はてなキーワード: メイドバーとは
常々バニーガールのキワッキワの谷間とか、ギリッギリの鼠蹊部とか、アミッアミのタイツを見てハッピーになりたいなと思っていた。2019年12月末。久しぶりに会った大学時代の友人と2人で飲んでいた時、ちょうどエロの話で盛り上がったので、一緒にバニーガールバーへ行くことにした。
バニーガールバーは古い雑居ビルの4階に入っていた。2階には「マッサージ、ドデスカー?」的なお店。3階にはメイドバー……という、いやらしい匂いがぷんぷんと漂うビルの狭い階段を、ドキドキムラムラしながら友人と登った。
俺たちを迎えてくれたバニーガールは期待通り股間に訴えかけるものが多分に含まれた芸術的な衣装で、さらに愛想も良く、俺はハッピーになり始めていた。俺と友人の仕事の話だとか、網タイツがしょっちゅう破けて困るだとかそういう話題を経て、このバーが入っているビルの話題になった。俺はなんとなく「下のメイド達と交流とかはあるの?」と聞いてみた。するとバニーガールは、眉をひそめ「メイドはやばいコばっかなんですよ〜」と言って話し始めた。
「あのコら、あの狭い階段で全ッ然道譲らないの。あのスカート、広がっていて邪魔だッていうのに、全く知らん振りなんですよ!」
友人が「メイドやばいのおもろいな〜! どこのメイドもやばいんかな?」と言うと、バニーガールは一層嫌悪感を露わにして
「いや、絶対そうですよ。前メイド喫茶でバイトしてましたけど、あのコら無断欠勤とかめっちゃするし、礼儀とか全ッ然身についてないし、頭おかしいコばっか。メイドにまともなコなんてほとんどいないですよ!」と言い放った。
彼女はメイドに差別的な発言をしたと感じた。その場は「へーそうなんや」と言って別の話題に切り替えたが、友達と別れた後にジリジリと不快になってきた。
この「不快」というのは、友達同士との何気無い会話の中で、特定の人種の人々に対する、本人にとっては悪意のない差別的な発言と直面した後にも迫ってくる。だがそれらは決して差別的な発言そのものに対する、怒りだとか、悲しみといった不快感という意味ではなく、自分の感情のあり方にぐるぐると悩み初め、その取り扱い方に困ってしまう、という不快感だ。
その後振り返ってみて俺はどう感じたか。
メイドへの差別的な発言を目の当たりにしたが、咄嗟のことだったので「そんなことを言ってはいけないよ」とバニーガールに指摘すべきだったが、できなかった。そのことについて悔しさに震えた。
いや、それは違う。単にバニーガールの機嫌を損なうのが恐しく差別的な発言を指摘できなかっただけだ。それをメイドに糾弾されるのも恐ろしく、「悔しかった」と言って誤魔化し「咄嗟のことだった」と言い訳をしているに過ぎない。結局俺は周囲を顔色を伺ってばかりいるような人間なのだ。俺は自分の臆病さを情けなく思った。
いや、本当に考えるべきことは、差別的な発言を指摘できた・できなかったという次元ではなく、そもそもなぜバニーガールの彼女はメイドへ差別的な発言をしたのか、という点かもしれない。彼女自身について少し考える。どうやら彼女は、自身が「ヤバいコが多い」と感じていたメイドをやっていたようだ。それに、彼女とは別のバニーガールはアームカットの跡で肩がまるで焼きイカのようになっていた。彼女のことはよく知らないが、働いてきた中で結構追い詰められていて、メイドを差別し見下していないと自分を肯定できない状態に陥ってしまっていたのかもしれない。俺はそんなバニーガールの境遇に同情し心を痛めた。
いや、これはバニーガールを「メイドを見下さずには自分を肯定できない」と見下すことによって、俺は自らを肯定しようとしているのかもしれない。それを偉そうにバニーガールの境遇に対する同情だとか言い繕うなんて、なんて高慢で卑怯なんだろう。俺は自身の卑劣さに悲しくなった。
いや、そもそも悔しさに震えるのも、臆病さを情けなく思うのも、同情し心を痛めたのも、卑劣さに悲しくなったのも全部嘘で、結局どれも「差別はよくない」という世間に受け入れて貰うための薄ら寒い演技に過ぎず、本心はただ寂しさを埋めるために差別問題を利用しているだけではないだろうか。いやいや、それもまた違って……。
差別的な発言に直面すると自意識という触手にがんじがらめにされ、一体自分がどう感じているのかが全くわからなくなってしまう。鏡合わせの空間に迷い込み、どの鏡に映る自分が本物なのかわからなくなってしまったような不安に陥る。そういう意味で、差別的なシーンはとても不快だ。
こんな不快な思いはしたくないし、バニーガールとメイドが共存し手を取り合い、2人で俺を笑顔で迎えてくれる社会になるのであれば、それはとてもとてもハッピーな社会だと思う。なのでこのバニーガールによるメイドへの差別問題がなくなれば良い、とは思う。
