「生命尊重」を含む日記 RSS

はてなキーワード: 生命尊重とは

2024-01-09

また change org が変な署名やってる

以下 メールより

Change.org



沖縄県条例(案)から「ノラ猫への餌やり禁止条項」を削除してください

11,290人が公益財団法人 どうぶつ基金さんのオンライン署名賛同しました。目標賛同数15,000を一緒に目指しましょう!

ワンクリック賛同

公益財団法人どうぶつ基金と連名者は沖縄県知事と沖縄県議会議長宛に

沖縄県動物愛護及び管理に関する条例(案)第13条 何人も、飼い主のいない猫に対し、県又は市町村が定める方法によらず、給餌又は給水を行ってはならない。」の削除を求める要望書を提出します。

私たちは、沖縄県動物愛護及び管理に関する条例(案)第13条について深刻な懸念を抱いています

第13条 何人も、飼い主のいない猫に対し、県又は市町村が定める方法によらず、給餌又は給水を行ってはならない。

というこの規定は、具体的な餌やり禁止の条件が「県又は市町村が定める方法によらず」としか示されておらず、その方法以外では、飢餓状態野良猫に対して給餌や給水を禁止するというものです。

この規定日本国憲法第13条で保障された幸福追求権を侵害し、動物愛護管理法に抵触する可能性があります。また、市民団体から要求された「条例(案)策定過程議事録の開示」が拒否される等透明性も欠如しています

私たち社会全体でノラ猫問題解決すべきだと考えています。そのため、沖縄県条例(案)から第13条「ノラ猫への餌やり禁止条項」を削除することを求めます

この問題私たち全員が関与すべき重要課題です。今こそ声を上げ、行動に移しましょう。

今スグ!署名して、ノラ猫たちの命と幸せを守る一歩としてください。

沖縄県条例(案)から第13条「何人も、飼い主のいない猫に対し、県又は市町村が定める方法によらず、給餌又は給水を行ってはならない。」を削除すべき理由

【ノラ猫問題は皆で一丸となって取組むべき社会課題です】

愛護動物である猫に対してみだりに、給餌又は給水をやめ、衰弱させることは、動物愛護管理法第44条2項に例示された虐待行為であり、1年以下の懲役刑又は100万円以下の罰金刑が法定刑として定められています

ノラ猫問題住民県民一丸となって取組むべき重大な社会課題であるのに、ノラ猫への給餌給水に何らかの条件や制限を設けることは、(猫好きVS猫嫌い)のような対立構造を生み出し住民同士の不要な分断を招きます

また「国民の間に動物愛護する気風を招来し、生命尊重友愛及び平和の情操の涵養」「人と動物共生する社会の実現を図る」という動物愛護管理法の目的を阻害しかねません。

現行法での対応可能

無秩序な餌の配散や後片付けの懈怠(置き餌)など周辺環境汚染する行為に対しては、動物愛護管理法第25条に定める「動物の飼養、保管又は給餌若しくは給水に起因した騒音又は悪臭の発生、動物の毛の飛散、多数の昆虫の発生等によって周辺の生活環境が損なわれている事態」として都道府県知事必要指導又は助言、勧告命令をすることができます

また、生活環境の保全公衆衛生上に支障が出るまでの悪質な行為に対しては、「廃棄物の処理及び清掃に関する法律」で対応すべき問題です。

そして、生活環境の悪化の原因は飼い主のいない猫に限ったことではありません。

にもかかわらず、このような猫に特化した条例を作ることは、殊更に飼い主のいない猫が住環境悪化させる(悪者ものとして印象付け、排除する意図表徴しており、動物愛護の良俗に反するものです。

【ノラ猫が増える原因と減らす方法

ノラ猫が増える原因は餌やりではなく、

第一に猫を遺棄すること。

第二に猫に繁殖制限手術を施さないことです。

 現時点、増えてしまったノラ猫問題解決方法は給餌給水の制限ではなく、唯一、繁殖制限手術を迅速に実施することです。

沖縄県行政2022年度、行った飼い主不明猫や地域猫に対する無料不妊手術は42頭、過去10年間で見てもたった235頭にすぎません)

沖縄県の現状は、「猫を遺棄した者」を取り締まらず、ノラ猫、地域猫行政による無料不妊手術ほとんど実施せず、多頭の猫の手術を実施できる体制も構築してこなかった無責任行政不作為の結果です。

教育的側面への悪影響】

条例施行された場合、例えば小さく弱き者に思いやりの心を持った子供が、お腹を空かせてやせ細っているノラ猫にえさを与える行為も、「違法である」と蔑まれ可能性すらあります

弱き者に手を差し伸べる素朴な優しい気持ち非難される状況は、果たして未来を担う子供たちに胸を張って誇れるものでしょうか。

観光産業への打撃】

世界中から多くの観光客が来訪する沖縄県ですが、素朴で温かい沖縄に住む人との触れ合いもダイナミックな景観と並ぶ大きな魅力です。もし13条案が施行されると、観光客がやせ細った野良猫にエサを与える行為違法非難され、衰弱した猫を放置する沖縄県という風評が立ち、イメージに悪影響を与えることが懸念されます。このような評判が広まれば、「気温は高いが、弱者動物に冷たい沖縄」というイメージが広がり、観光業に大きな打撃を与える可能性があります

以上の理由により、沖縄県動物愛護及び管理に関する条例(案)第13条の削除、または13条案の取り下げを要望します。



どこの馬鹿がこんな署名に金投げるんだよ…

2023-12-14

anond:20231214164631

中絶禁止って生命尊重の延長線にある発想なので、そんなに変ではないと思うんだが

ヴィーガンよりはよっぽど自然な発想だと思う

2023-11-11

ALWAYS-1.0 三丁目のゴジラ 見てきやしたよ

90点のゴジラと、20点の漂白戦後の混合物。

足して割って60点。

これが俺の結論だ。

俺は好きに点をつけた。君らも好きに点をつけるべきだ。

ゴジラだけ取り出したら90点でいいと思う

熱線出す前のガキョンガキョンが最高すぎた。

この感想は大体の人が共有していると思う。

(本当の本当にただALWAYS見に来ただけの人からしたら「怪獣ビーム撃つだけのシーンに時間使いすぎ。昭和まだ?」だったかもだけど)

映画の冒頭、突然出てきた肉食恐竜の紛い物に俺はガッカリしていた。

あーあエメゴジだよ。マグロでも食ってろよ。

ってね。

銃に驚いて人間を丁寧に一人ずつカプカプしては吹っ飛ばすみみっちい姿。

怪獣王の面影なんて一切なし。

かにこの程度の「デカトカゲ」だったら「機銃掃射で殺せない生き物なんて居ませんよ」の範疇かもな。

でもコイツあくまローカル都市伝説の「呉爾羅」でしかなかった。

とはいえ主人公の「トラウマ」になるのには十分な力があった。

アメリカ原爆実験が、ただのデカトカゲを、巨大なモンスターに変えた。

長門を沈めたことでも知られるクロスロード作戦

まさにその結果として、今作の「ゴジラ」は誕生する。

初代に匹敵するほどに「原爆の忌み子」なのである

トラウマ」と「原爆」が融合した怪物

今作のゴジラが持つ物語性は歴代トップクラス邪悪な代物だ。

熊を殺すのは可愛そうだから保護しようとか言ってる場合じゃなく、単に怪物危険からで殺すとかでは済まない「(主人公達が)本当の戦後を始めるために乗り越えないと行けない象徴的ななにか」となっている。

