はてなキーワード: センシティブとは
Twitter(現X)にて摂食障害を想起させる表現の萌えイラストがプチ炎上している件についてお気持ち表明しようと思う。
自分は“拒食症”の当事者であり、“未成年を性的に消費する表現”を好むキモオタクだ。
この“表現”には非合意の性行為やいわゆるリョナ系など、かなり非道かつ加害性の強いものも含まれている。
したがって当該イラストで不快になってしまった他の摂食障害当事者よりもかなり“オタク”側に肩入れした内容になってしまうと思う。
正直なところ当該イラストに対しては非常にネガティブな印象を持っているし、うっかり引用批判ツイをRTしてインプレッション稼ぎに加担したくない!とまで思っている。
そしてそれと同じぐらい、“摂食障害(≒不謹慎・鬼畜系)萌え”そのものには肯定的である。
そもそも“摂食障害萌え”は四肢欠損萌えと同程度に不謹慎かつ後ろ暗いものである。
「達磨っ娘を優しく介護♡ついでにセックス!」のような作品の場合は作者や作品の愛好者自身がその“後ろめたさ”を自覚した上で相応の配慮を以てそれらを面白がっている。
他人の不幸や不自由さ、苦痛を“萌えジャンル”に落とし込み、あまつさえ性的に気持ち良くなっているのだから当然だ。
そういった表現に興奮してしまうオタクは自身の性癖と倫理観の板挟みとなり常に葛藤しているし、「不快になる人の目に触れないようマナーを守ってひっそり楽しもう」というスタンスを表明することで半ば強引に折り合いをつけている。
ところが、当該イラストの作者からはそういった後ろめたさや罪の意識が感じられないのだ。現在進行系で多くの人間を苦しめ命を奪っている病をズリネタにしているという自覚がないのではないか。
特殊ジャンルの愛好者としてはそのノリの軽さが倫理観の欠如に見えてしまう。
上記はいちオタクの立場で抱いた違和感だが、摂食障害の当事者が感じた憤りは「病気に対する偏見と無理解」によるものだと考えられる。
摂食障害当事者を苦しめているのは症状そのもの以上に、この偏見や無理解なのだ。
摂食障害と言うと多くの健常者は“ガリガリに痩せた拒食症の若い女性”を想像すると思われる。
しかし、当事者の多くは(その痩せこける過程を経た者も含めて)それとは真逆の過食に転じてしまっている。
念のため補足しておくと、摂食障害における「過食」とは筋トレ垢とかの言う「チートデーでラーメンの後にアイスを2個も食べちゃった♡」というレベルのものではない。
自分自身はまだ慢性的にその症状に振り回される段階に至っていない(あるいは過食をせず順当に回復している、極めてラッキーなレアケースである)ものの、「拒食より過食の方がツラいし恐ろしい」とは常に感じている。
また、これも多くの人が誤解していることだが、自身に厳しい食事制限や過活動を課している段階の「拒食症」の人間の多くも食欲を失っているわけではなく、むしろ常に底なしの食欲に苦しんでいる場合がほとんどだ。
拒食症の症状の1つに「満腹/空腹が分からない」が挙げられるが、この表現は適切ではなく、正しくは「常に飢餓状態で、食を強く意識している状態がデフォルト」である。
1年365日24時間食べたくて食べたくて仕方ないのに、肥満恐怖など何らかの理由から、常につきまとうその異常な食欲を理性や“マイルール”で無理やり抑えつけ、“体型、ないしは正しい食生活をキープ”しているのだ。
(摂食障害のきっかけがストレスや消化器系疾患による食思不振であるケースもあるが、それに関してはここでは割愛)
ゆえに、摂食障害の当事者は「神経性無食欲症」という呼称に極めて強い違和感と不快感を持っているし「拒食症になったら食欲がなくなって痩せられるんでしょ?アタシも拒食になりた〜い♪」という言説にも過敏に反応してしまう。
「食欲を失えるなら他に何もいらない」と本気で思っているし、そのために健康や人生そのものを犠牲にしているのが我々だ。
食欲を抑制するために糖尿病治療薬などを服用する者、「食欲に負けて」食べてしまったらここでは到底書けない手段で帳消しにしようとする者。
そんな当事者らにとって「拒食=食思不振で意図せず嘔吐したり痩せる病気」という誤解を助長する表現は看過し難いものである。
さらに、作者が女性である点も当事者の気持ちを逆撫でしたと思われる。
個人的には、健全な家庭に育ち愛する夫との間に子供をもうけた腐女子が“経済的・文化的な貧困から春を鬻いだ結果望まぬ妊娠をしトイレで1人出産して逮捕される受け(未成年)”を「カワイソウな受けちゃんがスーパー攻め様に見初められ最終的にラブハメに至るシンデレラストーリー♡ハピエン!」と宣い軽いノリで出してきた、ぐらいのグロテスクさを感じる。
自身の属性が性的なコンテンツとして消費されることへの単純な嫌悪感は当然に存在しているものの、その程度のことならば引用で叩くほどではないし、むしろ本人に直接クレームをつけている方こそ非常識だ。
また、特殊性癖や萌え表現が不当に攻撃されることもあってはならないことだ。
それでも、どうしても、オタクと摂食障害双方の当事者として、この文章を公開せずにはいられなかった。
【追記】
女アピールしたところで「だからなんだってんだよ」としか言いようがないけど。
「嫌なら見るな」は本来、「不愉快な表現の排除を正当化すると自身のズリネタも対象となりかねないので、自分を守るためにもお互いに干渉しないようにしましょう」という主旨のオタク同士を想定したマナーなんですよね。
騒動の発端となった引用ツイの女性(少女?)は「不快にならないよう配慮」されるべき「一般人」側なんじゃないかと思う。
かつては無条件に配慮される側であった非オタクも、「自分が気に入らないからといって他人の表現を排除する権利はありません」という意識を持つべき時代になったとは思うけど。
作品をインターネットで発表する以上、他人にそれを伝えることが前提になっているのだから「私は他人のお気持ちにも配慮しています」という建前と言うかポーズは大切だと思うし、今回炎上した人はその点が欠けているように感じた。
また、マイノリティを題材とする作品に対し、差別や偏見を助長する描写や対象への理解の浅さを突っ込まれるのは当然のことだ。
これが摂食障害でなく特定の人種や職業などを想起させる表現ならもっとそのセンシティブさが理解しやすいと思う。
他にも実際に起きた事件や災害、戦争など「浅い理解で軽率にネタにするべきでない、取り扱いに相応の注意を要する題材」はたくさんあるけど、摂食障害もそれに該当すると思う。
「受けちゃんのハピエンを引き立てるスパイス」として軽いノリで無邪気に消費することに慮りのなさを感じざるを得ないと言うか、最低限配慮してます弁えてますアピールを要すると言うか…
さらに、「対象への愛のないズリネタ扱い」がそもそも同人界隈で死ぬほど嫌われる態度だし、当該作品には摂食障害当事者の視点よりもむしろオタクの立場からの違和感が強い。
「自身の属性が性的に消費されることへの嫌悪感」についてぴんと来なくても「自分が受けポジションにされるのが嫌」と言い換えたらすんなり伝わる人多そう。
「性的客体化」はどんな形であれ対象の心情や名誉、尊厳を傷つける最低の加害行為だという自覚と罪悪感を持った上で同人活動をやろうね!
