はてなキーワード: リンネとは
○ご飯
朝:なし。昼:酒。夜:カリー。
○調子
サボって朝から酒のンデ寝てた。
辛い。明日…… イケるかなあ……
水着レイ様星1〜2のホーム会話で「右を見ても左を見てもカップルばかりだけど… みんなの目に、私たちは… どう… 映っているのかな…?」と言ってるのに対して
水着ツムギの星3ホーム会話で「あれ? この浜辺よく見たらカップルだらけじゃないですか… ということは私たちも… だとしても私は気にしませんよ!」と言ってて
プリコネを遊ぶ時に岸くんにすごく感情移入してるけど、ツムギに関する時だけは、心の置き場が迷子になってしまう。
リミテッドヴィーラのエピソードを今更読んでるんだけど、カタリナの鈍感さにもどかしくなる。
あそこまでのことしといてなお好きでいてくれてるんだから、そりゃもう一生好きなんだよ。
ユキが水着の用意をしてたので、自分も誘われるに決まってると思い込んで自分の水着も用意していたリンネ。
○ウマ娘
必然的に寮の部屋を空けることも多くなり、自然と部屋が汚れていくのを不快に思ったタキオンはカフェを部屋に呼び…… から始まる妄想で頭がいっぱいになり自分がこの場にいて良いのか悩んでしまいデジたんください。
○ご飯
朝:なし。昼:パスタ。夜:きゅうり。トマト。豆腐。納豆。たまご。ふりかけ。プリン。
○調子
むきゅーはややー。お仕事は、それなーり。
僕はワールドフリッパーではひーちゃんことリンネとユキが好きなのですが、
リンネと挑発的な言動で大人を揶揄うおしゃまな女児属性という共通点があるスティネルが総選挙で2位だった。
挑発的な言動で大人を揶揄うおしゃまな女児キャラという意味では、リンネもそうなのに圏外。
なまじ交友のあるユキが暴力で躾けるタイプだったから大人しくなってしまい人気が出なかったのかなあ? と分析した。
けど、そもそも挑発的な言動で大人を揶揄うおしゃまな女児キャラがなんで同一の作品で二人もいるんだ?
という根本的な部分にはてなが浮かんでしまい、アニバシナリオでユキが一言でいいからリンネのことに言及してほしいと願うばかりなのです。
いや、その「挑発的な言動で大人を揶揄うおしゃまな女児キャラ」を示すインターネットの用語があるのは知ってるんだけど、強い言葉だから書くのが心配になりまして。
○ご飯
朝:なし。昼:マルタイ棒ラーメン。きなこ餅。夜:豆腐と餅とほうれん草の中華スープ。トマト。キュウリ。
○調子
疲れが取れず今日もぐったりしてた。
○ロックマンエグゼ(WiiUVC)
20なんとか周年らしいので遊び始めてみた。
弟がよく遊んでたゲームで僕は横で見てただけなんだけど、これは確かに面白い。
現実世界とインターネットの世界を行き来するところとか、デッキを作るTCGっぽい部分とアクション操作の部分もあって、ジャンル的なてんこ盛り感がまずすごい。
今のところ近接武器より遠距離武器でデッキを固めてるけど、進めていけば色々個性を出せるのかな。楽しみ。
ムズかしい。当たり前だけどステージを進めるごとに難しくなってる。なのにまだヨッシーの操作感に慣れてなくて辛い。これは難しいゲームだな。
なんかゲームのリソースについて深く考える頭が無くなったので適当に天井。
結果は、
なんで?
干す前に振るといいらしいとのことなので、それはもうビュンビュン振ってみた。
ライブ会場かというくらい振ってみた。
親に聞いてみた。
ふんわりさせるタイプの柔軟剤を使ってみたらいいんじゃないか?と言われた。
柔軟剤ってどれもみんなふんわりさせるものじゃないのか?と疑問に思ったが、ハミングリンネのふわりを買ってみた。
ふわりって書いてあるんだし、ふわふわになるだろうと思った。
正直そんなに変わった気はしなかった。
逆に柔軟剤を入れるのは良くないというネットの記事も見たので、それも実践した。
やっぱり変わらんなぁ……。
あまり長い時間天日干しをするのもダメだというので、在宅期間をいいことにこまめにベランダに乾き具合をチェックしに行ってみた。が。
気がついたらパリパリになってていいタイミングがわからん!!!!
