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2018-02-27

anond:20180227190929

まあ街並みとしてはそんなに世田谷と違わないよ。規模は小さいけど。

そんでもってまあほら、本当の上級都民からしてみたら山手通り越えたあたりからはもう田舎だと思うんだけど、そういうのも田舎の人はよくわかんないじゃん?

タワマンあって23区内はみんな都会なんだろ!みたいなざっくりしたアレ。

2016-10-26

こないだ通勤途中におばあちゃんに呼び止められた

全然タクシーが止まらないんですが、ここはタクシー呼んで大丈夫場所でしょうか?」

「少し先の方で男性が待っていたので、ちょっと離れたのですけど」

山手通り沿いの歩道で駅からも離れている

交差点ちょっと近いが、直前というわけでもない

止めてダメ場所ではないように思う

大丈夫だと思いますけど…」

答えるとおばあちゃんは続ける

病院に行くのにいつもタクシーを使うんですけど、ぜんぜん止まらない」

「もう歩くのに疲れちゃって…」

おばあちゃんはちっちゃかったので、ひょっとしてタクシー運転手に気づかれないとか?と思い

その場で手を上げてタクシーを止めようとした

が、数台スルーされてしまった

どれも乗車中かなにかで

おばあちゃんは困っている

しか自分時間があまりない、あんまり関わっていると遅刻してしま

そわそわしつつ話を切り上げるように伝えた

場所大丈夫だと思います禁止とかじゃないと思います

時間帯によることもあるのかも」(ちょうど通勤時間帯だし)

おばあちゃんは、理解したというように

「ああー…」

と返した

すみませんちょっと時間が。じゃあ、がんばってください!」

それ以上の会話を続けずに頭を下げ打ち切って、おばあちゃんと別れ歩き出した

何かスッキリしない気持ち車道の車を眺める

(ああ、タクシーが。今のは既に乗車していたかダメだな)

(もし空いているタクシーがあったら、自分が一旦止めたらいいだろうか、先におばあちゃんがいると伝えるのに)

(そういえばさっきの場所は案外バス乗り場も近かったのだった、そちらに案内すべきだっただろうか)

(ていうかこんなに悩まさないでくれよ!心配で頭がいっぱいじゃん、マジ迷惑

そう思って自己人間性に残念な気持ちになり

うまく落ちが思い付かないが、なんというかモヤモヤする

2014-03-09

首都圏の主要道路の変遷メモ

明治~現代の各時代の古地図が見れるサイトを見つけて、古地図&道路フェチとしましては、むさぼるように見入ってしまいましたとさ。

■今昔マップ on the web 首都圏編

で、主要道路がこれまでどんな変遷をたどってきたのか、知ることができた内容をメモ代わりに。



【おもな放射道路編】

東海道国道1号・15号)

池上通り

中原街道

綱島街道

  • 1900ごろ時点で綱島~六角橋の区間が原型存在。現在では旧綱島街道としてほぼ残っている。
    • 綱島以北は現ルートに相当する道はなく、代わりに、矢上を経由してガス橋通りに相当する道と、高田・子母口へ通じる県道106号に相当する道に分岐していた。
  • 丸子橋~綱島間は1940ごろ開通。ちなみに東横線開通のほうが先で1930ごろ。
  • 大豆戸~菊名間の新道は1940ごろ開通。菊名~浦島丘間は1960ごろ開通。

目黒通り

駒沢通り

国道246号方面(青山通り六本木通り・大山厚木街道

世田谷通り津久井

甲州街道国道20号



【おもな環状道路編】

内堀通り

  • 1900時点から現在と同じ道が存在している。
  • ただし二重橋前地域は、1970ごろ以前の地図では道路なのか広場の一部なのかがはっきりしない。

外堀通り

  • 淡路町鎌倉橋間に道ができたのが1930ごろ。それ以外の区間はほぼ全線に渡って1900時点で市電が走る道路だった。

外苑東通り

外苑西通り

明治通り

  • 古川橋渋谷区間。1900ごろ時点でほぼ原型あり。広尾付近は1930ごろに市電開通とともに1本の道として整備。
  • 渋谷~新宿区間。1900ごろ時点では、明治神宮前代々木付近に若干道があるのみでそれ以外は道らしき原型はなし。
    • 渋谷駅付近は、1960ごろに宮下公園東側が開通するまでは山手線西側の道につながっていた。
  • 神宮前新宿区間は1940ごろまでに開通。
  • 新宿~池袋区間は、1950ごろに開通していてそれ以前は道らしきものはほとんど無し。
  • (以東は省略)

