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はてなキーワード: 観客動員とは

2019-11-04

君は『スターライトエクスプレス』を知っているか

スターライトエクスプレス』というミュージカルがある。

簡単に言えば、電車テニミュだ。

蒸気機関車新幹線フランスイタリア列車に扮した俳優達が、ローラースケートで、劇場縦横無尽に駆け巡る。

もちろん、歌や踊りも盛沢山。

いつ初演だって

1984年、30年以上前

さすがに、もう公演終わった?

ドイツでは毎日公演している。

日本では見れないの?

20年以上前に全国公演があった。宇宙刑事シャリバン新幹線役を演じている。

有名なの?

世界2000万人の観客動員を達成している。

YouTubeでも公演の一部を見ることも可能だ。

iTunes楽曲の購入も出来るぞ!

2019-10-21

ラグビー日本代表に決定的に欠けているもの

4年後、というが日本代表未来は楽観できる状況にない。


ワールドカップで優勝できる国は4年の間に平均して50試合程度をこなしている。

Tier1はシックスネーションズチャンピオンシップに参加することでこの試合数を経験できる。

Tier1とTier2の最も大きな違いがここにある。優勝できない国の代表そもそも経験できる試合数が少ないのだ。


そういう意味日本が今回Tier1のアイルランドスコットランドを倒して予選突破できたのはやはりサンウルブズ存在が大きい。

日本代表としてではないがサンウルブズとしてスーパーラグビー経験を重ねることが予選突破には必要だった。

代表ユニフォームを着ていてもサンウルブズユニフォームを着ていても俺たちは一つのチーム、というのが「One Team」というスローガンの持つサブテキスト的な意味である

各国の代表監督が欲しがっても決して与えられることのない「チームとして成熟させるための練習時間」を唯一充分に与えられたのがジョセフHCだった。

ジョセフHCの手腕をもってしても、この素晴らしい日本代表を作り上げるには3年間毎日のように一緒に練習するという膨大な時間必要で、その時間サンウルブズ構想を推進したジョーンズ前HCの置き土産だ。

しかサンウルブズは(金がかかるという理由で)日本ラグビー協会バックアップが得られずスーパーラグビーから姿を消すことになる。


2021年以降の日本代表の強化にはサンウルブズに代わる何かが必要で、それが環太平洋リーグ構想(という名の日本国内のプロリーグ構想)につながる。

環太平洋リーグが魅力的なものになれば個々の選手の力の底上げにつながるだろうが、サンウルブズのような代表クローンチームでもなければ代表の強化にはならない。

いったい日本ラグビー協会は何がしたいんでしょうね。

日本トップリーグにはすでに一流のコーチ選手結構いて、そういう意味では環太平洋リーグ構想はうまくいく見込みが全くないというわけではない。


しかし、仮に2027年ラグビーワールドカップの開催がアメリカになったとしたら。

アメリカはもちろんアメフトの国でラグビーマイナースポーツだが、立ち上がったばかりのMLR(メジャーリーグラグビー)というプロリーグを持っている。

しか協会選手登録している人の数は12万人で日本より少し多いほどである(人口比でいえば日本の方が高いが)。

アメリカスポーツ産業ラグビーの魅力に気づいたとき環太平洋リーグがある程度の成功で終わっていたらうかうかしていられない状況になる。

サッカー不毛の地と呼ばれたアメリカFIFAワールドカップが開かれて25年、MLS(メジャーリーグサッカー)の平均観客動員はJ1を少し上回る2万人程度にまで拡大している。

資本が入り、日本国内12か所で行われるプロリーグと同等以上の報酬MLRが用意できるようになったとしたら、オーストラリアニュージーランド南アフリカ選手はどちらを生活拠点に選ぶだろうか。


少し脇道にそれた。

日本代表にとって次のフランスワールドカップまでに必要なこと。

それは何よりも必要最低限の試合数の確保である。できれば真剣勝負の。

シックスネーションズに入れてもらえるなら断る理由はない。(遠すぎタイムゾーン違いすぎでそもそも誘ってもらえない可能性の方が遥かに高いが)

ワールドラグビーによる12国対抗戦の構想には全面的に協力し推進すべきだ。

anond:20191020231916

2018-10-08

日本人だってパクってる。ホリエモンとこうみく問題を整理する【中国の件】

https://twitter.com/takapon_jp/status/1048569686424612864

堀江貴文さんから「まじこの作者アホすぎる笑。消えて無くなった方がいい」と言われてしまった、こうみくさん。

どの点に着目すべきなのか、しっかり考えてみます

~~こうみくの意見

1、中国パクる

2、発展途上の国は模倣する

3、中国人はパクることを教育課程で訓練される

4、日本人パクることを教育課程で訓練されない

5、中国ではパクリ上手が賞賛される

6、中国パクるだけに終始せず、ネタ元を追い越す「虎のようなパワー」を持つ

7、日本で「パクること」は「偽物の行動」とされる

8、中国で「どんな手段を使っても市場に勝った者」は「本物」とされる

9、中国人は商標権を先に取っちゃったりするので困る

10、上記のような土壌の中国では、オリジナリティが重視される芸術関連の産業が育たない

11、でも日本中国と違うからオリジナリティが重視される芸術関連の産業が育ってる

12、日本中国人のパクリ力やたくましさを取り入れ、競争で生き残ろう


こうみくの記事拡散された結果、こんな意見が出た

・「おもしろい」

・「わかりやすい」

・「日本人もがんばらなくっちゃね!」


しかしここでホリエモン登場

・「まじこの作者アホすぎる笑。消えて無くなった方がいい 」

・「消えて無くなって欲しいのは本音なので別に言い過ぎではない」

・「悲しいと思うくらいのこと言わないと気づかないだろ」

…毎度お馴染みのはっきりした物言いに「ヒドイ!😢」という反応も出たが、

ホリエモン意見は納得できるものである

なぜなら…

~~ホリエモン意見

1、パクるか、パクらないかはその人の性格意識によって違う

2、「中国人はパクる」など、国籍で決めつけてはダメ

3、しかも多くの人間は、文章を細部まで読まずタイトルなど雰囲気判断してしま

4、だから中国人はパクるんだ😠!」という差別的メッセージ大人数に拡散されてしま

5、影響力が強い人が差別的記事を書くのは危険からマジでやめろ。(消えてほしい=とても強い警告)

(実は、ホリエモンの行動の方が先を見ており、「優しい」のだ)

ここで重要なのは

ホリエモンはこうみくに注意喚起をしているわけだが、ホリエモンがこのメッセージを本当に届けたいのは

「よく考えずタイトルだけ見て、雰囲気に流される不特定多数の人たち」である


なぜならこのような人たちの脳に「中国パクるんだ😠」という

シンプルメッセージが刷り込まれることは危険からである


日本人にとっても中国人にとってもよくないことだろ」by堀江

=「こうみくは影響力もある。これは両国の溝を深めるような記事だぞ」と注意しているのではないだろうか。



ホリエモンは、

大衆がどんな風にメッセージを受け取り、それがどんな風に広がっていくか」

を熟知している人間である

彼はよく言う。

人間って大体のこと忘れちゃうんだよ」と。

それは私も、そう思う。

多くの人間は「あまりしっかり考えていない」。

何か商品を購入するときも、パッケージの格好よさや雰囲気で決める。

フォロワーが多いとか、全米が泣いたとか、観客動員000000万人とか、

なんか優しそうとか、なんかエコっぽいとか、そういう「雰囲気」に

流されてしまうのが多くの人間だ。

そしてそのような人間は、1つの記事を読んでも、文章を細部まで読み込めない。

そして、読んだ気になって内容をすぐに忘れてしまう。

その人たちの頭の中には、「インパクトの強かったフレーズ」や「画像記号)」だけが残る。


から、今回のこうみくの記事場合、それに当たるのは

1、「中国パクる」というフレーズ

2、アイキャッチ画像

この2つだと思う。


アイキャッチ画像には

中国の本物=市場で勝った人、はじめた順番は関係ない」

日本の本物=アイディアを考えた人、最初にはじめた人」

書いてあり、中国日本国旗差しまれている。

本当に、多くの人の頭の中に刷り込まれるのは、この情報だけだ。

彼女一生懸命時間を使って書いたこれ以外の情報は、

読者が夕飯を食べている時や、子供の送り迎えをしている時や、

セックスをしている時や、セックスがしたい時に

「忘れられてしまう」

ほとんどが。


(もちろん細部をしっかり覚えている人もいる。頭がいい人はそれをできる)

ニュアンス、作者の背景、性格文脈を読み、意見交換をしたいと思う「少数派」の人たちだ)


