はてなキーワード: 石油ストーブとは
我が家では暖房は石油ストーブを愛用しているので、鍋に具材を放り込んで後はストーブの上に放置するだけ
最近作ったのは鶏もも肉とトマトと塩だけあればできるお手軽煮込み料理や
まず買ってきた鶏ももの表面についてるくっさい♡汁をキッチンペーパーで拭き拭きするんや
それから塩をしてフライパンで表面に焼き目をつける、めんどくさいし食べる時に箸で切れるから包丁は使わんぞ
焼き目が付いたらダイソーで売ってる一人用土鍋に鶏肉と水洗いしたトマト1個を入れるんや
火にかけながら鍋の中でトマトを潰してグジュグジュになったら後は味付けの塩を適当に入れてひたすらストーブで煮込むだけや
鶏焼いたフライパンでしめじとか玉ねぎとか焼いて一緒に入れるのもえぇな
水は足さなくてもトマトの水分だけで勝手に煮込みになるはずやが、赤ワインを少しだけ足すと味に深みが出るわ
父は50代の頃に癌で亡くなった。秋ごろに入院して、翌年の2月まで、母が看病した。
僕は当時中学2年で、そんな重い病気とは全く思っておらず、そのうち治るんだろうと軽く考えていた。
母がピリピリしているのも看病に疲れているせいだと思っていたし、石油ストーブの上で父のためにと毎日変なキノコ(アガリクス)を茹でているのも、なんか大変だなくらいに思っていた。
ある日、居間で母の荷物に紛れた「ガンを告知された家族」みたいなタイトルの本を見つけたこともあった。いやいやまさか、と何度か一人で口にして、そのまま見て見ぬ振りをした。
雪の降った夜、寝ているところを起こされ、親戚の車で病院に行った。
病室の父はいろんなチューブにつながって、機械的なリズムで呼吸していた。
取り乱した母が声をかけてやれと僕に言う。意識のない父に言葉をかける意味がわからず、しかし母の手前無視するわけにもいかず、お遊戯会のような棒読みで何度か父に呼びかけた。何の茶番だと思った。
医師は機械を止めるので、最後にもう一度声をかけろと言う。それで伝わるなら、機械を止める必要があるのか?と疑問に思った。
その後、色々な手続きを待つ間、窓の外を眺めていた。
病院の外は雪が積もっていて、オレンジ色の街灯が薄暗く照らしていた。
もう20年以上も前のことだ。
特に理由はないけど、さっきふと、あの頃母はとても不安で、怖くて、藁にもすがる思いだったんだろうなと急に思い至った。
我が母ながら本当に立派な人だ。
老人が好きな匂い(全て「昔嗅いだ匂い」であり、現存しないものも)
長く生きていると「くっせ」みたいなニオイばかり気になって「良い香り」ってのは人工的に作られた一握りのお気に入りくらいになってしまう
昔嗅いで好きになった「癖になる変わった匂い・記憶に残る香り」ってのが感じられなくなっている
これは大問題だろう
老いを感じる体の部位としては「目」が一番に挙がるだろうが、実は視覚よりも気にすべきは「嗅覚」「聴覚」だと思う
「匂いを感じにくくなっている・聞こえにくくなってきている」というのは先々の認知能力に対する不安要素だ
匂いは記憶と密接に関わっているし、「耳が遠い」ということの問題は「単純に『音が聞こえてない』」というよりも「聞こえていても情報が正しく脳に伝わっていない・意味が分からない」という状態になることだ
聞こえにくくなっているのを放置して「聞こえない状態がデフォ」にしていると、ちゃんと音を拾えていても「意味が分からなくなる」のだ。脳が音を情報として捉えなくなるのだろうか?これは恐ろしいことである
当時高校生だった私は、とある理由で全校生徒が体育館に集まっていました。
ある時、携帯電話から聞いたことのない音が鳴り響きました。校内持ち歩き不可のはずの携帯電話は男子生徒の制服の内ポケットから、スマートフォンは女子生徒のカーディガンのポケットから、そして渡り廊下の奥の教室から、けたたましく鳴る不快な音。
