はてなキーワード: 謝罪文とは
元増田です。
ご覧になったかわかりませんが、ご指摘いただいた点について、ご返答すると元記事に3月12日正午過ぎに追記しました。
しかし直後に、その記事に削除の申し立てがあり、はてなサポート窓口 法務関連対応チームから記事削除の連絡がありました。その連絡の中に、
なお、今後も匿名ダイアリーを利用して同氏に対する言及を続けられた場合、はてラボおよびはてな全体のサービス利用停止措置などの対象とし、別のアカウントを取得しての再利用もお断りすることとなりますので、ご注意ください。
と警告を受け、削除の申し立て人に言及せずにあなたへのご返答は難しいため、ご返答できません。
追記で返答しますと書いたにも関わらず、申し訳ありません。どうぞご了承ください。
(追記)
上で3月12日と書きましたが、正しくは3月19日でした。謝罪文にもかかわらず推敲が不十分で申し訳ありません。お詫びします。
前々回の投稿(11)で言及した『映画秘宝』内部で起きていた「業務の『私物化』」について、引き続き今回も述べようと思います。
ムック形式が好評だったこともあり、90年代の終わりに雑誌化・大型化を見事に果たした『映画秘宝』は、傍目には順風満帆に見えました。しかし、初期の同誌を読んでいた方々ならばご存知のとおり、若者の購読者を想定した誌面作りとはお世辞にも言えませんでした。初期の『映画秘宝』がそのターゲットにしていた購読者とは「子供時代の70年代に映画館やテレビで観た映画についての記憶を、編集者・ライター陣と共有する大人」だった訳ですが、当時そんな条件を満たしていた人たちは、私も含めて既に「立派なオジサン・オバサン、若しくはその仲間入りも間近な人たち」でした。そのままでは購読者の高齢化によって、ジリ貧に追い込まれるであろうことは明らかでした。
したがって、雑誌『映画秘宝』が将来的にもビジネスを継続して生き延びるためには、長期的な戦略として「より広範で多様な読者層を開拓すること。それも、特に『若者層』と『女性層』を購読者として積極的に取り込むこと」を選択するべきでした。しかし、こんな事を今さら書いても、後の祭りです。
ご承知のとおり、それとは正反対の戦略を『映画秘宝』は選択しました。いや、何らかの戦略を選択したと言うよりも、むしろ「長期的な戦略など、当時の『映画秘宝』編集者・ライター陣は露ほども真剣に考えてはいなかった」と言う方が正確かもしれません。
覚えている方もいるかもしれませんが、高橋ヨシキが『映画秘宝』の表紙デザインとして、邦画から引用した「裸の女性が荒縄で緊縛されて馬に跨がる残酷エロ画像」をコラージュして仕上げたことがありました。この表紙について、町山智浩は「この表紙じゃあ女性が手に取り辛い(=買い辛い)」とボヤいていました(※注)。雑誌の「顔」である表紙がこんな状態だったぐらいですから、高橋ヨシキの頭に「女性購読者を獲得すること」など微塵も無かったことは明らかです。
既に述べたとおり『映画秘宝』は「女子供から映画を取り戻せ!」をスローガンにしていた訳ですから、むしろ「いかに女性が手に取り辛い(=買い辛い)デザインにするか」について考えた上で、高橋ヨシキは意図的かつ積極的に「女性が嫌がりそうなデザイン」に仕上げたのだと考えるのが妥当です。きっと、このような表紙を作っていた時の高橋ヨシキは「オレたち男だけの輪を乱すような奴(=女性)は、お呼びでないから帰った!帰った!」「この表紙デザインを見たら、きっと町山さんも喜ぶだろうなあ!」と云う気持ちを込めていたことでしょう。(※注:ところで、町山智浩も本気でボヤいていたのではないのだろうと私は思いますが、そう思う理由については別のところで述べます。)
近年は真魚八重子などの女性執筆者が『映画秘宝』に登場する機会が増えてはいましたが、それで町山智浩や高橋ヨシキの芸風が改まったようにはとても見えず、むしろ却って「これでもオーケーなんだ!こんな芸風でも女は許容してくれるんだ!」と彼らの勘違いを助長したと云う可能性すら有ると私には思えます。仮にそうだったとしたら、真魚八重子の頑張りが報われていなかったことになって、非常に気の毒な話ですが。
また、これも既に過去の投稿でも述べたことですが、比較的早い段階から『映画秘宝』は、ごく少数の寄稿者(例:山本弘)を除けば「アニメファンを蔑視・敵視・嘲笑する」と云う態度を明確に打ち出していました。この「アニメ叩き」の姿勢は同誌において長く一貫していたと言ってもよく、恫喝DM事件が発覚する直前にも「『鬼滅の刃』は絶対に観ない!」と、訊かれもしないのに自分たちの方からアピールに励んでいました。
もちろん、思想信条の自由に照らして考えれば、編集者やライター個々人が「何か」を嫌うこと自体は許されるべきです。だから、対象が「萌えアニメのファン」だろうと「女性」だろうと何であろうと、高橋ヨシキらが個人的に何かを嫌うことは自由の範疇あると言えるでしょう。極端な話、内心だけに留めて現実の世界で実行に移しさえしないのであれば、性的マイノリティ/人種・民族etc.に対するネガティブな気持ちを持っていても許されるでしょう。
しかし、その上で問いますが、当時の編集者・ライター陣がわざわざ誌面を使ってまで「女嫌い」や「萌えアニメ嫌い」を盛んにアピールしたり、ゲイを繰り返し「ホモ」呼ばわりして嘲笑し続けて、雑誌『映画秘宝』を売ると云うビジネス全体にとって、何か良い成果を招いたでしょうか?結果的には、女性・萌えアニメファン・性的マイノリティはもちろんのこと、それらに該当しない人たちにすらも「何だか『映画秘宝』は排他的な雰囲気があって嫌だなあ。近づくのは止めておこうか」と思われ、遠ざけられただけに終わったように私には見えます。
そうして「未来の購読者」に成っていたかもしれない人たちも見す見す逃してしまって、長期的に見れば大きな損をしたのではないですか?もしも、編集者やライター陣の個人的な好みに拘ったことによって、ビジネスの未来が失われたのだとしたならば、それについての責任を彼らはどう取るつもりなのでしょうか?
当時の『映画秘宝』の萌えアニメ叩きムーブに関しては、こんな出来事もありました。ある時、俳優の加藤雅也に対するインタビューを行った際、わざわざ「最近の若い奴らは、萌えアニメなんかにウツツを抜かしているんですよ!」と御注進に及んだのです。もちろん、そのインタビュー記事の中では、それに対する加藤雅也の「『萌え』ねえ…」というリアクションの言葉を「例の見慣れた太いゴシック文字」で強調することも忘れませんでした。つまり当時の『映画秘宝』は「あの加藤雅也サンも、萌えアニメなんか好きな奴のことは見下して馬鹿にしているんだゾ!読者の皆も後に続け!」と、虎の威を借る狐のスタイルで萌えアニメファンを嘲笑することに勤しんでいたのでした。それにしても、何の脈絡も無く突然「萌えアニメが云々」とか言い出したので、インタビューを受けていた加藤雅也も反応に困ったのではないでしょうか。加藤雅也についての面白い/興味深い話を読みたい読者の立場からすれば「何でインタビュアーがいきなり『オレは萌えアニメが嫌いだ!』と自己主張を始めるんだよ。お前は主役じゃねえだろ。お前の自己満足にスペースを割くぐらいなら、もっと加藤雅也の言葉を載せろよ」と云う感想を抱くしかありませんでした。きっと、このインタビュアーの脳裏には、読者の存在及び読者のニーズなどは思い浮かびもしなかったことでしょう。
上で述べたような行動に熱中していた『映画秘宝』編集者・ライターたちは、ただ単純に「『自分たちの欲求』が充たされて気持ちが良かった」のだろうと思います。もちろん自分の欲求を充たしたいと思うことは人間として当然ですし、仕事を通じて欲求を充たすことが出来れば、こんなに幸せなこともないでしょう。しかし、それをするならば良識と限度が必要不可欠です。わざわざ無駄に敵を増やし、未来の購読者を失ってまで「自分たちの欲求を充たすこと」を優先したことは、仕事(ビジネス)として必要なこと、正しいことですか?
