もともとは二次元オタ。からの、就職してオタ抜け(かけの非オタでもないやつ)からの、2.5次元俳優にハマった。
沼にハマりたての頃も今も、接触イベントは毎度頭が真っ白になる。俳優本人を目の前にして「名前呼んでください♡」とか「あした仕事だから応援して♡」とか言える人が羨ましい。強すぎる。人生を楽しむ能力が高い。ステータスが低いので参加するたび「顔がよかった…顔が…よかった…」と訳が分からなっている。(あとショックからか蕁麻疹が出る)
一体この趣味はなんなのか…そもそも、生身の人間を推すって結局のところ何なのだろう?
①一体何を買っている?
二次元オタが推しキャラ単体に金を払おうとすると、やはり公式グッズ購入が効率的だろう。売上が良ければ新作の可能性も高まる。必然的に部屋にはフィギュアや抱き枕カバーが溢れていく。
同じように、推し(俳優)も個人名義で写真集やCDを発売する。異なる点は発売イベントがあり、本人が登壇するところ。当たり前だが、二次元キャラは画面から出てこない。
これまでは物だけを買っていたのに、物+付加価値(握手)になった。むしろ付加価値がメイン商材の場合もある。
初参加の握手会で、動揺MAXの私は「かっこよくて好きです!!」と伝えた。推しは「ありがとう」と笑顔を返してくれた。
これはヤバイなーと思った。
ファンとは本来、有象無象の集合体だ。応援される側から、個人個人を識別されることはない。しかし接触イベントではこの前提が覆される。集合体ではなく個となり、手の届かないはずの相手と言葉を交わす。
それがほんの一瞬だが、無理矢理成立する。たとえ次の瞬間に忘れさられるとしても、凄い事だと思う。
役者という職業は今や、舞台上の演技だけでなく派生する様々なパフォーマンスを売っている。接触(と一瞬だけできる関係性)もその一つだ。それは物ではなく、いわば非日常的体験であり、目を開けて見る夢のようなもの。
私は夢を買っている。
握手会で「ありがとう」と言われた日、何故か思い出した記憶がある。学生時代、身の程知らずにも先輩に告白した時のこと。相手は困っていた。
その点、俳優・アイドルは「好き」から発生する金銭でビジネスしているわけで…ルールを守るファンの好意を拒みはしない。いくらでも「好き」でいられるのは気楽だ。たのしい。
「好き」な分だけお金を払えば良い一方、気持ちと出せる金額とが釣り合わなくなると辛い。高いレベルでバランスが取れた状態を長期間持続できたファンの中から「認知」される「トップオタ」が生まれるのだと思う。
一方、金を沢山落とす人の中には「ガチ恋」勢もいる。
「推す」ことと「ガチ恋」の違い。長い間答えを出せずにいた。自分の中には、二つの「好き」に明確な線引きがなかったからだ。だが最近、感情そのものではなく、感情の向け方が違うのでは?と考えるに至った。
俳優の◯◯君が好き。
俳優(個人)とファン(集合体のうちの最小単位)の関係性。ファンになれば自動的に成立。
好きになった◯◯君が俳優だった。
の関係性(になりたい)
集合体の中から「認知」され、個人同士プライベートな関わりを持つことで成立。
つまり
「好き」なのは
俳優の◯◯君 ?
どちらなのか。
「認知」されていなくとも、1人の男性として好きならば「ガチ恋」
私は夢を売る俳優の◯◯君が好きなので、「推し」ている一介のファンで居続けたい。でも恋が占める比率だって、ゼロではない。
「推し」がいるって幸せだ。好きになることを許され、迷惑をかけることもなく、定期的に生で眺められる。最高。
公演を観た後、イベントの後は世界が明るくみえる。生きづらい世の中だけれど、「推し」と同じ時間を生きている。次の現場を楽しみに乗り切ろうと思える。ポジティブな「好き」は私を支える。美しいもの、心踊る何かが存在するという事実が力をくれる。
これ以上はビジネス外、自分が持て余した「好き」を振り乱し「こんなに好きなのに!もっと見返りをちょうだい!」とゴネるのはあまりに幼い。
空前の「愛され」ブームなのに、逆行してやしないか。だから「付き合えるわけでもないのに、なんでそんなに好きなの?」って言われちゃうんだろうな。
④まとめ
今回「好き」を自分なりに噛み砕くにあたり、二つの作品に影響を受けた。
どちらも特定の誰かが好きすぎる女性が主人公。2人に共通しているのは「自分自身が主人公の人生を歩んでいない」点だ。
りさ子
「私は私のストーリーの悪役だった」
この感覚が痛いほど分かる。生きていくのに精一杯で、自分を認めることも愛することもできない。自己肯定感が地を這いずっている。
だが微力ながら「推す」ことは、その隙間を埋めてくれる。人生の主役を輝く誰かに押し付けて、満たされた気分になっている。これはもはや、癒しでなく依存だ。行き着く先は………。
私は、自らを貶めず、愛そうと努力し続ける。
はてな匿名ダイアリー >
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2018-08-09
■ส้้้้้้้้้้้้้้้้้้้้้้้้้้้้้้้
ส้้้้้้้้้้้้้้้้้้้้้้้้้้้้้้้้้้้้้้้้้้้้้้้้้้้้้้้้้้้้้้้้้้้้ ͣͣͣͣͣͣͣͣͣͣͣͣͣͣͣͣͣͣͣͣͣͣͣͣͣͣͣͣͣͣͣͣͣͣͣͣͣͣͣͣͣͣͣͣͣͣͣͣͣͣͣͣͣͣͣͣͣͣͣͣͣͣͣͣͣͣͣͣͣͣͣͣͣͣͣͣͣͣͣͣͣͣͣͣͣͣͣͣͣͣͣͣͣͣͣͣͣͣͣͣͣͣͣͣͣͣͣͣͣͣͣͣͣͣͣͣͣͣͣͣͣͣͣͣͣͣͣͣͣͣͣͣͣͣͣͣͣͣͣͣͣͣͣͣͣͣͣͣͣͣͣͣͣͣͣͣͣͣͣͣͣͣͣͣͣͣͣͣͣͣͣͣͣͣͣͣͣͣͣͣͣͣͣͣͣͣͣͣͣͣ
なんだか欲張りだよなあ?欲張り過ぎだよな?
