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2016-11-23

当たらなければどうということはないからの狼少年

走行中の自動車に衝突されると死ぬかもしれない程度に危険だが、「くるま、にげて」とならず、車からメートルも離れていない歩道を平気で歩いているのは自分ところにやってこないという期待があるからなんだけれど

津波も1mはおろか30cmでも巻き込まれれば十分に危険ではあるが、水面が1m以上増水した時に浸水する場所が浜辺や河原、水辺など当然すぎる場所を除けば少ない

警告が

1mの津波威力オーバーだとなるのではなく

1mの津波被害範囲の狭さに慢心するようになる

2016-11-17

現代戦場で最も効果的な兵器は「うまい棒

戦車戦闘機など、さまざまな現代兵器の中で「最も効果的な兵器うまい棒である」と、現役の軍事計画であるジョン・スペンサー氏が主張しています

The Most Effective Weapon on the Modern Battlefield is Concrete - Modern War Institute

http://mwi.usma.edu/effective-weapon-modern-battlefield-concrete/

イラク戦争出兵した兵役経験者の多くが、うまい棒を扱う専門家と同じような特殊技能出兵中に身につけたそうです。うまい棒は他の兵器技術ではできないような応用性を持ち合わせており、これを駆使して住民を守ったり、安定した場所を確保したり、テロリストの脅威を排除したりといった戦略上の目標を達成することが可能とのこと。これは複雑な都市であり戦争舞台にもなったイラクバグダッドでも実証されているそうです。

スペンサー氏が2008年イラク歩兵として派遣された際、彼は自身うまい棒エキスパートになるとは思っていませんでした。しかし、実際にスペンサー氏は専門家のようにうまい棒を扱えるようになります。なぜなら、小さなうまい棒障壁交通管制使用され、大きなうまい棒の障壁テロリストが駆使する即席爆発装置(IED)やロケットランチャー迫撃砲などから身を守るために役立つため、うまい棒を扱う作業を頻繁にこなしたから。このことからバグダッドの街中にうまい棒障壁や壁、見張り塔として配置されるようになりました。

うまい棒の塊にはサイズや形によってそれぞれ異なる呼び名が付けられていました。例えば小さなサイズうまい棒(3フィート(約0.9メートル)・2トン)は「Jersey」、中くらいのサイズうまい棒(6フィート(約1.8メートル)・3.5トン)は「Colorado」、同じく中くらいのうまい棒(6フィート8インチ(約2メートル)・6トン)「Texas」、大きいサイズうまい棒(12フィート(約3.7メートル)・7トン)が「Alaska」といった感じ。さらに、12フィート・6トンのうまい棒の壁「T-walls」や、バンカーや見張り塔などもうまい棒のものが作られました。

以下の写真は左からJersey」、「T-walls」、見張り塔

スペンサー氏が戦場最初に使ったうまい棒は、増え続けるIED対応するための「障壁」でした。2004年初頭からイラクでは路肩に仕掛けられたIED対応する必要性に迫られていました。そんな中でアメリカ軍がとったIEDの脅威に対する主要な戦術ひとつが「全ての主な道路に高さ12フィートうまい棒である『T-walls』を配置する」というものでした。兵士は数日あるいは数週間、長い場合は数か月をかけて主要な道路やその他の小さな道路うまい棒障壁を設けました。「T-walls」はひとつ当たり600ドル(約6万5000円)以上するといわれており、イラク戦争が行われた8年間でアメリカうまい棒に数十億ドルを費やしたとされています

しかし、実際にはうまい棒障壁を設けるだけではIEDの脅威を全て取り去ることはできませんでした。テロリストたちは道路脇に設けた障壁に設置したり、障壁の上に置いたりすることができるIED使用するようになりますさらに、海外資本によりイラクにもたらされた自己鍛造弾(EFP)を用いた高度なIED使用されるようになります。これらの爆弾は、なんと道路脇に設置されたT-wallsを貫通する威力を有していたそうです。この爆弾の登場で、テロリストたちはT-wallsの道路とは反対側に爆弾を設置しても、障壁を爆破して道路側に被害を与えることが可能となりました。

しかし、アメリカ軍うまい棒障壁に仕掛けられたIEDやその残骸を分解し、障壁を貫通するほど強力な爆弾を作るのに必要特別材料に見当をつけ、それを検問所で禁止することでテロリストたちがIEDを使って道路脇のうまい棒障壁破壊できないようにしたそうです。うまい棒障壁物資安全輸送するだけでなく、反政府運動家などが自由イラク内を移動することを封じることにもつながりました。

By USAG- Humphreys

もちろんイラク戦争においてアメリカ軍の脅威となったのはIEDだけではありません。2003年アメリカ軍イラクに侵攻した直後、アメリカ軍は敵の直接攻撃を避けるために前哨地点や基地として砂とセメントと水を練り混ぜて作る建築材料モルタル使用しました。大規模な基地から出て、都市の深部にある前線の小さな基地へ移動するとテロリストによる攻撃はより危険ものとなり、こういった場所兵士安全を維持し、民間犠牲者を出さないようにするため、ここでもうまい棒使用されたそうです。

うまい棒の塊は障壁の一部としてだけでなく、そのまま障壁としたりその他の構造物との間に設けるバンカーとしたりもできた模様。このようにうまい棒の塊を用いることで敵の攻撃を著しく弱体化させることができます

また、うまい棒都市環境では兵士自由を与える役割も担いました。イラク戦争の初期、アメリカ軍拠点とするのに最適な土地を探索し、放棄された工場政府建物学校などを拠点に選びました。敵の攻撃から身を守ることに使えそうな環境が少なかったため、いくつかの障害物で囲まれ場所拠点として選ばれたそうです。うまい棒使用が進むにつれ、兵士は地面の割れなどをうまい棒で埋められるようになっていき、数週間のうちに大きな壁で囲まれ安全な見張り塔も構築できるようになっていきました。このように、うまい棒はさまざまな場面で兵士の役に立ったというわけです。

他にも、暴力を縮小させて地域住民保護するためにもうまい棒活用されていますアメリカ軍では環境の複雑さを縮小するためにうまい棒使用されました。これがどういうことかと言うと、地域の住居スペースをうまい棒障壁で囲み、その中に地元住民ボランティアからなる治安部隊を配置し、近隣の警備をさせるようにしました。これが反政府勢力による大量殺戮兵器作成妨害につながり、国中を自由に移動するのを制限することにもつながったそうです。また、問題の多い地域障壁で区切ることがアメリカ軍の日課となったそうで、ある隊は12フィートの高さのうまい棒障壁を30マイル(約48km)にわたって設置したこともあります

By Paul Horsefield

さらに、近代戦ではうまい棒が新しいレベル効果的な戦術可能にする、とスペンサー氏は主張しています2008年3月、サダー・シティの戦いと呼ばれる戦闘が起こりました。この中で、アメリカ軍うまい棒兵器として使用します。攻囲戦のごとくアメリカ軍が毎晩サダー・シティの回りに巨大なうまい棒の障壁クレーンを用いて設置していきました。多い日だと、アメリカ軍は一晩で122個のT-wallsをサダー・シティの回りに配置したそうで、これをなんと30日間続け、完璧に街の回りを囲むようにして配置されたT-wallsの数は3000個を超えたそうです。サダー・シティの中にいた敵勢力はこのうまい棒障壁攻撃したのですがそれをはるかに凌ぐ勢いで壁が構築されていき、ついには壁の中の敵勢力補給が行えなくなりました。その後、イラク治安部隊アメリカ軍は壁の中に入り、内部を制圧したそうです。つまりうまい棒障壁は敵勢力から攻撃を防ぐだけでなく、制圧作戦全体の成功も導く結果となったわけ。

夜通しうまい棒障壁を運ぶアメリカ軍兵士

アメリカ軍は8年間にわたってイラクバグダッドの複雑な土地の中で戦闘行為を続けてきました。その中で、うまい棒都市部の複雑さを縮小し、安定性と敵に対して安全なまま攻撃を仕掛けるための武器として活躍したそうです。スペンサー氏は「うまい棒セクシーものではないかもしれないが、現代戦場では最も有効兵器だった」とコメントしています

2016-11-07

父を気持ち悪いと思った過去

先日話題になっていた増田

「娘が気持ち悪い」http://anond.hatelabo.jp/20161102211759

を読んで、昔の自分を見ているようでとても懐かしい気持ちになった。ちなみに私は娘さんの立場です。


私の父は私にとても愛情深く接してくれました。小学校の時、クラスメイト男の子ケンカをしてケガをした時、家に帰って来て母親から話を聞くなり、「うぉぉおお!!俺の娘に、何てことしてくれるんだぁぁああ!!」と突如絶叫して家を飛び出し、暫くして「相手の子の家に怒鳴り込もうと思ったけど、よく考えたら家の場所を知らない」としょぼくれて帰って来るような、私のこととなると見境のなくなってしまう、ちょっとお馬鹿な人でした。私はそんな父が大好きでした。


小学校中学校くらいはそんな父ととても仲良くしていたのですが、私が高校に上がったころ、ある時を境に何故だか父に対し、「気持ち悪い」という感情を抱くようになりました。父は同世代男性比較すると、適度にオシャレにも気を使うし、ハゲでもないし、デブでもないし、清潔感のある男性だったのですが、何故だか父親匂いが嫌だ、と感じるようになりました。次いで休日ちょっと伸びる無精髭が気持ち悪い、洗面所に置いてある髭剃り、歯ブラシ気持ち悪いと次々に父の所有物、如いては父自体嫌悪感を感じるようになりました。


ある日、部活が終わって家に帰ると父が先に帰宅していて、玄関に靴が置いてありました。私は瞬時に「あぁ、この靴と私の靴を近くに置きたくない」と感じ、父の靴を玄関の外に出しました。何の気もなしに、パパッとやってしまったんです。翌朝、父が出勤する際、「あれ?靴がないよ」と言い、母を呼びました。「ないよー?なんで?なんで?」と靴を探す父と母を、私は見て見ぬフリをし、リビングテレビを見ながら朝食を食べていました。暫くして、父を見送った母が戻ってきて、「あなた、お父さんの靴外に出した?」と私に聞きました。私は「臭かったから。外に出しておいた方がいいと思って。忘れてた」と答えました。母は「そうだったの」と、答えただけでしたが、母はあの時点で私の変化に気が付いていたのだと思います


