はてなキーワード: ほしのこえとは
タイトル詐欺です。要はただの自分の愚痴で,だらだらと読みづらいことをご承知ください。
『君の名は』地上波初放送 今日の夜9時からですね。それを祝して1/1と1/2の深夜に新海誠監督作品が放送されたことをご存知の方もいらっしゃるかと思います。
私は関東圏なので,『雲のむこう、約束の場所』『秒速5センチメートル』『星を追う子ども』『言の葉の庭』が放送されて全部観ました。(あとでほしのこえも観ました)
何回か見た作品もありましたが,Twitterの実況を流し見してると「小説版もいいぞ」という声が多い多い。なので,特に印象に残った『言の葉の庭』と『雲のむこう、約束の場所』を買いました。
このダイアリーは『言の葉の庭』を読んでいたら、自分のことをつらつらと殴り書きたくなった、活字もまともに読めない残念な人間の愚痴です。
ここからは自分を振り返ってみようと思います。(〇〇しようと思いますって表現だいきらいだけど)
そもそもの投稿した目的は「病んだ人間が自分の中に溜めきれなかった気持ちを吐き出そう」なわけです。
去年の8月末ぐらいに「全般性不安障害」と診断されました。ざっくり言えばうつ病の手前です。
医者へ行くきっかけになったのはある人(以下Aさんとしましょう)にメールで「他人の気持ちを考えてやりとりをしなさい(曖昧)」と言われたことでしょうか。
当時はインターンシップ(企業じゃなくて大学の研究室に行くっていう稀なやつです)やら学会発表やらでなにかと忙しかった。そんな中でこのメールが来たわけです。
その晩はずっと泣きました。そのあとは医者に行って薬もらってマシになりました。(いまは効きがイマイチに感じる 変えるべきかなぁ…)
で、今に至るまで病気を引きずってるわけですが、ここで新たなストレス「就職活動」がやってきます。(病気がきっかけで院進は向いてないなときっぱり諦めました)
ビッグサイトでやるような大規模イベントにも行きました(DaiGoのお話タメになったなぁ)。 企業の人と面談にも行ってみました。
いわゆる情報系なので就職するならSEとかそっち系だろうと思い込んでいたわけです。でも色々やってるうちに「どうやら以前からプログラミングは好きじゃないと思ってたことは正解だったんだ」と気づいていきます。
最初に書いたように大学生のようでそうじゃない立場の人間なので、同級生には就職してる人もたくさんいます。でもみんなつらそうだなぁ…と
そんな考え達が余計に自分を迷わせます。ある同級生は保育士目指しだすし、自分がなにをしたいのか余計にわかりません。
私は、洋服の青山の就活セールCMでダメージを食らい、SNSの就活広告でも神経をすり減らすようなメンヘラです。
孝雄くんは「靴職人」っていう立派な夢があっていいなとか、雪野先生も色々あったけど歩き出せていいな…とか観たり読んだりしてて思うわけです。
昔から趣味でベースとかやってて「楽器弄るの楽しいなぁ」と思っていた時期もありました。この前友人に言われた「楽器工房で働けばいいじゃん」の一言がずっと頭に残っています。
まぁでも今からだと遅いわけです。18歳以前ならその道も選択肢のひとつだったでしょう。でもここまで来てしまったので引き返すには相応の勇気が必要だなと思って結局決断できません。
ハナから見れば「若造がな~に遅いだのなんだのうだうだ言ってんだよ」って話ですが、いろいろ考えは浮かんでも決断は出来ないわけです。視野が狭い分出てくる考えも浅いことばかり。
ここまで読んでくださった方、周りの人には「仕事なんてつまんないよ」って言われます。仕事を探すときに「楽しいかどうか」って考えちゃいけないんでしょうか。
というか皆さん今の仕事どうやって決めたんでしょうか。
5年・10年・20年先を考えても仕方がないのに考えてしまうのはどうしたらいいんでしょうか。
あ~~~~~~~~~~~~~~~さっさと死にてぇなぁ クソったれ
長文失礼しました。
もうここでまでくると人間不信スパイラルです。名前も顔も知らない皆さんに罵詈雑言でも何でもいいからどうすりゃいいのか教えてくれよと思って書いた次第です。
俺は『秒速5センチメートル』を新海誠の最高傑作だと信じて疑わずにいる人間だということを、予め言っておく。
『君の名は。』、去年の夏に公開されるまで、久々の新海誠の新作映画ということで心底楽しみにしていた。
公開前に発売した『小説版 君の名は。』は発売日に買ってその日のうちに読んでいたし、神木隆之介も好きだったから、これはもう間違いない、
『秒速5センチメートル』以来の大物が来る、と期待を胸に公開を待っていた。
でも、その時から、心の片隅で、ほんの少しだけど嫌な予感はしていて、それは公開後に的中した。
俺は新海誠の、あの陰鬱で薄暗くて救いようのない世界観が好きなんだ。
ドロっとした恋愛観で語られる男主人公の背中が好きで、やっぱり俺は『秒速5センチメートル』が大好きなんだと思う。
そうして、公開直後に胸をときめかせて見に行った『君の名は。』にはかなりのショックを受けた。
これまでのような人を選ぶ作風ではなく、エンタメに富んだ、大衆的で王道の展開に、ベタベタなラブコメディをぶち込んできた。
開始30分ぐらいでそれがはっきりとわかると、目を背けたくて、我慢できなくて外に出たくてどうしようもなかった。
でも、これはしっかりと目に焼き付けて、この事実を自分に刻み込まなければならないと、拷問に近いような感覚で最後まで見届けたのを覚えてる。
これまでと一貫しているのは、背景美術の美しさだけであった。
背景美術は確かに、素晴らしかった。前作の『言の葉の庭』以上だったと思うし、とどまることを知らないようだった。
この酷い映画を見終わった、劇場からの帰り道、俺は少しずつ「新海誠は死んだ」ということを理解し始めた。
過去作を全否定した『君の名は。』、しかし俺とは反対に世間の評価は大絶賛だった。
世間はこの酷い映画を"新海誠の代表作"と称し、過去作には目もくれずにエンタメの監督としてもてはやした。
違う、そうじゃないだろ。
『君の名は。』を見て、それを新海誠だと思っている彼らのほとんどは、馬鹿である。阿呆である。
『君の名は。』を気に入ったミーハーな彼らは、同監督の『秒速5センチメートル』を見て、失望するのである。
鬱だ、暗い、つまらないと吐き捨てる。全くもって、ありえない。
『ほしのこえ』『雲のむこう、約束の場所』を経て、『秒速5センチメートル』は完成した。
え、新海誠って映画の背景の綺麗さで評価されてたんじゃなかったの?
ほしのこえからのファンだけど、あの映画ほんまフワフワしててストーリーも訳わからんけど新海誠の書き込みと画力をみて俺は圧倒されて、周りのやつも「とにかく絵がすごい」っていうのを言ってたからその流れで「君の名は。」も評価してた。
まぁ、たしかにストーリーは比較的マシだったけど、ありがちなSFだとしか思わなかったが…。
あぁ、でも確かに、なんか君の名は。の感想言うやつは結構ストーリーの事言ってた気がする。ということは世間ではストーリーが良いから囃し立てられてたのか…。俺の勘違い恥ずかしい。
絵は相変わらずよかったよ。
ヒット作品、何かの賞を受賞してる作品、クリエイターがよく挙げている作品、ネームバリュー等々……要するに「よく語られてる作品」をリストアップしていたらあっという間に100を超えてしまったので、ちょっと手を加えて100作品に調整してみた。正直なところ100だと枠が全く足りない。映画だけで絞ってもだ。
オールタイムベストではないので、ここに載ってるから優れているとかそういう意図はないです。
ロンドン南西ウォーキング付近に巨大な円筒が墜落。15日間の戦闘の後、微生物によって火星人は全滅する (宇宙戦争)
米国探査衛星「ヴァイキング1号」が火星に到達。生物らしき影(BETA)が映った画像データが地球に送信される。後に軌道上からの観測により火星全体に生息していることが確認される(マブラヴ オルタネイティヴ)
アポロ計画の最中に月で地球と火星を繋ぐ古代文明の遺産「ハイパーゲート」が発見された。地球はレイレガリア博士を中心とする調査団を火星に派遣する。その後、火星で古代火星文明のテクノロジー「アルドノア」が発見される(アルドノア・ゼロ)
旧ソビエト連邦が打ち上げた探査機マルス3号が火星に着陸する。
アメリカが打ち上げたバイキング1号が着陸し、火星表面の映像を地球に電送する。
ドラえもん、火星にあるコケに進化加速ダイヤルを最高にセットした「進化放射線」を当て、10億年分進化させて生物を作り出す。
進化した火星人は地球にUFOでやってくるが汚れた地球と野蛮な地球人に危機意識を感じ、火星を捨て他の惑星へ移住する(ドラえもん「ハロー宇宙人」)
人類は地球を飛び出し火星へ進出。蒼いSPTレイズナーを駆る少年アルバトロ・ナル・エイジ・アスカと人類が接触(蒼き流星SPTレイズナー)
火星の皇女であるアセイラムがパレード中にテロリストに襲撃される。
19ヵ月後、ヴァース帝国の月面基地へ地球連合軍が総攻撃をかける。地球と火星の和平が宣言され戦争終結(アルドノア・ゼロ)
地球は異星との交流が進み、国際連合ならぬ星間連合にも加盟して、多くの惑星からの観光客がひっきりなしに訪れる一大観光惑星となっていた(漫画版21エモン)
NASAの調査隊が火星のタルシス台地で異星文明の遺跡を発見し、突然現れた地球外知的生命体タルシアンに全滅させられる(ほしのこえ)
宇宙開拓時代を迎えた人類は太陽系内に生活圏を広げており、悪化する治安への対策として、指名手配犯を捕まえる賞金稼ぎ、いわゆる「カウボーイ」たちが活躍している(カウボーイビバップ)
人類は宇宙開発を進め、火星には実験居住施設もあり、星野八郎太が宇宙でゴミを拾っている(プラネテス)
品種改良された苔とゴキブリを使ったテラフォーミング計画が開始(テラフォーマーズ)
ジオン公国の残党である火星独立ジオン軍『オールズモビル』が蜂起。翌121年、第13独立機動艦隊が火星に到着。最終的にオールズモビルは、自らが使用した秘密兵器の反動に自らの基地が耐えられなかった為に自滅(機動戦士ガンダムF90)
機動戦艦ナデシコ発進。翌年1月に火星へ到着(機動戦艦ナデシコ)
8月9日、「火星の後継者」が蜂起。8月20日にナデシコC、火星極冠遺跡上空にボソンジャンプ。システムを掌握。「火星の後継者」降伏。(機動戦艦ナデシコ -The prince of darkness-)
火星はテラフォーミングされ水の惑星となり、アクアと呼ばれていた(AQUA、ARIA)
火星のゴキブリを駆除・清掃するために地球を発った宇宙船・バグズ2号の乗組員15名は、火星にて異常進化を遂げたゴキブリ「テラフォーマー」の襲撃に遭う(テラフォーマーズ)
アネックス1号によって小町小吉を艦長とする計100名の乗組員が火星に送り込まれる(テラフォーマーズ)
7世紀ぶりに火星への有人飛行を成し遂げた人類。水も酸素もない、廃墟と化したかつての入植地において、宇宙飛行士達は一人の女性を発見する(BIOMEGA)
作品単位と作者(=ブランド)単位のどちらで捉えるかで話が変わってこないかな?