ひょっとしたら「眼の前の『利益』を捨ててまで『信念』(=嫌いな奴らを大っぴらに嘲笑すること)を貫くことが出来るから、オレたち(=『映画秘宝』)はスゴいんだ!」と、『映画秘宝』切り株派は自分達に酔っていたのかも知れません。しかし、それは別にスゴいことではありません。
洋泉社としては、雑誌『映画秘宝』の刊行を「遊び」や「無償ボランティア」として、ではなく「まっとうなビジネス・業務」として行っていた訳です。それには先ず雑誌が売れること、それも短期的にだけではなく長期的に売れることが先決であり、その為には更に、購読者を増やすことが何よりも重要でした。したがって、これらの重要事項こそが『映画秘宝』製作チームに対して洋泉社が何よりも先に求めたことだったはずです。「何よりも先に」です。
それなのに、購読者を増やさず、と言うよりも増やす為の努力を端から放棄して、逆に無駄に敵を増やすことにだけはキッチリ勤しんでいた訳ですから、洋泉社にとって『映画秘宝』の編集者・ライター陣は、さぞかし頭痛の種というか獅子身中の虫というか、実に困った存在だったと推察されます。
こういった「まっとうなビジネスであれば求められて当然の事柄」には応えようとせず、何よりも先ず「自分たちの欲求を充たすこと」を優先して仕事に臨む、これこそが私の言う「業務の『私物化』」なのです。
この文章を読んでいる方は、試しに想像してみて下さい。もしも貴方が何処かの会社などに勤務していて、社員皆一丸で協力して赤字解消や顧客開拓などに努めねばならない時に、赤字を垂れ流したり顧客どころか敵を増やす行動にばかり勤しむ同僚が社内にいたとしたら、しかも、それに勤しむ理由が「自分が気持ち良いから」とか「これをやると○○センパイが喜ぶから」とかだったら「テメエの『趣味』の為に業務を『私物化』するんじゃねえよ!」と言いたくはなりませんか?単に「職業人」としてだけではなく「社会人」としても失格でしょう。
このように『映画秘宝』の行動は、とても「長期的な利益を考えている」とは思えないようなものばかりでした。岩田和明による恫喝DM事件を見れば分かりますが、ごく最近の『映画秘宝』内部でも「長期的な利益を考えず、自分が気持ち良くなることを優先する」と云う風潮が継続していたことは明らかです。更に、岩田和明が退職するからと云う理由だけで、のんさんの連載を打ち切って雑誌の「売り」を無くすように仕向けたことも、これまた雑誌全体のことを考えない「自己中心的な行動」でしょう。
仕事に関して「長期的な利益」について考えると云うことは「自分よりも若い世代に残す未来」について考えること、つまり「責任感の伴う態度」です。これに対して「業務の『私物化』」とは、仕事に臨むに当たって「今」の「自分」のことしか考えないこと、つまり「無責任な態度」です。
『映画秘宝』は、彼らが「精神年齢の幼稚な奴ら」と見なして嘲笑していたアニメオタクや「馬鹿な宣伝に騙されて底抜け大作を観に行く奴ら」と侮蔑していた女性と、彼ら自身とを勝手に比べて「自分たち(=『映画秘宝』の編集者やライター)はアイツらと違って『大人の男』なんだ!」と周りに向けて盛んにアピールし続けてきました。しかし、果たして彼ら自身は本当に「大人」と呼ばれるに値する人間だったでしょうか?
「雑誌の未来」よりも「自分たちの欲求」を優先し続けてきたことを、中心メンバーによる「業務の『私物化』」と呼ばずして何と呼べば良いのでしょうか?「身体は大人、頭脳はコドモの幼稚な遊び」でしょうか?
高橋ヨシキら「切り株派」が居なくなった2号目にあたる『映画秘宝』に、アニメ作品の特集記事が掲載されることが予告されました。この「居なくなった途端に」と言っても良い動きを見るに、おそらく「切り株派」が彼らの一存で他の派閥の編集者やライターに対して「『映画秘宝』でアニメ作品を扱うなよ!」と有形無形の圧力を掛けていたことは、想像に難くありません。そのような圧力が存在したとしたら、一部の人間の一存で企業努力の可能性を封じられていたことになるのですから、これもまた「業務の『私物化』」です。
「今」の「自分(たち)」のことしか考えない「無責任な体質」なのだから、年下の女性に対して恫喝DM攻撃を行ったり、自分たちよりも年下のフリーの女性編集者に対してパワハラを行ったりするのも、何ら不思議ではありません。告発を受けるまで、何一つ疑問に思わなかったのは「本当」でしょう。何しろ彼らの頭に有るのは「自分(たち)のこと」だけなのですから。
奈良さんがパワハラを告発した後に柳下毅一郎が出した、あの謝罪文としての体を成していない文を読んだ時も「ヨシキくんが報われて欲しい」とか、被害者を置き去りにしたことを書いていて「本当にどこまでも『自分(たち)のこと』だけに終始するんだな」と私は思いました。東大を出たぐらいだから間違いなく柳下毅一郎は頭が良いはずなのに、被害者を含めた「他者の存在」に対して満足に想像力を働かせることも出来ず、謝罪文一つまともに書けないとは流石に想像できませんでした。子供か。
『映画秘宝』の中心メンバーとも呼んでもいい人間たちが「業務の『私物化』」をし続けても恥じなかったのは、彼らの根底に有る「ボンクラと云う『甘え』」の精神だと私は思います。
アイヌの差別用語をそうと知らずネタに用いてしまった芸人が謝罪した。
内容はかなり誠実な物なのに、画像でツイートしたことのみに触れてそれは悪と脊髄反射で叩いてる人間が多くて呆れた。
いやさ、でけー会社とか、バックに大きな事務所が付いてる売れっ子芸人とかが同じことをやって叩かれるのはわかるよ。
そういうところが本気を出せば個人サイトのバッシング記事なんかは消させることができるだろうし、いやなんなら個人でないニュースサイトからも消させることができるかもしれないし、そもそも検索結果をいじる事だってできるだろう。
別にそんなことしなくたって、規模の大きい組織が活動し続けていればいずれ他の情報で埋もれるだろう。
そこで最後まで扱いに困るのは、自分たちの領域のどこかに置かざるを得ない「謝罪文」だ。
だからこそ謝罪文から本題を辿られるのを嫌って画像でツイートする。そうして謝罪にアクセスし辛くする。
じゃあ大して売れてない芸人はどうだよ。
事務所からも大して守ってもらえないだろうその辺の芸人はどうだよ。
ただでさえ「加害」の情報で本人の検索結果は埋め尽くされてるだろう、そしてそれはこの先も大きくは変わらないだろう、そんな中で謝罪にアクセスし辛くするメリットなんかない。デメリットですらある。
じゃあなんでそんなことをするのかって言えば「せめて手書きで、自分の言葉で、誠意を伝えたかった」以外にないだろうがよ。
謝罪文をちゃんと読んだか?ただ手書きってことじゃなく、テンプレでもなく、自分の言葉で書かれていることは読み取れるはずだ。
結果的にアクセスし辛くなってることは短慮だしバカだよ、しかしそこにはメリットなんかない。
少し考えれば力のない個人に「画像ツイ=悪」メソッドが適用されるわけではないことがわかるはずだ。
自分の言葉で自分の意思を伝えると言うのは人として正しい誠意の示し方だろうがよ。
そんな簡単なことも分からず脊髄反射で「正しい謝り方(笑)」を口にする奴に腹が立つ。
あーむかつく。
「人間性には問題が有ったかもしれないが、彼ら(町山智浩・柳下毅一郎・高橋ヨシキ・てらさわホーク)の本業である映画について書かれた記事や本をこれまで読んで楽しませてもらった」と言う人も散見されます。そこで今回は「そもそも、彼らの本業の部分である『映画について書く/語る能力』も、本当は怪しいものではないのか?」と云う点について、てらさわホークを事例として書きたいと思います。
雑誌『映画秘宝』では近年、クリストファー・ノーランをディスる傾向が見られました。おそらく、柳下毅一郎がクリストファー・ノーランを嫌うようになった事が原因なのだと思います。雑誌『映画秘宝』のホモソーシャルな環境の下、柳下毅一郎オジキのご機嫌を損ねないように、子分たちは必死でクリストファー・ノーランを腐すことで忠誠心を示していたのです。それも『映画秘宝』内部だけに留めておけば、馬脚をあらわさずに済んだのかも知れませんが、今となっては完全に後の祭りです。
発端は、映画『マン・オブ・スティール』が公開された当時、てらさわホークがクリストファー・ノーランを叩く記事を『映画秘宝』以外の場で執筆したことでした。ちなみに、本作におけるクリストファー・ノーランは原案・製作であり、監督や脚本ではありません。監督はザック・スナイダー、脚本・原案はデヴィッド・S・ゴイヤーです。
てらさわホークが執筆した記事は、大まかに言えば「原作や過去のスーパーマン作品には無かった要素や描写を、クリストファー・ノーランが付け加えた事によって映画『マン・オブ・スティール』は出来が悪くなった」と、ノーランを糾弾するといった内容のものでした。ところが、てらさわホークよりもアメコミ事情や映画に詳しい(だけでなく、作品との向き合い方についても遥かに誠実な姿勢の)人がはてなユーザーの中に存在した為に、てらさわホークの怪しい点が明るみに出ることになりました。この人が「てらさわホークが『原作や過去のスーパーマン作品には無い』として挙げた事柄は、実際は、いずれも原作や過去作品の中で描かれている。てらさわホークは、原作であるアメコミをきちんと読んでいないのではないか?」と、てらさわホークの『事実誤認』を指摘する記事をはてなブログにアップしました。
