はてなキーワード: 手作りとは
追加よんだよ。
増田めっちゃ頑張ってるよ。100点満点中120点だよ。もし俺のブコメで少しでも気を悪くしてたらゴメンな。
そのうえであえて増田に言っておきたいんだけど、増田が想定してる「やるべき家事&育児の量」がすでにきみら夫婦のキャパオーバーなんだよ。
きみの奥さんはね、別に発達障害とかADHDとか関係なくて、ただ単に毎日仕事するのが精一杯で、家に帰ってきてから家事をする体力が残ってないんだよ。本人はたまった家事をやらなきゃならないってわかってるから増田に言われたら「やる」って答えてるんだろうけど、体がついていかないんだよ。そこ理解してあげようよ。だから本当にすぐに消化しなきゃならない家事は体力に余裕がある方がこなしていくしかないんだよ。本当は家族のためにおいしい手作りご飯を作ってあげたいから食材かっちゃうけど、でもやっぱり体力が持たなくて使いきれずに廃棄しちゃうんだよ。可哀そうだから責めちゃだめだよ。
うちも子供の数は違うけどほぼ同じ条件で、嫁さんは仕事に通勤往復片道1時間だから家に帰るころにはクタクタで家事なんて無理。だから家から近場で働いている俺が子供の送り迎えとか最低限の家事をこなしてる。
別におれはフェミニストとか女性にやさしいアピールしてるんじゃなくて、純粋に体の動く俺がやらないと家庭が回わないからやってるだけ。そこで至った結論が「共稼ぎ夫婦なら体力のある男性が家事やったほうが合理的」って発想だよ。
あんたの不満はわかるよ。家事の量が多すぎる上に奥さんが家では戦力にならないからイライラするんだろ?だったらもう家事の総量を減らすしかないよ。端的に言えば時間と労力を金で買うんだよ。共稼ぎで収入にもそこそこ余裕があるんだろうから、食器あらうのしんどいなら、飯はもうテイクアウトのお惣菜やら近所の定食屋やらですまそうぜ。はてなでよくいわれるように食洗器とか便利な家電もそろえて、それでも掃除洗濯がしんどいなら月に1,2度くらい家事代行サービス頼もうぜ?もっと札束でぶん殴って楽しようぜ?
この少子高齢化で子供一人に養育費が数千万円とか言われてる暗い世の中でも結婚して子供まで作ったのって、究極的には「増田家族の幸せ」のためだろ?だったらさ、無理をしないでどうやって家族みんなでもっと笑顔で過ごせるかを考えていこうぜ。マクドナルドのテイクアウトで夕食すませたっていいじゃん。それとも奥さんに無理に帰宅後にも家事やってもらって過労でぶっ倒れたほうがいい?てか奥さんの前に増田が過労で倒れちゃうぜ?
美容、コスメ、手作り商品、女性向けメディア、子育てメディア、料理、あとなに
インスタやTikTokや位置アプリも当初女性が多かったみたい
何でこんな女性向け多いんだろう
女性が金無いみたいな話どこ行ったんだ
男は何してんだろう?
冷凍食品つかうやつは愛情が足りないだのなんだの言うやつが多くて「馬鹿だなー」と思って見てたんだけど、よく考えるとうちの親も「冷凍食品は栄養価が低い」などと宣っていた。へーそうか、くらいにしか思っていなかったが、周囲からの手作り圧力もさることながら、実は冷凍食品を買うよりも作る方が安いからそう言っていたのではないだろうか。今の冷凍食品コーナー見ても、そっちの方が栄養価低いなんてことはない。昔は冷凍技術が低かったのでラインナップも悪かったのだろうか?分からないが、親の手作り推し実は別な意図があったかも知れないということに考えが至ったのはつい先ほどだ。なお表題の大変な気付きというのはそのこと自体ではない。気付きというのは、愛情足りない云々の輩は恐らく親から教えられたことをそのまま信じているだけなのだと気づいたことだ。何を今更と思うかもしれないが、自分は親から言われたことをふーんそうか、と流しなんとなく常識として刷り込んでいた。きっと愛情派のひとたちもそうなんだろう。親の考えを否定することができない人たちがきっととても多い。親の考えや常識は、論理的思考で打ち砕いて良いものではないからだ。それは小さな頃から叩き込まれる。ラップ音楽でひたすら親に感謝し続けるこの国で、冷凍食品を使う世間的なコンセンサスがとれる日は来ないかもしれない。
子供の頃から何ひとつ秀でたところがなく、自分に自信が持てなかった。容姿は平凡で、人前で話すのも苦手だし、勉強が得意なわけでもなくて、もちろん芸術的な才能もなかった。だから、将来の夢を聞かれると困った。何もできる気がしなかった。ぼんやりと浮かんでいたのはお母さんだ。自分自身の母親のように、おやつを手作りするお母さん。そういう大人になれたらいいなとなんとなく思っていた。
地元の中学から普通科の高校に進み、普通に普通の大学に入った。普通に就職して、得た職は普通の事務。電話応対、伝票管理、簡単な書類作成が主な仕事で、昇給もないが残業もない。ちなみに制服はあった。そこで3年務めた後、同期の営業マンと結婚した。妊娠を機に退職し、以降は専業主婦をしている。
30歳を過ぎ、独身を謳歌していた友人たちの結婚・妊娠ラッシュが来た。大企業勤務や公務員はまず出産退職なんて考えたこともないみたいで、産休育休後の復帰が前提。資格持ちの子はスッパリ辞めたが、次の職場は見つかるだろう。子供を産んでも正社員の座から降りない、降りないことを許されたママたち。小さな会社で激務をこなしていた子だけが唯一退職したものの、ベンチャー企業でフル在宅での仕事が決まったのだと言う。無能なママには決してないルート。今もっとも求められる『有能なママ』枠だ。
子供といるのは幸せだ。でも、旦那は決して高収入ではない。材料にこだわった無添加おやつをつくっている場合じゃなかった。教育や習い事の費用を考えると、お金はあるにこしたことはない。私は今後、パートという形でしか家計に貢献できないだろう。正社員の道はほぼ閉ざされている。
有能なママが活躍の手を差し伸べられるのは正しいと思う。だけど、【女性活躍】と声高に叫ぶ社会に手を差し伸べられたと思ったら「あ〜……あなたは活躍厳しいっすねwww大丈夫です、近所のスーパーでレジでも打ったら?」と言われてるような気分になる。その隣で有能なママには、「出産前までは編集者!?営業!?エンジニア!?デザイナー!?はい、みなさーん!このように子持ちの女性もバリバリ働けるんです!!」ってスポットライトばーんってやってるから、影から見てると虚しくなるよ。まあでもわかる。自分が経営者なら無能な子持
ちは絶対雇わない。でも有能なママなら雇いたい。無能のフルタイムよりよっぽどいい。柔軟な姿勢もアピールできるしね。
あとやっぱり、仕事のできるママたちは賢い。ネットの情報を取捨選択できる。でも無能なママはまともな職につけないからリテラシーの高い人間関係をつくれない。だから、一度間違ってトンデモ科学とかに興味を持つと、正してもらえずに突き進むことになってしまう。そしてまた、バカにされる。バカにされるから意地になり、そうなるとさらにバカにされる。一時期義理の姉に自然派育児を進められ、ハマるところだった。
今の日本は(別に日本しか知らないんだけど)で正社員を降りて休む(育児、介護、病気、その他)ができるのは、有能な人たちだけだと思う。無能な人に残されたのは、我慢して休まず働き続ける道だけだったと、最近になって実感した。無能が貧乏になるのは自己責任なんだろうけど、今はなんだか、めちゃくちゃしんどい。
・日本の財政は破綻しない ← 現実は財政破綻寸前なので買い手がいない国債の金利はすでにゼロ。
・国の借金は返す必要がない ← 借りた国々へ返済しなければ国家としての信頼がなくなる。
・国債は無限に発行できる ← 銀行の貸出と同じく国債の原資は国民の預貯金なので無限に発行することは不可能。
・現在はデフレの真っ只中だ ← 現実は急激なインフレの真っ只中。お値段据え置きでコンビニのお弁当やお菓子の容量が減ったのを見れば明らか。
・インフレはコントロール可能 ← 安倍と黒田がインフレターゲット2%を掲げて金融緩和を行ったがデフレのまま。したがってインフレのコントロールは不可能。