でもホリエモンがいつも考えているのは

「実際、世間ってどうなってるよ?」「どんなふうに情報をみんなが受け取る?」

という部分なのではないか?と思う。

そしてホリエモンは、

平和的に意見交換すればいいじゃない」

という意見を、時短で一番効率良い方法批判する。

なぜなら国際問題に関わるからだ。

「こうみくさんの文章をよく読めばわかるのに」とか「そんな差別的じゃないと思いますよ」

という意見を言いたいのもわかるのだが、

みんなその前に

・多くの人は細部を忘れる

・多くの人が自分に都合の良い部分だけ覚えている

・多くの人が印象的なフレーズや絵、情景だけを記憶している

・多くの人がなんとなく、ファッション的に情報いいねし、RTし、発言する

ということを忘れてはならないのだと思う。



そして影響力がある人は、このことを肝に命じて活動する必要が出てくるのだと思う。

インターネット時代、一人のツイートが国どうしの溝を広げることだって可能だ。

Webライター

クリックされやす題名画像を作ることが得意だし、

それが染み付いている。

長ったらしいタイトルにすれば、読まれいかもしれない。

「この記事拡散されたら、どんなことが起きるだろう」と影響力を真剣に考えすぎたら

いつまで経っても記事は下書きのままになってしまう。

から、短くてキャッチーで、刺激的なタイトルをつける。

ライター個人事情はあるだろうが、

影響力が強い人間特に意識しなければならない点なのだと思った。




~~日本人だってパクっている

そして最後に、私の意見ではあるが、「日本人だってパクっているよ」ということを説明していく。

中国は堂々とパクるが、日本ではパクることが恥だ」に関して

→いや、違う。日本はパクってる。

みんな自国に対する評価が甘いだけだ。

もしも、「メイソウが無印良品ダイソーユニクロをパクった」とするならば

ユニクロGAPをパクった。

モスバーガーマクドナルドをパクった。

サンリオピューロランドディズニーランドをパクった。


日本でもパクリ上手は賞賛される。

Youtube開始後、たくさんの動画サービス日本で生まれた。

SHOWROOM評価はどうだ?

海外投げ銭ビジネスパクリからダサい」と糾弾され、社員が恥ずかしい思いをしているか

前田祐二尊敬する人が、今この国で増えているのではなかったか



もし本当に「パクリが恥」で、日本人がパクらない国民なら

この国の人間

ハンバーガーを食べてないし

髪も染めてないし

洋服を着ていない。

海外アーティストのような歌い方をする歌手もいないはずだ。

浜崎あゆみマドンナに似たスタイル披露することがあるが、

あゆファンはそれを楽しんでいる。

日本人総出で、演歌能楽を楽しんでるか?

JAZZHIPHOPがこの国に存在しないのだろうか?

満員電車で、目の前の女子高校生雅楽Youtube見てるか?


違う。彼女BTS動画を楽しんでいて、

メイク韓国風で、セーラー服を着ている。

セーラー服日本オリジナルの服か?

違う。海軍制服ルーツがある。


パクってるのは中国だけじゃない。

日本はパクってる。盛大に。

から「虎のような力」は、日本だって持っている。


もちろん「パクリをカッコ悪い」と思う人だっているだろう。

でもじゃあなぜ、SONY日産はこの国で長らく賞賛され続けているんだ?

日本人海外冷蔵庫や車をパクったから、SONY日産が産まれたんだ。

から日本だって、「真似=パクリの達人」は賞賛されているんだよ。


中国中国は〜と言うけど、

日本だって同じだ。

欲望資本主義経済で動いてる国は、大体おんなじ道筋をたどる。

~~私の意見まとめ


日本パクるよ。中国だけじゃない

自分所属しているものに関することは評価が甘くなりがち

・実はホリエモンの方が優しい(本案件に関しては)

ホリエモンの方が先を見ているし、影響力も換算してる(その道のプロから彼の中にデータがある)

・世の中の大半の人は、細かいところまで文章を読んでない

・つまりキャッチフレーズ」や「トップ画像」は重要である

・「キャッチフレーズ」や「トップ画像」を演出するのが上手い人は、この時代注目されやす

しかし影響力がついた後は諸刃の刃。より多くの事柄を考える必要がある

国際関係些細なことで悪くするのは賢いとは言えないので、

本件ではホリエモンの方を支持します。

Written by ふるふるうさぎ

2018-09-17

anond:20180917160916

元増田です。

ちょっと示唆のある話なので、考えますありがとうございます

わたし仕事柄、年に200本くらい映画観てますけど、

映画とかは、そういう正しさを取り込んで、腐すにせよ、それを前提にして話を作ったりしてますね。

そして結構それが観客動員リンクしてる。

単純に作品を、正しい規範に則って作るというよりは、それを取り込まないと

自閉的な、現実乖離したものになるよという考えをわたしは持っています

しかしわたしはラノベを良く知らないので、トンチンカンなことを言っている可能性がある。

からわたしトンチンカンだと教えてくれるような批評がないものかと思っている次第です。

2018-09-11

anond:20180911154948

能力差異補正をする必要がない、とすると、実力・観客動員とも勝っている(成果産出が大きい)男子スポーツトロフィーや賞金(報酬)が大きいのは当然、ということになってしまいませんか?

2017-05-01

ちょんの間」と化したJリーグ

近年のJリーグは2つの意味で「ちょんの間」と化した。

まず、朝鮮系選手の増加。総数では増えたり減ったりだが、近年急増しているポジションがある。ゴールキーパーだ。

J1では18チーム中5チームの正GK韓国人プロ野球に例えたら、12球団中4球団の正キャッチャー韓国人のようなもの

昔はプロ野球朝鮮系メッカだった。最多安打の人も始めとし、記録を持つ選手朝鮮系が多かった。一昔前の阪神は、スタメンの半分が朝鮮系だった。しかし今は朝鮮系選手ほとんどいなくなり、代わりに朝鮮系Jリーガーが増えた。

もう1つは、暴力ファンプロ野球からJリーグへの移転

昔のプロ野球は毎年のようにスタジアム暴力事件が起きていたが、2000年代に入って各球団暴力ファン応援団暴力団追放を強く図った。応援団を認可制にし、一度でも問題を起こしたらその応援団解散構成員原則永久入場禁止問題行動につながらないよう、持ち物制限も厳しくした。その結果、スタジアムボールパーク化にほぼ全球団成功し、土日のスタジアムはどこもほぼ満員。スタジアムにはオッサンだけではない、子供女性の姿が目立つ。

ではその「暴力ファン応援団暴力団」は何処に行ったのか?

Jリーグスタジアムゴール裏である

ある首都圏クラブの事例を書く。

2000年代前半、そのクラブは全盛期と言って良いほどの成績を挙げ、観客動員も増加中だった。しかしまホームスタジアムには余裕があった。そこで野球スタジアムから追い出され、行き所を探していた彼らは、その首都圏クラブに目を付けた。彼らは牽引力だけはあるので、ゴール裏の統制をとれるようになるまでは時間がかからなかった。ここまでなら良かったが、そのうち彼らは意にそぐわない既存サポーター一般客の「追い出し」にかかった。アウェイ試合を「テレビしか見てないやつはホームスタジアムにも来るな」と言い出すようになったり、試合後に度々暴力事件を起こしたり、スタジアムに物を投げるようになったり、その暴挙枚挙に暇がなくなってしまった。なおその時の中心人物は度重なる暴力事件で何度も無期限入場禁止(たいてい、1年経たずに解除)処分を食らった後、スタジアムの一線から退き、政治活動をするようになる。

2000年代以前は、Jリーグサポーター問題行動は数が限られていた。鹿島の「インファイト」くらいのものであった。しかし、2000年代以降は、日本中インファイトと同等の問題サポーターグループができてしまった。J3はまだその様子はないが、J1とJ2はどこも似たようなものであるJ2でも最近徳島サポーターやらかしたが、一昨年は北九州が「ぶちくらせ問題」を出してしまったし、去年はジェフ千葉サポーター暴動事件を起こしている。つまり毎年事件が起きている。

それと同時に、プロ野球におけるファン応援団暴力事件が激減したのとは対照的である。「お弁当ビールを飲みながらゆっくり観戦できる環境」は、今のプロ野球には12か所もあるが、Jリーグにはほとんどない。

これは、昔の違法風俗街だった「ちょんの間」が、2000年代に入ってから相次ぎ摘発され、別の場所に住処を求めている様相とそっくりである

もはや、今のJリーグは「ちょんの間」とそっくりだと言って良い。「ちょんの間」がある繁華街エリアと同様に、今のJリーグは少人数でふらっと行ける環境ではなくなっている。Jリーグも何らかの本格的な対処必要だが、何を恐れているのか本格対処に動く気配は見られない。現在Jリーグは、毎年女性比率の減少と、サポーターの平均年齢上昇が続いているが、その傾向は今後も続くだろう。

2017-04-19

http://anond.hatelabo.jp/20170419202902

あなたは、教養はあるのだねー。藤原竜也酷評されたの?彼を育てた演出家が悪いんじゃないの?

