「おおかみこどもの雨と雪」を含む日記 RSS

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2021-09-03

anond:20210815230512

そこで女のパンツが見える必要はあったのか?胸に手が触れる必要は?セッ○スするのは?大事なページ数を削ってまで『サービス』する意味は?それなら話を進めてくれないか

セッ○ス描写必要だろう。逆になぜ必要ないと思ったのか。

子どもはどこからまれてくる?

ガタカか?ミューツーか?

ただ、途中から主要登場人物子どもが加わる作品が数多ある中で、子が唐突に出現するか、せいぜい出産の場面のみを描く作品ほとんどであるのも事実

そのような中、以下の作品生命道理に対して誠実に向き合った。

ターミネーター

おおかみこどもの雨と雪

クレヨンしんちゃん

YAWARA!

・えの素

2021-08-27

竜とそばかすの姫見た

音すげぇ!歌うま!絵が綺麗!ストーリーは謎。

個人的には主人公が瓦で自作ラブソングをたどたどしく口ずさむところで何故か共感性羞恥が発動してしまった。

歌ってた中の人批判するわけじゃないんだけど、実際にUがあったら、あれくらいの歌唱力なら埋もれてしまったんだろうなあと思うと、動画サイト10回くらいしか再生されてない「高校生自作ソング歌ってみた」を想起してしまって辛い

全然関係ないけど、どっかの増田が「細田守ホラーやるべき」と言っていたが、案外悪くないかも。サマーウォーズで感じた親戚同士の馴れ合いに対する苛立ち、おおかみこどもの雨と雪で描かれていた貧困生活のままならさ、そして今回の序盤、母親自分を置いて他人を救助に向かって行くところ(正直映画の中であそこが1番記憶に残った)、とナチュラルにしんどいシーンを入れるのが凄く上手い感じがする。あの可愛い絵柄で、思わず目を背けたくなるような酷くて救いのない物語を描いてくれたらいいのに。まあ需要ないよなあ。

2021-08-20

細田守かばう。

細田守が『おおかみこどもの雨と雪』や『竜とそばかすの姫』などの作品の中で「社会福祉制度存在無視している」「それらの社会制度は役立たずで無意味と見做している」「それらの仕事に携わる縁の下の力持ちの人たちの存在意義を軽視している」として批判されているようである。そのような細田守の特徴そのものについて争うつもりは、私には無い。

しかし、現代日本エンターテイメントクリエイターたちの中で、社会制度を軽視したり無視したりしている人間は、別に細田守一人ではない。そういう意味で言うならば、むしろ細田守けが矢面に立たされて、不当に批判に晒されているようにも見える。

細田守ビッグネームになったのは高々ここ十年ぐらいの話であるが、細田ブレイクする遥か以前から長年に渡ってゴミクズみたいな作品を量産し続けてきた日本の実写ドラマ映画では、その間ずっと、社会制度存在意義や、名も無き縁の下の力持ち的な人々の役割を軽視し続けてきたではないか

ゴミクズ作品揃いの日本の実写ドラマ映画で主流として用いられてきた物語作りのフォーマットと言えば「やる気も能力も無い無能人間たちしか存在しない学校職場に、型破りで能力が高い主人公が現れて、独力で難題を解決する」というものである。このような物語世界における脇役や敵役は、主人公を引き立てる為に、徹底的に無知無能無気力であるように設定される。

こういう物語作りはラクであるしかし、主人公を取り巻く社会構成する庶民たちに対する想像力を奪う。観客からではなく、物語を作る監督脚本家から奪うのである。正確には、奪ってしまったと言うべきだろう。だから実写ドラマ映画作品は、細田守作品と同じぐらい社会制度や名も無き縁の下の力持ち存在意義を無視・軽視したものばかりである医者とか刑事とか検察官とか銀行マンとかが主人公ドラマを観れば、よく分かるだろう。

「竜とそばかすの姫」はなぜダメなのか

遅ればせながら「竜とそばかすの姫」を見てきた。ネタバレが嫌だったので、事前に紹介記事も読まなかったし、どんなストーリーかもろくろく知らなかった。

で、以下はその感想ネタバレ

鑑賞後にいくつかの感想ブログを読んだのだが、「映像演出はすばらしいが脚本ダメ」という評価が多かった。自分も同感である

おそらく最大の要因は、ネット世界リアル世界との分断が激しすぎて、どちらの世界キャラクターにも全く感情移入ができないことだろう。ネットでは暴れん坊の竜とネット自警団との戦いが続く一方、リアルでは陰キャ女子高生を中心としたラブコメもどきが進行する。

両方の世界の繋がりが緩いせいか、それぞれの世界に登場するキャラクターの行動原理が読めない。「コイツはなぜこんなことを?」という疑問が解けないまま、ストーリーは進行しつづける。

そして、多くの評者が指摘するように、物語の終盤にかけて脚本破綻は顕著になる。児童虐待を受けている兄弟父親から救うために、大人たちに見守られながらなぜか一人で関東へ向かう主人公。なぜか主人公に気圧されて、呻きだす兄弟父親兄弟たちが一体どうなったのかも観客には知らされないまま、さっぱりとした顔つきで故郷に戻ってくる主人公。竜とくっつくのかと思いきや、イケメンの幼馴染といい感じになる主人公なんでやねん!!!

というわけで、本作に不満は多々あるのだが、同情すべき部分もないわけではない。一部で指摘される細田守の「制度」に対する理解の欠如という点だ。要するに、細田作品世界のなかでは、福祉制度無能かつ無責任に描かれてしまうということであるしかし、これは現代日本映画事情を考えると、おそらくやむを得ないところだ。

そもそも物語制度とはあまり相性が良くない。物語は多くの場合主人公決断や行動でストーリーが展開していくし、視聴者や読者もそれを期待する。名探偵コナン犯人警視庁ローラー作戦逮捕されてしまうと、興ざめもいいところである。見ている側としては、コナン君の活躍事件解決するのを見たいのだ。

そういう物語制度との相性の悪さを補うための一つの方法が、制度中の人主人公にする、もしくは制度の中の協力者を登場させるというものだ。

だが、現代日本アニメ映画において、児童福祉施設職員主人公するという選択肢果たしてありうるだろうか。「おおかみこどもの雨と雪」はやや例外としても、ヒット作を目指すのであれば、主人公はどうしても高校生以下でなくてはならない。その縛りが脚本に大きな制約を生んでいる。

仮に児童福祉施設の協力者を登場させたとすれば、ストーリー説得力自体は増すものの、ラストあたりの展開は協力者に解決をぶん投げる形になり、主人公の出る幕はほぼなくなってしまう。それでは、エンターテイメントとしてのカタルシスに欠ける。

では、細田はいったいどうすべきだったのか?

