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はてなキーワード: 噴飯ものとは

2018-10-18

「これって変じゃない?」にツッコミを!“女らしさ・男らしさ”の呪縛から子ども解放するために親ができること

https://woman-type.jp/wt/feature/13170

以前、息子が見つけてきて「これ、変だよね」と言った消防少年団ポスターには、男の子ホースを持って前面に立ち、女の子が後ろで救急箱を持って控えていました。男性はメインの業務や力仕事を担い、女性は補助的な仕事ケアワークを担うという思い込みは、いまだに根強く残っています

ものには適材適所っつーものがある。

消防という人の命がかかった場面で「単に外形的な数的平等のために」大きな水圧で暴れる重いホース女性にも持たせてさしあげる配慮をすべきかというと、私には疑問に思える。そういうときってホースは男が持ったほうがいいんじゃあるまいか体重や筋力が平均的に男女同等ならいくらでもホースを持ってもらえばよいが、そうではないだろう。

というか、消火作業ホース)も被災者の救護(救急箱)も、業務重要度はイーブンだろうと思う。ホースがメインで救急箱がサブというのは序列恣意的で、息子さんをよく調教されているようだけれど、男女平等にこだわりすぎて職業平等を教えることをどこかに置き忘れてしまっているのではないか

大学学園祭を訪れたとき男子学生がおそろいのピンクTシャツを着ている様子を見て、しみじみと時代は変わっているなと感じました。娘が一時期、ピンクなどのパステルカラーばかりを欲しがるので、親として複雑な気持ちになったものですが、今の大学生は「ピンク女の子の色」という意識さえ持っていない。偏見固定観念に縛られることなく、男性ピンクを着ることが当たり前と感じる世代が生まれているのです。

とにかくピンク女性の結びつきを断ち切りたくてしょうがないようす。

男子学生が揃いのピンクTシャツを着ていたからといって「男性ピンクを着ることが当たり前と感じる世代が生まれている」と判断するのはそそっかしすぎるだろう。学祭ということはサークルユニフォームだろうから、その色を個人個人が好きで着ているとは限らず、女子もいるサークル女子が決めたものをいやいや着させられているかもしれないのでは。

娘さんがパステルカラーを着たがることに「複雑な気持ちにな」るのは本当に親としてどうかと思う。娘さんが自由意志パステルカラーを好んでいるのかもしれないのに、それを「社会蔓延するステレオタイプに毒された結果」としか見られないのは、ひどい視野狭窄に思える。

子供選択の自由を奪い、感性自分の都合のいいように方向づけしようとしているという意味では「女の子からピンクを着なさい」と押し付ける親も「パステルカラーなんか好んじゃいけません」と教える親も大差ないだろう。

例えばドラマを観ていると、なぜか悪役は男性さらわれたり、狙われたりするのは女性ばかりです。我が家では、そんなステレオタイプドラマを見ると、息子が「また女の人が逃げてる!」と突っ込みます

現実犯罪者数は男性女性10であるのだから、人をさらったり狙ったりする役は男性のほうが自然だし、粗暴犯が力の弱い女性を狙うのも自然選択だし、そして、ここだいじだと思うんですけど、強者弱者を狙うからこそ「卑劣卑怯な手口」というプロットが成立するのであって、女が力づくで男をさらドラマなんかがあったらそれこそ「何かおかしい」どころではなく、噴飯ものでしょう!

そしてですね、いわゆる2時間ドラマでは犯人が女であることもとても多くて(断崖で泣きながら犯行動機を語る中山忍が好きだ)、現実との比較としてはむしろこっちほうこそ不自然で不平等に思えるのだけれど、それはOKということなのかしら。

例えばアメリカドラマでは、大統領CIAエージェントのような仕事女性が就いていることもめずらしくありません。最近ハリウッド映画では、コンピュータが得意な女の子が大活躍したり、男性の後ろに隠れずに、真っ向から敵と戦う女性ヒロインが登場したりしています

もー、そもそもドラマの配役をもってジェンダーステレオタイプうんぬんを語ることじたいがスカタンしか言いようがない。

エンタメに登場する女性は、その役柄がどれだけ威勢のいいものであろうと「画面の彩りやバランス」のために配置されていて、フェミニストであるならば本来そこにこそ疑問を感じるべきだと思うんだがそこは無視っていうね。フェミニスト旗手のように崇められているエマ・ワトソンにしたって、今の地位を築いたのはハーマイオニーグレンジャーという「冷静な優等生というジェンダーステレオタイプな役」がウケたからなのですよ。

男性の後ろに隠れずに、真っ向から敵と戦う女性ヒロインが登場したりしてい」ることをまるで近年のフェミニズムの手柄のように語っているけれど、ワンダーウーマンの例を引くまでもなく戦う女性を描いたエンタメはむかぁぁぁぁぁぁぁしからあるし、それは必ずしも実社会での女性地位の向上や男女平等意識の浸透を意味しているわけではない。女性でも「暴力」で敵と戦うのはスカッとするよねというだけの話で、現実ワンダーウーマンプリキュアのような立場を担わされたら大半の女性は「迷惑」と感じるのではあるまいか

これ以上くどくど書いてもしょうがいからまとめるけど、この治部れんげとかいう浅い浅いフェミニストは、言ってることのすべてが「表面的な数合わせだけの悪平等」の域を一歩も出ておらず、耳を傾けるに足る主張はない。それだけならまだいいのだけれど、この人、明らかに浅薄でズレた平等意識のもとでお子様の洗脳をなさっておいでで、まあこの人の子供がどんな人間に育とうと知ったこっちゃないのですが、ちょっと気の毒に思いましたまる

2018-10-11

anond:20181011122825

だいたい直ぐに削除するような卑怯馬鹿ネトウヨなのは知ってる

ほんとだよな ただ単に反日でアベ嫌いなだけなのに人権ガー政治的正しさガーとかいうのマジで噴飯ものだわ

2018-09-29

anond:20180929133523

大抵の健常者にとってLGBTとは「なんか知らんけど生活を脅かす侵略者」であり、その侵略非難する趣旨問題提起なんだからLGBT理解している必要などない。

一応説明しておくと、指向男と女どちらを愛するか、嗜好は「巨乳好き」「妹萌え」「デブ専」なんかの何に興奮するか。

三者とも前者を後者一種だと思い込んで書いてる。

こんな線引きをしてるのもLGBTとその脅しに屈したモノだけであり、前者は差別禁止後者差別OKなどとは噴飯ものである

こんなことはちゃんとした本読むなり、当事者に話聞けばすぐ解ること。

LGBTが書いた本やLGBT本人が健常者に対してLGBTにとって都合の悪い情報を伝える訳ないだろ。

なんの信用もできない。

そもそも健常者社会に出てこようとしてるLGBTこそが粘り強く啓蒙に努めるべきであるのに、健常者に対して強硬に「理解勉強」を要求するとは烏滸がましいにも程がある。

弁えろ。

2018-08-09

無職としての学問

 特に文系において、大学研究を取り巻く環境が厳しいので、少し愚痴を書かせていただきたくお邪魔します。

* * *

 研究生活が実生活、ことに家庭生活に対し極度の不安定性を与えることは、今日に始まったことではない。

 例えばかの有名なマックス・ウェーバーによる1919年の講演の中では、「大学に職を奉ずるもの生活はすべて僥倖支配下にある」と語られており、「精神的に打撃を受けることなくこうした境遇に堪ええたためしは極めて少ない」とまで言われている。

 このような状況は、100年の時と洋の東西とを超えた今日日本においても、同様である。むしろ人口減少と学問に対する軽蔑——それはおそらく、ウェーバーが講演の中で強調した、学問がなんの「救い」も「啓示」ももたらさないということを、多くの人々が正しく認識たからに他ならないが——に直面している極東島国の方が、研究生活を取り巻く環境過酷であるといえるだろう。