作品単体でいかに売れるかって話になると今の考えをそのまま適用していいかわかんない・・・
けものフレンズの例だと、問題はたつき監督がいかにしてキャズムを越えたかで、
てさ部から注目できてた人たちがいないといきなりヒットはできないような
「先にほしのこえを作らないと秒速は作れないし、言の葉の庭を作っとかないと君の名は。も無理」
ってことだったの
お金や助けてくれる人のことじゃなくって、
いきなり(小規模であれ)秒速だけ(ほしのこえ以前の新海監督が)作っても
「あーよくあるそれ系ねw」で終わっちゃうんだろうなって
そっちじゃないのかな、ちょっと考え方変えないとなあって話でした
後輩の中にも退職してしまって働いていなそうな奴らは居るけど、そいつらはまぁしょうがないなぁと微笑ましく思えるが
都会で某TVコメンテーターの自宅に住み込み書生のような生活をしていたが、三行半を下されて来月から住むところにも窮しているという相談だった
(地方の山奥に昔の実家で今は空き家になっている物件を所有しているので以前、空き家だから住んでくれても良いよと言ったのを覚えていてそれに期待しているらしい)
某TVコメンテーターからは小説を書いて持ち込みをしてみては?とか有名国立大卒博士号取得の肩書で塾講師ならできるのでは?というアドバイスを最後にもらったそうだが
塾講師は最近の受験事情を全く知らないから勉強しないといけないので難しそうという言い訳
この辺までは黙って話を聞いていたのだけど、私はゲームソフトウェア開発会社のプログラマーとして働いているので小説に関しては一寸言いたくなってしまった
(博士号は持っていないけど、エンターテイメントの世界でなら彼より先輩だと思ってしまった)
小説については書生時代に7冊書いてブルーバックスから出版したことがある(科学のふしぎみたいな本)のでいけるのでは?と私も思ったのですが未だ書き上げていない。
どのくらいの時間をかけているかは聞かなかったけど、結末まで考えているプロットが頭の中にあって、いくつか書いてみたいエピソードがあり、その間をうまく繋ぐことができないという言い訳
自分が読んでみたいと思えないとダメじゃん?なんて言うが、書いてみたいエピソード間をうまく繋ぐことができるならそれはもう立派なプロの小説家であって
まだ持ち込みすらしていない素人なのだからとにかく完結まで書いてみろと言ってしまった。
きっと持ち込みをされた編集者の中にはそのうまいつなぎ方のアドバイスとか、膨らませた方が良いエピソードとかそういったそれこそプロとしてのアドバイスをしてくれる筈だとも言ってみた。
一人きりで作品を完成パッケージまで仕上げるには強靭な精神力が必要だし、その例として新海誠を挙げたら知らないといわれたのでほしのこえの成り立ちから説明する羽目になったので
エンターテイメントには全く興味が無かった様子。
彼曰く、ラノベ文庫本1冊は大体12万字なので大体その文字数を目指して執筆していて8割は書きあがっているというのであと少しで終わりなのになぜ書き上げないのか?とか
そもそも字数を目標にしている時点でやっぱりずれていてモヤモヤとした気持ちになった。
出来上がった小説を読ませてもらう事と、空き家を貸す件については年限を設けて書面できちんと契約しようという事を決めて話は終わりになった。
生活全般についてルーズというか危機感が薄い人だという印象を持ってしまったので家を貸すことによって家賃未納等で
今までの友人関係がこれで終わってしまうかもと思ったり、家を貸すことについて両親から反対意見が出たりしたら本当に路頭に迷ってしまうので彼の生殺与奪権を握ってしまった様で
今とても気が重い。
もう完璧すぎて泣いた
「辻褄を合わせても面白さに寄与しない」だと? はあああぁぁぁぁ????
よくそんな恥ずかしいセリフ吐けるな。レベルが低すぎんだろてめーは 絵がきれいなだけじゃねーか 動くラッセンでミュージックビデオ3曲分繋げただけじゃねーか
てめーはいますぐBTTF100万回観てストーリーテリングの勉強し直せよクソが
なにちょっと「わざとです」みたいなこと抜かしてんだゴミ虫め。出来てねえだけのクセに。クリエイティブ舐めんじゃねえぞ
おまえのは辻褄がどうこうじゃなくて、演出がヘタクソで説明しきれてないところの問題だから。辻褄以前の話だ。なんで電話持ってるのにかけねーんだよ、なんで身体が入れ替わると好きになるんだよ、なんで隕石落ちたの忘れるんだよ 小学生の劇レベルじゃねーか
上手いクリエーターたちはそういうのを全部巧妙に説明するんだよ。その努力をしてんだよ。そこがキレイだと自然に劇が流れて感動に集中できるからこだわってんだよ。どうやったら自然に説明できるかみんな命がけで考えてんだよ。
ほしのこえ好きだったのにあのインタビュー読んで死ぬほど嫌いになったわ
あとな、彗星は太陽の直前であんな風に引き返すような軌道になるわけないから笑wwwww あんな恥ずかしいミス有り得ないけど未来永劫ネタになってよかったなwww mn3
『秒速』の何ともいえない切なさが好きだ。
新海誠という人は「時間の冷たさ」みたいなものを描くのが上手い人だと思った。
また、アニメというある種「希望の塊のような世界を構築し得るもの」で
新海誠がアニメーションで、多くの人が憧れるであろう世界を構築していたことに驚いた。
例えるならば、独特の雰囲気を持った個人経営のカフェのマスターが、
ある日急に店舗をガストやココスにしてしまったような、そんな少し寂しい気分だった。
じゃあ今までのは大衆受けすると思ってたのか、と考えると何となく微笑ましいが
また以前のようなどうしようもない気分になる作品も観たい。
神木くんも
また『秒速』のような作品をお願いします、とインタビューで言っていて
★2000/04 『彼女と彼女の猫』にてDoGA主催 第12回 CGアニメ コンテストのグランプリを獲得
www.doga.co.jp/ptdoga/contest/con12/html/12_11.htm
www2.odn.ne.jp/~ccs50140/colum2003.html
★2000/05~ ファルコム退社(『ほしのこえ』を制作するため)
twitter.com/shinkaimakoto/status/647800736487600128
★2001/01-04~(?) コミックス・ウェーブによるマネジメント開始(?)