しかし、差別問題について解決しようだとか、どうこうしようだとか考えるのは、メイドでもバニーガールでもない第三者の俺にとっては想像以上に体力を消費するし、例の不安な気分に陥ることになる。こんなことに頭を悩ます位ならば、例えばマイクロビキニの女の子について考えていた方がハッピーだし、有益な時間を過ごせるだろう。よし、というわけで今度はマイクロビキニバーへと行くことにしよう。
敗者はどこまで行っても負けるという話
敗北すらしていないのが本当かもしれない
30年間生きてきて今まで、市場への参加の仕方が分かっていない
市場がどこにあるのか、どうすれば市場にアクセスできるかが分からない
普通の稼ぎの独身男が仕事帰りに足しげく通っても、家計には負担にならない価格設定
女の子の人数は固定だから客の人数によって話せる時間が変化するものの
キャバクラみたいな店と比べても安いだろうし、価格にも自分の中で納得感はあった
友人がどんどん結婚して遊び相手が少なくなってきている実感があった
その選択の為にも女の子と話すことに慣れておいてもよいかもしれないという考えもあった
メイドバーに通うことは恋愛に関して腰の重い我ながら前向きな変化だった
緊張で遠慮がちだったのが、ある程度リラックスして女の子と話せるようになると楽しめる
キャバクラのような恋愛営業的なものはないが、推しは誰なのか?という話題で同様のことを擬似的に体験できた
数回足を運び顔を覚えてもらったかというところで、安心して行ったのが昨夜
途中から入って来たのが、いかにも稼いでいそうな自信に満ち溢れたスーツ姿の若者だった
なんだかおしゃれな雰囲気を出していて、完全に勝者の持つ雰囲気だった
靴がとんがっていて攻撃力が高そう
帰宅(入店)して早々そいつはシャンパンだかなんだか知らないが高そうな酒を大量に入れ始めた
その場にいた女の子のほとんどがそいつの卓を囲み、コールをしながら乾杯を続ける
止まらない流れ
勝者による蹂躙だった
金を使う客と使わない客で差をつけるのは当然のことだ
金を落とす客の方が大事に決まっている
この小さな空間を支配するシャンパンジャイアンを恨みはすれど店の女の子に罪はない
その場で対抗できればいいがそもそもそんな手持ちはないしそんな金の使い方はできない
だから何もできない
自分の中で理由をつけられるものの、そこにあったのは敗北の二文字だった
子供が遊んでいる砂場に乱入してきた大人をただみることしかできなかった
小金持ちがやってきて俺TUEEEEしているのをとめることはできなかった
帰り道、悔しくてたまらなかった
恋愛できないからと逃げた先で別の要因でマウントをとられ不利益をこうむる
非モテが居場所を見つけたと勘違いしていたあそこも夜の店だった
キャバクラとは違う
ガールズバーとは違う
そう思い込んでいたが結局はそういう場所だった
ただ、それだけの話だった
メイドバーを奪われ、どこに向かえばいいのだろう
と言われたのが今も忘れられない。
いつも「お前は違う!」と言われている気がする。
何が違うのか、わからない。
自分がSM好きなのかというと、それは違うと思っていたのだが、
もしかすると、そうなのかもしれない。
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1.若いころ
性欲を持て余して、いろいろチャレンジしてた。
・車に欲情するか試してみたり、
・新宿2丁目に出入りしてみる
・かなりのふとっちょさん(美人)と付き合う
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昔からいろいろ行ってる。
・覗き部屋
・テレクラ
・ピンサロ
・イメクラ
・ホテヘル
・ソープ
・手コキ専門店
・M性感
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ある種の芸術だと思っている。
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4.ここ数年
試したのは、こんな感じ。
大人になって資金に余裕ができたので、プレイの幅が広がっている。
・妹プレイ
・関西弁で責めてもらう
・ぽっちゃり系のM性感
・香港の141
・尿道にブジーという棒を入れる
・SMバーに行く
とにかくいろいろ手あたり次第なのではあるが、
いつも何か違うような気がして、長続きがしない。
改めて書き出すと、なんだけど、
みんな、このくらいって普通??
