「終焉」を含む日記 RSS

はてなキーワード: 終焉とは

2024-09-27

から滅びた

岸田文雄

https://twitter.com/kishida230/status/1839562139696312439

本日自民党総裁選挙の結果、新総裁石破茂さんとなりました。

石破新総裁のもと、自民党は一致団結して政治の責任を果たし、国民共感を得られる政治を実現しなければなりません。

私も一兵卒となって自民党を支えて参ります

ありがとうございました。

リプライをみて、高市支持者の行儀の悪さが敗因という説に説得力があると思いました。

リプ欄むごい。そりゃ高市さん負けるわ





石破支持に回ったそうで。最後最後までカスでしたね。自民党を終わらせたかったんですか?民意を見てください。これがあなた方が招いた結果です。さよなら自民党

石破総裁のうちは自民党には投票しません

自民党、終了です。これから日本保守党応援します。

嘘つき野郎💢党員票の多い方に入れるって言ったのに入れてないじゃん💢嘘つきの文雄

石破総理日本終了と、Twitterトレンドになりましたよ。

早く解散しないからとんでもない結果を招いた

自民党の終わり石破さんが総裁首相だなんて最悪最悪最悪‼️高市さんを総裁にすべきだった自民党は見る目ない早く解散して終わらせましょう国民生活はたまらない‼️国会議員国籍開示は必須だどれだけ偽ってることか

最低から最悪への政権交代😮‍💨次の総裁選も高市早苗さんを支援します。日本を諦めるわけにはいかないんです。

お前は次の選挙落選だよ石破では国民共感を得られる訳がないだろう高市さんじゃなかったか自民党は終わりだよ

石破さんでは選挙は勝てないでしょうね😅

申し訳ないが党員をやめようかと思っています。#自民党員やめる

自民党終了の序章です。

私は自民党からバイバイします👋

貴方最後最後まで自民党保守岩盤支持層裏切りました。

石破を選ぶとは…もう自民党には何の魅力も感じない。党員をやめる。

日本終了。国を壊して何が楽しいんですか?あんたらに税金は払いたくありません

自民了解しろ

いえ、退役してください

最後最後まで国民を苦しめるとは

支えてもらわなくてけっこうです。もうこれを期に引っ込んでて下さい。

辞める間際まで。。。絶対に許さんからな😡💢

高市さんならなんとか腐った自民党国民が期待し支持しようとしてたのに石破を選んでわざわざ自滅の道を選ぶとは、、次の総選挙では自民党惨敗ですそれくらい解らないのですか?

あなた自民党を弱体化させて、本日自民党終焉が決まりました。国民はおろか党員の声も聞かず最悪の総裁を選んだあなた方は次の衆議院選挙で、その愚かさを思い知るでしょうね。

ゲル首相誕生!♯自民党死亡の日庶民をナメたらどうなるか、先ず次の選挙首相応援演説を受けた方に判断してもらおうか( ´艸`)

今度の選挙自民党は終わります!残念です!自民党日本台無しになります!

私は自民党員です!日本終了ですね!岸田元総理→「石破新総裁のもと、自民党は一致団結して政治の責任を果たし、国民共感を得られる政治を実現しなければなりません」私→自民党議員の方達に失望しました!きっと国民共感を得られず総選挙で結果がわかるでしょう(;゚д゚)残念です

自民党から人は離れるでしょうね。これから移民政策のせいで自衛必要になるでしょう。大増税来ると思いますが、税金対策はしっかりしていきたいと思います。岸田さんはよくやった部分もあり、やらなかった部分もあります。良い部分と悪い部分を足したらかなりマイナスでした。特に国内

情け無い自民党議員たち‼️

麻生さんは拍手して無い、しかも顔が険しいね。それなのに貴方ヘラヘラして拍手とは、どんだけ危機感が無いのだか。これをみれば自民党は内部崩壊確実でしょう。もう終わってますね。

自民党って私利私欲の塊だったな。次の選挙で思い知らせてあげますよ👊

日本自民党が復活出来るかの最後のチャンスをあんたら自民党台無しにした。何が石破だよ。未来永劫、自民党はもう支持しない。

じぃさんたち、絶対石破さんに入れましたよね?高市さんは女性から…って理由で😇

自民党リベラルだと理解したので、私は二度と自民党には入れません。

黙れ!反日!!😡

これで少なくとも保守層は自民党から離れるでしょうね🤔🏢

これで次の選挙は大負けですね。

あ~あ。やっちまったなぁ!

元岸田総理長い間お疲れ様でした。そして図々しく最後最後まで国民を苦しめ、外人に優しくあなたへの恨みは一生忘れません。自民党の終わりを願います

自民党保守と名乗るな

今回の総裁選で、安倍さんが凶弾に倒れた時と同じ顔に見てました。

自民党…終了…結局、自民党員って本当に馬鹿しかいなかったって事ですね。次の選挙絶対自民党投票しない。

最低から最悪へ政権交代😮‍💨次の総裁選でも高市早苗さんを応援します。日本を諦めるわけにはいきません。

2024-09-26

本好きって本を神聖視するあまり、「日に焼ける」「雑に扱ってる」「積み上げるのは危険」「積読は罪」などなどの本警察となって、物質としての本の終焉に一役買ってる気がする

大谷選手の自宅が報道されてテレビ局ドジャースから出禁になった話

けっこう土人みがあるエピソードだったよなあ

おそらく50代の人が「大谷の自宅を公開だ!フンス!(鼻息)」しちゃったんだろうなあ

20代記者が「そんなことしてどうなんだよ・・・」って思いながら報道したんやろな

昭和世代終焉がわかるエピソードであった

2024-09-20

AI集団の生成AIイラストの受容への5段階

1.否認孤立

手書きイラスト商品寿命が長くないことと、

生成AIイラストクオリティ生産性に衝撃を受け、

その事実感情的否認したり、その事実から逃避しようとしている段階。

周囲の認識や態度にギャップが生じるため、孤立しがちになる。

ネガティブキャンペーンを行う。

2.怒り

手書きイラスト終焉という事実認識したが、

一方で、「ではなぜ、自分がこのような境遇になってしまうのか」といった思いが強く、

周囲に反発したり、怒りがこみあげてきたりする。

生成AIイラストレーターをネットリンチしたり、生成AI使用者威力業務妨害をしたり、

市民団体を作ったり、泣き落とし記者会見をしたり、

パブリックコメント組織票荒らしをしたり、政治家アカウント突撃したりする。

3.取り引き

手描きイラスト終焉をもう少し先延ばしできないか

あるいは、奇跡が起こって手描きイラスト終焉回避できないかと考える。

顧客側に手描きイラストを使うようにお願いしたり、

懇意政治家企業献金したり、署名活動したりする。

この辺りで穏健派強硬派の間で仲間割れが始まる。

4.抑うつ

手描きイラスト終焉と、生成AIイラストの普及は避けられないことが分かり、

あきらめや悲観、むなしさ、憂うつ絶望といった気持ち支配して、落ち込む。

自分にとって都合の良い主張をリツイートしたりはするものの、自分自身の言葉ではあまり語らなくなる。

5.受容

手描きイラスト終焉と生成AIイラストを、

誰にでも訪れる自然ものとして受け入れるようになる。

これまでの価値観視野とは異なる次元があることを理解し、心静かに暮らす。

2024-09-17

EV関連で2020年くらいのはてブを読むとトヨタ終了論が席巻

未来ってのは予測が難しいとは言え、ブクマカ大勢EVによってテスラ欧州勢中華勢が興隆トヨタ終焉ハイブリッドFCV太刀打ちできない、原動機を全部やる多角化戦略なんて馬鹿らしいみたいな話が席巻していた

トヨタのお膝下である日本国民(である一部のブクマカ)がEVへ対してこんな印象を持っていたのだからゼロカーボン政策現地の欧州庶民クリーンディーゼルの失敗はEVで巻き返せると本気で信じてた人が、欧州自動車産業界の人を除いて、かなりの比率存在していたのではないか?と思わざる得ない

欧州自動車産業界はこういった欧州庶民を説得しきれずにEV一本化へ向けて動かざるを得ず、遂にはフォルクスワーゲン工場を閉鎖すると言い始めるところまで来てしまった

自分の生まれ故郷を信じたい気持ちはわかる

明日は我が身、日本国民政府与野党わず政党政治家がアホな政策実施しないようにしっかりと監視し、特に日本島国なんだから島国という認識が抜け落ちてる同胞国民対話し説得しようぜ?