・100%自国通貨建て国債で破綻した国はない ← 現実は大日本帝国が破綻した例としてある。兵隊(公務員増加)と戦争(公共事業)のせいで金がなくなり破綻した。
・消費増税は悪だ ← 現実は財政破綻寸前なので消費増税は絶対に必要。財政破綻するまでに25%まで上げる必要がある。
・財務省は嘘つきだ ← 海外の格付け会社へ「財政破綻しない」と主張している財務省が嘘つきなら同じ主張のMMT信者も嘘つきだ。
・借金は悪ではない ← 住宅ローンも社債もすべての借金は悪である。借金によって手持ち資金以上の金を得られるようになって消費や投資は暴走する。
・公共事業で景気回復 ← 安倍がオリンピックを含む数々の公共事業に未曾有の金を注ぎ込んできたが景気回復とは程遠い状況。つまり、公共事業に景気回復効果なし。
・消費減税で景気回復 ← 消費税の不足分を他で補うので減税効果は無し。さらに日本人に余分な金を持たせてもろくなことにならないのはバブル時代で証明済み。
・公共交通機関への投資が必要 ← 東京以外は人口減少社会なので東京以外に公共交通機関は不要。格安の自動EV車が当たり前になるので東京でも公共交通機関は不要になる。
・野党は反緊縮と減税で一つにまとまるべきだ ← 他の野党がポピュリズムを受け入れなければならない理由が存在しない。野党が統一すべき政策は財政再建とスタグフレーション抑制のための緊縮と増税。
・国の財政を家計に例えるのは間違っている ← 国家財政の最小単位は家計なのだから家計に例えるのが正解。MMTを家計に例えると、手作り子ども銀行券を土方にあげれば自分の年収が増えると言っているようなもの。
・日本は公務員が少なすぎる ← 現実は真逆で公務員が多すぎる。少子高齢化社会に公務員は不要。財政再建のためには少数の管理職だけ残して大多数を非正規化に置き換えなければならない。さらに管理職も将来的にAIに置き換える必要がある。
・デフレは悪だ ← 物価を下げて庶民生活を豊かにするデフレは正しい。マクドナルドが59円で買えたデフレ時代の庶民生活は天国だった。
・借金によって銀行預金が増える ← 国内のカネの総量は国の保有する金の総量によって決まるため借金で銀行預金が増えるわけがない。
・GDP比政府債務残高が200%を超えても日本国債は破綻しない ← アルゼンチンとギリシャは日本の半分程度のGDP比政府債務残高で破綻した。だから日本国債も破綻する。
・消費税は廃止できる ← MMTの理論的主軸の1つである租税貨幣論から考えても消費税の廃止は不可能。税の廃止は徴税の裏返しにより発生する貨幣の価値の毀損に繋がる。すなわち、消費税廃止により円が暴落し得る。
20代女同士の友人である場合、食事・遊びの際の支払いはおそらく大多数が「割り勘」となるだろう。
どちらかの誕生日や何かしらのお礼等のイレギュラーなケースを除けば大体がそうだと思う。
かく言う私も外食であればそうなる。私は酒を飲まないので、のんべぇとの食事であれば飲酒する友人が少し多めに支払うことはあるが、概ね対等・平等・公平だ。
だが、その均衡がどういうわけか狂う場面がひとつだけある。
あまり得意ではない、あるいはまったくしない友人等が自宅に来ると料理を振る舞う。
一人暮らしを始めた当初に「遊びにきて」と私が誘い、以降この“食事会”は3~6ヵ月のペースで、もう5年程開催されている。
このところは友人の誰かが「○○のうちでご飯食べたい」と言い出して開催する流れが多い。(つまり、私が“招待”しているわけではない)
そんななか、彼女等はいつも食事代を支払わない。正確に言えば、最初の数回以降、支払わなくなった。
友人等がやって来る際に私がしていることは以下の通りだ。
・当日朝までに食材の買い出し(人数にもよるが、大体6,000円~9,000円)
・友人の到着までに調理(だいたい4~6品)
・友人等が帰ったあとの片付け
昼にやって来て19時前に帰るのが定番のパターンであり、その間に様々な話をするが、帰る間際になってもそこにいる友人1~3人、誰の口からも「いくらか出すよ」の「い」の字も出ないのだ。
始めの頃は違った。「一律で1人2,000円(3,000円だったかもしれない)お金を出すよ。もし多かったなら次回の資金に回して」と友人みずからルールを決めて数回の食事会を過ごしていた。それが、いつのタイミングからか改定されていたのだ。
食事会に参加していない友人も交えた会話のなかでの彼女(前述のルールを決めた張本人)曰く「デザートは私が買ってくの。それでトントンになるから」とのことなのだ。
たしかに食事会の計画中に「ケーキは私が買ってくね」と宣言し、実際に人数分買ってきてくれるが、「それでトントンにする」とは一言も打ち合わせしていない。
デザートが1人600~700円、3人分なら2,000円ほどになり、なるほど友人は食事会開始当時とおなじ金額を支払っているのだろうが、私は6,000円~9,000円を費やしているのだ。その金額そのものをまったく補えていないではないか。
重ねて言えば、私の超個人的な意見ではあるが、訪問時の手土産はマナーであって「トントンにする」材料ではない。買ってくるように、と指定されたものでなければ勘定に入れるべきではないと考えている。
前回までは改定ルールが適用されていたので、私はつい先日の食事会は以下のようにした。
「トントンにする」材料がない友人等はどうするのだろうか? と半ば試すような気持ちで友人2人を迎えた。
結果……彼女等は、やはり「いくらか出すよ」の「い」の字も出さなかった。
誤解が生まれないように注をつけるが、友人等は決して常識外れではなく、育ちが悪いわけでもない。頭も良いほうだ。
冒頭に書いたとおり外食であれば割り勘であるし、いくらか自分のほうが多く負担すべきと思う場面ではそれを申し出たりもする。
だのに、私の家での食事だけ、どうしてこうなってしまうのだろうか。
私が自発的に「きょうはお金を出さないで」と言ったときがある。友人の誰かの誕生祝いをした際などは祝うべき友人だけでなく皆からも受け取らなかった。
また、私の実家に友人2人(食事会にもっとも来ている)を過去2回招いた際はすべて私と私の両親が持つ「おもてなし」であった。
たった数回ではあるが、それらを経て私から提供されるものがすべて私持ちであると勘違いした?
②ただただ度忘れしている
食事会が始まった当初のルールや、当日にすべき支払いを忘れてしまっている。
私は金銭を請求する等の行為は一切しないので(借金取りのようで卑しく感じるため)、リマインダーもおらず疎かになる。
料理をほとんどしないがゆえにその食事に必要な金額をかなり低く見積もっており、支払う必要もないと感じている。
友人等はアイドルの追っかけや二次創作等、なにかとお金のかかる趣味を持っている。
私の家での食事会は、改定ルール(もはやそれさえ改定されているが)であればどんなお店よりも安く遊べるので“上手に利用している”。
またしても注をつけるが、私は決して友人等からもらえなかった数千円が惜しいわけではない。
そもそも金銭的に厳しければ食事会など開かないし、それなりに資金があるからこそしっかりとした支度をするのだ。
納得ができないのは、
・どんな事情であれ同い年の友人からの“タダ飯”に平気でいること
・それを繰り返すこと
なのだ。
家に遊びに来てくれるのは嬉しい。手製のご飯を「おいしい」と食べてくれるのも嬉しい。「また作って」と言ってもらえるのも嬉しい。
だが、その嬉しさだけではやっていけない。
私が切り出さなければならないのだろうか。どんな理由があるかも分からない(ほとんど分かっているが……)のに、数千円をケチケチと追いかけるような真似をしなければならないのだろうか。
数年前からの不満がとうとう一杯になってしまった。「また作って」の「また」は一生来ないかも知れない。
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9/16追記