思えばゴジラは初代から時間が立つに連れて段々と「デカくて強いやつ」でしかないただのデカツヨとなっていた気がする。

守護ゴジラ破壊神ゴジラや化け物には化け物をぶつけるんだよゴジラヒーローゴジラと様々な顔をしてきたが、それらは結局デカツヨでしかなく、「核実験が生み出してしまった化け物」としてのゴジラの延長線上からは逸れていっていたように思う。

そういう意味において、今作のゴジラは本当に「ゴジラ」だ。

自分は正直ゴジラ-1.0とか大層な名前をつけやがってと不満を持っていた側の人間だ。

でもそれに相応しいものちゃんと出てきたので今はもうそういう気持ちはない。

強くてデカくて、ただそれだけじゃない恐ろしい奴で、映画的な嘘にまみれた滅茶苦茶なやり方で滅ぼすのが相応しいような、非現実的モンスター怪獣

その癖、熱線を撃つ時は本当にカッコイイもんだから「やめろー!戦闘機自爆特攻如きで倒されないでくれー!」と応援さえしてしまいそうになる。

いいゴジラだった。

戦後ALWAYSはとにかく苦痛だった

ナリだけ戦後風に薄汚くしてる割には、人間の心が現代風な妙なこざっぱりさがあって、なんだか凄く嘘くさかった。

喋り方からして物凄く現代的で、突き抜けさせれば「現代語訳風味」でいけるだろうという造り手の狙いみたいのが透けてくる。

上映前の予告編ゴールデンカムイが流れていて、あっちはナリを一切汚くしておらず(マフラーなんてデパートで買って値札を外した直後みたいでビックリしたよ)、絵面の全てが「これは嘘っぱちのコスプレショーですよ」と伝えくるんだけど、こっちはなまじナリは汚くしてる分だけ喋り方の違和感がより際立っていたというか。

特攻するしない特攻しないに囚われてずっと足踏みしている主人公時間が止まっているアピールも過剰すぎて妙に子供っぽいというか、こんなんにゴジラを倒させるなよ……とさえなってくる。

初代と比べても仕方ないんだが、どうも全体的に描かれる人間が幼く見え、日本人は幼くなったのかなあ……なんて変な老害感情さえ湧き上がってしまった。

日本は命を大事にしなすぎた」のイデオロギーのぶっこみ方も生焼けに思えた。

命がけの特攻、その対比としての生命尊重

でもそれを口にする人間たちは結局、死の覚悟をもって事に当たる。

そして命を守るために残された若者が命がけの任務に飛び入りで参加したこと日本は救われる。

これでは「命を大事にしよう」なんてのは口先のお題目で、実際には「事に当たっては命なんて捨てにかかるしかない」と言わんばかりだ。

この作品が主張したいのは結局どっちなの?

作中でも行われていた戦後特別掃海任務が実行者の命に対して無責任な態度にまみれていたのは本当だと思うし、それを指して「この国は戦争の後も命を大事にしてない」と批判されるのは当たり前だと思う。

情報統制ときに「この国は変われない」と口にしてたのも、今の日本の現状を見ると確かに変われてないんだよなあと。(この「変われない」のあとに(いや……変わりたくないだけか……)を飲み込んだかのような雰囲気が出てたのは良かった。こういのがもっとしかったんだけどなあ)

ある種の未来予知的な演出を駆使して「結局戦後反省とか本当にあるのか怪しいよなこの国」と自国批判をするのは上手にやれば痛快だったんだろうけど、そのテーマの重さに作品の持つ力が負けていて空回りしていたと自分は感じた。

そもそもをして全体として言葉表現力というか、単純に語彙力そのものが乏しいようにさえ思える脚本の粗さはなんとかならなかったものか。

最終的に主人公機をゴジラの口に放り込むというプロット誘導するためにある程度の力技はしかたなかったのだろうけど、その力技の過程の中で繊細な機微が足りてなさすぎた。

というか、もう単純にドラマの質が低かった。

手垢の尽きまくった美化版昭和ヒューマンドラマをやるなら、やり尽くされているが故の積み上げてきたテクニック継承必要というか、王道をやるなら自然と上がるハードルに追いつけてないというか。

もうちょっと頑張れよが無数に積み上がった果ての「全然なってないなあ」という感想

2023-07-13

[] そのななひゃくにじゅうに

ガイウーッス

 

本日日本においては日本標準時制定記念日、生命尊重の日、オカルト記念日水上バイクの日、イーサンハントの日となっております

時間約束を守るって大事ですね、私は守れた試しがありません。

ですのでこの朝礼とかいう奴もこんなにいい加減な時間に大体の感じでやってます

まぁ何より朝礼という大それた名前シリーズ化してしまったものからまり確定的なことは言いたくないなぁ後になって「アンタこれどういうことよ」と言われるのもヤダなぁ、と考えた結果ダラダラ一年強やってきてるのです

ぶっちゃけ、この朝礼自体も始まったのいつからって考えたらユリウスカエサルのお誕生日みたいになるのでこのタグ使った時からでええやんと思いながら書いております

まぁそれはそれとして時間を守るのは大事です。

その時間に待つ人が発生しまからね。

でも逆に自分時間すら守れない奴だから変に時間設定せずに来たらこれ任せればいいって知らせることも大事です。

そんな場所普通は無いです、だからわざわざ作りに行くしかないんです。

とはいえ、みんながうまいこと時間合わせた結果、朝八時やら朝九時やらとかの普通時間帯になることが間々あるってのは面白いのか面白くないのかよくわからんところですが

なんだかめんどくさいことばかりですが、やれるだけやりましょう。

 

ということで本日は【時間確認いか】でいきたいと思います

時間確認いか時間確認ヨシ!

 

それでは今日も一日、ご安全に!