なんで、ビートたけしハリウッド版の攻殻機動隊採用されたのかな。人気があって観客動員が見込めるからだよね。

創作世界コメディ世界は、各国や地方でツボが違うと思うので、まー、そうなんでしょうね。

  

一つ前の具体例よりも、そうだなー。スポーツは、底辺層が見るんだろうな。だから、それは

  

私はは、先日、『トランプ大統領に選出してしまったことを残念に思っている』的な発言をしたアメリカ人を知っている。

半数以上のアメリカ人トランプ投票したのでは?

また、EUから英国が、ヨーロッパの中では比較的マシな国だと思うイギリスでさえも、なんか、国民投票になると、目先のことに囚われて、つまり一時的感情に囚われて判断を誤ることが良くないのでは?

2017-01-16

君の名は。」を選外にしたキネマ旬報カス

君の名は。」がキネマ旬報ベスト選外となったけど、これは、日本映画批評における下記の(伝統的な)問題点象徴する出来事なので、みんなもっと大騒ぎすればよいと思います

最初問題点日本映画批評は、アニメーション映画を適切に評価することができません。

キネマ旬報ベストテンランクインしたピクサー映画は、何本でしょうか?少し考えてみてください。答えは、ゼロゼロですよゼロ世界アニメーション革命を起こした「トイストーリー」も、障碍児童冒険譚をウェルメイドに仕上げた「ファインディングニモ」も、冒頭からほとんどセリフを用いることな世界の荒廃を描いた意欲作「ウォーリー」も、トリロジーの最終作として圧倒的な完成度を誇る「トイストーリー3」も、ベストテン選外になっていますピクサー以外でも、「アナ雪」も選外なら、2016年は「ズートピア」も選外。正気かよ。日本アニメーションに目を向けても、例えば故 今敏作品は1本もランクインしていません。「千年女優」を超える絢爛な日本映画2001年10本あったか?「東京ゴッドファーザー」を超える抑揚の効いた感動作があったか?「パプリカ」のイマジネーションを超える作品があったか?「パーフェクトブルー」ほど低予算映画で、今なお国境を越えて評価され続ける映画が何本ある?

次の問題点日本映画批評は、映画自体の良さではなく「他国における賞レースの結果」や「興行成績」や「過去監督作の評価」などの外部要素に引き摺られすぎる。

2000年以降、ピクサーを筆頭にCGアニメーション映画映像面、シナリオ面での革新を重ねる中、たった1本だけキネマ旬報ベストテンに名を連ねた映画があります2009年戦場でワルツを」。レバノン内戦における監督自身記憶を辿る、という半ばドキュメンタリーのような内容の映画で、ここ数年の作品でいえば「アクトオブキリング」ような手触りの、とてもいい映画です。とてもいい映画なんですが、たぶんこの映画キネマ旬報ベストテンランクインしたの「アカデミー賞ゴールデングローブ賞外国語映画賞部門ノミネートされた最初アニメーション映画」だからなんですよね。あと反戦映画から反戦映画と、海外映画賞をとった映画日本映画批評において高く高く評価されます

興行成績の良い映画評価も引き下げられます興行成績がよい映画は「おれが評価しなくてもいいだろう」という寝言をいいながら、実のところ「自分は年に100本も200本も観ているのだからパンピーと同じランキングには出来ない」という薄っぺらながら自意識を守るために、本当はすごく面白かったのに、8位とか9位に入れたり選外にします。2016年も「シンゴジラ」より「クリーピー」を評価して、ズートピアを選外にしたハゲがいましたね。「こいつらは友達が多いから、ほかの人が評価してくれる」って言い訳しながら。一言。邪念が多いよ!!面白い映画普通に評価しろよ!!いや、確かに「クリーピー」は面白い。その通り!映画順位をつけるもんじゃない。その通り!けど、正直「シンゴジラ」と「ズートピア」より「クリーピー」のほうが順位が上、とい上のはさすがに無理があります

過去監督作に評価が引き摺られすぎる、というのはイーストウッド映画過大評価が最も有名でしょう。確かに、イーストウッド映画面白い。本当に良い映画ばかりです。でも「グラディエーターアメリカンビューティーとダンサーインザダークを抑えてスペースカウボーイが1位」とか「父親達の星条旗硫黄島からの手紙のワンツーフィニッシュ」は、やりすぎをこえて「ヤラカシ」だと思うんですよね。

ヤラカシ」といえば「オールタイムベスト日本映画こと七人の侍が、キネマ旬報年間ランキングでは3位な件」がもっとも有名ですが、このときは「木下恵介作品のワンツーフィニッシュ」というわけわからんことになっているんですね。1位は「二十四の瞳」。これは、わかります。「二十四の瞳」はすごい映画です。今観てもびっくりさせられます(比類する作品は「6歳のボクが、大人になるまで。」ぐらいしかし無いのでは?)。ところで、2位は?…2位は、「女の園」という映画です。…いや、本当なら観てから言うべきなのはわかります。でもあえて言わせていただきたい…知らないよ!!オールタイムベストどころか、木下恵介監督作としても無名作品なのではないでしょうかコレ。(誰か観た人いますか?もし「おれは観たけど、七人の侍よりずっと良い映画だよ」という人が多ければ、この段落は訂正の上謝罪いたします)

最後問題点日本映画批評者は、孤独すぎる。

映画は観る環境によって、評価が大きくことなます。これは前項と矛盾するようで矛盾しません。映画館で観る映画と、家で観る映画は違います。「IMAXで観るゼログラビティと、金曜ロードショーゼログラビティは別の映画だ」と言われて、否定する人は少ないでしょう。映画体験です。ウェイン町山が「試写室で隣にピエール瀧がいたので死ぬほどビビった」と言って「凶悪」を年間ベストに挙げるように。ガース柳下金沢映画祭で観た映画を年間ベストに挙げるように。「お家に帰るまでが遠足」と言われるように。「フェスで盛り上がる曲」があるように。では、「夫婦カップルで観に行き、食事をしながら感想を言い合い、その日の記念にプリクラを撮り、インスタに半券の写真を上げたくなる映画」は、その体験込みで評価しなければいけないのでは?

ひとり、ルーチンワークとして試写室のパイプ椅子に座り、原稿の締め切りを頭の片隅に置きながら観る人間は、金曜ロードショーで観た「ゼログラビティ」をつまらなかったと言い切る人間と変わりません。真面目な話、かつてこれほどまでに評価され、クチコミ観客動員の伸びたデートコースムービーってあるんでしょうか?そう言えば「動員で映画評価を語るなら踊る大走査線2は名作」って言ってる人がいましたね。…寝言かな?(たぶん口を滑らせたのだろうと思うけど)

以上3点。おれは「息もできない」を年間ベスト映画に選ぶキネマ旬報のことが(ピラニア3Dを年間ベスト映画に選ぶ映画秘宝より)本当に大好きなんだけど、やっぱりよくないところはよくないところなので、なおしていただきたく候。

なおちゃぶ台をひっくり返すようだけど「君の名は。」は観てません。だって子どもが生まれたばかりで、奥さんが育児で手一杯だったからね。子どもがもう少し大きくなったら、ポテトチップスコーラを片手に、あーだこーだ言いながら2人で観るよ。ほなさいなら

2016-08-30

まあでもエロゲのオープニング作ってた新海誠新海誠だし

http://anond.hatelabo.jp/20160829084435

raitu 新海誠の新作アニメ映画「2日間で観客動員約59万人、興行収入約7億7000万円(26日が約3億4800万円、27日が約4億2200万円)を記録」今回は「君の名は。」という中高女子向けの人気原作であることも寄与してるっぽい

この人、「君の名は。」と「君に届け」あたりを勘違いしてそう


それはさておき。

現状のはてなの騒がれ方は、元増田みたいな認識よりももっとずっと手前ではないのか。

近い時期にシン・ゴジラがあったもんだから、それと二項対立を組めばいいんだとしか思ってないバカが「オタクシンゴジ、非オタ君の名は」みたいな構図で安い叩きを量産している。海猿叩く時の文章のまま、タイトルだけ変えたやつ。

