自分は不器用なせいかグラフの手書きが致命的に遅かったので、2年前期の実験で危機感を感じた自分は2年の夏休み中にpythonを覚え、今まで苦労していたグラフのプロットなどをパソコン上で全部自動化しようと考えた。日本語の情報が少ないため(あっても多少古かったりすることが多かった)、情報をかき集めるのに相当苦労したが、夏休みが終わるころにはjupyter notebook(名前通りノートブックのような実行環境でセルごとにコードを実行するという形をとっている)上で統計処理をしたりそのデータを基にグラフをプロットするのはある程度できるようになっていた。
早速2年後期の実験でpythonを試してみたが、その威力は凄まじく、今まで時間のかかっていた作業が劇的に効率化した。pythonのモジュールであるpandas,numpyを使えばデータ列を文字式のように扱えるので(例えば実験データをdataとして、そのデータをすべてcos関数に代入したかったらnumpy.cos(data)と書けばよい、Excelと似たようなものだがこちらは変数として扱っているので使いまわしが容易である)、Excelでちまちま関数をセルに入力して列全体に引き伸ばすという操作もしなくていい。グラフもコマンドで出力するので当然だが今まで苦労していた手書きのプロット作業はなくなった。GUIありきのExcelと違ってコードひとつでグラフの罫線の調整などもかなり簡単にできる。高級言語だけあってコードは組みやすく、実験中に即興でプログラムを組むことも割りとできる。しかもコードさえ組んでしまえばあとは実行するだけで計算、グラフの描画を一気にやってくれるので、実験結果の確認が極めて素早く行えるようになった。しかもjupyter notebookはmarkdown形式の文章を埋め込めてメモ書きも残せるし、mathjaxに対応しているのでlatex形式の数式も途中に挟むことが出来る。最高の環境だと思った。しかし良いことばかりではなかった。
パソコンで全部やろうとする自分を見た一部のTAはなぜか自分にグラフを手書きにしろと要求してきた。自分は反論した。「グラフならパソコンですでに出力できているのになぜわざわざ手書きにする必要があるのか?」これに対するTAの答えはだいたい「平等性を保つため」、「他のみんなは手書きでやっている」、「理解を深めるため」、「他学科は手書き必須だから」というような感じである。自分にとっては、これらすべてが理解できなかった。そもそも手書きにすることによって実験に対する理解がどう深まるというのか?自分はむしろ手書きを徹底的に排除することによって、煩雑な作業をする時間を考える時間に充てた。そのおかげで実験に対する理解は以前と比べ物にならないくらいに深まった。手書きじゃなければ理解が深まらない理由はない。そもそもパソコンのほうが厳密にコードを組まなければならない分だけ理解力を要求されるはずである。「理解を深めるため」といっている本人だって結局その言葉の意味もわからず言っているにすぎない。
「平等性」に関しては全く別のTAから複数回言われた。「パソコンを使って効率化しようとするのはずるい」と言いたいのか、このTAは?pythonだって1ヶ月間死に物狂いで情報をかき集めて覚えたのに、それのどこがずるいというのだろう。平等性を掲げて効率化を否定し、全員に同じ作業を強要させ、「成績」をちらつかせて脅すのはずるくないのか?みんな一緒に抑圧されましょうということか?これを言われたときに感じた何とも言えない吐き気のようなものは今でもうっすらとだが覚えている。正直なところ、プログラミングが出来るというだけでむしろ褒められると思ったのだ。パソコンが使いこなせるほうが印象はいいに決まってると思っていたのも、結局は自分の勘違いだった。
pythonを使い始めてからの2年後期、3年前期を通して4,5回ぐらいTA(全員別の人)に「手書きにしろ」と言われたが、言われるたびに反論するのもいい加減に疲れてきた。なぜ手書きにする必要があるのか、自分は聞かれるたびにこう聞き返した。まともな答えを返したTAは一人もいなかった。大学の先生が担当する実験でPCは駄目なんて言われたことは一度もなかったし、どうもTAが勝手に「手書きにしろ」と言っているだけらしい。「他学科がパソコン禁止だから」とかいう非論理的なルールを鵜呑みにしてそれを適用しようとする姿勢にも無性に腹が立った。
TAがいうには手書きはコピペ防止の意味もあるらしい。本当に手書きにしたらコピペが減るのか?パソコンにしたらコピペが増えるというが、それは果たして本当に「増えた」のだろうか?確かにコピペするのは手書きと違って簡単だが、コピペするやつは手書きだろうがパソコンだろうがコピペする。そもそも自分の頭で文章を書く能力がないからコピペするのであって、パソコンを制限したからコピペがなくなるという理屈はおかしい。そんなにコピペが嫌だったらむしろ最初からコピペをチェックしやすい電子データに限ってしまえばいいと思う。パソコン有りにしてコピペが増えたというのは、手書きレポートでは見逃していた分のコピペがばれて、それで数が増えたように見えたという可能性もある。むしろパソコンだからこそコピペを見破れるのではないだろうか?
自分は、手書きは不正の温床ぐらいに思っている。手書きの場合見かけ上はコピペしたことがばれにくいし、グラフもそれっぽく適当に書いても適当にプロットしたことはほぼばれないし、そもそもアナログデータは機械の検閲にかけにくいためどの程度コピペなのかを判定する労力だって膨大過ぎる(別のTAに話を聞いたところ、採点する側から言わせるとコピペしたこと自体は結構分かるものらしい)。手書きを強制するということは、すなわち不正をごまかす余地を与えているに過ぎない。本気でコピペをなくそうとするならば、いっそのことすべて電子化してしまったほうがよいとすら思う。
pythonを使い始めてから1年経ち、「手書きにしてください」と言われるたびに反論していったが、元々自己主張の弱い引っ込み思案なタイプのために、自己主張してちゃんと言い返すというのは精神的な負担が大きかった。「パソコンではなぜ駄目なのか」を強く主張するたび、ものすごく疲れがたまってしまい、実験がない日でも「なぜこんな当たり前のことをわざわざ言わなければならないんだろう」と思い返してしまうせいでどんどんやる気を無くしていった。
なぜ大学の一部にはパソコンを使わせたがらない空気があるのだろう。この人たちは、手書きが苦手な自分にとっての最後の砦すら壊すつもりなのだろうか。なぜ手書きにこだわるのだろうか。