bylines.news.yahoo.co.jp/sakaiosamu/20160926-00062558/
>新海誠のマネジメントをぼくがやることになったんです。『ほしのこえ』を作っている最中
www2.odn.ne.jp/~ccs50140/colum2003.html
>2000/12/17 「彼女と彼女の猫 MOVIES & SOUNDTRACKS」を冬コミ(筆者注:C59)で売ります(DoGAで売っていただきます)
>2001/04/01 猫のCD-ROM、ようやく再販を始めました。マンガズーさんのご協力で前回よりちょっとだけ豪華に
※販売協力がDoGAからMANGAZOOに切り替わってるので、この辺りに関係を持ったと推測。
※なおMANGAZOOもC59に参加している(www.comiket.co.jp/info-a/C59/C59kigyo.html)
★2001/06 『BITTER SWEET FOOLS』ムービー制作
www2.odn.ne.jp/~ccs50140/colum2003.html
>2001/06/14 現在短いムービーを制作しています。鉛筆スケッチの手書き+3DCGというスタイル
★2001/08/31 『BITTER SWEET FOOLS』発売
www.minori.ph/lineup/index.html
www2.odn.ne.jp/~ccs50140/colum2003.html
ascii.jp/elem/000/000/325/325424/index-2.html
※ascii.jpの記事では原画の相田裕を始め脚本、音楽には触れているもののOPについては言及なし
dnarna-mirror.sakura.ne.jp/techle/2001/07/
dnarna-mirror.sakura.ne.jp/techle/2001/08/
dnarna-mirror.sakura.ne.jp/techle/2001/09/
※『Wind』のときはOPに言及したニュースサイトが『BSF』のOPには触れていない
★2002/01-02 『Wind -a breath of heart-』ムービー制作
www2.odn.ne.jp/~ccs50140/colum2003.html
>2002/01/28 次の仕事の関係で、先日初めてプロの手によるホンモノの動画を手にしました~
>2002/02/16 ちょっと仕事が詰まり気味でして、この土・日は以前の会社の後輩にお願いしてマシン持参で手伝いに来てもらいます~
>2002/02/20 3日間こんちきさんにアシスタントに入ってもらい、何とか仕事の目処がついてきました~/今日はSプロデューサー(筆者注:酒井伸和)がお見えになり~/今回の仕事(ムービーです)の結果は3月1日からご覧いただけるようですが~
★2002/02/02 『ほしのこえ』下北沢トリウッドにて公開
www2.odn.ne.jp/~ccs50140/colum2003.html
>2002/02/03 トリウッドはお陰様で毎回満員、見に来てくださった方々とも直接のお話が出来、本当にありがとうございました!一晩のうちにこれほど沢山のメールをいただいたのもの初めて
web.archive.org/web/20020609191424/www.mangazoo.com/news/news.php3?id=889
dnarna-mirror.sakura.ne.jp/techle/2002/02/
★2002/03/01~ 『Wind -a breath of heart-』のOPが『ほしのこえ』の上映会の最終日にあわせて下北沢トリウッドで先行公開、その後web上でも公開
web.archive.org/web/20020610084350/www.dengekionline.com/g-net/g-net_news/200203/02/gn20020302wind.htm
gamez.itmedia.co.jp/games/movie/wind/index.html
www.itmedia.co.jp/games/gsnews/0203/05/news07.html
当時のニュースサイトの反応
dnarna-mirror.sakura.ne.jp/techle/2002/03/
>200203-061235 → Windオープニング minoriがミラー協力者へ委託
>200203-070015 → Wind高画質版ミラーに5時間で5500アクセス
>200203-072226 → Windデモムービーのミラーによる転送量が5.5GB
>200203-092338 → ねこねこソフト Windムービー見て奮起
※『Wind』の発売は2002/04/19
新海さんが筆まめかつ過去の情報を残してくれるひとで良かったね!
あとInternet Archiveと俺ニュのミラーしてくれてるひともありがとう!
なお当時の状況を伝える個人ニュースサイトに俺ニュを選んだのはログが残ってたから。カトゆーかsawadaspecialあたりが残ってたらそっちも載せた。
君の名は。人気はまだ続くのだろうか。自分は公開2週目位に一度見たきりなのだが、Web上で展開されている
様々な解釈を念頭に置いて、もう一度くらいは劇場に足を運ぼうと思っている。
新海監督の作品は「ほしのこえ」からの自分だが、その中では前作「言の葉の庭」が一番好みである。
50分弱という過不足無い尺。今作では少し鳴りを潜めた、現実よりやや過剰に高められた光の輝き。
ヒロインを失意の闇から救済し、精神的な絆を結びつつも、直接の対価を得ることが無い幕引き。
どれをとっても、新海誠という人物が長年その心象世界に持つ純粋な「私の世界」。
君の名は。を彼のベスト盤であると評した人がいた(本人?)ように思ったが、自分は「言の葉の庭」こそが、
最も正確に彼そのものを表しているように思う。
ただ、そういった作品性とは別に、自分が言の葉の庭を特別なものとして見るのにはもう一つ大きな理由がある。
全くもって個人的な体験に基づくもので、それを他人と共有する事に価値は無いのだとは思うのだが、
40を目前とした今、その記憶がゆるやかに風化していくにつれ、どこかにその記憶を刻んでおきたいという欲求に駆られ、
1日だけの日記としてここに記しておこうと思う。
創作では無い為物語の構成は酷く、起伏にも全く欠けるが、偶然目にする人がいたら、息抜きのつもりで読んでみて欲しい。
20年ほど前、自分は地方の私立大学に通う大学生だった。高校を出て何となくの流れに乗って通う大学生活は、
地方であること。理系であること。あまりハイブロウな属性でないことなどから大きな刺激も無く、
かといって腐ってしまうという程の退屈さもなく、毎日がそこそこのルーティーンとそこそこのイベントによって消費される、
卒業校は大学とほど近い場所にあるため、自分は時折高校時代の恩師の元を訪れ、近況の報告や、
(当時のPC弄りが好きな学生がしばしばそうであるように)師のPCメンテナンスなどを請け負っていた。
ある日いつものように師の元を訪れると、師の隣席に初めて見る顔があった。
師は、新任の先生だと言って彼女を紹介してくれた。
「今度新しく入ったH先生だ。」
「どうも初めまして。Sといいます。」
学校行事でスーツを着ていた自分を、おなじ新任か関連業者の人間と思ったのかもしれない。
彼女…H先生は突然勢いよく椅子から立ち上がり、コンシェルジュのような角度でお辞儀をしながら
と、およそその完璧なお辞儀からは相応しく無い焦り具合で挨拶をしてくれた。
少しだけ長めのボブカット。
そして何より、整った、育ちのよさそうな顔立ち。
(ははぁ。これは生徒に人気がでるだろうなぁ…。)
そう、思った。
「そう言えばH君、パソコンの調子が悪いと言っていたじゃないか。せっかくだからSにみてもらったいい」
これをきっかけに、ほんの短い間ではあるものの、自分とH先生に関係が生まれた。
その後数か月間、自分はH先生のPC周りの面倒を見ることになった。勿論、数か月といっても頻繁では無い。
実のところは、精々5・6度の話でしかなかったと記憶している。そうとは言え、ほんの少しだけ年上の
とびきり可愛らしい女性が相手だ。いつもわくわくしながら通ったのを覚えている。
見かけ通り、H先生はとても可愛らしく純粋だった。
明かりの落とされた職員室。
冷陰極管の青白い光に浮かび上がる横顔。
買ってくれた缶コーヒーの温もり。
年下の自分に中途半端な敬語交じりで話し、ソフトの使い方を教えたり、FEPの不調をメンテしたり、
壊れたFATテーブルをエディタで書き直す程度の事で、H先生はとても喜んでくれた。
見かけによらず、頑固でもあった。
突然の夕立に「いい」と言うのに頑として聞かず、駅まで車に乗せられた。
エアコンが効かず、少し蒸した車内。
一度、何かの為にソフトを借りに実業系科目の教師の所へ顔を出したとき、
と、冗談とも真面目ともとれない顔で言われたこともあった。
…その通りだと思った。
あの時自分はどうして恋に落ちなかったのだろう?
高校時代淡い好意を持っていたクラスの女の子を忘れられなかったからだろうか?
卒業校とは言え、教師という立場の相手に対しての遠慮だったのだろうか?