 博士号を取ったとしても多くの人々には就職先がなく、あっても有期雇用で、しか低賃金であり、長期的な研究生活の途を描くことは全く不可能である

 日本より恵まれ研究環境を有する国、例えば博士課程から給与が出るアメリカや、高等教育がほぼ無償であるフランスの例を持ち出すことは簡単であるしかし、研究生活はその研究者が根ざしている言語文化、あるいは人的ネットワークにある程度は依存せざるをえない。また、他国研究環境は、一部だけを切り出せば外面的には羨望の的になりえるが、実際は、給与と引き換えに研究テーマ選択制限されたり、あるいは無償で得られる研究環境には限りがあったりするのである

 当然のことながら、研究者における研究成果はそれぞれのおかれた研究生活の諸条件に左右されるのであり、それは資本的な制約を大きく受ける理工学系のみならず、人文系についてもそうなのである

 ハンナ・アーレントのように、生地での生活を根こそぎ奪われ、新天地で大きな研究成果を挙げる例もないわけではない。大学官職への道を閉ざされてから活躍したカール・マルクスそもそも学歴のなかったピエールプルードンなども、偉大な思想家としてのちに崇められる存在であるしかしながら、すべての人が偉大な人、指導者のような人、あるいは預言者になることを目指して研究に励んでいるわけではない。実態はむしろ逆であり、陽が当たらない部屋で日がな一日、誰も読まないような古雑誌の1ページをどう解釈するかについて考え、その謎を解けた時に無常の喜びを感じる、そういう人が研究生活に入るのである。そのような、全くつまらないことこそ重要研究成果なのであり、むしろ大きな社会的反響を呼び起こす御宣託が科学的な研究成果とは全く呼べないようなものであることは、ウェーバーの指摘するところであり、歴史が度々証明してくれたところでもある。いずれにせよ、研究生活とは社会的名声や富と全く関係がないどころか、資本主義社会ではしばしばそれらは相反するものとなるのである

 尤も研究者も所詮人間であるからして、研究のものの「客観性」や科学位置付けとは無関係に、それぞれの求める研究生活上のあり方というのは存在する。名声や富を求めて研究に取り組む人もいるのかもしれない。しかしそれは明らかに悪手だ。羽生名人でも挽回できないぐらいの悪手だと思う。

* * *

 さて、反面、家庭生活はまさに「経済」の必要に駆られるところのものであり、十分な収入、定住可能な住居、そして可能な限り多くの家事労働自動化が進んだとはいえなお労働集約的だ)が投入されて、初めて成り立つものである

 収入がないなどもっての外であり、亡命収監失踪放浪なども、家庭生活とは相容れないものである

 歴史を顧みれば、自死発狂、子捨て、虐殺に至るまで研究に身を置いた人々の末路は様々であるが、なんとかしてそのような事態は避けたいと誰しもが願うところであろう。

 できれば平穏無事に、昭和時代理想とされたライフスタイル、すなわち夫婦円満子供と共にマイホームに住み、安定した立場で働き定年後は年金生活という人生を歩みたいところである(これは皮肉である)。

 しか今日の若き研究者は、子供はおろか結婚もままならず、マイホームマイカーも持たず、年金制度破綻を前に怯えながら年老いるのである

 もしあなた結婚したとすれば、それはパートナーの全く寛大な心によるものか、パートナー無知蒙昧で完全に誤った選択をしたかのいずれかであろう。

 さら子供がいるとすれば、当然あなた研究生活放棄するか、あるいはなんらかの安定した不労所得に拠って研究生活と家庭生活の両立を試みねばなるまい。(あるいは、あなたが非常に体制時代に順応的な研究をなしていたとすれば、すでに十分な収入に恵まれいるかもしれない。これこそウェーバーの言った「僥倖である。そういう人には心から祝福を送ろう。願わくば同じような僥倖が数多の迷える研究者たちにあらんことを。)

 多くの研究者たちにとって、結婚出産研究生活首にかけられた縄である

 女性研究者の研究生活性別役割分業的発想や家庭生活に対する支援パートナーから十分に得られないなどの理由によりすぐに縛り首になってしまうが、男性研究者の研究生活も同様に性別役割分業的発想や金銭支援パートナーから十分に得られないことですぐにギロチンにかけられてしまう。

 いずれにしろ他者にとって金にならず有用性のわからない行為としての研究は、家庭生活に直面すると挫折する公算が大きいのである

 だからといって、家庭生活を全く否定してしまうことも困難である穂積陳重来日本の身分法学者は、日本国民の位置付けを次の三つの身分のいずれかあるいは複数に属するもの定義した。すなわち、夫婦、親子、親族である

 しかし、親が死に、結婚もせず、親族との紐帯も弱いとなれば、その人は社会的にも法律的にも、全く孤立した存在となってしまう。

 その人は十分な社会保障の対象にならないことはもちろん、社会生活上の様々な面で制約や不利益を受けることとなる。

 実際上の問題として、社会的要請として家庭生活に入ることを我々は求められており、多くの人はその生活が全く不幸であり耐え難く絶望的なものだと感じていたとしてもなお、家庭生活に甘んじているのである

 当然、研究をしていなければ家庭生活が楽になるとは全く言うことができない。しかし、少なくとも研究生活が家庭生活と激しく対立することであることは自明であることのように思われる。

 あるいは「家庭」という理想像の崩壊高齢者二人世帯や単身世帯シングルマザーの増加、生涯独身者の増加などによって、家庭生活という名付け自体空虚ものになっているという批判があるかもしれない。

 しかし反面で、なお結婚出産経験する人は半数を占めており、「家庭」に代わるほど普遍化された結婚出産を前提とした私的領域生活モデルはいまだに存在しないわけだから、やはり家庭生活という呼称を用い、特に若い研究者たちにとってはそれを重視せざるを得ない現状もあるのだ。

* * *

 収入、定住、家事労働を求める家庭生活は、無収入、度々の転職と転居をもたらし、にもかかわらず時間の余裕を求める研究生活とは、完全かつ深刻に対立する。

 では、この間の解決はどのようにしてもたらされるのか。非研究であるパートナーの忍耐によってであろうか。あるいは研究生活の適度な抑制によってであろうか。

 前者はこれまでの男性研究者がしばしば採用した方法であり、女性人権がない時代であればよかったが、21世紀にもなってこの方法採用しようと思っている人がいるなら、その人は妻を見つけることができないであろう。

 後者方法は、実際には採用し得ないものであり、つまりそれは相撲レスラー炭水化物摂取を控えるとか、プログラマーが1日3時間しかモニターを見ないようにするとかいう話であって、研究生活を「適度に抑制する」などということは単に研究生活否定しかない。

 研究者はその人をして全的に研究に没頭せしめなければ、素晴らしい「霊感」を得られないものである。そうでなければ、特に人文学研究においては、それは単なるジャーナリズムに陥るであろう。

 そして、これもウェーバーと同じく声を大にして言いたいところであるが、そのような素晴らしい「霊感」、今日言葉であれば「イノベーション」などというものは、研究のみならず仕事や様々な形の労働の中でも、それに没頭し専心していなければつかむことの能わざるものであり、行政府が旗をふって労働時間の長短や職業訓練の有無をいくら弁じ扇動しようとも、生まれてこないものなのである

 家事労働ワークライフバランス長時間労働問題は、まさにこの没頭の可能性にあるのであり、特に家事労働時間を細切れにしてしまうために人をして何かに没頭させることを妨げること大であるワークライフバランスも、結局その目的とすることが明らかでないか低賃金かつやることのない中途半端余暇をもたらすだけである長時間労働改善しても、人々が自ら欲するところのものに取り組めるような労働時間の設定でなければ、それが長かろうが短かろうが、人々の不満は変わらない。いくら労働時間が短いとしても過労死は起こりうるし、長く労働していても過労死しない場合があるのは、この理由によるのである

 とにかく、家庭生活の求めるもの根本的に否定しなければ、研究生活は成り立たないのである

* * *

 では、解決方法は何か。家庭生活問題点は、それが夫婦という二者で成立するように想定されていることである。それゆえ、収入と定住を男性が支え、家事労働女性が支えるという構図が出来上がった。