ただでおっぱい揉めることだってそうはないっていうのに、圧倒的パイ圧だと?
お前みたいな欲深いやつは、圧倒的パイ圧とやらに運良く巡り合ったとしても、
とか言ってケチつけるんだろうな。
ほとんどの男が平均的なおっぱいでも揉ませてくれるならありがたがるおっぱいを、
おまえは難癖つけるんだろうな。
俺は床オナ派だから
😺なおるといいニャ。🐶なおれー。🐰支援。
どんなにくるしくても おいしいものたべて うんこしたらなおるよ! ハ_ハ ('(゚∀゚∩ なおるよ! ヽ 〈 ヽヽ_) https://twitter.com/twitaa_bot/status/334614096513216512
https://ascii.jp/elem/000/000/331/331641/
日弁連は1996年9月にウェブサイトを開設している。その中に掲げられているサイト使用条件で、同会はリンクの許可条件として「下記事項を承認し遵守していただくことを条件とします」とし、(1)リンク元サイトのURL、管理者の住所、氏名、電話番号、メールアドレスを日弁連に事前に報告すること(2)リンク元サイトに対する第三者からの損害賠償、苦情その他いかなる請求についても、日本弁護士連合会は責任を負わない(3)公序良俗に反するもの、法律などに違反か違反するおそれがある内容を含むもの、その他日弁連が不適切と判断したものについてはリンクを断る――などを条件として掲げていた。
https://ascii.jp/elem/000/000/331/331957/
この問題は、日弁連のウェブサイトがリンクの許可条件として、リンク元サイトの管理者の実名と電話番号を同会に事前報告することや、「日弁連が不適切と判断したもの」へのリンクを断るなど、きわめて厳しい内容を掲げていたものだ。これに対してネット掲示板などを中心に「リンクの制限は表現の自由の侵害ではないか」といった批判が集中。日弁連は6月13日、ウェブサイト上の使用条件の文章を「当HPへのリンクは、原則として自由です」と改め、実名や電話番号などの要求を撤回していた。
「リンクの自由」は、古くて新しい問題だ。他のサイトからリンクを張ることはいわゆる「参照」の範囲内で、著作権侵害には当たらないと考える専門家は多い。リンクをたどる場合はユーザーが直接リンク先へのアクセスをたどっているのであり、コピーされたコンテンツを見ているわけではないからだ。またリンク先のウェブサイトはもともと公開されているもので、「リンクを張られることを快く思わないのであれば、そもそもWWW上にコンテンツを公開すべきではない」と指摘する専門家もいる。
昔、このような話題があったらしい。
インターネットで全世界に公開した情報は原則自由利用だと思うが。
(2)のリンク元サイトに対する第三者からの損害賠償等に対して責任は負えないという部分はまっとうである。
マルチ商法まがいのとある業者がウェブサイト上で、自社の合法性を証明するため、同会のウェブ上の文書を引用する形でリンクを張っていた。これにどう対応するか。インターネットに詳しい弁護士にも相談するなどした結果、リンク許可条件を掲示した方がよいのでは、という結論になったという。各地の弁護士会のウェブサイトを参考にし、その中でももっとも厳しい内容となっていた第一東京弁護士会のものを流用。
きっかけはこれだったそうだ。
マルチ商法まがいの事をするような悪徳業者が、法的な根拠のないリンク条件を守るのだろうか。
それに相手が悪徳業者であっても法律を正しく語る権利はあるはずである。もちろん法律を歪曲解釈してはいけない。そこはリンク問題とは別ではないか。
仮に、法律が悪くそれを悪徳業者に引用して欲しくないならそれは法律が悪いのであって、法律を改正すべきではないだろうか。もちろんそのような政治活動は日弁連の業務とは見なし難いとは思うが。
僕たちの失敗
そういう人もいるかも……。
🐰たまにはのーんびりしてくださいね。