結論→“取り扱いに注意を要する題材を、対象への理解や思い入れもないくせに安易なエロネタ化・感動ポルノ化し、さらにその加害性も認識していないと思われる態度”が気に入らなかったので長文お気持ち表明をしました
本当そう思う。
性被害なんてセンシティブなことなのに大規模に被害者がジャニーズの中にたくさんいる!とか特定できそうなことをおおっぴらに言ってる時点でやばすぎ。
素人はマスコミや芸能界の事情なんてわからないんだから、こんな色々不明点が多い問題を断定して誰が加害!誰が被害!なんて言うべきじゃない(加害認定されているジャニー喜多川と事務所の黙認体質への糾弾の余地ありとは思うが)
今回みたいな大事でなくても
好きなタレントが明らかに悪いような案件ですら被害者ポジションから物事語るよな。なんなんだ。
逆境に負けないって事務所の対応が後手後手な上に感情論で逃げたからこうなってるんだろうが。
ジャニーさんが好きなのもジャニーさんが好きなタレントが好きなのもわかる。わかるからこそジャニーさんの功績を認めつつ反省するしかないと思うのだが、ジャニーさんの正の遺産を甘受し続けてる事務所はジャニーさん1人のせいにして逃げ切ろうとしているし、さらにこの問題を"ファンとタレントの絆"として乗り越える気でいるのにファンが怒らないでどうするんだよ。
そしてデビューしてる子はそのような被害に遭ってないと明言してなんになるんだよ。暗に被害者を下に見てるから言えるんだろ。
(自分は人を選んでやってたと思うのでその点は事実だとは思うが、事実だとしても今言うことじゃないだろ)
本来盾になるはずの事務所は盾にすらならず、あんたらが好きなタレントを盾にして逃げ切るつもりなんだぞ。
そもそもなんで罪もないタレントが急に社長に就任して記者会見してるんだ。
性加害はセンシティブ過ぎて信じられないとしても、
ジャニーズが同業種に対して潰すような真似をしてきたことはTVをみてたら分かるはずだし、
やむを得ない事情で退社したタレントを干していたのもわかるはずなのに、いまのタレントは努力してきて、実力でメディアに出てるっていうのは答えにすらなってない。
なんなら最近やっと緩和されてきただけなのに前からそうだったかのように振る舞っているのも調子が良すぎる。
自担が事務所を辞めるのは仕方ないけど自担が事務所を裏切るような子じゃないから…といった意見も見かけるけど、芸能事務所を辞める辞めないの話で裏切る裏切らないという観点が出てくる時点で、
ジャニーズ特有の"下駄"があることを認めてるようなものなのに、なんでそこを丸っと無視してるんだ。
好きなタレントが活躍してるのは個人の努力と実力だからじゃないんか。努力と実力は事務所辞めたら無くなるんか。
CMの契約解除も、タレントは悪くなくても責任をタレントとファンに擦り付ける企業と付き合いたくはないと思うのも企業の選択として当たり前だと思う。
そこも「利用するだけしてポイ捨てするなんて…」「もう買いません!」とCM起用側に言うのは筋が通ってなさすぎる。言うならジャニーズ事務所に言えよ。
いい加減目を覚ませ。
実話怪談とは、四谷怪談のような古典怪談ではなく現代の怪談だ。というとトイレの花子さんのような都市伝説を思い浮かべる人もいるだろう。しかし、そのような出所不明の噂話とも違う。
まず大前提として「実際に不可解な体験をした人というのは、この世の中にいるんだ」というところから始まる。そして、それら体験者から聞き取ったものを語ったり、あるいは執筆という形で記録されたものが実話怪談である。
と、基本的な説明としてはこれで十分ではあるのだが、多くの人が疑問に思うことだろう「それが実際にあった話だとする根拠は?」と。
ここははっきりと申し上げておくが「そんなものはない!」である。
ないんスよ。というのも怪談は超自然的なもの、未知のものを扱う分野だからだ。最新の科学技術や物理知識を以てして証明できてしまったなら、その時点で、もはやそれは「怪談だったもの」となってしまうからだ。
うん、わかった。
もう少し突っ込んで説明しようか。
つまり、実話怪談とは「実際にあった話だとする根拠はないが、とにかく、本当に不可解な体験をしたと主張する人がいて、その人の実在を根拠とした話」のことだ。
そんな根拠の拠り所となる体験者は、実際に語られるさいには、諸般の事情により匿名として扱われることが多い。
…はい、お察しのとおりだ。実のところ、受け手側に実話であると判断する材料はほぼない。
ここまで読まれた皆様におかれましては「せめて、なにか実話を担保するものはないのか?」とお思いかと存じます。
まあ、その、あるにはあるんですよ。お気に召すかはわかりませんが。
というわけで、以下が令和最新版だ。
実話怪談とは「実際にあった話だとする根拠はないが、とにかく、本当に不可解な体験をしたと主張する人がいて、その人の実在を根拠とした話…としたいけど、事情により身元は明かせない以上、聞き取ってきた私という実在を仮の根拠とした話」のことである。
あきれちゃった人には申し訳ないが、こういった回りくどい手順を踏むことで、かろうじて実話と呼べるものになっているのが実情だ。ゆえに実話怪談はその性質上、二重の信用が必要となる。
つまり、怪談話者(著者)は、取材において体験者が事実を話していると信用し、受け手は話者(著者)が嘘を言っていないと信用したときに、初めて実話怪談を楽しむことができるのだ。
もはや新手のカルトのように聞こえるかもしれないが、事実そうなのだ。とはいえ実話怪談愛好家がなんでもかんでも受け入れているかというと、そんなわけではない。聞いていて、あるいは読んでいて「なんかこの話うさん臭いなぁ」と思うことは多々ある。
なぜなら、それぞれが自分なりの実話怪談観を持っており、常にそれをもとにこの話者(著者)を信用するかどうかを推し測っているからだ。また、これは怪談の取材時でも吟味される事柄である。(興味があるなら『忌み地 怪談社奇聞録』あたりを読もう)
こういった部分も含めてこのジャンルの楽しみ方となっている。
個人的に言えば、実話怪談とは少額の霊感商法だと思っている。騙されたとしても、実害は、文庫本なら数百円ていど、新書なら千円か二千円ていど、映像ならタダから数千円ていど。イベントもそれくらいのものだろう。
これは受け手側としての心持ちについて論じているが、同時に話者(著者)側にある程度の倫理観を求めるということでもある。
実在する人物を扱うこともそうだし、死を扱うという点においてもそうだ。タブーをかき分けた先に真の恐怖はある。根本的に不謹慎なジャンルなのだ。
だからこそ信用される優れた話者(著者)となるためには、細心の注意を払いつつもギリギリを攻めるという綱渡りを行わなければならない。
ともかく、信用を重視する点からわかる通り、実話怪談というジャンルは意外なほど属人的な性質を孕んでいる。そしてこの属人性こそが、昨今の実話怪談ブームの一因であるように思う。
分かりやすく言うと、怪談師と呼ばれる人々が出てきたことによって盛り上がったのだ。
実話怪談の始祖を『新耳袋』とするなら、最初の媒体は書籍であり文字媒体だった。(ちなみに稲川淳二御大の語る怪談を、実話怪談の枠に当てはめるのは無理があるので割愛)
まだ怪談師という言葉はなかったが、初期のころから属人的な気質は垣間見れた。とはいえ、この時代の実話怪談はエピソード至上主義であった。
私は00年代の初期からの愛好者だが、この時代は怪談にとって冬の時代だった。それでも『新耳袋』や『「超」怖い話』がシリーズとして刊行を続けてきたことが、今日の盛り上がりの土壌となっている。
「怪談師」という言葉が出だしたのは10年代の中頃だろうか。怪談師とは怪談話者のことだ。彼らの活動範囲は音声のみならず、映像やイベントなど大きく広がっていった。
そのため必然的に話者の存在が前に出ることとなったが、属人性の強い実話怪談と非常に相性がよかった。
昨今の怪談人気は、すなわち怪談師の人気と言って差し支えない。
さて、それに加えて、去年あたりから呪物が盛り上がりを見せている。
いわゆる呪物ブームだ。
事情を知らない人からするとマンガ『呪術廻戦』人気に乗っかったものだと思われるかもしれないが、それは半分くらいは正しい。マンガの影響はでかい。
とはいえ呪物コレクターと呼ばれる存在が昨日今日で誕生したわけではない。もっと言えば、呪物と呼ばれるものは大昔からあり、怪談好きに限らず、多くの人から認知されていたはずだ。
そもそも実話怪談においては、エピソードが重要視された。実話の「話」とはお話(エピソード)のことだから当然と言える。ゆえにエピソードの乏しいものは主流から外れていく。
怪談ジャンキーには「ここの木陰に恨めしそうな女の顔があります」だけではお話として弱く感じるのだ。
「出ると有名な廃墟を探索しました。すごく雰囲気があって怖かった」だけでは怪談欲は満たされないのだ。
呪物もその性質上エピソードに乏しい。「これが丑の刻参りで有名なご神木に刺さっていた藁人形です」だけでは情報不足も甚だしく、消化不良を起こしてしまう。
とはいえ、これらは実話怪談という評価基準において物足りないというだけで、それぞれに違った魅力があり、愛好する者が一定数いる。
また、怪談師という存在が実話怪談を発表するメディアを広げたことにより、別媒体として点在していたそれらが、集約されつつある。その中でもビジュアルに優れた呪物は、具体的なイメージに乏しい実話怪談を補佐する存在とも言える。
だが、それは本質ではない。
呪物ブームの最大の理由は、呪物コレクターの所有する呪物のエピソード性の高さだ。いつの間にか呪物はお話を手にいれ、怪談そのものとなっていたのである。
むろんこれにはカラクリがある。そして、それこそが先般の木札に関連した炎上事件の原因ともなっていると考えられる。
具体的な手口は単純で大したことではない。呪物の定義を限りなく押し広げた、それだけ。
一般的な「呪い」や「呪物」といったもののイメージは「恨みを持った人間が、儀式などの間接的な方法で怨念を晴らそうとする行為=呪い」であり「その儀式で使用される道具=呪物」ではなかろうか。すなわち丑の刻参りを行うことが「呪い」であり、そこで使用された藁人形が「呪物」であると。
・呪われるわけではないが曰くのあるもの
・心霊現象に関わる物品
・念のこもったもの
これらをまとめて呪物として扱ったのだ。