今となっては思い出すことができない。
ただとにかく、会いに行く時間の胸の高鳴りとは裏腹に、
自分がH先生に対して恋心を抱いたことは無かったように思う。
時が経つにつれて、H先生とは疎遠になった。卒業からしばらくOBとして顔を出していたやつが
いつの間にか顔を見なくなるという、ごくありふれた、普通の流れだった。
勿論、心のどこかで気になってはいたが、明確なきっかけも無いのに顔を出すのも気恥ずかしく、
また、自分という存在が順調に過去となっていく高校に窮屈さを感じ、足が向かなくなるにつれ、
しばらくの後には思い出すことも無くなっていった。
大学生活は相変わらず少々退屈で、授業とバイトの日々が続いていた。バイト先にはコケティッシュに笑う
年下のあざと可愛い女子大生が入り、自分はその子に相当入れあげていた。
そんなある日。
高校の「部室」へ顔を出した。
自分は高校時代ややヲタクなサークルに顔を出していた。それはよくあるアニメやゲーム好きが集まるような
内輪志向の趣味サークルで、正規の部員でこそ無かったものの、殆どコアメンバーのような立場でメンバーとつるんでいた。
先輩も、後輩も、同級生も、自分の高校生時代の交友の半分は、そのサークルに由来している。
部室にはYがいた。
Yは自分が卒業する年に入学した後輩で、少々エキセントリックな性格ではあるものの、
当時の世相でそういったサークルを志向していた女子には珍しく、並以上とは言える容姿と、
その予測不能な反応を示す性格から、OB現役を問わず大層人気があった。当時から近い表現はあったように思うが、
ヲタサーの姫がベターなワードチョイスだ。正確にはサークラ的要素も多分に混じるのだが、
方々穴兄弟にはなったものの、サークルはクラッシュされなかったので、二択であればやはり姫の方が無難であろう。
Yや他の部員たちと軽く挨拶を交わし、部室に置き去りにしたPCエンジンで縦スクロールシューティングに興じていると、
「先輩先輩。先輩はH先生知ってますか?」
驚いた。彼女が新任教師として赴任したのは自分が卒業した後であり、現役生であるYもそれは承知だろう。
卒業後に赴任した教師を話題にあげるという事は、普通滅多なことではしない筈だ。
「ああ、実はちょっとした絡みがあって少しだけ知ってるよ」
事実を答えた。Yが続けた。
「H先生、辞めちゃったんですよ」
公立高校と違い、私立高校では異動というものが殆どない。私立が主体の都会では事情が異なるかもしれないが、
地域内に同業が少ないこともあって、転職という選択をする教師も(教師という手堅い職を選ぶ本人の性向もあってか)
滅多にいなかったと思う。とにかく、短期での退職というものはあまり例が無さそうに思えた。
Yは表情を変え、ゴシップ好きの主婦のような声色を作って次を継いだ。
「それがね、聞いてくださいよ先輩。H先生寿退社…ってことになってるんですが、本当は…」
…
…
「本当は、生徒に強姦されて辞めたんです。」
それから数年の年月が過ぎた。
大学卒業後、氷河期のどん底という頃に地元の小企業に就職したが、ワンマン社長の横暴に嫌気がさし2年と少しで退職。
しばらくアルバイトをしながら職を探したが、高卒でブルーカラー職についたり土建業に入るならともかく、
大卒が志向するようなサービス業的業種にまともな就職先はとても少なく、わずかにある条件のよいポジションは
新卒で滑り込んだ者が既得権化しており、あとはそれこそ公務員くらいしか不満の少ない就職は困難だった。
それを期に、意を決して東京へ出た。
友人の家に転がり込み、転職エージェントを頼りにいくつかの会社を受けた。東京での活動は思いの外順調で、
面接したいくつかの会社から採用通知を受け、そのうち、条件はあまり良く無いものの、基盤の堅い中小企業に入社した。
入社後上司との性格の不和に苦しんだが、前職の事を思えばその程度の問題に対処することは苦労のうちには入らなかった。
給料はとても安(250程度だったと思う)かったが、それも前職に比べれば不満は少なく、初めての東京生活をエンジョイし始めることができた。
そんな矢先。
当時の秋葉原メイドカルチャーは黎明期の出店ラッシュがひと段落し、金の匂いに感づいた風俗業の面々が
続々と出店を始めた位の頃だったと思う。高校を卒業したYは東京の大学へ進学したが、
生来の不安定な性格故順調にメンヘラ属性を手に入れ、真面目な大学生という路線は早々に離脱。
生活の為か趣味かは聞かなかったが、アルバイトとしてメイドを始めた、ということだった。
メールには多少面食らったが、Yの人と成りからすれば、想像には難くなかった。
自分の秋葉原に対するスタンスは単なるパソコンショップ詣の場所で、メイドカフェへ行くことに多少の
戸惑いはあったのだが、後輩に会いに行くと思えばいい。了承の返事を送信した。
「おかえりなさいませ、ご主人様~」
Yの働く店は正確にはカフェではなく、バーだった。
万世橋を渡り少し裏手の路地の扉を開けると、今では手垢どころか擦り切れて表皮が
やや珍しい青と白の照明で彩られた店内(まるで自作PC筐体のようだ)は、多少の安っぽさはあるものの、
常連客との適度なゾーニングもされていて、居心地は悪くなかった。カウンターの向こうで客の相手をする
隣では、この場所にはやや不釣り合いな女性が独り呑んでいた。
「君、初めて?」
声をかけられた。
「そうですよ。高校時代の後輩がいるんで、まぁ付き合いです。」
「そうなんだ。じゃあ私と一緒ね。」
女性(T)は銀座でホステスをしていた。非番の今日は、ここで働く自分の彼女の仕事が終わるまで待っているのだ、
と教えてくれた。自分も自己紹介をし、それからしばらく話をした。ホステスの会話術は流石に巧みで、
後輩に会いに来たことなどすっかり忘れ、仕事の話や高校時代のことなどを話し込んだ。
2杯目のジントニックの氷が溶けるころ、Tがはたと気付いたように自分に聞いた。
「そうですよ。Yは3つ以上下だから、直接一緒になったことはないですけどね」
「そっか。そしたら君…」
…
…
「H先生って…、知ってる?」
ドキリとした。
自分の中で風化し、消えかけていた「H先生」という単語の響きが、急速に記憶の色を取り戻させた。
しかし、こんな偶然があるのだろうか?ここは00年代も半ばの秋葉原。しかも場末のメイドバーだ。
100歩を譲って、自分達の高校が埼玉や神奈川にあったとすれば分からなくもない。
だが、自分達の高校は十分に遠方にあり、増してや、彼女がH先生であったのは6年も7年も前の話なのだ。
ボブのかわいい初々しい先生だったこと
人の消えた職員室で一緒にコーヒーを飲んだこと
大した話ではない。読んでくれている人がいたら申し訳ないが、当事者以外が聞いても何の感慨もない日常の出来事だろう。
Tは、そんな自分の話を穏やかな顔で聞いていた。ひとしきり話を聞いてから、話をしてくれた。
髪型が全然違うこと 化粧が派手だったこと
プレリュードに乗っていたということ
…そして、1年程前まで、自分の彼女だったということ
少しジメジメした夏の終わり頃だったように思う。
日付なんて全く覚えていない。
でも、それくらい、自分にとって忘れられない日の出来事である。
「言の葉の庭」は、ヒロインである雪野先生が、想いを寄せられた男子生徒への対応を誤ったことを
きっかけに物語が構成されている。劇中、男子生徒を奪われ、腹いせに雪野先生の退職を画策
(そしてそれは成功する)した女生徒に主人公が抗議をするシーンがある。
客観的に見るとやや時代錯誤と青臭さがあり、本作で唯一落ち着かない場面ではあるのだが、
このシーンを見ていると、雪野先生とH先生をどうしても重ねてしまう。
勿論、自分が孝雄になる妄想を出来る程今の自分は若くない。ただ、物語は悲恋として終わるものの、
孝雄の存在は、雪野先生の人生において彼女のレールを想定の範囲内におさめる為強力に機能した筈だ。
では彼女は、H先生はどうだ?
H先生に関して一つ書き忘れたことがある。彼女は県下一の、ある業種の創業家の息女である。
名士の娘が地元の高校で教壇に立つ。頃合いをみて結婚。家に入る。
時代錯誤ではあるのだろうが、そんなルートが彼女の想定の範囲だった可能性は高い。
もっとも、実はそれが嫌で飛び出したということも考えられる。
これを読んで、「だからだよバーカ」と舌を出しているかもしれない。
それならそれで、構わない。彼女が想定の範囲の人生を受け入れていたかどうかなどわかるはずもないし、
想定されたルートが幸せだったなど、他人の人生の価値判断を想像でするべきではない。
ただ、人生のターニングポイントにおいて、1人の人間の存在が他の1人の人生に与えうるインパクトの大きさというものは、
現実であっても、いや、現実こそ想像以上に大きい。花澤香菜がワンテイクで録ったというクライマックスを見る度、
そこに感情をぶつける肩のあった雪野先生と、もしかしたら無かったのかもしれないH先生とで、
-----------------------------------------------
…自分語りはこれで終了だ。
最後に少しだけ、素人の新海誠評を書いてみたい。
あくまで想像だと前置きするが、新海監督は幼少から無理目な恋愛ばかりをしてきたのではないだろうか?
恋愛という通常とは比較にならないエネルギーを必要とする行為において
その力を一方的に放出し還流を受けることのできない状況は、人を極端に消耗させる。
ある者は力尽き、ある者は別の誰かから力を得た。
またある者は、運良く力の循環に出逢えることもあるだろう。
監督はどうだ?
