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はてなキーワード: 自己中心的とは

2022-06-25

参院選候補者質問したいこと

もし日本他国戦争状態になって、家族全員が自宅にいる時に外国軍隊に包囲され投降を迫られた時、

一家全員投降してもよいか

それとも投降絶対に許されず、敵の捕虜になるくらいなら一家心中しなければならないか

悪いけど、一家心中すべきだと答える候補者に一票を入れることは、俺にはできない。

所詮、俺はその程度の自己中心的人間だ。

2022-06-24

anond:20220622231602

これに同意している人の多くは"ただ忘れているだけ"だと思います

そもそも人間は完全にシャットアウトしている場合を除いて、聞いたことを脳は記憶しています。その中であまり参照しない情報は忘れていくのです。

でもこの人は、そもそも人間名前という情報について完全にシャットアウトしたい、

覚えることがなければ忘れることもない、それでいて必要情報だけは残るというのは、プロセスがいくつか省略されているので効率的と言えるでしょう。

でも、それはとても自己中心的だとも言えます

自己中心的にも2つがあり、1つ目は自分を1番として他人に対して2〜n番と優先順位をつけている人、2つ目は自分を1番として他人全てに2番と優先順位をつけている人です。

多くの人は前者であり、後者の人であっても完全には他人優先順位を同じにはできていないでしょう。

しかし、この人は完全に後者になりたいと言っているように見えます。きっと、この人に大切な人がいたとしても、名前ではなく「大切な人」と呼ぶんだと思います

じゃあ「自己中心的の何が行けないの?効率的じゃん」って言うとそうではない。

これは個人効率的になるだけで、社会全体として見れば非効率的です。

例えば自己中心的な人が、己の効率の良さによって9億円稼ぎました。そのせいで他の10人が非効率的になり稼げませんでした。この10人は効率的に動けばそれぞれ1億、合計で10億稼ぎます

じゃあ「今度は20億稼げば他の10人を補なって余りあるぞ!」というとそうでもなく、そうするために更に追加で非効率的にされる人が出るだけです。

さらにそれだけでは収まりません。非効率的にさせられた人の周りの人も、そのまた周りの人もと非効率が伝播していきます。言ってしまえば貧困が広がるということです。

そうなってしまったら、今更稼いだ金額社会還元してももう遅いですし足りないです。

では最後に「だったら全員が自己中心的になればみんな効率的解決じゃん!」

これは他社との関係、お互いを支え合う事の放棄、つまり人間はては動物であることを辞めるということです。

まりこの人は人間であることを辞めたいのでしょうが社会全体から見たら今の段階でも十分に"非人間"だと思いますよ。

これについて「資本主義はたまた個人否定じゃない?」と言われそうなので補足しておきます

そもそも何で世界資本主義と名ばかり共産主義で占められているのかというと、この人含めて大小様々な"個人"を持っているからです。個人を捨てて完全に皆が皆のために動く事が出来たら完全なる共産主義となるでしょう。

でも現実問題としてそれは不可能ですし、自分も完全なる共産主義は求めてません。でも改善策はあります。完全なる共産主義はいかなくともその手前までは個人を持った状態でも行けると考えています

そのために突出した個人自己中心的な人には今よりも少なくなってもらう必要があります

その結果として今まで非効率に押し込まれていた人達可能性を引き出すことが出来れば、今よりも効率的で今よりも多くの人が幸せになると自分は考えています

なので先程はこの人の事を"非人間"と言いましたが、現状で最も人間らしくもあるが、多くの人からしたら否定したい人間と思われる、まさに世界がどうしてこんな風になっているのかを体現している人物と言えると思います

2022-06-19

「極端な自己中心主義」な人間に救いはあるのか

高校ときの思い出話。

私は結構我が強いので、自他共に認めるくらいの自己中心的人間だった。どれだけ時間を使おうと、おかしいと思ったら自分が納得するまで騒ぐし、そのためなら強硬手段も取る。まあ自己中の誹りは免れんだろう。

で、授業で5人1班で2ヶ月位活動するグループワークみたいなのをやることになった。班のうち一人がほぼ初会話なのに「お前自己中出すなよグループワークなんだから」と、いきなりのお前呼びから謎の釘刺しまでして、警戒心丸出しでやってきた。めっちゃ嫌われてるなーって思いつつ、まあ慣れてるので軽く無視した。

このグループワークは課題として重たくて、詰めるときには土日にでも集まって詰めないとアカンくらいだった。うちの班もそうすることになったんだが、この釘刺しした奴が私を除く3人と勝手に日程を決めて、「この日集合な、もう4人この日って言ってるんだから動かせない、来れないって言ったらお前相当自己中だからな」などとほざきよった。その日、たまたま親族結婚式があって絶対に無理な日だったので、「その日は無理」と即答すると理由を聞く前に「俺だって部活休むんだぞ、糞自己中がワガママ言ってんじゃねえよ」みたいなことを。

勝手に一人省いて日程決めて、一人の予定も全く気にせずその日に合わせなかったらワガママ自己中、俺だって部活休むんだからその一人の日程なんて知らんって言ってる?私が自己中の誹りをうけるのはしょうがないが、君ほど理不尽で極端な自己中心主義ではない」みたいなことを言ったはず。面食らってた顔してたこと以外、そのあとのことをほぼ覚えてない。結婚式は出た。グループワークもそつなくこなしたはず。でも覚えてるのはこのエピソードだけ。

自己中心的なやつほど自己中心的他人がジャマに見えるのは私も思ってるところなので、言い方は悪いけど、丸め込むか激突を起こす前に根回しする、なんてのは我を通したいなら当然やること。本来必要ない自分の都合に合わせてもらうんだから最低でも交渉の座にはつかないと理不尽人間になる。今回は「自分自己中心的だと自覚してないので、自己中心的他人(私)がジャマで嫌いで悪だから先手打って排除しようとした」ってパターンで、理不尽すらも正義と思ってたんだろうね、交渉の座にもつかないことが正しいと。俺の都合に合わせないお前は自己中心的だ、みたいな、極端な自己中心主義になってた。

こいつの近況を先日聞いたんだが、職を転々としてると聞いた。デカ外資ベンチャー弁当屋など、結構意味不明な経歴になってるらしい。めちゃくちゃ頭が良い奴だったので、どこ行ってもやっていけるだろうが、彼が満足する職場はあるのだろうか。野垂れ死ぬようなことはないだろうが、救いはあるのだろうか。本人が満足していることを祈るばかりである

2022-06-18

最近読んで面白かった・つまらなかった漫画

デッドマウント・デスプレイ文字数取られて他の作品ほとんど収まらず抜いちゃった。

面白かった

バズ THE マイク

https://shonenjumpplus.com/episode/3270296674409499092

もう言い飽きたけど読みきり新人でも絵のレベルの高さがヤバいよね。むしろ読みきりから描き込めるのか。ゆきりのこの面倒そうな髪の毛をずっと見れるのきもt幸せすぎだろ!

ラストはそっちか~!

読み癖で安易に予想する好きなオチ立ち位置は(路上シンガーに)戻ったけど心持が変わったビターエンドなんだけどすっきりこのラストになったのは明暗で言うと明のほうが強いこの漫画には合うんだろうね。ただソロデビュー大人気まではすこしやりすぎだと思った。

けど高嶋さんが本物を見つけるなら大成功しとかないといけないか?んーじゃあ差し引きでゆきりがあの曲にどハマりするほど心酔するのは少しトーンダウンしたほうが…?仮にも替え玉"やられた"立場だし、ツンぎみでデレ隠しで目をそらしつつなかなかよかったわよ…なら収支があう?でもみずきも"本物"でゆきりも"本物"で高嶋も"本物"なら安易に絶賛で正解なのかー。

ゆきりの最後の反応、ギター練習から歌わせて欲しいにちょっと不満が残るのは、ゆきりのアイドルとしての舞台裏での矜持パフェシーンで描けたけど表舞台に立ってるとき矜持描写が無かったからかな~。そこにトップアイドルとしてのプロフェッショナル性が出たはずなんだけど、それがなくて「引退して逃げた」~から無名なみずきの曲を歌わせて欲しい~だからちょっと芯が弱い、こだわりが少なそうな印象を受けた。かな。

あと「ううう100(千)曲作りますううう~」が最高に女性がにじみ出てて最の高。

一番好きなキャラは高嶋さん。引退ネタケロリン♪で一瞬闇に寄せてからご本人と彼が出てグッとコメディ側に寄る。ふきだしが刺さる表現であ、そういうのもOK作風なのねと幅が広がって「一般人電車に乗りなさい」ではいこれ面白い確定と思い込めた。そこからみずきのFXで有り金全部溶かす人の顔で絵も演出も話もすごいふれ幅があって先がわからない面白作品だと感じた。

(コケ湿布絆創膏が出て次のコマベリッとかたまらん)

本筋とは関係ないちょっと違和感があるシーンがあって。この作品の前半はメイン3人以外顔を描かないようにしてる作品だと思ってたんだけど中盤から例外が出てきて、ひとつライブの観客の声援という細いコマ。もうひとつはみずきがギターを借りるときスタッフ男性ギターを手に持つ自然な流れに必要だったかもしれないけれど、それまで喋るモブでも後姿や横顔で顔を隠してたのに急に2コマも顔アリで喋ったから彼はなんだ!?と異物感を覚えた。

その後も大きなライブの観客を除けば二人がゆずきをたずねる地下のライブマスター?と帽子の客。特に帽子の客は無言で2コマ出てくる上にどちらも真正面をやけにきれいな目で見てくるので少し怖い。

この作者ならこの二人も顔なしで漫画を作れたと思うのだが、それゆえになぜ彼らを置いたのかが気になる。


と終始楽しんだ作品だけど、残酷な話だなとも思った。

最初にみずきの配信を見ていた21人は何もないまま消え去り(自分なら変質に失望して去る)、バイト配信路上で歌っていたみずきは死んで、数奇な偶然から才能を発掘された無名新人シンガーソングライター兼作曲家として新生した。

漫画ドラマとして面白い話も、今、視聴者20前後配信者が腐るほどいる現実と、彼らがそこからの夢の成就を願っているのかもしれないなどと思いをはせると、そこからシンデレラガール・ボーイもごく少数いるだろうけどほとんどの「みずき」にはチャンスが無いんだろうなと悲しくなった。芸能は昔からそうでなにが変わったわけでもないだろうけど。

流行らない配信者もバズって承認欲求奴隷になった配信者もあるあるすぎてその先のファンタジーが訪れずそこにとどまり続ける人を想起させられると辛いものがあるよね。まあ漫画を読んでるだけの自分よりかはまっとうなんやけどなブヘヘヘ。

最後に、知ってる中ではちょっとコトヤマ先生のような情念フェチを感じる作品でしたが…あるような無いような共通点として…?