2024-09-15

ネットエロ広告について

最近ネットエロ広告についてしばしば話題になるけど、これはフリーモデルというネット終焉かもしれないなと感じてる

要するにまともな企業はもうネット広告に大した意義を見出してないんじゃないか

特に炎上Youtuberとか雑多な掲示板とかエコチェンが極まったSNSとか、そこら辺に集う層はまともな企業にはもう潜在的顧客としてほとんど見込まれてないんではないだろうか

からアダルトと怪しい投資詐欺教材くらいしか表示されない

怪しい広告にあふれている、のではなく、無料モデルの見えないコストを支払わされているだけ

2024-09-11

anond:20240910142546

これは嘘。ゼロ年代はてな村では今みたいな限界サヨクウヨクほぼほぼオピニオンの外側のノイジーとすら認識されないガヤそのものだった。

中心に豊かな言論があったのでしょうもないウヨサヨなんかは相手にされていなかったし、そういう連中はせいぜい2ch隔離板がお似合いでしかなかった。

ブログブーム終焉して人々がツイッターをメインにするようになってやせ衰えてから馬鹿の声が大きくなった。その代表はてなブックマーク

2024-09-06

あるいはいじめ文化終焉

anond:20240112183640

同調圧力っていうとふわっとしているけれど、この「オタク趣味っていつから一般受けするようになったんだ」に関していうと、マスコミ洗脳能力相対的に低下して、消費文化マスコミ統制が効かなくなったっていう、ただそれだけのことに思える。

日本音楽史的に言えばバブル崩壊後に「趣味多様化」して、ディスコ文化クラブハウス文化になって色んな人がいろんな楽曲を聞くようになり、当然メガヒットが減少し、マスコミが「発見」したり「推奨」したり「あたかもそれが正義のように流行演出」することが難しくなり、同時に「少数派の趣味人を異端者として叩くいじめ文化」がなくなっていった。

このふたつは相互補完で循環関係にあって、いまの中高生は信じられないと思うけれど、当時、オタクいじめ差別して笑いものにするのは「やって良いこと」だったし、マスコミお気に入りエンタメでもあった(そういうバラエティ演出は溢れていた)。自分よりふた周り下の子世代に聞くと「音楽趣味とき人間が上だの下だの分かるって馬鹿じゃねえの?」ということだけど、それはもっともで、今の子世代は当時よりずっと賢いし上等だと思う。

2024-08-30

増田はもう終わりです こんな事言うと泣く人いるかも知れないけど

今、AWS EC2 t2.large48 の NVIDIA H100 で FugakuLLM を増田の全過去ログで追加学習した MasudaLLM を作成しています

作成したLLMは Hugging Face にもアップロードします。

これによって増田には増田が溢れ出し基盤となる文化消滅するでしょう。

自分がまるで産業革命のような人類進化を促していることに震えが止まりません。

大航海時代新大陸発見した船乗りもこんな気持だったのでしょう。

皆さんは雁首揃えて増田終焉を見届けてください。

今夜は震えて眠れ。

2024-08-25

北村紗衣と須藤にわか論点はずれているが、共通問題あぶり出している

太田出版Webマガジンにおける北村紗衣氏の連載に対して、須藤にわか氏という映画ブロガーが異議を唱え、それに対して北村紗衣が反論してホッテントリ入りしている。

私は須藤にわか氏のように映画を多く見ているわけではないし、北村紗衣氏のように多数の先行研究に実際にあたったわけではないが、発端となった連載と二人のやり取りをみて、話の主眼がずれていると感じた。同時に、二人とも結局、「ニュー・ハリウッド」という批評の枠組みに問題があることを浮き彫りにしているとも思った。

発端となった元連載の内容

まず連載の企画趣旨は以下の通り

映画を見た後に「なんかよかった」「つまらなかった」という感想しか思い浮かばない人のために、フェミニスト批評家・北村紗衣さんが、初めて見る映画感想を話しながら注目してほしいポイントを紹介する連載

北村紗衣氏の主な論点は以下の通り

①初めて見た『ダーティハリー』はサスペンスとして全然面白くなかった

自分アメリカン・ニュー・シネマが好きではない

60年代後半から70年代に、アメリカン・ニュー・シネマ英語ではニュー・ハリウッド)という潮流があった

④ニュー・ハリウッド反体制的な要素と、あからさまな暴力セックス表現が主な特徴として挙げられる

アメリカン・ニュー・シネマはかなり男性中心的な潮流

⑥『ダーティハリー』はニュー・シネマの影響下にある警察映画

北村紗衣氏の素朴な感想は、末尾にある「名作と言われてみんなに愛されている作品でも今見て面白くなかったらけなしていい!」と結びつくが、③~⑥の知識を持っていると『「なんかよかった」「つまらなかった」という感想しか思い浮かばない人』でも理解が深まる、というのがこの連載の趣旨みえる。

須藤にわか氏の異議

これに対して、須藤にわか氏の主張は以下の通り。

①「あからさまな暴力セックス表現が主な特徴」という認識は実際のアメリカン・ニューシネマからズレている

アメリカン・ニューシネマフィルム・ノワールと同様に映画批評家らによって作られた映画分類のカテゴリー

アメリカン・ニューシネマは「ヌーベルヴァーグ」や「ドグマ’95」のような映画運動ではない

④「アメリカン・ニューシネマ」と「ニュー・ハリウッド」は分けて考える

⑤ニューシネマは「暴力セックス」の映画ではない

⑥「ニュー・ハリウッド」もしくは「アメリカン・ニューシネマ」というカテゴリーは(白人の)批評のために作られた作為的カテゴリー

⑦「アメリカン・ニューシネマ」もしくは「ニュー・ハリウッド」が差別的に見えるとすれば、それはそもそも批評カテゴリー自体差別的

北村氏の反論

須藤にわか氏の異議に対する北村氏の反論は、目次にわかやすくまとまっている

①New Hollywoodの特徴のひとつセックス暴力があげられるのは当たり前

②New Hollywoodが男性中心的であるということは1970年代からずーっと言われている

③広く使われているジャンル用語勝手に変更しない

論点のズレ

須藤にわか氏の明確な誤り

須藤にわか氏は

例の著者は自分で決めた「これがニューシネマ」というカテゴリー自分で見て「このカテゴリーには黒人映画女性主人公映画が入ってないか差別的」だと言っている

と述べているが、これは明らかに違っていて、

北村氏がいうように、

決めたのは私じゃなくて今までの批評

まり北村氏は一般的な「New Hollywood」解釈を述べているだけなのだ

ただし、須藤にわか氏が本当に主張したいところは上記にあるのではなく、「New Hollywood」というカテゴライズのものに反発している。

北村氏は出典をたくさん挙げているが、須藤にわか氏の主張であるそもそも『ニュー・ハリウッド』が作為的カテゴリー」への反証ではない。須藤氏のいう北村氏本人への批判、「知ったかぶりして、しか知ったかぶりした上でこれは差別的だとかなんとか非難」への反証である

(「たくさんの出典があってすごい!」的なブコメの反応は、ただマウント取りたいだけのリアクションに見える)

さらなる食い違い

須藤氏は北村氏の姿勢について、

「ニュー・ハリウッド」もしくは「アメリカン・ニューシネマ」というカテゴリーが(白人の)批評のために作られた作為的カテゴリーであることを度外視した上でそれを非難している。

と言っており、

北村氏は

「(白人の)批評のために作られた作為的カテゴリー」なんだから批判されて当然ですよね?