この指摘について、てらさわホークは反論文を自身のはてなブログにアップしたのですが、この時、てらさわホークは『致命的と言ってもよいミス』を犯しました。何と、てらさわホークは「それらが原作のアメコミで描かれている事実について、自分も知っている」と反論したのです。その結果「知っていたのならば、ノーランのイメージを悪くする事を意図して『ノーランが原作や過去作品には無かった要素を付け加えた』と云う嘘を故意に書いたのではないか?」と、てらさわホークには新たな批判が向けられる事態になりました。この新たな批判には答える事が出来なかったため、てらさわホークはブログのコメント欄を閉鎖して現在に至ります。
実際にどのような遣り取りがされたのかに関して興味がある人は、はてなブックマークなどで検索してみましょう。今でも読めると思います。
現在のてらさわホークは、アメコミ原作映画に関連する仕事を幾つも手掛けているようですが、彼が本当は「アメコミ事情に暗くて知識に乏しい」のか、それとも「知識は有るが何らかの理由が有れば平気で嘘を書き散らかす」のか、プロフェッショナルのライターとしての自身の能力と姿勢を、てらさわホークは明らかにするべきではないでしょうか。個人的には後者だと推測していますが、このように能力に疑念を抱かれるようなライターが「アメコミの有識者」であるかのように居座り続ける事を許している現状を見ると、本邦の映画ライター業界は余程の人材不足なのでしょうね。
ところで、パワハラ問題の発覚後の3月1日に柳下毅一郎がTwitterで出した謝罪文には「ヨシキくん」の文字は有れど、てらさわホークの「て」の字も見当たりませんでした。もしかして「高橋ヨシキ『ら』」と書いてある『ら』の字が「て『ら』さわ」の『ら』の字なのでしょうか?あれだけクリストファー・ノーラン叩きを頑張ったのに、てらさわホークに対して柳下毅一郎は少し冷たいと思います。『事実誤認』の指摘に対する反論文をブログにアップした時も、てらさわホークは「どうしてクリストファー・ノーランに対して(自分は)カリカリしてしまうのか」と白を切って、ノーランを叩く理由について口を割らなかったんですよ。子分の鑑じゃないですか。
■天才字書きを殺した
色々と歪んだ界隈にいた時の話。
そこは絵描きも字書きも皆入り交じっていて、アットホームな界隈だった。私はその中で生粋の絵描きとして活動していて、字書きさんとも割と交流があり、楽しくやっていた。
ある日その界隈に隕石みたいにある字書きが舞い降りた。
名前を適当にAとおく。Aは優しい人だった。明るくて面白くて、適度に頭がおかしい、いつも快活な人。そんなイメージ。
そして何より、Aの書く小説は本当に面白かった。ストーリーもちろんのこと、幼さを感じさせないし、独特の比喩から台詞使いまで唯一無二だった。感情の取り上げ方、描き方がうますぎて、残す後味から何から何まで、天才だった。
二次創作の字書きなんてたかが知れてる、なんて思う人もいるのかもしれないけど、そういう人は一度でもAの小説を読んで欲しい。本当にすごいから。
Aの小説には主に三種類くらいあって、
②多大な苦しみと切なさを残すバッドエンド
に大体分類された。
Aの小説の9割くらいは②か③で、ハッピーエンドの作品は限りなくゼロに近かった。①も去ることながら素晴らしいんだけど、Aのファンのほとんどは②か③目当てにしてたんだと思う。
ただでさえ二次創作の小説でバッドエンドなんて少ないのに、Aの小説のクオリティはとてつもないから、皆独特なAの小説を好きだった。
普段はバッドエンドが苦手な人でも、Aの小説だけは読む、って人も多かった。Aのはバドエンが濃厚すぎるけど、あまりに良すぎてバドエンがバドエンで片付けられなくなるみたいな。Aの小説はバドエンとかハピエンとかそういう垣根を超えた先で輝いてた。語彙力がなくて申し訳ないけど、とにかくすげえんだAの小説は。
Aが小説をあげる度にTLは湧いた。TLが全てAへの感想リプで埋まるのをよく見ていたし、Aの小説にファンアートをつける絵描きもいた。そういう私もよくAの小説のセリフに絵をつけたり、なんてことをしていたんだけど、その度Aはおかしいくらい喜んでくれた。1枚絵を描いただけなのに、毎度長文の感想をくれた。
それで隕石みたいに現れたAが、この界隈で名を馳せ始めた時、チラホラAに対して不穏なツイートをする字書きが見られるようになった。
「あの人は感想を貰っているのに私は〜」だとかそういうの。Aの名前を直にだす人はいなかったけど、まあAに向けているんだろうなと思った。Aへの悪口とかじゃなくて、Aの小説への称賛からくる自虐ネタみたいなもの。
最初の頃は可愛いもんだった。Aの周りの字書きの言うことも理解出来たし。実際私も、Aの小説を読み終わってAの名前で溢れるTLをみていると、他の字書きはたまったもんじゃないだろうなと思っていた。
私は色んな字書きの愚痴垢でも繋がっていたりしていた。その愚痴垢の中で呟かれるいわゆるAへの妬み僻みをみていると、たまに病的だなあと思う時もあった。Aの小説が上がったタイミングで「うわまた書いてる」みたいなツイートを見ると、流石に気分が悪かった。
履き違えて欲しくないんだけど、Aの小説へのアンチは一人もいなかった。Aの小説を苦手な人はいても、Aの小説を嫌いな人は多分居なかった。素晴らしすぎるから。
表垢ではAの小説を絶賛し、愚痴垢ではAの小説への嫉妬をぶちまける。そういう字書きを4人ほどみた。
その中でも一人はエグいのがいた。ほとんど病気のようにAへの嫉妬を露わにしていた。その人はAの小説が大好きだっただけに、苦しそうだった。その人はAのバドエン小説のせいで、バドエン字書きに変わった人だったんだけど、何よりこの界隈でバドエン字書きとして大成するにはAが圧倒的すぎた。失礼ながら、Aの小説の前で嫉妬とAの小説が好きな気持ちの狭間で苦しむ彼女に勝手に同情していた。これも失礼だけど、絵描きで良かったと少し思った。
Aの栄光は凄くて、小説を書きあげる度に出来はどんどん凄くなっていた。Aへのいいねが飛び交い、Aへの感想も溢れる。
Aは感想を貰う度に丁寧にコメントを返していた。「感想ありがとう」「嬉しい」「幸せだ」。そういう幸せそうなAをみていると、こんなに柔らかな人があんな地獄みたいな小説を書きあげているのだと思って、不思議な気分になった。そしてこんなに優しい人が周りの字書きを多大に苦しめているんだなあと思った。
そんな中、Aのマシュマロに一通のマシュマロが届いた。いわゆる焼きマシュマロ。「お前の小説が嫌いだ」「素人のくせにイキっている」「つまらない」そういう感じの言葉がレシートマシュマロの中に並んでいた。
Aは分かりやすく傷ついていた。Aはそれらの言葉に歯向かうようなことをせず、ただ「不快にさせて申し訳ない」「自分でもこのような小説は不謹慎でないかと感じていた」のようにツラツラと謝罪文を並べていた。
でも私は直感した。この焼きマシュマロはアンチからではなく、Aの熱烈なファンからだということを。Aに対するその文句は、Aの小説を全て読んでいないと書けないものばかりだった。過去のAのセリフや表現を指摘したり、その後でそれを痛烈に批判したりとかしていたから。
私の頭には、Aの小説へ手酷く嫉妬していた字書きのアイコンが浮かんだ。良くも悪くも閉鎖空間じみた界隈だったから。絶対あの中の誰かだろうと思ったけれど、そのメンバーが一人残らず「あんなの気にしないで」「そんなマシュマロ届いたAが可哀想」と励ましていたので、何も言わなかった。
それ以降、筆の早いAの小説更新がピタと止まって、ネタツイとかも明らかに減った。はしゃいでいたAが静かになった。あのマシュマロ主に気を使って、ではなく、Aはただショックで何も書けないんだろうなあと思った。
けど1ヶ月後くらいにAが小説を出した。TLは「久しぶりのAの小説だ」みたいなウキウキの文言で埋まっていた。そのAの小説は当たり前素晴らしくて、私も感想を空リプした。Aが得意とする胸糞悪い小説だった。
するとまたAのマシュマロにアンチ(に扮したファン)が来た。「なんだあの小説は」「前のマシュマロを参考にしていないのか」とかうんぬんかんぬん。私はとんだ言いがかりだと思っていたけど、Aは今までと比にならないくらい消沈していて、また謝罪会見を開いていた。
傷ついたAが全ての小説を削除しようとしていたから、他の相互がみんな慌てて止めていた。私も「あんなマシュマロ気にしないで」と言ったけど、届いたかは分からない。
Aはそれらのマシュマロが嫉妬から来るものだとは、全く気づいていない様子だった。Aは相互に「元気づけてくれてありがとう」「でもあんなのを書く私が悪いんだ」みたいなツイートをしていた。Aはそれに対する擁護が欲しい訳じゃなく、本心から謝ってるんだとヒシヒシ思った。痛々しかった。
それからしばらくAは静かにしていたんだけど、2ヶ月後くらいにまた小説をあげた。そしたらまた焼きマシュマロがきて、Aは「私が面白い小説を書けないから悪い。力量不足でした」のような返信をしていた。