童貞の星からメジャー作家まさかの転身」という前提(元増田のいう誤読)にすら到達してないのでは。

2016-08-29

考えてみりゃ新海誠は元々「女子供」にウケてたじゃん

新海誠監督の最新作『君の名は。』が公開から2日で59万人動員だ興行収入7億だ、最終的に60億円見込みだと話題になってて、はてダ時代から棲息しているボンクラ古参はてなーどもが「誰にそんなにウケてんだ」と驚愕してる。

http://b.hatena.ne.jp/entry/eiga.com/news/20160828/8/

Hoodedcrow1 なんかブコメ見てると把握してない人多いけど、この映画ボリュームゾーン中高生女子(オタに限らず)ですよ。新海誠から見ている訳じゃないっす。小説は既に50万部売れてて、主題歌さらブーストかけてます

raitu 新海誠の新作アニメ映画「2日間で観客動員約59万人、興行収入約7億7000万円(26日が約3億4800万円、27日が約4億2200万円)を記録」今回は「君の名は。」という中高女子向けの人気原作であることも寄与してるっぽい

まーこのあたりのブコメが正解だよね。タイムラインを追うとはっきりわかる。

2015.12.10 製作発表・公式サイト開設。2016年8月東宝配給で全国公開、神木隆之介上白石萌音の主演が明らかに

2016.3.24ポスターヴィジュアル解禁

4.6 予告PV公開。主題歌劇伴RADWIMPS担当することが明らかに。キャッチフレーズは「この夏、日本中が恋をする。」

6.7 長澤まさみ市原悦子の出演が明らかに

6.18 新海監書き下ろし原作小説刊行角川文庫)。3日で売り上げ10万部を超える

6.27 予告PV第2弾公開。主題歌公開

8.24 RADWIMPSサントラ君の名は。』発売

8.26 全国296館にて劇場版公開

どう見ても「勝ってから戦ってる」でしょ。最初から神木隆之介RADWIMPSだ、やれ「日本中が恋をする」だという要素に惹かれる層を相手どってる。

4月時点で、プリクラtwitterアイコンにしてる地方大学生予告編を観てこんなツイートをしてた。

上映予定の君の名はっていうの
めっちゃ見に行きたい🙄
これ泣くやつや

https://twitter.com/youtyan731/status/725877277683159041

ボンクラものカリスマ?だった新海誠が、こういう人々相手商売成功しようとしてるわけ。

しかし、言うほどボンクラものカリスマだったか?という疑問があるのよね。

新海作品は初期から知ってるけど、ボンクラどもが『秒速五センチメートル』でひっかかりまくっていた「女々しさ」(敢えて言う)が、『ほしのこえ』『雲の向こう、約束の場所』あたりでは逆に若い女性にウケて話題になってた記憶がある。

14年前、『ほしのこえ』が初めて公開されたのが下北沢トリウッドとゆーミニシアター。『雲の向こう~』も今は亡き渋谷シネマライズ女性客多かったよ。

新海誠作品は元々そういう文脈でウケてて、扱う主題的にも、こういうふうに勝ってから戦える可能性はバリバリ秘めてた。『秒速~』がむしろ例外的に、当時のはてな村非モテ文脈に乗せられてたことでヘンな誤読を招いてたんじゃないかと思うけどどうよ?

2016-06-14

http://anond.hatelabo.jp/20160611073946

ブコメについて

まどかラブライブエヴァファン搾取映画って言ってるのは何をもって言ってるのか不明。特典のことならそもそもガルパンのほうがえげつないと思うが。エヴァは特典とかやってたっけ?ちなみに俺は全部好きです。

映画けいおん!」も搾取映画だったの知ってて書いてるのこれ? リピータータンプ帳見て出直せ


リピーター特典があるか否かじゃなく、映画の内容が既存ファンから搾取する前提で雑に作られているものからファン搾取映画という話。

リピーター特典あるから搾取映画という定義で話していたら昨今の深夜アニメ映画殆どそういうことになる。

(ていうか、作品内容の話ばかりしてきて何故リピーター特典商法の話だと思ってしまうのか…。)

まどかなんてアニメ放映後大した時間が経ってないのに総集編映画前後編で作ったり、新編も元々虚淵が新作に乗り気でなかったとかいう話も聞くが、そのせいかやはり蛇足な話で軽い二次創作の延長っぽいチープさがあった。


ラブライブという作品は、本当はそんなに穂乃果中心的な作品じゃなく総合的なキャラクター作品のはずだが、アニメ映画においてはグループ活動において穂乃果が中心的な立ち位置になりすぎていて茶番化していた。

結局はライブシーンで客を呼べるからライブシーン以外の内容はおまけで作ったような映画だった。

元々新作ライブシーンが主題から内容は雑でも無罪というのであれば、極端に言えば劇場版プリパラみたいなライブすることを目的にした構成にすればよかったのでは。

まあラブライブアニメに限らずコンテンツ全体がファン搾取象徴のような作品から仕方がない。


エヴァはそもそも旧作で終わっているのに、最近アニメエヴァと比べてクソだから言い訳にしながら旧作エヴァの焼き直し+αを作り始めた所が滑稽で、ファンから搾取できることを分かっていてまた作っただけなのをそう高らかに言われてもという印象がある。

実際の内容も絵的には綺麗になっているが、内容等はさほど良い意味で衝撃を受けるような変わり映えはないと個人的には感じる。

声優自体も旧作の当時から既に実力者だった人が多いおかげで、演技が格段に良くなってるとはそんなに感じなかった。

一方で劇場版リリカルなのはシリーズは完全にTVリメイク総集編映画で、特典的にもまさにファン搾取のための映画だと思いながら観たが、作画演出声優の演技が進化していたので別の作品のように感じられた。

映画のグッズでもなのは2ndとまどか前後編は同時期にやっていたのでつい比較してしまったが、パンフレットがほぼ同じ値段なのにボリュームが倍以上違った。なのはの方が豪華という意味で。

そういう意味でもまどか映画は本当にファン搾取という感じがした。

エヴァなのは場合は旧TV映画版の画質の面の問題があるので現在技術と画質で総集編や総集編+αの新作をファンのために作ったという価値も分かるが、

まどかTVから殆ど時間が経ってない状態で規格等が変更されたわけでもない総集編映画化だった上に合計上映時間TV版全話を通して見た時間ほとんど差のない前後編という構成から擁護しにくい。

したがって、エヴァはそういう意味では搾取映画としての問題性が弱くなるから搾取というのは言い過ぎで、濡れ衣を着せてしまたかもしれない。申し訳ない。


売れたから売れただけの作品

けいおん!ガルパンハルヒなども結局はファン搾取目的映画にして作ったのだろうが、ハルヒは待望の未映像原作映画化した新作だったし、

けいおん!ガルパンは開き直って、来てくれるファンに従来の延長線上の新たな楽しさを全力で提供しようと奉仕するような作品だった。

ラブライブまどかファン搾取の間に合わせ映画のくせに開き直りもせずに中途半端な内容で誤魔化して蛇足らしい蛇足に終わった所が残念だった。

そんなわけでラブライブまどか映画こそ売れたから売れただけの作品と感じるから、それらとは対照的ガルパン映画を売れたから売れただけの作品と呼んだ元記事増田には思う所があった。

それぞれ元から人気があると分かって映画化が決まった作品達で、普通に作るだけで最低限以上の観客動員興行収入は見込めると作る前から分かっていたはずなのだから安心しながらいい作品を作ろうとしてくれたらいいものだと思うが、何故か変に焦ったような作品が出来上がることが多い。そういう意味でもガルパンけいおん!らはそれを分かった上で、観に来るファンを喜ばせるためにノルマを超えた作品を作ってきた印象がある。


ファン作品に求める期待と妥協

一方、ファンからこそ考え無しの絶賛に終始せずにもっと上の作品を求めるべきという元記事増田意見も一理ある。

ただその中でもガルパンけいおん!比較妥協が許される方の出来だったということと、他の多くの劇場版アニメファンならファンからこそこんな間に合わせのもので余計に金とりやがって、と怒っていいくらいの出来だったように感じた。


他に劇場版の評判がよく、かつ客観的評価にある程度納得できる作品といえばたまこラブストーリーがある。ファンサービス映画としても出来が良かったといえると思う。

ファンの求める要望、続編を映像化するという良い意味で出来の良い公式二次創作といった印象。

ただ個人的にはTVアニメたまこまーけっとが嫌いではないし、たまこともち蔵のカップリングが好きというわけでもなかったので、「そうそう見たかったのはこれなんだよ」などとは思わず、まとまったいい話という程度にしか思わなかったが。

2014-09-17

主にアニヲタアニメ日本が誇るべき文化と息巻いてるけどさ

 娯楽としてのアニメって90年代後半から見ればすごく衰退してるじゃん。ゴールデンアニメ放送は激減してるし

その中で一番視聴率とれてるのがサザエさんだし。音楽業界並みの衰退といってもいいよね。

 他の娯楽、例えばプロスポーツなんかだと、プロ野球球界再編後観客動員をどんどん伸ばしてきてるし、Jリーグ

はチーム数を大きく増やして裾野を拡大させてる。

 

