はてなキーワード: 不協和音とは
元増田にグダグダ書いたけど、俺が一番違和感を持つのは例えばこういう運動のこと。
「少女像」展示再開求めデモ集会に200人「表現の自由の弾圧だ」名古屋 - 毎日新聞
デモに来た埼玉県の女性会社員(25)は「作品を見たかった。主催者側へのひどい脅しなどがあったので続けられない状態になったのだろうか。悔しい」。上滝浩子弁護士(京都弁護士会)は「公権力を持つ立場にある人が干渉的なことを言えば、表現活動が萎縮する。そうさせないために憲法は表現の自由を保障している。許せない」と話していた。
繰り返しになるけど、表現活動が委縮したのは、ガソリン持ってくると脅されたからでしょう。
で、それに対して通常、対処しうる危機管理以上のことが現場で可能だったの? 例えばガソリン怖いのをみんなで耐えるの?主催者だけではなく客も巻き込むんだよ?
できないものを無理じいして、できなかったら検閲だなんだって騒いで無理な注文をして困らせるのが表現の自由を守るってことなの?
そういう理由で起きる表現活動の委縮って誰かのどんな努力でどうにかできるものなの?というのが俺の最大の疑問。
委縮しないようには何をすれば?という観点でいうと、例えば、テロを抑止する、という話とよく似ていて、
社会にあふれる憎悪を鎮静化させる、みたいなフワっとした話にしかならない。
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行政が危機管理対応としたという話と、行政が言論を弾圧した、という話を混ぜるなよ。ナイーブすぎるだろ。
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もう少し思想的な背景に突っ込ませてもらうとさ、
そもそも、脅迫含めて暴力的な言論というのは、表現の自由の副産物として、
そういう過激な行為が起こりうることは覚悟しておかないといけないかもしれないんだよ。
アメリカを例にとる。意見が異なる者同士が過激な形でぶつかり合う、というのは、17世紀のヨーロッパがプロテスタントの宗派争いで経験済み。
たとえ激しくいがみ合っていても、政府はどちらか一方が正しいとは言わない、と。
その経験があって、アメリカに渡った巡礼始祖が社会の約束事として決めたのが、合衆国憲法修正条項に引き継がれ、表現の自由の原型となっていく。
1970年代の連邦最高裁の言葉を借りれば、社会が不協和音に満ちていることこそ強さの証である、みたいな覚悟をもって、
ヘイトなど多少の過激な言動を認容していく、というのがアメリカ的な背景としてはある。
つまり、もし仮にアメリカ的な感受性で対処するとすれば、脅迫があったが、ま、今回は引きますが、へこたれずまたやりましょうね!ということなんだよ。
ところが日本の場合、そういう歴史もなければ、不協和音のなかで生きる覚悟もない。
むしろ日本の空気として強いのは行政による言論弾圧の記憶なんだよね。
それならそれでいい。表現の自由を基礎づける歴史的な記憶というのは、その国の歩んできた歴史文化によって異なるのは当然だからだ。
でもその背景について、客観的な整理と自覚がないと、ただ無意識にオブセッシブな態度を表明しているようにしかみえないわけよ。
だいたい横から出てきた名古屋市長なんてそもそも中止となんの関係もないじゃん。
そこはちゃんと危機管理対応と弾圧を冷静に切り分けてもらわないと。
展示が表現の不自由がテーマということで、ついでにひとつ言及しておきたいんだけど、
ムハマンド風刺画問題というのがあるよね、フランスで大きな騒ぎになったりもした。
これは、暴力行為が表現の自由の副産物だという文脈では読み解けない。
アメリカとはかなり異なる歴史的な背景があって表現の自由の価値が基礎づけられているからだ。
簡単にいうと、カトリックの絶対正義が猛威を振るっていた時代に、
こんなんじゃ、まともな社会設計ができん!という問題意識からスタートしている。
まずはカトリックを批判する権利が必要だということで「神を冒涜する権利」として始まったのがフランスの表現の自由であり、例の過激な政教分離なんだよね。
だからムハマンド風刺画事件でも、フランスのメディアは「涜伸の権利はいずこに」という形で問題提起をしたりしたわけだよ。
ただ、おれは別にそんな話を今回の展示に期待しているわけじゃ全然ないんだけどさ、でもなぁ。
そんなたいそうなタイトルを銘打っておきながら、さまざまな国の作品を展示しているのに、他人の作品をコピペみたいに持ってきてパッチワークかよ。
ネットでみつけた一般客のコピペした解説文や評価をみても、テーマである”不自由”の背景がよくわかるものではなかったね。
そのうえ雲行きが怪しくなったら中止と。芸術監督は残念がってメソメソと泣いて、みっともないってちょっと思ったりした。
行政もだよ。リスクを想定したうえで、あらかじめ退避の基準を明示しておくんだよ。この場合、判断と行動のスイッチとなりうる事象をリストアップしておくんだよ。
そのうえでリスクシナリオと判断基準について主催者と合意しておく。
そうしないと、あ、ヤバいと思ったんで引き揚げました、みたいに、行き当たりばったりな説明しか主催者にできないだろが!
そりゃ、突然中止に追い込まれたと思うわな。
まとめると、
表現の自由という観点でも主催者の問題意識は感覚的なものでしかないし、
表現の自由についての問題整理とリスク管理、この二つをしっかり持っておかないと
なんだだ危なっかしいだけだ。
という感想をもった。
追記:
大村知事「河村市長の主張は憲法違反の疑いが極めて濃厚」…県には”京アニ放火”に言及した脅迫メールも | AbemaTIMES
まさに公権力を行使される方が、"この内容は良い、悪い"と言うのは、憲法21条のいう検閲と取られてもしかたがない。そのことは自覚されたほうが良かったのではないか。裁判されたら直ちに負けると思う」と厳しく批判。
おおむね間違ってはいないんだけど、このあたりに、日本人が感覚的に扱う、表現の自由の手つきの危うさがある。
検閲というのは、基本的には”発表前の事前抑制”を指す。特に最高裁の定義はそうだ。憲法違反だとか裁判で負けるとまでは言い切れないのだよ。
時効を迎えた話をしよう。
プロジェクトから一人、ココロを壊して去った方がいる。自分と衝突した翌日に出社しなくなりそのまま。自分を名指しで理由に上げた。
以前から開発チームリーダーの自分とテストチームリーダーの彼とは仕事のやり方が性に合わなくて、度々折衝がそのまま針を飲み込むような泥沼の障害になっていた。そしてあの日も彼の、自分への指摘から始まった。「開き直るけどそのやり方は面倒くさいからやってなかった。変えてほしい。代替案はこうだ。少なくとも今の手順守りたくない。」。そう告げたら翌日から来なくなった。ショックで来れなくなったそうだ。上司経由で聞いた。
テストチームで独裁者のように振る舞っていたよな。奴隷が首を振らなくてショックだったか?そんな感想が浮かんだ。
自分はサイコパスかもしれない。心が痛むより先にやはり納得がいってない。2週間穴を埋めるべく立ち回りして戻ってくるのを待ってこれかみたいな疲れもある。衝突したのも今回が最初ではないし、眠れない日が続いてゾピクロンを常用して死んだように眠っては無水カフェインで目覚めるようになった理由も半分くらいは彼にある。お互い様だ。プロジェクトは元より不協和音が鳴り響いていた。だがしかし、先方が潰れたら自分が?
