はてなキーワード: 思想家とは
「本田透」と聞いて、「ああ、あの人ね」と一人の男を思い出す人はもはや少ないかもしれない。
今から10年以上前の2005年、『負け犬の遠吠え』や『電車男』のブームに反発して、『電波男』というタイトルの本で最もラディカルなオタク擁護を行った人だ。
当時、オタクは恋愛弱者で「大人に成り切れない大人」として扱われていた。そんなオタクに対して『負け犬の遠吠え』ではオタクは恋愛対象にならない、大人に成り切れないオタクが増えたせいでまともな恋愛ができなくなった、と批判し、『電車男』では「オタクを卒業して真実の恋愛を見つけよう」と煽った。
本田はそんな風潮にたいして、「いやいや、真実の恋愛はオタク側にある」と180度傾倒した思想を展開した人だ。
現実社会の恋愛は打算が絡み合い、相手を傷つけあうような暴力的な恋愛だ。それに対してオタクが行っている脳内の恋愛は、誰も傷つけず、打算も絡まない純粋な恋愛だと反論したのだ。
本田の主張はセンセーショナルだった。熱狂的に受け入れるものもいたし、極論だと反発するものもいた。是か非か、で論争となり、当時の主要な思想家は彼の考えに言及した。ほとんど彼を批判するためだけの本も出た。
本田はオタクがキャラクターを愛でるときに使っていた「萌え」という言葉は、恋愛を超克したものだと位置づけた。ネット用語だったこの言葉は一躍ホットワードとなった。
彼の主張は岡田斗司夫の「オタクは情報社会に適合した最先端の人種」というオタク擁護を引き継ぎ、さらに先鋭化させたものだった。本田は自分の考えを深掘りし、哲学史や文学史とも接続させて思想的な裏付けをも与えようとした。
このうえ、本田はライトノベルも書き始めた。それは自分の思想の「実践」だった。人類が最高に萌えられるキャラクターを生み出せれば、恋愛で傷つけ合う人々もいなくなるはずだ、という考えのもとに行われた。2005年〜2012年にかけて、ほとんど毎月のように彼のライトノベルが刊行された。異常なペースだ。
オタク生活が「思想」や「ライフスタイル」じゃなくなって、「娯楽の一部」になってしまった今じゃ、彼の本を読んでも「何この人、こんなに鼻息荒いの?」としか思われないかもしれない。当時のオタクを取り巻く状況を込みで知らなきゃ、この本の勢いはわからないだろう。
「萌え」もすっかり死語になってしまった。当時纏っていた特殊な意味合いは今ではなくなっている。
本田は2012年に『ライトノベルの楽しい書き方』シリーズの最終巻を刊行して以来、一切、本を出さなくなってしまった。
もはや自分の考えを表現することに興味がなくなってしまったのか? セールス的な要因で出せなくなってしまったのか? あるいは大著の準備をずっとしているのか?
その理由は一切わからない。更新の止まった公式サイトだけを残して、彼は長い沈黙に入ってしまったのだ。「本田透、何しているんだろう?」と言う人もいない。あれだけ論争を巻き起こした人なのに、この扱いはちょっと、いや、かなり寂しい。
村上春樹が新刊を出して、小沢健二が復帰し、林原めぐみが初ライブをするって聞いて、ふとこの人のことも思い出してしまったよ。
そこを叩いてるわけじゃないでしょ。
少子化しても移民を拒んでも「みんなが平等に」「必ず衰退」しなければならないわけじゃない。
社会全体でも、個々人でも、幸せになる努力や、発展する努力は可能だし、していこうという決意は個々人の自由だよ。その自由意志を、一部の絶望したひと(この場合上野)に外部から勝手に決められたくはないわけ。
今回の上野千鶴子さんは著名な社会学者であり思想家であるところが非常に大きな問題だったわけだけど、Webみれば(はてなブックマークなんかでもすごく多いけれど)「日本はもう終わった。滅亡だ。楽天家はアタマが悪い死ね」系のコメントが山のように見つかる。日本が不景気で低成長で最悪の国家なら、世界の殆どの国は治安も経済も日本以下だ。100点じゃなきゃ0点でも同じだってのは程度の低い絶望であって、それはほとんど日本に対するネガキャンなんだよ。
そもそも、いまAIや医療を始めとした「ひとが少なくなっても社会を豊かにする技術」が研究されているし、その成果は出つつある。そういう方向に従事しているひとも期待している人もいる。鈍感なひとが無視しているだけで、一般的な職場だって省力化がどんどんすすんでいる。技術ではなく、社会体制に至っては、国民間の合意で変えられるのが政策なわけだ。ネガキャンに関わっていては「今よりまし」を目指せないわけ。
「未来は変えられる」んだよ。それを「気楽だ」「現実を見ていない」という人間は、歴史を学んでないだけだ。たかが一世代まえにはスマホはなく、二世代遡れば個人用PCすらないようなのが地球の歴史なんだから。
たしかに今日本は、厭世的な、悲観的な空気が蔓延しているかもしれないよ。でもだからといって、頑張ってるひとや、希望を持ってるひとを、叩いていい理由にはならないんだ。
yoko-hirom 香山氏が正しい。ネトウヨには数学でいう集合の概念の認識に異常がある。ゼロサムで無いものをゼロサムと妄想したり,国家と国民を混同する概念の未分化など。低知能と呼ぶべきもので治療不能かもしれないが。
わたしは自身を中道と自認しているけれど、左翼の発言者としてid:yoko-hiromのコメントには唸らされることもあって着目しているのです。ところが、香山リカが正しいというのは全体主義+優生思想の最悪の組み合わせに正しいとお墨付きをする行為ではないですか。やはり左翼思想家はみな極まるとそっちに行くのかと思わざるをえないじゃないですか。
やめましょう。左翼が安倍政権に怒るのはわかる。だが冷静に行こうよ。左翼主義は私は支持しないが、彼らの立場から見ると、急進的革命は失敗することがわかったので、穏やかに変えていくべきだとわかったわけでしょ?ソ連・東欧と中国は失敗したが、西欧の穏やかな社会民主主義は今のところ長続きすることもわかったじゃないか。世界のどこもかしこもアメリカなみのジャイアン主義的資本主義を好むわけではないことももうわかっているじゃないか。あなた方が社会において実践的に議論に参加しなければならない。そうしたほうが日本の将来はよくなると思います。
ブコメのいくつかにもみられるように、左翼・リベラル主義者は断固として香山リカを切り捨てなければならない。
でも集合の概念の認識に異常がある、という考え方、面白いね。わたしからみると極右と極左はどちらもそうであるように見えるけど。ま、これとて、私が中道の立場を取ろうとしているから、そこからみると極右と極左はどちらも距離が最長であるという、そういうことですが。
「世界は『今がすべて』」とそういう風に感じているんだろうか?
俺は、困惑している。
テレビ電話すらカクカクで、そういう感じで戸惑っていた時代だったわけだ。
10年前には、まだ30年くらい前の価値観を持っていた。俺が生まれる前の時代から続いてきた世界が少しずつ変わっている、その速度で覚悟をしていた。
学問を志していたが、僕の志した学問は完全に情報化の波にのまれた。
具体的には医学だし、医者にもなったけど、まさかこんなに製薬会社の言いなりに統計を出すだけなんて。
科学が学問ではなく、統計結果に対して理屈付けする学問ではない何かになった。
将棋では、AIが出した答えを人間がどうにか解釈するというものになりかけているらしい。
昔は人間が考えて学問のようになっていたと思うんだけど、現代は答えが先に出て、理屈を後からつけるようだ。
俺は、この変化に正直乗れていない。
10年前に医学部に入ろうとしていた時は、「細胞生物でも研究して、なんかDNAとかいじる感じ」だった。
それは確かに正しいといえば正しいが。
現状はIPSの発展しだいだが。
この時点でかなり予定がずれた。
いや、しかし、どうなんだ。
確かに、世の中進んでいて、早送りで結末見てるみたいで、効率いいなーって思うけどさ。
医学なんて、統計が出るたびにドンドン学問自体が変わっていく感じで。
昔は10年で半分とかのペースで変わっていたんだけど、最近では、数年で半分変わる。10年後には、半年で半分変わるとかいうレベルらしい。
本当かよって思うんだけど、マジっぽいから困る。
統計で血圧140以下に下げた方がいいってのがでると、それに付随した薬がでまくって、それに付随した研究論文でまくって、それに付随した治療の結果報告ができて、って感じでガンガン出てくる。
もうなんというか、学問が血圧いくら以下にしましょーってのを予想していた時代とかもう懐かしいレベルなんだよね。
あと、ゲームね。
スーパーマリオから、バーチャファイターで超絶未来を感じていたんだが。
エロゲーも『KANON』で文学を感じていた。『クロスチャンネル』とか、もう哲学だねって。
やりすぎコージーかよ。
もうさ、わけわかんないんだよ。
エロゲーとオナホでいまだに未来を生きてると思ってるレベルなんだよ俺の脳みそは。
なんだよ、VRとかって。
頭おかしくなるわ。
あと、スマホね。
確かに便利。
しかし、メールですら、10年前になんとなく追いつけそうで追いつけなかったんだよ俺。中学の時は返信の仕方がわからないし、メールで怖い思いするのいやだった。
どれもこれも、10年前なら、「これは大事件ですよ!これどうやって扱ったらいいのか?」って数年は取りざたされるレベルだった。
いやいや、俺が小学校のころは、20年くらい前だけど、プログラミングなんてなんのためにしてるのかわからないレベルだったんだよ。
よくわからない亀が20歩歩きますみたいな授業でやって、「それがだからなんなんだよ_?」って時代。
実際俺は今日、まったくバンドやったことなかったが、行ったこともない町に行って、バンドマンに会って話をした。
話をしながら、なんだ?って思いながら。
家に帰って、よくわからないネット運動家とツイッターで議論した。
本屋でバンドの本を読んで、家でネットでピアノの人がキーボードを扱う方法を検索。
そしてすぐ、あったこともない、ネットの思想家のツイートをRTして、「なるほどこんな考えもあるんだな」と、
そして、ネットでバンドマンから聞いたバンドマンのピアノアレンジを見て楽譜を覚えだす。
ある程度引けそうになったら、ネットでおっさんがやってる実況プレイを見ながら、同人ゲームをやる。
どうなってんだ?
俺は、いまだに今の生活を受け入れられていない。
俺が10年前に予想していた生活は、「図書館で論文を読みながら、世界について思いを巡らし哲学(現在はネットである程度世界の実情が見れるため哲学に頼らなくて不安にならなくなった)」
俺が20年前に予想していた生活は、「教授の下で働きながら、結果がでるかどうかもわからない中で、研究。情報収集で資料とりよせにはがきだしたりする」そういう感じだ。
その変化に正直、ついていけていない。
今の時代に生まれた子供なら、変化するのが当たり前でなんか、俺とは違う感覚のような気がする。
変化することを前提として、生活できているんじゃないか?今の子たちは。
俺は、わからない。なぜこのような不安を漏らす意見が少ないのか。
いや、多いのか?みんな戸惑っているのか?