呪物という語にそれらを無理やりに詰め込んだ結果、呪物のミーム化といった現象がこの界隈で起こった。これによりエピソード性は強いが呪物と呼びがたい物すらもその範疇に納めることに成功する。
どこまで意図的に行われていたかは分からないが、そういった呪物コレクターの戦略が奏功し、折よくマンガの人気と合わさったことで、呪物ブームが巻き起こったのではなかろうか。
あくまで個人的な考察ではあるが、あながち的外れでもないかと思う。
というのも、今回の炎上には特徴的な温度差が見てとれる点からも、それらを裏付けているように感じたからだ。
今回の件はジャニーズ性加害問題と似ている。すなわち、内部においては問題意識がほとんどなく、外部の人間が指摘することで初めて問題化したという点だ。
そもそも木札のエピソードは2022年の時点ですでに紹介されており、それこそ祝祭の呪物展というイベントでは2年連続で展示されていた。しかし木札について問題視する声は(自分の観測範囲内では)なかった。
私自身はイベントに足を運んではいないが、動画にてその存在を知った一人である。だが、やはりその時はまったく問題意識はなかった。
事が明るみになったさいも、初めは事情の分かっていない人が騒いでいるだけだろうくらいに思っていた。しかし実際に内容を確認するにつれ、そういった次元の出来事でないことに気付き、心地よい夢から叩き起こされたような気分となった。
この件に関しては、はやせ氏に非があることは間違いない。
問題は複数あるが、やはり東日本大震災の被災者と関連のある物品を「呪物」というくくりに入れてしまったことに尽きる。呪物コレクターとしての戦略が裏目に出た形だ。
だが、本当に非があるのははやせ氏だけだろうか。
これは出自不明と説明された木札の出所が判明し、そのエピソード自体に疑問が持たれた今だからこそ言える話などではなく、最初の発表時からあった問題だ。
しかし自分も含め誰も指摘できなかった。受け手側も麻痺していた部分があったのだ。間違っても「はやせさんがあんなに謝ってるんだから、許してあげてください」なんて言える立場にない、どころか一緒にごめんなさいしなくてはいけない立場にあると言える。
…とはいえ、頭では理解できるものの、心の奥底では引っ掛かりを感じている。
それは結局のところ、不謹慎さも含めて楽しむというスタイルが染みついているせいだろう。
自分は高潔な人間などではない。心の奥底にドロドロとした薄汚いものを秘めた、しょうもない人間でしかない。
冒頭に戻るが、今、実話怪談が盛り上がってきている。
文字媒体くらいしか発表の場がなかった時代は終わり、怪談師の活躍により発表の場は増えていった。賞レースも盛んとなり、多くの怪談師と無数のファンを生み出した。
私は腐女子ではないが、二次創作を見たりやったりしている女オタクだ。いわゆる女性向けソシャゲとか少年漫画とかの原作が何よりも好きで、二次創作は原作準拠・全年齢対象のものを嗜む程度に好んでいる。これらの二次創作は腐女子が多いため、かつては大人しめの腐女子コミュニティに属していたこともある。今は壁打ち。
ただ、性別問わずキャラを性的な目で見ることがなかったので、R18とかはキャプションが目に入っただけでそれなりのダメージだった。今も友達同士などの関係のキャラ同士がキスさせられているサムネを見かけると反射的に目を背けている(避けようとしてもpixivやtwitterから勧められる)。が、そういうのを描いている腐女子が描いたものであっても、CPなしとか公式CPのものなら普通に好きだった。
しかしtwitterのおすすめ機能で目にする機会が増えたのもあって、最近二次創作自体を怪訝な目で見ることが増えた。
その結果愚痴垢(特定作品ではなく、二次創作全般に言及しているアンチ腐女子系)を見に行くようになってしまって、それ自体は本当に最悪なのだが、まぁ結構共感できる内容も多かった。
ので、どこにモヤるのか箇条書きで分析をしてみる。
多分私は、腐女子コミュニティに属していたこともありながら全年齢公式準拠二次創作をほどほどに好む、という意味では両者の事情を知っており中立といえる立場なのではないかと思う。ただし今の私の基本的なスタンスは愚痴垢寄りである。
よって以下の内容も基本的に「どの程度正しいか」がポイントだが、私の個人的な感情や意見も入ることは明記しておきたい。ちなみに私は、腐女子以外にも百合や男女、男性向け、恋愛・性的要素なしなども含めた二次創作全般に同じスタンスでいる。もちろん自戒も含んでいる。愚痴垢やこういった投稿で腐女子が取り沙汰されるのは、単にファンが男性向け二次創作に比べて目にする機会が多く、腐女子という名前がついているからというだけのことである。
多分、二次創作を好む男オタクにもキャッチーな名前がついたら同じ現象が起きるだろう。というか男オタク全体という雑な括りですでによく燃えている。
前置きが長くなったが、本題に移る。一言でスパッと言おうと思ったが中立に近づけるためには無理だった。
→SNSの反応を公式が見ているとしても、一般ファンやファン候補も検索するので適宜検索除けをすべき。作品自体のイメージに関わる。愚痴垢ではSNSで目にしたファンの妄想が脳裏をよぎるため原作すら嫌いになってしまったという人も散見される。R18にはたとえ妄想であっても検索除け必須、鍵にもすべき。腐女子側も実際モラルがあり同人慣れしている人はセンシティブな内容にはツールを使ったりR18用の鍵垢で分けている人も多い。
そしてこれに関連した腐女子側の「棲み分けできている」という主張だが、これは完全に嘘だ。先に出したtwitterといいpixivといい、今の時代いくら検索避けやCP名明記をしたところでおすすめ機能が自動的に判定して勧めてくる。鍵垢以外意味がない。ちなみに「嫌なら見るな」「自衛しろ」なども内輪以外には通じないことを、腐女子に限らず全ての二次創作者は肝に銘じておかなければならない。一度目に入った時点でゾーニングなんてできていないことが明らかなのでアウトだ。
→由来を考えれば愚痴垢が正しい(腐女子側からもこの主張は多い)。しかし百合や男女など他のキャラ改変二次創作にも使うのが主流とはならないし、一次創作BLのファンも腐女子を自称するなど浸透していないのが現状である。また、腐女子にも色々なタイプがおり、昔は「公式ではBLじゃない(から二次BLは妄想)」タイプが多かったからこその由来だろうが、少なくとも今はそれよりも本気で公式がBLだと思い込んでいる腐女子が多い(これは次の項目にも絡む)。これは原義通りだと説明がつかない。
そして「腐向け」の略なのはわかるが、二次創作物そのものを「腐」と呼ぶのでは差別的だと言われても仕方がない。BL妄想ツイで「腐ってるAとB(※キャラ名)」という言い方も見た。そのキャラが同性愛者だと「腐る」のか? キャラを崩壊させたのはお前であって性指向じゃない。
たとえば百合の場合は「百合豚」「百合厨」など(こちらは自称より他称の方が多く由来も異なりそうだが)と表現の対象ではなくファンのほうを下げているので、これに準拠して初めてクリアできるのでは。
そもそも創作物である以上、作者が異性愛者以外を認識している人なのかどうか考えてみた方がいい。たとえば昭和生まれの少年漫画に異性愛者以外が登場する可能性はかなり低いだろう。逆に平成後期〜令和生まれの女性向けソシャゲは、ターゲット層はもちろんライターにBL作品の執筆経験がある場合などを考えると、ビジネス的に(腐女子がCPで争ったり夢女子を呼び込めなかったりするので)明記しないだけでBL的意図があるかもしれない。
それにジャンルや時代は異なるが『少女革命ウテナ』のように「同性愛を描こうとしていたが時代などの都合で友情にカモフラージュせざるを得なかった」パターンもあるわけだ。これ自体はtwitterで見ただけなので単なる噂かもしれないが、さっきの昭和少年漫画にもこの可能性はゼロとは言いきれない。この場合は同性愛描写を見出そうという試みも作品読解に役立つかもしれない。
ただし「読解」であって「誤読」「曲解」ではいけないし、原作者が明言しない限りは憶測に過ぎない。
そして逆にキャラを被創造物でなく一人の人間として考えれば、キャラが性的少数者だと考えること自体は作品背景なくまったく問題ないだろう。
でもなぜ同性・両性愛者(ゲイやバイ)に限定するのか。非性愛者(アロマ・アセク)などの可能性は考えないのか。そして公式で明確に恋愛だとわかる描写があったり結婚していたりする異性の相手がいるキャラでBL二次創作をするのはなぜか。そもそもなぜ恋愛や性愛の表現に固執するのか。
あとこの手の主張をする腐女子にはR18を好んで見るのにアセクシャルを自称する人がいるが、それはアセクシャルじゃなくそういうものにしか興奮できないだけ(スコプトラグニアという名前があるらしい)ではないのか。(ただし性指向を自認100とするならアセクを名乗ること自体は別にいいとは思います。この辺は話が別なので割愛)
それに倫理の面から正当化したいならまず他人の著作物を無断で利用どころか私物化していることを自覚してからにすべきだ。読む時は好きに読めばいいが、二次創作したり感想を言ったりするときは原作者や他のファンがいることを忘れてはいけない。
そして後者。「ホモ」は腐女子憎さからあえて使っているのかもしれないが、現在差別語扱いなので正当に腐女子を批判にしたいなら見直した方がいい。「勝手に」というのもそもそも原作者がゲイやバイとして描いているキャラの場合もあるので二次創作が勝手に……とは限らない。言うなら「勝手に恋愛にするな」とかが妥当では(実際愚痴垢でもこっちが主流という感じはする)。
噛み砕けば、どちらに関しても「奴らに付け入る隙を与えるな!!」である。
余談だが、以前キャラの一人をアセクシャルと捉えた上でソフトめなBLを描きワンクッションを置いている二次創作も見かけた。こういうやり方なら好感が持てる。キャラの組み合わせがそこまで好きじゃなかったから私には刺さらなかったけど。
→50:50。
まず前者、これを言う資格があるのは、二次創作に一切金銭を使わない……までいかなくとも、少なくとも「公式のために使う金(中古除く)>>同人誌同人グッズの印刷費制作費および購入費・即売会参加費など公式に行かない諸費用」と胸を張って言える人だけだ。言えるか?