2023-02-10

anond:20230210120011

三島由紀夫檄文

 檄

   楯の会隊長 三島由紀夫

 われわれ楯の会は、自衛隊によつて育てられ、いはば自衛隊はわれわれの父でもあり、兄でもある。その恩義に報いるに、このやうな忘恩的行為に出たのは何故であるか。かへりみれば、私は四年、学生は三年、隊内で準自衛官としての待遇を受け、一片の打算もない教育を受け、又われわれも心から自衛隊を愛し、もはや隊の柵外の日本にはない「真の日本」をここに夢み、ここでこそ終戦後つひに知らなかつた男の涙を知つた。ここで流したわれわれの汗は純一であり、憂国精神を相共にする同志として共に富士原野を馳駆した。このことには一点の疑ひもない。われわれにとつて自衛隊故郷であり、生ぬるい現代日本で凛烈の気を呼吸できる唯一の場所であつた。教官助教諸氏から受けた愛情は測り知れない。しかもなほ、敢てこの挙に出たのは何故であるか。たとへ強弁と云はれようとも、自衛隊を愛するが故であると私は断言する。

 われわれは戦後日本が、経済的繁栄うつつを抜かし、国の大本を忘れ、国民精神を失ひ、本を正さずして末に走り、その場しのぎと偽善に陥り、自ら魂の空白状態へ落ち込んでゆくのを見た。政治矛盾の糊塗、自己の保身、権力欲、偽善にのみ捧げられ、国家百年の大計は外国に委ね、敗戦の汚辱は払拭されずにただごまかされ、日本人自ら日本歴史伝統を涜してゆくのを、歯噛みをしながら見てゐなければならなかつた。われわれは今や自衛隊にのみ、真の日本、真の日本人、真の武士の魂が残されてゐるのを夢みた。しか法理論的には、自衛隊違憲であることは明白であり、国の根本問題である防衛が、御都合主義の法的解釈によつてごまかされ、軍の名を用ひない軍として、日本人の魂の腐敗、道義頽廃根本原因をなして来てゐるのを見た。もつとも名誉を重んずべき軍が、もつとも悪質の欺瞞の下に放置されて来たのである自衛隊敗戦後の国家不名誉十字架を負ひつづけて来た。自衛隊国軍たりえず、建軍の本義を与へられず、警察物理的に巨大なものとしての地位しか与へられず、その忠誠の対象も明確にされなかつた。われわれは戦後のあまりに永い日本の眠りに憤つた。自衛隊が目ざめる時こそ、日本が目ざめる時だと信じた。自衛隊が自ら目ざめることなしに、この眠れる日本が目ざめることはないのを信じた。憲法改正によつて、自衛隊が建軍の本義に立ち、真の国軍となる日のために、国民として微力の限りを尽くすこと以上に大いなる責務はない、と信じた。

 四年前、私はひとり志を抱いて自衛隊に入り、その翌年には楯の会を結成した。楯の会根本理念は、ひとへに自衛隊が目ざめる時、自衛隊国軍名誉ある国軍とするために、命を捨てようといふ決心にあつた。憲法改正がもはや議会制度下ではむづかしければ、治安出動こそその唯一の好機であり、われわれは治安出動前衛となつて命を捨て、国軍の礎石たらんとした。国体を守るのは軍隊であり、政体を守るのは警察である政体警察力を以て守りきれない段階に来て、はじめて軍隊の出動によつて国体が明らかになり、軍は建軍の本義を回復するであらう。日本軍隊の建軍の本義とは、「天皇を中心とする日本歴史文化伝統を守る」ことにしか存在しないのである。国のねぢ曲つた大本を正すといふ使命のため、われわれは少数乍ら訓練を受け、挺身しようとしてゐたのである

 しかるに昨昭和四十四年十月二十一日に何が起つたか総理訪米前の大詰ともいふべきこのデモは、圧倒的な警察力の下に不発に終つた。その状況を新宿で見て、私は、「これで憲法は変わらない」と痛恨した。その日に何が起つたか政府極左勢力限界を見極め、戒厳令にも等しい警察規制に対する一般民衆の反応を見極め、敢て「憲法改正」といふ火中の栗を拾はずとも、事態を収拾しうる自信を得たのである治安出動不用になつた。政府政体維持のためには、何ら憲法抵触しない警察力だけで乗り切る自信を得、国の根本問題に対して頬つかぶりをつづける自信を得た。これで、左派勢力には憲法護持の飴玉をしやぶらせつづけ、名を捨てて実をとる方策を固め、自ら、護憲標榜することの利点を得たのである。名を捨てて、実をとる! 政治家にとつてはそれでよからう。しか自衛隊にとつては、致命傷であることに、政治家は気づかない筈はない。そこでふたたび、前にもまさる偽善隠蔽、うれしがらせとごまかしがはじまった。

 銘記せよ! 実はこの昭和四十四年十月二十一日といふ日は、自衛隊にとつては悲劇の日だつた。創立以来二十年に亙つて、憲法改正を待ちこがれてきた自衛隊にとつて、決定的にその希望が裏切られ、憲法改正政治プログラムから除外され、相共に議会主義政党を主張する自民党共産党が、非議会主義方法可能性を晴れ晴れと払拭した日だつた。論理的に正に、この日を堺にして、それまで憲法私生児であつた自衛隊は、「護憲軍隊」として認知されたのである。これ以上のパラドックスがあらうか。

 われわれはこの日以後の自衛隊に一刻一刻注視した。われわれが夢みてゐたやうに、もし自衛隊武士の魂が残つてゐるならば、どうしてこの事態を黙視しえよう。自らを否定するものを守るとは、何たる論理的矛盾であらう。男であれば、男の矜りがどうしてこれを容認しえよう。我慢我慢を重ねても、守るべき最後の一線をこえれば、決然起ち上るのが男であり武士である。われわれはひたすら耳をすました。しか自衛隊のどこからも、「自らを否定する憲法を守れ」といふ屈辱的な命令に対する、男子の声はきこえては来なかつた。かくなる上は、自らの力を自覚して、国の論理の歪みを正すほかに道はないことがわかつてゐるのに、自衛隊は声を奪はれたカナリヤのやうに黙つたままだつた。

 われわれは悲しみ、怒り、つひには憤激した。諸官は任務を与へられなければ何もできぬといふ。しかし諸官に与へられる任務は、悲しいかな、最終的には日本からは来ないのだ。シヴィリアン・コントロール民主的軍隊の本姿である、といふ。しか英米シヴィリアン・コントロールは、軍政に関する財政上のコントロールである日本のやうに人事権まで奪はれて去勢され、変節常なき政治家に操られ、党利党略に利用されることではない。

 この上、政治家のうれしがらせに乗り、より深い自己欺瞞自己冒涜の道を歩まうとする自衛隊は魂が腐つたのか。武士の魂はどこへ行つたのだ。魂の死んだ巨大な武器庫になつて、どこへ行かうとするのか。繊維交渉に当つては自民党売国奴呼ばはりした繊維業者もあつたのに、国家百年の大計にかかはる核停條約は、あたかもかつての五・五・三の不平等條約の再現であることが明らかであるにもかかはらず、抗議して腹を切るジェネラル一人、自衛隊からは出なかつた。

 沖縄返還とは何か? 本土防衛責任とは何か? アメリカは真の日本自主的軍隊日本国土を守ることを喜ばないのは自明である。あと二年の内に自主性を回復せねば、左派のいふ如く、自衛隊永遠にアメリカ傭兵として終るであらう。

 われわれは四年待つた。最後一年は熱烈に待つた。もう待てぬ。自ら冒涜する者を待つわけには行かぬ。しかしあと三十分、最後の三十分待たう。共に起つて義のために共に死ぬのだ。日本日本の真姿に戻して、そこで死ぬのだ。生命尊重のみで、魂は死んでもよいのか。生命以上の価値なくして何の軍隊だ。今こそわれわれは生命尊重以上の価値所在諸君の目に見せてやる。それは自由でも民主々義でもない。日本だ。われわれの愛する歴史伝統の国、日本だ。これを骨抜きにしてしまつた憲法に体をぶつけて死ぬ奴はゐないのか。もしゐれば、今からでも共に起ち、共に死なう。われわれは至純の魂を持つ諸君が、一個の男子、真の武士として蘇へることを熱望するあまり、この挙に出たのである

  (三島森田事務所刊『「楯の会」のこと』より)

2022-10-05

動物愛護法っている?