そしたら追い焼きマシュマロが来た。「あんなに評価されておいて、力量不足の小説とは一体何なのか。いいねを押している人に失礼じゃないのか」みたいなマシュマロ。今までにきていた三通のマシュマロとは毛食が違った。というか悪口でもなく、単なる言いがかりだったし、なんなら嫉妬でしかなかった。
けれどAはしばらくして、字書きを引退した。アッサリ「垢消しますねー」と言っていなくなった。あれらのマシュマロのせいだとは一言も書いていなかったけど、絶対あれが原因だと思う。元々はあんなに楽しそうにツイートをしていたAが、普通にいなくなるとは思っていなくて、TLはAの引退を悲しむと同時に困惑していた。
AのいなくなったTLは寂しかった。作品倉庫は残しておいてくれたけど、いつ無くなるか分からないから全部読み返した。胸糞悪い中にちゃんとキャラへの愛が覗いていて、私たちはとんでもないことをしでかしたんじゃないかと思った。まさに惜しい人を亡くした、って感じだった。
嫉妬マロを止めることは出来なくてももうちょい何か声をかけていればよかった。そもそもマシュマロを募集することを止めさせていればよかった。
まあ今後悔しても遅いんだけど。
愚痴垢でAへの嫉妬をこぼしていた4人くらいの字書きの嫉妬ツイートは、Aの失踪を機にピタリと止んだ。しかしその4人の字書きから、Aの小説が読めなくなった寂しさにプラスして、清々しさが漂っているように思えた。偏見でしかないけど、いつか垢で「せいせいした」のようなツイートがされるんじゃないかと思ってた。そういう歪な空気感が字書きの間には漂っていた。
いつかAがこの界隈に帰ってきたらいいなと思っているが、きっともうない気がする。隕石みたいにAは二度と降ってこないと思う。Aの新しい小説を読むことはもうないような気がする。Aがここでの苦い経験を、次の胸糞小説にでも繋げてくれたらいいなとだけ思っている。
Aの小説がまた読みたい。
昔からの知り合いで今でもたまに話すが、最近うざきちゃんとか例のタイツに関連するようなRTをしては怒っている。
以前はそういう感じではなかったから単に戸惑っている。
俺はと言うとドスケベエッチッチな絵描きでそのフォロワーもたまに可愛い女の子を描くのでフォローした。
今となってはこの人は俺みたいなドスケベエッチッチな絵描きを嫌うのだろうと静かにおとなしくしている。
ツイッターにエッチな絵は上げないし、変態な事も言わない。まあ公共の場で出すもんじゃなかろう。それは理解する。
でも話しかけられたらど~いう形でお話するのが一番正しいのかな。もちろん俺はフェミじゃないしよくわからない。変な所で地雷踏みそうで怖いな~。
とか思ってたら当人はドスケベエッチッチチンポ丸出しの絵をツイッターにアップしていた。
別にチンポ出てる絵もそんなに嫌悪抱くタイプじゃないからそれ自体はいいんだけどエッ!!チンポ丸出しの絵はいいんだ?!フェミなのに?!
いやそもそもフェミどうこうの前にチンポ丸出しの絵ツイッターにアップしていいのか?黒海苔もないし・・・。
フェミ腐女子の主張がどういうのかわからんからなんとも・・・って言うけど俺もわからなんだ
特にエッチッチじゃない広告に対して怒ってた時もあって(ジェンダー?とか性役割?の問題だったのか?)その広告は結局叩かれて謝罪文出されて喜んでたけど
公共性のある所にエロを出すな以外にも地雷があるっぽい それでそのラインもわからん わからない事が申し訳ないがわからん
ちなみにアップしてたエッチッチな絵は所謂レイプみたいな感じだったので女の権利がどうこうというのに男がレイプされる絵はいいんか?!と俺は混乱した訳ですよ
一応前置きするけど、このタイトルだとフェミっぽいけど自分はあんまりフェミは好きじゃない。
そもそも不倫して断罪するのは不倫された側であって、他所様の家庭のそういうことに口を突っ込むのってあんまりしないほうがいいんじゃない?って思う増田です。
ましてや赤の他人がね。
「離婚しないなんておかしい!もっとはっきりとした態度で!」みたいな。
さっきもネットニュース上がってたけど、大物女優二人と佐々木希が対談した時に佐々木希が恐縮しっぱなしで全然意見が話せず、これは渡部の件が影響してあまり話さないほうがいいだろうと判断したからだ、離婚しないという決断が間違いでなければ良いですね、みたいな。
そんなこと言われる必要どこにあるのかね?
なんか、「佐々木希大変だね!孤軍奮闘!大黒柱!」って言いながら、内心「こいつ別れないとか頭おかしいんじゃないか?」みたいな考え透けて見えてて凄く気持ち悪い。
乙武の時も酷かったよね。
妻が不倫肯定しててお騒がせしてすみませんみたいな謝罪文を乙武と一緒に出したら「洗脳されてる」ってはてブでも凄い吹き上がってた。
反面、フジモンとかは全く叩かれないじゃん。
木下優樹菜がどんだけ好き勝手やってても、「こいつと別れないなんておかしい!」みたいな批判がフジモンに届くことはないよね。ひたすら同情的。
何がそんなに違うのかなって。
まあなんでもかんでもフェミに結びつけるのも良くないけどさ、女性が何しててもいいじゃない!っていうのがフェミの根源なわけでしょ?
トップレスで歩こうと、一生独身でいようと、個人を尊重するべきで女性らしさを押し付けるなっていうのがトレンドなわけじゃん?
なのに不倫については、夫を妻が断罪するべきで、それをしないのは昭和の価値観!女性のためにならない!アップデートするべき!みたいなのって、なんか本末転倒で、結局新しい女性のテンプレを作りたいだけじゃない?って思っちゃうよね。
反応いただけたので、追記します。ありがとうございます。本文と齟齬がある場合は、こっちが正です。
一番のターゲットは死後の名声を欲しがるような人たちです。「今は批判だらけでも、俺の名前は歴史に残る」みたいに思ってる人。
そういう人たちに「適当なことを言うとアレに載せられる」という感覚を持ってもらうのが一番の目的であって、
将来「こいつ過去にこんなことしてたんやで」って自分がニヤニヤするためのものではありません。
以下、いただいたコメントへのレスポンスです。ニュアンス近いのはまとめちゃってます。ごめん。
Q:事実の認定をだれがするんだ。デマをどうやって防ぐのか。火のないところに煙がたつ。
A:テレビで本人が言った、統計で数字が出ている、裁判で結果が出た、現物がある、等でも十分。疑惑だけなら入れません。
Q:編集合戦になるだろ。一人でやったほうがいいよ。
A:Wikiと書いてしまってごめんなさい。追記要員はごくごく限定で良いと思うのです。判定基準は結構シンプルだし。
Q:削除要請されるよ。訂正追記だけではだめ。履歴すら残せないようにしないと。事実でもあかんのやで。
A:法的に正しければ対応せざるを得ませんね。なので、その人が死んだ後に復活させるかもしれないという風にしましょうか。
ほかにも、コピーサイトを大量に作って(ミラーサイトではない)そっちは別とするとかどうでしょう。
Q:訴えられるよ。
A:将来的に海外在住の人にお願いするとかではどうでしょうね。追記なんて誰でもできることだし。
Q:名前候補:うんこ.jp、増田てる、悪行pedia、実名サーチ、ロー速、閻魔.com
A:ありがとうございます。いわれてみれば閻魔帳のイメージですね。老人にもわかりやすくていいかも。
A:ありがとうございます。早速買いに行きます。元ネタはベニスの商人からですが、あまり深く考えずにタイトルにしてます。
~追記ここまで~
はてなーの皆様には言うまでもないが、最近の政治家は図々しい。たまに政治家以外も図々しい。
何かあっても強弁してやり過ごせばいいと思っているのだろうし、実際にそれでどうにかなってしまっている事が多い。
これはまずい。思想がどうこうより、もっとずっと根本的な所でおかしい。
そういう人達への、民主的な抵抗手段の一つを考えてみたんだけど、現実的かどうかわからないので意見が欲しい。
長くて冗長かもだけど、まじめに考えてるから許して。太字だけ読めば大体おkです。
簡単に言えば、ろくでもないニュースだけ集めたWikiを作る。良いことや業績は載せない。
それを数十年単位で運営していけるよう、ゆるーく体制を作り、それなりにSEO対策をし続ける。
すると、〇〇太郎で検索すると、その名前に紐づけられた悪事がぞろぞろと表示されるサイトが出てくることになる。
時間が経てば経つほど悪事が忘れ去られるのではなく、汚名だけが目立っていく可能性を当事者が知れば、圧力として成り立つのではないかと思うだがどうか。
賛成が多ければそのうち作るつもり(出来るとは言っていない)だけど、そんなの俺がやったらあ!って人が居たらどうぞどうぞ。
以下、仕様?について書いてみた。
概要:人や会社に関するニュース等を収集し、当人や団体に紐づけるWikiサイト。ただし・悪いニュースのみ載せる・個人の意見は載せない。
解説が必要な場合も記事へのリンク。・悪いね!ボタン付ける。・コメント欄...は作っていいんだろうか。
目的:上に書いた通り。その他、悪習因習等をやめさせる圧力として。
目標:10年後20年後に、その人の名前で検索するとTOPに出るサイト。(企業名は無理だよね...)
