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2024-08-06

フェミもしくは矯風会的な宗教保守女性性嫌悪について

そのうち絵の女がリクルートスーツ着て足組んでるだけで破廉恥って言いだしそうな界隈の話。

凄く迷惑だなあという気持ちはありつつも、きわめてあわれであるなあという気持ちもある。

本人たちは実在する神の使徒、神の名のもとに世界を正す戦士と思っていそうだが、その神は既にうつろな抜け殻であり、戦士自身が打ち砕くべき敵だとしか私には思えないのだ。

貞淑であれ、破廉恥なことをするな、という思想は家父長制からくるイエの財産散逸を防ぐためのルールにすぎない。レヴィ=ストロースの平行いとこと交叉いとこあたりの話をちょいと小耳に挟めばあっそうかそういうことなだってわかるのだが。

土地利権一族に蓄積し、集中させていないとすぐ失われてしまいみんなひどいことになる。だから蓄積集中するルールを作る。散逸する相続が行われないように一族の女というのは厳しくコントロールする。また女というのは財産であり貴重な交換用物品である価値をなるべく高めたい。

それらのために必要なのが貞淑である

家父長制の失われた現代において貞淑というのはどれほどの意味が残っているだろうか。

女は貴重な財産で交換用の通貨であるという価値を高めるための貞淑はまた、女が自分自分を所有するフェミニズムやらウーマンリブやらの思想とは対極にある。

女が一人で社会に投げ出され自分自身での保護しか得られない現代において貞淑に何の意味があろうか。

家父長という死んだ神がもう死んでいることに気づかず熱心に帰依している使徒巫女戦士たち。なんてあわれなんだろう。

天にまします我らの父よ。白馬に乗ったスパダリたちよ。彼女たちを救いだしたまえ。彼女たちの魂にやすらぎがあらんことを。

NISAより金を買えばいいのにと思ったけど

そうか…貧乏人に金はもう買えないんだ

ポケモンカード

東京土地

こうなったのも山本太郎国家CIA騒いで時間無駄にしたからだ

次の選挙維新の会に入れる絶対

クルド人問題じゃなくてクルド人差別問題です!

というのはちょっと違くないか

クルド人問題を声高らかに叫んでいる人はクルド人による不法滞在違法工事を例に挙げているので、彼らが差別されているとか不当な扱いを受けているというのはまた違う話。

ちなみに川口市民だけどクルド人だけじゃなくて中国人も多いし今はベトナム人も多い。

人種とかそういう話じゃなくて日本国籍日本国籍じゃないかの話なだけだろ。

以前クルド人問題のスタンディングを川口駅前(川口で一番平和土地が高い場所)でやっているのには笑ったけど。芝でやれよ。

anond:20240806142258

バブル末期も土地代が上がり過ぎて、庶民が国に「家が買えないので何とかしてくれ」と要望を出した。

それに応じた国が総量規制を出した経緯がある。

利上げ=1990年の不動産の総量規制と同じ

当時は東京を中心に日本中地価が上がり過ぎて、一般国民は家を買えないことが社会問題となっていた。

当時の大蔵省が「土地関連融資抑制」を目的に総量規制実施し、それがバブル崩壊の引き金だった。

先月31日の利上げも、アベノミクスの終了のためにやったものだろう。

しかしそれが第二次リーマンショックを引き起こすとは、この時は誰も知らなかったのだった。

新興住宅地候補土地管理屋が住み着いている地域警察病院が腐敗する

傷害強制わいせつ等の発生リスク比較的高い

例えば埼玉県新座市のように議員当選無効事件も起きる

住みたくない市だがそこに立候補する議員が市外で用意されているのだ

このような罠は常に作られている

2024-08-05

【夏】 アンデッド一覧

ゾンビ

 腐敗した死体活動するもの。肉が残っていることが多い。人間以外のゾンビもいる。

 アンデッドの中でもっと映画化されており人気がある。放送コードなどの兼ね合いで服を着ていることも多い。

 死体活動を再開させる方法はいろいろある。「ゾンビに噛まれたらゾンビになる」というものが多く、その伝染性が恐怖を増幅する。

 ゾンビパウダーというもの実在するとされるが仮死状態にした肉体から意識を奪っただけのものもあり、そうして作られたものは腐敗はしておらずゾンビではないのかもしれない。

スケルトン

 人骨が活動するものゾンビとの違いは肉があるかどうかくらいしかない場合が多い。広い意味ではゾンビ一種なのではないだろうか。

骨女

 骨の形をした女性生前愛した男性を訪れて戯れる。ターゲットにされた男性は骨女を骨だと認識できないようで、

 美しい女性だと思って骸骨と毎晩のように絡み合う姿が他人に目撃されたりする。

キョンシー

 中国まれ活動する死体という点でゾンビと似ている。が、死体が新しいので「死後硬直」のせいで動きがピョンピョンしているのが特徴。

マミ

 ミイラ活動するもの。ただ乾燥した人体の場合と、包帯でぐるぐる巻きの場合がある。包帯を武器にして麻痺攻撃をしてくる。

 「ミイラ男」として表現されがちだが初期のマミーは女性が多くラブロマンス対象でもあったようで、ホラーでの登場が定番化した後も恋愛対象マミーがたまに現れるそう。

 ミイラといえば豪華な副葬品のイメージがあるが、倒した時の所持金額はそうでもないことが多い。それもそのはず、古代エジプトでは王族貴族に限らずあらゆる人や動物ミイラにされていたそうだ。

