はてなキーワード: 不協和音とは
ニューヨークからフロリダへとヒッチハイクの旅はトラックを経由した。光り輝くフロリダオレンジの太陽が私の帽子を貫く。木漏れ日に目を細めるとトラック運転手は荷台へ向かって大声を張り上げた。
「おまえさん、こんななにもない場所へどうしたんだい!」
私のうまく起こせない上体はトラックの端にある紐で結ばれている。少し前運転手はバスケットコートのカメラから見るボールみたいに目を大きくした。私の身体は動かず、車椅子に支えられていたからだ。あんたそんなのでどうして遠出しようってんだ、と運転手は感嘆の声を上げた。それが二時間ほど前のことだ。
私は運転手に家族の集会があることを伝え、その用事がバーベキューであることを教えた。それからフロリダ州の看板が見えたので、コントラストを強く投射する景色を風に流しながら、私の名前を伝える。そうかい、メグっていうのかい、と運転手は陽気に答えた。林立するビルを縫って突き抜ける青が歯科医に飛び込んでくる。フロリダはオレンジの国じゃない。避暑地だ。だからバーベキューには都合がいいのだ。多分そうだし、そういうことにしよう。うちの家族に振り回されたことは忘れて。<溶け出しそうな>夏の頃が思い出されたとしても。そういえばあの日もこんな風に感想した風が髪の毛をさらっていったものだ。サングラスが反射する光のその先に目的地があった。
◆
「どうしてそんな事を言うの」
電話の向こう側でケンがなにかの言い訳をしている。言い訳の仕方はまるで父そっくりだ。もうそんなところばかりだ。わたしときたらそんなケンに向かっていつもは冷静なのだけど、彼が父のように逃げ続けるさまを見ていると、どうしても声を張り上げてしまう。ケンはそんな時に決まって「メグはママにそっくりだよ」と吐き捨てるようにいう。全く美味しくないチリソースをアスファルトにぶちまけるようにだ。理由はこうだ。本当はここで開催される予定だったバーベキュー大会が、父の会社の都合で大きな話になり、他企業を巻き込んだバーベキュー大会に発展したらしい。それも開催地は何故か日本。私はケンに、肉よりも寿司の日本でなぜバーベキューなのかと問い詰めたが、頭に血が上っているのかケンは日本だって神戸牛があるし、開催地としてアメリカとは違った面白さが出せるんだといい始めた。違う、そういうことじゃない。少なくとも久しぶりの家族のバーベキューが行われ、とってもプライベートなものだって聞いていたのに、どうしてそれがお父さんの会社と関わっているのか聴きたいのだ。しかしケンはこれは日本と米国の絆を結ぶためのものなのだ、と主張してやまない。ALS-CoVζ+が未だ収まっていない時期になぜそんなに話を大きくしてしまうのだろうか。そんなことはどうだっていい。それよりも、家族の一致団結できる機会が失われた事実が私にとってショックだった。素晴らしい日差しの下でトロピカルフルーツソーダの飲みながら、サンオイルで日焼けをしている人達もいるのに。
◆
「やあケン。今回は会社から大会の趣旨が発表されてね。ぜひ神戸牛とアンガス牛の対抗戦をという事になったんだ」
「それで、勝った方には?」
「純金製のメダルが贈呈されるだけだよ」
「だけ?」というケンの声がスマートフォンの不協和音とともに響いた。父のノキア製は日本ではマイナーだと聞かされて、その音質に少しだけ疑いを持ち始めたばかりだ。父はケンの懸念事項がバーベキューの開催予定地のことばかりだと思っていたが、どうやらそのノキアで聞く限りそうではないらしいことが理解された。ケンは明らかに家族の集会が壊されたことを怒っており、主催は誰だと問い詰めてきたのだ。父はやむなくドビュッシー会長という人物だと述べたが、俺はクラシックの名曲よりも古いラップが好きなんだと皮肉交じりに父の言葉を投げ捨てた。まるでそれじゃあ、ダディはまたしても「お山」の大将「だ」ろうとまでいう。ダディーはクールじゃないとまで言い放った。それは一体何のジョークだいというと、日本版の4chのセリフさ、と返すばかりだった。ゼータ株はあの頃の僕たちのキャンプを奪ったが、父は僕たちから家族の有り様を奪おうとしているのではないか、そんな懸念がケンの頭をもたげた。そのくせゼータ株は活発に人々を結びつけようとしていやがる。ニューヨークからメグを追いかけるケンはハンドルを回しながらそうつぶやいた。
◆
ケンがメグと合流して数時間後、隔離が完了して未感染者のみが利用できるビーチで突然人が溶けた。その液体は灰色と真っ黒な血をビーチに滴らせ、バーベキューの肉のようにビーチの砂を汚した。それとは関係なく海鳥は通り過ぎ、メグは声にならない声とともにジーザスという単語をピンク色のリップを塗った唇から漏らした。到着したばかりのケンは目の前で人々が弾けて溶けてゆくさまを見て、エボラか何かかと目を疑い、それが数年前に起こった悪夢の再来であることを知覚した。フロリダ州に緊急事態宣言が敷かれ、州知事は政府の圧力によって州ごと隔離されたことを発表した。通信網は途絶え、父との国際連絡も取れなくなったメグとケンは、暴徒鎮圧用のゴム弾を装備したSWATたちに誘導されて収容施設へと向かった。発電の電源はかろうじて発電機型のバッテリーとして供給され、被災地には水が運び込まれた。しかしそのどれもが決死の覚悟で運ばれてくるものであり、運転手は全身防護用の白い服を着て入念な消毒を経た後にフロリダへと入り、そして出てゆく際にも消毒を行わなければならなかった。ひとまずイントラネットとして暫定的に繋がれた外との通信によりニュースだけを見ることができた。
そうして避難所での生活が進む中、ウィルスで隔離された人々の間に奇妙な一体感が生まれようとしていた。それはヒステリックな怒りであったり、それを鎮めようとするものであったり、また話し合いによって解決しようとする者達や、殴り合ったあとで肩を組み合うレッドネックたちなどによってだ。彼等はお互いをファミリーと呼び合い、外にいる連中をウォーキング・デッドだと笑いとばした。正気が保てない人々は、普段忌み嫌っている低所得層のレッドネックたちの話をよく聞いた。富裕層たちは臨時の学校を開いて塾を作り、黒人たちは放課後と称して子どもたちにバスケットボールを教えた。そうして閉鎖空間は小さな社会になった。ケンもメグもよく話し合った。とりわけ、ゼータ株のことについてだ。彼等は先日の家族のことを思い出して悲憤慷慨し、やがてウィルスによって僕たちの絆が深また奇妙さと、ウィルスによって人々がばらばらになった悲劇を語り合った。