わからない。
この世界にサクッとなじんで行動している人たちの頭が知りたい。
俺と同じで、行動は未来人(過去からみた未来人って意味で)だけど、脳みそは過去のままで違和感感じながら生活しているのか???
<追記>
やっぱ、納得いかない。
怖えよ。俺はいまだにこれらが怖いんだよ。
なんか、一線どころじゃなくて、100線くらい超えちゃってない?
お前ら人間じゃねえって感じ。
おいおい、そんな大切なこと、どうしてそんなアッサリ受け入れてるの?
つーか、人間として受け入れられる話なのか?
いやいや、俺も時代についていけなくて、一生独身だろうなーって思うけどさ。
脳内では、「やべえよやべえよ」ってなってるんだよ正直。
皆、なんで動いてくれないんだ。俺も動けないけど、1人くらいいるだろうって待ちゲーしてんだけど。
いやー。
どうして。なぜ、そんなことに。
人間ってそんなアッサリ変わるもんなんだなあってその可塑性の良さにびっくりする。
正社員→派遣。未婚率上昇。職場に女性社員増えます。起業率下がりまくってます。個人事業主激減。
こんなのそんなアッサリ受け入れられるんか?って余裕でみんな変わっちゃったね。
本当に変わっちゃったらしい。昔の感覚はサンクコストに引っ張られた判断になっちゃってる。
しかし、サンクコストっていうが、みんな、その感覚を前提に生きてたんじゃないのかよ。
現在すら処理できないのに、こっから加速して、この手の不安がたぶん5年に1回、3年に1回とだんだん間隔狭めてやってくるんだろ?
どうなん??怖いよ。頭おかしくなりそう。
<追記追記>
つーか、増田でこんな不安を書くなんて未来に俺が、こんな風に不安を吐露するなんて。
<追記追記追記>
おいおい!マジかよ!
俺のほうがおかしいのか?
じゃあ、なんでみんな、バーチャファイターで驚いていたんだよ。
それが、1年に数回レベルで起きてるってるのに、「大して驚いてませーん」って人たちさ、じゃあバーチャファイターの時の驚きはなんだったんだよw
いや、マジで、えっとさ、嘘だよね?
バーチャファイター、xvideos、なんでもいいけどさ、その時の衝撃がすごかったのに、
それがバンバンバンと何度も出てくるようなこの世界に驚き桃ノ木じゃねえの?
俺がネイチャーとか読んで、「マジかよ!!!ジャイロ効果って嘘なん!!!??」って思ったり、やたらいろんな分野知りたがって、「将棋でAIだって?」とか、「居角左美濃で矢倉絶滅かも!!!???」とか、「嘘だろ、ハロウィンってこんな流行るとかマジなん???」とか、「ポーカーがネットで?しかもネットプロが速攻できまくる?」とか、そういういろんな分野での新しい進化みたいなの見まくって驚きすぎなのかもしれないか?
まあ、単に医学自体が、1年で基本的な抗菌薬の使い方すら変わる(サンフォードってやつが毎年改定になって、毎年それみて参照しなきゃいけない)とか、これまで治療できなかったものが治療できるとか(C型肝炎はインターフェロンで微妙な治療効果だったのが、今は95%行ける)とか。もう常識が毎年変わるんだよね。
だって、肝炎とかって、何千年前から(ウイルスの発見は最近だけど)あるんだよ?抗菌薬なんてほんの50年くらいだっけ、それでこんだけ毎年イタチごっこやってて医療の主役とかマジ?
耐性菌とか毎年毎年出てきて割合が報告されて。それに対する統計でてきて、覚えて。
皆、各分野でそれぞれビビってるんじゃないの?
ビビってない人たちって、じゃあ、バーチャファイターが出たときも、現代の10分の1くらいの驚きだったの。
嘘だろーそれはー。
http://kutabirehateko.hateblo.jp/entry/2016/09/07/145618
「前後の文脈がどうであろうと『民族名+殺す』とTweetすることは紛れもないヘイトスピーチであり、被差別者である少数民族にとっては現実の脅威だ
というのと
http://kutabirehateko.hateblo.jp/entry/2016/09/08/110243
。ドイツ人が「ユダヤ殺す」と公の場に書いたらどういう問題になるかを考えてみればわかる
孫正義をハゲ呼ばわりする人の大半は彼より社会的に弱い立場にいる。
って発言者との関係という文脈読んでるから同時になりたたなくない?って思うんだけど。
後者の非対称を元に発言者の属性を元に差別かどうか判断するって話だと、これマイノリティがマジョリティが差別するのような発言する場合はOKじゃない?
特に今は蓮舫さんに対する差別的発言がネットに溢れていると思いますが・・・。
更に言うと
ナチスがユダヤ人、同性愛者や障碍者、思想家を皆殺しにように、ハゲを根絶するために動いた国家があるだろうか。また日本にそのような歴史があるだろうか
これその国がある特定の属性を弾圧した歴史がなかったら差別じゃないんですか?
じゃあ日本はムスリムを組織的に弾圧した事無いけど、はすみとしこ氏の例の絵は差別じゃないんですか?
http://geopoli.exblog.jp/25798091/
イスラム系の人々は、パレスチナ難民に同情する反イスラエルの人々が多いので、必然的に彼らの反ユダヤ主義が、逆にリベラルな西洋の国家の中で野放しにされて拡大してしまった、ということなのです。
朝鮮民族などの日本に植民地支配されてた人達がアイヌ民族を組織的に弾圧差別していた歴史はないですよね?
これ今回の発端となツイートが日本におけるマジョリティである大和民族でなければ差別ではないのでしょうか?
だとすればツイートした人が日本国籍をもち日本に在住している大和民族かってどうかってどうやって調べたんでしょうか?
在日コリアンとか外国人かもしれないし、テキサス親父みたいに日本語を勉強した外国人かもしれない、沖縄の人かもしれない(琉球民族)し、フィフィさんみたいな外国籍の人かもしれない。
発言者と言及された人間の属性という非対称ロジックで差別だと判断するという立場をとるなら相手の属性をみてから糾弾すべきではないでしょうか?
以前から気になっていた「まおゆう」を見た。駄肉と取り外し可能な角しか知らなかったけど、結構考えさせられるアニメだった。
たぶん、監督は原作で下敷きになっている背景を知らないで作っているのではないかと思った。シーンがぶつ切りでどうなっているのか分からなかったし、特に戦闘シーンはどんな舞台がどこに向かっているのか全然わからずポカーンだった。
物語の下敷きになっているのは歴史なんだろうけど、経済の部分だけよく分からなかった。奴隷の成長は人権の萌芽を描いているんだろうし、その過程で世俗と教会の2重権力を描写してるしとても面白い素材ではあるけどそれを生かしきれてないという印象。
登場人物の役割が職業別にうまく分かれていてわかりやすかったので、この点は良かった。商人、軍人、役人、農民、政治家そして魔王は学者・思想家という立場か。魔王だけはチート技術で未来技術をバンバン導入してるので学者というのはちょっと違う?
特に商人は見方でも敵でもない、儲かることが正義という精神を体現する非常に面白いキャラだった。儲けるためには敵とも手を結ぶ、戦争を商機と見る悪人か、それとも経済交流と相互依存を通じて戦争を遠ざける平和の使者か
この物語を通じてなにが言いたいのだろうか? 魔王が「あの丘の向こう側が見たいんだ」といったことが、「技術と文化の発展によって戦争のない世界を目指す」という意味なら、それには望みがない。技術の発展はむしろ大量殺戮を可能にした。経済発展も貧富の差を作り出し社会の混乱を生み出した。人間の欲望が限りないことを考えれば、戦争は食えないからするというのは単純すぎるといえないだろうか。
なぜか最終話で火縄銃が登場して、はなしの展開を描く気がないでしょと感じざるおえない。史実では火器は歴史を動かす重要な役割を演じているので面白いネタを前にして最終回とは、非常に惜しい。2期がないのはわかっているが、このアニメの面白さに気づいてくれる人が多く現れることを望む。
僕、学歴もないし、実家ぐらしのフリーターなんだよおおおお〜〜〜〜〜んんん!!!
別に真っすぐ生きれば良いのに、プライドだけは一人前な僕は、そんな現状に耐えられないんだよおおおお〜〜〜〜〜ンンンN!!!!!!
もともとアカデミズムや準アカデミズムに憧れてたのに、その輪に加われないことから、猛烈なコンプを発症してしまったんだよいよよぉぉぉ〜〜〜んんんん!!!!
そんな中、もう亡くなったある在野思想家の本が僕を救ってくれたんだよぉぉぉおお〜〜〜〜んんんん!!!!
彼の文章は大半意味不明だったけど、時おり見せる異様にラフなスケッチ、一丁前にカッコつけた見栄の切り方、ジャッジメントの仕方は参考になったんだよおおお〜〜〜〜〜ん!!!!
僕はアカデミズムに対抗して、「在野派」として生きることに決めたッッッッ!!!
もちろんアカデミズム対在野なんて対立が疑似問題だってことは分かってるさ、でもそうしないと生きていけないし、頭の悪いボクにはこの整理が限界なんだヨオオオオオーーーーー”!!!!
これから、「負け組」のくせして保守として生きていくぽよおおお〜〜〜〜〜!!!!
もう限界なんだもん!自分の中途半端な若さに!そんな訳で、自分を60代の小粋なじいちゃんと仮想してこれからは生活を送っていくよおおお〜〜〜ん!!!!
生活実感を〜〜〜〜ンンッ大事にッッ!!!しかしガルパンなどの最新の文化に対しても懐が深イイイイ!!!!
本の内容を要約しただけの、そこら辺の学部生でも×内容ダリンッッ!!!!
今日は自身をモデルにした数々の戦争映画が作られた「ヒトミ・イトウ」と「シズカ・メタバーナ」のカップル、あの宇宙世紀のロミオとジュリエットに直接話を聞いた。
ヒトミ「れんPOW!」
シズカ「Gオン!」
ヒトミ・シズカ「「ラーブラブ!」」
突然始まりましたけど、なんですか?
ヒトミ「これは今度やる一年戦争記念館を応援する番組『連邦とジオンのラブラブレイディオ』の挨拶です」
シズカ「ラーブラブ!」
は?
ヒトミ「ええとですね、宇宙世紀の前、西暦の時代に子供向けのアニメーションに声を当てていた、声優と呼ばれる職業の方々やっていたアニラジという文化がありまして」
は、はあ。
ヒトミ「そのアニラジでは、番組独自の挨拶を作っていたんですよ」
そうですか、どうでもいいですね。
シズカ「どうでもやくないやい!」
すいません。
ヒトミ「『連邦とジオンのラブラブレイディオ』は、サイド3FMで、一年戦争を知らない子供達から、ラプラス事件を生で見た老人まで、幅広い年齢層に向けてお送りしています」
ヒトミ「地球の人たちには、日本の地方FM番組『ムラサメ研究所のムラムラしない夜はコレを聞け! 』のスポンサーでお馴染みの、スジャータさんです」
えー、スジャータ凄すぎない?