山手通り

  • 北品川~大崎区間は、1920ごろに開通。1950~1960ごろにかけて大きな道へ整備。
  • 大崎~五反田間は1900ごろにはすでにあり、大崎駅の陸橋は1920ごろに陸橋化されて、その後何度か形状改良されている。
  • 五反田~大橋間は1950ごろまでに開通。
  • 鑓ヶ崎~神泉の現「旧山手通り」区間は、1900ごろ時点で現道と若干異なっているが原型が存在し、1920ごろにほぼ現道のルートで開通している。
  • 神泉~熊野町の区間は、1940~1950にかけて、もともと道がなかったところに一気に開通。
  • 渋目陸橋・菅刈陸橋ができたのが1960ごろ。それまでは、初台方面から南下すると現「旧山手通り」にのみつながっていて、中目黒目黒方面とは直結していなかった。
  • 熊野町~仲宿区間は1960ごろに開通。

都道420号

  • 現在進行形で今も絶賛整備中のこの道路。1900ごろ時点で存在するのは下記区間。
    • 戸越~五本木(現在と多少異なり武蔵小山を経由)、下馬~三宿~大山(北沢)、中野駅付近、哲学道~大山(板橋)
    • ルート上に「大山」という地名が2箇所あるため、ここでは「大山(北沢)」「大山(板橋)」と記述する。
  • 大井町付近は、1920ごろの大井町線敷設以降に徐々に整備。仙台坂トンネル開通は1990ごろ。
  • 戸越小・戸越公園の一角は、1950ごろまでの地図は「三井邸」と記されている。この下にトンネル開通させて大井町駅方面へ直結させる計画が2010時点着工中。
  • 国道1号中原街道目黒通り間の現道が開通したのは1960ごろ。
  • 目黒通り駒沢通り(=五本木)間は現在2014年時点で新道着工中。
  • 五本木~下馬区間は2000ごろ開通。
  • 下馬~三宿区間は、1960ごろに既存道路を拡幅・延伸して整備。
  • 三宿~大山(北沢)区間は、現在420号指定されている狭隘道路は1900時点ですでに存在する。拡幅&新道の計画があり、拡幅工事は現在着工中だが新道についてはまだ未整備。
  • 大山(北沢)~笹塚区間は2010ごろ開通
  • 笹塚~中野五叉路区間は1960ごろに開通。
  • 中野五紗路~新井付近1930ごろ現道開通。
  • 新井付近~哲学道区間の開通が1960ごろ。
  • 哲学道~大山(板橋)区間は1900ごろ時点から道があり、徐々に整備されている。

環七通り

環八通り

府中街道大師道・南部沿線道路・川崎街道

尻手黒川道路

  • 1900ごろ時点で原型が存在するのは、末吉橋およびその周辺、矢上~梶ヶ谷~清水台区間、柿生黒川区間。
  • 川崎駅末吉橋区間は、何度かルート変更されたのち、1960ごろに現道完成。
  • 末吉橋~子母口区間は1940~1960ごろに現道完成。
  • 子母口~梶ヶ谷~清水台区間は1960~1970ごろに現道完成。梶ヶ谷貨物駅完成が1970ごろ。東名川崎IC完成が1970ごろ。
  • 清水台~稗原区間開通が1980ごろ。稗原~王禅寺ヨネッティ付近は、神木本町方面からの道路として1960ごろ先に開通。
  • 王禅寺~山口台区間は1980~2000にかけて開通。
  • 山口台~津久井道区間は2010開通。
  • 津久井交差点から黒川方面へ直結させる短絡ルートが2010現在事業中。
  • その他、2006に元住吉付近で東横線と立体交差を逆にする工事実施

横浜麻生道路

  • 1900ごろ時点で、多少現道と異なるが全線で道路が存在。柿生から先は鎌倉街道府中方面・八王子方面へ直結していた。
  • 1930ごろ、東神奈川六角橋間の現道完成。当時は市電が走っていた。六角橋北側の一部区間の現道完成は1960ごろ。
  • 1960ごろ、津久井道交点が現在のようなT字路に路線変更
  • 1970ごろ、新川向橋付近の現道完成。
  • 1980~2000にかけて、池辺町~市ヶ尾間の新道完成。
  • 2000ごろ、市ヶ尾~鉄町間の新道完成。

国道16号八王子街道・町田街道方面



【その他、概況】

地形・丘陵

河川

2012-11-26

駒場祭ものがたり

昨日、駒場祭に行った

駒場祭にも、他大学学園祭同様に、屋台が乱立している。

 素人東大生素人屋台など食べたくない、その屋台に費やすエネルギーを、

 学園祭コンテンツに振り向けて欲しい、と思うのは、自分だけか?