掲載対象の人:他人の人生をコントロールできる立場にいる、日本国内の人や団体
(例)政治家、政党、上級公務員、企業重役、テレビ局、新聞社、警察、ライター、文化人、芸能人、学校、教育委員会、宗教団体など。
掲載対象外の人:上記対象に入ってない一般人(犯罪者も含む)、日本国外での事象。
掲載対象の事象:一般的なマスコミ会社により報道されたことのうち、ろくでもないことほぼ全て(エビデンスのあるもののみ)。その他の掲載ルールに合致した場合。
掲載対象外の事象:不慮の事故、不可抗力、不利益を被った人がいない事件、私生活関連、推測によるもの、個人によるリーク。
ライセンス:Wikipediaと同じ感じで。(コピーサイト大歓迎)
~太字ここまで~
法律には触れてないけど系:偏向報道、科学的根拠のない製品や薬、画像による謝罪文、謝ってない謝罪文、人の弱みに付け込んだ商売、糞みたいな企業内文化 など。
未だに〇〇している系:セクハラパワハラ容認、ウナギのセールをしてる大型店、ブラック校則、記者クラブ、無記名報道、水素水売ってる、元記事へのリンクや参照資料の記載が無い記事、手書き強要、転売屋の巣窟のサービス など。
例外的に業績を載せる系:長年続く悪習因習を既定し、それを表立って真っ先に止めた場合に掲載。ウナギ売らない宣言とか、報道をすべて完全記名式にするとか。
Q:お前性格悪いな。
A:その通りなんですが、掲載されるような人は、もっと悪いと思うんです。
Q:誰が更新するんだよ。
A:対象範囲が狭ければ自分だけでも余裕す。見出しとリンクと概要を週一で追加します。賛同者が居てくれるならそれはそれで。
A:犯罪や嘘つきや厚顔無恥は、右左の思想とか関係ないでしょ。
A:事実しか載せないので、グレーゾーンは読む人次第でいいと思います。
Q:編集合戦にならんかね。
A:ニュースの内容を転載するだけなんだから、基本的に追加しかできないようにしてもいいと思うんだけど、どうでしょ。
Q:消せないの?誤報とかどうするの。
A:誤報も消さず、目立つ訂正を追記する形で。(エビデンスつけてね)
A:内容が事実かどうかで決めましょう。関係者筋の話とかそういうのは全無視。
A:上司がまともならこんな事起きない!という場合なら、お偉いさんは晒されてもしょうがない。いじめが無かったと言い張る教育委員会の会長とかも。
Q:誰が悪いと言えないこともあるよね
A:一応「変える力を持っているのにしない奴」も対象にしたい。報道の自由度ランキングが低い→マスコミ各社の社長や、そのときの政権とか。
Q:死んだ人や消えた人も対象?
A:対象にした方が、現役の人への抑止力となるんじゃないかな?
A:そういう人は元々名声も何もないので、あんまり抑止力にならないだろうし、更生しづらくなるのもどうかと。
Q:訴えられないか?
A:報道済みの周知の事実しか載せないんだけど、駄目ですか? 誰か教えて。
Q:刺されるぞ。
A:しゃあないやん。
A:そもそもこんなのに賛同者がどれくらいいるかわからない程度に、自分の感覚に自信がない。致命的欠陥があるかもしれないし。
「賛同者が多いけど誰も作らない」なら、金貯めて時間を作って自分でやるつもり(さっくり作れるスキルはない)。
でもこういうのって作ったあとが勝負どこよね。
(今回は数々のやべー人力増田を尻目に、スパム増田が文句なしの優勝。おかげで新しい増田を拾う気力もかなり低下しています。→前回の【幕内】・【十両以下】)→【今回の十両以下】)
昭和時代やイオン、ぷちくらちゃん(女装子らしい)などの例外を除き、森羅万象を罵倒する増田。自身の経歴からか、特に法や裁判所を目の敵にしている。
何度も削除を食らっては毎回戻ってきており、かつての安倍botや低能先生に劣らぬやべー増田筆頭。
文頭をスペースで空けるため「字下げ増田」と呼ばれるが、ごく稀に空けないこともある。
「子供に虚を突かれて殺された」という、確認されただけでも2015年の増田まで遡るフレーズを用いることから、実はかなりのベテランだった説がある。
得意技は怪文書じみた判決文や精神鑑定。その文体と自分語りの内容から、****で**された****である可能性が極めて高い。前述の通り、なぜか女装子にご執心。
ひたすらIT関連と思しき意味不明な愚痴ポエムを垂れまくるメンヘラ系増田。「自分のプラモデル(=プログラム?)に勝手に手を入れられ、成果を横取りされた」旨の主張を延々と続けている。
THEクソ増田。自己顕示欲とイキりだけはいっちょ前だがユーモアが全く追い付かず、「増田のチンフェのような存在」と称される。「ポリコレ」ではなく「パリコレ」が正しいと勝手に主張し、文中に「ポリコレ」が含まれた増田に「パリコレ」とトラバを繰り返すのが名前の由来。
他にも「エビデンス→エビでやんす」「フェミ→笛民」など意味不明な言い換えを提唱するがどれも根拠はなく、「ゾーニング→ゾーサイス」に至っては「ネトゲでムカついた奴の名前を挙げただけ」というただの私怨。
この他にも猛虎弁・トラバ誘導など、他人のパクリも含めた様々なネタを操る(以下の増田もこいつと同一人物と思しき奴がいる)が、やることなすこと面白くない生粋の荒らし。技のデパートならぬ技のバッタ屋。
文字通りのスパム。ひどい時には最初のページがスパムで全部埋まるほどの勢い。一応後で消されてはいるのだが、こんな状況下で増田を発掘しなければならないブクマカたちの苦労は察するに余りある。
そういうわけでどのやべー増田よりも猛威を振るい、スパムの分際で優勝をかっさらってしまった。
しかしこいつが消えたら消えたでやべー投稿が目立つのが増田であり、ある意味増田の業を浄化する存在なのかもしれない。
主なスパムにpdfスパム・フォーラムスパム・スポーツスパム・robuxスパム・ハリポタスパム・他人の投稿をパクってこっそり文中にリンク追加スパムなどがあるが、そんなんどうでもいいから早くなんとかしてください。
無駄に長い語りに過剰な自意識を挟んだクソエモ長文増田。ひとつバズると便乗して同じような長文が次から次へと湧いてくる、まさにゴキブリのような存在。『同人女の感情』最終回の感想や二次創作への「呪い」など、相変わらず変なクソ長文が多い。
その他の動向としては、鬼滅の刃終了による呪術廻戦へのシフト、また来年放送予定のヘタリア新作アニメを早くもポリコレの観点からブン殴ろうとする動きなどがある。放送開始の際にはさらなるクソ長文を呼び込む可能性が高く、今のうちからうんざりさせられる。
その名の通り句点2つ「。。」を多用する増田。以前増田で大暴れした「句点増田」に酷似しており、本人も同一人物と主張している。
パンティー
「でもキモくて金のないおっさんは……」と、KKOに対する差別や無関心を訴える増田。活動は長いが、相変わらず共感されている様子はない。
同カテゴリー参照。厨二臭い上に意味不明なSSをひたすら垂れ流すクソ増田。無駄にキャリアが長い割には成長している様子もない。質より量を体現する増田の三峯徹的存在。でも正直なろうかどっかでやってほしい。
左翼・フェミ叩きに対して憎悪を燃やす超ベテラン増田。「711」「R30のところにコピペしないの?」「いつもの地ならし」「○時まで寝ていたんだ」「見つかりそうか」「ということにしたいのですね」「おばさんはいいんだよ」などと、意味不明なクソリプばかり飛ばす。
「R30」というのは大昔のブロガーのことらしいが、ブログは2008年に更新が止まっている。仮にこの人物であった場合、粘着歴の長さはもはや言語に絶する。そしておばさんというのはどこの誰なのか。
また「プライベートで○ブクマwww」「自演ツリー」などと、むやみやたらに自演を疑うこともあった。
左右問わずこの手の人物にありがちだが、「自分の気に食わない奴は全員同一or特定の人物」という思い込みが非常に激しい。
id:Ereniおよびid:iteau両氏の名前を出すことも度々あり、本人の脳内では毎回特定の相手に粘着しているようだが、実際には明らかに政治や思想と無関係な増田に因縁をつけることも多く、結局のところ噛みつく基準は謎。
とにかく自衛隊を叩きたいらしい増田。「国民の敵」が口癖。某議員の件がよほど癪に障ったらしく、何度も何度も蒸し返してくるのが特徴。他にははだしのゲンの町内会長をやたらと持ち出してくる。
男女の産み分けを提唱し、「産まれる男を減らすべき」という主張を執拗に続けるフェミ増田。前から見かけてはいたのだが、最近活動がやたらと増えている。
「女性は下方婚しない」を筆頭に様々な持ちネタを操る反フェミ系増田。キャリアも長く、反フェミの中ではおそらくこいつが最大勢力と思われる。
文字通りの💩リプ。特定の増田に限らない増田ミームの一種。数々のバリエーションが生まれては消えており、最近は「どうでもうんち」が主流のようだが、以前に比べると勢いは落ちた。
なお、この増田自身も↓のミソジニー連呼増田など、他のクソリプ増田から粘着を受けている。同様のミームに、死にたい増田を励ます「しゃぶれよ」などもあるが、意図が通じているかは不明。
「日本の医師と専門家は飛び抜けてレベルが低い」という謎の使命感にかられ、医師免許更新制などを唱えている増田。コンプでもあるのだろうか? 一時は新型コロナにちょっとでも関係する増田に無差別トラバを飛ばし、もはやコロナの大先生と化した。
最近では「日本人は教育に社会選別以上の価値がないと思っている」という持論を振り回し、同様に日本の教育界を叩いている増田がいるが、手口が似ており同一人物と思われる。やっぱりコンプでもあるのだろうか。
これらの増田に共通する要素として、「あまり関係のない増田でも隙あらば自分の長文トラバに誘導してくる」癖があり、この増田も同一人物の可能性がある。わかりましたね?