 しかしこの想定は噴飯ものであり、シングルマザーは全て一人でやらざるを得ず、あるいは逆に親族から支援収入不安が軽減されたり、実家を譲り受ければ定住も可能というように、家庭生活の諸条件の実現は夫婦という関係性の外部で決まっていることが多い。

 もし家庭生活に関与してから研究生活継続するためには、家庭生活を成立するためのリソースを外部から調達することが最も望ましい。(逆にいえば、外部からリソース調達できなければ、ついにここで研究生活のお墓を立てるしかない。自分研究というアイデンティティよ、さようなら、と。)

 ただ、ここには二つの問題がある。一つは、リソース調達である大川周明のように徳川家から調達したり、大杉栄のように政治家からぶんどってくることができれば最高だし、あるいは明治時代のように女中を置いたりできれば最高だが、なかなかそういうわけにはいかない。もう一つは、その調達個人能力に帰せられることで、研究能力とは別にそれに取り組む環境規定されてしまうということである

 この二つの問題解決するためには、若い研究者同士で研究生活を支えるための生活ネットワークを構築するしかない。あるところには金がある人もいるだろう、あるところには手が余っている人もいるに違いない。

 どうせ研究生活に勤しんでいる人以外に若い研究者に対して同情を寄せてくれる人はいないのである

 アカデメイアリュケイオンがどうだったかはわからないが、古今東西大学に併設されている寮や大学街(カレッジ)では生活上でも学術上でも研究者のコミュニティ形成されていたはずだ。修道院のようなものである

 いま、若い研究者は官僚主義的な大学制度によって互いに分断され、地方に散住し、有能なもの国外へ出て行ってしまっている。もう最後タイミングである

 いま我々若い研究者が団結して助け合わなければ、この国の研究はすぐになくなる。もし研究のなくなり方が緩やかであれば、日本語で達成された学術的成果を、多少なりとも国際的に、人類のために遺す時間猶予が生まれるかもしれない。あるいは、国外から救いの手が差し伸べられるやもしれぬ。「タコツボ」を脱しなければならない。近くで助け合って生活し、なんなら雑誌なども出して(いまであればブログでいいのかもしれないが)、特に文系では消え掛かっている研究の灯火を、なんとか引き継いでいかねばならぬ。ならぬと思う。

いや、それとももう、研究生活を諦めるべきなのか。

2018-05-10

AV女優不要時代の到来、その2

https://anond.hatelabo.jp/20180507204218

GW明けにやけっぱちで書いた記事ブクマが知らぬ間に地味に伸びてたので第二弾。

前回の記事で、

deepfakes旋風が今後10年以内に間違いなく日本にも訪れるだろう。

と書いた。

前回記事を書いた時点では海外事情ざっと見しただけで記事を書いていたのだが、

つい数ヶ月ほど前から日本でもdeepfakesに着手している先見の明のある者たちがいたようだ。

(青い鳥SNS上で検索すれば容易に見つけ出せるが、なんかクローズド雰囲気なので詳述は伏せる。)

試しに数本の動画を見てみたが、まあそれはそれは噴飯ものの酷い出来であった。

(ただし●岡里帆というチョイスはぐうの音も出ないほど素晴らしいと思います応援してます。)

欧米諸国韓国のものと比べると雲泥の差ではあったが、この時点で着手していることに意味があるのだ。

なにしろ日本は天下のjav・hentai・bukkakeのお膝元であるエロに対する執着は世界随一だ。

やがて彼らの腕前も切磋琢磨され、ブラッシュアップされていくことだろう。

前回記事にも書いた通り、pythonによる機械学習動画処理に明るくてなおかつどスケベな

技術者の諸兄は今からでも全然遅くないので飛び込んで見ることを薦める。多分金脈だぞ。

また前回記事ブコメでもあった通り、deepfakes+音声合成3DCGVRラブドール...など

他の技術とどんどん組み合わせることができればそれこそ可能性は無限大だろう。

・・・明日亀山敬司は君だ!

尚、もしこの記事を機に一山当てることができたら1%でもいいか俺様還元するように。以上。

2018-03-21

anond:20180321131557

一馬力小遣い制なんて噴飯ものが長くまかり通ってた社会から

苦しめ過ぎずに手綱握り続けてくれるなら主導権明け渡しでもいいやって男は案外多いんじゃないか

2018-03-11

anond:20180311135451

まぁ、そうだよね。最近男性向けコンテンツも充実、低コスト化してて、一部の男性マッチョロールモデルから離脱してる。その方が良い。

あとは別の人にやってもらいたい訳だが。

でも、子供を4~5人つくっていただきたいけど、女性は何歳から産み始めるべきなんだろうか?

えっと2~3年ごとに産むとして、12~15年位かかるかな。

30歳から産み始めると、もう妊娠適齢期逃してるから無理。

20歳くらいで結婚すると、35歳で最期の子供が生まれるか育児、だね。

20歳結婚なんて、今時フェミニズムからしたら噴飯ものじゃないかなー。まぁどっちにしても一部の女性希望を叶えようとすると少子化は確定してるんだよね。

2018-02-17

"いただきます"をやたらハキハキ言う奴がむかつく

外でご飯を食べるときにこれみよがしに「いただきます」って言う奴。

やたらハキハキと。うるせーよ。小学生か。

感謝気持ちこもってんのかお前。「いただきます」ちゃんと言える自分カッコいい、とでも思ってんじゃないのか。

見え見えなんだよ、魂胆が。

いただきます」だけ言って「ごちそうさま」を言ってないじゃん。はい噴飯ものです。

ご飯だけに。

2017-08-02

七人の侍邦画の今後の展望:追記2

邦画の話が出てたので便乗。

恥ずかしながらつい先日初めて七人の侍を見た。

噂通りの大傑作、「当時にしては凄いな」とかじゃなくて純粋にとても楽しめた。

「名作と言えど60年前の作品だしな」という冷めた視点で見はじめたが、

開始10分で困窮する村人の一人として映画世界に引き込まれていた。

この作品今日邦画に欠けている諸々が詰まってたような気がする。

・このメンツ以外は考えられないレベル適材適所の配役。

・これでもかと汚しまくった人・物・映像。(みんな乞食みたい)

重厚な演技とライトな演技の緩急で観客を飽きさせない。

・秀逸なセット+優れたカメラワーク+泥臭くリアル殺陣三位一体

冗長・緩慢な描写排除。(こいつは俺だ!という一言で観客に全て悟らせる)

なんというか、全てにおいて格が違った。背伸びとかでなく、本気でそう思った。

こんな邦画はもう生まれないのだろうか。シンゴジで活路が開かれたかと思ったのだけど。。。






*追記

おお、思いの外伸びてる。。。

あの時代の演技だけは模倣すべきではないと思う

あの頃のような漫画チックな演技

あいう明朗快活な演技の方が好きだな。

ぼそぼそと喋ってたのに急にデカい物音立てて

大声で慟哭するような邦画くさいジメジメ演技が苦手でね。

土屋嘉男とか自分流に皆と違う演技してるし。

yashinegi 邦画人材アニメに流れちゃったからしゃーない。「切腹」とか「拝領妻始末記」とか観ると、俳優監督よりもまず、殺陣作法指導できる人がいなくなったんだなあと実感できるよ。

切腹見たよ!あれも違うベクトルで凄まじかった!