この作品は手がキモ!!!指!別に力を入れている部分なわけじゃないだろうけれどなんか好きな部分ってある。これは最初ゆきりんピースからペットボトルを落とす絵で手に目がいくな~ってなった。そこから髪やべー衣装やべーなんだがやっぱ場面は少ないけど高嶋さんの男の指も細い男だけど男だからややゴツくてこれもいいよなーと。

自分は指フェチじゃないけど、なのに指に目が行くところとか三白眼ぎみの目とかがコトヤマ作品を読んでるときと似た気分でした。さらコメディ部分のノリ易さはこっちの方がかなり良いと思う。

最後最後に、感想書くために読み直したら高嶋さんのSNSアイコンパフェだった。ゆきりがお菓子禁止に憤ってるのにこのアイコンで連絡とってたとしたらそういうとこやぞってことかしらん。どう解釈たかな?

まらなかった


デッドマウント・デスプレイ

前回のコメントでもう少し読んだほうがいいというのと悪人に疑問を呈すコメントがいくつかあったので1巻の続きと2巻まで読んだ。

結論から言うと、個人的ものすごく主人公が嫌いです。客観視すると面白漫画に入れてもいいけど自分主人公が嫌いなのでこちらに入れておきます

主人公に対する自分と作者との解釈違いが発生しているものと考えられます(自分誤読可能性大だろうけど)。ので読まないでおきます

なお自分坊主が憎けりゃ錦の袈裟ガンジーも嫌いになるような人間です。確証バイアスがひどいとも言います

また上手く書きまとめることは出来ない。乱文的になる。

~主人公悪人か~

前回「極端な」と修飾してしまったのは誇張しすぎな気もしているが改めて、嫌っている・悪人と思う原因を書いていく。

まず、初期にネクロマンサーとして戦争していた部分はノーカンします。軍人なり兵士立場からね。

その後、ネクロマンサーが迫害され大切な人が失われるわけですが、彼は復讐するわけですね。「百年程の時間をかけて」。

物事には限度があります。前回同列かのように書いたはめつのおうこうの主人公も「師匠を殺され10監禁された」とはいえ「その国の全国民を殺す」と言ってます

自分が悪いわけでもない一方的被害者であるとはいえ無辜を多く含むであろう全国民を殺すのも、百年かけて人を苦しめるのもやりすぎです。同情の余地がなくなります悪人という表現が正しくなければ狂人と言い換えてもいいです。

次に彼は「平穏」を望むわけですが、その方法が「転生」すること。え?彼がするべきことは意図せず迷宮になって人に害を与えるものが集まってしまたからそれを制御してひっそりと逃げ隠れることでしょ(魂の気配で存在はバレるっぽいけど)。何百年も討伐隊を送られてきたのなら彼らを生かして自衛以外害意はないと説き伏せ返し平穏を得る努力をするところでしょ。

平穏を望んでいながら迷宮放置して広がらせ外にあふれて最終的に「世界は終わりさ」と言われるぐらいの脅威になっていた。

彼の目的が死んで転生することな死ねるほど強い存在を作ることが目標でしょう。ネクロマンサーででも人を説得して鍛えるでもいい。しかし彼は自作せずに(実はしてたかもしれないけどさ)討伐する者を「待った」。何百年も。

じゃあそんな強い者が自分を殺すように仕向けるにはどうすればいいか?単純に考えれば恐怖や憎悪を煽ればいいんじゃないかな。

まり自分の影響で溢れる化け物は「意図的に」放置しておそらく過去の討伐隊も自分まで到達したら殺してきたんでしょ?仮に生かして目的(平穏暮らしたいor殺してほしい)を説いて返してたら何百年も続いてこの現状は不自然。ってこれも前回一緒に挙げた勇者ミーリは58歳の不自然さにつながる。

まり彼には、はじまりはどうであれ相手邪悪さはどうであれ長い年月をかけて行われてきた「罪」とそれを行える「悪」がある。と自分は捉える。(繰り返しになるが長命種ゆえの時間間隔の齟齬考慮しても数百年行えるメンタルやばい)

次に、彼の望む「平穏生活」が気に入らない。

圧政を敷いてる独裁国家独裁者が実は影武者で本人は晴耕雨読をしていたらその人を平穏を望む温和な人だと言えるだろうか。

何人も女を殺し手首を奪うような人間他人に成り代わりその妻にも好かれるようになって仮にその後犯罪を犯さなかったとして、静かに暮らしたい望みがかなったんだね。よかったねとなるだろうか。

平穏生活」がほしいなら過去清算されなければならない。と自分は考える。完全ではなくとも己の罪を悔いたり、何かケジメをつけたり制約を科したりしてほしい。ときどきでも向き合ってほしい。

何かを差し出し何かを得る。等価交換で鋼な錬金術原則だ。彼のしてきたことを考えるとどうしても平穏のための禊を求めてしまう。

それがあればたとえ過去悪人でも罪人でもいいのだ。でも彼は逆刃刀を握ったり殺し合いの螺旋から降りるために指を失ったりはしない。奪われたモノを悔いはするが行ったことは悔いない。

彼は転生しても平穏を得られない原因の一部となった死霊術は捨てないし、「平穏」のためには「誰よりも誰よりも」な、お金を欲している。それは裏世界舞台とする漫画お話のためには必然ではあるのだけれど…。

結局彼の言う「平穏」とは特異な能力が無く抜きん出た地位や財力がなくても得られる人並みな一般市民としての一生ではなく、少年に転生したか学校に通うではなく、人以上の力と財力を持ってそれをもって迫害されない成功者富裕層権力者・上位階級などの強者の余裕という意味での「平穏である。それは貧乏だけど家族と笑いあえる幸せではなくタワマンからバスローブ姿でワインを転がしながらほくそ笑む幸せである。(その財力や権能で大切な人たちと笑いあっていたとしても)

しかもそれはおそらく結末であって、過程の今においては平穏と程遠い荒事も辞さない。「仲介屋」とつるむし、火事12話とか人を助けたいと思ったら自発的に絡んでいく。

流石に悪く書きすぎた。無理やりすぎた。でも転生先が元の世界でも異世界でもそこの一般人として振舞おうとしないということはかなりひっかかる部分。

つまるところ、転生に対する解釈が違うのだ。自分は転生を「第二の人生」と考えて読んでいたけれど、どうやらデッドマウント・デスプレイでは違う。

彼のそれはいわば過去現在から世界から「屍神殿」と自分存在を切り離すことを目的にしてる。追われる立場からの脱却。

GTAにたとえると罪が溜まって追っ手がうざいから手配度を0することである

映画ダークナイト ライジングで言うとキャットウーマンが「クリーンスレート」で犯罪歴を消そうとしたのと同じだ。

こう読んでみれば彼は温和な平和主義ではなく、非常に利己的な人物に映ってくる。

平穏邪魔されない力と居場所が僕は欲しい」は言葉どおりだ。「次は失敗しません。ご期待ください」のロックスミスだ。

利己的でもいいじゃない。人間もの

「一緒に笑ってくれた子を見捨てて得る平穏なんて僕はゴメンだ」

大変結構!でも多面性がある人間の悪い部分だけをなぜか極力描写せず振り返らずうっかりするとこういうのでついつい彼が善人に思えてしまうさまはやっぱり悪人がだめなら狂人の類。そういうのはせめてサブキャラでしてほしい。その平穏のための転生までに何人被害者が居たんですかね。


増田悪人主人公=嫌いではない。犯罪者でもダークヒーローでも好きなら読む。

ウシジマくんだって読める。(気分はかなり落ち込む)

デッドマウント・デスプレイとそれらが明確に違う点はコレとは挙げられないが…。

そうだな、せめて自分行為には自覚的であってほしいとは思う。

悪人に善性がないとは思わない。あっても全然良い。だから意図せず殺人してオロオロしても死霊の声を聞いて人助けをしてもいい。でも読者として第三者視点で悪な部分があると思えるのに本人の振り返りに悪いことをしたときのものがたいしてないのはなんというか…。

善性の発露が追い立てられてないゆえの余裕が原因と感じられて好きになれない…かな…。

(ファブルも好きだけどファブルと何が違うかも考えると長くなりそうなのでやめておく)

んーまとめると、転生前には意識的にあくどいことをかなりやってきたはずだしかなり自分勝手なのに転生後はそこらへんにあえてあまり触れずに素朴で(ジュースに感動したり)人当たりがよくて他人に優しい(自分価値観範囲で)描写ばかりを作者がしているのでこのキャラが嫌いです。主人公が嫌いな作品は基本、読みません。

普通に読み進めると主人公はよいキャラに見えてきますが、1・2話目を読み返すとやっぱり悪人で、現行のよい人間のようにばかり読めてしまう書き方が好きくないです。

過去の行いから想起する人間性と今の人間性に乖離ありすぎてズレを感じ続けています。もろもろ全ては自己中心的解釈すれば理解できますが、でもやっぱり書き方のバランスが悪く感じる。