ワイト

 これといってイメージが定まっていないがアンデッドとされることが多い。

 語源をたどれば「人間」とか「あらゆる生物」など広い意味を持つ言葉だが、中世以降「超自然的なもの」という意味を持つようになったようだ。

 ゾンビのように、「ワイトに殺されたらワイトになる」とされることも多い。

レヴナント

 語源は「戻ってくる」とか「帰ってくる」といった意味を持つ。多くは蘇った死体や骨の姿。「アンデッド」の総称のように使われることもある。

 倒すためには「首を切り落とす」、「聖水をかける」など作法が定められていることもある。正しく行わなければ再び「戻ってくる」のだろうか。

ドラウグ

 ルーツ北欧のようだ。「顔色が悪く、無力で、頭の回転が遅く、足を引きずって歩く人」のようなもの語源らしいが、

 アンデッドとしてはむしろ超人的な力を持つ凶悪存在とされることが多い。死んだら本気出すタイプ

 レヴナントと同じくアンデッド総称のような意味を持つことも多かったが、墓守りや守護者のような役割を与えられていることが多い。

レイス

 ゾンビのような実態を持たない霊体だけの存在。肉体が別の場所にあることもある。スコットランド出身

フェッチ

 まだ生きている人間と瓜二つの霊体。

 その人間がもうすぐ死ぬ前兆とされるが、朝方に現れた場合はむしろ長生きする前兆とされたりする。

 霊的な存在ではあるが、アンデッドとしての正体があるのか、単なる自然現象なのかは不明

ファントム

 お化け幽霊といった存在のなかでも幻影や幻、錯覚のようなあいまいさと共に語られる。

 肉眼で見えなかったりする。

スペクター

 霊体としてのおばけといった意味を持つことが多い。

 幽霊や霊に惹かれる性的倒錯のことをスペクトロフィリアと言ったりする。

デュラハン

 首なしの騎士。首を抱えていたり首をどこかに落として探していたりする。

 本来アイルランド妖精で、厳密にはアンデットではないとされる。

バンシー

 これもアイルランドスコットランド妖精だが、人の死を予言して叫んで回るというイヤミ性格からアンデッド扱いされることが多い

 老婆の姿をした妖精であり、バンシーの垂れたおっぱいを吸えばバンシーの養子になり、望みが叶うという。

リッチ

 姿はゾンビスケルトンに似ている。空を飛んでいたりする。

 強力なアンデッドとされ、生前人格能力を維持しているなどチート気味なことが多い。

 優れた魔法使いが禁術でリッチになるなどの場合回想シーン込みで3話くらい使って語られたりする。

ヴァンパイア

 アンデッド会の貴族だったり王だったりする。

 ニンニクに弱かったり光が苦手、十字架が苦手など、どう考えても弱そうな設定モリモリであるが、基本的イケメンであり強いとされる。

ダンピール

 ヴァンパイア人間の子供。普段人間社会に溶け込んでいるがヴァンパイアを見分けることができ、

 その血は吸血鬼にとっては酸のようなもので噛まれ心配がないため、ヴァンパイアハンターを稼業にするものもいる。

 ヴァンパイアと違い血を飲まなければならないということはないが、飲めば寿命を延ばすことができる。

 体が柔らかい。柔らかすぎて真のダンピールは骨が無いなどといわれる。

グール

 アラビア出身人を食うというのが特徴。墓を漁って死体を食うもの、生きた人間を家に招き入れて襲うものがいる。

 女性の姿で男性旅人を騙して食うタイプもいる。女性場合はグラというらしい。

 最後に食った人間の姿になれるらしく、真の姿は男でも女でもない、野獣でも人間でもないなどとされる。

ノーライフキング

 日本まれ本来は「無機の王」という意味だが不死の王という意味が定着しておりアンデッドの仲間とされる。

アンシマイエン

 火の玉の正体と目される、子供死体から作られたアンデッド

アキイニ

 イヌイットに伝わる骸骨の幽霊音楽を好み年中踊り続ける陽気な幽霊だが、彼が踊る振動地震津波が起き大勢死ぬ

ドレカヴァ

 夜になると墓から出てきて、金切り声をあげて誰かの死を予言する。人間の姿といわれたり鳥や猫、犬の姿といわれたり、

 光る眼をもつ一本足の人間だったり、まだら模様の細長い紡錘形の体と不釣り合いに大きな頭を持つ生き物の姿だったりする。

 むしろ幻覚を見せる霊体なのではないかという気もする。

ディルガスト

 隣人の土地との境界に置かれた石を動かして所有地を広げるズルをしたもののなれ果て。境界石をもとに戻すまで魂の安寧は得られないが、

 石に触れようとするとつるっと滑ってしま永遠に元の位置に戻せず悲痛な叫び声を上げ続けた。

フェクスト

 弾丸に強いことが特徴だがガラス製の弾丸にはなぜか弱い。

がしゃどくろ

 戦場飢餓など、大量死が発生した場所に発生する。その正体は死んだ者たちの怒りの総体とも。

 破壊を尽くして怒りが収まれ消滅するようだ。

ジェンガンガー

 北欧出身。「再び歩き出すもの」というような意味。殺されたもの自殺したものなど、未練があるものがなりやすいようだ。

 葬儀の際に棺を持ち上げて教会の周りを3周するというのがジェンガンガー化の予防策とされた。

ルガット

 アルバニア出身日光が当たらない場所を好み、空を飛ぶこともできる。死者の皮を被り、長い爪をもち、凶悪な顔をしている。

 闇に隠れて子供を攫ったりする。基本的に不死身だが墓の中で焼き殺すことはできるようだ。

ククド

 守銭奴の亡霊とも、ペストを運ぶ亡霊ともされる。ルガットを焼き殺す際に焼きが甘いとククドになるとも。

ランスヤール

 妊娠中・出産中に死んだ女性幽霊。生まれたばかりの赤ちゃんを好んで食べるが、とくに男児の血が好きなようだ。

 死体の口にガラスビーズを入れ、脇の下に鶏卵を入れ、手のひらに針を入れることで、死んだ女性ランスヤールとして戻ってくるのを防ぐことができる。

ナッハツラー

 最近死んだ人が墓から出てきて、生きている知り合いなどを死に引き込もうとする。ドイツ出身アンデッド

 埋葬の時に故人の衣服名前が書かれている場合にはナッハツラーになりやすい、死体の目や口が開いているとなりやすい、死体の唇が赤いとなりやすい、

 死体が柔らかいとなりやすい、死体の手が反対側の手の親指を握っているとなりやすいなどとされ、なりやすすぎるアンデッド

 

anond:20240805092029

増田同意

バス地域に根ざしている

バス路線図電車路線図に対して分かりにくいのが致命的

目的地に電車で行く場合初めての場所でも辿り着く難度は高くない

これがバスになると難度が上がる

案内図・誘導看板検索電車に比べて貧弱

バスだと土地勘のない場所路線図バス停の箇所も分かりにくく増田が言う通りバス停の距離場所との比較しづらい

バス地元の人、土地勘がある人じゃないと使いにくいので距離説明に使うのは難しい

男嫌いか、ただの喪女

34歳、独身女、性行為経験なし。急に気持ちを吐き出したくなり、とりあえずネットの海に文字を放流することにした。


同級生たちは半分ほどが結婚子どもを持つ人も多い。結婚式には何度も出席した。友人たちの嬉しそうな顔は美しかった。子どもと遊ばせてもらったこともある。小さくてもしっかりと自我を持つ子どもたちはとても愛らしく、そうやって育て上げた親たちを心から尊敬している。

そのような光景を見ても、結婚したいとか子どもを持ちたいとかい気持ちが湧いてこない。まあそういう人生もあるだろうと納得しているつもりだ。

でもたまに、恋愛結婚をすっ飛ばし人生ってもったいないのか?と考えてしまう。他人が羨ましいというよりは、なんだか損をしているような気持ちになる。今ちょうどそんな気分。


記事タイトルを『男嫌いか、ただの喪女か』にしたが、正直なところ若い頃はどちらの自覚もなかった。私は自身恋愛に興味がない人間だと思って生きてきた。彼氏が欲しいと思ったことがなかった。でも恋愛そっちのけで勉強ばかりしている女が珍しいのか周囲は放っておいてくれない。男性トラウマがあるのかとか奥手なのがいけないとか色々言われてきた。この歳になってそんなお節介を焼いてくれる人はだいぶ減ったけれど。

でもまあそうやって言われるうちに男嫌い恋愛下手(喪女)を自覚し始めてしまったのだ。そっとしておいてくれたらよかったのに!


以下は人生の振り返りと愚痴になるだろう。

暇で暇でしょうがない人は読んでいってね。


小学生時代

野山を駆け回る女児だったので女の子よりも男の子のほうが気が合った。いつも男の子集団に混じって(というより私が男を引き連れているように見えたらしいが)遊んでいた。だから男が嫌いだなんて思ったことがなかったが、ひとつだけトラウマ級の事件があった。

小学2か3年生の頃だったと思う。下校中、上級生(たぶん4、5年生の男)に呼び止められた。知り合いではなかったが同じ学校児童に警戒心などなく、素直に話を聞いた。「目をつぶって」と言われて従った。次に手のひらで目を覆われた。そして口にぬるぬるしたものが当たり、舐められているのだと分かった。でも訳が分からなくて動けなかった。恐怖というより困惑とただただ不快感。唇の隙間に舌をねじまれそうになり、とにかく侵入を許すまいと歯を食いしばった。かなり長い間舐められていたように思う。口と手のひらを離した見知らぬ上級生は「先生に言っちゃダメだよ」と言い残し走り去っていった。顔なんて覚えられなかった。でもランドセルの横にぶら下がるヒョウ柄体操着袋をはっきりと見た。

ベタベタした口が気持ち悪い。走って家に帰り、真っ先に歯を磨いた。レイプ被害にあったらシャワーを浴びてはいけないと言うけれど、小学生でもすぐに汚れを落としたいと思ったんだ、無理な話だよ。母親に言いつけ学校電話をしてもらった。ヒョウ柄体操着袋が犯人だと。

犯人は翌日かその次の日には見つかり教師立ち会いのもと謝罪された。今考えるとこれ良くないよな。被害者加害者とを会わせるなんて。そのせいだろうか、私は相手の顔と名前をはっきり覚えてしまったし相手もそうだったのだろう。この後数年に渡って嫌がらせを受けることになる。


口を舐められただけでかなりの不快感だった。これが性器を触られたり挿入されたり、また加害者大人だったらと思うと可哀想で仕方がない。全ての被害者の心が救われてほしい。

