はてなキーワード: Pomeraとは
(十両以下は特に新顔が見当たらないため、今回は割愛とします。ご了承ください)→前回の【幕内】・【十両以下】)
昭和時代やイオン、女装子などの例外を除き、森羅万象を罵倒して回る増田。自身の経歴からか、特に法や行政、裁判所を目の敵にしている。
何度も削除を食らっては毎回戻ってきており、かつての安倍botや低能先生に劣らぬ危険人物。
自分語りによれば、殺害予告による二度の逮捕歴に加え、今なお各所でトラブルを起こしているらしい。
文頭をスペースで空けるため、「字下げ増田」と呼ばれる(ごく稀に空けないこともある)。別名フミさん、まーさん他。
ナニがきっかけでそうなったか知らないが、男叩きや特定個人の誹謗中傷を目的としたTogetterのまとめを複垢で作りまくっては、それを増田やはてブで拡散しようと企む某ツイフェミ。
すでにTwitter・Togetter・はてブで凍結や垢BAN、404化を経験しているにも関わらず、すぐ別垢で戻ってくる札付きの悪質ユーザーである。ただ「Twitter」「Togetterのコメント」「ブコメ」「トラバ」
のそれぞれで文章を使い回す上、噛みつく人物もネタも同じ(共同親権・ヴィーガン・絵本作家「のぶみ」・龍神・はるくもなど。最近では案の定、暇空に粘着している)。
はてブでも複垢を悪用し、404化を食らった前科持ち。現在もこいつの関与が疑われるはてブidが多数あり、「idが違うのになぜか文面が全く同じ使い回し」のブコメまで存在する。
なお、これらidと同名のツイ垢が存在し、「彼らに依頼してブコメをコピペ投稿してもらっている」説が浮上している。……というのも依頼の文面まで丸ごとコピペしてしまったアホなブコメがあるため。
🍑
左翼・フェミ叩きに対して憎悪を燃やす超ベテラン増田。ネームド増田の中ではおそらく最古参。
「711」「R30のところにコピペしないの?」「いつもの地ならし」「○時まで寝ていたんだ」「見つかりそうか」「ということにしたいのですね」「おばさんはいいんだよ」「女子大生の設定では」「プロパンガスの専門家でしたっけ」などと、意味不明なクソリプを飛ばしてばかりいる。
また「プライベートで○ブクマwww」「自演ツリー」などと、むやみやたらにセルクマや自作自演を疑うのも特徴。
「自分の気に食わない奴は全員同一・特定の人物」という思い込みが非常に激しく、最近では無関係な他の増田をしきりに「番付作成者」呼ばわりしているが、
「女性は下方婚しない」を筆頭に様々な持ちネタを操る反フェミ系増田。
こちらもハッタショ増田同様、発達障害・セクマイ気取り系の増田をターゲットとしたクソリプ増田。
過去に投稿した長文トラバから、大量のリンクを貼ってくる過去からの追跡者。
以前はコロナに関する話題でも同様のトラバを繰り返しており、どうやら医療や教育に相当コンプレックスを抱えている様子。
わかりましたね?
パンティー
突然現れては規約違反を厭わずブクマカや増田をグッサリ刺してくる、通り魔のような増田。
投稿頻度が不定期に増えたり減ったりしているが、例のテンプレと文体を使っていないだけで、普通に潜伏している可能性もある。
あとnoteにも進出している模様。NZ・ピアノマン・寿司ギャルと、あっちに行った増田は反応が得られないのか投稿が途絶える傾向にあるが、
無駄に長い語りに過剰な自意識を挟んだクソエモ長文増田。ひとつバズると便乗して同じような長文が次から次へと湧いてくる、まさにゴキブリのような存在。
おーぷん2chやまとめサイトから、おそらく他人の投稿を勝手に転載している増田。
日々ウクライナに対するネガティブキャンペーンを繰り広げている増田。
こんなところで頑張って何の意味があるのか。
BingAIにイラク戦争やイスラエルの行為をジェノサイドと認定させたいらしい、AI虐待を趣味とする増田。
それにしても全く同じ内容を何度も投稿するのはどうかと思う。
自称ストックホルム貴族と戦う陰謀論系増田。検索した限りでは他のサイトで活動している様子はなく、どこから来たのか不明。
前回の番付発表後行方不明となり、11/25に復活した模様だが、その後の投稿はない。
他の増田にいらすとやへのリンクを貼る増田。URLだけ貼ると反映されない仕様のためか、「(^^)」という顔文字も添えられている。
レスバトルになると乱入し、漫画「タフ」の語録を投下していく増田。
そもそも原作でタフの主人公が猛虎弁らしい口調なので、元ネタを知らなければ猛虎弁増田と区別がつきにくい。
一時の流行で終わるかと思いきや、なんだかんだで定着しつつある。
以前は「コモンビート」という、ピースボートかそこら系のNPOのURLを添えていたこともあったが、これが規約に引っかかったのか、投稿が全て消えたことがある。
再投稿ネタを指摘する増田。複数人おり、微妙に仕事ぶりが異なる。
ただご存じの通りブクマカはトラバも本文も読まない上、過去の再放送ネタにも平気で釣られて伸ばすダボハゼなので、あまり意味がない。
既存の単語を微妙に並べ替えした変な検索をしている増田。検索の件数らしき数字もあるが、どこでどういう検索をしているのか不明。
こちらもブクマのついた増田に対し、タイトルを適当に並べ替えたクソトラバを残していく増田。正直荒らしやスパムと区別がつかない。
いま、この小文はPOMERA DM250にて構築しておる。夜の寂静が室内に漂い、机の上の微かな灯りがユラユラと踊っている。窓の外、星々が瞬いており、その光が遠くからこちらを見ているようだ。この狭い部屋は、あたかも都会の喧噪から離れた、小さな静かな宇宙のようである。
iPhoneや柴犬を手にする人々よ、どうか気を付けてほしい。あれらは美しいが、それらは我々に創造の力を貸してはくれない。我々は単なる消費者となるのみ。だが、ここで、ポメラの前では、その状況は変わる。ここでは我々は創造者となるのだ。
