はてなキーワード: 獅子身中の虫とは
公開日:2020/11/12 06:00 更新日:2022/03/01 17:39
プーチン・ロシア大統領の病気説は自作自演?(C)ロイター/Sputnik/Aleksey Nikolskyi/Kremlin
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ロシアのプーチン大統領(68)がパーキンソン病で来年初めに引退--。今月6日、英紙「サン」がこんなニュースを報じた。プーチンの映像を見た専門家が、脚が絶えまなく動き、ペンを持つ手が痙攣しているように見えると指摘。クレムリン(ロシア大統領府)の内情に詳しい政治評論家のソロベイ氏は、パーキンソン病の兆候があると示唆し、プーチンの恋人で新体操選手だったアリーナ・カバエワ(37)は権力の座から離れるよう求めているという。
日本のメディアは米大統領選一色となり、大きく報じなかったが、ヨーロッパでは注目のニュースだった。
クレムリンでは今月に入って、議員グループが大統領経験者には、生涯にわたって刑事訴追からの免責が付与されるという法案を提出した。KGB出身のプーチンは、これまで暗殺などの疑惑がささやかれてきた。免責という特権を手にしてから病気引退するつもりではないかと騒がれた。
手足の痙攣、歩くときに肩が傾く
砕氷船「ビクトル・チェルノムイルジン」を視察し、サインをするプーチン・ロシア大統領(C)ロイター/Sputnik/Aleksey Nikolskyi/Kremlin
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「引退説はフェイクニュースでしょう」とは国際政治経済学者の浜田和幸氏だ。
「カバエワさんのほか、プーチン氏の2人の娘も、彼の健康を心配して休養してはどうかと勧めたというのが真相のようです。たしかに彼は手足の痙攣のほか、歩くときに肩が傾いているとか背中に痛みを感じる、腕が痛くて痛み止めを服用しているなどの健康不安説が出ました。柔道の黒帯を持つマッチョマンだから少しでも様子がおかしいと大袈裟に騒がれるようです」
浜田氏によると、プーチンは故郷サンクトペテルブルクに延命医療センターを設立し、100歳まで元気に生きられる技術の開発を命じているという。目的は旧ソ連の国々の元首とともに長生きし、かつてのソ連を復活させること。だからこそ大統領を辞めるわけにはいかないという。
今回のパーキンソン病引退説には、政治的な思惑もありそうだという。
「プーチン氏が自発的に病気引退説を流したとも考えられます。こうした噂を広めると、クレムリンの中でプーチン氏に反感を抱いていた人物が大統領の座を脅かす動きを見せるもの。獅子身中の虫を見つけるための“観測気球”として、プーチン氏が自らパーキンソン病説を流したのかもしれません」(浜田和幸氏)
獅子身中の虫になりたいただの虫のことか
普通に考えたら、無理でしょ。支持なんて出来ないよ。
アベ政治を許さないと運動していた彼らが同時期に政権を連立でもっていたら、クリティカルなところだけ見ても悲惨なことになる。
集団的自衛権を行使する事が出来ない同盟国の日本は、民主党政権で悪化した日米関係を改善する事も出来ず、今の韓国と似たような立場に置かれているしオバマが広島に来ることもなかっただろう。
日米関係の急速な改善の大きなきっかけになった新安保法案を戦争法案と呼んで忌み嫌っていた共産党は、自衛隊を未だに違憲と言っているし、対中国を意識する局面では最も不適格
この法案に反対していた時点で国防に対する基本的な方針がないか間違ってるという証拠だった。ここで俺は野党に呆れた。
TOC条約に批准できず、国際的なテロの標的になっても犯罪者の引き渡しにすら協力して貰えないカモになる。5輪開催を目前にしてテロのターゲットにされるリスクを軽減すら出来ない。