そしてズズズというこれまた聞いたことのない大きな低い地響きの後に、突き上げるような揺れが起こりました。体育館という建物はバネが効いているので、観測された震度の何倍もの揺れを身体に感じていました。
女子生徒の悲鳴、頭を覆えという教師の怒号、ギシギシと動く体育館の壁、そして見たこともないくらい左右にぶらんぶらんと揺れる天井の照明、何が起こったか分からないと口を開けたままの友人の顔。
大きな揺れは収まりましたが、集会は中止になり即座に帰宅の指導がありました。地元が同じ人間は一緒に帰って欲しいと先生が言っていました。電車は動いていなかったので、電車で通っている人たちは親の車を待つことになり、しばらく校内に残っていたといいます。
この時、電波はなく、また不幸なことにこの地域だけ停電と断水が起こっていました。私たちは大きな地震が近くで起こったのだということしかわかりませんでした。
私は比較的学校の近所だったので、歩いて帰りました。雪が残る道を必死に帰りました。家に帰ると、祖母が外で近所の人たちと話をしていました。咄嗟に外に出たと言います。着の身着のままで、寒さからなのか、揺れの怖さなのか、身体が少し震えていました。それは私も同じでした。あの体育館で感じた恐怖がまだ残っていました。
家の中はぐちゃぐちゃでした。食器棚が全て開き、割れた皿はなかったものの、倒れたものが床に散乱していました。
祖母は病気の後遺症で目が悪く、なにも触らなかったと言います。私はそれを片付け、両親が帰るのを待ちました。父も母も小学校教諭でしたので、我が家にすぐ帰ることは出来ませんでした。2人とも、自分の学校の生徒をすべて家に帰し、家まで送り、その後に家に帰ってきました。
私の住んでいた県は断水が少なかったと、後から言われましたが、私の家のある地域は断水しました。そして停電も続きました。
雪国の3月上旬、オール電化だった我が家は非常に冷たく、静かで、怖かったことを覚えています。家がこんなに寒かったのだと、靴下を履いて眠ったことは初めてでした。
それまで肌が乾燥することはありませんでしたが、寒さにより乾燥し、頬が粉を吹きました。クリームを塗りなさいと親に言われたのは人生で初めてで、そこで寒いと肌は乾燥するのだと知りました。
全く暖房がないわけではありませんでした。石油ストーブがありましたが、この後どうなるかが分からないので、居間でひとつだけ点火し、大事に使おうと決めました。
父が帰宅して、仏壇用の蝋燭の火を囲み、家族4人でスープを飲みました。
その時に、宮城県が揺れたらしいと教えてくれました。父も母も私も、携帯電話の電池が惜しくてネットを見ていませんでした。電波はかろうじて復活していたようでした。
明日になれば電気は戻るだろうと、その日は早くに寝ました。何もすることができず、寝るしかなかったのです。
眠る前、ストーブの灯油を入れるために外に出ました。その時、見上げた空を一生忘れないでしょう。私の住んでいた土地は田舎で、普段でも晴れた夜は星が綺麗に見えていました。何度か旅行に行った東京の何倍も星が綺麗だなと思ったものでしたが、その日だけは違いました。星しか見えないのです。大きな星が爛々と瞬き、小さな星たちが埋め尽くし、いつもの星空とは全く違うものでした。
あんなに暗い田舎でも、明るかったのです。真に光がない夜はこんなにも星空を輝かせるのだと、心が震えました。そして、とても怖くなりました。知りたくなかったのです。こんなに星が美しいことを、災害で知りたくなかった。冷えた空気が鼻腔を凍てつかせたので、早く家に戻りました。
家に戻ると、父と母が携帯電話を見つめていました。母は手で目を覆っていました。ほら見ろ、と見せられたのはワンセグ放送でした。そこに映し出された映像を見て、足がすくみました。津波の映像でした。仙台空港が波に飲まれていく、その映像でした。私は仙台空港自体には行ったことはありませんでしたし、仙台市にもあまり行ったことはありませんでしたが、石巻や名取市閖上地区、気仙沼には何度も行っていました。仙台空港がこのような状況なら、私たちが旅行に行っていたあの場所はどうなっているのか、これはどんな被害なのか、何が起こったのか、全ては分かりませんでした。父の充電はギリギリで、それ以上は見ることができず、その日は諦めて横になりました。私はしばらく寝られませんでした。