パワハラですよ的な内容として、コンプライアンス研修によくある、分かりやすいことは言ってない。容姿も言ってない、性格もプラベもそもそも知るほど関心ないからわからない、机もバンバンしてない、なのに。
小学校低学年で早々にいじめを経験して、皆仲良しなんて戯言を信じずにここまで来たがおかけで知人レベルですらまともにいなくなった。
それでも脳死レベルでここまで生きて来て、でも人間関係は酷く付き纏う。仕事には関心があるがお前には興味ない。なのに、知りたくもないことを知り、テストチームのレビューを通すべく対策を練った日々。ああ嫌だ。最悪だ。当時を思い出すだけで生々しい苦味が蘇る。
自分も逃げ出したい。壊れた心は戻らないが、薬を抜いたら眠れない夜がすぐにやってくる自分も十二分に壊れた。
その後すぐに年度が変わって自分は異動になった。新しい課長が自分を引き抜いたと聞いたときは嬉しかったが、一方で元の部署では流刑のごとく言われてる。全然関係ない人に同情されたから知ってる。否定するのも可笑しかったから愛想笑いで流した。新しい部署ではまだ誰も壊してない。自分も眠剤は軽いものに変わった。彼のその後?興味ない。
表現の自由を守りたいという意見は、それを原則論として語りつつも、背後にある危機感はなんだろう。
ようするに、「快不快」によって表現の流通が左右される社会が是か否か、ということが動機のように思えた。
そうであれば、すごくよくわかる。いや、わかるというのは、同意しているわけじゃなくて、なるほどな、だから日本の表現の自由ってふわっとしてるんだなということ。
振り返ってみる。
日本の表現規制の有り様は、戦前のエロ・グロ・ナンセンス発禁にあるように、当局が国民の大多数が不快と思うであろう「不健全」で「公序良俗」に反する表現を対象としてきた。
つまり、割り切った言い方をすれば「健全」と戦っているのが表現の自由の戦士だというふうに思える。
でも、ひとたび、「表現の自由」の思想的な出発点をヨーロッパやアメリカの歴史から振り返ってみると、戦士の動機づけとしてはあまりにも心もとない。
表現の自由とひとことでいっても、思想的な背景は、それぞれ背負っている歴史が異なる。
この国の憲法や憲法判例が示してきた表現の自由は、ヨーロッパのそれとはかなり異なる。
17世紀にアメリカに最初に渡ったピルグリムファーザーズの世代は特に、当時のヨーロッパのプロテスタントに対する不寛容の被害者であった。
メイフラワー号の協約に象徴されるように、お互いに異なるFaith(信条)を持つ者同士が、どちらが正しいとして糾弾することなく、社会を構築しようという、社会の多様性の確保が原点だ。
1970年代には、ヘイトスピーチを巡ってさまざまな紛争が連邦最高裁まであがり、不協和音こそ社会の強さとまで判決の意見で述べているものがある。
当時の裁判官のたとえを援用すれば、空気を浄化しようとするやつが社会の敵なのだ。
人間は不完全なのだから、正しいものなど、最初から先験的に決められない。ということから、この国では、思想の自由市場などという言い方も生まれてくる。
しかし、他方で伝統的な価値観や習慣もそれなりに強い。いやかなり強い。
そういう土地柄では、動機づけとして、多様性の確保というのは、正直、あまりピンとこない。
むしろ、彼らの原点は、教会から弾圧された経験であり、その反動としての「神を冒涜する権利」だ。
伝統的にカトリック教徒でありながらアンチクライストを叫ぶ、そんな権利を求めている。
とくにフランスでは、公共空間を設計するにあたり、真理の判断権を持つかのように振る舞う教会がとてもまずい存在だった。
権力をふるいたがる教会に口出しをさせないことが重要なテーマだった。
それゆえ、その解決のため、一方では、表現の自由というコンセプトで権利を宣言し、他方で、政教分離という原則を確立して、公共空間設計のための理論武装をしていく。
だから、イスラムのスカーフを公立学校から排除しようとしたりする動きが起きるし、
ひとたびムスリムの神を冒涜するような表現をしたことで、襲撃を受けたりすると、社会は「涜神の権利はいずこに」とがぜん盛り上がるわけだ。
アメリカにしても、フランスにしても、それぞれ動機づけは異なるものの、表現の自由を守ろうとする信念というか確信の力は、
極めて強い。テロがあったり、社会情勢の変化で揺れ動いたりするものの、いざ事が最高裁までいくと、
じゃあ、国づくりの原点に戻ろうじゃないかという話になって、17世紀の悲惨な経験が思い出として蘇ってくる。
その動機づけの強さにこそ、新大陸にしても、旧大陸にしても、表現の自由を将来に渡って確保しようとするエネルギーの再生産があり、いわば持続性がある。
翻って、日本。
快不快のような勝手な基準で決めつけられたくはないよね、誰しも。
でも動機づけとして、やっぱり弱いんだよね。
ここで、仮に、日本は、アメリカ式の表現の自由を真似っ子しているのだ、としようか。
でも、日本社会は、アメリカほどには、多様性を求めてないでしょ。むしろ移民なんか大嫌いでしょ。
多様な意見なんか、どの組織でも出てこないでしょ。会議でも右に習えでしょ。
普段から多様性を確保しようというマインドがベースにあって成り立っている社会とは全く違う。
そんな社会では、エロい表現のときだけ急に表現の自由だのと盛り上がるのは、歯が浮くような思いがする。
公共空間におけるエッチなものの取扱なんて、はっきりいって、社会が合意していればどっちだっていい。
じゃあ今度は、大陸が17世紀に経験した熾烈なコンフェッショナリズム、この思想的な背景を
表現の自由として日本国憲法が参照している、と仮に想像してみる。
この場合、仮想敵は、いってみれば、国家神道とファシズムかな。
(*ところで大河ドラマの「いだてん」って、健康ファシズムの視点でみると面白いらしいね。みてないけど)
「国によって右へならえを強制され続けた結果、自分たちが戦争に動員されてひどい目にあった思い出」とでもいうべき動機づけは
定期的に思い出す機会があるかぎりは、ある程度は持続的たりうるのかもしれない。
でも、第二次世界大戦を思い起こしてみると、国民が国家のキャンペーンに煽られて動員させられる、というのは、
なにも敗戦国のドイツや日本に限った話じゃないし、アメリカ含め、あちこちの国でウイルスのようにファシズムが蔓延しかけていたのが現実。
またファシズムをコントロールできた国もない。その意味で、真の意味でファシズムに抗し切った国はないように思う。
表現の自由っていったところで、自然の摂理かのように、神がバランスをとってくれるわけじゃないんだよね。
そうすると、いざ日本にとって対外的な脅威(例えばアジアの隣あたりの国らへん)が増せば、
表現の自由なんか、どうでもよくなっちゃう程度のものなんじゃないか。
このあたりの感覚は、動機づけとしては重要なんだけど、日本の場合、ちゃんと思想として、自分たちの言葉で自分たちを守る武器として昇華してないんだよね。
敗戦で混乱していた時期にすかさず、日本国憲法を戦勝国からもらった、というところで思考停止になった、という面はあるかもしれない。
もらったもので、とりあえず勉強して運用してみよう、という時期が最初はあってもいいかもしれない。
でも、戦後30年、40年、とりいそぎ運用していたものが定着していく、という過程で
例えば「思想の自由市場」ってよくよく考えてみると、日本社会では、あまりピンと来なくね?みたいな気づきがあっても良かった。正直、「思想の自由市場」って日本社会じゃ、なんの役にも立たない理屈だと思うんだよね最近。
また、フランスの公立学校でのムスリムのスカーフ論争。大方の日本人は、何あれ?状態。背景となる歴史が違うんだから
それを知らずに無理やり、政教分離って憲法に書いてあることを適用しようとしてきて、実は消化不良を起こしているんだけど、
そういうことがよくわかったという話。
陳腐表現について今更説明するのも気がひけるのだが、今後の君のために例を挙げてみようと思う。
拘る者にとっては同一の言い回しが続けて出てくることやありふれた表現に嫌悪や不協和音を感じるものだが、単純に数をこなさないとこれに気がつかない。
通常は編集者や校正の手を経て修正されるためにより敏感になるものだが、昨今のなろう量産型には当てはまらないケースが多々あるようだ。
君がもし何らかの創作というものに関わる人間なら、自分の初期作品というものに稚拙さを見ることが出来るはずだが、この文章自体に陳腐さを感じないなら見るべき所が我々と違うとしか言いようがない。陳腐とは誰しもがかつて通った道の途中で捨ててきた物なのだ。
今後の知見として覚えておきたいことは、予防接種しててもインフルエンザにはなるけど、予防接種しないよりはした方がよっぽど軽度で済むこと(A型になったんだけど、寒気と怠さがちょっと重い風邪くらいだった。熱が37.5度超えることもなかった)と、
咳止め薬の「フラベリック」を摂取すると、耳に入る全ての音が若干下がって聞こえるようになること。
何を聞いても半音くらい下がって聞こえるので、テレビで聞き慣れたCMのサウンドロゴや普段聞いてる音楽がせんぶ少し低いので、ずっとモゾモゾする日々だった。
で、思ったんだけど、
例えばこの状態で半音下がって聞こえる音に合わせて歌うと、周りには自分の声が流れてる音楽よりも半音ズレてて、不協和音で気持ち悪く聞こえるのだろうか?