ISISなど国際的なテロに注目が集まっていた時期に、国際的なテロ対策の枠組みに加わることに反対するとか、あまりにも政権としては不適格
対中国で、日本単独では対抗できない中国が武力をチラつかせるのを目の前にして、自衛隊を違憲といい続けるどころか敵の眼前から米軍基地を取り除く獅子身中の虫は政権には不適格
今でも韓国が好き放題に言ってるだろうね。それを想像するだけで完全無欠に無理。
他にもいろいろあるよね(検査優先でワクチン買ってなくて、今よりも更に遅れてるだろうなとか)。共産党だったら日本終わってたなって言えるだけの理由って、この10年くらいの間だけでもかなりある。
自由で開かれたインド太平洋なんて成長戦略はまず出てきてないし、TPPも発足させてないだろう。これらは自民党(まあだいたいは官僚だろうけど)が描いた日本を成長させるための大きな絵だ。
共産党支持者が共産党を望む理由なんて、労働者(社会的弱者)の保護とか、そんな程度のものでしょ。上記の重要項目に対して仮に政権持ってたら賛成したとかいうなら方針なさ過ぎてかえって信頼できない。そんなのに国を託せないでしょ。
日本と言う住居を破壊された後に、パンだけ配られたって生きていけないので、馬鹿でもなければ共産党を支持する事はないんですよ。
立憲にしても、共産党にしても、この国をどうしたいの?って大きな絵を見せる所から始めないと、任せたら日本と言う家が破壊されるって印象が消えることはないよね。
すくなくとも俺は、そう思ってる。信頼してほしければ、まずはパンより家です。国民ってバカなようでいて、そんなにミクロなところだけに引っ張られている訳じゃないからね。
先を見据える視点がなければ、会社経営、チーム運用など集団を牽引するような仕事は出来ないしな。
共産や立憲に大きな絵を示されて信頼するまでの時間は、これまで蓄えた不信感の分だけ長いと思うが、まったく歯牙にもかけないって事はないだろう。選挙のたびに方針や行動が変わらないかは見られるよ。
そうしたら20年くらいのちの支持率は10%くらいあるかもね。
現時点で消費税5%、所得税実質免除なんて言って支持して貰えると考えてるんだとしたらピュアすぎるよ。我が家を壊した後に廃材売ってパンを配る約束したって支持するわけないでしょ。
まずはこの国をどうしたいの?って所から始めてよ。当たり前のことしか言ってないけど、立憲共産の支持率が2.9%と1.7%ってのはそういうことだよ。
https://www.jiji.com/jc/article?k=2021061800828&g=pol
ごく当たり前のことを言ってるだけなんだけど、それにも皮肉か攻撃でしか返せない、立憲や共産の支持者を見てると、普通に働いてる社会人がいいなって思える所にはもういないよね。
インド太平洋の途上国を発展させて先進国も旨味を吸おうって戦略は、とても良くて、だからアメリカ、イギリス、フランスまでもが軍艦派遣したりしてコミットメントする意志を示してるんだよね。
政権を担うならアメリカと基地を敵視し自衛隊から防衛する力を奪って破滅に追い込もうとする意志ではなく、こういう成長戦略なりを示してよって、そんなに突飛なことですか?当然の要求だと思いますよ。
testangle これに対して元増田や自民に対する批判や嫌みしか出てこないの最高に野党しぐさで笑う 国防はどうやっていくつもりなの?経済はどう発展させるの?相手の批判じゃなくて自分達の意思を聞かれてるんだよ
結局これだな。いろいろブコメやトラバもついてるけど、実のある反論が出来る支持者が一人としていないのは、党そのものが持ってないからでしかないしね。
立憲共産連立政権なら、100%アベノミクスはなく、今も平均株価は8000円くらいだったのでは?って考えるだけでも無理なのに、またアレを望んでくれって国民に期待するのは無理ってものでしょう。
あの時代に戻りたいですか?