という。ここは互いに噛みついていながら二人とも同じことを言っているように見えて混乱したが、批判対象範囲が違うようだ。

須藤にわか氏はそもそも、「ニュー・ハリウッド」というカテゴリーのものが、当時の映画作品群を評価するのに適切ではないと主張している。一方の北村氏がいう「批判されて当然」の対象は、須藤氏と同様にカテゴリーのものであると同時に、カテゴリーに含まれ作品群も含まれると私は解釈した。

須藤にわか氏の論の本質と、北村紗衣氏の指摘

須藤にわか氏の論で一番重要なのは、元の北村紗衣氏の連載にあった以下の部分への反論ではないだろうか。

60年代後半から70年代の潮流であるニュー・シネマは、それ以前にあったいろいろな制約が外れ、暴力セックス描写ができるようになり、そしてアメリカの秩序を問うような映画がたくさん作られた時代です。

そのくせに、結局は男性というか、主に白人男性が中心であることは問い直してないんですよ。

これに対して須藤氏は、

だいたいニューシネマは映画運動ではないのだから「問い直していない」って誰に対して言っているんだろうか?運動実態がないもの運動責任を問うたところで、まるで意味がないと思うのだが。

アメリカン・ニューシネマ」もしくは「ニュー・ハリウッド」が差別的に見えるとすれば、それはそもそもそうした批評カテゴリー自体差別的

この点、北村氏も、

>>New Hollywoodを決定づける作家主義的な監督の大半が白人男性であり、白人男性主人公にした物語代表作として受容され、研究白人男性監督だけを対象としてきたこはいたるところで指摘されています<<

と述べているように、「ニューシネマ」というカテゴリーのもの問題があることは認識しているように見える。

まり、二人とも、「ニュー・ハリウッド」というカテゴライズ問題があるという点では、共通認識がある。そのうえで、北村氏は、「須藤氏のニューシネ解釈一般的ではないから、私を嘘つき呼ばわりするのではなく、自分で論を立ててね」としている。

しかし、「ニューシネマ」というカテゴリーのもの問題があるなら、北村氏の連載における「『ダーティハリー』はニュー・シネマの影響下にある警察映画」という紹介の仕方も、「ニュー・シネマが男性中心的だ」というのも、安易に見える。元の連載において、ミステリサスペンス的にいまいちという北村氏の感想にはうなずけるが、「ニュー・シネマ」という潮流の紹介は片手落ちで、「研究白人男性監督だけを対象としてきた」ことも含めて紹介すべきだったのではないだろうか。

なお、北村氏のいう「問い直してない」というのは文系学問によくあるレトリックで、須藤にわか氏の「運動実態がないもの運動責任を問う」ているように見えるというのは、本質を突いていると感じた。

「問い直してない」論法は、レッテル貼りに使いやすい。

ダーティハリー』含む「ニュー・シネマ」と呼ばれる作品群は、「男性白人中心主義」的であることを「問い直せていない」からダメ作品だという、作品ファンが反発を覚えるのも無理はないだろう素人批評を容易に生み出す。(なお、これは北村氏の主張ではない。北村氏はあくまでニュー・シネマが好きではないだけだ)

須藤にわか氏が作品擁護する姿勢理解できる。

増田感想

文系学問特に文学社会学)においてありがちな、世の中の傾向や潮流を仮構して、ミクロ作品人間を論じるスタンスは、使い方を間違えると、色々なことを損なう。その作品人間もつ、複雑さや豊かさが捨象されるし、俗流に応用されれば簡単差別につながる。「この時代に生まれ人間は●●である」と決めつける世代論などを見ればわかりやすい。もちろん社会を論じるなら、そういう傾向を仮定して話を進めざるを得ないが、学者でもない人間が個々の作品人間評価するのであれば、マクロ的な枠組みでは拾えない面白さや豊かさにも目を向けるべきだろう。

少なくとも発端となった連載は素人映画をより深く鑑賞する視点提供するものだったはずだ。北村紗衣氏の視点須藤にわか氏の視点を踏まえて、もっと映画を楽しみ人生を豊かにしたり、世の中を考え直すきっかけを得たりするのが、私のような素人にとってはいいのではないだろうか。

たとえば北村紗衣氏がいうように、

「やっぱり、この映画ハリーのことをどう捉えているのかの解釈が難しい」

というところが、「ダーティハリー」を考える上でおもしろそうな部分で、北村紗衣氏は第一印象がつまらなかったため深堀りすることはないだろうが、「ダーティハリー」をこれから見て逆に「面白い!」と感じた場合には、ハリーを起点に「ニューシネマの影響下に本当にあるのか」などを考えるとまたおもしろそうだ。

あるいは、須藤にわか氏のいうように

そういう自分の知らないものとたくさん出会えるのがニューシネマの面白さで、あえて一時代アメリカ映画をニューシネマとして括る意味があるとすれば、それはその作品群がこうした「新しさ」を観客に与えてくれるから

ということを踏まえて、様々な作品に触れれば見えてくるものもあるだろう。

須藤にわか氏のエントリについたクソブコメ

serio フェミニストはありとあらゆる事象フェミニスト視点から語ってしまうので、たまにホームランを打つことがあっても、バットキャッチャーを殴って三塁に走り出すみたいな大外しをすることがよくある。

→元連載は「フェミニスト批評家・北村紗衣さんが、初めて見る映画感想を話しながら注目してほしいポイントを紹介する連載」なので、北村紗衣氏が好きに「ありとあらゆる事象フェミニスト視点から語ってしまう」わけではなく、そういう企画趣旨に基づいて仕事としてやっている

hazlitt アメリカン・ニューシネマってカテゴリーとして昔からよくわからんなとは思っている。わりとどうでもいいが野次馬的には町山某が反応すべき話題だな

→「わりとどうでもいい」と保険かけながら野次馬根性さらけ出しているのがキモい

jassmaz 文学理論批評理論を知らないオタクの見当はずれな批判。この時代アメリカ価値観完膚なきまでに破壊したことは十二分に暴力である。87年出版アラン・ブルームアメリカン・マインド終焉』を読もう。

→「この時代アメリカ価値観完膚なきまでに破壊したことは十二分に暴力的」北村紗衣氏も須藤にわか氏も言っていない新たな論点。見当はずれはこのブコメでは

北村紗衣氏のエントリについたクソブコメ

tokuniimihanai あちらの記事批判相手職業を間違えている時点で無知あるいは礼儀知らずなので読む価値がないと判断したが、やはり読まなくてよかったな。引用部分だけでも論外とわかる

→読まずに断じているゴミ

takeda25 こういうの、詳しくなければとりあえず態度を保留するのが賢明なはずだけど(現にこちらのブコメはそういうのが多い)、女性叩き側のブコメでは調子に乗って叩く人間大量発生するのが歪み

→態度を保留するって、どういう立場後出しジャンケンに勝ちたいだけの姿勢が見えてキモい

ponkotsupon 須藤氏の批判記事は出典やら参考文献やら先行批評への言及が何もなかったのに対し、北村氏は複数の出典と研究史を出してるので、学術的には(須藤氏が再反論で論拠となる文献を示せなければ)これで勝負ありよなぁ

そもそも商業媒体ブログ応酬で、学術的な議論ではない。かつ、出典と研究史さえ出せば「勝ち」というのは学術的でもないだろう。

どちらのブコメにも共通していえること

二人に対するクソブコメの数々は

権威主義的で映画のものにも映画史にも興味がなく、自分では頭を使わず他人が貶されるのを娯楽として消費するだけを生きがいとする、野次馬根性と異常マウント欲、ハエ以下の精神性で駆動する人工低能

ではないか、ということを己に“問い直して”みてはいかがだろうか。

anond:20240825005648

歴史勉強時間だ、増田天安門事件を知っているか。この事件1989年北京市天安門広場で行われた民主化を求める学生労働者の大規模な抗議デモが、中国共産党政府によって武力鎮圧された出来事だ。

中国政府自国民虐殺した理由理解するためには、当時の政治的背景を知る必要がある。1980年代末、冷戦終焉と共に、東欧諸国では次々と共産主義体制崩壊していた。そのため、中国政府は自らの統治体制が揺らぐ可能性に対して非常に敏感だった。