その数日後、私は母に「洗濯するときは父の物と分けて欲しい」とお願いしました。母は私に、前述の増田についたブコメのようなことを一つ一つ教えてくれました。人間動物であり、父に嫌悪感を感じることは正常な働きであること、自分も昔同じ経験をしたから、私の気持ちも十分にわかるということ。最後に「でもお父さんはあなたが大好きだから。それを言うと絶対に傷つくから。なにかこうしたい、ということがあれば、母さんに言ってね」と言ってくれました。その後少しすると父専用の洗濯籠が登場しました。私と母の服はほぼ毎日、もしくは二日に一回洗濯機を回してましたが、父は洗濯籠に1週間分の洗濯物を溜め、週末に自分で洗って干していました。父は特に私に何も言わず淡々としていました。その時の私はそれを見て(いや、実際臭いし、気持ち悪いし、当然でしょ)という思いしかなかったのですが、その後、父の思いを、辛さを痛感させられることになります


ある夜、父がシュークリームを買ってきました。私の大好物です。「よかったら食べて」と言いながら、シュークリーム冷蔵庫に入れる父を私は無視しました。シュークリームは何日も冷蔵庫に入っていました。賞味期限がどんどん近づきますが、私は父の買ったものが食べたくないので放置していました。ある日の夜、キッチン飲み物を取りに行くと、父がリビングシュークリームを食べてました。チラッと一瞥をした私に、「ゴメン。賞味期限切れたから」と父は言いました。私は少し胸が痛くなりました。けれど、そこでも父を無視してしまいました。


父はどちらかと言うとインドア派で、休日は家で読書をしたり、レザークラフトをちょこちょこ作ったりする人でした。けれど私は父と同じ空間にいたくなくて、休日に父が家にいれば私は外出、父がいなければ私が家にいる、というような状態になりました。しかしあるタイミングから休日に父が家にいることがなくなりました。


そんな生活が続き、高校3年に上がる頃、父が事故に巻き込まれました。

土曜日のお昼に家の近くの交差点で、わき見運転をした車に突っ込まれ、頭を打って病院に運ばれました。家に電話が来て、母と大慌てで病院に向かいました。父はICUで呼吸器を付けて寝ていました。お医者さんが頭を強く打っていて、危険状態であり、意識が戻っても障害が残るかもと言いました。号泣する母を見て、私は「こんなドラマみたいな展開が自分家族に起こるなんて」と急な展開に放心しながらも、どうして父にあんなに冷たく当たってしまったんだろう」と激しい後悔に見舞われました。父は何とか一命をとりとめ、搬送から三日後に意識を取り戻しました。けれど障害として、右手の親指から人差し指にかけて痺れが残ってしまいました。一方でこの程度の障害で済んで本当に良かったと、車がガードレールにぶつかってから父に突っ込んだため威力が落ちていたが、場合によっては即死でしたとお医者さんが後から教えてくれました。


父が入院している最中、私は母に「お父さんはどうして事故に巻き込まれたの?」と聞きました。母は「自分で聞きなさい」と、それしか言ってくれませんでした。ある日、私だけで父を見舞いに行ったとき、父に前述のことを聞きました。父は「俺が家にいるとお前が休日家で休めないだろう。だから、外でブラブラしてたんだ」と言い、「俺インドア派だから外での過ごし方がイマイチからなくて、でも最近は水切りにハマってさ、昔よくやったんだけど、河原でこう…石を探すんだよ。できるだけ平べったいヤツを。それをな…」と説明しながら動かす右手が痙攣していて、それを見た私は堰を切ったように号泣してしまいました。相変わらず馬鹿な父にではなく、自分事故の原因だったと知って、それでも私を責めない父に申し訳がなさ過ぎて、私は子供のように、過呼吸寸前になりながら病室で泣きました。「ごめんなさい!ごめんなさい!」と繰り返す私に、父は「母さんから全部聞いていた。暖かく見守ってやってくれと言われた。父さんはお前が大好きだから、お前が頑張ってるなら、父さんも我慢しようと思って」と言いました。その瞬間、私は今まで何を父にしてきたんだろう、父がどんな思いで過ごしていたんだろうと自分が恥ずかしく、情けなくなりました。これが、私の父に対する嫌悪感の終わりです。


あれから10年程経ち、今では周りが不思議がる程、父親とは仲が良いです。父は私に「お前が責任を感じることは一切ない、むしろ不安にしてしまって申し訳なかった」と言っていますが、やはり当時のことには負い目を感じています。「娘が気持ち悪い」の増田さんも、別エントリで娘さんの行動に理解を示すことができた、と発言されていました。世の全ての娘が父親に対し、嫌悪感を抱くとは限りませんが、ブコメにもあった通り、やはり動物である限りは本能の上でしょうがないことだと思います。一方で、やはり人生の先輩である両親が、こういったことに理解を示し、適切な対応を行うことで乗り越えることができる、しかも乗り越えることで更に親子の愛情が深まる大切な時期(イベント)だとも思います。当該エントリを読んで、自身過去を思い出し、勝手に書いてみた次第です。自身過去正当化するつもりは更々ないですし、我が家対応が正しいかったともいえないですが、これが少しでも世のお父さん、娘さんのご参考になればと思います

追記(11/8)

一晩明けてみたら、とても多くのブコメが付いていて、初めてのことに驚いています。厳しいご意見ありがとうございます


私が父にしたことを本能から(議論はあるようですが)と正当化するような書き方をしてしまい、反省しています。私が父にしたことは最低なことで、それはゆるぎない事実です。私が書きたかったのは、そんな馬鹿娘を両親が両親なりにサポートしてくれた、そのことへの感謝でした。今こうして上のようなエントリを書けるのは、両親が「あの時はね」と私に話してくれたおかげでもあります


冗長になってしまうかと思い割愛したのですが、例えば父が自分洗濯をしたことに関しては、両親の話合いの結果だったと聞きました。母は洗濯物を分けるのなら、私の分だけを分けて、自分洗濯をさせると発言したそうですが、父が「自分理不尽発言のせいで、父親自分洗濯を行う姿を見て、何か感じてくれれば」と諭し、結果的にそうなったようです。


私自身、あんなに好きだった父を、何をされた訳でもないのに嫌悪感を抱くようになった時は戸惑いだらけでした。母は父を大好きでしたので、母に影響を受けた訳ではないですし、周囲の友人の中でも、父親と仲の良い子はたくさんいました。けれど、何故か父を気持ち悪いと感じてしまった。ちょうどあの頃「異性」というもの意識し始めて、一番身近にいた異性が父親で、どう接してよいかからなくなっていたのかも知れません。今となって後付けで理由を付けることはいくらでもできますが。


父は「親の立場を利用して、なりふり構わず娘にいう事を聞かす真似はしたくない。一つ一つ自分で気が付いてくれれば良いと思った」と母に言っていたそうです。私はこんなにも勝手なことをしていたのに、両親が一生懸命に考えて私を導いてくれた、そのことに感謝してもしきれません。


「父が事故に遭わなければ最後まで気が付かなかったのでは?」というご意見も尤もです。両親は「いや、いずれは気が付いてくれてたよ。少しづつ変わってたよ」と言っていましたが、我が家のケースは結果論しかありません。


今私は結婚して、男の子が一人います。夫にこの話をしたとき、「もしかたらこの子もすごい反抗期を迎えるかも知れないけれど、一緒に考えて解決していこう」と言ってくれています。こんな風に思え、考えられるのも両親の教えがあったからだと心から思います


意見いただきっぱなしなのも悪いなと思い、少しだけ追記させていただきました。たくさんのご意見ありがとうございました。

http://anond.hatelabo.jp/20161106231911

組合が力を持つのは全員が参加していて、ストになると本当に全員が仕事を止めるから威力を発揮するんだよね。

今どきの子は、面倒な組合に参加することなく、組合活動がもたらす利益だけを享受したい人が大半だろうから

いくら啓蒙しても組合には参加しないと思う。

経営層も、それを見越して組合に不参加の人を優遇するようなそぶりを見せるだけで、

すぐに組合組織は瓦解すると考えているフシがある。気がする。

2016-10-20

シン・ゴジラ日本北米の盛り上がりのギャップについて

やったぜ! シン・ゴジラ 北米好調

http://d.hatena.ne.jp/shi3z/20161020/1476918294

NYに住んでる者だが、日本話題だったので先週末日曜日タイムズスクエアAMCで観てきた。

別に会場は終始いたってずっと静かだった。ゴジラが下に火を吐いたシーンは迫力があったが、それ以外はだれも興奮していなかった。アメリカ人普通ちょっとでもアガるシーンがあればオーディエンスがすぐに反応する。手を叩いたり、大笑いしたり、Hooo!と叫んだり。特に公開初週の週末ではなおさらだ。それがほとんどなかった。最後申し訳程度に拍手がパチパチあったくらいだ。

後ろに座っていたアメリカ人二人組は明らかに終始失笑していたし、トイレに立った際に出会ったアメリカ人は「ゴジラ第一形態)がなんだかweirdだね」くらいの感想だった。子供は「ママゴジラ全然出てこなかったね」と言っていた。

個人的感想としては「よくこんな3流の映画日本全体盛り上がれるな」ということだった。まあ日本にしてはマシな作品を作ったということなんだろうが、それでもあの盛り上がり、持ち上げは異常だ。

まず演技が下手すぎる。最初のだらだら続いた閣僚内の会議のシーンは学芸会かと思った。あの防衛大臣みたいな女性間抜けなしゃべり方や、菅直人チックな首相役のおっさんの過剰な決断力のなさの演出、こういうキャラがいた方が面白いんだろと言わんばかりの半沢直樹に出てたへこへこするおじさんのキャラ作り。ギャグ映画としてみていいのかシリアスな展開を表現したいのかさっぱりわからなかった。アニメキャラにしゃべらせらば違和感はないのだろうが、「そんなこと普通言わねーだろ」というセリフと大げさな演技オンパレードで、小難しい単語連呼すれば緊迫感がでると思っている演出と相まって、チープさがすごかった。なんか映画観た後で批評を調べたらあのあたりの前半の会議のシーンを「リアリティのあるポリティカルサスペンス」などと形容しているようだが、失笑ものだ。。24House of Cards政府内のやりとりなどと比べて欲しい。