前々回の投稿(11)で言及した『映画秘宝』内部で起きていた「業務の『私物化』」について、引き続き今回も述べようと思います。
ムック形式が好評だったこともあり、90年代の終わりに雑誌化・大型化を見事に果たした『映画秘宝』は、傍目には順風満帆に見えました。しかし、初期の同誌を読んでいた方々ならばご存知のとおり、若者の購読者を想定した誌面作りとはお世辞にも言えませんでした。初期の『映画秘宝』がそのターゲットにしていた購読者とは「子供時代の70年代に映画館やテレビで観た映画についての記憶を、編集者・ライター陣と共有する大人」だった訳ですが、当時そんな条件を満たしていた人たちは、私も含めて既に「立派なオジサン・オバサン、若しくはその仲間入りも間近な人たち」でした。そのままでは購読者の高齢化によって、ジリ貧に追い込まれるであろうことは明らかでした。
したがって、雑誌『映画秘宝』が将来的にもビジネスを継続して生き延びるためには、長期的な戦略として「より広範で多様な読者層を開拓すること。それも、特に『若者層』と『女性層』を購読者として積極的に取り込むこと」を選択するべきでした。しかし、こんな事を今さら書いても、後の祭りです。
ご承知のとおり、それとは正反対の戦略を『映画秘宝』は選択しました。いや、何らかの戦略を選択したと言うよりも、むしろ「長期的な戦略など、当時の『映画秘宝』編集者・ライター陣は露ほども真剣に考えてはいなかった」と言う方が正確かもしれません。
覚えている方もいるかもしれませんが、高橋ヨシキが『映画秘宝』の表紙デザインとして、邦画から引用した「裸の女性が荒縄で緊縛されて馬に跨がる残酷エロ画像」をコラージュして仕上げたことがありました。この表紙について、町山智浩は「この表紙じゃあ女性が手に取り辛い(=買い辛い)」とボヤいていました(※注)。雑誌の「顔」である表紙がこんな状態だったぐらいですから、高橋ヨシキの頭に「女性購読者を獲得すること」など微塵も無かったことは明らかです。
既に述べたとおり『映画秘宝』は「女子供から映画を取り戻せ!」をスローガンにしていた訳ですから、むしろ「いかに女性が手に取り辛い(=買い辛い)デザインにするか」について考えた上で、高橋ヨシキは意図的かつ積極的に「女性が嫌がりそうなデザイン」に仕上げたのだと考えるのが妥当です。きっと、このような表紙を作っていた時の高橋ヨシキは「オレたち男だけの輪を乱すような奴(=女性)は、お呼びでないから帰った!帰った!」「この表紙デザインを見たら、きっと町山さんも喜ぶだろうなあ!」と云う気持ちを込めていたことでしょう。(※注:ところで、町山智浩も本気でボヤいていたのではないのだろうと私は思いますが、そう思う理由については別のところで述べます。)
近年は真魚八重子などの女性執筆者が『映画秘宝』に登場する機会が増えてはいましたが、それで町山智浩や高橋ヨシキの芸風が改まったようにはとても見えず、むしろ却って「これでもオーケーなんだ!こんな芸風でも女は許容してくれるんだ!」と彼らの勘違いを助長したと云う可能性すら有ると私には思えます。仮にそうだったとしたら、真魚八重子の頑張りが報われていなかったことになって、非常に気の毒な話ですが。
また、これも既に過去の投稿でも述べたことですが、比較的早い段階から『映画秘宝』は、ごく少数の寄稿者(例:山本弘)を除けば「アニメファンを蔑視・敵視・嘲笑する」と云う態度を明確に打ち出していました。この「アニメ叩き」の姿勢は同誌において長く一貫していたと言ってもよく、恫喝DM事件が発覚する直前にも「『鬼滅の刃』は絶対に観ない!」と、訊かれもしないのに自分たちの方からアピールに励んでいました。
もちろん、思想信条の自由に照らして考えれば、編集者やライター個々人が「何か」を嫌うこと自体は許されるべきです。だから、対象が「萌えアニメのファン」だろうと「女性」だろうと何であろうと、高橋ヨシキらが個人的に何かを嫌うことは自由の範疇あると言えるでしょう。極端な話、内心だけに留めて現実の世界で実行に移しさえしないのであれば、性的マイノリティ/人種・民族etc.に対するネガティブな気持ちを持っていても許されるでしょう。
しかし、その上で問いますが、当時の編集者・ライター陣がわざわざ誌面を使ってまで「女嫌い」や「萌えアニメ嫌い」を盛んにアピールしたり、ゲイを繰り返し「ホモ」呼ばわりして嘲笑し続けて、雑誌『映画秘宝』を売ると云うビジネス全体にとって、何か良い成果を招いたでしょうか?結果的には、女性・萌えアニメファン・性的マイノリティはもちろんのこと、それらに該当しない人たちにすらも「何だか『映画秘宝』は排他的な雰囲気があって嫌だなあ。近づくのは止めておこうか」と思われ、遠ざけられただけに終わったように私には見えます。
そうして「未来の購読者」に成っていたかもしれない人たちも見す見す逃してしまって、長期的に見れば大きな損をしたのではないですか?もしも、編集者やライター陣の個人的な好みに拘ったことによって、ビジネスの未来が失われたのだとしたならば、それについての責任を彼らはどう取るつもりなのでしょうか?