しかし、この理由一つで全てを説明できるわけではない。中国共産党には、その権力を維持するために一切の妥協を許さな姿勢があった。これが、結果として天安門事件のような悲劇を招いたとも言える。詳しく知ることで、権力の持つ力とその危険性について理解を深めることが重要だ。

2024-08-23

最近やったゲーム

もうすぐ20世紀が始まるという時代ニューヨークには高層ビルが建っているけどアメリカの片田舎はまだ文明化されず土人じみた連中がいる

主人公時代遅れのカウボーイみたいな格好したギャングの一味で、昔は大きな強盗事件起こしても離れた場所に移動して数年大人しくしていればほとぼりが冷めたが、

近頃は追う側も組織化して執念深く、なにもかもうまくいかなくなってきていた

30人弱いる仲間を食わせるために狩猟したり、コツコツ個人宅に押し入って金目のもの強奪

仲間の中には戦闘員ではない老人や女や子供もいる

唯一の子供はまだ4歳で、若い娼婦を哀れんでギャング保護した結果、その女がギャングの男と結ばれて生まれ子供

幼いので、反社の中で養われている境遇異端である認識がない

ギャングのみんなでわいわい酒飲んで歌うのは楽しいが、仲間は少しずつ殺されて減っていき終焉が近いと予感させる

10代の黒人少年という、ポリコレシールドありそうな仲間ですら殺され、4歳児でも死ぬ展開がくるのかと怯える

でも最終的に主人公死ぬも、4歳児と父母は生き残り、追っ手もこないド田舎でなんとか家を建て牧場をつくり、自給自足農家になり平和な終わり方を迎える

12歳の少年になった息子は「親父って反社だったし、優しかったあのおじさんたちも反社だったんだな」と気づき父親とはギクシャクしがちだが、

反社生活とは無縁の読書好きで農家仕事ちゃんとこなす真面目な子に育った

主人公死んじゃったけど、この一家ハッピーエンドでよかったーとほっとした

この作品シリーズ4作目だが、3作目は一家ハッピーエンドより3年後の未来の話だと知り、ゲーム環境からそっちはやれないのであらすじだけ見た

父親は真面目に農夫をやっていたが、結局かつてギャングを追っていた行政側の者たちに見つかってしま

彼らは妻子を人質に取り「かつての仲間たちをお前の腕前で全員始末したら妻子を返す」と脅す

一緒にわいわい歌ったギャング仲間の数少ない生き残りを殺す旅に出るはめになる

なんとか殺し切るも、「いや、お前だけ生かすわけないじゃん」と父親殺害される

それから数年後、母親も失意の中で弱って死に、18歳になった息子は腕を磨いて父の仇を討つために反社の道に堕ち、父殺害命令を下した者を皆殺しにした

4歳でチビっちゃかったあの男の子がそんなことになるのが辛い

この作品PC版出るらしいけど、先に結末知ってるとプレイしてても辛そうだ

過去主人公は息子がいたけどすぐに亡くして4歳児のことを可愛がってたのに、結局あの子反社なっちゃうのか

どうすればよかったんだよ

2024-08-22

ITがつまらないのではなく厨二病プログラマー時代終焉を迎えただけ

anond:20240728023355

この人が感じてる「つまんなさ」って、ITに対してじゃなく「プログラミングできる俺かっけー」が出来なくなってきたことに対して感じてるつまらさなんじゃないの?

わかるよわかる、プログラミングかっこいいよね。中学英語では出て来ないようなfunctionとかfloatみたいな英単語使いこなしてコード書くのかっこいいよね。うんうん。k8sとかDockerとかDDDとか名前がかっこいいよね。そういうの使いこなせる魔法使いみたいな俺様かっけーよな。

それがLLMの時代になって、急に自然言語プロンプトを書くことになったわけよ。

まるで下請けSEに指示するような口調で「●●について調べて下さい」とか「××のプログラムを書いて下さい」とか書くの、ダサいことこの上ないよね。わかりますよ。俺様が憧れてたカッコイプログラミング言語やアーキテクチャ用語はどこ行ったんだって言いたいわけよな。

要するにお前さんの厨二病プログラマー時代は終わりを告げ、これから自然言語支配する大人時代がやってきた、ということだと思いますさよなら厨二病

2024-08-17

しろテーブル席のおばさま方(推定70歳以上)「今はネット時代からねぇ~…」

続きはガヤガヤにまぎれて聞き取れなかった。残念だ。

今の世の中が、後期高齢者からはどう見えているのだろう?ってのは常に興味がある。

昭和平成令和、目まぐるしく音を立てて急速に進化するテクノロジー、世の中の変遷、ネット社会などはまさにその大きな一つだと思う……そんな激動をどのように捉え、受け入れているのだろう?

おばさま方の歓談をじっとしずかに聴いていたかった。時代の観察者の声に耳をすませたかった。

でもここはファミレスなのだった。隣の席では夏休み終焉を間近に控えたガキどもがうるさい。お前たち宿題はやったのか?

彩り野菜ハンバーグはさっぱりしていておいしかった。

田舎世界各国の超超巨大書店が集積する都市がほしい

これが世界最大という超超巨大書店を、どーんと僻地でもなんでもいいから街が作れそうな平野に作ってほしい。その超超巨大さは世界第2位を突き抜けてほしい。

政府テコ入れし、クラウドファンディングも募り、数多ある企業も全勢力が参入してほしい。もうとにかく全力をかけて作ってほしい。

「そんなことして失敗したらどうする?!バカじゃん?!」とか考えず作ってほしい。勝算とか考えず勢いで作ってほしい。

そこには和書だけではなく洋書もある。西洋の本だけではなく中国語の本、アラビア語の本、アフリカーンス語の本、とにかく片っ端から「いやこれいらんだろ」みたいな本だったとしてもすべておく。

なんなら和書中央ではなく洋書中央である日本語を中心で考えてほしくはない。言語別に存在する知の量に応じた配分をしてほしい。

客層に応じてカテゴリ分けは必要だろう。1つの書店だけでなく複数書店統合してもかまわない。古本屋を集めてもかまわない。

「よくわからなくても物理の本を買うなら日本のここへ行け。たぶんあるから」という状態になっていてほしい。日本の中規模以上の書店はほぼすべてここに集める。

勢力が協力してできた超超巨大書店中央に据えて、その周りを他の超巨大書店が取り囲む。その周りは巨大書店。その周りは中規模書店、その周りには小規模書店

海外からも片っ端から誘致する。必要なら補助金も出す。「バカなの?」とか「さすがに海外出店は難しいです」とか一蹴されるだろうが「まあ採算とれそうだからいいよ」と言われるまで粘ってほしい。

税金をたくさん投入してもかまわない。重要なことは「そこにある」「とにかく日本のここに来たらある」「お前のやりたいことは知らんけど本がほしいなら日本のここに行け」という願いが叶う場所だ。

例外を作ればそのブランドは失われる。このブランドこそが他国追随不可能な圧倒性を生む。先行者利益だ。バカすぎて1つ1つで見るとデメリットしかない行為が、結合すると巨大な1つのメリットを作り出す。

どこかで手を抜くと終わる。そんなことまでする必要ないんじゃないのとか、それってめちゃくちゃ損しますよねとか言われようが、究極に本を集める。

書店書店の隙間にはさまざまなカフェが立ち並ぶ。個人経営するカフェからチェーン店が密集する。コンビニも立ち並び、公園には読書に適したベンチがある。公園読書最適化されている。

その街にはどこにでも椅子が置いてある。買った本をすぐ座って読む人向けのものだ。

この街には有名人毎日のようにやってくる。たとえば「ビル・ゲイツが本を選びに来日!」など当たり前のことになるだろう。

読書家はこの街付近に別荘をかまえる。なんにもなかった僻地の近隣に富裕層街が誕生し、地価がとんでもなく上昇する。意味不明なおいしい話だ。

一方で本を読むことが目的でない人間には居心地が悪い空間になる。この街存在している人間はほぼ全員本かその周辺が目的なのだ。本以外が目的人間は異様に目立つようになり警戒される。