私はまだ性的に未熟な頃の被害だったのと男友達が多かったためか、男性が怖いとはならず加害者個人を恨んだ。だから男嫌いではないと思っていた。


中学生時代

ちょうど進学のタイミングで隣の学区に引っ越した。そのためヒョウ柄体操着袋とは違う学校になり安心した。

しかし運悪く再会してしまった。私は小学生ときから同じピアノ教室に通っていた。当時あまり気にしていなかったが、その教室の目の前は口舐め事件現場で、犯人はその近所に住んでいたのだ。

レッスンが終わりドアを開けるとヒョウ柄体操着袋がいた。気づかぬふりをして自転車で帰ろうとしていると背後から「もう一回する?」と声をかけられギョッとした。確実に覚えていやがる。気持ち悪い。すぐピアノ教室に逃げ込んだ。先生に何と話したかはよく覚えていないが、優しいお婆ちゃん先生は私をしばらく匿ってくれた。30分くらいだったろうか、奴がいないことを確認して自転車に跨がろうとしたときサドルに唾が吐かれていることに気がつき再び先生に泣きついた。先生は箱ティッシュを丸ごと持ってきて片付けてくれた。私には片付けをさせてくれなかったのをよく覚えている。あのとき先生の様子を思い出すと、もしかするとあれは唾ではない別の体液だったかもしれないと今では思う。

その後もピアノ教室には通い続けた。奴と鉢合わせすることはなかったがサドルは汚され続けウェットティッシュを常備するようになった。


市か何かの俳句コンクール入賞者の中に奴の名前を見つけたことがある。


夏祭り

手と手をつないで

デートがはじまる


気持ち悪い。

名前も顔も俳句も、34になった今でも忘れられない。

こういう犯罪者予備軍が賞をもらい、普通に恋愛を楽しみ、そのうち結婚して子どもが生まれて良いパパだねって言われていると思うと許せない。


高校時代

特に理由があった訳ではないけれど女子校に進学した。通える範囲で、自分レベルに合っていて、校風が気に入っただけ。男を避ける意図はなかった。

女子校生活はとても快適だった。進学校だったので治安が良く、学校行事も活発。女子校っていじめがひどいでしょ?なんて良く言われるけれど、勉強に忙しくいじめている暇なんてない学校だった(たとえ暇でもいじめはなかっただろうと思える良い学校だったよ)。


女子校性別概念がない空間だった。女ではなくただの人間でいられる場所。進学したり就職したり色々な環境経験したが、女子校以上に過ごしやす場所は今のところない。

ただ、学校の「マニア」と呼ばれる人たちが存在した。待ち伏せ盗撮、校舎に侵入など、不審者(全て男だった)がしょっちゅう出現した。文化祭体育祭撮影家族のみの許可制にするなど対策は取られていたが、登下校時の付きまといなどが酷く生徒は不審者に慣れきってしまっていたように思う。


大学時代

勉強が好きな私にとって大学天国だった。定額講義履修仕放題、今でいうサブスクだね。成績が優秀だったため授業料が半額になった。それでも履修仕放題!なんてお得なの!

学部面白そうな講義にも顔を出し、スポーツ系のサークル活動もして充実していた。

ただサークル内での恋愛のいざこざってほんとに面倒くさい。勝手に揉めていてくれたらいいのに何故か巻き込まれる。カップルの女側に呼び出されたことがある。

女「私、〇〇くんと付き合い始めたんだ」

私「そうなんだ!おめでとう!」

女「だから〇〇くんとはもう遊ばないでほしいんだ」

私「そうだね、わかった」

女「〇〇くんと一夜を共にしたことがあるって聞いたよ」

私「(なにそれ知らんこわ……オールでトリキいったときのこと?)そんな関係じゃないよ」

女「もう私のだから。取っちゃってごめんね」


怖すぎる。恋愛経験のない私はただビビリ散らすことしかできない。

この「取っちゃってごめんね」は他の人にも何度か言われたことがある。男を狙っていたことなんて一度もないのに。

これに関しては自分で考えて反省した。たぶん、子どもの頃に男友達と遊んでいたような距離感のまま接していたのが悪いのだ。あまり男の人と仲良くしないよう意識するようになった。


そういえば、このカップルの男側〇〇とは就職後に誘われて一緒に飲んだことがある。そのとき周りがみんな結婚してさびしい結婚したいと嘆いていた。そんなことがあったが、後日FBを見ると入籍報告をしていた。良かったじゃん!と思ったけれどよく見たら入籍日が一緒に飲んだ日より前だった。


怖すぎる。


【番外編-自分容姿について-】

たぶん私はそんなに不細工ではないのだと思う。正直そこそこモテた。絶世の美女ではないがブスでもない、ちょうど良いレベルの顔。男性から告白されることもはっきり言って多かった。しかしそれを全て断ってきた。故に自分からアプローチする方法を知らない。その結果の喪女である

悲しいことにモテる一番の要因はおそらく体型なのだ。アンダー65のFカップ、平均身長くらいのややぽちゃと言われるくらいの肉付き。小5くらいには私の体型は完成されていたため、不審者によく遭遇したし中学生以降は常に身体目当てでモテていた。痴漢被害にもよくあった。大学生になるとますます声をかけられるようになった。もう多すぎてうんざりした。こっちは勉強しにきているのに邪魔をするなとさえ思っていた。同級生も先輩も後輩もバイト先の店長取引先のよく知らんおじもみんなワンチャン狙ってくる。いつか信頼できる人が現れると信じたかったが、体型を褒める言葉視線を浴び続けているうちに身体を曝け出せる人になんてこの先出会えないと思った。

こういう話は誰にもできない。モテ自慢と言われてしまうから身体だけを気に入られることのなにがモテなのだろうか。理解できない。

ひとつ付け足すが私は私の体型が結構好き。筋トレも頑張っている。私の身体は私だけのものだ。


大学時代

博士課程まで進むつもりで進学した。結婚出産タイミングを逃すから女性にはおすすめしないと言われたがそんなことに興味はなかった。

しか院生(男)たちはそうではなかった。ここで相手を見つけなければ一生独身だと焦っているようで、数少ない女性院生だった私は標的になった。また院生だけでなく教授からセクハラ(の自覚はないだろうが)を受けた。密室での指導や2人きりの出張(酒を飲みながら身体に触ったり混浴に行きたがったりひどかった)など、これがあと数年続くのには耐えられないと判断博士課程への進学は諦めた。ただ勉強たかっただけなのに。


就職後】

セクハラ教授から逃れるため離れた土地一般企業研究職として働くことにしたが、就職後も教授からの連絡は続いた。郵便物を送りたいからと住所を探られることもあった。全無視したけど。

就職後、しばらくは楽しかった。博士課程には進めなかったけれど研究所でバリバリ働けると思うと嬉しかった。しか就職から半年ほど経ったこから飲み会やら何やらで独身男性を紹介されるようになってきたのだ。同じ大学出身研究員がいたのだが、付き合ってもいないのに2人の子どもは頭が良いだろうなぁ可愛いだろうなぁと勝手想像されたり独身男性社員と無理矢理電話番号を交換させられたりもした。


絶望した。どこに行っても同じような扱いを受ける。

数年は研究職にしがみついてみたがある日ぷつっと糸が切れたように諦めの境地に至り、結局仕事を辞めた。現在研究から離れて他の仕事をしながら比較的穏やかに暮らしている。





長々と書き殴ってみたが、これが私の半生だ。同じことの繰り返しで薄っぺらくて悲しくなる。結婚出産経験した友人たちは異なるステージで悩んでいることだろう。それなのに私はずっと同じところで同じことを悩んでいる。


こうやって振り返ってみてもまだ、自分男嫌いだとは断言できない。仲の良い男友達がまだいるし(しかし彼らも結婚すると会えなくなるのだ。奥さんに恨まれたくない)。

喪女なのは確かだろう。私は身体しかモテたことがない。性格を気に入ってもらえるほど他人と深く関わることができないのだ。人付き合いが下手な、明らかな喪女だ。


ひとりでいるのは嫌いじゃない。むしろ好き。孤独死問題クリアできれば上手くひとりで生きて死んでいけるはずだ。

ただやっぱり、同級生たちを見ていると自分が損をしているようなもったいないような感情になるのだ。こんなにナイスバディ()に生まれたのに性行為の機会もない!キスもできない!子どもに好かれやすいのに自分の子どもは持つ機会がない!そうだ、身体時間もったいないのだ。