この辺りは薬やこの症状に詳しい人がいれば教えてもらえると嬉しい。
何はともあれ、予防接種のくだりも含めてしない自衛よりする自衛だと思ったので、皆様今後ともインフルエンザには十分お気をつけください。
特にファンというわけではないけど(他グループの担当なので)、
昔のTOKIOやKAT-TUNの映像見てると悲しくなってくる。
メンバーについてグループについて語っているのを見ると、あ〜・・・ってなっちゃう。
残されたメンバーが今頑張ってるのはなんとなく知ってるし、
全部地続きで見てしまう。
グループの歴史や歩みも含めて長期スパンで応援できるのがアイドルのいいところだから。
脱退しちゃったら、その頃言ってたことややってたことに何か不協和音があったのかもとか
表で言ってることが全部信じられなくなったりとか
色々考えてしまう。
◆延近充
◇レーニン『帝国主義論』(大月書店,文庫版):帝国主義段階の資本主義論の古典
◇北原勇『独占資本主義の理論』(有斐閣):独占資本主義段階の理論
◇同上『現代資本主義における所有と決定』(岩波書店):現代における資本家とは?
◇北原・伊藤・山田『現代資本主義をどう視るか』(青木書店):立場の異なる3人のディベート
◇井村喜代子『現代日本経済論』(有斐閣):本文で述べたような戦後日本経済の構造と性格
◇平子友長『社会主義と現代世界』(青木書店):現代社会主義の問題点
◇重田澄男『社会主義システムの挫折』(大月書店):ソ連・東欧の崩壊の意味
◇延近 充『薄氷の帝国 アメリカ― 戦後資本主義世界体制とその危機の構造』(御茶の水書房,2012年):アメリカ主導の戦後資本主義体制の特徴とその変質,世界経済の不安定性との関係
◇延近 充『対テロ戦争の政治経済学』(明石書店,2018年):2001年9.11同時多発テロをきっかけとして始まった対テロ戦争は現在も続いている。この戦争はなぜ終わらないのか?そして日本はどのように対応すべきなのか?国際政治・軍事・経済を総合した政治経済学の視角から分析する。
◆斎藤幸平
◇ポール・メイソン『ポストキャピタリズム―資本主義以後の世界』
◇ナオミ・クライン『これがすべてを変える――資本主義VS.気候変動』
◇アントニオ・ネグリ=マイケル・ハート『“帝国”―グローバル化の世界秩序とマルチチュードの可能性』
◆佐々木隆治
◇大谷禎之介
◇渋谷正
◆隅田聡一郎
同上『資本主義はどう終わるのか』
三十をもうだいぶ過ぎて戻ることになった。
十代の頃に築いたオタク仲間との付き合いは、帰省した際に会う機会もあり、すでにインターネットが一般的になっていたこともあって途切れずにいた。
その友人たちに、仲間のひとりであるAについての愚痴を聞かされるようになったのは、大学を卒業して社会人になった頃からだったと思う。
当時、自分はAが同人活動に忙しかったこともあって滅多に会わなかったので、伝聞を鵜呑みにするのもどうかと思い、愚痴に関しては話半分に聞いていた。
だが地元に戻ってAを含むオタク仲間との密な交際が再開されると、すぐに友人たちのいう「Aがヤバい」の意味がわかるようになった。
Aのヤバさは基本的に、オタク的なことを過剰に持ち上げ、オタクじゃない人間やオタク的じゃないことを下に見るところにある。
「オタクを持ち上げる」ではなく、「オタク的なことを持ち上げる」と書いたのには相応の理由がある。
Aの中のオタク像が、オタクの中ではより一層オタク的なものではあるかもしれないが、オタク全般に言えることとは思えないからだ。
例えばAからすると、オタクは多額の金を使わないといけない。経済的な問題で趣味に金を使えないが、対象に愛情はあるというオタクもいるということは納得できない。
「資産家の一人っ子、独身、実家住みで稼いだ金を全て趣味に使えるお前には分からないだろうが、一般的には家庭を持つと色々と物入りなのだ」という内容を遠回しに諭した友人もいたが、まったく無駄だった。
これは遠回しに言ったのがよくなかったのかもしれないし、「一般的」「家庭を持つと」などと言ったのがよくなかったのかもしれないが。
異性にもてるオタク、交際相手のいるオタク、恋愛や結婚に興味を持つオタクは「向こうに行った」と言われる。
ファッションやスポーツなどオタク的じゃない趣味を持っているオタクや、仕事熱心なオタクへの当たりもきつい。
結婚予定もしくは新婚のオタクにも厳しいが、なぜか子どもの生まれたオタクと結婚して何年も経ったオタクには厳しくない。
Aは人前に出る人間、目立つかっこうをした人間にも厳しい。それは相手がオタクであろうがそうでなかろうが関係ない。
社会には容姿差別が存在すると強く抗議するが、TVやネットに限らず、とにかく自分の容姿を見せて仕事をする人物、派手な服装をしたオタク(特にコスプレ勢)に関しては「不細工は去れ」というようなことは平気で言う。
Aいわく「人目につくという選択肢を選んだ以上、容姿を批判されるのは覚悟の上でないといけない」。
だが、人の前に出る仕事をしたり目立ったことをする人間は容姿に自信のある人間でないといけないというのも、それはそれで容姿差別ではないのか。
そう言ったのだが、「好きで選んでおいて差別も何もない」で終わってしまった。
これだけでなく、AはAから見てニワカやライトオタクに見えるオタク、そして若いオタク(特に若い女性)に異常に厳しい。
反対に、古参(ジャンル歴だけでなく年齢も加味。自分より年上の同性のオタクにはひどく甘い)は賛美する傾向にある。
それでは「Aにとってオタクではないオタク」は一体何者なのかと言えば、Aいわく「ファッション(としての)オタク」だそうだ。個性もないのに個性があると主張したいがためにオタクを利用している連中、ということらしい。
個性的であることとオタクであることに何の関係があるのだと思う人もいるだろうが、Aの中ではオタクとは個性的な人間ということになっているのだ。
Twitterをはじめてからは、ジャンル内でハタチ前後の若いオタク(聞くかぎりはほぼ女性)に古参として親しく接する一方、彼女らのおかしな発言を収集している。
そうやって集めた若いオタクの勘違いした発言、馬鹿にして面白がれる発言を同世代以上のオタクとクローズドで共有しているという。
それを我々にもまるで悪びれずに言うのでさすがに咎めたのだが、「困ったファッションオタクについて情報共有をしているだけだ。危機回避の手段に過ぎない」と抗弁されてしまった。
Aはふだん仕事に関する話はほとんどしないのだが、職場環境について一回だけ話してくれたことがある。
「上司や同僚がオタクでないので無趣味で、趣味で充実して毎日楽しく過ごしている自分に嫉妬して嫌がらせをしてくるので面倒くさいが気にしていない」ということだった。
「嫌がらせについては詳細を聞かずに何も言えないが、絶対にそういう動機ではないと思うぞ。現状について見直した方がAにとってもいいと思う」とみんな口々に言ったが、これも納得してもらえなかった。
また友人たちが身なりについてやジム通いや婚活の話などの、Aが「オタク的でない」と考える話題をすると、いちいち水を差すようなことを言う。
欲しかった靴を手に入れたという話題には「靴はすぐ駄目になる」と言い、ジムに通い始めたという話には「知人もジムに入会したが全然行っていない」と言い、婚活を始めたという友人には「結婚相談所のいいカモ」と言う。
Aに面と向かって言わずとも、SNSで呟いただけでそう言ってくる。
今回の投稿は、これがバズってAに届けばという気持ちで書いている。
間接的にも直接的にも、Aのへそを曲げないかぎりの範囲で言ってきたが、もう限界だ。
他人の口であれこれ言われれば(なるべくならAが仲よくしている古参オタクが批判してくれれば)、初めて真剣に考えてくれるかもしれない。
十代の頃を思い起こせば、我々はみんな社会性が非常に低かった。
それは今でいうコミュ障などではない。口下手、同世代の話題やノリがわからない、そういう話ではなかった。
もっと根本的に人の気持ちに鈍かったし、気遣いがなかったし、そういう社交性を馬鹿にしてもいた。
進学校で家庭環境はそう変わらなかったこともあり、クラスの主だったグループに属せなかったメンツということもあり、みんな趣味嗜好も悩みも似通っていた。
気遣いしなくても、「自分はこう思うから、相手もこう思っているはず」がそんなに外れなかったのだ。
だが今は違う。
大人になり、みんな進路も異なり、境遇も考え方も趣味嗜好も異なっている。
今はみんな、それを分かってつき合っている。
そこに一人、自分と同じ考え以外は認めないし配慮もしないという者がいれば不協和音が生まれるのは当然だ。
だけどみんな、Aを排除したくはないのだ。
特に賢いわけでもなく他の多くの10代と同様にアホでバカなのにそれを認めたくなくて、マイノリティであることに不必要に傷ついて、プライドばかり高かった頃に同じ傷を舐め合った仲間だからだ。
Aが優しくて寛容で友人想いだった頃のことを覚えているからでもあるし、Aがオタクだったためにつらい思いをしたことも知っているからだ。
Aに、考えを曲げろとは言わない。
だが、Aの言葉に傷つく仲間がいることをどうか分かってほしい。
(そしてAよ、お前が歩む道の先が光に照らされているとはとても思えないのだ)
そう正面切って言っても分ってもらえなかったのでこれを書いているのだが。
なんかの記事を読んで、久しぶりに増田に書き散らそうと思ってログインしたところ、5年前に書いた日記が出てきた。あまりの懐かしさに書こうと思っていたことを全部忘れたので、せっかくだし忘備録として、あの生意気な後輩のことを書こうと思う。