ヒトミ「スジャータさんは、仏教を通じてニュータイプ思想を解釈していて、かの第二次ネオジオン戦争では、スジャータさんがインドで開催した「ニュータイプ修行ツアー」でニュータイプに覚醒した、少女が巨大MAで活躍したって噂があるぐらい、地球にいながらも、アースノイドやニュータイプに詳しいんですよ」
本当っぽいけど嘘ですよね?
シズカ「嘘じゃないよ! あの百式とか作ったナガノ博士が「俺の嫁のクェスって子がね」って言ってたもん!」
お前その理屈だと、ベルトーチカもナガノ博士の嫁になるじゃねえか、この記事はマフティーの動乱が起こってるらしきことを最後に示唆して終わるんだから、ベルトーチカチルドレンと繋がらなくなるネタフリ辞めろや。
はい、仕切り直しです。
ヒトミ「すいません」
シズカ「ごめんね、ごめんねー」
まず、お二人が何故「宇宙世紀のロミオとジュリエット」と呼ばれているのか?
シズカ「あの映画のヒトミちゃん可愛かった! けど、本物のヒトミちゃんの方が可愛い!」
ヒトミ「もーシズカーも、本物の方が可愛いよ」
あれ、今気づきましたけど、この再現映画って設定、ジレン暗殺計画と被ってますね。
ヒトミ「あのごめんなさい、いちゃつかないのでメタネタ辞めてください」
わかりました。
では、お二人の出会いについて教えてください。
ヒトミ「えーっと、83年の11月のことです」
えーっと、あれですねデラーズ紛争と呼ばれる、ジオン軍の残党がコンペイトウで行われていた観艦式を襲撃した戦闘。
シズカ「シズカもでーす!」
えー! そうなんですか? 映画だとお二人の出会いはグリプス戦役だと描写されていたんですが?
ヒトミ「あれ、地球だとまだあのガンダムの話って禁句なんですか?」
シズカ「持たず、作らず、持ち込ませず」
ガンダム? ちょっとよくわからないですが、その戦争でお二人は出会うんですよね。
ヒトミ「はい、私は観艦式の護衛として、ジム・ガードカスタムに搭乗していました。索敵任務中でした」
ええと、モビルスーツの名前が色々出ましたが、ジム・ガードカスタムは、ジムのカスタマイズ機ですよね?
ヒトミ「そうですね、当時も色々とジムのカスタマイズ機は生産されてたんですが、私みたいなのに回ってくるのは、一年戦争当時の残り物でした。
ガードカスタムという名の通り、体が隠れるぐらいの大きいシールドが特徴的ですね」
それは、やはり女性という立場から、そのような被弾しても問題ない丈夫なジムを振られた?
ヒトミ「いやー、関係ないでしょ。さっきのニュータイプの女の子の話じゃないけど、モビルスーツの操作技術と性差は関係ないと思いますよ」
は?
ヒトミ「ごめんなさい」
シズカ「ごめんちゃい」
で、シズカさんが乗っていたのが、ドガッシャ。
シズカ「ドガー! シャア!」
どんなモビルスーツなんですか?
シズカ「ハンマー!」
ヒトミ「ガッシャっていう、水中専用MSを宇宙対応したものなんだよね」
シズカ「そなの?」
それで、連邦軍とジオン残党という、敵同士の関係がお二人のファーストインプレッションだったんですね。
具体的にはそれぞれどう感じました? よく戦争映画では「このプレッシャー…… あいつか?」みたいな、やり取りが描かれますが。
ヒトミ「戦闘中のことは覚えてません」
シズカ「おなじくー」
えー。
シズカ「おなじくー」
それもそうですね。
そして、その戦闘でシズカさんを鹵獲したヒトミさん、お二人の恋はそれから始まるんですよね。
ヒトミ「可愛かったから?」
シズカ「ぐへへー、かわいいーって言われたー」
顔が?
ヒトミ「顔がですね」
シズカ「ぐへへー、顔かわいいー」
ただその、シズカさんは所謂デザインベビーで、いわば作られた美なわけですよね。
その点や、そういうった少女を戦争の道具に使うジオンへの嫌悪感などはなかったんですか?
ヒトミ「ないなあ」
そういうもんですか?
ヒトミ「そういうもんでしょ。デザインベビーっていう、生命に人の手が入る事への嫌悪感とか言い出したら、そもそもこうして地球から離れて宇宙で暮らす事自体おかしいでしょ」
うーむ。
ヒトミ「所謂『ありのまま』とか『自然が良い』みたいな思想はアースノイドだけじゃなく、スペースノイドの人にもいます。
ただそれって、アースノイドとかスペースノイドとか関係なく、地球を知ってる人の意見なんですよね」
知っているとは?
ヒトミ「ようするに、地球にお世話してもらってた人ってことかなあ」
ヒトミ「酸素であるとか、水であるとか、そういうものをお世話してもらってるのは事実でしょ。宇宙じゃ全部自分でやらないと」
シズカ「食べ物もねー」
ああ、なるほど。
つまり、アースノイドよりもスペースノイドの方が優れていると?
ヒトミ「それはないでしょ。お世話してもらえるならお世話してもらえばいい、苦労しないにこしたことはないよ」
シズカ「私もヒトミちゃんにお世話してもらってるー」
ヒトミ「うん、それといっしょで、役割分担が違うだけなんですよね。アースノイドにはアースノイドの、スペースノイドにはスペースノイドの長所と短所があるんですから」
でも、ジオンはスペースノイドの方が優位だと掲げていましたよね。
ヒトミ「私は思想家でも政治家でもなくて、ただのジオンの軍人と結婚した連邦の軍人で、しかももう軍を辞めてて、責任を追わなくていい立場だから、好きに言っちゃうけど、
例えば、ハマーンカーンがアクシズで暗黒の世界に居るのが嫌だったのは、彼女がアクシズで暮らし始めたのが、自分の選択じゃないからだと、思うんだよね」
それは、棄民政策でスペースコロニーという宇宙での暮らしを強制された、初期の宇宙移民たち、つまりジオンズムダイクンにも通じると?
ヒトミ「そうだね。自分の環境が変化したとき、それが自分の選択によるものじゃないとき、人はその変化に反発消化しないといけないんだよ」
変化に反発?
ヒトミ「そう、変化。サイド3で政治家の娘として暮らしていたが、突如アクシズで寒い宇宙に放り出されたハマーンカーンも、首総の息子であったために内紛に巻き込まれたキャスバルも、それが受け入れられない変化だから反発したんだと、私は思ってる」
シズカ「ミネバちゃん」
ミネバ? 確かにザビ家の遺児でありながら、先の戦争で彼女はネオジオン側についていなかったようですね。
ヒトミ「そう、それは彼女が物心ついたころから、あの立場だったからじゃないかなあ。彼女にとって、ハマーンが耐えられない暗黒の世界は、日常だったんだよ」
なんとなくわかってきました。
ヒトミ「宇宙世紀になって、人が宇宙で住み始めてもう100年です。
こうして私たちみたいな『女同士のカップル』が異常だ、マイノリティだ、と騒がれていたんです」
なぜ? 今じゃあ至って普通のことですよね?
ヒトミ「ね、何故? って思うでしょ」
シズカ「ふつうなのにねー」
ヒトミ「それは、人間が生殖以外の目的を持っても良いぐらい豊になったからかもしれないし、科学の進歩により同姓でも子供が作られるようになったからもしれないし、他者への寛容が進化したからかもしれないし、その逆に無関心なだけかもしれないし」
ヒトミ「どんどんコロニーが広がって行って、いつか地球のことを知りもしない子供たちが増えて、もう別の太陽系で暮らすようになったら、
きっと、また別の理由を見つけて争いが始まるんじゃないかなあ」
争い自体は無くならないと、思っているわけですね。
ヒトミ「理屈は何にもでもくっつくからね、女同士の恋愛が異端であることも、普通であることも、どっちにも理屈はくっつく。正しいか正しくないかは別として。
事実、こうしてサイド3では戦争が終わってウン十年を祝ってるのに、
地球じゃ特権階級をもつ政治家を粛正しようと、マフティーなんてテロリストが暴れてる。
そして、何年先になるかはわからないけど、きっとまた独立を掲げるコロニーは出てくる。
もちろん中には、もう地球を見捨てて、コロニーだけで暮らして行く人たちも出てくる。
もうそれすらも嫌になって、別の太陽系を目指す人も居るんだと思う。
でね、私はそんな苦労を、レコンギスタし続けることを、辞められないんです」
シズカ「辞めたくないよねー」
それは何故?
ヒトミ「地球って重力があるから、オッパイが垂れるんですって」
シズカ「ヒトミちゃんはオッパイ大きいから、重力の影響も大きい。シズカは小さいから良いけど、ヒトミちゃんは死活問題。40代特有の肉の付きやすさもあるし」
ヤックデカルチャー!