毎日毎日老けていく。卵子の数が減り白髪が増える。自分身体自分のもの。己が満足できるように整えておけたらそれでいいと自分に言い聞かせる。

60歳になってからでもいいから、いつか心から信頼できる人が現れないだろうかとまだ希望を捨てられない。いつか白馬王子様が迎えに来てくれるの!と夢見る子どもと同じステージにいる34歳。

気色悪いな。

2024-08-04

anond:20240803233453

当方競馬歴30年超。

角田大河がどうこうの前に「ターフは神聖場所から」と言い出すことに違和感がある。

たとえばホワイトワーカーの諸君自分オフィス伊集院光企画よろしくバイク失踪されてタイヤ跡をつけられたからといって「神聖職場が汚された!許せん!」といきり立つのか?むしろ原状復帰が入れば仕事休めてラッキーと思うような奴らばかりだろ。特にはてなの人々は。

ブルーワーカーの諸君個人邸宅を立てている敷地立小便されたとして「我々が立てる個人様の御宅の土地を汚された!許せん!」と拳を突き上げるのか?やらんだろ。

いわんや自分たちの職場でもない競馬をや。今までテキトースタンドから芝生をポンポンするおじいちゃんおばあちゃんを眺めている程度で、ここぞとばかりに神聖場所呼ばわりするのはさすがに草(芝生だけに)。

他の業種(スポーツ)でいえば、何となく甲子園とかだったら神聖場所な気もするけど、あれだって阪神主催試合ブルペンカーで荒らしまくっとるやん。

以上から、今回の事件でターフは神聖場所とか言い出してる奴らは相手にする必要ないと思うね。

東浩紀伝2

非モテ論壇は、小谷野敦の「もてない男」 (1999年)に始まり本田透に引き継がれるが、ものすごく盛り上がっているというほどでもなかった。本田消息が分からなくなり、小谷野2017年から売れなくなった。ツイッターでは雁琳のような第三波フェミニズムに応対できる論者が主流となっているが、そういうのの影に隠れたかたちであろう。大場博幸「非モテ独身男性をめぐる言説史とその社会的包摂」(2021年教育雑誌 (57) 31-43)というレビュー論文がある。ロスジェネ論壇も盛り上がった印象はない。氷河期世代はそれどころではなかったのだろうか。雑誌ロスジェネ」は迷走してしまい、第3号は「エロスジェネ」で、第4号で終刊した。

東のゼロ年代ゼロアカ道場で幕を閉じる。東チルドレンを競わせるという企画であり、ゼロアカとは「アカデミズムゼロになる」という意味らしい(「現代日本批評2001-2016」、講談社、101頁)。彼らは東浩紀しか参照していないので、アカデミズムとしてはゼロなのかもしれない。ここで台頭したのが藤田直哉であり、ザクティ革命と称して、飲み会動画を無編集でアップした。ゲンロンのプロトタイプかもしれない。藤田はwokeしたが、東チルドレンでそちらに行ったのは彼くらいではないか

3 ゲンロン

ニコニコ動画に「動ポノムコウ」(2020)というMADがあるが、ゼロ年代の東は輝いていたものの、震災後は落ちぶれてしまったという史観編集されていた。落ちぶれたかどうかはともかく、震災前後に断絶があることは疑いない。東は移動を躊躇わないところがあり、90年代末に批評空間を離れたように、震災後に自らが立ち上げた動ポモ論壇からも離れてしまう。

ゲンロンの前身である合同会社コンテクチュアズ2010年4月6日創業された。2009年の秋の飲み会アイデアが出たそうである宇野常寛濱野智史、浅子佳英(建築家)、李明喜空間デザイナー)との飲み会であった。「ゲンロン戦記」(2020年)では李はXとされているが、ウィキペディアには実名で出てきている。李はコンテクチュアズ代表就任したものの、使い込みを起こして、2011年1月末日付で解任されている。代わって東が代表就任し、李から使い込んだ金を回収した。ちょうど震災前のことで、震災後だと回収は難しかたかもしれないらしい(「ゲンロン戦記」、42頁)。この頃には、宇野や濱野は去っており、浅子が右腕だったが、その浅子も2012年には退任する。

一般意志2.0」は震災前に雑誌「本」に連載されていた。2009年12月から2011年4月号まで連載されていて、4月号は3月頭に出るものなので、ちょうど震災が起こる直前に終わったことになる。「ゲンロン戦記」には「その原稿2010年代に書かれたのですが、出版震災後の2011年11月になりました」(22頁)とあるが、ゼロ年代に連載が始まっているし、出版されたのも2010年代なので、おかしな文である。「震災前に書かれた」と直すべきところであろう。「一般意志2.0」はゼロ年代パラダイムに属している。デジタル民主主義の本であるが、ちょっとひねって、ニコニコ動画のようなもの民意をくみ上げようというものであるゲンロンもニコニコ動画でやられているので、その所信表明でもあるのであろう。ゼロ年代ゲンロンをつなぐ蝶番的な書物ではあった。

サイバースペース」「情報自由論」は一冊の本として刊行されることはなかったのであるが、「一般意志2.0」は刊行された。すっきりとした構想だったからだろうか。東はネット草創期のアングラさのようなものを後光にして輝いていたのであるが、この本を最後に、アーキテクチャを本格的に論じることを止める。ニコニコ動画2ちゃんねる動画版のようなところがあったが、ツイッターをはじめとするSNSネットの中心が移り、ネットはもはや2ちゃん的ではなくなり、東の想定していたアーキテクチャではなくなってきたのかもしれない。東はツイッターも使いこなしているが、かつてほどの存在感はない。

一般意志2.0」の次の主著は「観光客哲学」(2017年であるが、サブカルチャー批評することで「ひとり勝ち」した東が観光客を論じるのは意外性がある。娘が生まれからアニメゲームに関心を失い、その代わり観光が好きになったとのことで、東の関心の移動を反映しているようである。「観光客哲学 増補版」第2章によると、観光客二次創作するオタクに似ている。二次創作するオタク原作の好きなところだけつまみ食いするように、観光客住民暮らしなどお構いなしに無責任観光地をつまみ食いしていく。このように観光客現実二次創作しているそうである

福島第一原発観光地化計画思想地図β vol.4-2)」(2013年)は、一万部も売れなかったそうである。ふざけていると思われたのだろうか。観光に関心を持っていたところに、福島第一原発事故があり、ダークツーリズム対象にできないかと閃いたのであろう。もともと観光に関心がなければ、なかなか出てこないアイデアではないかと思われる。東によると、ダークツーリズム二次創作への抵抗である(「観光客哲学 増補版」第2章)。それなりの歴史のある土地であっても、しょせんは無名なので、原発事故のような惨事が起こると、そのイメージだけで覆い尽くされることになる(二次創作)。しかし、そういう土地観光に出かけると、普通場所であることが分かり、にもかかわらず起こった突然の惨事について思いをはせる機会にもなるそうである二次創作への抵抗)。

社会学者開沼博福島第一原発観光地化計画に参加して、前掲書に寄稿しているのにもかかわらず、これに抗議した。東と開沼は毎日新聞ウェブ版で往復書簡を交わしているが、開沼の主張は「福島イコール原発事故イメージを強化する試みはやめろ」というものであった(「観光客哲学 増補版」第2章)。原発事故を語りにくくすることで忘却を促すというのが政府戦略のようであるが、これは成功した。開沼は2021年東京大学大学院情報学環准教授就任している。原発事故への応答としては、佐藤嘉幸・田口卓臣脱原発哲学」(2016年)もあるが、こちらはほとんど読まれなかった。ジュディス・バトラー佐藤博論(「権力抵抗」)の審査委員の一人であり、佐藤バトラーに近い(竹村和子亡き後、バトラー著作邦訳を担っている)。「脱原発哲学」にもそれっぽい論法が出てくるのが、こちらは功を奏しなかった。資本主義と真っ向から対立するような場面では効かないのだろう。ちなみに佐藤博論には東も登場しており、バトラーも東の名前は知っているものと思われる。