https://anond.hatelabo.jp/20130619155614
生意気な新人が入ってきてひたすらイライラしていたという話だ。当時は社会人4年目、少しばかり仕事も覚えて、後輩もできて部署のメンバーの仲も良く、仕事が楽しくなってきた矢先の話だったので、それはもう彼に世界をぶっ壊された気がしていた。今となってはお恥ずかしい限りだ。
ありがたいことにこの醜い罵詈雑言にブコメも沢山もらって、4年目ごときの小娘がお局なんて片腹痛いわみたいなことも言われて、当時はナニクソこの野郎と思ったものだが、今思えばその通りだなあと感じてあまりのほほえましさに自分で笑ってしまった。
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あの日記を書いた後、ブコメに小娘がどうこう笑われて腹が立ったので、こうなったら真のお局になってやるわ見てろよブコメどもと思った。返事が返ってこなくても毎日大声で挨拶をして、嫌な顔されても何かにつけてしょうもないことで話かけ、飴ちゃんはいるかと聞いていらないと言われても無理やり押し付け、顔色が悪ければどうした早く帰れと言い、空調の風で寒そうだったらショッキングピンクのど派手なひざ掛けを無理やり掛けてやったりした。もう半ば嫌がらせだった。
なんやかんやで結果的に、あの日記を書いて1年も経たないうちに、彼と打ち解け、すごく仲よくなった。
特に仲良くなるきっかけがあったかどうかは全然覚えてない。気が付いたら、彼の慇懃な敬語はいつしか消え、私にため口をきくようになったし、普通に笑うし、私の肩も軽口も叩くようになり、私の引き出しを勝手に開けてはお菓子をチョロまかすようになっていた。
これがもう、本当に滅茶苦茶嬉しかった。あ、なんか心開いてくれたっぽいぞ!ってわかったし、なによりすごく声がやさしくなったし、私のくだらない話に笑ってくれて、見たか私のお局力!ドヤ!みたいな気分だった(この時は、お節介おばさんとお局様の差が、あまりわかっていなかった)。
そうなると自然に仕事でのコミュニケーションが円滑になり、何かあれば彼もすぐ相談するし、もともと地頭はいいのでこちらもいろいろ相談するようになり、頼り頼られみたいな感じで、先輩と後輩とも知らないうちに打ち解けて、彼が入社する前よりも平和な仲良し部署になっていた。
そういえば、店員への横柄な態度もいつの間にか丁寧な態度になっていた、というか、むしろ一番気を遣うようになっていた。飲み会も一番楽しそうで、酒の量はセーブしながらもいい感じに盛り上げてくれて、おまけにカラオケもうまかった。慇懃無礼で隙あらば睨んできていたやつが、明るく楽しい普通のチャラ男になった。
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親会社はこの平成も終わらんとする時勢にあって非常に昭和的な会社だったので、女子はお茶汲みコピー以外の枠がないらしく、私だけ一般職へ格下げで皆と一緒に親会社へ出向する、もしくは、全然関係ない部署に配置転換、という選択を迫られることになった。
一応、専門知識の必要な部署にいて、それなりに経験を積んで勉強もして大きな仕事を任されたりしていただけに、この状況はすごく辛かったし悔しかった。ただ救いだったのは、私以上にみんなが怒ってくれて、上司も先輩もどうにかならないか上に掛け合ってくれたし、「今すぐタイでも行ってつけてもらってこい!」みたいな本気だか冗談だかわからない言葉もありがたかった。中でも一番怒ってくれたのは彼で、役員室に殴り込んでサーバーをぶっ壊す勢いなのを必死で宥めた。こいつ相変わらずだなと思う反面、これだけ私のために彼が怒ってくれるのがすごく嬉しかったのを覚えている。私のやってきたことは会社に認めてはもらえなかったけど、彼らがこうして評価してくれていたんだなと思うと、不思議と怒りは沸いてこなかった。
こうして私だけ去った後の部署は、これがもうびっくりするぐらい空気が悪くなった。理不尽な異動に腹立しながらも古い体質の役員から自分と後輩を守ろうとする先輩と、こんな時代遅れの差別断固許すまじ討ち入り上等の彼、その板挟みになった後輩に、親会社の無神経なメンバーと仕事のできない別の上司が加わり、それはもうしっちゃかめっちゃかになっていた。最初は微かだった不協和音はみるみる大きな歪みになり、最終的には、先輩と彼は口もきかなくなった。後輩はオロオロするばかりで、3日に1度ぐらいお菓子をせびりに来ては、やりづらいと愚痴って帰った。さらに上司もどうしたらいいのかわからず、ただただものすごく空気が悪く、もはや誰にも修復不能なまでになっていた。
私がいたらあんな空気にさせないのにという無念と、私が異動したせいでああなったのだという自責と、ただ私の力ではどうしようもなかった無力感と、とにかくもう見ているだけで本当に辛く、人間関係ってスイッチ一つでこうも変わってしまうものかと思って茫然とした。
私が転職することになって、元部署のメンバーが集って送別会を開いてくれた。この時には、もはや会話らしい会話をしていない彼らだったが、私を気遣ってか以前みたいに、和やかで楽しい雰囲気を作ってくれた。会社を辞めるにあたって、彼らのギスギスがとにかく心配だったが、ぎこちないながらも言葉を交わす様子を見て、これで少しでも元の状態に戻ってくれたらと思った。だがその矢先、3次会で入った居酒屋で、些細な切っ掛け、本当に些細だったと思う、彼が先輩の胸倉をつかんでの怒鳴りあいになってしまった。親会社のやり方に不満を抱きながらも、後輩たちの立場が危うくなると感じて収めるように諭してきた先輩に対し、私や後輩(繰り返しややこしいが彼にとっては先輩)がここまでコケにされて言い返せない先輩に不満を抱いていた彼が爆発してしまった。周りの人も騒然として、何とか割って入ってことを収めたものの(なお後輩は気付いたら後ろに逃げていた。危機管理のしっかりした男だ)、これが決定打となって、彼らの関係は完全に決裂してしまった。その後、ドロドロの展開は私の去った後の話なので割愛するが、裁判沙汰にもなり、私が辞めた数か月後には彼も会社を辞めてしまった。
最後の送別会で帰り道に彼が言った「(私)さんが上司だったらよかったのに」という言葉を思い出す。扱いづらくて癖の強い男だったが、可愛くて素直で優秀でまっすぐな男だった。なんでみんな、彼を上手に使ってあげられないのか、すごく不満だった。彼が私を認めてくれたことが嬉しかった半面、自分に彼を使ってあげられる力がないのがすごく悔しかった。仕事を頑張って、それなりの地位につきたいと思うようになったのは、それからだろうか。まあ、現実には失敗ばかりのダメ社員で、自分の仕事で手一杯なので地位云々なんてもってのほかの話ではあるが、何かあれば人を守ってあげられる立場の人間になりたいと思うようになったのは、彼の影響だった。
結局、彼がいまどこで何をしているのかは全然知らないのだが、さっき自分の日記を読み返して、辛い思いをしていないかなあ、元気にしているかなあ、うまくやっているかなあと心配になってきてしまった。
吹奏楽には全く詳しくないのだが、文化祭のJPOPステージなどを聴いているうち、「ラップのある曲ってどこまで真面目に再現するんだろう?」とふと気になって調べてみた。
結論としては、ラップ部分を「再現するルート」と「回避するルート」の2つの方向があり、それぞれのルート内でもクオリティ差が激しく表れることがわかった。
私はそれを以下のようにランク付けした。
以下、具体例とともに見ていく。
なお、サンプルは全てミュージックエイトである。ウィンズスコアは最近の曲しかなく、私が最近の曲に詳しくないのでラップのある曲が見つからなかった。
https://www.youtube.com/watch?v=7orX_pQ6l2Q
さらにラップ独特の細かい節回しが整然と並ぶ八分音符に吸収されてしまっており、非常に単調なリズム。
まさにお経と呼ぶほかない状態。
同じオレンジレンジの「花」「以心電信」もお経状態ではだが、上記よりはリズム感がある。
元の歌詞をなぞることを放棄し、独自にリズムを構成しているからだろう。
しかしミュージックエイトはオレンジレンジに何か恨みがあるのだろうか。
https://www.youtube.com/watch?v=n9Vu96KCUEs
頑張っているのはわかるが、違和感が激しく、不協和音すら感じる。
そもそもラップの音階は半音未満の細かい節回しや語尾のフォールなどが主で、単純になぞって再現できるものではないのだろう。
ただし、原曲がもともと音階感の強いラップであれば、そのままなぞるだけで成功する(例:ファンモン、Aqua Timez、SEAMO)。
https://www.youtube.com/watch?v=n18_CivUl1Y
そのままなぞる以上の違和感消しを行っていて理想形の一つだと思う。
サクラ咲ケ/嵐
https://www.youtube.com/watch?v=noTqth_1t5o
2番が終わった後のCメロがラップなのだが、その時間ごと消えている。
Cメロはラップ以外でも飛ばされることがあるので、仕方ないと言えば仕方ない。
A・RA・SHI/嵐
https://www.youtube.com/watch?v=OWOoMukSiT4
原曲では冒頭にラップがあるのだが、その部分が前奏として処理されている。
