はてなキーワード: エロ・グロ・ナンセンスとは
なんかさ、どう考えても人はグロよりもエロの方を好むって分かりきってるのに。
なーんか一般人(≒広告代理店)が持ち上げるのはエロティシズムを過小に扱ってグロを過大に露悪趣味レベルに描写してるゴア作品ばっかりなんだよね。
肉体的グロに限らず、精神的なグロも含めてさ、特に女向け作品は後者のドロドロした人間の精神的グロさを描くものが好まれすぎ。
そんなにキョロキョロ他人の顔色窺ってまで文化を消費すんなよ。
エロ・グロ・ナンセンス、どれもほどよいバランスが必要なんだよ。
上っ面の「立派そう」みたいな雰囲気に騙されすぎるな。あえて騙されるのも一つの大事なエンタメ消費姿勢ではあるが。
価値観は多様で、どんな作品だって見る人によって得られるものが違うんだよ。
お前らがパッと見下賤で取るに足らないと思う作品だって、実際に見てみればクリエイターの魂のこもった作品だったりするんだ。
この世に生まれ落ちた作品は必ず誰かの嗜好、何処かの思想には響いてるもんで、フィクションの世界は無限の示唆をもたらしてくれるんだ。排除していいものなど何もない。わかったか。
表現の自由を守りたいという意見は、それを原則論として語りつつも、背後にある危機感はなんだろう。
ようするに、「快不快」によって表現の流通が左右される社会が是か否か、ということが動機のように思えた。
そうであれば、すごくよくわかる。いや、わかるというのは、同意しているわけじゃなくて、なるほどな、だから日本の表現の自由ってふわっとしてるんだなということ。
振り返ってみる。
日本の表現規制の有り様は、戦前のエロ・グロ・ナンセンス発禁にあるように、当局が国民の大多数が不快と思うであろう「不健全」で「公序良俗」に反する表現を対象としてきた。
つまり、割り切った言い方をすれば「健全」と戦っているのが表現の自由の戦士だというふうに思える。
でも、ひとたび、「表現の自由」の思想的な出発点をヨーロッパやアメリカの歴史から振り返ってみると、戦士の動機づけとしてはあまりにも心もとない。
表現の自由とひとことでいっても、思想的な背景は、それぞれ背負っている歴史が異なる。
この国の憲法や憲法判例が示してきた表現の自由は、ヨーロッパのそれとはかなり異なる。
17世紀にアメリカに最初に渡ったピルグリムファーザーズの世代は特に、当時のヨーロッパのプロテスタントに対する不寛容の被害者であった。
メイフラワー号の協約に象徴されるように、お互いに異なるFaith(信条)を持つ者同士が、どちらが正しいとして糾弾することなく、社会を構築しようという、社会の多様性の確保が原点だ。
1970年代には、ヘイトスピーチを巡ってさまざまな紛争が連邦最高裁まであがり、不協和音こそ社会の強さとまで判決の意見で述べているものがある。
当時の裁判官のたとえを援用すれば、空気を浄化しようとするやつが社会の敵なのだ。
人間は不完全なのだから、正しいものなど、最初から先験的に決められない。ということから、この国では、思想の自由市場などという言い方も生まれてくる。
しかし、他方で伝統的な価値観や習慣もそれなりに強い。いやかなり強い。
そういう土地柄では、動機づけとして、多様性の確保というのは、正直、あまりピンとこない。
むしろ、彼らの原点は、教会から弾圧された経験であり、その反動としての「神を冒涜する権利」だ。
伝統的にカトリック教徒でありながらアンチクライストを叫ぶ、そんな権利を求めている。
とくにフランスでは、公共空間を設計するにあたり、真理の判断権を持つかのように振る舞う教会がとてもまずい存在だった。
権力をふるいたがる教会に口出しをさせないことが重要なテーマだった。
それゆえ、その解決のため、一方では、表現の自由というコンセプトで権利を宣言し、他方で、政教分離という原則を確立して、公共空間設計のための理論武装をしていく。
だから、イスラムのスカーフを公立学校から排除しようとしたりする動きが起きるし、
ひとたびムスリムの神を冒涜するような表現をしたことで、襲撃を受けたりすると、社会は「涜神の権利はいずこに」とがぜん盛り上がるわけだ。
アメリカにしても、フランスにしても、それぞれ動機づけは異なるものの、表現の自由を守ろうとする信念というか確信の力は、
極めて強い。テロがあったり、社会情勢の変化で揺れ動いたりするものの、いざ事が最高裁までいくと、
じゃあ、国づくりの原点に戻ろうじゃないかという話になって、17世紀の悲惨な経験が思い出として蘇ってくる。
その動機づけの強さにこそ、新大陸にしても、旧大陸にしても、表現の自由を将来に渡って確保しようとするエネルギーの再生産があり、いわば持続性がある。
翻って、日本。
快不快のような勝手な基準で決めつけられたくはないよね、誰しも。
でも動機づけとして、やっぱり弱いんだよね。
ここで、仮に、日本は、アメリカ式の表現の自由を真似っ子しているのだ、としようか。