仲代達也の殺気と現代音楽のような劇伴の緊張感の相乗効果は失禁モノ。

リメイクは見てないけどやっぱよくなさそうだな。

「拝領妻始末記」も気になってたところだった。見てみる。

mugi-yama 端役、エキストラ存在感が段違い。大部屋ってすごかったんだなあとつくづく思うわ

本当にこれ。天涯孤独になった婆さんとかいちいち説得力が凄い。

myaoko 昔に比べて、最近作品は平易である事を求められている気がする。言葉遣いストーリーも。現代作品で「お前は俺だ!」の一言で全てを悟らせるシーンを、何の横槍もなく撮らせてもらえるかどうか…

あのシーン、鳥肌立って泣きそうになった。

今の邦画だったらお涙頂戴の安っぽい回想シーンが入るんだろうな・・・

シンゴ発言叩いてるのが何人か居るけど、個人的には

久々に邦画でほぼ純粋冒険特撮活劇を見れて大満足だったけどな。

アニメ臭さ・人物の掘り下げ皆無・噴飯ものカヨコちゃん・ムラのあるCGとか差し引いてもお釣り来るよ。

パシリムやゴジラ2014とか本来なら日本がやらなきゃいけなかったんだからさ。作るの遅すぎるくらい。

まあ、まだ生傷の震災原発フレーバーに取り込んで凝ったものを仕上げたんだから良しとしなきゃ。

今日日の邦画界であれだけのエンターテイメント性の高さは特筆すべきでしょうよ。実際売れたし。



*追記2

ブコメ、正直にまだ見たことないって言ってくれる奴がいてくれて嬉しい。

是非、これを機に見てみてくれ。ぶっ飛ぶぞ。音声不明瞭なので字幕付きオススメ

あと「今更七人の侍w基礎教養だろw」みたいな意見が出てるけど、

入門者にいきなりジャブを食らわせて萎縮させるようなこの態度はホント改めた方がいい。

これこそがガチマウンティングだと思うし、古典的もの敬遠されてしまう要因だろうに。

Hello world」で喜んでるプログラミング初心者を「うはwそんなん誰でも出来るしw」と中上級者が嗤うことの醜さに気付け。

「ほー、面白かったか!黒澤だとこんな面白いのもあるぞ!見てみろ!」って方向になんでならないかなあ。

こういう権威主義的な奴は門番気取りでそのジャンル未来は暗いものにしてしまっている。

俺は映画詳しいなんて一言も言ってないし、「恥ずかしながら」って書いたのもそのせいだ。感想も頓珍漢かもしれない。

現在邦画を貶し気味に書いたのは悪かったけど、「今の邦画マンネ」的な意見リアルでもSNSでも増田でも散見されたから便乗した。

実際に俺の目にした近年の邦画では「七人の侍」ほどの満足感を得られることは出来なかった、という実体験に基づいてるし、

周りの老若男女にこの話したけど殆ど名前認知だけで見たことなかったし、純粋にみんなに見て欲しいから書いた。

俺はアニメが苦手なんだけど「●●(ジブリ作品)見たことないとかwお前本当に日本人か?w」と

子供のころから言われ続けて「ジブリなんて一生見てやるもんか」と未だに見てないしね。

こういう歪んだ感情を生まないためにも知識マウンティングはやめるべき。

2017-07-18

今日今日とて

暑い

いやもう、夜までこれしか言うことがないくらい、暑い

先日、件の「友人」の妻と朝食会をした。

ちなみに私は、朝昼晩のどれよりも朝豪華であることが、一番コストパフォーマンスがいいと思っている。

子ども達を送り出した後の女たちがカフェお茶を飲んでいたとしても、

それは、最もコスパ良く地域振興をはかる手段であるのだから

くれぐれも有閑マダムなどという偏見の目で見るのはやめて頂きたく、

しろ、安上がりな地域活性化法を実践しているという風に思って頂きたいのである

さて、件の「友人」の最近の様子であるが、

以前として朝は起きないのだそうだ。

そして、ようやく起きてきたと思ったら、

頼んでもいない家事をいそいそとして、

あげく、「間に合わない間に合わない」とイライラと出て行くのだとのことである

「この朝だけで、「リ」ではじまる三文字が妻の頭をよぎっていることなんて、

想像も及ばないんだろうね」、と言うと、友人の妻は紅茶を啜りながら遠くを見つめた。

(本気だ)

と私は、それを見て震えたけれど、

私が震えたところで、どうなるものでもない。

「今頃、満員電車の中で朝から家事をした自分に酔いしれているんだろうけど、本当笑っちゃうよね。

物事には優先順位があるっていうことが、全然わかってないんだから。」

そうなのである

永遠に終わりのない家事を、決められた時間の中で「満足」に進めるには、

「その時間に最もやらなければならないこと」に注力する他にないのだ。

お客を迎える時であれば、そうじが、

次の日でかける予定があれば、洗濯が、

優先順位の一番最初に来て、それが終わらなければ、何をやっても「満足」には至らないのだ。

そして平日の朝の第1位は、言うまでもなく「子ども達の支度」なのだ

朝食を食べなくても、歯を磨かなくても、忘れ物をしても、学校生活に支障が出る。

学校は、子ども達の最初社会であって、きちんと送り出すのが親の務めだ、

からこそ妻は、自分の髪を振り乱して子ども達のお尻を叩いているのだ。

そんな時に、頼まれもしないのに、風呂を磨いている場合ではないのだ、「友人」よ。

それより、一度でもいいか完璧状態コーヒーでも啜りながら子ども達を起こして、

明るく朗らかに一日をはじめてはどうなのだ

「それにね、起きられない理由が、ほんと、噴飯ものなんだよね。」

と「妻」は続けた。

「「今日は無理だった、怖い夢も見たし」、だって!」

私は、飯ではなくコーヒーを吹き出した。

大の大人が怖い夢を見たので起きられない、という理由がまかり通るならば、

水面下の大人努力で成り立つ学校生活というものは、即座に崩壊するのだよ。

あんた、人を育てる気あるのか。

そんなわけで、「友人」家の受難は続くようだが、

これが一見、「妻」の受難のようでいて、

行き着く先は、間違いなく「夫」側の受難であることを知る二人の女は、

かい合って静かに、各々のコーヒー紅茶を啜ったのだった。

2017-07-10

『ゆらぎ荘の幽奈さん』批判関連

漫画に悪影響がない?その根拠は?そもそも悪影響を定義しないまま論じようというのが噴飯ものです。人に影響がないならば漫画は何ですか、インクの染みですか?

数十年に渡ってマンガに出てくるPTAのオバサンを想定して反論してんだものフィクション現実区別がついていない反表現規制派が多すぎ。

そうなんだよな。「フェミ」が権力でもってエロ表現規制したことなんて一度もない。表現規制反対派は目の前の現実が見えてない

フェミニストエロを憎んでいるように彼らに見えるのは、彼らの認識するエロ女性独立した人物としてみなさなものであるからです」真理であり、そしてそのことを認めないことが彼らの防衛ラインだろうと思う

表現規制」に立ち向かうなら最低限、これまでの運動史の適切な把握、法学社会学的な見地から論点整理を行う必要があるのに、脳内の「ふぇみにすと」「りべらる」を叩くだけで溜飲を下げてるバカが多すぎます

こうしたバラバラ意見に反応して、時として場違い反論が出たとする。

きっと喜び勇んでさらしあげて、「ほらミロ、規制反対派は馬鹿ばっかりだ」とやるんだろ?

