はてなキーワード: 権利拡大とは
https://twitter.com/HiroshiSukagawa/status/1685748930212966401
須賀川拓 TBS Television🇯🇵 中東特派員 Hiroshi Sukagawa
@HiroshiSukagawa
最近、とても驚いたことがありました。イギリスの私の自宅の大家さん、とっても仲の良い家族なんです。ところが、実は1年半くらい前に家族同士で会った時、娘さん(当時中学生)がいきなり坊主頭になり・・・
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ダボダボのジーンズで金色の極太チェーンアクセサセリーをジャラジャラと身に着けていて、両親とも言葉少ない感じで、ちょっと距離感もあり。
別にそのファッションがNGとかそういうわけではなく、ただあまりのイメージチェンジに、「思春期は色々なことがあるんだろうね」くらいに思っていました。
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ところが…つい最近、彼女のお母さんと話しをしたら、なんと学校の「peer pressure」でそういう恰好をしていた、ということが判明。
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どういうことかというと当時、彼女の学校では、女の子たちが「男の子」になることがファッショナブル(!?)で、みんな she/her ではなく he/him にならないとイジメられてしまっていたそうなんです。
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で、娘さんもある日突然、丸刈りにして帰ってきて「俺はきょうからジョーだ」と。何の予兆もなかったこともあり、お母さんはびっくりして泣いてしまったそう。ファッションの度を超している…
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ただ、お母さんは娘の変化や行動を否定も肯定もせず、考える時間をしっかりと与えて普段通り接していたら、数か月ふさぎ込んだあと突然、「私間違っていた」と言ってきたそう。
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今、日本では特にLGBTQの権利が話題です。私は同性婚含め、権利拡大には大賛成。でも、その「多様性」を強要されることはあってはならない。
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彼女の学校で、どういった会話がなされ、どういった教育がなされていたか分かりませんが、女の子たちが「男の子」にならないとイジメられる、そんな状況は極めて限定的であってほしいと願っています。
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彼女とその後も直接何度も会ってますが、さすがにこの事については本人も触れられて問題ない部分かわからないので、聞いていません。
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ただ、何よりも素晴らしいなと思ったのが、子供の変化をむやみに否定も肯定もせず、普段通り向き合ってあげたお母さんの行動です。
LGBTQの話題が出てきたとき、極端な例や事案を持ち出して罵倒しあったり批判しあうのではなく、建設的な議論に繋がるとよいなとつくづく思いました。
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LGBTQをめぐる話題は、同性婚だけではもちろんありませんが、最後に何度も話題になったニュージーランドの議員のスピーチを載せておきますね。
具体的なエピソードはないんだけどさ
フェミニストって昔から女性の権利拡大を目標にやってきたわけじゃん?
2.男女平等
でよかったわけよ
それは上手くいって、生物的な男女間の関係も手伝って、一部では女性の方が優遇されてるみたいなことになってきた
そうすると、1と2が矛盾することになってくる
究極的には女性優位社会であるべきと思う人もいれば、そこそこ男女平等ならいいという人も居るだろう
それで矛盾しておかしなことになり始めたのがここ20年くらいだと思う
LGBTでも同じことが起き始め
男性優位派(女性否定)、女性優位派(男性否定)、LGBT優位派(LGBT権利拡大)、平等派 に分かれているんだけど
すごく奇妙なことに
LGBT優位、平等派を否定する女性優位派と男性優位派の結論が同じことになるケースが出てくる
ただ女性優位派はたいてい男性優位派の意見は間違ってるというスタンスなので
これは非常に葛藤を生むことになる
なんというかこの状況は哀れ
単細胞生物の侵害に対する化学的反応と、複雑化した生物の疼痛は地続きで、どこからが疼痛という普遍的境界はない。知性も同様である。
ヒトは倫理・科学・社会的成長に応じて他者への権利を拡大する性質から免れないため、疼痛回避を含む権利範囲を倫理・科学・社会的成長に応じてその都度変更する必要がある(ヒトが科学的・社会的退行期に差し掛かれば逆の議論が必要になる)。一昔前はヒトでも含まれていない者たちが多数いたが現在は大多数のヒトは含まれるようになった。最近では愛玩動物や家畜、その他大型動物への権利拡大はだいぶ進んでいる。
科学的反応と疼痛や知性の境界がないため、権利者の拡大方法は徐々に広げる以外にない。その守られるべき権利者をどこまで広げるか、食肉用動物を含めるか、という議論をしているので、「植物も感じるだろ!」という主張をする人間は「植物も食べるべきではないだろ!」と言う主張であり、植物を権利者に含むためには、より疼痛の性質がヒトに近い食肉動物を先に権利者に含める必要があるため、「植物も感じるだろ!」という意義を唱える者は必ず食肉規制に同意する必要がある。当然、食植物もヒトの科学的レベルが一定に達すれば避けるべきだが2021年はその段階にないため食肉規制推進者が植物を食べることは許容される。
500年?1000年後?100000万年後?には無生物や鉱物、分子や、空間・光・重力にも権利を与えるべきか、の議論が行われているかも知れない。
増田は、男女不平等の解消・男女同権というのが、権利をどちらが多く有するかせめぎ合うゼロサムゲームのように捉えていないか?