秋葉原のビラ配りがここ数年で異常に増えた。
ケンタッキー秋葉原店からAKIBAカルチャーズZONEまでの道(通称:メイド通り)が特に酷い。
メイドだけでなく、忍者、女子高生風(最近は規制により私服)姿の女で埋まっていて、通行の妨げになっている状態。
男性歩行者にはしつこく声をかけてくるし、無関係な一般の店の出入り口前に平気で立ち尽くすこともあって、迷惑この上ない。
ガラの悪い元締めの男の監視の目もあり、風俗店街かと思うほどに酷い景観を呈している。
そもそも、千代田区は2014年4月1日に施行した「公共の場所における客引き行為等の防止に関する条例」で客引き・客待ちを禁止している。それにもかかわらず、3年が経過した現在も変わらない状況が続いている。(道路使用許可証があれば客引きOKという矛盾)
秋葉原の通称メイド通りで写真撮ってたらメイドバー元締めみたいな男に「メイド撮んな」って絡まれて、メイドじゃなくて景色撮ってると写真見せて説明したら「…けど道の邪魔なんだよ!」ってさらに怒られたんだけど、「どう考えても公道で客引きしてるメイドのほうが邪魔」って言いそうになった pic.twitter.com/JU6oxjuN34— ヤコー (@yako_FLPR3) 2017年9月28日
印象的なアキバの写真を添え、1万3000RT、1万8000いいねを獲得しているこのツイート。どうやら、メイド通りの景色を撮影していたら、メイドバー関係者の男に絡まれたそうだ(togetterにもまとめられている)。リプライ欄を見ると他にも経験談多数。
「スーツの若者」がやってきて写真を見せるよう強要、見せなければ警察に通報するなど、かなり強引なやり方で脅迫してくるという。
実はまったく同じ目にあったことがある。
2017年4月8日、JKビジネスの客引き一斉補導が実施され、警察の見回りが“一時的”に強化された時期があった。そんな補導後で少し落ち着いたという秋葉原を確かめるため、買い物ついでに現場に足を運んでみたときの話だ。
確かに、JK風の格好をしている客引きはあまり見当たらなかったが、私服に変えただけで、道のど真ん中にそこら中に湧いていた。
とはいえ、少しでもマシになった景色を写真に収めておこうと、ケンタッキー秋葉原店前から、ベルサール秋葉原方面を向いて撮影していた時である。
突然、20代前半ぐらいのスーツ姿の男、ビラ配り達の用心棒が名乗りもせず話しかけてきた。撮影した写真の中身を見せるよう要求してくる。声色はチンピラのそれ。
画像にビラ配りは写り込んでいないし、個人が特定できない範囲で普通に“秋葉原の街”を撮っている。この男含め、女側もその店で働いていること、違法行為の証拠となる写真が残るとまずいのだろう。
ツッコミどころはあったが、絡まれても面倒なのでその場を去ろうとした時、いきなりリュックの持ち手を掴まれた。
絶対に離さない、という意気が伝わるほどかなり力を込めており、顎をしゃくりながらものすごい形相で凄んでくる。
こちらも応じて引っ張ると、リュックが崩壊しそうな勢いで引っ張り返してくる。相手はかなり荒れており、一触即発の状況だった。