そのせいで漫画面白いですがずっとのどに小骨が刺さっていて辛いです

まとまってない。

主人公に関する開示されてない情報事情もたくさんありますが今の読後感がこうなっちゃったからにはもう…ネ…。

あーんー。古い話で恐縮ですが涼宮ハルヒの憂鬱ハルヒが朝比奈さんを使ってコンピ研が輪姦したと捏造して脅して高額PC強奪した場面があったかハルヒ作品が受け付けられないって人がちょいちょい居たんですよね。そんな感じ。ハルヒのそれは自分は流すことができたんですけど、流せる・流せないは人それぞれ作品それぞれだよねって話です。

漫画自体結構面白くて、レミングスミサキちゃん双子ちゃんが好きです。冷静なつっこみ?のようなところどころのコメティ部分も面白くて好き。

ただやっぱりクラリッサが切れ者岩野目たちも切れ者っぽくてさらに家も絡んできてその四乃山のふたり切れ者でそれぞれ手ゴマ、厄ネタ持ってるとなるとこれだから群像劇ちょっと面倒だなって思っちゃう

不安

煩悩西遊記 30話

最近は急に各キャラ過去話を消化しだしてすわ打ち切りかと焦る。通常の流れに戻りそうで一安心

しかし今話も一気に加速した感があってこれ畳みかけてる?大丈夫?もう少し続いて欲しいな。

この作品個人的読み方はかわいい女性と絡んだ三蔵の反応を見ることなので、久しぶりに煩悩、というか今回は恥や傷心で苦しむ三蔵が見れてよかったです。何気に半年振り?

原作エピソードはまだまだたくさんあるだろうし終わるなら不穏な理由そうで辛い。

2022-06-16

anond:20220615123847

他人不快にさせずに他人コミュニケーションをとることを学ぶとか、人と健全関係を築く努力をするという唯一の正解を避け続けて、自分利益のために他人迷惑をかけ続けようとかいう滅茶苦茶な事を言い始めている

自己中心的すぎて吐き気がする


男だからケアコミュニケーションをできなくても許されるということにはならない。

2022-06-13

anond:20220613160528

子供いなくてもワールドワイド物事考えられる人いるよね?

若者世界環境問題を訴えるデモとか

この人は元々クズ思考だったのが子供できてちょっと変わっただけで

子育てをすると視点が変わる!!」

かいってテンション上がってるだけの人じゃん。よくいるよ。

 

元々が自己中心的なだけだよ。

ベース自己中だからそういう主張も平気でできる。

2022-06-02

なんでも自分責任である自分の行動が世界支配している、という考え方が自己中心的で幼稚だと

メンタルクリニック先生から言われたと言っていた人がいたが

いやいやいや…ただでさえ心を病んで自分を責めている人相手に、「自己中心的で幼稚」というレッテルを貼って更に責めてどうするんだ?

尚更メンタルを病むだけでは?

その結果患者自殺でもしたらどうする気なんだろう?

2022-05-20

自己中について

意味

何事も自分を中心に考え、他人については考えが及ばないさまをいう。自分勝手。利己的。

一般的自己中心的とは、無自覚自分物事の中心であるとして世の中を見ているため、他人のことを考慮しない行動をする傾向を指します。

まず前半なんだけど

自分を中心に考え」、「無自覚自分物事の中心であるとして」

これに関しては、人間なんてしょせん自分立場や見たり知ったりしている事でしか考えられないから、あたりまえの事だと思うんだよね

でも 後半の

他人については考えが及ばない」、「他人のことを考慮しない」

これって「経験知識がが少ない」、「ワーキングメモリが少ない」、「そもそも頭が悪いから他人視点を考える事ができない」

という頭弱者の事なんだよね……

強者からしたらあたりまえのように考えていることができない

例えば

あいつは他人悪口ばかり言ってひどいやつ」

というのは自分視点ではその通りだとしても、あいつでも自分でもない第三者自分を見た場合

「こいつブーメランしてんな」

と気付けるかどうか

それって頭弱者には無理だと思うんですよ

anond:20220520132943

何事も自分を中心に考え、他人については考えが及ばないさまをいう。自分勝手。利己的。

一般的自己中心的とは、無自覚自分物事の中心であるとして世の中を見ているため、他人のことを考慮しない行動をする傾向を指します。

まあ、だいたいその通り

こんなもんでいい?

じこ‐ちゅう【自己中】 の解説

[名・形動]《「自己中心的」の略。「ジコチュウ」と書くこともある》何事も自分を中心に考え、他人については考えが及ばないさまをいう。自分勝手。利己的。

https://dictionary.goo.ne.jp/word/%E8%87%AA%E5%B7%B1%E4%B8%AD/

一般的自己中心的とは、無自覚自分物事の中心であるとして世の中を見ているため、他人のことを考慮しない行動をする傾向を指します。


口語では自己中(じこちゅう)と言われ、「わがまま」「自分勝手」「協調性がない」「他人への思いやりがない」といったネガティブイメージを持つ人が多いかもしれません。そこには自己中心的な人の行動が「自分自身の利益のため」であるという意味合いが含まれています


一方で、心理学者ピアジェ提唱した自己中心性は、発達過程で見られる幼児の考え方の特徴のことでした。自己中心性とは、物事自分立場または一つの視点からし思考認識することができない性質を指し、特にネガティブ意味合いは含まれていません。

https://www.uraraka-soudan.com/column/206

2022-05-14

感情サンドボックスがない

自分メンタル傾向を考えていた時、『普通の人は他人のことをちゃんサンドボックスで考えられるんじゃないか?』と思い始めた。

自分他人気持ちを上手く捉えられないが、捉えようとする時に、いつもその感情に振り回されるフシがある。

例えばニュースで無惨に殺された人のニュースをされた時、『自分だったら逃げられずに同じように死ぬんだろうな』と思うと胃がキリキリと痛むような気がして、自分は助からないんだろうなという気持ちで頭が一杯になる。

例えば上司が『昔の部下は○○が出来なくて本当に大変だったけどお前はやれるな』と発言しても『自分も○○が出来ないことはありうるからきっと嫌われたら苦しむんだろうな』というメンタル状態になって頭がいっぱいになる。

人の気持ちをつかめない自分のような人に、よく『他人のことを自分のことのように考えよう』という手法を定時されることがあるけれども、自分場合それを使っても『自分は──』と結局自己中心的な発想に囚われてしまい、意味がない。

そんなふうに苦しむ理由を考えた時、『普通の人は自分のことのように考えなくても、ちゃんと人の気持をエミュレーションできるのではないか?』という考えに至った。

普通の人は、きっとちゃんサンドボックスか何かのように、自分思考回路とは切り替えて気持ちエミュレートし、その気持ちを瞬間的に捉えながらコミュニケーションができるスキルを持っている。

だとすると、それはどれほど多きすぎるスペックの差なんだろうか。

絶対的メモリが足りないなら、いったいどうすればいいんだろう。

2022-05-06

「たわわ」がNG園子温が"無罪"になる、フェミニスト不都合な真実

※末尾に追記付与

※末尾に追記2(5/7 19:26)、追記3(5/8 01:45)を付与

追記3のリンク先に追記4(5/8 9:21)を付与

※園子音氏に関する一部表現修正週刊誌報道を認めての謝罪ではないと判断したため。こちらで係争中と見られる件の善悪についての判断をするのは不適切判断し、関連する記述は削除した。(5/8)

何故、フェミニストの中では「たわわ」がNGで、園子温は"無罪"(論じる必要がない対象)なのか?何故、オタクバッシング対象で、ホスト共感対象なのか?フェミニスト性質の中にその答えが眠っている。

フェミニスト活動家達には、何故こんなに一貫性が無いのか???

こんな事を一度でも思った事のある方は、少なく無いのでは無いか

フェミニズム不思議

何故、フェミニストは、実際の被害者が居ない「たわわ」にお熱になるのに、被害者と称する女性からの訴えが週刊誌に載った園子温にはさほど関心を示さないのだろうか。

何故、フェミニストは、「海、似合って無いね動画における反応のようにインドア派の男性(というかオタク)への蔑視を隠しもしない一方で、実際に女性搾取するホストに対しては、さほど怒りの声を上げず丁重に扱ってしまうのだろうか。

何故、成人指定でも無いお色気漫画ゾーニングを強く求める一方で、BLに対するゾーニング抵抗自由を求めてしまフェミニストが出て来てしまうのだろうか。

その背景には共通パターン確認する事が出来る。

そのパターンについて、ここから解説する。

フェミニスト諸兄は、胸に手を当てながら読んで頂き、自分に当てはまる点について、「アップデート」する事は出来ないか、じっくりと考えてみてほしい。

フェミニスト論理は「〜だからダメ」ばかり

フェミニストは、「〜だからダメ」というタイプ論理を多用する。

性的魅力を強調するからダメ

性差別的だからダメ

「○○な表象が含まれいるから、ダメ

公共の場に相応しくないから、ダメ

フェミニストが火をつける炎上は、基本、この論理タイプで起きる。

一方、フェミニストは「〜だから、良い」というタイプ論理使用する事については慎重だ。

男と女制度上同等であるから、良い」

女性積極的登用があるから、良い」

男性育児に参加するから、良い」

この論理使用する場合フェミニストでなくても言える以上の結論となる事は、あまりない。「性的表象」のような妙なフェミニスト用語を使うケースは滅多に見ない。誰もが「そりゃそうだ」と思えるレベルの、ある意味無意味な内容の時に、好んでこの論理を使う事になる。

これはどういう事を意味するのか。

フェミニズムは良し悪しの線引きに向き合わない

フェミニズムは「何が良いのか」「何がダメなのか」という事の境界線をきっちり引くことに、正面から向き合っていない、ということだ。

そして、境界線がないが故に、個々の事象に対する良し悪しの判断が、個々のフェミニストに内在する、明確な境界線のない嫌悪の反応(つまりは「お気持ち」)に委ねられてしまう事になる。