監督は恐らく、無から力を生み出すことを選んだ。それが新海誠の作品性の源流であり、
君の名は。の2人は、時空を超えて尚力の循環を得ることが出来たように描かれている。
これをもってして彼の心象世界との乖離を突き、不安視する声がある。かく言う自分も少しばかりは、心配だ。
だが、監督は既に力の循環を知っている。言の葉の庭の2人は、実態としての結末こそハッピーではなかったかもしれないが、
君の名は。の解説でセカイ系はどうのこうのドヤ顔で説明してるやつが大概センスない記事あげてるのがつらい。
初出2002年の言葉だぞ?14年も前の概念いつまで引きずってるんだよ。
だいたい君の名は。自体セカイ系の延長で論じる箇所全然ないじゃん。
ヒロインを救っても街の避難が成功しなければヒロインは死ぬ(本人だけ助かっても本人の苦しみが残る)わけで、解法は街(≒セカイ)を救うことしかなかったわけじゃん。
新海の方がどんどん新しい気持ちで作品作ってるのに、オタクはいつまでほしのこえとか雲の向こうの頃の感覚で作品論じてるんだよ。
停滞しすぎだろオタク。
http://b.hatena.ne.jp/entry/togetter.com/li/1030984
natu3kan コメントにもあるが、10年前は普通の会社では生かせない才能をの人はアダルトゲーム会社が発掘し、今は動画配信サイトか。ブコメみて追記:利益が出れば自由が許される業界は強い。新海誠とってminoriがつなぎ仕事でも
新海がminoriのOPを作ってたのはコミックス・ウェーブの企画部門であるMANGAZOOがminoriの母体だったからだよ。
まったく縁のないところから酒井伸和が新海を見出して依頼したわけでもそれが可能だったわけでもない。
だいたい新海のwikipedia見れば『wind』より『ほしのこえ』の方が公開早いの分かるだろ?(※『Wind -a breath of heart-』のデモムービーは、『ほしのこえ』の上映会の最終日にあわせて下北沢トリウッドで公開されたのが初出で、完全に『ほしのこえ』の後追い。(http://web.archive.org/web/20020610084350/www.dengekionline.com/g-net/g-net_news/200203/02/gn20020302wind.htm))
『ほしのこえ』は公開と同時にトリウッドが連日満杯になって、そのことがネットを通じて日本中を駆け巡ったんだよ。すごい(映像の)アニメが公開されたらしい、しかもひとりでつくったらしい! ってな。
その後なんだよ、『wind』は。OPを見たエロゲオタもまた同様に衝撃を受けただろう。受けただろうが、そのときには既に新海は人口膾炙されたあとだったわけ。だから『wind』のOPによって世間が新海に気づいたとかは完全に偽史だよ、偽史。
なお『BITTERSWEET FOOLS』のOPも担当してるじゃないかというやつがいるかもしれんが、本作ではぜんぜん話題にならなかった。『彼女と彼女の猫』がコンテストでグランプリを獲ったときはさほど新海の知名度が上がらなかったのと同様(もちろん情報感度の高いやつはこのあたりで知ったんだろうが)。
あくまで新海が世間に出る直接のキッカケになったのは『ほしのこえ』だ。
ファルコムで『英雄伝説』とか『イース』のOPつくってた件を持ち出すとしても言えてゲーム業界出身まで。
ただしファルコム在籍中から自主的に掌編映像を作って地力をつけてきた(http://www2.odn.ne.jp/~ccs50140/world/index.html)ことを考えるとやはり自主制作アニメ出身というのが妥当。『wind』では上記や『ほしのこえ』で培った実力を発揮したことによってインパクトある映像になった。エロゲのOPを作って力をつけてきた、みたいな解釈も完全に間違い。
あとついでにいうと新海がエロゲOPのあり方を変えたとか言い張るのもアホ。
mouseion まあ、新海OPはエロゲーの在り方を根本的に変えちゃったよね。要は意識高い系の泣きゲーシナリオにはこういう意識高いOPを付けないとユーザーには受けない病気に罹ってしまって必要以上にOPに拘ってバカみたい♪
新海フォロワーと言えるエロゲOPは『あると』を始めとしていくつかある。あるのは事実だが、エロゲOPを“新海的”なものに変化させたりはしてねえ。
なぜかっつーと真似るのがそもそも困難で、真似たところで「ああ、新海のパクリね」以上にはならんからだ。
売上に直結するならそれでもやるメーカはあるだろうが、くだんの『Wind』がまさにOP詐欺といえるほどゴミだったせいでそれもなくなった(OPの出来だけで売れるならminoriがこんな体たらくになるはずがない)。
2000年代のエロゲOPにもっとも影響を与えたのは、2000年前後の同人MAD業界だ。『kanon』とか『月姫』をモチーフにした静止画MAD。音楽にあわせてカットを矢継ぎ早に切り替え、映像を盛り上げていく手法のMADが流行りに流行った。
それまでのエロゲOPはおもにコストの問題から映像をスクロールさせてそれに音楽を乗せる程度だったのが、この辺りからより映像性を重視したものが増えていく。
2000年代にエロゲのOPをいちばん作った映像メーカーといえば神藝工房だろうが、代表の神月社と捏音たむは当に同人MAD業界出身。同じように『Kanon』のMADで名を馳せたTi(極東屑山公司第二工廠)も『歌月十夜』や『Fate』のOPを担当してる。
こういう事実を無視してお前の脳内お花畑開陳してんじゃねーぞクソ雑魚ナメクジが!
なんかもーいっそのこと『彼女と彼女の猫』から『Wind』のOPが公開されるまでの時系列整理しとくかって気になったんでやります。基本的にネットのログに頼ってるので大雑把。
と思ったら増田の字数制限(?)に引っ掛かって更新できないので詳細は↓。
http://anond.hatelabo.jp/20161010071838
★読むのめんどくさい人向けの簡易まとめ+それを元にした憶測
・2000/04 『彼女と彼女の猫』で CGアニメコンテストのグランプリ獲得
・2001/01-04あたり(?) コミックス・ウェーブによるマネジメント開始
・2001/06 『BSF』のデモムービー制作 → 8/31発売
・2002/01-02 『Wind -a breath of heart-』ムービー制作
・2002/02/02 『ほしのこえ』公開
・2002/03/01 『Wind -a breath of heart-』ムービー公開 → 4/19発売
単純な公開順をいえば『彼女と彼女の猫』→『BSF』→『ほしのこえ』→『Wind -a breath of heart-』。
新海はエロゲによって知名度を上げたかという問いに関しては『BSF』が焦点になるわけだが、当時のログを見るにほとんど話題になっておらず(なおhttps://twitter.com/kanose/status/784046586187755520)、情報感度の高いひとがそれによって知ったとしても『彼女と彼女の猫』で得た知名度を超えるものではない。
俺が新海はエロゲ出身じゃないと言い張ってるのは(ファルコムを退社してまで)自主アニメ制作を本格的に始めるキッカケが『彼女と彼女の猫』でグランプリを受賞したことにあるし、世間に知られたと言える最初の作品が『ほしのこえ』であるからだ。
ここまで言ってなお新海はエロゲ出身と言い張りたいやつはどういう理屈によってそうなるのかちゃんと説明しろ。
なお上記はファルコム出身であることを理由にしたゲーム業界出身説を否定するものでも、エロゲOP制作経歴はパージしとくべきと言うためのものでもない。
ようやく見てきたので感想。
ネタバレあるよ。
『君の名は。』は秒速レクイエムと『ほしのこえ』ぐらいから新海を見てきたヤツは言うんじゃないかなと思う。
終盤の展開は、わざとらしいぐらいモロカブリだった。
そーなんす。自分の中からほとんど失われてしまったあの子を、何を探してるかすらも忘れてしまったのにそれでもずっと追い求めてる、ってゆーある意味クッソ気持ち悪いアレをもっかいやるんすよ。
でもって明確にリフレインされてるのが、“すれ違う”と“電車に乗ってるときに見かける”のふたつ。
すれ違いは、『秒速』のラストで印象的に使われていた。線路で“君”とすれ違い、お互い渡りあった後に振り返るけど電車が走ってきて、それも何本も重なって長い時が流れる。遮断器が上がったときには“君”はもういない。
『君の名は。』では今度こそ振り返った時そこに阻むものは何もなく再会できるのかと思わせておいてスカす。心憎い演出だと思う。
『秒速』では電車に乗ってる貴樹は“君”らしきひとを見つけるけど乗ってるのは急行で彼女も気づかず再会できない。
『君の名は。』ではお互いが電車に乗っていて、ドア越しに決定的な再会を果たす。すぐ間に電車が走って分かたれるけど、『秒速』と違ってお互いが求めあってるので“君”がいなくなったりはもうしないのだ。
で、この違いを生んだ最大の理由に奥寺先輩をあげておきたい。瀧のバイトの先輩で、淡い恋心を抱いていた女の人。
三葉と入れ替われなくなった瀧は彼女を求めて飛騨に向かう。なぜか奥寺先輩(と友人A)がついてくる(そう、貴樹と違って瀧くんには友人がいるのだ!)。演出上は探せど探せど手がかりが見つからないシーンのコメディリリーフなんだけど、彼女が「ラーメン食べたい」と言ったお陰で次のシーン、ひいては三葉との再会へとつながる。
構造的に言うと、瀧くんには三葉との間を埋めてくれる第三者がいて、貴樹にはいなかったっつー話になる。
瀧は奥寺先輩に二度振られる(といってもどちらのタイミングもすでに三葉のことが好きになってるので、違うっちゃ違うんだが)。特に二回目は奥寺先輩の薬指に結婚指輪が見える形でそれが露わになる。
これは三葉の指に存在しかねなかった指輪を奥寺先輩が引き受けてくれた――と『秒速』を経た人間としては思った。
音楽。
天門→RADWIMPSだね、と。うん、この映画にはあの前向きなボーカルが必須なので大正解だと思う。川村元気の功績として語られることが多いこのチョイスだけど、ガチならそれだけでプロデューサーの役割は果たしたと言えるぐらいにRADWIMPSだった意味は大きい。
