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はてなキーワード: 伊丹十三とは

2020-11-20

anond:20201120100633

ワイのネタ元は

ヤクーザに押されて飛んでしもた伊丹十三カントクの若いときの名著からやが?

2020-08-16

anond:20200816164901

世界有名人じゃないけど伊丹十三さんとか加藤和彦さんとか、自分で亡くなった人も多いね

2020-07-14

anond:20200714144529

伊丹十三監督もびっくり

 

 マルサといえど、コロナにはかてなくはないけど むずかしいものはむずかしい。

anond:20200714104441

そうだね、古い映画だけど、

全日本人は、伊丹十三カントクの『スーパーの女』を観ておくべきだね。

2020-03-25

anond:20200324124539

財布に小銭が貯まったら、棄てる。

物理的に。詳しくは故伊丹十三エッセイを読め)

2020-02-06

anond:20200206225100

まあ伊丹十三サン

自分は教わった雑多な知識の入った袋に過ぎない、一次情報は持っていないから偉くない」て謙遜したはったしなー

2019-06-09

なんで地上波伊丹十三映画やらないの?

テレビ局国民にはテラスハウスばかり見るようなパリピでいて欲しいと思ってるの?知性を付けることを罪だと思ってるの?

2019-06-05

anond:20190604204511

伊丹十三エッセーで読んだ記憶がある。

イギリス人マナーでは、指を舐めて、その指で切手を濡らすとか。

その微妙な違いがアッパークラスの振る舞いらしい。

2019-01-23

邦画暗黒時代って本当にあったのか

邦画のヒット作品が当たり前の現代人としては信じがたい。

一般80年代から90年代あたりが暗黒時代らしいけれど、その時期っていわばバブルでしょ。かけられる金は今の比ではなかったはず。

それにジブリアニメの傑作が相次いで発表されていた時期でもある。

北野武が出てきた頃でもあるし、黒澤明もまだ存命だったのだから、ヒットが見込めるのは伊丹十三しかいなかったというのは言い過ぎだと思う。

声の大きな人が暗黒時代と言ったのかもだけど、皆までそれに同調する必要は無いんじゃないかな。

2018-12-11

anond:20181211122520

人前で裸になるのは下品同性愛悪徳、などといった道徳?は幕末あたりから西洋人に半ば強制されてきました。

江戸時代までの日本人は裸に対しても同性愛に対してもおらかだったようです。

麺類をすすって食べるのが下品だというのも、元々は西洋人道徳だったのではないかと思います

科学技術では、西欧は優れていましたが、全てにおいて正しかったとは言えないと思います

また、一部のヨーロッパアメリカでは、裸のタブー同性愛に対する差別も、克服されつつあるようです。

僕は、蕎麦屋ですすって食べることができず、一生懸命蕎麦を打っている職人申し訳なく思っています

すすって食べるのが正しい作法だと思うからです。

また、「タンポポ」伊丹十三監督)という映画では、レストラン先生日本人)が生徒にスパゲッティをすすらずに食べろと教えているそばで、イタリア人?がすすって食べているという場面がありました。

現代の街中は音であふれています麺類をすする音くらい、気にせず、自分食事を楽しみませんか?

2018-09-30

北海道自殺したバイカーに憧れる

かっこいいバイクに乗って、旅に出て、旅行記に反応してくれる人がたくさんいた若者自殺した。美味しいものを食べ、自然に触れ、文化に触れ、北海道を味わい、入水した。

いい感じの旅をして、家に帰らなかったのだ。

なんてドラマチックな話だろう。ノッキン・オン・ヘブンズ・ドアだ。なんとなく、憧れる。

憧れる自殺とそうではない自殺があると思う。榎本喜八みたいに病んで死ぬのは嫌だけど、どことなく晴れやかな自殺には憧れる。雲間から少しだけ日が差し込む絵のような自殺

不謹慎な言い方だけど、今回の一件は他人を惹きつける死だったと思う。楽しんだあとで死ぬ華厳の滝飛び込み、多くのフォロワーに自らの足跡を踏ませた若き詩人とは一味違う。自殺のものが魅力的なのだ

放置された彼のバイクエンジンがかかりっぱなしだったという。なぜだろう?理由を考えれば考えるほど味が出てくる。伊丹十三の謎の死みたいな脂っこい味じゃなく、単純に美味しい。

こういう自殺ははっきり言って迷惑だ。俺みたいに魅力を感じる人は少なくないと思う。別に自殺したいわけじゃない。ただ魅力的で、「いいなあ」と思ってしまう。

弱りきった桂歌丸は、見舞いにやってきた山田くんに力を振り絞って「山田くんありがとう!」と言った。こういう死も良い。魅力的な死に方にはとても憧れる。死ぬには良い日だ、と思いたいものだ。

2018-08-24

anond:20180824182638

伊丹十三マルサの女でも見たら?

うちの若いもんはね、ちょっと血の気がおおくてね

私はドルアァァ、と怒る人ですよ、と丁寧に自己表現されてますけどね

脅しじゃないんですよ

自己表現なんですけどね

結局脅しですよ

2018-08-08

マルサの女を見た

津川雅彦が亡くなったということなので、ひさびさに見てみた

あの昭和世界って本質的には今も変わってないね

現代版で伊丹十三的的な感じの映画ってないかなー

2017-10-16

anond:20171016021819

1は「ヤクザの手口全部見せます」って感じが面白かった。死んじまった伊丹十三映画みたいで。

キタノブルーも1が最高。ヤクザカーのヌメッとしたハイライトがたまら

バイオレンスコント集を繋げたみたいな作りが成功してたと思う。見てて飽きない

2以降はクソ

登場人物がほぼ全員死んじゃってるし(たけしだけ無理やり復活)

特に椎名桔平がいないのが痛い

コント方式を止めて、立派な映画にしようとしてるけど、タケちゃんはそっち方面の才能無いからねえ・・・

2017-10-11

マチアソビにて片渕監督講演会覚え書き

キャラクターに宿る存在感

この世界の片隅に」が目指したこ

片渕須直監督

藤津亮太アニメ評論家

いつもだと自分パソコン開くんですが。今日は藤津さんのパソコンで。

コメンタリー上映会2回目。まだ喋る内容がある。というかしゃべる時間が足りない。映画ポーズで止めたかった。

キャラクター作りについて。すずさんがそこにいるということを目標ひとつとしていた。これはマイマイ新子の頃から

絵空事では無く。肉付け。外側の世界を充実させることで、結果的パーソナリティを描けるのではないか

世界構成要素を本物で描く。我々の作るアニメーションファンタジーとなるのだが、日常空間から逸脱することでファンタジーを描くのだが、実際の世界を描くことでファンタジーリアリティが与えられる。

名犬ラッシーからラッシーイギリス舞台エリザベステイラー時代アメリカホームドラマの影響で作ろうとしてた。ロケハンにも行けなかったので、行ったことの無いヨークシャの炭鉱想像と調べたことの組み合わせで作っていった。

町に住んでいる人達準レギュラーにすることで、街自体を描く。そうやってストーリーにしていった。炭鉱の浮沈や犬を手放すことになったサブシーンを描いていく。考えながら走りながら作っていった。

町を本物らしく見せる鍵は町自体歴史があるという背景。町の川側から町を描くシーン。その世界を裏側から描写する。立体的に書き割りでは無い町。

アリーテ姫リアリティのあるファンタジー。国がどうやって運営されているかとかが描きこまれていた。城下職人暮らしを描くことで、アリーテの気持ち世界を描いた。

人の生活を示すことで、キャラクター存在感が出てくる。

大学入った頃に観た、高畑勲さんの作品の影響もある。ハイジの話し。ドイツの町に住むことになって、ハイジクララピクニックに行くが、楽しんでいたクララが突然限界がきて辛そうになる。二面性。リアル世界

当時はすごいめんとくさいなと思った。学生の頃はみえてない。世界みえてなかった。

人間を描くのはめんどくさいなと思った。名探偵ホームズはやりやすかった。宮崎駿さんが、人間の深みとか書くつもりの無い人だったから。

魔女の宅急便の時にそのあたりに踏み込んだ。普通の人がどう生きてるか。成長していくか。心の構造精神発達心理学など。伊丹十三さんとか岸田秀さんの唯幻論。人はどうできているか

1人の人の中には複数個性バランス。その場に応じて表面に出てくる割合が変わっていく。

アリーテ姫原作は単純なキャラ。悪役の魔法使いボックス原作主人公クレバーでは無いが、ボックスの悪役を掘り下げたことで、アリーテ姫は機転がきいた子になる。

自分を偽って生きているのが、自分たちの正体ではないか?虚飾の魔法使い。本当の人生を生きていない人の描きこみがアリーテ姫から始まった。

ブラックラグーンの作り込み。原作が途中から追いつかなかったので、ストーリーを聞いて描いていった。

この世界の片隅にの径子の台詞。径子は自分自分の道を選んだから。すずとりんはそうじゃない。ブラックラグーンOVA。周りのキャラにも、そうじゃない人生があったというエンディング悪漢たちの別の顔。

自分が選んだ道を歩いていけてる訳ではない。だからこそ、そういうありたかった人生に触れることでその人間を描く。

原作を超えたところを描きこんだブラックラグーン。立体的な背景。タイのような舞台タイ基本的外国支配を受けていないが、南の一部はインドネシア領フランス占領されたりしていた。

アリーテ姫自分人生を歩き始めたところから始まる。

そうじゃないところから始まったのが、ブラックラグーン

最初丸山さんは監督無しで3話ごとに交代でやる予定だった。さすがにそれはまずいだろうと基本設定決めるところをやってたら、丸山さんが監督を全く考えてなかったので気が付いたら監督していた。

ブラックラグーンはこれまでの片渕監督作品イメージと違うので、ペンネームでやるかという話しがあった。マイマイ新子と同時期。

うまくいかなかった人生を書いたブラックラグーンマイマイ新子の周りの大人たちは上手くいってない。原作には1000年前の設定は無かった。国府の話しは出た。

でも、1000年前の話しが出たら、そこをふくらませてそこに見えない世界を描くのがファンタジーであり、そこを描き込むのが本能みたいなもの

1000年前のことをきちんと調べることでファンタジーの描きこみができる。実際の280回くらいの発掘調査報告書を読んで、その中の図を集めて今の地図に重ねる。でも全然足りない。国衙調査でも足りない。でも道路などがわかる。1000年前と今の間にもいろんな世界がある。

1000年前の世界1000年前の話し。1000年前が真ん中。

ブラックラグーンタイ取材にいこうとしてたら、洪水でいけなかった。ベトナム香港などは行った。

マイマイ新子は3回くらいしか現地に行ってない。終わった後の探検隊10回。そちらの方が多い。

発掘調査報告書がメイン。古本屋から写真など。干拓地のきーこ。カネボウ工場社宅。そのカネボウ最後工場長から写真などをもらえた。

事前の知識を持ってロケハンに行かないと見てもわからない。塀のイメージなど発掘している現地でイメージが湧くためには知識が無いと出来ない。

事前に知っているからこそ、現地で発掘している人と話しがきちんと理解し合える。情報をもらえる。今でもあって昨日も泊まらせてもらった。

ハイジクララ矛盾マイマイ新子では子供たちは純粋だけど、周りは思ったように生きられてない。

マイマイ新子金魚が戻ってきたのが最後原作者体験らしい。死んだはずの金魚がまた出てくるという思いが子供世界。おじいちゃんの死の原作での書き込みを外して。

原作者は男女の性愛を描く人。それを入れなかった代わりに死の表現がにじみ出ている。死を描くための映画にしたくなかった。

普通に歳をとって死んだおじいちゃんの話しは重くしたくなかった。で、ヤクザの話しを膨らませた。

この世界の片隅にのすずさんは大人少女から大人への端境期という面が原作より強いと原作者から言われた。すずさんは18歳で自分意思とは関係無く嫁にいかされる。

すずさんは自分空っぽだと思っていたが、実は中にはたくさんあった。

マイマイ新子のきーこ。新子に対して現実的な子。自分には無い想像力を持った新子をうらやましいと思っている。きーこと新子は2人とも主人公

すずは自分の内側にあるものから変化する。空っぽな人はいないが、それを表に出せないタイプのすず。アニメーションやってる人も普通の人。

日本アニメドキュメンタリー性を持って進化してきたと思う。記録性。

年齢層が上がってきた。巨人の星読売巨人軍や二軍。実際にある世界を描くようになってきた。オバケのQ太郎とは違う。観る年齢層があがる。

長くつしたのピッピルパン企画書を見つけた。タバコや銃のブランド定義ピストルで済ませるのでは無くワルサーP38ルパン三世カリオストロでは赤いきつねコカコーラを描いてる。

日本アニメにそういうリアルを描く流れができた。母を訪ねて三千里は、周りの人間リアリティが入ってきて、中学生くらいがみられる作品

手塚治虫さんの漫画の描き方の本。アシスタントに車を描けといったらできなかった。手塚治虫さんの言う車は抽象的な車だったが、今は実際の車。

この世界の片隅にでは実名のある描きこみ。実現できなかったすずさん。抽象的な戦時中ではなく、現実カケラを組み合わせた。

出来るだけ背景を捉える。人物サイズを大きくしがちだが、もっと背景を描く。背景にあるもの存在感

効果音BGMについて。この世界の片隅にでは、出来るだけ実写の音響でということをお願いした。アニメ表現より実写の表現BGM無しでも良いかとも思ったが、BGM心理描写ができた。

2017-10-09

■マチアソビにて片渕監督講演会覚え書き



キャラクターに宿る存在感

この世界の片隅に」が目指したこ

片渕須直監督

藤津亮太アニメ評論家

いつもだと自分パソコン開くんですが。今日は藤津さんのパソコンで。

コメンタリー上映会2回目。まだ喋る内容がある。というかしゃべる時間が足りない。映画ポーズで止めたかった。

キャラクター作りについて。すずさんがそこにいるということを目標ひとつとしていた。これはマイマイ新子の頃から

絵空事では無く。肉付け。外側の世界を充実させることで、結果的パーソナリティを描けるのではないか

世界構成要素を本物で描く。我々の作るアニメーションファンタジーとなるのだが、日常空間から逸脱することでファンタジーを描くのだが、実際の世界を描くことでファンタジーリアリティが与えられる。

名犬ラッシーからラッシーイギリス舞台エリザベステイラー時代アメリカホームドラマの影響で作ろうとしてた。ロケハンにも行けなかったので、行ったことの無いヨークシャの炭鉱想像と調べたことの組み合わせで作っていった。

町に住んでいる人達準レギュラーにすることで、街自体を描く。そうやってストーリーにしていった。炭鉱の浮沈や犬を手放すことになったサブシーンを描いていく。考えながら走りながら作っていった。

町を本物らしく見せる鍵は町自体歴史があるという背景。町の川側から町を描くシーン。その世界を裏側から描写する。立体的に書き割りでは無い町。

アリーテ姫リアリティのあるファンタジー。国がどうやって運営されているかとかが描きこまれていた。城下職人暮らしを描くことで、アリーテの気持ち世界を描いた。

人の生活を示すことで、キャラクター存在感が出てくる。

大学入った頃に観た、高畑勲さんの作品の影響もある。ハイジの話し。ドイツの町に住むことになって、ハイジクララピクニックに行くが、楽しんでいたクララが突然限界がきて辛そうになる。二面性。リアル世界

当時はすごいめんとくさいなと思った。学生の頃はみえてない。世界みえてなかった。

人間を描くのはめんどくさいなと思った。名探偵ホームズはやりやすかった。宮崎駿さんが、人間の深みとか書くつもりの無い人だったから。

魔女の宅急便の時にそのあたりに踏み込んだ。普通の人がどう生きてるか。成長していくか。心の構造精神発達心理学など。伊丹十三さんとか岸田秀さんの唯幻論。人はどうできているか

1人の人の中には複数個性バランス。その場に応じて表面に出てくる割合が変わっていく。

アリーテ姫原作は単純なキャラ。悪役の魔法使いボックス原作主人公クレバーでは無いが、ボックスの悪役を掘り下げたことで、アリーテ姫は機転がきいた子になる。

自分を偽って生きているのが、自分たちの正体ではないか?虚飾の魔法使い。本当の人生を生きていない人の描きこみがアリーテ姫から始まった。

ブラックラグーンの作り込み。原作が途中から追いつかなかったので、ストーリーを聞いて描いていった。

この世界の片隅にの径子の台詞。径子は自分自分の道を選んだから。すずとりんはそうじゃない。ブラックラグーンOVA。周りのキャラにも、そうじゃない人生があったというエンディング悪漢たちの別の顔。

自分が選んだ道を歩いていけてる訳ではない。だからこそ、そういうありたかった人生に触れることでその人間を描く。

原作を超えたところを描きこんだブラックラグーン。立体的な背景。タイのような舞台タイ基本的外国支配を受けていないが、南の一部はインドネシア領フランス占領されたりしていた。

アリーテ姫自分人生を歩き始めたところから始まる。

そうじゃないところから始まったのが、ブラックラグーン

最初丸山さんは監督無しで3話ごとに交代でやる予定だった。さすがにそれはまずいだろうと基本設定決めるところをやってたら、丸山さんが監督を全く考えてなかったので気が付いたら監督していた。