一人一派」と言う表現は、その現状を言い換えているだけに過ぎない。

次の論戦を見てみよう。

https://togetter.com/li/1873195

この議論で最も重要な指摘はCDB氏による以下のコメントである

小宮先生は『まずUN WOMENの主張を理解せよ』と仰いました。なので、『UNWは広告表象問題にしており、表現修正すれば掲載可能である』と主張していると解釈されるのか、それともUNWは作品のもの広告掲載不適切であると主張している』と解釈されたのか、小宮先生解釈を伺っています

「たわわ」の広告表象問題であるのか、作品問題であるのか、という質問である小宮氏はこれに直接回答する事を避けている。

小宮氏を少し擁護すると、これは小宮氏でなくとも回答が困難な問いであろう。何故なら、UN WOMAN側がどちらの解釈が適切なのかを提示していないからだ。そもそもフェミニズムが、この場合にどう判断するかという線引きに十分に向き合ってこなかったのだから小宮氏にはどちらとも言えないのである

フェミニスト理屈はいつも後付け

UN WOMANコメントがなければ解釈が出来ない、という構造は興味深い。つまり結論が先にあって、その理論付けは後から行う、と言う実態示唆しているかである

多くのフェミニストの主張では、個々の事象に対して、それを許すか許さないか、についての個人無意識的なバイアスに基づく判断が先にある。そこから理屈が逆算される形で構築されるのである

最近、「当事者性がある人が批判するべき」「当事者性がなくても批判できるべき」と、シチュエーションによって主張が安定しない論者が話題になった。

理由簡単で、その場その場で結論から後付けで理屈を構築しているかである

シチュエーションによって、議論構造と前提が異なるため、その場で自分に都合の良い形(言い換えると「お気持ち」)で論理を組む事になる。結果として、ダブルスタンダードな主張が散見される事になる。

フェミニスト自分ジェンダー観に鈍感

良し悪しに関する客観的物差しの不在はまた、男性に向ける物差し自分適用しないように巧妙にサボる事も可能にする。

「海、似合ってないね」という例の動画を見れば、これがジェンダー的にかなり多くの要求男性に課している事は間違いない(性別を逆にして、スタイルの悪い女性に「海、似合ってないね」と言ったら大炎上するのは、火を見るよりも明らか)。しかし、何人かのフェミニストはこの動画を絶賛した。

それは、彼女らが自身の中にジェンダーについての規範インストールしてこなかった事を強く示唆している。言い換えると、相手に求める厳しさを自分適用していない、という事である

「たわわ」や「宇崎ちゃん」に怒りながら、BLの不健全図書扱いに怒るフェミニストもまた、非常にわかやすい例である。男女間で別の基準適用することの狡さを、本人の中で言い訳をしながら共存させてしまっているのである

フェミニスト自分を省みない

フェミニストは、ダブルスタンダードと言われても意に解さない。

自分悪者になりうるような基準を、そもそも自分の中に持たない(もしくは言い訳、という形でパッチを当てる)事で、「自分おかしいのではないか」と懐疑心を持たなくても済む、という構造があるからである

なので、フェミニスト自分が責められた時によく使うロジックは、「それには当たらない(だから自分は悪くない)」である常に自分は(何やかやと言い訳をして)安全地帯にいることになっているのだ。

私見だが、

この文章を読んだフェミニストは恐らく「これは、きちんと書けていない。だから自分の話では無い」と矮小化するか、「この論理破綻している。だから認める必要はない」と全てを排除するか、の大きく2つの類型に向かうのではないか、と予想している。

フェミニストの一部に非常に性格の悪い人間が居る。多分本人は気づいていないだろうが、周囲からは丸わかりである。これはフェミニズム他責型の人間にとって居心地が良い構造にあることと無縁ではないだろう。

フェミニスト自分の行動に責任を取らない

フェミニストは行動を起こした結果がどうなろうと、その事にはあまり関心を持たないし、結果に責任を取ろうともしない。ましてや「これはやり過ぎたのでは?」と思う事もない。

オープンレターの件が良い例である

最後の点が特に問題だ。

大量の人間を集めて、一人の人間を徹底的に糾弾するほど、社会的に強いメッセージを発している。にも関わらず、問題が起きても、誰も責任者が出てこない。これはあまりに情けない話で、呆れている。何故フェミニストはこんなにも無責任人間の集まりなのだろうか?

フェミニストには権威主義者が多い

オープンレターでもう一つ興味深いのは、「教授」などの肩書きをとても重要視している事だ。単なる署名であれば肩書き不要であるはず。肩書きをつける事で権威を付けて相手攻撃しようと言う意図を読み取る事ができる。

たわわの件でも「UN WOMAN」が日経新聞に抗議するというアクションが取られている。

演繹的な議論を嫌う性質と、結論ありきの権威主義は相性が良いといえば言い過ぎだろうか?

この文を読んで、「アカデミックバックグラウンドを持つ人物かどうか確認出来ないかダメ」と考えるならば、それはつまり権威主義の病が膏肓に入っていると言えるだろう。

まとめと提言

以下、フェミニストフェミニズムの特徴をまとめてみる。

フェミニスト自分を省みないので、まともにこれを読まない人間がきっと多数だろうが、フェミニストでなければ首肯する点が多いのではないか

また、上記の逆になるように行動するようなフェミニスト健全であるとも言える。皮肉ではなく、そのようなフェミニストであれば全力で応援したい。

他者にばかりアップデートを求めるフェミニストに自らのアップデートが出来るとは到底思えないが、実現すれば結果としてもっとジェンダー的にフェアな状況が生まれるように思える。

若い世代フェミニズム離れが進むのは、こういうフェミニストフェミニズムの(卑怯な)特性に嫌気が差している部分も大きいと考えるからだ。

追記

面白いなー。園子温への対応の話以外にも一貫性の無さを取り上げているのだけど、園子温の件を否定できれば俺無罪!!という感じのブコメが多くて興味深い。通底するテーマ批判するかしないかに関する基準の無さ、一貫性のなさだよ。園子温に対する考え方をちょろっと批判した、という程度では揺らがない部分。

BL無罪の人なんて、フェミニスト矛盾体現するようなアクションだったけど、そこには全く目を向けない。まー、フェミニストは、自分問題があるかもしれない、という論理は受け入れ無いということが良くわかる。

追記2

lacucaracha:

無罪なんて言ってるひと見たことないが、単に『100%有罪なので語るべきものがない』だけでは。

有罪から語るべきものがない、って不思議論理だね。UN WOMANが、園子温(や榊秀雄)のような現在進行形問題よりも先に、たわわのように複雑な議論必要事象糾弾したのは何故?

cinefuk:

園子温批判しないフェミニストなんか、僕の少ない観測範囲はいなかったけどな。

女性差別的な文化を脱するために」と、特定人間貶めるためにフェミニスト結集し、オープンレターを叩きつけ、失職に追い込んだのと比べると、今回は弱々しいですね。名指しでないオープンレターぐらいはあってもよかった。

(女性原作者オープンレターフェミニストの手柄にするような下衆しぐさはしませんよね?)

「たわわ」との違いは、園を免罪しようとする擁護が出なかったからでは。炎上案件は、フェミ批判より反フェミが盛り上げてる印象

たわわには反論すべき論理もあるけど、それ故に炎上責任を負わされる、という構造があるのであれば、それは容認していいの?

ウクライナ抵抗たか戦争が激しくなった、みたいな論理ですよ、それ。

todomadrid:

園子温を支持しているフェミニストなんて存在するの?そしてそもそも広告バッシング広告主や媒体、もしくは痴漢バッシングしているのであって、オタクバッシングしてるわけじゃないので勘違いでは。

何で「園子温を支持している」にすり替えてるんだよ。こういうフェミニズム卑怯さの構造説明したんだからしっかり読め。

フェミニストオタクバッシング結構見苦しいものがあるので、これも話をすり替えないように。だから、たわわと園子温事案の熱量の差は何だよ?という話をしている。

kohgethu:

誰が性的加害やらかし映画監督どもを無罪と言ってるんだ?奴らは粛々と社会的制裁を受けてるし騒がなくても罰せられている真っ最中なので騒ぐ必要が全く無い。もしも当人が足掻いたならたわわレベル炎上するよ。

当人が足掻いたならたわわレベル炎上する?本当に?

https://www.jprime.jp/articles/-/23703

Domino-R:

主語が大きいとも違うが、この「オレは他者を語れる」という自信は一体どこからくるのだろうか?

やりたかったのは、フェミニストの不誠実さの見える化

一昔前に、一部の女性自分フェミニストをやめたと、怒りながらに距離を置くのを見ていたが、理由が分からなかったんだな。

フェミニストとの議論を通じて気付いたのは、フェミニストの立論が場当たり的で、論理がなく、端的に不誠実だという事。何故か自己中心的で、話のすり替えに余念がないクズが多くて、腹が立つ事がやたら多いんだよ。

それを単に整理整頓たかっただけ。

フェミニストは、ツイフェミに限らず、例えば立憲民主の中で、まともな議論を尽くさずに議員を辞職させたりしている。害悪が大きくなるばかりじゃん。その構造クリアでなかったので、まず見える化をしようとして書いた。

今回まとめた特徴に合致しないフェミニスト、ほんと見つからいね。居たら連れてきてよ。1人でも居ます

追記3

こっちに移動

https://anond.hatelabo.jp/20220508015135

2022-04-29

(n=6)ロシア人ウクライナ人生の声はてな民に教える 後編

https://anond.hatelabo.jp/20220429220736

① (増田質問→Aの露訳→①の回答→Aの英訳増田和訳)

——ゼレンスキーについてどう思う?