その頃からメグの夢枕には、なくなった叔父の姿が映るようになった。叔父は家族の異事で何かをいいかけていたが、そのたびに消えてしまう。そんな夜が繰り返された後のある朝、フロリダの海岸にある変化が起こった。その変化はイントラネットTVに映し出されると、やがて通信の全てが回復した。日本の企業ソフトバンクが提供する緊急ブロードバンド回線につながったメグたちのスマートフォンは、あるものものしい人物たちを映し出した。それは水陸両用車両のようにも見え、中から防護服をつけた人が降りてくるのが見えた。車両には見慣れない文字が書かれており、不意にケンがそれを見て叫んだ。まるでパーティーが始まったかのような喜びようだった。見なよ、あれは"セルフ・ディフェンス・フォース"だぜ! ケンの指差す画像の向こうにあったもの。それは自衛隊の揚陸艇であった。第十七小隊、フタマルマルこれより状況開始。という声とともに彼等は海岸に落ちた血や散らかった廃棄物、まるでタイフーンにやられた風に映るカビの生えた建築物を撤去し始めた。そんな作業が一週間もつづくと避難場所の衛星問題はすっかり快適になり、自衛隊の面々と記念写真すら取れるまでに改善した。ケンはその時彼等にどうして来たのが十七小隊なんだいと問いかけたが、ある隊員は、十七小隊は俺達のメダルみたいなもんさ。と笑って返すのみだった。ケンはそれを聞いて、じゃあ俺たちはあんたたちに助けられたから十六小隊でいいさ、と破顔した(筆者注:2021/08/01)。
◆
日本にいる無責任な父は流石に心配な顔をして息子たちを迎えた。ただし父は両名が無事であることを確認すると1、バーベキュー大会は玉石混交のパトルロワイヤルでありジャパニーズヤキニクとチンギスハーン、バーベキューの三つ巴の戦いだったと熱く語り始めた。勝敗の決し方があまりに不透明な競技だが、メグにとってそんな話はもはやどうでも良かった。怪しげなバーベ審査員のことにも興味がなかった。父がミヤゲに持って帰ったネギマをケンは頬張っていたが、メグはどうしたって騙されることはなかった。クールビューティーと目される荒川静香のイナバウアーが見たかったというわけの分からい答弁を無視して、メグは今回の隔離事件の顛末を事細かに語った。父はそんな事知ってるさと遮ろうとするが、メグは人差し指を父の唇に当てると子供を諭すように父と目を合わせた。彼女は、「それで今回の事件でとっても頼もしいステディな人ができたのよ。自衛隊員の人なの」、という。父は喋りかけていた口を閉じると、目を白黒させた。あのフロリダオレンジの目を見開いたトラック運転手のようにである。
しかしやはり父は普通の人間と少し違った。それなら早く紹介しなさい。次のバーベキュー大会があるんだ、と彼を巻き込もうとし始めたのだ。メグは両手を上げて首を横に振ると、やはりちょっと前の出来事を少しだけ回想しながらジーザス、と小声でつぶやいた。
ケンはそんな様子を見て、口の中のネギをすっかり胃袋の中に押し込めながら、こいつにケチャップをかけると日本人とも仲良くできるかもね、と一人で口角を上げた。ゼータ株が運んだ全ての問題は、まるでその性質のように全てを溶かして人々をつなぎ、父子は空港で呆れながら仲良く語り合った。避難所のメンバーのメール着信がなり響いてメグがその知らせに目配せする。
※別作者です。おしまい。
12分割をさらに分割するとか、12分割以外というのは民族音楽にもあるわけだけど、
音楽理論を破壊再構築する現代音楽的な発想を面白く解説してたと思う
小山田氏の件で悪く言われてるけど、YMOも音楽理論の破壊と再構築をやってたみたいだし
ディープパープルのジョン・ロードだって半音ずらしの不協和音好きだし
ノンダイアトニックコードがないとドミナントモーションというか、
既存の音楽理論が、聴ける曲はこう作れ、という既成概念を作っているわけで、
それを敢えて壊してみるというのがまずあると思う
で、壊すととても聴ける曲ではなくなってしまう、壊すことが目的化しているからだけど、
それはまた新しい音楽理論だと思うんだよね
https://anond.hatelabo.jp/20210210062305
なんかクラシック音楽が話題に上ってるので、ちょい前に居酒屋で飲みながら、クラシックピアノやってみたいって友達(元軽音楽部のギター)にクラシック音楽と作曲家について適当に教えた時を思い出して書いてみる。主にピアノに絡んでる人しかおらん。その他ジャンルは知識に乏しいし必要ないのであんま触れなかった。しかも雑談の極みなのですべてにおいて雑、いろんな音楽家に失礼だけど天国で俺の事なんか見てないだろうしへーきへーき
■バロック以前・・これは好事家しか知らんから今は覚えんでええわ
■バロック
なんかRPGで教会や宮殿で流れるBGMか、メタルの前奏で仰々しく鳴ってるオルガンを想像してくれ。そんな感じの曲調。
①バッハ
めっちゃ有名。結構お堅い宗教曲なんかが多い。メロディが何層にもなってて弾くのは脳が大変。奇人変人が多いクラシック作曲界で貴重な真面目枠や。立派な社会人。息子がみんな音楽家。
《オススメ曲:主よ、人の望みよ喜びよ》
②ヘンデル
そこそこ有名。バッハより親しみやすくてちょっと陽キャ寄りな作風のイメージ。実際当時の人気投票ではヘンデルのが人気あったらしいで。世の中そんなもんやね。
■古典派
「優雅なクラシック」って聞いて大体想像するのがこのへんちゃうかな。そういう曲ばっかでもないけど、まぁある意味「クラシック音楽っぽさ」の完成系がここ。
①ハイドン
めっちゃ有名なはずなんだけど俺ぜんぜん知らん。何をオススメしたらいいのかもわからん。「クラシック音楽はこういう構造ですよ」ってのを考えて確立した人らしい。
Aメロ→Bメロ→サビみたいな概念を考案したと思うと確かにすごい気がするな!