ラップがあったことを言われないと気付かないほど自然なアレンジ。
ややオリジナル展開気味で、ちょっと短くなっているのも好判断だと思う。
ちなみに、「感謝カンゲキ雨嵐」も同じパターン。嵐のサクラップはひたすら回避されるのは何故。
https://www.youtube.com/watch?v=mMW2vFAMWGo
2016年末にリリースされた「二人セゾン」は、アイドル素人の俺の絶妙な隙間に入り込んできた。
ストリングスの効いた美メロの4つ打ち、制服姿のアイドルたちのコンテンポラリーなダンスフォーメーション、湾岸都市の無機質さに対比する彼女たちの笑顔。
それまで持ってきたアイドルへのステレオタイプが崩れていった。
俺の彼女らへの感動がピークに達したのは不協和音のカップリング「エキセントリック」のMVを観た時だった。
普通/エキセントリック の対比に苦悩する主人公を謳う内容の楽曲。
「僕は普通と思ってる みんなこそ変わり者だ」のタイミングで彼女らのダンスは紛れもなく「エキセントリックな集合体」を表現し、結局主人公や周りの人間らは見方によって普通にもエキセントリックにもなれてしまうという非常にシニカルな内容になっていた。
ここまでシリアスな内容を表現できる10代20代の女の子がいることにただただ脱帽する限りだった。
そしてバラエティに出演すれば素朴な笑顔ややりとりを繰り返のがまた彼女らの魅力だった。
しかし2017年末の紅白出演から、俺の中で何かが変わっていった。
共演する内村光良が真顔で心配するほど平手友梨奈の限界を過ぎたパフォーマンス、終演直後の一部メンバーが倒れたことは切実な他のメンバーの切実な表情を切り取った写真とともに速報された。
限界ギリギリで頑張っている少女性、俗な言い方をするならスポ根的な、そういう少女たちのアティチュード。
これは確かにアイドルにおいてとても話題になるし、アイドルを推す側にとっても「あの子たちが頑張っているから推せる」というモチベーションに一番つながる。
俺自身が多少ならずともパフォーマンスする側に立っていた人間だからこそそう思うのかもしれないが、演者が舞台上で倒れるなどあってはならない。
そして運営からはいくらかのお知らせがあり、一部のメンバーからのブログやインタビューで「もう大丈夫です」といった内容の告知があり、この件は収束した。
2月に初めて全握に参加した。
昼ごろのミニライブ終了後、屋外に3時間待機してレーンのメンバーふたりに対して計6-7秒程度の握手。
わかったのは想像以上に画面で見る本人らより実物はとてもかわいかったし、きれいだった。
ただそれ以上のことは特に感じられず、メンバーらを見世物のように感じてしまい、もう全握には行けないような気がした。
あの場に行って感じたが、いろんなものが過密化していて、それでいて握手して直接会っているにも関わらず結局メンバーとなにかコミュニケーションがとれているというわけでもない。
夥しい数の観客がいるのに、この中の一体何人が本当にメンバーとコミュニケーションがとれたのかと思うと、ひどく虚しい環境のように感じられた。
そしてまた俺自身のそういう過熱しすぎた環境に加担してしまっているとかと思うと、もうどうしたらいいのかわからなくなってしまった。
その帰路で、たまたま当日向かいの会場で行われていたももクロの有安卒業ライブの待機列との熱量を、どこか羨ましく思う自分がいた。
そしてほか数人のメンバー欠席のままワンマンライブやフェスへの出演。
その度に聞こえてくる「不在のメンバーがいても素晴らしいパフォーマンスが繰り広げられている!」という賛美の声。
そうだけどさ、そうじゃないんだよ。
全員選抜でずっとシングルリリースしてきて、21人でずっとやってきたんじゃん。
それでてメンバー足りなくてもすごいって、休んでる方も出てる方もどんな気持ちなんだよ。
それでも色んな意味での「運営」は滞りなく続いていくの、本当になんなんだよ。
21人がちゃんと健康に活動を頑張っている姿が好きだったんだよ。
それこそ二人セゾンのあの笑顔が見たいんだよ。
昔からの習慣で部屋にいる時はテレビをつけっぱなしにしていたのだがやめた。
10代20代の時は面白い、かっこいい、かわいい人が出ているテレビは偶像として目的的に機能していた。なんにせよテレビにうつる人は努力して勝った人だ。そんな人に憧れ同質化しようと試みるのは若いうちは可能だがもう無理だ。
勝った人ばかり映すテレビがもう現実的ではないとずっと前から気づいていたが30にしてとうとううざったくなってきてしまった。
これは自分の向上心の欠落なのかテレビがもともと虚構だったのかわからないがとにかくテレビのバブル感が不協和音としてしか受け取れなくなってしまった。
その団体には私が生まれる前から両親は勿論親戚一同のほとんどが所属していたので、私は生まれた時点でその団体へ所属することが確定していました。
宇宙の持つ莫大な気(チャクラ)、輪廻転生、死後の世界、他の宗教がダメな理由、自分の生まれた理由、何故人は不幸になるのか、何故団員を増やさなければならないのか、どうしたら人は幸せになるのか。
端的に言うと、「団体に入って、勉強して、実践していけば幸せになれる」ということを物心ついた頃からずっと教わってきました。
子どもの頃の私は「こうして勉強して、この話を世の中に広めて団員が増えれば、沢山の人が幸せになって、この世から不幸がなくなる」と信じて疑いませんでした。
問題は、私はまだ子どもで非常に人見知りで喋るのが苦手な為、どうしても赤の他人にそのような話を広めて勧誘することが難しいということでした。
小学校1年生の時、学校が同じでよく遊ぶ友達に頑張って話をしましたが、その子から親御さんに話が行き、私の母親へ電話がかかって来たようでした。「もう二度とそんな話をさせないで」とのことでした。
でも母親は「××ちゃんにはもう話をしないでね。でも【私】ちゃんは良いことをしているんだから、大丈夫。こんなこともある」と、慰めてくれました。
私はその後も他の友達に頑張って話をしていきました。友達には理解してもらえませんでしたが、親に報告する度に褒められて嬉しかったのを覚えています。
子どもの頃から歌うこととピアノを弾くことが大好きで、よく母親の聞く曲の歌手のモノマネをしながら弾き語りをしていました。
ある日、いつものように歌っていると、父親が「【私】ちゃんは歌もピアノも上手いから歌手になれるぞ」と言いました。
ついで母親が「そうよ!団体の話を歌にして広めたら良いわ!」と満面の笑みで言いました。
両親はいつも色んなことを教えてくれて何でも知っていたので、私はそれを名案なんだと思いました。
その日から団体の教えを基に歌を作ることが私のライフワークになりました。
「死にたいと絶望していた時、あなたに出会えて私は生まれ変わった」
「こんな奇跡が起きるなんて」
というような恋の歌にしました。
作曲は最初こそ楽しかったのですが、中学生の頃、ある日母親に「今の部分、不協和音でおかしい」と言われました。
その時は色んなことに挑戦していて、「不協和音を効果として敢えて入れたらどうなるか」という実験でした。
でも音楽経験のある母親は私が反論する前に「それは正しくないからもっとこうしなさい」と言いながらピアノを弾きました。
とても綺麗な音でした。
私の中で積み上げてきた母への信頼が崩れ去った瞬間でした。
「何でそんなことがあんたに分かるんだ」
「あんたに私の何がわかるんだ」
「これは私の曲なのに」
それまで何でも素直に受け止めていた私に初めて母親に対する反抗心が芽生えました。
それからは母親の前ではピアノを弾くことも歌うこともやめました。
市のコンクールに応募した時も、音楽事務所にデモテープを送り付けた時も、どんな曲を作っても母親には一切教えませんでした。
それまで感じないように努めていた反動なのか、ありとあらゆる負の感情が自分の中でどんどんどんどん育っていきました。
負の感情を抱くことは団体の教えに背く行為で、私はそれを子どもの頃からとにかく重いことと受け止めていました。
そして、団体の教えに背いてしまった自分は本当にダメな人間なんだクズなんだと酷く落ち込みました。
団体の創設者へ懺悔の手紙を何枚も何枚も書きました。(事あるごとに創設者へ手紙を書くことはその団体では当たり前なのです。)
しかし書いた手紙は必ず両親に添削してもらい、了承を得てからでないと出せないことになっていたので、出さずにそのまま曲にしました。
今でもこの時作った曲を歌うと悔しくて涙が出ます。
そんな体験があっても、友達に団体の勧誘をすることはやめませんでした。
と言われました。
ついに言われてしまいました。
薄々気付いてはいました。
両親や親戚の人達の多くは大人になって、大変な思いをしてからその団体に出会い、入団し、救われました。
しかし、私は生まれた時からその団体に所属しているも同然で、大変な思いをしたことが無いのです。
「救われた」という経験が無いのです。
もっとはっきり言ってしまえばそれまで生きてきた中で一度だって「幸せだ」と感じたことなんて無いのです。
「あなたに出会えて幸せ」なんて歌詞を書くのに、そんな体験したことが無いのです。
沢山曲を作ってきたのに、全部親や親戚から聞いた物語で、私の物語なんて一つも無かった。
吟遊詩人を目指してる訳じゃないのに。
私は歌手を目指してるのに。
あぁそっか、お父さんが歌手になれるって褒めてくれて嬉しかったから。
お母さんが団体のことを歌にして世の中に広めたら良いって言うから。
私は本当に歌手になりたいの?