シズカ「メタいよー」
一年戦争という、人類の種としての存続が危ぶまれるような戦争を経て、人間がどう変わっていくのか、どこが変わらなくてもよいのか。
そんな「人らしさ」を強く感じられるインタビューだったと思います。
それじゃあ、最後に何かあればどうぞ。
ヒトミ「えー『連邦とジオンのラブラブレイディオ』以外にもラジオを中心に活動しています。詳しくは、Twitterを見てください」
知らない人も多いかもしれないが、日本の30以上の地方自治体で成立している。先日大阪市でも成立した。
(https://www.jfd.or.jp/sgh/joreimap)
ここまで多くの地方自治体がこういった条例を作っているのなら、国が手話言語法を制定してしまえばいいじゃないかと思う方もいるかもしれないが、国がやってくれないのである。
一部の聴覚障害者や関係者が制定運動をしているのだけれど、なかなか実現しない。
仕方ないので、地方から国を動かしたろということで2013年に鳥取県が制定したのである。それから全国に手話言語条例が乱立し、世はまさに手話言語条例戦国時代!状態になったのである。
とりあえず手話言語条例がどのようなものかを理解したければ、実際に条文をよんでみるのが一番だと思う。原典アタック。
最近はいろんな手話言語条例が成立したので変わったものもあるが、ベーシックな原点の鳥取県手話言語条例でいいかな。
http://www.pref.tottori.lg.jp/222957.htm
23条しかないので、全文を読むのにも大して時間はかからない。法律に出てくるような難しい言い回しもないので簡単に理解できる。
最近は変わった手話言語条例を制定しよう(京都市の観光客向けの手話言語条例とか)としているところもあるみたいだが、基本は大体この鳥取県の条例と似たようなもんである。
結局のところ、総合的に見て各地の手話言語条例に書いてあることの基本をおおざっぱにまとめると以下の2点のようになる。
②手話を普及させることで聴覚障害者やその関係者等の暮らしをよりよくする
(具体的には、鳥取県の例でいえば手話通訳者を育成したり関連の事業者をサポートしたり県民のための手話講座を開いてみたり小学校で手話を教えてみたりしているようである。)
こうして見ると、①はあくまでも理念的なものであって、この条例の本質は②にあるのだろうと思う人が多いだろうと思う。少なくも鳥取県のケースはそのようになっている。
しかし、一部の聴覚障害者にとっては①、つまり手話を言語として認めてもらうことは②と同等、あるいはそれ以上に大事なことで、彼らの人生にとって極めて重要なことであると考えている。
「手話が言語であると条例や法で認められたとしたって何が変わるのか?どうでもよくないか?」そう考える人もいるだろう。
しかし、そのことを考えるにあたって、まずは手話というものについて掘り下げなければならない。これは非常に厄介な問題なのだけれど、がんばって簡潔に説明してみる。
手話というものは世界中にある。アメリカであればアメリカの手話があり、韓国は韓国の手話、そして日本にも日本の手話がある。
ここまでは普通の言語と変わらない…のだが、日本の手話は少なくとも2種類のものがある。(もちろん方言とかではなくて)
A日本手話 と B日本語対応手話 である。どう違うのか。説明する。
Aの日本手話は一言でいえば、「日本語とは異なる、一つの独立した言語」であるといえる。
私は言語学には疎いので言語の定義もよくわからないが、重要なのは独自の文法を持っているということだろう。
手話の文法の具体的な説明は難しいが、まぁ英語に似ていると思う。
日本語の「私は 手話を 勉強 しています」という文を無理やり日本手話にしてみると、「私 勉強 している なに? 手話 です」とかそんな感じ。
実際にはこれを踏まえてこまかい表情や首の動き、眉の動きなんかも文法の一要素としてあるようで、日本語をしゃべる人間にとってはややこしいし難しいしわかりにくい。
手話言語学とか文化人類学とかで研究されているので、興味のある方はそこらへんの本でも読んでみるといいかもしれない。
とにかく、日本手話というのは聾者と呼ばれる人が使う独立した言語なのだ。日本語とは違う言語。これが重要。テストに出るぞーレベル。
そして、Bの日本対応手話はどうか。「日本語の文法に手話の単語をあてはめただけのもの」とでもいえばいいだろうか。
こちらは日本語でしゃべるのに合わせて手話の単語を出せばいいので簡単に習得できる。
日本語で「私は 手話を 勉強 しています」と口で言うときにそれぞれの単語のところでその手話をだせばおしまい。表情や首の動きもいらない。楽ちん。
この手話は日本語の文法ありきのものであって、独自の文法を持たない。言語学をよく知らなくても、それでは独立した一つの言語ではないということはなんとなくわかるだろう。
むしろ、これは言語というよりは筆談やノートテイクのようなコミュニケーション補助のためのものと解したほうがいいかもしれない。
大学の手話サークルとかはだいたいたぶんこっち。Aの日本手話をやっているところもあるのかもしれないが、そちらは難しいので手話を勉強しようと思うと最初はこれを使うことになるだろう。
聴覚障害者の中でも軽度のものだったり、聾学校ではなく普通学校に通っていた人や中途失聴者は日本語の会話(口話)の補助としてこれを使う人が多い(と思う)。
ただし、この二つはきれいに分かれているわけではない。二つが混ざり合うこともある。
けれど、この二つは対立関係のような部分もある。Aの日本手話の話者によってはBの日本対応手話はまがい物である!という人もいる。
これを巡ってはかなり論争があるというかめんどくさい感じに聴覚障害者の中(聾者対難聴中途失聴)で内ゲバっちゃってる。ここでは書かないけど。
とにかく、大事なことは手話の中でも日本手話というのは独立した言語であるということである。
私は言語学も文化人類学もまったく勉強したことはないが、言語というのは文化と密接な結びつきがあるというのは間違いないだろう。
そして、上に挙げたAの日本手話という言語は「ろう文化」というものを形成する。そしてそのような文化圏にいる人は自らを「聾者」と名乗る。
逆にそうした文化圏に入らないような聴覚障害者を「難聴者」と呼ぶ、あるいは自称することがある。
(「聾者」「難聴者」の定義は不安定で人によっては違うのだけれど、とにかくここではこのように理解しておく)
それでは、この「ろう文化」と聾者はこれまでの歴史においてどのように扱われてきたか。
結論からいうとひどいものだった。マイノリティとして抑圧されてきた。
特に酷い例でいえば、彼らは日本手話という自らの言語を奪われることもあったのである。
細かいところはここに載っているが、(http://www.d-b.ne.jp/d-angels/sub4-3.html)
日本の社会において日本手話は役にたたない、要らないということで聾学校で手話が禁止され、口話(残存張力と唇の読み取りで頑張るだけ)を強制されたのである。
その結果、上手に喋ることができるようになり、聞こえるようになった聴覚障害者がたくさん出てきたかというとそうではない。良い効果はあまり得られなかったのである。
それどころか、生徒は学校で自らの言語をつかうことを禁止されたことに苦しむことになる。
手話を使えば手っ取り早く友達と楽しく会話ができるのに、不慣れで不自由な口話を強制される…。
そしてこの抑圧は当時の生徒に大きな悲しみと怒りを植え付けることになる。
そして、この抑圧が彼らを固く結束させる。自らの誇りある言語、日本手話を守ろうと。
もうおわかりになると思うが、このような歴史の中でマイノリティとして抑圧されてきた事実に対する憤り、それこそが手話言語法制定運動の原点である。
いまいちわからないなら例を考えてみよう。例えば日本語が禁止されたとしたら。
敗戦直後にGHQが学校で「ジャパニーズは言語としてダメ!これからは君たちはイングリッシュをしゃべるんだ!ジャパニーズ禁止!」とか教える。
そんな感じだろうか。だいぶちがう気もするけれど。まぁ、でもすごく不快だよね。
(日本手話はマイノリティだったという点で日本語とは異なるので不適切な例だろうと思う。)
そんなことが実現したとは思えないけれど、とにかく大事なのは自分たちの言語が奪われるというのはその言語の文化に属する人間のアイデンティティにとっては大いなる損失になるということである。
某ゲームでも「人は、国に住むのではない。国語に住むのだ。『国語』こそが、我々の『祖国』だ。」なんて言葉が出てきたしね(ルーマニアかどっかの思想家の言葉らしいけれど)。
手話言語条例・法というのはそうしたろう文化に属するもののアイデンティティの名誉の復活を意味するものでもある。
だからこそ、手話を言語として認めてもらうこと、それ自体に大きな意義があるのである。
まず、手話言語条例の「手話」というのが何を指すのかという点で微妙である。
例外はあるけれど、基本的にどこの条例も手話というものがAの日本手話だと明記していない。
これは各自治体が二つの違いを理解していないということではない。
二つの違いを理解した上でBの日本対応手話を使う難聴者に配慮しているという形になっている。
上にも書いたけれど、この二つは対立関係にあってものすごくこじれている。
だから、片方だけを優遇してしまわないようにするという形にしている。
ちなみに、例外としては、埼玉県朝霞市の「日本手話言語条例」で、こちらは日本手話と明記している
https://www.city.asaka.lg.jp/uploaded/attachment/29886.pdf(pdf注意)
『第2条 この条例において「日本手話」とは、手、指、体、顔の部位等の動きにより文法を表現し、日本語とは異なる文法体系を有する言語のことをいう。』
という風に定義している。
しかし、こういった条例というのは、私の知る限りここしかない。
もっといえば、聴覚障害者自身でさえどうして手話言語条例を制定しようとするのか、そこの目的が人によってぶれている。
実をいうと、聴覚障害者の中で日本手話を使うろう文化圏に属する人間は少ない。多くは難聴者と呼ばれる人間だと言われている。
当然だが、こうした人たちは手話言語条例を「生活がよくなればいいな」ぐらいにしか捉えていない。
そして、聾者の中でも若い人は上述した日本手話の歴史に疎い人も多いので、中にはも「生活がよくなればいいな」くらいにしか捉えていない人もいる。
もちろん、それが悪いわけではない。ただ、本来の目的からずれ始めているのだ。
そして、結局のところ、世間(聞こえるひとたち)での受け取られ方というのはつまりだいたいこんな感じだ。
「手話言語条例?これで聴覚障害者たちの生活がよくなればいいね!」とかそんな感じである。
この受け取り方がまずいとは思わない、思わないけれど少し浅いというか、これでいいのだろうか。