タオルの寿命か?とも思ったが、新品を使って洗濯するとゴワゴワになった。つまりタオルの寿命ではないはずだ。多分。
結局いつもパリパリのゴワゴワで体やら顔を拭いている。かなり悔しい。
ふんわりとも思ったことないけど。
イチョウ(銀杏、Ginkgo)は、裸子植物門イチョウ綱イチョウ目イチョウ科イチョウ属に属する、中国原産の裸子植物。
イチョウ綱が既に絶滅していたヨーロッパでは、日本誌の著者エンゲルベルト・ケンペルの『廻国奇観 (Amoenitatum exoticarum)』
(1712年)で初めて植物学的な記述で紹介されたが、ケンペルが銀杏(ギンコウ)の音訳として、Gingkoと書くべきところを Ginkgoと
記した。この綴りが引き継がれて、カール・フォン・リンネは著書『Mantissa plantarum II』(1771年)でイチョウの属名を
Ginkgo とした。このほか、ゲーテも『西東詩集』(1819年)で Ginkgo の名を用いている。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A4%E3%83%81%E3%83%A7%E3%82%A6
気付いたらCMソングとかやってて、ジャンプアニメの主題歌とか歌って、菅田将暉なんかとコラボしてて。
BUMPとかの系譜を継ぐロキノンの代表格みたいに言われてる。
いや、あの人は確かにBUMPとかに影響受けてて自分でもそう言ってるんだけど、そういうことじゃなくて。
あの人のルーツは絶対に、圧倒的に、初音ミクなんだ。それだけは無かったことにしないでほしい。
『米津玄師』として彼を知った人は、彼が『ハチ』だったことを知っているのだろうか。
かつてニコニコ動画に、ハチという化け物のようなボカロPがいたことを知っているのだろうか。
あの頃ニコ動でランキングを漁ってた人で、マトリョシカやパンダヒーローという動画タイトルを見たことのない人はいない。
あるいはあの頃多少なりともボカロに興味があった人なら、clock lock works、結ンデ開イテ羅刹ト骸、リンネ、ワンダーランドと羊の歌
のうちどれかは聴いたことがあるだろう。
米津玄師といえばorion、lemon、そんな言説を見るたびに非常に心配になる。
もしかしてこのままハチというボカロPの歴史が消えていくのではないか、と。
幸いご本人はボカロを捨てていない。売れてからもドーナツホールとか砂の惑星とか出しているし。
でもそれは狭い世界でバズっただけで、『米津玄師』のファンには全く届かなかった。
それが悲しい。
昨今のアニメ、ゲームでは一作品につき膨大な数の美少女(あるいは美男子)が登場し、妹が12人程度で騒いでいた例はもはや過去の事例と化している。
我々オタクは多人数をどのように把握、認知しているのか。そこで推測されるのがラベリング、レッテリング、分類により段階的に整理されているという話である。分類というとリンネの生物分類が思い浮かぶが、実際は遺伝子や生態よりむしろ運用都合による分類が主となるため、「聯合艦隊」の字を用いる。大艦隊、艦隊、戦隊、というようなツリー的意味だと思って頂ければよい。そのため、あずまんとかがなんか昔言ってたデータベースなんちゃらとも意味合いが異なる。聯合艦隊なんて言葉使わずに普通にグループ制とか言えよという指摘は正当であるが、語感がなんかちょうどいいので採用した。
あなたはヒロインが総勢60名前後いるアニメを製作しようとしている。しかもシリーズ中にこの人数はさらに増加する可能性はしばらく高い。この作品において破綻なく全ヒロインをうまく描写する方法を考えなくてはならない。
このとき
60人前後>大洗にいる人達>三凸に乗ってるカバさんチームこと歴女チーム>カエサル
というように分類分けされていれば、60回の描写ではなくチーム数、高校数の回数分の描写で60人を描くことがなんとか可能である。