あと二次同人で利益を出さないのとか女オタク界隈では大前提で暗黙の了解で利益が見えたらその瞬間総バッシングだが、でも実際は出てるんだろう。skebで許可されてない作品の二次創作で集金する人もいるし男性向けだとFANBOXでR18二次創作載せてる人多いし。その利益もちゃんと全額公式に還元してるのか? してるなら確かに公式の利益になるだろう。著作権的にも倫理的にも真っ黒だけどね。
あとは今もう削除されてるけど、はてブロの呪●●戦のやつ。あれは極端な人だし腐女子による悪意で書かれてる説もあるようだが、事実とすれば二次創作から原作に入った実例だ。購入せずに読んでいるし二次創作どころか原作を読むのも辞めているし最終的にやっぱり買ってない。とてもじゃないがこれで「二次創作が原作の利益につながる」とは言えない。あのブログが事実だとすれば、最初の時点で原作準拠の二次創作が主流だったなら読むのをやめる事態にはなっていなかっただろう。そもそも最初から読んでいなかったのかもしれないが、それならそれでいい。創作物にはイメージが重要なのだから。
後者はなんとも言えない。前述の公式費用>二次創作費用の人が大半かもしれない。二次創作をするために公式の資料集やインタビューの載った雑誌などを買ったり、二次創作で高じた原作愛を発散するために公式のグッズなどを買ったりする人がいるかもしれない。ただの希望的観測だけど……。でも二次創作でモチベが上がる原作者はおそらく多数派だろう。その二次創作の質にもよるが。
それにしても誰かここを具体的な数字にして調査してくれないものだろうか。「二次創作は本当に公式の利益につながるのか」とか、もうあるのかな。コミケの話はあるけどそうじゃなく二次創作と公式について……私はそんなに興味ないし……経済分野のえらい人~~(丸投げ)
(上の話題で検索したら腐女子ではないけどこんなもの(https://ichi-up.net/2016/059)が出てきた、愛すらないエロ二次創作で稼ぎまくって自分の仕事の踏み台にしてるってことだよな? 匿名確信犯。とんでもねえな)
→申し訳ないがこれに関しては愚痴垢100。二次創作は自由ではない。著作権的な問題はもちろんだが、公式の許可によりそれをクリアしていてもガイドラインがある。ガイドラインにほぼ必ず書かれている「非営利のファンアート」「公序良俗に反しない範囲」取り締まらない以上企業側の建前でしかないが、二次創作者たちは言われている以上守らなければ罰されても仕方がない。果たしてこれをR18同人誌が守れていると言えるのか。
また、仮に自由であるとしても、自由には責任が伴うと聞いたり考えたりしたことはあるのか? 二次創作は作品イメージという名の責任が原作者にも影響する。先に挙げたはてブロの例のように、原作と大きくイメージの異なる二次創作が跋扈すると原作にもそのイメージがつく。はてブロの例は二次創作を先に読んでいたが、これは原作を読むタイミングには関係ない。二次創作が原因で原作者が筆を折った場合、その責任は二次創作にある。いずれもあまり起きえない事例だとしても、本質はそういうことではないのか。
それから、ちょっと長くなるがこれは根本的な話題すぎて私個人の感情からも色々言いたい。
まず二次創作は借り物に過ぎない。たとえば図書館から本を借りるとして、借りた本から引用して論文を書いたり、コピーしたり、そこまでいかなくとも読んで学んだり自分の考えの参考にしたりするだろう(こっちは合法だから二次創作とはちょっと違うけど公共物なのは同じだし気持ち的に)。でも借り物を汚していいわけがあるか。図書館から借りた本に落書きしたり体液とかウンコとかつけたりして返すのか?いや本人はいいものだと思ってるからお菓子の食べかすで例えたほうがいいかもしれない。逆に借りた本に生ゴミと化した他人の食べかすとか体液とかウンコとかついてたらいい気分しないだろ。ましてや大切な人からのプレゼントとかに他人からそういうことされたらどう思う?なあ。せめて汚すのはやめてくれよ。男でも女でも何だとしても思い出のある、あるいは自分の人生の指標にするような好きなキャラがオタクの性欲で汚されてるのが目に入るの、本当につらいんだよ……知らなければ存在しないのと同じだったのに……
まぁこのズレた例え話はともかく、二次創作は借り物だから自由ではない。
あと本題とはあまり関係ないが、愚痴垢も腐女子もはたから見ていてエコーチェンバーが酷いからネットと距離を置いた方がいい。私自身このように中立っぽく振る舞おうとする程度には自分の考えを確立しているつもりだが、愚痴垢を見ているだけでかなり影響されている実感があるし、愚痴垢を見る頻度が日に日に増しているのには危機感もある。多分腐女子が検索避けをしなくなったり公式より二次創作に重点を置くようになったりするのもエコーチェンバーの一つだろう。
被害者にも加害者にもならないために、やるならフォロー0の壁打ち(鍵は適宜)で検索せず自分と原作に向き合うのが個人的にはおすすめ。
以上、意外と項目数が少ないがネタ切れ。というか愚痴垢に対するモヤモヤが腐女子へのモヤモヤに比べて少なすぎた。
また何か思いつけば追記するが、とりあえずこの辺にしておく。
※この投稿は愚痴垢と腐女子どちらが正当なのか決めたり彼らに何らかの行動を強制したりするためのものではありません。私も自分が絶対的に正しいなどとは思っていません。
なぜ政府は日本が軍の創設と運用が不可能であることを国民に説明しないのか
どうやっても軍には出来ないんだから
軍に最低限必要なのが軍法と軍事裁判制度なんだが、日本はこれが作れない。
どの法で裁くんだ?
現地の警察が万引き自衛官を捕まえて相手国の裁判所で裁判するんか?