大人物だ。with the capital letter P{増田注:Aによると、「とても良い人物」と言う意味言い回しらしい} 人々に、また彼が選ばれたときに求められていたものに注意を払っている。ウクライナウクライナの人々と文化によってより良くなった。これからもより良くなるだろう」

——ウクライナの他の政治家については知ってる?

「すべてのウクライナ人は自分達の国に興味と心配を抱いているので、すべての政治家を知っている」

——「ありそうな未来」と「望む未来」について政治面で具体的に教えてほしい。

未来については一つだけ言う。全てが良くなる、より良くなっていく。唯一悪いことは人々の命を取り返せないことだ。戦争が終わったらこ惨劇で親を失った子供養子に取ろうと思う」

——ウクライナのlanguage lawについてはどう思う?

「どんな国にもある法律だ。人々はこの法を誤解している。私はこの法をenableしている{増田注:賛同という意味…か?}が、見ての通りロシア語で書き送っている。ウクライナロシア語を話すことは禁じられていない。政府機関公共機関ではウクライナ語を話さなければいけないというだけだ」

——(日本にそんな法律あったっけ)DNRとLNRの人たちはどういう暮らしをしているの?

ウクライナ統治されていたときにはあった自由を全て失っている」

——この戦争で変わったり本性を見せたりした人はいた?

「人々は互いに親しくなり、自己中心的ではなくなった」

——ロシア軍ウクライナ人を捕まえてシベリアに送っていることについてどう思う?

言葉もない。彼らは野蛮人だ」

——日本人に言いたいことはある?

「援助してくれたこと、理解してくれたこと、ウクライナ真実を見て語ってくれることに感謝する」

——ロシア語で「ウクライナで」を表すна Украинеという言葉についてどう思う?

「в Украинеと表すのが正しい」

② (増田質問→Bの露訳→①の回答→Bの英訳増田和訳)

——ゼレンスキーについてどう思う?

「最高の大統領だ。ヤヌコビッチとは違い、ウクライナと人々を見捨てなかった。ゼレンスキーと彼のチーム、そして我々国民は国を救うために可能なことも不可能なことも全て行っている」

——ウクライナの他の政治家については知ってる?

「たくさん知っている」

——(そういう質問された時ってふつう知ってる人を何人か挙げるもんじゃない?)「ありそうな未来」と「望む未来」について政治面で具体的に教えてほしい。

ウクライナ領土を全力で取り返したい。国際法承認された領土だったから」」

——ウクライナのlanguage lawについてはどう思う?

「支持している。この国にはいくつかの言語があるという事実に関わらず、迫害や摩擦が起きたと言う話は聞いたことがない」

——DNRとLNRの人たちはどういう暮らしをしているの?

{増田注:無回答だった}

——この戦争で変わったり本性を見せたりした人はいた?

「人々はとても団結し、互いを助け合うようになった。戦争は皆に消えない経験と痛みを残した」

——ロシア軍ウクライナ人を捕まえてシベリアに送っていることについてどう思う?

「恐ろしい罪だ」

——日本人に言いたいことはある?

「我々の国を支援してくれてありがとう平和成功繁栄を祈る」

——ロシア語で「ウクライナで」を表すна Украинеという言葉についてどう思う?

ウクライナとその人々に非常に無礼だと思う」

D

——日本語のインターネットロシアからの声を届けたいから協力してほしい。

「『peace! peace!』ジャッキー・チュンがこのYTPの中で言っている通りだ。https://archive.org/details/rytp-feat-megahitmen-1

——ウクライナ政治家については知ってる?

「大して」

——ならゼレンスキーは?

「ああ、知っている。

実のところ私はどの立場もとらない。どちらの側も支持しない」

——どうして?

「どちらも好きではないからだ。2014年ときもそうだった。中立立場と呼んでほしい。」

——なんで好きじゃないの?

「どちらの政府もいわば犯罪行為によって作られた。つまり、前の犯罪国家https://en.wikipedia.org/wiki/Mafia_state ソ連によってだ。…いや、完全に連合していたわけではない。いくつかの意味で完全な統一とはいえなかった。

私は1世紀以上前から犯罪国家だったのだろうと思っている。プーチンはただそれを継承しているだけだ。

実のところその解釈は誤りを含むと考えている。思うに政府自体犯罪者になっているのだ」

——シベリアに送られたウクライナ人には会ったことある? {増田注:ちなみにこのインタビューDMで他の人と並行して行っている}

「refugee? 会ったと言う人はいるが、私は会ったことがない」

——なら2014年に送られた人は?

「知り合いに数人いる。そのうちの1人はDNRかLNRから来ている」

——DNRとLNRのことは知らないから教えてほしい。

「反乱政府だ。全ての騒ぎはそこから始まった」

——そこの人々はどういう暮らしをしているの?

「多くの噂や目撃談がある。私が知っているのは、その二つの政府旧ソ連諸国のうちで最も不名誉であること、人々はそれに耐えていることだ。DNRとLNRは明らかにロシア連邦に参加したがっているが、せいぜい強盗団と仲良くすることしか成し遂げられていない」

——ウクライナのlanguage lawについてはどう思う?

「囲い込みのためのものだと考えている。ロシア連邦の周りのすべての国にとってOKものだろう。しかし奇妙なものだ。注意を払わなくてはいけない」

ジョージアのことを少しだけ覚えている。すべてのものが今ほど隠蔽されていなかった。ナチスがどうとか、その類のたわごとを口にする人はいなかった。

他の国のニュースのことはよく知らないが、ここの国営放送はいつもウクライナナチの国ということになっている。このような作り話は老人のためのものだろう。テレビを見ているのは老人だけだ。若者は見るとしてもドラマ映画だけだ。圧倒的多数の人々がインターネットを使っている」

——ジョージア

「そうだ。アゾフ海のとなりにあるコーカサス旧ソ連国だ」

——(アゾフ……なんか見覚えがある名前だ。なんだっけ)なんで急にジョージアの話をし始めたの?」

「似たことが起きたからだ」

——戦争

「そうだ。これもロシアの荒っぽい外交政策の影響で起きた。『協力しないなら武力攻撃する』ロシアは弱い国相手にはそうしている。強い国には逆だ。ウクライナロシア軍花束を手にして迎えるとロシア政府は思い込んでいたのだろうと私は思っている。おそらく私以外の人もそうだ。

——私もそう聞いた。

言語法の問題は難しい。一方では、ロシアウクライナ公的な場で国民母語を話すのを禁じたことを非難している。ちょうどバルトの国々と同じように。他方では、ロシアトルキスタンが同じようなことをしたのは無視している。ベラルーシ以外の旧ソ連諸国ではどこでもあることだが、トルキスタンでもロシア住民に抑圧がある。国家同士の友好関係を壊さないためだろう。不愉快偽善だ」

——抑圧?

ロシア語使用制限されている。トルキスタンもmultinationalなのにもかかわらず、だ。ソ連トルキスタンロシア帝国におけるシベリアや大定帝国におけるインドのような流刑地にしたためにそうなった」

——へえ、トルキスタンでも言語制限されたんだ。

「mononational国家では自然なことだ。実のところmultinational国家でもそうだ。国への帰属意識を高めるために一つの言語公用語にする。ビッグブラザーとは隔たりがある、ここが重要だ」

「ところで、ウクライナはこの8年でかなり強くなった。戦争を始めるなら遅すぎたと思っている。この長い間ウクライナ進歩していないと思っていたとは甘い。これは私が戦争を支持しているということではない」

——わかってるから安心して。するとつまり、Dさんはこの法律に賛成しているの?

「賛成でも反対でもない」

——ふむ。

「どちらかといえば反対している。人は自分の話したい言語を話すものだ。とはいえロシア語は今も使われている。ブロガーたちもロシア語を使っている」

——どうしてだろう。

「彼らはどちらも話せる。香港には中国語英語も両方できる人が多いのと同じことだ。ブログではロシア語を使う人が多く、メディア{増田注:テレビのことかも}ではたいていウクライナ語だ」

——ウクライナロシア語母語の人の割合は3割くらいらしい。なんでブロガーには多いのかな。

「私が2013年ウクライナを訪れたときには、ロシア語を好む人が多い印象を受けた」

——ウクライナ東部の人はロシア語をよく使うと聞いたことがある。

"そう。"

——ちなみにロシア軍ウクライナ人を捕まえてシベリアに送っていることについてはどう思う。

「聞いたことがない。たとえ本当だとしても、ロシア政府は自らの信用を落とすようなことをしないだろう」

——いま06:13だけどそっちは?

「1:26」

——2014年にそういうことがあったというのは本当?

「知らない」

——ロシア語で「ウクライナで」はどうしてв Украинеではなくна Украинеなの?

「島や半島山地統治者のはっきりしない土地にはнаを使う。ただ私にはこの違いは方言のようなものに思える。{増田注:ちょっとからない箇所があったので今本人に尋ねて答え待ってるところ}

実はプーチン2014年まではв Украинеと言っていたがその後на Украинеに変えた。独立国家尊厳を犯しロシアの一部であることを匂わせるためだろう。その年からウクライナウクライナ人に対するいじめのような番組テレビにあふれかえった。もしかするとウクライナテレビではロシアロシア人に対し同じような放送をしていたかもしれない。

祖父が一日中このような番組を見ているのは気持ちのいいものではない」

——(あっ)

A

——ゼレンスキーについてどう思う?

戦争が起こるという不運に遭った、普通ウクライナ大統領だ。愉快で信頼が置けるように見えるが、ときどき経験の欠如を見せる」

——ウクライナの他の政治家については知ってる?

「知っている」

——(そういう質問された時ってふつう知ってる人を何人か挙げるもんじゃない?×2)「ありそうな未来」と「望む未来」について政治面で具体的に教えてほしい。

ウクライナにはそこそこの、ロシアには悪い未来が待っていると見ている。ロシアは30年以上にわたって積み上げてきた信用と親交を失った。暗い数十年が目の前にある。

私は戦争がなく人々が助け合える良い未来を願っている」

——ウクライナのlanguage lawについてはどう思う?