ポメラの質素さが、夜更けの筆致を一つの美術へと変えてくれる。ここでは、ネットの世界から離れ、言葉と真正面から向き合うことができるのだ。他の電子機器では気が散りがちだが、ポメラの前ではその心配は皆無である。
この小さな機械が思考の道を照らしてくれる。ポメラと静かな夜を共にすれば、心は飛翔する。新しい考え、新しい発見が生まれる。これこそが、真の喜びである。
iPhoneや柴犬の飼い主よ、あなた方はその表面の美しさに魅了されているが、ポメラの使用者は、深い内面の美を求めているのだ。それは、単なる物の価値を消費するのではなく、自らの手で価値を創り出す生き方の違いである。
ポメラは、その使い手に静かな集中と創造の喜びをもたらしてくれる。この小さな機械とともに、新しい日、新しい思考、新しい世界を迎えよう。それが、ポメラの持つ真の力であるのだ。
いまこの文章はPOMERA DM250で書いている。夜の静けさが部屋に満ち、デスクの上の薄暗い電球色の明かりがぼんやりと輝いている。窓の外は漆黒で、星が遠くからちらちらと光っている。この小部屋は都市の喧噪から隔離された楽園のよう。そしてここでは、ただ指の軽やかなダンスとポメラの静かな応答の音が、穏やかな調べを奏でている。
ポメラのシンプルさと静謐さが、夜更けの執筆を優雅なものに昇華してくれる。ここではインターネットの誘惑から解放され、一心不乱に言葉と向き合うことができる。他のデバイスでは気が散りがちだが、ポメラの前ではその心配がない。集中する力がこの場所とこの時に存在する。
この小さなデバイスが思索の道を明るく照らしてくれる、まるで一本の灯りのように。ポメラと夜更けの静かな時間を共有すると、心はもっと自由で、もっと広い空間へと飛び立つ。新しい思いが次々と湧き上がり、素晴らしいアイデアが生まれる。この一瞬一瞬が、深い満足感をもたらしてくれる。
インターネットから切り離され、全てが静かになるこの時、心は落ち着き、真の創造性が花開く。これぞ、ポメラの真髄。これぞ、ポメラで夜更けに書く喜び。ポメラはただの道具ではない、それは創造のパートナー、心の友だ。
そう、ポメラは静寂と集中、そして創造の喜びを与えてくれる存在なのだ。夜更けのポメラとともに、新しい一日を、新しい考えを、新しい世界を迎えよう。
今日、Pomeara DM250という機械が届いたので、それを使って試し打ちのためにこの文章を書いている。知っている人もいるかと思うが、Pomearaというのは、キングジムという会社が作っている文字入力専用の機械だ。いってみれば昔のワープロだ(昔とはどれぐらいのことかというと、昭和の末ぐらいから平成の初期ぐらいのことをぼんやりと考えている)。
じつはこのPomeraのシリーズを買うのは4台目だ。たしか、一番最初のモデルが出たときに頑張って買ったのを覚えている。あの機械はどうなったのだろうか。まだ処分していないはずだからどこかにあるはずだ。本体のその軽さにときめいたものだが、なんか使いにくくて結局使うのをやめてしまった。あと本体の一部が加水分解してベトベトになっていたような気がする。
2台目はこのDM 250と同じ形式の、キーボード折りたたみ式じゃない、クラムシェル型の最初のモデルだったと思う。書き心地は軽快でかなり気に入っていたが、当時は文章を書くといえば論文がメインだったので、Pomeraがどんなに使いやすくてもcitationを入れる役に立たないという問題があった。で結局iPadのWordを使ってドラフトを書いていたことを覚えている。この機種もまだ捨てていないはずだがどこかにいってしまった。
3台目は、はじめて画面にEインクを採用したモデルだ。はじめて、というかこれ以降Eインクのモデルはなくなってしまったので、最後のモデルでもある。これは夜中に液晶画面を見たくないが、文章は書きたいというニーズがあって買ったものだ。Eインクの画面で文字入力ができることに購入当初は感動したものだが、このモデルには複数の問題があった。まず文字入力の遅延。キーボードを打って画面に文字が表示されるまでに少しの遅延があるのだ。これは我慢しているとある程度慣れてくるが、まったく気にならないレベルには至らなかった。
次にEインクの画面の汚さ。これはEインクに固有の問題だが、画面を定期的にリフレッシュしないと、先に入力した文字の残像が表示されたままになるというか、画面上に変な縞縞がずっと表示されているのだ。これも文字入力に集中していると気にならないが、あるときハッと我に返ると、汚い画面だなあと思ってしまった。
最後に文字コードの問題。このモデルは文字コードがShift JISしか使えない。最近のPomeraにはPomera Linkというアプリで本体からスマートフォンにQRコード経由でテキストデータを転送する機能がある。これを使えば、Pomeraで入力したテキストをスマートフォンやPCで利用できるのだが、文字コードがShift JISだと使い勝手が悪かった。そのままでファイルを開くと文字化けしてしまうケースがけっこうあり、文字コードを変換してから流用するのが大変な手間だった。これが最大の理由で使うのをやめてしまった。
このモデルはまだ手元にある。売ってしまおうと思っていたが、Eインクで文字入力の機械を作るという発想自体は好きなので、取っておこうと思い直している。
4台目のDM 250を思い切って買ったのは、上記の問題がこのモデルでは解決されていると思ったからだ。まず、文字コードはデフォルトがUTF-8なので、今度はストレスなくPomeraから他のデバイスへテキストデータを流用できるようになった。Pomera Linkのアプリも気づけばかなり改善されており、データの読み取りがとてもスムーズになったと感じる。