このように大人気アニメ、ガールズアンドパンツァーは多人数のヒロインをうまく管理できている、という説である。
そしてこれはさらなる大人数コンテンツにも適応可能であり、それこそ数百人のデレステ(各ユニット)、数百隻の艦これやアズレン(国籍、級型、艦隊、戦隊)にも通ずる。プリパラなどの女児アニメにも通ずる部分があるかと思われる。
不明であるが、始祖かどうかはさておき、ゼロ年代以降で広めた大型貢献者という意味では、東方projectがそうではないかと思われる。例え他に始祖がいたとしても、現代に影響が大きい作品、という意味では東方を真っ先に挙げてよいのではないかという意味だ。
東方は新作リリースごとにヒロイン数が増加の一途を辿っているが、「紅魔組」「旧作組」「永夜組」というような中分類、さらにその下に妖精組だとか八雲一家というような分類が存在することにより混乱しにくく、また二次創作等でもその分類内でのやりとりが扱いやすいかと思われる。意図してそうしているわけではなくとも、それが聯合艦隊運用に該当すると思われる。
それを言うなら学校部活モノの方が発端ではないのか?という反論は有力かもしれない。一応、ある高校>あるテニス部>「八雲一家」みたいな複数段階分類はあまり聞いたことがないという再反論を用意したが、別に分類数は一段階でも二段階でもそれ以外でもいいしあとダブルスとか学年とかあったの今思い出したので、再反論や東方大影響説はここで敗れるかもしれない(急に弱気)。
たくさんある。聯合艦隊運用は必須ではない。ただし人数が多ければ多いほど、艦隊編成の効果は大きくなると思われる。
例えば稼働当初、キャラ個人のアク強い個性で勇躍したデレステであるが、早い時期から艦隊編成の伏線を展開し(TPなど)、後発展開やアニデレなどで効果的に活用されることとなる(アニデレについては予想外編成や不意打ち編成の効果も含む)。また例えば、爆乳ばかりクローズアップされた及川雫がセクギル編成によりやや違うニュアンス獲得に成功するなど、キャラの扱いがいくばくか柔軟重層になる効果も散見される。そもそもあんきらという戦隊が極初期から編成されていたこともある。
逆に少人数内で編成しても構わないしそれはそれで効果的と思われる(ストライクウィッチーズなど)。
二人や修羅場トリオとは限らないため、また恋愛関係とも限らないため異なる。もちろん艦隊内で恋愛や修羅場があっても構わない。
⑥聯合艦隊の有無、効率について、人数的な目安や制限はあるのか
特にないが、一つの目安として、12〜13人が艦隊編成なしで扱える(扱いやすい)上限なのではないかとトピ主としては睨んでいる。これは冒頭に上げたシスプリの12人であると同時に、アイマス765ASの13人であり、アニメ1クールで1人に1話という計算が成り立つ(ちょっとはみでてるけど)上限値である。数百人いるデレマスからアニデレに登場したのが何人か、1人あたり何話当てられていたか、という話題を、艦隊編成もふまえて考えてみれば興味深くなると思われる。
⑦なーにが聯合艦隊運用説じゃ、お主が勝手なことを言っているだけであろう
増田なんだからそういうものである。ただし、別に客観的反論というわけではないのだが、アイマスのなかではやや後発であるsideMが「最初から」艦隊編成重視になっている点は興味深い。と書きたかったのだが、単にJupiterにあわせただけではないか、あるいは女性向け作品として何か特別の事情や作戦があったのではないかとも邪推でき、特に後者に明るくないトピ主としてはこれ以上の探求はできない。
トピ主は三次アイドルに詳しくないため十分な回答はできないが、なんだかAKBには複数グループ、大人数の上で、AとかKとかBとかアンダーとか色々あるそうなので、なにがしか近いものがあるのかもしれない。
⑨これってアメコミのチームアップと同じ?