そう言えば最近お父さん家に居ないな。
お母さんも不機嫌なこと多いし。
「幸せって何だろう…?」
気付いたら私は彼の前でボロボロ泣いていました。
彼は「俺が幸せにしてやるから心配すんな」とか言ってたけど、その一言で一気に冷めて翌週には別れました。
その頃から精神的に不安定になって、学校も行ったり行かなかったりしました。
音楽の先生と仲が良かったので、音楽室の隣の準備室へはよく遊びに行ってピアノを弾かせてもらいました。
作曲は自分で何も生み出せないって気付いてしまってからは嫌になってしまってやめました。今でも流行りの曲を耳コピして弾き語りする程度。
結局そのまま何となく音楽関連の学科がある大学にAO入試で受かったから入ったものの、勉強もせず音楽ばっかりやっていたので、普通の勉強が分からず中退。
その後父親が団体を脱退したのがきっかけで、両親は離婚しました。
母親と暮らすのが苦痛だったので、2年くらいアルバイトで資金を貯めて一人暮らしを始めました。
団体は全国に支部があって、引っ越した際に自分の家から一番近い支部に住所を登録しに行かないといけないのですが、それを母から聞かされておらず知らなかった私は支部ではなく本部から呼び出されてお叱りを受けました。確か懺悔の手紙を10枚くらい書いて提出してようやく家に帰ることが出来ました。
そもそも何で引っ越したことが団体にバレたのか今考えると不思議なんですが、当時は団体に隠し事をしても気(チャクラ)で何でもお見通しなんだと信じていました。普通に考えて多分母親か親戚が通報したんでしょうね。母親は私の一人暮らしに反対して親戚にも相談していたようなので。
一人暮らしをするようになると、団体の運営費として毎月お金を納めねばならず、これが地味にキツかった。支部に5000円、本部に5000円、更に総本部に5000円の合計1万5000円。
納金した日には有難いお話を2〜3時間聞かされる。子供の頃なら熱心に聞いたと思うけど、内容のほとんどが「勧誘して団員増やそう。世界を幸せに!」だったので毎回とても眠かったです。
他にも行事とか諸々でお金がガンガンなくなりました。壺とかは買わされていません。
家族割みたいな特典があるらしく、未婚だったので「団員と結婚する」もしくは「恋人を勧誘して入団させる」この二択をよくオススメされました。
母親に対して反抗心はありましたが、団体には反抗する気がないというより反抗しても無駄だと思っていたので、お金の余裕が無くなって来た私は「早く結婚して割引してもらわなきゃ」としか考えられず、焦っていました。
特にやりたい事もなかったので、時給の良い配膳の派遣に登録して朝・昼・晩と3箇所の現場を回り、移動時間も含めて6:00〜23:30働きっ放しで15連勤等は当たり前。
(多い時は手取り30万、閑散期は9万円程でした)
団体への納金以外にも家賃・光熱費・食費・保険料・市民税等で毎月使えるお金は2万くらいでした。
恐ろしいのは「団体への納金さえなければ」という考えに至らなかったことです。
彼氏が出来ては勧誘し、断られれば即座に別れて次の彼氏を作り、また勧誘し、、、その繰り返しでした。
「勧誘する為に俺に近付いたのか」
「例え死ぬほど好きでも、私は団員とじゃないと結婚できないんだから、先に話して無理ならすぐ別れた方が良い」と本気で思っていました。
そんな時、久々に大学時代の音楽仲間の男性からご飯に誘われました。大学時代と言っても彼は5つ年上の大学外部の人間で、当時から既に社会人でした。
彼には異性というより、初めから父性を求めていたように思います。
色んな話をしました。
音楽仲間なのに、私は主に仕事の愚痴ばかり言ってしまいましたが、彼は終始穏やかに話を聞いてくれました。
とても心が安定した心地良い時間でした。
その後も何度か誘われ、正式に結婚を前提にお付き合いすることになりました。
彼と一緒に過ごすことが本当に楽しくて、初めて恋人と離れたくないと思ったのです。
そして、彼の家に転がり込むような形で同棲がスタートしました。
彼は本当に私との将来を真剣に考えてくれているのに、私は彼に団体の話をして、勧誘に失敗したら、また彼と別れなきゃいけないんだろうか?…と、不安になる日も増えました。
意を決して彼に団体の話をしました。ただし、あくまでも勧誘ではなく、自分がそういう団体に所属しているため、色んな面で出来ないこと(例えば葬式に参列しない、国歌を歌わない等)があるという告白をしました。
彼は「【私】さんがどんな宗教に入っていても気にしないよ。俺ももし入りたくなったら入るし。ただその団体のせいで誰かが傷付くなら、全力で止めるけどね」と真剣に答えてくれました。
止められることは無いしもしかしたら入団してくれるかもしれないと思い、ひとまずホッとしました。
同棲生活の中で、彼の物の考え方を更によく知るようになり、自分の中にある団体や母親から教わった「常識」が段々とおかしいことに気付き始めました。
→彼は私が作ったご飯を食べたり、私とハグした時に「幸せだ」と言う。
「あらゆる宗教的行事は気(チャクラ)的に問題があるため不参加するべき」という価値観。
→ただ他の宗教に流れてほしくないだけでは?
最後に、「どんなに生活が苦しくなっても団体に納金するのは団員の義務」という価値観。
「俺が人生楽しむために働いて稼いでる金なんだから【私】さんとのデート代は俺が出す」と言われて、ハッとしました。
団体に納金することしか頭に無くて、「人生を楽しむために働く」という発想自体が出来なかったんです。
彼と生活していく上で今まで大事にしてきた考え方が自分発信の考え方じゃなくて、
アホみたいに思えて、
最後に受付の女性から「皆さん絶対に後悔して戻って来るんですよ」と言われたけど知らん。
母親や親戚は「いつか目を覚まして戻って来るだろう」と思っているようで、憐れみの目で見てくるので気まずいのですが、特に被害はありません。
あと、クリスマスパーティーとか初詣とか参加出来るのが嬉しい。
彼とは結婚して、彼の扶養に入る為に今は派遣の仕事は辞めて、もう少し体力的に負担の少ないバイトをしています。
それは彼が音楽関係で仕事をしていて、羨ましいと思う自分がいることです。
「そういう人は沢山居る」って言われてしまうかもしれないけど、私の場合はただただ「団体のために」って思っていた期間が長くて、若かったのにすごいもったいない考え方をしていたと思います。
ああいう特殊な団体の中に居ても、考え方1つでめちゃくちゃ幸せに生きれたんだろうなと思います。現に幸せそうな人は見たことあるし。
子どもができたら少しは変わるかなとも思ったんですが、自分も母親と同じように子どもに無意識に何か押し付けてしまいそうで怖い。
団体の教えとかなかなか忘れられなくて混乱することもあるけど、宇宙の真理とか私には大き過ぎて毎日のことで手が一杯だからもう真剣に考えられなくて、混乱も浅い段階で落ち着きます。
昔は「宇宙の気の乱れで世界が滅びる」とか言われたら毎日怯えていたりもしましたが、今は「(本当でも嘘でも)どっちでもいっか」って思える。
仮に次の瞬間突然死して団体の言う地獄行きになったとしても幸せなんじゃないかな。
何が言いたかったのかと言うと、私みたいに子どもの頃からそういう類の宗教団体(もしくはそれっぽいもの)に所属している人は
と、思うってことです。
身バレも防ぎたくてわざとなんですけど、文体とかバラついてしまってすみません。
バレたら団体に殺されるとかは無いと思うんですが、入団者が減るなら殺されるのもアリかなと思います。嫌だけど。
長々と読んで下さってありがとうございました!