イヌとかネコとか鳥を愛すべきと感じ、むやみに殺傷するのはかわいそうだと思うのは当たり前だよ。もちろん自分もそう。

でも法律で定める必要ある?なんの権利他人個人動物との関わり方に口出せるの?

そもそも愛護動物かい概念からし人間エゴ丸出しで腹立たしいけど、「動物愛護する気風を招来し、生命尊重友愛及び平和の情操の涵かん養に資するとともに~」って条文からし説教臭すぎる。何様なんだ?

もしも隣人が自宅の中で子猫虐待してたら気持ち悪いよ。

何よりネコ可哀想だし、そのうちエスカレートして他の犯罪にも手を出すかもしれないって怖いよ。

でもそれだけでしょ。

そのネコが他の誰かの所有物でないのなら、具体的にだれかの権利侵害されたわけではない。

それなのに、隣人の行為社会が悪と断じるのは傲慢が過ぎるんじゃないの。

感情として許せないというのは共感できるけど、

死骸を公共の場放置するとか、そこまでいかないと他人が口を挟む権利なんてないんじゃない

2022-04-10

動物愛護法って意味なくない?

生命尊重友愛等の情操の涵養」っていうけど、動物愛護家ってやたら攻撃的だし、野良猫エサやりトラブル殺人事件とか起こしまくってるじゃん

2021-09-29

尾身先生、西浦先生自分の罪と向き合ってください

電車にはねられ大学生死亡 奈良コロナ背景の自殺

https://news.yahoo.co.jp/articles/63cea243a641287b64b44ce67da7d0f3a7945ec8

亡くなった方がこの1年半、どんな気持ちで過ごし、どんな気持ちで死を選んだか分かりますか。

そして今どれほど多くの若者が同じ苦しみを抱えているか分かりますか。

ほんの一瞬でもいい、思いを馳せてみてください。

少しでも人の心があるのなら。

もちろん尾身先生や西浦先生だけではありません。

生命尊重美名のもとに私たちから希望を奪おうとする研究者の皆さん、それに追従する政治家の皆さん、教育関係者の皆さん、そしてこの狂った社会容認する全て人々へ。

死ぬべき人を生かし、生きるべき人を殺す社会私たちは生きています

これ以上私たちから希望を奪わないでください。

これ以上私たちを殺さないでください。

少しでも人の心があるのなら。

2021-08-13

動物愛護法って第一条によると「生命尊重友愛及び平和の情操の涵養」が立法目的なんだけど、意味ないよな

Daigoみたいな人命軽視の差別主義者が生まれるんじゃ税金使って猫なんて害獣保護する意味皆無じゃん

2021-05-25

anond:20210525101641

毒餌で殺処分することは、動物に対する生命尊重という同法目的同法1条)、他の方法を取り得る

の"別の手段"として正当な方法ですね

これだから馬鹿は救いようがないんだよ

猫と同じで殺処分すべき

anond:20210525100847

はい馬鹿勝手に法解釈

「飼い主がいない猫でも、みだりに殺傷すると、動物愛護管理法動物殺傷罪に該当し、2年以下の懲役または200万円以下の罰金に処せられます同法第44条1項)。ただし処罰対象となるのは、『みだりに』殺傷した場合だけです。

ここでいう『みだりに』とは、合理的理由なくという意味です。野良猫が糞尿被害を与えている場合に毒餌で殺処分することは、動物に対する生命尊重という同法目的同法1条)、他の方法を取り得ることを考えれば、合理的理由があるとは言えないでしょう」

あさイチ「毒餌で野良猫駆除した人に同情」発言が物議...どんな法的問題がある? - 弁護士ドットコム

2020-10-28

老人安楽死制度作るしかないだろ!!

なんで作んねえの?マジで理解不能なんだが

ボケて排泄物は垂れ流し、徘徊しては暴れ、マトモに服も着られない、そのくせ攻撃力は高くて周りを追い詰め続ける

そんな存在になってまで生き続ける意味ってなんだよ?

社会疲弊すべてが老人のせいってことはないが、それにしても一因ではあるだろ絶対

高齢者になったら希望安楽死できる制度を作れないのか?

圧力がかかって死を選ばされる世の中になるかもしれない、だからなんだよ 死ねよ もう60年以上生きてんだから十分だろ

社会に老人を生かし続ける体力もリソースもないじゃん 無理なんだって

なすしかないんだよ

だって死ぬよ ボケ老人、寝たきり老人になって迷惑かけまくりながら生きたくはないよ

障害者死ねってのとはまた違うじゃん

全員老いるんだし平等なもんだろ

俺も死ぬからあんたも死んでくれって話じゃない

老人安楽死党を作って立候補するしかないのか?

生命尊重規範にみんな縛られすぎてると思うんだよな

カタチだけ生きてりゃいいってもんじゃねえぞ

燃え尽きた命を永らえさせてどうすんだよマジで

誰がどんな形で得してるんだ?

俺は親の介護のこと考えたらまあまあ暗い気持ちになるが、ボケたら殺せるって制度なんだったら未来は明るいもんだと思う

殺したくないなら頑張って介護して生かせばいいんだしな

選択肢としてあるのの何が悪いって言うんだ

安楽死!導入!

それしかないって

マジで

2019-10-22

動物に優しい人はいい人」は本当か?

