はてなキーワード: 京都弁護士会とは
暇空茜
@himasoraakane
これ仁藤夢乃さんが紹介した池内さおりさんと家出少女とのLINEだそうです、タレコミできました
もちろん僕には裏が取れないので、これがデマならそう言ってください
今後、親との関係を持ちたくなくて、生活も学費も自分でやりくりする方向なら、
例えば、今はとりあえず生活保護を活用して、家を出て、親と縁を切って自活を始めるっていう選択もある。
よかったら、一度しっかりあって話をしませんか?また仁藤さんのバスカフェに来ませんか?
https://mobile.twitter.com/himasoraakane/status/1609824412395790336
暇空茜
@himasoraakane
ところで俺の言いたかったこと伝わってないみたいだからいうけど
バスカフェに来た女の子に共産党の元議員や区議をつないで、あなたたちがこうなったのはアベガー、民青に入りませんか共産党員になりませんかって勧誘してたのモロアウトちゃうの?
政治活動やろ?
+ 仁藤夢乃のバスカフェで日本共産党の池内さおりは家出少女を日本共産党に勧誘していた。古い言い方ではこれをオルグという。
+ 池内さおりはさらに複数回家出少女を勧誘するためにLINEを使っていた。この内容は仁藤夢乃にも送信され、仁藤夢乃は把握していた
+ さらに仁藤夢乃はこのスクショを取り、別の家出少女に日本共産党を紹介していた。古い言い方ではこれをオルグという
+ ここで「活用する」という動詞に注意していただきたい。生活保護自体は、通常「利用する」という動詞とつながる。「活用」は後述するが、これ以外は極めてまれ。よってこのLineの内容は、ソーシャルワーカーではない可能性が高い。
+ さらに、選挙の支援もしていたほど池内さおりとColaboの関係はずぶずぶに近い。
+ 日本共産党は生活困窮者を党員に関与していたことがある。https://twitter.com/himasoraakane/status/1609871498524905475
+ さらにアイコンが犬と一致 https://twitter.com/himasoraakane/status/1609848512086446080
以上から、このsaoという名前とあわせて日本共産党の池内さおりである。
[ http://jin115.com/archives/52362077.html : 日本共産党の池内さおり氏、Colaboのバスカフェに来た家出少女を親と切り離し党員に勧誘している疑惑が浮上]
なぜ俺的ゲーム速報刃がやっているのかは謎だが、アイコンの犬以外の過去の多数のツィートがまとめられているのでご覧いただきたい。
喜久山大貴
@kikuyamahiroki
LINEの文面のどこに「共産党員になりませんか」と書いてあるのだろう。生活保護を受ける際の水際作戦対策で共産党の議員が親身になって尽力してくれることがあるのは一般的に知られているはずのことではないかな。むしろ、もっと広く知られて生活保護を活用する抵抗感が少しでも減らせればいい。
https://mobile.twitter.com/kikuyamahiroki/status/1609907616280641536
文面に書いてあるのではなく、これを紹介していたということを合わせて読もう。
なお、この京都弁護士会所属の弁護士の発言は、日本共産党の公約と全く同じである。
https://www.jcp.or.jp/akahata/aik22/2022-10-31/2022103113_01_0.html:誰もが使える生活保護に]
問題なのはColaboのバスカフェでこれを実施していた点。だれがバスカフェで日本共産党につなげていいといったのか。
ところでこの「活用する」が使われる場面とは
生活保護+何かの公的扶助を受けるときに使われている。(生活保護 活用で検索)
2022年12月31日のsio氏の証言によると、Colaboの仁藤はうつ病の診断書を作らせて、生活保護にさらに医療費の扶助まで申請していた。
日本共産党の池内さおりの「活用」とは、偽の診断書を作って医療費の扶助まで得ようとする意図があるからこのような表現になっている。
当然、これを紹介するColaboも同じようにしている。Colaboの実績とはなんと日本共産党につなげることだったのである。
女性の自立どころか毒親を奇貨として共産党員にして生涯自立から縁遠い人生を送らせる。これがColaboの正体。
したがって、東京都はこれを問題視できない以上、担当者と知事はやめてもらうしかない。
当然ぱっぷす、若草プロジェクト、BONDプロジェクトは業務委託をする団体としては不適格で、当然ながらさらに抱撲も(ちなみに相撲と区別がつかないならだくぼくと読むとよい)同じ手法を使っていることになることになるので不適格。