たくさんアドバイスをありがとうございます。ずっと抱えていたモヤモヤを吐き出すためアカウントを取得し初めて投稿したので、こんなにお声が返ってきたことに驚いています。
①私がなぜそんなにおもてなしをしているのか
「変なものは出せない」「やるからにはキチンとしよう」という意識からです。
前述のとおり食事会の始めのころは一律の出資額がありました。「一律2,000円(3,000円?)」と決めたのは友人ですので、2,000円出してもらうに相応しいものを継続している、という認識でいます。
「言えばいい」「どうして言わないの?」とたくさんお声をいただきましたが、お金の話はやはり切り出しにくいです。
食事会とは別の場面でも「チケット代○○円だったからね」→「いま細かいお金ないや。後で良い?」→忘れられる、というケース等あります。何度も「ねぇ○○円だよ」「○○円ちょうだい」と言うのは(言ったことはありませんが)ほんとうにしんどいです。
そういった経験から「ひとり○○円ね」と発することにも抵抗を感じます。チケット代等ならまだしも、かつて友人が決めた一律額や私がした買い物の金額となると、よりハードルが高く感じられます。
私が払う立場の際は、たとえば映画のチケットを買っておいてもらった場合、会ってすぐか、席に腰を下ろしてすぐに支払っています。
食事会をするメンバーとは別ですが、友人宅で手作りご飯を頂いたこともあります。その際はケーキを持参しつつ2,000円受け取ってもらいました。自分がお金の請求に苦しむ性分なので、金額が分かっているものはすぐに出す準備をし、分からないものは気持ち多めにして先回りの形を取りがちです。
繰り返しになりますが、もらえなかった数千円そのものが惜しいわけではありません。食事会の半分以上が“タダ飯”なのにいまなお続いているのも、金額そのものが惜しいわけではないからです。
とはいえ、“タダ飯”を平気でする友人に「どうして?」「なぜ?」と疑問が湧いてしまうのも止められません。
③今後について
弟がこらちへ向かっているのを、この時の俺は知らない。
知っていたとしても今はそれどころじゃなかった。
「うーん、これは……」
そこで売られているアイスを食べ、俺とカン先輩は頭を抱えていた。
食べすぎでキーンとなっているからだとか、そういう生理現象ではなく、もっと利己的な理由でだ。
「マズいな……このアイス美味い」
キャラメル風味のアイスクリームに、砕いたアーモンドをまぶした一品。
夏に食べたいアイスかっていうとそれほどではないが、クオリティでは明らかに差がある。
廉価のジュースを凍らせただけのこちらとは違い、口溶けがよく、でしゃばらない甘さ。
このアーモンドもほのかに塩味があり、いいアクセントになっている。
そりゃあカン先輩のアイスキャンデーの前じゃあ、大体が洒落臭くなるだろう。
とはいえ、凝っているのも確かだ。
側面には店の名前らしきロゴが描かれているが、これも見事に馴染んでいた。
しかも偵察に行ったドッペルが言うには、この他にも色々なフレーバーがあるらしい。
キッチンカーの見た目も、あっちのほうが豪華なんだとか。
「くっそー、こんなことなら、もっと色んなジュース買っとくんやった」
「どうせ凍らせるだけなのに、数だけ増やしても仕方ないですって」
個人の好みだとかを考慮しても、客観的にみて形勢は不利といえた。
フレーバーを抜きにしても、アイスキャンデーとアイスクリームは別物だ。
それを売るキッチンカーが同じ公園に2台いたとあっては、比べられるのは必然だろう。
そして勝った側は得をし、負けた側は損をしやすい。
どちらが得をするかは明白だ。
「手作りのアイスクリームって割と面倒ですからね。手間がかかっている方がいいと考える人も多い」
ましてや、こっちのアイスキャンデーは見るからに手抜きなのだから尚更だ。
そうは言ってみたものの、少し気になるところもあった。
デジャブってやつだろうか。
形勢が不利なせいで、何か粗を探してやろうと俺は邪推をしているのかもしれない。
そう思ったのも束の間、俺と同じことを感じる人間が他にもいた。
「こ、これ……かか、か、“カラメルコーンアイス”じゃない?」
ドッペルが、そう呟いた。
私は母親の事が嫌いだ。
私の母親は貧乏な家庭で育ち、小さな事から自分や他の姉妹の身の回りの事を全てこなしていた苦労人だ。母親に弁当を作ってもらったことは1度もないらしく、他の母親らしい事はしてもらえなかったと何度も語っていた。母親はそんな祖母の事を嫌い、自分の子供には親らしいことをしてあげたいと言っていた。
その言葉の通り、小学生の頃から大人になった今も弁当を作り続けてくれた。冷凍食品を使いたがらず、ほぼ手作りだった。
そんな母親を誇りに思っていたし、私は家庭に恵まれていると思っている。
裕福な家庭生まれ、家に帰ればご飯が用意してある。リクエストすれば好きな料理を作ってもらえる。洗濯物を洗濯機に入れるだけで、帰ってくる頃には綺麗に畳んである。綺麗な部屋で寝れる。とても幸せな事なんだろう。
私はいつまでも子供ではいられない。なんでもかんでも親を頼っていた私はいつの間にか自立出来ない大人になっていた。
ご飯の支度を手伝っても「私が1人でやった方がはやい」と母親は笑いながら言う。洗濯物を畳んでも「畳み方が違う。しまう場所が違う」と言われ挙句の果て「普段やらないからわからないか」と嫌味を言われる。
「私出来るよ」と言っても「お母さんがやった方がはやいから」と断られ、「手伝うことある?」と聞いても「何も無い」と言われ続けた結果、私は何も出来ない子になっていた。
コミュ障を拗らせ摂食障害にもなったし、就職活動にも失敗し心療内科にも通っていた。
今も就活を続けているが電車に乗るだけで目眩を起こす。自分の長所が見当たらず履歴書が書けない。志望動機なんてお金が欲しい以外にあるのだろうか。
何よりも世間に出ていく事が怖い。環境が変わることが怖い。家族という小さなコミュニティですら役に立たてない私が、社会に出て何が出来るのだろう。そんな考えが頭を過ぎる。
そんな私に母は言う。
「もっと真面目に就職しなさい。2、3件面接行った程度で就活してるなんて言うな。他の子は100社くらい受けている」
ごもっとだ。
数件落ちただけで落ち込む私のメンタルが弱すぎる。気分転換に趣味に没頭すれば、ただの遊び回ってる就活生にしか見えない。だからそう言われても仕方がない。
そんな事はないが、そう見えてもしょうがないのかもしれない。
1度心療内科に通っていた事を母に打ち明けたが、「あんたのは甘え」と一蹴された。母親にとって現代型鬱は「甘え」なのだから、そう思われても仕方がない。私が過食嘔吐しているなど知る由もないのだから。知っても甘えだと言われそうなので、絶対に言わない。結果は目に見えているから。
断っても弁当を持たせるせいで外食する友達と昼食が食べられず大学生時代はほぼ便所飯だった事も、人の気を引くために浪費しまくりクレカで借金を作った事も全部墓場まで持っていくつもりだ。
誰が産んでくれと頼んだ。こんな世界に生まれたくなかった。私みたいな思いをさせるくらいなら子供なんて作らない。私みたいな子を、母親みたいな子を産みたくない。だから絶対に子供は作らない。
妊娠中に旦那さんが飲み会に行ったことが許せなくて大吟醸を飲みまくり、あげく中絶してた人がTwitterにいて、ビックリした。
常識がある妊婦ならばいくら旦那が酒を飲もうと自分は飲まないものだが
やはり妊娠して妻が一滴も酒を飲めないのに夫が宅飲みしていたりすると私もイラッとしちゃいました。
「お酒を飲まない方が良い精子ができるみたいだよ」って言ったのに旦那はまったく禁酒せずイラッとしちゃいました。
というわけで妻が飲めないのに、平気で宅飲みする旦那はどういう神経しているんだろうなーどういう気持ちなんだろうなーと思うのですが
今の時代はノンアルコールドリンクが充実してて、善きですね!!
ノンアルコールカクテル、ノンアルコールビール、なんでもありますね!
今日も手作り餃子を食べて、のんある気分を飲んでとってもハッピーになりました!
ノンアルドリンクは出産後の授乳期にも飲めてとっても良いですね!