トピ主はアメコミに詳しくないため十分な回答はできない。普通は先にヒーロー個々人が十分活躍し、知名度も人気も出た後でチームアップするものではないかと思ったのだが、重厚長大なアメコミの歴史ではチームアップしてから人気や知名度が出たケース(※実写映画でスパイダーマンとかブラックパンサーとかが先行登場した件ではないことには注意。サイドキックがソロデビューしたり襲名したりする件とも少しニュアンスが違う)もあるのだろうか。いや別に犬溶接マンがソロデビューしたらしいという噂に怯えている訳ではないのだが。
編成を決めるのは制作サイドでもいいし、消費者サイドでもいい。それはさておき、編成が流動的、複数的かどうかは作品によるが、そうすることが効果的なのかどうかトピ主は懐疑的である。編成流動によって新しいドラマが生まれることはアニデレが好例となったが、あまり臨時編成や使い捨て任務部隊みたいなのが連続すると、編成の効果が薄れる気がする。
いささか脱線となるが、人数が多いながら編成が超流動的なミリシタには若干の心配がある。例えば急に「徳川でマシュマロの人」と言われても、それなりに追っていなければ、この人が39人中誰と何を話しているのか思い浮かびにくかろう。これがsideMの「追いはぎにあった人」だと、「あ、そういえばその人、喫茶店的なユニットにいて…そこには厨二の人とか男の娘とか」と、とりあえず初期状態での話し相手は46人中4人、話す場所の状況(喫茶店)ぐらいは思いつく。これが聯合艦隊運用説の骨子であり、この有無の差は、覚えやすさや印象残りやすさに対してそれなりの影響があるのではないか。
アニメ1クール分の録画を無事に終えることができない自分のポンコツ感がひどい
今期は20本ぐらいアニメを録画しようとしてたけど、前期の録画分が消化しきれてなくて早々に容量不足で4本ぐらいが脱落
地上波とBSの両方で放送するアニメを、表作ってチェックリストにまとめてたのにどっちがどっちかわからなくなって間違えて消したりして何本か脱落
そのくせ別の番組は地上波とBS両方録画してたりすることに気付いて片方消して、翌日にうっかりもう片方も消してしまったり
新番組ってタグが付いてたからダブりが別chで始まって自動録画されたのかと思って消したら、番組をまとめ表示してて1話目のタグが先頭にきてただけだったから1番組丸ごと消えたり
さらに10話付近までに時折容量不足で1つまた1つと録画失敗して脱落していって、現時点で無傷なのがジョーカーゲームとくまみことネトゲの嫁~の3本だけだ
ユニコーンもヒロアカもクロムクロもカバネリもキズナイーバーもあんハピもはいふりも逆転裁判もふらいんぐうぃっちも死んだし、
ジョジョもリンネもシンドバッドもうしおととらも坂本くんも田中くんもニンジャスレイヤーも文豪も死んでしまった
なんかもうあまりにひどいので容量不足死を避けるために最近退避用の外付けHDDを導入したけど、今度は移動するときに間違えて消しそうな気しかしなくて不安だ
夏こそはちゃんと狙ったアニメを全部録りきりたい……!
小豆ちゃんとのチャットを切った後はしばらくボーっとしていた。
ゲルーググで「シコッテ・ネィロ」をググッてみると教団の始祖であることや、私が今まで聞いたことのある情報がでてくる。
小豆ちゃんの持っていた本のことや小説家であることなど一切でてこない。
スマホでも調べてみたが結果は同じだった。
同年代の子たちはクラスでも部活動でも塾でも、それぞれのコミュニティーを築きあげている。
不登校気味になり、今ではボッチになったが中学に入った当初はそれでも何とか輪に入ろうと努力していた。
スマートフォンは入学した時に生徒全員に配られるもので基本的に教団からの支給品らしい。
ITリテラシーとか情報化社会がどうとか先生からいくつか説明されたがよくわからなかった。
入学式の日、家に帰ると祖母が入学祝だといってスマートフォンを私にくれた。
でも、スマホなら今日渡されたのがあるし2つもいらないなぁと思ったが祖母には黙っておいた。
久しぶりの祖母からのプレゼントだったので凄くうれしかったのだ。
それ以外は見た目も画面もほとんど同じだったので祖母に貰ったほうを使うことにした。
学校のスケジュールやクラスメイトとのやり取りにはLINNE(リンネ)というアプリを使う。
クラスのリンネグループに参加しようとすると何故か私は登録できなかった。
他にもノイズのような画面がチラチラでる時があった。
クラスでも私以外は皆LINNEで繋がっている。
そのうちクラスの中でもリンネでの話題が多くなると会話についていけず、困っていた。
なにより仲間はずれにされるのが嫌だった。
私は、祖母に故障かもしれないと相談してみた。そこで本当は学校で支給されてることも打ち明けた。
すると祖母はなんだか複雑な表情でこう言った。
