はてなキーワード: しどけないとは
元気で活発で、よく気遣いができてよく動く。
お酒も楽しくよく飲む。
趣味の集まりの中では先輩である年下の彼女に、俺は懐いていた。慕っていた。憧れていた。
ある飲み会で、いつもどおりひとり喫煙所に向かう彼女を視界にとらえ、気づいたら追いかけていた。
俺はタバコを吸わない。でも彼女がひとりで喫煙所に向かうと、いつも俺は、つい追いかけてしまう。
純粋な憧憬だと思ってた。なにかと周りの目が気になる俺と違って、天真爛漫でだれにでも分け隔てなく自然体で接する彼女を、俺は尊敬していた。
彼女だけに打ち明けられる俺の弱い部分の話をしていた。
彼女は優しく聞いてくれた。
気持ちが良かった。
不意に彼女に手を握られた。
俺は慌てて手を振り払った。うろたえるばかりだった。
「いつもわたしのこと視線で追ってるじゃないですか。増田さん、遊んだりしなさそうに見えるのに、よくわからないから直接たしかめようと思ったんです」
彼女はまるでいつもどおりだった。
「増田さんって、よく独身女ひっかけて遊んだりしているんですか?」
彼女はまるでいつもどおりだった。
いつもどおりの、元気で、活発で、天真爛漫そうな可愛らしいかんばせなのに、その瞬間から明確に、色っぽくてしどけないようなそんなふうに見えるようになった。
心臓が痛かった。
「あれ、思い違いでしたかね。わたし、ちょっとくらいなら遊んであげてもいいかと思ったのに。」
彼女がこんなこと、言うはずがない。
俺もなにか言わなくてはと思うのに、言葉が出なかった。
「わたしのこと、なんとも思ってないんですか?」
「人として好きだった。それだけ。でも今は、わからない」
満足そうに微笑む彼女を見ていると、長いこと忘れて過ごした劣情が足元から這い上がってくるようだった。
その後、俺は飲み会を中座した。妻のことを思い出すと怖くなったから。
終電には少し早い電車に揺られながらスマホを確認すると、彼女からラインが。
びっくりさせてごめんなさい、と。
妻とは1年以上ご無沙汰だった。俺はしたかったけど、妻は俺を拒絶する。
たまにお願いを受け入れてくれてもマグロだった。
ここ最近は外でしてきてほしいと言われているし、情けなさ、惨めさを感じるのが嫌になって俺からも誘っていない。
彼女は魅力的だ。遊んでいいと言っていた。
俺は彼女の誘惑に身を任せていいんだろうか。
でも彼女の意外な一面を見てしまったから、なんだか事が終わればポイ捨てされそうな不安がすでにある。
まだなにも起こっていないのに、ワクワクしてドキドキして不安になって、俺は変だ。
俺はどうすればいいんだろう。彼女のことばかり考える。
俺は男性であるのだが、近親のものに巨乳と呼ばれるものがおり、その不便さについて常々力説されていた。下乳に汗かいて不快だし、痴漢にあう確率は飛躍的に上がるし、とにかくいいことない、と。まあ本人がそう言うのなら別にいいこともないんだろうなあと思っていたのだが、今日、天啓のように「巨嚢」という概念が下りてきたので、それをベースに考えたい。
巨嚢とは文字どおり、金玉袋がものすごく大きい状態のことである。どれくらい大きいかはよくわからないが、とにかくでかい。おっぱいと比較してどう触り心地が違うのかはいまひとつ判然としないが、まあでかければそれなりに触り心地もいいかもしれない。くさい、という問題はどうするのだろう。
でだな、思春期になると男性は陰嚢が肥大する。しかしその肥大のしかたには個人差がある。基本的にはでかいからいいということもない。わりと邪魔だ。しかし女子はでかい陰嚢にたまらないえろさを感じるらしい。
この状況で「あなたのその陰嚢を枕にして寝たい」という女子があらわれたとする。俺は苦悩するだろう。「この金玉袋になんの価値が?」「君が好きなのは俺なの? それともこの巨嚢なの?」「その巨嚢含めあなたなんだよ」と言われたところで、実際にその女子が俺を見るとき、特に陰嚢においては目の輝きが違う。しかも俺の陰嚢をいいと言っておきながら、道をゆくえろそうな陰嚢(自分でなに書いてんだかわからなくなってきた)を持つ男子を見たときには視線が泳ぐ。
「陰嚢はえろい。特に巨嚢はえろい」という社会的コンセンサスがあったとしてだ、その状況で俺がとりうる対策はいくつかあるだろう。ひとつはその社会的な評価を信じこむことだ。巨嚢を持つ俺は価値がある。その価値を評価しない女はクズである。人間性とかなんとか言ってるけど結局は俺の金玉袋が目当てなんだし、だったらあとは半ズボンとかはいてしどけない陰嚢をチラ見せしていい女が引っかかるのを待つまでである。
あるいはこうしたものに価値を見出す女をバカにするかもしれない。「しょせん女なんざ陰嚢目当てなんだろ。わかってんだよクソが」ということである。
しかしいずれにせよ女の性欲が陰嚢にあるのがわかっている以上、そこから完全に自由であることは難しい。自分にとっては、考えごとをしているときにたまにいじるか、さもなくば手が極端に冷えたときに手を温めるために触ることが2年に1回くらいあるかないかのこのどうでもいい器官が、女性にとっては多大な価値を持つ。アホらしいといっても現実はそうなのだ。アニメでは今日もぴっちりとした金玉袋コンシャスネスな衣装を身につけた男性キャラがうかつにも大股開きをしている。便所に入れば巨嚢が股間から見え隠れする男とのラッキースケベである。
仮に俺が貧嚢だったとしよう。とうぜんコンプレックスになりうる。「むしろそこがいいんだ」と言って寄ってくる女にしたところで、基準が陰嚢であることに変わりはない。まして貧嚢を持っていることに関して感じているそのコンプレックスがいいんだと言う人間においておや!
とまあ、ここまで考えてくるとおっぱいとかもすごくどうでもいいものなんじゃないかと思えてきた。なにが言いたいかというと乳袋は廃止すべきである。あおいやひなたの体の線の出ない登山のときの服装こそがものすごくえろい。まして登山で汗かいて蒸れてるはずなのでもっとすごい。