これはさすがに有名。メロディが可愛い作曲家というイメージ。あとすごい譜面が読みやすい。音が脳にスイスイ入ってきて、次に来てほしいトコに音が来てくれるみたいな感覚がある。
ストレスに効果があるとかは眉唾だけど、フラストレーションや負荷がかかるような音楽じゃないのは確か。色々破天荒な人だけど、子供が凄い技術獲得したまんま大人になったんだろうなあって感じ。
ちなみに当時のきらきら星って今と歌詞が違って娘が自分の初恋を母親に伝えるみたいな歌詞らしいで
それまでの優雅~な感じのクラシック像を破壊しにいった人。思想がメタルとかハードロックなんよ。静と動、強弱を思いっきりつけてドラマティックな展開を作りまくる。当時の人は驚いたやろなあ。
この人現代でロックやったら絶対5弦ベースとか入れてくるわ。ギターも歪みかけまくりそう。あと性格は作風の通りだったらしいで。
■ロマン派
ロマン派音楽ってなんやねんってよく言うけど、ちょうどそのころヨーロッパでは革命とか起こりまくって一般人が貴族とかやっつけてたわけ。そうなると「そんなお高くとまった音楽聴いてられっか」みたいな感じになってドラマティックで人間的な曲が好まれるようになるやん。つまりロマン派って現代におけるロック・ポップスみたいなもんやねんな。だからそのノリと近い触れ方で良いと思うよこの時代。
歌で有名。「魔王」とか「ます」とかやね。実際メロディメーカーで代表曲も歌曲なんだけど、本人はオケとかピアノ曲をもっとやりたかったらしい。ベートーベンに憧れてたんだって。ただベートーベンほど派手な曲展開をしないのは性格からかもね。メロディが奇麗でちょっとおしとやか。弱気そうな肖像画と貧困で若くして死んだ印象が強いけど死因は手出した女から貰った梅毒らしいからアイツもやる事やっとるで(無粋)
②ショパン
かの有名なピアノの詩人。ノクターンとか別れの曲とか。激しい曲もたくさん書くけど、どんな曲でもとにかくメロディにフックがあってまるで歌謡曲を歌ってるみたいなんよ。ピアノなのにね。
大体の作曲家はオーケストラ曲書いて、バイオリンの曲書いて、歌も書いて・・・って色々なジャンル書くもんなんだけど、ショパンさんマジでピアノ曲しか書かん。これって割と珍しいんよ。ただ、弾く方の視点から言うと、すごく楽譜が指の理にかなってるんよね。だから初心者でもワルツやプレリュードのいくつかの曲は全然ちゃんと形になるで。これホント。
《オススメ曲:なんでもいいけど、いろいろな曲調あるからエチュード集作品10》
③リスト
超絶技巧イケメンピアニスト。べらぼうにピアノが上手くてコンサートを各地で開いて絶大な人気を誇り、そしてめちゃくちゃモテた。楽屋に女性ファンが乱入して私物がよく盗まれたらしいで。怖。ジャニ系かV系の狂ファンやん(偏見)。曲は華やかで派手な曲か、甘くてロマンティックな曲かで二極化してて、ライブ映えする。そして演奏が難しいね。
あとこういう奴に限って性格もイケメン陽キャで、チャリティーコンサートの主催とかしてた。世の中そういうもんよね。
有名な人のはずなんだけど、なんか地味な人。上の世代だとウルトラセブンの最終回のBGMがこの人の曲だったからそれで有名だけど、他の世代だと『トロイメライ』とかかなあ。
この人のピアノ曲は小説の短編集みたいに各曲に小さいタイトルがあったり、数曲またいでストーリー性のある流れを作ったり、コンセプトアルバムっぽいんよね。そういう作りが好きなら気に入るかも。
『この人、悪い人ではないんだけど、ちょっと近寄りづらいな』的なイメージの人。とにかく重厚で厳ついんよ。こう内にこもるエネルギーが凄い。綿密に曲作りこんでるなって。軽い気持ちで流し聴くような感じじゃないんよ。ものすごい準備して作った曲だろうからこっちも心して聴かねば・・ってなりそう。モーツァルトと真逆。
てかこの人見た目もそんな感じなんよ。性格も当たり前のように陰の者。その中で接しやすい曲でピアノと言ったらワルツ集とかになるんちゃうかな。でもちょっとだけハードル超えて接してみるといい人なのよ。曲もそんな感じ。
■印象派
印象派ってもともとは美術用語らしい。まあクラシックっぽいお堅い和音から逸脱し始めた人をまとめてこう呼んでるんちゃうか?たぶんここらへんのカテゴライズ適当だと思う。ぶっちゃけロマン派終盤のフランス人作曲家をこう呼ぶ。
作曲家下ネタ使用頻度をマーラーと常に争っている人。ちょいちょいオーギュメントをわざとつかって宙に浮かぶような感触を聴き手に与える。この辺が輪郭がボヤっとしてる美術界の印象派と被ったのかもね。複雑な曲展開やストーリー性よりも、「ある一瞬の風景をとらえました」みたいなテーマの曲が多い。クラシックぽさあんま無いなと思う。
本人の性格は下ネタ使用頻度高い名前に同情心が全くわかなくなるほどアレ。自分の不倫旅行をネタに曲を書く畜生。
②ラヴェル