閖上のサイクルセンターのどでかい合宿所みたいな部屋に家族4人で泊まり、その施設の飲食店で晩ご飯を食べたことが昨日のことのように思い出され、その建物は、そこの人たちは、どうなってしまったのか、怖くて怖くて堪りませんでした。
人が死んでしまうような災害だったのだろうかと、それすら曖昧でした。
情報がないというのがこんなにも不自由なのだと思ったのもこの日でした。
翌日電気が復活し、テレビの報道で津波の被害を目の当たりにしました。
あとはもう、ご存知の通りです。
断水復活までは少し時間がかかりましたが、私の地域はそんなに被害がありませんでした。建物に大きなヒビが入ったり、道路が割れたり、といったところでした。余震は続きました。
ただ、普段明るくおちゃらけた雰囲気の友人が、宮城県に単身赴任をしている父親と連絡が取れないと瞳と口の端をぶるぶる震わせて話す姿が目に焼き付いています。彼女の父親は津波で亡くなったと聞きました。
私は大学生を経て、社会人になり仙台に転勤してきました。もっと生々しい震災の話を聞くことが多くなりました。
南三陸や女川出身の子達は皆、口を揃えて言います。家は流されて実家はないのだと。仕事がなくなって仙台の街中に出てきたのだと。避難中に津波に巻き込まれて、電柱にしがみついて生きながらえたという人もいました。
私の仕事もスーパーゼネコンの施工管理でしたので、震災復興事業が主の時期でした。真新しいコンクリートの壁が海を阻みます。防波堤は高く高く、そびえ立っていました。ひび割れだらけの建物が、そこらかしこらにありました。そして、本丸と呼ばれたあの地にも行きました。人の住まなくなった家は、あんなにも朽ちるのが早いのかと今も恐ろしく思います。
なにより、この地域はよく写真展を開きます。震災前の写真、直後の写真、今の写真、それらを並べて展示するのです。私はその写真を見て泣いてしまいます。イオンの一角で、震災を知らない子供たちが走り回るイオンの中で行われていた写真展を見て、泣いていました。
今でも、その地に行くと、津波最高到達点という線が刻まれた建物があります。ここまで津波が来たぞという標識があります。
どうか忘れないで。風化しないで。思い出して。
今日だけでいいです。
お願いです。
忘れないでください。
避難所開設されてるけど遠かったり落ち着かなかったりで利用しないよなあ
ほんで車で休むことに
もう何かあったら車で休む前提で冬用の寝袋(すっげ高いやつ)とかポータブル電源装備しないと駄目だな
車もハイエース改造して横になれるようにしとかないと(買えるならキャンピングカーにすればいいけど)
まあ、エアコン点けるにせよ点けないにせよ雪害で車中泊の場合は定期的に車の周りを雪掻きするのは必須だと思うけど
ヤフーニュースについてたコメントに「石油ストーブ持ってないと駄目だよな」というのが沢山あったけど
停電してたら使えない石油ファンヒーターを使ってるご家庭が殆どだね(ウチも)
エネオスが言ってるよ
劣化した灯油を使用すると正常燃焼せずに点火や消火不良を起こし、石油ストーブ、ファンヒーターのトラブルの原因になります。そのため灯油は翌年には持ち越さず、使いきる必要があります。余った灯油や古い灯油の処分については購入したSS・販売店にご相談ください。
https://www.eneos.co.jp/faq/gasoline/
ちゃんと調べたわけではないけど、ガソスタとかの灯油販売所ってインフラみたいなもんだから、たぶん法律かなんかで処分の対応をすることが義務付けられてる