動物愛護団体には船で漁船に衝突するテロ組織もあるし、

日本でも野良猫にエサをやった奴が近所の人に注意され、

逆上して包丁で刺すというような事件が毎年のように起きている。

というか自分観測範囲で言うと動物嫌いの人の方がまともな比率は高く、

動物好きの人はたいていどこか頭のネジの外れたちょっと危ない人だった。

この「動物に優しい人はいい人」という思想が単なる日常井戸端会議なら

迷信かもね」で終わってもいいが、

困ったことに日本ではこれが前提である法律が作られている。

そう、動物愛護法だ。

その第一条を見ると、「国民の間に動物愛護する気風を招来し、生命尊重友愛及び平和の情操の涵養に資するとある

難しい言い回しをしてるが、ようするに「動物愛護をすれば国民は優しい人間になる」、だから法律動物虐待を罰すると言うことだ。

この理論を前提にして、愛護法では動物虐待禁止したり、動物の適切な取り扱いを決めたりしている。

もしもこの大前提が間違いならば、

どうして動物虐待者を罰していいのか、だいぶ正当性が危うくなってくる。

もしも動物愛護法に「優しい人間を作る」効果がないとすれば、

動物虐待する人は、何の法益も無い法律の為に不当に人権制限刑罰)されていることになる。

これは立法論の見地から差別見地からも到底許されることではないだろう。

2019-06-05

動物虐待凶悪犯罪全然関係ない説

最近犯罪者予備軍」という概念があちこち議論になっているので、

便乗して長年「犯罪者予備軍」の第一ファクターとしてやり玉に挙げられてきた

動物虐待』という行為についてつらつらと。

日本動物愛護法の条文では

動物愛護する気風を招来し、生命尊重友愛及び平和の情操の涵養に資する」ことが

動物愛護国民に「強制」することの法的根拠となっている。

まり、「動物愛護すれば人間は穏やかな優しい性格になる」という公益が生まれるので、

動物虐待したい」という個人欲求制限することも許されるというわけだ。

(この辺りは中学で習う理論公共の福祉に適うなら、個人権利を束縛してもいい。)

ところが、昨今のヴィーガンとか動物愛護過激派の行動を見ればわかる通り、

別に動物に優しい人間人間に優しいとは限らない。

それどころか、動物を守るために人間に対して攻撃的になる例は山ほどある。

また一方、「動物虐待したら人間悪人になるか」というと、これも非常に怪しい。

よく酒鬼薔薇事件とか佐世保女子高生殺人事件とか、ワイドショーを騒がせた事件犯人動物虐待をしていたから、

動物虐待殺人エスカレートする!」と語気を強くして主張する人もいるが、

具体的に「動物虐待者に占める凶悪犯罪率」(凶悪犯罪者に占める動物虐待者率、ではないのに注意)のデータ

提示する人は見たことがない。

そもそも時間的前後関係因果関係意味しない。

「幼少期に動物虐待をした後、殺人を行った人物がいる」というのは

動物虐待殺人の原因だ」とはならない。

それは「ほとんどの殺人犯は殺人の前の24時間以内にごはんパンを食べている。よって、炭水化物殺人犯を生む」と

言っているようなものだ。



というわけで結論

動物虐待法律否定する根拠は非常に薄い上に、

公益が無いのに「動物虐待が好き」という特定属性を持つ人種を罰するのは

差別しか言いようがないので、動物愛護法廃止妥当

というかみんな薄々気づいてるでしょ?

動物に優しいひとはいい人だ」も嘘で

動物虐待すると凶悪犯罪者になる」も嘘だって

たとえば魚釣りというスポーツは生きた魚に針をぶっ刺して楽しんでるわけで

動物虐待以外の何物でもないが、「釣り人に凶悪犯罪者が多い」なんて話は聞いたことがない。

(何故か都合よく魚類動物愛護法愛護動物から外されているが)

2019-05-28

ヴィーガニズムと「日本という宗教」の文化衝突について

https://hokusyu.hatenablog.com/entry/2019/05/28/004203

ヴィーガンが、他者に対しても肉食をしないよう勧め、ときにその主張も告発的なものになるのはやむを得ない。…

…われわれは肉食について問われることは覚悟しなければならない。…

まったくエヴァンジェリスト言い回しでありジハーディストの自己正当化論理である。預言の民が他者に対しても邪教を崇拝しないよう勧め、ときにその宣教暴力的ものになるのはやむを得ない。路上爆弾を設置し無辜の異教徒殺戮することも時には仕方がないのであるわれわれは涜神について問われることは覚悟しなければならない。邪教信仰した結果正しい宗教信徒殺害されることは受け入れなければならない。本当にそう言えるのだろうか? 私ならばそうした人とは距離を取りたいと思う。

ヴィーガン昆虫植物生命については無視しているではないか、などの主張である。はっきり言って、このような極論でもって相手ギャフンと言わせたなどと思うのは小学生のうちに卒業してもらいたい。これについては、すでに指摘がある通り「不完全かもしれないが、肉食をするより肉食をしないほうが倫理的である」「そもそも、すべての生命尊重を第一義とするヴィーガニズム以外には無関係」などの反論が思いつく。

違和感は後段に進むにつれ強まり個人的にはここで最も強まる。適当にググってWikipediaの肉食#仏教の項でも見てくるといい。

釈迦仏弟子であった提婆達多が違背した原因は提婆達多菜食主義戒律に含める主張を釈迦が明確に否定たかであると記されているだけでなく釈迦が亡くなった原因は豚肉食中毒であるとされている。(肉食を否定する大乗仏教においては豚の好むキノコを使った料理とされている。)

生き物の殺生を禁止する仏教において肉食が禁止されていない事は矛盾であるとように思われるがこれは当時の肉食に関する宗教論争と関係する。仏教の起こった当時のインドにおいては仏教だけでなくジャイナ教などの多くの宗派がアヒンサー(不殺生)を標榜していた。特にジャイナ教においては畑を耕すことによって虫が殺されることなどを指摘し、肉食する、しないにかかわらず生存する限り間接殺を免れぬことを理由に、無食による自殺最上の行とした。これに対して仏教は間接殺を理論的に突き詰めることの限界理由中道を掲げ実際に生き物を殺す直接殺のみを明確に禁じ、間接殺においてはあくまでも貰い物の肉が、殺す所を見なかった肉、供養のために殺されたと聞かなかった肉、自分の為に殺された疑いの無い肉という「三種浄肉」であれば食しても問題はないとされた。さらにここで重要なのは古代仏教において比丘あくまでも家庭の余った食事物乞いすることによってのみ食を得るため、肉食=肉の購買による間接殺という矛盾が成り立たないことにある。

仏教において「ヴィーガン昆虫植物生命については無視しているではないか」「肉食をするより肉食をしないほうが倫理的とは言えないのではないか」という主張は釈尊から直々に出ているである開祖がやってたことは正しいに決まっている日本の「反ヴィーガン空間において先に挙げた2点への非難他国よりもはるかに強いこと、またその理由をぜひ直視していただきたいものである。これはヴィーガニズム崇拝者が「公の論理」でも「文明人の倫理」でもなんでもよいが崇拝しているドグマ旧約聖書(というのは、仏教の創始よりも後に書かれたものであるが)からの引き写しでありヴィーガニズム倫理的進歩した集団でもなく単にキリスト教系の新興宗教しかない事実裏付けものであると言えるのではないかと思う。反論があるものなら聞きたい。

Anno Domini をまるで異教徒がすべて同意たかの如く common era とか改称しようとしている輩と一緒に地獄へ落ちてしまえ。

2019-05-24

肉を食べるのは良くないことだからやめろと言われても反論できない

はてなでは最近ヴィーガン話題だ。自分も肉は食うのだが、しかし肉を食べるのは良くないことだからやめろと言われたら反論できない。

まず環境に良くない。同じ量の栄養を持つ食品を作ろうとすると、牛や豚を育てるのと豆を育てるのでは環境への負荷が数桁違う。牛が出すげっぷに温室効果ガスが含まれていて、世界中の牛が出す量を合計すると地球温暖化無視できない勢いで影響しているという話もある。肉を食べるのは環境に良くないからやめろと言われると反論できない。