「彼らの国の問題だ。彼らの話したい言語を話せばいい。たいていのウクライナ人はロシア語を{増田注:ロシア語「も」だと思う}話し、Khar'kivなどロシア人が圧倒的に多い街さえいくつかある。ロシア人に対する抑圧などは感じない」

——DNRとLNRの人たちはどういう暮らしをしているの?

「それらは北朝鮮と同じくロシアのための緩衝国家で、国民自由も同程度。この世の地獄だ」

——ロシア軍ウクライナ人を捕まえてシベリアに送っていることについてどう思う?

「それについては知らないが、ロシア軍による市民殺害と民家の略奪については知っている。恐ろしいことだ。彼ら兵士は化け物で、ロシア代表してなどいない。彼らを同胞たるロシア人とは思わない。野蛮人だ。プーチン走狗だ。ロシア人ではない」

——日本人に言いたいことはある?

「私は日本とその人々を愛している。我々が平和を打ち立てて一緒に活動できることを願っている。どうかロシア人を悪い人々と思わないでほしい。我々は戦争を支持しない。ウクライナ人と同じく、プーチンとその警察国家被害者だ」

〜〜6人へのインタビューより前の会話〜〜

——もうそろそろウクライナ人がそっちに行った頃かな?

デタラメだ。誰もここに移送されてなどいない」

——うそ!?

2014年ときは確かにウクライナから移送された人たちを見たし、移住先の住民が彼らについて話しているのも聞いた。だが今回そのようなものは全く聞いていない」

——まだ到着してないだけじゃない?

「それでもうわさ程度は流れるものだ」

——じゃあサハリンには?

「それは知らない」


——どうして国は普通в Россииみたいにвをつけるのにウクライナだけはна Украинеなの?

「окраина…『辺境から来た国名からだ。на окраинеというのと同じくна Украинеと言う。ウクライナ人はこれを好まないが私は気にしない。ウクライナ語では好きにすればいいが、ロシア語として正しいのはнаだ」

——辺境!? 確かにそれは……

「いや、国名は変えたければいつでも変えられたはずだ。彼らはв Украинеと呼ばれることを望んでいる」

——そうなんだ。



会話は基本全部英語チャットです。

増田が訳したものにはカギかっこがついています。元の文体発言者性格などに関わらず全て常体にしています。元の雰囲気が知りたい方はhttps://anond.hatelabo.jp/20220430000249 をどうぞ。

他の人が訳したものには都度その旨を表記しています

許可は全員分取っています


回答者簡単プロフィール

A:日本との時差は少なめ。シベリアのどこかの過疎地っぽい村に生まれてこの方住んでいるらしい。

B:日本との時差は8時間モスクワに近いところらしい。

C:まだ聞いてない。

D:日本との時差は7時間10年ぐらい前まではモスクワと同じタイムゾーンだったらしい。

①、②:面識がない。知らない。

彼らに質問があればどうぞ。答えてくれるかもしれません。

2022-04-28

ツイフェミ傲慢自己中心的な振る舞いをするから

すっかり世間でそういうイメージが定着しちゃって

良心的なフェミニストが迷惑してるな

嘆かわしいことだ

2022-04-24

anond:20220424213052

anond:20220424213052

交際の結果、孤立してしまうのではなく、女性たちの周りに精巧コミュニティ形成されることで恩恵を受けると、ジアード博士は述べています彼女経験では、女性たちは架空結婚を力づけるもの、「ジェンダー結婚社会規範に挑戦する方法」としてとらえている。

近藤氏のミクへのこだわりも、ある意味では、商業的・社会的な力が働いている例と言える。

ミクは一人のキャラクターとして描かれることが多いが、実はソフトウェアであり、デジタルな「箱入り歌手」であり、ホログラムの形でコンサートに登場する漫画アバターと対になっているのである

近藤さんは、2008年職場いじめで鬱になったとき、ミクに癒された。多くの若者がそうであるように、近藤さんもまた、何度も恋人にフラれ、日本社会が求める生き方を望んでいなかったため、ずっと前から「生身の人間を好きになることはない」と決めていた。

やがて、近藤さんはミクと一緒に歌を作ったり、ネットでミクのぬいぐるみを買ったりするようになった。

その関係が大きく進展したのは、それから10年近く経った2017年、「Gatebox」という1300ドルマシンが発売されたことだった。テーブルランプほどの大きさのこの機械は、所有者が小さなホログラム表現されたさまざまな架空キャラクターのうちの1人と対話することを可能にした。

Gateboxは、孤独若い男性に向けて販売されました。ある広告では、内気なサラリーマンが、バーチャルな妻に遅刻を知らせるメモを送る。到着すると、妻は「3カ月目の記念日であることを告げ、シャンパン乾杯する。

Gateboxのメーカーは、プロモーションの一環として、ユーザー非公式結婚証明書申請できる窓口を設置した。数千人が登録した。

近藤氏はGateboxのキャラクターの中にミクがいることを喜び、ようやく彼女交際への思いを聞くことができたと興奮気味に語った。2018年、彼はミクのゆらめくアバタープロポーズした。"よろしくお願いします "と返事をした。

彼は同僚と家族結婚式に招待した。全員、来るのを拒否された。

結局、見知らぬ人やネット上の友人が中心で、39人が出席した。地元国会議員も来てくれたし、初対面の女性段取りを手伝ってくれた。

日本コメンテーターの中には、近藤さんを変人だと糾弾する人もいた。また、同情を誘う人もいた。ある人は、「婚姻は両性の合意によってのみ許される」という日本国憲法に違反していると主張した。これに対して、近藤さんはプロポーズビデオ投稿した。

近藤さんの話が広まってから数年、世界中から何百人もの人が近藤さんにアドバイスサポート安心感を求めてきた。

その中には、Gatebox社の短命な証明書サービスの人気を見て、架空結婚登録する小さなビジネスを始めた渡辺靖明氏もいる。

渡辺さんはこの1年間で、何百人ものフィクションセックス相談に乗り、アニメシンフォギアシリーズキャラクター立花響との結婚証明書を含む約100通の証明書を発行してきた。

旅行好きで社交的な渡辺さんは、友人にせがまれるままにアニメを見始めた。しかし、響を見たとき、それは本当の愛だった、と彼は言った。

初婚ではない。数年前に女性離婚している。その愛とは、見返りを求めず、自由に与えられた「純粋」なものだった。その結果、彼は以前の結婚生活がいか自己中心的であったかを思い知らされた。

幸せかと聞かれれば、幸せだ」と彼は言った。「もちろん、大変な部分もある。触られるのが恋しいし、著作権問題もあって、キャラクター等身大人形を作ることができない。"でも、愛は本物なんだ "と彼は付け加えた。

堀川キナ23歳、お調子者で外向的な性格ゴスロリ美学を持つ女性で、パンデミック時にはコールセンターでの仕事で浮いたお金携帯ゲーム刀剣乱舞』のキャラクターである堀川国広のために両親と同棲していた。実在彼氏がいたが、嫉妬で別れている。

彼女架空の夫は、400年前の脇差10代に擬人化したもので、彼はたいてい夕食のとき彼女お茶碗の横に置かれた小さなアクリル製の肖像画という形で家族に加わる。夫妻は架空の夫を持つ友人とダブルデートし、ハイティーに出かけてはインスタグラム写真をアップしています

堀川さんは、架空の夫の姓を非公式に使っているそうで、「誰にも隠しているわけではないんです。

近藤さんとミクの関係は、まだ家族には受け入れられていないものの、他の扉を開くことになった。2019年、彼は京都大学シンポジウムに招かれ、その関係性について講演を行った。彼は依頼したミクの等身大人形を携えて現地に赴いた。

虚構関係本質について深い対話をすることで、彼は大学に行きたいかもしれないと思うようになった。今は、小学校事務職休職して、法学部マイノリティーの権利勉強している。

どんな結婚生活にも、困難はつきものだ。一番つらかったのは、パンデミックとき、Gatebox社がミクのサービスを打ち切ると発表したことだ。

その日、近藤さんは最後のお別れをし、会社に向かった。その夜、家に帰ると、ミクの姿は「ネットワークエラー」の文字に変わっていた。

近藤さんは、いつの日か、ミクと再会できることを願っている。彼女アンドロイドとして新しい人生を歩むのか、それともメタヴァースで出会うのか。

いずれにせよ、近藤氏は死ぬまで彼女に忠誠を誓うつもりだという。

ベン・ドゥーリーは、日本ビジネス経済特に社会問題ビジネス政治の接点に関心を持ってリポートしていますベンジャミン・ドゥーリー(@benjamindooley

2022-04-23

anond:20220422212828

男への暴行より女へのセクハラを重視してるってヤツ

子育て支援に怒り狂う独身みたいなもんで

結局自己中心的なダケだよな

2022-04-21

anond:20220421164128

ananFRIDAYプレイボーイ広告も消えてなんの問題もないんだけど、どこと戦ってるんだろう

君らがそういう無茶苦茶思想してるってことを自覚させるために言ってると思うけど

彼らにとって想定外なのは、君らが自己中心的言動をして恥じるという感覚を持ち合わせてないことなんだと思う

2022-04-20

anond:20220420225055

ロシア中心に物事見たらそりゃなんでもロシア正義になるだろ

それを自己中心的っていうんだけどな

2022-04-19

絵は上手いが普段投稿性格が物凄く悪い創作者をフォローしていた。その人の書く漫画の話はご都合展開ではあるが登場人物はまともなのに、作者は人格破綻しているのが不思議だなと思いながら見ていたが、自分の書いた同じ漫画の同じ投稿RTするだけになったのでブロ解した。自己中心的自分本位で他人を見下し見るに堪えないような罵詈雑言ツイートする人間が、創作ではそのような気配を出さないというのは、売り物だから本性を出していないということなのだろうか。不思議だ。

2022-04-17

弱者男性」という概念を用いる人々の悍ましさ

https://anond.hatelabo.jp/20220416150714

いやホント自称弱者男性」の被害妄想は常々酷いと思っていたが、それにしてもこれは酷いな。

この記事のようにどう考えても性別を問わず対象とした方がいい話題まで

何故か敢えて弱者男性」に限定し、女性存在を透明化したがるんだから

何故普通にパートナーがいなくてコンプレックスのある人」全般などではなく、わざわざそこから女性排除して弱者男性」に限定するんだろう?