ドビュッシーと同じようにちょいちょいそれまでのクラシックでは使わんかったコードを使うけど、ドビュッシーよりも上品だと思う。というかクラシックっぽさをきちんと残しているというか。きちんとクラシックの道の先に居る感じはする。輪郭線がぼやけているという感じもなくて、ところどころにジャズみたいなオシャレ和音も入る。
ビル・エヴァンスとか好きな人は結構好きかもしれん。オシャレ感すごいけどやっぱり本人もオシャレだったらしいで。ちなみに楽譜が簡単そうに見えても死ぬほど弾きにくいから気を付けろ。
③サティ
この人は「音楽大学なんかやってられねえ」って退学してカフェでピアノ弾きとして働きながら音楽活動してた異端な人や。その経験からかヒーリングミュージックやBGMというコンセプトの音楽の始祖みたいな感じや。聴き流す音楽の極致やね。たまに意味の分からないタイトルの曲を作る事でも有名だけど、まぁ最初に聴く分にはそういうの抜きに分かりやすい曲を聴くのがいいんちゃうかな。性格は変人そのものや。変な人じゃないとこんなことやらんかったんやろなあ。
坂本龍一の映画やCMの曲が好きならサティのたまに作る真面目な曲がハマるかもしれん。弾くのは初心者でも挑戦可能やで。
■国民楽派
クラシック音楽もいきつくとこまで洗練されると、逆に民族音楽とかから素材を取ってくるみたいな音楽家が増えて、まぁ大体そこら辺をこう呼ぶようになったけど、たぶんここら辺のカテゴライズ適当だと思うし、もめごとの発端になるで。メタルのジャンル分けみたいになってしまう。
チェコの作曲家やね。基本オーケストラの人だけどピアノなら一番有名なのはユーモレスクちゃうかな。とにかくクサメロをいかんなく繰り出してくる人。ちなみにえげつないほど鉄ヲタだったらしい。
スペインの作曲家やね。この人はかなりの割合ピアノ曲が多くて、本人も上手いピアニストだったみたい。スペインと聴いて思い浮かぶ熱情的なノリ、裏でカスタネット鳴ってそうなリズムがどの曲にもある。一部はギターソロに編曲されてたり。確かにスペインならそっちのが風情ある。スパニッシュギターっぽくね。
ロシアの作曲家やね。豪傑っぽい見た目からイメージ通りの曲調が繰り出されるぞ。まぁピアノやってると話題に上がるのは主に展覧会の絵なんだけども。軍人上がりのアル中で、酒の飲みすぎが原因で入院した際に友人に差し入れされたウォッカを飲んで死亡したらしい。ロシア人どないなってんねん。
まぁ他にもいるけどキリないからこれでいいや。
■近代
まぁこれもなんか第二次世界大戦前後くらいに活躍してた人を適当にまとめた感ある。正解がないと思う。
ロシアの作曲家やね。一番有名なのは「のだめ」のピアノ協奏曲2番とかになるんかな。とにかく体が大きな人で手もめちゃくちゃデカいピアニストだったので、それを生かしたスケールの大きな曲を作るのが得意。譜面見ると「コレどうやって弾くねん」ってツッコミいれたくなるわ。同時に鳴るわけない距離なんよ。凡人には。
ときおり演歌のように懐が深いメロディを繰り出してくるので、かなり日本人好みなんじゃないかなって思ったりする。
ハンガリーの作曲家やね。一番有名なのは、これも「のだめ」のアレグロ・バルバロかな。のだめ便利やな。
民族音楽由来のクセのあるメロディと変拍子が特徴だと思うで。プログレッシブロックとか聴ける人はここら辺の方がむしろハマるかもしれん。現代っぽい不協和音も多いけど、メロディとリズムがきちんとあるから、開き直れば割と聴きやすいと思う。弾くのは、難しいかなあ。あえていうなら、ルーマニア民俗舞曲とか異国情緒たっぷりで弾きやすいかもしれんの。
ロシアの作曲家やね。なんか最近ロシアが多いのは俺の趣味や。すまんの。生きてる間にコロコロ作風を変えたことで有名な作曲家で、初期はメロディがロシア風にエモくなったショパンのような曲を量産していたが、中期は印象派風の曲も作り出して後期は不協和音バリバリの現代チックな作風に転化していった。バンドなら3回くらいは音楽性の違いで解散しとる。
なのでどれが気に入るかはわからんが、どの時期でもエチュードを書いているのでそれつらーっと聴けばええんちゃうか。
■現代・・これも好事家しか知らんから今は覚えんでええわ。50年後残ってたやつを聞けばええと思う。
「うっせぇわ」という曲が話題らしい。
かなり大きなヒットとなっているらしく、ついには近くのラーメン屋にその音が流れだす始末である。
その時は、
「あのサビの不協和音とかが聞き手にとって良いアクセントになっているのだろう」
と、
音楽素人風情がもやしを頬張りながら感じた程度であったが、どうやらそれどころではなさげな感じだ。
その現状は
・高い再生数
等々々が物語っている。
かなり直接的かつ攻撃的にみえるものであり、厨学二年生的な全能感と痛々しさに溢れているような歌詞である。
大学生の自分ですら「こういった時期あったなぁ」とか少しノスタルジックになってしまった。
歌詞を見る限りは、
いわゆる難関大学を卒業した「社会の優等生」がルサンチマン拗らせてコンプ発症しました
といった感じのシチュエーションだろうか?