なお歌が流れてるときは映像が後景化しあたかも曲のPVであるかのようにしつつ話を圧縮して転がしていくのは見ていてかなり気持ち良かった。
この辺りはファルコムを出すにしろminoriを出すにしろ、長編映像を作る前に短い映像をたくさん作ってた話を出すにしろ、新海の本領と言える部分なので、さもありなん、といった感じ。
あと映像について。
初めて話を見せるための映像になったなという印象。『秒速』って映像を見せるためにお話がついてくるといった感じがあったでしょう。『秒速』に限らず、『ほしのこえ』も『雲の向こう、約束の場所』に関してもそう。
今回だって「あー、このシーンみせたいんだなー」と感じるところは何個もあって(隕石が落ちてきてそれを眺める最初のシーンとか、太陽を背にふたりが逢魔が時に再会するのとか)、新海の癖だろう映像から話おこしてる感が完全に消えたわけじゃない。
でも、今回は映像を見てるんじゃなくお話を追ってる感が見てるあいだずっとあった。だから映像はキレイだし印象に残ってる画面はあるけどそれじゃなくお話で満足した感がある。
もっと言えば映像の凄さは超展開の強引さを埋めるために機能したというか。
あのかなり無理やりなお話を、映像の凄さで納得させたというか。
新海誠は自分の絵の凄さをようやくフルに使えたんではなかろうか。
ここまで来たらぜんぶ書いちゃうか。
三葉ちゃんめちゃくちゃ可愛かったね。新海のどこがいちばん成長しましたかって聞かれたら女の子がちゃんと可愛かったって答えるわ俺。世界をしょった儚い女の子とか可憐な女の子はこれまで何人も出てきてたけど(『星を追う子ども』と『言の葉の庭』は見てない)、三葉のような見ていて楽しい、素直に可愛いと思える、愛着の湧くヒロインは初めて。このタイプのヒロイン自体が初めてなのに圧倒的に成功してるというのはほんとすごいと思う(単純にキャラデザがいいってのはあるけど。『ほしのこえ』は新海本人、あとはいろんなひとに作監お願いしてきたけど、今回がいちばんウェルメイドだと思いますふつーに)。
おっぱいについて。
瀧くん執拗なほど三葉のおっぱい揉み揉みしますよね。あれもちろん単なるセクハラじゃなくて(セクハラなんだけど)、①サービスシーン、②(妹につっこまれることで)コメディシーン、③(重ねることで微細な差が生まれる)コメディシーン、④キャラの置かれてる状況の違いを強調する小道具エトセトラな効果があります。
おっぱいモミモミにこれだけの多重性を持たせられたってのも新海成長したなあと思いました。というかこれ誰かがそうしろって新海をたぶらかしたんじゃないかと思うんだけどどうだろ。
とりあえず。
映像のためのお話じゃなく、お話を表現するための映像になったのと、三葉がものすごく好感の持てるキャラクタになってたという二点で新海は本当に化けたと思う。見る前はただのフロックじゃねーのと眉唾だったけど、地力ついてきたとふつーに思うので、これまでもがき苦しんできた新海本人はもとより支えてきた周囲の方々にも本当にお疲れ様、次回も楽しみにしてますと言いたい。あと天門はどこかでまたいっしょに仕事してあげてください。minoriとはもうしなくていいです。
がアレらしい。もちろんわかるんだけど、気持ちとしてはちょっとうーんってなる。
まったく個人的な話だが、新海の映像にはじめて触れたのはナントカっていう高画質すぎて潰れちゃった海外の動画サイトの(違法)アップロードだった。中学とかそんくらいの頃。
すげえってなって、そのままの勢いでほしのこえのレンタルに走った。秒速とかもその後借りたと思う。
その後の映画は全部映画館で見てる(君の名はは実はまだ見てない)
言の葉の庭は初日に並んだ。そんなでっかいスクリーンでもなく、並んだって言っても大したことなかった。
君の名はすごいらしい。
すごいらしすぎて、怖くて見に行ってない。
『君の名は。』に色んな意味で心鷲掴みにされて、もう何度も何度も劇場に足を運んでいるのだけど、
この作品の大ヒットに関して、ブコメも含め様々な場所で個人的にちょっと気になることを目にしてる。
しかもそこそこな頻度で。
新海監督が、『君の名は。』で、「アーティストとしての作品性や作家性を捨てて、万人受けを狙った、そして売れた」って感じの意見ね。
いやいや、『ほしのこえ』当時からハマって追っかけてきたオタとしては、ちょっと待ってって思うのよ。
「作品性」や「作家性」って、新海監督は別に捨ててなくね?って。
『君の名は。』では新海監督の強いこだわりで魅力でもある画面のライティングや構図であるとか、
大きな力で引き裂かれる思春期(とそれ以後)の2人と恋愛と喪失だとかは、
何にも変わってないよね。
ボーカル曲に合わせてMVか!って感じで見せていく手法もそのままだし、
ナルシシズム漂う独り語りも、ロマン主義も、センチメンタリズムも、そういう作品の特色なんかも昔と同じ。
なんか、個人制作の『ほしのこえ』と、感動とトラウマを多くの人に植え付けた『秒速5センチメートル』っていう過去作のインパクトがあまりにも大きくて、
ああいうものこそが新海作品だ、万人受けしなくても、一部の人に響く強烈な作品やこだわりを志向するのが新海監督なんだ、
ラストで結ばれないものを観客に容赦なく突きつけるのが新海作品の本質なんだっていう考えを持ってしまった人が結構いるような気がする。
新海監督は「わかる人だけが自分の作品をわかってくれればそれでいい」という立場より、
「万人に受け入れられたい」そして「メジャーな規模で売れたい」という立場の自己顕示欲や願望のほうが、
昔からずっとずっと強かった人のように思うんだよ。
大ヒットでインタビュー受けまくってる姿なんて、ほんと昔から目指していたことが叶って嬉しい、って気持が、なんかありありと伝わってくるし、
『秒速』は見た人を励ますつもりで作って、「鬱だ」って反応が予想外だったって新海監督自身も言ってたし。
過去作だって、『エヴァ』とか、『最終兵器彼女』とか、ジブリとか、村上春樹とか…、とにかくメジャーで大ヒットした有名作品とかにそこまで寄せなくても…って思うくらい寄せてくるし。
『ほしのこえ』『秒速』みたいな作品は、ニッチな層にだけ強烈に響くこと意図的に志向して制作していたわけでなくてさ、
たぶん、単に個人制作・小規模制作で視野が狭かったり、監督個人のスキルが低かったり、お話の引き出しがワンパで、
(そして今作でも周りの大人たちやDQN客みたいなのは、相変わらずびっくりするくらい定型的でチープで、そことのやりとりも上手く描けないから省かれてたり)
決して『秒速』みたいな作品や、あの作品への反応みたいなものこそが新海作品の本質だ、作品性だ、ってわけじゃないと思うのね。
『君の名は。』はわかりやすいエンタメを目標にしたわけだけど、
そもそもが新海監督は、わかりにくいものや非エンタメ的作品を志向してたわけじゃないんだから、
描きたいこだわりを省いた、作品性や作家性を捨てた、と言うより、
周りのスタッフとの共同作業を通じてスキルアップしたって言い方のほうが正しい気がする。
川村元気Pから「新海誠のベスト盤を作って」って言われて、描きたいものを描いて出来たのが『君の名は。』なわけだし。
ともかくも『君の名は。』で、メジャー映画監督の仲間入りした新海監督だけど、
個人的には次回作も楽観視してる(『君の名は。』を超える興収をあげるかどうかは別にして)。
優秀なスタッフと関わることで成長していく可能性もあるだろうし、
逆にそこまで成長しなくて、また底の浅い引き出しからワンパターンな思春期男女の話を作ったとしても、
その時それは「ああ、今度のも新海さんっぽいねー」って言われてると思うの。
「ジブリっぽい」って言葉と一緒でさ、オタだけじゃなくて一般に広くそう思われるようになったら、
思春期のこの手の話をああいう絵力を交えて魅力的に見せれる作家って、実写含めて今は新海監督が一番だと思うしさ、
次回作が仮にワンパターンなものになってたとしてさえも、たぶん、きっと大丈夫。
それに新海監督は興収やら評判やらがしょぼくて落ち込むことはあったけれども、
とりあえず興収で一定の結果を残せさえすれば、庵野監督のように大ヒットしたのに深く苦悩する、そういうことに陥るような人とは実は違うタイプだとも思うから。
元ネタ:アニオタが非オタの彼女にアニメ世界を軽く紹介するための10本
http://anond.hatelabo.jp/20080721222220
まあ、どのくらいの数のアニオタがそういう彼女をゲットできるかは別にして、
「オタではまったくないんだが、しかし自分のオタ趣味を肯定的に黙認してくれて、
その上で全く知らない新海アニメの世界とはなんなのか、ちょっとだけ好奇心持ってる」
ような、ヲタの都合のいい妄想の中に出てきそうな彼女に、新海アニメのことを紹介するために見せるべき10本を選んでみたいのだけれど。
(要は「脱オタクファッションガイド」の正反対版だな。彼女に新海のアニメを布教するのではなく 相互のコミュニケーションの入口として)
あくまで「入口」なので、時間的に過大な負担を伴う3クール、4クールのアニメは避けたい(というか、ない)。できれば劇場版アニメにとどめたい。
あと、いくら新海的に基礎といっても古びを感じすぎるものは避けたい。
新海好きが「遠い世界 OTHER WORLDS」は外せないと言っても、それはちょっとさすがになあ、と思う。
そういう感じ。
彼女の設定は
アニメ知識はいわゆる「テレビまんが」的なものを除けば、ジブリ劇場用アニメ程度は見ている
サブカル度も低いが、頭はけっこう良い
という条件で。
まあ、いきなりここかよとも思うけれど、「エヴァ以降」を濃縮しきっていて、「セカイ系ブーム」を決定づけたという点では外せないんだよなあ。長さも25分だし。
ただ、ここでオタトーク全開にしてしまうと、彼女との関係が崩れるかも。
この情報過多な作品について、どれだけさらりと、嫌味にならず濃すぎず、それでいて必要最小限の情報を彼女に
伝えられるかということは、オタ側の「真のコミュニケーション能力」の試験としてはいいタスクだろうと思う。
アレって典型的な「オタクが考える一般人に受け入れられそうなアニメCM(そうオタクが思い込んでいるだけ。実際は全然受け入れられない)」
そのものという意見には半分賛成・半分反対なのだけれど、それを彼女にぶつけて確かめてみるには一番よさそうな素材なんじゃないのかな。