観光客哲学」はネグリハート帝国」を下敷きにしているが、そこでのマルチチュードは、共通性がなくても集まればいいという発想で集められているものであり、否定神学であるとして、郵便マルチチュードとしての観光客対置する。東は原発事故後の市民運動に対して否定的であり、SEALDsなどを毛嫌いしていた。第二次安倍政権は次々と「戦後レジーム」を否定する法案を提出しており、それに対抗する市民運動は盛り上がっていたが、負け続けていた。しかし、Me too運動が始まってからというものリベラルマイノリティ運動に乗り換え、勝ち続けるようになる。「観光客哲学」は市民運動が負け続ける状況に応答しているが、「訂正可能性の哲学」(2023年)はマイノリティ運動が勝ち続ける状況に応答している。小熊英二こたつぬこ木下ちがや)はSEALDsの同伴者であったが、マイノリティ運動に与した共産党には批判である。小熊の「1968」(2009年)は絓秀実革命的なあまり革命的な」(2003年)のマイノリティ運動に対する評価をひっくり返したものなので、こういう対応は分からなくはない。東も「革あ革」を評価していない。「絓さんの本は、ぼくにはよくわからなかった。六八年の革命は失敗ではなく成功だというのだけれど、その理由が明確に示されないまま細かい話が続いていく。どうして六八年革命成功していることになるのか」(「現代日本批評2001-2016」、講談社、71頁)。論旨そのものは分かりやすい本なので、かなりの無理解であろう。

東はアベノミクスには何も言っていない。政治には入れ込んでいるが、経済は分からないので口を出さないという姿勢である経済について分かっていないのに口を出そうとしてリフレ派に行ってしまった人は多い。宮﨑哲弥が典型であろうが、北田もそうであるブレイディみかこ松尾匡と「そろそろ左派は<経済>を語ろう――レフト3.0の政治経済学」(2018年)という対談本を出している。リベラルが負け続けているのは、文化左翼路線だけでは大衆に支持されることはなく、経済についても考える必要があるという主張であるが、リベラルマイノリティ運動で勝ちだしてからはこういうことは言わなくなった。北田2023年から刊行されている「岩波講座 社会学」の編集委員代表を務めている。

観光客哲学」の次の主著は「訂正可能性の哲学であるこちらも郵便本の続編といっていいのであろうが、そこに出てきた訂正可能性(コレクタビリティ)という概念がフィーチャーされている。政治的な正しさ(ポリティカル・コレクトネス)を奉じている者がそうしているように、理想を固定したものとして考えるのではなく、誤りをコレクトするという姿勢大事であるということらしい。駄洒落のようであると言われることもある。森脇によると、東は状況に合わせてありきたりの概念意味を変えるという「再発明」の戦略を採っているが、この「再発明」の戦略を言い換えたものが訂正可能なのだという(森脇「東浩紀批評アクティヴィズムについて」)。そうだとすると、訂正可能性は郵便本では脇役であったが、これが四半世紀後に主役になることには必然性があったということであろうか。

こうして現在2024年7月)まで辿りついたのであるが、東は多くの人と関係を断ってきたため、周りに人がいなくなっている。東も自身気質自覚している。「ぼくはいつも自分で始めた仕事自分で壊してしまう。親しい友人も自罰的に切ってしまう。「自己解体境界侵犯欲望」が制御できなくなってしまう。だからぼくには五年以上付き合っている友人がいない。本当にいないのだ」(東浩紀桜坂洋キャラクターズ」、2008年、73頁)。一人称小説の語り手の言葉であるものの、現実の東と遠からものと見ていいであろう。ここからは東の決裂を振り返る。

宇野常寛は東を批判して「ゼロ年代の想像力」(2008年)でデビューしたのであるが、東に接近してきた。ゲンロンは宇野のような東に近い若手論客結集する場として企画されたそうである。東によると、宇野を切ったのは、映画「AZM48」の権利宇野要求してきたかららしい。「東浩紀氏の告白・・・AZM48をめぐるトラブルの裏側」というtogetterに東のツイートが集められている。2011年3月10日から11日を跨ぐ時間帯に投稿されたものであり、まさに震災直前である。「AZM48」は「コンテクチュアズ友の会」の会報「しそちず!」に宇野が連載した小説である映画原作なのだろう)が、宇野ウィキペディアには書かれていない(2024年7月27日閲覧)。円堂都司昭は「ゼロ年代論点」(2011年)の終章で「AZM48」を論じようと企画していたが、止めておいたそうである。「ゼロ年代批評をふり返った本の終章なのだから2010年代を多少なりとも展望してみましょうというパートなわけだ。批評家たちのホモパロディを熱く語ってどうする。そこに未来はあるのか?」(「『ゼロ年代論点』に書かなかった幻の「AZM48」論」)。

濱野智史は「アーキテクチャ生態系」(2008年)でデビューしているが、アーキテクチャ論こそ「「ゼロ年代批評」の可能性の中心」(森脇、前掲論文)であった。東の右腕的存在だったこともあり、「ised情報社会倫理設計」を東と共編している。濱野は東と決裂したというより、壊れてしまった。その頃、AKB48などのアイドル流行りつつあり、宇野は、東をレイプファンタジーなどと批判していたのにもかかわらず、アイドル評論を始めたのであるが、濱野もそちらに付いていってしまった。「前田敦子はキリストを超えた 宗教としてのAKB48」(2012年)を刊行する。これだけならよかったものの、アーキテクチャ論を実践すべく、2014年アイドルグループPlatonics Idol Platform (PIP)をプロデュースするも大失敗してしまい、精神を病んでしまった。行方が分からなくなっていたが、「『豪の部屋』濱野智史社会学者)が経験したアイドルプロデュース真相」(2022年)に出演して、東に「ぐうパワハラされた」ことを明かした。

千葉雅也の博論本「動きすぎてはいけない」(2013年)には、浅田彰東浩紀が帯を書いていて、「構造と力」や「存在論的、郵便的」を承継する構えを見せていた。郵便本をきちんと咀嚼した希な例ということらしい。東がイベント千葉ゲイであることをアウティングしたのであるが、その場では千葉は黙っていたものの、「怒っている。」などとツイートする(2019年3月7日、「男性性に疲れた東浩紀何をいまさらと怒る千葉雅也」)。これに反応して、東は「千葉との本は出さないことにした。仕事も二度としない。彼は僕の人生全否定した」などと生放送で二時間ほど怒涛の千葉批判を行った。こうして縁が切れたわけであるが、千葉くらいは残しておいても良かったのではないかと思われる。國分は数年に一度ゲンロンに登壇するようであるが、このくらいの関係でないと続かないということだろうか。

大澤聡も切ったらしいのであるが、「東浩紀突発#110 大澤聡さんが5年ぶりにキタ!」(2023年10月16日)で再会している。どうして切ったのかはもはやよく分からないが、それほどの遺恨はなかったのだろう。

福嶋亮大は向こうから去って行ったらしい。鼎談現代日本批評」の第1回、第2回に参加しながら、第3回に参加することを拒んだらしい。東も理由はよく分からないようである。珍しいケースといえよう。

津田大介とは「あずまんのつだっち大好き・2018年猛暑の巻」(2018年8月17日)というイベントが開催されるほど仲が良かった。津田2017年7月17日にアイチトリエンナーレ2019の芸術監督就任し、東は2017年10月企画アドバイザー就任する。しかし、企画展「表現不自由展・その後」に政治的圧力が加えられ、2019年8月14日、東は企画アドバイザーを辞任する。この辞任はリベラルから顰蹙を買い、東はますますリベラル嫌いになっていく。批評家は大衆に寄り添わざるを得ないので、こういう判断もあり得るのだろうか。

東は2018年12月18日にツイッターゲンロン解散を発表するが、上田洋子らに説得されて、

東浩紀

東浩紀の伝記を書く。ゼロ年代に二十代を過ごした私たちにとって、東浩紀特別存在であった。これは今の若い人には分からいであろう。経験していないとネット草創期の興奮はおそらく分からいかである。たしかにその頃は就職状況が悪かったのであるが、それはまた別にインターネットは楽しかったのであり、インターネットが全てを変えていくだろうという夢があった。ゼロ年代代表する人物を3人挙げるとすれば、東浩紀堀江貴文ホリエモン)、西村博之ひろゆき)ということになりそうであるが、彼らはネット草創期に大暴れした面々である。今の若い人たちはデジタルネイティブであり、それこそ赤ちゃんの頃からスマホを触っているそうであるが、我々の小さい頃にはスマホはおろか携帯電話すらなかったのであるファミコンはあったが。今の若い人たちにはネットがない状況など想像もできないだろう。