あとはなんといっても画面がきれいで、文字が読みやすい。初期のモデルに比べるとまったくの別物だと感じる。
それから日本語入力(Atok)がとても改善されたと感じる。思うように変換ができなくて変換候補を探し続ける、ということがほぼなくなった。これは大きな改善ポイントだと思う。
ただしこのモデルにも問題がないわけではない。まず、キーボード。PCのキーボードに比べるとどうしてもひとつひとつのキーが小さいので、タイプミスをしやすい。これは指がこのキーボードの大きさに慣れるまでの問題なのかもしれない。だがキーボードの質感じたいがどこか玩具っぽいという感じには慣れそうにない。この値段にしてみればキーボードの質感はもうちょっとなんとかならなかったのだろうかと思う。あとは打鍵感。音が静かなのはたいへんよいが、このキーボードで何時間も文字を打ち続けると、指の関節が痛くなりそうだ。そこまで長時間この機械で文章を書き続けられればだが。
あとは本体がやっぱり重い。知ったうえで買ったが、このサイズで620gという重さは、手に持つとかなりずっしりくる。手元にあるPanasonicのLet's noteは本体重量が800g台だったと思うが、これより小さく軽いPomeara DM250を手に持った時の方がずっしり感があるのは不思議だ。PCを持ち運ぶよりはましだといえばそうなのかもしれないが、あまり気軽に持ち運ぶことに適した機種ではない。少なくともPCと一緒に持ち運ぶのはつらいので、外出するときにはPCかPomeraか選ぶことになるのだろう。
意気込んで買ったわりにはすぐに使わなくなるものナンバーワンがPomeraだ。なのだが気がつけば4台も買い続けているのは、集中して長い文章を書き続けることに自分が憧憬を持ち続けているせいだと思う。シンプルに、集中したいという願いをPomeraに込めてしまうのだ。で、気づけばPCに戻ったり、スマートフォンにBluetoothキーボードを接続して文章を書いたりしている。直感的に、道具としての納得感があれば自分はPomeraを使い続けるだろう。今回のモデルはそうなるだろうか。気づけば約2400文字を30分程度で打ち込んでいるので、まずまずの生産性なのかもしれない。それが続くかどうか、試してみたいと思う。
朝や夜中にPCやスマートフォンの画面は見たくない。でもちょっとした日誌やメモ代わりに文章は書きたい。紙のノートに書くとデータの検索や再利用ができないので、できればテキストデータで残したい。という動機があって、テキストを書くだけの端末が欲しいと思っていた。
なかなか良いものが見つからないというぼやきをここで書いていたところ、Pomera(ポメラ)DM30というものが売っていることを知った。電子ペーパーの画面にキーボードがくっついていて、テキストデータの入力しかできないやつだ。
調べたら1万5千円くらいで売っていたので、即買いした。半年くらい前のことだ。
いろいろ欠点もある機械らしいけれど、これぐらいの値段なら失敗してもそれほど痛くないだろうと思っていた。
それ以来、いまでは毎日朝に使っている。机の上からPCやスマートフォンを片付けて、Pomeraだけを置いてキーボードをガチャガチャやりつづけている。
書くことに集中できるのは心地よい。
購入直後にも書いたことだが、打鍵時の反応速度が遅い。キーボードのキーを打つと、一瞬遅れて文字が表示されるのだ。
これは最初のうちはひどい欠点だと思った。だが慣れるとたいしたことはなくなった。
考えながら文章を書く時のタイピングの速度だと、遅延がほとんど感じられないレベルだと分かったからだ。あるいは、自分のほうが遅延の発生する打鍵感に慣れてしまっただけかもしれない。いずれにせよ、この反応速度の問題は気にならなくなった。
電子ペーパー上の残像が画面上に残ってしまうことも、慣れてしまった。
ノートの罫線と同じで、書くことに集中しているとまったく気にならなくなるからだ。
購入時に不安だったが、いまではなんともない上記のこととは対照的に、いつまでも気になるのは、内蔵されているATOKの変換性能が良くないことだ。
使い続けるうちにATOKがかなり自分の文章の特徴を覚えてきたように感じられるが、それでもいまだに変換ミスを何度も、キーボードだけで間違えたところに戻って修正する作業にはけっこうなストレスを感じる。ATOKだけをアップグレードしてインストールできるなら、有料でも欲しいと思うレベルだ。
Pomera DM30には、書き終えたテキストデータをQRコードに変換してスマートフォンに転送する機能があるのだが、これは使わなくなってしまった。
一度に転送できる文字数が少なすぎて、ちょっと長い文章を書くと面倒なので、けっきょく、USBケーブルでPCに接続してデータ転送をしている。
とはいえ、Pomeraに書き込んだ文章を再利用したりバックアップを取ったりする作業を毎日やっているわけではないので、そんなに不便でもない。
いま価格comでPomera DM30を覗いたら、値段が5万円くらいに上がっていた。
1万5千円くらいで投げ売りされている時期に自分は買ったので、ありえない値段だと思う。
投げ売りが終わったとたんに希少価値が高まって、値段が上がったのだろうか。
この文章はpomera DM30という機械で書いている(アップロードはiPhoneでやってる)。知っている人も多いと思うが、pomeraとはKINGJIMが出している、テキスト入力しかできない機械だ。
pomeraのシリーズを買うのはこれで3台目だ(はるか昔、初代が出たときに買った記憶がある)。かなり久しぶりにpomeraを買った。
なぜ買ったかというと、夜にブルーライトの出る画面を見なくてもテキスト入力ができる機械を探していたからだ。
最近は夜になんだか寝付きが悪い、どうやら、スマホやらiPadの画面を寝る間際まで見ていることがよくないらしかった。多くのタッチスクリーンはブルーライトを出すらしい。それが寝付きを悪くしているのかもしれない。
そう思ったが、自分はネット上でくだらない文章を書き込むのが好きだった。なんでかはよくわからないが、言語化してみると自分の考えていることがわかったような気になるところが好きなのだ。そしてそういう文章を書く時間は夜、寝る前ぐらいしかないのだ。
だから夜、寝る間際まで文章を打ち込むことのできる機械、さらには画面からブルーライトの出ない機械を探していた。
そんなことを増田でモジャモジャと書き込んでいたら、トラバでアドバイスをもらったのだった。pomeraはどうかと。
https://anond.hatelabo.jp/20201207221408
そういえば、そういうものがあったことをすっかり忘れていた。そして検索すると、なんと、電子ペーパーの画面を備えたpomeraが売っているらしい。
この、電子ペーパーを備えたpomera DM30というモデルの発売時の価格は43000円(税抜)だったらしい。2020年12月現在、Amazonだと1万5千円くらいで売っている。ポチったときには、なぜこんなに価格が暴落しているのか、考えもしなかった。
で、今日初めてこの機械を使って文章を書いているので、感想を書き残しておきたい。
まず、このpomera DM30という機械は、製品として非常に微妙な出来であると思う。
なんといっても、打鍵時の反応速度が遅い。キーボードに文字を打ち込むと、電子ペーパーの画面に表示されるまでに、かなり気になる遅れがある。これはテキスト入力機としてかなりまずいのではないかと思う。とはいえ、こうして文字を打ち込んでいる間に遅さに慣れつつある。
さらに電子ペーパー上の残像がすごい。どいういうことかというと、文字を打ち込んだ後にスクロールしたり、メニュー画面を表示して閉じた後に、それらの残像が染みのように画面に薄く残ってしまうのだ。これは電子ペーパーの特性上、致し方ないものらしい。F12キーを押すと画面がリフレッシュされ、残像は消えるのだが、そんなこといちいちやってられるかあほと思うくらいに頻繁に残像は出る。長い文章を書きながら下にスクロールし続けていると、まるで罫線を引いたように画面全体に残像が残る。
とはいえ、この製品を市場に出してくれたことには、やはり感謝せざるを得ない。
どのような欠点があろうとも、ブルーライトをまったく気にせずテキスト入力ができる点で、自分にとってこの製品は大変すばらしいからだ。この製品のおかげで、いままでできなかったことができるようになったのだ。
KINGJIM社におかれては、このDM30だけで電子ペーパー画面に見切りをつけず、ぜひとも新機種の開発を続けていただきたいと思う。
http://anond.hatelabo.jp/20160116172905
プレーンテキストを書くのに特化したPomeraだと機能が足りなすぎる。
原稿用紙500枚分のプレーンテキスト書いて、あとで傍線引いたりルビ振ったりするところを探すのは時間の無駄だから、最低限そういう機能があるアプリが使える端末が必要だよ。
ほかの仕事はwindows10のノートとMacbook Air使ってます
この組み合わせで仕事として本をまるごと一冊書いている人間としての感想。
iPad mini 4 16GB + Magic Keyboardの組み合わせでMacbook Air最安モデルの約半額で、macの快適なキーボードを使って高速で仕事ができ、電源がない場所でも一日中問題ない。
iPadは消費電力がPCより少ないので、スマホ用のモバイルバッテリを持ち歩けば、24時間電源なしでいける。
実感として、iOSが仕事に使えないというのは、すでに過去の話になっている。(追記:ものを書くという仕事に関して使える/使えないを議論している旨をタイトルで表明している。他の業種については論じていない)
勤務先の事情によりつねにフルWindowsを使わなければならないという制限が外せる人は、重いノートpcとACアダプタをバタバタ持ち歩いたり、最近たくさん出始めている格安windows10タブレットにキーボードカバーやらをつけて、安っぽいキーボードの打ちにくさを我慢しながら使う必要はもはやないと思う。
現在の組み合わせにたどり着く前に、Macbook Air、Windowsノート、Windowsタブレット、Androidタブレット、Chromebook、Pomera DM100を買って使ってみたが、常に以下のいずれかの点で問題があった。
・携帯性と重さ
・キーボードの快適さ
・オフライン環境での使用(Chromebookは速くて快適だが、オフライン環境で起動するとログインすらできない)
・原稿へのスタイル適用(章タイトル・見出しのフォント変更、ルビ振り、レイアウト指定等)
特にキーボードの選択は、一日8時間以上タイピングを続ける人間にとっては致命的であった。現在出回っているMicrosoftのモバイルキーボードはAmazon等での評価が高かったので全種類試してみたが、打鍵の快適さはMagic Keyboardに比べると、どれも3万円前後の格安Windowsタブレットについてくるキーボードと変わりない。
携帯性と重さという点では、最初のうちはMacbook Airに満足していたが、やはりこの機械の独特のゴツゴツ感と肌触りの冷たさには最後まで抵抗があった。また、あのアダプタをつねに持ち歩くと、けっこうかさばるのである(あのアダプタの華奢な感じが携帯時に与える不安は、Macbook Airをずっと持ち歩いている人ならわかってくれるだろう)。
iPad miniの分解できるアダプタ&ケーブルは、カバンに入れるときに大きな安心感を与える。また、旅行中以外はそれすら持ち歩く必要がないことにあとで気づいた。
iPad mini 4 16GB + Magic Keyboardで約530g、好みのケースを付けて600 - 650g 、
テキスト入力メインでの動作時間が体感で約8〜9時間といったところだ。
一方、最近話題になったキングジムの小さなpcポータブック XMC10は、本体重量が約830g、
動作時間は約5時間。本日付での価格.comの最安値は約9万円。
Surfaceをはじめとして、携帯性を重視したWindows機を最近各社がこぞって出しているが、サクサク動くスペックにして15 - 20万の価格帯を考えるとどれもライトユーザーにとっては高嶺の花だという感じがする。フルwindowsで1kg以下というのは、現時点でそんなに高い付加価値なのだろうか。
追記:
そういう評判をネットで読んでChromebookを購入して使ってましたが、オフライン環境で電源OFFから立ち上げるとゲストユーザーとしてしか使えず、いろいろ制限が多すぎて面倒なので結局売ってしまいました。(再追記:映像ありがとうございます。去年秋頃までAsus C200MAを使っていて、何回やってもオフライン環境では自分のアカウントでログインできなかったんですが、その後アップデートで改善されたという理解でよいのでしょうか。ちなみに、このエントリの著者です→http://anond.hatelabo.jp/20150927211800)
Google日本語入力はとてもよいと思いますが、問題は別の言語(欧文)との入力を組み合わせる場合です。Android端末と共通の問題ですが、特定言語(欧文)に特有でしかも頻繁に使う引用記号などがChromebookでは瞬時に打てません。OS全体の言語設定を変えても無理でした。多言語処理が一番まともにできるのがmacとiOSという消極的な理由で現在の選択肢に落ち着いています。
iPad miniのバッテリ残量:38%
自分の場合は、特定の仕事に必要な条件を列挙していって、あとのことには目をつぶったら消去法でこの組み合わせになった。最初はiPad miniなんて割高な情弱向けの端末だと思って、見向きもしなかったが、いろいろ試してみて結局現時点でこれが残った感じか。
出先であれもこれもやる必要がありそうだと考えて、「全部入り」を選択するとフルwindowsのノートになるんじゃないか。
その場合でも、価格/重量/バッテリー持続時間/キーボードやタッチバッドの使いやすさ等で、トレードオフがある。
あらゆるシーンでフルwindowsが必要だという考え方は、仕事に必要なものの明確化ができていないか、心配事が多くて、バッグにいろいろ詰め込みすぎて重くなってしまう事態に似ていると思う。
文章を書く時は横置き。iPad miniだと、縦置きでPagesを使うと字が小さすぎる。Wordのドラフト表示みたいなのができて、プレーンテキストだけじゃなくて、傍線を引いたりスタイル設定できるアプリがあったらそっちに乗り換えて縦置きで書くかも。
Thinkpadのキーボードの使い心地、自分も大好きだけど、やっぱり重量が問題。
歩き回って考える→カフェや図書館で座って書く→歩き回って考える
の繰り返しで書いていくので、バックパックに重いノートpc一式を入れて1日それをやると、背負い紐が肩に食い込んで痛くなってくる。
テーブルが高すぎる施設もけっこうあるので、キーボードだけを膝に置いて打てるのは便利。
タブレットホルダーやらをいちいち立ててセッティングするのが面倒ではある。
帰宅してから古くて大きい方のiPad + Microsoft Universal Mobile Keyboardでこれを書いてみたが、やっぱりこのキーボードは長時間執筆には向いていないと感じる。ちなみにこれは、最近話題だったASUS Transbook T90 CHI のキーボードによく似ていると思うのは自分だけ? まったく使えないほどひどくはないが、どこかおもちゃっぽい。
iPadの日本語入力が完全ではないというのはまったく同意します。ただ、使い続けているとなんとかなってきます。いまのところATOKは買わずに、もともとの日本語入力だけで毎日原稿用紙10枚分書いています。他の人が言われてるほどこの日本語入力は苦痛ではないです。
なぜキーボードにそんなにこだわるのかというと、腱鞘炎が再発しないように気をつけているから。
エディタは無料のPages。UIの好き嫌いで選んでますが、結果的にアイディア出しをやりながら草稿を貯めていく作業にけっこう向いているようです。起動すると文書がカード形式で並び、それまで自分が考えてきたことがおよそ俯瞰できます。Command + Spaceキーでスポットライト機能を出して検索するとpagesファイルは全文検索がかかるので、ipadに入れてある他の資料、複数の草稿の間を行き来しながら納品原稿を仕上げていくイメージです。縦書き状態のチェック等は最後にdocx形式にエクスポートしてノートpcでやります。pagesファイルとdocxファイルの互換性、見た目の再現性等については、校正が入るので基本的には問題になりません。
なぜ電源のない環境にこだわるかというと、自分の場合、歩いて体を動かしているといちばん考えがまとまるので、ある程度まとまって座ったところに電源があるかないかを気にして行動を制限したくないからです。
「多言語処理」で意味するところは、複数の言語に特有な記号や文字組みを同一の文書内で適切に混在させるという程度のことです。
日本語入力を切って半角入力にしただけでは入力しにくい欧文の記号はたくさんあります(アクセント記号、"と違うかたちの引用符、改行できないスペース記号等)。日本語と英語だけを混在させる分にはこれは問題になりませんが、他の欧文を表示させる段階になると問題になってきて、Androidはこういった処理がひどく弱いので実用に耐えませんでした。Windows + Wordで文書を書いている分にはこの問題はクリアされていますが、日本語版のwindowsにたとえばフランスで作られた辞書アプリをインストールすると、文字化けします。OS全体の言語設定をフランス語に変更しても解消されません。一方、同じアプリのmac版は、OSの言語設定に関係なく適切に表示されます。こうした処理をユーザーの側がいちいち気にしないレベルで解決されているのがmacとiOSという消極的な理由で、少々高くてもしょうがなく使うわけです。Androidのキーボード周りがもう少し洗練されてきたら乗り換える可能性もあります。
業務の前に書店に寄ることが、半ば習慣化していた。
人の声の重なりのような、妙なざわつきを感じる。
地面が揺れていることに気づいたのは、その後だった。
一昨日の余震だろうか?それならばすぐに収まるだろう。
生まれて初めて体験する激震が、我が身を、そして店全体を揺らしたのは、そんな甘い考えが脳裏をよぎった瞬間のことだった。
本を買うより、身の安全の確保が第一だ。
店を出る瞬間に、視界の片隅だけに見えていたものだけど、その光景は良く覚えている。
激しく揺れ動く地面と同様に、あまりにも落ち着きのない思考が私を動かしていた。
だけど私は運が良かった。ガラスが割れる軽やかな音に気づけたから。
目の前で、ガラス造りの街灯が落ちて地面に砕け散った。
あと数秒、私の走りが早かったら、危なかったかもしれない。
まずは身の安全の確保だ。最優先事項にやっと気づいた私は、元々いた書店の入り口近くにある金属の柱にしがみつく。
建物の近くにいては倒壊に巻き込まれるのではないか、という考えもあったが、倒れそうには見えない外見のビルであったし、何よりも、屋根があった。
何かが落ちてきても、屋根があれば最悪の事態を免れることが出来るだろう。
一息ついて油断した、その瞬間を見逃さずに追撃するかのように、それはやってきた。
もっとも、どんな覚悟も、あれの前には無意味だったと思う。
視界に入るもの全てが揺れ動いていた。地面が左右に揺れる、というのを視認したのは初めてだったと思う。
地鳴りと悲鳴が重なる。震度表には「立っていられないほどの揺れ」という表現があるが、まさにそれであった。
銀色の柱にしがみつき、身体を支えること以外、何も出来なかった。
勇気ある人は、危険な位置にいた女の子たちを比較的安全な場所へと誘導していた。
その後、ガラスの街灯がまたひとつ落ちた。ガラスの破片が散らばったけれど、気にしている余裕はない。
私は死ぬのか、この世は終わるのか。本当にそう思った。
長い、長い、私の体感では3分ほど、実際はもっと短いだろう(これを書いている時点では正確なデータがないのです)、
だけど長い地震が終わって、私の思考はまた落ち着きのないものへ切り替わっていた。
そうだ、職場に行かなければならない。
揺れが収まり、身動きが取れることを確認すると、私は職場のビルへと向かった。
エレベーターは動かない。12階立建てのビルの3階に職場はある。
階段の壁は一部が崩れ、破片がそこらに落ちていた。非常灯がなかったので、昼と言えど薄暗かった。
それは階段だけではく、各階でも同様のようであった。日の光が差し込むだけ、階段よりは明るかった。
ドアを押しあけ、オフィスへ入るとほぼ同時に、余震が襲いかかった。あの本震の直後の余震である。実際にどれほどの震度の余震だったのか、これも現時点ではわからないけれど、本震と同じくらい強いものに感じた。
「危ないから入ってきちゃ駄目!」と悲鳴に近い声が私に掛けられたけれど、入ってきてしまったものは仕方ない。
オフィスの中にいた他の方々とともに、私は机の下に身を隠した。
自ら飛び込んできた私はともかく、朝から働いていたオフィス内の人々は、突然の、しかも未曾有の大きさの地震を受け、憔悴しているようだった。
それから、階段を降ってビルを出て、一度は近くの小学校へ避難した。しかし、地域の方々の避難が最優先であるため、解散の命令が出るまで、私たちは歩道で待機していた。
その間も余震はまるで容赦しない。地面が揺れる、街灯や電線が揺れる。大きな看板が地震で壊れていて、たくさんの人が携帯電話で写真を撮っていた。
本震の最大震度が7と聞き、やっぱりね、とか、宮城県沖地震かな、などという話題が上がった。少量ながら雪が降り始めて、とても寒かった。
地震保険の話があった。我が家には適用されるのだろうか。いや、それよりも我が家は無事か。
携帯電話を操作して、自宅に電話をかけるも、繋がらない。当たり前のことだった。
それからしばらくして、今日のところは解散、ということが上司から伝えられた。私は家まで歩いて帰ろうとしていたけれど、同じ方向に住まいがある同僚がいたので、家の近くまで送っていただくことになった。
車道は当然のように渋滞していた。加えて、一部を除いて、信号も動いていない。
仙台市中心部から郊外へ移動しようというのだから、渋滞に巻き込まれるのは致し方ないことだ。30分で100メートル移動出来たかどうか、ということもあった。
正直に言えば、自宅まで徒歩で戻った方が、早く家についたかもしれない。しかし、車で送って頂いて本当に良かったと思う。
そう思う理由はいくつかある。ひとつは、複数の人とともに移動することによって、不安や恐怖と言ったものを少しは紛らわせたということ。また、車にはラジオが搭載されているから、最新情報を確認することが出来たのも大きい。外気を遮断し、暖をとりつつ移動出来たというのもある。被災直後から、仙台市内には断続的に雪が降り、吹雪くことさえあったから。
最終的なマグニチュードが8.8であるという報道を聞き、私たちは笑うしかなかった。この地震で亡くなった方が出るかもしれない、という話題にもなった。これを書いている今現在、確認されている死者は1000人以上であると聞いている。ここまで多くの方が亡くなってしまうとは、あの時、思いもしなかった。
移動中、私は家族が心配でならなかった。特に、自宅にいるであろう、母。我が家は築25年の木造住宅である。自宅が倒壊してしまったのではなかろうか、それに母が巻き込まれてしまったのではないか、心配で心配で溜まらなかった。
同乗している同僚は、2歳のお嬢さんを心配していた。夫の実家に預けているのだが、連絡が取れないのだという。
私も母との連絡は取れない。「頼りがないのは良い証拠」であるという、この場にはまるでふさわしくない故事を信じるしかなかった。
被災直後であるから、携帯電話は全く役に立たない。それはとうに承知していても、家族の安否を確かめたいというのは当然のことだ。電話はとても繋がりにくかったが、幸い兄との連絡はついた。それから、機械に疎い家族が見るかどうか分からないが、災害伝言板に書き込みをしておいた。
車に乗っていても、余震は我が身に伝わる。窓から見える外では、多くの人が歩いていた。結婚式の最中だったのか、よそ行きの格好のまま避難する人、スーパーのビニール袋を被る人、クリーム色のカーテンを纏う人、様々いた。
1、2時間も経つと、日が傾き、徐々に日の光が失われていった。明かりがあるのは車ばかりで、どの店、どのビル、どの建物も真っ暗なままだった。唯一、警察署だけは明るかったけれど、自家発電装置はいつまで持つのだろうか。
これだけの巨大な地震であるにも関わらず、高層ビルの倒壊がなかった、このことはすごいことだと思う。
しかし、それは外見の話だ。どこも大なり小なりの被害を受けていて、壁が崩れたり、窓ガラスが割れたりするのは当たり前、水道管が壊れて、水が溢れだしている家もあった。
3時間半ほどの時間を掛けて、自宅の近くまで送って頂いた。ここからは、歩いて帰ることになる。
外はやはり寒かった。実際の気温だけではない。街のどこにも光がない。駅の近くにある大きな交差点、そこの信号は機能していたけれど、他の信号は依然光を失ったまま。これまで車で通り過ぎてきた光景と同じく、街のどこにも灯りはなかった。
この夜の空は、山中で見るもののようだった。星座が確認出来るくらい、綺麗な星空。あまたの星がいつもと同じように、黒のキャンパスの上で煌めき、瞬く。暗い街並みといつにも増して美しい夜空を、私は生涯、忘れないと思う。
さて、この地震では、かなり多くの方が避難所での生活を余儀なくされている。
我が家はかなりましな状況であるということを、ここで記しておく(こうやって被災最中に手記らしきものを書いている時点でお察しの方も多いだろう)。
何せ、不自由なことは多いものの、自宅で生活が出来ているのだ。現在、これを書いている3日目の朝も、白いご飯を食べ、暖かな野菜のスープを飲み、ゆで卵まで頂くことが出来ているのだから。
4時間かけて自宅まで戻ってきたが、電気はついているはずもない。もしかしたらみんな、避難所にいるのかもしれない。あるいは……。
最悪の事態を思い浮かべながら、玄関を開ける。ただいまと誰もいないかもしれない家に声をかける。返事はすぐに戻ってきた。
家族は全員、茶の間にいた。みんな、無事だった。そのことに安堵の息を漏らしつつ、私は茶の間に入った。
意外なことに、茶の間は暖かだった。捨てるつもりでいた石油ストーブを物置から持ってきて動かしていたのだ。停電していても暖が取れるのはありがたかった。さらに、ストーブの上にやかんを置けば、時間はかがるがお湯が湧く。パンを置けばカリカリに焼ける。外は氷点下にまで冷え込む中、石油ストーブで外から身体を暖め、お茶で内からも暖める。とても幸せなことだった。これを呼んでいらっしゃる皆様には、是非一家に一台、石油ストーブの購入をお勧めする。
家の中には、父、母、兄、それに近くに住む親戚の小母さんがいた。小母さんは、この地震で誰とも連絡が取れず、また誰も帰ってこないという。家の中は地震で家具が散乱しており、中にはとても入れない。一人でいるのも不安である。そのため我が家に来たのだという。
自宅へ帰って来た頃、時刻はもうすぐで8時を迎えようとしているところだった。こたつの上には大きな蝋燭が立てられていて、その脇にラジオが置かれていた。懐中電灯もあるにはあるが、あまり明るくないので、部屋全体は照らせない。そのため、トイレに行く時等、移動する際に使われていた。
そういえば、自室に小さなライトがあるのを私は思いだした。いつだかに、ゲームセンターのUFOキャッチャーで取ったものだ。おもちゃに近いが、電球ではなくLEDなので、大きさの割には強い光を出す。
本棚が倒れたため、本で埋め尽くされ、足の踏み場がない部屋へ行く(自室の荒れ方がまた素晴らしかったので、出来ればお見せしたいところであるが、この時既に携帯電話の電池が切れていた。残念である)。机の引き出しの中にライトはあった。スイッチを入れると、白い光が散乱した部屋を照らした。
また、その時の私は、黒いタイツにストッキングと随分冷える格好をしていた。荒れ果てた部屋からジーンズを引っ張りだして着替えた。ついでに、タオルケットと毛布を茶の間へ持ち出した。
茶の間に戻り、ライトで辺りを照らしてみせると、蝋燭や懐中電灯よりも広い範囲をより明るく照らせたので、当座はこのライトで部屋を照らすことになった。裸火がなくなり、火事の可能性が低くなったのでひとまず安心した。
余震は断続的に続いていた。これを書いている今もそうだが、大小の関係なしに、何度も何度も地震に遭っていると、いつも地面が揺れているような感覚に襲われる。恐怖が完全に拭われることはなく、むしろ大きい余震があるたびに増大していった。
母は、少し昼寝をしようとしていた時に地震に見舞われたそうだ。これほど大きな地震であれば、逃げることをまず第一に考えそうなものだが、母は42型の液晶テレビが倒れないか心配だったらしい。テレビを支えつつ、近くの柱にしがみついて、本震を耐えきったそうだ。
兄は仕事をしていた。オフィスの中にあったパソコンは全て倒れて使えなくなったそうで、しばらくは仕事にならないだろう、それどころか解雇されるのではないか、と心配していた。
父もまた、仕事をしていた。スーパーでカゴ集めのパートをしている父は、地震の瞬間に店内にいた。これは危ない、と思い、しかし出口からは遠い場所にいた父は、普段は閉じられたままのガラス張りのドアをこじ開けて外に出たという。後から聞いた話によると、父の勤務地のスーパーは、天井が落ちてしまったそうだ。
ラジオから聞こえてくる男性の声が、この地震による被害の状況を伝える。泉区で家がひとつ倒壊した、壁に挟まれて死んだ人がいる、火災が発生した、津波で何もかも飲み込まれた……。いつもの夜のラジオなら、軽やかな音楽や楽しげに話すDJの声が漏れてくるのに、今宵は厳しい現実と、それを乗り越える手段が、無機質に流れ出ているだけだった。
私が自宅に帰宅して、1時間ほどして、親戚の小母さんの娘さんが帰ってきた。
この時、電話はまともに使えなかったが、メールやインターネットならば使用可能な状態にあった。
機械音痴らしい小母さんは、メールを打てない。私が代わって、娘さんに「小母さんは我が家にいる」との内容を打ち、送信したところ、娘さんはすぐに我が家に駆けつけた。それまでは近くの避難所を当たっていたらしい。
娘さんの勤め先は、長町にある。我が家は仙台市泉区に位置しており、長町とはかなりの距離がある。娘さんは同僚の方から自転車を借り、ここまで帰ってきたのだった。それまでに1時間半の時間を要したそうだ。
午後の10時頃に、小母さんの旦那さん、つまり小父さんが帰ってきた。小父さんは地震発生直後に車に乗ったのだけど、ひどい渋滞に巻き込まれて、この時間に帰ってきたのだという。実に7時間もの時間をかけての帰宅だった。
先にも述べたが、被災はしたものの、我が家はかなりましな方だった。屋根瓦が吹っ飛んだり、壁に多少のひびがはいったりはしたけれど、とりあえず住める状態にはあったのだから。停電していて茶の間以外は真っ暗だし、ガスも当然止まってはいるけれど、この時点で水道は使用できた。トイレも流せる。これだけで、精神に随分と余裕ができた。とは言っても、時間が経つにつれて水圧は低下していき、2日目の昼には断水になってしまうのだけど。
しかし、断水前に風呂に水を貯めておけたのは良かったと思う。おかげで、今のところ、トイレの水には困っていない。流石に大しか流せないので、そこらへんの節約は必要だ。
とにかく、電気とガスが使えないのが痛い。そうは言っても、ライフラインが回復するまでは今ある環境で耐えるしかない。母に菓子パンを食べるように勧められたが、遠慮して、お茶だけ飲んでいた。……皮下脂肪が厚いので、少しの間飲まず食わずでも耐えられる。
夜の11時を迎えたところで、両親に就寝するように言われた。どうせ、余震が続いて眠れないので、次の日の夜明け、6時50分頃まで起きているつもりだったが、せめて横になるように、と言われたので、茶の間の畳の上に体を横たえた。今夜は座布団が枕の代わりだ。寝転がり、目をつぶるだけで、少しは休むことができる。
形だけの就寝をし始めて1時間。日付が変わった後、ふと母の携帯電話を見てみると、2、3時間前まであった電波がなくなっていた。メールやネットならば使えたのに、それすら出来ない。ラジオ以外の情報獲得手段がない。ニコニコ動画やユーストリームでNHKの放送をしている、とラジオは伝えていたけれど、そんなもの役に立たない、と思った(もちろん、まだ電池のある携帯電話等を持っている人には重要なのだと思うけど)。ちなみに、家に帰ってきた時点で、私の電話の電池は切れてしまった。
日の出まであと6時間。ラジオは伝える。どうか日の出まで、希望を持ってと。ラジオは伝える。現実を。荒浜に、200から300の遺体が流れ着いたとの報を聞き、涙が頬を伝った。
3時か4時になった頃、NHKのラジオが音楽を流した。2曲流れて、1曲は確か「カノン」だったと思う。そのおかげがどうかは分からないが、私は少し、眠ることが出来た。余震がある度に起こされはしたものの……。
長い、長い夜を過ごしているうち、私はひとつ思いついた。
被災している最中から、忘れないうちに、体験談を記しておこうと。
携帯電話は使えない。iPadは不向きだ。だから今、pomeraを使って書いている。我が家にて、単4電池を使う懐中電灯等もなかったから、こうやって書いている。
これは被災してから2日目に書き始めた。現在荒削りながら、被災当日のことを書き終えて、5日目である。出来れば電気が繋がった3日目のことまで書いて、増田に上げられれば、と思う。私なんか、とてもとてもましな方だったけれど、千年に一度とも言われる天災の体験談は書いておかなければならないと思った。……エゴイストで申し訳ない。
また、普段は趣味で小説のようなものを書いているので、そのような表現があり、読みにくい箇所も多々あったかと思う。このことについてもここでお詫びする。
私が住んでいる仙台市泉区のとあるところでは、3日目で電気が繋がり、4日目で携帯電話の通話及びメールが使用可能に、そして現在、5日目の朝にネットが復旧した。