社会全体における均衡点としての50:50がどこかで見出され、双方からの権利拡大意思が打ち消し合う結果、危ういバランスが保たれるような印象を受ける。
その見方も理解は出来るのだけれど、分断・対立の構造自体を解決しないことには価値観としての男女同権は実現しないんだろうな。
「たまたま男に産まれた」だけで女性は他人事と割り切る人に、社会問題を真面目に考えるのは難しいんじゃないかな。
何というか、中学生がナイーブな理性主義で現実感の無い言葉遊びをしているような内容なので、他の事で頑張って欲しいと思います。
https://www.youtube.com/watch?v=h2_HjymM-FY
簡単に言えば、「男性の権利拡張運動にバリバリのフェミニストが話を聞きに行く映画」だ。
フェミニストである女性が、マスキュリスト男性権利拡大活動家たちにインタビューを行うという映画なのだが、まあ相当内容がエグそう。
女性差別があることは間違いないのだが、男性差別も間違いなく社会に存在することを予告編だけで突きつけてくる。
「私達だって人間です。助けが必要です」「競争社会により、男性は酷使され、使い捨てにされてきた」と訴えてくる。
・DVの被害者は4人に1人が男性である。しかし、男性がシェルターを探しても男性は援助しないと断られる
・レイプ被害を訴えても信じてもらえない。
などなど。
「強いのは男性。女性は弱い」という常識が、もうすでに崩壊しているのは間違いなく、「強い男性社会にNO」という過程で、弱者男性を余計に締め付けてきたフェミニズムという存在も現代は厳しく問われるんだろう。
考えてみれば、「現代社会が弱者に厳しいのは当然であり、弱者男性という存在が男性だから得をする」などということはまずない。
劣悪なブラック偽装請負労働の低賃金で、40℃の気温の中、汗だくに鉄の塊を運んでいたのは、大体男性だった。
なぜ男性福祉の発達が遅れたかと言えば、「強い男性を求める社会」によって男性の弱さを救済する必要を認めなかったんだろうな。
NIKEが「女性が生まれたら生涯年収が低いのよ」とかいうCMを作っていたが、「日本の自殺率の68.6%は男性よ」とかCM作ったら面白いのになと思う。
欧米はじめ、大体の国では男性の自殺率は女性を大きく上回っている。
まあ、そういう切り捨てられた問題が、人権思想の発達によって、「あれ? 男性も社会で差別的な扱いを受けてるよね」と省みられてるのはいいことなんだろうな。
追記 https://www.youtube.com/watch?v=3WMuzhQXJoY
なぜフェミニストがでてくるのかっていうと、こういう男性特有の社会問題を語る際、必ずと言っていいほどフェミニズムの価値観において、男女の競争にすり替えられるからですよね。
ただ弱者男性について語ろうとすれば、「弱者男性とはなんぞや?」を定義しない事にはどうにもならん。
なのでここでは仕事や恋愛などで敗北を繰り返し、敗者という立場が固定化された男性を弱者男性とする。
弱者男性には同じ弱者男性以外に味方になってくれる人がいない。
ついで言えば弱者って時点で余裕が無いから、弱者男性同士もあんまり協力できない。
もちろん例外的に寛容で心優しい人も居るだろうが、まあ滅多にいない。
だって競争に負けて脱落した弱者男性と違って、強者男性は競争の真っ最中だからね。
弱者男性を助けてあげる余裕なんかないよ。
それに敗者である弱者男性が救済されて敗者という立場を脱するという事は、相対的に勝者にして強者たる自分の立場を弱体化させる事になる。
勝者として強者男性が振る舞うには弱者男性には敗北者で有り続けてもらうのが一番都合が良い。
だからよっぽどメリットが無い限り、或いは親友だったり命の恩人だったりといった個人的な理由が無い限り弱者男性を助けたりしない。