そこで、この映画の最大の問題が浮かび上がる。

まり児童虐待のような現実社会と地続きの問題を登場させるから脚本いびつさが目立つのだ。子ども貧困を描いた新海誠の「天気の子」にも同様の問題が指摘できる。

現実社会には現実社会解決策がある。それを一足飛びに高校生解決させようとするから脚本に無理が生じる。主人公たちを活躍させるためには、制度無能に描き、リアリティを欠いた解決策をひねり出すよりほかない。

から細田守にせよ、新海誠にせよ、作品主人公には大人しく世界を救済させておけと言いたい(それが嫌なら、主人公高校生以下でなくてはならないという縛りと戦え)。

隕石が降ってくるとか、人工衛星が降ってくるとか、そういう超緊急事態を前にすれば制度は実に無力だ。だからこそ、主人公やその仲間たちの超人的な活躍が光るのだ。そして、世界を救うだけなら、より長期的には必要になる制度的(かつ地道な)解決策についても考えなくていい。

というわけで、高校生以下を主人公に据える限りにおいて、セカイ系物語にはそれなりに有用性があるのが理解できたことが「竜とそばかすの姫」を見た最大の収穫だったと思う。

2021-08-14

糸井重里なんJ民の作ったジブリキャッチコピー

 

糸井重里

このへんないきものは まだ日本にいるのです。たぶん。」 - 映画となりのトトロ

ID:KqM9LfYm0

「森。そこは異次元との国境」-映画となりのトトロ

 

 

糸井重里

「4歳と14歳で、生きようと思った」 - 映画火垂るの墓

ID:KqM9LfYm0

「総ての神経は可能性に満ち、如何なる最後通蝶にも応えうるのだ」-映画火垂るの墓

 

 

糸井重里

カッコイイとは、こういうことさ。」 - 映画紅の豚

ID:KqM9LfYm0

「叡智は人類に翼を、心臓エンジンを与えた」-映画紅の豚

 

 

糸井重里

タヌキだってがんばってるんだよォ」 - 映画平成狸合戦ぽんぽこ

ID:KqM9LfYm0

「賽は投げられた。」-映画平成狸合戦ぽんぽこ

 

 

 

 

風の谷のナウシカ (1984)      「少女の愛が奇跡を呼んだ」(徳山雅也)

天空の城ラピュタ (1986)      「ある日、少女が空から降ってきた…」(徳山雅也)

となりのトトロ (1988)         「このへんないきものは まだ日本にいるのです。たぶん。」(糸井重里

火垂るの墓 (1988)         「4歳と14歳で、生きようと思った」(糸井重里

魔女の宅急便 (1989)       「おちこんだりもしたけれど、私はげんきです。」(糸井重里

おもひでぽろぽろ (1991)       「私はワタシと旅にでる。」(糸井重里

紅の豚 (1992)          「カッコイイとは、こういうことさ。」(糸井重里

平成狸合戦ぽんぽこ (1994)     「タヌキだってがんばってるんだよォ」(糸井重里

耳をすませば (1995)       「好きなひとが、できました。」(糸井重里

もののけ姫 (1997)        「生きろ。」(糸井重里

ホーホケキョ となりの山田くん (1999)   「家内安全は、世界の願い。」(糸井重里

千と千尋の神隠し (2001)      「トンネルのむこうは、不思議の町でした。」(糸井重里

猫の恩返し (2002)        「猫になっても、いいんじゃないッ?」(糸井重里

ハウルの動く城 (2004)       「ふたりが暮らした。」(糸井重里

ゲド戦記 (2006)          「見えぬものこそ。」(糸井重里

崖の上のポニョ (2008)

「生まれてきてよかった。」(鈴木敏夫

子どもの頃の約束は、永遠に忘れない。」

「半径3m以内に 大切なものは ぜんぶある。」  (宮崎駿アサヒ飲料 三ツ矢サイダーCMコピー

 

借りぐらしのアリエッティ (2010)

人間に見られてはいけない。」

「それが床下の小人たちの掟だった。」

 

コクリコ坂から (2011)      「上を向いて歩こう。」(鈴木敏夫

風立ちぬ (2013)        「生きねば。」(鈴木敏夫

かぐや姫の物語 (2013)     「姫の犯した罪と罰。」(鈴木敏夫

 

思い出のマーニー (2014)

あなたのことが大すき。」

「この世には目に見えない魔法の輪がある。」(鈴木敏夫

「あの入江で、 わたしあなたを待っている。永久に──。」(三浦しをん

細田守

時をかける少女     『待ってられない未来がある。』 

サマーウォーズ      『「つながり」こそが、ボクらの武器』 

バケモノの子      『キミとなら、強くなれる。」

おおかみこどもの雨と雪  『私が好きになった人は、“おおかみおとこ”でした。』

未来のミライ      『ボクは未来出会った。』 

竜とそばかすの姫    『もう、ひとりじゃない』 

新海誠

彼女と彼女の猫    僕も、それからたぶん彼女も、この世界のことを好きだと思う。

ほしのこえ         私たちは、たぶん、宇宙と地上にひきさかれる恋人の、最初世代だ。

雲のむこう、約束の場所  あの遠い日に僕たちは、かなえられない約束をした

秒速5センチメートル    どれほどの速さで生きれば、きみにまた会えるのか

星を追う子ども      それは、“さよなら”を言うための旅

言の葉の庭      愛よりも昔、孤悲(こい)のものがたり

君の名は。      まだ会ったことのない君を、探している

スタジオコロリ

台風のノルダ       恋が空を翔ける

ペンギン・ハイウェイ     ぼくの街にペンギンが現れた

泣きたい私は猫をかぶる   猫になっても、いいんじゃないッ?