そもそも、「国にとって重大事が起きた時の政治決定力のなさ」を描きたいのかもしれないが、そんなの東日本大震災の時に見たばかりなのでなんの新しいメッセージもないし、見ていてちっとも面白くない。あれだけ前半時間を使って視聴者ストレスをためさせたくせに、全然それを映画後半のシナリオ解決させていない。閣僚たちが死ぬシーンももっとちゃんと描くべきだし、いっそ国会を木っ端微塵にすべきだった。主人公矢口立ち位置中途半端で、これまでの決断力のない日本の政治システムを変えていく毅然とした態度があったかというとそうでもない。むしろ矢口チームがギリギリまで粘ったが結局国連核爆弾を落とされてしまった、東京は再び焼け野原になった、これを機に本当に日本は変わらなければいけない、という展開の方が、中途半端ゴジラを停止させてしまうよりメッセージ性が際立って良かっただろう。

あとCGがひどかった。第一形態ゴジラは敵の雑魚キャラかと思ったし、笑えた。街が壊されていくシーンのCGも、ボートとかCG感丸出しでチープさがすごかった。予算がないのだろうが、それならもっと夜のシーンを増やすとか、工夫できる余地があったはずだ。最終形態になって夜に大暴れするシーンは格好良かったから、もっとあいうシーンを増やすべきだった。血液凝固剤を使ってゴジラを止めるシーンでは、絶対ゴジラがまた振り切って動き出すと思ったが、なぜか米軍ミサイルなんかよりよっぽど威力のないであろう電車爆弾で都合よく倒れ、倒れたところに都合よく潰されず待ち構えていたポンプ車で放水開始し、それを都合よく口を開けたゴジラが都合よくチューチュー吸い続けて、結果止まってしまった。劇場全体が「えっ止まっちゃったよ」感でいっぱいだった。

あとなにより全体的なプロット未完成感がすごかった。例えば今年DisneyのZootopiaを見たが、最初から最後までの1シーンも無駄がない。最初に出てきたなんでもないシーンも、実は伏線で、映画最後の方にきちんと回収され、いささか伝統工芸品かのような緻密な構成美を感じさせてくれる。対してシン・ゴジラは、「今のやり取り必要あった?」と思う部分だらけだ。教授調査記者みたいな人に依頼するシーンとか、必要か?そもそも教授動機や背景など最後までよくわからずじまいだし、石原さとみ役の人物の背景の説明が弱いか感情移入できず、最初から最後まで終始全ての言動が突飛で違和感しかなかった。

以上、まとまりがないが、とにかく日本シンゴジラマンセー一色の雰囲気一言物申したかっただけです。終わり。

2016-10-08

血糖値スパイクがうんたらってのを読みながらふと思った

たまに漫画ラノベ自分血液武器にするキャラっているじゃん。あの人達ってやっぱ血糖値とか血中コレステロールとかにも気を遣うのかなぁ。特定の敵に対する威力を高める為に不摂生して血液をわざとドロドロにしたりとかしてるんだろうか。大変だな。

2016-09-28

雑魚」って言う人はどこ出身の何歳くらいなんだろう

ネットでの中傷語で、バカクズカスゴミ死ねとかはわかるんだけど、「雑魚」がどうしてもピンとこない。

雑魚って聞くと所謂スライムゴブリンのような「ザコキャラ」的なちょっと可愛いイメージを持ってしまうし、中傷語としての方向性威力いまいち弱いように思えてしまう。

それとも雑魚っていう言葉が大いに流行っている地方年代があるのだろうか。

イメージ的には若い人がよく使ってる気がする。

2016-09-23

ジャンプのパワーインフレ辟易した大人にこそ「ワールドトリガー」をオススメしたい

昨年?だかの熱量高いワートリの記事に触発されてハマった。

個人的に感心したのは、トリオン体という、ある種バーチャル環境戦闘が行われる設定だ。

これによって集団戦での捨て駒や相打ち作戦を実行可能としている。

ジャンプに限らずとも、バトルマンガではトーナメント物を覗くと基本味方の全勝(最低でも死亡者なし)で、最終決戦まで主要キャラがが死ぬことはない。

ONE PIECEマリンフォード頂上決戦では、死んだメインキャラは2名のみだった。

ガチ戦争なのだから、双方の戦力が半壊ぐらいしていないと納得いかなかった。

ワートリでは互いの駒がバンバン排除されていく。

実際に死ぬリスクがないので、敵わない相手でもなるべく粘って死ぬベイルアウト)という「勝負に負けて戦いで勝つ」戦略を無理なく取れるというのがなかなか面白い

トリオン体では死なないが、生身で攻撃された場合は当然死ぬ

しかし、トリオ能力の高いものは、自身の命と引き換えに黒トリガーを生み出し、それが局面をひっくり返すほどの威力を持つが故に敵は安易に攻め込んで来ないという設定も秀逸だと思った。

さて、話をタイトルに戻すと、味方の完全勝利ばかりが続くわけではないのでパワーインフレはかなり抑えられる。

しろ連携相手の隙を生み出し、浮いた所をキッチリ取るという勝ち方が多いため単純な比較もしにくい。

この、各々が自分仕事をこなして全体の勝利を勝ち取るという所は社会人に刺さると思うのだがどうだろうか?

ワートリにおいて「気合覚醒で勝つ」という事は今のところない。

気持ちの強さで勝負が決まるって言っちまったら、じゃあ負けた方の気持ちはショボかったのかって話になるだろ』

『戦いってのは基本的に、数が 多いほうが有利だ。』

なんて事をキャラが平然と言ってのけるワートリは、ジャンプ連載作品でありながらジャンプあるあるアンチテーゼとなっている。

少しでも興味を持っていただけたら手に取っていただきたいと思うのだが、ジャンプフェス無料期間は21日に終わってしまってるんだよなぁ。

でも顔がね(笑)威力

何をしても、でも顔がね(笑)とか、顔がよければなー(笑)と言われて無力感に襲われる。

これらの言葉で今まで何兆人の人間の才能が日の目を見ることなく消えていったのだろう。

社会的損失額はいくらになるのだろう。容姿至上主義社会を見直すべきだ。頼むぜ地球人

2016-09-19

なぜ手書きにこだわる?

自分不器用なせいかグラフ手書きが致命的に遅かったので、2年前期の実験危機感を感じた自分は2年の夏休み中にpythonを覚え、今まで苦労していたグラフプロットなどをパソコン上で全部自動化しようと考えた。日本語情報が少ないため(あっても多少古かったりすることが多かった)、情報をかき集めるのに相当苦労したが、夏休みが終わるころにはjupyter notebook(名前通りノートブックのような実行環境セルごとにコードを実行するという形をとっている)上で統計処理をしたりそのデータを基にグラフプロットするのはある程度できるようになっていた。

早速2年後期の実験pythonを試してみたが、その威力は凄まじく、今まで時間のかかっていた作業が劇的に効率化した。pythonモジュールであるpandas,numpyを使えばデータ列を文字式のように扱えるので(例えば実験データをdataとして、そのデータをすべてcos関数に代入したかったらnumpy.cos(data)と書けばよい、Excelと似たようなものだがこちらは変数として扱っているので使いまわしが容易である)、Excelでちまちま関数セル入力して列全体に引き伸ばすという操作もしなくていい。グラフコマンドで出力するので当然だが今まで苦労していた手書きプロット作業はなくなった。GUIありきのExcelと違ってコードひとつグラフの罫線の調整などもかなり簡単にできる。高級言語だけあってコードは組みやすく、実験中に即興プログラムを組むことも割りとできる。しかコードさえ組んでしまえばあとは実行するだけで計算グラフの描画を一気にやってくれるので、実験結果確認が極めて素早く行えるようになった。しかもjupyter notebookはmarkdown形式文章を埋め込めてメモ書きも残せるし、mathjaxに対応しているのでlatex形式の数式も途中に挟むことが出来る。最高の環境だと思った。しかし良いことばかりではなかった。

パソコンで全部やろうとする自分を見た一部のTAはなぜか自分グラフ手書きしろ要求してきた。自分反論した。「グラフならパソコンですでに出力できているのになぜわざわざ手書きにする必要があるのか?」これに対するTAの答えはだいたい「平等性を保つため」、「他のみんなは手書きでやっている」、「理解を深めるため」、「他学科手書き必須から」というような感じである自分にとっては、これらすべてが理解できなかった。そもそも手書きにすることによって実験に対する理解がどう深まるというのか?自分はむしろ手書きを徹底的に排除することによって、煩雑作業をする時間を考える時間に充てた。そのおかげで実験に対する理解は以前と比べ物にならないくらいに深まった。手書きじゃなければ理解が深まらない理由はない。そもそもパソコンのほうが厳密にコードを組まなければならない分だけ理解力要求されるはずである。「理解を深めるため」といっている本人だって結局その言葉意味もわからず言っているにすぎない。

平等性」に関しては全く別のTAから複数回言われた。「パソコンを使って効率化しようとするのはずるい」と言いたいのか、このTAは?pythonだって1ヶ月間死に物狂いで情報をかき集めて覚えたのに、それのどこがずるいというのだろう。平等性を掲げて効率化を否定し、全員に同じ作業強要させ、「成績」をちらつかせて脅すのはずるくないのか?みんな一緒に抑圧されましょうということか?これを言われたときに感じた何とも言えない吐き気のようなものは今でもうっすらとだが覚えている。正直なところ、プログラミングが出来るというだけでむしろ褒められると思ったのだ。パソコンが使いこなせるほうが印象はいいに決まってると思っていたのも、結局は自分勘違いだった。

pythonを使い始めてからの2年後期、3年前期を通して4,5回ぐらいTA(全員別の人)に「手書きしろ」と言われたが、言われるたびに反論するのもいい加減に疲れてきた。なぜ手書きにする必要があるのか、自分は聞かれるたびにこう聞き返した。まともな答えを返したTAは一人もいなかった。大学先生担当する実験PCは駄目なんて言われたことは一度もなかったし、どうもTA勝手に「手書きしろ」と言っているだけらしい。「他学科パソコン禁止から」とかいう非論理的ルール鵜呑みにしてそれを適用しようとする姿勢にも無性に腹が立った。

TAがいうには手書きコピペ防止の意味もあるらしい。本当に手書きにしたらコピペが減るのか?パソコンにしたらコピペが増えるというが、それは果たして本当に「増えた」のだろうか?確かにコピペするのは手書きと違って簡単だが、コピペするやつは手書きだろうがパソコンだろうがコピペする。そもそも自分の頭で文章を書く能力がないかコピペするのであって、パソコン制限たかコピペがなくなるという理屈おかしい。そんなにコピペが嫌だったらむしろ最初からコピペをチェックしやす電子データに限ってしまえばいいと思う。パソコン有りにしてコピペが増えたというのは、手書きレポートでは見逃していた分のコピペがばれて、それで数が増えたように見えたという可能性もある。むしろパソコンからこそコピペを見破れるのではないだろうか?