もしくは、
あたりだろうか?
嘲罵された、あるいはそう思っているだけの人間」
であるようには感じた。
なんとなく思うのは、
「この曲に気づいてはいけない」
ということである。
内容自体は、尾崎豊やamazarashiなどが
若者の苦しみなどを各々の文学的センスに包んで提供してきた「それ」に類似したもの
かもしれない。
しかし、この曲が圧倒的に違うのは
「汚く品のない歌詞」
とでも言うべきその短絡的表現、そしてレスバトルでのマウンティングのような直接性にある。
「私を見ろ」
と喚いているだけなのかもしれないのだ。
こうなったらどうしようもない。
同じ土俵に立つ(反応する)時点で相手の目的は達成されてしまうからだ。
もし無視しようとしても、あの奇天烈な音階のサビと尊大な発言に否が応でも
「何言ってんだコイツ」
とか
「手前よりまともだわ」
とか
「そんな時期だよねw」
とか
反応してしまう。
しかも大抵は相手にとって嘲笑・侮蔑となりかねない反応である。
共感する人たちからすれば気に食わないものであり、荒れるのは必至だろう。
延焼する野次馬もやってきて、更に注目する人が増える。
そうして「あの子」は色んな人に見てもらえる。
歌い手の方は歌詞のバックグラウンドに共感し、若者として歌ったのかもしれない。
しかし、その歌詞は一般的な「お約束」を踏みにじるかのような逸脱したものだった。
故にたった今、自分たちはこの曲に踊らされている。
音楽は聴いたときの体調とか周囲の環境とかでまったく印象が変わってしまうことがある
同じ曲を毎日聴くとしても、あれ?こんなに速かったっけ?と思うこともあれば、なんか遅すぎないか?と思うこともある
コンサートなどでメンバーに同じ拍子が電子音で聴こえる耳に装着する機器、クリッカーと呼んだりもした気がする、があるが、
あれがないとドラムやベースから加速していってしまうことがある
思うにずっと弾いていると色々と音の感覚が麻痺してくるというのもあるし、心拍数が上がるからでもあるんだろう
だから、最初から弾いていってアクセルが入って速くなっていくのは違和感がなくて問題がないが、
途中参加で演奏する人からすれば、こいつらなんでこんなに速いんだ?みたいに思うこととかあるのではないだろうか
商業音楽だろうがクラッシックだろうが何だろうが、すべての音楽の原点は原始人が炎の周りで踊るようなものだったはずである
それは基本的に太鼓がベースであり、音階はないがリズムがあり、規則性があった
規則性はリズムだけでなく音階にも当てはめられ、それが数学と音楽の関係に結びついた
しかし、なぜこの周波数の音が気持ちが良く、なぜ不協和音が不快なのか、
一方で半音ずれたことによる不快な和音が気持ち良く感じる人がいる、もしくはディミニッシュパッシングだっただろうか、
音が上昇、下降するときに半音で移動するというのは非常に心地よく感じられる、ことがある
これはベース音が単音であれば単なる半音であるが、コードとしての当てはめ方はいくつかあると思う
それがいわゆる5度進行であったり、ディミニッシュコードで補間するというものである
このディミニッシュコードは単体では深いな音に属するように思われるが、安定したコードの間に挟むと美しくさえ感じるのである
ある局所的なエネルギー最小値から別の最小値、凹みから凹みへ移動するには山を越えなければならない
音によって感情が作り出されることがある
逆にそのときの感情によって音に対する感想が大きく変わるのである
そういう点から考えるならば、職場に最適な音、音楽、食事中に最適な音楽、
フィリップ・K・ディックの小説「アンドロイドは電気羊の…」のムードオルガンではないが、望ましい感情を音楽から作ることもある程度は可能であろう
現実の人付き合いでも、Twitterを眺めているだけでも、他人の間違った政治思想に触れるタイミング、これが体調に異常を来すレベルで無理なのだが、みんなどうやって生活してるの?