さて増田の考えたジブリとかのキャッチコピーを教えろ

 

2021-07-26

おおかみこどもの雨と雪

アマプラに入ってたので初めて見たけれど、世間で言われている程悪いとは思わなかったな

成長した娘のナレーションで始まる話だし、冒頭の大学の場面では学生達がスマホを弄ってる様子もないか

舞台自体がかなり昔の話なのか

多分ネット自体全然普及してない?

そうだとすると社会福祉の貧弱さや田舎への漠然とした憧れなんかもそんなにおかしいとも言えないような

ただ、惜しいとは思った

個人的には冒頭のラブストーリー部分が好きだったから、そのまま二人で子育てしていく話が見たかったんだよな

奨学金国立大に通う苦学生とか、勉強したくて大学に入り込む部外者とか、そういうディティールは好きなんだよなー

2021-07-25

細田守宮崎駿を大いにディスる記事翻訳

https://www.france24.com/en/live-news/20210715-hosoda-japanese-anime-has-problem-with-women-and-girls

 細田守スティーブン・スピルバーグ、そして、彼と比較されがちな日本の偉大なアニメーターである宮崎駿の両方に不満を抱いています

 細田(人道的傑作『未来のミライ』が三年前にアカデミー賞長編アニメーション部門ノミネートを受けた)はハリウッドデジタル至上主義宮崎女性描写うんざりしたものを感じているといいます

 最新作である『竜とそばかすの姫』がプレミア上映されたカンヌ映画祭におけるAFP通信インタビューで、細田スピルバーグの『レディ・プレイヤーワン』をはじめとする多数の映画に視られるネットに関するディストピア的な表現は万人にとって、特に女性にとってあまりよろしくないと発言しました。

 自身も幼い娘の父である細田監督は、彼女たちの世代が恐怖に怯えるのではなく、デジタル運命コントロールできるように力づけていきたいと考えています

彼女たちはインターネットとともに成長してきました。しかし、常々、ネットが悪意に満ちた危険空間であることも教えられてきたのです」

『竜とそばかすの姫』では、内気で無垢少女すずのジェットコースターのような感情体験が、21世紀舞台にした『美女と野獣』をベースに見事に表現されています

デジタルディーヴァ

 彼女自身にとっても、他の人々にとっても驚いたことに、すずは「U」というアプリ仮想世界内で、ベルと呼ばれるポップ・ディーヴァになります。何十億人ものフォロワーを獲得したすずはネット上でいじめハラスメントを受けたりもしますが、「ベル」の歌を通じてアンチ自分自身の悩みを乗り越えていきます

 

若者にとって、人間関係は複雑で、甚大な痛みを伴うものです。私が見せたかったのは、こうした仮想世界が辛く、恐ろしいだけなく、ポジティブものとなる可能性です」

 すずとそのギークの友人は日本一般的アニメ女性とはかけ離れています。ここが名作『千と千尋の神隠し』でアカデミー賞を獲ったレジェンド宮崎駿との態度を異にするところです。

日本アニメを観るだけで、日本社会において若い女性がいか過小評価され、見下されているか(underestimated and not taken seriously)がわかります

 この監督(その映画宮崎作品よりも現実に根ざしている)は、当時として珍しいことに、シングルマザーによって育てられました。

 2012年に公開された名作『おおかみこどもの雨と雪』は、彼女がたった一人で”小さな群れ”を育てた、その猛烈な自立心を讃えた作品です。

 細田監督は、「日本アニメでは、若い女性が聖なるものとして扱われていますが、それは彼女たちの現実とは無関係です。そのことに私はとても腹を立てています」と、悔しさをにじませます

宮崎駿との関係

 細田監督ジブリ創立者である宮崎駿名前を出さずに、厳しい意見をのべつづけた。

名前は伏せますが、アニメーションの巨匠でいつも若い女性をヒロインにしているひとがいます。率直にいうならば、彼は男としての自分に自信がないからそのようなことをするのだと思います

若い女性を崇拝することははっきり言って不快ですし、わたしはやりたくありません」と彼は主張する。

 彼は、彼のヒロイン美徳イノセンスの模範とすることや、”誰からも好かれなければいけないという抑圧”から解放されなければならないと考えています

 細田監督宮崎駿監督には因縁があります

 53歳ときの彼は宮崎駿の正当な後継者とみられていました。のちのオスカーノミネート作『ハウルの動く城』の監督として外部からジブリ招聘されたのです。

 しかし、細田制作かばジブリを辞め、自らのスタジオを立ち上げました。

 細田は「人間の良いところも悪いところも描く、その緊張感こそが人間本質」というような物語を好んでいました。

 そうした性向が『美女と野獣』を現代アップデートすることに惹かれたのでしょう。

原作における野獣は最も興味深いキャラクターです。彼は醜く、暴力的ですが、同時に繊細で傷つきやす内面を持っています

美女ディズニー版ではベル)は取るに足らない人です。見た目がすべての存在です。私は彼女を複雑で豊かに作り変えたかった」

 そうした二面性は、彼の最初のヒット作『劇場版デジモンアドベンチャー ぼくらのウォーゲーム!から観られるようなデジタル世界の魅力にも現れています

「私は事ある事にインターネットへ立ち返りつづけています最初は『デジモン』で、2009には『サマーウォーズ』、そして、今もまた」

 そして、インターネット諸悪の根源とみなしてはいけないと、これまで以上に確信しています

若い人たちはそこから離れることはできません。彼らはネットともに育ってきたのだから私たちネットを受け入れ、よりより使うことを学ばねばなりません」

2021-07-05

おおかみこどもの雨と雪

おおかみこどもの雨と雪」ってイケメンの甘言に乗せられて避妊しないと大変なことになるという寓話なの?「男はみんな狼」とか言うわけで、人間の男をおおかみに見立てお話だと理解したんだけど。

2021-07-04

おおかみこどもの雨と雪避妊しないでセックスって点を批判するのはどうなんだろ

ヤリ逃げじゃなくて一応二人で育ててる訳だし

批判する人は事実婚への差別とかある人?って思う

[]2021年7月3日土曜日増田

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2021-07-03

おおかみこどもに対するデタラメ考察が多すぎる

というよりは「自分視点での感想」をさも「考察であるかのように語る輩が多すぎるということかな。

ネット感想を書き続けると人間の次式は肥大化してゆくゆくは感想考察区別がつかなくなるのだろうか?