そのネトゲはアバターを着飾る要素が豊富で、こだわる人は結構なお金をつぎ込むほど。
ネトゲ内でバーチャルオシャレに熱中する女子中高生、さらに大人の姿も見受けられた。
まあ、アメーバピグって言うんですけど。
「ピグアイドル」だ。かわいく着飾ったアバターたちが、手作りのバーチャルのステージ上で歌って踊る。
いつからそんな文化が流行ったのかはわからないが、そのネトゲ内では確実な地位と知名度を持っていた。
そのアイドルは非公式だ。アイドルをやりたい、と思った人間がメンバーを募って、集めて、歌って踊るライブだとか、ブログだとか、たまに総選挙なんか開いたりして。
そういうのを私は当時、異常だ、気持ち悪い、と思った。
なんてたって、歌って踊る、なんか言っても、実はそれは既存の歌の歌詞をチャットで並べ立てて、それに合わせてアバターがそれっぽく動く。歌は脳内再生。それでも女子中高生たちには無類のウケ型をしていた。なんだろうね、今ティックトックとかやってるような層にウケてたんですよ。そういうもんに陰キャはどうしようもない反骨心を抱いちゃうわけじゃないですか。
私は抱きました。もちろんそんな陰キャたちはたくさんいて。まあちょいちょい馬鹿にする程度だったんですけど、あるときそれが爆発して。
アメーバピグには、コミュニティって制度があって。まあギルドみたいなもんかな。誰でも立ち上げられて、メンバーを募集して、各コミュニティには専用エリアが与えられて。まあだいたいいつも遊んでる連中とかで結成されて、たまり場みたいにする。
ある時「アンチコミュニティ」が爆裂に増えた。きっかけはまあ、陰キャたちの中でも名前がデカい有名人みたいなやつ。といってもほとんど悪質な荒らしなんですけどね。そいつが一番有名な某ピグアイドルのライブにいろいろ嫌がらせをけしかけて。いつも悶々としたいら立ちを抱えてた陰キャたちは大喜び。次々と便乗して加勢して、「祭り」状態。標的になったピグアイドルたちはまあ、ほとんど無視。まあインターネットで活動してて嫌がらせに反応してたらきりないですからね。それでも、ちょっと叩いてみればブログの画像はどこどこの盗用だとか、メンバーのこいつは未成年だとか、(当時のアメーバピグは18歳以上は禁止ということになっていた)まあ、活動しているのは若い女の子たちなので、叩けば叩くほどホコリが出てくる。集中攻撃を受けてメンヘラムーブをかましたメンバーも出たりして、陰キャたちは大盛り上がり。
アンチブログというのも次々立ち上がった。叩いて出たホコリを延々と紹介する。最初は年齢詐称だとかメンバーの暴言だとか、まあしゃーない、と思うような内容だったが、次第にゴシップ誌みたいなウソかホントかわからない情報まで流されるようになってきた。
やがて飽きる陰キャも次々出てきた。私もその一人で、やがてアメーバピグ自体をやめた。
そうして年月が経って、アメーバピグも終わるらしくて。ふと思い立って、あのとき熱心に覗いては粗探しに励み、荒らし活動に励んでいた某ピグアイドルのブログを覗いてみた。
更新は止まっていた。三年ぐらい前に。どうやら他メンバーも音沙汰なしになっているらしい。まあ、アメーバピグ自体そのころは既に出会い厨と小中学生とニートしかいない「オワコン」状態だったので、自然消滅してしまうのも、仕方ないと思う。むしろ今もやってたらビビったかも。
当時一番、ファンからもアンチからも人気のメンバーであった一人のブログを見た。彼女はどうやら実家が相当太いらしく、日々豪遊の写真がブログに挙げられていた。当時の私たちはやれ捏造だ嘘だ流用だと叫んだが、具体的な証拠はなかった。更新は、やっぱり三年ぐらい前に止まっていた。
正直、推せると思ってしまった。
なんてたって彼女は、ネトネトした感情を並べ立てることなく、ただただ人生を楽しんでいる。金と時間を潤沢に使って、目いっぱい楽しんでいる。たとえそれが親の財産だったとしても、豊かに育てられた彼女は楽しかった!ウケる!とかキラキラした感情を出力している。キレイなものでできている。私たちの届かない世界で暮らしている。最終更新には、今はNYの学校に行ってる、と書いてあった。
どんな形であれど、人気者になる、というのはすごいことだ。それがどんな稚拙なものでも、人が集まるなら一定の魅力がある。
某ピグアイドルにはアンチも沢山いたが、ファンも沢山いた。たとえそれが小中学生の女子であっても、夢を与えてワクワクさせている。そんなこと小手先じゃできない。し、バカにする連中だってたくさんいる。そんな声に負けずに続けていくのは相当難しいだろうし。
本当最近Twitterぐらいしかやってないんで、陽キャインターネット文化にはよわよわなんですけど。ティックトックしか知らないんですけど。あれもね、すごくいいと思います。なんてたって誰もがスターになれるんですよ。そこで人気者だったら、そりゃまあすごいことだと思う。だって私が昔魂込めた小説なんて一日3PVぐらいで、そんで三日で挫折しましたもん。
表現者っていうのは続けることで確立されるってどっかで読みました。続けることはなんだって難しいです。
どんなにくだらなくても、黒歴史でも、馬鹿にされそうでも、若いうちになんか続けときゃよかったなあ、って思ってます。若いうちって中高生ぐらいですかね。その頃の私っていうのはインターネットの陽キャムーブのアンチ活動に必死で。なんも生産性ない奴なのにね。
なんか表現として続けられて、それで誰かのハートを掴んだっていうのはすごいことです。神さまになるみたいなことです。
神さまになりたかった。冷笑する態度を続けてると創造のインスピレーションっていうのがみるみるしぼんでくんですよ。脳の架空のオタクがアンチしてくるんです。それでなんも考えられなくなる。
インターネットでなんかやってる皆、みんなみんな愛してるぞ。
私は中高が一貫の女子校で、その間ずっと恋する乙女だった。恋した相手の数は4人。すべて片想いだった。それでも楽しかった。しかし女でありながら女の人を好きだと言うのを周囲にバレるわけもいかず、恋バナなんてしたことがなかった。高校を卒業してから何年も経ち、多くの友人は共学の大学に通うようになったり、バイト先や職場で新しい出会いがあるらしく、日々好きな異性のことを沢山話してくれるようになった。聞いていて楽しいけれど、自分も中高の頃隠さずにこんな風に片想いの話を彼女達と共有できていたらさぞかし楽しかっただろうなと思うので覚えている思い出を放出する。前置きが長くなってしまって申し訳ない。とても長い内容のうえに素人文章なのでご注意
中学の時に好きになったのは、同じ陸上部の三個上のA先輩だった。一年生でまだまだガキだった私はそれが恋とは知らなかったけれど、校内で見かけるたびにドキドキしてしまうのでうまく挨拶ができなくて先輩方に叱られた。一年として学年全体で怒られた後に、私に「うちらも怒りたくて怒ってるわけじゃないよ。悲しまないでね。現状を良くしたいだけなの」とフォローしてくれた。一年は居残り時間が30分短く、先輩よりは下校時間が早くて一緒に変えることはできなかった。何かと理由をつけて部活後も校内に残って待ち伏せしたけど話しかけることはできなかった。きもいな。恋だとはわからないままでも自分はすごく乙女だった。部活の汗の匂いが気になって近寄って欲しいけど近寄れなかったり、少しでも可愛くなりたくてスキンケア用品もお小遣い貯めて買ってみたりした。(とはいっても洗顔料と化粧水だけ)。部活中は一つ結びしか許されていなかったから、無礼講の部内クリスマスパーティでは髪型を少し変えて気づいてもらえるか試したりした。気づいてはもらえなかった。
中2の時に好きになったのは当時仲が良かった友達Bちゃん。体育祭の時に疲れたと愚痴ると膝枕をしてくれた。その子自身は体育の男性教員が好きだったからいつも胸がモヤモヤしていた。夏休み、家族でハワイ旅行に行った時に友達用にお土産を大量買いしたけれど、彼女にはちょっと特別なものを他の子にバレないようにあげた。その時の笑顔が忘れられないほど綺麗だった。でも恋だとは自覚しないまま終わった。
高一の時に好きになったのは同じクラスのcさんだった。すごく仲がいいわけでもなく、勝手に好きになっていた。席替えで隣の席になれた時にすごく嬉しくて、夏休みに入る目前、恋だと自覚した。自覚してしまうといろいろ早くて(思春期なのもあって)キスしたい、ハグしたい、裸で触れ合いたいとか思うことが増えたけど、そんなことは顔に出すわけにはいかない。夜1人で妄想して、朝になったら忘れて何事もなかったかのように隣の席に座った。挙動不審にならないようにわざと冷たく当たってみたりもした。それでも彼女は優しくて、廊下とかですれ違っても「よっ!」と肩を叩いたりしてくれた。久しぶりに私から話しかけると、「やっと話しかけてくれた…無視されて辛かった」と言ってくれたけれど、彼女のそれが恋愛感情からくるものじゃないのは明らかだった。誰にでも優しくて、他人に注意を払うのがとてもうまかった。夕暮れで視界が悪いのに下校途中で私に気づいて手を振ってくれるのはすごく嬉しかった。
高3になってもcのことが好きだった。毎年クラス替えがあったけれど、また同じクラスになった。すごくすごく辛かった。クラスの中心的なその子と話す機会は減った。でもまた奇跡的に隣の席になれた。天にも昇る心地だった。脳内お花畑だったからこれはもう運命では?とさえ思った。調理実習で作ったクッキーを食べて欲しかったけど、スムーズに渡せなくて、席が近隣の子達におすそ分けって苦しい名目で周りに配ったら別の子Dに全部食べられてしまってCの手に渡ることはなかった。Dには怒りが湧いたけれど「美味しかったご馳走さま」と言ってくれたので許した。