・中国韓国を無意味に貶める発言が無理(領土問題、戦時賠償の問題があるのならそう指摘するべき)
・安倍前総理を許さない、とか言っちゃうのが無理(集団的自衛権は憲法違反だと思うなら、そう言えばいい)
・異常すぎる労働者の権利意識が無理(最低賃金の急すぎる引き上げは絶対に社会に不協和音をもたらすと思うが)、しかしやたらと経営者目線ありすぎる意識高い系も無理(サービス残業、有給拒否は違法だから、法律は守ろうな)
こういう思想に触れるたびに非常にストレスで体調を崩すし、以後そんな発言をしている奴のことを信用できなくなるのだが、すると正直言って生きていられない。
つぶあんが添えてあるつぶあん肉じゃが、ポテトサラダにこしあんが練り込んであるこしあんポテサラ、大豆と小豆の不協和音が楽しめる納豆つぶあんパスタなどなど…
そして餡が最初から視界に入っている場合はまだマシな方で、本当に恐ろしいのは突如口内に餡が出現するアンブッシュ、いや文字通り餡ブッシュである
「今日はハムカツか(よかった餡がかかってなくて)」と思いながらソースをかけてかぶりついたところ、薄いハムとハムの間から突如現れるこしあん
こうなるともう脳の処理が追い付かず味覚は大パニック 食べてみるまでどんな味か分からないとか我が家の食卓はこしあんルーレットか!と叫びたくなる有り様である
ちなみに昨日の夕飯はオムライスとちくわ入りのインディアンサラダ
おっ、もしかして今日はあんこフリーな食事なのかと期待しながらスプーンを動かす自分 卵に包まれた中から出てきたのはつぶあん入りのご飯
「オム…あんこ…」
その日の夜は滅茶苦茶セックスした
まあ少なくともラブライブではないと思う。
あれは「努力・友情・勝利」の物語が、努力も友情も勝利という目的のための手段に成り果てるという構造的欠陥を抱えていることに無自覚すぎる。青春も、思いも、全てがアイドルとして多くのファンを獲得するための道具になってしまっている。アイドルは物語によって夢を売るものだけど、その物語が飾らない自分たちの青春であれば、それは青春すべてがファンサービスの一環として商業主義の中で昇華されるリスクを抱えることになる。μ'sの物語は見事に自ら生み出したその消費の渦に飲み込まれてしまい、学園生活のすべてがアイドルとして勝利をおさめるまでの過程となった。手つかずの自分たちだけの青春はもう欠片ほどしか残っていない。自分たちだけの努力、ファンの手垢にまみれていない純粋な友情、それらすべての当たり前の学生らしい青春が失われて、アイドル活動の一環でしかなくなった青春。その世界観が貫かれているならいいが、実際は甘酸っぱい青春の物語であろうとし続け、そうして売り込むがゆえにその青春はいつまでも消費され続けていく。その矛盾が結果的に広げた不協和音の結果がアニメ二期以降シリーズ全体に漂うちぐはぐさだ。それがある時点で最高峰とは言えない。減点があるというより、全力でのめり込もうとしても障害物がコース上に多すぎて見ていて何度も感情にブレーキがかかる。偶像崇拝の触媒として、決して優れているとは言えないだろう。
これはどこにでもいる普通のオタクが「金を払って観る悪夢」「SAN値チェッカー」と名高いカルト映画、CATSを観てきた感想文です。
ネタバレが盛大に含まれていますので、その辺りお気を付けて頂けると幸いです。
昨年12月の暮れに海外で一足早く上映が始まり、その評価を読み「絶対に見る」と心に決めて1ヶ月、私はようやく映画館へと足を踏み入れた。
やれポルノだの玉ねぎだのと聞いているので期待は最高潮、何しろ私はホラー映画が大好きで、そしてクソ映画が大好きです。
今日は一人で悪夢を観に来たことを忘れて売店で巨大なポップコーンとジュースを買い、はやる心を抑えながら入場開始を待つ。
上映前に最後に流れた「それでは、夢のある映画の旅をお楽しみください」のアナウンスは、この後の展開が「悪夢」であることを啓示しているかのようでした。
私はオタクの中でも日陰に生きる人間でありますゆえ、正直CATS本編と同じくらい実写オタ恋のCMも滅茶苦茶キツかったんですが、この辺りについては口を閉ざし静かにスクリーンへと目を向けます。
劇場の照明が落ち、暗闇の中映るのは夜空。
猫の映画ですよ〜!という事を示唆するかのごとき可愛らしい雲、ここからどうなるのか期待が高まります。ちなみにここが唯一ここからの110分の中で「これは猫だな」と理解できた部分になります。
さて、開始して1分ほどですがここで早くも私の脳は処理の限界に達してしまいました。
ドラクエIIIの夜のピラミッドのBGMを不協和音にしたようなBGMが流れる中、夜の街を闊歩するのは人間によく似た体躯にうっすらと全身毛のテクスチャを重ねた「何か」。
一瞬、誤ってメイドインアビスのシアターに来てしまったのかなと思いました。人間性の喪失の結果と言われれば納得も出来るのですが、そもそもこれは「人間」では無く「猫」らしいんですね。
BGMの中、四つん這いの合成獣(キメラ)の集団が道路をぐるぐる回る姿はムカデ人間の続編かと錯覚を覚える絵面ですが、その中心で蠢く頭陀袋も嫌な予感しかしないし、案の定悪夢が飛び出すし、今の所パンドラの箱なのですが果たして最後に希望は飛び出してくるのでしょうかね。
そう言えば海外の評判ではやたらと性的な印象がありましたが、ただでさえ限りなく全裸に近い全裸なのに動きがこう猫々しいしやたらと柔軟性をアピールするし妙に動物的な飲食シーンを盛り込んでくるし、観客の無意識の奥底にあるなんらかの性的衝動を呼び起こそうとしてるのかなって感じは分かるんですけど。ですが、残念ながら扉のノックの仕方がシャイニングのジャック・ニコルソンなんですよね。へただなぁ…欲望の解放のさせ方がへた…こんなんじゃ歴戦のケモナーだって裸足で逃げて行きますよ。