街の中央部分は徹底的に、本、本、本、本、本、と本が存在するのが当然の本の密集空間になっている。普通人間が「ここまですることはないんじゃ・・・だって採算とか・・・」とドン引きするぐらいの熱量で本で溢れかえっていてほしい。

地面に敷かれたタイルには、文章が書かれている。まっすぐ歩くと偉人言葉などがそのまま読めるようになっているのだ。たとえば「良い本は私の人生におけるイベントである。」「本の無い家は窓の無い部屋のようなものだ。」「天才とは努力する凡才のことである」などという文が永久に書かれている。有名な書の冒頭部分だったりもあるし、古典文学もあるし、文学のみならず数式も書かれていたりする。それを読むだけで日が暮れる。

この街広告はすべて本に関するものでいっぱいだ。ほかでは絶対に見られない、読書家にだけ向けた広告が撃たれる。「こんな難しそうな本の広告ある?」というのがそこここで見つかる。

たとえばベトナム語マンガ新刊広告なども見受けられていてほしい。

この街にあるのは紙の本ばかりではない。電子書籍派のための書店もある。他では絶対採算がとれないような形の店であっても、「読書家が毎日のように集まることが普通」の街特有書店ができる。たとえば巨大な8Kモニタにその人へレコメンドされた電子書籍が大量に表示され、立ち読みすることができるとか。「辞書専門店」や「単語専門店」や「栄養学書専門店」などがあったりもする。そういうものを作っても不思議利益が出るのだ。

この超超巨大書店圏内部には研究所大学なども誘致する。どのような言語でも関係ない。化学系のカテゴリが立ち並ぶ「化学通り」のようなところには実験器具専門店も立ち並ぶ。

そういうところは、基本的には英語がメインだ。英語の下に日本語が書かれている感じ。イメージ的にはハリーポッターだろうか。ときどき「なんで化学通りにオムライス専門店がこんなにあるんだよ」などということもあるかもしれない。秋葉原神田カレーがたくさんあるようなものだろう。

やや込み入ったところにはマイナー本屋がある。「なんだよこの本屋・・・」という、見るからに異国感が漂う本屋だ。謎の部族の謎言語で書かれた謎の材質の本が置いてあるなど。ネクロノミコンのような本も見つかる。

石版などもなぜかある。読書向けの椅子専門店もある。「本のためだけの椅子専門店」が生存できる場所日本ではここしかない。

しかし、この超超巨大書店群の主目的は「本の集積」である。そこから逸れるようなことがあってはならない。何か欲をかいて「ここに企業をうんたら」などとして利益を優先するとこの街はあっという間にその意味をなくし滅びるだろう。ありとあらゆる人々が周辺の利益を求めて集ってくる。そういうのを一蹴できるような体制であってほしい。

この街意味ないだろ。なんで作った。赤字だろ」と罵られながらも存続する街であってほしい。そして、そう罵る人も、ひとたびその街に入ると「すげえ・・・この街地球必要だわ・・・」とどうあがいても認めざるをえないほど感動できる街であってほしい。街自体で見ると赤字なのだ不思議日本経済が潤う源泉である摩訶不思議都市であってほしい。完全に未来へと投資された都市である

この街では、夜もたくさんの書店営業している。こんな大きな本屋24時間営業できるのはこの街しかありえないとなっていてほしい。「夜眠れないな・・・本でも買いに行くか・・・」という人外の行動を普通にするような場所であってほしい。

街の周囲には民家が立ち並ぶ。ただしこの民家に住む民間人はややおかしい。本のために移住してきた狂信者たちだ。軒先には自分選書が並び「1冊100円」などと書かれていることも多々ある。

富豪がゴッソリ買っていくことを見越して少し離れたところに在庫置き場がある。

富豪が「ではこの棚からこっちの棚まで」などと爆買いしていく。もはやテロリストのようなものだが、そんなことは気にせずまた入荷する。本はバカみたいに売れる。

近隣の都市はこの超超巨大書店都市のおかげで経済効果がある。

この街は、「日本人なら1度は絶対行け」と呼ばれる場所になる。そしてひとたびそこに立ち入れば「世の中にはこんなに知識があったのか」「世の中はこんなに頭のいい人たちで溢れかえっていたのか」ということが、嫌でも全身の細胞に刻みつけられる。伊勢神宮みたいなものだ。それよりも神々しいかもしれない。

そして、全身の細胞体感したその人は、格段に読書するようになるだろう。それは地元へ帰っても同じことだ。一流を目の当たりにした者は一流になる。

取次の問題も、書店が潰れかけている問題も、日本人が本を読まなくなってしまっている問題も、経済が深刻化している問題も、だいたい解決できるだろう。

誰か作ってください。

ちなみに国防にも役に立ちます。一度作ってしまえばここを潰すやつは「バカ」なので。ペンは剣よりも強し!

書店兵器です。

追記

ジュンク堂書店など大型書店が潰れかけているのは知っている。

ただそれは、「本がたくさんあっても意味がない」のではない。逆。

大型書店であっても、本が少なすぎるのが問題である

だいたい日本語の本というのは大して範囲が広くない。

それに「物理本を読む人が少ないか本屋が潰れちゃう」というのも逆だ。

物理本を読みたいと思う人を増やす。そのためには本屋すべてが潰れることも辞さない」という情熱が正道である

本というのは知の源泉である。だから知識がない人に迎合すれば、潰れるのは自然だ。知識がない側に与するのだから

本の機能はそれとは真逆であり、全体を引っ張り上げるものである知識がない側が「欲しい」と願える場にすべきなのだ

ない側に媚を売っていれば潰れて当然。

「この本は今は読めないけれど、読みたいと思う」そういうものがない。

「この本は内容はちんぷんかんぷんだけど、そういう本の存在を知っている」そういうものもない。

ジュンク堂書店などですら、知らない人々が多い。大型書店重要性を知覚できていない。入ったことがない人間もいる。

からこそドカンとぶち上げるのだ。

記事を読んでくれた人へ: 記事を読んでくれたのはありがたいが、たぶん自分が考えている規模と読んだ人が考えている規模に大きな差があると思う。

自分が考えているのは、もっとも小さく考えても深圳書城中心城の数十倍の大きさであり、既存書店ちょっとだけ大きくしたものとか、蔵書が全く同一であるような大型書店が単に10個ある街という形ではない。

コーチャンフォーつくば店は50万冊、池袋ジュンク堂書店は150万冊、深圳書城中心城は400万冊、国会図書館は4685万点。Amazon Kindleは60万点。

自分が言っているのは、数億冊あるような書店である。つまりコーチャンフォージュンク堂書店紀伊國屋書店は超超巨大書店世界中の意味わからんハイレベルの本から選びぬかれ集まったエリート本屋)の周辺を取り囲む「日本区域最大の超巨大書店」の周辺を取り囲む「大型書店の1つ」という状態を考えている。ブックオフなどはその周りを取り囲む中型書店になるだろう。その周りを、身近にあるご近所の本屋さんがたくさんずらーーーっと並んでいるというような領域だ。いうならばこれが日本区域である

世界の蔵書数はGoogleによると約1.3億冊であるらしい。日本区域内に別に中国語韓国語の本があることもある。ただし日本区域の横には韓国区域だったり中国区域だったりする。その中国区域でもばかみたいにデカい超巨大書店があり、それを取り囲むようにジュンク堂書店並の大型書店があり、英語区域では……というような状態だ。言語別に分けられているだけでなく、「数学領域」で分けられていることもあり、そこでは「高校数学」の棚に世界各国の高校数学が並ぶ。数学参考書を買いに来た高校生が、カメルーン人の中学生と仲良くなるみたいなことも想定できるわけだ。

地方のクソデカ本屋が数百個単位で入る「は・・・?」「この街・・・全部・・・本屋さん・・・?」という規模の書店である

イメージとしては↓な感じ。

まもなく目的地の駅に近付く。電車にいる人々は全員が本を読んでいる。スマホを触っている人たちなど誰もいない。不思議光景だ。多くの人がそわそわしている。初めて来た人たちが多いのかもしれない。