自分は、手書き不正の温床ぐらいに思っている。手書き場合見かけ上はコピペしたことがばれにくいし、グラフもそれっぽく適当に書いても適当プロットしたことはほぼばれないし、そもそもアナログデータ機械検閲にかけにくいためどの程度コピペなのかを判定する労力だって膨大過ぎる(別のTAに話を聞いたところ、採点する側から言わせるとコピペしたこと自体結構分かるものらしい)。手書き強制するということは、すなわち不正ごまかす余地を与えているに過ぎない。本気でコピペをなくそうとするならば、いっそのことすべて電子化してしまったほうがよいとすら思う。

pythonを使い始めてから1年経ち、「手書きにしてください」と言われるたびに反論していったが、元々自己主張の弱い引っ込み思案なタイプのために、自己主張してちゃんと言い返すというのは精神的な負担が大きかった。「パソコンではなぜ駄目なのか」を強く主張するたび、ものすごく疲れがたまってしまい、実験がない日でも「なぜこんな当たり前のことをわざわざ言わなければならないんだろう」と思い返してしまうせいでどんどんやる気を無くしていった。

なぜ大学の一部にはパソコンを使わせたがらない空気があるのだろう。この人たちは、手書きが苦手な自分にとっての最後の砦すら壊すつもりなのだろうか。なぜ手書きにこだわるのだろうか。

2016-09-01

そうか頭突きがいいのか

俺の中で至近距離効果的な攻撃かつ素人ができることは掌底

なんかのマンガで見た

掌底で顎を撃ちぬく

その際にもう一方の手で掌底する腕の肘を下からぐいっと持ち上げて威力を上げるっていう

何のマンガでみたんだっけかなあ・・・

2016-08-08

http://anond.hatelabo.jp/20160808005650

覚えてる範囲

ゴジラが変形したのを変態でなく進化だと呼ぶ。いや変態でしょ。「ゴジラ細胞分析した結果通常の細胞分裂突然変異を繰り返しており...」とかそういうSF的な説明があった上で科学者が「これは進化だ」と結論付けるとかだったら個人的には盛り上がったと思う。

はじめに「進化」という言葉を出したのは矢口だったはず。

首にタオルを巻いてる教授っぽい人は「突然変異」という言葉も使ってた気がする。

尾頭さんは「進化」だったかも。

普通ゴジラ通り道空間線量が変わってるなら「ゴジラ放射性物質をくっつけて歩いてる」が最初に来るべき仮説でしょ。なぜそれが出ないのか。

順番として、「ゴジラ動力源は何だろう?」という疑問が先にあって、もしかして核分裂? みたいになってからゴジラ通り道空間線量のデータが出てきたはず。

先に放射線量データがあってからの推測であれば、そういう仮説もありえたかも。


追記

・なんで誰も「核兵器ゴジラを殺した場合死ぬ人の数」と「ゴジラを倒せなかった場合死ぬ人の数」を天秤にかけないのか。唯一の核兵器使用容認の先輩的な人も国際政治的な理由で、登場人物価値観が判で押したように反核兵器使用なのが気持ち悪い。全編通じて誰も「どの選択肢が一番多くの命を救えるのか」という論点を持つ人間がいない。政治家なのに。

核兵器を使うと東京一帯が再生不可能になる、凍結作戦であれば被害は直近の3区だけで済む、という会話はしていた。

実際の熱核兵器威力は知らんけど。

2016-08-05

シン・ゴジラ感想書きたい(ネタバレ)

家族にも内緒で観に行ったので、ここに書く。

それも核心部分を書く。

誰かに言いたくてしかたがないのだ。

これも庵野の魔力か。

・・・

シン・ゴジラは、ゴジラブレスを吐くときカタルシス

その数秒のためだけに存在する映画だ。

無表情にズンズン歩くゴジラ(後に野村萬斎だと知ってなるほどと思った)。

なんだかんだ、攻撃されてもビクともしないし、反撃もしない。

「あれ?このゴジラ咆哮しないの?」「ブレスは?放射能吐かないの?優しいゴジラ?」と不安になる中盤。

満を持しての、咆哮&ブレス

最初炎が出て、威力が強まると放射能に変わり、東京を一瞬で壊滅させるだけの威力を魅せつけた後に、再び炎に変わり止まる。という一連の動作がカッコよくて死ぬ

やっぱ、B-2最強だな。ホルホル。としていた自分をあっという間に絶望の淵に叩き落とす破壊力

まさに神。

破壊化身

炎を上げる東京に佇むゴジラ。さっぱりと一仕事終えた感じ。

そこから先は、オマケみたいなものかな。

最高だった。また見たい。

(あースッキリ)

2016-08-04

[]ナメクジ海にかえる

 陸上繁栄を極めた種の多くがするように、雑魚ナメクジの仲間も一部が海への回帰を試みた。

 当時の海中は節足動物的な動物先祖にあたる動物ブイブイ言わせていた時代

 アノマロカリス類似生物と海サソリ類似生物仁義なき生態系の頂点争いを日々繰り広げており、多くの種が戦々恐々としていた。

 海サソリモドキがアノマロカリスモドキの触腕をハサミで押さえ、

尻尾のトゲでマウントパンチする戦法を発明すれば――

そのために、海サソリモドキの尻尾の可動域は地球の陸サソリ並になった

――アノマロカリスモドキは捕獲を避けるために高速化を押し進め、

触腕を二本の長い角と化す。

 そして発達させた視力で遠くから猛ダッシュし、マウントサソリを串刺しにした。

 雑魚雑魚ナメクジがこの戦いに参入できるはずもなかった。

だが、彼らの存在生態系の頂点争いに決定的な役割を果たすことになる。

 海上では雑魚ナメクジの気温調節能力は水の膨大な熱容量に邪魔されて機能しなかった。

そこで雑魚ナメクジ背中の模様を海中に向けることにした。

まり雑魚ナメクジウオ(仮)は背泳ぎをしていたのだ。

 カウンターイルミネーションと言って地球の表層付近に生きる海洋生物は下に向けて発光し、

捕食者が明るい海面を見上げたときの「影」を薄くする方法を発達させている。

 しかし、原始的雑魚ナメクジウオにルシフェリン・ルシフェラーゼ(特にルシフェリン)をいきなり創り出すことはできず、

捕食者ではないので数少ない発光生物からルシフェリンを奪うことも難しかった。

 代わりに雑魚ナメクジウオ背中の模様を様々に変化させて、群れで泳ぎ、輪郭を誤魔化す方向に進化した。

 おかげで海中から見上げた雑魚ナメクジウオの群れは巨大な一個の生物みえた。

学習するまではおいそれと手を出せる相手ではないし、弱いことを学習した後も、その性質から追撃が難しかった。

 さら進化した雑魚ナメクジウオは、おそわれた瞬間に一気に白くなり、捕食者に消えたような印象すら与えるのであった。

 彼らの葉緑体も多くは背中にあったが、海面付近拡散光を利用して光合成を行った。

また、代を経るごとに腹側に移動していった。

 このような手法で海面付近ニッチを獲得した雑魚ナメクジウオは海中に大きな影を落とした、物理的に。

そのために、視力に頼る部分が大きいイッカクカリスは目の威力制限されて、マウントサソリとの争いに敗れることになる。

 そもそも直接対決より被食動物の奪い合いが大切なのに、

イッカクカリス個体戦闘力の強化に走りすぎたのであった。

 なお、海面で死んだ雑魚ナメクジウオ死体排泄物深海に降っていき、

そこに新しい生態系を築こうとする動物たちの糧となった

 それをそのままマリンシットと呼ぶことを知っとこう。


http://anond.hatelabo.jp/20160730174226


次回嘘予告「海の魔物ラーゲンの逆襲(コラーゲンたっぷり)!!」

2016-08-02

[]8月1日

○朝食:なし

○昼食:鯖のご飯

○夕食:適当パン野菜ジュース

調子

むきゅー。

定時じゃ定時じゃ! 定時で帰宅じゃ!

で、ゲームをするつもりが、ポケモンSMの新情報テンションが上がってしまい、ゲームはできなかった。

いや、うん、その、月曜日は午後十時から聞きたいラジオが二時間もあるからあんまりプライベート時間がないんだよね。

このラジオだけは、ガチで聞きたいから、ゲームとかしたくないのです。

ポケモンSM

情報で、リージョンフォームが公開されました。

僕の愛する悪ポケたちは、リージョンフォームあるのかなあ。

こおり・あくで、ゆきふらしバンギラスとかどうでしょ?(強い弱いじゃなくイメージの話ね)


それと、ZリングですよZリング

まずは、ゲームと連動するオモチャについて。

これでも一応良い年した大人なので、さすがにこの路線はつらいなあ……

まあ、本編での遊びが追加されないなら、買わないでおこう。

ガオーレと連動しそうだけど、いまんところガオーレは遊んでないからいいかな。

ポケモンGOとの連動はさすがにないかな?

(トレッタでメガリングを楽しげにかざしてただろって? おう! 何なら「進化を超える進化メガ進化!」ぐらい言ってたよ!!!!)

で、次に本編のゲーム中に出てくるアイテムとしてのZリング

これは技の威力インフレについていけてない悪タイプにはかなりの追い風なのでは?

どうやら、持ち物を持たせる必要があるようなので、メガアブソルのZワザみたいな重ねはできないのか。

となると、誰が良いかなあ。

普通に種族値サザンドラ辺りがいいかも。

ちなみにこれ、カードではどう表現されるんだろう。

カード外の新しいトークン?(なんていうの? ボードゲームにおけるコマとかを言いたい)が導入ぐらいの、サプライズがあるかも?


にしても、ポケモンの広がりは本当凄いなあ。

本編、ポケカポケダンコマスターGO、ガオーレ、ポケとる、みんスク名探偵アートピクロスポッ拳

世代だけでも、まだまだありそうだな。

ポケとるの前になんかトローゼ系の奴が思い出せなかった。バトルトローゼだっけ?)