さてなんの説明もないままに話は進み、ジャ…ジェ…?なんか分からないけど固有名詞がいっぱい出てくる、完全にルシがファルシでパージ状態。私は原作のCATSを知らないので、知ってたら話の流れが分かるんですかね?知ってたら開幕1分で席を立ちそうですけども。
さて墓場で歌って踊るシーンではふとBloodborneを思い出しましたが、ひょっとしたらこの夜は獣狩りの夜だったのかもしれません。私の啓蒙も爆上がりしていきます。
トイレで歌うシーンは真っ先にトレインスポッティングを思い出しましたし、ひょっとしたらこの映画も薬でぶっトんでる狂人の見た夢かもしれないし、狂ってるのは私だったのかもしれないと思い始めました。
まだ始まって30分も経ってないんですけど。あんな猫やこんな猫の説明を歌っているけど私にとっては全てが邪悪なモンスターにしか見えない。
さて、かく言う私もだんだんと目と心が慣れてきました。
感覚的に言うと「有色はマシ」「服あると相当マシ」「全裸はほんとキツい」「白系マジで無理」、要するにヒロイン枠の生物が一番キツい。黒人の敵とマジシャンが比較的視覚へのダメージが少ない。それだけで若干好きになる、だから頼むから帽子を脱ぐなコートを脱ぐな。あと手先と足先が人間なのがマジで拒否反応を起こす、黒人の手の平が肌色なのでも認知が「?」ってなるのにこの生き物の手足見てると「??????????????????」ってなる。かといって靴だけ履いてるのも異常なんですけど、タップダンスだけ見たら凄い出来なのに他の全てが恐怖。
あと衣類については黒人っぽいキメラが首からbling-blingなおさかなネックレス下げてるのは良いなと思いました(数少ないポジティブな感想)。
この作品、猫だけでなくGの者等も等しくキメラになっているとの話はうっすら聞いていたのですが、正直全裸じゃないし着ぐるみっぽさあるからこっちの方がだいぶマシではあったんですけど、喰い始めた時は流石に驚愕のあまりポップコーン食う手が止まりました。
ネズミとか、子役?っぽく見えたんですけどこれを見たご両親は「可愛い〜💕」「◯◯ちゃんの演技最高〜!」って思うのでしょうか、人生開始してまだ間もないのにこのような罰を受けるのはあまりに酷ではないでしょうか。
あと犬の存在が示唆されているのに画面に映らなかったの、犬はキメラじゃなく犬ですよってことなんですかね?製作陣や太いスポンサーの中に敬虔な犬好きでも居たんでしょうか。なんにせよ、助かった動物が居るのは良いことですね。
個人的に認知的不協和を感じるポイント、デザインや動き以上に「大きさ」があるんですけども。人間の体躯に猫の動き、街並みは人間の大きさの中で人間らしき体躯の生き物が「猫のサイズと言うには高さは合っていても細身すぎて違和感」で「人間とは思えない位小さい」姿で街を這い回り走り回る。人間の脳には大きさや距離感を自動的に調節してピントを合わせる機能があるはずなんですけどそれが全部ぶっ壊れる。
脳の機能に直接影響する映画、感覚にダイレクトに伝えてくるこの作品はいっそ4dxでも上映してほしい。余談ですが私はこれを観ながら「TOHOシネマズ限定のかっぱえびせんポップコーン」を食べていたので、こいつらがゴミ箱から拾ったエビ食うシーンでセルフで臭覚で新感覚の映画体験をしてしまい大変不愉快な思いを致しました。
定期的にあったのですが、このキメラ達が猫の鳴き声で「ミャー」とか「ニャーン」とか鳴くのがかなりキツい。というか主役級は顔がアップになったりすることが多くて「あー、人間の顔と身体した獣のキメラだなぁ」って思えるんだけど、ヒキで後ろに映ってるその他大勢がヤバい。意味不明な物体が四つ足で這い回ってる、フォーカスが手前に当たってるせいでぼんやりとボケた画面の奥で蠢いている人間ではない何か。私が観てたのってひょっとしてサイレントヒルだった?と誤認してしまいそうだし、私は悩める私に胸を張って「違うよ、CATSだよ」って言ってあげられない。
そこそこ話が進んでもストーリーか理解できない。一番歌と踊りが上手い奴が選ばれるオーディションなのは分かるけど、選ばれたら転生って死ぬやつじゃん?あと黒人男性なんでよく分からない魔法使ってるの?確かに猫よりは魔獣って感じだけど、それやるとますます猫の概念から遠ざかるよ。観ていてふと私が思い出したのは「悪魔ネコ」でした、懐かしいですね。
ところでこいつら猫?ってことは乳首6つあるんですよねってふと思って心底ゾッとしたし、この時点で完全に食欲を失っているのでポップコーンは封を閉じられている。
この時点で唯一覚えてる名前がヴィクトリアだけだし、ヴィクトリアったら捨てられた飼い猫割には異様に順応高いな…こうやってこの映画に慣れてきてる自分もひょっとしたら既にヴィクトリアなのかもしれない…と正気を失っていたら家無き捨て猫で「子猫」であることが発覚したのですが、私の中の子猫の概念がグチャグチャのベコベコに狂うのでこの件については早めに酒飲んで忘れようと思いました。
さて、物語の結末、私の刑期の終わり近付いて来ました。
ゲイビの男優かインナー無くしたマリオみたいな格好のキメラが踊ったり、黒人キメラがコートも帽子も脱いだせいで一瞬マジで全裸かと目を疑いましたがそんなことは無く。あとヤク中の流れあったんでやっぱりヤク中の見る夢だったオチも考えたのですが残念ながら物語は大団円へと向かいます。