「悪影響」を語るなら、肯定される正義暴力問題にしないとおかしい。

フィクション現実区別がついてるからフィクションで騒ぐなという話しだし。

欧米問題になってる「ゲームポリコレ問題」とかしらねぇのか?って感じだし。

家庭的で母性にあふれた女性を描くだけでも、性役割がうんたらとか騒ぎだ立てる連中が何を言ってんだ?って感じだし。

ゆらぎ荘を批判するほうこそ、いったん肌色への脊椎反射をやめて、自分がなにを正したいのか、それはほかの悪辣な影響力を持つ表現と何が違うのか整理しろって話しだし・・・

あほくせぇ・・・

2017-04-26

オタク表現規制

 オタク自由放任主義右翼親和性が高く、いろいろと口うるさい左翼とは親和性が悪い。

 左翼は、その攻撃性でオタクを敵に回した自らの愚かさを悔いるべきと言う言説を最近良く見かける。

 その言説について思うところを描いていく。

 左翼による攻撃があった事は事実である

 ヘイトスピーチ所謂言葉狩り」については、間違いなく左翼と呼ばれる人たちが中心になっている。これらについては、人権の基本である他人人権侵害しない」という原則問題でもあるが、チャタレイ裁判に関する憲法学界隈から反論(1)や、大日本帝国時代児童文学新聞規制言論統制のものに変化していった前例が示すように、原則否定するべき物ではない。

 また、宇宙の戦士に対して、ファシズム的と言う評価(2)や、さらば宇宙戦艦ヤマトラストシーンに対しては、それぞれ「軍国主義的」について言及があったことは確からしい(3)。

 漫画関係表現規制で真っ先にやり玉に挙げられる「悪書追放運動」では「軍国主義への回帰」と言う表現が使われてきた(4)。

 これらの理由からオタク左翼的言説を嫌うことには一定理由があることがわかる。

 その上で、右翼放任主義という主張は疑わしい。

 チャタレイ婦人事件からずっと、右翼はむしろ表現規制側に回っていた。猥褻物公序良俗使用した最高裁判決に対しては、保守派批判する側の法律学者の方からこそ強力な批判が行われていたことを思えば、左翼表現の自由不寛容と言うのは、この手の表現の自由に関連する議論の実状からかけ離れているように思える。

 悪書追放運動以来漫画規制では政府与党応援してきた。悪書追放運動主体の一つである主婦層の応援をしていたのは、逆コースまっさかりだった当時の政権与党である

 所謂「左」が表に出ていたのは事実だが、思いっきり「右」がそれに乗っかっていることもまた事実なのだ

 84年の衆議院予算委員会で、マンガ規制するための法律の導入を求めたのは自民党の政調副会長だった三塚博氏だし、中曽根総理もそれに大いに賛同していた。

 漫画関係でも、保守派麻生議員とかは、漫画規制積極的な人だし、東京都でのマンガ規制が著しく深刻化したのは石原慎太郎都知事だった期間だ(5)。

 漫画に対して公序良俗に関するとして出版禁止のための法整備を実際に行ったのは自民党だ(6)。

 つーか、なぜかよく言われる「左翼の側が、オタク趣味ポルノ呼ばわりして規制している」と言う言説とは裏腹に、実際にオタク趣味ポルノ扱いして規制しようとしているのは保守政権側のほうが明らかに多い。ってか、実際何度か規制に踏み切っている。

 ついでに、戦前でも児童文学表現に著しい規制が付けられていた。

 表現規制問題を見ていると右も左もオタクとは親和性が悪そう。

 それどころか、この10年の間は、マンガ表現規制保守の側から行われている。

 だと言うのに、どう言うわけか保守層放任主義と誤解している意見が不自然なほど目立つ。

 幾度か、マンガ規制法制化がされるときに反対に回ってきた共産党立場がない。いや、共産党もちょくちょくマンガ規制するよう求めてはいたか濡れ衣ではないのだが(7)、法制化を阻止するために動いた(8)という一点においては、力が及んでいたかはさておき、むしろ表現の自由については無理解というわけではない。

 にもかかわらず、左翼教条的で何でも規制する頭の固い連中で、保守派は様々な価値観を認めてくれる懐の深い存在という、表現規制法制化の歴史を紐解くと真逆しか思えない、訳の分からない言説が結構広まっている。

 ……本当に、どう言うことなの?

 理由を考えてみると、実際の活動兎に角左翼系の攻撃の方がオタクの方に印象に残りやすかったのが問題なのではないだろうか。悪書追放運動発言や、ウルトラセブン12話、ジャングル黒べぇの封印や、さらば宇宙戦艦ヤマト宇宙の戦士への批判小説批評批判自体はまっとうな活動なのだけど)等、人気作品への影響が大きいこと為、実際の活動量以上に目に付く機会が多かった。

 特にウルトラセブンの「第12話は欠番とする」と言う趣旨文言は、兎に角目立つ。簡単に閲覧可能な人気シリーズに、「抗議による封印」の痕跡がポツンと残されているのは、イヤでも目立つ。

 また、政府肝いり団体でも、悪書追放運動の折りは基本的に「左翼」に同調する言動をとっていた。

 恐らく、「左翼」の認識が悪くなったのは、ここら編が原因だろう。

 で、そこから反対の陣営自分たちに寛容と勘違いした。

 その上で、90年代後半から2000年代初頭の「サヨク人権を御旗に自由侵害しようとしている連中」とか言う、自由主義史観発のいい加減な認識が、雑な認識化学反応を起こして、いい加減な認識を加速させたと言うのが実状ではないだろうか。

 00年代前半から10年、警察保守政権の側からによる表現規制が著しく深刻化していた時期に、そちら側からの影響が殆ど省みられていない現状を鑑みるに、自由主義史観発と言うか、小林よしのり発の「人権を美旗に世界の均質を試みている」と言う趣旨認識の影響は少なくない気がする。

 余談だが、戦前表現規制に対する反省と言うことで使われた「言葉表現問題ではなく、実際に差別をなくすことこそが重要だ」と言う考えが、この保守派への契合に対する触媒になっている節があるのは中々興味深い。

 左翼表現規制……所謂言葉狩りにも一片の理がある。

 実質的に、差別助長していたり、差別に根ざしている表現を使い続けることによる、現状の肯定差別の強化自体問題にされてしかるべきだ。

 キチガイと言う言葉が使われなくなったために、統合失調症の人の気持ちが幾分か楽になったと言う証言もある。言葉を狩っただけで問題解決されるわけではないが、差別に使われるメインウェポンを使用禁止にすること事態を無価値と断定することも、非常に問題がある考えのように思える。

 一方で、一片の理が合っても問題があるのは事実。だからこそ、チャタレイ裁判以降、多くの憲法学者表現規制のもの問題にしてきたし、前例がある以上、この手の批判積極的に行われてよい。

 兎に角、「表現規制する要理も、現状の改善の方が重要」と言う言説が「表現問題ではないのだから、どんな差別的表現を使い続けたってかまわない」と言う理屈正当化に使われ、惹いては、差別語を平然と使い続ける側の心強い理論武装になってしまっているのではないか

 いい加減話を終わらせるために、まとめに入る。

 「どんな表現にも寛容な保守と、教条的表現規制を押し進めようとする左翼」と言う、表現規制歴史に多少なりとも興味が有れば噴飯もの理屈ネットの世まかり押し通ってしまうのは