聴覚障害者について知る機会もあまりないのだから仕方ないだろうとは思う。けれどもやっとするところである。
というわけで、長くなったけれど手話言語条例・法について書いてみた。
何かの参考になればいいかな。
荘子は先秦(戦国時代)における最も特異な思想家のひとりである。
彼は孔子を祖とする「儒家」の人々が強調する仁義道徳をこざかしい人
間の作為として排斥し、あるがままにあること――「自然」を愛し、何
ものにもとらわれることのない精神的自由の境地――「道」の世界にあ
こがれをよせた。しかも彼はその思想を、彼一流の風刺や皮肉や寓言に
託して表現したのである。その著『荘子』の中の「天地篇」にあるこの
話も、そうした彼の「寓言」の一つとして読むべきであって、むろん史
実ではない。
その昔、聖天子として聞こえの高かった堯が、華の地方に巡幸された
ときのことである。その地の関守役人がうやうやしく堯の前にまかりい
で、ご挨拶を申し上げた。
「おお聖人さまよ。謹んで聖人さまの将来をお祝し致します。まずは
「いやいや。」
堯は思慮深げに微笑みをたたえながら答えた。
「いやいや、わしは富を増やそうなどと夢考えてはおらぬのじゃ。」
「なればあなた様の男の御子たちが、いよいよ数多くあられますよう
に。」
「いやいや、それもわしの望まぬことじゃ。」
「はてさて。」
関守役人はいぶかしげに堯の顔をうちみやりながら訊きかえした。
「寿命と富と男子の多いことは、誰でもの望むことでござりましょう
に、あなた様だけがそれをお望みなさらぬとは、なんとしたことで
ござりましょう。」
「さればさ、男子が多くあれば、中には不出来の者も出てきおって、
かえって心配の種になる。富めば富むで余計の仕事が増えようし、
寿ければ、辱を残さねばならぬような羽目に遭うことも多くなろう
というものじゃ(寿ければ則ち辱多し)。この三事、いずれも我が
それを聞く関守役人の目にはありありと失望・軽侮のいろが現れた。
彼は堯に聞こえよがしにこう呟いた。
「ちぇっ、やくたいもない。堯は聖人と聞き及んでいたのに、今の言
い草じゃ、たかだか君子くらいの値打ちしかない男と知れた。子供
が多くともそれぞれに分相応の仕事を授けてやれば、何の心配もあ
るまいし、富が殖えたら殖えたで人に分け与えてやるならば、何の
面倒もあるまいに。本当の聖人というものは、鶉のように棲み処を
選ばず、ひなどりのように無心で食らい、鳥の飛んで跡なきがごと
く自由自在であるべきもの、世間がまともであれば、皆人とともに
その昌えを楽しむがよし、まともでなければ、我が身の徳を修めて
隠遁するもよし、千年もの長生きをして世間がいやになったその時
は、仙人となってかの白雲にうちのり上帝の郷に遊ぶもよい。病・
老・死の三患に煩わされることなく、身は常に殃なしとすれば、寿
くともなんで辱の多いことがあろうものか。」
こう言い捨てて関守は踵をかえした。見事に虚をつかれた形の堯は、
ハッと気を取りなおして後を追いかけ、
「待たれい。今しばしお手前の話を承わろうではないか。」
と声をかけたが、かの人は、
「えい、うるさいわえ。」
と一喝したまま後を振り返りもせずに、どこともなく姿を消した。
「道」の世界に生きる自由自在人――「道家」的聖人の姿を示唆しよう
としたのである。
一気書き怪文書こゎぃ
というわけで、ネット特有のスラングやネタ等が含まれるため、そういったものが苦手な方は
ブラウザバックか注意して読まれることをおすすめします。某手書き劇場じゃないけども。
24歳、学生です(大嘘)
そんなこんなで人生を歩んできたわけだが、一種の詰みという状態になっているわけだ。
具体的にどんな詰みなのかは、ここでは言及を避けておく。避けておくが、借金で首が回らない等の絶望的な感じではない。
感じではない、が、それだけに、ぬるま湯から少しづつ熱湯へと変わる水に気づかないで茹でられてしまうカエルのような、そんな最悪な気分であり状況であることは言及しておく。
そんな状況になったのも、色々な問題から逃げてきたせいだと思う。世の中すべてが自己責任なのだ。全ては自分のせいであり、他に原因を求めても仕方ないのだ。
思い返すに、一番最初に思い出せる逃げた経験は、進研ゼミのチャレンジ、特に赤ペン先生だったように思う。
一時はそれを取り返そうと、一年分の赤ペン先生提出用小テストを送ったものだ。懐かしい。
部活動の選択、いじめ・イジりからの脱却、文系・理系の選択、大学の選択、単位の取得、あらゆる勉強、交友関係、就活、エトセトラエトセトラ…
よくある感じのクズ人間だ。こうはならないようにと、心がけてきたつもりだったのにな、心がけてきただけで、実行できなかった。
なんだか怖かったんだな。実行に移すのが。まるで自分が食べることのできる大切なケーキがどんどんなくなっていくようで。
一方で、ネットにはハマった。これはもうホントに、見事にはまっていった。
まずは、中学生らしくG行為のネタだ。まずはそこら辺に転がってた18禁小説から。
クリスマスプレゼントかなにかで買ってもらったPSP1000をいじっていると、
どうやらネット機能を使えるということがわかり、若い時のドキドキを携えて恐る恐る「エ ロ」と検索したのだった。
検索エンジンが何かまでは覚えていないが、トップ近くに出てきた(であろう)18禁小説を適当に選択して読んでいた。
寒かったことも手伝って、布団に丸まって片方の手を股で挟んでいると…というテンケテキな精通を迎えたのであった、まる
今でも何故か覚えているが、最初に読んだのは姉妹のレズものだった。文体は単純なのに「ふ…ふみゅ!?」とかいった
それから、森の奥の吸血鬼姉妹のもとに仕えることになったメイドと姉妹のふたなりものとか(今でこそそれが東方Projectの二次創作だったとわかるが、当時は全く知らなかった)
社会人とヒモの物語とか、コナンの虹エロ小説のみを掲載してるサイトだとか、お寿司をホニャララに突っ込んでズルズル吸い上げるとかいう今から見ると嗚咽もののものまで、
情欲が満足するまで、ひとり夜のベッドの中で励みまくった。
そのうち小説では飽きたらなくなり、フリー公開のエロ漫画や、同人マンガっぽいものがうpされているようなサイトまで足を伸ばしていった。
そういえばえろまんがわーるどってサイトにだいぶお世話になった記憶がある。今どうなってるんだろうな。
そこから、他のネット文化に親しむ様になるのに時間はかからなかったように思う。
それこそ、上に書いたえろまんがわーるどでオナネタを探している最中に見つけた東方Projectの二次創作の同人マンガを見つけて感動し、
東方Projectとその二次創作郡(主に同人マンガ)に見事にはまっていったし、
もう黄金期は過ぎていたが、Flashのまとめ倉庫みたいなサイトを見つけて、Flash動画にはまっていったし。
2ちゃんねるへの書き込みとかも興味があったけど、なんだか殺伐とした雰囲気に「半年ROMれ」という格言も手伝って、ほとんど書き込みはしなかった。
受験勉強ほっぽり出して、冬でかじかむほど寒い中、東方星蓮船をひたすらキーボード使って、最後の白蓮の弾幕をよけながらクリアしてたっけ。
そうして辿り着いたのが、ニコニコ動画だった。
学校でいじられ続けて病み気味になっていた俺を元気づけてくれた、唯一と言っていいほどの存在だったのだろう。
そこで親なり担任なりいのちの電話なり、周りの大人に頼っていれば、道は違っていたのかもしれないが、
ドナルド、エア本、フタエノキワミ、チャー研、レスリング、最近では淫夢等、Flash動画時代を髣髴とさせるMADを食い漁るように探して見続けた。
東方にもはまっていたので、ニコニコで勢力を拡大しつつあった、同人マンガの延長線上のようなジャンルである「東方手書き劇場」も、ホント漁るようにして探して見続けた。
それだけだと飽きちゃうので、台頭し始めていたMMD系列や、サービス開始当初から人気だったVOCALOIDも時々見ていたけど、やっぱりMADと東方手書き劇場が主軸だったかなー。
みんなはどうなのかわからないが、俺の予測だとハマっているコンテンツがまずあって(つまり特定のアニメや漫画や音楽や小説があって)、
それを共有することや二次創作的な作品を見たい・作りたいって思いからニコニコ動画に登録し始めると思う。
俺も東方ProjectやFLASH動画で頭を金槌で打たれて人生が震えた人間なので、その一人といえば一人なのかもしれないが、
むしろニコニコ動画で昨今のサブカル(主にアニメ・漫画的な意味で)の流行を知って、それらにハマっていった記憶が強い。
イカ娘とか超電磁砲とか日常とか。あずまんが大王なんか、空耳ケーキのMAD見てなかったら存在も知っているかどうか怪しい…ってのは言いすぎかもしれないけど、多分「これは名作なんだな」なんて認識は
確実になかっただろう。
特に、深夜アニメ放送という概念が存在しない都道府県に生まれた身としては、身につきすぎたぐらい身についたのではないかと思う。
俺はそうして、サブカル(主にry)に関する基礎中の基礎となる知識を身に着けていったわけだ。
そんな生活をする中で、今までの勉強量という貯金を切り崩して見事よくわからん国立大学に合格したわけだが。
まわりが「よし!大学生活遊び放題だね!」と言ってくれる中、俺はそんな楽観的な観測はとてもできなかった。
その頃にはもう就活生の悲喜こもごもが聞こえ出していたし、そもそも大学選びの時点で俺はものすごく憂鬱だったのを覚えている。
「お前はこれから自分の足で立って、自分の足で生活して、自分の責任のもとで生きていくんだ」と宣告されているような気がしたから。
それを好意的に受け止める人種がいることも、今は知っているが、でも大体の、敗北を知っている少年少女たちは、青年たちは、不安と不安でいっぱいだったんじゃないか?
悲喜こもごもの悲に入ってはダメだ!、と自分なりに大学生活でやらなきゃいけないことを色々意識して、頑張って頑張っていい社会人になるんだ!
ぐらいには頑張ろうと息巻いていた。たくさん読書して、たくさん学部の専門科目を勉強して、できるだけ早く単位をとって、卒業研究も今のうちに足場を固めてしまって…
もうおわかりだと思うが、結局どれも実現しなかった。4年間通して。草生えますな。
機会損失という概念がある。なにか始めるのには、結局何かを、上で書いた例だとケーキを諦めなければならない。どのケーキがどれだけなくなるのかがわかっていればまぁあきらめも付くというものだが、なんと失ったケーキの種類も量も正確にはわからないというのがこの世のニクイところである。
俺は大学生活というあまりにも貴重だとわかりきっている時間に、勉強も遊びも将来の担保も全部全部つめ込まなければならないと思うあまり、何にも手が出せなくなってしまったのだ。何かを諦めるという、その勇気がどうしても出せなかった。
と書けばなんだかかっこが付いたふうだが、単にやる気がなかっただけだと思う。根性がないよね。だって全部詰め込んでる人は、それこそネットを探せばいくらでもいたし、周りにもそういう人はいたんだから。