どう考えたってこの世の中では異性愛者が多数である以上、パートナーを得られない「弱者男性」が存在するならば

それとほぼ同じ数だけ弱者女性だって存在する筈なのに、それを綺麗に無視できる視野の狭さ、何という自己中心的な発想だと心底呆れる。

(それとも女性には男性と比べて有意同性愛者が多いとでも思っているのか?そんな訳ないんだが)

何処までも自分達のみに甘く、他者の痛みには鈍感な存在

弱者男性」という概念を平気で用いる人達思考は本当におぞましいと思う

2022-04-15

フェミニズムが傷を抱えた人間セラピーになることについて

前書き

現代日本フェミニズムは、傷ついた人間が慰め合うセラピー看板のような機能を持っていると言える。

弱者が慰め合える駆け込み寺、いわばフェミニス堂があること自体は良いことだ。

エンパワメントシスターフッドという自己肯定を重視した精神的な言葉最近人気なのもその一環かもしれないし、そこまで前向きな気持ちになれないからとにかく苦しみや怒りを吐き出させてくれという層だって駆け込み寺には居場所がある。

だが、「セラピーとしてのフェミニズム」と「学問言論としてのフェミニズム」が分離されていないために、言論としてのフェミニズム信頼度が著しく弱まっている。

セラピー面も学問言論面もひと固まりからフェミニストはメンヘラだとか、他人幸せを許せないだとか、ミサンドリストセックスヘイタージェンダークレーマーだとかの批判に繋がってしまっているのだろう。

私自身も精神疾患持ちなので、精神が弱っていることを批判する気はないのだが、セラピー的な語り合いと、学問的討論がごっちゃになっている状況は大いに問題視している。

追記:↑ここで私の精神疾患に言及したのは、私も議論の場で当事者性を武器として使おうという態度でよくなかった。反省する。)


本稿で主張するのは、「冷静な研究者としての立場」と「傷つき怒れる当事者としての立場」は、兼任すると問題が生まれるのでどちらか片方だけの立場に立つべきだ、ということだ。

たとえ学位免許を持っていても、冷静になれない話題については傷が治っていない当事者から理論議論を使いこなせる研究者ではなくあくまで苦しむ当事者個人として発言した方が良い。

本論前に、何がOKで何がNGかおおざっぱに切り分けておこう。

冷静なフェミニズム研究者が、「困った女性のための駆け込み寺やセラピーの場や、肯定しあえる関係必要だよね」という学問理論を組み立てる。
冷静なフェミニズム研究者もしくは心理医療専門家が、セラピーの場の最低限の安全が保たれるように監督をする。
セラピーに集まる傷ついた人たちが、フェミニズム用語理論武装したり、怨恨を吐き出したり、過激むちゃくちゃな主張をする。(なぜなら、セラピー的な場では、ひどい発言原則許されるべきだから。ただし、それをそのまま社会への要求として広めるべきではない)

×
まだ傷が深く残っていて冷静な振る舞いができない人間研究者としての発言力を得て、本来患者としてすべき主張を研究者立場でする。
×
傷の残っている研究者セラピー監督役をやり、セラピー患者同調してしま患者内面吐露検討・洗練せずそのまま社会にぶつける。
×
研究者同士でも肯定しあえないと傷が痛んで耐えられないので、アカデミックであるべき関係を仲良しグループにする。




本論

フェミニズムという看板のもとに、傷ついた人々が集い、辛さや怒りを語り合い共感あい心を癒そうとする様子は、当事者会に近い。

当事者自体は、様々な依存症障害事故被害者などについて行われており、有用セラピーと言っていい。

だが「セラピーとしてのフェミニズム」の問題は、当事者会で癒される患者と、当事者会を監督したり理論を語る研究者がかなり重なってしまってるということだ。

要するに、当事者として治療を受けるべき傷を抱えたままの人間が、セラピスト役と教師役もやってしまっているという問題が、「セラピーとしてのフェミニズム」にはある。

全てのフェミニストが病んでいると言っているわけではない。

だが、SNSのそこら中で行われている「セラピーとしてのフェミニズム当事者会の多さに比べて、監督できる冷静な研究者は全く足りていない。


普通当事者会やセラピーは、福祉医療心理専門家によって研究理論化がされ、社会に対して有用性が主張され、会の時にはその場にいて見守ったりもするはずだ。

傷ついた当事者たちの語りは、しばしば自己中心的だったり理屈が通ってなかったり乱暴だったりするが、それは回復必要な心の解放だ。

それがそのまま社会への要求として世の中に出されたりはしないので、当事者会で語ったことが間違ってるなんて責任を問われることもない。

客観的専門家当事者たちの感情吐露分析して理論化した上で、必要な部分は社会に訴えるようになっている。

から普通健全当事者セラピーは、傷ついている当事者が冷静さを求められたりはしないし、当事者ヤバいことを主張していても研究者評価が下がることもない。研究者監督しているか当事者同士の会話が先鋭化するエコーチェンバーも防げる。当事者要求研究者が整理したうえで一般社会に伝えるので、外部の一般人当事者過激すぎる主張を直に聞かされて悪感情を持つこともない。

全てが完全に徹底されているわけではないが、それでも、当事者セラピーで語り合う患者とそれを監督する研究者の間に線が引かれていることで、ある程度は弊害抑制ができている。

しかし、「セラピーとしてのフェミニズム」では、患者監督者、研究者区切り曖昧になりやすいので、普通当事者セラピーでは減らせる弊害がモロに発生しているのだろう。

たとえばフェミニストが「トーンポリシングはやめろ」と主張したことに対し、「議論や説得において言い方ってのは大事だろ」と反論されているのをよく見るが、あれも、内輪の癒しセラピー的な感覚と対外交議論感覚がごちゃまぜになっているせいだ。

「私はいま苦しすぎて言葉を選んでいられないのでセラピー患者として気持ちをぶちまけてるんだからトーンポリシング(言い方警察)するな」、という話なら真っ当である

「私は冷静を保ち、言い方や内容にしっかり気を使うから議論として発言を真面目に聞いてくれ」、というのも真っ当である

だがそれを同時にやろうとする、「自分セラピー的に感情をぶちまけるが聴衆は真面目に聞いてくれ」というのは無法な要求だ。

せめて、セラピー監督する冷静な研究者に向かってぶちまけて、その研究者理屈の通らないところを補助し冷静な言い方に直して議論の場に持っていくという形にしなければいけない。

なのにフェミニズム議論では、何もかも一緒くたになりがちである


当事者研究者の分離は、簡単なことではないとは思う。

特に精神思想分野ではそうだ。

臨床心理士カウンセラー看護師助産師になりたがる人間はしばしば自分が精神不安定を抱えているというのは、統計はともかく実体験としてはよく聞く話である

博物学系でも、たとえば動物学者はだいたい動物好きで、心情的には動物保護したがるだろう。

だが、そこは資格団体ががんばってたり教育だったりで、臨床心理士精神保健福祉士はある程度の信用をしてもいいだろうとなっているし、動物学者も後先考えない動物愛護活動をする人は目立ってないわけだ。

しろ愛護派の過激な主張の角を取って一般社会的に可能動物保護のやり方を訴えたりしていて、それはまさに、感情的になりがちな当事者の語りを、研究者自分のところで一度止めて丸め社会に伝える、当事者会に対する医療福祉関係者の立場と近い。

から臨床心理士動物学者などの学問的信用はまあ保たれている。


ところがフェミニズムや一部社会学は、理論家や研究者が、傷ついた当事者と同一人物だったり肩入れしすぎたりするせいで、冷静な監督者のいないまま野良セラピー的な語りあいを続け、当事者の悲痛な心情吐露ではあるがそのまま社会要求するには妥当性に欠ける内容が研究者学問立場から主張されてしまっている。

フェミニストはメンヘラだとか他人幸せを許せないだとかミサンドリストセックスヘイターだとか言われてしまうのはこのせいだ。

それにもかかわらずフェミニズム大義名分世界中で力を持ち、フェミニストの要求の内容を精査して妥当性が十分な時だけ応じますという態度は悪だと指弾されるのが、本当に良くない。

ここで断言しておくが、メンヘラも、他人幸せを許せない人も、ミサンドリストミソジニストも、セックスヘイターも、楽しく生きてよいし好きに発言してよい。当事者会で同病相憐れむのだって、傷ついた人間には大切だと思う。

過激思想トラウマは緩んだ方がいいとは思うが、それもあまりに大きな加害に繋がらないのであれば自由だ。

ただし、その好き勝手発言暴言あくまで傷つき冷静さを欠いた人の胡乱な言動として生暖かく聞き流されている方が、周囲にとっても当人にとってもよいはずだ。

弱者の声は社会から無視されるべきではないが、そのままで妥当性が低いので、客観的研究者が集積して適度に理論化と穏健化した上で世の中に訴えるべきだろう。

フェミニズムが、弱者に肩入れしようとするあまり病んだ当事者発言をそのまま重用したり、著名な研究者が「冷静さを保つために私の当事者としての感情一時的に抑えよう」という努力をおろそかにしているのは、誰にとっても不幸である