私は東浩紀の主著は読んでいるものの、書いたもの網羅的に読んでいるというほどではなく、酔っ払い配信ほとんど見ていない。しかし、2ちゃんねる(5ちゃんねる)の東浩紀スレ古参ではあり、ゴシップ的なことはよく知っているつもりである。そういう立場から彼の伝記を書いていきたいと思う。

1 批評空間

東浩紀は71年5月9日まれである。「動ポモ」でも援用されている見田宗介時代区分だと、虚構時代のちょうど入り口で生を享けたことになる。國分功一郎は74年、千葉雅也は78年生まれである。國分とはたった3歳しか離れていないが、東が早々にデビューしたために、彼らとはもっと年が離れていると錯覚してしまう。

東は中流家庭に生まれたらしい。三鷹市から横浜市引っ越した。東には妹がおり、医療従事者らしい(医者ではない)。父親金沢出身で、金沢二水高校を出ているそうである(【政治番組東浩紀×津田大介×夏野剛×三浦瑠麗が「内閣改造」について大盛り上がり!「今の左翼新左翼左翼よりバカ!」【真実幻想と】)。

東は日能研でさっそく頭角を現す。模試で全国一桁にいきなり入った(らしい)。特別栄冠を得た(らしい)。これに比べたら、大学予備校模試でどうとかいうのは、どうでもいいことであろう。

筑駒筑波大学附属駒場中学校)に進学する。筑駒在学中の特筆すべきエピソードとしては、おニャン子クラブ高井麻巳子福井県実家訪問したことであろうか。秋元康結婚したのは高井であり、東の目の高さが分かるであろう。また、東は中学生時代うる星やつらファンクラブを立ち上げたが、舐められるのがイヤで年を誤魔化していたところ、それを言い出せずに逃げ出したらしい(5ちゃんねる、東浩紀スレ722の555)。

もう一つエピソードがあって、昭和天皇が死んだときに、記帳に訪れたらしい。

東は東大文一に入学する。文三ではないことに注意されたい。そこで柄谷行人の講演を聞きに行って何か質問をしたところ、後で会おうと言われ、「批評空間」に弱冠21歳でデビューする。「ソルジェニーツィン試論」(1993年4月であるソルジェニーツィンなどよく読んでいたなと思うが、新潮文庫ノーベル賞作家を潰していくという読書計画だったらしい。また、残虐記のようなのがけっこう好きで、よく読んでいたというのもある。三里塚闘争についても関心があったようだ。「ハンスが殺されたことが悲劇なのではない。むしろハンスでも誰でもよかったこと、つまりハンスが殺されなかったかも知れないことこそが悲劇なのだ」(「存在論的、郵便的」)という問題意識で書かれている。ルーマン用語でいえば、偶発性(別様であり得ること)の問題であろうか。

東は、教養課程では、佐藤誠三郎ゼミ所属していた。佐藤村上泰亮公文俊平とともに「文明としてのイエ社会」(1979年)を出している。共著者のうち公文俊平だけは現在2024年7月)も存命であるが、ゼロ年代に東は公文グロコムで同僚となる。「文明としてのイエ社会」は「思想地図」第1号で言及されており、浩瀚な本なので本当に読んだのだろうかと思ったものであるが、佐藤ゼミ所属していたこから学部時代に読んだのだろう。

東は94年3月東京大学教養学部教養学科科学史科学哲学分科を卒業し、同4月東京大学大学総合文化研究科超域文化科学専攻に進学する。修士論文バフチンで書いたらしい。博士論文ではデリダを扱っている。批評空間に94年から97年にかけて連載したものをまとめたものである私たち世代は三読くらいしたものである博論本「存在論的、郵便的」は98年に出た。浅田彰が「東浩紀との出会いは新鮮な驚きだった。(・・・)その驚きとともに私は『構造と力』がとうとう完全に過去のものとなったことを認めたのである」という帯文を書いていた。

郵便本の内容はウィキペディアの要約が分かりやすく、ツイッター清水高志が褒めていた。「25年後の東浩紀」(2024年)という本が出て、この本の第3部に、森脇透青と小川歩人による90ページにわたる要約が付いている。森脇は東の後継者と一部で目されている。

東の若いころの友達阿部和重がいる。阿部ゲンロンの当初からの会員だったらしい。妻の川上未映子は「ゲンロン15」(2023年)に「春に思っていたこと」というエッセイ寄稿している。川上早稲田文学市川真人によって見出されたらしく、市川渡辺直己の直弟子である市川鼎談現代日本批評」にも参加している。

東は、翻訳家小鷹信光の娘で、作家ほしおさなえ1964年まれ)と結婚した。7歳年上である不倫だったらしい。98年2月には同棲していたとウィキペディアには書かれていたのであるが、いつのまにか98年に学生結婚と書かれていた。辻田真佐憲によるインタビュー東浩紀批評家が中小企業経営するということ」 アップリンク問題はなぜ起きたか」(2020年)で「それは結婚の年でもあります」と言っており、そこが根拠かもしれないが、明示されているわけではない。

そして娘の汐音ちゃん生まれる。汐音ちゃん2005年6月6日まれであるウィキペディアには午後1時半ごろと、生まれ時間まで書かれている。名前クラナドの「汐」と胎児聴診器心音ちゃんから取ったらしい。ツイッターアイコンに汐音ちゃん写真を使っていたものの、フェミに叩かれ、自分写真に代えた。汐音ちゃんは「よいこのための吾妻ひでお」 (2012年)のカバーを飾っている。「日本科学未来館世界の終わりのものがたり」展に潜入 "The End of the World - 73 Questions We Must Answer"」(2012年6月9日)では7歳になったばかりの汐音ちゃんが見られる。

96年、コロンビア大学大学入試に、柄谷の推薦状があったのにもかかわらず落ちている。フラタニティ的な評価によるものではないかと、どこかで東は推測していた。入試について東はこう言っている。「入試残酷なのは、それが受験生合格不合格に振り分けるからなのではない。ほんとうに残酷なのは、それが、数年にわたって、受験生家族に対し「おまえの未来合格不合格かどちらかだ」と単純な対立を押しつけてくることにあるのだ」(「選択肢無限である」、「ゆるく考える」所収)。いかにも東らしい発想といえよう。

2 ゼロ年代

東の次の主著は「動物化するポストモダン」で、これは2001年刊行される。98年から01年という3年の間に、急旋回を遂げたことになる。「サイバースペースはなぜそう呼ばれるか」はその間の論考である

東はエヴァに嵌っており、「庵野秀明はいかにして八〇年代日本アニメを終わらせたか」(1996年)などのエヴァ論も書いている。その頃に書いたエッセイは「郵便不安たち」(1999年)に収められた。エヴァ本をデビュー作にすることも考えたらしいが、浅田彰に止められたらしい。だからサブカル本を出すというのは、最初から頭の中にあったのだろう。

「いま批評場所はどこにあるのか」(批評空間第Ⅱ期第21号、1999年3月)というシンポジウムを経て、東は批評空間と決裂するが、それについて25年後に次のように総括している。「ぼくが考える哲学が『批評空間』にはないと思ってしまった。でも感情的には移転があるから、「お前はバカだ」と非難されるような状態にならないと関係が切れない」(「25年後の東浩紀」、224-5頁)。

動ポモ10万部くらい売れたらしいが、まさに時代を切り拓く書物であった。10万部というのは大した部数ではないようにも思われるかもしれないが、ここから動ポモ論壇」が立ち上がったのであり、観客の数としては10万もいれば十分なのであろう。動ポモフェミニストには評判が悪いようである北村紗衣も東のことが嫌いらしい。動ポモ英訳されている(Otaku: Japan's Database Animals, Univ Of Minnesota Press. 2009)。「一般意志2.0」「観光客哲学」も英訳されているが、アマゾンのglobal ratingsの数は動ポモが60、「一般意志2.0」が4つ、「観光客哲学」が3つと動ポモが圧倒的である2024年8月3日閲覧)。動ポモ海外論文でもよく引用されているらしい。