日本の娯楽の中でアニメ存在感はどんどん小さくなってる。はてな2chしかみない人にはわかんないだろうけどね。

2013-09-22

2ステージ制説明会の個人的なまとめ。

とりあえず雑なまとめ。

後ほど公式に議事録ますが、それまでのメモとして。信義則に反するなら消します。

あの質疑応答どうやって議事録にするんだろう。

今回のいきさつ。

フロンターレについても収入・入場者数は減少傾向。

このままでは、リーグ分配金がJ1で5000万・J2で2000万減少する。

広告代理店から2015年から地上波放映に値するイベント実施していただければ、2014年リーグ収入2013年と同程度にできるという話があった。

収入の使い道

リーグ分配金にすると結局現状維持で負のスパイラルが止められない。リーグ全体で大胆な投資をする。

※各クラブは個別での成長への努力限界を感じているようです。

※結局2014年からリーグ分配金がどうなるかは不明。

 

若手の育成をすすめることによって、選手の質が上がり試合の質を上げることができる。

集客のためのキーポイントとして「スタジアム」と「試合の質」の2点をあげていましたが、「スタジアム」については語られていませんでした。

コレはフロンターレ等々力改築中だからか、とりあえず「選択と集中」でスタジアムは後回しということなのかはわかりません。

また試合の質を上げるために、「中2日試合をやめる。」という要望があるようです。コレは土日固定開催の廃止につながるみたい。

フロンターレとして

ココで今後のフロンターレについて以下の様な言及が。

  1. 今後等々力公園工事の進行によってフロンパークができなくなるかも。
  2. 東京オリンピックの競技を等々力に誘致することで、改築を前倒しできない画策中。

QA

気になったものだけ。

きちんと指標を設定してチェックを実施する予定。結果は公表するようにしたいと思う。

クラブリーグ優勝決定戦のフォーマット検討してもらった。各クラブの案を元に協議などをして2ステージ制になりました。

感想

事実はあまりありません。ほとんど既報通りでした。

私自身は「お金のためならしょうがない。」と思っている人間ですが、それでもリーグ分配金の減少という形で危機が表面化したので慌てて対応したという印象は否めない。

中西さんはゆでガエルになる前に手を打たなきゃとおっしゃっていましたが、クタクタに茹であがってます

新規顧客云々というのはかなり建前なので、そこについて文句つけてもしょうがいかもしれません。

リーグの求めている「代案」というのは来年10億持ってこれる代案ということになります

他に資料をみて気になった点として、収入観客動員の減少はJ1に顕著でJ2は維持か微増J1に比べると変化は穏当な範囲。

J1に大きなテコ入れ必要という状況では、地道な努力で打開というのも難しいのかもしれないなとは感じました。

あとはガス抜きになってしまった感があって残念。

フロンターレの今後の施策に影響があるか聞きたかったけど、無理でした。

とりあえず決まったことですので、少しでもいい方向に向かうように祈っています

追記 

公式の議事録が出ました。http://www.frontale.co.jp/info/2013/0922_1.html

J2の動員に関する情報など、一部記憶違いもあるようでしたので、公式を確認して下さい。

2012-08-07

なでしこジャパンビジネスクラスに乗り続けるために

五輪開幕前に火がつき、両チームが素晴らしい快進撃を見せた今でも、

いまだにくすぶっている男子サッカー女子サッカー飛行機座席問題について。

署名を集めたり渡航費用募金を集めたりという動きもあって、なでしこジャパン愛されてるなあ、としみじみ思うのだが、

この件に言及する人たちの主張や行動には、ちょっとズレてるなと感じることも多い。

今回の飛行機の座席の問題に限らず、男女代表チームの諸々の待遇の差をすべて男女差別によるものと捉える人が多い。

だが、男女のサッカーチームで待遇格差が生じる最大の要因、それは文字通り選手としての『格』の差だ。

 

女子選手たちはほとんどがアマチュア

リーグ集客は寂しく、観客が多く入っても無料試合だったりで収益面は未だ厳しい状況が続いている。

サッカー界にとってもほとんど儲けになっていないのが実情。

対して、男子選手たちは全員がプロ選手

試合観客動員数も、入場料・スポンサー料・放映権料といった試合収益も、

年俸移籍金といったクラブから投資女子とは比較にならない。

そして、協会から出る代表チームの強化費・遠征費は男女ともに、男子代表チームの莫大な収益に拠る。

待遇に差が生まれるのは性差別以前にプロアマ格差の問題なのだ

 

まり女子選手たちの待遇根本的に変えるには、

彼女たちにプロとしての確たる地位と収入を与える必要がある。

前述の男子プロ選手のような、多くの人と金を集める存在へと昇華させなければならない。

これはファンの力がなければできないことだ。

ビジネスクラスチケット代を募金するとか署名を集めるとかも、悪い話じゃないけど、

それでは代表チームの待遇が一時的にほんの少し良くなるだけで終わってしまう。

既に言ってるように女子サッカー環境の悪さは性差別根本の原因じゃないから、

飛行機の座席が男子と同等になったからといって彼女らが豊かになるわけではない。

女子サッカーに惹かれたなら、是非継続的になでしこリーグの有料試合を観に行き、クラブ収益を支えてほしいと思う。

クラブ収益が上がれば、女子選手たちの給料は上がり、練習や試合環境の向上にもつながる。

給料が上がり続ければプロとしての地位と収入確立させることができる。

そうすれば必然的に粗末に扱うことはできなくなり、代表チームの待遇も変わってくる。

 

貧乏に負けず頑張る女子サッカー」という画の美しさが人気を呼ぶ一方で、

彼女らを貧しい環境から脱出させようという動きはあまりにも少なく、

あったとしても、その視線選手たちのサッカー人生の基盤であるリーグクラブに向けられることが殆どないのは非常に残念に思う。

一部には、「なでしこ頑張れ」と言いつつも、女子サッカー選手たちが貧しくあり続けることを望んでいるかのような人もいる。

そのような人たちにとってのなでしこジャパンとは大抵、女性優位を誇示してくれる存在、あるいは『いけ好かない若い奴ら』をこき下ろす材料であり、

女子サッカーの貧しさとはそれを引き立てる最高のスパイスということなのだろう。

本当に残念、色々と。

 

最後に、『男子なんかがビジネスクラスに乗るな』などという暴論について。これは完全に間違ってる。

この件に関する数々の意見のなかでも、Jリーグファンとして最も怒りを覚えた言葉だ。

女子なでしこリーグ6月末に早々と休止され、合宿でコンディション調整が出来たのに対して

男子イギリスへの渡航日の直前までJリーグを戦い続けていた。それも代表戦を並行しながらの過密日程で。

彼らはプロとして優遇されるだけの責務を立派にこなしている。

女子待遇改善を主張するならともかく、男子選手たちの待遇を下げろなど、それこそ馬鹿げた話だ。

Jリーグクラブもろくに知らないような連中が、日本サッカーの宝とも言える若手選手たちを

試合もまともに見ないで、女子との不毛比較や印象論だけでこき下ろす状況には正直言って、かなりストレスを感じている。

なでしこ女子W杯優勝以降、日本男子サッカーがこれまで分厚い壁にぶつかりながら

勝ち取ってきた成果の価値をも全否定するような風潮が女性と老人を中心に広がったことも、本当に悲しい。

女子サッカー男子サッカーは別競技だ。男女混合で試合大会を行うわけではない。

にも関わらず女子活躍男子を卑下することに直結するなんて狂ってる。

2012-07-28

文楽問題に関するいくつかのこ

以前、大阪市が公開した文楽問題に関するメール交信記録を読んで一文を記したが、

大阪の文楽問題をめぐる公開メールを一読して

文楽の問題に関して、Twitterを見ていていくつか誤解があるようなので、書いてみたい。

文楽大阪市補助金だけで成立しているのではない

産経の記事によれば、

橋下市政 揺れる文楽 補助金凍結…地方公演厳しく+(2/2ページ) - MSN産経ニュース

 同協会の収入は興行収入が8割、補助金が2割を占め、その内訳は国が8千万円、市が5200万円、府が2070万円(23年度)。

記事中「同協会」とは文楽協会のこと。今すぐ見当たらなかったが、たしか本公演に影響が出る額ではなかったように記憶する。少なくとも文楽の存廃に関わる額ではない。

大阪市補助金カット後、別名目の補助を出す可能性がある

公開されたメール記録から。池末浩規参与3月24日メール

http://www.city.osaka.lg.jp/yutoritomidori/page/0000174249.html

③-1.技芸員のマネジメント機能のうち、「都市魅力向上に資する伝統芸能に関する若手技能者の育成支援事業」に対する事業補助を行う。これは当 初金額を××円(試案:2,000万円)とするが、××年度(試案:平成27年度)以降の分については、前年に(府)市の文化芸術に関する補助についての委員会名称未定)により決定する。

③-3.経過措置として、✕年間(試案:平成24年度に限って)は、✕✕万円(試案:3,200万円…現状の5,200万円と上記2,000万円 との差額)を新たな公演の試み、協会の機能向上の試みに対して事業補助する。この補助の使途および成果については、事後に報告するものとする。

ただし、同じく池末参与6月5日メール中、橋下市長とのやりとり部分。(→は池末参与の返事)

文楽についてはその構造 も、担当者以外は理解していないところもあります

文楽守れ!=(国も地方も)税を入れろ!となりがちです。

文楽を守る役割は結局国に あるということがはっきりとしてきました。

→結局文楽の振興については国しかコントロールできない形にしておきながら、大阪府市も金入れろという図式ですね。

そうなると若手育成も国では?