よってColaboが悪質であることが判明した。
これを支持した公認会計士のグループ、全員資格はく奪。弁護士、弁護士会から永久追放。東京新聞の望月はクビか東京新聞自体が廃刊。朝日新聞、毎日新聞も廃刊相当だろう。当然NHKも解体レベルの処理が必要となる。
これが包摂、反差別、LGBTQ、フェミニズム、上野千鶴子の社会構築主義、ジェンダー平等、パリテ、アファーマティブアクションの真の姿である。いかにこれらがばかげており、なんら意味がない無駄で不正の温床なのか。二度とこれらは政治課題につなげてはならない。
女性国会議員は不要だ。なにか杉田水脈が好きすぎるとか書いているアホがいるが、意味不明。これらの問題をずっと追及していたのは杉田水脈以外いないからだ。それで差別主義者とかレッテルを貼られている。黙らせられている。脅迫されている。岸田は社会正義や公正な社会が嫌いらしい。そういう意味だ。
上野千鶴子(のりこえねっとという税金チューチュースキームの支持団体)は教授などというレベルではなく嘘つきでしかない。なにが社会学だ。嘘をついて税金を横領する技術が社会学だろうが。意味が全くない。
これらは税金の無駄で不正の温床でしかなく、かつその効果は全くなかった。フェミニズムは意味のない学問で社会学は詐欺師以外はいないので大学には不要だという結論になった。83人委員会はその象徴である。
関係した人間は大学や有識者会議から排除するのが必要。反論は「正論」以外には掲載しないことが重要。
これをバックラッシュとかバカげたことを言うのはおくすりを出してもらった方がいいと思われる。まったく意味が違う。
税金チューチュースキームがバレることがどこがバックラッシュか。バレるラッシュの間違いだろうが。包摂、反差別、フェミニズムやジェンダー、LGBTQは不正を隠ぺいするのか?
(文中敬称略)
元増田にグダグダ書いたけど、俺が一番違和感を持つのは例えばこういう運動のこと。
「少女像」展示再開求めデモ集会に200人「表現の自由の弾圧だ」名古屋 - 毎日新聞
デモに来た埼玉県の女性会社員(25)は「作品を見たかった。主催者側へのひどい脅しなどがあったので続けられない状態になったのだろうか。悔しい」。上滝浩子弁護士(京都弁護士会)は「公権力を持つ立場にある人が干渉的なことを言えば、表現活動が萎縮する。そうさせないために憲法は表現の自由を保障している。許せない」と話していた。
繰り返しになるけど、表現活動が委縮したのは、ガソリン持ってくると脅されたからでしょう。
で、それに対して通常、対処しうる危機管理以上のことが現場で可能だったの? 例えばガソリン怖いのをみんなで耐えるの?主催者だけではなく客も巻き込むんだよ?
できないものを無理じいして、できなかったら検閲だなんだって騒いで無理な注文をして困らせるのが表現の自由を守るってことなの?
そういう理由で起きる表現活動の委縮って誰かのどんな努力でどうにかできるものなの?というのが俺の最大の疑問。
委縮しないようには何をすれば?という観点でいうと、例えば、テロを抑止する、という話とよく似ていて、
社会にあふれる憎悪を鎮静化させる、みたいなフワっとした話にしかならない。
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行政が危機管理対応としたという話と、行政が言論を弾圧した、という話を混ぜるなよ。ナイーブすぎるだろ。
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もう少し思想的な背景に突っ込ませてもらうとさ、
そもそも、脅迫含めて暴力的な言論というのは、表現の自由の副産物として、
そういう過激な行為が起こりうることは覚悟しておかないといけないかもしれないんだよ。
アメリカを例にとる。意見が異なる者同士が過激な形でぶつかり合う、というのは、17世紀のヨーロッパがプロテスタントの宗派争いで経験済み。
たとえ激しくいがみ合っていても、政府はどちらか一方が正しいとは言わない、と。
その経験があって、アメリカに渡った巡礼始祖が社会の約束事として決めたのが、合衆国憲法修正条項に引き継がれ、表現の自由の原型となっていく。
1970年代の連邦最高裁の言葉を借りれば、社会が不協和音に満ちていることこそ強さの証である、みたいな覚悟をもって、
ヘイトなど多少の過激な言動を認容していく、というのがアメリカ的な背景としてはある。
つまり、もし仮にアメリカ的な感受性で対処するとすれば、脅迫があったが、ま、今回は引きますが、へこたれずまたやりましょうね!ということなんだよ。
ところが日本の場合、そういう歴史もなければ、不協和音のなかで生きる覚悟もない。
むしろ日本の空気として強いのは行政による言論弾圧の記憶なんだよね。
それならそれでいい。表現の自由を基礎づける歴史的な記憶というのは、その国の歩んできた歴史文化によって異なるのは当然だからだ。