そこで男はリュックを掴んだまま手元のスマホを取り出し、番号を押すフリを始める。
写真にビラ配りの女が映っていないか絶対に確認が必要だと言い張り、それが確認できないなら警察に通報するという。
他の用心棒達もこちらを伺っており、警察が来るまで何が起こるか分からない。まずはここを離れる必要がある。言葉で伝えても仕方ないので、試しにカメラの液晶モニターで画像を確認させると、やっと掴む手を離した。
そのあとは無表情で棒立ちのまま。無言でこちらを見ながら突っ立っている。
さすがに、強引すぎるやり方に呆れと怒りが込み上げた。秋葉原は常に観光客で溢れていて、カメラで街を撮影する人はいくらでもいる。
他の人にも同じことが起こる可能性がないとは言えないし、この状態を放置するわけにはいかない。その足で万世橋署に通報することを決意した。
一方、男は店の名刺を持っていなければ、身分を証明するものがないと言い張る。
場所は昌平橋交差点の建物(東京都千代田区外神田2丁目3-9古室ビル 2、3階)であることが判明。
ちなみに、ここは同じ建物内に複数の系列店を構えている。2chあたりにも詳しく書かれているので、調べてみると良いだろう。
今回のケースに対して、万世橋署がどういう対応を取るのか個人的にも気になっていた。通報ついでに秋葉原の客引きに関してどう思っているのか、聞き出せたら良いだろう。
なんてことを思っていたが、先方の意外な対応に度肝を抜かされるとは、このときは思ってもいなかった。
まぁ、前述のツイートを見れば分かるように、現状は何一つ変わっていない。
とりあえず、受付で暇そうに会話している年配の男性2人に事情を話してみた。
すると、返ってきた返事は
「風景撮っていて絡まれたなんて通報は今まで一度もないですよ」
「それで何か怪我をしたわけじゃないでしょ」
だった。
今まで通報がなかったから何だと言いたいのか?目に見えるような大怪我してから出直してこいと?
初っ端から対応する気ゼロ。会話の邪魔だから帰ってくれないか、という無気力さも伝わる姿勢。開始数分で詰みの雰囲気を感じ取る。
そうは問屋が卸さんぞ、ということで“威嚇しながら相手の物を強引に掴んだりする行為”は何か抵触しないのか、被害届は出せないのか、などを聞いてみる。
「秋葉原以外の観光地でも、人がたくさんいる中で風景を撮影しちゃいけないんですよ」
「盗撮されてネットで公開される恐れがあるから、彼らも女の子達を守らなきゃいけないんですよ」
「被害届?無理なんじゃない?」
「で?あなたはどうしたいんですか?」
予想外の返答に結構驚いた。街でカメラを構えること自体が間違い、強引な手段で絡まれるのは仕方がないという。まるで警察があてにならない。
肖像権絡みのことを言われるのは予想できていたが、観光地の風景でも撮影するなとかそれはいくら何でも無理ゲーすぎないか?
被害届を出すことを何度も何度も繰り返し伝えると、なんとか3階の犯罪対策課に案内された。
だが、ここで返ってくる言葉は受付で言われたこととまったく変わらない。
「特に何かできるわけでもない、用心棒も彼女たちを守る必要がある」 と。
なるほど。
では、今回のような大事に発展しかねない彼のやり方には問題がないのか?