→本来はそういうことになります

また若手育成について、国 と地方役割はどうなのでしょうか?

→原則国主体でやるべきという考え方がベースになると思われますが、国が新たなスキームに乗ってくるまでの短期間(3年以内を想定)人材育成につい ては大阪奨励金を出す考え方もあるかもしれません。

将来、技芸員が自分の子息に芸を継がせたいと思い、家業として芸の継承が出来れば安定するのでしょうね。

市長とその周辺の意図としては、「文化財保護」よりも「振興(観光資源としての活用)」なのでこういう書きぶりになる。しかし、文楽においても、もちろん「家業」となっている場合もあるが、原則的には歌舞伎と違い、あくまでも実力主義だという側面が全く閑却されている。

文楽では過去様々な新作が作られてきた

文楽伝統に胡坐をかいている、敷居が高いなどという意見を散見したが、事実文楽も新作を試み、様々なチャレンジをしてきた。たとえば、子供向けに作曲された新作があげられる。

文楽の入門編として最も手軽だと思われるのは、国立文楽劇場で毎年夏の公演で演じられる演目だ。夏休みのため子供の観客を対象としたものが必ず演目にあがる。今年は「西遊記」がかかっている。

そこで近年演じられてきた演目を振り返ると、「舌切雀」「雪狐々姿湖(ゆきはこんこんすがたのみずうみ)」「瓜子姫とあまんじゃく」「東海道中膝栗毛」「金太郎の大ぐも退治」「鼠のそうし」「大江山の鬼退治」。。。などなどがあげられる。ただし、必ずしも中身が充実している演目ばかりとは言えない。

こういった子供向けの演目だけでなく、大人向けの演目も様々な試みが繰り返されてきた。

例えば歌舞伎演目コピーがある。そのなかで、「勧進帳」はもっとも有名な演目の一つだろう。

またあまり知られていないかもしれないが、近松門左衛門の「曽根崎心中」は歌舞伎の影響で戦後に復活した演目だ。その事情は次のサイトコンパクトにまとめられている。

素人控え「操り浄瑠璃史」

 その人形浄瑠璃にとって難題だらけの「曽根崎心中」の復活上演を、まず試みたのが本家人形浄瑠璃ではなく、歌舞伎であった。

 昭和28年(1953)8月、近松門左衛門生誕300年を記念して宇野信夫が「曽根崎心中」を新しい歌舞伎に脚色し、の新橋演舞場舞台にかけたのである。徳兵衛を上方歌舞伎の第1人者の2代中村鴈治郎、お初を長男の2代扇雀(のちの3代鴈治郎)というコンビで演じたところ、大評判をとって扇雀ブームまで起こった。

 この反響の大きさに驚いたのが、本家文楽である人形劇としての「曽根崎心中」復活上演に意欲を燃やし、現代向きにという松竹大谷竹次郎会長の意向を入れて、西亭(にしてい)こと三味線弾きの初代野澤松之輔が脚色・作曲担当、鷲谷樗風(わしたにちょふう)の演出で、昭和30年(1955)四ツ橋文楽座1月公演の舞台にかけたのである

 よく復曲といわれるが、昔通りの演奏復元は不可能で、新しい作曲と割り切った方が誤解が少ない。語りを8代竹本綱大夫、三味線を10代竹澤弥七コンビ主人公・徳兵衛役の人形は序列7番目だった吉田玉男が遣った。

 上演すると、元禄の初演当時のようにお初徳兵衛の純愛葛藤が評判を呼んで、興行的に大成功を博したのである

これらのものは本公演でもしばしばかけられる演目だけれども、より実験的な演目としては、蝶々夫人ハムレットテンペスト(「天変斯止嵐后晴」)など。また、市長が再三ふれている三谷幸喜の新作に代表されるようなそれも、しばしば作られる。聖書福音書物語文楽で、といった試みまである

まり文楽に携わる人たちは、新しい観客開拓への意欲はあり、チャレンジ精神も問題意識もある人たちなのであって、この点は文楽を知らない人たちによく認識しておいてもらいたいと切に願う。

したがって、ちゃんとした台本さえあれば、たとえば百合文楽でもけいおん!文楽でもなんでもできるはずだ。文楽人形は、女子高生でもイエス・キリストでも、なんにでもなれるのである

なぜ文楽が他の「伝統芸能」「大衆芸能」と同じでないのか&なぜ継承が難しいのか

しばしば、歌舞伎落語と並行して文楽を論じられているのを目にする。しかし、文楽は他の古典芸能と全く違う側面があるので、「伝統芸能」「大衆芸能」という大雑把なくくりで論じられるとやや面食らう。

まず、文楽音曲として非常に格の高いものだったという歴史的な事情である。これは歌舞伎竹本葵大夫さんが軽く書いている。

歌舞伎義太夫の世界

人形芝居で創りだした演目歌舞伎流出して、歌舞伎で大当たりを取る。それがために、人形芝居は経営に打撃を受ける。これは対策を講じなければいけない。そんなこんなで、人形芝居の組合で「歌舞伎に出演した太夫・三味線は除名処分にする。歌舞伎の太夫・三味線とは同席しない」などと取り決めます。「われわれは宮中お召しがあると参内して芸をお目にかける。そして掾号も受領することさえある。歌舞伎などの河原者とは身分が違う」と息巻いたかどうかは知りませんが、これくらいのことは充分おっしゃられたでしょう。

今でこそ、私など文楽の9綱大夫師にご指導いただいたり、ほかにも三味線の方が文楽の方のご指導をいただいたりしておりますが、昔でしたら考えにくい現象でしょう。

もちろん実力の裏付けがあってこそで、

 ただいまでも「文楽座出演」と銘打って歌舞伎演目文楽座の皆様が演奏で出演なさると、たいがい新聞劇評は「○大夫、△△以下、文楽座の演奏に量感がある…」というようなことが書かれます。ところが、同じ曲を私ども竹本演奏いたしますと、あまり賛辞を頂戴することがございません。

ということになる。

葵太夫さんも触れておられるが、そもそも人形浄瑠璃皇室関係の深いもので、その一つの表れが掾号だろう。名人上手は皇族から掾号を受領することがあり、豊竹山城少掾、人形遣い吉田難波掾を最後に掾号受領するものはいないが、しかしながら皇室との関係はあったわけで、昭和38年松竹が興行権を手放し文楽協会が成立したとき松竹がこれを「献納」と言っているのは故なきことではないのだ。

繰り返すが、このような人形浄瑠璃における格の高さは、実力の裏付けがなければ意味を持たないし、まして現代において補助金の投入を正当化するものには必ずしもならない。

しかし、他の芸能と一括りで論ずることができないという側面の若干は感じてもらえるのではないか

また、義太夫節の特性について若干ふれておきたい。

義太夫節構造のものは簡単で、決まったメロディーパターンを詞章に合わせて組み合わせて行くだけだ、という説明でいいと思う。したがって、このパターンの組み合わせは無限に広がる。

ところがそう簡単にいかないのは、文楽古典場合演目に合わせて様式が成立しており、義太夫節ではこの様式を「風(ふう)」という。かねて様々な論者により、風を語り分け伝承するのが最大の難物だとされてきた。というのも、非常に微妙・繊細なものだからだ。

以前書いたように、私は国立文楽劇場に通って図書閲覧室にもよくお邪魔をするような人間だったが、さすがに義太夫節を語るところまではやらなかった。だから断定はできないけれども、この様式の問題は最後は幼少時の音楽環境の問題になると思う。と考えたくなるくらいに、微妙な代物であって、これだけ洋楽が氾濫して耳が慣れてしまっている現代日本で、こういうもの継承することが可能かどうか、はなはだ疑問だと言わざるを得ない。