でもその背景について、客観的な整理と自覚がないと、ただ無意識にオブセッシブな態度を表明しているようにしかみえないわけよ。
だいたい横から出てきた名古屋市長なんてそもそも中止となんの関係もないじゃん。
そこはちゃんと危機管理対応と弾圧を冷静に切り分けてもらわないと。
展示が表現の不自由がテーマということで、ついでにひとつ言及しておきたいんだけど、
ムハマンド風刺画問題というのがあるよね、フランスで大きな騒ぎになったりもした。
これは、暴力行為が表現の自由の副産物だという文脈では読み解けない。
アメリカとはかなり異なる歴史的な背景があって表現の自由の価値が基礎づけられているからだ。
簡単にいうと、カトリックの絶対正義が猛威を振るっていた時代に、
こんなんじゃ、まともな社会設計ができん!という問題意識からスタートしている。
まずはカトリックを批判する権利が必要だということで「神を冒涜する権利」として始まったのがフランスの表現の自由であり、例の過激な政教分離なんだよね。
だからムハマンド風刺画事件でも、フランスのメディアは「涜伸の権利はいずこに」という形で問題提起をしたりしたわけだよ。
ただ、おれは別にそんな話を今回の展示に期待しているわけじゃ全然ないんだけどさ、でもなぁ。
そんなたいそうなタイトルを銘打っておきながら、さまざまな国の作品を展示しているのに、他人の作品をコピペみたいに持ってきてパッチワークかよ。
ネットでみつけた一般客のコピペした解説文や評価をみても、テーマである”不自由”の背景がよくわかるものではなかったね。
そのうえ雲行きが怪しくなったら中止と。芸術監督は残念がってメソメソと泣いて、みっともないってちょっと思ったりした。
行政もだよ。リスクを想定したうえで、あらかじめ退避の基準を明示しておくんだよ。この場合、判断と行動のスイッチとなりうる事象をリストアップしておくんだよ。
そのうえでリスクシナリオと判断基準について主催者と合意しておく。
そうしないと、あ、ヤバいと思ったんで引き揚げました、みたいに、行き当たりばったりな説明しか主催者にできないだろが!
そりゃ、突然中止に追い込まれたと思うわな。
まとめると、
表現の自由という観点でも主催者の問題意識は感覚的なものでしかないし、
表現の自由についての問題整理とリスク管理、この二つをしっかり持っておかないと
なんだだ危なっかしいだけだ。
という感想をもった。
追記:
大村知事「河村市長の主張は憲法違反の疑いが極めて濃厚」…県には”京アニ放火”に言及した脅迫メールも | AbemaTIMES
まさに公権力を行使される方が、"この内容は良い、悪い"と言うのは、憲法21条のいう検閲と取られてもしかたがない。そのことは自覚されたほうが良かったのではないか。裁判されたら直ちに負けると思う」と厳しく批判。
おおむね間違ってはいないんだけど、このあたりに、日本人が感覚的に扱う、表現の自由の手つきの危うさがある。
検閲というのは、基本的には”発表前の事前抑制”を指す。特に最高裁の定義はそうだ。憲法違反だとか裁判で負けるとまでは言い切れないのだよ。
こんにちは。私は自分の住んでる地域とかでワークショップをやったりしてるおばさんです。
私は学校に行きたくない人に向けて伝えたいことがあります。なので、この記事を書きました。
いじめやからかいで、心を深く傷つけられる。死にたくなる。自殺する。いじめの果てに殺される。
私は行かなくてもいいと思います。
「一生このままでいいの? ずっと家に引き込まったままでいいの?」
「学校に行かないと親が心配するから」「いじめられてるなんて言ったら親が心配するから」
「一生このままでいいの? ずっと家に引き込まったままでいいの?」
私が大切だと思うのは、選択肢は「学校に行く/学校に行かない」の二択ではないということです。
学校に行かなくてもできる職業について調べてみるのも良いと思います。
学歴が必要な職業なら、通信制高校や放送大学などについて調べてみるのも良いと思います。
「学校に行かないと親が心配するから」「いじめられてるなんて言ったら親が心配するから」
こう思う人は優しい人ですね。親のことを心配しているのですから。
あなたは親を心配しています。では、親はあなたを心配することはないでしょうか?
親もあなたを心配している場合と、親はあなたを心配していない場合、二つにわけて書きますね。
親は、あなたのある部分については心配しているけど、ある部分についてはまったく理解せず心配もしていない。そういうことがあると思います。
そういう場合は二つの場合を折衷しながら、考えてみてください)
想像してみましょう。
「親の態度がなんとなくおかしく、何があったのか聞いても、何も教えてくれない」
とても気になりませんか? 不安になりませんか?
「親がある日、突然自殺した」
ショックを受けませんか?