★行きは井の頭線が激混みなのを予想し、小田急代々木八幡から歩いて駒場裏口まで行ったが、

 小田急ガラガラだし、代々木八幡から東大まで歩くような酔狂な親子連れ

 自分たちだけだった。

 井の頭通りと山手通り交差点富ヶ谷交差点でしたっけ?)も、以前は歩道橋だけで歩行者横断歩道もなく、

 強制的に階段上り下り強いられ、バリアフリーじゃなかったのだが、

 昨日行ったいつのまにかエレベーター歩道橋に完備され、バリアフリーになっていた。

 山手通りも(首都高工事が終わって)歩道も広くなって歩きやすくなったし、

 なぜこの「代々木八幡代々木公園東大駒場」の裏ルート世間認知されないのか、よくワカラン。

 井の頭線の激混みラッシュの分散の意味でも、駒場祭事務局

 「井の頭線は大変混み合います代々木八幡代々木公園からの迂回をお願いします」と

 一般来場者に呼びかけるべきじゃ、なかったか

しか東大駒場の裏口って、殆ど掲示もないような裏口なので、「知る人ぞ知る」状態。

 関係者でなければ、代々木八幡から歩いてきても、迷ってしま・・・

 ひょっとして、東大生の中でも、裏口の存在知らない人が、いたりして。

★帰りは井の頭線渋谷経由で帰ったが、渋谷寄り車両は激混みなのはわかっていたから、

 池ノ下寄り改札まで少し歩いて、そこから乗車した。

 ホームの放送は、必死になって

 「渋谷寄りだと乗り切れない場合があります吉祥寺寄りに行ってください・・」と言っていた。

駒場祭の日くらいは、井の頭線急行駒場東大前に臨時停車させても、バチ当たらない気がする。

 あとセンター試験の日と東大二次試験の日も。

駒場祭は、一般素人は「1号館」を周回するだけでも、結構楽しめますな。

 一般人が見てもわかりやすい展示は、結構1号館に集中している気がする。

 個人的にはセミナーの類を聴講したいのだが、いかんせん子連れでは・・

 下馬評では「レゴ部」「天文部」が評判の双璧ですな。

 

★ところで、学生会館、生協はいつのまにか建て替えられましたな。

 1号館や900番教室のような、レトロ建物戦前?)は、「残そう」という

 動きになりますが、旧学生会館のような、恐らく昭和の30~40年代辺りに

 建てられた建物は、単なる「老朽化した建物」と見なされ、さっさと取り壊される。

 しかし、25年前の学生とかが思い出になっているのは、

 1号館や900番教室もさることながら、学生会館とか生協とも、結構思い出になってるのでは?

 むやみに取り壊すのは、「現役学生OBの、場の共有」がなされなくて、

 あまり感心しないのだが。

屋台で「何もつけないパントースト、50円」を売る「やる気ない屋台」が評判になってたそうだ。

 これって、一種の「ネタ消費」だと思う。

 以前原宿の「ニコニコ本社」の付属カフェ物見遊山で行ったことあるが、ここでは

 「食欲を減退させる、ブルーカレー」なんてのがメニューにある。

 なぜこういうのがメニューであるか、と言えば、

 「ブルーカレーを食べる姿を、ニコニコ動画で全世界配信」したいという、

 一種の「ネタ消費」が見込めるからである

 ネタ消費はどこでも成立するシロモノじゃなく、トーストの件では

 「駒場祭」という場があったから、成立したんだろう。

 他の学園祭だと、成立したかどうか。

 良くも悪くも注目される「駒場祭」だからネタ消費マーケティングが成立するのだろう。

ケータイツイッターで「駒場祭」をチェックしながら回ったので、

 展示を見ながら、当時にツイートチェックする、という不思議ライブ感覚を味わった・・

★誰かのツイートで「駒場祭、誰かアーチスト来てるの?」というのがあった。

 ・・・芸能人を呼んで集客するような、「どこにでもある学園祭」は、他大学に任せておけばいい、と思う。

 駒場祭は「中身で勝負」してくれ。

★「クレープ屋の理三女子可愛い」というツイートも横行していたような・・・

 これって、インカレサークル東大の主に男子と、他大学の主に女子)で、実際は他大学女子、というオチだったりして。

 

 そもそも、東大男子って、あまり東大女子を相手にしない気がする。

 東大女子と他大学女子なら、他大学女子を選んでいる気が・・・

 もっとも、小生の知っている某キャリア官僚は「東大女子しか恋愛相手にしない」という

 ポリシーだったようだから、人それぞれか?

駒場祭の各企画をYoutubeなりユーストリームで中継すれば、結構支持されると思うんだけどなあ・・・

 
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