60年代悪書追補運動の折りに、法制化を進める活動家よりも、直接行動を行う「左翼」側の活動の方が目立った

・「セブン12話」や「宇宙の戦士批判など、容易な「左翼の抗議による作品封印」の戦果に容易にアクセス可能

00年代前半、個人サイト全盛期に自由主義史観初の雑な政治認識流行した

・「表現だけではなく、現状を変える事こそ重要」と言う、それ自体はまっとうな言説の悪用

 と言った要素が、悪魔融合を果たした結果ではないだろうか。

(1)浦辺法穂「全訂 憲法学教室」161~163ページ、岡田信弘「憲法エチュード86~91ページ

(2)ロバート・A・ハインライン宇宙の戦士」483~484ページ

(3)牧村康正・山田哲久「「宇宙戦艦ヤマト」をつくった男 西崎義展狂気」第4章栄光は我にあり、広がりゆく波紋、第10段落

(4)長岡義幸「マンガはなぜ規制されるのか」100~102ページ

(5)長岡義幸「マンガはなぜ規制されるのか」177~180、196ページ

(6)長岡義幸「マンガはなぜ規制されるのか」143~144ページ

(7)長岡義幸「マンガはなぜ規制されるのか」139ページ

(8)長岡義幸「マンガはなぜ規制されるのか」129~130、143~144ページ

2017-03-02

LINE世界で負け続ける理由は、ニュースタブのことじゃねえよ、馬鹿

http://blogos.com/article/212112/

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僕はLINEを愛してる。

愛してるがゆえにLINEをどんどん駄目にするLINE経営層が許せない。

はっきり言うが、彼らのやってることはグダグダだ。他社のチャットサービスが成長してる中、LINEが初めてユーザー数が減少したと言うがそれは当然だ。

説明しよう。

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微妙にバズっているこの記事

多分に自己愛思い込みの強い著者が、アプリってのはこうグロースさせるもんなんだからそれをやれてないお前ら間違っている

一方的断じているもので、共感できるところは各タブに名前が入っていないことくらいのぶっちゃけ大して価値のない記事であった。

そもそもニュース領域twitterと違い、LINE株式会社側にLivedoor由来の編集チームがいてリソースが確保されている点、すでにLINENEWSという

基盤が存在している点で突然何の前触れもなくニュースを始めた日本twitterとはわけが違うだろう。

さら噴飯ものタイムラインについての評価で、まず誰も見ていないと断じているが、

リサーチベースではこんなものも出ている(http://gaiax-socialmedialab.jp/post-1891/

大体、広告事業としてのLINE ADS Platformは、このタイムラインベースにしたインフィードアドが中心であり、それで十分にマネタイズできている

ということは、タイムライン一定使われていて、広告インプ一定以上発生していることの証左だろう。

まり、この著者自体が、自分の見ている物事からしか評価判断のできない典型的な「マーケティング知らない人間なのだろう。

何をしてきた方かは存じ上げないが、いわゆるユーザーグロースのみをマーケティングであると思い込んでいるIT野郎

LINEニュースタブは、すでにユーザー一定以上グロースしている国内LINEユーザーに対してより多くの広告インプを発生させるためのレベニューグロース

としての側面が強いわけで、それも含めてマーケティングであるのだから、十分LINE現場も、経営陣もマーケティングを、経営理解していると言っていいだろう。

あ、後ユーザー数が減少と書いているけど、これはニュースタブを追加していない国についての話であって、そもそもの前提からしてもうめちゃくちゃ。調べずに書いてる感満載。


からこそ失望したのが、これなわけで。僕もLINEを愛しているけど、これはマジでないんじゃないか

http://jp.techcrunch.com/2017/03/02/line-clova/

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スペインバルセロナで開催中のモバイルカンファレンスMobile World Congress(MWC) 2017」。そのキーノートにも登壇したLINE3月2日クラウドAIプラットフォーム「Clova(クローバ)」を発表した。

今後はClovaを搭載したアプリ「Clova App」を提供するほか、初の自社デバイスとなるスマートスピーカーWAVEウェーブ)」を今夏にも日本韓国で発売する予定だ。

今冬にはスマートディスプレイ「FACE(フェース)」の提供も控えるという。

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要はAmazon Echoとか、Google Homeとか、スマートスピーカー領域(というか、音声会話をベースにしたインターフェース領域)に打って出るというわけだ。

これは一面ではすごく合理的に見える。つまりチャットサービスとしてユーザー間、ユーザー企業間でのコミュニケーションインフラ提供しているLINEが、textingから音声を介した

コミュニケーションインフラに舵を切るということ。事業の成長の向く先としてわかりやすい。

が。これ。マジで間違いなくうまくいかない。頓挫する。てかこれこそ、挑戦の美名に酔いしれてマーケティングを忘れた経営判断だろ、と思う。

何が問題か。答えは明白だ。 言語である

音声インターフェイスの要は、自然言語処理であり、発話された音声を正確に理解する技術にあるはずだ。

この点、AmazonGoogle基本的に「英語」という話者が圧倒的に多い言語に優先して開発を進めればよかった。現に英語自然言語処理はめちゃくちゃ進んでいる。

しかし、LINEは違う。英語圏ではまったく使われていないサービスなのだ。それどころか、LINEが浸透している主要国は日本台湾タイインドネシアの4カ国である

もうおわかりだろう。どの国も公用語がバラバなのだ

サービスを普及させるためには、地の利を生かすほかない。そういう意味英語圏は端から勝負しようがない。一方中華圏、圧倒的人口を誇るメインランドにはWeChatという

巨人存在し、市場に入ることすらできていない。

であるからして、浸透している主要4カ国で普及させる、という選択肢にせざるを得ないだろう。しかし、この4カ国ぶっちゃけ日本インドネシアしか1億を越える人口の国はない。

その上、GDPベースで考えてもスマートスピーカー短期的に人口膾炙するほど普及させられるマーケット日本と台湾しかない。

さらさらに、R&Dの視点からいって、4カ国それぞれの言語にあわせて自然言語処理一定水準まで高めるには、英語1つに絞って開発するのと比較して単純に4倍のコストと労力がかかる。

典型的な、労多くして実り少ない状況なわけだ。

どう考えても八方塞だ。

コミュニケーションプラットフォームである以上「言語」は避けて通れない問題。これを攻略する方法は正直、僕にはわからない。

からもはやLINEは、チャットサービスとして浸透している国の中で、その土台の上で、ニュースタブとかその他もろもろで、

きちんとレベニューグロースを続けるのであれば、ぜんぜん負け続けることなんてないのになーと僕は思います

事実世界でこんなに儲けているメッセージングアプリはないのだから、その時点で十分世界で勝ってんじゃん、と思うわけで。

経営陣には、熱病に浮かされることなく、着実に一つ一つできることを勝負して行っていただきたい、そう思う限りです。

2016-11-11

http://anond.hatelabo.jp/20161111135643

トランプ当選に際して民○党の政治家が、直視することすら噴飯ものツイートをしていたり、かたや国民国民で国を変えようと団結しようとする気概すらない。

ことで、「変革が正しい方向に向かうとは思えないから変わらなくていい」っていう一定結論に落ち着くと思うが。

まあ元増田は「変われない」ことを良いとも悪いとも言っていないので、単なる憶測のやっかみであることは否めないので、そこは謝る。

2016-03-14

誘致から数年経って状況は更に悪化して、さらパクリ問題までやって

東京オリンピック無能部長妄想企画というイメージがほぼ固まりつつある

おもてなしとか今思えば噴飯もの

2016-02-18

デッサンが狂ってる」という言葉を使う人間はもれなく絵の素人

自分武蔵野美術大学で学んでる者だが、ネット絵描きクラスタで「デッサンが狂ってる」という言葉を聞く度に失笑を禁じえない。

彼らの言うところの意味によると、それは「人物の形のバランスおかしい」ことを指すらしいが、真っ当な美術教育を受けてきた自分からすればあまりにも笑いを誘う言葉使いと言わざるを得ない。そもそも、「形がおかしい」のであれば、素直に「形がおかしい・形が狂っている・比が違う」等と指摘するし、例え横文字を使うのだとしても、そこは「プロポーションおかしい・プロポーションが狂っている」と言う。

美術高校美大予備校現在美大と通じて教育を受けてきたが講師教授は皆こういう言い方をしてきたし、「デッサンが狂ってる」という指導をしている教師をかつて一人も見たことがない。

そもそも「デッサン」が「狂ってる」って何だ?字義通りに解釈するなら、鉛筆木炭を駆使しモチーフ写実的かつ空間的な真実性をもって描出する一連の行為デッサン】が【狂ってる】ということなのだが、それだと指し示す範囲があまりにも広すぎてデッサンの中の「何が」狂ってるのか分からない。仮に何が狂ってるのか指摘するなら、形・明暗・量感・動勢・空間関係など、個々の要素に絞って指摘する。全体を指摘するなら「全体感に気を使え」や「個々の細部ばかりに気を取られるな」と言い、「デッサンの狂いを直せ」など決して言わない。

デッサンが狂ってる」という言葉違和感を覚えず使っているのは、恐らくは独学の素人専門学校卒の半端絵描きのような、ロクに美術教育を受けたことがない連中なのだろう。そんな奴らが顔の見えないネット専門家を気取って大手を振って「デッサンが狂ってる」などという身も蓋もない言葉流行らせ、さもそれが正規美術教育現場でも通用しているかのように吹聴しているのは噴飯ものだ。

まあ彼らがこれからもそういう間違った言葉使いをしていたとして、自分に何か悪影響があるわけでもなく別にどうでもいい。しかしまあ少なくとも自分を含む正規美術界隈の人間からは「可哀想に、物を知らないんだな」と失笑を買い続けることだろう。それでいいんじゃないか。

2015-12-25

http://anond.hatelabo.jp/20151225014456

あなたお勧めの本

『生き延びるための作文教室(14歳世渡り術)』 石原千秋:著 2015年

読書感想文などという何の役にも立たない糞のような課題を課せられる中学生のために、

 "学校が生徒に何を求めているか"を解説し、それを意識した上で、せめてその枠の中で個性的に"見える"作文を書く手法を教えよう、というロックな本。

 たとえば、先生に「もっと客観的自分を見なさい」などと説諭されたことはないだろうか。端的に言って、これは罠である。この時先生が期待している、あるいは強いている答えは簡単だ。「私はまちがっていました」だけだ。



『伝わる・揺さぶる!文章を書く』 山田 ズーニー:著 2001年

・「その文章、何のために書くか?」

 文章を書くときには「その文章が何を目的とするか」ということを見失ってはいけない。と解説する本。

 上の中学生向けに書かれた本よりも実践的。

 会話と同様に、文章にも読み手書き手のすれ違いがある。就職活動自己推薦状の例で考えてみよう。

 学生Dは、会社訪問を申し込み、「形式自由から自己推薦状を書いて持ってきてください」と言われた。

 Dは考えた。「学生生活を振り返って、自分が唯一やってきたのは音楽だ。自分には、音楽しかとりえがない」。そこで、「音楽への情熱では誰にも負けません」という趣旨自己アピールを書いた。

 このままの文章では、採用担当者は首をひねるだろう。その会社は、音楽にまったく興味がない。音楽への情熱が、入社後、何の役に立つのだろうと。

 学生Dと採用担当者問題意識をチェックしてみよう。

採用担当 志望者は、仕事へのどんな適正があるか?

学生D  私は、いかに音楽を愛しているか

 まったくかみ合っていない。採用担当は、仕事への適正を見たいのだ。その問題関心から外れたところで、どんなに自分アピールしても意味がない。どうすればいいのだろうか。



日本語の作文技術本多 勝一 著 1976年

文章を書く上で必要技術を徹底的に解説する本。

 文章書くなら読んでおいて損はない鉄板本だが、内容濃すぎて読み込むのに時間がかかる。

 文章綴り方がいくら上手くなったとしても、それに見合うほどに就職試験評価が上がるわけではないので、

 既に、ある程度の文章が書ける状態ならば優先順位は低い。

 これまでの日本語教育の根幹を流れる方針は、理解力記憶力ばかり重視し、独創性想像力創造力を最も必要とする作文を軽視または無視するというやりかたです。

  ~

 だから今の小学校では、「綴り方」の時間さえも少なくて、そのかわり「読書感想文」などというものがあるんですね。

 あれは作文というよりも理解力テストみたいなもので、あれで作文をやったつもりでいたら噴飯ものというべきでしょう。おかげで読書も嫌いになる。



文章関係の本を読んでいると、「読書感想文は何の役にも立たない。あんもの子供に書かせるな!」と筆者が憤る内容の記述がよくあるので、学生時代読書感想文が書けなかったからといって気にする必要はないと思いますよ。

2015-11-26

anond:20151126141544

それはお互い様

税金ほしいのはあんただけ。

まさか自分給与じゃなくて国家天下をおもんばかってるなどと噴飯もの理論繰り出すまいね

2015-03-13

小学校プログラミングを教える無意味

不可思議である

知識の陳腐化が速い情報技術の分野で、プログラミングを教える意味が分からない。

プログラミング好きなやつは勝手に覚えるじゃないか。

SEPGはポンと分厚い専門書渡されて3ヶ月くらいで覚えさせられるじゃないか。

それでいいんじゃないの?

チューリングマシンノイマンコンピュータアナログデジタル概念といった、理論的なことを学ぶなら有意義だと思う。

だけどウン万もするタブレット買って"Hello World"的なコード書いてオシマイとか噴飯もの

血税無駄遣いやめてくれ。

2015-02-26

http://anond.hatelabo.jp/20150226171322

共産党幹部が対談したりして、アホ過ぎるだろう。人選べよと思ったが。

1冊でも読んで人選したのか?本じゃなくてもブログでもいいよ。噴飯ものだろう。

2015-02-15

ピケティアベノミクス否定なんかしてない」とか言ってる小心者

ピケティ左派の星であることは明白だ。

フランス社会党のブレーンだというし、『21世紀資本』の主張自体リベラルのものとしても極端な部類だ。

それなのに保守新自由主義に与しているくせにピケティの威光にあやかろうとしている連中がいる。

例えば竹中平蔵とかね。言わずと知れた小泉政権下での新自由主義の実行者。

この男が週刊ダイヤモンド(2015/2/14)のピケティ特集で『21世紀資本』の支持率70%だという。

ピケティのいう格差を、自らが作り出した正規・非正規の格差に読み替え、だから正規社員もなくしてしまえ、と。

こう書いてしまうと噴飯ものだが、竹中は口がうまいから、これまでやってきたことや政治的立場を考えないと一瞬まっとうなこと言ってるのかと思わされてしまう。

正規・非正規の格差問題なのは確かで、リベラル寄りの飯田泰之も上位6割と下位4割の戦い、みたいな言い方をしているしね。

でも竹中はただただ企業に利せようとしているだけ、実際はピケティとは正反対のところに立っているわけだ。

ピケティ安倍的なるもの(なんて言い方をしたら喜んで噴き上がるのがいそうだが)に対して批判なのは政治的立場から明らかだ。

でも一応アベノミクスについてはどうか、と考えてみる。

アベノミクスで実行されたものの中で大きなもの金融緩和消費増税だろう。

消費増税収入が少ない層の負担が大きいため、ピケティは反対の立場だ。

消費増税を決めたのは民主党政権だが、自民党も賛成していたし、反対の声が大きい中で実行を決めたのは安倍政権から責任は当然大きい。

ただ、格差への影響以前にせっかく表面上よくなっていた景気が予想を超えて後退してしまったため、10%への引き上げは先送りにした。

金融緩和についてはどうだろうか。

ピケティインフレ自体については肯定的な言い方をよくしている。

ピケティアベノミクス否定していない」とする人たちの論拠はここにある。

でもインフレ金融緩和ではないでしょう。

「富の集中? もっと重要な問題がある!」:日経ビジネスオンライン

 我々経済学者日本経験アベノミクス注視していますが、「お金の創出」を増やすことだけでインフレの「再創出」に果たして十分なのか、確信が持て ません。消費者物価におけるインフレを生み出そうというなら、一番有効なのは恐らく賃金を上げることでしょうね。まずは公的セクターから賃上げをすること です。

週刊東洋経済(2015/1/31)51ページより

日本はどちらかといえば金融政策に頼りがちです。アベノミクス資産バブルを誘発しています

ピ そのやり方は間違いだ。われわれは税務政策に比べ、金融政策に対してあまりに高い期待を持っている。日本にとっては、欧州米国と同じように、金融政策は魅力的だろう。何十億円もの紙幣印刷するのは簡単だからだ。一方で税制を変えるとなると、計算表を作る作業が膨大で富裕層の反対も受けるし、事態はより複雑になる。だが税務政策が最も透明性が高いといえる。紙幣印刷しても、何らかの利子率を下げたりすると、特定セクターバブル化したり、必ずしも富ませるべきでない人を富ませることになったりする危険がある。

まあインタビュー記事を切り出しても説得力に欠けるかな。

21世紀資本』ではどう言ってるんだろう。

ピケティ21世紀資本訳者解説 v.1.1 http://cruel.org/books/capital21c/APPikettylecture.pdf の21ページで

ピケティの一押しは「グローバル累進資本税」

とした次の22ページで

•実は、過去(20世紀半ば)に効いて今後も使える手法は、もっと挙がっている。

経済成長

技術の普及と技能向上(つまり教育

インフレ

–累進所得税

相続税

資産接収/国有化

社会保障などの移転

•困ったことに本書は「グローバル累進資本税と比べるとこれは欠点がある」と言って、他の手法有効性を認めた次の文でかなり徹底的にdisってしまう。だからそれが否定されているように見えてしまう。

・多くの論者は流し読みしかしていないので、肯定部分と否定部分の好きなほうだけつまみ食いしている!