だがこのまま私が黙って「感想考察区別もつかねーのかこのカスは」と思い続けていても自体解決しない。

どうやら私が書いてやる必要があるらしい。

おおかみこどもの雨と雪考察」を。

長いの面倒だからシンプルに行くぞ!

考えるべきは細田守視点だけである

脚本奥寺佐渡子細田守の考えを「一般人に伝わる形かつ、一般人も楽しめる形」に落とし込むための存在であるため、作品において「なんでここがこうなったの?」に対しての答えを彼女に求めても「作劇的にその方が面白くなるから」以外の要素は出てこない。

から考察をするのならば奥寺佐渡子意図はあまり考えなくていい。

気をつけたいのは、「でも細田守がそういう意図を持っていたのなら、作品の質を落としてでもここはこうしたのでは?」という部分に関しては「奥寺佐渡子うまい具合にハンドルブレーキ操作した」と判断すべきであるということだ。

脚本に2人が名前を連ねていることが、おおかみこどもの雨と雪考察を若干難しくする。

おおかみこどもの雨と雪を作った時期の細田守

おおかみこどもの制作が始まる2年前、サマーウォーズ製作中に細田守母親祖母を無くしている。

父親の方はそれより11年前に既になくなっている。

おおかみこどものキャラクター造形において、この3名の死は深く関わることになる。

この辺については詳しくはインタビューを読んで貰ったほうが早いので手短いに言うと、細田守自分で「作品作りにおいて影響があった」と口にしているのだ。

主人公母親であること、父親が途中でなくなること、そういった要素についてフェミニズムだの男女平等社会だの社会派気取りだのあーだこーだと考える必要はなく、「そのとき細田守境遇がそういった家族像を作中に描くことを求めた」で説明は終わるのである

細田守≒おおかみこども

母親モチーフ細田守の実母であるということは、おおかみこどものモチーフ細田守自身となるわけだ。

ちなみに細田守は幼少期に吃音症を患っており、この感覚社会普通の子供として上手く馴染むことが出来ない幼少期の雨と雪を形作っていくことになるのは想像に難くない。

それぞれは自分性質出会人物に合わせて、人間社会と山という全く別の社会における適応を目指すことになる。

また、それぞれが目指そうとする場所は途中で交差して入れ替わる。

全く異なる2つの社会をそれぞれに目指す姿は、細田守アニメ業界という力と才能が支配するオタク世界と、宣伝社会性が重視される一般的社会という2つの世界を行き来しながら有名アニメ監督となった細田守人生観の反映であろう。

まり、山において師匠に野生の生き方を学ぶ雨は、アニメ業界で才能を頼りに生きることを選んだ細田守であり。

一方、現実世界で恋をして普通に生きることを選んだ雪は、細田守の妻子持ちとしてのプライベートの姿である

才能を振り回しケモノとして生きる道と、人間らしく生きる道に対して、細田守が感じる二足のわらじの感覚が、おおかみこどもを二人にするという設定を構築しているのだ。

流石にちょっと言い過ぎでは?

と思った人はバケモノの子未来のミライを通して答え合わせをして欲しい。

おおかみこどもの雨と雪はいわば細田守考察における出題編であり、その後のバケモノの子未来のミライによって、おおかみこどもで考えた考察深読みだったのか、実際にそうだったのかが徐々にハッキリするという構図になっている。

バケモノの子7月9日金曜ロードショー未来のミライアマゾンプライムビデオで見ることができる。

性癖の話は?

それはおおかみこどもの雨と雪だけでやるとゲスの勘ぐりみたいになる。

バケモノの子未来のミライ伏線回収が終わってから戻ってくるとまあ露骨にそうなんだよねって分かりはするんだけどさー。

かると言えばサマーウォーズ家族観とかもあとから見るとなるほどねーってなるんだけど、この辺もやっぱバケモノミライを見てからじゃないと分かりにくいんだわ。

答えから逆算すると簡単迷路ってたまにあるけど、細田守映画世界観もあとからだと分かるけどサマーウォーズとかの頃は上手くやってるなーって。

まあまさにこれは「奥寺佐渡子ハンドルブレーキを上手く使ってた」ってことなんだけどさ。

凄いわあの人も。

おおかみこどもの雨と雪に対して俺が期待していたものは裏切られた

俺はね、

「10歳で小学校中退たか性教育を受けないままの雪が山でケモノ交尾を覚え、ある日気まぐれに里帰りしたとき雨に欲情してしまいそのまま動物としてセックスを始め、せめて避妊しろという姉の言葉を全く聞かずに中出しする」って内容の同人誌がたくさん出ること

だけを信じて10年待ってたんだよ。

でも裏切られたよ。

子供時代の雨が雪に襲われている同人誌は合ったけど、それだけだった。

結局、あの映画の内容をちゃん理解できた日本人は俺しかいなかったのかなって今でも思うよ

2021-06-30

昔……おそらく2006年くらいの自分は、家庭を持つ事に憧れていたし母親になりたいと思っていたと思うんだけど。

つのからか、小さい子供を持つ「母親」というもの世間で無条件に持て囃され、何ら責任を負わずに済むようという風潮になってしまった。こんな世の中では世の「母親」というものに対して反発と敵対心しか持てず。母親子供虐待死させようが無条件で庇われ、肯定されるという世の中。とにかくそれが嫌で嫌でしょうがない。

