ミスコン」というイベントは「サークルでやる牛串の模擬店」と形式上同様のはずです。(「参加団体」と「実行委員会」の関係、って言えば伝わるでしょうか。)
これを勘違いしてこの問題について論じることはいささか問題です。(百田尚樹氏が実行委員会の招聘により講演会を実施しようとした今年の一橋大学KODAIRA祭の事例と今回の問題は明らかに性質が異なります。)
歴史がある程度長い学園祭ならありふれたことですが、駒場祭も、徹底して学生の手のみによって運営されています。(駒場祭は今年で第68回目だそうです。68年前の大学の空気感、というものを考えれば、なんとなく理由は分かりそうです。ましてや東大ですし。)
学生主体の学園祭では、大学当局(多くは「学生課」「学生支援課」などの部署)は、施設などの使用などの限定的な部分でしか関与しないことが通例です。
これについても、少し社会的な認識と実際の状況の異なる場面です。おそらく駒場祭委員会にも「顧問」などは存在しないでしょう。
これは、広研が自らのTwitterアカウントで公表したものです。(https://twitter.com/utadvc_2017/status/931897374364000257)
駒場祭委員会の対学生用ウェブサイト(調べれば出てきますが、学内向けと思われるため、リンクの掲載は控えます。)にある資料を読む限り、「学生でないもの」の出演については駒場祭委員会への申請が必要であり、したがって、駒場祭委員会はこの事実について公表の前に知っていたと考えられます。
これは、三上悠亜氏が所属する事務所の代表である青木亮氏が、いわゆる「AV出演強要」問題で略式起訴されているため、当該女優の駒場祭への出演は、青木氏の被害女性たちへの配慮を欠いた行動である、と主張するものでした。「AV出演強要」問題については、論争的な部分も含めて、インターネット上に多くの資料が存在しているので言及しません。(「社会問題である」と主張している人間が一定数いる、ということだけ注意しておきます。)
「AV出演強要」問題についてのウェブサイト「AVメモ」管理人であるKAZE氏(https://twitter.com/yap00s)が、公開リプライ上で広研および駒場祭委員会に対して当該問題についての説明を求めました。広研・駒場祭委員会ともに返答しなかったため、ついで、東京大学当局に問い合わせをした旨、同アカウントにて報告しています。(こちらについても返答はなかったようです。)
ここでの不明点は、広研・駒場祭委員会に対してKAZE氏が電話等での連絡を試みたか、ですが、これに関しては、以降の行動等を踏まえると「あった」と考えるのが自然だと思います。
AV女優の出演、ということ自体が一般的には非常に過激な出来事で、AV強要問題との関連がなくても嫌悪感を持つ方はたくさんいると思います。
しかし、色々考えれば、許可する理由はわかります。駒場祭委員会の対学生資料を参照してみます。
前項で言及した、「『学生でないもの』の出演についての申請」は、資料中で「外部団体関連行為申請」と称されています。この申請にあたっての注意をよく読めば、この申請を参加団体に行わせている理由は主に「企業等の営利活動により学生の自主性が損なわれないようにする」ことにあるようです。
したがって、同申請の許可または不許可は、それにもとづいて行われると考えられます。
(同様の規制自体は多くの学園祭に存在します。企業からの協賛金などの額について報告させたり、講演会の資料を提出させたり、と方法は大学によって様々ですが。)
と、すると、「当該女優が社会的問題のある人物と深く関係しており、その人物は社会に出るべきでないのに、学園祭により活動の場を得てしまう」ということは申請の不許可事由になりえなかったのではないでしょうか。
「学生主体の学園祭」においては、実行委員会が学生の行為に対して規制をかける行為は非常に慎重に行われるのが通例です。これは、学園祭自体の存立過程が、非常に政治的色彩を帯びており、その過程で「表現の自由」というものが最も尊重されたことによります。
(「AV女優だから招聘を許さない」というのは別方向から見れば、「表現の自由」や「職業差別」上の問題になってしまいます。)
「学生主体の学園祭」において、学生と実行委員会の間の関係性が緊張している以上に、実行委員会と大学当局の間の関係は非常に複雑です。かつて、学園祭の実行委員会は大学自治の先鋒として大学当局と対立する立場でした。現在でもそうした立場を貫いている実行委員会はないでしょうが、かつてそうであったことは今なお重要なファクターです。
当局の担当者は、安全上の問題がある場合などを除いて、実行委員会が決定した事項に介入することが、(駒場祭においても)ないはずです。