インフレ」とかなってるけど徹底的にdisられたのって金融緩和のことでしょ。

否定されているように見えてしまう」っていやdisってるんでしょ笑

やらないほうがいいとまでは言ってないって意味だと思うけど、累進資本税の代替としてのそれは否定してるんじゃん。

からピケティ金融緩和策については懐疑的、少なくとも不十分と何度も言ってるわけ。

まり金融緩和策その他の方法に頼って累進資本税なんて到底やる気がない各国政府スタンス政策に対しては当然批判的ってこと。

アベノミクス好意的なわけはないよね。

「好きなほうだけつまみ食いしいてる」って笑

山形翻訳者のくせに自分の都合の悪い部分を黙殺してるんじゃねーか。

好意的に見れば山形クルーグマン信者から金融緩和政策過大評価しているがゆえにピケティの置く重点をとりそこねている。

でもまあ普通に考えればポジショントークの歪曲でしょ。本業大手シンクタンク研究員らしいし。

ピケティが重視する具体的な財政策による再分配に消極的ってことは安倍が明言した。

東京新聞:首相、ピケティ氏意識 格差是正へ「再分配」より「機会の平等」:政治(TOKYO Web)

首相ピケティ氏の考えに対し、一月の衆院予算委員会でも「分配だけを考えればじり貧になる」と反論している。施政方針演説では、ピケティ氏の名前や主張には言及しなかったが、その考えにはくみしない立場を明確にしたといえる。

再分配の比率を上げた結果、景気そのものが後退してしまえば結局分配される量が減ってしまう。

この理屈はなんだかんだでいまだに説得力がある。

安倍を支持するわけなんかないけど、この言い方だけとってみれば「ピケティアベノミクス否定してない」とか言うよりはよっぽどまともなんじゃん。

個人的にはピケティグローバル向けの汎用的な処方箋が仮に実現したとしても、日本にどこまで効くのかなと思ってる。

物質的に行き渡った社会に対して新しい価値が生み出せないっていう日本の弱点は90年代にすでに顕在化してしまっていた。

少子化年金地方その他の問題についてすでに手遅れになってしまってもなんの手も打とうとしない、この先送り体質も日本特有のものなんじゃないかな。

でも、自分のようなど素人経済について考える土壌をピケティは作ってくれたんだ。

2015-01-22

俺を含めてニートってのは働きたくないんじゃない。

履歴書書いたり面接受けたりの働けるようになるまでの過程がめんどくさくて怖くて進めないんだ。


薄給だし昇給もないけどお前が死ぬまで死なない程度にお前ができる程度の作業でこき使ってはやるから

明日からどこそこに何時に来い、詳細はそこで指示する、とか言われたら俺は喜んで行く。

やりがいとかどうでもいい、てめえ一人食わせられて法に引っかからないことならなんでもいいよ。


でも実際は同じような立場にたどり着くためだけにすら噴飯もの志望動機とやらを求められる。

求人に応募した理由なんて条件が折り合ったから以外になんかあるとでも思ってるのかクソ馬鹿が。

2015-01-21

「累」を読んだのだけど

2014年面白かったマンガだとかベストなんちゃらだとかでよく見かける松浦だるま先生の「累」を読んでみたが、面白いことは面白い……けどそこまで2014年代表する名作として語られるような作品か、というと疑問が残った。設定は大変興味深いんだけど実際の本編が設定負けしてるっつーか。

これは既に書いてるブロガーさんもいらしたんだけど、主人公の累がとんでもない醜女という設定の割に可愛らしすぎる作画なんですよ。長すぎる前髪で顔を半分隠してるさまが、わたモテのもこっちみたい。(もこっちは可愛いよな。)なので、自分を見る人が皆あまりの醜さに眉をひそめ、ほとんど誰からも優しくされないような人生を生きてきた累が、それゆえに他人の美しさをかすめとるという凶行につい及んでしまう、そのことの凄みがいまいち伝わりにくい。

何かの作品欠点について語るのに他の作品を引き合いに出すのは下の下だというのは承知の上であえて言えば、山岸涼子の「舞姫 テレプシコーラ」にはそれこそ本物の醜女が出てくる。主人公クラス転校生として登場する須藤空美だ。小学校5年生にして全く女性らしさのないガリガリに痩せた長身、地味なだけで端正でもない目鼻立ち、ざんばら髪に荒れた肌。そんな須藤空美の容姿は、キングダム序盤の河了貂よりももっと、男にしか見えない。だが女だ。

その上須藤空美は大人しく、というより暗く、必要な会話も十分に交わせないし学校休みがちなので女子からは浮いてしま男子からはいじめられるようになる。「舞姫 テレプシコーラ」はバレエ漫画であるのだが、貧乏で育ちの悪い須藤空美は、主人公実家でやっているバレエ教室に興味を持つが体験レッスンの日にも平気で遅刻してきた挙句(ただし遅れた理由はある)挨拶もできないし、使う人が居ないからと貸与されたバレエシューズをそのまま自分のものにしようともする(ただし思い直して返しに来る程度の善良さは持っている)。須藤空美の抱えている事情特殊だ。貧乏すぎるので母から児童ポルノ撮影モデルをさせられている(ただし母が空美を食い物にしているかというとそうとも言えず、男との絡みを伴う撮影は母も断固拒否しようとする)。父親はアル中で働かず、どうせ生活保護を貰うのだからパートに出る母親を常に馬鹿にする。父親の姉である伯母はかつて偉大なプリマだったので空美は幼い頃から一流のバレエを習うことができたが、今は伯母が心身を病んでいるので世話をするためにたびたび学校を休まざるを得ない。父親の家系はかつて名のある地主だったようで、伯母のバレエでの妹弟子であったとおぼしき母親にも貧しさとうらはらな気位の高さが稀に見え隠れする。

おそらく貧しさとか醜さとかいったものはそういうものなんじゃないかと思う。本人にはさして大きな悪意はないのだが、抱えているもの特殊で大きすぎるがゆえに周囲の人と普通コミュニケーションが取れず、ごく自然に浮いて、いじめられる。その点「累」は何かと悪意が明白すぎる。累自身の悪意も周囲の累に対する悪意も明白なのにそれを支えるはずの醜さの描写象徴的でしかなくて、しかもどちらかというともこっちみたいで可愛いときている。だからいかにも作り物めいていて、あたかB級ホラーかレディコミか、といった風情なのである。決してつまらない訳ではなくて、醜さの扱いが軽いのだと思う。でも野菊が出てきてからは割と面白くなったと思うけど。と言ってもこれもどこか大映ドラマっぽい面白さなんだけど。

少し話が逸れるが、累が丹沢ニナの顔をしている時に演出家懇意になるエピソードがある。演出家はニナの顔をした累の中に、累がその人生で感じてきた執念や情熱の片鱗を見てそこに魅かれるが、逢瀬に現れた本物のニナを別人のように感じ拒絶する。ここはなかなか胸のすく演出で、見た目が醜い女の方が最初ハードルを越えて話してみたら美人より話していて面白かったというのはよくあることじゃないかと思う。同時に、デレマスアニメに出てくる前川みく劣等感を抱えているという件を思い出す。正直噴飯ものである。語尾に「にゃん」とかつけられる程度の劣等感。みくにとってはアイデンティティを賭けた決死の選択かもしれないが、醜女にはもちろんそんな選択肢は初めからないのだ。中途半端可愛い子ならではの心理を細やかに描いてくれたらデレマスの評価は一変するのだが、今のところはただの薄っぺらアニメだなーと思っている。しぶりんは最高。

2015-01-19

http://anond.hatelabo.jp/20150119152416

教員同士が「先生」と呼び合ってるもの一般人から見たら噴飯もの

生徒の前なら仕方ないけどね。

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