やや話がずれたかもしれないが、たしか落語歌舞伎などのように、時代に合わせて姿かたちを変えることで人形浄瑠璃においても生き延びることだけなら可能かもしれない。しかし、文楽場合、繊細な中身が変わってしまってはもはや文楽ではなく、ただの人形芝居、「文楽のようなもの」が残るだけだろうと強く危惧するものだ。

この点が、私の文楽の将来に対する悲観や「古格を維持している限りは、文楽は補助されるべきだ」と考える所以でもある。

観客動員を増やそうという努力必要、ただしその限界も率直に認めるべきだ

大阪市長やその周辺が模索しているように、観客動員を増やそうとする努力、そのための宣伝や統括的なプロデュースマネジメント必要だろうというのは、私もかねがねそう思っていた。まんざらではないと思う。

ただし、それには一定限界があるだろうとも思う。要因はいくつでもあげられる。

音楽環境がもうまったく変わってしまっている。古典に対する教育ほとんど日本ではなされないのだから理解できなくて当たり前。そもそも、松竹ですら経営が難しくて50年前に放り出したものを今の時代に観客が増えるわけがない。ちゃんと語れる人がもういなくなりそうだ等々。

一定限界を認めなければ、たとえば市長がいろいろ言っているように古典であっても演出をもっと現代的にしなければならなくなるだろうし、本も変えなければならない。本来、国立劇場国立文楽劇場での公演は一作品全部を舞台にかける「通し」を主として行われるべきだが、観客動員を上げたいのであれば歌舞伎のように「見取り」だけでプログラムを構成し、有名な売れそうな場面だけ舞台にかけておけばよい。しかし、それで本当にいいのか。

まり観客動員をどうしても上げたいのであれば、中身にも伝承にも確実に影響が出てくるだろうと思われるのだ。これで本当に「古格」が維持できるんだろうか。

「なぜ大阪府市が文楽の保存に公金を出さねばならないのか」という疑問に対する私の考える答え

私は、文楽だけでなく、歌舞伎も好きだし(そもそも文楽に触れるきっかけは歌舞伎で知っている演目文楽ならどうなのかという興味だった)、西洋古典音楽も大好きな人間だ。そうやって比較をすることで両方を消化するのが、誇張して言えばあるいは日本人だけの楽しみだとすら思っている。

そこで西洋音楽比較した場合文楽匹敵するものワーグナーの楽劇ぐらいしかないのではないかな、と感じている。長大さや感動の深さの点で比肩する物は相当に限られてくると思う。

それだけの値打ちがあるんだということ、それだけの値打ちがあるものに対して、日本のものなのに、その日本人の大多数が興味関心全くゼロだということは、まず言っておきたい。

その上で、しばしば「補助金なしでやっていけない芸能芸術は滅び去るべきだ」という意見が見られる。非常にもっともな意見で、公によって支えられている文化事業は常にこういう問いを問われるべきだと私も思う。

ただ、一方で、ヨーロッパオペラしろオーケストラしろ、「補助金なしでやっていけない」わけだが、「だから滅び去るべきだ」とは言われない。ここは必ずしも論理としてリンクするものではない、ということも、またもっとなのだ

文楽匹敵するのはワーグナーくらいしかないのではないかと書いたけれども、ワーグナーには過去歴史から政治的な問題が色々あり、また採算が取れないからといってドイツ人ワーグナーを「過去のもの」として捨て去るだろうか。欧州においてすら西洋古典音楽のファンはそれほど多くないはずだが、さらにそのなかのごく一部のワグネリアンしかたいした興味関心をもたないかワーグナーの上演は無駄だと批判されるだろうか。そういうことは今のところまずあり得ないと思う。なぜなら、ワーグナードイツの宝だからだ。文楽よりはるかにカネがかかるにもかかわらず。

大阪の先人たちは、文楽という芸能に対して文字通り心血を注いできた。一時期を除いて基本的には客が入らない芸能だったので、名人上手ですら「明日のご飯がない」という貧乏話は普通にある。奥さんが小料理屋を営んでいてそれで食わしてもらったりしている。それでもなお、大阪の偉大な先人たちはこの芸能に打ちこみ、奇跡的に現代に伝えてきた。

彼らはお金はなかったかもしれない。貧乏だったかもしれない。その代わりに得られたのは、感動を与える喜びであったり、誇りだった。掾号の問題はまさしくそれで、名誉けが彼らの糧だったと言っても言い過ぎではない。ワーグナーにも匹敵する芸能であるからこそ、それだけ打ち込む価値があったのだ。

ただ、現代社会では、残念ながらこの芸術価値に見合うだけの犠牲を技芸員たちに求めるのは、無理になって来ている。(それでも彼らは贅沢な生活をしているわけでは決してない)

現代大阪人はそういう偉大な先人の子孫だ、そういう偉大な芸術を生んだ共同体の中にすむ一員なんだという矜持、その矜持が文楽に金を払わせるのであって、他に理由は見あたらない。

そして、、、私はこれが最も大事な点だと思うけれども、、、大阪人に持ってもらいたいこの矜持に対して、文楽に携わる人たちはお返しをしなければならない。

それは、新しい観客を獲得する挑戦を一方で続けながらも、文楽の本格を維持すること、継承すること、古格を守ることではないか。それが、文楽座に課せられたミッションであって、それが出来なくなった時、文楽文楽でなくなり、公金を投入する理由もなくなるだろう。

もちろん、大阪市長やその周辺の人々が考えるように、観客動員を上げて観光資源として活用されるように生き延びる方向もある。しかし、それはもはや「文楽」ではない。

もし「文楽のようなもの」という形でしか生き延びられないのであれば、偉大な先人の名誉のために、大阪人の矜持のために、近い将来、しかるべきタイミング文楽の死を宣告してもらいたい、最低でも名前だけは変えてもらいたい、無形文化財世界遺産の認定も返上してもらいたい。私がこのように希望する気持ちやその理由も、これまでつらつらと書いてきたことから感じ取ってもらえるのではないか

そして同様のことは、なぜ国が補助金文楽に対して投入するかという理由づけにもなるように思う。大衆に受け入れられない芸能は補助金を打ち切ればいい、この財政難の折から文化事業に投ずる財源はないとよく言われるが、ことはそう単純ではない。

予算全体から見れば、補助金として文楽に投入される額は巨額とは全く言えない。しか大阪場合は、対象を悪玉・敵に仕立て上げて財政削減しても、すぐに無駄プロジェクトに走るのでせっかくの財政削減が全く無意味なことになっている。大阪市長文楽に対して様々な批判を繰り広げているが、予算と比較した場合にあまりにも不釣り合いな煽りであると言わざるを得ない。

日本の偉大な芸術しかもまだかろうじて本格が維持されている繊細な芸術に対して矜持を持って維持するに、大阪はもとより、日本市民社会全体「も」維持しなくて他に誰が維持するというのだろうか。

(追記)

これまで書いてきたように、私自身は文楽の将来にはかなり悲観的であるし、芸の質についても相当程度批判的だ。したがってTwitter を見ていて古典芸能ファンによる「日本の伝統芸能なんだから維持されるのが当たり前」や「とにかく文楽は素晴らしい」に類する議論を見ると鼻白む思いをする。自分の楽しみのために税金の投入を是認しろというのであれば、それはまさに橋下市長の批判通りなのではないかと思う。

したがって、古典芸能ファンの言動にもいささかついていけないものを感じる時があると、これは明記しておきたい。

また、もし何かご意見などあれば、Twitterの私のアカウントに何か書いていただきたいというのは、前回の増田に書いたとおりだ。https://twitter.com/SignorTaki

2012-06-29

大阪文楽問題をめぐる公開メールを一読して

大阪文楽問題に関して公開されたメールを一読した。

http://www.city.osaka.lg.jp/yutoritomidori/page/0000174249.html

かいことは直に読んでもらえばいいので特に言わないが、少し書いておきたい。

最初に、市長とその周辺の人たちが何を考えているのか、手短にまとめておきたいと思う。

まず、大阪府市の負担軽減を視野に入れた、文楽に対する姿勢の見直し。たとえば橋爪紳也顧問が、

文化施策ではなく観光施策の枠で、「文楽再興」の議論を起こしたい。

と書き、あるいは池末浩規参与も、

大阪市としては「文化財保護」に与する必要はなく、市が出金するとすれば、それは市民や来街者、観光客から見て魅力になっているような文楽に、必要かつ可能な範囲で援助をするというものになるはずです。

と書いているように、大阪府市としては文化保護名目での補助はしない、ということだ。(ただし、国が負担を認めるまで育成費用の補助4000万程度は出すそうだ)

そして、

再び市民に受け入れられる芸能となるべく積極的に活動する

参与も書いているが、観客動員一定目標をおき、その達成のためより効果的なプロデュースマネジメント必要であるからそのために改革をしようとなる。

この点については実は私も同感で、文楽を全体として統括的にマネジメントプロデュースすることができてないのではないかという不満は以前から感じていた。それに、どうしてもお役所仕事なのでスマートとは言い難く、大阪弁で言えば「もっちゃり」した感じにならざるを得ない。

さらに技芸員の意識改革を促している。旧来の殻に閉じこもっていてはダメではないかというわけだ。「意識改革」の具体的な中身としては、ミニ公演などのプロモーションはタダでやるべきなんじゃないのかとか、もっと観客の声を聞くべきだなどなど。

あるいはメールで技芸員の公務員化について触れられているのももっともなところで、たぶんこの辺りの感覚は長年のファンをやっている年寄りなら分かると思うし、東京歌舞伎座近くの某所で同様の会話をして嘆きあったりもした経験が私にはある。

まり、全ては、

今回橋下市長のリーダーシップのもと、文楽は「無形文化財として淡々と維持する」(旧来の考え方)ものから、「再び市民に受け入れられる芸能となるべく積極的に活動する」(新たな考え方)というものシフトしようとしているところです。

という参与意図に集約されるのであって、これは賛否様々な意見があるところではないか

私は、過去文楽劇場に足しげく通い、図書閲覧室へもよくお邪魔をして勉強させてもらい、職員の方々にも大変にお世話になった経験を持っているけれども、文楽に関しては非常に悲観的な立場をとっている。

文楽はもうすぐ死に絶える。事実文楽協会ができたころ、「文楽という芸は苔むした立派な梅の古木のようなものであって、じきに枯れる運命だが、無様な姿で枯らしてしまうのは忍びない。だから、せめて姿かたちはそのままに美しいまま死んでもらおう」という発想が背景にあったように記憶している。

文楽というのは本当に維持が難しい事業で、語り一つとっても、過去現在でこれだけ音楽環境が変わってしまうと、語りを成立させる音感がまるっきり違ってしまう。成長してから訓練でどうにかなるレベルの問題では、おそらくないはずだ。もちろん、浄瑠璃を理解するための前提知識なども違う。

から、近い将来、死亡宣告を言い渡す時期がくるし、税金を投入するならなおさら、本物・本格の保存が不可能になったときに、とっとと文楽の維持なんぞやめるべきであり、それこそがこの偉大な芸の先人たちを辱めない、唯一の道だと、私は思う。

その意味で、安易に文化を守れ伝統を守れと言ってみたり、反橋下の立場からついでに文楽を守れと言ったりする人たちとは、私は全く異なる。税金を投入する以上、真に偉大な芸としての文楽の古格が維持されなければならないし、それが無理なら文化だろうが伝統だろうが、潔く捨ててよい。今に生きない伝統など意味はない。本当に感動的な人形浄瑠璃は、過去の記録映画となって保存されている。無意味に惜しむ必要必然性も、どこにもない。

逆に言えば、まだ今の年寄りの技芸員が生きている間、なんとか細々とでも古格が出来ているならば保存するべきであって、それは与えられたミッションが達成されているとして認めればいいんだろうと思う。

観客が入るか入らないかは、この際どうでもよい。文楽は昔から客の入らない芸で、貧乏話極貧赤貧エピソードに事欠かない。問題は本格ができるかどうかだ。それに尽きる。

そこで、大阪市プロジェクトに話を戻すと、これをそのままやると、もちろんマネジメント改善など賛成できる部分もあるのだけれども、人形浄瑠璃の中身そのものに大きな影響を与えると思う。

下市長が面白い例を出している。

ある大物タレントさんが、これまた大物歌舞伎役者歌舞伎に誘われて歌舞伎を観に行きましたが、つまらない、分からんと言ってすぐに帰ったそうです。その歌舞伎役者さんは、この大物タレントさんにどこがつまらないのか、どこがダメなのか必死になって聞き出し、これまで自分では気付かなかった新たな視点での指摘事項を改善しつつ、歌舞伎面白さを説き続け、誘い続けたそうです。この大物歌舞伎役者さんは、観客からの厳しい指摘が公演を面白くする一番のカギと言われています

くその通りで、歌舞伎ならこれでいい。だから歌舞伎はどんどん変質していった(いっている)し、古格を守ることはそもそもできず、またそれで構わない芸能だという一面がある。

文楽だって客の意見には常に真摯だったのだ。

わざわざ語り手である太夫と三味線弾きの前に毎日座る客というのが大昔はいた。誰が出てきてもとりあえず批評批判する怖い客として知られ、しかし語り手も三味線もこういうお客を大事にしたらしい。

今でもこの種の客気質は、こと大阪年寄りに関する限り健在で、今の源太夫が綱太夫のころ、あるお爺さんが私に、

「織太夫でまだ若かったころは将来どんなもんになるかと思てたけど、綱太夫はホンマあかん。感動がないわ」

と言い、また、文楽人間国宝としてたびたび言及される住太夫についても、

「もう限界やっちゅうのは本人がよう分かってるやろ、あの年やし」

と言いきっていたものだ。あるいは別のお婆さんは、

「綱太夫の発声は変や。高音に行くと喉がつまってくる。あんな語り方はあらへんよ」

とばっさり批評したものだった。ちなみに、この綱太夫はその後人間国宝になってしまうわけだが。

そういう厳しいことをいう熱心なファンがいたからこそ、この芸に携わる人たちは鍛えられていったわけだ。

しかし、そういう耳も目も肥えた客の厳しい意見と、観客動員を増やすための批判は異なる。観客動員を増やそうとすると、中身が変質して古格が維持できなくなるのは、火を見るより明らかだ。そこで上演されるものは、300年続いてきた人形浄瑠璃ではない、何か別のモノだろう。

実際のところ、今でも中身は変質している。例えば、もっと重要な場面を語る「切場語り」を今やっている人たちのあと、一体だれが後を継げるのだろうか。おそらく、有資格者は誰もいない。

あるいは、今は文楽を「見に行く」というが、そもそもは「聴きに行く」ものであった。人形浄瑠璃と単なる人形劇は違うが、視覚の刺激に慣れた現代の観客にとって「見る」を重んじた方がはるかに分かりよくなっている。

その他、細かい部分で古格と言えるものが本当に継承できるのか、できていたのかどうか、はなはだ疑問だ。

はいえ、それでも歌舞伎とは比べ物にならない程度に本格の古格を守って来たのが文楽であって、それはかつてある歌舞伎ファンが文楽を見て「古いのが残っていていいなぁ」と言ったように、もう比較にならないと思う。

そこに、この大阪市プロジェクトとなると、人形浄瑠璃は完全に変質してしまう。本当に守るべき古格は、もうどうでもよくなってしまうだろうし、決定的に死んでしまうだろう。

と書くと、やや刺激的かもしれないが、なんのことはない、文楽の死なぞ最初から知れたことであり、それがちょっとばかり早くなるに過ぎない。「苔むした立派な梅の古木」がもう枯れると、知れ切っていたことなのだ

このプロジェクトを書いた池末参与善意に違いないし、文楽の再興が魅力ある観光都市としての大阪にとり大きな資源だと考えているはずだ。また、文楽に携わる人たちも、継承にはチャレンジや変化が必要だとする人たちも少なくないだろう(私は、文楽がいろいろなチャレンジや、同時代に観客に受け入れられる努力もされてきたこともまた知っている)。

よく分かる。

しかし、私はそこで一つだけ希望を言いたい。

もしこのプロジェクトをそのまま実行するならば、人形浄瑠璃文楽という看板は取り下げてもらいたい。

300年続いた本当に偉大な、世界のどこにも負けない本物の芸は死に、何か別の人形劇、「文楽のようなもの」が続いていくことになるだろう。そこで「人形浄瑠璃文楽」の看板を掲げることは、ウソだし、なによりも文字通り命を削ってこの芸に打ちこんできた偉大な先人たち、まさに大阪の先人たちに対する侮辱に他ならない。

この人形劇観光資源としてどう活用したって構わない。だけど、文楽はもう死んだことを認めてほしい。いや、認めるべきだ。そうして、過去のものとなった文楽の真の偉大さだけは、せめて守ってほしい。それだけが、せめてもの私の小さな希望だ。

(追記)

以下は私のTwitterアカウントなので、もしご意見などがあれば、ぜひ遠慮なく私に書いていただきたいと思う。文楽は私にとってただ好きというだけでなく、重いものでもあるから

https://twitter.com/#!/SignorTaki

 
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