何の前触れもなく「ワイは~」と誰も聞いてない自分語りトラバ爆撃を繰り返すなんJ臭い増田。横綱・パリコレ増田も同じネタを使うことがあり、元々この増田をパクったと称している。よって正確には何人いるのか不明。
こちらも「非モテの女は『いないこと』にされている」というのが大好きな青汁増田の一人。同様の主張をしているidがあり、現在もはてブで活動中。
反フェミ・反リベラル増田の一人。名前の通り以前はTogetterのまとめを引用していたが、現在はその他の記事にリンクを貼ることが多い。
フェミやリベラルを目の敵にするが、現政権や自民党の熱烈な支持者でもない。特に山田太郎議員や赤松健氏などは頻繁に叩いていた。いわゆる表現の自由戦士としては一貫している?
こちらも(自分で作ったと思しき)Togetterのまとめを増田やはてブで拡散しようとするツイフェミ。以前は「全員同じような文体で」「同時に同じ人物ばかり叩く」3つの複垢を使いこなしていたが、TogetterでBANを食らい、全て使用不能になってしまった。
複垢利用・誹謗中傷・個人情報晒しなどのうち、いったいどれがあっちの規約に引っかかったのかは不明。それでもしつこく別垢でまとめを作り続けているが、さすがにコメント欄で暴れるのはやめたらしい。
前述の通りはてブでも活動しており、日々男叩きばかり垂れ流すことに定評のある「某柑橘系フェミid」とほぼ間違いなく同一人物と特定済み。というのも「Togetterに書いたコメントや増田に書いたトラバと一字一句同じ文章を、なぜか自分のブクマにも書いてしまう」という、
なんともおマヌケな習性があるため。現在も自作と思しきまとめに誘導するブコメを量産しており、中の人を隠す気はないらしい。
なお、はてブでも複垢利用で404化を食らった前科があり、確認されただけでも2度の転生を経験している。即日戻ってくる上、文体にもこの手口にも全く変化がなく、すぐ足がつくのだが。
うんちトラバを見かけるや「ミソジニー」云々という定型トラバをせずにはいられない増田。自称フェミ男らしいが詳細不明。うんちを求め増田を彷徨う姿は哀愁を誘う。
というかKKO増田ですら一応微妙にトラバ元の文章に合わせてくるのに、こいつは延々と同じ内容のコピペしかしない。なんとも不気味な奴である。
なお、実際には男性と思しき増田にうんちトラバがついている例も多々あるのだが、やはりそれにも雑な認定を下してくるあたり、おそらくミソジニーの意味を微妙に理解していない。
疑問形の増田を嫌い「ママに聞け」という言及を繰り返すクソリプ系増田。たまにママ以外も登場する。かつて引退宣言の後に姿を消したが復活し、当番付に対し4000字超の謝罪文を要求するという意味不明な行動に出ている。やるわけねえだろ。
めぐみんに罵倒されたい増田。他にも低能先生の語尾をパクりつつドM性癖を披露する「低能ドM先生」など、この手の奴が妙に多い。
突然現れては規約違反を厭わずブクマカや増田をグッサリ刺してくる、通り魔のような増田。超長文で口も悪いが、文章のキレに関しては一定の評価を得ており、出てくるたびにブクマを稼いでいる。
うっかり変なブコメをすると長い追記で晒されボコボコにされるため、全く油断ができない。
なお、中の人は某idとの噂。実際、この増田と同様の主張をしているブコメがいくつかあり、近頃は増田への書き込みを公言するなど、あまり隠す気もないようである。
また同一人物と思しきnoteも発見されている。村外の人間を攻撃対象にした増田はすぐ消されるため、そちらで書くようにした模様。
自称「知恵袋で有名なdorawii」または「Yahoo! 質問士」。その名の通りヤフー知恵袋(他にニコ百の掲示板や読書メーターでも暴れている)のユーザーだが、あちらでは悪い意味で有名らしく、垢を作りまくってはクソ質問を量産していたらしい。
さらに「艦これりあん」なる謎の造語を流行らせようとするなど、かなりのパリコレ気質の持ち主。どうしてやべーやつというのは互いに示し合わせたわけでもないのに、こうも似通ってしまうのだろうか?
こいつも自分を「注目を受けるに値する特別な人間」と思い込んでいるが、やはり異常な自己顕示欲と自己愛に何もかもが追いついていない。
増田でコテハンを自称する(現在はやめたらしいが)、5chで教えて君をやってウザがられてはその顛末を恨みがましく増田に投稿する、自分のブラウザのブックマークを公開する(が、反応がなく愚痴る)など隙あらば目立とうとしているが、
行動がことごとくどこかずれており、文章も怪文書じみている。なお本人曰く「増田」とは呼ばれたくないらしいので、お望み通りつけないでおいた。
3点リーダー2つ(「……」)を連打する句点増田の亜種。内容も「初カキコ…ども…」コピペを彷彿とさせる中二っぷり。兎の糞のような奴。
あくまでも「私がこう思うよ、こう見ているよ」を率直に書いてみる。
スカッとする以前に、メーカーから謝罪文が出たりして、「このキャンペーン・行いには何らかの問題があった」というのが共通認識になってきていい感じ。
当事者として意見を述べて、その質と量すなわち「影響力」で得た結果。
どれほど真面目に、個人のマイナスを社会に陳述したところで数がそろわなければ捨て置かれることは、よく学習しているので…。
社会を変えたいならば、つまり女性の社会的地位の向上とか生きづらさの解消とかを本気で目指しているならば、問題をきちんと一般化して「こうしたキャンペーン手法は女性全体にとって、ひいては社会一般にとってマイナスである」というセオリーを確立したほうが効果的(=説得力・影響力がある)だと思いますよ、というアドバイスなんだけど、大きなお世話なんですかね……。
このあたり、伝わらないと思うけど、世の中で問題をはらんだ常識を肯定する力が強い間、
自分のもやもやとした生きづらさや不快感をの原因を見つめて肯定したり言語化したりには往々にして時間がかかるものだよ。
MeTooがおきたときに、やっと「わたしもおかしいと思っていた」「そんなことがあったんだね、実は私も…」といえる状況が増えたところで、
分断されていた女性どうしがやっとお互いの話をオープンにできるようになった感じある。
一人一派といわれるように、経験や理想とする形には大きく違いがあることも(やっと)わかってきて、
なおかつ、いろんな方向にフェミニズムを誤解している人たちのせいで、集会場には武装勢力みたいなのがいたりするんで…。)
その次に、女性の参政権しかり、会社のヌードポスターやセクハラ告発しかり、個人の様々な経験で
「男性が納得しなければまともに取り合う価値の無い物として扱われる」ことは身に染みていたりするので、
要求が妥当かどうかを男性にジャッジしていただくような、お伺いを立てる行為そのものが好かれてないと思ったらいいんじゃないかな…。
増田本人がそうかどうかは別として、傾向として「お前は説明もできない馬鹿だから無視していいな」ってしてきた側に対して
「そんなこともわからないのに何偉そうにしてたの今まで」と思ってしまうものではない?