次の主著であるゲーム的リアリズムの誕生――動物化するポストモダン2」までは6年空き、2007年に出た。この間、東は「情報自由論」も書いていたが、監視否定する立場から肯定する立場へと、途中で考えが変わったこともあり、単著としては出さず、「サイバースペース」と抱き合わせで、同じく2007年に発売される(「情報環境論集―東浩紀コレクションS」)。「サイバースペース」は「東浩紀アーカイブス2」(2011年)として文庫化されるが、「情報自由論」はここでしか読めない。「サイバースペース」と「情報自由論」はどちらも評価が高く、この頃の東は多作であった。

この頃は北田暁大と仲が良かった。北田は東と同じく1971年まれである。東と北田は、2008年から2010年にかけて「思想地図」を共編でNHK出版から出すが、3号あたりで方針が合わなくなり、5号で終わる。北田は「思想地図β」1号(2010年)の鼎談には出てきたものの、今はもう交流はないようである北田はかつてツイッターで活発に活動していたが、今はやっていない。ユミソンという人(本名らしい)からセクハラ告発されたこともあるが、不発に終わったようである結婚して子供もできて幸せらしい。

その頃は2ちゃんねるネットの中心であったが、北田は「嗤う日本の「ナショナリズム」」(2006年)で2ちゃん俎上に載せている。北田は「広告都市東京」(2002年)で「つながりの社会性」という概念を出していたが、コミュニケーションの中身よりも、コミュニケーション接続していくことに意味があるというような事態を表していた。この概念を応用し、2ちゃんでは際どいことが言われているが、それはネタなので心配しなくていいというようなことが書かれていた。2ちゃん分析古典ではある。

東は宮台真司大澤真幸とも付き合っているが、彼らは北田のように鋭くゼロ年代を観察したというわけではなく、先行文献の著者である。宮台は98年にフィールドワークを止めてからは、研究者というよりは評論家になってしまった。大澤は日本ジジェクと称されるが、何を論じても同じなのもジジェクと同様である動ポモは彼らの議論を整理して更新しているのであるが、動ポモも「ゲーム的リアリズムの誕生」も、実際に下敷きになっているのは大塚英志であろう。

宮台や大澤や北田はいずれもルーマンであるが、ルーマンっぽいことを言っているだけという印象で、東とルーマンも似ているところもあるというくらいだろう。しかし、ルーマン研究者馬場靖雄2021年逝去)は批評空間に連載されていた頃から存在論的、郵便的」に注目しており、早くも論文正義門前」(1996)で言及していた。最初期の言及ではないだろうか。主著「ルーマン社会理論」(2001)には東は出てこないが、主著と同年刊の編著「反=理論のアクチュアリティー」(2001)所収の「二つの批評、二つの社会」」ではルーマンと東が並べて論じられている。

佐々木敦ニッポン思想」(2009年)によると、ゼロ年代思想は東の「ひとり勝ち」であった。額縁批評などと揶揄される佐々木ではあるが、堅実にまとまっている。類書としては、仲正昌樹「集中講義日本現代思想 ポストモダンとは何だったのか」 (2006)や本上まもる「 “ポストモダンとは何だったのか―1983‐2007」 (2007)があったが、仲正は今でも読まれているようである。本上は忘れられているのではないか。この手の本はこれ以後出ていない。需要がないのだろうか。

佐々木の「ひとり勝ち」判定であるが、そもそもゼロ年代思想土俵を作ったのは動ポモであり、そこで東が勝つというのは当たり前のことであった。いわゆる東チルドレンは東の手のひらで踊っていただけなのかもしれない。懐かしい人たちではある。

北田によると、東の「情報技術公共性をめぐる近年の議論」は、「批評が、社会科学的な知――局所から全体を推測する手続きを重視する言説群――を媒介せずに、技術工学的知と直結した形で存在する可能性の模索である」(「社会批評Introduction」、「思想地図vol.5」、81-2頁)ということであるが、ゼロ年代の東はこういう道を歩んでいた。キットラーに似ており、東チルドレンでは濱野智史がこの道を歩んだのであるが、東チルドレンが全てそうだったわけでもなく、社会学でサブカルを語るというような緩い営みに終始していた。宇野常寛などはまさにこれであろう。

佐々木ニッポン思想」と同じ2009年7月に、毛利嘉孝ストリート思想」が出ている。文化左翼歴史をたどっているのであるが、この頃はまだ大人しかった。ポスコロ・カルスタなどと揶揄されていた。しかし、テン年代佐々木命名から勢いが増していき、今や大学メディア大企業裁判所を押さえるに至っている。しかし、ゼロ年代において、動ポモ論壇と比較できるのは、非モテ論壇やロスジェネ論壇であろう。

非モテ論壇は、小谷野敦の「もてない男」 (1999年)に始まり本田透に引き継がれるが、ものすごく盛り上がっているというほどでもなかった。本田消息が分からなくなり、小谷野2017年から売れなくなった。ツイッターでは雁琳のような第三波フェミニズムに応対できる論者が主流となっているが、そういうのの影に隠れたかたちであろう。大場博幸「非モテ独身男性をめぐる言説史とその社会包摂」(2021年教育Permalink | 記事への反応(13) | 17:44

anond:20240804111258

1万ヘクタールもの広大な土地を耕作するとなると、

* 土壌分析に基づいた適切な品種選択

* 効率的な灌漑システムの導入

* 最新の農業機械活用

* ドローンによる生育状況のモニタリング

などを検討する必要があります

もしよろしければ、これらの詳細についてお話しましょうか?

架空古代国家の作り方

一般的には国家とは人の集合体です。

なので人がどこからきて、なぜそこに定着するに至ったかを考えることから始めます

日本歴史的にそこら辺があやふやな部分が多いので、ローマ植民異民族侵入辺りを参考にするとよいです)

土地

人が定着するには理由があります

水場がある、戦争において有利だから占拠した、川の渡し場がある、港を作れる、近くの都市国家安全保障圏内だった、などです。

そうすると地図制作したほうがやりやすいでしょう。

統治

ダンバー数という概念があります社会的動物である人間コミュニティの安定を保つのに適正な状態を示すものです。

正直理論のもの眉唾なのですが、経験則一定の人数が集まると運営が困難になるのは周知の事実かと思われます

どれくらいの人がいて、何を目的として集団形成しているのか。これが統治であり国の在り方です。

部族が拡大しその首領が君臨するというのが古代的な社会ではあります。分裂もします。

統治根拠

1人の人間集団トップに君臨するには理由必要です。

血統が貴ばれるのは文明が発展し、人民ナラティブを受け入れる社会性を獲得してからの話です。

基本的には暴力です。ここで言う暴力とは当然直接的な暴行もそうですし、数を束ねて運用し少数者を抑圧する能力も含まれます

また支配者に絶対忠誠を誓う暴力保有する、財物で買える暴力保有する、あるいは財物のもの暴力として使用するなどもあります

この支配者はどういう暴力をもって君臨しているのか、を意識すると国家としてのデティールが明確になるでしょう。

古代人権とは王ただ一人が保有するものであり、今で言う憲法とは王の思想と同一でした。

権力の集中と分散

絶対王権中央集権古典的暴力に思えますが、これは近代に入って人類が獲得した暴力集大成です。

広大な版図であっても内容としては小王国集合体です。

地主、あるいは領主、のちに貴族と呼ばれる人々は相応の暴力をもって君臨しています

王とは彼らの同盟リーダーであり、地主の忠誠など期待できないものでした。

領地貴族が別の領地貴族(王も含む)にへりくだれば統治正当性暴力有効性)を失いかねません。

信仰

基本的に無くてよいです。フレーバーにとどめましょう。

信仰信仰として単体で成立するならいいのですが、組織宗教となり王の暴力を用いる側になると構造が複雑化します。

信仰、教えに留めておきましょう。

脚色

ここまででぼんやりと形ができたと思いますので、あとは暴力魔法だのスキルだので色付けすればなろう小説としては十分です。

王を一番強い、強い力運用するポジションにつけて、その支配世界の隅々に下ろしていくことで自然的レベルデザインも生じます

2024-08-03

anond:20240803205526

子曰く、「智者は未だ萌えずして、愚者は既に戮されんことを怖れず」。

増田よ、駅前や駅近にラーメン屋がないことに不満を漏らしておるが、それは必ずしも悪いことではない。

ラーメン屋があるか否かは、その街の特性経済状況に左右されるものであり、一概には言えぬ。

特に異なる文化や食の好みがある土地では、ラーメン以外のグルメが支持される場合もあろう。

増田がこの状況を不公平に感じるならば、自ら新たなラーメン屋開業し、その地の人々に新たな豊かさを提供することも一つの選択ではないか

それがすなわち、孫子の言う「未だ萌えず」を理解し、「未だ攻めず」を実践することとなり、自身を益する道となるであろう。

朝日新聞の20240802朝刊トプで認知プロファイリングなのか?