電車が駅に滑り込み走って降りる人々の後ろでのんびりと降りる。全く、はしゃぎすぎだろう。

降りた直後、本の形をした案内板が表れた。真っ先に飛び込んできたのは「↑ バベル中央書店」というやたらとデカい黒文字と、その下にあるやや大きな黒文字の「↑ 北区書店」だった。

右を向くと・・・あれは・・・本の自動販売機?! 本を自販機販売するのか。カルピスの作り方・・・自動販売機歴史・・・Why could he make vending machines?・・・なるほど。

床には文字が書かれている。Station, State, Statue, Status. 何のことやらわからない。

改札を出る。改札を出ると、ああ、もうこれは本のテーマパークだ。最奥部に見える巨大な塔には雲がかかっている。おそらくあれが中央書店だ。その横には数えるのもバカバカしくなるほど書店が並ぶ。街には今まで見たこともないような人々で溢れかえっていた。ベンチでは読書をしている中東とおぼしき人が中国人らしき人と何やら議論している。彼らが話しているのは何語だろうか。

デジタルサイネージで目まぐるしく本の広告が入れ替わっていく。「サウダージさようなら」「入門グロキング」「般若心経終焉

ぼうっとしているとハトが飛んできた。ここでは何やら、ハトでさえ賢く見える。予算は5万円だったが、足りるだろうか。

Amazon倉庫でもないんだって

なんか全然伝わっていなくてものすごく悲しい。

子どもときに巨大書店や巨大図書館人生で初めて行ったときとか、論文大学研究の仕組みと接したときに、知の偉大さに震えたことがないだろうか。

目に見えないものは見えないことが多い。たとえば、ライブ会場に行ったことがなければライブの偉大さは本当にはわからないし、「本当にこんなにたくさんの人がファンなのだな」ということもわからない。

記号接地問題ともいうらしいが。

いま「自分が考えるクラスの巨大な本の集積地を人類の誰もが見ていない」というのが問題であると思う。誰1人として。

そういう知がたくさんあることは存在としては知っていても、「それを見たことがある人は誰もいない」のだ。いわば、月は見えるけど、月に行ったことは誰もいないような状態だ。

神田古本屋街や、既存大型書店というのは、いわば地球上にある月に似たところでしかない。「たぶんこれとこれがこうなると月」というふうにしか想像できない。だが月に行かなければ月の隕石は無いのだ。

ほとんどの人は、目に見えないなら存在しないと感じてしまう。マッチングアプリ人間を左右にスワイプするとき人間ではないように扱う。それは人間として存在しているのに。

一方、眼の前に相手がいるとき、同じように左右に指を振って弾くのは容易ではない。これが目の前にあるかないかの大きな違いである。

自分が言っているのは、そういう知の集積の偉大さが理解できなくてもとにかくそこに行けば、「ああそういうこと」「人類は偉大だったのか」と、誰もがたちどころにわかってしま場所がほしいということである

それから、実現の不可否はともかくとして、「え、そういう本屋あったらめっちゃいいな〜〜〜〜〜〜〜〜〜」と感じてほしい。

2024-08-14

大学は成果出せよ金は出さんぞ産業を盛り上げろ国際化しろお金は減らすみたいなこと言ってる文科省やら黒幕財務省

自分たちはなんの成果も出してないどころか学術界の凋落比較にならないレベルで、日本経済終焉に向かっている事実とどう向き合ってるんだろうか

努力が足りないし国際的になんの取り組みをしてるんだろうね?偉そうなことばっか言って責め立ててくるけど君らちゃん世界リードできてるの?

2024-08-05

都知事選の結果に歯ぎしりしていたサヨクさんたち

暴落で「アベノミクス終焉だ!」とおはしゃぎになっている模様。

2024-07-31

anond:20240731213957

単に個人HPってのが終焉を迎えただけでは

インターネット初期はISPFTPホームページも公開できるようにしてたけどADSLでYBBが台頭したあたりからホームページサービスクローズってのが多くなったし

時限爆弾を育てる仕事

人情シスやってる。

社員も客もいろいろ言ってくる。

前任者からそうだったのだが、なるべく客や社員の言うとおりにしてやってる。

そうやり始めて、おそらく20年近く経ってる。

顧客ごとに似て異なる処理がちりばめられて把握できてない。

プログラムから分かれている場合も、プログラムの中で分けているのもある。

顧客に提出する帳票も、顧客ごとに分かれてたり、共通プログラムの中で1ヶ所だけ顧客ID直打ちで処理を分けているのもある。

かに言われてサクッと作ったEXCELマクロも数知れない。

試行錯誤の末、API関数やWSHll呼び出してるのもあったりなかったり。

人情シス設計書はない。俺が引き継いでからインターフェース仕様書は保管してるぐらい。

俺が来て10年経つ、社員も客もシステムへの満足感は上がっていると思う。今までできなかったことや面倒ごとが解消された。

でも実際は時限爆弾を育ててるだけなんだ。

20年前に作られた基幹システムはいつか終焉を迎える。そのとき俺や前任者が作った幾多の機能が動かなくなる。別システムに合わせて作り変えることは理論上は可能だが、現実的時間では不可能だし、必ず過程障害を引き起こす。

ましてや還暦を迎える俺にそんな仕事をする気力はない。

今でもシステムを維持し続けるストレスで辞めたくてしょうがない。

今日もいつ辞められるか考えながら、愛想良く時限爆弾を育ててる。

2024-07-30

私の狂った恋愛観。

あなたの「あなたの狂ってる」を知りたい。

もちろん墓まで持っていく決意や、ヤダで済ませてもらってもおk

話して楽になるのなら、で。

今ね、『恋愛行為』を維持するための「恋人役」としてではなく、

素直に好きって言えてるのが楽しくて嬉しい。

恋愛できない、

その制約があるから言える、飾ったりタイミング計らなくて良い素直な感想

小林様を語る熱っぽい声色も愛おしく心に痛い。

狙って引き出したわけじゃない笑顔が素直で可愛くて好き。

恋愛してるとさ、言えないタイミングとか考えちゃうじゃん?

そのせいやくがないから、一緒にいて癒されれる。

いっぱい助けられてるしね、ありがとう

歌を歌う楽しさを知った事

踊ってみたい気ももちが芽生えた事。

ハキリアリの可愛らしさを再確認できたのも、

25年前ファンだったユニットベースさんのLiveに行き当時の感想を伝えられた事(Vo.自死解散)。

コロナ明け昼夜逆転当たり前な現場で、たまたま聞いた名古屋自称地下アイドルの復活ライブに行けた事

バラが好きだと再確認出来た事。

なにによりも、忙しいなか走って駆け寄って所場所わず

こんな私を「可愛い」って損得ない感情で初めて褒めてくれた事。

互いにロリータ服着て、楽しくおしゃべりして原宿歩いて、

可愛いお店覗くたびに真面目に悩んで可愛い笑顔も魅せてくれて、

私の叶いっこないっておもっていた夢を叶えてくれた事も。

バラ園へも…たのしかったな、横浜から飛ばして向かった池袋

疲れていたのにキラキラした目で可愛い服眺めてる姿も、

しかった鞄、見るめも、可愛かった。お揃いっていうワガママも黙認してもらっちゃったし。

お嬢様には、感謝しかありません。

あ!ラブライブにハマったのと、BiS熱再発も感謝。すぱすた2期のAmazon特典は逃しました。

では、本題。

私の狂気を書いてみる。あなた狂気を知りたい。その対価になりえるの?