結局は3年前の取り締まりと同じで、ビラ配りの補導も一時的に取り組んでいるものなのかと聞き返した。
そこでやっと重い腰を上げた。
具体的には、生活安全課にも今回の件を共有し、担当者が店に電話で警告するという。
結局、署では15分程の時間を過ごしていた。
帰りに出口まで見送られると、さきほどの受付の2人が訝しげな顔でこちらを見ているのが印象に残った。
とんだ事態に遭遇したわけだが、ここ何年か見かけるビラ配りと用心棒の行動は目に余るものがある。
今回通報したことで、警察が本当に実行するかは分からないし、注意してもなあなあで終わるのだろう。
今回のケースは、“今まで通報がなかった”ということで足蹴にされた感じでもある。
それでも、こういう通報案件の積み重ねで一斉摘発に繋げられる可能性はあるかもしれない。
秋葉原の街を少しでも安心して歩けるようにするには、こうした地道な行動が必要だと思う。
ちなみに、威嚇してくるスーツの男は新入りのようで、その強引な行動はTwitterでもここ1年くらい報告が増えているのを確認できる。(そもそも他が私服姿なので余計目立つ)
それ以前にメイド通りエリアを担当していたのは共同経営者の男で、こっちは最近新店舗ができたジャンク通り付近にいることが多いらしい。
とまあ、Twitterで検索をかけていると思いもよらないものが引っ掛かった。
2つの垢を見たが、用心棒を始める前からHNで情報を発信しているようだ。
メイド通りの歩行者の顔が写り込んでいる写真などが確認できるが、これでも宣伝用垢なのである。
このツイートに至っては、裏オプションを仄めかす内容になっている。
君の名は。人気はまだ続くのだろうか。自分は公開2週目位に一度見たきりなのだが、Web上で展開されている
様々な解釈を念頭に置いて、もう一度くらいは劇場に足を運ぼうと思っている。
新海監督の作品は「ほしのこえ」からの自分だが、その中では前作「言の葉の庭」が一番好みである。
50分弱という過不足無い尺。今作では少し鳴りを潜めた、現実よりやや過剰に高められた光の輝き。
ヒロインを失意の闇から救済し、精神的な絆を結びつつも、直接の対価を得ることが無い幕引き。
どれをとっても、新海誠という人物が長年その心象世界に持つ純粋な「私の世界」。
君の名は。を彼のベスト盤であると評した人がいた(本人?)ように思ったが、自分は「言の葉の庭」こそが、
最も正確に彼そのものを表しているように思う。
ただ、そういった作品性とは別に、自分が言の葉の庭を特別なものとして見るのにはもう一つ大きな理由がある。
全くもって個人的な体験に基づくもので、それを他人と共有する事に価値は無いのだとは思うのだが、
40を目前とした今、その記憶がゆるやかに風化していくにつれ、どこかにその記憶を刻んでおきたいという欲求に駆られ、
1日だけの日記としてここに記しておこうと思う。
創作では無い為物語の構成は酷く、起伏にも全く欠けるが、偶然目にする人がいたら、息抜きのつもりで読んでみて欲しい。
20年ほど前、自分は地方の私立大学に通う大学生だった。高校を出て何となくの流れに乗って通う大学生活は、
地方であること。理系であること。あまりハイブロウな属性でないことなどから大きな刺激も無く、
かといって腐ってしまうという程の退屈さもなく、毎日がそこそこのルーティーンとそこそこのイベントによって消費される、
卒業校は大学とほど近い場所にあるため、自分は時折高校時代の恩師の元を訪れ、近況の報告や、
(当時のPC弄りが好きな学生がしばしばそうであるように)師のPCメンテナンスなどを請け負っていた。
ある日いつものように師の元を訪れると、師の隣席に初めて見る顔があった。
師は、新任の先生だと言って彼女を紹介してくれた。
「今度新しく入ったH先生だ。」
「どうも初めまして。Sといいます。」
学校行事でスーツを着ていた自分を、おなじ新任か関連業者の人間と思ったのかもしれない。