「アニオタとしてはこの二つは“CM”としていいと思うんだけど、率直に言ってどう?」って。
ある種のSFアニメオタが持ってる宇宙への憧憬と、オタ的な考証へのこだわりを彼女に紹介するという意味ではいいなと思うのと、それに加えていかにも新海誠な
の二人をはじめとして、オタ好きのするキャラを世界にちりばめているのが、紹介してみたい理由。
たぶんこれを見た彼女は「ジブリだよね」と言ってくれるかもしれないが、そこが狙いといえば狙い。
この系譜の作品が新海誠のフィルモグラフィーではその後続いていないこと、酷評されて2週間寝込んだこと、
アメリカなら実写テレビドラマになって、それが日本に輸入されてもおかしくはなさそうなのに、
日本国内でこういうのがさんざんつくられて(は失敗して)いること、なんかを非オタ彼女と話してみたいかな、という妄想的願望。
「やっぱりアニメは子供のためのものだよね」という話になったときに、そこで選ぶのは「笑顔」(2003)
でもいいのだけれど、そこでこっちを選んだのは、この作品にかける新海の思いが好きだから。
断腸の思いで削りに削ってそれで1分、っていう尺が、どうしても俺の心をつかんでしまうのは、
その「捨てる」ということへの諦めきれなさがいかにもオタ的だなあと思えてしまうから。
「猫の集会」の長さを俺自身は冗長とは思わないし、もう削れないだろうとは思うけれど、
一方でこれが宮崎や富野だったらきっちり1時間40分にしてしまうだろうとも思う。
なのに、各所に頭下げて迷惑かけて1分を作ってしまう、というあたり、どうしても
「自分の物語を形作ってきたものが捨てられないオタク」としては、たとえ新海がそういうキャラでなかったとしても、
親近感を禁じ得ない。作品自体の高評価と合わせて、そんなことを彼女に話してみたい。
今の若年層でminoriのオープニングムービーを見たことのある人はそんなにいないと思うのだけれど、だから紹介してみたい。
「君の名は。」よりも前の段階で、新海の哲学とかアニメ技法とかはこの作品で頂点に達していたとも言えて、
こういうクオリティの作品がエロゲのOPでこの時代に流れていたんだよ、というのは、
別に俺自身がなんらそこに貢献してなくとも、なんとなくアニメ好きとしては不思議に誇らしいし、
劇場用アニメでしか新海を知らない彼女には見せてあげたいなと思う。
新海の「光」あるいは「背景」をオタとして教えたい、というお節介焼きから見せる、ということではなくて。
「心にスキマを抱えて毎日生きる」的な感覚がオタには共通してあるのかなということを感じていて、
だからこそテレビアニメ版『彼女と彼女の猫』最終話はチョビが登場する以外ではあり得なかったとも思う。
「祝祭化するでもないささやかな日常を生きる」というオタの感覚が今日さらに強まっているとするなら、その「オタクの気分」の
源は「彼女と彼女の猫」にあったんじゃないか、という、そんな理屈はかけらも口にせずに、単純に楽しんでもらえるかどうかを見てみたい。
これは地雷だよなあ。地雷が火を噴くか否か、そこのスリルを味わってみたいなあ。
こういうジュベナイル小説風味の恋愛をこういうかたちでアニメ化して、それが非オタに受け入れられるか気持ち悪さを誘発するか、というのを見てみたい。
9本まではあっさり決まったんだけど10本目は空白でもいいかな、などと思いつつ、便宜的に「言の葉の庭」を選んだ。
「ほしのこえ」から始まって「言の葉の庭」で終わるのもそれなりに収まりはいいだろうし、東宝―新海時代の先駆けと
なった作品でもあるし、紹介する価値はあるのだろうけど、もっと他にいい作品がありそうな気もする。
というわけで、俺のこういう意図にそって、もっといい10本目はこんなのどうよ、というのがあったら
教えてください。
大ヒット公開中の『君の名は。』、スゴイ人気なので僕も観に行ってボロクソに批評してやろう!と思い、バンダイチャンネルで配信中の新海誠作品を観ています。
『言の葉の庭』は面白かったです。『ほしのこえ』も、これぞセカイ系!新海誠はこういうのが好きなんだな!って感じでした。
次は何を観ようと考えていたところで、アタマに浮かんできたのは『秒速5センチメートル』でした。
この作品は以前にも視聴していて、その時は半分寝ながら観ていたので殆ど内容を覚えていませんでした。
クソ作品だった気がするな~絶対クソ作品だよな~僕はこういう雰囲気だけアニメが嫌いなんだよな~とモヤモヤしていたので、もう一回ちゃんと観てみるか~、と視聴を開始しました。
そして最後まで観てみたら思っていたよりずっと良い作品で、モヤモヤしていたものが全部スッキリしたので少し語りたくなりました。
「切ない」「バッドエンド」「男は~女は~」、そんな文脈で語られることが多い本作ですが、この作品で描かれているモノはもっとポジティブなモノなのではと思います。
ラストの踏切のシーンでの遠野君の表情がそれを物語っています。
彼らはお互いに過去のことは子供時代の思い出として完全に吹っ切れているんですよ。
「あぁ思い返してみれば若かったなァ」、そんな感じなんです。
明里への思いが完全に消えていることに気づき、会社を辞めて寂しい日々を過ごしている遠野君も何だかんだで未来に目を向けているんですよ。
作品のテーマとしては、「子供の時に考えていたほど人生は思うようにはいかなかったけれど、それでも、僕らはこれからも生きていくんだぜ」みたいな感じが近いと思います。
「過去を思い出して鬱になった!」っていうのは単純に自分らが引きずっているだけです。
特にオチは無いのですが、そういう事を思いましたという話です。
『君の名は。』も後で観てきます。なんかこれもセカイ系のエッセンスが入っていそうな感じするので楽しみです。
エヴァにハマったある年の夏、アニメ映画を見まくっていた中オススメされていた「秒速5センチメートル」は当時の自分には輝きすぎてて予告編だけで辛かったし、何より現実路線の恋愛話なんだろうと思って距離を置こうとしていた。それでも調べてみれば聖地巡礼というまだ聖地巡礼という行為がそこまで一般化していなかったあの時代にそういう事をしている人が居るという事はそれなりに面白いのとリアリティがあるのだと感じ、見た。まず出た感想が「絵が凄い」だった。それからは考察や聖地巡礼を通じて「秒速5センチメートル」は遠距離恋愛という距離と恋愛で構成されている事を理解したし、小説版で補完もした。何度見直したか覚えていない。その後、「ほしのこえ」「雲の向こう、約束の場所」と見た自分はいつの間にか新海誠作品のファンとなっていた。秒速もあってアニメ業界では有名だったけど一般人にはまだまだ有名では無かったからこの人の作品は凄いんだよと周りに言いまくった。
でも「星を追う子ども」で流れが変わったと自分は感じた。追っかけていた自分はまずあれをジブリに似た何かだと。それからは思考が停止したかのようにあの描写はジブリのアレ、これはあれ、みたいな感じで多くの描写を他の作品で出てきた物と捉えた。もちろん今でもそう言ってる人は居るし、初見であればあの光る石を見て飛行石だと感じる人も少なくないと思う。
それでも先日の配信で、2度目の「星を追う子ども」を見て自分はある事に気付いた。それは新海誠作品のテーマの1つに「生と死」がある事だ。自分が入った「秒速5センチメートル」では死というものはほとんど描かれず、生きるの辛いって言いながら生き続ける人の物語だったとも言えるので、これに気付かなかったのも仕方がない気はする。距離・恋愛という先入観から前の2作品ともこの状況下の恋愛はなぁ・・・みたいなのが無意識にあった事で、受け取る感情が制限されていたのかもしれない。ほしのこえは宇宙戦争、雲の向こうは昏睡状態(と戦争)が描かれ、星を追う子どもでは家族の生死が描かれている。だから自分にとって今まで新海誠作品というものは距離・恋愛・心理描写がテーマになっているものという意識をしていたけど、星を追う子どもを見たことで生と死というテーマもあるのだと気付かされた。また、星を追う子どもは公開が2011年とあの東日本大震災から間もない頃で正直な所、生と死なんてテーマを扱った時期が悪すぎたというか運が悪かった感じがあるのだと思う。自分にとってはあの出来事もあってそういった部分をシャットアウトしていたのかもしれない。断言しておくが被災者ではない。だから先日見た時は家族(または親友)を抱きしめたいという気持ちに一瞬駆られた。
自分にとって「星を追う子ども」はターニングポイントであると感じていたがそれは全く違くて、ただ「生と死」というテーマを強く出した新海誠作品以外の何物でもないという事になるし、その後の「言の葉の庭」も考えてみればいじめの様な生死の関わる話が入ってきたりエンディングで距離が生まれるという事は、テーマに沿っていた訳でやっぱり新海誠作品は最高だという事が分かった。このテーマは建設会社やZ会のCMにも出てきている様に自分は感じるし、どういったコンテンツであってもポリシーを貫いている監督は素晴らしいと素直に思う。
今回の新作「君の名は。」には予告編を見る限り、恋愛や距離、そして生死という新海誠が描くテーマが備わっているように見えた。自分にとって最高の作品になっている事に間違いない。だからこそ新海誠作品に描かれるテーマを今更分かった自分が、見に行って自我を保てるか不安でならない。(隙あれば自分語り 執筆時間30分)
君の名は。控えめに言って最高だった。
あまりにも良すぎていてもたってもいられず、この気持ちをひとまず文章にしようと思って書きました。
見てない人はマジでこんな駄文読む価値ないからチケット取って映画行ってきてください。
そして、衝撃。
あれ?こいつらすごく真っ当なキャラ達だぞ?
すごく社交的で友達もいてそれなりに楽しそうな学校生活を過ごしている。
間違っても学校サボって御苑で金麦おばさんと密会なんてしそうにない。
なんかこの時点で、今回の新海監督は今までとは違ったものを作ったんだという実感がビシビシ伝わってきた。
そこからのコミカルな入れ替わりのやり取りはコメディタッチで楽しいんですよ。
TSモノ大好きおじさんとしては、とてもツボなやり取りにニヤニヤしっぱなし。
入れ替わってるのが声からスッと入ってくるから、どんどんのめり込む。
というか二人共めちゃくちゃかわいいし、なんて明るくて楽しい映画なんだ!!