アリエナイよね
この線引と分離をするために軍法がある
じゃぁ作ればいいじゃないか
ここに国外で戦争行為を行えないと規定されており日本は国連に加盟し、国連憲章を批准している
国外で軍事行動が取れない国が国外の軍事行動における国外犯を処罰する法律、論理破綻してる、無理
自衛隊の地位を明確にするために憲法上の立ち位置、文言を修正したいってのはわかるが、意味がない
国連憲章を改正してもらわないと領土外で活動できないことには変わりがないんだから
先日「実写映画 トランスフォーマー」シリーズの新作、「トランスフォーマー ビーストの覚醒」が放映された。
この作品は現在も放映中で、自分もこの作品を見て楽しいと感じることもあったし、映像技術が最初期の実写映画からは格段に進歩していると感じられ、作品としては好きだと思った。
トランスフォーマーを同人活動のメインジャンルとして活動するべきではない。
既に公式アカウントをチェックされている方はもうご存知かもしれないが、出処不明のリーク動画を平然と引用リポストで公式情報として紹介したり、ファンアートどころかネタバレ、二次創作的意味合いを含むイラストをリポストしたことでファン側から注意喚起がなされる事態にもなった。
まずシリーズ作品をニコニコ動画や海外の動画サイトで違法視聴する一部のファンがいる他、数年前にIDWパブリッシングで連載されていたコミックスのコマをtumblrなどから拾い画として投稿したり、その切り抜いたコマの画像をコラージュしてイラストを付け加えたりなどする投稿も多い。
また、センシティブな画像を鍵やワンクッションなしで投稿したり、挙句の果てに公式作家では無いのにskebなどのコミッションでトランスフォーマーのキャラクターを描き金銭を得ている人もいる。
更に多いのがリークや連載中のコミックスの進捗画像などの流出だ。
ネット上の問題だけではなくリアルで行われているイベントでも問題が起こっており、コラボカフェでトラブルを起こしている人間や、同人イベント活動でもひとつのサークルに居座って帰らず、アフターまで着いてくるような人間も複数見かける。
また、ファン同士の横の繋がりが広いため、解釈や絵柄で陰口を叩かれる人も居り、ライト層が入ってきた場合高確率でトラブルに巻き込まれたり、怖い思いをする可能性があるのだ。
と思わせる奴多すぎ。
まずここからわかっていない奴が多いよね。
自分や同じ価値観を持つ人が嫌いなものだからといって、別の人は好きだったりするし、それだけを根拠にしてたら価値観の押し付け合いにしかならんのよ。
あと好悪と美醜すら別もの。醜いものがさほど気にならない人や好きな人すらいる。
価値観の多様性をもう少し実感すべき。主張はもっと普遍的にバランスをとってすべき。
不正解例1「水着のグラビアや絵って(目にするのがなんか嫌なのに)なんで街中にあふれているの。なくすべき」
正解例1「水着自体がダメという社会的合意はないけど、過剰な性表現が街中にあふれると心地よく感じない人は増えると思うので、場所と程度について互いに配慮するのが望ましいと思う。具体的には~というのはどうだろうか」
不正解例2「いかにもモテない童貞みたいな見た目をしてた奴がこれを言ってて、色々察したわ」
正解例2「この意見の○○という部分は、実際の女性の価値観とはあまり一致していないように思われ、少なからず的外れではないか」
生殖行為って性欲が前提でしょ。性欲が無くて性交渉すべてが嫌いな人が多数派だったら、とっくに人類滅びているよ。
そうである以上、そもそも「性自体が悪」なんていう社会合意はないのよ。
あるのは、「性的な要素は(強い力を持つので)TPOをわきまえて」というもの。
「みんなが迷惑」ではなくて「自分のような少数派にも配慮を」という文脈でないと、「いや、俺たちは迷惑していないが?」にしかならんよ。
あと、何にエロを感じるかは人次第で、性的な要素は人体のどの要素にでも見出しうる。
たとえば一部の女性は男性の指に性的興奮を覚えるわけだけど、じゃあ、「男性は全員手袋しているべき」となるか?
そんなことやっていられないでしょ?別に厳格なイスラム圏の女性が強いられている状況がいいとも思わないでしょ?
不正解例1「未成年には性的なものは一切触れさせるべきでない」
正解例1「映画等ではR18という線引きがあるように、それ以外の分野でも、未成年が意図せず直接的な性表現に触れかねない形での表現を避ける手法を開発すると良いのではないか」
【補足】多くの中学生男子は性的なものがかなり好きなので(むしろ一番そういう時期じゃない?)、「社会の建前としては禁止」「本人が自ら探す分には黙認」くらいの温度感が良いと思う。
不正解例2「エロ絵を垂れ流しているツイッター垢しね。凍結されろ」
正解例2「子どもの頃痴漢被害を受けたことのある身としては、幼児性愛的な表現を目にするとかなり動揺するので、センシティブ設定をするとかサムネを穏当にするとかしてくれないとつらい」
これはもう散々言われていること。
アズレンの社長とか、佃煮のりおとか、クリムゾンとか、いちいち具体例を挙げるまでもなく、もはや常識。
この辺は下の「4.アニメ(絵)の普遍化」とも関係しているのだろう。
ともかく、「男性不信・嫌悪」由来の「性嫌悪」が根底にあるのか、そういった女性の存在を無視して「(名誉)男性の問題」としていわゆる「男叩き」をする人がいるけど、頓珍漢。
あと、女性が男性のことを性的に表現・消費することだって、全然禁止されていないでしょ?
不正解例「こんな男性の欲望を垂れ流しした表現なんて見るも不快。なんでこんなのが許されているんだろう」
正解例「架空とはいえ女性が多数から性的目線に晒されている表現は、少し自分ごとのようにとらえられて苦手。自分のような人間がこういった表現を目にしなくてすむよう、うまく棲み分ける方法とかないのかな」
これも既に結構あちこちで言われているし説明不要の真実だと思うんだけど、未だに実感として理解していない人が散見される。
今のカラオケランキングとか見てみたことある?普通にアニメ主題歌が入っているでしょ。
あと、声優とか普通にテレビに出てるでしょ。MXに限らずアニメを流すチャンネルめっちゃ増えているよね?
ニコ動出身のクリエーターが出てきたり、2ch用語(ンゴなど)が時を経て女子高生の流行語になっているよね。
アニメ・ネット文化が広く大衆に受け入れられるようになっているからだと思わない?
ツイッターとかで、自分より若い世代もちゃんとフォローした方がいいよ。
そうしないと、本当に「昔のイメージで今を語るズレた老害」になるよ。
不正解例「アイドルにストーカーとか、どうせまたキモイアニオタが勘違いして犯罪行為に走ったんだろ」
正解例「会いにいけるアイドル路線が増えているとはいえ、やっぱりガチ恋勢であってもわきまえないといけない一線ってあるよね」
【補足】そもそも「オタク」はポジティブに使われ出しているので、こういう文脈で「オタ」という言葉を使うこと自体が頓珍漢。
そもそも、単なる憂さ晴らし・ストレス解消・ネガティブな感情の吐露をしたければ、もっと閉じられた場(友人・家族との会話、飲み会、鍵垢など)でするべきなのよ。
そういったことを動機にした発言ってかなり攻撃性を帯びるし、場合によっては的外れだったり、論理的にも倫理的にも正しくなかったりする。
そういったものをソーシャルな場で発すると、広くいろんな人を傷つけるし、反発も生むってことをもう少し自覚したらどうなのか。
まあ、たとえば、増田はギリギリ個人的な日記ということであるのかもしれないけど、ブコメでそういうことするのは本当にどうかと思うよ。
議論を成立させるために大事なのは、多数が賛成できる前提や事実として間違いないことから議論を始めること、可能なかぎり普遍的に共感できる内容とすることだよ。「ここまでならわかりあえそうだ」というところを探るの。
あるいは、普遍的な内容に変換するだけの表現力がないだけなのかもしれないけど、残念ながら、みんな見ず知らずの他人の発言を「善解」するほど暇じゃないから、表現力が低い人の発言の価値はどうしたって低いよ。
「ネガティブな感情の吐露等について、ブコメはダメで増田はいいというのがわからない」については、
はてなブックマークは「ソーシャルブックマークサービス」であり、意見を共有したり、参照したりすることが予定されているものだと思うよ。
一方、増田は、まあ、一応、「日記」だし、広がらずに埋もれている独り言のようなものが大多数だから、大抵の場合はギリセーフなんじゃない?バスっちゃたら、そうも言っていられないが。
なぜクローズな場でするべきか、という点は既に書いたから反復しない。
「社会に物申したいなら」という前提での話をしているので、「社会に物申すつもりはない」場合はまた別の議論になる、
ともあれ、「まあ、それもそうか」と思う批判も結構あって、勉強になりました。
アンチフェミニスト(←この呼称本当はあんまり好きじゃない。なんか別のいい言葉はないものかね)向け版はないのか、って声があったので、誰か作ってくれるのかなと思ったけど、今のところないな。
僕は結構気力を使って疲れたし、他にやることもあるので、誰かがやってくれることを祈っている。
役に立つかはしらんが、参考までに僕が考えた項目立てを以下に列挙する。
1.女性は男性よりずっと(性)被害を受けやすいし、受けている人も多い。
2.過酷な被害を受けた人は、別の種類の苦しみまでは考え・実感が及んでいない場合がある。
3.性知識含め、全く違う世界観でものを見ている人もいるので、ある程度、「前提の共有」から始めないといけないことがある。
(これくらいわかるだろう、というのは、相手によっては通じない)
4.(性)被害を受けた人に向けた言葉となる可能性が充分あるということを意識し、表現・内容に注意する。
5.男性の多くは、「女性を虐めるのが楽しい」という本能があるので、その欲求の充足のために個人や集団を攻撃してないか、自戒しないと危険。
最近ファンレ界隈が騒がしいらしいのでファンレ書くの大好きオタクがいつもファンレ書くとき気をつけていることを列挙しようと思う。
ファンレは作者のファンサなのでみんな勘違いせず楽しくウキウキファンレター書こうな!