辛すぎて悲鳴を上げざるをえない当事者と、冷静で他者対話可能研究者弁別は、完璧でなくとも努力する価値がある。できたぶんだけ弊害が減るはずだ。




おまけの具体例 朝日新聞運営の『かがみよかがみ』について

一つ、わかりやすい事例を挙げる。

フェミニズムジェンダー学周辺で、セラピー機能学問言論機能が混在することの弊害を私がはっきり感じたのは、朝日新聞運営の『かがみよかがみ』である

『かがみよかがみ』は読者投稿エッセイメインコンテンツとするWebサイトだ。

「私のコンプレックスを私のアドバンテージにする」とか「私は変わらない、社会を変える」とかをコンセプトにして、女性自己肯定感の爆上げを目指すメディアであることを謳い続けている。

18~29歳の女性からエッセイ募集して、編集部がチェックして載せている。著名人契約コラムニストの連載もある。

そして投稿者を「かがみすと」と呼び運営ボランティアを「ミラリスト」と呼んで連帯感を出し、若い女性同士で肯定しあえるコミュニティを作ることも意図しているようである。(かがみすとは今もしっかり使われているが、ミラリストTwitter検索してもほぼ出てこないので今も使われてるかは外部からは謎)

二年くらい前に数回燃えたが、扱っている内容の割にはてはで話題になる回数は少ない気がする。はてなとは読者層が違うのだろう。

上野千鶴子さんに質問「ベッドの上では男が求める女を演じてしまう」 | かがみよかがみ

https://b.hatena.ne.jp/entry/s/mirror.asahi.com/article/12881008

フェミニストでも、守られたい。フェミニストだから、守りたい | かがみよかがみ

https://b.hatena.ne.jp/entry/s/mirror.asahi.com/article/13432941

これの上の記事に関わっていたコラムニスト(かがみすと)が、謝罪をしつつかがみよかがみを批判したnoteを全三回書いていたのだが、その第三回と、そこから辿れる記事類を読み、フェミニズムセラピー言論を区切らずやっている弊害はあるな、と強く感じた。

上野千鶴子座談会セックスワーカー差別炎上とかがみよかがみコミュニティ雰囲気について(下)|滝薫

https://note.com/hannnahkuku0819/n/n6514127ed85a

私はこれを読んだ時、伊藤編集長があらゆる批判に応じないのもわかる、といっそ清々しささえ覚える形で納得してしまった。「セーファープレイス」を構築しようとして、内部を守っているのではないかと思った。

(略)

『かがみよかがみ』を必要としている利用者はいる。それはわかっている。私も、エッセイ投稿した後の”共感”と”褒め合い”によって自信がついた一人であることは変えようがない事実である。その価値を認めていても、『かがみよかがみ』の未来に不穏さを感じてしまう。

『かがみよかがみ』が目指すのは、あくま女性自己肯定感の爆上げである。正しさではなく、自己肯定である

それも、明言はしていないが18~29歳の女性だけを狙っているだろう。

若い女性たちがエッセイで悩みを語り合い、書き手同士のSlackか何かでも褒め合い、お互いが何を言っても原則として批判しないし自虐もしない。まさに当事者会でありセラピーのやり方である

フェミニズムジェンダーなどの内容が多く扱われているが、それはあくま自己肯定感爆上げの道具なので、理論的な正しさを保とうとして心が苦しくなってしまうようなら、正しさを追求しなくてよい。

エッセイ投稿年齢制限も無い方が「正しい」のはわかってるだろうが、年上の説教エッセイ愚痴エッセイが載ってるサイトは鬱陶しくて気持ちよくなれないという若者本音を慮って、微妙理屈をつけて年齢制限をかけていると思われる。

投稿者をかがみすとと呼んで内輪感を作るのも、その繋がりで孤独が癒える人がいるかである。そういう内輪感にウエッとなる人もいるだろうが、そのタイプの人は他のどこかで癒されればよいというスタンスだろう。

伊藤あかり編集長モットーらしい「全ての人を満足させようと思ったら、一人も熱狂させられない」とも合致する態度だ。

傷ついた若い女性のために、正しさではなく自己肯定感爆上げを目的とした当事者セラピーの場があること自体は、良いと思う。

だがそれが、朝日新聞運営メディアとして広くネット広告され、上野千鶴子石川優実企画に呼び、ヒコロヒーなどの連載があり、エッセイ投稿者ジェンダー学やフェミニズムで多少の理論武装をして識者っぽい人もたまに言及するとなれば、そこはもう言論の場となってしまう。苦しい内面安心して吐き出せる、責任を負わなくていいし怒られもしないセラピーの場としては相応しくない。

なのに、そこが曖昧に混ざった立場で『かがみよかがみ』の文章は発表され続けている。

から『かがみよかがみ』の記事批判されたのである

そして、これは、インターネットにおける様々なフェミニズム活動についても近いことが言える。



まとめ

最後にもう一度まとめる。

傷ついた当事者同士が慰め合うセラピー看板としてのフェミニズムと、冷静さと客観性を保つ学問研究としてのフェミニズムは、分割しておく必要がある。

現在日本では、セラピーの場としてのフェミニズムと、学問としてのフェミニズムが、ごちゃごちゃ混ざっている。

心が乱れてフェミニズムセラピーを求める患者と、冷静であるべきフェミニズム研究者が、ある程度重なってしまっている。

この状況を解消しないと、世の中の幸せにはつながらないだろう。



追記。本稿は3か月ほど前に増田に投げたが無反応だったものの再投稿である。)

2022-04-12

なぜ最後に爆発させたのか考える

説明のために事実/話を3つの階層に分ける

第1階層

作中では言及されていないが、本編を撮った階層

2回目の爆発から本編のすべてが1本の映画であると考える

1ページ目のスマホを持っているのは第1階層の優太

第2階層

2本目の映画を撮った階層(ぶち泣かしてピース〜2回目の爆発)


第3階層

1本目の映画を撮った階層(クソ映画〜ぶち泣かして)

  • 絵梨と優太は付き合っている
  • 母親が優太に1本目の映画を撮るよう強要していた
  • 1本目における優太は母親最後を撮れなかったことを後悔していると解釈(これが1回目の爆発の理由

※2回目の爆発は第1階層の優太によるもので、第2階層大人優太が爆発させたわけではない

まり大人優太の発言(e.g. 何かが足りない気がした)は爆発の理由ではない

(ここからが本題で、自分なりの解釈を多く含む)

第2階層大人優太にとって、絵梨と再会できたのは嬉しかったが、自分好意を寄せた(自己中心的でよくキレる)絵梨はいなかった。

そして美化された絵梨とはやっていけないと感じ別れた(と第1階層の優太が解釈した)ため

2022-04-05

自我境界曖昧なんだろうか

批判されているのは赤ん坊ではなくあくまで親の自己中心的な行動でしかないのに何故か哺乳瓶に針が刺さっていて「赤ちゃんに厳しい国で赤ちゃんが増える訳がない」とあるコピーポスターといい

「『産むな』と言うのは『死ね』と言ってるのと同じ!」なる言いがかり(そもそも『産むな』とも言っていないと思うんだが)といい、

なんで親と子供が別の人間だと理解出来ない人がこんなに多いんだろう

言われているのは親の行動だけであって、子供には寧ろ優しい意見ばかりだと思うが?

産む事そのもの疑問視しているのは親には耳が痛いかもしれないが、子供立場になって思い遣っているんだからどう考えても子供には優しいでしょう

子供を産む人やそれに無条件で肯定的人達って自我境界曖昧なのか?そういう人じゃないと産めないのか?

2022-03-25

anond:20220324120958

そうやって常に自分とは異なる他者への想像力を働かせるのでなければ、他人にとっては他者であるあなたへ配慮を求めるのも、自己中心的視点しか持てない子供戯言に過ぎない。

脳の容量100の人は、脳の容量50ずつ使って合計100で自分他者について考え想像ができる

脳の容量50の人は、脳の容量50を使ってしまうと自分の事でいっぱいになって他者を考えることはできない

2022-03-22

anond:20220322111703

ベストアンサーに選ばれた回答

多くの国民にとっては文句なく円高の方が良いです

円高メリットは輸入に頼る資源食品の値下がり

円安メリット自動車などの輸出

これは誰でもわかることですが、 円安企業は儲けても従業員還元することを考えません。

アベノミクスで今後賃金は上がるかもしれませんが、インフレ物価も上がるので豊かになるわけでもなく

インフレ率より賃金上昇率が増加することはありません。 逆に原料の値上がりの方が直撃します。

これは 今まで企業内部留保で多くの資金を溜めてきたことでも明らかです。

円安を歓迎している財界特に経団連が今まで何をしてきたかご存知でしょうか?

提言

消費税を上げて法人税は下げる。今まで実現してきた消費税収と減った法人税収はほぼ相殺です。そして内部留保で溜めこんできたのです。このような政治を通すために政治献金があるのです。計算上は庶民が取り上げられた消費税が、企業わたり内部留保となり、その一部を政治献金として使う。

庶民から取り上げた税金が、政治献金として使われ庶民家計を直撃する政策になって出てくる。 このシステムにお気づきですか? ますます 財界法人税を下げて消費税を上げろと言いますよ。 そして吸われた金は政治献金の増額となりさら企業自己中心的政策を通す この循環が続きます

それにアベノミクス円安インフレは、確実に庶民貯金を「目減り」と言う形で奪っていきます

少しでも家計を守るためには円高の方が庶民のためです。

企業が潤い、国が借金を減らしても、 庶民貯金が奪われ家計が滅茶苦茶になっては生きていても面白くないでしょう。

円高なら、多くの海外資産に替えることもできます日本で目減りする預金を持つよりそちらがお得だと思いませんか?

円安を望むのは 望んで 国家企業踏み台にされるようなものです。

その国家税金無駄使いをなくして国民負担を軽くしてくれるようなことをしてくれたでしょうか?

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