彼女…H先生は突然勢いよく椅子から立ち上がり、コンシェルジュのような角度でお辞儀をしながら
と、およそその完璧なお辞儀からは相応しく無い焦り具合で挨拶をしてくれた。
少しだけ長めのボブカット。
そして何より、整った、育ちのよさそうな顔立ち。
(ははぁ。これは生徒に人気がでるだろうなぁ…。)
そう、思った。
「そう言えばH君、パソコンの調子が悪いと言っていたじゃないか。せっかくだからSにみてもらったいい」
これをきっかけに、ほんの短い間ではあるものの、自分とH先生に関係が生まれた。
その後数か月間、自分はH先生のPC周りの面倒を見ることになった。勿論、数か月といっても頻繁では無い。
実のところは、精々5・6度の話でしかなかったと記憶している。そうとは言え、ほんの少しだけ年上の
とびきり可愛らしい女性が相手だ。いつもわくわくしながら通ったのを覚えている。
見かけ通り、H先生はとても可愛らしく純粋だった。
明かりの落とされた職員室。
冷陰極管の青白い光に浮かび上がる横顔。
買ってくれた缶コーヒーの温もり。
年下の自分に中途半端な敬語交じりで話し、ソフトの使い方を教えたり、FEPの不調をメンテしたり、
壊れたFATテーブルをエディタで書き直す程度の事で、H先生はとても喜んでくれた。
見かけによらず、頑固でもあった。
突然の夕立に「いい」と言うのに頑として聞かず、駅まで車に乗せられた。
エアコンが効かず、少し蒸した車内。
一度、何かの為にソフトを借りに実業系科目の教師の所へ顔を出したとき、
と、冗談とも真面目ともとれない顔で言われたこともあった。
…その通りだと思った。
あの時自分はどうして恋に落ちなかったのだろう?
高校時代淡い好意を持っていたクラスの女の子を忘れられなかったからだろうか?
卒業校とは言え、教師という立場の相手に対しての遠慮だったのだろうか?
今となっては思い出すことができない。
ただとにかく、会いに行く時間の胸の高鳴りとは裏腹に、
自分がH先生に対して恋心を抱いたことは無かったように思う。
時が経つにつれて、H先生とは疎遠になった。卒業からしばらくOBとして顔を出していたやつが
いつの間にか顔を見なくなるという、ごくありふれた、普通の流れだった。
勿論、心のどこかで気になってはいたが、明確なきっかけも無いのに顔を出すのも気恥ずかしく、
また、自分という存在が順調に過去となっていく高校に窮屈さを感じ、足が向かなくなるにつれ、
しばらくの後には思い出すことも無くなっていった。
大学生活は相変わらず少々退屈で、授業とバイトの日々が続いていた。バイト先にはコケティッシュに笑う
年下のあざと可愛い女子大生が入り、自分はその子に相当入れあげていた。
そんなある日。
高校の「部室」へ顔を出した。
自分は高校時代ややヲタクなサークルに顔を出していた。それはよくあるアニメやゲーム好きが集まるような
内輪志向の趣味サークルで、正規の部員でこそ無かったものの、殆どコアメンバーのような立場でメンバーとつるんでいた。
先輩も、後輩も、同級生も、自分の高校生時代の交友の半分は、そのサークルに由来している。
部室にはYがいた。
Yは自分が卒業する年に入学した後輩で、少々エキセントリックな性格ではあるものの、
当時の世相でそういったサークルを志向していた女子には珍しく、並以上とは言える容姿と、
その予測不能な反応を示す性格から、OB現役を問わず大層人気があった。当時から近い表現はあったように思うが、
ヲタサーの姫がベターなワードチョイスだ。正確にはサークラ的要素も多分に混じるのだが、
方々穴兄弟にはなったものの、サークルはクラッシュされなかったので、二択であればやはり姫の方が無難であろう。
Yや他の部員たちと軽く挨拶を交わし、部室に置き去りにしたPCエンジンで縦スクロールシューティングに興じていると、
「先輩先輩。先輩はH先生知ってますか?」
驚いた。彼女が新任教師として赴任したのは自分が卒業した後であり、現役生であるYもそれは承知だろう。