当時の『映画秘宝』の萌えアニメ叩きムーブに関しては、こんな出来事もありました。ある時、俳優の加藤雅也に対するインタビューを行った際、わざわざ「最近の若い奴らは、萌えアニメなんかにウツツを抜かしているんですよ!」と御注進に及んだのです。もちろん、そのインタビュー記事の中では、それに対する加藤雅也の「『萌え』ねえ…」というリアクションの言葉を「例の見慣れた太いゴシック文字」で強調することも忘れませんでした。つまり当時の『映画秘宝』は「あの加藤雅也サンも、萌えアニメなんか好きな奴のことは見下して馬鹿にしているんだゾ!読者の皆も後に続け!」と、虎の威を借る狐のスタイルで萌えアニメファンを嘲笑することに勤しんでいたのでした。それにしても、何の脈絡も無く突然「萌えアニメが云々」とか言い出したので、インタビューを受けていた加藤雅也も反応に困ったのではないでしょうか。加藤雅也についての面白い/興味深い話を読みたい読者の立場からすれば「何でインタビュアーがいきなり『オレは萌えアニメが嫌いだ!』と自己主張を始めるんだよ。お前は主役じゃねえだろ。お前の自己満足にスペースを割くぐらいなら、もっと加藤雅也の言葉を載せろよ」と云う感想を抱くしかありませんでした。きっと、このインタビュアーの脳裏には、読者の存在及び読者のニーズなどは思い浮かびもしなかったことでしょう。
上で述べたような行動に熱中していた『映画秘宝』編集者・ライターたちは、ただ単純に「『自分たちの欲求』が充たされて気持ちが良かった」のだろうと思います。もちろん自分の欲求を充たしたいと思うことは人間として当然ですし、仕事を通じて欲求を充たすことが出来れば、こんなに幸せなこともないでしょう。しかし、それをするならば良識と限度が必要不可欠です。わざわざ無駄に敵を増やし、未来の購読者を失ってまで「自分たちの欲求を充たすこと」を優先したことは、仕事(ビジネス)として必要なこと、正しいことですか?
ひょっとしたら「眼の前の『利益』を捨ててまで『信念』(=嫌いな奴らを大っぴらに嘲笑すること)を貫くことが出来るから、オレたち(=『映画秘宝』)はスゴいんだ!」と、『映画秘宝』切り株派は自分達に酔っていたのかも知れません。しかし、それは別にスゴいことではありません。
洋泉社としては、雑誌『映画秘宝』の刊行を「遊び」や「無償ボランティア」として、ではなく「まっとうなビジネス・業務」として行っていた訳です。それには先ず雑誌が売れること、それも短期的にだけではなく長期的に売れることが先決であり、その為には更に、購読者を増やすことが何よりも重要でした。したがって、これらの重要事項こそが『映画秘宝』製作チームに対して洋泉社が何よりも先に求めたことだったはずです。「何よりも先に」です。
それなのに、購読者を増やさず、と言うよりも増やす為の努力を端から放棄して、逆に無駄に敵を増やすことにだけはキッチリ勤しんでいた訳ですから、洋泉社にとって『映画秘宝』の編集者・ライター陣は、さぞかし頭痛の種というか獅子身中の虫というか、実に困った存在だったと推察されます。
こういった「まっとうなビジネスであれば求められて当然の事柄」には応えようとせず、何よりも先ず「自分たちの欲求を充たすこと」を優先して仕事に臨む、これこそが私の言う「業務の『私物化』」なのです。
この文章を読んでいる方は、試しに想像してみて下さい。もしも貴方が何処かの会社などに勤務していて、社員皆一丸で協力して赤字解消や顧客開拓などに努めねばならない時に、赤字を垂れ流したり顧客どころか敵を増やす行動にばかり勤しむ同僚が社内にいたとしたら、しかも、それに勤しむ理由が「自分が気持ち良いから」とか「これをやると○○センパイが喜ぶから」とかだったら「テメエの『趣味』の為に業務を『私物化』するんじゃねえよ!」と言いたくはなりませんか?単に「職業人」としてだけではなく「社会人」としても失格でしょう。
このように『映画秘宝』の行動は、とても「長期的な利益を考えている」とは思えないようなものばかりでした。岩田和明による恫喝DM事件を見れば分かりますが、ごく最近の『映画秘宝』内部でも「長期的な利益を考えず、自分が気持ち良くなることを優先する」と云う風潮が継続していたことは明らかです。更に、岩田和明が退職するからと云う理由だけで、のんさんの連載を打ち切って雑誌の「売り」を無くすように仕向けたことも、これまた雑誌全体のことを考えない「自己中心的な行動」でしょう。
仕事に関して「長期的な利益」について考えると云うことは「自分よりも若い世代に残す未来」について考えること、つまり「責任感の伴う態度」です。これに対して「業務の『私物化』」とは、仕事に臨むに当たって「今」の「自分」のことしか考えないこと、つまり「無責任な態度」です。
『映画秘宝』は、彼らが「精神年齢の幼稚な奴ら」と見なして嘲笑していたアニメオタクや「馬鹿な宣伝に騙されて底抜け大作を観に行く奴ら」と侮蔑していた女性と、彼ら自身とを勝手に比べて「自分たち(=『映画秘宝』の編集者やライター)はアイツらと違って『大人の男』なんだ!」と周りに向けて盛んにアピールし続けてきました。しかし、果たして彼ら自身は本当に「大人」と呼ばれるに値する人間だったでしょうか?