マジシャンが無茶振りされる流れ観てると「いじめか?」と思いますが天下のハリウッドがそんなことをするわけが無いのです、ちゃんとなんとかなりハッピー的なエンドです。
ここまで観ていて、ストーリーの中の時間が夜から夜明けまでで12時間も経っていないことに恐怖を感じる。映画も2時間足らずだし、体感的には6時間くらい苦しんでるんだけど。
最後の最後に、老いた猫は画面のこちら側ん見据えてこう言います。
これは、ここまでこの映画を観続けた私にとって実質「死刑判決」でした。啓蒙が上がり過ぎて狂ってしまいました、私は人間のつもりだったけれど、実は限りなく画面の中の生き物によく似た「なにか」であると告知されました。
ホラーにある「次はお前だ」的なアレであり、告発やシリアスな社会派にある「他人事ではないぞ」みたいなアレを感じます。あと夜闇に紛れた姿も怖かったけど朝日の下よりは大分マシだったみたいです。朝日の下のキメラ達は、エグいアダルト作品を観た時のような性的興奮よりも先にショックに殴られる感覚がありました。もうこの辺りは感想をメモすることも忘れました。
しかしまぁ終わってみて改めて考えると、歌のクオリティは当然の如く相当高かったです。私はあのビジュアルで日本語でミュージカルやられると「理解できないおぞましいものを無理やり理解させられる」感覚に負けて脳が爆発四散してしまいそうだったので字幕で観ましたが、吹き替えの役者さんが好きな方は吹き替えで観ても良いのではないでしょうか。あの生き物達が好きな人間の声帯で歌い喋っている姿を観て立っていられるのならばですけども。
一言で感想をまとめるなら、「目を瞑って観たらそこそこ満足度の高いミュージカル」だと思います。ただ残念ながら、目を開けると死んでしまうので気を付けてください。神話にありがちな奴ですね。
見るなのタブーだと思えば納得できる作品です、いや無理だできねぇな。
ここまで色々書きましたが、最期まで走った身としては「マジシャンの猫ならギリ抱ける」と思いました。
どうやら私も完全に狂ってしまったみたいです、その内全身の皮膚に薄ら毛が生えてきて服を脱ぎ捨て夜の裏路地に四つ足で走って行くでしょう。まだ日本語を語れる今の内に、これにて文面を終えようと思います。
恐怖の一晩だった。戻れるなら10月31日の午前3時段階に戻り、おっパブへ通じるエレベーターを上がるなと忠告してやりたい。
貯金を積み上げるのには時間が必要だが、崩れるのは簡単だということを痛感した。
本当に、辛い。
なんでもない1日だった。いつも通りに仕事を終え、急遽同期に誘われて居酒屋に行き、楽しく酒を酌み交わした。
いつも通り、なんでもない1日の景色。
二軒目の居酒屋で同期が終電を逃し、我が街蒲田になだれ込んだ当たりから、徐々に不協和音がなり始める。
三軒目、蒲田の居酒屋、深夜1時。2時間ほど飲んで、午前3時。
この時点で相当量の酒量を摂取しており、どだい冷静な判断ができなくなっていたのだろう。
どうせなら女の子と飲みたい。どうせなら、可愛い女の子と飲みたい。
彷徨うまでもなくキャッチに捕まり、選ぶでもなく吸い込まれて行ったのが件のおっパブである。
付き合いで同業態の店舗には何回か行ったことがあった。ある程度金銭の感覚は掴んでいる自信があった。
そこまで極端な出費になることまでは想定していなかった。
女の子がくるなり、酒をねだられる。もちろん、応える。飲んでいいよ、飲んで飲んで。
ショットで飲みほす。すぐ注文する。気がついたら女の子が増えている。
不用意に両サイドから体を弄られ、弄り、酒がなくなったと思えばテキーラ。
午前5時に店を出たらしいが、つれが40万、僕が20万の支払いを行っていたようだ。
時系列ではなんとなく把握しているものの、具体的に店内で何をしたか、ほぼ覚えていない。
ただ、口座から折半して30万ずつのお金がなくなった事実のみがゴロンと転がっている。
さらに言えば、昨日は極度の二日酔いに陥り、予定もオールキャンセルとなった。
たまたま休日だったからよかったものの、胃のなかに何かを入れたらそれがそのまま出てくる、ポンプと化した。
虚無だ。虚無でしかない。
30万も払って、酒を飲んで、何をするでもなく、二日酔いの坩堝に落ちて行った、ただそれだけか。
死ぬこと以外はかすり傷だと思っている。が、まぁまぁ重い傷を負った。
金で解決できることでよかったっちゃよかった。
たまにテレビで見るだけだったのに。
ハーフで知的な雰囲気があって、フジテレビの生え抜きでは無くて子会社から引き抜かれて、夜の番組でキャスターを勤めていた。
頑張り屋さんなのだろうと、思っていた。
東京オリンピックの「お・も・て・な・し」プレゼンでフランス語が話せるという、それは日本では希少なスペシャルな力を発揮していた。
アラフォーでずっと独身で、阿川佐和子みたいに60ぐらいでポッと思わず結婚するようなタイプかと思っていた。
妊娠までしてただなんて。
ああ。それが、結婚が決まった途端に。
滝クリの魅力が分からなくなった。(というか、たまに見るぐらいだったのに他の女子アナとは違う感情を抱いていた自分の本音に気がついたが、一瞬で変わった)
ふーん、そうなんだ。金持ちとか名のある家の男と一緒になりたかったのかい。
そーかい。
一度もあったことがない美女に画面越しに、憧れていただけなのに。
ああ。なぜだ?
(そうか。これが、認知不協和音ってヤツか。一瞬で自分の気持ちが冷めるって。すると、SNSで滝クリのネガティブなコメントーーあざとい。計算高い女だ。ーーが目に入るようになった。今まで無意識のうちに排除されていた情報がが脳みそへとダイレクトに入ってくる感覚だ。)
忘れよう。さようなら。