しろ不快な文じゃない?まぁでも、こんな事、書くこと最後かもだし、

死にたいけれど死にたくないを紛らわせる為にも、書いてみる。

「人の言いなりと恋愛行為依存

読む読まない信じる信じないはあなた次第で。時系列は、かなり曖昧

もちろん脚色するくらいのプライドは多めにみてほしいし、

書けない書きたくない事も、ある。

私もそれなりに生きてきて、恋愛行為は人並み未満だけど経験してきたつもり。

でもちゃんと好きになって恋愛したのは多分1回。

幼馴染が好きすぎて大学進学時に告白、「私軽いよ。それでもいいなら遊びでなら」と交際開始。

「ねぇ重い。そんなに私の事好きなら、私の親友と付き合って幸せにしてあげてよ、大好きな私の命令だよ命令

幼馴染グループの下っ端パシリのA子と数回会いAの好きそうなシュチュ探って告白

大型輸送機爆撃機エンジンプロペラ音でかき消されながらの告白、若かったね。

交際開始。

自己肯定感低めに感じたので、私の得意分野のワークショップボラへ誘ったり、

好きでもない流行りの服きてつまらなそうだったから、好きそうな服装押し付け自己肯定感上げて、

バイト先にバイトで入ってでサポートしてバイトリーダーに推したり、接客や人を使う素質あったんだろうね。

私達さ氷河期時代だったから、お互い他大だったけど、就活不安なのみてOB懇親会にこっそり連れ出したり、

そこでキーエンス?アズビル?3年目の先輩(堅物、親族コネ入社安泰)BがAに気がある事に気がつく。

AはAで業界雰囲気は私には向かないと愚痴をこぼすように。Bも交えて飯食う中で会社雰囲気聞いたり距離を詰めてみたり。

ゼミとかサークル上手くいってたじゃん、就活指導じゃなくてそっちに相談してみたらと母校の就活指導室まで付き合って、教授教育お話させて、Aは見事母校でチューターポジ正規採用

からの「お兄さんにしか見えない、Bに交際申し込まれてる、真面目に付き合いたいごめんなさい」って。

幼馴染には「は?キスしかしてない?1回2年で?就活の手伝いに婚活が忙しかった?馬鹿じゃ無い。私も就活で詰まってるのに」と叱られる。(でも褒められたと勘違い二股とか好きそうに見える?だってさ、いやいや立派に幸せしましたよお姫様!)

その後幼馴染は、親の脛齧り潰してでも、学力届かないなら専門でもと、私が背中を蹴った結果再進学 製薬会社MR学生結婚

Aと幼馴染は10年前までは幸せな家庭を築いてたよ、給湯器選択とか、犬の飼い方とか、

たまに話をしたり。mixi終焉と共にどちらとも疎遠に。

その後の私?2留してたわたし学祭光画部展示日中OBにそんなの作品じゃないっって破かれたり、

他のサークル合宿で仲良くしてた先輩に襲われて挙句誘ったのはお前だと村八分

ノイローゼ中退。ま、単位も取れてなかったし。

そのあとは、積極的他人を好きになる事はなくて、でも恋愛行為は楽しくて。

対象者との恋愛活動が楽しそうであれば、基本告白誘われる形で恋愛はしてきた。

しかったよ。梨屋のひねた次男に俺との夢を抱かせて、行くつもりなかった大学行かせて、

大学デビューと共に変な女に引っかかって破局して、幸せになれよって別れたり、

二股三股あたりまえなイケメンに溺れてるボロボロな今でいうサークルの姫の愚痴ぎきして、

最終的にイケメンだか売春先でコンジローマ感染して、捨てられて泣きついてきて。

死ぬだなんだ騒ぐから、逆性石鹸と手持ちの抗生物質のん風呂場で手を切ってるのを圧迫止血で応急措置してそのままあんな男捨てて俺を選べって抱いて。怖かったねー感染

治療費もだして適当理由相手の親に説明して入院期間誤魔化して。

社会人枠で看護学校ふたりで受けておちたり、私だけ介福落ちたり順風満帆

の子としてたボランティアサークル日和スタッフが、家族亡くなったとかで、

俺の稼業頼ってきて、一家総出で買取片付け。財産分与とかで弁護士まで紹介してやったのに、

サークル内で『安く買い叩かれた」と陰口三昧。親戚のおばちゃんもっと高く売れたって騒いだんだって。なんか一気にばらばらになって、不妊治療もうまく行かず、彼女大阪転勤が決まり

自然消滅治療費も妹の院費も帰ってこなかったな、そういや。

あと其の頃から性感染症検査は定期的に受けてる。まぁここ5年以上そーいうことしてないし、定期的には無くなりそう。

はま寿司で口走った件は、バイトから正社になった時の先輩に酔った口で、

過去話したら変に同情され流された。相性は悪くて付き合おうの言葉曖昧に誤魔化してた、

切ったつもりでいた。

そんななか、書類ミス多い俺へ、手直しの穴埋めしろと事務方に呑みに誘われれて、

終電逃して実家だけど呑まないと誘われて、だらだらと何回か実家呑みして、

実家継がなきゃいけないんだけど、うまく行かなくてねーなんて話を否定してたら、

気がついたらデートしてた、楽しかった。である日、長期出張だか休暇取ってた先輩が、

ふたりで居た部屋に来たんだよね。嘘かホントか知らないけど、離婚届は書いたけど、先輩が出してなかったんだってさ。

「なに俺の男に手出してんだ、あてつけか」「おまえの趣味は悪い合わないて散々なじるくせに男の趣味は同じじゃない」

修羅場、楽しかった。でも変な具合に会社漏れて退社。仕事しかったんだけどな。

恋愛をたのしむんじゃなくて、恋愛という行為を楽しむ感じ、無責任よね。

20240729ー20240730

キノコ帝国ヘビロテしながら、最後の曲が金木犀の夜はずるいと思う朝。

2024-07-26

アサシンクリード社員が大量離脱した話があんまり話題になってない

ヴァルハラを作った後に大量離職してて当時のスタッフ全然残ってない

なのでミラージュシャドウズは全く別物になってると考えた方が良い

ヴァルハラまでは確かに考証が凄くてオリジンとかは植物についてまで緻密に作られてた

ただ基本的IP引き継いだだけの別物ゲームになってると思うから

ストーリー歴史考証・ゲーム性についても全然期待してない

いわゆるグランディアⅢみたいになると思う

アサシンクリードは1の発売当初から日本舞台にして同じことやってくれ!」という話が多かったけれど

最後最後日本をやってIP終焉してしまうというのはなんとも悲しいな

2024-07-21

ウォーク左派ジジェクファンによる、ジジェクへの反論

https://anond.hatelabo.jp/20240721230541

上記ジジェク記事への反論記事

ジジェクは道を誤った / メラニー・ゼルMelanie Zelle [スワースモア大学学内新聞『スワースモア・フェニックス』の編集者] ※削除済

2023年3月2日

ttps://web.archive.org/web/20230303073524/https://swarthmorephoenix.com/2023/03/02/zizek-has-lost-the-plot/

 

私が哲学に興味を持つようになったのはスラヴォイ・ジジェクのおかげである

彼の著書『終焉時代に生きる』と『パララックス・ヴュー』に偶然出会い中学2年生の私が苦労して読み進めたこの本が、

彼の他の著作に興味を抱かせるきっかけとなった。

ジジェク文章は、彼が即興でする賛美のすべてにおいて、素晴らしく説得力があると私は感じた。

 

本棚に積まれ1000ページにも及ぶ矛盾の山に憤慨しながら『Less Than Nothing』を読み通したのは、高校時代に果たした偉業だった。

私は、ジジェク長編作品の論旨を理解できるかどうかで、自分知的価値を測るようになった(現在ほとんど理解できないが、以前はまったく理解できなかった)。

 

それだけに、現代政治文化に関する最近記事で、ジジェク非難するのは心苦しい。

しかある意味で、ジジェクと私の関係は、彼が何について間違っているのかだけでなく、

なぜこのような著名人が、あのように明らかな知的陥落にはまることができたのかを理解しようとする上で、

有利なポジションに私を置いていると感じている。

 

私の怒りの主な対象は、先週発表されたばかりのジジェクエッセイである

そのタイトル「Wokeness Is Here To Stay」は、たぶん私がそれほど警戒するものではなかったと思う。

 

ジジェク哲学は、ヘーゲルラカン(そしてフロイトも)、そしてもちろんマルクスへの愛着からオーソドックスな、ほとんど伝統主義的なものと特徴づけうる。

他方で世間一般におけるジジェクペルソナは、意図的に培われたものだと私は主張したいが、ディオゲネス挑発者であり、象徴破壊であるが、自分勝手ものではない。

ジジェクのこうした面が、彼の論文や公開講演会、そして彼の知的活動への、より親しみやすい影響を及ぼしているようだ。

 