「あらあら。それは故障ではないけど、とりあえず学校で配られたほうでもいいんじゃないかねえ。今はね…。友達は大事よね。」
配布されたスマホに替えるとエラーが無くなったので、その時からおばあちゃんのスマホは机にしまっていた。
思い出すと何かひっかかる。今は…という言葉。
もしかして何かわかるかもしれない。
私は机の引き出しからバッテリーが切れたスマホをとりだし、とりあえず充電機にさした。
つづく
今回のテーマは斎藤修「プロト工業化の時代」。刊行は1985年と私が4才のころ。結構前の本だが、興味がある比較工業化というトピックを扱っていることと、サントリー学芸賞受賞作ということで読んでみた。
まずはじめに、「プロト工業化」についての定義が与えられる(p52)。一言で述べると、
つまりそれは単なる農村工業化の話ではなく、農村部での分業形成のプロセスに関する議論ともいえる。農村工業に対して、現在の資本主義社会のオリジンとしての性格にスポットを当てるのが、プロト工業化の理論なのだと見てよいだろう。
プロト工業化論を提唱したメンデルスは1970年代の研究で、18世紀フランドル地方においての次のような事実を指摘した。フランドル地方を沿岸部と内陸部とに区別すると、人口の稠密度合いは明らかに内陸部の方が高かった。一方でフランドル地方でリンネルの工業が発達していったのは、(沿岸部よりも土地が痩せていた)内陸部だった。
ここからメンデルスは、フランドル地域間で比較優位の法則のようなものが働いていたと議論する。沿岸部で農村工業が発達したなかったのは相対的に肥沃な土地だったため農業から転換する理由がなかったためである。一方、農業に向いていない内陸部は、(相対的に人口稠密で)、低賃金労働力が利用できるため工業が発達するインセンティブがあった、と。
工業に産業構造を移転させることができる多くの人員と、地質的に従来型農業への比較劣位をもっていたことが、フランドル地域内陸部で農村工業を発展させるドライバーとなったのである。
ヨーロッパ全体を見渡しても、農村工業がある特定の地域に集中して発展していったという事実は観測できる(p26)。それでは、なぜ農村型工業は特定の地域に定着して、他の地域に根付かなかったのか。プロト工業化論を敷衍すると、偶然にしろ必然にしろ、(人口の多寡や土地の肥沃さなどの)初期パラメータがそうなっていたからだ、ということになる。環境決定論スレスレだが、そうなる。
こうした議論を読んで、すぐに思い出したのは市場の勃興を経済学的なインセンティブの原理から説明したジョン・ヒックスの「経済史の理論」だった。プロト工業化の理論もまた同様、インセンティブに従って動く人々や、既存産業へのロックイン効果が働いている状況といったような、経済学的な議論がかなり下敷きになっているように見える。実際、メンデルス自身、「プロト工業化」を初めてタイトルに用いた1972年の論文をジョン・ヒックスの引用からはじめている。
だから、本書の後半で著者が展開したプロト工業化論の解釈と反論は、私にはやや奇異にうつった。著者は19世紀日本における出生率や結婚、人口成長などを用いた分析にかなりのページ数を割き、日本の人口成長は農村工業の盛んな地域で特に高いわけではなく、(従来産業の)穀物生産が人口成長の主因であったことを示し、日本の場合はプロト工業化論は当てはまらないと強調している。そうだろうか。著者自身が上述の通りに定義したようにプロト工業化とは、工業化の前提条件と工業化のプロセスを経済学の知見を借りながら説明する議論である。人口パターンが先行研究に整合的でないからといって、日本ではプロト工業化は当てはまらないと主張するならば、おそらく人口動態に議論を引きつけすぎて考えすぎなのである。
確かに人口データは、当時においては珍しくアベイラビリティのある定量データで、それが重みのある議論を可能にしている。しかし、「プロト工業化」を論じる上で本当に議論の中心に据えるべきは人口学ではなく経済学的の理論だったような気がしてならない。本書を読んで決定的に惜しいと感じたのはそこだった。
最後に、著者が提示した、非常に興味深いが本書では語りつくされなかった課題を紹介しておく。それはどのようにして農村工業の局面から工場製工業の局面へと移行したか、という点である。プロト工業化は農村工業の発達に関しては雄弁だが、そこから事業者達が設備投資して機械を導入し、工場制度へと移行するプロセスについては上手く説明してくれない。「本格的工業化の開始を説明する理論としてみた場合、プロト工業化論は決定的なところでその資格に欠ける」(p269)という著者の指摘はまっとうだ。この移行を説明することは、産業革命を経験する地域があった一方で工業が衰退した地域があったのはなぜかを説明することにもつながる、非常に有望な論点でもある。
http://twitter.com/#!/zaway/status/17654592619675648