「結び付けたい」てのがビィンビィン涌いてるなぁにこれぇ

「同じダルォ」てケジメツケテ畳んでないのがってこと?

ケジメ免れた分だけ増えた「新聞歴史」の中で

土地格差」への言及あったんすかね?

無かたかもしれないとしたらよっぽどナニカニ傾倒してはるんすなあ

傾倒こそ「同じと結び付ける」ベキベキと見受けるが

土地チートって所基準出羽守かまされましても

パーセントを仮にもしも無くしたとして

98パーセント「だけ」ならイケルってか…

それにつけても威圧かましてくる側のパーセント比率とは一体?

威圧を甘受せよというわけではない」とか

マラサイ当たり障りなくまとめたかったつもりのようだが

文化露寇の記事の時の「助け挫く」ぶりが答ェでござい…

原稿◎ページ費やしてやることが

転落斜面の屑天秤乱舞でシーソー気取りの御様子

2024-08-02

anond:20240802092632

札幌で、徒歩圏に駅と日々の買い物をできる場所があるなら、自家用車が無くても生活可能だとは思う。

ただ、3点、補足したい気がした。

「ある方が便利」なのは当たり前だけど、その差は東京大阪等よりも大きい。

良い町医者うまい食べ物屋、会社帰りや週末に行きたくなるような場所などが、鉄道ではアクセスできない場所普通にある。

あと、道外から友人が来たら乗せたいこともあるだろうし、地元の友人と遊ぶとき普通に車で移動する前提になる。

  • 徒歩で行ける距離は、道外よりも短い。

冬、積雪なり凍結なりした路面は歩きづらく、自転車お勧めはできない。

そうでない土地なら歩いていく距離でも、北海道では車に乗りたくなる。

小学校でも授業をしている程度の雪なのに、西日本出身自分上司が「今日休み」と判断したことが何度かあった。

移動の感覚が周りの人とずれていると、公私ともに支障が生じる可能性はあると思う。

 

なお、関係あるか無いかからないけど、以上は道外から20代移住した元ペーパードライバー意見

また、蛇足かもしれないけど、自分北海道から道外に引っ越しとき、引っ越す時点で車を処分したことを後悔した。

引っ越して、しばらく使ってから処分するべきだった」という後悔。

元増田も、引っ越してしばらくは(現状で自家用車があっても無くても)今のままで暮らしてみても良いのでは。

 

追記

この文章は、元増田の内容から判断して、北海道に住んだ経験の無い人が札幌駅の徒歩圏に住む、ということを前提に書いている。

もし別の市に住むなら話は変わるし、「吹雪」と書いたのも内地の人の感覚での「吹雪」を想定している。

蛇足だとは思うけど、安全にもかかわることなので、念のため。

Netflixの「地面師たち」を観たけど、人間たちの「頑張ったのでご褒美」みたいな描写が性欲に偏ってる感じがした。自分がそういうコミュニティに縁がないだけで、世界は思った以上にセックスで回ってるのか? ホストとかの職業がまだまだある時点でそうなのかもな。元ネタ事件昭和出来事とかで価値観が古いのかと思って調べたが、2017年で予想以上に最近だったのでびっくりした。ついでに五反田土地が近くを通ったことがあったこもびっくりした。俳優陣が豪華で見応えがあった。

2024-08-01

anond:20240730103953

つい1年程前に自営業父親がなくなったんだけど、税理士さんに頼んだら、銀行証券まわりはほとんど見つけてくれたよ。

土地もあったけど、それは権利書があったのでなんとかなった。

仮想通貨会社銀行口座から振込履歴から法人名特定したらなんとかなるんじゃない?

すべてのバブル崩壊中央銀行の利上げが原因である

1987年のブラックマンデー、1991年の土地バブル崩壊、2000年のITバブル崩壊も全部そのパターン

二次リーマンショックの始まりかもしれない。

anond:20240731113244

神奈川県 川崎市 横浜市

区で言われると見当つかないや

急に横浜市になるし

そんな事はどうでもいいけど自分のために おさらメモ

川崎市 県北東端県境 東西に長い



横浜市東端中央 南北に長く広い卵型




東京通勤通学民ばかりの新興住宅地や大規模造成地かな

新興っても50年くらいは経ってそうか

長年住んでた元々の現地民より造成地ができて入ってきた通勤民が多くて

通勤民には地域のつながりシガラミは薄そう

川崎はわからないが横浜の方は田畑結構残ってる土地

横浜市東京湾沿いなら

横浜西区桜木町駅中区も南の金沢区も変わりばえしない感じ、でもないか

中区北側西側繁華街南側山手のオハイソ全然違う

青葉区都筑区に南で隣接してる緑区都筑区と変わらない感じ

この増田基準は開発造成時期が新しい方なのかなあ

小中お受験する高給取りが多そうな

元々増田

https://b.hatena.ne.jp/entry/s/anond.hatelabo.jp/20240730135740

2024-07-31

anond:20240731195659

なんかえらい思い詰めたこと言うてはりますなぁ。まあ確かに都心で生まれ育った人たちが結婚してからどこ住むかって、大変な問題やね。4LDKの実家とか、狭っ苦しいわなぁ。田舎やったら土地いっぱいあるし、広げ放題やもんなぁ。羨ましぃわ。

で、まぁ都心の人らはそれなりに収入もあるから、新しいとこ探したりしてるけど、その値段が高すぎて、結局狭っこいとこに住む羽目になるんよ。でもまあ、そんな不便な生活にも慣れてるし、スゴイ賃上げもしてるやるから、案外気にしてへんのやないかな。

ほんで、あなた心配せんでも、都心エリートたちはちゃんとやってると思いますわ。昭和の考え方引きずってるかもしれんけど、まあ時代に応じてうまいことやってるんちゃうかな。田舎育ちやと見えん部分もあるかもしれんけど、心配せんと、ぼちぼち自分生活楽しんだらええんちゃいますか。

都心まれ都心で働いてる人って結婚した後の住居どうしてんの?

都心実家だと広くてもせいぜい4LDKくらいだから2世帯で住むのはキツいじゃん?

じゃあ家探そうってなっても、ほとんどの労働者は今の都心不動産価格では親世代よりもアクセス悪い、狭い、古い家に住まざるを得ないわけで

子供の時よりも大人になってからの方が不便な住居に住まなきゃいけないってすげー苦痛じゃないのかなと思う 俺が土地余りまくってる田舎まれ田舎育ちだからこういう感覚なのかもしれんが

何となくだけど、いまだに歳を重ねるほど生活に余裕が出来るはずっていう昭和社会通念を引きずったまま世の中回ってる気がしてて、インフレ都心一極集中によってもたらされた現実がそれと乖離しまくってる現状で、都心まれがどういう感覚自分住まいを考えているのか知りたい

俺が勝手心配してるだけで、実際都心で働くエリートたちはインフレに見合った賃上げがなされていたりして、肌感覚としてはあん住まいに困ってないのかもしれんが

でもなあ 55平米の2LDKに住んで子供2人とか正直狂気の沙汰だと思うわ...

anond:20240731124500

土地でもモノでも私有ってそんなに強力な権利じゃないからな

あくま係争がない場合に優先的に所有できるだけだよ

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