久々に原点回帰で、VC積んでるからやりたいなあ。

2016-07-26

初代ポケモンの思い出話

ポケモン最初流行ったときに小2か小3だったけど、

ポケモンコロコロコミックジャンプ小学○年生も買ってもらえなかった俺は、学校友達が言ってるポケモン名前がさっぱりわからなかった。

でも周りはみんなポケモンポケモンピカチュウカイリューヤドランピジョンって感じだったので、

ノートがいっぱいになったら買ってもらえるに違いない」という哀しい自分ルールを作って「じゆう帳」に黙々とボクの考えたポケモンを量産してた。

ブヨブヨに膨れ上がった体で2足歩行してるカマキリとか

裏返って自分のケツから頭が出てるダチョウとか

キリンの頭が生えてるイソギンチャクとか

パトカーと合体して12本ぐらい脚の生えたサイとか

どれもドギツい色のサインペンで着色していて極彩色にもほどがあるデザインで、

後年発掘したときには絵がヘタとか発想が怖いとか以上に、ものすごい怨念を感じるノートに仕上がっていた。

中学生の頃にあまりにも怖くて呪われそうな気がしたので捨ててしまったのが、大人になった今となっては悔やまれる。



自作クリーチャーノートが2冊目に突入する頃、本屋で「文字が多いから」という理由で「ポケットモンスター赤を遊びつくす本」を買ってもらえた。

当然、ポケモンに飢えに飢えている俺はそれを隅々まで読んで読んで読みまくって、ポケモン名前と姿をはじめとする各種データを頭に叩きこんだ。

翌週には、(まだプレイしたことないのに)同級生ポケモンの話をしているのを見かけては入っていって、

「○○なら何番道路Lvいくつが○%で出るよ」「その技は進化させずに覚えさせた方がいいよ」「その技よりこっちの方が威力高くて命中も一緒だよ」とか言ってたと思う。

時期的には既にクラス内でのポケモンブームはやや冷めつつあった(後発組もみんな四天王を倒した)頃で、

ベースで山ほど知識を仕入れていたので、すぐにクラスさらに学年で一番ポケモンに詳しい人というポジションに落ち着いて、

休み時間の度に「お兄ちゃんに勝ちたい」「○○の技マシンどこ?」「あのポケモンはどこ?」みたいな相談に乗ることが多くなった。(まだプレイしたことないのに)

夏休み前くらいの三者面談担任先生から

最近増田くんは、ポケモンにとっても詳しくて、いつもお友達に頼りにされていますよ」

「絵をずっと描いていたもんね、(買ってもらえて)よかったね」

「その熱意で都道府県もなんとか覚えられないものか……」

みたいなことを言われ「でもボクまだ持ってないよ」「えっ!?」という流れを経て、その日の帰りに遂にポケモン赤を買ってもらえた。

あれからもう20年経ってるのか……。

いまだに自分ポケモンだー!って遊んでるのは、やっぱりどこかあの飢餓状態反動な気がする。

2016-07-12

チンコ包茎が、マンコはスジが、それが一番美しい

抜身の剣などただの飾りに過ぎぬ。

真の武具とは平時はその威力を表には出さぬもの

2016-07-08

オーバーウォッチでトレーサーやるじゃん

のしいから書いた。誤字とかあったらすまんな。

オフェンス勢。

ソルジャー76

勝てないかなって思って当たりに行ってもだいたい勝てない。

距離ダメージ減衰を全然感じない。普通に痛い。

そのおかげであんまりつっこみすぎると逃げることさえ出来ず狩られがち。

こっちからやることは、見つけたらさっと撃ってダメージ入れて解散、くらい。

リーパー

勝てないかなって思って当たりに行ってたら相手ヘルスが元から削れてた時とかに勝てる。

走り回っていいならわりと勝てる。

けど相手の体力250もあったりレイスされたりで決着が付かない。

逃げられる側。

ファラ

勝てるとか勝てないとかじゃなくてなんか別のところで戦ってる。居ない。それなのに相手はこっちを狙ってると思う。

歩いてる奴を調子に乗って狙いに行くと直撃120ダメージで溶かされたりする。

ぶっちゃけ逃げたい。

マクリー

スタングレネード怖すぎ問題

グレネードされたら死ぬ。されなきゃまあ…

集団戦の時とかはわりと狩れてる気がする。

ばったり会ったらソルジャーと同じように装填分だけ撃って逃げて良さそう。ソルジャーより狩りやすいと思うけど。近づいてはいけない。

ゲンジ

トロゲンジはカモ。

やたら跳んだり風切りうまかったりするゲンジは負傷不可避。しかも逃げられる。こっちの体力少なければ見事にミリ殺される。

木の葉返しはわりとどうでもいいと思います

トレーサー

お互い決め手に欠ける。

というかガバエイム勢なのでなんか無理。

ディフェンス勢。

ウィドウメーカー

みつけたら殴る。

みつけられなきゃ気付いた時には殺される。

みつけて殴りに行っても、立体起動ができたりアサルトライフル普通に強かったりでそれほど楽勝ではない。

体も細いので当てにくかったりする。やはり大事なのはエイである

ハンゾー

いない。

たまにいたらこぞって殴りに行く。

しか丸太砲の威力は高い。当たると死ぬ

二階席にいるのをみつけて殴りに行くのも、反射矢があるので注意が必要

バスティオン

超!!エキサイティ!!!

オーバーウォッチ至上最も心拍数の上がる瞬間、それはバスティオンを正面から狩りに行く瞬間です。

こちらを狙いに揺れる弾道を縫い、背後に回って全弾発射。足を止めず、敵の旋回速度を越え、デジャヴってもんを教えてやる。

しかしこの戦いの最大の難点はよほど負けることです。(´•᎑•`)<こんなん地雷プレイに決まってんだろ

素直に裏をとりましょう。お互いそういうキャラクターです。トレーサーは裏を取るべきで、バスティオンは裏を取られるのに弱い。

メイ

クレイジーマッドアイスウーマン。今では超有名なメイコパス

トレーサー氏、またしても近付かないことが要求されます。もうソルジャーやれよ。

しかしながらこの超強キャラ(当社調べ)に対して、比較安全に立ち回れるのもトレーサーです。

とにかく凍りかけたら距離を取れる。その一点で生存率は跳ね上がります。その末に返り討ちに出来れば儲けたものです。

足が遅かったり、半端に殴っても凍られたりとするので、パルスボムを見舞ってやりたい相手の一人だと思っています

ジャンクラット

事 故 死 亡 率 N o . 1

もうひどいときは死因の8割5分がこいつ。本当につらい。ブリンク先に爆弾。気付けば足元に爆弾

さらにその5割はキルカメラを見ても空に向けて遠投。ここが戦場、血の海だぜ。

怒りに震えて裏を取りに走りますが、待ち受けるトラバミトラップ。さらにコンカッションマイン120ダメージ

とにかくいい思い出がありません。目の前をふらふら歩き回ってる義足野郎がいたら、ここぞとばかりに蜂の巣にしてやりましょう。しかガバエイムで2回以上くらいリロード必要になりそうなら、返り討ちに遭う前に逃げておけ。

トールビョーン

ジジイ死ね

Lv1はペラペラトレーサーでも壊せる

タンク勢。俺達の時代だ。

D.va

鉄砲だすでかいやつ。トレーサーからするとマジでそれだけ。

後ろから殴るとなかなか壊れない。正面から殴るとわりと溶かせるけどこっちもそこそこ痛い。

距離感大事。トレーサー感覚における中距離くらい(主観)。それより近いと被ダメージがかなり増える。

どっちにしても走り回って殴ってれば緊急脱出するので追撃すればよい。

追撃に躍起になりすぎて直線的に動くとなんたらハンドガンでわりと死ぬ。あれ強いからな。

ロードホッグ

ザ・即死要素。

フックに捕まったら死を覚悟しよう。何か希望を持って後方ブリンクリコールを連打してたらなんとかなるかもしれない。

それ以外は弾薬袋かなんかだと思って差し支えありません。なんかヘッドショットも出やすい気がします。

散弾勢なので距離をはじめ注意したほうがいいのは確かですが、まあよほどの達人でなければフック注意の感覚で細かくブリンクを続けるだけでそれに狩られることはないでしょう。

ザリア

バリアの餌食になってはいけない。プロテイン姉貴。

トレーサーのDPS並びに瞬間火力は彼女チャージを最も促進させるものではないでしょうか。

バスティオンくらいの継続火力になるとバリアごとキルまで突っ込む訳ですが、

ペラペラ耐久のトレーサーさんがバリア2秒に対して見事に1秒で全弾発射→1秒でリロードなんてやってる内に返り討ちは必至です。

武器形状も継続ビームみたいな感じで当てやすく、タンクのわりに的も小さくと、嫌な要素が山盛りです。

おまけに体力のほとんどがシールドなので、すれ違いに殴っといてプレッシャーかけようなって観点でも意味が薄れがち。本当に困ります

ウィンストン

ゴリラメガネしてやってきた。略してゴリメガ。要するにカモネギ(?)

もはや負ける要素がありません。強いて言えばげきおこ状態ゴリラを狩りきることはできませんが、普段ゴリラは本当にカモです。射程でも負けず火力でも負けず。ついでにこちらは電撃の射線切りも得意。

言いたいシチュエーションこともないくら一方的です。

ラインハルト

メイン盾。チャージで駆け寄る姿は「はやい!もうきたのか!」の一言

パルスボムを「これあげる!」したい筆頭。かつややすい筆頭。

キトーにすれ違いブリンクからの背後からポイーすれば体についたり盾の内側についたり。そして相手死ぬ

ボムがなくても、恐らく最もハンマーリスクを恐れず正面から回り込めるキャラクターではないでしょうか。そんなんしょっちゅうやってられませんが。まあつまり蜂の巣です。

ファイアストライクは避けましょう。可能です。アースシャターはもう無理。そのまま撲殺。ULTだししゃーない。

サポート。敵隊列の後ろに回るのが仕事なので、必然的役割対象

ルシオ

相手パーティをまとめてアゲテく人。つよい。

狩りにくさもそこそこ。ガバエイムトレーサーは自己回復と立体起動に苦戦することでしょう。

気付かれずサクッと倒せれば儲けもの、倒せなくても団体と離せたりしたら勝ちです。深追いしなくていいんで次行きましょう。

シンメトラ

シールドくれるひと。敵の時はビームがしつこいひと。

タレットに気付かず1デスもらうこと山のごとし。だいたい気付いたときには遅いんですよね。

メイン武器接続ビームも少し苦手です。ゴリラより弱かったはずだと思うのにこのイメージの差はなんでだ。

というわけで、久しぶりに近付きすぎてはいけないキャラです。みつけたタレットちゃんと壊すだけとかでいいかもしれない。

マーシー

狩ろう。

マーシーピックしてくれる心の優しい方には申し訳ないと思いつつも、移動性能もそれほどでなく、反撃手段もほぼ無しの相手。こんなんご飯です。狙えるタイミングがあったらまず狙うべきキャラクターです。

ラインハルトと二人しかいない時なんかには、やりすぎるくらい突っ込んだら楽しい展開必至だと思います

ゼニヤッタ

油断ができない。ゼニ師匠

体力150仲間。しかしこいつの6割はシールドだ。

間違いなく役割対象です。横から1マガジンで瞬殺してやりましょう。

しかしながら、師匠を狩る楽しさを知った頃のそこの貴女。正面から挑んではいけません。

デバフ不和オーブと長距離直進高威力破壊オーブ。この二つによって、トレーサーとかいう生き物はマジで溶かされます。あとなんかゼニの射撃はよく当たる。体感

そういうわけで、相手に気付かれず横から後ろから距離に立つことが必要です。まあ最後なんで言いますけど、逆に正面から行って得する相手なんていないですけどね。そういうことです。全キャラ「後ろから殴れりゃ勝てんじゃね?」で完結してもいいと思います。トレーサーってそういう奴です。そんでガバエイムでせっかくのチャンスを無駄にしていくスタイル。俺や。

2016-07-07

プチエンジェル事件っていうのをぐぐったら面白かった。

これを元にした推理小説漫画とかないのかな

しかしこの顧客リストに対しデスノート並の破壊力って言ってた人がいたけれど

実際にはそんな威力ないだろ…と思う。

何と言ってもこの国はロリコン天国若い女が好きなのは男の本能!女は若ければ若いほど価値がある!というのが常識なんだから

議員社長小学生買春していようがダメージになる訳がない。

2016-06-30

エロゲにおける泣きゲー概観

エロゲには泣きゲーというジャンルがある。傾向として18禁要素は少なく、その必然性が薄いこともままあることから時にエロ不要論が主張されたり、あるいは泣きゲーエロゲではないと揶揄する人もいるジャンルである

しかし「一般に、泣いたあと人間は気分がよくなる」(ウィリアムフレイⅡ『涙―人はなぜ泣くのか』)。快楽を得ながら体液を体外に排出する行為エロと称するのであれば、その意味で泣きゲーエロゲの一ジャンルであることは間違いない。

泣きゲーはある日突然出現したものではなく、それはどうプレイヤーの涙を誘ったか技術の積層であり、様式の歴史である。個々の作品論は星の数ほど存在し語り尽くされてきたが、この歴史という点での言及は少ない。当時それは歴史ではなくリアルタイムだったのだから、当然といえば当然ではあるが。

2016年現在、エロゲ論壇は死に、泣きゲーが語られることも少なくなった。

だが、だからこそ、最初からぶっ通してやり直してみることでその変遷について、その後に何が継承されていったのかという点で俯瞰することが出来るのではないか。

ということでやり直したので、増田に書きなぐっておく。

1988~1996年

そもそもエロゲの目的は何かといえば、もちろんエロである。主役はエロCGであり、脇役に過ぎない物語の出来を評価する者などいなかった。

その様子が変わり始めるのは80年代後半、『リップスティックアドベンチャー』(フェアリーテール,1988/5)辺りからであるエロゲが一つの娯楽物語として成立することが示されたことでプレイヤーはその物語性に目を向け始め、脇役だった物語はSFやホラーなど様々な要素を取り入れていく。その一つが「感動」であった。

例として、早くも1991年の『ELLE』(elf)に対して「ホロリとした」という感想が存在する(小林義寛『ゲーマーエロと戯れるか』)。泣ける物語かというと微妙だが、今プレイしても確かに面白いSFエロゲであり、感動的要素が含まれていると言える作品である

人は感動すると涙腺が弛むことがある。逆に言えば、涙腺が弛む種類の感動がある。この点での先行研究として米沢嘉博の『マンガで読む「涙」構造』があるが、そこで昭和の泣ける少女マンガ少年マンガを分析した米沢は、女性は不幸における愛と感動の物語に泣き、男性友情、努力、勝利の感動に泣く、としている。

男性向けであるはずのエロゲはしかし、何を血迷ったか「不幸における愛と感動」を物語に取り込むことに成功する。

DESIRE』(C's ware,1994/7)、『EVE』(C's ware,1995/11)、更に『この世の果てで恋を唄う少女YU-NO』(elf,1996/12)と傑作を連発した剣乃ゆきひろはいずれも物語の中核に少女の悲劇を配した。それは壮大かつ感動的な物語の帰結としての落涙をしばしば生み、その感想に「泣いた」というものが少なくない。

さらに『同級生2』(elf,1995/1)の桜子シナリオにおいていわゆる難病物がエロゲに導入される。それは当時十分に涙を誘うものであったとして、これが泣きゲー元祖だとする説も存在する(小林,前掲)。

努力・勝利の感動が無かったわけではない。例えば『闘神都市2』(ALICESOFT,1994/12)は自分の無力さが生んだ悲劇きっかけに、強くなるために精神をすり潰し、廃人になってでも最後の敵を倒す物語であり、高く評価された。……しかしそこにはやはり「悲劇」がつきまとっている。

「不幸における愛と感動」は、こうしてエロゲで広く受けいれられていく。

1997年

難病物は概ね、主人公ヒロインの仲が深まるにつれて病状が悪化する展開をとる。これを病気に限定せず、「不幸」に一般化したもの涼元悠一は「萌やし泣き」と呼ぶ(涼元悠一ノベルゲームシナリオ作成技法』)。ヒロインとの幸福日常をまず描いてから一気に雰囲気を暗転して二人の不幸な状況を綿密に描写、涙腺の緩んだプレイヤーに最後の一押しをするという、泣きゲーに慣れた人にはお馴染みのそれである

この萌やし泣きは、しかし突如エロゲに登場したわけではない。

前述の闘神都市2には、ごく短いが構造上萌やし泣きと解釈しうるイベントが存在する。同級生2桜子シナリオは難病物である以上もちろん萌やし泣きだが、その不幸描写は非常に短く、またオチが「主人公勘違い」というギャグである。それは手法としては古くから存在しており、変わってきたのは、それを物語上どの割合で展開するかという点であった。

1997年5月、それが一つの分水嶺を超える。『ToHeart』(Leaf)のHMX-12マルチシナリオは、萌やし泣きを1ルート全てを費やして実現した。

おそらくこれが(エロゲ上で)萌やし泣きの威力が十分に発揮された最初の例だろう。彼女の物語は感動的な場面をクライマックスに据え、それ以外の要素――ギャグも皮肉もセンス・オブ・ワンダーも滲ませること無く、ストレートに終わった。そのシンプルさに価値があったと言え、本作は多くのプレイヤーから「泣いた」と絶賛された。

そしてもう一つ、作り手の意思という点でも分水嶺を越えたものが登場する。『MOON.』(Tactics,1997/11)が「鬼畜サイコ涙腺弛まし系ADV」と自ら名乗ったことは、その後の歴史的意味でも強く象徴である。もし泣かすという意思で作られたもの泣きゲーと呼ぶならば、その明示という点で最初泣きゲーは本作と言うこともできるかもしれない。

MOON.は大量のエロシーンを擁し、エキセントリックな人物造形も無く、萌やし泣きでもない。後の作品よりも本作が泣けるし好きだという人もいるが、多くの人を確実に泣かせる威力に本作があと一歩不足したことは事実と思う。

はいエロゲはついに、プレイヤーを泣かすことを主目的とし始めたのである

1998年

ToHeartで泣かせる物語構造確立し、MOON.で泣かす意思が示され、そしてそれは『ONE』(Tactics,1998/5)において結実する。MOON.スタッフが作ったそのエロゲには、萌やし泣きが全ヒロインルートで導入された。

当時の多くのプレイヤーにとって、それは致死量だったと言っていいだろう。

本作はMOON.と変わって18禁要素は非常に薄く、無くても物語は成立する。物語は全ルートで感動と涙が目的に据えられ、それしかない。にも関わらずこれがプレイヤーの絶賛を浴びたことは、「泣かせること」がそれ単独ジャンルを成立させられることを示していた。

今やり直してみると甘い部分も多い。しかし『sense off』(otherwise,2000)、『それは舞い散る桜のように』(BasiL,2002)など、本作の影響下にありつつも秀逸な作品がのちにいくつも生まれたことを考えれば、その影響力と価値を軽んじられる者はいないだろう。

1999年

6月、MOON.を作りONEを作ったチームは独立してKeyと名乗り、『Kanon』をリリースする。これがどれだけの信者を獲得したかは言うまでもないだろう。

特に技術的な面でKanonはONEよりも洗練されている。OPとED、泣かせるための特殊演出などのソフトウェア面はもちろん、泣かすための専用BGMが用意された、という点も大きい。1997年の『アトラク=ナクア』(ALICESOFT,1997/12)は物語のクライマックス、その絶望的状況下で「Going On」が初めて静かに流れ出すことで異様な精神的高揚をプレイヤーに与えたが、これが事前に何度も使われていたら効果は半減していただろう。これと同様のアプローチKanonは泣かすという目的で採っている。

Kanonから3週間後に発売された『加奈』(D.O.,1999/6)もまた、この時代泣きゲー金字塔である。ONEやKanonが物語を中盤過ぎまでギャグで埋め尽くしたのに対し、加奈は10年以上に渡る兄妹の闘病生活を正面からシリアスに描いた難病物であるリアリティのある物語という点で「新しい」泣きゲーだったと言え、今なお評価は高い。

――一方で、ToHeartもONEもKanon加奈も、悪く言えばただのお涙頂戴であるハッピーエンドは奇跡や幸運によってのみ訪れ、主人公たちは運命に翻弄される無力な存在でしかない。こうしたお涙頂戴は今も昔も根強い人気を誇るが、一方で毛嫌いする人がいることも事実である

興味深いことに泣きゲーは、これらのお涙頂戴では泣けない人々をも泣かせようとするかのように、別の「泣かせる何か」の模索を少しずつ始めていく。

2000年

知名度も低く地味だが言及しておきたい良作として、1月に発売された『Lien』(PURPLE,2000/1)がある。不慮の事故幽霊になった主人公とその周囲の人々が残された2週間でその死に向き合い、改めて別れを告げる物語であり、主人公が生き返ることは無い。従ってお涙頂戴の文法に則っているが、しかしその最後において、彼らは前を向き、笑顔で別れを告げる。別れは悲しみしか生まないものではなく、人の強さを示すものでもあることをLienは描いていた。

そして9月、Keyのリリースした『AIR』は約束された勝利を遂げる。物語はもちろん難病物で、ヒロインは最後に死ぬ。その死を「ほとんどなんの意味もない」(東浩紀ゲーム的リアリズムの誕生 動物化するポストモダン2』)とするならば、これは従来通りのお涙頂戴だろう。

しかし、彼女無意味に死んだことが悲しくてプレイヤーは泣いたのだろうか。

もちろんそういう人もいるだろう。だがかの有名な「ゴール」は、彼女が最後まで努力し、やりきったこと――笑顔幸福記憶を全うしたからこそ、泣いた人も少なからずいたと筆者は考える。最後の別れにおいて、彼女は必死で前を向いていた。

悲劇象徴としての別れの描き方と、それに対する姿勢は少しずつ変化を見せ始める。

2001年

ところで萌やし泣きの多くは幸福8割、不幸2割程度の文量配分で構成される(※数字は筆者の体感であり、根拠はない)。これを反転し、幸福を2割以下、不幸を8割以上にするとどうなるか。

鬱ゲである

MOON.もその一つだが、『DiaboLiQuE』(ALICESOFT,1998/5)や『銀色』(ねこねこソフト,2000/8)など、爆発的に売れることは無くとも鬱ゲーは途切れること無く続いてきた。特に銀色の執拗な鬱展開は秀逸であり、未だ根強くファンがいることも頷けるものである個人的にはDiaboLiQuEももっと評価されていいと思う)。

そして8月、幸福と不幸がほぼ半々、つまり鬱ゲーであり泣きゲーでもある『君が望む永遠』(age,2001/8)が発売される。

男女関係修羅場シリアスに描いたエロゲといえば『WHITE ALBUM』(Leaf,1998/5)が有名だが、そこでは主人公修羅場の矢面に立たされることはない。対して本作のメインシナリオでは主人公は徹底して矢面に立たされ、主人公が別れを切り出すことでのみ悲劇は終幕する。

誰を切り捨てるかは、プレイヤー選択肢が突き付けられることで行われる。だからこそ最後に彼らが再び笑い合える可能性が示されることはプレイヤーを安堵させ、涙を誘った。彼らは奇跡によってではなく、心の強さによって悲劇を克服する。

さらに11月、物語の殆どがギャグで占められ、物語の構造自体は従来の萌やし泣きの延長ながら、にも関わらず枠を踏み越えたものが登場する。『家族計画』(D.O.,2001/11)である

家族に捨てられた連中が偶然集まり、やむなく家族を偽装し、衝突しながら家族になっていき、崩壊し、再び家族になる様が描かれる作品である加奈やAIRでも家族愛は描かれたが、いずれも兄妹あるいは母娘の二者間に閉じている。対して家計は父母兄姉妹という集団の絆を描く。

襲いかかる不幸は彼らの手によって跳ね除けられる。プレイヤーはもはや誰かの不幸にではなく、茉莉がお兄さんになって下さいと訴え、準が最後にスプーンを咥え、その家族としての努力が実ったことに涙する。

なにより家計ではもはや誰一人死ぬことはない。君望もメインシナリオでは誰も死なない。誰かを失う悲しさだけが泣かせる手段ではない。悲劇に敢然と抗い、心の強さで打ち勝つだけでも人は泣くのである

2002年

……などと枠を広げ、新しい要素を貪欲に取り込むパイオニアばかりではない。泣きゲーというジャンルを充実させたのは既存の要素で構成された作品群である

例えば『flutter of birds』(シルキーズ,2001/2)は極めて基本に忠実な難病物だし、特定ルートで萌やし泣きを取り込んだ『みずいろ』(ねこねこソフト,2001/4)や『水夏』(CIRCUS,2001/7)、『グリーングリーン』(GROOVER,2001/10)はいずれも好評を博した。またDESIRE同様、悲劇シナリオの感動としての落涙であれば『腐り姫』(Liar Soft,2002/2)はこの年の作品では秀逸である

また、集団間の絆も広く扱われていく。

うたわれるもの』(Leaf,2002/4)ではSRPGというジャンル上の必然もあるだろうが、家族的な仲間との絆が描かれている。『世界ノ全テ』(たまソフト,2002/4)や『ロケットの夏』(TerraLunar,2002/10)は後半こそ二者間が主軸になるものの、いずれも部活を通して仲間と触れ合うことで主人公が成長し、仲間との絆を育むことで成立する物語である

2003年

ONEとKanonとAIRを足して3で割ったような『SNOW』(Studio Mebius,2003/1)、あるいは『てのひらを、たいように』(Clear,2003/1)では、困難に対する仲間の存在がより大きな価値を持つ。その最後は奇跡による解決はいえ、ヒロインのために仲間全員が努力し、足掻くことでハッピーエンドが訪れる様は「与えられたもの」というより「勝ち取ったもの」という印象が強い。

これらを「みんなは一人のために」とするならば、「一人はみんなのために」もまた登場する。『CROSS†CHANNEL』(FlyingShine,2003/9)である

ToHeart型のよくある学園物語に始まり、それが綱渡りの上で構築されたものであることが明かされ、ばらまかれた伏線が繋がっていく様は見事の一言に尽きる。と同時にそれは、心の壊れた主人公が何度も失敗しながらトラウマを乗り越え、仲間のために自己犠牲を重ね、それによって心を再構築していく物語である。その実に静謐な最後において、そこで彼が平穏と幸福を遂につかんだことに、タイトルの意味と、そして彼が勝ち得たものが明かされることにプレイヤーは涙を流す。

2004年

そして1月、『Fate/stay night』(TYPE-MOON)が発売される。絶望的状況下で静かに流れだす「エミヤ」はプレイヤー凶悪な興奮を与え、「強くなるために精神をすり潰し、廃人になってでも最後の敵を倒す」展開に涙を流した。

そこに「友情、努力、勝利の感動」があることを疑う者はいないだろう。

泣きゲーというとKanonやAIRがよく話題に出されるが、「泣いた」という感想がC†CやFateにも多く存在することは事実である。と同時に、いずれにも物語の重要位置に少女の悲劇と愛が配置されている。

そしてこれまで言及してきた「不幸における愛と感動」の泣きゲーに、努力や勝利が全く存在しないわけでもない。その努力が実ったかどうかの差はあれど、必死の行動があったことはどの作品でも紛れも無い事実である

としてみると、「泣いた」と感想を多く有する作品、すなわち泣きゲーには「不幸における愛と感動」と「友情、努力、勝利の感動」の要素が、両方含まれていると捉えても間違ってはいないだろう。そしてそうだとすれば両者は対立するものではなく、両立するものと言える。

そう捉えるならば泣きゲー歴史とは、時代によって、作品によって、この両者の配分を巡る歴史だった、ということもできるように思う。

2005年以降

いい加減読んでいる人も飽きただろうし2005年以降は割愛するが、一つ言及するなら不意打ちという手法が導入された点である

例えばいかにも安っぽいハーレムものとして始まりながらシリアスなSF展開を経て感動的最後を迎えたり、あるいは陰惨な陵辱物として始まりながら見事に綺麗な純愛物へと変貌したり、泣きゲーとしての姿勢最初は微塵も匂わせず、突如牙を剥くもの2005年以降に目立ち始める(いずれもタイトルは念のため伏せた)。

また泣けるイベントが用意されていても、それが作品としてのクライマックスと一致しないことが珍しくなくなる。中には語るべき物語は全て終わり、エピローグの最後の最後で油断しきったプレイヤーに猛然と襲いかかるものもある(いずれもタイトル以下略)。

昨今、泣きゲーが減ったと言われることがあり、実際、一見してわかりやす泣きゲーを現在はあまり見かけない。しかしプレイヤーを泣かせることが主目的化した時代を超えて、泣きゲーとしての技術や様式は再び物語を盛り上げるための一要素へと還元されていった、というのが現代の流れだとすれば、それは死につつあるのではなく、むしろ要素として広く普及し、遍在したことで目につきにくくなった、ということのようにも思えるのである

おわりに

リアルタイムにこれらを経験した人にしてみれば、有名作を並べただけでなんの面白みもない内容と思う。申し訳ない。が、今20歳前後若者にとってみればFateですら12年前の古典である。「泣きゲー元祖」がなぜ人によって違うのか。なぜ未だにはわわとかうぐぅとか言ってるヤツがいるのか。若者がそんなことを知っている方がおかしいし、それを知るために最初から全部やり直すなど正気の沙汰ではない。

かつて何が起きて、それが今にどうつながっているのか。粗く拙いまとめに過ぎないが、その理解一助として本稿に役立つところがあれば幸いである。加えて「そういや最近エロゲやってねぇなぁ。またちょっとやってみるか」と思うきっかけになれば、それに勝るものはない。

どうか、幸せエロゲライフを。

2016-06-24

参院選ポスター志村けんに似てる人がいた

よく見ると違うんだけど、

ぱっと見、志村けんに見えてしょうがない。

他の候補者の顔が、志村けんにかき消されるほどの威力

子供の頃、合法普段使いできる範囲なら鞭が最強なのでは!という謎のひらめきを得て、鞭を作ってペチンペチンいわせていた時期があった。

鞭といってもロープの先に重りをつけた程度のものだが。

水を入れたペットボトルや空き缶を的に、庭でひたすらペチペチと練習をした。ちょっと練習すると割と狙ったところに当てられるようになった。

鞭はなかなか強くて、切り返しが上手くいくと缶がへこむぐらいの威力簡単に出る。

腕相撲で2学年下の女子に「えっ?増田くん本気?」とか言われながら負ける俺にとって、スチール缶をボコボコにできる高揚感はなかなかのものがあった。

だが、何かのマンガで学んだハズだ。『強い力を手にしたとしても、その力に溺れてはいけない。』

この力は弱きものを守るために振るうのだ。国語ノートに墨汁と筆で増田流鞭術の心構えを記した。乾く前に閉じたら染みまくって半分くらい残ってたノートダメになった。

室内での練習中に失敗して窓ガラスを1枚割り、電球を1つ粉砕したが、俺は止まらなかった。

やはり鞭こそ最強なのだ。何より鞭術が日々上達している実感があった。

より精度を高めるために、さらに先のステップへ進もうと、様々な的を用意した。ろうそくの火だけを消す修行にも取り組んだ。

10回やって6回成功するぐらいにはなって、週に一度挑める昇級・昇段試験も順調に突破し、増田流鞭術の腕前は四段に達した。

より強い鞭を手に入れるため、細いロープを編み合わせて鞭を自作したりもした。元のやつの方が明らかに強かった。

家の軒先に作られたハチの巣の撤去も鞭で挑んだ。割と楽勝だった。素早く走るムカデもしなる鞭先からは逃れられなかった。

ある日の食事中、食卓のそばの壁にゴキブリが現れた。

俺は腰の鞭ホルダーから素早く鞭を取り出し、彼奴を目掛け振るった。

パンッ!という小気味よい破裂音を伴った会心の一撃は見事ゴキブリを爆発四散させ、夕食は台無しになった。

親にさんざん怒られ、何が入っているかからない味噌汁を完食させられた俺は、鞭を振るうのをやめた。

翌日、泣きながら一晩考えた俺は、先端が針になっているダイソーダーツを30本買ってきた。増田流投矢術の幕開けであった。

2016-06-11

ロケット商会】さんをベタ褒めしま

ロケット商会】さんをベタ褒めします。

カクヨム ロケット商会↓

https://kakuyomu.jp/works/4852201425154963487

先に断っておくことですが、自分が読んだのは

疾風怒濤商店街

「緑陽館幻獣飼育委員会 ドラゴン飼育日誌」

勇者クズ

以上3作品です。(連載分は各2016年6月1日時点)

時候挨拶とか書けないのでさっさと始めてガンガン褒めていきます

■1.世界観めっちゃノれる

 どの作品を取っても、舞台現代日本ベースにしています。それを大きくプッシュするつもりはありませんが、わかりやすいことは良いことです。

 しかあくまでそれは「ベース」です。例えば「疾風怒濤商店街」、このタイトルでありながらメインテーマは「ドラゴン討伐」。商店街がある世界ドラゴンなんか来るのか。ドラゴンが居る世界商店街なんてもんがあるのか。つまり現代日本ひいては地球に「みんな知ってるファンタジー」が融合する世界観です。「消防庁から派遣される聖騎士団」とか「勇者になるため日々鍛錬している女子高生」とか、そんなんワクワクしちゃうだろうがー!!!

 とにかく、そういった要素が、上記作品の中では常識なことが多いです。現実世界の私達が「ユニコーン?は?ごめん何言ってんの?ゲーム?」なのに対し、作品世界では「ユニコーンっすか、うおー珍しい」みたいな感じです。現代日本舞台にするからには、私達の生活イメージを壊さなレベルで、ファンタジー要素が点在しています。この距離感は素晴らしいと言えます

■2.キャラクターがほんとバカ

 バカです。

 その、「キャラクターについて一項目設けよう」と考えた時に、当然色々なキャラクターが浮かび、その色々な魅力を語ろうとしたのですが、それらを総括してタイトルに据えられたのがこれでした。ほんとバカ

 バカバカ言っていますが、それもまた良いことです。というか【ロケット商会】さんは意図的登場人物バカであることにしています。なぜなら、キャラクター性におけるバカさとは、カワイイことと直結するからです。

 また付け加えるならば、上記作品群におけるキャラクターは、どちらかと言うとチンピラめいた性格であることが多いです。考える能力が無いタイプバカというより、全うな教育を受けていないタイプバカです。いわゆる「育ちが悪い」人達。こうしたバカな人物達は、純粋で、無鉄砲で、欲望に正直で、あまり面倒なことを考えません。この性質は、読者には読みやすさとキャラクター(=作品)への愛着を与え、作者にも展開の妥当性や派手さ、スピード感を与えるものとして、大きな効果を担っています

 ちなみにですが、当然ながら(比較的)に賢いキャラ付けな人物も登場します。しかしこの作品群におけるバカの方々は頭脳バカなのではなく性格バカなので、マリファナ依存していたり、一人の時間にカッコつけた仕草練習したり(※推定)しています。もう全員カワイイで良いですね。

■3.バトルはスッキリクレバー

 そしてアツい要素として、バトルの描写も欠かせません。「勇者クズ」に至ってはジャンル名「現代アクション」を冠しておりますから、大変重要ポイントです。 しかしながら、この見出し文に違和感はおありでしょうか。「超クレバー」て。「賢い」とか「利口」とかそういう言葉やぞ。お前さっきまで登場人物バカバカ言うとったんちゃうんかと。・・・なんでですかね。(投げた)

 説明に入りますが、各作品内での戦闘描写は主に白兵戦です。少なくとも主人公は剣を使います現代日本においてそれをやる理由付けみたいなものは当然あり、かつ納得できる内容になっていますが、自分は「まあ目的ありきでいいじゃんそういうのは」とか言っちゃうタイプなのでここでは特に書くつもりはありません。

 とにかくは近接で刀剣で緊迫で刹那なバトルです。当然のことを言いますが、そういった場面での決着というのは常に一瞬です。極端な例で言えば、その一瞬に向け、時には剣戟さえしません。駆け込む所から相手迎撃予測し、いなし、隙を作り、一撃。実際にはそれぞれの動作と応酬には動機も含めたもう少し微細な描写が盛り込まれ、その一瞬の妥当性を裏付けます。それは読みやすい上で、とにかくカッコいいの一言に尽きます。実際に、読んでる最中何度も濡れました。嘘です。

 ここまでで「スッキリクレバー」の「スッキリ」です。マジで言ってます

 その一瞬へ辿り着くために、キャラクター達は考察を重ねています特に作品主人公がそうで、目的のために静かに動くことが出来るタイプです。(あるいは舞台の状況が彼らをそうさせます

 いか相手の不意を突くか。いか相手の弱点に剣をブチ込むか。いかに散乱した戦場安全を確保するか。読者が知らない方法で、手順を踏んで、その瞬間に出来ることを選択していく。時に防がれ、上手くいき、そのそれぞれが論理的で、心地よく納得した感覚で読み進むことが出来ます。(実在するかは知りませんが)現実技術武術になぞらえた表現での解説も入ることがあり、その側面からも地に足の着いた戦闘描写を感じられます

 ぶっちゃけ具体例については読んでください。

■4.溢れんばかりのフレーズセンス

 曖昧なことを言いますが、文字しか表現できない文章世界で、「存在雰囲気」を表すのはまずその名前です。固有名詞に、センスが輝いています。この意味では、作中で名前くらいしか出てこない存在だとか、そういうものに対して威力を発揮します。

 これについては逆に、具体例をガンガン挙げていきます

《新桜庭ゴブリンズ》・・・疾風怒濤商店街主人公所属草野球チーム。メンバーの半分は口癖が「クソが」「殺す」みたいな人達。ちなみに作中に「ゴブリン」という単語はこれ以外に出てきません。

細川まる子》・・・疾風怒濤商店街。もしかしたら《まる美》かもしれない。舞台市長娘。基本的にお邪魔系のキャラリクルートスーツが似合いそうな高圧的アホ。

琥珀の茨》卿・・・勇者クズ魔王の一人。ヤク中気味で脆さがある。自分能力名前に現れている。

《嵐の柩》卿・・・勇者クズ魔王の一人。《琥珀の茨》さんよりかなり格上。《琥珀の茨》さんみたいな単純な命名ではない。(※作中で名前について語られた事がある訳ではありません)

《七つのメダリオン・・・勇者クズ。作中で主人公達がハマっているカードゲームルールについては全く言及されない。よくわからんカッコ良さと、なんか深そうなゲームっぽいぞというのが多分に感じられるネーミング。

 ・・・とかとかとか。これはまあ、かなり自分主観が入っていると思います。どちらにしても、ネーミングに限らず、場面と作品世界雰囲気作りに余念がないということです。意識してもしなくても、ガンガン入ってくる要素ですので、すぐに楽しめます

■5.少なめ容姿描写

 少なめ(に感じる)容姿描写、とでも言ったほうが正しいかもしれません。読んだ後の感覚としてなのですが、「描写量の割にイメージが沸く」「しかも他の人の描いたファンアートが俺の思ってたのと近い」ということがありました。描写費用対効果が高いとでも言っていいかもしれません。

 当然ですが、そういった描写というのは言わば説明パートで、読みやすさのハードルを上げる側面があります。これが費用です。恐らく【ロケット商会】さんはそれを操り、物語冒頭で登場するヒロインくらいにしか、一度で詳細な描写をしていません。他のキャラクターに関しては、上記の命名や行動により醸し出す雰囲気、シーン毎のちょっとした追加情報イメージ構成させ、大きな効果を生んでいます

 また憎いことに、主人公に関しては一切の描写しません。だいたい性別くらいしかわかりません。年齢さえ、

高卒らしくて、二十歳はいってるっぽい」「高校生だけど学年がわからない」「もしかして三十行ってる・・・? 無いか」といった有様です。(3作品主人公

 ただし性格に関してはしつこい程に読み取れるので、読み手たる我々は都合よくニヤニヤすればよいものと思います

 ・・・ふう、これくらいにしておいてやるぜ・・・(書き慣れない文字を連ねすぎた)

 ええと、長々と書いておいて最後に言うセコい手法なのですが、正直な所自分普段ほとんど小説を読まず、評価ポイントなどというものはまったくわからん身であります。他作品比較して~なんてことは到底出来ない程度の経験です。なので、おそらくめちゃくちゃ普通で当然のことを並べてるんだろうなあ、という自覚を感じながら書いておりました。

 それでも、久しぶりに小説というものを読んで「やべーなにこれ楽しい」ってなったので格好をつけました。というか、「勇者クズ全部読んじゃったよおおおお」って言ってたら「何らかの感想行為をしたりしたらもしかしたらロケットさんのモチベが上がるかもしれんぞい」って言われたのでなんか表現しようとしてこうなりました。はいもっと私に続きを読ませてぇ!!

 またそのうち作品の内容に触れた感想行為をしたいなあとも思っています。続編を求めて脅迫的に活動する所存です。アカン。

http://anond.hatelabo.jp/20160611183621

この高い塔の上から投げつけた斧が重力加速度を受けて威力をマシ脳天を貫き世界から苦しんでいる人間が減っていく。

ポエムかよ

一度ドロップアウトした人間は復帰なんてしなくていいんじゃないだろうか

社会構造からして一度レールから外れた奴はもう帰ってこなくていいよバイバイって作りになっているのに何で頑張って戻ろうとするのか。

ダメ人間人生からわざわざ勇気をもらうつもりもないし運の悪かった奴が頑張ったなんて話もそれぐらいで人生崩壊しないように前もって努力しておけばよかっただけでしょとしか言いようが無い。

世の中の人間は自分らが坂道の下まで行って手を差し伸べるつもりなんて無い癖に彼らには頑張って欲しいですねとは言う。

そんな言葉を浴びせる必要すらないんだ。

溺れた犬には斧を投げつけて殺してしまえばいい。

この高い塔の上から投げつけた斧が重力加速度を受けて威力をマシ脳天を貫き世界から苦しんでいる人間が減っていく。

それで何の問題もないじゃないか

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