SNSによってわかりやすい圧力型の影響力を使えるようになって、理解されずともある程度の結果を得られるようになったのは革新的だと思うよ。
この方法はされて嫌だったことを仕返ししているような側面もあるけど、正直それ以外の方法ではもっと実現に時間がかるだろうと思うし、
されてみないとわからないだろうから、一度経験してみてほしいと思う気持ちは、正直私にもある…。
セオリーについてはね。
炎上が起きて謝罪文が出るたびに、ブランドイメージが悪くなる→既存のファンが他社に流れる→損失となる状況から学ばない企業はないと思うので、
個別に炎上を繰り返すことで社会全体の性的表現がよく検討されて最適化(=私からすればマイルドに)なっていけばいいと思う。
出来事と必要十分ラインの見極めは、ここしばらく続くだろう炎上とその後の展開によって決まると思うなあ。
あと、賛成反対どちらにもお祭り騒ぎが好きなだけの人や、怒りで言動が過激な人も含まれるので、時々ノイズのほうが大きく問題になるのが悩ましい。
本質をとらえずに対岸をカテゴライズしてまぜっかえす人のせいで話が変な方に曲がっていくのは、正直あほくさいと思う。
どれほどほうぼうから真面目にマイナスを陳述したとしても「納得できないので個人のお気持ち」などとジャッジ・揶揄されている現状はもうほんと、ダメなところの煮凝りみたいなもんだよ。
広告や表現、コンテンツから無意識に「みんなこんなもんだ」と刷り込まれている状況を変えたいから。
「これは企業やメディアのお墨付きを得た一般的な感覚ですよ」の量を減らしつつ「これを好むにあたりTPOを守らないと困りますよ」
「これはたいていの場合侮辱にあたりますよ」と刷り込む量を増やしたいとも言えるけど。
私には男性の生理現象を体験することはできないから、そこにどんなつらさがあるのかわからないけど、
それを建前にすれば、女性を侮辱していいものだと思っている人が世の中には多すぎるんだよ。
もちろん、配慮があって尊敬できる人もたくさんいるのは知っているよ。
だけど、この件は、ほかの苦しみがあるからといってプラスとマイナスが帳消しになるようなことではないから。
ほかの苦しみの八つ当たりで女性に向かう人まで出てくる地獄なんだよ。
結果として、女性が審美的な魅力を高めようとすれば多かれ少なかれ性的な魅力も勝手に高まってしまう。これは女性本人が異性の目を惹くことを意図していなくてもそうなる。オシャレとは本質的にそういうものではないだろうか?
そう思うのは増田が見る側・品定めする側だからしょうがないと思うし、
男性として日々生きてる中で目にする女性的なものにしょっちゅう心を動かされて、さぞや大変なんだと思うんだけどね。
少なくとも私は「性的な魅力を感じた」ってだけの理由で、通りかかりに顔にクソ塗り付けられるような感覚を、過去に会った少なくない男性達によって植え付けられてるから。
「クソを塗られないために目を付けられにくい恰好だと思ってるようだけど、逃げても無駄だよ」って言う行為だよ、それは。
書くだけ書いたら疲れてきた。
読まれなくてもいいや。
https://anond.hatelabo.jp/20201107053636
今となってはあれを「タイツ屋のキャンペーンとして適切だった」と考えている人は少ないと思うし、元増田もセーフとは言っておらず批判するなら理論武装したほうがいいよと言っているに過ぎない。
それなのに「そんなことをしてやる義理はない」「理路など必要ない、ひとりひとりの言葉にできない不快感と向き合え」といった感じのブコメが散見されて暗澹たる気持ちだった。そういう人たちは「不快な気持ちにさせて申し訳ありませんでした」という謝罪文が引き出せれば満足なのだろうか? 1件1件の炎上で都度スカッとしたいだけならそれでもいいんだろうけど、そうではないよね。
口々に好き嫌いという気分を述べているだけではただの人気投票であって、そんなもの何万票集まったところで「このキャンペーンはウケなかったな」「フェチは燃えるね」くらいの限定された結果しか導けないでしょう? 一企業の一通の謝罪文止まりで発展性がない。
そうではなく、社会を変えたいならば、つまり女性の社会的地位の向上とか生きづらさの解消とかを本気で目指しているならば、問題をきちんと一般化して「こうしたキャンペーン手法は女性全体にとって、ひいては社会一般にとってマイナスである」というセオリーを確立したほうが効果的(=説得力・影響力がある)だと思いますよ、というアドバイスなんだけど、大きなお世話なんですかね……。
説得力を完全に放棄したこの手の言説をいわゆる「はてフェミ」たちが口にするのをしばしば目にしますが、自分には誠実な態度とは到底思えないんですよね。もっと女性の意見を聞けと言うわりに肝心の対話は拒絶するんだから。たとえばブコメにもすごい境地に行き着いた意見あった。
なぜそんなに偉そうなの?討論するために声を上げた訳ではないのですが。
自分(たち)が上げた声は常にすべて正しくて無検討で聞き入れられるべきだという態度のほうが数万倍偉そうでしょう。せめて話し合いましょうよ。まあこれは極端な例でしたが、「お前は馬鹿なのでわかっていないようだが自分にはわかっている(説明はしないがな!)」というスタンスのコメントはほかにもいくつもありました。
どんな議論でも同じだけど、たくさんの意見の中には問題の核心に迫るものから取るに足らぬくだらないものまで色々あって、種々雑多、玉石混交。その中からノイズをより分けてポイントを整理して論点を明確化していくのは不可欠なプロセスだと思う。そこから全速力で逃げようとするのは「女には理屈が通じない」「論理的な話ができない」っていうジェンダーステレオタイプを自己強化してしまう結果を招きかねない思いますよ。余計なお世話かもしれませんけど。
一例だけど、様々な批判の切り口の中に「タイツをエロアイテム扱いするのはけしからん」というテーマがある。この主張にも数々の派生バリエーションがあるが、その中には検討に値しないものもあると思う。
たとえば「これを機にタイツがエロアイテムとして認識されるようになってしまったじゃないか! 日用品なのに!」という意見の、「これを機に」の部分とか。「これを機に」ではなく、もともとそうだったでしょ、と。
女性の着衣でエロアイテム化を免れ得ないものはない。男性の両脚の間にある妖怪レーダーは(個々人により異なる指向性を持つものの)総じて感度はたいへん優秀なので、どんなものにでも男は欲情するしタイツとて例外ではない。タイツとは厚みが異なるだけのストッキングの中には男の劣情を喚起することに機能を絞ったものすらあるわけで、今までタイツだけが例外だったとする認識はおかしい。セーラー服やハイヒールがそうであるように、みんな性的にまなざされていることは薄々知りつつ着用していたはずである。
タイツにエロさを感じる資質を備えた紳士であれば今回のキャンペーンなどなくともとっくに目覚めていたはずで、今回のキャンペーンによって「お墨付きをいただきましたので性的にまなざし始めます」みたいな男はおそらくいない。そんなことは内心の問題なので、まなざすやつはもうとっくにまなざしていたはずなのだ。アツギが種を撒いたことにはならない。
つまり、今回のキャンペーンを契機にタイツに対して“新たに”注がれることになった性的まなざしは(考慮が必要なほどには)増えてはおらず、強いて言えば「タイツ絵」という絵画表現の魅力に目覚めてしまう人はいたかもしれないが、そのことが今後「じろじろ見られる」「タイツ着用者の性犯罪被害が増える」などといったかたちで実社会に直接的な影響を及ぼしていくとはちょっと考えにくい。
ちょっと身も蓋もないことを書くけど、もともと男性が異性を見るとき、「審美的まなざし」と「性的まなざし」をきちんと切り分けてはいない。「素敵だなあ」と「そそる」の間はグラデージョンというか入り混じっていて、「ここから純粋、ここからスケベ」というきっぱりした線は引かれていないのだ。結果として、女性が審美的な魅力を高めようとすれば多かれ少なかれ性的な魅力も勝手に高まってしまう。これは女性本人が異性の目を惹くことを意図していなくてもそうなる。オシャレとは本質的にそういうものではないだろうか?