また健康にも良くない。脂身の多い肉は心疾患のリスクを高める。加工肉や赤身をとると発がんのリスク高まるWHOも言っている。肉を食べるのは健康に良くないからやめろと言われると反論できない。

さら日本人としても良くない。日本で牛や豚の肉を食べることが全国で一般に広まったのは明治以降の話だ。肉を食べるのは日本人本来の姿に反するから良くないからやめろと言われると反論できない。

そして倫理的に良くない。動物愛護法は「生命尊重友愛及び平和の情操の涵養に資する」ため「動物をみだりに殺し、傷つけ、又は苦しめること」を禁止罰則も設けられている。動物を苦しめるのは良くないことだという倫理は既に日本法律に組み込まれているのである。そして、人間も犬も猫も食べてはいけないのに牛や豚は食べていいというのは一貫していない。哺乳類全般は食べない、あるいは恒温脊椎動物は食べないという風にした方がルールとしても一貫している。肉を食べるのは倫理的整合性がとれていないからやめろと言われると反論できない。

肉を食べるのは正しいことだと主張する方法ほとんどないが、肉を食べない方が正しいと主張する方法はいくらでもある。ヴィーガンの主張をはねのけることができたとしても、このままではいつか何らかの形で肉食反対派が勝利を収める日もやってくるのではないだろうか。

2019-01-24

動物愛護法イコール差別法論

日本動物愛護法動物の愛護及び管理に関する法律)は

動物虐待及び遺棄の防止、動物の適正な取扱いその他動物健康及び安全の保持等の動物愛護に関する事項を定めて国民の間に動物愛護する気風を招来し、生命尊重友愛及び平和の情操の涵かん養に資するとともに、動物管理に関する事項を定めて動物による人の生命身体及び財産に対する侵害並びに生活環境の保全上の支障を防止し、もつて人と動物共生する社会の実現を図ること」

立法目的としている(第1条)

そして、「愛護動物」への虐待禁止し、罰則を設けている。

しかし、動物愛護法で「愛護動物」に指定される動物はごく限られている。

動物愛護法十四条

「4 前三項において「愛護動物」とは、次の各号に掲げる動物をいう。

一 牛、馬、豚、めん羊、山羊、犬、猫、いえうさぎ、鶏、いえばと及びあひる

二 前号に掲げるものを除くほか、人が占有している動物哺乳類鳥類又は爬は虫類に属するもの

要約すると、動物愛護法において動物の命の価値は三等級ランク付けされていることになる。

仮に保護される度合いが高い順に「Aランク」「Bランク」「Cランク」と呼ぶとすれば、

以下のようになる。

(※鳥獣保護法特定外来生物法についてはこの際考えない)

****************************************

【Aランク動物】(人の管理下にない野良でも愛護しなければならない動物

・「牛」「馬」「豚」「めん羊」「山羊「犬」「猫」「いえうさぎ」「いえばと」「あひる」の12種

【Bランク動物】(人の管理下にあれば愛護しなければない動物野良対象外

哺乳類

鳥類

爬虫類

【Cランク動物】(愛護動物ではない動物

魚類

両生類

・すべての無脊椎動物

****************************************

この時点で「おや?」と首を傾げる人も多いことだろう。

法律上では金魚カエルカブトムシといったペット愛護しなくてもよいことになっている。

何故なら【Cランク動物】だから

一方で、犬や猫、ウサギといったペットはたとえ野良であろうが虐待してはいけないことになっている。

何故なら【Aランク動物】だから

しかし、現実には「金魚カエルカブトムシは好きだけど犬猫は嫌い」という人もいる。

そして、金魚カエルカブトムシと犬や猫の命を区別する理由は、

単なる好き嫌い以外に存在しないのではないだろうか。

もっと言うなら、ゴキブリペットとして愛している人もいるだろう。

だが、愛護法ではゴキブリは人の管理下にあろうが野良だろうが、

平然と殺されてよい生き物とされている。(ペットゴキブリ場合は、器物損壊にはなるだろうが)

にもかかわらず、猫は人の管理下にあろうがなかろうが、

「全国民」が愛護しなければならない動物とされている。

別に犬猫ウサギなんて好きでも何でもない、むしろ嫌いな人だって多くいるだろう。

それなのに、個人自由であるべき嗜好を、法律罰則まで付けて強制している。

【Aランク動物】を傷つけた人は問答無用で百万円以下の罰金を受けることになるのに、

【Cランク動物】を傷つけた人は無罪放免

【Cランク動物】を嫌って殺す人は無罪放免なのに

【Aランク動物】を嫌って殺す人は罰金を払うことになる。

さて、この構造差別以外の何と呼べばいいのだろう?