実行委員会や大学当局は、今からでも出演を止めるべきなのか。これは非常に微妙な問題でしょう。まず、略式起訴された代表に雇用されているとはいえ、当該女優は犯罪を犯しているわけではありません。加えて、この出演が「広研の学生による、企画の自由の行使である」という認識が共有されてしまっていることが予想されますが、そうした認識のもとでは、出演を止めるのは妥当でない、と判断したくなります。
一方、この一連の事象が「駒場祭がAV女優を呼んだ」「東大がAV女優を呼んだ」と解釈される場合、それは駒場祭や東大の問題になってしまい、これは規制が妥当、ということになります。
この解釈は、実行委員をやっている人からすえば「主語をでかくとりすぎ」で、「広研がAV女優を呼んだ」と解釈するべきだと思いますが、社会一般の認識とはズレています。
学園祭という場所を提供してしまっている以上、当局や実行委員会も、少なくとも無関係ではいられないはずです。
私の大学の学園祭でも今後このような事態が起こらないとも限らないし、増田なら賢そうなコメントがもらえそうなので、意見を聞いてみたいです。
つまる所、私には彼女がいる。
まづ、私を作った(とされている)父母であるが、私が彼らの神の想像の再現行為を検証できないので、考慮しなくて良い。
次に、街中で見かけるアベック(と呼称されている現象群)は、私が触れない、実態を確認できない、どこからか投影されたホログラムである可能性、人工知能搭載のアンドロイドである事を否定できないので、考慮しなくて良い。
次に、インターネット上で大量に集める事ができる素人のハメ撮りであるが、精巧な絵である可能性が否定できないので、考慮しなくて良い。
素人の体験談であるが、これは一橋大学が開発、試験的に導入管理運用している小説執筆ロボットの作品たちである可能性が否定できないので、考慮しなくて良い。
私が大好きな獣耳人外娘たちであるが、私は実際を目撃した経験がないし、神社の境内でも美少女巫女も目撃した事がないので、考慮しなくて良い。
集合住宅で隣の部屋から聞こえてくる婦人の喘ぎ声も、猫が冷蔵庫を漁る音かも知れないし、恋人(と定義されている事象)との仲睦まじい関係をいちいちsnsで報告している私の友人たちも、
国際的には「人権を守るために表現を規制することはできる」が基本。
でもそれは警察権力・政治権力が恣意的にやっていいことではなく、オープンな議論の末に社会の合意を得ることでやらなければいけない。つまり議会で決めること。
大阪のヘイト禁止条例のようにな。今はISが自由に表現できる場所はネットでどんどん減っている。
は混在できる。
クジラックスの漫画を批判したからといって「表現の自由」を守ろうとしていない似非リベラルにはならないし、
上野千鶴子の講演を中止にした市長を批判したのに、百田尚樹の講演を中止にした一橋大学を褒めたからってダブスタにはならない。
別にクジラックスの漫画以上に少女を陵辱する漫画は存在する。なぜ容疑者はクジラックスに影響受けたと語ったのか。クジラックスの漫画のどんな表現に影響を受けたのか、を考察したほうが有益。
クジラックスの「がいがぁかうんたぁ」はネットで海賊版が氾濫している。同人誌アップサイトに無断掲載されてるだけでなく、匿名掲示板やtwitterなどのSNSでも切り取られたページがコピペされ拡散されている。そこにつけられたコメントの中には、笑いを意味する「www」をつけたり、「この方法があったか」などと犯行を煽るものが多数含まれている。
今回の容疑者も、クジラックスの同人誌を購入しているとは思えない。海賊版やコピペ画像で知ったと推測する。そうした画像が貼られるネットコミュニティに入り浸っているうちに感覚が麻痺してモラルが崩壊してしまった一面があるのでは、と思う。だから漫画に対して「現実では犯罪になります」と注意書きを加えたところで、切り貼りされた画像が流通するネットコミュニティのインモラルな環境を何とかしないと、あまり意味がないだろう、と思う。
レイプを描く漫画はクジラックスだけではない。なぜクジラックスが名指しされるのか。他の同等の漫画との違いは何か。内容にファンタジーが含まない(ラブラブにならない)という点があるが、やはり手口の描き方の上手さが特徴なのだろう。単に絵が上手いというだけではない。ネーム、コマ割りが上手いから印象に残る。解説が上手い。
テレビでも事件報道で硫化水素の作り方や爆弾の作り方など手口を詳しく解説した番組はネットで批判されてきた。犯罪を扱った一部のコンテンツへの違和感は、それらと同等のこととも言える。実際にかつては山ほどあった、爆弾の製造方法や硫化水素自殺の仕方などのようなインターネットサイトは、警察の要請や市民の通報で次々と消されている。
以上2点について、結局はネット上での拡散のしやすさが問題とも言える。いくら自主的に年齢制限や限定配布で閉じた流通を目指しても、それを拡散させるネットユーザーがいる問題だ。これでは現状の表現の自由は守れない。