なんて思ってましたよ。
新海監督だってこと忘れて楽しんでたので、中盤隕石落下の下りで
叩き落とされて、そこから這い上がっていく瀧の姿。
で、あのカタワレ時のシーンね。
感動的なのに、口噛み酒やおっぱいで笑かしてくる。
そんなところもすごく楽しかった。
で、マジックが落ちて記憶がなくなっていくシーンは号泣するしかない。
あの、一瞬で音がなくなるシーンは本当に鳥肌が立った。
そこからはずっと泣いてたと思う。
新海イズムみたいなものが全開で、それでもあのハッピーエンド。
で、まず思ったのは、背景。
新海監督の代名詞といえば、あの印象的な背景が上がること多いでしょう。
それが、今回はすごく薄い。
キャラクターの邪魔をしないように、すごく地に足がついた背景になっている。
ただ、一点だけ新海監督らしさを出した部分は彗星の描写でした。
それが効いて、瀧の言う夢のような景色という言葉にすごい臨場感が生まれていたと思います。
メリハリが付いたので、逆に印象的になっていた気がしました
で、でですよ。
あ、これって星を追う子どもと重なるなーと。
まぁその手前でユキちゃん先生が出てきた時点でもうって感じではあるんですが。
そして瀧と三葉の間の繋がりは携帯電話。あ、これってほしのこえかと。
なんか過去作とのオマージュがぐりぐり練りこまれてて、うれしい!うれしすぎる!!
その後も、三葉になった瀧がテッシーの自転車に乗ってるところは信濃新聞のCMを思い浮かべるし、
ラストの就活中の瀧の語る人々の記憶に残るような街づくりがしたいって台詞は大成建設の地図に残る仕事と重なるし、
今まで追ってきた新海監督の作品の思い入れもあって、もう胸が詰まりましたよ!
そしてラストね。
もうあのラスト。
みんな騒いでますけど、あれ秒速5センチメートルですよね。
バッドエンドなんて言われますが、自分はそうは思わないし、それも含めていい作品だと思います。
あのラストはあれでいいんですよ。
出会いないからこそ秒速5センチメートルはあの作品たりえたと思うんです。
でも、タカキには、幸せになって欲しかった、出会って欲しかった。そんな気持ちがあるのもまた事実です。
叶っちゃったよぉぉぉぉっぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉ!!!!!!!!!!!!!!!!!
はぁ〜叶っちゃいましたよ。
出会いましたよ。
間を阻む電車にも負けず、ちゃんと振り向いて声をかけて、三葉も振り向いてくれた。
何回かニアミスしてるんですよ。
新宿で、タカキが仕事に押しつぶされて帰る帰路ですら違ってるんですよ。
でも、三葉は毎回きちんと振り向いてくれて、同じ気持ちを共有している。
もちろん君の名は。はそんなオタクの気持ちなんか抜きにしても良い作品です。
ど真ん中どストレートの直球のようなエンタメ作品だと思います。
映画館にカップルや中高生がいっぱいという話を聞いて、当然だと思いました。
それが嬉しくてしょうがありません。
そんな素敵な門出に、こんなオタクにご褒美をくれる。
なんてうれしいんだろう。
新海監督のファンをずっとしてきたからこそのカタルシスがありました。
小説で川村さんがおっしゃっていたように、まさに新海誠の集大成のような映画だったと思います。
そして、そんな君の名は。で初めて新海監督作品を見た人たちが、過去作でも好きな作品を見つけてくれるとうれしいなと思います。
どうせちゃらちゃらした恋愛物語を見せられるのだろうと思いつつも、あんまり評判がいいから見に行ったが、実にすばらしかった。
新海誠はデビュー作の『ほしのこえ』だけ見たが、この作品もこれと似たところがあった。「時をこえる」というのが彼のテーマなのだろうか。
本作は、ある村に隕石が落ちて大勢の死者が出るのだが、それをある事情から主人公は事前に知ることとなる。隕石が落ちる前に村民を避難させられるか、というのが大きなテーマの一つである。これはおそらく東日本大震災の影響を受けているが、ぼくはそれより思い入れの深い、先の大戦のことを思い出していた。東日本大震災であれば地震が起きる前に、先の大戦であれば空襲や敵の攻撃の前にそれを伝えて、人々の命を救うことができるかということである。あるいは、もっと個人的な物語を思い出す人もいるかもしれない。
結局村人の避難は成功するのだが、そのために尽くした人のこと、自分が尽くしたことは、「夢」のように忘れてしまう(詳しくは映画見て)。東日本大震災での人命救助、復興のために尽くした人のことや、先の大戦で国難に殉じた人々のことを忘れることと似ているかもしれない。
一点気になったのは、主人公の男女二人が「好きだ」という恋愛のことばを用いるところである。彼らはしばらくの間、こころとからだが入れ替わった時期がある。そのことによって、そして何よりヒロインと彼女が住む村の人々の命を救うための共闘によって、互いの心は強く結びついている。それは確かだが、それが恋愛に発展するシーンは描かれておらず、むりやり恋愛の要素を入れたようにしか思えなかった。恋愛でなくても、人と人とが強く結び合うことはできるし、村人とヒロインの命を救うための戦友としての魂の結びつきを描けばじゅうぶんであったように思われる。『シン・ゴジラ』で庵野が、恋愛要素を入れろという圧力に屈せず、男女がゴジラから日本と世界を救うという仕事の一点で協力する様を描いたが、本作もそのように、必ずしも恋愛に基づかない男女の関係を描くことができたらおもしろかったのではないかと思う。
ネタバレ注意。
瀧くん、入れ替わった時に胸だけでなく性器もめっちゃ観察してそう。三葉もか。
奥寺先輩は瀧くんをどう思っていたのか。
三葉の時の瀧が好きだったのか、単に面白いな〜と思ってたのか。
最後に、東京に出たから会いにきたというのは、なんだったのか。
気まぐれか。
三葉、つまずきからのローリング転がりが火サス風味で死んだかと思った。
三葉、瀧になっていた時はうまくトイレできたんだろうか。
てっちゃんは少年院にぶちこまれたりしていないのだろうか、心配。
新海さんは年上好きなのかな。
飯描写がんばってた。
襖、障子、電車のドア、そういう境界として意識的なカット多かった。
ほしのこえ→雲の上、約束の〜→秒速〜→星を追うこども、と、過去の作品があったうえで、今作だなあと。
奥寺さんと司がつきあってたりしないかなー
新海誠監督の最新作『君の名は。』が公開から2日で59万人動員だ興行収入7億だ、最終的に60億円見込みだと話題になってて、はてダ時代から棲息しているボンクラな古参はてなーどもが「誰にそんなにウケてんだ」と驚愕してる。
http://b.hatena.ne.jp/entry/eiga.com/news/20160828/8/
Hoodedcrow1 なんかブコメ見てると把握してない人多いけど、この映画のボリュームゾーンは中高生女子(オタに限らず)ですよ。新海誠だから見ている訳じゃないっす。小説は既に50万部売れてて、主題歌でさらにブーストかけてます。
raitu 新海誠の新作アニメ映画「2日間で観客動員約59万人、興行収入約7億7000万円(26日が約3億4800万円、27日が約4億2200万円)を記録」今回は「君の名は。」という中高女子向けの人気原作であることも寄与してるっぽい
まーこのあたりのブコメが正解だよね。タイムラインを追うとはっきりわかる。
2015.12.10 製作発表・公式サイト開設。2016年8月に東宝配給で全国公開、神木隆之介・上白石萌音の主演が明らかに
4.6 予告PV公開。主題歌と劇伴をRADWIMPSが担当することが明らかに。キャッチフレーズは「この夏、日本中が恋をする。」
6.18 新海監督書き下ろし原作小説刊行(角川文庫)。3日で売り上げ10万部を超える
どう見ても「勝ってから戦ってる」でしょ。最初から、神木隆之介だRADWIMPSだ、やれ「日本中が恋をする」だという要素に惹かれる層を相手どってる。
4月時点で、プリクラをtwitterアイコンにしてる地方の大学生が予告編を観てこんなツイートをしてた。
上映予定の君の名はっていうの
めっちゃ見に行きたい🙄
これ泣くやつや
https://twitter.com/youtyan731/status/725877277683159041
昔ボンクラどものカリスマ?だった新海誠が、こういう人々相手の商売に成功しようとしてるわけ。
しかし、言うほどボンクラどものカリスマだったか?という疑問があるのよね。
新海作品は初期から知ってるけど、ボンクラどもが『秒速五センチメートル』でひっかかりまくっていた「女々しさ」(敢えて言う)が、『ほしのこえ』『雲の向こう、約束の場所』あたりでは逆に若い女性にウケて話題になってた記憶がある。
14年前、『ほしのこえ』が初めて公開されたのが下北沢のトリウッドとゆーミニシアター。『雲の向こう~』も今は亡き渋谷シネマライズ。女性客多かったよ。
新海誠作品は元々そういう文脈でウケてて、扱う主題的にも、こういうふうに勝ってから戦える可能性はバリバリ秘めてた。『秒速~』がむしろ例外的に、当時のはてな村の非モテ文脈に乗せられてたことでヘンな誤読を招いてたんじゃないかと思うけどどうよ?