一日一日を後悔しながら、ニコニコ動画を始めとしたネット文化・サブカルへはもっとハマっていった。そこで、俺はサブカルには詳しいんだぜという変な自負心も生まれかけたんだけど…
大学の友人たちが、そんな自分のちっぽけな自負心をも打ち砕いていった、という、またテンケテキテキなパターンになった。
一人は俺よりニコニコ動画歴が長く、尚且つ知っているジャンルもあまりに広く、信じられない程深かった。それに、プラモデル、ゲーム、その他のサブカルにも造詣が深く、もう尊敬せざるを得なかった。
二人は一つのジャンルを突き詰めに突き詰めていた。宇宙語と俺には思われる言語で会話して、なおかつ他のサブカルに関しても基礎的な知識をちゃんとおさえていた。
なにより、ひねくれた俺よりよっぽど常識があって、性格のいい奴らだった。
もう俺は、ひねくれて性格が悪い上に唯一ほかより得意で知識のあるネット文化・サブカルですら圧倒されているこいつらはなんなんだ。そんなことよりそれに比べた俺の価値の無さは何なんだ…唯一深い知識があると思っていたジャンルにすら引けを取る俺の価値の無さは…
そんな感じのタコツボ化でもう自分がいよいよ嫌になったり、ついでにニコニコばっかで学業をまともに修めていない自身の将来の不安がますます増えていったりした。
突然だが、俺の将来の夢はマンガ家だったりする。
上記の偏歴を見ればまぁ予想はつくだろうが、好きなマンガを描いて楽しく生きていきたい。そういう意味では、マンガ「家」ではなく、「趣味」マンガ、なのかもしれない。
その他にも、MADを作ったり、音楽で既存の好きなゲームリミックスを作ってみたり、SSみたいな小説を書いてみたり、3分くらいのアニメ作品を作ったり、スレを立ててコピペとして受け継がれる書き込みしたりと、そういう、ネット・サブカル文化に深く関わって生きていきたいと思って生きている。
そして、そういう活動を、大学のうちに出来たはずなのだ。出来たはずなのに…
思えば、学業も、ニコニコ・アニメ・マンガ・小説・絵その他ネット・サブカル文化に関する活動も、資格取得や就活等の将来に対する投資も
中途半端どころか、自分のやりたいこと・やるべきことが何も達成できない、真空もびっくりの空虚な生活になってしまった。
4年間だ。4年という歳月をだ。
願うなら、この後悔を一緒に大学入学のあの日に持って行って、もう一度やり直したい。
いやそれができるのなら、高校入学のあの日まで行って、部活選びをやり直して、もっと必死に勉強したい。
いや、やっぱりそれが叶うのなら、中学入学のあの日まで行って、やっぱり部活選びをやり直して、もっとまともな交友関係を築きたい…
思えば、俺がアニメにハマったのは、マンガにハマったのは、ニコニコにハマったのは、Flashにハマったのは、東方Projectにハマったのは、エロ同人にハマったのは、18禁小説にハマったのは、PSPでネットに助けを求めたのは、
結局何かから逃げ「続けた」からじゃないだろうか、と、今振り返って考えてみると思う。
なんだか、この文章を書く前と結論が違っているような気がするが、やっぱり文字に起こして出力してみるって違うんだね、と。
学校での日々のイジり(悲観的に捉えれば、いじめ?)や勉強からのストレス、将来への得も知れない不安から唯一開放されていた、このPCの窓。そこから広がるインターネッツ。
そういえば、今これを書いている時と同じような、肌寒さもいよいよな低音の中、ひたすら「インターネットしていた」な。あの頃の俺は、何かのバランス感覚を失っていたんだと思う。
そしてそれは、社会人として仕事に勤めている今にも、強い影響力を残している。
帰ってからもずっとネットにかじりついてるし、土日はほとんど外に出ないで、頭が痛くなっても構わずアニメを見て、マンガを見て、MADを見ている。
別にそれらは、異常なことじゃない。もともと、異常か正常かということを言い出すこと自体、なにかものさしを使っているということだ。
この場合、俺の今住んでいる地域で、コミュニティで、ちょっと異常だということが言えるくらいで、さして間違った生き方ではない、と俺自身は思う。
思うが、それは、きちんと仕事と趣味を両立して、充実した人生だと思えるような、色々な意味で自立した人間が生きるべき生き方であるとも、誰よりも俺自身が思う。
そして何よりも、俺自身が、今、そうではない。
今、実は岐路に立たされている。時間は1年と無い。始めの方に書いたように、具体的にどんな岐路なのかは書かないが、やっぱり岐路であることに変わりはない。
先日、俺が大好きなブログで、戦後70年をテーマ的なものにして、ブログ主がこういった趣旨のことを書いていた。
「戦後左翼思想家は、敗戦の総括をしないと前に進めないといって、政府が現実の問題を四苦八苦して解決している中、ずっと空論や理想論を掲げ続けてきた。戦争とは、平和とは、と。それも戦後半世紀近くずっと。それは、理想論を突然語り出す中高生と同じ。自身の親が抱える現実的な問題に、いつか自分もぶつからないといけないんだと知った時、現実逃避して、問題を先送りにしている。その中高生たちとおなじだよね。」
前半の思想家の部分が本当なのかどうかはともかく、大事なのは、後半の「問題を先送りにしている」という部分だ。
俺はおそらく馬鹿であるため、理想論など掲げることもなく、ただひたすら目の前の問題を見ないよう聞こえないようにするために、ひたすらネットとサブカルの世界に没頭し続けた。
そして、大人に「なってしまった」今、その先送りにした問題が、いま目の前に、もし解決していた場合と比べてとんでもなく性質を悪くして立ちはだかっている。
ところで、最近キルミーベイベー熱が再燃した。どしたのわさわさなんでもなーみん。あの歌詞にあんな深い意味が込められていたとはね…
そんなキルミーベイベーにハマるキルミストたちがいつも貼る、あのチャーリー・ブラウンのAAをみんな知っていると思う。
(崩れちゃうかな?)
,, _
/ ` 、
/ (_ノL_) ヽ
/ ´・ ・` l キルミーベイベーは死んだんだ
(l し l) いくら呼んでも帰っては来ないんだ
. l __ l もうあの時間は終わって、君も人生と向き合う時なんだ
> 、 _ ィ
/  ̄ ヽ
/ | iヽ
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| ||/\/\/\/| |
もう、死んだんだと思う。何とは言わない。言わないが、俺ももういい年なんだ。
もうあの時の、Flashやニコニコや東方Projectにハマっていたあの時の輝きに満ちた時間はもう終わっていて、もう死んでいて、もう腐っているんだと思う。
逃避し退避し、遠ざけていた人生と、強制的に向き合う時期が来てしまったんだと思う。
それに加えて、アニメも、マンガも、ニコニコも、ここ最近そこに割く色んな意味でのリソースなんか無いことに気づいた。
岡田斗司夫が、「強いオタク」と言っていたが、この定義からすると、ありとあらゆる中傷があっても、理論武装でも何でもして、自身がオタクであるということを保っていくことこそが「オタク」である条件だった時代があったらしい。
正直、それは今も変わらないところがあると思う。どんなに仕事が忙しくても、どんなに私生活が忙しくても、アニメを、マンガを、ラノベを、その他サブカルに使う時間と金だけは絶対に惜しまない、その体力だ。
俺には、そんな心の強さも体力も理論武装するような頭も、何もかもが資格不足だった。
もともと俺には、向いていない趣味であって、生き方であったということを、ここ数年間で、嫌というほど味あわされてしまった。こんなにネットとサブカルに関わるあらゆる物事が大好きなのに。
でも、資格が不十分だった。ちょうどある一定の身体条件を満たしていないと、宇宙に行くことができないように。目が見えないと、運転免許が取れないように。
俺には仕事と炊事洗濯等の基本的な私生活を送るだけで、どうやら大半の脳のリソースを使ってしまうようで、そこにネットとサブカルを放り込むと、何もできなくなってしまう。どんなに頑張っても。
現実は、そういうことだった。
俺は、大したことのない、ただの平凡の、平凡以下の、ただの、しがない人間だった。
一発逆転の、いきなり三千院状態にならない限り、俺は大好きなマンガにもラノベにもアニメにもゲームにもイラスト制作にもMADにものめり込むこともできない、まとめサイトで斜め上からのニヒルでひねくれて皮肉が効いたあの空気を共有することもやっとの、平々凡々とした、無趣味な人間だった。
とりあえず俺は、目についた片っ端のウェブサービスからアカウントを消していった。
TwitterやらPixivやら、ニコニコ動画でのチャンネルも次々退会していった。
思えば、高校からずっとの付き合いだった。
俺はニコニコで笑い、考えさせられ、知識と知恵を学んでいった。
ニコニコは俺の青春のすべて、とは言わないが、俺の青春の明の部分であり、花であり、やっぱりほぼすべてだった。
音楽も思考も動画コンテンツも、そしてそういったものの質の善し悪しも、全部ニコニコやそこから派生したものから学んだに他ならなかった。
ニコニコのネタを通じて大学で無二の親友たちができたし、どんな嫌なことがあっても、ニコニコがあったから笑って、なんとなく流して、なんとかやってこれた。
ニコニコは、やっぱり俺の人生を、とんでもなく支えてくれたと同時に、俺がダメなハマり方をしたせいで、こんな状況を招いてしまった。
俺はニコニコ動画を、退会した。
もちろんニコニコ動画と決別するわけではない。ましてや、俺の思考や趣味趣向の基礎基本を叩き込んで、教えてくれて、俺を最高に楽しく生かしてくれた、ネットとサブカルと決別する気なんか毛頭ない。
いつか、経済力も、思考力も、精神力も、色々なものが「大人」になってから、それから戻ってくる。それだけの話だ。
文字にするのはそれだけで、実行していくのは、きっととても遠い話だ。
もしかしたら、一生戻ってこれないのかもしれない。
それはそれで、そういう運命だったというだけもお話だと思う。運命という言葉がなんかアレなら、その程度の才能、身体、能力、DNAしか持っていなかった、というだけのお話なんだろう。
先ほど上げたブロガーの言を借りれば、人類の生きてきた何京通りのパターンの中で、たまたま幸せになれなかったパターンを引いてしまった、それだけなのだと思う。
それでも、俺はニコニコに戻ってくることを、ネットとサブカルの中で再び熱狂する日に戻ってくることを目指して、どんな手を使ってでも、(いくらかの倫理と法律を守った上で)脳みそパンパンになってはじけ飛んででも、突進していきたい。
とりあえずそのために卒業式を自作自演し、なんとか卒業していった。
24歳、学生でした。
そういえば、ニコニコ動画のアカウントを削除するにあたって、特に好きな東方手書き劇場動画と、懐かしのFLASH動画まとめ動画をみていたわけだが、
