2018-11-05

オタクの友人が 「ヤバい

大学進学を機に地元を離れ十数年。

三十をもうだいぶ過ぎて戻ることになった。

十代の頃に築いたオタク仲間との付き合いは、帰省した際に会う機会もあり、すでにインターネット一般的になっていたこともあって途切れずにいた。

その友人たちに、仲間のひとりであるAについての愚痴を聞かされるようになったのは、大学卒業して社会人になった頃からだったと思う。

当時、自分はAが同人活動に忙しかたこともあって滅多に会わなかったので、伝聞を鵜呑みにするのもどうかと思い、愚痴に関しては話半分に聞いていた。

だが地元に戻ってAを含むオタク仲間との密な交際が再開されると、すぐに友人たちのいう「Aがヤバい」の意味がわかるようになった。

Aのヤバさは基本的に、オタク的なことを過剰に持ち上げ、オタクじゃない人間オタク的じゃないことを下に見るところにある。

オタクを持ち上げる」ではなく、「オタク的なことを持ち上げる」と書いたのには相応の理由がある。

Aの中のオタク像が、オタクの中ではより一層オタク的なものではあるかもしれないが、オタク全般に言えることとは思えないからだ。

例えばAからすると、オタクは多額の金を使わないといけない。経済的問題趣味に金を使えないが、対象愛情はあるというオタクもいるということは納得できない。

資産家の一人っ子独身実家住みで稼いだ金を全て趣味に使えるお前には分からないだろうが、一般的には家庭を持つと色々と物入りなのだ」という内容を遠回しに諭した友人もいたが、まったく無駄だった。

これは遠回しに言ったのがよくなかったのかもしれないし、「一般的」「家庭を持つと」などと言ったのがよくなかったのかもしれないが。

異性にもてるオタク交際相手のいるオタク恋愛結婚に興味を持つオタクは「向こうに行った」と言われる。

ファッションスポーツなどオタク的じゃない趣味を持っているオタクや、仕事熱心なオタクへの当たりもきつい。

結婚予定もしくは新婚のオタクにも厳しいが、なぜか子どもの生まれオタク結婚して何年も経ったオタクには厳しくない。

Aは人前に出る人間、目立つかっこうをした人間にも厳しい。それは相手オタクであろうがそうでなかろうが関係ない。

社会には容姿差別存在すると強く抗議するが、TVネットに限らず、とにかく自分容姿を見せて仕事をする人物、派手な服装をしたオタク特にコスプレ勢)に関しては「不細工は去れ」というようなことは平気で言う。

Aいわく「人目につくという選択肢を選んだ以上、容姿批判されるのは覚悟の上でないといけない」。

だが、人の前に出る仕事をしたり目立ったことをする人間容姿に自信のある人間でないといけないというのも、それはそれで容姿差別ではないのか。

そう言ったのだが、「好きで選んでおいて差別も何もない」で終わってしまった。

これだけでなく、AはAから見てニワカやライトオタクに見えるオタク、そして若いオタク特に若い女性)に異常に厳しい。

反対に、古参ジャンル歴だけでなく年齢も加味。自分より年上の同性のオタクにはひどく甘い)は賛美する傾向にある。

それでは「Aにとってオタクではないオタク」は一体何者なのかと言えば、Aいわく「ファッション(としての)オタク」だそうだ。個性もないのに個性があると主張したいがためにオタクを利用している連中、ということらしい。

個性であることとオタクであることに何の関係があるのだと思う人もいるだろうが、Aの中ではオタクとは個性的な人間ということになっているのだ。

Twitterをはじめてからは、ジャンル内でハタチ前後若いオタク(聞くかぎりはほぼ女性)に古参として親しく接する一方、彼女らのおかし発言収集している。

そうやって集めた若いオタク勘違いした発言馬鹿にして面白がれる発言を同世代以上のオタククローズドで共有しているという。

それを我々にもまるで悪びれずに言うのでさすがに咎めたのだが、「困ったファッションオタクについて情報共有をしているだけだ。危機回避手段に過ぎない」と抗弁されてしまった。

Aはふだん仕事に関する話はほとんどしないのだが、職場環境について一回だけ話してくれたことがある。

上司や同僚がオタクでないので無趣味で、趣味で充実して毎日楽しく過ごしている自分嫉妬して嫌がらせをしてくるので面倒くさいが気にしていない」ということだった。

嫌がらせについては詳細を聞かずに何も言えないが、絶対にそういう動機ではないと思うぞ。現状について見直した方がAにとってもいいと思う」とみんな口々に言ったが、これも納得してもらえなかった。

また友人たちが身なりについてやジム通いや婚活の話などの、Aが「オタク的でない」と考える話題をすると、いちいち水を差すようなことを言う。

しかった靴を手に入れたという話題には「靴はすぐ駄目になる」と言い、ジムに通い始めたという話には「知人もジムに入会したが全然行っていない」と言い、婚活を始めたという友人には「結婚相談所のいいカモ」と言う。

Aに面と向かって言わずとも、SNSで呟いただけでそう言ってくる。

今回の投稿は、これがバズってAに届けばという気持ちで書いている。

間接的にも直接的にも、Aのへそを曲げないかぎりの範囲で言ってきたが、もう限界だ。

他人の口であれこれ言われれば(なるべくならAが仲よくしている古参オタク批判してくれれば)、初めて真剣に考えてくれるかもしれない。

十代の頃を思い起こせば、我々はみんな社会性が非常に低かった。

それは今でいうコミュ障などではない。口下手、同世代話題やノリがわからない、そういう話ではなかった。

もっと根本的に人の気持ちに鈍かったし、気遣いがなかったし、そういう社交性を馬鹿にしてもいた。

それで通用したのはお互いそれを許容できたからだ。

なぜなら、みんなほぼ同じ境遇だったから。

進学校で家庭環境はそう変わらなかったこともあり、クラスの主だったグループに属せなかったメンツということもあり、みんな趣味嗜好も悩みも似通っていた。

気遣いしなくても、「自分はこう思うから相手もこう思っているはず」がそんなに外れなかったのだ。

だが今は違う。

大人になり、みんな進路も異なり、境遇も考え方も趣味嗜好も異なっている。

今はみんな、それを分かってつき合っている。

そこに一人、自分と同じ考え以外は認めないし配慮もしないという者がいれば不協和音が生まれるのは当然だ。

だけどみんな、Aを排除したくはないのだ。

特に賢いわけでもなく他の多くの10代と同様にアホでバカなのにそれを認めたくなくて、マイノリティであることに不必要に傷ついて、プライドばかり高かった頃に同じ傷を舐め合った仲間だからだ。

Aが優しくて寛容で友人想いだった頃のことを覚えているからでもあるし、Aがオタクだったためにつらい思いをしたことも知っているからだ。

Aに、考えを曲げろとは言わない。

だが、Aの言葉に傷つく仲間がいることをどうか分かってほしい。

(そしてAよ、お前が歩む道の先が光に照らされているとはとても思えないのだ)


そう正面切って言っても分ってもらえなかったのでこれを書いているのだが。

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