「雑誌の未来」よりも「自分たちの欲求」を優先し続けてきたことを、中心メンバーによる「業務の『私物化』」と呼ばずして何と呼べば良いのでしょうか?「身体は大人、頭脳はコドモの幼稚な遊び」でしょうか?
高橋ヨシキら「切り株派」が居なくなった2号目にあたる『映画秘宝』に、アニメ作品の特集記事が掲載されることが予告されました。この「居なくなった途端に」と言っても良い動きを見るに、おそらく「切り株派」が彼らの一存で他の派閥の編集者やライターに対して「『映画秘宝』でアニメ作品を扱うなよ!」と有形無形の圧力を掛けていたことは、想像に難くありません。そのような圧力が存在したとしたら、一部の人間の一存で企業努力の可能性を封じられていたことになるのですから、これもまた「業務の『私物化』」です。
「今」の「自分(たち)」のことしか考えない「無責任な体質」なのだから、年下の女性に対して恫喝DM攻撃を行ったり、自分たちよりも年下のフリーの女性編集者に対してパワハラを行ったりするのも、何ら不思議ではありません。告発を受けるまで、何一つ疑問に思わなかったのは「本当」でしょう。何しろ彼らの頭に有るのは「自分(たち)のこと」だけなのですから。
奈良さんがパワハラを告発した後に柳下毅一郎が出した、あの謝罪文としての体を成していない文を読んだ時も「ヨシキくんが報われて欲しい」とか、被害者を置き去りにしたことを書いていて「本当にどこまでも『自分(たち)のこと』だけに終始するんだな」と私は思いました。東大を出たぐらいだから間違いなく柳下毅一郎は頭が良いはずなのに、被害者を含めた「他者の存在」に対して満足に想像力を働かせることも出来ず、謝罪文一つまともに書けないとは流石に想像できませんでした。子供か。
『映画秘宝』の中心メンバーとも呼んでもいい人間たちが「業務の『私物化』」をし続けても恥じなかったのは、彼らの根底に有る「ボンクラと云う『甘え』」の精神だと私は思います。
安倍が辞任し、正式に菅内閣(民主党時代の菅直人と区別が付けづらいが、彼の話題を出すことはないので単に菅といったら菅義偉だと思ってほしい)が発足した。
安倍は嫌いだが、菅も同じくらい嫌いだ。
そもそも、政権批判というものは基本的に「いいこと」のはずである。権力というものは暴走するものである。これは自民党政権でも、もちろん民主党政権でも変わらないし、日本だけの話でもない。
だからこそ、国民・メディアは厳しく政権を批判・糾弾し、少しでも不正をしないように導いていかねばならない。
これは野党支持者は当然として、与党に投票した与党支持者たちこそ、自分の支持した政治家・政党が不正に走らないように監督する、つまり彼らを支持した責任を負っているはずだ。
こういった発言をすると、「はいはい、左翼乙w」みたいな雰囲気になってしまうのが、非常に悲しいところである。
原因は明らかだ。声のデカい左翼がクソバカうんこ共だからである。
権力の暴走というものはつまりは野蛮である。野蛮を糾弾するのだから、そこには(具体的には法学的・社会科学的な)理論が存在しなくてはならない。
だがバカクズうんこ共は安倍やめろ!というだけで、何のビジョンも持っていないどころか、やけにバカみたいな発言をしまくる。
もちろん、バカみたいな発言をするのは右翼(ネトウヨ)も一緒だ。まともな神経をしている人は公の場で差別用語を口にしないし、陰謀論めいた言説を信じることもない。
右翼政治家(もちろん各政党も一枚岩ではないのだが、今回は単純化のためにそう呼ばせてほしい)は、ネトウヨのようなアホみたいな発言を、大っぴらにはしないのである。
いや、もちろん、杉田水脈の生産性事件とかいろいろ事件はあるが、それらは“失言”事件として扱われるため、右翼政治家の公式見解には、とりあえあずはならないのである。
一方、野党の左翼政治家は、ネット左翼のアホクズうんこ共のような発言を、平気でするのである。そしてそれらが失言として扱われることもほぼない。