「どの動物が好きか」「どの動物が嫌いか」という個人属性によって、

大幅に不利益を被ることになる被差別者層が生まれる。

その上、この愛護法上の差別正当化する理由噴飯物で、

曰く「犬猫虐待する人間殺人犯になりやすい」だの「昆虫愛する人間は異常者」だの、

差別常套句が並ぶ。

これは「黒人犯罪率が高いか黒人犯罪者予備軍だ」というヘイトスピーチとまったく同じ構文だ。

ニューヨークなどの都市黒人犯罪率が高いのは統計的事実だが、

から「肌の黒い人間規制せよ!」などというのはバカバカしい。

相関関係因果関係ではない。

黒人犯罪率が高いのは、「黒人貧困層が多いから」「黒人教育を受けてない層が多いから」かもしれない。

肌の色が犯罪を誘発する原因とは断定できないし、無根拠に断定したとすればそれは差別だ。

犬猫動物虐待者は犯罪者予備軍」というのも、当然例外ではない。

動物愛護法44条はこの「命のランク制」を廃止して、

「すべての動物例外なく愛護する」ことにするか、

さもなくば動物愛護法自体廃止した方がよかろう。

そもそもこの法律自体が「動物に優しい人はいい人である」という無根拠選民思想に基づいている。

動物好きであろうが悪人はいるし、動物嫌いの善人もいる。

動物が好きかどうかで人間の良し悪しを区別する」という立法趣旨自体差別的と言わざるを得ない。

2018-12-05

動物虐待者に対する『差別』の存在

差別をする側は、「自分差別をしている」という事実認識しにくい。

肌の色で人を区別することが当然という風潮の中で生きてきた人間は、

それが当然の常識になっているから、過ちであることがわからない。


出身土地職業差別することが当然の時代で生きてきた人間は、

部落差別差別であると知ることができない。


同性愛悪徳だと教えられて生きてきた人間は、

同性愛差別を当たり前のこととして受け入れてしまう。



「それは差別ではなくて当然の常識だ」

区別をつけるのは当たり前のことだ」

そんな風に自己認識を歪め、差別正当化してしまう。

しろ一部のグループ迫害することを「正義」だと考えてしまう。

人種差別や、部落差別も、同性愛差別も、

今の我々は「それが差別である」という認識社会で生きているか

差別として認識できている。

だが、そもそも「これは正当な区別なのだから差別ではない」と深く思い込んでしま

見えなくなっている差別もあるのではないか



私は、その一つが「動物虐待者への差別」だと考えている。




恐らく、この記事タイトルを見たとき多くの人が


動物虐待者は悪人なのだから非難されるのは当然だ」

「そんなもの差別じゃない」


と思ったことだろう。

実際に日本では動物愛護法が制定され、

愛護動物をみだりに虐待したものには二年以下の懲役又は二百万円以下の罰金という

罰則が定められている。





>第四十四条 愛護動物をみだりに殺し、又は傷つけた者は、二年以下の懲役又は二百万円以下の罰金に処する。

2 愛護動物に対し、みだりに、給餌若しくは給水をやめ、酷使し、又はその健康及び安全を保持することが困難な場所に拘束することにより衰弱させること、自己の飼養し、又は保管する愛護動物であつて疾病にかかり、又は負傷したものの適切な保護を行わないこと、排せつ物の堆積した施設又は他の愛護動物死体放置された施設であつて自己管理するものにおいて飼養し、又は保管することその他の虐待を行つた者は、百万円以下の罰金に処する。

3 愛護動物を遺棄した者は、百万円以下の罰金に処する。

4 前三項において「愛護動物」とは、次の各号に掲げる動物をいう。

一 牛、馬、豚、めん羊、山羊、犬、猫、いえうさぎ、鶏、いえばと及びあひる

二 前号に掲げるものを除くほか、人が占有している動物哺乳類鳥類又は爬は虫類に属するもの








現在日本では愛護動物に対する虐待法律的にも倫理的にも「悪」とされ、

非難されて当然の行為とされている。それが社会の前提となっている。


だが、ここであえて問いたい。

「何故?」

と。

動物虐待がなぜわざわざ社会全体で法律を制定してまで、

排除しなければならない「悪」なのか。


動物虐待が悪いことなのは当たり前でしょ」では説明にならない。

それでは、理由もなく人種差別部落差別同性愛差別をしてきた人々と

同じ間違いをしていることになる。



では、手始めに動物愛護法第一条を見てみることにしよう。

基本的には、法律第一条にはその法律が作られた目的が記されている。





第一条 この法律は、動物虐待及び遺棄の防止、動物の適正な取扱いその他動物健康及び安全の保持等の動物愛護に関する事項を定めて国民の間に動物愛護する気風を招来し、生命尊重友愛及び平和の情操の涵養に資するとともに、動物管理に関する事項を定めて動物による人の生命身体及び財産に対する侵害並びに生活環境の保全上の支障を防止し、もつて人と動物共生する社会の実現を図ることを目的とする。





なるほど、「国民の間に動物愛護する気風を招来し、生命尊重友愛及び平和の情操の涵養に資する」。

かに生命友愛平和を尊ぶ情操が涵養されるなら、それは間違いなく社会に取って有益だ。

少なくともその目的自体は間違ってはいない。

だが、ここで当然の疑問が生じる。


動物愛護すれば」

生命尊重友愛及び平和の情操が涵養される」


という、この二つの事象の間に因果関係があるのか、という疑問だ。


結論から先に言うとこれは完全に間違いで、

現実には多くの動物好きが凶悪犯罪を行っている。

2007年大阪で発生した、男が猫被害の苦情を言いに来たアパートの隣人を刺した殺人未遂事件

2008年神奈川県川崎市で発生した、餌やりを注意された男がアパート大家サバイバルナイフで刺殺し、その義理の娘にも重傷を負わせた事件

2009年千葉県船橋市で発生した、70歳の男が女性から野良猫の餌やりを注意されて逆上し、包丁で刺殺した事件

ほんの少し調べてみるだけで、「動物好き」が起こした凶悪犯罪事件は多く見つかる。

したがって、「動物愛する人に悪い人はいない」というのはただのイメージであり、現実とは乖離している。


恐らく動物愛護法を制定した当初も、別に動物愛護すると人間は優しくなる」という仮説について、

科学的・統計的根拠があったわけではないのだろう。

そもそも条文の第4項をよく見ればわかる通り、動物愛護法で「愛護動物」に定められているのは

哺乳類鳥類爬虫類だけなのもこの法律の歪さをうかがわせる。





命の大切さを謳うこの法律では、魚類両生類無脊椎動物については何一つ保護対象になっていないのである

何故なら愛護動物ではないから。



イヌネコウサギを殺すと「生命尊重友愛及び平和の情操が涵養」が害されるが、

金魚カエルカブトムシ別に殺してもいいので無問題という、

この動物愛護法上の命の区別について、私は何らの合理的説明も見出すことはできない。




さて、動物愛護法の条文はかなり不合理で、

動物虐待行為「悪」として迫害することの正当性担保するものは何も無いことがわかった。




からといって、「動物虐待者を迫害することは差別である」と言われても、

なかなか受け入れられる人はいないだろう。



その理由の一つが、広く社会に流布している以下の言説だ。



動物虐待はやがて人間への攻撃エスカレートする」

冷静に考えると「○○というグループ犯罪者予備軍である」という言説であり、差別思想典型なのだが……



実をいうと、私も以前までこの言説を信じていた。




聞くところによると、FBI専門家が、虐待精神に悪影響を与えると言っていたらしい。

FBIといえば犯罪捜査プロフェッショナルだ。そんな人が主張しているからには、

きっと「動物虐待はいずれ人間にも手を出す」という仮説は真実なのだろう……と。




自分の中で「動物虐待行為が憎まれるのは差別ではなく正当な非難である」として納得させてきた。



さて、その専門家というのは、ロバート・K・レスラーという人物である





犯罪者と直接話すことで心理分析を行い、プロファイリング技術確立したFBI捜査官だ。




その手法については彼の著書であるFBI心理分析官』に詳しい。



私は以前、その『FBI心理分析官』を読んだ。

そして、愕然とした。

実のところ、ロバート・K・レスラーは「動物虐待殺人エスカレートする」などとは一言も主張していなかったからだ。

彼の主張は一貫して、「シリアルキラーが生まれる原因は幼少期の家庭環境にある」というもので、

動物虐待癖についてはシリアルキラー発見するための手法として、幼少期に動物虐待をしているパターンが多いと述べるだけにとどめている。



別に動物虐待殺人暴行因果関係については一言言及していない。

(※そもそもプロファイリングとはそういうもので、「犯罪統計上、こういった犯行をする犯人過去に○○しているパターンが多い」と、

犯人像をいわば『逆引き』する技術であり、「〇〇という行為をした人物犯罪者予備軍である」などと因果関係を主張するものではない)

恐らく、このわずかな記述が誇張され、曲解され、

FBI捜査官のロバート・K・レスラーが『動物虐待人間への暴力エスカレートする』と言っていた」

というフェイクニュースを作り出したのだろう。




実際にはそんなことは一言も言っていないにもかかわらず。




そして、一度も原著を読んだことのないまま、私はそのデマを信じ切ってしまっていた。


FBI心理分析官』は有名な本であり、読もうと思えばたいていの図書館にも置いてあるにもかかわらず、

一度もそれを確かめようとはしなかった。




もちろん、『FBI心理分析官』は20年以上前出版された本であり、

今では犯罪学や心理学の研究状況は変わっているかもしれない。


だが、軽く調べただけでも

暴力段階説(動物への暴力人間へとエスカレートするという「仮説」をこう呼ぶらしい)の旗色は悪いようだった。



ここに来て、私は動物虐待行為「悪」として断罪することの正当性をすべて見失った。

結論を述べると、私には動物虐待行為を罰することは差別以外の何物でもないように思える。


それも、かなり悪質な差別だ。


しろ法律まで制定して、公然動物虐待を行う者たちに迫害を加えているのだから

そして、「動物虐待はいずれ人を攻撃する」とか「動物虐待者は精神異常者だ」などの

言説も、ヘイトスピーチしか言いようがない。



何の根拠もなく(ヘイトスピーチそもそも根拠があればいいというものでもないが)、特定グループへの誹謗中傷を行っているのだから

もちろん、これを差別であると認めるのは、感情的に容易なことではない。


動物好きな人可憐な犬や猫を殺す行為社会であると思いたがってしまう。

何故ならその方が自分たちの感情にとって、都合がいいから。




自分の好きな犬や猫を攻撃するものが悪ではないと認めるのは、都合が悪いから。




だが、そのこだわりこそが差別の源であることを、人間は肝に銘じなければならない。

2018-06-11

自民ネトウヨ処女厨レベルに落ちてきている

自民党都議古賀俊昭

生命尊重観点から結婚するまで性交渉を控えるという純潔教育自己抑制教育必要だ」

そもそも結婚する・しない』を自己決定するという戦後価値観問題だ。『結婚出産子育て』は社会貢献だとしっかり教育すれば、安易性交渉にはおのずと抑制的になる」

https://mainichi.jp/articles/20180607/ddm/005/070/040000c

2016-03-11

檄文

われわれ働く増田の会は、日本保育園によって育てられ、いわば日本保育園はわれわれの父でもあり兄でもあり、母でもあり姉でもある。その恩義に報いるに、このような忘恩的発言に出たのは何故であるか。

かえりみれば、幼きわれら増田は3年、あるいは保留児となったかも知れぬ過去を父母の加護により隠蔽し、入り得た保育園で一片の打算もない教育を受け、またわれわれも保育園を愛し、もはや園の柵外の日本にはない「真の日本」をここに夢み、ここでこそ終戦後ついに先達の知らなかった豊かさを知った。ここで流したわれわれの涙は山川純一であり、憂国精神を相共にする同志として共に園の庭におしっこした。このことには一点の疑いもない。われわれにとって保育園故郷であり、生ぬるい現代日本で凛冽の気を呼吸できる唯一の場所であった。保育士諸氏から受けた愛情は測り知れない。しかもなお、敢えてこの挙に出たのは何故であるか。たとえ強弁と云われようとも、保育園を愛するが故であると私は断言する。

われわれは失われた二十五年の日本が、経済的繁栄うつつを抜かし、保育の大本を忘れ、保育園精神を失い、本を正さずして末に走り、その場しのぎと偽善に陥り、自ら魂の空白状態へ落ち込んでゆくのを見た。政治矛盾の糊塗、自己の保身、権力欲、偽善にのみ捧げられ、国家百年の大計は森元らに転がされ、五輪紋章の汚辱は払拭されずにただごまかされ、保育園卒園者すなわち日本人自ら日本の歴史伝統を涜してゆくのを、歯噛みをしながら見ていなければならなかった。

われわれは今や保育園にのみ、真の保育、真の保育士、真の保育再興の魂が残されているのを夢みた。しか法理論的には、待機児童の現状は自治体および日本国行政不作為が問われる状況にあり、国の根本問題たるべき待機児童が、御都合主義の法的解釈によってごまかされ、待機の語義を永遠の諦めにすり替えることによって、親となった増田たちの魂の疲弊道義頽廃根本原因を、なしてきているのを見た。もっと名誉を重んずべき保育が、早期解決すべき待機が、実質を重んずべき一億総活躍美名が、もっとも悪質の欺瞞の下に放置されて来たのである保育園元号平成に変えてから国家不名誉十字架を負いつづけて来た。待機は待機の本義を与えられず、女性活用一億総活躍もその対象も明確にされなかった。われわれは失われた二十五年のあまりに永い保育園の眠りに憤った。保育園が目ざめる時こそ、日本が目ざめる時だと信じた。保育園が自ら目ざめることなしに、この眠れる日本が目ざめることはないのを信じた。憲法改正によって、保育園福祉の本義に立ち、真の男女均等となる日のために、国民として微力の限りを尽すこと以上に大いなる責務はない、と信じた。しかるに、誤って目覚めたのは宮崎であった。

われわれは悲しみ、怒り、ついには憤激した。地方行政は自らは何もできぬという。しか行政に与えられる任務は、悲しいかな、最終的には増田らの民意からは来ないのだ。シヴィリアン・コントロール民主的保育園の本姿である、という。しか英米シヴィリアン・コントロールは、保育園行政に関する財政上のコントロールである日本のように人事権まで奪はれて去勢され、変節常なき政治家に操られ、党利党略に利用されることではない。

この上、政治家のうれしがらせに乗り、より深い自己欺瞞自己冒涜の道を歩もうとする保育園は魂が腐ったのか。ゆりかごから墓場まで理想はどこへ行ったのだ。魂の死んだ巨大な遊戯所になって、どこかへ行こうとするのか。

われわれは二十五年待った。最後一年は熱烈に待った。もう待てぬ。自ら冒涜する者を待つわけには行かぬ。しかしあと三十分、最後の三十分待とう。共に起って義のために共に死ぬのだ。保育園を真姿に戻して、そこで死ぬのだ。生命尊重のみで、魂は死んでもよいのか。次世代生命以上の価値なくして何の保育園であり一億総活躍だ。今こそわれわれは生命尊重以上の価値所在諸君の目に見せてやる。それは自由でも民主主義でもない。保育だ。われわれの愛する歴史伝統の保育だ。これを骨抜きにしてしまったこの国に体をぶつけて死ぬはいないのか。もしいれば、今からでも共に勃ち、共に死のう。われわれは至純の魂を持つ諸君が、一個の男子、真の増田として蘇えることを熱望するあまり、この挙に出たのである

増田 公威

聞けい。聞かぬか。そうか。

http://anond.hatelabo.jp/20160215171759

 
ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん