はてなキーワード: まとめ民とは
今のはてなは女叩きのメッカと言っていい状態で、特に最近運営が手を入れるまで半年ぐらい主に増田の女叩き記事が延々毎日複数個ホッテントリ入りしていた。
元々弱者男性論が幅を利かしているところで、そこまでは許容範囲なのだがそこで男性社会での疎外や表現規制の主題を扱えばいいのに女叩きの方に行ってしまい、雪だるま式にルサンチマンやデマで埋まってしまう。
更に最近だとコロナ初期での反PCR運動という反技術ラッダイトムーブメントの中心となり社会に甚大な悪影響を与えたのが記憶に新しい。
はてなは2010年頃からブクマリニューアルとか日経との提携とか「キャズムを超える」為の施策を色々やってたんだが、その結果キャズム超え出来ずに土着化したようなユーザーの楽園になってしまったんじゃないかと思われる。
創業当初のはてなは個性的な「変な会社」で、技術志向のユーザーと運営の距離が近かった。障害が発生したらその障害の内容を技術的に解説する、todoリストを公開する、ユーザーがwantリストに書き込める等の特徴があった。
人力検索だけだったサービスにはてなブックマークとダイアリーを加えると数年でユーザーの特徴や偏りが顕著になった。
IT技術者、経営者ワナビー、リベラル、非モテ、がメインユーザーとなった。
IT技術者が多いのははてなの運営特性に合致するターゲット層だから。
経営ワナビーは小泉改革と大人気学者だった竹中の影響だが、肝心の経済に弱いという特徴があった。日本の経済構造を一新する改革側に居れば既存の経済活動に関する知識や経験は必要ないしそれが自分を幸せにすると信じていた。金融とは証券取引の事と信じそれらとM&Aの記事に金融タグを付けて経済通のつもりになっていた。商慣行や銀行との付合いには無知だった。
リベラルが多かった理由は2chの隆盛の為だ。まだネットの書き込みに関する事件捜査は行われておらず、ブログや掲示板を炎上させれば意見が通ると信じられて全能感に浸る2chネラーが暴れており、その対極としてはてなが位置づけられていた。故にこの頃のはてなは一部のネラーに憎悪されていてはてな=在日朝鮮人などという病識がないコピペで溢れていた。「2chの専門板ははてなでは敵いませんよ」という有名な文章があった。このころの2chネラーの全能感に棹さしてキャリアスタートさせたのが佐々木俊尚。
非モテは今に繋がるが、この頃は革非同などネタに昇華させて外国メディアに記事にされたりもした。
はてなユーザはこういう布陣でいた訳だが、一方で「キャズム」が問題になっていて『キャズムを超えろ』なんてブログが人気をはくしてもいた。
キャズムとは断崖の事で、新製品の受容ユーザーをイノベータ→アーリーアダプタ→マジョリティと分類した時に分布が正規分布になり、そのベルカーブの縁の部分を超えて広がるのが困難だという事である。
当時のネットはキャズムを超えられずベルの端っこの下、ロングテール部分にしか訴求出来ていない。これは製品の販売量で規模の経済が働かない、それ故広告料も上がらないという事である。
はてなはユーザーが特殊で偏っていて更にブクマのせいで喧嘩も多いという特殊な環境で、それで一般の人に忌避され、日記を始めてみたけど止めちゃう、アメーバに乗り換えちゃうというケースも多かった。
そこでキャズムの中のキャズムを打破すべくはてなは2010年頃から色々なイメージアップ策をするようになった。
・日経と提携する:経済意識が高いユーザーが多いのに応えてだと思われる。B層的であり経済事件などに不如意な点も経済記事を毎日読めばリテラシーがアップすると期待されたと思われる。
・綺麗なオフィスを公開する:会社のイメージアップと社員の採用面で重要。
・旅ブロガー等の推し:ココロ社氏やメレ子氏、在華紡氏など、一般受けしやすい旅&食べ物ブロガーを推してインタビュー記事などを掲載。最後の在華紡氏は喧嘩や炎上があると必ず火事場にガソリン持って立ってる人で推していいのかと不安に思うが、この甲斐あって彼等ははてな出身ライター、ブロガーとして多種媒体に出るようになった。
・はてブの改変:人気コメントだけだが表示されるようにするなど。ブコメ欄での論争低減を狙ったものと思われるがかなり不評でユーザーの流出もあって元の仕様との折半になっていった。
だがこうやって一般化を目指すと一つまずい事がある。
はてなのユーザ層はオタクに寄っている。そこでキャズムを埋めると一番流入するのは当時隆盛を誇っていたまとめブログ層じゃないのか?すると一般人とのキャズムはより深くなってしまう結果となる。
このまとめ民流入が増えた時機ははっきりしていて2018年だ。18年にネトウヨ春のBAN祭り騒動というのがあり差別デマや文字スクロール動画で埋まっていた日本版Youtubeが大掃除されたのだがそれでネットでの風向きが変わった。
更にこの前後からまとめブログでの広告引き上げが続いており、要するにまとめブログがおいしい商売では無くなった。元々差別的なまとめブログが隆盛となったのは広告料の上昇によるもので商売の形として確立され情報商材屋のシマともなった。しかも情報商材屋はネット広告でカモを集めるというループである。ネット広告キャパが拡大するに従って拡大した循環参照だが、広告料の上昇で審査が厳しくなって商売にならなくなったのだ。
ヘイト動画の方は18年の前から米国で悪質動画が問題になっており、極右や極左、イスラムの過激派が過激動画で勢力を伸ばしている事が問題視されてgoogleは対策に追われていた。ISの殺人動画等は消されても支持者がアップしてしまうのでそれを上回る速度で面制圧して統制しろとの要求がユーザーだけに留まらず行政司法機関から出されていた。
その為にガイドラインが相次いで変更されノウハウが蓄積され組織化されていた。結局広告キャパの拡大がそれらのコンテンツを爆増させ、それにより広告料の上昇が阻害され、対策されて消され市場として消沈するという流れだ。
ところでイーロンマスクは買収相手の業態の上記の流れを知らなかった為に「広告料上昇阻害」のラインまで広告引き上げされた訳で素人丸出し過ぎるんだが、まとめキッズとかツイ廃キッズのままで経営出来ると思っちゃったんだろうか?不思議な人である。
こういう流れがあってまとめブログのパイが急速に縮小して代わりにはてなにまとめキッズ(中年)が増えたという流れである。
彼等はtwitter社の大量解雇ではコンテンツ制御部署や法務部署の存在理由や綺麗なオフィスをわざわざ見せる理由が判らずにバックオフィスを「キラキラ世田谷自然左翼」だとの認識に蝟集し、めいろまの「twitterはアニメやプラもが好きな人らのものなのにユーザーに背を向けている」との論難に快哉を送ってしまっていた。会社にバックオフィスがある理由やこれまでのネット事件での流れ(特に米国内)、メジャーサービスでのキャズムの超克というテーゼなどを何も知らない無垢さを現していて侘び寂びの念に包まれる。
ついでにM&Aでイーロン下でtwitter社が多額の負債を抱えることと成長企業は積極的に融資を受けて投資に回す事を混同しており、企業体質が巨額赤字だと信じていた。税制への無知である。後になって「LBOはそういうもの」等と誤魔化しているが、そもそも個人が手持ちの金で買うというスキームで考えていたので無駄である。これは給与生活以外の世界を知らないからでネットの経営者ワナビーの悪影響である。
新型コロナが流行し始めるとはてなでは「インフルより弱毒」「ゆっくり感染して社会免疫」「PCR検査数が増えると偽陽性が激増するので検査してはならない」との危険なデマが席巻する事になった。また悪質なブクマカがPCRを受けたいとの願う患者や意志を見つけ出しては悪罵して叩き潰すという行為に出た。
最早社会に対する驚異である。この時のはてなはパブリックエネミーと呼んで差支えない。
これらの主張が「科学的」の表皮を被っていた事は忘れてはならない。有名なのがベイズ推定での偽陽性の議論の援用だが、ベイズ推定はベイズ統計学の一つのタームでしかないので概念の理解が簡単な上に知的に背伸びした気分になれる。だがPCRの特性上、偽陽性が発生しないのだから適用出来るはずもない。
PCRは独立で機能出来る検査じゃなくて、DNAシーケンサーの開発と普及に拠っている。2001年頃にシーケンサーが開発され、塩基配列が容易に読めるようになった。更に開発競争により世に普及するとともにありとあらゆる生物、ウイルスの遺伝子が読まれるようになった。この時に沢山使用される試薬の需要に応じて多くの試薬ベンダや製薬会社の部門が設立され、例えば焼酎の宝酒造が設立した子会社がタカラバイオだ。
この流れでコモディティ化した技術がPCRで、生物由来の物品を扱う様々業種で利用されるようになった。もうコモディティ化して普及が始まって20年以上になる。
要するにバイオテクノロジーにキャッチアップ出来てない人間があれらのデマに乗っかっていたのである。そもそも遺伝子検査で偽陽性が出るという事に疑問を抱いて調べないものだろうか?遺伝子偽陽性とは端的に他の生物と配列が一致するって事で、人間ががんになったら光合成できるようになったとか、人間同士から時々マンモスが生まれるって事だぞ?
しかもコモディティ化した技術なら必ずマニュアルと技術説明は公開されている。ソーシャルブックマークなのにそういうのを探しに行かないのだ。
代わりに「最先端の特別な知」的なものに弱い。これは、それらは具体的に判る所まで判らなくても背伸びした知的な自意識が満足させられるのに対して、コモディティ化した技術や常識では具体的に判ったところでスタートラインのペエペエだ。自意識の面では効率が悪いのだ。
これは経済分野でも同じで、日本が発達した資本主義社会なので経済知識を身に着けるのは大変だ。学校では教えてくれずに社会に出てしか判らない秘術みたいな知識もかなりある。それを身に着けて初めてペエペエなのだ。
だが給与生活者が経営者エアプしている限りはそれらの摩擦に晒されずに済む。こうして「ネット経済通」となって中年の永遠に終わらない青春に浸り続ける事になる。
コロナ初期にはてなスターが機能停止し運営はテストだと言い、それをブクマカらは無能だと評していたが、まず考えるべきなのははてなの異常なデマバブルだろう。SIモデルとベイズ推定を全能感の為だけに消費して批判的に検証しない、技術マニュアルを見に行かないという自意識フィードバックを停止させるために止めたのではないかとまず考えるべきだろう。
元から弱者男性論が多かった地でまとめキッズの植民が始まったら女叩きに移行するのは目に見えている。自分たちの権利擁護として表現規制反対が多くなるのは当然の権利で真っ当な事だ。だがそこから批判対象がフェミに収斂し、女叩きへと容易に至る。
だからcorabo叩きの最中に男女平等パンチ賞賛の増田なども当然にホッテントリ入りする。
https://anond.hatelabo.jp/20230110202355
女に対する恨みの蓄積なんだそうだ。しかも世の男は皆女に恨みを抱いていると考えている。それは弱者男性だけであるし弱者男性の敵はそもそも「男らしい男」やその概念ではないのか?
それからcorabo叩きの最中には「西早稲田2-3-18-51」デマも複数ホッテントリ入りしている。これはプロテスタント教会が市民運動に事務所貸ししてるのだが以前は在日朝鮮人の根拠地という噴飯な差別デマであったものをアレンジしたものだ。エグザイルの伝統舞踊を踊りなんである。
非モテ+リベラル+経営者ワナビーの集団のうち、非モテは残って女へのルサンチマンで上書きされ、リベラルの非現実性とのバランスに実務者や現実主義ではなくて自称リアリストが蝟集して現実から遠ざかってしまい、経営者ワナビーの経済音痴は温存されたままになってしまったのが現在のはてなだ。
故に10年前のリニューアルはうまく行かなかったと言える。一般人を呼び込むつもりが一般人が近寄りがたいデマが横行するルサンチヘイトサービスの方に行ってしまったのだ。
S 爆サイ民
B 嫌儲民
E ネトウヨ
現在はなんGがメイン
「最後にレスした方が勝ち」という特殊ルールを採用したフィールドで戦闘を行っているため
屁理屈の王
他では許されない長文を繰り出し論理とお気持ち表明を混ぜて相手への口撃を行う
『チョコエッグ』や『クンニ』等 劣勢になった際の誤魔化し手段も豊富
底辺。
斜陽になってきた日本においては価値観が合致する者が増えてきており
思想も極端な方向で統一が取れておりネトウヨやレイシストが大量にいる
今やすっかり過疎
古いノリを許容しているが故に寛容な部分がありレスバも少なくなってきている
放っといてあげよう
割と好戦的だが根本的な話 思想を管理人に操作されていることに気付いていない
最弱
『レスバが発生し得るのに場がレスバに適していない』という重大な欠陥を抱えている
逆に横から同意するレスを飛ばしたりしても自演扱いされてしまう上 自演を証明できない
これを使用して「俺はこれだけ支持されているんだ」と誇示できたりできなかったりする
スレの流れに沿わない発言をすると複数人から通報されIDが顕になるという謎のシステム
つまり気に食わない意見をとっとと排除してしまう仕組みのためレスバどころの話ではない
そもそもの話ふたばは他のSNSと比べて返信が激烈にやりにくい(文章を丸々引用する必要がある)
たまにまとめ民丸出しの人なら見る
夫婦は「どちらかが浮気したら離婚。親権は無責側」と取り決めていた(結婚前に夫側が何度か浮気したみたいだが)
ところが、妻が過ちを犯した
妻の仕事先の男?が「死にたい、死ぬ」と言って夜に妻を呼び出した。
そこで酔わされてホテルに連れ込まれた。今思えばレイプドラッグだろうな。
それが夫にバレて妻は泣いた
夫婦は男の家に行った
被害者の女性は他にもいるようで、男の妻は妻を許し、女同士で何やら話して握手をした
それで浮気?の件は終わりと思われたが、夫は許したつもりで割り切れなかった
妻が夫との夜を拒んだのを「あの男にはやらせたのに?」とムカついたり
妻の態度が普通でもビクビクしててもまたムカついたり、
とうとう離婚を切り出した
籍を抜いた状態で召使いのように扱き使い、性欲処理はデリヘル呼んだりした
息子の前では仲良しのふりしてな
スレ民のアドバイスを受け、夫は妻にこれまでの事を詫び、籍を戻すこと、仲直りを申し出た
妻は、私にはそんな資格ないのにと泣いた
そして夫婦は仲直りし、この時の夫らしきチラ裏の書き込みもある
ピクニックに行って、妻の笑顔に、好きになった時の事を思い出した、とか
日数が合わなくて夫が不信に思い尋ねると、妻は泣いて詫びた
籍を抜いていた時期に、つらくて弱った心に優しい言葉をかけてきた男としてしまった、夫がデリ呼んでるし、と思ったのだと。
夫は妻を許して女の子の父親になる覚悟を一度は決めたが、名前何にすると爪が話しかけてきたときに上の空になってしまうなどして、俺はこの子の父親にはなれないなと悟る
まとめ民やスレ民には、クズ夫婦!とくに嫁がクソ!と叩かれていたけど、私はとにかく二人ともかわいそうな悲劇と思えてならなかった
ここ数年、Twitterを見ると気が落ちることがある。些細な事象をすぐさま自分のことのように怒ったり悲しんだり、そこから喧嘩が発生したり、晒し合いになったり、いわゆるクソリプが多発していたりと、一方通行すぎる現場を多々目にして勝手に気が落ちる。
こんな社会になったのはなぜだろうと考える。そうすると「そういう人たちは加減を知らないのだ」という答えに辿り着く。令和、それは加減を知らない喜怒哀楽が当たり前になる時代なんだろうか。
半年ROMれの言葉でもわかるように、一昔前のインターネットは『ローカルルールも理解しない者は問答無用で叩かれる文化』があったと思う。それが良いか悪いかはわからないが、実際にローカルルールも読めない・守れない人間は9割がどうしようもなく、1割だけが天才だ。きっと9割の人間は、私生活でも他人を平気で傷つけているのだろう。ローカルルールがあることで、昔の2ちゃんねるはどうしようもない者を選別していたと感じる。
今のTwitterにはそういった文化がない。もちろんTwitterに存在する10年選手たちは概ねそれを理解している。しかし世間のビッグウェーブにより有能な選手は追いやられ、今Twitterの主導権は『加減を知らない者』が握っている。実際に10年選手たちは嘆く。そして諦めてこう話す、「世の中は加減を知らない者ばかりになった」。
加減を知らない者たちは、とかくバズる、共感者を増やす、フォロワーを増やすことを目的としている。だからどんどん過激になり、言葉は軽く、そして安くなっていく。
140字という限られた文字数のなかで、どれだけわかりやすく人々の感情を煽れるか。Twitterの手軽さは良い側面も多分に持っているものの、『大衆に』『ウケたい』という気の引き方が見えたとき一気に輝きをなくす。そしてそれを受け入れる者が大半になってしまったから、料理は140字のなかで【バズレシピ】などと紹介されるし、2ちゃんでも使い古された【悲報】などというワードが今でもはびこる。おそらくなんJで使われる猛虎弁もそうだろう。彼らは猛虎弁がTwitterに持ち込まれることを大変に嫌っており、猛虎弁はなんJだけで使うものというルールがあった。それがなくなり、今ではTVでも当たり前に取り上げられるほどメジャーになった。「まとめ民乙」と言うメンバーが圧倒的に減った、なぜならほとんどが当たり前にまとめ民で、自身がまとめ民であることに気づいていないからだ。
加減を知らない者たちは、わかりやすいトラブルや事件に食いつく。自分の感情を手軽に煽ってくれるからだろう。本質などもう関係なく、安い刺激で心を満たそうとする。たとえば年始に起こったNGTの事件は、まさに加減を知らない者たちの棲息地になっている。山口真帆を守りたいという気概は立派だが、見る限り大半の人間が山口の主張ばかりを信じ、山口を傷つける者を工作員と扱い攻撃している。完全なる一方通行だ。真相は出てきていないはずなのに、メンバーを『黒』扱いし問答無用で叩く。
先日犯人扱いされているメンバーが涙ながらに無実を訴えていたが、加減を知らない者たちにそれが届くはずもなく、さらにフルボッコにされるという地獄絵図を見た。この事件に関しては山口を持ち上げたTVやネットメディアも大いに責任があると感じるが、それでも受け手のリテラシーもあまりに欠落している。繰り返すが「真相は出てきていない」のだ。やすやすと騒がずに見守れないものか。検察は事件に関わったメンバーはいないと判断している。司法の判断すらも無視し、世論は「加減を知らない者」によって作られていく。それに怒り狂う少数の人間が同じ土俵に上がり、餌にされていく。煽り運転などのデマも止まらない。
こんな者たちに自分がターゲットにされたら終わりだ。だからほとんどの人間が関わらないようにする。しかし関わらないままでは加減を知らないモンスターはつけあがり、悪魔の証明をねだり、増殖していく。そんな人間たちを受け入れ、なあなあでやって行くのが正解だとは思わない。こんな哀しいモンスターを大量に生み出した社会に問題がないわけがない。それも抱えたまま、誰も指摘しないまま行き進んで、諸行無常などと言い、それでどんな末路が待っているのか。
誰か止めてくれ。私も止めるから、一緒に止めてくれませんか。こんな令和でいいですか?私は令和という元号は嫌いだけれど、生きるならなるべく良い時代にしていきたい。細かいことじゃなくていい、もう一度『加減を持つ者』を生きやすく。そして、『加減を知らない者』を救う社会を求めている。私もやるから、あなたもやって欲しい。お願いします。