卒業後に赴任した教師を話題にあげるという事は、普通滅多なことではしない筈だ。
「ああ、実はちょっとした絡みがあって少しだけ知ってるよ」
事実を答えた。Yが続けた。
「H先生、辞めちゃったんですよ」
公立高校と違い、私立高校では異動というものが殆どない。私立が主体の都会では事情が異なるかもしれないが、
地域内に同業が少ないこともあって、転職という選択をする教師も(教師という手堅い職を選ぶ本人の性向もあってか)
滅多にいなかったと思う。とにかく、短期での退職というものはあまり例が無さそうに思えた。
Yは表情を変え、ゴシップ好きの主婦のような声色を作って次を継いだ。
「それがね、聞いてくださいよ先輩。H先生寿退社…ってことになってるんですが、本当は…」
…
…
「本当は、生徒に強姦されて辞めたんです。」
それから数年の年月が過ぎた。
大学卒業後、氷河期のどん底という頃に地元の小企業に就職したが、ワンマン社長の横暴に嫌気がさし2年と少しで退職。
しばらくアルバイトをしながら職を探したが、高卒でブルーカラー職についたり土建業に入るならともかく、
大卒が志向するようなサービス業的業種にまともな就職先はとても少なく、わずかにある条件のよいポジションは
新卒で滑り込んだ者が既得権化しており、あとはそれこそ公務員くらいしか不満の少ない就職は困難だった。
それを期に、意を決して東京へ出た。
友人の家に転がり込み、転職エージェントを頼りにいくつかの会社を受けた。東京での活動は思いの外順調で、
面接したいくつかの会社から採用通知を受け、そのうち、条件はあまり良く無いものの、基盤の堅い中小企業に入社した。
入社後上司との性格の不和に苦しんだが、前職の事を思えばその程度の問題に対処することは苦労のうちには入らなかった。
給料はとても安(250程度だったと思う)かったが、それも前職に比べれば不満は少なく、初めての東京生活をエンジョイし始めることができた。
そんな矢先。
当時の秋葉原メイドカルチャーは黎明期の出店ラッシュがひと段落し、金の匂いに感づいた風俗業の面々が
続々と出店を始めた位の頃だったと思う。高校を卒業したYは東京の大学へ進学したが、
生来の不安定な性格故順調にメンヘラ属性を手に入れ、真面目な大学生という路線は早々に離脱。
生活の為か趣味かは聞かなかったが、アルバイトとしてメイドを始めた、ということだった。
メールには多少面食らったが、Yの人と成りからすれば、想像には難くなかった。
自分の秋葉原に対するスタンスは単なるパソコンショップ詣の場所で、メイドカフェへ行くことに多少の
戸惑いはあったのだが、後輩に会いに行くと思えばいい。了承の返事を送信した。
「おかえりなさいませ、ご主人様~」
Yの働く店は正確にはカフェではなく、バーだった。
万世橋を渡り少し裏手の路地の扉を開けると、今では手垢どころか擦り切れて表皮が
やや珍しい青と白の照明で彩られた店内(まるで自作PC筐体のようだ)は、多少の安っぽさはあるものの、
常連客との適度なゾーニングもされていて、居心地は悪くなかった。カウンターの向こうで客の相手をする
隣では、この場所にはやや不釣り合いな女性が独り呑んでいた。
「君、初めて?」
声をかけられた。
「そうですよ。高校時代の後輩がいるんで、まぁ付き合いです。」
「そうなんだ。じゃあ私と一緒ね。」
女性(T)は銀座でホステスをしていた。非番の今日は、ここで働く自分の彼女の仕事が終わるまで待っているのだ、
と教えてくれた。自分も自己紹介をし、それからしばらく話をした。ホステスの会話術は流石に巧みで、
後輩に会いに来たことなどすっかり忘れ、仕事の話や高校時代のことなどを話し込んだ。
2杯目のジントニックの氷が溶けるころ、Tがはたと気付いたように自分に聞いた。
「そうですよ。Yは3つ以上下だから、直接一緒になったことはないですけどね」
「そっか。そしたら君…」
…
…
「H先生って…、知ってる?」