ちょっと調べてみようかな
去年に使った灯油が、ごく少量、残っている。
ポンプで石油ストーブに移す際に流れ出た余りが、コップ一杯ほど。
これの捨て方を調べてるんだけど…
ネットによると、タオルに染み込ませて可燃ゴミに混ぜちゃう方法が紹介されてた。
石油は「特別管理産業廃棄物」なる分類に指定されているらしく、簡単には捨てられないようだ。
公園などで土に染み込ませろ、と言っている人もいたが、実はコレもダメらしい。石油は自然には分解されないんだって。同じ理由で流しに捨てるのもアウト。
あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛
ダメって言われないように、祈っててくれ。
返信・
すぐに分かると思うけど、どこでも「大量の灯油の処分法」として紹介されてるんだ。
少量も引き取ってくれるなら決定的な選択肢として書くだろう。
追記・
詰みを逃れたので報告します。
祈ってくれたのが通じたのか、事なきを得た。
まず、役所に電話したら「少量ならば雑巾や古い布で拭き取って袋に入れて捨てていい」そうだ。
ウチの地域では捨てられるけど、ガソリンスタンドに持ち込むと処分してくれる。
親切な人たちがコメントで教えてくれたよ。
ただ、場所により受け付けてくれないところもあるので、電話して事前に確かめる必要がある。
最悪、近所のどこもダメでも、
特別管理産業廃棄物処理業者 + 都道府県名で調べたら地元の業者一覧を自治体がだいたい出してるみたいだね。anond:20221103234303
専門の業者がいる。ウチの自治体のホームページにも載せてあった。
楽しげなアイデア、より実用的な改変バージョンなど、いろいろ考えてくれた善意の人たちもありがとう。
モバイルバッテリーひとつ捨てるのにあちこち振り回されたリチウムイオンニキネキには同情しかないけど、でもちゃんと捨てるべく労を取る、その人間性がまともな大人の在り方を示してると思う。俺もそうでありたい。
はてブと返信のマウント取りたいだけのクズ、スターを付けてる連中。そうしたコメントのゴミどもは、みんな積み重なって遥かな未来の化石燃料になっていけばいい。ゆっくりと時間をかけて。
16畳くらいの広さがあるリビングダイニングで普段過ごしてるんだけど、冬が寒い。
エアコンは最新式がついてるんだけど、最廉価モデルで効きはイマイチ。賃貸の備え付け品だから替えることもできない。
そこで補助的な暖房器具をいろいろ検討したんだけど、結局どれが一番なのかがわからない。
→つけてすぐ暖かい。間近に置いている分には風も冷たく感じることはなくて一番よさそう。
ただ、電気代がかさむ、所詮置いている一部だけが暖かくなるだけで部屋は寒そう。
→部屋全体がじんわり温まるらしい。でも、そうなるまでに時間がかかるらしい。我慢できない。
→効きは抜群。でも灯油の買いだめや補給がすんげぇ面倒そう。消火時臭い。
●ガスファンヒーター
→石油ファンヒーターと同じく、効きは申し分なさそうだけどガスが怖い。漏れと使用料金の観点から。
→実は今使ってる。つけた瞬間から暖かくてコスパも悪くないんだけど、温まる箇所がごく一部すぎて本当に寒い日はあまり役に立たない。
●こたつ
→イスに座る生活が長くて、地べた座りのこたつはムリ。最近は机タイプのものもあるようだけど、PC専用机を普段使用しているから使えない。
→上記の通り、車輪付きのPCチェアーに座って過ごすことが大半だから電熱線が通ってるこれは使えない。
→顔を含め、全身もれなく温まりたいんだよね。
ガソリンスタンドのタンクに水が混入して給油した車が故障、っていうニュースが世間を騒がせているが、自分が働いていたスタンドでも同じ事故が発生して騒ぎになった事があるので説明するよ。