ネット言論はどこを見ても、母親に多くを求めるな、三歳児「神話」なんてない、子育て保育園に丸投げしていい、母性信仰押し付けやめろ、といったものばかり。育休や子供の急な発熱による遅刻早退欠勤仕事独身の同僚に皺寄せがいっている事を愚痴られても会社経営者が悪いで済ませ、彼女自身会社改善するために自発的に動く事などはない。独身女性の声と違って聞き入れてもらいやすいにも関わらず。あなたたちの娘だって将来独身の成人女性になる可能性はあるのに。それに比べると父親に関しては虐待育児放棄は叩かれ、多少はまともに親の責任を果たす事が求められている。とにかく小さい子供を持つ「母親」は全面的肯定され、何ら責任を果たさずに済むようになっているもよう。

子育てに対する金銭的・精神的な支援も昔に比べれば格段に増えたのに、もっともっとと際限なく求める。日本経済状況が悪化する中で、こと子育てに関してはじゃぶじゃぶお金を使えるんだから、その税負担独身や子無しにいっている事はちょっと考えれば分かる筈なのに、感謝するどころか日本は子持ちに優しくない!と被害者面するばかり。

いつからこんなふうになってしまったんだろう。

映画の『トゥモロー・ワールド』が2006年か。あの映画は好きだったけど、繁殖力が衰えて少子化が進んだ未来社会妊婦赤ん坊希望を見出すというテーマ、正直今だと全く受け付けないような気がする。あの頃も「少子化」が叫ばれてはいたんだろうけれど、少なくとも今よりはまだ気にならなかった記憶なんだよな…。

東日本大震災での原発事故後の「子供を守れ」の大合唱や、その後の「保育園落ちたぞ日本死ね」辺りが契機だったように記憶している。

ただ2011年3月の時点では既に少子化悪玉論にうんざりしていたような記憶はあるな…その辺どうも曖昧

自分記憶だと2006年頃は、「貧困」「格差社会」「プレカリアート」が標語とされ、年齢を問わず非正規労働貧困問題が語られていたような記憶少子化話題にされてはいても、その原因として貧困故に結婚できない若者存在ちゃん話題にされていたし、少子化対策として今のように「子育て支援」一辺倒ではなかったような記憶だ。それが今では「貧困」は「子供貧困」になり、子供のいない成人の貧困は置き去りにされるようになってしまった。給与についても「若者給料は低い」とのみ語られ、現在の中高年(かつての若者)だって給料は低いし上がる見込みもない事は無視される。

2000年代後半から震災前後にかけて、だんだんと年齢や子供の有無による選別が進み、生産性のない人間露骨に虐げてよいという風潮になったのか…?と思っているけれど、どうだろう。

フィクションだと『TIGER&BUNNY』の主人公が、娘を郷里の母に預けていた事で育児放棄と叩かれていたのが印象的だった。これ、もし主人公父親じゃなくて母親だったならこんなふうに叩かれたんだろうか?って思った。いやそもそも女性だったら主人公にならなかったのかもしれないが。

現実と同様にフィクション作品においても父親は叩かれるが母親全面的擁護されるという傾向、いつのからかあからさまになったなーって思う。

あと気持ち悪かったのが『おおかみこどもの雨と雪』に対するネットでの反応。母親完璧を求めるな母性信仰押し付けるなと、あくまで一人の女性を描いたフィクションであるにも関わらずそれを現実の全ての母親に対しても求めているかのような意見が異様に多くて怖かった。まああの作品は娘の視点から見て、息子と娘で差をつけすぎという感想結構あってそれには納得したけれど。

昔の自分漫画の『フルーツバスケット』のようにシングルマザーの子育てを描いた作品が好きで、自分もそんな母親になりたいという気持ちがあったんだけど。今は何かもう未成年の子供を持つ「母親」という存在自体が地雷で、見るに堪えない(明確に古い時代舞台にした話ならばかろうじて大丈夫かもしれない)。好きだったんだけどなー。母親愛情を持って子供を育てる話。今の母親はどこまでも自分自分がで子供の事なんかアクセサリー程度にしか思っていないようなのばかりだし、フィクションでもその手のコミックエッセイが異常に増えて、もううんざりだ。

今だと『破壊神マグちゃん』とかも、これは一見母親子供のために頑張って稼いでいるように見えても実際には税金で十分な支援受け子しか搾取してるんだろうなと思うと嫌な気持ちになる。

作品や作者に罪はないんだけどもう昔のような純粋な目では見れない。

何がしんどいって今生きてる子供達は皆、そういう我が儘で傲慢母親からまれてきたって事だよなー。だから子供を助けるような仕事をするのもそういう母親を助ける事に直結してしまうので嫌な気分になるというか。

子供のため、じゃなくてその子供達が大人になった時の、大人人権を守ろうという発想ならまだ少しはマシかもしれないけれど。それでも今の「母親世代を利するのかと思うとうんざりではある。

2021-03-10

anond:20210309125157

ラストシンジマジでお前誰やねんという感じで辛い

最初らへんの農業といいとにかくオタクもの目を覚まさせて現実を見させてやるぞ感がクソ萎える…そのくせ母親像はファンタジーなのマジで

リアタイ世代独身オタクのこと全力でバカにしとるなと思ったけどずっと追ってた人たちは旧劇の時点ですでにバカにされてるからもう慣れてるのかな? でも何年も経ってまた改めてバカにされ直す(?)とか私だったら耐えられない

前半の農村エヴァみにきたはずなのにおおかみこども見せられてる…みたいな気分になっていきなり萎え

内面的にはアスカじゃなくて委員長が一番人間やめてる

人間じゃなくてあれは母性愛の擬人化

人間だけではなくお腹の大きくなったネコの姿(たぶん…うろ覚え)なども映してきてたので母体どんだけ強調すんねんと思って引いた

オタクくんいつまでアニメに夢中になってんの早く大人になりなよ〜wってバカにしてるくせに謎の農村ホッコリ幻想母親幻想を見せてくるのがマジでキモい

人の幻想バカにしながら現実という体の別の幻想押しつけてくるんだもんすげえよ

これでトウジも人を捨てた父性愛の擬人化みたいな人格になってたら違和感持つ人多かったかもしれないけど、委員長だけだからまあオカアサンってそうだよね成長したんだよねで流されて終わるだろうというところ含めて本当にキモい

委員長一人だけ子供向け童話登場人物みたいな喋り方してる

年数を経て大人になったみんなという描写のために名無しのモブじゃなくてネームドでこれをやるんだもんな

他人同士ひとりひとりが生きるはずの世界委員長人格消失してる

農村の「そっくりさん」に親切なおばさんたちも不自然だし

ピチピチスーツ簡単言葉意味理解できない得体のしれない若い女あんな朗らかに接するわけないだろ

別になんでもリアルにすればいいというものではないしフィクションなんだからどんだけ理想の塊でもなんでもいいんだけどオタクぅ〜現実見ぃ〜wwwこれアニメだよ?汗水垂らして働かんか〜い!!しておきながらそれはなくない?