いち
ファンレターってなによ?ってこれに尽きるよね。
そもそもファンレターってこっちが出したくて出してるものなので「書いてあげなきゃ!」とか思うくらいなら書かなくていいと思ってるまである。
だってファンレターって紙ならかさばるし量あったら読むのに時間も体力も使うし作者は絶対読まなきゃいけないものでもないんだよ。でも喜んで読んでくれるんだよ。好きなもの作ってくれる人に作ってくれてありがとうって伝えられて、それを喜んでこちらこそありがとうとか言ってくれるんだよ?ファンサだろ。
「ファンレターくれって言ってるじゃん」と思う人もいるんだろうか。まぁ大事なのは間違いないと思うよファンレのあるなしで人気具合が決まるとかあるみたいな話も聞くし。
でも正直書籍とか歌なら販売数のが重要じゃねとも思わんか。どんなに熱烈なファンレ届いたとしても一冊しか売れてなかったら打ち切りでしょ。
「書いてあげなきゃ」思考で書くと絶対に自己顕示欲が滲むと言うか、「このファンレターで作者に爪痕残してやろう」みたいな気持ちが入っちゃうんだよね。それいらないから。作者は作品の感想が聞きたいのであってファンレ執筆者の自己顕示欲には用がないから。中古で買いましたとか図書館で読みましたとかのこと書いちゃう例のアレも自己顕示欲の発露だよ。作者の精神に影響を与えようとするな。心に残ろうとするな。大体本が売れた売れなかったは作者の収入につながる超センシティブな話題なんだから気安く触れるもんでもねえ。
本当にめちゃめちゃ好きで堪らなくて言わないと爆発するという気持ちを込めるのがファンレターやぞ。
に
「結局引用が1番最強」
本なら「2巻の◯ページの☓☓ってセリフが刺さりました」音楽なら「△△って歌詞が心に響きました」「Aメロの頭のギターテク最強すぎて震えました」絵なら「髪の先の線のしゅぱって感じがめっちゃ好きです」などなど、引用ってめっちゃ簡単に好きなところをダイレクトに伝えられてとても良いです。
めちゃめちゃ好きなのは本当でファンレターも出したいけど何を書いて良いのかわからないし語彙力もないって悩む人いるじゃん。引用が最強やぞ。
読書感想文では引用を差し控えろって言われがちだけどファンレターにおいては作者側も読者にはここが刺さるんだな〜って分かって嬉しいんじゃないかな。どこがどう好きってのを言えたらより良いファンレになると思うけど言えなくても引用してあれば少なくとも好きって言ってもらえる場所はわかるし。とにかく好きです!だけより伝わりやすい。語彙は正直なくて良い。と思ってる。文章のプロじゃないんだから語彙力なんかあるわけねぇだろ。あったら良いかもだけど「あなたの作品は梅雨の朝の貴重な晴れ間に水の冷たさを残した空気を吸い込むときのような気持ちになります」とか書かれても嬉しいけど具体的にどんな気持ちで……?ってなりかねん。平易な言葉ってのは伝わりやすいという利点がある。「好きです!」は「好きです!」以上の意味にならないからダイレクトに好きが伝わるぞい。
さん
「赤の他人に書いてるってことを忘れない」
作者って友達じゃないんだよね。いや同人とかで友達の作者にファンレ送ることもあるかもだけど(その場合は友達に許される距離感で好きにしてくれ)商業販売されてる作品とか舞台に立ってる役者とかYouTuberとか画家とかバンドとかまぁなんか色々あると思うけど大体は会ったこともない人だったり顔も知らなかったりすることのが多いわけじゃん。
「身内ヅラ」「タメ口」「アドバイス」が書き始めにハマりやすい三大危険思想だと思います。
身内ヅラってのは例えば好きな俳優さんとかアイドルとかバンドマンに「☓☓のママとしては〜」とか「お兄ちゃんは心配です」みたいなこと言っちゃったりするやつ。普通にこわい。誰だお前!みたいな奴から突然身内ヅラのファンレ届いたら引くだろ。後方腕組彼氏面はやってるだけならおもろいけど彼氏面で話しかけたら不審者やぞ。過度なイジりとかも控えよう。過度っていうかイジるな。そういうキャラだったとしてもイジらないほうが絶対平和。
笑ってくれる神のような御心の持ち主も稀にいるかもだけど何度もいうがファンレはファンサなので推しに1グラムの心理的重りも乗せないように気をつけようね。君から送られるのが1グラムだとしてもそれが何百何万の数になったら推しは潰れちゃうよ。
タメ口についてはこれ言う必要あるか?初対面でタメ口は相当思想強いぞ。敬語っていうのはあなたを他者として尊重する意思がありますという1番分かりやすい表現だから悪いこと言わないから使っとけ。あの人はノリ軽いしそんなん負担にならないもん!と思ったとしても使っとけ。推しが「敬語のファンレ受け取らねえから」って言ってたら使うな。そんぐらいのレベルの話です。
アドバイス。これが1番良くない。「△△の書き方はもっと♡♡にした方が良くなると思いました」「□□のときの言い方はもっと優しくしたほうが良いと思います」みたいなやつ。
良いか!!!アドバイスを!!!!するな!!!!アドバイス全部うるせえ!!!!!!!同業者でもしねえ!!!!!素人は黙っとれ!!!!!!!!!!
えー、アドバイスについて恨みがあるのでうるさくなりますが推しにアドバイス送って良いことはひとつもありません。アドバイスというのは無用なものです。そんなもん書くくらいならおすすめのラーメンのトッピング書くほうがよっぽどマシです。世に出ている作品は商業だろうが同人だろうが人の手と目を通って世に出ています。自分が読んですぐ思いつくようなこと作者も周りも一回は口に出してます。それを捨てて出来たのが作品です。どうしても気になる、ここの展開は絶対この方が良い!と思うなら自分で創作しようね。
誤字脱字報告とかも作者さんが「してね」って言ってないならファンレには書かないでください。十中八九萎えます。配信者の言動とかもそうだぞ。「もっとこうしたら〜」みたいなのは他人に言うことじゃないです。推しがアドバイスが欲しいと思うときは周囲の適切な人に相談しています。お前には聞いてねえです。夜露死苦。
よん
「じゃあ何書けば良いんだよの話する」
・好きなシーンの引用
・書けるならそれをより具体的に何故好きか
・もらった喜びや感動など
を書くのが1番分かりやすいです。
引用はさっき言ったやつ。具体的に何故好きかって言うのは、じゃあそのシーンを好きな理由ですね。
みんなカチカチ山って知ってる?知ってる前提で話すね。カチカチ山を例にしてファンレ文を2個作ったので読んでみて欲しいんだけど
例1
・兎がおじいさんのためにめちゃめちゃ頑張っててえらいと思いました。
↓
例2
・兎がおじいさんのために、憎いたぬきに友人のように話しかけたり、辛子味噌や泥舟の製作など一切手を抜かず復讐への手間を惜しまない姿勢に感動しました。
例2のがわかりやすくね?