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/www.asahi.com/articles/ASQ8W6QFCQ8WULFA00P.html
ガソリンスタンドの貯蔵タンクは地下に置く事が義務付けられている。近所が火事になってもどうやっても引火しないようにする為だ。
でも地下って事は豪雨で付近が冠水したり洪水になったりすると水が入ってしまう可能性がある訳だ。
地下タンクには
1.荷卸し用(勿論燃料油)のハイプ
2.エア抜き管
3.給油機に繋がる吸い上げ管
が繋がっているが更に
b.直付け残量計
が付いている。b.直付け残量計はタンク直上にあって古い石油ストーブの燃料計みたいに針がゆらゆらして値を示すやつね。中にフロートが浮いててそのフロートアームの反対側が指針になってる簡単な造りだ。で、この直付け残量計の上にはマンホールがあって、水が入らないようにパッキンがはまっている。
増田の働いてたスタンドは、古くてマンホール面の地面が不等沈下して歪みが出ていた上にパッキンが劣化していた。
更に残量計のケースに使われているパッキンも痛んでいた。因みにここはガソリン蒸気などに晒されるのでゴムが痛みやすい。大体のスタンドはそのままになっていると思われる(フッ素ゴム、シリコンゴムなどを使うと痛まないがそれらの材質が一般化したのは20年くらい前の事だ)。
更に悪いことに、そのタンクは増設した小さいタンクで、普段は管路を締めきって使ってなかった。だから何度もの大雨で水が溜まって行ってしまったのだ。
そしてそのスタンドの夜勤で危険物保安監督者は増田だけで、管路の切り替えも増田しか出来なかった。
ただこの件では増田に落ち度が無かったので会社から叱られたりもしなかったが。
タンクローリーから荷卸しする注油口にもパッキンがあって、これが痛んでいてここから水が入るってケースもある、というかこっちの方が多い。
例えば、付近が冠水して注油口から水がドバーッと入ってしまったとする。すると水は重いので地下タンク内のガソリンを押し上げてしまう。それがエア抜き管からドバーっと吹き出してしまう。これは水面に乗って広がってしまうので火が付いて付近が火の海になる可能性があるのだ。洪水のせいで大火災の危険が生じるのだ。
2.計量器(スタンドの目に見えるところにあってガソリンを出すあれ)
スタンドの店員は毎日地下タンク残量を計量して記録する義務がある。
POSシステムは各タンクから出して販売した数量を記録していて、残量の推定値を表示する。
ローリー荷卸しがあったらそれも打ち込むので地下タンク残量とPOSの値は正確に一致するはずである。
…が、一致しないとなったらなにか原因があるって事だ。増えてる場合は水の混入である。
一般的にこれをやる意味は寧ろ「数字が足りない」場合に備えてだ。数字が足りない=配管かタンクどっかからの漏洩で土中にしみ込んでしまっているという事で、非常に重篤な状態である。
勿論環境汚染でもあるのだが、土中にしみ込んだガソリンが地下水に混じって暗渠(地下化された川)や下水道に流れ込むと、そこで蒸気が溜まって爆発事故になる。台湾の高雄の大爆発事故は、パイプラインから漏洩した燃料がこうやって暗渠に流れて起きたものだ。
閉店間際のスタンドで店員がマンホール覗いてメモしてるのはこういう理由があるのである。
壊れないよ。だって燃料油には水が少量混じっている事が多いから。
スタンドの方ではパッキン類がちゃんとしてても地下タンクに水は入ってしまう。
ガソリンを売るとタンクの液面が下がる。すると負圧になってしまうので、エア抜き管が設置してある。スタンドにローリーが来てる時に頭が痛くなったりきつい臭いがするのは卸したガソリンがタンク内の蒸気混じりの空気をエア抜き管に押し出している為だ。
ガソリンが減って液面が下がると逆に空気を吸い込む。夏であれば高温多湿の空気が涼しい地下、しかもガソリン気化熱で更に温度が下がったタンクに入るとどうなる?