あとなんか映像がほんとにおもんない

最後ゲンドウvsシンジ特撮パート意図的にしょぼくしてるんだっていうのはわかるけど、わかってもそれ以外の戦闘もずっとおもんなかったしなんかショボかったのでただただガッカリ感が大きくなるだけだった

もともと合わない部分が多い作品だったんだけどいつもここはすごいなあとか面白いなあってワクワクするようなところは必ずあったのに今回は特に何もなかったのがつらい

合わないかイライラはするけどなんだかんだ楽しいみたいなのを期待して行ったので

映像がおもんなすぎる本当におもんない

ゲンドウがすごい詳細に自分自分のこと語り出したのも興醒めだし、最後最後シンジが知らない誰かになったのもきつい

そういうセリフ強気にキメ顔で言うのが大人になるってことなんですか?

現実に引き戻すためあえて観てる側が冷めるようなことしてるんだって言ってる人何人か見たけどそんなん言い出したらもう何やっても最強だよ

ちょっと批判されてもわかったわかった大人になりなよ、君と違ってキャラクターたちはもう大人になったんだよ?で封殺できるし(すでに複数見た)

というか旧劇でやってたオタクへの嫌味をなんでまたやるの?

しょせんこれはアニメからねwってまたそれかよって感じ

わざわざ新劇場版なんて始動してオタクぅ〜!おいで!!してすごい年数引っ張ったのそっちじゃん!?

物語の結末は変わったけどオタクに向けた凄まじい嫌味は変わらなかったどころかパワーアップしてるのすごくね

しろそれが最大の目的だったりするんですか?

マリに対する何なんこの人という気持ちも結局最後まで消えなかったな

カヲルの扱いもえー…だったけどもうだめ脳みそ電池きれた

大人になったトウジケンスケ委員長のなかで委員長だけほんとに人格ないんよ

トウジケンスケはちゃん人間だったのでなんか意味あんのかと変な勘ぐりしちゃった

あれを大人になったと言われても本当に無理

マジで提示してくる大人像が異常に狭いし、最初農業子育て!ってこっちはおおかみこどもの雨と雪観に来たんじゃねえぞって泣きたくなった

あと何度も何度も裸出てくるのに引いた

アスカずっとプラグスーツか半裸か全裸ビビるんよ普通の服がないからかな〜って無理やり考えないようにしてたが最後ケンスケとくっついてたことがわかってキモすぎて死ぬかと思った

最後によかったところ

量子テレポートを繰り返す碇ゲンドウ笑顔になった

最後ミサトさんがかっこよかった

ゲンドウに救いがあったのもよかった(あったよね?自分自分記憶改竄してたらどうしよう)

宇多田ヒカル最高

もう他のことは一切何も考えず宇多田ヒカルの曲ききながらゲンドウのことだけ見てたらいいのかもしれない

よかったね!ゲンドウ!

2021-01-04

高度に発達したアニメ映画新海誠細田守区別がつかない

天気の子はどっちだっけ?って一瞬迷う。

天気の子サントリー映画サントリー天然水CMで「おおかみこどもの雨と雪」のBGMが使われてるしアメとかいう猫もいる→細田守かな?と思ったらこれは引っ掛けでZ会CMが必ずセットであるから新海誠

こんな感じで。

2019-12-27

独断偏見で選ぶ2010年代ベストアニメ10

2010年代が終わるわけだが、2010年代アニメベスト10独断偏見で決めてみたくなった。ので増田に放流。

見てない作品は語れないので見た作品だけ挙げる。見た作品の数が少なくラインナップが偏っている結果チョイスが偏った点については先に謝っておく。また、順番は順位ではなく放映順である

魔法少女まどか☆マギカ』(2011年

長いゼロ年代の終わりを飾るというか10年代の始まりを告げるというか、とにかくエポックメイキング作品だった。紛れもなく一時代を画すアニメであり、こんなに議論が盛り上がって人々の印象に残ったのってマジでエヴァ以来なのではという衝撃があった。

Fate/Zero』(2011/2012年

2010年代にはFate/stay night [Unlimited Blade Works](2014/2015年)とFate/stay night [Heaven's Feel]』(2017, 2019年)がアニメ化され、さらにはFGOや『Fate/Apocrypha』に『ロード・エルメロイII世の事件簿』もアニメになり、いずれも素晴らしい出来だっただけにどれを入れようかすごい迷ったのだけれど、Fateシリーズに新しい客層を開拓したという点でZero存在感がなんだかんだで大きいかなと。切嗣重要台詞微妙原作改変でそれはどうなのかと思わなくもなかったがラストの桜ちゃん原作ではなくボツになった原案通りに作ってくれて素晴らしかったですね。人間オルガンちゃん再現されなかったのは残念だけど仕方ない。Heaven's Feelも本当に素晴らしかった……。何も言うことはない。俺たちの見たかった最高の桜ルートだ……。2010年代Fateアニメ化で盛り上がった10年だったと回顧できるだろう。セイバールートも作り直して。

