死にたくないよう
俺はこの漫画知らなかったけど、巨乳ミニスカの女子高生、たわわって揺らしてるタイトル文字、不自然巨乳の単行本表紙でエロ漫画かなーと思った。
週刊誌のグラビア表紙みたいなもんだと思ってうわって目をそらしてスルーしたが、スルーしないでなんか言ったほうがいいって思う人がそれなりにいたんだろうから、この「それなり」の数を減らすような表現にすればよかったんじゃねえの
ここからはn=1だが、俺はイラストなしか小さめだったらうわっとは思わなかったな
うわって感情を経験してから広報コメント?見たから変態コメントだわ〜って思ったが、コメント単体だったら特に何も思わなかったかも
作ることが出来ればこんなことも起きなかったのでは無いかと思う訳だ
フェミニズムって字義通り女権伸長主義者なんだから、自由や平等については無関係で当然でしょ。あくまで無関係であって、自由を大切にする人もいればそんなものを重視しない人もいるってことね。
おもしろい! 性的消費の問題に踏み込む、勇気を持った人物にようやく出会えた。
私は、あなたが回答した増田ではないが、横増田として疑問の詳細に答えよう。
…
ヤンマガ編集の広告の目的が作品を読んでもらう事なのは正しいが、作品を通して元気を与えるのを目的にしていたとしても何らおかしいところはない。「つまりこの広告は性的な元気を与えてくれるものなのか!」の部分は不要で、単にエロい! だけで元気になる。わざわざ広告に戻る理由はないんだ。「不安を吹き飛ばし、元気になってもらえるように描かれた、月曜日のたわわを買って読んでもらうために、全面広告を出しました」が、自明で品を欠くとされがちな買って読んでもらうをボカして、省略されているのだと解釈できる。
以降に書いて貰った部分、
…
なっている。
その通り。
なってしまっている。
「広告は問題無い、しかしナタリーのあの記事は問題である・・・様に見えるが、こちらは掲載媒体がナタリーなので問題無い」
という結論にもなり得るように思えるけど、どうだろう?
なる。
ここに大きな誤解があると思う。
実際多くされている、たわわ広告がアウトであるとする批判は、ナタリーにあの記事を知らない論者によってなされている。にも関わらず、掲載媒体がナタリーだから何ら問題ない編集部の告白がなされなければ、それらの批判は起こらなかった。
最初は、露出した編集の意図が問題視された。togetter まとめ人はナタリーが責められていると誤解なさっていたようだが、本当に責められていたのは編集だ。
普通の受け取り方なら広告の『今週も、素敵な一週間に、なりますように』
そのような受け取り方をせず、前述の買って読む事で元気になってほしいのだ、と取った人がそれなりにいた。
それらのツイートが togetter でまとめられ、はてブのアンチフェミの怨念を呼び起こし、またツイフェミの目に留まり… 国連の方から来た人まで動かしてしまった。
でも元増田が考えているのは「たわわ広告がアウトである理由」だ。おそらく、思索を通して広告表現・芸術作品一般をセーフにする方法を見つけたいんでしょう。
しかしながら私の考えでは、セーフ・アウトの判定は炎上のプロセスと切り離して考えられない。
性加害を受けて敏感になってしまった男性恐怖症の人々。彼女ら守るべく立ち上がった正義に燃えるツイフェミ。善意のまとめ人も、ヘイトの溜まっていたアンチフェミまで、すべてが炎上の因子となって、まるで多段ロケットのように批判の応酬を加速させていった。編集の意図を直接見聞きしていなくても、ツイッターが何か騒がしいのは気付きうる。アンケートでわざわざ聞いてきた時点でデリケートな問題だなと察しうる。そして、過去の炎上事件のトラウマも様々な形で、我々みんなの心に爪痕を残している。それが今日の炎上に影響するんだ。
決め台詞的なつもりなんだろうねぇ