どうやら強者女性は強者男性以上に弱者男性に嫌悪感を抱いてる様だ。
強者女性は、女性が不利になりやすい男性社会の中で競争に勝ち抜いてきたという自負がある。
それだけに男性特権を持ってる癖に弱者に甘んじている連中の存在なんて、存在そのものが許しがたい。
ネットでの弱者男性への反応を見ても、一定以上の地位を持ってる女性は弱者男性に対して苛烈な発言をする人が多い。
「自分達が持ってなかった特権を持ってた癖に、それを活かせなかった無能め! 活かせないなら私達に譲ればよかったのに!」ってのが強者女性の本音なんだろうね。
だから、強者女性が弱者男性を助けるなんて事は宇宙が終わるまであり得ない。
でも同じ弱者である以上、限られた福祉予算というパイを取り合う相手でしかないんだよね。
福祉予算の増額を政府に求めたりといった限定された状況であれば共闘の可能性はあるにせよ、基本的にはお互い蹴落とす対象でしかない。
その上で弱者女性の方が支援を受ける上で少しだけ有利な背景はある。
強者女性と弱者女性にも対立軸は存在している訳だが、男性のそれよりも(少なくとも表面上は)顕在化しにくい。
それはフェミニズムという思想が両者を繋ぐ接着剤の様な役割を果たしているのだと思う。
利害や思想で女性同士の対立があるにせよ、抑圧者たる男性から女性を開放しようという思想の存在が完全な分断を防いでいる。
だから男性側ではなかなか見られない強者女性が弱者女性を支援したり、弱者女性の声を代弁したりという事例が普通にでてくる。
これは弱者男性にとって許しがたい事だ。
弱者男性の多くは自分が支援を受けられないのは「自分が競争に敗れた存在」だからだと思ってる。
それが社会のルールなんだと自分に言い聞かせて、自分の境遇を納得できないまでもなんとか飲み込んできた。
そして男女同権を謳うのであれば、弱者女性も自分達と同じ様に扱われるのだろうと思っていた。
ところが弱者女性はフェミニズムという思想を通じてフォローされる仕組みが出来つつある。
「じゃあ俺も助けてもらえるのかな?」とのこのこ出ていったら「お前は男だから駄目」って言われる訳だ(フェミニズム的には当たり前なんだろうけどな)。
それで「自己責任じゃなかったのか! なんで女だからって助けてもらえるんだ! 俺は男だから駄目なんて差別じゃないか!」ってなっちゃう訳ね。
「弱者男性差別!」って吹き上がってる人は基本的にこれだと思ってる。
女性側からすれば弱者男性は保険料払ってないのに健康保険使おうとする連中みたいに見えるんだろうけどね。
長々と書いてきたが弱者男性が如何に孤立した存在かという事を理解して貰えればありがたい。
もちろん、個々の弱者男性達の言動や行動が原因で孤立しているという面はある。
無闇矢鱈にフェミニズムや女性を攻撃しようとする奴がいるのも孤立を深める要因だろう。
ただ弱者男性が社会から孤立していく構造的な問題は確実に存在している。
強者男性からは「競争社会の敗者だから」、強者女性からは強者男性と同じ理由に加えて「男性だから」、弱者女性からは「少ないパイを取り合う競争相手だから」それぞれの理由で弱者男性は排斥される構造がある。
そしてその構造が存在している故に弱者男性は常に少数派であり続ける。
俺自身弱者男性の側の人間なんだが、正直弱者男性に対する救済は無理だと思ってる。
社会に弱者男性を救済する意義がなさ過ぎるし、弱者男性自身が自己責任論を心の支えにしてまってる人が多くて社会による救済自体を拒んでしまう。
弱者男性の権利拡大を訴えるとしても社会運動を継続するには、弱者男性が今後も社会に供給され続けなければならない。
俺は俺みたいな人達が減っていく社会が良い社会だと思うし、その為にお前達は迷惑かけずに死ねって言われるのも仕方ないと思ってる。