しばらくして漫画みたいな出来事が起こった。Dが同じ町内にひっこしてきた。歩いて五分くらいの距離に。私の高校は私立で、近所に同じ学校の人がいるという感覚がこれまでなかったので純粋に嬉しかった。これによって謝恩会の準備や話し合いが放課後に近所でできるようになって純粋に楽だった。実は、もともとDの印象はすこぶる悪かった。Dは中3のとき、離れ離れのクラスになったBが新しいクラスで仲良くしていた子だったから。当時Bが好きだった私は勝手にBを取られたような気でどうしてもDを好きになれなかった。
高3になるとみんな受験で忙しくて、委員会なんてする人はいなくなった。でもクラスに必ず数人いなくてはならない卒業式後の謝恩会委員というポジションがあった。これがなかなか決まらないため、ホームルームが終わらない。Dが一緒にやろうと言ってきた。お前は受験はいいのか、と思いながらほかに立候補者もいないし、なんとなくすることにした。私のクラスは私たち2人だけだった。謝恩会委員はやることが意外に多くて、Dの受験が純粋に心配になった。私はAO推薦でほぼ確定だったので積極的に作業していた…と思う。ある日、Dの分である作業をなんとなく勝手に進めているととても感謝されて腰のあたりに抱きつかれた。cの前だったから恥ずかしくて腕を振りほどいた。CとDは髪型がとてもよく似ていた。うちの高校はキリスト教だったので、全員強制参加の式典が年に何度かあった。秋のある日の式典で、私はどうしても暇でCを目で追ってしまった。それに偶然気づいたDが小さく手を振ってきた。お前じゃない、と思いながらも実はちょっときゅんとした。
ある日の放課後、雑談をしながら謝恩会の作業中、何気もなしに部活の後輩が好きだったことがあると言ってきた。とてもびっくりした。自分も女子校内で片恋ばっかしている人間だったけれど、それを他人に話すということが異文化すぎた。気が動転してそれからしばらくはDのことを避けてしまった。
冬になってまた別の校内式典があった。それは義務ではなくて、行きたい人が行くものだった。99.9%の人が大学進学を希望するのでクラスの中では本番の迫る受験のために欠席する人、気休めと文字通り神頼みのために参加する人の二分だった。CもDもとても頭が良かったから参加するかどうかなんとなく気になった。Cは来ないというのを教室内の会話で知ってがっかりしたが、Dは来ると言っていた。なぜかとても嬉しかった。もしかしたらこれが終わって三学期になれば自由登校で友達に会えなくなるからかもしれないと勝手に納得した。
それからしばらくしてDに放課後に呼び出された。理由は私が避けすぎたためだったらしい。Dは私が最近は目も合わせてくれないと言って泣いた。とても驚いた。避けている自覚はあったけれど目を合わせていないなんて自覚はなかった。だから今度は目を見て話を聞こうと思った。でも出来なかった。そこで初めて私はDが好きなんだと自覚した。目を合わせられないのはあの有名な歌詞通り、見つめ合うと素直におしゃべりできないからだった。急に恥ずかしくなって帰りたくなった。でも帰ったら一緒にいられないと思うとどうすれば良いのかわからなくなって、とりあえず適当に謝ってから家が近所なこともあって一緒に帰った。
謝ったと言ってもそれでまたDとおしゃべりなんてできるようになるわけがなく、言いたいことは全部紙に書いて伝えるようになった。本当に恥ずかしくて会話ができない。でもDと交流したい。Dは手紙にして返事をくれたりした。とても嬉しかった。それから冬休みに入って、三学期になって学校に行くことがなくなっても手紙のやり取りは双方にとって近所の公園に貼り付けるという約束になって続いた。
バレンタインになった。何か渡したいけれども渡す時間を取らせるのも申し訳ない。公園に手紙と一緒に食べ物を置くのも憚られる。代わりに手作りで学業成就のお守りを使って置いておいた(重い上にキモい)。お世辞だろうとも喜んでくれた旨が手紙に書かれていた。嬉しくて家でニヤニヤしていたら家族にキモいと叱られた。
その後、彼女の第一志望の受験前日は3つも神社をお参りしてクジを引いたら大吉だった。うれしくなって、おみくじのことと、明日の受験頑張れと書いた手紙を貼った。結果発表の日が過ぎてもDから連絡は来なかった。催促するのもよろしくないのでそれから次の登校日まで待った。
合格者発表から数日経った次の登校日、学校に行くとほぼ全員受験のストレスから解放されていた。教室ではDが他の子達となんと恋バナをしていた。他のクラスメートたちが、受験期中に同じ塾の男の子相手に密かに恋をしていたこととかを話していた。D自身はどうなんだろうか、不安になった。聞きたいけど怖くて聞きたくないので「いいなぁ楽しそう。もっといろいろ聞かせて?」と他の子に聞いた。するとDが「じゃあ〇〇も恋バナすればいいじゃん。好きな人いないの?」と聞いてきた。胸がとても痛かった。その日のうちにD本人から、実は第一志望に合格していたと聞いた。嬉しかったけれど、どうしてすぐに伝えてくれなかったんだろう。そんなこと話す間柄とすら思ってもらえてないのかと、また胸が痛くなった。
卒業式の帰り、謝恩会も無事終わり、クラスの打ち上げも解散に近づいた頃、Dに、今日は一緒に帰ろうと言ってもらえた。とても嬉しかった。私の大学は地方だったから多分これがDに理由もなく会える最後だと思うと泣きたくなった。帰り道は何も話さなかった。誤差の範囲だけれどDの家に先についた。お別れの時だ、と思ったら、Dがマンションの共有スペースまで上げてくれた。一緒にケーキを食べた。告白するべきかしないべきか、すごく悩んでケーキを食べ終わってもずっと無言で泣いてしまった。Dは私が何かいうのを待っているようだった。その時、母親からもう帰って来いと電話が来たので仕方なくさよならを言った。Dは地方でも頑張ってと応援してくれた。私は泣きながら短い距離を帰った。
本当のところはわからないけれど、おそらくDは私がDを好きだと気付いていたんだと思う。でもわたしには告白する勇気もなければ、このあと地方に自分は行くのに、Dが大学で彼氏を作るのを見ているのは辛くて無理だった。大学に入ってしばらくして、私は、自身では記憶にないが飲み会で盛大に酔っ払ったらしく、ライン電話でDに泣きながら告白していたらしい、というのは飲み会に参加していた別の友人に聞いた。Dのリアクションはわからない。電話口だったので私にしか聞こえていなかったし、私本人が酔って忘れてしまった。そのうち、私が1回目の帰省をする頃には風の噂でDに年上の彼氏ができたことを聞いた。私は泣いた。多分もうDとも関わることなんて、同窓会以外ないだろう。私はいつまであの時に囚われているのかわからないけれど、あれ以来人を好きになったことがない。もう22だけれど、中高で経験した以上の恋愛ができる気がしない。それでもいいと思っている。後悔もない。充実した青春だったし。これが私が学生時代、仲の良かった友人としてみたくても出来なかった恋バナの内容。
09-06 23:00 初出
09-08 19:00 改訂
19話 36:15〜
刑事1「黒島沙和ですが、手塚菜奈の死亡時刻の2時から4時に、大学近くのファミレスで勉強してる姿が、店内防犯カメラに映ってました」
刑事2「一方、尾野幹葉ですが、0時半すぎに終電で帰宅する様子と、その後公園で野良猫と遊んでいる様子が、それぞれ防犯カメラで確認されています」
刑事1「朝4時までネットカフェにいたことは確認されてますね。途中、外出した形跡もありません」
水城「はああー」
このシーンの情報を簡潔にまとめると、「黒島と内山にはアリバイあり、尾野にはアリバイなし」ということである。
いかにも尾野にもアリバイがあるような反応を水城が返しているが、騙されてはいけない。
19話 23:40〜
翔太「このカーテンについて聞きたいんだけど」
尾野「あれは一点物で、日暮里の専門店で・・・(ハッとした顔)・・・ていうか、いま関係あります?」
二階堂「落ち着いてください」
二階堂の尾野を庇うような言動のせいで流されてしまうが、極めて重要なポイント。
わざわざ「一点物」と言わせているのは「内山動画の撮影場所は尾野の部屋で間違いない」という、製作者からのメッセージと考えられる。
内山動画の撮影場所が尾野宅である以上、可能性は次の3パターンに絞られる。
上から順に考えていこう。
(1)の場合は動機が考えづらい。尾野に罪を着せる意図だとすれば、内山に「黒幕は尾野なんです!」と言わせれば済む話だからである。
(2)の場合は、まず内山が黒幕の協力者なので、黒幕グループが3人もいたことになってしまうし、そもそも該当しそうな人物がいない。
そこまで疑うのであれば、まずは(3)の場合、尾野自身が黒幕である可能性を検討した方が、話がシンプルである。
ところで、尾野が黒幕である可能性を考えた場合、大きな問題が一つある。黒島は、書いた紙が「早川教授」、引いた紙が「織田信長」であると申告しており、どちらも存在が確認されていない。このような肝心な情報に関して嘘をついたのではないかという疑惑があるため、黒島が怪しくなっているのである。
しかしここは、「黒幕ではないのに黒島が嘘をつかざるを得なかった理由」を考えるのではなく、逆転の発想で攻めてみると良い。つまり「もし黒島が嘘をついていなかったとしたら?」と仮定して推理を進め、矛盾のない説明が可能かどうかを考えるのである。
19話 32:50〜
久住「浮田さんの書いた、赤池美里を引いた人は・・・黒島さんです」
ここから、黒島らしき服装の人物が「赤池美里」と書いた紙を開くシーンと、黒島が開いた紙を見て目を細め、それを浮田が観察するシーンが続く。
一見、黒島が「赤池美里」を引いたことに疑問の余地はないように見えるが、それでも「黒島は嘘をついていない」とするのであれば、可能性はただ一つ。黒島が引いた紙には、小さい文字で「織田信長」と書かれていたのだ。
19話 19:35〜
翔太「尾野さんさ、303の鍵持ってるよね?」
尾野「何なんですか、いきなり」
翔太「どうしてそう思うの」
尾野「私も菜奈さんみたいに殺されちゃう!!」
少し戻って、このシーンを検討する。「赤池美里の紙を引いたのが黒島である可能性が高い」という情報を知っているのは、翔太たちと久住、そして殺された浮田だけのはずである。ここでの尾野の言動は、そのことを前提に翔太たちの考えを誘導しようとしているように思える。しかし、赤池美里の紙を置いたのが尾野だとすれば、どうやって黒島が引いた紙を入手したのだろうか。
以上2件の情報を合わせると、尾野が書いた紙は「織田信長」であり、引いた紙は「赤池美里」であったという仮説が成立する。浮田と同じトリックを尾野も仕掛けていたのだ。第1話で、尾野は引いた紙をすぐに確認せずに周りを観察している様子だったことも、この仮説を支持する材料である。
黒島が目を細める様子を見た尾野は、まず黒島が「織田信長」を引いたと考える。しかし、後でこっそり自分が引いた紙を確認してみると、そこには自分と同じような小さな文字で「赤池美里」と書いてあった。となれば、尾野はこう考えるだろう。「これは面白いことになった。赤池美里と書いた誰かさんは、黒島がその紙を引いたと思い込んでいる。何かの際には、この紙が利用できるかもしれない」
黒島が書いたはずの「早川教授」はどこへ行ったのか。この紙が実在した前提で考えるならば、引いた可能性が最も高いのは田宮だろう。
田宮の性格ならこう考える。「早川教授という人は知らないが、ゲーム参加者の中に大学生は1人しかいない。この紙のことは誰にも言わないのが、あの子のためだ!!」
尾野が入れた紙が白紙でなかったとするなら、北川が引いた白紙を入れた人物が他にいるはずである。第1話では尾野以外の人物は全員何かを書いている様子が映っているが、その中で唯一、白紙で提出した可能性のある人物が存在する。それは、鉛筆で書いたと思われる文字を消しゴムで消していた床島管理人である。
ところが、床島が白紙を入れたとするならば、石崎が引いた「吉村」を書いた人物がいなくなってしまう。そこで、書いた紙が唯一確定していない赤池美里が「吉村」と書いたと仮定して推理を進める。つまり、「赤池幸子」を引いたとする浮田の証言が嘘であった可能性の検討が必要である。
4話 20:45〜
浮田「あのよー・・・何て書いたかなんて、みんなの前で言うわけねえだろう」
石崎「えっ」
浮田「俺が書いた名前じゃねえぞ。俺が引いた紙に書いてあった名前だ。だから少なくとも、俺はあんたを殺さない。安心したか?」
このシーンの状況を考えると、浮田は石崎を安心させるために言っているので、本当に引いた紙は「石崎洋子」もしくは「すでに殺された人物の名前」だった可能性がある。しかし、「石崎洋子」の紙からは浮田の指紋が検出されていないので、消去法で浮田が引いた紙は「管理人さん」となる。
必然的に、「石崎洋子」は床島が引いたということになる。これは尾野の主張通りである。
- | 書いた紙 | 引いた紙 |
久住 | 袴田吉彦 | 細川朝男 |
田宮 | こうのたかふみ | 早川教授 |
石崎 | 石崎洋子 | 吉村 |
浮田 | 赤池美里 | 管理人さん |
黒島 | 早川教授 | 織田信長 |
シンイー | タナカマサオ | 袴田吉彦 |
尾野 | 織田信長 | 赤池美里 |
菜奈 | 細川朝男 | こうのたかふみ |
北川 | 児嶋佳世 | 白紙 |
榎本 | 管理人さん | 山際祐太郎 |
藤井 | 山際祐太郎 | タナカマサオ |
赤池 | 吉村 | 児嶋佳世 |
床島 | 白紙 | 石崎洋子 |
以上で、「尾野が嘘をついている」「黒島は嘘をついていない」という条件において、書いた紙引いた紙を矛盾なく説明可能である。
それはつまり、尾野が黒幕グループであっても矛盾点がないということであり、アリバイや撮影場所の件と合わせて、黒幕は尾野であることがほぼ確定する。
(L?) 4/? ウエハース 翔太「美味い!」
(L?) 4/? 雷おこし 翔太「雷おこしって手作りできるんだね!」
(L) 5/3 弁当箱 翔太「驚きの方が勝っちゃってるけどねー」赤池美里、吾郎死亡
(L) 5/21 プロテイン 翔太「これで最後にしてもらってもいい?」児嶋死亡
(-) 5/28? 一緒に帰る 翔太「菜奈ちゃん大好き人間だから」
(L) 5/29 浮田死亡
(L) 6/5 オイルマッサージ 翔太、困惑しつつも受け入れる
(-) 6/6 河野死亡(笑顔ではない。ラッキーデーではない)
(L) 6/17 菜奈死亡
昨日(9月5日)、たまたま予定が空いたので朝、ふらっと裁判傍聴に行ってきた。
傍聴券が当たったのはほんと奇跡。
まあ大抵のことは、産経新聞の目黒女児虐待死、母親被告人質問詳報を読んでくれ(https://www.sankei.com/affairs/news/190905/afr1909050041-n1.html)
なのでここには記事には記載されていない事や記載されてても私の印象に残ったことを書いていこうと思う。
あくまでも私の記憶を元に私の主観も入ったものなので記憶違いや私の解釈による違いなどあると思うのでそのことを前提に読んでください。
結愛ちゃんだけを診ていたのかと思ったら、子育て支援ということで母親とも1時間2時間話すこともあったよう。
・自己肯定感が低く、私はバカだから、という発言が印象に残っている。(確かに、午後の被告人質問でも「バカだから」「バカみたいに」が多発)
・雄大被告から「太った女は醜い」と言われていて、食事にかなり気を使っていた。ご飯にこんにゃくを混ぜようかという相談をされた。そのため、栄養指導を受けるようにつないだ。
・過食嘔吐をして下剤を服用していると優里被告から言われ、精神科に繋いだが一回目だけで二回目以降に繋がらなかった。他の精神科も紹介したが行かなかった。
・優里被告の自己肯定感がとても低く、とてもパワーバランスの悪い夫婦という印象。(パワーバランスが悪いということを何度か言っていた。)
・被告は結愛ちゃんが大好きだったし、結愛ちゃんも被告が好きだった。食事も全部手作りのようだった。
・雄大が帰ってきたら出来立てを食べさせなかれない、お弁当をちゃんと手作りでしなければならないと~しなければならないという雄大被告からの脅迫観念が強い印象。
・子供を大切に思っており、冷たいわけではないが、子供と距離があるように感じた。どのように接すればいいのか分からないといった印象で病院では結愛ちゃんが片付けができたら褒めたり、ハイタッチをしたりしてどのように接すればいいのかということを見せたりしていた。
・結愛ちゃんが一時保護されたいと言われたさいに児相が一時保護をしなかったことについて、やはり一回分離をするとその後、どのように家庭に戻すのか、親との信頼関係やケアをしていくのか難しい面もある。私とは意見の違いがあるが理解はできる。現状の制度の中でできることをしていたと思う。
・離婚したほうが楽かもしれないという相談をされたことがある。ただ、やはり世間体や他の色んなことを考えてふんぎりがつかなかったよう。
・逮捕されたときに警察から「雄大の呪縛から解かないと」と言われ、最初なんのことか分からなかった。(警察でさえ、雄大被告の影響を認識してたのね)
・結愛が一時保護された際は、雄大被告がA4の紙2枚の受け答えのマニュアルを作り、全部読んで覚えろと言われた。その後はそれを取り上げられて使われてる熟語の意味のテストから始まり、ちゃんとマニュアルを覚えたかテストをされた。その後、雄大被告が不起訴なり、ほんとうに雄大被告のことを聞いてれば大丈夫なんだと感じた。
・雄大は女は小食のほうがいいと思っており、コンビニのお弁当を一個食べたさいに「女なのにありえない」と言われ、雄大の前で食事が取れなくなった。キャベツしか食べれなくなった。
・雄大の前でどうしても一緒に食べなければならないときは、半分だけ食べて、雄大に渡す。雄大は「お願いですから半分食べてくださいって言え」って言っていて、そう言うと喜ぶ。そして食べる。(私、ドン引き)
・精神科は、最初に行った際に過食嘔吐と下剤服用を伝えたら「驚かないから何錠飲んでるか教えて」って言われて、「2錠」と伝えると「なんだ。大丈夫だよ。すごい人はね、一回に30錠とか飲むんだから」と言われて、雄大から努力が足りないと毎日のように言われ、人間としても女としても母親としても認められてなくて、でも私は頑張ってるって思ってたけど、やっぱり雄大の言ってることは本当でこんな努力の足りない人間が精神科に通うのは恥ずかしいことなんだと思った。(号泣しながら)(お医者さんは励まそうとしたんだろうけど、伝え方って難しいね)
・ほかに紹介された精神科は少し遠いことなどもあり、行かなかった。(精神科医に行っても意味がないと1回目の精神科受診で思っちゃったんだね。)
・雄大に説教をされたあとに気持ちの切り替えが早いほうで、ニコニコしてると怒られ、真顔だと不貞腐れてると怒られ、泣いてても怒られた。
・結愛にも弟にも赤ちゃん言葉を使ったり、「喉乾いてない?」など聞くと子供扱いをするなと怒られ、ハグなども怒られた。
・雄大が結愛に怒ってるときに「ママにも謝れ」と言って、結愛を私に謝らせたさいに「私はそんなの別にいいよ~」というと雄大に怒られた。それから結愛は私にも謝ってくるようになった。
・結愛の食事制限が始まってからは、朝、まだ雄大が寝てる間にお風呂場で隠れて、前日の夜にカサカサと音がしないために分けておいたお菓子やドライフルーツなどを与えていた。
・結愛ちゃんと朝4時起きるようにと雄大被告に言われていたので起きたふりをしていた。起床時間は大体朝7時半くらい。
・東京に引っ越してから、朝、結愛と勉強をするときはテーブルにハンカチを敷いて、鉛筆を置く音などがして雄大を起こさないようにしていた。
・相談ができたとしたら唯一、両親かもしれない。ただ雄大被告が私の両親をバカにしており、お前みたいな両親が育てたからお前みたいなバカができたんだ。いつまでもすねをかじってるなと言われたから相談できなかった。
・結婚したときから、ずっと離婚したほうがいいのか悩んでいた。
・雄大被告に反論すると「専業主婦のくせに」「育児もろくにできないのに言い返すな」などと言われた。
・私は聞いた記憶がないのですが(最後は集中力が切れてきたので)、検察側質問「子どもは「おかあさん、お腹空いた」と言わなかったですか?」 優里被告「おかあさん、お腹空かないの、とは聞かれました」(参照 https://twitter.com/myksrkw/status/1169762734696624128)
【追記】
・結愛と一緒にお風呂に入るのは禁止されており、雄大被告がいないときにだけ時々一緒にお風呂に入ることがあった。
ネットでは、優里被告が雄大被告から精神的DVを受けていて、洗脳状態だったという主張に対して、千葉県野田の事件以降、子供が虐待死したら夫からの精神的DVを主張するのがブームなんじゃないか、責任逃れという意見もあった。
身の回りでも夫のモラハラなどを主張してる奥さんの話を聞いてみると、確かにあまり人の話を聞かない傾向がある夫だけど、奥さんの伝え方が悪かったり、前提となる価値観が違いすぎたりするだけで、モラハラというほどか??ということもあったりはする。
しかし、今回のケースは、少なくとも取り調べをした警察も弁護側も夫からの強い影響力は認識していて、実際に暴力や暴言、妻や子へのコントロールはあったのだと感じた。
私は身の回りに福祉関係者がそれなりにいたりして話を聞く機会も多く、どちらかというと、もっと行政にできたことはないか、矯正より更生が必要、制度があっても自分から助けを求められない人もいるから積極的に行政が出ていかなければとは思っている。
もちろん、今回も関係者はもっとできたことがあるのではないか、必要な制度改正もあるとは思っている。
今回傍聴していて、被告人は私バカだからと何回も裁判でも言っていたが、確かに裁判で熟語や質問の意味が理解出来ずに何回も聞き返していたりして、あまり頭は良くないんだろうなとは思った。
傍聴全体を通じて感じたのは、『ケーキの切れない非行少年たち』で書かれているような被告人の認知機能の弱さを感じた。ある程度、先を予想するというか。目の前のことでいっぱいになってしまうというか。今日の審理(9月6日)では死ぬとは思ってなかった。と言ったそうだが、本当に思ってなかったんだろうなと思う。
結愛ちゃんを大切に思っていたし、愛してはいた。だけど、その大切な存在のために自分がなにをすべきなのかちゃんと判断できてない。
そして、今回一番感じたのは安きに流れる性格というか雄大被告に流されるままみたいな被告人の性格を感じた。先ほど書いた認知機能の弱さと関連してくるのかもしれないけど。
最初に書いたように私は今でも矯正より更生が必要だと思ってるし、もっと現状の制度が良くなればいいと思う。
ただ、今回傍聴して、月並みな言葉だけど裁判で審理をしっかり行って、自分の行ったことを突き付けられたり、自分で振り返って後悔しないと形を変えてまた似たようなことを起こすんじゃないかと感じた。
そのためにはある程度、重い刑も自分のしたことを(やらなかったこと)をしっかり反省するために必要なんじゃないかと感じた。
今まで、類似ケースでこの人だってある意味、被害者。罰してもしょうがない。それよりも支援をと考えてたけど、自分の考えがすこし変わって驚いた。
今も優里被告もある意味、被害者だと思うし、支援も充実させないとは思うけど、本人にも変わらなければならないところはある。
ちゃんと変わるためにもしっかり裁判を行って、罰される必要があると思った。
もちろん、優里被告がしっかり反省するために雄大被告の影響もしっかり審理したうえで。
私が精神的DVにあったことがないと言われたらそれまでだけど。
・なかなか児相も親との関係もあったりして簡単には介入できないと再認識。ブログやTwitterで児相に子供を連れ去られたって騒いでる人たちは本当に結構ヤバいなと思った。
・傍聴希望者の数しゅごい。400人弱くらい多分いた。当選したのは奇跡。
・被告人、髪の毛とっても綺麗。天使の輪がある。まあ裁判用に黒染めしたんだろうからその効果かもしれない。逮捕時のほうが荒れてた。
・裁判所内はスマホの電波がとっても悪い。なんであんなに遅いのか。
・たまに証拠がプロジェクターで映し出されるが、文字が小さすぎて傍聴席からは見えない。
・裁判所内ではスマホの撮影禁止なんだけど、特に傍聴券抽選のあたりでは結構裁判所職員がしっかり監視。写真撮って消させられてる。
・報道席以外にも報道関係者がとっても多い。人を雇ってるんだろうなーと。自分の当選も一瞬売ったらいくらかと考えてしまった。でも聞いたら迷うから聞かない。
・法廷画家が3~4組くらいいた。みんなサラサラと書いて席を立っていく。鉛筆一本で縦線横線、線の太さ細さであれだけ表現できるのしゅごい。
・同じ日に青汁王子の裁判もあったらしく、報道関係者はそっちにも出入りしなきゃならないみたいだった。
・法廷画家は場合によっては、10分、5分、3分とか時間制限があるときがあるみたい。
・法廷内は電子機器の完全持ち込み禁止で金属探知機でチェックがあるため、報道関係者は一言一句全部ノートに手書き。それを10時から5時まで。傍聴券のために並ぶなら午前9時過ぎから。閉廷後も文字起こしとかあるだろうし。本当に大変だなと思った。(休憩もたまにあるけど。)
私自身の経験に基づけば、商品貨幣論は小さな集団では確かに成り立つ。
無論、歴史的な価値が生み出される経緯が商品貨幣論で説明できるとは思わないが、貝貨のように債券として機能しないものが存在していたことも事実である。
Twitterに書くには長すぎたので私の小学校高学年時代の経験を書く。
私が小学校高学年の時は珍消しゴムのトレードが流行っていて、各々の価値基準に基づいたレートで物々交換が行われていた。
香りのついた練りけしをはじめ、フィギュアのような消しゴムや、機能性押しの消しゴムも人気だった。
私は牛乳キャップを使ってコマを作るのが好きだったから、よく消しゴムを買っていってキャップと交換してもらっていた。
しばらくすると牛乳キャップには何枚かで消しゴムと交換可能な程度の価値があるという認識が学年中に広がった。
交換用に消しゴムを買うのにもお金がいるので私は作ったコマを牛乳キャップ何枚かと交換しだした。
私のコマは人気で、私がより多くのキャップを欲したこともあり、一番多いキャップを出した人とコマを交換することにした。いわゆるオークションである。
ところが牛乳キャップの入手手段は限られていたため、入札額にも限度がある。
すると持っている珍消しゴムを売りに出す人、新しいコマを買うために古いコマや作ったコマを売る人が現れ、牛乳キャップが珍消しゴムと交換する以外の価値を持つようになった。
元々コマに興味が無く、消しゴムに飽きた女子は好きな男の子に牛乳キャップを独占的にあげたりしていた。
しばらくすると、コマや消しゴムを牛乳キャップの形で保持する人が出始めた。学年内に流通しているコマや消しゴムは目新しい物の価値が高く、古くて見飽きた物は価値が下がる傾向があった。つまり飽きたなら価値があるうちに牛乳キャップに交換して持っておく方が良い。そうこうする内に消しゴムやコマのブームは去り牛乳キャップは交換券として機能しなくなったが、価値あるものと交換した牛乳キャップは誰も捨てなかった。
この時点で牛乳キャップそのものが貨幣価値を持ったように思う。
月日は流れ、自作カードのブームが来た。担任が自分で作ったカードなら学校で遊んでも良いという発言をしたためである。
UNOを皮切りに遊戯王やデュエルマスターズなど当時はやっていた各種カードゲームを学校で遊ぶため、私含め工作好きな2、3人がパックを手作りしてキャップと交換した。
トレーディングカードゲームの類はある程度枚数が無ければデッキを組む楽しさが味わえないため、かなり苦心してカードを大量生産した。パックで出たデッキに不要なカードはやはり牛乳キャップでトレードされ、各々デッキをくみ上げていた。なお、肝心の私は自分のデッキを顰蹙を浴びない程度に自作できるので、得たキャップの使い道は殆ど無かった。
またしばらくしてカードゲームに飽きた私は、パックを作りつつも今度はルーレットを始めた。キャップ工作が廃れ、毎日給食から供給されたことで大量に増えて消費先のないキャップを、大量に消費してやろうという考えだった。段ボールと画鋲で作ったルーレットでも中々中毒性があり、はまる人が出てきた。
大量にキャップを持っていた私はルーレット一回につきレートに応じたほんの少しの手数料を取って、掛け金の合計から足りない分は自分のキャップを出すという形にした。これが恐ろしい発明だった。ルーレットは全員負けることが少なくない上に主催者である自分は絶対に一定の手数料が入ってくる。キャップは消費するどころかどんどん増え、ジャンキーたちの要望により高レートルーレットの開催が増え、さらに儲かり、顧客は借キャップをし始めた。高利貸しや融資を募る人、親が儲かることに目をつけてカジノを始める人が発生し、授業の合間の休憩時間の教室は狂気のカジノだらけになった。
このあたりは最早脱線しているが、要は最初は消しゴムの交換券でしかなかった牛乳キャップが消しゴムトレード文化の衰退に伴い、消しゴムの価値を吸収し、それ自体で価値を持った訳である。
さらにカジノという、価値を物の購入以外で消費する文化が発生したことで、価値の維持に消耗品が必要なくなった(消しゴムやコマは消耗品なので、交換券としてのキャップが価値を持ち続けるためには常に新しく消しゴムかコマが存在する必要がある)。
つまり結果として、物々交換➝金の交換券としての兌換紙幣(貨幣)→金との交換の保証が不要な不換紙幣(貨幣)と商品貨幣論が実践されたように見える。これが私の経験である。
小学生程度の知性でこのありさまなので、当然長い歴史の中で小さなコミュニティにおいて商品貨幣論的過程で貨幣が価値を持つことは十分に考えられる。貝殻には装飾といった需要があったことを考えれば、貝貨が牛乳キャップ的過程で普及してもおかしくはないだろう。商品貨幣論でよく説明される金が扱いづらいから兌換紙幣が生まれたというような説明を用いずとも兌換紙幣が発生しうるという話でもある。
余談:
・毎日給食で供給されるキャップがあるにも関わらず、過度のインフレが起こらなかったのは、私のような銀行的振る舞いをする人やため込むのが好きな人がいてキャップをため込んでいたからである
・カジノ時代になると、資金が付きそうになったギャンブラー銀行家が他人の預金を使ってギャンブルをしたため、微妙に信用創造的なことも行われていた
・高利貸しがいる以上破産はするが、破産者には多少恵んでやるという暗黙の了解があったため、破産しても1、2週間程度で復活できた
https://togetter.com/li/1389079
やっとこういう内情が出てきたか、という感じ
20年以上コミケに行ったり行かなかったりしているが、電車男のあたりくらいからか、かなり規模が大きくなり、いろいろ無理があると思い始めている
スタッフも歴戦の勇者であり、あの規模をボランティアで廻しているのはすごいと思うが、だが、20年前の、正直オタク以外に趣味があり、コミケ以外
にオタクがまともに扱って貰える場所がなかった時代と比べ、スタッフの意識は全然違う
昔のコミケ参加者、スタッフにとって、あの場所は「普段迫害されている自分たちが唯一後ろ指指されずにいられる場所」だった。そこを守るためにスタッフ
今はコミケに行かないオタクも多いし、オタクが昔ほど迫害される時代でもない。コミケで買えなくても通販網が整っているので本も買える
二十年頑張ってきたスタッフは年も取り、体力もなくなり、自分たちの声が上に行かないことに絶望し、こうして止めていく
若い人は激務を知っているのでなかなか参加したくない。もうボランティアの報酬を上げないことには人は集まらない
スタッフ不足で開催できない日がいつか来るかもしれない
今回で終わるPRESSや、紙のカタログ等、運営の出す物には昭和臭がある。
それはそれで手作り感があってよいものではあるが、運営が米沢さんから変わって、基本的な方針は受け継がれているとは思うが、重鎮化しすぎていることと、
彼らの高齢化により、今のオタク界のニーズをどこまで取り込めているか難しい
今回だって、運営3人衆はどこまで下の事情を分かっていたのだろうか。当日彼らがスタッフに混じって汗をかいてあれこれするわけがない
20年以上も繰り返され、ボランティアスタッフは言えば動く駒のような物だと無意識に感謝の心も忘れているのではないだろうか
だからといって、全然違う人がトップになるとこれはこれで今までのコミケはなくなるだろう。それが毒薬で一気に消える可能性もある
難しい
数年前、オリンピックで開催できないかも、という話が来たときから、周囲の古参オタクがよく言っていたが、
無理して開催する必要があるのか。会場をわけたり落選率を上げたり、日程を増やしても現場が苦労するだけだ
「休めばいいじゃないか。それで金を稼がないと生きていけない営利企業でもないんだから」
しかし、今回も次回も、超無理矢理に会場をわけ、日程が増え、一般から金を取り強行されている
今回のトラブルを見るにつけ、「だから無理して開催すんなよ」としか言えない
企業なら分かるが、儲けはない、有志の集まり、ボランティアだ、と言うのであれば、無理して開催する必要はないのだ
なのに来年も5月に廻してまで強行する予定であり、そこにはコミケオタク業界で生きている人たちの利権が垣間見える
もう大きくなりすぎて、停止することで倒産するかもしれない印刷所等のしがらみがあり、止められないのだろうと思う
結局はこれだ。
最終的にこれなんだと思う
大規模化してしまったことにより、もうコミケ上層部の一存で止められるイベントではなくなってしまい、その規模になったら当然経営の透明化
も必要であるのだが、ボランティア、営利企業でない、のお題目の下に収支は一切不明
それでもここ以外に息を吸える場所がなかったオタクばかりの昭和時代では見逃されていた物の、令和となり、オタクもそれなりの知名度と立場
を持ってしまった現状では、コンプライアンスにメスが入るのも仕方がない
時間 | 記事数 | 文字数 | 文字数平均 | 文字数中央値 |
---|---|---|---|---|
00 | 62 | 10715 | 172.8 | 77 |
01 | 47 | 6405 | 136.3 | 46 |
02 | 29 | 8069 | 278.2 | 60 |
03 | 16 | 3071 | 191.9 | 47.5 |
04 | 10 | 2569 | 256.9 | 45 |
05 | 26 | 2088 | 80.3 | 44 |
06 | 15 | 1028 | 68.5 | 44 |
07 | 32 | 7320 | 228.8 | 66 |
08 | 89 | 12772 | 143.5 | 30 |
09 | 152 | 9812 | 64.6 | 33.5 |
10 | 120 | 9832 | 81.9 | 33.5 |
11 | 153 | 17203 | 112.4 | 53 |
12 | 161 | 21010 | 130.5 | 62 |
13 | 181 | 16353 | 90.3 | 49 |
14 | 163 | 11344 | 69.6 | 32 |
15 | 205 | 14115 | 68.9 | 36 |
16 | 200 | 12946 | 64.7 | 29 |
17 | 158 | 10620 | 67.2 | 29.5 |
18 | 129 | 11384 | 88.2 | 34 |
19 | 141 | 10150 | 72.0 | 38 |
20 | 129 | 14425 | 111.8 | 40 |
21 | 179 | 13660 | 76.3 | 32 |
22 | 127 | 10094 | 79.5 | 30 |
23 | 133 | 13876 | 104.3 | 49 |
1日 | 2657 | 250861 | 94.4 | 39 |
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弁当代に1日500円かけるとしたら、22日で11000円だなぁ。うちの近所の学童保育は月に5000円くらい(夏休み8000円だったかな?)だから、たぶん弁当代だけでそれくらいの請求したらキレる親続出だ。
しかし、そもそもそんなに真面目に弁当手作りしてる親なんかそんなにいるのだろうか。ご飯と自然解凍OKの冷凍おかず適当に詰め合わせるくらいでいいのに。
仕出しでいいだろな意見が多いけど、
学童利用者って異常に高い水準を当たり前のように求める人いるんだよね。
何せ子が0歳の頃から保育園で施設内で手作りで作りたての栄養満点の食事を安い金で提供して貰って当たり前、と思って6年間過ごした人たちが多いから。
なので小学校に入った途端、「親が自分で弁当作るか買ってくるか仕出し弁当かと言う選択肢しかないぞ」と言われると激しい拒否反応を起こす。
何で保育園時代と同じように安い金で手作りの栄養満点の食事提供してくれないの!?仕出しなんて子供に食べさせたくない!!となる。
自分は子供の飯を自分で作る気も金出す気もないけど税金でいいもの食わせて貰って当たり前、になってしまう。
学童で手作りのおやつ出せと言っていた人たちの話があったけど、あれも同じ理由からなんだろう。
小学生で毎日手作りのおやつ食べてる子なんか、もし親が自力で用意するなら相当裕福かつ余裕があって意識高い家庭でない限りあり得ないだろうに、
保育園だと毎日手作りのおやつ食べさせて貰えて当たり前だから、それが最低限の基準のままとなってしまう。
要は保育園の水準が高すぎるんだよな。