Flash動画の中でも、知っていたものは良くて半分くらいだったのが、ちょっと衝撃だった。
「おいおいこれを知らないとはモグリのにわかめー」と、Flash職人であるポエ山の作品「quino」を知らずに友人にからかわれたことが一度だけあるが、それもわかる。
わかる気がする。
しんどいよね。
フェミニズムがまだ先鋭思想だから、社会や、「」の周囲の大多数の人はフェミ的倫理をよしとしてなくってそうなるんだよな。
地動説が正しいとしても裁判にはかけられるガリレオみたいなもんでさ。
先鋭思想家はマイノリティだから、どうしてもマジョリティとは戦うことを求められるんだよ。
その傷を癒したり、またそもそもできるだけ戦わないようにするには、志を同じくする人と密に結びついて小社会を作りその中で暮らせばいいと思うんだよね。
つまりフェミニスト友達をたくさん作ってその中で励まし慰め合うとか、フェミ的なNGOやNPOや政党で働くとか。
でもそこまでやるのって、フェミに人生の結構な割合をささげることになりそうで躊躇うんだよなあ。
まあとりあえず、住んでる場所によるけど、フェミ的な勉強会を開いてるサークルとかあればそこにお邪魔してみるとかから始めるといいんじゃないかなあ。
君の理屈が完全であることと、君が正しいことは、同じではない。閉じた円は完全だが、その円が君一人を容れる余裕しかなく、その狭さが君を嘆かせている以上、君は間違っているというのが客観的に見て妥当な結論である。
「馬鹿とは知性の欠如ではない。馬鹿は馬鹿なりに完全なのだ。」という、昔の賢い人の言葉があるが、その意味で君は十分に馬鹿である。馬鹿になりたいなどと心配する必要は全くなく、馬鹿である。自分の小ささをさらけ出して臆面無いあたり、実に救いがたく知能レベルが低い。
人生の幸福とは、いかに適切に騙されるか、ということである。社会的規範を盲目的に信仰しているがゆえに幸福の地平が開かれる。
こういう、小学三年生が三日で思いつくような理屈を、何か一角の思想家になったように得意気な顔で書き散らかしているのを俗に黒歴史という。3年たって君が学校を卒業する頃、このエントリを読み返したら、君はおそらく蒲団を被って三日間ほど寝込むだろう。寝込まないとしたら、君の馬鹿さ加減はいよいよ病膏肓に入ったのであって、ようするに真に救いがたい阿呆になったということである。大体それで君は喜ばしいのか。
ただ、いくらか救いがあるとすれば、君は君が(どうやら)正しくないということに薄々気づきはじめているのだろう。だからこんなエントリを書くのだ。厨二病がうすら惚けて、ようやく下の毛も生えそろうような年になってきたということなのだから、それは大変喜ばしい。
それなら、君は気づくべきである。
君の書いたエントリは、この世の中の矛盾を何一つ解決しない。君の言葉は、今この瞬間、自分の信じるもののために血を流すことを厭わず戦っている人間にとって、蚊ほどの価値もない駄文であり、君の言葉はしじまに消え虚無に還っていくばかりだ。人々は今日も明日も血に染め血に染まって死に続けるだろう。君の言葉とは何の縁もなく。
また、君の言葉は、今この瞬間、飢えに飢えてこの世への呪詛の中で死ぬばかりな子どもにとって、あぶくよりもはかなくシラミの糞より価値のない、その存在を認識すらされない拒絶の壁の向こうにある。君が何をのたまおうが、彼らの腹はほんのわずかも満たされることなく、彼らがその空腹を万分の一秒すら忘れることなどない。
自分をロンパせよ、と、居丈高に叫びながら、君はカタツムリの殻のようなちっぽけな円環に閉じこもっているだけだ。世界は君の円環よりずっと広い。誰も君の円環の中でしか通じない理屈になど、何の興味ももっていない。世界自体が、遥かに遠く広く、そして混迷と矛盾に充ちており、多くの人が(君が馬鹿だと蔑む多くの人が!)、恐れながらもそこにむかって足を踏み出そうとして、そして生きている。
いま、カタツムリの殻のような円環の中に閉じこもっている君に言うが、君がいまの自分の在り方に不安を覚えているのなら、君の方にこそ、自分が少なくともカタツムリ以上の何者かであることを、自らの言葉で証してみせる必要があるのではないか? 他人に甘えるのも大概にすべきだ。世界は君のママではないのだから、君の言葉に価値があるのか否か、立証する責任は世界の方にでなくて君の方にある。
君にまだ、自分がダンゴムシよりも少しはマシな何者かであるという自負があるのなら、石の下でまるまっていることをやめて、這い出せ、太陽の下にでよ、そして歌え。喉笛が裂け倒れるまで。そうしてら、初めて君の言葉は世界に届くのかもしれない。まだまだだ、君は。You just haven't earned it yet, baby. まだまだだ。君は、まだまだ全然だ。本当に君が苦しむのは、これからだ。
http://digital.asahi.com/articles/ASH2Q7QW4H2QUGTB00M.html
東浩紀は怒りを発信した福島の人を守ることができるのか。怒ることで他人に主張を行なう人間は、その主張が正しいかどうかに関わらず他人から攻撃される可能性が高い。特に原発なんて一度関わると離れられないだろう。福島に住む人間が原発について「怒り」を表明した時点で、その人間は世間から「福島の原発の人」以外の人格を奪い取られ、津々浦々にいる同意しない人間から総攻撃にあうに決まっている。それらの不利益から完全に守ることができるということを示せ。「もっと「怒り」を発信してほしい」なんてことを言うのは、福島の人間をなめているとしか思えない。当事者というそれだけで危険な立場にある人間を更なる危機に立たせること無く、人のとるべき道を示すことこそ思想家のするべきことじゃないのか。臆面もなく弱者を陥れようとするなど、知性を持つ人間のすることではない。恥を知れ。
今日は意識が低い思想家としてぎりぎりまでがんばっていきたい。— 東浩紀 hiroki azuma (@hazuma) 2015, 2月 27
はるしにゃん君がセクハラやら暴言やらで話題になっている。長らく彼をヲチしてきた者として、これから彼をヲチする者のために、彼の人物像を紹介するよ。
殻辺(@hallucinyan)さん | Twitter
もともと彼は立命館の経済だかに通っていたアイマス好きのオタクで、東浩紀や宮台真司への憧れを募らせながら、ゲンロン界隈に溶け込もうとがんばっていた。そういえば昔はハルシナと名乗っていたな。
むりゃかみゆうとは (ムリャカミユウとは) [単語記事] - ニコニコ大百科
http://dic.nicovideo.jp/a/%E3%82%80%E3%82%8A%E3%82%83%E3%81%8B%E3%81%BF%E3%82%86%E3%81%86
むりゃかみゆう@非公式(@muryakamiyuu)さん | Twitter
https://twitter.com/muryakamiyuu
ゲンロンの前身にあたる合同会社コンテクチュアズのマスコットキャラクター、むりゃかみゆうをモチーフに女装なんかやってた頃は、彼にも可愛げがあった。
ニコニコ動画に歌ってみたなんか上げちゃって、東浩紀への目配せがいじらしい。
組曲『あずまん動画』 - ニコニコ動画:GINZA
で、彼はそのままゲンロンのホモソーシャルで姫をやってりゃよかったものを、欲っ気を出して同人誌の編集を始めてしまった。
Amazon.co.jp: イルミナシオン: 松本 卓也, 黒瀬 陽平, 上祐 史浩, 佐藤 雄一, 有村 悠, はるしにゃん, 藤城嘘: 本
この『イルミナシオン』所収の「イルミナシオンは愛を求めて」は、はるしにゃん君が不幸な家庭で育ち、エヴァにハマり、友人の自殺を経て、童貞卒業への闘志に芽生え、デリヘルで失敗し、メンヘラ女を食い漁るようになるまでを描いた自分語りで、彼の批判者はまずこれを読んでおいたほうがいいよ。
これは劣化版『超人計画』みたいなもので、はるしにゃん君も「滝本竜彦の劣化コピーのごとき実存」とか自分で言っている。
これだけを見るとゲンロンに擦り寄っていた哀れなオタクがなんか覚醒したっぽいというだけの話だけど、覚醒した彼は『イルミナシオン』の刊行と前後して、アニメ批評にちょっかいを出すようになった。
杉田悠の「『けいおん』の偽法――逆半透明の詐術」という論考に準じて、はるしにゃん君はブログに「けいおん!の「内面」について」という記事を載せた。今は削除されちゃっているけど、ブコメから雰囲気は伝わってくる。っていうかなんで削除しちゃったんだろうね。そんなに批判されたくなかったのかな。
けいおん!の「内面」について - A Mental Hell’s Angel
http://b.hatena.ne.jp/entry/hallucinyan.hatenablog.com/entry/2012/07/25/200631
で、この記事に、泉信行や岩下朋世なんかの『ユリイカ』系の漫画研究家たちが反論を加えたことでちょっとした論争がおこった。
はるしにゃん君によると、日常系・空気系アニメである「けいおん!」には内面がなく、むちむちとした身体性によってそれが覆い隠されているんだそうだ。
その結論に至るまでの不備を指摘されているわけなんだけど、泉信行が「研究と批評は違う」みたいなことを言っちゃったせいで、はるしにゃん君は「じゃあ批評は適当でもいいじゃん」みたいなスタンスをとってしまった。これは良くないよね。
泉信行は「研究と批評は違う」とは別に「たとえ研究のような厳密性が求められない批評であっても、媒概念不周延の誤謬には注意しようね」ということを主張している。これをはるしにゃん君はガン無視し、杉田悠に助けを乞うた上、俺が批判に応えてやってるのに、みたいなことを言い出した。
当時、杉田悠が寄稿した『アニメルカ』を中心に「アニメブロガー総合スレ」というスレがあったんだけど、はるしにゃん君の大立ち回りはそこそこ話題になった。
953 :名無しさん名無しさん:2012/09/14(金) 22:52:30.49
・テンプレ
@sugita_u 生活上のストレスとかあるんでしょうけど、礼儀って素朴に重要なんじゃないですか
@sugita_u 僕は杉田悠さんがアニメルカの中では相対的に優秀だと思っています
@sugita_u 僕はあなたの原稿をトゥギャッターで乗り越えました
@sugita_u 少なくとも、擁護しようとした立場の人にいきなり「カチンと来た」「仲間だなんて思ってくるな」という発言したことを謝罪する気はないんでうすね。それは失礼です。その失礼が謝罪によって解消されるか病院の薬で解決されるか、ということでよろしいですね
@sugita_u 僕としては優しかった頃、余裕のあった頃の杉田さんが好きでした。でも変わられてしまった。しかしそれが良い展開に向かう可能性もある。僕は杉田さんの幸福を数年間祈って来ました。
@sugita_u 疑問なのはどうしてそう喧嘩腰にしか喋れないんですか。「カチンと来た」「仲間だと思わないでくれ」もそうですが。人格障害だと認めますか?