作れないだけでしょ
そもそもが、「新しいことやるならポップスとかやるな」「そんなんなら滅びろ」という趣旨なのに
横に逸れすぎ
今はポストクラシカルとかネオクラシカルって言って、もっとカジュアルにクラシックを楽しむムードが出来上がっている
Esmerine - Histories Repeating as 1000 Hearts Mend Colombe Sessions
https://www.youtube.com/watch?v=OYlDQttoTLY
アンビエントやエレクトロニカ、ポストロックを経て、クラシックの楽器の美しさを引き立てる
Ólafur Arnalds - Only The Winds
https://www.youtube.com/watch?v=9eWewdTkghM
だからサントラ界の巨人Hans Zimmerなんかもこのくくりに入ることがある
Hans Zimmer - Time (Inception)
https://www.youtube.com/watch?v=RxabLA7UQ9k
もちろん、今の(海外の)ゲーム音楽もクラシックが現代音楽や映画サントラを経て進化した形と言える
紅白歌合戦での「2回の不協和音」から賛否を議論されてきた平手さんの本気、ついに水面下では済まない話になりましたね。
なぜか「休ませてあげようよー」的な擁護ばかり、ハロプロとは世界が違うと理解しつつも、そうじゃないと募る謎の憤り。
自分の中を整理するつもりで書かせてください。
欅坂46の絶対センター・平手友梨奈さんを始め、3人のメンバーがパフォーマンス直後に過呼吸を起こし、カメラに収録されてしまった、という放送事故です。
2回目のパフォーマンスはふらついており、コラボ相手のウッチャンこと内村光良さんが「大丈夫?」と曲中に聞くほどでした。
(それでもリズムに合わせて腕を振るあたり、リズム感いいなーと感心しました。ハロヲタはリズム感良い子が好きです)
もともと「平手さんは曲に入り込みすぎてああなる」「不協和音はダンスが過酷で日に何度もできない」「不協和音は命を削る曲」というお話でした。
いやちょっと待ってください。
「曲に入り込みすぎて危険」→舞台人がカーテンコール中に倒れますか?
「倒れこみ方が本気」→怪我したら元も子もない。労災。
「命を削る」→鞘師里保を思い出すフレーズ!でも鞘師は全部の曲で命削ってたなー
「ダンスが過酷」→体を鍛えるか難易度を下げましょう。スタッフのさじ加減のミスです。
なんで美談になってるんですか?
設定ミス、スケジュールの管理ミス、指導ミス、信頼関係の無さ、ありとあらゆるスタッフのミスの集合にしか思えない。
不協和音は本来AKB48でいう「RIVER」のような中ボス的な位置にあるべき曲だと感じます。
ウッチャンの行動は美談として扱われていますが、企画としては失敗の証拠になりました。
とあるコメントでは「平手さんが制止を振り切って舞台に立った」とのことでした。
満身創痍で立って限界を超えたパフォーマンスにプロ意識を感じるという意見もありますが、これは歪んだプロ意識です。
プロ意識は正直私も感じました。
しかしながら自己管理のできてなさ、つまり「プロの自覚」が感じられません。
プロの自覚というのは「恋人をつくらない」ということではありません。
アイドルはスタッフが作った舞台の上で、スタッフのサポートを受けてパフォーマンスする、いわば「矢面に立つ」存在です。
つまりメンバーがミスをした場合、スタッフの努力も水の泡になります。
欅坂のように本人たちはやる気に満ち溢れているグループであると、パフォーマンスを見ただけで初見の私が感じてしまう、そんなユニットだからの悲劇だと感じます。
「体ができあがってないユニット」
「激しい振り付け」
「平手さんを止められないスタッフ」
「スケジューリングが下手なステッフ」
これらの問題はすべて普段の育成を担う欅坂スタッフの責任であると思います。
難しい曲を作りたいなら、スタッフはちゃんと育成と管理をしてください。
体力作りを指示すれば、それに応えるだけのメンバーのやる気はきっとあると思います。
平手さんが「上腕三頭筋の損傷で全治一ヶ月」という、ギプスでラジオの収録をするほどの怪我を負い、武道館公演が妹分ユニットの公演になると発表されました。
「平手さんが出れないだけで公演を中止するのか」
メンバーが読めば「私のせいでスタッフさんの悪口が言われてる」と感じるかもしれません。
http://joyfulberryz.blogspot.jp/2013/08/blog-post_10.html
Berryz工房がインフル工房してしまい、その場で変更した歌割を覚え、本番をやりながら立ち位置をカバーしているという内容です。
また、現在行われているハロープロジェクトのツアーでは、アンジュルムのメンバーもインフルエンザになっていました。
リーダーがインフルエンザになっていたので、サブリーダーの中西さんが歌割を決めたそうです。
そういう風に育てられていれば、ですが。(スタッフさんを責めすぎているのでそろそろ割愛します)
ハロプロは毎週月曜深夜25時より「The Girls Live」という番組が放送されています。定期的にリニューアルしていますが、2017年秋頃はメンバーの密着取材が放送されていました。
http://www.tv-tokyo.co.jp/smp/program/detail/201710/21135_201710302500.html
この日の放送内容を要約すると、
「Juice=Juiceの宮本佳林ちゃんは120%のパフォーマンスを一公演(長くて約2.5時間)続けるだけの体力がなく、セーブをかけて踊っていた。しかし本当に観客に見てほしいパフォーマンスは120%の自分だからそれに耐えうるトレーニングをしようと思った。」
というお話です。番組ではオフの日に通うジムでの筋トレシーンが放送されていました。
その結果がこの映像です。
https://youtu.be/uW8NYvFIrSo?t=26m53s
https://youtu.be/zBrio8u91Ek?t=6m50s
https://youtu.be/THa8XikNcy0?t=5m31s
ハロプロ研修生、つまりアンダーのリハーサルへ潜入した時の映像がこちらです。
https://youtu.be/yFq4EwIe2Vg?t=20m53s
この先生、「移動ができない人は怪我する危険があるから舞台へ上げない。」って定期的に言ってます。そうです怪我する人は舞台にあげちゃいけないんです。
怪我をすると見ている人も後味が悪くなりますし、商品(=メンバー)の耐久性や品質にも問題が及びます。
(DVDなども販売されてないのでリンクすることをお許しください)
2004年の夏のももちです。モーニング娘。を排出した番組「ASAYAN」の練習風景です。
辻希美と加護亜依のユニット「W(ダブルユー)」のツアーに帯同するBerryz工房、当時全員が小学生を出るか出ないかくらいの年齢です。
「スキップしながらの発声」を通して「歌って踊る体力をつける」必要性がありました。「挑戦させるために必要な練習」をさせていました。
https://goethe.nikkei.co.jp/human/130521/
ダンス・筋トレといえば、どちらも有名なのはEXILEですよね。
社内にジムがある、これは素晴らしい環境。アップフロントにもください。
「ハイレベルなパフォーマンスをしたいなら鍛えろ」 「鍛える環境が作れないスタッフとは冒険させるな」
不協和音は「ハイレベルなものを見せたい」と一足飛びに挑戦したメンバーと、「無責任に頑張らせた」もしくは「止められなかった」スタッフ両方の責任の産物です。
頑張るのはいいですけど、過ぎたるは及ばざるがごとしの精神です。
ユニットにとっても実力不足ですけど、スタッフにとっても実力不足だったのではないでしょうか?