ドキリとした。
自分の中で風化し、消えかけていた「H先生」という単語の響きが、急速に記憶の色を取り戻させた。
しかし、こんな偶然があるのだろうか?ここは00年代も半ばの秋葉原。しかも場末のメイドバーだ。
100歩を譲って、自分達の高校が埼玉や神奈川にあったとすれば分からなくもない。
だが、自分達の高校は十分に遠方にあり、増してや、彼女がH先生であったのは6年も7年も前の話なのだ。
ボブのかわいい初々しい先生だったこと
人の消えた職員室で一緒にコーヒーを飲んだこと
大した話ではない。読んでくれている人がいたら申し訳ないが、当事者以外が聞いても何の感慨もない日常の出来事だろう。
Tは、そんな自分の話を穏やかな顔で聞いていた。ひとしきり話を聞いてから、話をしてくれた。
髪型が全然違うこと 化粧が派手だったこと
プレリュードに乗っていたということ
…そして、1年程前まで、自分の彼女だったということ
少しジメジメした夏の終わり頃だったように思う。
日付なんて全く覚えていない。
でも、それくらい、自分にとって忘れられない日の出来事である。
「言の葉の庭」は、ヒロインである雪野先生が、想いを寄せられた男子生徒への対応を誤ったことを
きっかけに物語が構成されている。劇中、男子生徒を奪われ、腹いせに雪野先生の退職を画策
(そしてそれは成功する)した女生徒に主人公が抗議をするシーンがある。
客観的に見るとやや時代錯誤と青臭さがあり、本作で唯一落ち着かない場面ではあるのだが、
このシーンを見ていると、雪野先生とH先生をどうしても重ねてしまう。
勿論、自分が孝雄になる妄想を出来る程今の自分は若くない。ただ、物語は悲恋として終わるものの、
孝雄の存在は、雪野先生の人生において彼女のレールを想定の範囲内におさめる為強力に機能した筈だ。
では彼女は、H先生はどうだ?
H先生に関して一つ書き忘れたことがある。彼女は県下一の、ある業種の創業家の息女である。
名士の娘が地元の高校で教壇に立つ。頃合いをみて結婚。家に入る。
時代錯誤ではあるのだろうが、そんなルートが彼女の想定の範囲だった可能性は高い。
もっとも、実はそれが嫌で飛び出したということも考えられる。
これを読んで、「だからだよバーカ」と舌を出しているかもしれない。
それならそれで、構わない。彼女が想定の範囲の人生を受け入れていたかどうかなどわかるはずもないし、
想定されたルートが幸せだったなど、他人の人生の価値判断を想像でするべきではない。
ただ、人生のターニングポイントにおいて、1人の人間の存在が他の1人の人生に与えうるインパクトの大きさというものは、
現実であっても、いや、現実こそ想像以上に大きい。花澤香菜がワンテイクで録ったというクライマックスを見る度、
そこに感情をぶつける肩のあった雪野先生と、もしかしたら無かったのかもしれないH先生とで、
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…自分語りはこれで終了だ。
最後に少しだけ、素人の新海誠評を書いてみたい。
あくまで想像だと前置きするが、新海監督は幼少から無理目な恋愛ばかりをしてきたのではないだろうか?
恋愛という通常とは比較にならないエネルギーを必要とする行為において
その力を一方的に放出し還流を受けることのできない状況は、人を極端に消耗させる。
ある者は力尽き、ある者は別の誰かから力を得た。
またある者は、運良く力の循環に出逢えることもあるだろう。
監督はどうだ?
監督は恐らく、無から力を生み出すことを選んだ。それが新海誠の作品性の源流であり、
君の名は。の2人は、時空を超えて尚力の循環を得ることが出来たように描かれている。
これをもってして彼の心象世界との乖離を突き、不安視する声がある。かく言う自分も少しばかりは、心配だ。
だが、監督は既に力の循環を知っている。言の葉の庭の2人は、実態としての結末こそハッピーではなかったかもしれないが、