892 :名無しさん名無しさん:2012/08/31(金) 23:37:02.97
こういう奴は裏では嫌われてるって自覚ないまま消えていくよ
人の褌で相撲を取ろうとしておいて、なかなか図々しいね。でも、そこがはるしにゃん君の可愛さでもあるんだ。
https://twitter.com/hallucinyan/status/230988133540458497
僕はディベート部の部長だったので、議論と喧嘩の区別をつけています。今回の議論で僕はいずみのさんに悪印象を持ったりはしていません。むしろマンガ論の沃野の広大さを教えてくださって感謝しています
http://togetter.com/li/349401#c643714
「虐待される美少女ブヒィィィすっぽんぽんブヒィィィ」と同人誌で萌えサカッた後、「いやこれは『実在性』を剥ぎ取られた『キャラ』に『身体性』と『精神性』を『補完』する『試み』に興味を抱いたわけで」などといった「普段の僕は頭いいんです」アピールで己の「ゲスな身体性」への言い訳をするのが現代の哲学や評論であるのなら、ンなもんさっさと死ねばいいのに、と思いました。
散々な言われようのはるしにゃん君を擁護しておくと、「けいおん!内面論争」での「内面」は「ポストモダン的成熟」の有無によって判断されるもので、一般的な意味での「内面」とは別物なんだよね。でも、その辺りを理解できなかったラノベ天狗なんかはいつまで経ってもグチグチ言ってるみたい。
じゃあ「ポストモダン的成熟」って何だよって話だけど、やっぱり意味不明なんだよね。定義を明示せずに言葉を振り回しているところが、いかにも批評家くずれっぽくて微笑ましいね。
さてさて、はるしにゃん君はその後も批評をがんばり続けてきた。と同時に、メンヘラを食いまくってきた。
はるしにゃん君のメンヘラの食い方は、「俺はメンヘラなんだよぅ~つらいにゃんつらいにゃん~」ってメンヘラを引き寄せ、「君はラカンも読んだことがないの?ザコ?」みたいなことをいって罵倒し、依存させるって感じかな。想像だけど。
そうやって彼はメンヘラ女を集め、ヤりまくり、一方で、彼女たちを批評で救うみたいなスタンスのもと、同人誌を作っていった。
ところが、メンヘラはメンヘラだから、適切な治療を受けなければ死んでしまう。
はるしにゃん君の仲間で、一緒に同人誌を作っていたメンヘラ神は、メンヘラであることをコンテンツにしていくうちに、自殺してしまった。
メンヘラ神の死は、それはそれは多くのメンヘラに影響を与えたんだけど、ウェルテル効果というまではいかなかった。
でもまあ、メンヘラを集めてコンテンツ化していたはるしにゃん君は、メンヘラ神を死に追いやった一因として、散々な批判を浴びることになっちゃった。かわいそうに。
そのせいか、はるしにゃん君はしばらく燻っていたんだけど、2014年の秋ぐらいから元気になってきたみたいなんだよね。
彼の文章も、東浩紀やら宮台真司やら千葉雅也やらに褒められるようになってきた。よかったね。
で、また最近は批評をやってるみたいだ。
あれこれ思想家を引用してるけど、言ってる中身はシンプルっていうか、一般的な意味での内面がないのはご愛嬌。まだセカイ系とか言ってて、まさしくゼロ年代の亡霊だ。
東浩紀の『存在論的、郵便的』『サイバースペースはなぜそう呼ばれるか』『動物化するポストモダン』について - Togetterまとめ
東浩紀についてなんか、かなり熱心に語っている。
ちなみに東浩紀自身の言説には内面がないどころか、自己矛盾の塊だ。
で、はるしにゃん君の文章をいくつか読めば分かるけど、彼は思想家や哲学者の名前をジャブジャブ出しまくって権威付けを図ろうとしているよ。
けれど、本人が何か新しいことを言っているわけでもなくて、権威付け以外の何かに発展している例は今のところ見当たらないし、そこはがんばって欲しい。しんかい35と正面衝突してくれないかな。
さて、はるしにゃん君の権威付けは、複数の哲学者や社会学者が共通して言っていることを抜き出して言い換えることによって成り立っている。
はるしにゃん君が「ルーマンはラカン以下」なんて言っちゃった時は、ルーマン研究者の酒井泰斗がげっそりしていたよ。
https://twitter.com/contractio/status/197244430338633729
前者は「似てるよね分析」と呼んでいますが、後者はなんと呼びましょうかね。
RT @sskyt: 「Aは……Bと……似ている!」とか「Aは……Bを……読んでいた!」みたいな研究て全然興味持てないんだけど。
https://twitter.com/contractio/status/197247900085002240
組み合わせると、「昔の人Bが言っていたXは 最近Aが言っているYに似ているのでB偉かった」のようなかなり高度な主張が可能となる。
https://twitter.com/hallucinyan/status/547789378999681024
ルーマンの言ってることって大概ラカンが述べてるしラカンを超えてる部分があまり見当たらないというのが個人的な見解で、じゃあ「ポストモダニストより社会学者から引用したほうが叩かれにくい」という政治的効率性以外の点でルーマンの卓越性ってどこにあるんだろうって思っている
https://twitter.com/hallucinyan/status/547790901955670016
そしておそらくオートポイエーシスもコンティンジェンシーもシニフィアン連鎖や対象aの問題であり、そして後期ラカン的なサントームや、男女間のセクシュアリティの差異、大文字の他者の享楽についてルーマンが叙述できているかといえばできていないと思う
https://twitter.com/hallucinyan/status/559584058137538560
単にルーマンがつまんないって言っても面白くないから「じゃあラカン先生のどこを超えてるんですか? どこも超えてないでしょ?」って煽ってるのわからないのかわかったうえでなにも言えないのか
https://twitter.com/contractio/status/559588003417296896
煽ると何が面白いんですか。
https://twitter.com/contractio/status/559588541454233600
「どっちが強いですか」で語る現代思想。
https://twitter.com/contractio/status/559590072593309698
「つまんない」場合の対処は、面白い読み方に変えるか 読むのを止めるかのどっちかではないですかね。
はるしにゃん君は「越えてる」「越えてない」で思想家を語るのが好きなんだ。すぐにブロックするところは、師匠の東浩紀譲り。
そんなこんなで、批評をがんばっているはるしにゃん君は、同時にホストとしてもがんばっているみたい、と思ったら、最近言及してないし辞めたのかな。
その代わりに、イベンターやら何やらでがんばっているみたい。高円寺のカフェバーでいろいろやるみたいだよ。
ところが、はるしにゃんの努力を邪魔する連中が現れてしまった。
成上友織, はるしにゃん君の暴言・差別発言について
これは、はるしにゃん君と交友があったセイジョウ君からの批判だ。
はるしにゃん君の言葉を用いると、彼の言動を理解できない者は「ザコ」であり、彼に疑問を呈する者は「アスペ」であり、彼に反発する者は「ボダ」になる。
そして、はるしにゃん君はその広範な知識と、お得意の言い換えによって批判を封殺しようとしたよ。
メンヘラとレイシズムについての所感と応答 - A Mental Hell’s Angel
http://hallucinyan.hatenablog.com/entry/2015/02/07/134950
まず第一に私は大学で精神病理学を学んでいた。もちろんクラインもラカンもドゥルーズも読んだうえに、さらにアメリカのDSM的な診断マニュアルについても目を通している。そして最新の精神療法についてもサーヴェイしている。
大学で精神病理学を学んでいたからといって、学位を持ってるわけでもないのだから、別にはるしにゃん君の言動は正当化されないんだけど、はるしにゃん君は批判者に病識があるという一点のみで批判を潰そうとした。批判の内容についてはほぼ耳を貸そうとせず、俺はメンヘラと正しく交流しているから、って理由で自己正当化を図っている。
そして私は単に批判しているのみならず、いわゆる弁証法的行動療法であるとかメンタライゼーションといった理論と療法については高額な医学書を大量に購入してサーヴェイしているし、また、それを人口に膾炙させるために活動しているつもりである。
でも、実際。
メンヘラ神は死んじゃったよね。
はるしにゃん君に全く落ち度がなかったってわけじゃないだろう。
っていうか何でメンヘラと交流するんだろうか。やっぱりヤレるからなのかな。
精神医学の知識をばら撒き、メンヘラとセックスするメリットを享受しておきながら、メンヘラを批判し、メンヘラを善導しているから俺はオッケーってどういうスタンスだよ。メンヘラとセックスできることがメリットなのかどうかはさておき。
さらにさらに、はるしにゃん君の行く手を阻むものは次々と現れる。
はるしにゃん君は2月11日に、マネージャーを務めるカフェバーで「インテリイケメンツイッタラーによる一日限定ホストクラブ」というイベントを開催しようとしていた。
明らかにメンヘラを集めて搾取しようというイベントだけど、さっきの「メンヘラとレイシズムについての所感と応答」によるとはるしにゃん君は「私としては一方で啓蒙的にコンスタティヴな文章を書き、他方でパフォーマティヴには「ボダはあまり私に関わらないで」といったパフォーマンスをせざるをえない。」らしい。ホストイベントにボダ来るだろうし、キャストもボダっぽいじゃねーか。
で、はるしにゃん君はイベントのキャストの知人友人にセクハラを働いていたみたいで、団結したキャスト達にそれを暴露されてしまったようだ。
ところが、このキャスト達ははるしにゃん君からドラッグを貰っていたようで、はるしにゃん君にそこを突かれると逆らえないようだ。
便乗して、同人関係ではるしにゃん君と揉め事があったホリィ・センがはるしにゃん君を批判しようとしたけれど、私怨だし、アスペだしで不発に終わってしまった。
きっとはるしにゃん君のセクハラは事実だろうし、暴言を取り消すつもりはないようだし、そして自ら公言しているように彼はドラッグをやっている。
だから、彼を批判したければ、その3点を攻撃すればいいというのに、批判者はザコばかり。
だからはるしにゃん君は怒っている。
はるしにゃん君の論法は、ジャーゴンに次ぐジャーゴン、パラフレーズに次ぐパラフレーズ、そして脈絡なくホストクラブやドラッグの話を持ち出し、相手の理解が追いつかないところが一点でもあれば封殺するというものだ。
宮台真司譲りのこの論法をどうにかできる人が現れるまで、ヲチを楽しみたい。
http://twitter.com/hallucinyan/status/562904272363614208
【無限への飛翔 集合論の誕生 (大人のための数学 3)/志賀 浩二】を読んだ本に追加 →bookmeter.com/b/4314010428 #bookmeter
http://twitter.com/Back0126/status/562961572063375360
@hallucinyan こうやって、数学にいい加減な哲学かぶれが生まれると思うと感慨深い 数学に関しては、じっくり真摯に読むことをお勧めします
http://twitter.com/Back0126/status/562975033807884289
@hallucinyan おお、ブロックされた その程度か
http://twitter.com/Back0126/status/562978566921793538
@hallucinyan 高校数学を勉強したからと言って、集合論を含む専門的な数学を斜め読み程度で理解できるといういい加減な考えをバカにされてるわけです
http://twitter.com/hallucinyan/status/562971657800024064
馬鹿はすぐにソーカルがどうとか言い出すが、そもそもお前どの程度ソーカル読めてて理数的に優秀でそのうえで人文社会科学への理解あるんだという話。
http://twitter.com/Back0126/status/562978789643550720
@hallucinyan ソーカルの言明程度なら、大学数学をきちんと理解していれば誰でも理解できますよ わからないんですか?
http://twitter.com/hallucinyan/status/562972324442681344
日本におけるサイエンスウォーズでは浅田彰と山形浩生の位相幾何学問題があったわけですが、それも浅田は間違っていなかったという形で終焉を迎えましたし、彼もそもそも経済学部でゲーム理論やっていたわけです
http://twitter.com/Back0126/status/562979281123684353
@hallucinyan しかし、浅田氏が理解していたわけではない、概ね菊池先生のフォローによるものだ、という考えが一般的なようですね
http://twitter.com/hallucinyan/status/562972928057561089
hallucinyan:そして日本において最も早くソーカル事件を紹介したのもポストモダン系の人間でありそして一定以上はきちんと真摯にそれを受け止めたように思われる。
http://twitter.com/Back0126/status/562979357300641793
@hallucinyan え?
http://twitter.com/hallucinyan/status/562974083143704578
そして「××は間違っている!」とばかり声高に言いたがる奴は大概自分から生産的なことを言えないので、きちんと内容のあること言ってその次に批判すると良いんじゃないかと思います。当事者含めた全員のために。
http://twitter.com/Back0126/status/562980233218109441
@hallucinyan 間違っていることを間違っていると指摘することは、当人が生産的かどうかと無関係に指摘していいんじゃないですか?少なくとも、真偽の判定が比較的易しい数学においては
http://twitter.com/Back0126/status/562980757292191744
@hallucinyan というわけで、とりあえずこの辺りでやめておきましょう 貴方が数学に関していい加減なことを言わない限り、今後リプライしません
http://twitter.com/Back0126/status/562981991889784832
はるしにゃん(@hallucinyan)という人物が、数学をいい加減な理解に基づきいい加減に発言しているということが、概ねはっきりしたようだ
ディベート部と同じで、高校数学をやっていたからって乱暴に数学を語っていいということじゃないけど、はるしにゃん君の勢いは止まらない。
思想家が教育が悪いからだと言い始めたらだいたい才能が枯れたな、って感じですよね
数読んでる本が主食です()みたいな連中は文章がひどいとか座席の図面が出てきたとかそのぐらいなんも構わずゴリゴリ読んでつまらんかったっていう印象がある。本なんて所詮娯楽なんだから、とか悪びれる余裕があるというか。週に3冊も読んでなさそうな物書きとかいう自分が差別される側だと気づいてない人間に限って己の縛りプレイを勝手に他人に課しては読めないとかいい始める。