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2020-02-11

両親が不仲だった自分語り

02/13 23:36 追記ちょこっとしました。

床屋勤務だった父に、美容院勤務だった母はハワイ旅行中に出会い結婚したらしい。

物心がついたころにはもう父と母は不仲だった。父は仕事休みがちで、私が小学生低学年の頃にはもう職場転々としていたのを覚えている。

つの職場に留まらず、職場を変えるものからもちろん給料も上がらない。父と母は夜な夜な電話口や居間喧嘩していた。

それは深夜だった時もあるし明け方の時もあった。長いことアパート住まいで横にも上にも寝ている家があるのに家に居る母は金切り声を上げていた。

でもほとんどがお金問題で、まだ小学生自分にはできることが無いことが分かっていたので家の手伝いをして、3歳年下の妹の面倒をよく見た。

父が仕事から帰ってくるとき帰りは母の車の迎えを頼んでいた。母はまだ小学生の私と幼い妹を乗せて車で最寄り駅まで父を迎えに行く。

その車の中でもお金の話で揉めていた。

夏のとある日、いつものように父を車で迎えに行った時に自販機で何か買う?と母が私に聞いてきたが私はペプシが欲しいとはその日言えなかったのを今でも鮮明に覚えてる。

両親を困らせないようにいろんなことを毎日考える日々が続いてた。

今も昔も趣味ゲーム。私が幼稚園の頃テレビの下スーパーファミコン仕舞ってあるのを見つけて以来ゲームの虜だった。

コンポジットケーブル繋ぎ方を覚えてひたすら「スターフォックス」の1面を遊んだ。これ一つで随分と長いこと遊んだ

小学生になって私以外にもゲーム好きな人が沢山いることを知り、お家によくお邪魔して遊ばせてもらった。

父は気まぐれにゲームを買ってきてくれた。

F1 RACEhttps://youtu.be/-isADihL65Y とか「役満https://youtu.be/H-Nc1_9bXpQ とか。

でもスターフォックスの次にハマり込んだのがゲームボーイカラーで出た「ポケットモンスター銀https://youtu.be/Lfy93rW7zRs だった。

幸い、テレビさえ占拠しなければ父と母はゲーム理解を示してくれており、妹と一緒にゲームボーイカラーの画面をよく覗き込んだ。

ただ、その間にも父の帰りが遅かった事を責めたり、やはりお金の話で父と母が声を荒げる日が続いていたので、もうゲームソフトを買ってもらえるなんて無いんだろうなとポケモン銀を手にしたとき思った。

小学生にもなると、友達が増え色んなことを知り、考えることが増え、自分と友人の違いをよく知ることになる。

私はある日ゲームボーイカラーのソフト、「ポケモンでパネポン」https://youtu.be/yYfZPb4nqa4 (以下ポケパネ)を友達に遊ばせてもらった。

パズルゲームスーファミで家にあった「マジカルドロップ2」https://youtu.be/NN5JIwbNG1U を遊んだことはあったけどそれ以上の爽快感で遊べたポケパネは衝撃的だった。

どうしてもこれを家でも遊びたい。でもゲームソフトをせがむのは両親を困らせる。また今夜パパとママ喧嘩するかもしれないし、普段よりもっと大きな喧嘩になるかもしれない。

その時小学生ながらにとった手段は『友達から盗む』だった。うまいこと友人からポケパネを盗み、買ってもないゲームを遊んでいるのがばれるとまずいからと、家では音量を消し

放課後には公園で一人でポケパネを遊んだ。でも親は子を見ている。買ったはずのないゲームソフト気づき、ひどく怒られ、翌日友達へ返すくだりとなった。

その時、今となってはどう思ってそんな発言をしたのかも覚えていないが確かに私は言った。

「返すの?友達は盗まれたこと気づいてないよ?」

母は泣いた。でも私は両親に負担をかけずにゲームソフトを手に入れる純粋手段として盗みを働いたつもりだった。

盗みはダメだと諭され、母と一緒に友人の家に行きソフトを返した。友人は特に気にした風もなく、小学校卒業するまで一緒に遊んでくれた。

夜な夜な喧嘩が続くが中学生になってある日突然、父がマンションを買った。

正直当時は驚きのあまり意味が分からなかった。お金ないんじゃなかったのかな。どこかで貯めてたのだろうか。大人になるまで、ずっとこのアパートで過ごすのかと思った。

引っ越ししてマンションに住み始め、落ち着いてきたあたりで

とうとう父は働かなくなってしまった。

マンション引っ越し中学生になった私と小学生の妹はそれぞれの部屋をもらったが父は妹の部屋に入り浸った。

妹のベッドで眠り、昼食に袋麺を食べ、また妹の部屋で引きこもる。妹は母と一緒に和室で眠った。

あっという間に妹の部屋はたばこ臭くなり、ベッドの布団はぺたんこになった。

母は時短で働かせてもらっていた職場をやめて夜勤も挟みながら働くようになった。夕飯を作るのも私と妹で作るようになった。父の分はない。

初めて作ったのは野菜炒めだった。今でも覚えてる。切って洗った野菜を炒めるのに油が跳ねて妹と大騒ぎして、父に怒鳴られた記憶がある。

ほどなくして車で買い物に出かけた帰り、マンション駐車場で母が助手席に乗る妹と後部座席に乗る私に向かって「ママ、パパと離婚することになったの」と言った。

私はまぁ、そうなるよな。と思った。驚くべきことに部屋を占拠されていた妹は泣いた。

そうして私と妹は母に引き取られ、マンションと父を残して出て行った。

家庭裁判所に行った。家庭裁判所の人は私と妹が望めばいつでも父と面会できる旨を伝えてきた。

でも私達から望んで面会を申し出たのは今までで一度もないままだ。

養育費は二人分。私と妹が高校卒業するまで。その養育費最初の2ヵ月払われて、それっきりだった。

私と母と妹はアパート住まいに戻った。

私は高校生になった。アルバイトをはじめ、携帯代は自分で払い、月にいくらか家に入れ、欲しいもの必要もの自分で賄った。

たまに妹を連れて原宿かに連れて行ったりもした。

アルバイトというのが地元ショッピングモールに入っているラーメン屋だったのだが、オーナー社員おっさんにとても良くしていただいた。

絵を描くのが好きと知れば誕生日画集画材を頂き、美味しいものもたくさんごちそうになった。


ある日、自分で夕飯の買い物袋を両手に下げてアパートに帰ってきたときなんだか急に悲しくなって声をあげて泣いた。

私以外にも高校生で、両親がいない中買い物袋を提げて帰ってくる子もいるだろう。

でもなんだか理不尽さと寂しさとどうしようもなさ、あとはなんで私がこんな環境にいるんだろうという気持ちで家に母と妹がいないことをいいことに、両手に買い物袋を提げて立ち尽くしたままうわーんと泣いた。

本当に「うわーーーーん」だった。


私は高校卒業したら就職するつもりだった。(ちなみにこの時はまだ養育費が払われているものだと思っていた。)

母に高校卒業したら就職する。と言ったときの母のあの喜んだ顔は今でも夢に出るほど覚えている。

スーツ用意しなきゃねとも言った。

高校卒業したら就職するんです。とアルバイト先のおっさんにも言った。

そうしたらそのおっさん「あのさあ、人生よくやり直しが効くとかいうけどそんなことないよ?」と言い出した。

どきっとした。

わがまま言ったらいろんなものを困らせると思って黙っていたことがむき出しにされた気がした。

勉強したいことがあるなら今のうちだと思うんだけど」

ゲーセンで知り合った友人に相談した。その友人は通っている専門学校デザイン学科があるよと教えてくれた。

資料をもらって穴が開くほど眺めて悩んだ。そして母に言った。

「ごめん、就職したいと言ったけどこの学校に通って勉強がしたい。2年制でいいから、通わせてほしい」

その時の母の落胆した顔も覚えてる。この顔も良く夢に出る。

それでも母は奨学金手続きを一緒になってしてくれて、無事私は専門学校デザイン勉強をすることができた。

2年制だったから、うんと居残ってphotoshopillustratorを覚え、プレゼン勉強をして、就活を終えた(新卒で入った会社がクソブラックだった話はまたどこかで。失せろクソ会社


もちろん、あれからバイト代が入ればちょこちょことゲームを買い、ゲーセン音ゲーでも格ゲーでも遊んでいたのだが

無事社会人として安定してきて、switchスマブラ友達と遊んでいた時の事。

友人と二人でいろんなキャラオンライン対戦で遊んでいた時、5連勝くらい続いたあたりで

「なんか勝ち続いちゃってる。」としれっと攻撃を食らったりアイテム取り損ねたりして手を抜いてしまった。

これは高校生の時よく遊んだスーパーストリートファイターⅣ」でもかなりの頻度で起こった事象だった。

格闘ゲームで遊ぶ以上、ミスも弱さも自身のせいというのが基本なのだが、勝ち続けて嫌われたくない、気分を不快にさせたくないと

幼少の時に培った「相手のご機嫌伺い」が発動してしまって対戦ゲームでなかなか気持ちよく遊ぶことができない。

ご機嫌伺いはゲームだけでなくいろんなところで作用し続け友達は本当に少なく、それなのに変に性格明るい人間になってしまった。


なんでもかんでも両親のせいにするつもりはないけど、子は親を選べないし、ここまで女手一つで育ててもらった母には感謝もしているけれども

なんであんな男と結婚したのか、なんで喧嘩するくらいなら生んでしまったのかとこの間ちょっとノイローゼになったとき思っちゃった。おわり。




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今。妹は素敵な旦那結婚して1児の母に。もうすぐ2人目が生まれる。姪っ子にはクリスマスぽぽちゃんベビーカーポポちゃん用のエルサの服をプレゼントした。

妹は育児四苦八苦しながらも旦那、姪っ子と部屋を飾りながら私の手放しに楽しそうに生活している。

私は一人暮しのため住んでいたアパートを出たので母は久しぶりの一人暮らし満喫し、フラダンスにハマった。

父はしらない。

>うちは早くに見切りをつけて子の物心つく前に離婚して一人で育ててるが、金銭心配はなく楽しく二人暮らしのつもりが、子がこんな思いを抱えてたらどうしようと思った

金銭的な事情きっかけに過ぎず、みんなが当たり前に持っているものが私達にないというこの状態こそが、買い物袋をぶら下げて立ち尽くしてしまう最大の理由なので、出来る事なら子には友人や人とコミュニケーションがたくさん作れる・取れる環境を作ってあげるのが大事だと考えてる。

その環境さえあれば、足りないものは徐々に補えるようになるはずで、そうなるように出来ている。

今思えども急にマンション買った下りは本当に意味不明で笑っちゃう

まぁ多分、良い暮らしをと思ってマンションを買ったのだろうけど良い暮らしはそこに無かったと言う訳。

>お母さんのリアクションが、逆ではないんだね

私達と真逆環境に居た人ではあった。

>落ちがないのがなんかい

落ちてないから落ちがない…という落ち…

たくさんの人に読んでもらえてたくさんの人に文章を褒められて嬉しい

ありがたや

2019-12-08

anond:20191208093947

俺らの時代がいつかは知らないけど、バブルの時なんかだったら就職前に会社ハワイ旅行に連れて行ってもらえるとかざらにあったらしいね

単に簡単になれるから価値が置かれないってことだと思う。とはいえ他の選択肢もなかっただろうけど。ネットも発達していないような時代だし

2019-12-02

anond:20191202234846

おまえが念願のハワイ旅行にいって空港テレビ局につきまとわれるとなったら相当利益がないかぎりバックレるだろ

しろ全員即OKってなったら仕込みだろうなとおもうし

実際100円ショップグッズもって外国におしかける番組はほぼ現地コーディネーターに依頼ずみの仕込み家族ばっかじゃん

2019-09-29

陸軍斥候ごっこをして上司から怒られた話し

仕事中にふざけていたわけではない。他体力仕事だが長時間労働の色々とキツイ職場であった。だがバイトから社員の昇格があり更に2、3人だかバイトさんを使える立場になったため変にやる気が上がり辛い仕事でも続けていた。

だか俺増田は辛いのでなんかやらかすのであった。例えば朝自宅で着替える時にダラダラ着替え「レジャーだ!」とか言い出してハワイ旅行に行ったような気分を味わっていた。

そんな異常に加えて昇格したら休みも少なくなり仕事スピードを求められもうカレーの辛さも倍増しまくりで事件は起こる。

早朝出勤だともう眠いので朝ダラダラと歩いていた。もう歩きながら眠るレベルであり排水溝に足をツッコむ事もあった。

そんな冬の日だから自分八甲田山雪中の陸軍斥候だと妄想し奮い立たせ「犬死するな!鬼畜米英!」と厨二気分でフラフラ行軍した。業務スピードノルマはあるが通勤速度ノルマはない、遅刻しなければ良いのだ。ルールに厳しい職場だが通勤うんたらは干渉しない所であった、多分。だがだが、それが悪かった。

なんか知らんが上司に見つかったらしい、それかアメリカ軍スパイに見つかったのだろうか?詳細は知らんが怒られた。常識外のフラフラだと当然怒られだろう、当たり前だ。こうして陸軍斥候ごっこをして上司から怒られたわけである

あといい大人が歩きながら寝ると危ないしみっともないから辞めるべきである。異常な発言ですまないが、以上である

2019-09-07

女子校時代に出来なかった片思いの恋バナを5年経った今だから

私は中高が一貫の女子校で、その間ずっと恋する乙女だった。恋した相手の数は4人。すべて片想いだった。それでも楽しかった。しかし女でありながら女の人を好きだと言うのを周囲にバレるわけもいかず、恋バナなんてしたことがなかった。高校卒業してから何年も経ち、多くの友人は共学の大学に通うようになったり、バイト先や職場で新しい出会いがあるらしく、日々好きな異性のことを沢山話してくれるようになった。聞いていて楽しいけれど、自分も中高の頃隠さずにこんな風に片想いの話を彼女達と共有できていたらさぞかし楽しかっただろうなと思うので覚えている思い出を放出する。前置きが長くなってしまって申し訳ない。とても長い内容のうえに素人文章なのでご注意

中学の時に好きになったのは、同じ陸上部の三個上のA先輩だった。一年生でまだまだガキだった私はそれが恋とは知らなかったけれど、校内で見かけるたびにドキドキしてしまうのでうまく挨拶ができなくて先輩方に叱られた。一年として学年全体で怒られた後に、私に「うちらも怒りたくて怒ってるわけじゃないよ。悲しまないでね。現状を良くしたいだけなの」とフォローしてくれた。一年は居残り時間が30分短く、先輩よりは下校時間が早くて一緒に変えることはできなかった。何かと理由をつけて部活後も校内に残って待ち伏せしたけど話しかけることはできなかった。きもいな。恋だとはわからないままでも自分はすごく乙女だった。部活の汗の匂いが気になって近寄って欲しいけど近寄れなかったり、少しでも可愛くなりたくてスキンケア用品もお小遣い貯めて買ってみたりした。(とはいっても洗顔料化粧水だけ)。部活中は一つ結びしか許されていなかったから、無礼講の部内クリスマスパーティでは髪型を少し変えて気づいてもらえるか試したりした。気づいてはもらえなかった。

中2の時に好きになったのは当時仲が良かった友達Bちゃん体育祭の時に疲れた愚痴ると膝枕をしてくれた。その子自身は体育の男性教員が好きだったからいつも胸がモヤモヤしていた。夏休み家族ハワイ旅行に行った時に友達用にお土産を大量買いしたけれど、彼女にはちょっと特別ものを他の子にバレないようにあげた。その時の笑顔が忘れられないほど綺麗だった。でも恋だとは自覚しないまま終わった。

高一の時に好きになったのは同じクラスのcさんだった。すごく仲がいいわけでもなく、勝手に好きになっていた。席替えで隣の席になれた時にすごく嬉しくて、夏休みに入る目前、恋だと自覚した。自覚してしまうといろいろ早くて(思春期なのもあって)キスしたい、ハグしたい、裸で触れ合いたいとか思うことが増えたけど、そんなことは顔に出すわけにはいかない。夜1人で妄想して、朝になったら忘れて何事もなかったかのように隣の席に座った。挙動不審にならないようにわざと冷たく当たってみたりもした。それでも彼女は優しくて、廊下とかですれ違っても「よっ!」と肩を叩いたりしてくれた。久しぶりに私からしかけると、「やっと話しかけてくれた…無視されて辛かった」と言ってくれたけれど、彼女のそれが恋愛感情からくるものじゃないのは明らかだった。誰にでも優しくて、他人に注意を払うのがとてもうまかった。夕暮れで視界が悪いのに下校途中で私に気づいて手を振ってくれるのはすごく嬉しかった。

高3になってもcのことが好きだった。毎年クラス替えがあったけれど、また同じクラスになった。すごくすごく辛かった。クラスの中心的なその子と話す機会は減った。でもまた奇跡的に隣の席になれた。天にも昇る心地だった。脳内お花畑だったからこれはもう運命では?とさえ思った。調理実習で作ったクッキーを食べて欲しかったけど、スムーズに渡せなくて、席が近隣の子達におすそ分けって苦しい名目で周りに配ったら別の子Dに全部食べられてしまってCの手に渡ることはなかった。Dには怒りが湧いたけれど「美味しかったご馳走さま」と言ってくれたので許した。

しばらくして漫画みたいな出来事が起こった。Dが同じ町内にひっこしてきた。歩いて五分くらいの距離に。私の高校私立で、近所に同じ学校の人がいるという感覚がこれまでなかったので純粋に嬉しかった。これによって謝恩会の準備や話し合いが放課後に近所でできるようになって純粋に楽だった。実は、もともとDの印象はすこぶる悪かった。Dは中3のとき、離れ離れのクラスになったBが新しいクラスで仲良くしていた子だったから。当時Bが好きだった私は勝手にBを取られたような気でどうしてもDを好きになれなかった。

高3になるとみんな受験で忙しくて、委員会なんてする人はいなくなった。でもクラスに必ず数人いなくてはならない卒業式後の謝恩会委員というポジションがあった。これがなかなか決まらないため、ホームルームが終わらない。Dが一緒にやろうと言ってきた。お前は受験はいいのか、と思いながらほかに立候補者もいないし、なんとなくすることにした。私のクラス私たち2人だけだった。謝恩会委員はやることが意外に多くて、Dの受験純粋心配になった。私はAO推薦でほぼ確定だったので積極的作業していた…と思う。ある日、Dの分である作業をなんとなく勝手に進めているととても感謝されて腰のあたりに抱きつかれた。cの前だったから恥ずかしくて腕を振りほどいた。CとDは髪型がとてもよく似ていた。うちの高校キリスト教だったので、全員強制参加の式典が年に何度かあった。秋のある日の式典で、私はどうしても暇でCを目で追ってしまった。それに偶然気づいたDが小さく手を振ってきた。お前じゃない、と思いながらも実はちょっときゅんとした。

ある日の放課後雑談をしながら謝恩会作業中、何気もなしに部活の後輩が好きだったことがあると言ってきた。とてもびっくりした。自分女子校内で片恋ばっかしている人間だったけれど、それを他人に話すということが異文化すぎた。気が動転してそれからしばらくはDのことを避けてしまった。

冬になってまた別の校内式典があった。それは義務ではなくて、行きたい人が行くものだった。99.9%の人が大学進学を希望するのでクラスの中では本番の迫る受験のために欠席する人、気休めと文字通り神頼みのために参加する人の二分だった。CもDもとても頭が良かったから参加するかどうかなんとなく気になった。Cは来ないというのを教室内の会話で知ってがっかりしたが、Dは来ると言っていた。なぜかとても嬉しかった。もしかたらこれが終わって三学期になれば自由登校で友達に会えなくなるからかもしれないと勝手に納得した。

それからしばらくしてDに放課後に呼び出された。理由は私が避けすぎたためだったらしい。Dは私が最近は目も合わせてくれないと言って泣いた。とても驚いた。避けている自覚はあったけれど目を合わせていないなんて自覚はなかった。だから今度は目を見て話を聞こうと思った。でも出来なかった。そこで初めて私はDが好きなんだと自覚した。目を合わせられないのはあの有名な歌詞通り、見つめ合うと素直におしゃべりできないからだった。急に恥ずかしくなって帰りたくなった。でも帰ったら一緒にいられないと思うとどうすれば良いのかわからなくなって、とりあえず適当に謝ってから家が近所なこともあって一緒に帰った。

謝ったと言ってもそれでまたDとおしゃべりなんてできるようになるわけがなく、言いたいことは全部紙に書いて伝えるようになった。本当に恥ずかしくて会話ができない。でもDと交流したい。Dは手紙にして返事をくれたりした。とても嬉しかった。それから冬休みに入って、三学期になって学校に行くことがなくなっても手紙のやり取りは双方にとって近所の公園に貼り付けるという約束になって続いた。

バレンタインになった。何か渡したいけれども渡す時間を取らせるのも申し訳ない。公園手紙と一緒に食べ物を置くのも憚られる。代わりに手作り学業成就のお守りを使って置いておいた(重い上にキモい)。お世辞だろうとも喜んでくれた旨が手紙に書かれていた。嬉しくて家でニヤニヤしていたら家族キモいと叱られた。

その後、彼女第一志望の受験前日は3つも神社をお参りしてクジを引いたら大吉だった。うれしくなって、おみくじのことと、明日受験頑張れと書いた手紙を貼った。結果発表の日が過ぎてもDから連絡は来なかった。催促するのもよろしくないのでそれから次の登校日まで待った。

合格者発表から日経った次の登校日、学校に行くとほぼ全員受験ストレスから解放されていた。教室ではDが他の子達となんと恋バナをしていた。他のクラスメートたちが、受験期中に同じ塾の男の子相手に密かに恋をしていたこととかを話していた。D自身はどうなんだろうか、不安になった。聞きたいけど怖くて聞きたくないので「いいなぁ楽しそう。もっといろいろ聞かせて?」と他の子に聞いた。するとDが「じゃあ〇〇も恋バナすればいいじゃん。好きな人いないの?」と聞いてきた。胸がとても痛かった。その日のうちにD本人から、実は第一志望に合格していたと聞いた。嬉しかったけれど、どうしてすぐに伝えてくれなかったんだろう。そんなこと話す間柄とすら思ってもらえてないのかと、また胸が痛くなった。

卒業式の帰り、謝恩会も無事終わり、クラス打ち上げ解散に近づいた頃、Dに、今日は一緒に帰ろうと言ってもらえた。とても嬉しかった。私の大学地方だったから多分これがDに理由もなく会える最後だと思うと泣きたくなった。帰り道は何も話さなかった。誤差の範囲だけれどDの家に先についた。お別れの時だ、と思ったら、Dがマンションの共有スペースまで上げてくれた。一緒にケーキを食べた。告白するべきかしないべきか、すごく悩んでケーキを食べ終わってもずっと無言で泣いてしまった。Dは私が何かいうのを待っているようだった。その時、母親からもう帰って来いと電話が来たので仕方なくさよならを言った。Dは地方でも頑張ってと応援してくれた。私は泣きながら短い距離を帰った。

本当のところはわからないけれど、おそらくDは私がDを好きだと気付いていたんだと思う。でもわたしには告白する勇気もなければ、このあと地方自分は行くのに、Dが大学彼氏を作るのを見ているのは辛くて無理だった。大学に入ってしばらくして、私は、自身では記憶にないが飲み会で盛大に酔っ払ったらしく、ライン電話でDに泣きながら告白していたらしい、というのは飲み会に参加していた別の友人に聞いた。Dのリアクションはわからない。電話口だったので私にしか聞こえていなかったし、私本人が酔って忘れてしまった。そのうち、私が1回目の帰省をする頃には風の噂でDに年上の彼氏ができたことを聞いた。私は泣いた。多分もうDとも関わることなんて、同窓会以外ないだろう。私はいつまであの時に囚われているのかわからないけれど、あれ以来人を好きになったことがない。もう22だけれど、中高で経験した以上の恋愛ができる気がしない。それでもいいと思っている。後悔もない。充実した青春だったし。これが私が学生時代、仲の良かった友人としてみたくても出来なかった恋バナの内容。

2019-07-17

新婚旅行から帰った夜

1週間ほどハワイ旅行に行ってきた。新婚旅行だ。

時差は19時間だが、実用的には5時間違うと思っておいて良い。

ハワイから日本に戻るときは、5時間だけ昼間が長くなる。

飛行機の中では時差ボケ解消のために寝ずに起きていて、夕方日本についた。

余分な年休は取らずに明日から仕事だ。

新婚旅行に行かない/行けないカップルがいるのも知っている。行けるだけありがたいと思っている。

金はともかく、休みをもらえたのは本当にありがたかった。

休みの間は、上司が代わりに働いてくれることになった。

休みの間は一切仕事を忘れていいから」と言ってくれた。ありがとう上司

行先は嫁の希望で決まった。

嫁は英語が一切わからないというので、多少なりとも日本語が通じる場所が良かったらしい。

テレビハワイおすすめスポット紹介みたいなのを見るたびに、

どーせ楽しんでるのは撮影してるお前らだけじゃねーか、とかよく分からないひねくれた思いが頭に浮かび、

正直期待もしていなかったけど、想像以上に楽しい場所だった。

クアロア牧場は本当に良かった。素晴らしい景色を眺めることができた。ステーキハウスの肉もおいしかった。

海水浴に行ったら一瞬だけだけどウミガメを見ることができたし、バスの中から虹も見れた。

ウミガメを見たら幸運なことが起きるらしい。記念にウミガメキーホルダーを買った。

成田について、電車に揺られて家に着いた。

嫁とほっともっと弁当を食べ、眠くなったので、仕事に備えて22時くらいに寝た。

夢を見た。

俺は誰かを謀殺したらしく、警察に追われていたが、そんな中で俺はゲームセンターに立ち寄った。

俺がゲームセンター10人くらい並んで椅子に座って楽しむゲーム競馬ゲームみたいなの?)に座ってゲームをやっていると、

誰かが隣に座って寄りかかってきた。

誰かと思えば、少し呼吸が荒くなったばーちゃんが、俺に寄りかかって寝ていた。

俺は呼吸を確かめ、席に向かいなおした。ばーちゃんはまだ生きていた。

その後俺は少し画面に夢中になった。ばーちゃんのことは一瞬忘れた。

ふと気付くと、寄りかかっていたばーちゃんがいなくなっていた。

気付いたら床にばーちゃんが倒れていた。

危篤の連絡を受けて、亡くなる1週間くらい前に見た、細くて軽い、少し熱い体だった。

抱き上げたら、ほとんど呼吸していないように見えた。

俺はばーちゃんがこのまま死んでしまうのではないかと慌てて、「ばーちゃん!ばーちゃん!」と叫んだ。

幸いばーちゃんはまだ息を引き取ってなかった。

ばーちゃんはこっちを見て、「いっしょ、いっしょ」と答えてくれた。

そこで俺は「あれ、ばーちゃんは死んだはずじゃ?」と思ったところで、これが夢だと気付いた。

夢だと気付いた瞬間、俺は現実でも泣いていることに気付いたと同時に、夢から醒めそうであることもわかった。

「まって、まってくれ!」と強く願ったが願いはかなわず、目が覚めてしまった。

目が覚めたら、やはり号泣していたことに気付いた。声を出して泣いていた。

しろ自分の泣き声で目が覚めた。涙が止まらなかった。

泣きながら寝たことはあったが、泣きながら目が覚めたのは人生で初めてだった。

数年前、お盆休み実家に帰ったときにばーちゃんに会ったら、「すこーし熱の出て下がらんもんねー」と言っていた。

「若こーはなかけん、早よー病院に行きんしゃい」と答えた。飯の量も心なしか減っていた。

から老人ホーム臭いがしたのが少し気になったが、歳を取ったらそんなものかと思いつつ、帰省は終わった。

俺が実家に帰ったあと、病院に行って検査入院して、そのまま3か月後に亡くなった。

飯が食えなくなったとのことで、どうやら寿命だったらしい。

何の気なしに病院に行くのを勧めたんだが、あの時勧めて良かったのかどうかは今もわからない。

危篤と聞いて俺が駆け付けた時には、意識はあったものほとんど話ができなくなっていた。

俺が話しかけると、たまに声にならない声で応えてくれるといった有様だった。

ずっとついていたいと思ったが、遠方に住んでいたのでそういう訳にもいかず、

4日ほど休みを取って顔を出した後、仕事に戻った。

その5日後に亡くなった。

嫁は何もなかったかのように隣でぐっすり寝ている。

嫁は夜勤付きの看護師で、どんなタイミングでも寝れるのが特技だ。

ばーちゃんに嫁と合わせて話をさせたかった。プロポーズしようと思った矢先だった。

そもそもばーちゃんが生きてるうちに嫁の顔を見せてやろうと思って始めた婚活だった。

いらっとすることもあるが、それでもうまくやっている。

一生結婚しないんだろうと覚悟していた身には十分すぎる嫁だ。

嫁の寝息を聞いていたら、また泣けてきたので、PCの前に座ることにした。

この夢を記録しておきたいと思った。

時計を見たら夜1時、ホノルル時間で朝6時。いつの間にか2時を過ぎていた。

時差ボケ解消ならずということか。

ウミガメありがとう。ばーちゃんありがとう

いっしょだよ。お土産買ってこなくてごめん。

書いていたらまた泣けてきた。

当分寝れそうにない。

2019-06-23

GyaOとんねるずのノリがスタッフから集金してハワイ旅行って番組やってて胸糞悪い

てめー全部自腹出しても余裕だろうが

金もってない若者たかるんじゃねーよ

演出?そんな証拠どこにあんだよ

つまんねーんだよゴミカス

2019-05-08

卵巣腫瘍発見された

婦人科での診察の詳細や、病気について、局部名称、等々、苦手な方は苦手な文章だと思いますが、日記なのであしからず






ここ最近、陰部に痒みと痛みがあった。

カンジダの再発だ。

季節の変わり目になるとやってくるやつ。

扁桃炎にならなくなってきたと思ったら下に下がってきた。

何度か再発を繰り返していると、もう自然治癒力に任せていいんではないかと思えてくる。

実際、直近2回ぐらいの再発は気のせいだと言うことにして無視した。

多嚢胞性卵巣症候群治療をまた放置病院へ行きづらくなってたから。

が、どうにも痒い。

寝ても冷めても痒いし、違和感がある。

そして、下腹部痛も痛い。

重い腰を上げ病院へ行った。

1時間ぐらい待って診察。

陰部を見られるのに抵抗はないけど、何故かあの婦人科特有椅子にまたがるのには抵抗がある。

そーいえば…

ここの女医さんは触診しないけど、他の先生男性)にはされてたような…

それって…?やっぱ触って置きたいものなのかな?笑 違うか。笑

痒みはカンジダで正解。

大当たりでハワイ旅行だったら良かったな〜。

現実では、冷たい器具で膣を開かれて、そこそこ雑に綿棒的な何かで膣内に薬と冷たい消毒液をつけられる。と言う、なかなかの苦行だ。

下腹部痛があるのと、治療途中になってる多嚢胞性卵巣症候群の様子を見るのに、膣内エコーを撮る。

すると…

「んー、左の卵巣が腫れてるねぇ。6cmぐらいかな。腫瘍だね。これはウチで処置、要するに手術なんだけど、できないから大きい病院で見てもらってー。」

ながれで、さら〜っ。と言われたからその場ではイマイチ理解できないまま診察室に戻る。

診察室でエコーを見ながら

「これね、普通は1〜2cmぐらいの大きさなんだけど、加瀬さんの左の卵巣は6cmまで腫れてるんだよね。つまり卵巣腫瘍なんだけど、ここまで腫れてると手術になると思う。とりあえず、次来たときにまた見てみて様子が変わってなければ大きい病院で診てもらって。今日はこれでおしまいです。」と、改めて説明されるも

ほーん。まぁー、多嚢胞性卵巣症候群と診断されてるにもかかわらず定期通院もしてなかったしなぁ。月経事に限らず、自分の体についてはあまり関心を持ってこなかったし、しゃーないな。ぐらいにしか思わなかった。

そういえば、思い出すと、確かにお腹が刺すように痛いなと思うときはだいたい左側だったし、触ると違和感を感じる事もあった。

原因はなんですか?と聞いたら、「腫瘍ってものは原因がわからいから、コレからも調べるんですよ。」と淡々と答えられた。

どーもここの先生ホスピタリティに欠けている気がする。ホスピタルなのに。

(正確にはクリニック。笑)

先生が詳しく「卵巣腫瘍」について説明してくださらなかったので、遠回しなggrksなのだな。と思いながら、会計待ちでggってみた。

卵巣腫瘍=卵巣癌、または、卵巣癌になりうる可能性が非常に高い なのかと思って調べてたけど、そうでもないらしい。

ほほんどが良性ではあるものの5〜6cm以上ものは手術対象になる?みたいな事がわかった。

イマイチわかってない。)

まだ、検査段階だからか、全然悲壮感とか不安絶望?みたいなのは感じず

初潮から10数年まともに生理が来てたこともないし、親もそれについては全くの無関心だったし、むしろ嫌悪すらしてたしな。しかたないなー。

子供って作れなくなるのか?

そしたら中田氏され放題か!!!!それは胸熱

あ、いや、そうじゃなくて。

まぁ、そこまで欲しいわけじゃないけど…

卵の冷凍保存てお金かかるんだろうか?

彼氏に言うべきだろうか?言うべきだろうな〜。ガチ手術って事になったら病院の行き帰りとか、手続き?みたなのに同行して欲しいしな。どう言おうか。

この体格(ウエスト100cm越えるQueenサイズ)を手術しなきゃいけなくなる先生大変だなぁ。

一層、癌の方が箔がつくんでは? 周りが優しくしてくれるチャンスなんでは?!仕事公的に休めるぞ!

いや、でも、遠く国外に暮らす親より先に死ぬのはさすがに申し訳ないな。ていうか、親にも説明しなきゃなのか?んー。めんどくさいな。

まぁ、とりあえず、それなりにいい人生だったな。

と、最終的には、既に余命幾ばくもない癌宣告でもされたかのような謎のテンションになった。笑

家に帰って、夜になったけど、まぁ、気持ちはそれほど変わらず。

カンジダの増殖してる膣は相変わらず痒い。

薬塗ったほうがむしろ痒い説。

2019-04-06

日本オワコン

こんなオワコン日本に生まれちまって、もう新元号を迎えちまった20歳自分は何すりゃいいのかね

日本2次元コンテンツの源流だし東京東京近辺にいれば金以外に趣味で困ることはないし治安、衛生もいいとされてる先進国

なのに出生率は1.43(2018年)で駄々下がるばかりだし幼稚園待機児童だの育児問題だのはなかなか解決されないからそのせいで今もこれから年金はクソほど減ってくし

性差別は男女どちらにもまだ存在しているしLGBTQや身体精神障害者にも同じく差別はあるしそのせいでフェミ(というよりミソジニスト)とオタク(というよりミサンドリスト)の言い争いは耐えないし

ブラック企業や○○ハラスメントという、問題テンプレ的な呼称が与えられて問題視されるようになったけど全部の会社仕事クリーンになったわけでもないし

よく「クールジャパン」とか言われて称えられたアニメCGも、最近アメリカ中韓こちらを後追いしつつある(例えばスパイダーマンスパイダーバースとか、アプリゲーの崩壊3rd非人類学園の公式うpってるアニメとか見たら「外国製www」って笑えんくなるぞ)

自分は一応今将来どこか外国で暮らせるように英語フランス語勉強してるけど、やはりどうしても日本文化に染まりまくった俺は日本を離れるのが苦しい。数年前家族ハワイ旅行行ったけど、アプリゲーがログイン専になったりYouTubeが一部見られなかったりするのがきつくてきつくて地味に「早く帰りたい…」って思ってた

こういうこと言ってると親が「そんなに言うなら政治家にでもなって世間を変えなさいよ!」って言うけど、もしそうなろうと本気で思ってるならもっとから勉強してる。でも今の政治家ニュースなり国会中継なりで見ていて自分はむしろ「せっかく勉強して選挙に受かったところで、あんな誰かを蹴落すのが本性みたいな奴と同じになんてなりたくねえ!」って思ったよ

ペルソナ主人公みたいに、そう簡単世界を変えるなんてやっぱ出来ない。出来ないからこそああい作品に憧れや希望を抱くんだろうな

…なんか脱線したけど、やっぱ日本に生まれ日本オタクコンテンツにズブズブになった日本パラサイト自分日本に骨を埋めるしかねえのかなぁ

2018-03-25

ハワイ旅行

そんなに楽しくなかったんだけど、みんなハワイ旅行のどこらへんがそんなに楽しいの?

物価高杉チップうざすぎ

2018-01-12

いいとも夏休みそっくりさんいらっしゃいのコーナーでそっくり判定もらってもうなぎパイだけって割にあわんくねと今ふと 思ったが、その日の一番のそっくりさんになるとハワイ旅行プレゼントとか特別な何かってあったんだっけ

2017-12-12

卒業式で袴や振袖が着られない小学生

卒業式で袴や振袖が着られない小学生はそれはその子個人は惨めな思いもするだろうし、その後の中学校いじめられるかもしれないし、その子内面世界ではものすごく不幸だしあるいは地獄を感じるかもしれない。けれど、それがじゃあ貧困なのか? っていったらどうなんかね。

この種の貧困って撲滅可能なのか? いや、この貧困は例えば「全小学生振袖レンタル料の給付」みたいな方法で(バカバカしいというのは横に置きつつ)撲滅できるかもしれないが、そうして撲滅したところで、このレベルの他の格差光景が次々と抽出されていたちごっこになるだけなんじゃないのか?

そして仮にじゃあ面倒だ、貧困家庭に40万円給付します! ってなったら、この家庭は一家温泉旅行に行って結局子供は袴も振り袖もきられないままになるんではないのか?

生活保護金額を割り込むようなワーキングプア絶対的貧困というのは理解できるし撲滅すべきだと思うのだが、日本相対的貧困ってどこが問題でどうすればいいのかさっぱりわからない。そして相対的貧困よりは上のラインだが中央値には届いていないような「ちょっと収入が少ない家」も、振袖が着られないとかハワイ旅行に行けないとか幼稚園に入れないと喚けば、社会補助をしなければいけないような風潮になるのか? なんか先に痛みを表明したもの勝ち社会みえてくる。

2017-08-05

知人の話

ある知人に35万円を貸してる。3年間の合計。

今日、その知人から今年の年末ハワイ旅行へ行こうとメールが来た。

まあ、借りた金を返せと言いたいですわな。話はそれから

2016-12-24

地雷女の特徴(IED - GIRL

1 SNSタイムラインで突然「電話帳整理するので連絡取っていない方、今後取らない方は削除させて頂きます☆」とか投稿する女

2 30歳を過ぎても独身CA

3 IT社長愛人やりながら西麻布ラウンジで働いている女子大生

4 「でも〜」が口癖の女

5 年一のハワイ旅行でインスタ投稿した時のハッシュタグが「 #ただいまハワイ

 

 

\ みんなで作ろう /

やべぇ女のタイプは他にも沢山ある。あなたの周りの地雷もご教示ください。

ブコメいただけましたらガンガン追加していきます

2016-12-05

義父母とハワイ行きたくないあなたなら行けますか?

私と妻と4歳の息子の1家3人。妻の両親と、いわゆる「スープの冷めない距離」に暮らしている。

ハワイが好きで留学経験もある妻のために、普段から質素倹約に努め、外食レジャー我慢して、やっとたまったマイルを掃き出してハワイ旅行計画していたのだが、妻が自分の両親も連れていきたいと行ってきた。

・義父母とはつかず離れず、穏やかな関係である

・孫の面倒をよく見てくれる。

・孫もよくなついている

・義父母のことは好きで、義父母も私のことも気をかけてくれているらしい。

以上のことから、行ってしまえば恐らくそれなりに楽しめるのだが、どうにも気が向かない。

というか、一緒には行きたくない

家族3人だけの思い出を残したい。せっかくの家族旅行は水入らずで楽しみたい。

・息子と思い出を残したいが、息子と義父母がベッタリになってしまうのが目に見えている。

家計に余裕がなく、と言うか火の車で、次に海外旅行に行ける見込みもない。

・将来、自分の両親をハワイに連れていけるだけの余裕はまったくなく、あわせる顔が無くなる。黙っていくことすら考えている。

私がわがままなのだろうか。

国内旅行サイパングアムくらいならカバン持ちでもなんでもやってニコニコついていくのだが、せっかくのハワイに、行きも帰りも同便、部屋は違えど同じホテル。これで非日常感を味わえるはずもないし、私のせいで雰囲気が悪くなるシーンも想定できる。

私のわがままなのだろうか。

2016-08-25

ハワイのEST申請詐欺について

PCデポの件も話題になっているので、私の母が最近あった詐欺(と言っていいと思う)について被害者を増やしたくないので書く。

ハワイ旅行に行くためには、ESTAというビザのようなもの申請必要なのだけれど、申請するにはWEBから公式サイトから申し込む必要がある。

しかし、Yahooで「ハワイ ESTA」のようなワード検索すると、検索結果の広告枠にESTAの申請サイトとして

ESTA申請ウェブサイト | esta-center.com(非公式サイト

ESTA申請 日本語ウェブサイト | esta-website.com(非公式サイト

ESTA申請 米国渡航認証システム | apply-esta.info/ESTA-USA-FOR-JAPA(非公式サイト

などなど

のような各種サイトがあたか公式サイトのように表示される。

ここからSTAの申請可能なのだけれど、これらはあくま申請代行サイトで、公式サイトから申請した場合の数倍の価格要求されるので注意してほしい。

google検索した場合広告枠にこれらサイトは表示されないので、googleはこれらサイト広告を出すべきではないと判定しているのだと思う。

Yahoo広告表示が甘い。間接的に詐欺に加担しているといえる。)


こういう情報弱者をだます詐欺はこれから増えるだろうし、儲かるからなくならないだろう。

PCデポ含め、こういう詐欺会社をつぶすような会社あれば面白いと思うんだけどどうだろう?

2016-08-15

キムタクいじめ新潮は何故メンバー会議の時のキムタク裏切りを書かないのか?

8月10日メンバー会議を行うと7月時点で取決めしていたのに

当日は何とキムタク夫婦メリーハワイ旅行に出発、すっぽかした事実があった。

それなのに週刊新潮はこの事を書かずにキムタクいじめなる架空事件問題を取り上げた。

から、いつまで経っても週刊文春に勝てないんだよ。無能週刊誌

2016-07-05

死ぬの怖がりすぎ問題

テロは痛ましいし許しがたい行為だ。

無差別であったり、むしろ日本人が標的になっていることを考えれば恐ろしくもある。

被害にあった人とその家族や周辺の人たちの気持ちを考えれば悲しみや憤り、かと言って何もできない虚無感なども痛いほどに伝わってくる。

ハイレベル共感人間だけに許された高度な能力だ。

それはわかる。

でもどうしてそれで今年のハワイ旅行を中止するというのだ嫁よ。

バングラディシュでのテロは明確に外国人が標的にされている。それならばそうしたテロの中心国に近づかなければいい。

アメリカでの銃乱射事件は主に大学など明確なターゲットを持って行われている。だったら無差別テロが起こる可能性は低い。

それにハイジャック危険だって911以降アメリカ空港におけるセキュリティは胸糞悪いくらいに厳しくなっているのだから、車で出かけるよりよっぽど安全だ。

中東と地続きのアジアヨーロッパ諸国に行くわけでもないし、海から気軽に密航できるような近隣国に行くわけでもない。

大量の武器を持ち込むのにはとてもリスクの高い南国の孤島に行こうと言っているのだ。

大剣幕で「こどもたちに何かあったら責任が取れるの?」と怒鳴っているが、それは国内においても同じことではないか

しろ責任が取れることがあるなら言ってみろというのだ。

それにそもそも海外旅行自体が少なからリスクの上に成り立っているものではないか

それでもそれ以上の感動や経験が待っているからこそお金を払ってでも行くのではないか

嫁が言うにはママ友達の中にもこの夏の旅行を中止する人が多くいるらしい。

それにはまったく呆れて言葉も出なかった。

誰が何と言おうと人はいつか必ず死ぬのだ。

いつか必ず訪れる死を怖がりすぎるあまり今を生きることを諦めてしまってどうするというのだ。

これもテロ効果なのだろうか。

嫁の不満そうな態度も相まって、今年は耐え難き退屈な夏になりそうだ。

2016-06-21

モラハラ夫とモラハラ

一生懸命頑張って稼いで来て、それでも足りないとわかっているから頑張りつづける毎日

横にいる奥さんが、

テレビで見たんだけど「ハワイ旅行」が最近安いんだって!連れて行って!

・隣のおうち、今年も海外に行ったんだって・・・

・どっか行きたいなぁ

ってつぶやく

希望は叶えてあげたいけれど、毎日頑張っているけれど、、、

毎日一緒に寝られるだけで幸せって言ってくれた日々が懐かしい。。。

===

http://ninicosachico.hatenablog.com/entry/2016/06/20/164905

この記事を読んで、モラハラって夫だけなのかと思ったので想像して書いてみた。

2015-06-04

時々増田で、人間のゾッとするような醜い嫉妬が見えていたたまれなくなる。

嫉妬と無縁の世界で生きてきて、この10年でともだちを取り合う女の子集団にも出くわして学んだけど、結局女ってシルバニアファミリーみたいなままごとが一生好きで、自分が思った場所にいろんなものが配置されてないと我慢ならない生き物なのだと思った。

あ、そんなわけでどなたか私にシルバニアファミリーフルセットで贈って下さい。

ハワイ旅行が当たるくらいならそっちの方がいいです。ほとんどくじ引かないので、当たる予定は今んとこありませんが。

2015-02-08

ハワイって、どこがいいの?

職場で『ハワイ旅行が云々』『ハワイリゾートホテルに泊まりたい云々』の話題が出たのだが。

ハワイって、一体どこがいいの?

自分鉄道マニアなので、『鉄道がある海外は行くが、鉄道が走ってない海外には行かない』というのもあるが、

どうにも、ハワイの『良さ』が自分にはわからない。

・そもそも、自分は『せこせこした性格』なので、

 『南の島でのんびり』というのが、あまり性に合ってないのかもしれない。

・でもどうせ南の島に行くのなら、物価水準が途上国な南の島(セブ島ペナン島プーケット島・バリ島など)の方が、

 『コストパフォーマンスに優れている』のではないか?

 現地散財費用が同じ10万円でも、ハワイで散財するよりセブ島で散財する方が、より多くのサービスが受けれる筈

ハワイって、料理が大して美味しくないイメージがある。

 ロコモコとか、別にアメリカ本土の食材でも出来る料理でしょ?

 ハワイバーベキューが云々というのも、地元ならではの食材が少ないから、という気がする。

・周りが海に囲まれているのだが、海鮮料理が云々、というイメージもない。

 海の幸って、寒流暖流の接点とかが美味しかったり、『寒さで魚の身が引き締まったり』で、

 それなりに『寒くない』と、美味しくなかろう。

 熱帯魚って、見た目はキレイだが、味は全然ダメ

・『先進国の領内なので、治安の点で安心できる』『日本語の店が使える』というメリットもあるのだろうが、

 それだったらグアムサイパンだって一緒だろう。

 グアムサイパンだったら『飛行機搭乗時間が短い』『時差が少ない』というメリットがある。

・いや、沖縄の方が更にメリットがある。

 言語日本語だし、時差ゼロだし、最近だとLCCで安く行ける。

 一方、ハワイにはLCCがない。

・『観光資源』という観点でも、ハワイアンダンスしかないハワイより、

 バリ島とか沖縄の方が、土着の文化を堪能できて観光資源豊富

・・・と考えると、ハワイって冷静に考えると『観光的には、大したことないじゃん』という結論に至るのだが、

逆に『俺はハワイに毎年行ってるぞ!!』という増田民がいたら、どんどん反論してほしい。

個人的には、ハワイ日本で『過大評価』されているのは、50年前の渡航自由化時代

『憧れのハワイ』と過剰ブランディングされた影響が残っている、それだけなんじゃないかと思っている。

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