ブラックラグーンはこれまでの片渕監督作品イメージと違うので、ペンネームでやるかという話しがあった。マイマイ新子と同時期。

うまくいかなかった人生を書いたブラックラグーンマイマイ新子の周りの大人たちは上手くいってない。原作には1000年前の設定は無かった。国府の話しは出た。

でも、1000年前の話しが出たら、そこをふくらませてそこに見えない世界を描くのがファンタジーであり、そこを描き込むのが本能みたいなもの

1000年前のことをきちんと調べることでファンタジーの描きこみができる。実際の280回くらいの発掘調査報告書を読んで、その中の図を集めて今の地図に重ねる。でも全然足りない。国衙調査でも足りない。でも道路などがわかる。1000年前と今の間にもいろんな世界がある。

1000年前の世界1000年前の話し。1000年前が真ん中。

ブラックラグーンタイ取材にいこうとしてたら、洪水でいけなかった。ベトナム香港などは行った。

マイマイ新子は3回くらいしか現地に行ってない。終わった後の探検隊10回。そちらの方が多い。

発掘調査報告書がメイン。古本屋から写真など。干拓地のきーこ。カネボウ工場社宅。そのカネボウ最後工場長から写真などをもらえた。

事前の知識を持ってロケハンに行かないと見てもわからない。塀のイメージなど発掘している現地でイメージが湧くためには知識が無いと出来ない。

事前に知っているからこそ、現地で発掘している人と話しがきちんと理解し合える。情報をもらえる。今でもあって昨日も泊まらせてもらった。

ハイジクララ矛盾マイマイ新子では子供たちは純粋だけど、周りは思ったように生きられてない。

マイマイ新子金魚が戻ってきたのが最後原作者体験らしい。死んだはずの金魚がまた出てくるという思いが子供世界。おじいちゃんの死の原作での書き込みを外して。

原作者は男女の性愛を描く人。それを入れなかった代わりに死の表現がにじみ出ている。死を描くための映画にしたくなかった。

普通に歳をとって死んだおじいちゃんの話しは重くしたくなかった。で、ヤクザの話しを膨らませた。

この世界の片隅にのすずさんは大人少女から大人への端境期という面が原作より強いと原作者から言われた。すずさんは18歳で自分意思とは関係無く嫁にいかされる。

すずさんは自分空っぽだと思っていたが、実は中にはたくさんあった。

マイマイ新子のきーこ。新子に対して現実的な子。自分には無い想像力を持った新子をうらやましいと思っている。きーこと新子は2人とも主人公

すずは自分の内側にあるものから変化する。空っぽな人はいないが、それを表に出せないタイプのすず。アニメーションやってる人も普通の人。

日本アニメドキュメンタリー性を持って進化してきたと思う。記録性。

年齢層が上がってきた。巨人の星読売巨人軍や二軍。実際にある世界を描くようになってきた。オバケのQ太郎とは違う。観る年齢層があがる。

長くつしたのピッピルパン企画書を見つけた。タバコや銃のブランド定義ピストルで済ませるのでは無くワルサーP38ルパン三世カリオストロでは赤いきつねコカコーラを描いてる。

日本アニメにそういうリアルを描く流れができた。母を訪ねて三千里は、周りの人間リアリティが入ってきて、中学生くらいがみられる作品

手塚治虫さんの漫画の描き方の本。アシスタントに車を描けといったらできなかった。手塚治虫さんの言う車は抽象的な車だったが、今は実際の車。

この世界の片隅にでは実名のある描きこみ。実現できなかったすずさん。抽象的な戦時中ではなく、現実カケラを組み合わせた。

出来るだけ背景を捉える。人物サイズを大きくしがちだが、もっと背景を描く。背景にあるもの存在感

効果音BGMについて。この世界の片隅にでは、出来るだけ実写の音響でということをお願いした。アニメ表現より実写の表現BGM無しでも良いかとも思ったが、BGM心理描写ができた。

2017-01-27

ジブリもいいけど伊丹十三を流してくれよ

なんでマルサの女とかタンポポとか放送しないの?

日本映画産業を衰退させてんのは誰なんだ。裾野が広がらないと、テッペンも上がらないっていうのに。

なにが日本の文化だ、クソが。どうせ、能が出てきた頃も、こんな感じで大衆迎合して失われた精神性があったんだろうし、その積み重ねが「日本人精神年齢は低い」ことに繋がっていくんだと思うよ。

音楽チャートは死んだし、映像アニメばかりになってしまったし、テレビ局タレントと一緒に企画を作らないし、先人の残滓のみでなんとか食いつないでるくせに一丁前のツラしやがって。

お前ら全員加水分解しろ

2016-09-02

昔はよく地上波伊丹十三映画放送してたよなあ

いまは全く放送しないのはなんでだろ

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