おおかみこどもの雨と雪』(2012年

一作くらいは細田守を入れておいてもいいんじゃないかと思って挙げてみた。細田守はてなでは評判が微妙だが普通に『おおかみこども』は良い作品だと思うんだ。純粋家族愛物語として見ると違和感とかも出るのかもしれないけど、歪められた関係性も理想化された田舎も、すべては花の回想をもとにして雪が語ったことであって、花というある意味信頼できない語り手を通して見た世界なんだよね。加えて言うなら、花が雪より雨を構っていることに批判的な意見も多々見られ、それは雪から見ればそうなのだろうし実際にきょうだいより構われなかった思い出を持つ人にとっては良い気持ちはしないのだろうけれど、でも完璧人間でないと母親になってはならないか、といったら違うわけでしょう。母親欠点を持つひとりの人間だし、それでも母親なのだ、という話だと思いますよあれは。それらの偏愛や歪んだ世界像を卓越した映像美でくるんで提示してくるところに、細田守が色んなひとの神経をざわつかせる理由みたいなものがあるんじゃないのかな。

サカサマのパテマ』(2013年

アニメ映画を1つだけ挙げろ、と言われたらこれを推す。名作名作アンド名作。何を語ってもネタバレになりそうなので最高のSFアニメ映画だという当たり障りのないことしか言えない。ボーイミーツガールSFの傑作。いいから何も言わずに見やがれください。

SHIROBAKO』(2014/2015年

単純なアニメ業界楽屋ネタに留まら人間ドラマとしてしっかり作り込んでいてくれて良い作品だった。23話はみゃーもりにつられて泣いちゃうでしょ……。5人の歩く道は凸凹していて、正解はわからずに手探りで進んでいくしかなく、それでもアニメに関わりたいという意志を持って進んでいけば夢に手が届く。そういう話の筋としてはありふれた成長譚を細やかな人物造形と堅実な脚本で良いアニメにしてくれていた。「万策尽きたー!」「どんどんドーナツどーんといこう!」などのフレーズも印象に残る。ただアニメというフィルターを通してもなおアニメ業界ブラックさが滲み出ており「これは美談にしてはいけないやつでは」みたいな感もあって、アニメの放映スケジュールが狂うことがあちこちで頻発しているのを放映予定の変更とかで視聴者目線でも感じ取れるだけに複雑な気分である

放課後のプレアデス』(2015年

紛れもないジュヴナイルSFアニメの傑作。可愛らしい格好をした魔法少女たちが土星の輪に突入するとか太陽系外縁部を探査するとかブラックホールを反転させるとかのハードSF冒険を繰り広げるギャップがすごいし、荒唐無稽ファンタジイとリアル宇宙描写を融合させた映像美はアニメからこそ実現できるものだろう。ちょっと宇宙が出てくる魔法少女ものだと思って見始めたわけだけど土星の輪に穴を開けてエンジンを探し始めた辺りでガチSFをやろうとしてるんだと理解したし実際かなりSFだった。降着円盤温度まで考察されてるのすごくない……? そして根底には傷つきやすい繊細な心と他者を思いやる優しさが流れていて、映像の美しさと相まってリリカルさに心が洗われるような気持ちになる。放映終了後の喪失感は半端なかった。『サカサマのパテマ』と並ぶ2010年代SFアニメ金字塔ですわ。これが星雲賞を獲るべきだったのでは。

プリンセス・プリンシパル』(2017年

アクションのキレの良さ、百合描写の濃密さ、黒星紅白キャラの可愛さ、音楽テンポの良さ、細部の丁寧さ、どこをとっても娯楽アニメとして超一級の出来だったと言うほかない。特に5話の剣戟シーンはここ十年で一番の殺陣だと思う。梶浦由記オサレ音楽BGM美少女たちが流れるような作画チャンバラするの控えめに言って最高としか言えない。また「神は細部に宿る」を地で行くような作品であり、アンジェプリンセス手紙の遣り取りとか、脱出用の荷物に書かれた文字とか、さり気ない描写ひとつひとつに込められた情報量が半端なく、それによって世界観と百合に奥行きを持たせることに成功していた。アンプリ、いいよね……。劇場版むっちゃ楽しみ。

宇宙よりも遠い場所』(2018年

素晴らしい作品だった。2018年TVアニメ豊作の年でありゾンビランドサガ』『SSSS.GRIDMAN』などオリジナルの良作が次々と放映されたわけだが、なかでも別格だと思うのが『よりもい』。毎話毎話が最終回のごとき余韻を残し話ごとのメリハリも利いていて軽くシネマっすねという感じだったし、「先に行けって言われて先に行く薄情にはなりたくない!」「友達ってたぶんひらがな1文字だ!」などの印象に残る名台詞の数々は記憶に焼き付いて離れない。花田! 神回しか作れずに恥ずかしくないのか? 視聴者を泣かせて食うメシは美味いか? なかでも特筆すべきは12話で、まさか受信メールフォルダを映し出した画面に泣かされるなんて思ってもみなかったアニメ史に刻まれる名シーンですわ。

さよならの朝に約束の花をかざろう』(2018年

岡田麿里が本気を出してファンタジイをやったらなんかすごいのが出力されてきた。失ったものいつまでも抱いてしま妄執とか、恋と愛の区別あやふやになって煮えたぎる思いとか、無理やり連れ出されて見せられた世界の美しさとか、そういったドロドロした感情を叩き込んだ闇鍋から人は互いに織り上げあう物語であるというテーマを掬い上げて観客の前にどーんと呈示してくる素晴らしい映画作品。ただただ名作と言うほかない。15歳しか離れていない不老の種族美少女なお母さんに育てられたいだけの人生だった……

『天気の子』(2019年

君の名は。2016年)で俺たちの新海が一気に一般人にも知られるアニメ監督にのし上がってしまい、遠くに行っちゃったんだな……とゼロ年代に魂を囚われたオタクたちが訳知り顔でホロリとしていたところに投げ込まれた傑作。いや~原作PC版のクライマックスを忠実に再現してくれてましたね! 私は原作だと夏美ルートが好きで、彼女が晴れ渡った青空を見て浮かべる笑顔の爽やかさと、その青空意味を後続のルートで種明かしされて味わうことになる切なさがめちゃくちゃ印象に残ってるんですよね。でもやっぱりあの長編エロゲから1ルートを取り出して劇場アニメにするとなったら陽菜ルートになるのも納得がいくわけで(甲高い早口