そう、結露です。結露してそれはガソリンの下の方に溜まるのだ。そしてローリーの荷卸しがあった時には攪拌されてオイルタイプのドレッシングみたいな混じり方をする。
その間に給油に来たお客の車に給油されるからモーマンタイである。
でも車のタンクの方でも結露は起こっているよ。ガソリン使えば空気は吸い込むし、ブレーキでガソリンが揺すられると気化が激しくなって気化熱で温度が下がる。そしたら結露するのは当然で、給油する前に何度も何度も結露し、その水はガソリンの下に溜まる。それは車の揺れで燃料ポンプ吸い込み口に吸い込まれてエンジンで燃焼されてしまう。
軽油の場合は水との親和性が高いので下に溜まらずに「水っぽい軽油」になってこれもエンジンで燃焼されてしまう。
だから相当量の水の混入じゃないと車の不調にはならないのだな。
水抜き剤はこういう理由で必要とされるケミカルなのだ。どうしても水はタンクに溜まるから。一番の問題はエンジンじゃなくて、燃料ポンプが錆びちゃう事なんよね。ある日急にエンストしてエンジンが掛からない、高速や山道を全開で走ってたらエンストとか。タンクが錆びてその錆で燃ポンが壊れるって事もある。
水抜き剤の仕組みは単純で、アルコールだ。アルコールは親油性と親水性両方があるから水をアルコールに溶かしてエンジンで燃やしちゃえっていうケミカルだ。
だからイソプロピルアルコールでも代用できる。酒用アルコールはだめだぞ糖分入ってるから。
こんな単純ケミカルなのでホムセンでは100円くらいで売っているので、それを入れよう。ぼったくり価格のスタンドのは原価40円くらいで同じ代物であるし、違いが出せようはずもない。
元ブでもエンジン故障を冠水路走行でのウオーターハンマーと混同してる人がいるが、それは空気を吸う所から水を吸い込んだ場合で、空気は圧縮できるが水は圧縮できないのでエンジンが物理的に破壊されてしまうってもの。
燃料路からの混入では燃料:空気比率は12:1程度になる上に気化した水は圧縮出来、すぐに排気されるので物理破損されない。
因みにハイオク車にレギュラー入れると調子が悪くなるのは、ノッキングが発生するから。
今の乗用車はノッキングを感知すると点火時期を遅らせるので、ピストンが下降工程にある時に燃焼が起きて馬力に変換されないし熱効率も悪くなり燃費も悪化する。ノックセンサーがない古い車ではエンジンがぐちゃぐちゃに壊れる原因であった。(経験あり)
水混入による修理と言っても燃料を入れ換えてリターンパイプを外してエンジンを空回しするだけのはず。
インジェクション方式では一定した燃料の圧力が必要なので、エンジン側に調圧バルブがありそこで余分な燃料をリターンパイプ経由でタンクに戻している。
だからのタンク側のリターンパイプを外してエンジン回せば管路の燃料も全て抜けてしまう。キャブレター式ではキャブの分解が必要だが、インジェクション車は燃圧が高いので力で押しきりがしやすいのだ。
それからもし自分がこういうトラブルにあったとしてもスタンドの会社がレッカー代から休業補償も払ってくれるから大丈夫だ。
その為に領収書は捨てずにとっておいた方が良い。
因みにタンクへの雨水混入も消防法抵触事件なので、タンクへの混入を認めなくても監督官庁である消防署巻き込むとスタンドは認めざるを得ない。書類や実際の燃料油の採取やパッキン状況等を有無を言わせず調べられるので。