陳腐表現について今更説明するのも気がひけるのだが、今後の君のために例を挙げてみようと思う。
拘る者にとっては同一の言い回しが続けて出てくることやありふれた表現に嫌悪や不協和音を感じるものだが、単純に数をこなさないとこれに気がつかない。
通常は編集者や校正の手を経て修正されるためにより敏感になるものだが、昨今のなろう量産型には当てはまらないケースが多々あるようだ。
君がもし何らかの創作というものに関わる人間なら、自分の初期作品というものに稚拙さを見ることが出来るはずだが、この文章自体に陳腐さを感じないなら見るべき所が我々と違うとしか言いようがない。陳腐とは誰しもがかつて通った道の途中で捨ててきた物なのだ。
おまえのほうは典型的なアマチュアの「字書き」という感じだが。
わざわざ元増田の文体で書いてるのだから、君がそう感じたのであれば本懐というものだよ。 だが〜だった。のように逆説の接続詞を多用することも同様。 はっきり言うと彼の文章力に...
全部「だが」がついててわろた
あーでもそれ、元増田に適応できるかはしらんけど、そのうちに一周するよ。 「~と言った」を、「話した」「口にした」「放言した」「表現する」と言い換え続けてるうちに、これ...
× 適応 ○ 適用
井伏のまっつぁんが書いた山椒魚の逸話だね。 なろうの勢いの理由は完全に同意するよ。