……という感想を諸人こぞりて口にしはじめる辺り、完全にゼロ年代エロゲだったテン年代最後の年にゼロ年代を煮詰めたような要素てんこ盛りの作品を公開してしかもそこにセカイ系を力強く肯定するオチをつけるわけですよ。ゼロ年代の亡霊が昇華された感があり、なんというか新海誠すげえわ、一生ついてくわ。

2019-09-08

アニメ映画おおかみこどもの雨と雪」の感想ネタバレあり)

アニメ映画おおかみこどもの雨と雪」を見て感動したので、その感想を書いてみます。(ネタバレありなので注意)


2012年に「魔法少女まどか☆マギカ」にハマってからアニメをよく見るようになりましたが、最近ほとんど見なくなってしまいました。他のことで忙しいというのも理由ですが、アニメ場合心情描写が少なく、表面的になってしまって面白いと感じることが少ないためです。

もちろん、まどマギエヴァ例外ですが、それ以外ではやはり面白味を感じる作品は少なかったです。たまにドラマ映画を見るとその心情描写の深さに自分人間ということを思い出させてくれるような気分でした。

そんな中での「おおかみこどもの雨と雪」でしたので、心情描写にドキドキさせられっぱなしでした。小学生気持ち特に高学年の淡い恋心にとても共感できました。

主人公(花)は二ホンオオカミ末裔のおおかみおとこ名前不明)と恋に落ちます

姉(雪)と弟(雨)の2人の子宝に恵まれますが、雨が生まれた直後に夫は死にます。冒頭の見せ場であるはずの夫の死がほんとあっけない。。。花はおおかみの姿で川で死にゴミ収集車処分されるところを発見します。

夫の死の理由は全く不明ですが、雪の予想では「赤ん坊のために狩をする本能がはたらいたのかもしれませんし、産後すぐの母に需要のあるものを食べさせたかったのかもしれない」とのこと。つまりは、おおかみの死に人間に非はないということ。捕まって殺されたわけでもなく、車とぶつかって事故死したわけでもなく、おそらく鳥を取ろうとして誤って川に転落して死んだということです。おおかみの死が人間無関係に生じていることが、野生で生きるということの厳しさを物語っていると思われます

また、その死んだおおかみを人間はあっさりとゴミとしてゴミ収集車処分するという無機質さ。人間動物特別視していないということ、人間のみが尊いと考えられているというが分かります。愛する夫が目の前で死んでおり、ごみとして処分されても何もできない無残さが自然世界を表しています

その後は女手一つで2人の子供を育てることになりますが、2人ともおおかみの資質を持っていておおかみに変身できるため、その育て方に花は奮闘します。花の設定が、東京のはずれにある国立大学社会学部社会学科の学生だったというのは、異文化理解し、本などから知識を得る向学心があるということを端的に表しているためでしょう。普通の人なら異文化(おおかみおとこ)を受け入れるのは難しく、さらにはおおかみこどもを育てようとはならないでしょうから

花は最終的に田舎移住し、自然の多い中、子供たちに人間として生きるのがいいのか、おおかみとして生きるのがいいか、その道を考えさせるようになります

田舎での自給自足生活は不便で大変ですが、花は本で農業動物について勉強したり、周りのお年寄りに支えられることを学びながら2人を育て上げます

その後2人とも成長し小学生になりますが、雪は自分がおおかみであることを隠すようになり、人間としての生活を選ぶようになります。一方、雨は小学校に行っても馴染めず、「先生」と呼ぶアカギツネ師事し、おおかみとしての生活を選びたいと思うようになります

まあ、花がバイト自然観察指導員として雨を仕事場に連れていかなければ、他の動物と会うこともなく、雨が山でおおかみとして生きることを選ぶことはなかったかもしれないですが、それもまた人生ですよね。

最終的には、雪はクラスメートで恋心を抱く同級生藤井草平に自分がおおかみであることを明かしますが、人間としての生活を選び全寮制の中学に進学します。一方で、雨は10歳のとき先生の死後役割を引き継ぐために山に入り、おおかみとしての生活を選ぶようになります人間での10歳はまだまだ子供ですが、おおかみとしての10歳はかなりの大人なのでそのような選択ができたのでしょう。

以上の通り、2人は全く正反対生活を選びますが、これは花が子供に好きな道を選んでほしいと考えたためです。花は決してどちらの方がいいと強制したわけではありません。雨に「山に行ってはいけない」と止めていたのは台風中山に行くことは危険というためでおおかみの生活を選んではいけないということではなかったわけです。

かに何かを教えるとき自分理想の姿になってほしいと考えてしまっていましたが、どのような姿になるかは人ぞれぞれであり、その人の気持ちや適性から自分判断するのがよいと考えるようになりました。

2人の名前の雨と雪はそれぞれ生まれた日が雨の日・雪の日だったためですが、同じ水でも全く違う方向になるということのメタファーなのでしょう。このタイトルの深さが分かったときは本当に考えさせられましたよ。

ということで、いろいろと感じることが多い作品でした。みなさんも見てみていろいろ感想を感じてください。細田作品特におすすめ作品となりました!!

2019-07-15

細田守

時をかける少女』→90点。破綻してない。

サマーウォーズ』→10点。破綻してる。

おおかみこどもの雨と雪』→70点。破綻してない。

バケモノの子』→40点。破綻してる。

未来のミライ』→70点。破綻してない。

2019-07-14

anond:20190714224111

どっかのインタビューで「おおかみこどもの雨と雪は、母親に謝りたくて作りました」と言ってたのは最高にサイコだったよな。

「母上様、あなたのことを考えるのはもう疲れたので、自分の中で勝手自己完結させていただきました。ごめんちゃーい」の間違いだろっていうね。

そっから考えていくとバケモノの子も、予定より早くこの世を去った父親に対するある種の当て擦りのようなもの垣間見えてくるのが本当怖いよ……小説漫画に出てくるレベルサイコ

しろ現在進行系で自分の中にあるサイコ調理することで作品作ってるわけだから……現代妖怪だよね。ある意味

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