議論が深まっ太郎
若い女がサルを見に来たことを公式ツイートしたら、それが炎上しちゃって施設側が謝ってたけど、あの謝罪文の中にはあのツイートの何が悪かったかっていうのが書いてないよね。
傷つけてしまってごめんなさい、反省します、二度と起こしません、教育不備でした・・・等々、わかっていないのか、分かっているけどわざとぼかしてごまかそうとしているのか。
ツイートの内容を意訳すると「いつもバアさんしかこないところに、今日は若い女子がきた!担当よろこべ!(写真:お前のサルをこんな可愛い子が見に来てたぞ!)」ってところ。
本来は店側からしたら、オヤジだろうが浜辺美波だろうが同じように平等に扱うのが建前だから、あのツイートの何が悪かったかというと、お客さんで態度を変えていることを「ついうっかり」表明してしまったことなんだよね。スタッフたちは人間だから、死ぬ直前の爺さんバアさん相手にするよりも若くて可愛い子を相手にするほうが心が弾む。今回も実際に若い子が見に来てくれて心が弾んじゃって「ついうっかり」ツイートしちゃっただけなんだろう。
しかし、この心の弾み自体を「キモイ」「若い女の子をそんな目でみてるなんてこわい、ひぇ~」とかいう奴ら。若い女には「若い女」ってだけで周囲に躍動を生み出すパワーがあるってことを知らないのか見て見ぬふりをしているのか。知らないなら今後はそういうものだと思ってほしい。
あと、「差別」「蔑視」人間たるものあまねく人々を差別してならない的なポリコレ棒で叩いてくる奴ら。スタッフも人間だし自分たち人間だってことを思い出せば、そんなに怒らなくてもよくね?
タイツ広告企画が炎上・謝罪した件で未だにモヤモヤする点がある。
タイツを着用しているイラストとタイツを着用しめいる商品広告・パッケージ写真の比較について、たまたま見かけて、数日納得がいってない指摘があった。それは、「公式がこの謝罪文を出すということは美脚を強調するタイツの広告はモラルに反している」というもの。
それは飛躍しすぎてはないだろうか?
というか、今回の件の問題点が明確になっていない。
公式の謝罪文では「一部のイラストに性的な描写を連想させるような不適切な表現」を認め謝罪している。
先程の指摘内容をこう捉えた。
「イラストに不適切な表現があったと認めるなら、商品広告写真も美脚を強調しているので不適切という主張になる。」
これは成り立たない。何故か。
それは、非常に曖昧な線引きだけど、「視点」と「演出」の問題だと思う。
結論から言うと切り取り方、ピントの合い方に今回は問題があったのだと思う。
私は広告に使用されている写真には「性的な描写を連想させる表現」を感じなかった。少なくともこの会社のものに関しては。
タイツを履いて体育座りをする人がいる。この人をどう切り取りどう演出したか。どう演出するように会社がブランディングしたか。そこに問題があったのではないか。
例えばタイツを履いて体育座りをする人がいる。魅力的に魅せるためにかなり際どいポーズをして、太ももまで見えているかもしれない。そういう被写体をどう切り取るか。
「性的な描写を連想させる表現」に関しての線引き。それは色々な要素が絡み合っているだろう。
・どんなポーズか?
・どんな構図か?
・どんなコンセプトか?
・どんな感情か?
・どんな表情か?
・どんな人間か?
・どんな世界観か?
・どんな状況か?
・どんな色合いか?
・どんな目的か?
「性的である」というのは、女性がタイツを履いているだけで性的と感じる人もいれば、パンツが透けていても性的と感じない人もいるだろうから人によるが、要は加減の問題だと思う。
同じ体育座りでも、
「タイツを魅力的に魅せる為のポーズの一環としての体育座り。その他の情報は一切排除されており質感もフラット。特定の人間の視点を感じさせない」ならどちらかと言うと性的ではないと思うし、
「日常生活の中でのチラリズムを想像させる状況としての体育座り。タイツの質感が目立つ。そのタイツを履く脚に注目している人物(絵の視点となる人物)を感じさせる」ならどちらかと言うと性的だなと思う。
商品パッケージの写真が性的だと感じなかったのは、「エロティックに」「フェチズムを強め」「性的に切り取ろうとする」意図がない、感じないだけである。撮ろうと思えば幾らでもそのように切り取ることができる。極端に寄った構図や光をバチバチに当てる、透け感を過剰に出すなど。「性的である」を基準にするならアダルトグッズのタイツのパッケージなどが参考になるかもしれない。写真でも分かりやすく演出はできる。やっていないだけだ。
逆に絵でも性的を感じさせないことは如何様にもできる。特定の視線を感じさせない構図、肉感を感じさせないラインや均一な質感。
今回話題となっているイラストは、そういう意味では性的に受け止められてしまう情報が比較的にあった、または多かったのだ。描き手の意識的/無意識的は置いておいて。
(尚今回の件は会社が性的な意図を発する絵を深く意識しないでPRに使用していたのが今回問題となっていると思う)
実際に今回話題となっているイラストの演出しているような状況、タイツがある意味魅力的に(肉感、透け感、チラリズムなどを伴って)見える瞬間。体育座り、パンチラ…などなどそんな状況は日常にも存在はする。存在自体は、している。
しかしタイツを履く本人が意図しないものは事故だ。ハプニングだ。
それはあまり…見るものではない。少なくとも「他者が見ていいもの」にはなっていないのだ。それこそモラル的に。
その瞬間を切り取り絵にすること自体が性的な目線を感じさせ、「一般的に見てはいけないものを見てる人」を想像させてしまう。それが嫌悪感に繋がるのではないか?
逆にタイツを着ている本人が意図して見せている瞬間(スカートをたくし上げる)などは、そもそものメッセージ自体が性的だと判断されてしまうのは仕方ないだろう。
ただライティングだの小道具だのモデルだの色々な工程を複数人で作り上げ撮影される写真より、全て1人で描ける絵の方が匙加減で演出をしやすいので、こだわりや意図が作品に反映されやすい。良くも悪くも。画面を魅力的に魅せようと感覚で演出してしまう傾向はあるのかなと思う。
絵では「ハイライトを足して立体感、艶感、肉感をかなり強める」「実際には目を凝らして見ないと見えないタイツの網目まで再現する」「タイツの反射光を強く入れ、普段は影になって隠れている部分まで注目させる」といったように普段ピントの合わない部分に、ピントをギリギリまで合わせることができる。その一定のラインを超えた異常ともいえるピントは、ある人によっては魅力で、ある人にとっては恐怖なのだ。
「性的である」「性的でない」「自然だ」「過剰だ」といった線引きは難しい。
そして、全てのものは誰かの視点で切り取られたものである。どんなに公平に見える統計だって、ただ適当に自分で撮った写真だって、必ず誰かが意図を持ち切り取った情報に過ぎない。
なんとなく撮った写真にも意図はある。なんとなく描いた絵が発するメッセージがある。
必ず全てのものがある一定の視点により切り取られたものであり、また意識的/無意識的に演出されているものだという事は頭の隅に置いておきたいなと思った。
今回の炎上はいろいろな要素が絡み合って複雑になっているが、単純な見方としては「企業が公開したイラストに性的な表現のものがあった」というものだろう。これはアツギが謝罪文でもそう述べている。
またこの謝罪文においてイラストレーターを庇う一面もある。ネットでもイラストレーターを擁護する声は多い。
が、それでいいの? と思う。
仮にもプロでイラストを描いている人間だったら、この企画の危うさは想像ができたはずだ。「スカートを持ち上げる」とか「きわどい角度のアングル」だとか、そんなヤバい物件を持ちかけられても、まともな感覚があれば普通は断るなりなんなりする。断れないような圧力でもあったなら話は別だけど、承諾した時点で共犯者でしょ。
オレオレ詐欺の主犯が「出し子は我々の指示に従っただけで、一切非はない」と言っても通じないのと同じ理屈だと思うが。
むろん「作者が女性だから」や「女性からも支持されてるから」で無罪が通れば、アダルト規制の概念が壊れてしまうのも理解できるよね?
はっきり言ってイラストレーターを擁護するのは無理筋だと思う。
どれだけお気に入りのイラストレーターであろうと、悪いものは悪いと言うべきだ。
言えない理由があるとしたら、それは自分の既得権益が損なわれる恐れがあるからじゃないの? これからも絵師様には自分たちにハアハアできる絵をTwitterに投稿してほしいっていう下心があるからじゃないの? と。
というか、SNSは昔からこういった受け手の下心と送り手の承認欲求が渦巻く空間だった。それはどんどん大きなうねりになっていって経済とも結びついた時点で、人間の視界では収まりきらない規模にまで膨れ上がった。でも、それによって倫理観はますますブッ飛んでいった。
とりわけTwitterのエロ汚染は酷い。無法地帯だ。数人でもおたく系のアカウントをフォローすれば、タイムラインは24時間常時発情し続ける。
歯止めが利かなくなっていると感じる。イラストレーター擁護もそんな流れにおいては当然のことなんだろう。
これとは別のベクトルで憎しみも歯止めが利かなくなっている。自分はイラストレーターにも非があると言いたいだけで、叩くべきだとは言ってもなければ思ってもいない。そんなこと、すべきじゃない。