したがってジジェクが、クリックした人々が眉をひそめるようなタイトルを選んだことを読んでも、私は驚かなかった。

 

私は、ジジェクお気に入りトリックひとつである正式哲学分析範囲外と考えられている文化の側面を選び出し、

喜びを感じながらそれを切り裂くことに慣れてしまっていた。

(ある講義では、カンフー・パンダについて論じており、また別の講義では、ヨーロッパ各地のトイレ特殊構造が、

ポストイデオロギー的なポストモダニズム世界概念に対する究極の反論となっている)。

 

ほとんどの場合ジジェクの指摘は最終的に重要であり、さら重要なのは、彼の広範な哲学のいくつかの要素について、面白おかしく、

しかし(おそらく結果的に)効果的に紹介者の役割を果たすことである

 

そして一見したところ、"Wokeness Is Here To Stay は同じ公式に従っている。

トランスジェンダー権利をめぐるスコットランド政治的混乱からまり、他の現代政治問題にも触れ、最終的にはフロイトラカンへの言及で締めくくる。

しかし、このざっくりとした読み方は根本的に間違っている。

 

表面下に潜む構造的な違いを無視しても(これについてはまた述べる)、この作品には、ジジェクのいつものトーンとは正比例しがたい苦渋が感じられる。

これは、私の最大の関心事である彼の議論の内容については言うまでもない;

 

ジジェクは、スコットランドにおけるトランスジェンダー権利をめぐる、最近政治論争をめぐる議論について、記号論的な分析を行っているわけでもなければ、

正確に他の多くのことと結びつけているわけでもない。

 

結局のところ、ジジェクは皮相な哲学手法とともにただ単に政策論争に参加しているだけであり、遺憾ながら完全に間違っている。

ジジェクは、過去10年間にリベラル知識人全体に伝染した観を呈するトランス医療をめぐるパニックに陥っている。

 

ジジェクのいつもの懐疑論は、ここではいもの懸念荒らしconcern trollingの再現に留まる。 ジジェクはこう書いている:

 

  「思春期ブロッカーは、タヴィストックでの診察に送られたほぼすべての子供に投与された。

 その中には、性的指向がはっきりしないという誤診を受けた可能性のある自閉症若者や、問題を抱えた若者も含まれていた。

 言い換えれば、医学的な性別移行を望むかどうか判断できる年齢に達していない脆弱子供たちに、人生を変えるような治療が行われていたのだ。

 批評家の一人が言ったように、『性別の悩みを抱える子供には時間サポート必要である。あとになって後悔するかもしれない医療措置に進むよう仕向けられるべきではない』 」。

 

この一節は疑問を投げかける。ジジェクは、その知的能力において、思春期ブロッカーが何であるかさえ知っているのだろうか?

 

ジジェク引用の使い方は、この作品の中で頻繁に行われていることから特に明らかであり、すでに示唆されていることを裏付けている。

実際、彼が引用したガーディアン記事を読んでいれば、上で引用した段落修正できたかもしれない。

 

ジジェク引用した記事の上の行には、"異性間ホルモンは16歳からしか処方されず、専門家によれば思春期ブロッカー不妊の原因にはならない "と書かれている。

したがって、このスロベニア人知的怠惰恩赦を与えることもできない。 これは純粋で単純な不誠実さであり、危険形態である

 

さらにひどいのは、ジジェク記事の冒頭で取り上げた最初文化分析対象である

コンパクト編集部がありがたいことに、ページをスクロールすると引用文が表示されるようになっているのだ(まだ彼の論調を十分に理解していない人のために)。

 

それはこうだ: "女性だと自認する人物が、ペニスを使って2人の女性レイプしたことを我々は知っている"

 “We have a person who identifies itself as a woman using its penis to rape two women.”

 

ジジェク言及しているのは、アイラブライソンの事件である

 

この有罪判決は、スコットランドにおいてレイプ有罪判決を受けた史上初のトランス女性となり、

トランスの人々に対する「懸念」を持つすべての人々にとってのロールシャッハテストとなった。

 

ここでジジェクは、基本的事実認識が間違っている。ブライソンの性別移行の時系列を誤って伝えているからだ。

 

さら問題なのは、読者を煽動するために、本質化するような言葉を使い、さらに誇張していることである

(「ペニスを持ったレイプ犯が、囚われの女性たちと刑務所にいる」という表現が思い浮かぶ)。

 

ブライソンを「彼he」、そしてさらに厄介なことに「それit」と、ジジェク性別を間違えて表現することに固執するのは、

ジジェクトランスアイデンティティ尊重することを、裁量に任された、善行次第のものだと考えていることを示唆している。

 

ジジェクはこの論文で、控えめに言ってもトランスフォビックtransphobicだ。

 

しかしそれ以上に、ジジェクは退屈で、独創性がなく、不誠実で、怠惰である

彼はトランスの人々について、『ガーディアン』紙や『ニューヨーク・タイムズ』紙の同様の記事からは得られないようなことを何も書いていない;

 

この時点でようやくジジェク哲学について語るかもしれないと思うのも無理はないが、残念ながらそれは間違いである。

 

記事の次の部分はさらに長く、さら面白くない。『コンパクト』誌に掲載された別の記事宣伝である

(中略)

 

で、どういうこと? なぜジジェクはこんなことを書くようになったのか?

 

その答えは、対立的でありたいという彼の誤った願望にある。

彼は、この作品の中で他者が陥っていると彼が非難する事柄に陥っている。すなわち、自分を悩ませる他者を、自分自身の中で勝手に思い描く罪を犯しているのだ。

The answer lies in his misplaced desire to be oppositional. Ironically, he is guilty of the thing he accuses others of falling prey to within the piece, that of envisioning for himself an Other that haunts him.

 

 [ジジェク]「要するに、ここにあるのは、政治的に正しい突き上げと、金銭利益残酷計算との最悪のコンビネーションなのだ。 」

 

思春期ブロッカー使用は、[ジジェクによると]"目覚めた資本主義 "のもうひとつの事例であるとされる。

 

ここでジジェクは、ジャニスレイモンドの1979年の『トランスセクシュアルの帝国』に端を発する、トランスジェンダーの人々が選択する様々な処置や療法は、

製薬企業にとって重要経済的利益をもたらすものであるという、一見したところ長年にわたる議論に訴えかけている。

 

そうすることで、救命医療へのアクセスを容易にするべきだと主張する人々を、自分たちの身体をめぐる現実物質的な対立のために戦うのではなく、

資本の側、つまり極悪非道個人の側にいる人々として捉え直すことができる。

 

バトラーフーコーを読んだことのある人物が、このように書くことができるのは、こうした運動が誰のためになるのかという、権力についての混乱がジジェク盲目にさせているのだ:

 [ジジェク] 「性的混乱に「異常」なことは何もない。「性的成熟」と呼ばれるものは、長く複雑で、ほとんど無意識プロセスである

 それは激しい緊張と逆転に満ちている。自分の心の奥底にある「本当の自分」を発見するプロセスではない」。

 

作品全体と同様、これはジジェク特有哲学プロセスといううわべに包まれたいつもの本質主義と、トランスフォビアtransphobiaである

この最終的な帰結は、英米トランスジェンダー物質的な生活にすでにダメージを与えているヒステリーhysteriaの波に、ジジェクお墨付きスタンプを押したということだ。

 

ジジェクは、社会の変化に懐疑的ジャーナリスト知識人瘴気miasmaの中に紛れ込んでしまたかのようだ。

これはポストモダンの懐疑主義に非常に批判的な人物から出た究極の皮肉である

 

過去思想家からの豊かな引用を悪しき議論隠れ蓑に変え、気まぐれさを苦味に変えてしまう。

 

私たちにとって悲しい日であり、多くの意味ジジェクにとっても悲しい日である

 

ジジェク豊富理論的な著作の中で最高のパフォーマンスを発揮し、ここでは最悪のパフォーマンスを発揮している。

このエッセイを読むと、あなたは感じ取るだろう。少なくとも少しは彼がそれを自覚していることを。

[終]

ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん