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はてなキーワード: 伊丹十三とは

2024-04-05

anond:20240405112539

寿司屋の腕前は玉子で解る

伊丹十三「…ねえ板さんそういう客を寿司屋は怖がるってホント?」

板前「へっ、ぜんぜん怖かねぇでさぁ。そんなのよりね、扉を開けてネタのとこひと睨みして、そのまんま黙って閉めて帰ってくのがいちばん怖いスねぇ」

だって

2024-03-03

anond:20240302171109

田舎者、都会人の定義を書いていたのが伊丹十三景山民夫だったと思うが

都会で生まれ育つと他人との接触機会が多く所作言動自然と研ぎ澄まされていく

これを成していないのが田舎者である、というような内容だったと記憶している

俺はそのように解釈した。

 

例えば田舎者電車ドア前で仁王立ちする、都会でやれば押しのけられて不愉快な目にあう

何度も経験して頭を使えば自然他人迷惑にならない所作が身につく

ガラガラ田舎ではこのマナーは身につかない。

4月になると上京したての田舎者がドア前で仁王立ちしているので突き飛ばしてあげる都会の洗礼

 

ところが、東京さら限界を超えた過密都市になった

思いやり精神公共マナーで車内奥に入ると目的駅で降りられない

「そんな奥に居るのが悪い」

ドア近くを死守するのが都会の合理的所作になっている

 

他人とのトラブル軋轢を避けるリスクヘッジけが研ぎ澄まされる

ルールに雁字搦め

 

しかし乗り降りする人の邪魔だろうがドア前を確保するのは僕の権利です、禁止する法律は無い。

このような屁理屈なのだろう。

 

これを正当化するために、都会のルールうそぶく

 

一方でアレもダメこれもダメ、車内の会話はそれを不愉快と感じる人が一人でもいるだろうからダメ

 

不合理で面倒くさい進化だなぁw

ご苦労さま

2024-02-14

はてな民はだいたい細野さんを信用しているよね

そこからブライイーノは近いし

教授も近い

ついでに加藤和彦も近い

伊丹十三も同じようなセンス

2024-02-03

anond:20240202190728

( ^ω^ )

https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9F%E3%83%B3%E3%83%9C%E3%83%BC%E3%81%AE%E5%A5%B3

(´;ω;`)

https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E4%BC%8A%E4%B8%B9%E5%8D%81%E4%B8%89

突然の死

編集

1997年12月20日伊丹プロダクションのある東京都港区麻布台3丁目のマンション南側下の駐車場で、飛び降りたとみられる遺体となって発見された。葬儀は故人の遺志により執り行われなかった。当初からその経緯について様々な説が飛び交った。

かつて『ミンボーの女』公開後に襲撃事件があったこから、当初から暴力団の関与を疑う声はあった。ただ、事務所ワープロ印字の遺書らしきものが残されていて、そこに「身をもって潔白を証明します。なんにもなかったというのはこれ以外の方法では立証できないのです。」との文言があったこから写真週刊誌フラッシュ』によりSMクラブ通いや不倫疑惑が取り沙汰されたことに対する抗議の投身自殺か、とも推測されるようになった[19]。だが、伊丹レタリングデザイナーとして日本有数と自負する存在であり、書き文字には人一倍愛着とこだわりを持っていたこから遺書手書きでなくワープロで打たれていた点が不自然とされた。また死の直前に『FLASH』の記者から不倫疑惑について問われた際、伊丹は笑いながら「妻に聞いてみればいいよ」「(不倫疑惑は)いつものことだから」と軽口で答え、その様子が『FLASH』誌面に掲載されている。また死の5日前まで医療廃棄物問題取材も続けていた[20]。「飛び降り自殺」はまさにその直後のことであり(インタビュー、『FLASH』発売直後)、自殺直前の様子との不自然から、その「自殺」には強い疑惑が持たれ続けている。

ジェイク・エーデルスタインの著書によれば、伊丹は当時後藤組創価学会関係を題材にした映画企画を進めており、後藤組組長の後藤忠政がそれを快く思わず後藤配下の5人が伊丹の体をつかんで銃を突きつけ屋上から飛び降りさせたと、自身取材した人物が語ったという[21][22]。また大島渚立川談志など古くから伊丹十三を知る人物も、警察が死因を「自殺」と断定した後も「不倫報道ぐらいのことで、あいつは自殺しない」「飛び降り自殺絶対に選ばない」と話し自殺否定した[23]。

伊丹映画に出演経験のある伊集院光は、1997年9月22日に行われた伊丹監督作品10作品目「マルタイの女記者発表兼記念パーティーの席上で「OLがたくさん出るような映画を撮りたいから、また出てくれる?」と言われたという。 俳優中尾彬キャリアウーマン物「キャリアの女」の企画を聞いていた[24]。また「すでに5~6本の新作の台本が出来上がっていた」とも言われている。

最後バラエティー番組出演は、1997年9月29日放送の『SMAP×SMAP』での妻の宮本信子との共演となった。

宮本信子は、2002年12月20日の「感謝の会」における挨拶で「本人が決めたことですから仕方がないですけれども」[25]と語っており、伊丹の死後、プロデューサーの玉置泰に伊丹遺書が渡されている[26]。

2005年1月インターネット掲示板上で、伊丹の死が創価学会によるものという風評掲載された。創価学会事実無根として掲示板管理者に対し訴訟を起こす。2009年2月東京地裁原告創価学会の主張を認め、被告に80万円の損害賠償を命じた[27]。」

2023-12-19

anond:20231219162040

伊丹十三スーパーの女』にそんなネタあったなー、改革してマトモになったらパート従業員パートあがりに惣菜を買って帰るようになったって

2023-10-22

anond:20231021141805

徳田夢声?がだれだったかに「世の中には真の勇気を持った人物が居る」「長距離列車の朝食で食堂車に来た老紳士」「洋食の慣習は知らない」「コーンフレークけが出てきたので苦労して乾いたそれを平らげた」「とおもったらコーンフレークにかけるための牛乳がボウルで出てきた」「黙ってそれをぐいと飲み干した」「悠然と席を立って自分の居た車両に戻っていった」「…世の中には真の勇気を持った人物が居る」て語ったって伊丹十三エッセイにでてきた

2023-08-21

anond:20230821121224

伊丹十三「…ダグウッドだな、ダグウッドの、ダグウッド・サンドイッチだよ」

『女たちよ!』はいつ読んでも面白い名作だとおもうやでキユーピーマヨネーズ

2023-08-17

anond:20180106213553

伊丹十三の「スウィートホーム」もいつか失われそうな気がする。そして後の時代人間に「幻の映画」とか言われるようになるんだよ。

VHSまでしか存在しない(YouTubeで見かけた事あるが、いつ消えてもおかしくない)からな。。。

2023-08-12

■【婚活千葉(東京寄り)30男、パートナーを探しています

anond:20230811163950

婚活増田、僕も乗っかれます。いや、乗せてください。

何番煎じかわかりませんが良い出会いがあればと思ってるのはもちろん、どういうところで突っ込まれるのか気になったので書いてみました。

もし反響があれば追記します。

スペック

30歳/千葉県在住/165.9cm/64-66kg/年収手取り540万(半年スパンじわじわ昇給)/

F欄文系卒(デザイン系、1年2年はデッサン造形、3年4年はAdobe全般web,UIデザインprocessing)

都内IT(インフラ系)に勤務。基本フルリモート、集中できない時は出社。土日休み/駅近に一人暮らし

お酒は好きだけど普段から家で飲むとかではない/タバコ吸ったことない

外見

顔はココリコ田中阿部寛鈴木杏とかって言われたことがある。/中肉中背、よく見ると少し腹が出てる

モード系/ジェンダーレス系の服を着ることがある

相手に求める条件

24-33歳(3年以上社会人経験があると嬉しい)

音楽映画アート好きな人。何かを手を動かして作品とかを作るのが楽しいと感じる人

/千葉東京に住んでる人/子供はほしい/体型はちょい痩せ~ちょっと太っている(つまめるくらいにはお腹が出ている)

もしお付き合いするとなればライスワークはやめてほしい、体をこわしてほしくないので。(健康範囲で働くのが楽しいならぜひ働いてほしい)

ニートしたい場合は(多少家事は手伝ってほしいかも)月15万までなら出します。

NG条件

喫煙者であること。酒癖が悪い、大量に酒を飲む人、ポリアモリーの人

自己紹介

趣味・好きなこと

写真を撮ること(主に町中での女性ポートレート)。カメラより写真が好き。

どうしても被写体女性に使う時間(撮影レタッチ厳選)が発生するのでそれが嫌なら言っていただければ辞めます

↑の場合可能であれば写真を撮れせてくれると嬉しいです。

DJ 小さいDJバーで月一回位の頻度でナイトイベントに出てます。チャラ箱には行きません。ジャンルBASS系なのでEDMハウステクノなどメインストリームではありません。

これもイベント形式上朝帰りとなってしまうため嫌なら言っていただければ辞めます

ガンプラ作り

最近出来てませんがだいたい素組み→スミ入れくらいです。

好きな映画音楽小説アニメ

[映画]園子温(ハラスメント肯定する意図ではなく)、伊丹十三庵野秀明マーベルはクアントマニアまでは追ってた

[音楽]The Prodigy,pendulum,massive attack,boom boom satellites,BUCK-TICK,凛として時雨

[小説]スカイ・クロラシリーズ,吉村萬壱

オタク

声優(堀江由衣)→二次元系(ハルヒクラナド)→ハロヲタちょっとマイナーアイドルオタ→(現在)強いオタク属性は無し

金銭感覚

趣味が多いので散財がちだけど、目的ができれば貯金します。パートナーとは財布別が良いです。

(家に関するお金はそれ用でお互いに出して管理したい)

食の好み

体に悪そうなものはだいたい好き。好き嫌いはあまり無い≒食にあまりこだわりがない

出かけたい頻度

一人だとポートレート撮影ロケハン以外引きこもりがちなのでいろいろ連れていってくれる方だとありがたい。

山でも川でも美術館でも水族館でも歓迎です。

苦手なもの、こと

マッチョイズム/サグいひと、行為

浅く広く以上のこと(座学、暗記、詳細なパラメータ設計等)はすこぶる苦手(MBTIで言うとENFP-T)

理想関係

尊敬しあえるポイントがどこかできればと思います簡単なことじゃないけど

よろしくお願いします。iseetaleあっとgmail.com

2023-06-07

anond:20230607200013

何十年も前に書かれた伊丹十三エッセイ映画撮影で渡英中に知り合った俳優意識高い系拗らせクンで、一緒に入った飲食店で彼の国の同国人給仕を頼むとき

「ボーイー↑」

と語尾上げで嫌味ったらしく呼びつけるのに堪えられず、自分だけは頑なに

waiter、please!」

と丁寧にお願いし続けて、

伊丹と痛飲してベロベロになってから

「…ジュウゾウチャン、ヤツらはアカンのやぁ!」

愚痴ってたという話を想いだした

2023-03-20

ちょっと冷めたカレーが好き みたいなやつ

レトルトカレーを久しぶりに食べたんだけど、しばらく放置してしまってルーご飯も少し冷めてしまっていた。

温め直すのが面倒でそのまま食べたんだが、当然熱くないのですいすい口の中に入る。

そして俺は思い出した、なんかこの感じ知ってる、美味しいとか不味いとかじゃないとこで五感が喜んでいる。

しばらく考えて思い出せた、それは学生時代学食で食べていたカレーのそれだった。

学生時代自分ものすごく忙しくしていた。興味があった分野の専門に進み、学内で見聞きすることはすべて新鮮で刺激的だった。

自由に使える機材の多さに感動して、バイト以外はできるかぎりの時間を使ってそれら機材をフル活用させてもらった。

課題や授業も面白くて夢中になるし、仲間と話すのも楽しくて話し込んでるうちに夜が明けてたなんてこともよくあった。

もちろんお金なんて全然なくて、一番最初に削られるのは食費だった。

学食はどれもすごく安かったので自分はよく使った。中でもカレーはすぐに食べ切れるのでよく食べていた。

少し薄味でちょっとシャバシャバしている、水増ししてそうな具も大して入ってないカレーだが安かった。

それでお腹が膨れるということもないけどとにかくやることが多いので学食に寄ってささっとカレーを食べて終わらせる事が多かった。

たいてい誰かと話しながらとか、一人の時もなにか作業の事考えながらとかなので気がついたらちょっと冷めてしまってることが多かったんだと思う。

それがレトルトの少し冷めたカレー記憶が蘇ったのだ。

記憶に刷り込まれた味というのはなんていうか、「おお、これね!」と細胞がざわざわと騒ぎ出すような感覚がある。

子供の頃よく食べてた味、みたいな懐かしさがこみあげる経験というのは誰にでもあると思うけど、

それともまたちょっと違う感覚がある。

ただ色んなカレーを食べてきて、今日食べた少し冷めたカレーが一番しっくりきたという感覚がある。

そして他のカレーではたぶんダメだと思う。スープカレーとか有名店の美味しいやつとか、そういうちゃんと美味しいカレーちゃんと熱くないと美味しさがかなり損なわれる。

でも家庭用の市販ルーとかレトルトカレーを、少しだけあえて水増ししてさらに少し冷ましたやつ、これはきっと俺の中でしばらく流行りそうだなと思っている。

食べ物でいえば、昔見た家族ゲームっていう映画の中で、一家食事をしてるシーンがあって、

その中で伊丹十三目玉焼きの半熟になった黄身の部分に口をつけてズズズっと吸う場面が強烈に印象に残っている。

俺はこの食べ方が好きなんだよとかなんとか言ってたかもしれない。

お家のお父さんがこれをやってたら家族の反感を買いそうだなと思うけど自分もやってみたくなった。

それは実際にやってみると思ってたほど美味しくは感じなくて真似しようとは思わなかったけど、

なんか前置きが長々となってしまったけど、そういったただただ個人的な食の傾向とか好みみたいな話が大好きなんです。

長嶋茂雄が、切ったスイカのほんとに真ん中のとこだけシャクっとかじり、そうやって全部のスイカの真ん中のとこだけかじられたスイカが残されるという話も印象深い。

みなさんはそういったちょっと人前ではやらない系の好きな食べ方とかあります

2023-01-19

アニメ的な描写の少ないアニメって無いのかな?

FIRST SLAM DUNKを先月観てきた。


こういうファンタジー要素が一切無いアニメ作品って他に無いのだろうか?

正直、アニメ特有デフォルメされた描写とか全く要らない。

俳優モーションキャプチャー付けてビジュアルだけ3Dアニメーションのドラマ作品があれば良いのになって思う。

朝ドラとか大河ドラマ3Dアニメでやっちゃえば良いんだよ。


個人的にはあぶない刑事とか、伊丹十三作品とかを3Dアニメーションやってくれたら良いなあ。

2023-01-18

海外でもドラマ弁なのか?

ドラマ映画台詞言い回しって独特じゃない。

滑舌よく聞き取りやすくするような言い方。

当然だが台本を丁寧になぞるような言い方。

子役だと更にわかやすい。

方言もやたら誇張気味で、イントネーション微妙おかしいし、今どき老人でもしないような古い言い回しをする。

そう、普段生活でこんな喋り方する奴いない。

ドラマ弁とでもいうべき独特の方言世界になっている。

これって日本だけなのかなあ?

何気に観ている海外映画英語韓国語中国語もやっぱりドラマ弁なんだろうか?

ちなみに日本映画では伊丹十三作品意図的ドラマ弁を廃しているのか普段の喋り方を意識しているようだった。

初めて映画お葬式観た時は宮本信子普通のおばさんの面があるんだなってやたら親近感が沸いた。

2022-11-04

山崎貴だと「リターナー」はよかった

日本でもマトリックスやるぞやるぞ!って気概が伝わってきてよかった

シナリオはいつも通りウンコオブおウンコだったけど

 

ちなみに自身監督デビューする前は伊丹十三監督作品SFXとして長らく参加していて

そっち方面に関しては業界でもかなり評判が高かったことが伺える

2022-06-15

日教組被害を受けた僕ら」の歴史的経緯

これとかもそうだが未だに日教組による教育被害が云々という言説がまだ見られるんだが。

https://b.hatena.ne.jp/entry/s/twitter.com/sivaprod/status/1536206227939950592

 

この際ちょっとその言説の経緯をまとめておくよ。

この言説のキーマン小林よしのりなんだがそこに至るまでを説明しないといけない。

 

日教組批判が激しくなったのは1980年代後半から

日教組昭和22年に結成されて昭和30年代には組織率8割以上を誇って…というのはWikiとかで勉強してくれ。

右翼による日教組批判特に熾烈を極めるようになったのは1980年代の後半からなのである

街宣車大音量日教組日教組!と怒鳴っているので一般の人の日教組知名度はこの辺りで上がった。そもそもノンポリの人は学校先生組合なんて知らんもんである。但し右翼一般受けは悪かったので日教組評価は下がらなかった。

また日教組集会を開くと周囲に街宣車が多数集結して大音量軍歌を流し音圧を競うようになった。

すると近所の会社仕事が全くできない。電話どころか窓を閉めても耳を塞がないといけないような状態だ。

でも日教組知名度が低く、どこで集会をやってるかも判らないので右翼の評判が下がるだけだった。

 

こういう極端な抗議行動が流行した背景には当時の政治的社会的状況があった。

その一つは「デタント」で、もう一つは「任侠右翼の増加」である

ソ連敵性喪失

右翼が何と戦っていたかというと、その最大の敵はソ連だった。これは街宣右翼だけじゃなくて神道系の右翼統一教会も皆同じだ。

だが1985年ゴルバチョフ書記長就任するとどうにもならないほど疲弊したソ連改革政策ペレストロイカ推し進める。最初は大した変化はなかったが、チェルノブイリ原発事故以後は情報公開も進め、世界を巻き込みながら怒涛のように変化していく。

それによって西側ではゴルバチョフ歓迎ムードが高まり、要するに憎むべき敵性国家で無くなっていったのである

更にソ連共産党活動を停止し、遂にはソ連が無くなってしまった。

これは右翼陣営勝利のはずだが、困ったのは攻撃する敵を喪失してしまった事で、自分らのアイデンティティの根幹の喪失でもあった。鈴木邦男ソ連崩壊時に「これは僕らの問題だ」と語っている。アイデンティティ喪失に苦しむのか、敵の乗り換えをしてアイデンティティを保持するかという含みがある。結局鈴木は敵の乗り換えには乗らなかった。

 

また、街宣車での街宣はやりすぎて体制側に対策が出来てしまった。

まず憲法違反の疑いもある静穏保持法が施行されてしまったので外国公館などの特定箇所で大音量を出すと逮捕される。

またソ連大使館前の道路街宣車が近づくと全交通遮断される。言っておくがソ連大使館前の道は外苑東通りという都バスも走る幹線道路である。当時は街宣車のせいで道路遮断されたりそれで周囲が交通マヒしたり運行経路が決まっているバス20分以上立往生なんて事はザラだった。

 

こんな風に最大の敵であるソ連がやたら腰が低く物分かりが良くなった上にソ連大使館に街宣掛ける事も出来ない。

だとしたら残存敵性勢力である日教組に向かうしかない。

という事でこの時期に日教組悪質性が増加したのではなく、ソ連の変化とデタントの為に日教組批判が熾烈となったのである

 

任侠右翼参入増による右翼街宣車の大増加

まずそもそも右翼だが、元はヤクザとの明確な区切りは無かった。これは土建屋、鳶や水商売テキ屋も同じだった。

区切りを引いたのは警察である

戦後右翼は、例えば児玉誉士夫など体制癒着しそれは米国従順という事でもあった。

1960年代末に左翼学生運動が盛んになるとこれに対する体育会右翼学生組織されていった。新右翼と呼ばれる。

新右翼の特徴は反ソ反共ながらも反体制反米である事だった。これは当時の世相や全共闘運動に影響を受けている。

ここを境に右翼系の政治結社誕生して行く。そしてそれらは「街宣車軍歌を流し辻説法をする」というスタイル確立していく。

この街宣車は最初旧軍自衛隊国防色(カーキと灰色バトルシップグレイ)だったのが後述の事情威圧感の強い黒塗りになっていく。

よく「街宣右翼」とネットの一部で言われるが、1980年から右翼政治結社街宣車スタイルをみな踏襲しており、それ以外はないような状態だった。ヤクザっぽいがはじめの方の新右翼にはヤクザとの殊更の関係はない。

因みに日本会議中央の人士らはこういう街宣ではなく、就職しないで大学に残り学生運動を続けた人たちである

 

80年代になると校内暴力学校が荒れ、ツッパリ型不良が大増殖して暴走族も大増殖した。また暴走族右翼感染が進んだ。特攻服旭日旗暴走族の印となったのもこの頃だ。不良or大人への反抗=右翼ファッションだったのである

更に暴走族ヤクザ構成員リクルートの場になる。

こうして右翼≒不良≒ヤクザが緊密化したところで任侠右翼の街宣参入が増えたのだが、もっと大きい商機的な問題があった。

 

思想右翼の主な資金源というのは機関紙販売である。これは志を同じくする人からの購買もある。

が、もう一つのパターン不正思想的に看過できない行いをした法人へ抗議街宣をして、その手打ちとして機関紙の購買を取り付けるという方法がある。

ヤクザが参入する主目的後者の方で、民事介入暴力の支払い手段として機関紙購買を取り付ける為に政治結社を立ち上げるのである民事介入暴力というのは殴ったり蹴ったりじゃなくて、企業商業活動暴力団が威圧をもって参入する事だ。

企業恐喝街宣車を利用するのだ。国防色より威圧感がより強い黒塗りが主流になっていったのはこの為だ。

暴力手段行使されないようにみかじめ料として機関紙を購読する会社も多く、大変な出費になっていた。

 

因みに総会屋も同じことを70年代にやっており、機関紙/誌の執筆者編集者需要が高まり学生運動就職が困難になった学生運動家が多数その仕事に就いた。総会屋の多くは内容には口を出さなかったので社会不正糾弾する記事を書きまくり総合誌ブームが起きたが、80年代初頭の商法改正総会屋が潰されると大方廃刊

だが技能を身に付けた者は大手メディアフリーランスとして雇用された。リベラル/左翼ライターには総会屋の手先出身結構居たのである

 

こういう訳で街宣右翼業界は膨れ上がり、日教組集会8月9日反ソデーには黒塗りのハイデッキバスが大挙して集合し爆音軍歌を流すようになった。それまでのライトバンやタウンエーススピーカーつけてる貧乏右翼とは大違いだ。

ハイデッキ観光バスというのは6000万円以上する。それの座席を取っ払ってラウンジ型にしてシャンデリアやカラオケ自動車電話冷蔵庫バーカウンターをつけて車検を通したら1億を超える。それに自民党共産党のようなプロの街宣用スピーカーアンプを搭載して、北方領土の日にはフェリー陸路釧路とかの空港回送しておくのだ。組員は飛行機で向かってバスに乗り納沙布岬に向かって「露助この野郎」とかやって帰るんである

しか一社あたり3台とか6台とか持ってるのだ。沢山来すぎて根室渋滞になるほどだ。当時の任侠右翼の羽振りの良さが判るだろう。

 

ハリウッド映画でもジャパニーズヤクザ描写されていた頃で、特に企業活動への威圧的介入は警察問題視されていた。

そこで暴対法施行される事になる。これは大抵の暴力団を社会的に殺す大変大きな力がある法律だった。

伊丹十三ミンボーの女には暴力団が右翼街宣車企業恐喝に来るシーンがある。この映画暴対法施行直後に公開されたので同法施行で先を案じているヤクザを大いに怒らせる事になって伊丹ヤクザに襲撃されて重傷を負ってしまった。

余談だが、この時伊丹を襲撃した組は後にJR東本社前の土地を巡って殺人事件を起こした。JR東本社道路に面しておらず、また同社は本社付近建物を次々に押えているのだが、購入すれば都道と面して建築基準が大幅緩和されるその土地に手を付けなかった。それほどヤバい土地だったのだな。

 

ちょっと長くなったが、「えせ右翼在日朝鮮人右翼の評判を下げる為になりすましてる」とか噴飯物の事をいう人が多く居る界隈なので一応説明した。

えせ右翼とは一般には上記のように民事介入目的ヤクザ運営して構成員も被る政治結社の事だ。もっと硬い警察用語では「右翼標榜暴力団」という。

 

90年代右翼不遇の時代 

こうして

1.バブル的に増加した任侠右翼暴対法により急速縮小

2.ソ連消滅により敵を喪失

となってソ連勝利したはずなのに右翼/保守業界というのは停滞してシュリンクしてしまう事になる。

そして当業界では超直的なそれに代わって冷戦後政治リアリズムを中心に多様性がある論説が流行するようになった。産経新聞コラム「斜断機」が柔軟で面白くて単行本化されてしまうような時代だ。因みに吉本隆明の門下生が多く書いていた。

そんな中で反共反ソイデオロギー一本の人らには居場所が無い。ソ連無き後に残った残存敵性勢力日教組をひたすら叩きながら閉じた業界で腐っていたのである

当時は欧州もみな社民政権リベラル人気で冷戦後世界情勢にも楽観的だった時代だった。 

 

 

 

続き→https://anond.hatelabo.jp/20220615180755

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