あなたが「親に心配をかけたくない」と何も言わなかったら、親は不安になったり、ショックを受けたりするかもしれません。
親を心配させるかもしれませんが、あなたも親を心配しているのだから、お互い様です。
思い切って、話をしてみましょう。
(余談ですが、「困ったときに人に相談できる」という「テクニック」は生涯において役に立ちます。就職してからも、ずっと役に立ちます。むしろ、相談しないと怒られることがあるくらいです)
残念ながら、勇気を出して話しても、親があなたの主張や立場を理解してくれないことがあるかもしれません。
その場合は、次に書く「親があなたを心配していない場合」を参考に、折衷案を考えてください。
親があなたを心配していない場合、あなただけが親に気を使う必要はありません。
むしろ、親から距離をとって、他の人に助けを求めることを考える方がいいと思います。
でも、自分をあまり好きでない親といっしょにいて、傷つくくらいなら、親と少し距離をとった方がいいと「私は」思います。
親が信頼できないなら、誰を頼ればいいのでしょうか?
以下のサイトにはこどもの人権を相談できる場所がまとめてあります。
http://ymlaw.txt-nifty.com/blog/1_/index.html
★東京弁護士会「子どもの人権110番」 03-3503-0110
土:13:00~16:00
(面接相談も無料。まず電話で相談して,面接相談したいと伝えてください)
http://www.toben.or.jp/bengoshi/madoguchi/children.html
★第二東京弁護士会「子どもの悩みごと相談」 03-3581-1885
火・木・金:15:00~17:00
(面接相談も無料。前日17時までに03-3581-2257で予約してください)
★東京三会多摩支部「弁護士子どもの悩みごと相談」 042-548-0120
水:14:00~19:00
(面接相談も無料。まず電話で相談して,面接相談したいと伝えてください)
★神奈川県弁護士会「子どもの人権相談」 045-211-7700
木:13:15~16:15
★埼玉弁護士会「子ども弁護士ホットライン」 048-837-8668
木:15:00~18:00
★新潟県弁護士会「子どもの悩みごと相談」 0120-66-6310
月・木:16:00~19:00
★大阪弁護士会「子どもの人権110番」 06-6364-6251
毎週水15:00~17:00,毎月第2木曜日18:00~20:00
★京都弁護士会「子どもの権利110番」 075-231-2378
金:15:00~17:00 (受付は16:30まで)
★愛知県弁護士会「子どもの人権相談」 052-586-7831
土:9:15~17:15
★岐阜県弁護士会「子どもの悩みごと相談」 058-265-2850
平日9:00~16:30
★金沢弁護士会「子どもの悩み事相談」 076-221-0831
木:12:30~16:30
★広島弁護士会「子どもの悩みごと電話相談」 090-5262-0874
平日16:00~19:00
★福岡県弁護士会「子どもの人権110番」 092-752-1331
土:12:30~15:30
★宮崎県弁護士会「子どもの権利ホットライン」 0985-23-6112
月~金:9:30~16:30
★札幌弁護士会「子どもの権利110番」 011-281-5110
木:16:00~18:00
小児科のお医者さんや児童館に相談窓口のパンフレットが置いてあることもあります。
児童相談所という名前ではないかもしれませんが、こどもための窓口があるはずです。
相談窓口の人が酷いことを言う可能性、あなたの話を理解してくれない可能性、問題の深刻さを理解してくれない可能性もあります。
とても残念なことですが、そういうことになる可能性はゼロではありません。
でも、あきらめないでください。
あなたは世界中の人に話をしたわけではありません。一人の人と話をしただけなのです。
同じ電話番号で別の人が出るまでかけ直してもいいです。(同じ人が出たら、即切ってもかまいません)別の地方の相談窓口にかけてもいいです。
嫌な人に相談しても、不信感が募ります。相性のいい人、信じられそうな人に話をしましょう。
かけるには10円玉か100円玉が必要です。10円も100円もないときは、自動販売機の釣銭入れを探しましょう。
誰かが忘れたおつりがあることがあります。
忘れられたおつりは本当は遺失物です。
そして、正直に言いますが、数百円より、あなたの心と体の方が大切だと、「私は」思います。
信頼できる人を見つけるのはとても大変です。
でも、「私は」あなたに死んでほしくないと思いますし、いじめを我慢してボロボロになってほしくないと思います。
とにかく、なんとかして時間を過ごせる場所を見つけてください。
学校に行かない人生を過ごした人、その後で幸福な人生を送っている人もいます。
ボロボロになってまで、学校に行く必要はないと、「私は」思います。
「学校に行きたくない人へ」から「イジメで学校に行きたくない人へ」に変更しました。