これが具体的に書くの話ね。でも前者が悪いわけでは全くない。例1の方がパッション伝わることもあるので、例2の方がより良いわけでもないんだけど、具体的なシーンの伝わりやすさは2の方だと思うんだよね。
他にも作った。これはさらに何故好きなのかの説明を深堀りした例ね。
例3
・復讐劇としての完成度の高さと、主人公であるうさぎとたぬきのキャラが対照的で良かったです。
↓
例4
・おばあさんの慈悲の心を踏みにじった非道な行い、それを反省もせず人の誠意を足蹴にするたぬきの圧倒的な残虐性が、その後のうさぎの強い復讐心に対する説得力に繋がっていて作品の構成力に感動しました。たぬきの刹那主義・快楽主義な性格と、恩を重んじて誠意を大切にするうさぎの性格とが、対照的な二人のキャラクターを引き立てあっていて、ストーリーに深みを感じます。
めっちゃ書くこと多くなった。何を書いたら良いか?ってつまりこれを書くとめちゃめちゃ伝わりやすいよね。
これはカチカチ山ベースで書いたからこうだけど音楽でも配信でも演劇でも漫画でも同じことができます。
この書き方は「何故」を主軸にすることが多いです。
何故このストーリー展開なのか。何故このキャラはこんな動きをしたのか。何故私はこのシーンがこんなに好きなのか。そこを掘り下げると作者に伝えたい大好きなポイントや、それを具体的にどうやって自分が感じ取ったのかの言語化が出来るようになります。
でもめっちゃ練習がいるのと、私は声に出して「何故こうなんだろう」「どうしてこう書いたんだろう」と疑問文口に出してた。あと感想文上手い人の文章めちゃめちゃ読んだ。論文とかも読んだし書いた。そこまでやる必要はないと思うので、そんな手法もあるんだな〜くらいに見といてもらえると良いと思いました。
もらった喜びや感動についてはもう言葉のまま。
あなたのおかげで辛かった日も乗り越えられました。
そういうことを素直にそのまま書く。これが作者にとって嬉しいことなのかは正直わからん。拙者ファンレ書くの大好きオタクなだけでファンレもらうことねーもん。でもファンレを送るのってこれを言うためだよねって気もしている。
あなたのおかげでこんなに私は幸せですって伝えるものがファンレターなんじゃないでしょうか。技術のこととか書くなよ!ってこととかの話もしたけど、これが書いてあればファンレターはそれで良いんじゃないかな。
■ツイフェミになった友人をCOした
不倫やレイプなど、現実として許してはいけないものへの批判だけなら何も思わなかったかもしれない。
水商売で働く女達は、全て一般女性にとって害をなす存在という暴論
アニメーターは「ここのシーンもっとエッチにしましょうww」とか気持ち悪い会話をしながら作品を作っている等の気味の悪い妄想の垂れ流し。
つい最近、女性韓国人DJが日本でのイベントの最中に胸を触られたと告白し反響を呼んだ。もちろん、例に漏れず友人もそれについて意見を述べていた。
「好きな格好をさせろ。エロい格好をしたからといって触って良い訳では無い」「日本人はクソ男しかいない」「日本の恥」「性犯罪大国」
「エロい格好はしたいけれど、性的な目で見ないでなんて無理がある」「TPOを考えた格好をしないのは悪」「胸やヒップを強調する格好をする女がいる事で女は、触っても良いという認識になるからちゃんとした服を着ろ」
矛盾しかないのである。そこを他人に指摘されると「世の中は、女性が生きやすくなるために声を上げる私たちの事を「ツイフェミ」と批判する」と。
そもそも、彼女たちの思考は本来のフェミニズムから大きく外れている。
「性被害」という強い言葉を武器に、気に入らないものへ文句を付ける事は「健全なフェミニズム運動」とは言えない。
話が少し逸れたような気がするので戻す。
友人は、ある時こう主張していた。
「女は男の事を性的な目では見ないが、男はいつだって女のことをジロジロと性的な目で舐めまわすように見る」
「DVやレイプ事件を起こすのは、いつだって男。日本が海外より性犯罪が少なく見えるのは訴えられない女が多いのも関係している」
人によっては、一見正しいことを言ってるように見えるかもしれない。
例えば女性向け某雑誌のSEX特集では、創刊される号によっては引き締まった肉体を官能的に表現している男性アイドルや俳優、時には男前ランキング上位の男性芸人のグラビアが堂々と掲載されたいる。また、女性向け某雑誌の表紙に半裸の男性芸能人のショットが起用される事もある。
ここまで言うと、彼女達は「それは、そういう雑誌だから。TPOを弁えている」と言うのかもしれない。では、視点を変えてみる。例えば健全な子ども向けアニメをBLカップリングすることはどうだろう。少なくとも、そのキャラクターに「同性愛者」「セックスの時はこうなる」という気持ち悪い人格を押し付けて二次創作をする人もいるだろう。海やプールで格好が良く肉体の引き締まった男がいたら逆ナンする女だってたくさんいる。すれ違った男を見て「抱かれるならどっち」「右の男性は鼻が大きかったからアソコも大きそう」なんて会話をする女だってたくさんいる。
貴方の周りがそうなだけでは?
いいえ、私の周りだけでなく、そういう女性は事実としてたくさんいる。
あなたの周りが過剰に男性だけを汚らわしいものとして扱いすぎなのだ。女性だって同等に汚らわしい一面を持ち合わせている。
「被害者が犯罪を受けた過去を言えない環境が悪い」「海外より日本は性被害が少ないから我慢しろと言うのか」と。
そもそも、そんなセンシティブな内容を赤裸々に赤の他人に語れるのか。自分の初体験を隣に座っている見ず知らずの人に事細かに説明しろと言われて嬉々として出来る人間は少数派であるのと同じように他人に気軽にカミングアウト出来るものでは無いのだ。
また、これは一部私の体験だが「過去に性被害を受けたことがある」という誰かの勇気あるカミングアウトを彼女達が自分らの主張を通すための材料として使う事があるのだ。自分の過去が一瞬でSNSにより広められる。また、時には「過去に性被害を受けたとか言う女が女の1番の敵!そんなこと普通は簡単に他人に言えないはず!!」といった「なんだお前そろそろビンタするぞ」という意見を述べてくれる。
また、こんな例もある。
「妻からDVを受ける旦那」や「女性からレイプされた男性」もいる。なので「性犯罪」というのは必ず「女性だけが被害者」とは限らないと伝えたとしよう。するとどうだろう。「女性よりは被害数が少ない」「それでも男性が犯罪者側である時の方が多い」「そういうプレイでしょ」「男は女と違って傷の深さが違う。」
見てわかる通り、被害者が言い出しにくい環境を作っているのは彼女達もかなりの割合で影響しているのだ。
また話が逸れたような気がする。
「スカートが短い」「へそチラしている」「これは小児性加害」「エロゲ界隈に帰れ」
なぜ、魔女の宅急便のキキやサザエさんのワカメが許されてパンツの見えない彼女達が批判されるのだろうか。
税金でやる事じゃないと言うのかもしれないが、子どもたちが見る時間帯にパンツを出している女児が描写されるアニメには文句をつけないのだ。
X(旧Twitter)に女性向けR-18ゲームの広告が載っていたり駅の広告に起用されても、それらが炎上したことは、少なくとも私は1度も見ていない。
セーラームーンや東京ミュウミュウだって、彼女達の言葉を借りれば、漫画家やアニメーターがパンチラや谷間見せつけに力を入れている気持ち悪い作品の1つである。
宇崎ちゃんの献血ポスターが炎上したが、あれが東京ミュウミュウやセーラームーンだったら、あんなに物議を醸さなかったであろう事は、多くの人が予想出来ている。
結局は「自分が気に入らない物を似たような意見を集めてそれが民衆の答えとする」彼女の棚上げ精神に、ほとほと愛想が尽きてしまった。ただそれだけの事だ。
なぜ、ここまで脱線をしながら長々と書いたのか。
https://twitter.com/shihohomachi/status/1693036622063997388
なんで乳袋とかスカート股間張り付き絵には「ただの絵じゃん!」みてーなことばっかり言うのにセクシーな格好してるだけの女性に「性を売ってる」みたいな拡大解釈するんだろな。現実の女に対する憎悪すごない?
「ゲイ男性の持つミソジニー」のように、「フィクトセクシュアル・フィクトジェンダー男性の持つミソジニー」というものについても、シスヘテロ対人性愛者男性の持つミソジニーとは異なる独自の構造と課題について語る必要性というのは間違いなくあるんだけど、そんなセンシティブな議論をセクシュアルマイノリティに対する差別にならないよう丁寧にやれる程には社会が醸成していないことを嘆くしかないんじゃないかな。
仮にこれがコラージュだとしても、コラージュそのものの批評性というものがあるわけで。
俺はこういう、元ネタを侮辱する「アート」とやらは好きじゃないが、あんまり安易に著作権を振りかざすべきでないよと、一人の「表現の自由戦士」としては思うかな。
一般論として言えばi2iが法的にセンシティブなのは間違いないし、「絵柄が違うじゃん」は言い訳にならないだろうけど、そう単純な話にすべきではないと思う。
2023年の新日本プロレス「G1クライマックス」は内藤哲也の勝利で幕を閉じた。ファンの方は嬉しかったことだろう。
しかし、今回のG1は確実にある男が話題の中心に居続けたのは疑いようのない事実だ。
その名は清宮海斗。プロレスリングノアの若きエースといわれる男である。
今年1/21のオカダへの「蹴撃」から始まった清宮の行動は他団体のシングルリーグ戦出場へとつながって、リング内外で想定外の渦を巻き起こした。それが何を示しているのか。
まず、今回のG1への清宮参戦はどちらの希望だったろうか。これに関して私は新日本側の要請とみている。ここでの参戦が大きな話題になることは自明であり、チケット売上や専用アプリへの登録数を
増やせるいい機会である。ここで新日本側から感じるのは自団体の試合内容やレスラーへの自信だ。きっかけさえあればある程度以上の他団体ファンのとりこみが容易だと判断したのだろうと思う。