アベガーを平気で地で行くような姿勢を、メディアやSNSでありありと見せつけてくれるのである。
つまり、ここに、
という、マジで地獄みたいな構図ができてしまっているのである。まさに獅子身中の虫だ。
もちろん、野党の若い政治家などはこういったことに高い問題意識を持った方も多く、改革を望んでいらっしゃることは重々承知であるし、共産党なども高い法学パワーで不正に対してクリティカルな論陣を張ることが多々ある。
しかし、メディア露出の多い野党トップ層などがあっぱらぱーで、しかもネット左翼の皆様はやけに“運動”が大好きでアホみたいな理論をSNSなどで御解陳なさるので、上の構図は揺らがない。
反安倍・反菅は絶対に必要だ。奴らに不正がないわけがなく、そして不正は絶対に糾弾されて然るべきだ。
一時期、ご飯論法や小泉進次郎構文が話題になったが、奴らが不誠実な答弁をしていることは火を見るよりも明らかであり、不誠実な答弁をして隠さねばならぬ諸不正があるはずである。
菅(当時官房長官)の記者会見の映像を見たことがあるか?彼の答弁は非常に不誠実極まりなく、質問に答える、ということができない病気を疑いたくもなる。
一方で、野党のクソバカが国会でアホみたいな質問をしまくる(というのも印象論であり、実際には野党の若手議員などは鋭い質問をよくしている)という事実があり、これらの不誠実な回答も
「あ~あ、また野党がアホみたいな粘着してるよ。首相も毎回ご苦労さん」
みたいな雰囲気になっているきらいがある。野党のアホクズ質問に対する不誠実な回答と、正統な追及に対する不誠実な回答は区別すべきである。
ついでに言えば、野党に政権運営能力はない。仮にあったとしても、政権交代の混乱はまっぴら御免である。
菅でも誰でもいいが、とにかく自民党政権が続いていくべきである。
打倒安倍(今だと打倒菅)を掲げる奴は正気とは思えない。政権は打倒するものではなく、不正を糾弾して健全化させるべきである。
とにかく、政権批判の必要性を訴えると、すぐに「馬鹿者」のレッテルを貼られ、有益な話し合いができないこの状況を生んだバカ左翼どもに、怒りと、そして悲しみを覚える。
後だしのようになるが、私は自民党支持者であり、政策の方針も(好きではないが)左右でいえば右寄りである。
政権批判は左右翼関係なく、正しいことは正しい。間違ったことは間違っている。と指摘する、市民の義務である。そう願っている。
(1)今、安倍政権に対して、非を唱える人物、組織は明確な証拠はないけれど、事実をつなげて考えれば、シナ朝鮮の手先としか思えない。(2)与党の中にも存在する獅子身中の虫どもである。(3)日本を売り飛ばし、国民の生命を奪おうとする輩の手先だ。(4)今、安倍さんに敵対する者は、すべて、このように断罪できる。
https://twitter.com/nihonkaigifuchu/status/976026042228862977(数字は増田による)
(2)の文章は、与党内部の反安倍政権を批判したいだけに見えてしまう。しかし、恐らくそれは違うのだろうから『身内の与党の中にもこの虫がいる』ぐらいにしとけばいい。
(3)はコンテキストから判断すれば、『そいつらは日本を売り飛ばす。そいつらは国民の生命を奪おうとする輩の手先だ』ということを言いたいのだろう。だが、文章の構造がよろしくないので一読では『そいつらは手先である。日本を売り飛ばし、国民の生命を奪おうとする輩の。』と読める。これは、接続詞として使われている『し』が問題である。言いたいことを言うならば『奴らは日本を売り飛ばす。国民の生命を奪おうとする輩の手先だ』が分かりやすいと思われる。
(4)で気になるのは、『断罪』という言葉である。恐らく、『断言』では弱いと思って使ったのだろう。しかし、『断罪』には『断言』を強くした意味はない。