でも、日本社会は、アメリカほどには、多様性を求めてないでしょ。むしろ移民なんか大嫌いでしょ。
多様な意見なんか、どの組織でも出てこないでしょ。会議でも右に習えでしょ。
普段から多様性を確保しようというマインドがベースにあって成り立っている社会とは全く違う。
そんな社会では、エロい表現のときだけ急に表現の自由だのと盛り上がるのは、歯が浮くような思いがする。
公共空間におけるエッチなものの取扱なんて、はっきりいって、社会が合意していればどっちだっていい。
じゃあ今度は、大陸が17世紀に経験した熾烈なコンフェッショナリズム、この思想的な背景を
表現の自由として日本国憲法が参照している、と仮に想像してみる。
この場合、仮想敵は、いってみれば、国家神道とファシズムかな。
(*ところで大河ドラマの「いだてん」って、健康ファシズムの視点でみると面白いらしいね。みてないけど)
「国によって右へならえを強制され続けた結果、自分たちが戦争に動員されてひどい目にあった思い出」とでもいうべき動機づけは
定期的に思い出す機会があるかぎりは、ある程度は持続的たりうるのかもしれない。
でも、第二次世界大戦を思い起こしてみると、国民が国家のキャンペーンに煽られて動員させられる、というのは、
なにも敗戦国のドイツや日本に限った話じゃないし、アメリカ含め、あちこちの国でウイルスのようにファシズムが蔓延しかけていたのが現実。
またファシズムをコントロールできた国もない。その意味で、真の意味でファシズムに抗し切った国はないように思う。
表現の自由っていったところで、自然の摂理かのように、神がバランスをとってくれるわけじゃないんだよね。
そうすると、いざ日本にとって対外的な脅威(例えばアジアの隣あたりの国らへん)が増せば、
表現の自由なんか、どうでもよくなっちゃう程度のものなんじゃないか。
このあたりの感覚は、動機づけとしては重要なんだけど、日本の場合、ちゃんと思想として、自分たちの言葉で自分たちを守る武器として昇華してないんだよね。
敗戦で混乱していた時期にすかさず、日本国憲法を戦勝国からもらった、というところで思考停止になった、という面はあるかもしれない。
もらったもので、とりあえず勉強して運用してみよう、という時期が最初はあってもいいかもしれない。
でも、戦後30年、40年、とりいそぎ運用していたものが定着していく、という過程で
例えば「思想の自由市場」ってよくよく考えてみると、日本社会では、あまりピンと来なくね?みたいな気づきがあっても良かった。正直、「思想の自由市場」って日本社会じゃ、なんの役にも立たない理屈だと思うんだよね最近。
また、フランスの公立学校でのムスリムのスカーフ論争。大方の日本人は、何あれ?状態。背景となる歴史が違うんだから
それを知らずに無理やり、政教分離って憲法に書いてあることを適用しようとしてきて、実は消化不良を起こしているんだけど、
そういうことがよくわかったという話。
みんな一生懸命くだらない日常生活をアップしているけど、ありゃなんだ。
お前の不細工な子供の写真見せられて、他人が喜ぶと思ってるのか?
「Bill's行って来ました!パンケーキ!」って投稿して、みんなになんて言って欲しいんだ?
酔っ払って不細工になった集合写真を投稿して「最高の仲間です!」じゃねーよ、馬鹿。
あのさ、言っておくが。
『お 前 の こ と な ど 、 全 く 興 味 は な い 。」
貴様が何を食べていようと、誰と飲んでいようと、子供がどうなろうと、全くどうでもいいのだよ。
逆に聞くが、お前は同僚が、昨日何食べたのか知りたいのか?
疎遠な友達が、夏休みどこに行ったのか、自慢話を聞きたいのか?
リアルで聞いたとしても、退屈な話ばかりでしょう。
ばったり別れた彼女のオカンに会って、小一時間近況について尋問された話とか。
いいこと教えてやるよ。
人は、他人の不幸話でしか楽しめないんだよ。
みんな、お前のハッピーな話なんて、聞きたくねーんだ。
他人がつらい目にあった話に飢えてるんだよ。
その上で、エロ・グロ・ナンセンスを意識して投稿内容考えるといい。
試しに、
「昨日買ったばかりの花柄のレギパンが、しゃがんだ拍子にオケツがビリっ!と裂けちゃいました~死にたい(T_T)」
って投稿してご覧よ。
普段スルーしてる奴らが、ここぞとばかりにコメントしてくるから。
Facebookでの振る舞いはかなりセルフブランディングに影響するので、下品過ぎる投稿には誰も反応してくれない。
『ほら見て僕の摘出した盲腸』とか『昨日彼氏に菊の御門をご開帳されました!』とかだとやりすぎ。
もうちょっと手前の、ちょっとエッチな、でも可愛らしいのがいい。
ヘーコキましたねの世界観くらいがちょうどいいと思うよ。
周りにはアホに思われてるくらいのほうが、人間関係が上手くいくってもんだよ。
覚えとけ。
とっぴんぱらりのぷぅ。