個人的には5年後くらいに鍛え上げられた欅坂による不協和音が見たいなあ、という感じです。
上記で褒め称えた宮本佳林ちゃん、首をひねったそうで現在ベル麻痺という症状で入院沙汰になってます。平手さんともども早く治ってください。
ついでにハロプロはストレス太りや喘息などが多く、休養メンバーが続出しています。
そろそろ誰が休んでも変わらんわ、くらいの気持ちで、もうファン心が麻痺し始めたので、ハロプロスタッフもちゃんとしてほしいです。
というかハロプロに限らず最近どこのアイドルもストレス!怪我!!休養!!!説明!みたいな状況に感じます。
僕はイラストを書かない
絵本を出したりしない
例えば誰かがオファーしたとしても
僕はブログをしない
けれども沈黙しない
見えない壁が出来てた
ここで発表しなきゃ臆病者か
ここまでボコと思わなかった
僕は嫌だ
罵詈雑言を僕は恐れたりしない
嫌われたって僕には僕の笑いがあるんだ
叩けばいいさ
一度ブロックしたら死んだも同然
タダで配ると言うのか
図書館に送るのか
ただの宣伝とわかっているだろう
ボクはやたら噛み付くのだ
世の中に噛み付くのだ
大きなその力で
ねじ伏せられた怒りよ
一般常識知らず仲間外れか
イキって批判をすれば届くって信じていたよ
僕は嫌だ
みんな揃って避けてばかりではおかしいだろう
欺きたいから僕は喋り倒していく
何か目立つ事で気づく もっと
新しい世界
僕は嫌だ
みんな揃って避けてばかりではおかしいだろう
欺きたいから僕は勢いだけで行く
本気(マジ)な正論を僕は恐れたりしない
嫌われたって評価する人もいるんだ。
叩けばいいさ
あいつ以下ならもう死んだも同然
Yeah 西野も
センターの子が完全に大人に与えられたキャラに乗っ取られて人格変わってしまってる
サイレントマジョリティとか不協和音って曲で反体制というか反権力的なメッセージを込めた楽曲の影響っぽい
不協和音の方は立憲民主の枝野が持ち出したりして選挙戦ってたからはてなでも結構知ってる人多いだろ
今年辺りからバラエティでもあまり笑わず、テレビの生ライブですら笑顔を見せずにパフォーマンスするようになった
一応みんな歌ってるって設定でやってるのでそれすらしないって前代未聞だろ
スタンフォード監獄実験で与えられた役割通りに人格が変わっていくってのが証明されたそうだがまさにそれかもしれない
大人の言うことを聞く必要はない、やりたいことをやればいい、自分を貫けみたいなものを表現することが求められてる内に
今後が心配だ
会社が成長するにつれ起きる主に人事関連で起きる問題を象徴的に表す言葉で「●人の壁」というのがあります。
その30人の壁・50人の壁を体験している社長さん側の語りは見たことがあるのですが、社員側の意見を読んだことがないなと思い、筆を取りました。
ちなみに特に結論みたいなものはありません。「ふーん」と読んでくれればと思います。
しばらく前になりますが、六本木の安い居酒屋でベンチャー社長たちと飲んでいるとひとりの社長が語り出しました。
「いまちょうど30人の壁のようなものにぶち当たっている気がするのがけれど、何がいけないのかわからない。会社は順調だし、ブラックでもないし」と。
数億の資金調達をし、界隈ではそこそこいけている感じの会社だったと思います。
自分は少し前に独立したのですが、話を聞いた時はこの社長とは別のベンチャー社員でした。30人の壁とやらで辞めたうちの一人です。
30人の壁を前に、そして真っ最中に、どういうことか起きるか、起きたかを羅列してみたいと思います。自分は辞めた側なので当たり前にマイナスなことが中心になります。
ちなみにこの壁とやらが30人で起きるのか50人で起きるのかは会社によるのですが、簡単な言葉で言うと『社長の器による』という印象です。20人で起きている場合も、50人でも平和そのものという会社もあります。
そして、ここ重要ですが、「社長はこう思ってるんだよ」「イチ従業員の君たちにはわからないだろうが」というのは当たり前ですが一切抜きでいきます。
30人の壁を見上げる者、また後方から眺める者としての一方的な意見です。
1、フラットに近かった関係性に「組織」という概念が生まれる。人事に納得のいかない社員がつまらない思いをする。(自分はこれです)
2、縁故採用だけではなく、一般採用が急激に増え、コミュニケーション不足による不協和音が発生する。
3、サービス認知の拡大により1→10のフェーズに入り、これまでヒーローとされていたゼロイチが得意なメンバーが営業チームに押され、プライドが傷つく。(自分はこれです)
4、社長ブログがパワーアップして胸焼けする。(自分はこれです)
で、この中で、2や3は社長さんたちのブログなんかでよく見かけるので(でも的外れな意見だったりするとは思う)、1についてやや深堀りし、4についてはもっと深堀りたいと思います。
まず1の組織化ですが、全員が納得する人事なんてあるはずもなく、自分はもっと良いポジションにあるべきだという(自分のような)人は、よっぽどその会社に恩義を感じていたり、給料が良かったりしない限りは俄然やる気が消滅します。そして当たり前のように「会社やめよっかな〜」と言う考えが脳裏をよぎるようになるのです。
何せここは引き抜きが横行するベンチャー界です。しかも今は大型資金調達の成功が続き、経営者たちは西にIoTプログラマーがいればウチならもっと唯一無二の開発ができるよと口説きに走り、東に死ぬまで売りまくる営業がいればビジョンと涙を垂れ流して獲得に行く、そんな時代。ライバル企業のメンバーを堂々と引き抜きにかかる猛者もいます。人材流動性の高いベンチャー界においては人事は諸刃の剣となることはいうまでもなく、「このポジションでしばらく我慢してくれよ」と言っている間によそから引き抜かれてもしょうがないのです。
自分の場合でいうと、辞めた会社では一桁台の入社で、自分の能力で会社を支えてきた自負がありました。技術の方向性と会社の事業もマッチしている。自分が開発したものが売れて、人の役に立っている様子はとても嬉しかった。みんな忙しいだろうなとひとり仕事を抱えたことも数知れず。でもベンチャーってそういうもんなんだろうなと思っていたので頑張ってました。
でも人事で自分の上に立ったのは、自分より後から入ってきた「人に仕事を渡すのが上手い人」。技術者として自分よりいい仕事をしているとは思わない。お恥ずかしながら勝手に感じていた社長との信頼関係はないものなのだと感じ、人事発令から2ヶ月で、辞めますよと(slackで笑)辛い時期を支え合った総務のメンバーに伝えました。
「情けないな、次の人事で上に行くように頑張ればいい」という、自分の大人気のなさを諌める自分も出てきて一瞬悩みましたが、その時間ももったいないと思い、すっぱり辞めることにしました。
そもそも管理職になりたいのかというとそうでもない。ただ、会社の行方には口は出したい、そんなわがままな気持ちがあることもここで気づかされました。
出した退職届はそれなりの引き止めののち受理され、いま自分は独立してひとりで仕事をしています。誰かを雇うなどは考えていません。めんどくさいので。
さて、僕のしみったれた話はこの辺にして、次に、4の社長ブログについて。
そもそも壁とか関係なく社長ブログを好まない社員も多いと思います。自分も嫌でした。
以下、社長がブログを書いている会社の社員に聞いてみた、社長ブログで「まじ勘弁」と思っていることベスト3です。(3人しか聞いてませんが。プラス自分)
1位 読んでることが前提なこと(勝手に発信して読んどけ感出すな。)
2位 すべてに感謝感謝みたいな内容(マジでやめてほしい。恥ずかしい。イタイ。 ※20代は拒絶反応)
3位 名前は出さなくても社員の誰のこと書いてるかわかる批判(自分のことだなっていう内容を書かれたあとどういう反応したらいいかわからない)
壁とどういう関係があるのかというと、やっぱり組織化すると雰囲気変わるんです。ブログもちょっとより社長っぽくなる。
辞めるまでの2ヶ月、組織ってどう変わるんだろうと思って見てたんですが、それぞれがそれぞれっぽくなるんです。
総務がめちゃくちゃ厳しくなったり。営業でそれまで自由にやっていた子がなんかパワー半減してたり、その上に行った人はキリッとしてたり。「俺通して」感出るんですよね。
それが耐えられなかったんですよね。なんか。子どもですね。自分がそこに混れなかったからかもしれませんが。
前の会社は入った時から組織ができていたからなんとも思わなかったんだと思うんですけど、みんなが窮屈そうになったのがなんか嫌で。もう自由になろうと決めました。
社長のブログはよりラブ&ピースになり、以前からあった特定の誰かを示唆する内容がより増えました。僕以外にも人事に抵抗しつつ残っている人はなんかかわいそうなくらい書かれていました。あれって、社員には言い返す場がないんですよね。ずるいよ。
いきなりですが、ネガティブな気持ち書いてたら疲れてきたのでここらで締めます。
結論はありません。では。