ノア側からみても清宮には良い経験になるし、知名度に劣り、参戦発表段階では新日本ファンからは諸手を挙げて歓迎されているわけでもない彼への「誤解」を解くいいタイミングでもある。
加えて若いとはいえ団体最高王座に2度(一度目は最年少記録での戴冠)就いた選手である。無碍な扱いをしないような話はあったろうし、そうでなければ送り出すようなこともないはずである。
しかし、ここから(おそらくどちらの団体からしても)想定外の事態が起こりまくった。
まず、新日本での発表時にファンから想像以上の歓迎を受けたことだ。おそらく新日本的にはブーイング半分の状況を想定していたのだと思う。それが想像以上の歓声とともに受け入れられたのだ。
次に新日サイドが目の当たりにしたのは、当初の予想や見積もりをはるかに超える技量をいかんなく発揮する清宮海斗のレスラーとしての能力だった。条件の厳しい(全くのアウェイ+一般的ではない20分一本勝負)中出る試合出る試合で、様々なタイプの対戦相手の特徴を引き出したうえでそれを超えてみせるという、清宮にとっては当たり前の、だが新日本サイドとしては予想だにしなかった状況を現出させたのだ。
その技量の突出の度合いが令和三銃士と名付け、なかで団体としては筆頭扱いであった辻陽太戦で現れた。この試合での清宮は普段の試合では見せない挑発的な技も駆使しつつ、最後は完勝としか言いようのない組み立ててで勝ってみせたが、現場やフロントはここまで技量差を見せられるとは思っていなかったろう。さらに海野翔太戦でも技量で圧倒しつつも海野の気の強さを存分に引き出して引き分けに持ち込んだ。さらに現IWGP世界ヘビー級王者SANADAとの試合でも試合をリードし、最後は時間ギリギリの敗北となったが、王者を差し置いて週刊誌の表紙にまでなってしまう状況となった。こうなればファンは正直である。新日本のファンが一目置くのは必定だ。
自団体の選手を差し置いて会場(=ファン)の信頼を次々に勝ち取っていく清宮を見て、新日本のフロントや現場は何を考えたろうか。その一端がゲイブ・キッド戦で現れたのではないか。
この試合、挑発的ヒールファイトをするスタイルに隠れているが、明確にゲイブは試合を壊しにかかっていたように見えた。清宮は最初受けるスタイルで修正を試みていたが、ある段階で完全に「これは違う」と判断したようだ。
セコンドも連れず、文字通り「単身」敵地に乗り込んでいる彼は試合そっちのけで自らと団体の尊厳を守る行動に出る。最低限の行動(眼球への攻撃や急所への打撃を行わない)は守りつつ立ち向かったのだ。ちなみに観客席で自らの頭を椅子で殴ってから相手に襲い掛かるという奇行ともいえる行為も、湧き上がる怒りを抑える行動とすれば納得もいく。清宮の突然の「試練」に対しても全く臆することなく、むしろ敢然と立ち向かう姿に、おそらくレスラー間で彼を見くびるものはいなくなったはずだ。
だが、一部の人間がそれを完全に脅威としてみたこともまた真実だろう。
私は、この試合を見たときに「これが<仕掛け>であるなら、予選突破はないのかもしれない」と思い始めた。普通に試合を行っても引き分けは当然あるわけだが、この引き分けはそういうものとは違うと見え感じたのだ。その後報道で清宮がスタッフを突き飛ばした、という記事が出た。普段は試合後でもそのような態度をとらない彼がとった行動はその内容が全く予想外であったことを示している。このあたりから、当初の思惑とは違う流れが起こっていたのではないか。
話は飛んで清宮は成田蓮戦で「まさかの」敗北を喫しあえなく予選落ち、となったが、翌日にノアの副社長を兼ねる丸藤正道がかなりセンシティブな内容のツイートを行った(https://twitter.com/noah_marufuji_/status/1687979081059762176?s=20)。真意は以前丸藤との対戦を希望した成田の勝利後に自身と対戦すると清宮のランクが下がってしまうということ、と言っているが、タイミングがタイミングなだけに鵜呑みにはできない。時系列の文脈からすれば成田の勝利を隠れ蓑にしてG1興行全体のピエロとして清宮を扱ったのはおかしい、という風に解釈するほうが無理がないからだ。丸藤の立場でこの発言をしたこと自体、新日本側に対するけん制の意味があるわけで、けん制せねばならない事案が起こっていたという推論にたどり着くことになる。
リーグ戦敗退後もG1興行に参戦を続けた清宮を待っていたのは、なんとほぼ第一試合でのタッグマッチ、というものだった。当初から決まっていたグレート・O・カーン&ジェフ・コブ戦はともかく、その後のマイキー・ニコルズ&藤田晃生、天山公吉&マスター・ワト、矢野通&オスカー・ロイベとの試合とあっては、いくら興行のハナが大事だといっても他団体のトップレスラーをあまりにもぞんざいに扱いすぎている。これはなぜだろうか?
私は準々決勝の組み合わせでAブロックの選手の相手を見たとき、ふと「ヒクレオのところにSANADAが、SANADAのところに清宮がいたほうがはるかに盛り上がったのではないか?」と感じた。これだと内藤がSANADAに勝利していたろうし(結果として優勝後の興行の流れもこのほうがスムーズだった。)、清宮とEVILの試合は相当に盛り上がったはずだ。しかもここで清宮が勝てば準決勝でオカダ戦ということになり、興行の盛り上がりは最高潮だったろう。
しかし、それこそが新日本側の最も恐れていたことではないか。清宮がG1興行の柱になってしまうのだ。この流れでオカダが清宮に勝っても決勝でその盛り上がりを上回ることができるか。決勝は内藤でもオスプレイでもそれは盛り上がるだろう。しかし、仮に清宮がそこまでの試合のようにベストマッチ連発の内容を見せていたらどうなるか。清宮の試合の積み重ねが新日側にあった「自団体の試合内容やレスラーへの自信」を揺るがせたのではないだろうか?
そうなれば最も安全なのは「観客の記憶の奥に清宮の存在を眠らせる」ことである。それはノア側の「想定外」だったろうことが丸藤の態度に表れている。
しかし、両団体にとって(良くも悪くも)更なる想定外は「G1によって清宮の支持が大きく広がった」ことではなかったか。
清宮敗退の報がネットに流れた際、新日本の方針を批判する発言が多く流れ、想像以上の数の新日本のファンがそれに賛同していたのは正直驚きだった。会場でも第一試合や第二試合の出場であっても大歓声で迎えられた。新日本側のレスラーたちの思いも天山戦後に天山自身が清宮を讃えた態度で伝わってきた。そしてなにより清宮本人が腐ることなくしっかりと試合を行いファンを裏切らなった。これこそ清宮が再三言っていた「ノアを広める」が具体的な形になった瞬間ではなかったか。
清宮は正式に使用技の伝授をされている関係から武藤敬司の影響が語られることが多いのだが、元は三沢光晴に憧れノアの門を叩いた生粋の「三沢チルドレン」である。ここまでの清宮の行動を見ればわかる通り、「レスラーは試合で魅せる」「いざとなったら筋を通す」「ファンを裏切らない」という三沢光晴の思想が彼のレスラーとしての行動に裏打ちされている。彼の恩師である小川良成の指導が大きく花開いた瞬間でもあったと思う。
さらに、清宮はあの若さにして日本プロレス発祥のプロレス技術の継承者としての側面を持っている。彼と新日本でタッグを組んだ大岩陵平は清宮にスカウトされる形でノアに留学となったが、すでにノア道場の道場主でもある清宮は指導者としての側面も期待されている。
老人が好きな匂い(全て「昔嗅いだ匂い」であり、現存しないものも)
長く生きていると「くっせ」みたいなニオイばかり気になって「良い香り」ってのは人工的に作られた一握りのお気に入りくらいになってしまう
昔嗅いで好きになった「癖になる変わった匂い・記憶に残る香り」ってのが感じられなくなっている
これは大問題だろう
老いを感じる体の部位としては「目」が一番に挙がるだろうが、実は視覚よりも気にすべきは「嗅覚」「聴覚」だと思う
「匂いを感じにくくなっている・聞こえにくくなってきている」というのは先々の認知能力に対する不安要素だ
匂いは記憶と密接に関わっているし、「耳が遠い」ということの問題は「単純に『音が聞こえてない』」というよりも「聞こえていても情報が正しく脳に伝わっていない・意味が分からない」という状態になることだ
聞こえにくくなっているのを放置して「聞こえない状態がデフォ」にしていると、ちゃんと音を拾えていても「意味が分からなくなる」のだ。脳が音を情報として捉えなくなるのだろうか?これは恐ろしいことである
mats3003 この手の話題を好きな人、けっこういるけど聞かれた当人が気にしようとしまいと、超センシティブな話題だぞと釘刺しとく
2023/08/01
https://b.hatena.ne.jp/entry/4740139156793863624/comment/mats3003
ネット上のなんのしがらみのない赤の他人の投稿にこの強要されたかのような被害者ヅラ逆にすげーな
こういう話題こそ差別意識露悪開陳エントリなんかよりよっぽどお前らのよくいう「正しい増田の使い方」だろう。
「釘刺しとくって」って何様過ぎて驚愕だわ。日常生活の人間関係大丈夫なんか
この手の質問を気軽にしてくる人はほぼ100で家族・親族仲が良いか、まともな教育支援を何不自由なく受けられる家庭で育ってて、へぇこういう世界観もあるんだなって聞かれる度に思っています。
https://b.hatena.ne.jp/entry/4740139156793863624/comment/srnkahtn2
知ってるけどリアルの親しい人ともそんな話しない(聞かないし聞かれない)し、ネットで話題にするなんて以ての外だと思う
https://b.hatena.ne.jp/entry/4740139156793863624/comment/greipoo
Buchicat 増田で聞く分にはかまわないが、リアルだとなかなか気を使う話題。園とか学校でもなんも考えずに振ってくるけど本当はやめた方がいいのよね。家庭の事情もいろいろあるので
https://b.hatena.ne.jp/entry/4740139156793863624/comment/Buchicat