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2021-05-11

将軍武士、侍とは

将軍武士、侍とは、民主主義になる前の江戸時代における政治家のようなもの

将軍徳川家の今で言う首相であり、侍は徳川家官僚である

武士は侍になれる家柄のこと

江戸時代民主主義がなかったので徳川将軍大奥で子孫を増やして将軍を継がせて、侍も選挙で選ぶことができないので武士の家柄の人が侍になるという仕組みだった

2021-01-26

パンティーヶ原の戦いでパンティー軍が勝ったパンティラインに住んでる

結論から言うと、東軍が勝ったパンティラインに住んでる人かわいそう。

以下、ざっくり現代までのパンティー史を書いていく。

 

パンティー川家康関ケ原パンティーを被り討ち死に。パンティー川秀忠は切腹。両者のフンドシは一条戻橋に晒される。徳川家結城秀康が引き継ぐも程なくパンティー川家に改名され実質滅亡。

その後パン東ィーには何人か大名が移り住んだが誰も定着せず荒れ野のまま。

パン東ィーなんて今もほとんど人が住んでいないド田舎の話は誰も興味がないと思うので話を元に戻す。

パンティーケ原の戦い後、小早川秀秋白パンティーを履くも5年で病死。その後は豊臣秀頼白パンティーを履く。日本上杉、宇喜多毛利島津などが各地域を100年ほど分割支配し、相互監督をはたらかせていたが、パンティーぬがしっこが起こらず、外国との下着交易も進みパンティー業が発展していったので時代遅れ武士は次第に消えていった。その代わりに交易利益を上げた大名が豊臣を中心にパンティー体化していく。というわけでこちらの歴史の授業ではいちいち武将名前なんて覚えない。そちらではやたらと武士がもてはやされているらしいが、こちらでは武士鎌倉幕府まではともかく、室町幕府以降はフンドシしか履いていなかった印象で、野蛮で恥ずかしい存在しかない。交易パンティーが発展しているので、日本のせまーいフンドシでチンポなんてものを覆わせて税金徴収するなんてバカなことはパンティーケ原の戦いの50年後にはなくなった。18世紀に入ると各地域下着難民や縫製労働者が蜂起して自パンティー権が漸次的に認められるようになっていく。そちらとは違って武士の強権的な支配がないのでゆるやかにパンティー化していく素地があった。パンティー教も新旧両派が認められ、汎帝教と二大勢力になっている。その後、ヴァンディー教やパンツィル教を信じる人も増えていく。フンドシがいなくなっていくにつれてブリーフトランクスは消えていった。後述のように、近隣のアジア諸国でもトランクスは消えていった。今でも下着の残骸のようなものは残っているが装着する人は誰もいない。

 

19世紀になると大名支配していた地域で縫製労働者下着難民代表者からなるパンティー会と豊臣を首班とするパンティー人からなる下着会が設置されていく。いわゆる列強とも条約を締結したが、そちらの江戸幕府かいものが結んだような不平等条約ではない。もちろん条約下着会が承認する。19世紀の半ばにはアメリカヨーロッパ思想パンティー語に翻訳され、誰でも読めるようになっているが、モンテスキューロック思想パンティーと大して関係がないということで学校議論する程度。そちらの学校では武士の強権的な支配によって作られたせいで自由議論することは認められてないらしいけど、こちらは子どもたちが自由パンティーを履いて走り回るのがメイン。この教育きっかけにパンティー族の力は次第に失われていく。19世紀半ば以降は欧米列強に対抗するため、近隣諸国連合巨大パンティーを形成する構想が何度も浮かぶアジア大陸では日本と同様、汎帝教とパンティー教がメイン。フンドシ教は非合理的なので衰退。ここでは一致できるのだが、しかし、ヨーロッパ発の裸体主義思想の影響もありうまくいかない。結局最初は2~3か国の同盟からパンティ連合が始まる。19世紀終盤にはアジア圏と欧米列強との間で大きなパンティ戦争が起きる。フンドシのような抑圧的で野蛮な下着が早い時期になくなり、無駄戦争はしなくなっていったこともあり、1年ちょっとで早々に講和条約を締結。20世紀を迎える。

 

20世紀に入ると漸次的に汎アジア国家条約連合(PANTY)が形成されていく。PANTYはそれぞれの装着者で温度差はあるものの人体の曲線的な魅力を布地が補強するコンセプトからなる。パンティ列島地域は力を失ったパンティー族が政治的な実権を失い、国民代表からなる下着会と各地域代表者からなる元パンティー院、PANTY議会派遣される議員存在している。ヨーロッパで発生したヌーディズムと戦う第二次世界大戦こちらの世界でも勃発する。しかし、パンティ地域に没個性で野蛮なフンドシが存在しないこちらの世界では他国侵略を行うようなことはない。PANTY含む連合国がイタリアヌーディストノーパンドイツを倒して戦争は2年半で終結。その後、PANTYとブルマ圏、欧米諸国との間でイタリアドイツを再建。アジア大陸では中国全裸党とPANTYの戦いが続くが、1964年に休戦。中華全裸共和国はそちらの世界よりも規模がかなり小さく(朝鮮半島の付け根北部地域のみ)、影響力もあまりない。PANTYは中東諸国に対するブルマ圏やアメリカ侵略から防衛にあたり、友好関係現在に至るまで結び、勢力圏を拡大。意地でもヌーディズムを譲らないソ連と意地でもブリーフを手放さなアメリカ1980年代になると衰退していく。インド中東諸国が加入したことでPANTYは汎アジアインド中東国家条約連合(PANTIES)へと改組される。PANTIESとブルマ連合アメリカソ連の再建の中心となる。

21世紀に入ると世界はPANTIES、ブルマ連合全裸連合ノーパン連合、紐パン連合連邦国家構成されていく。返す返すも、そっちの世界のように東パンティーの野蛮な武士支配権を握らなくてよかったと思ってる。

関ケ原の戦い西軍が勝った世界線に住んでる

結論から言うと、東軍が勝った世界線に住んでる人かわいそう。

以下、ざっくり現代までの歴史を書いていく。

徳川家康関ケ原で討ち死に。徳川秀忠切腹。両者の首は一条戻橋に晒される。徳川家結城秀康が引き継ぐも実質滅亡。

その後関東には何人か大名が移り住んだが誰も定着せず荒れ野のまま。

関東なんて今もほとんど人が住んでいないド田舎の話は誰も興味がないと思うので話を元に戻す。

関ケ原の戦い後、小早川秀秋関白になるも5年で病死。その後は豊臣秀頼関白になる。日本上杉、宇喜多毛利島津などが各地域を100年ほど分割支配し、相互監督をはたらかせていたが、戦争が起こらず、外国との交易も進み商業が発展していったので時代遅れ武士は次第に消えていった。その代わりに交易利益を上げた大名が豊臣を中心に貴族化していく。というわけでこちらの歴史の授業ではいちいち武将名前なんて覚えない。そちらではやたらと武士がもてはやされているらしいが、こちらでは武士鎌倉幕府まではともかく、室町幕府以降はの混乱を引き起こし元凶で、野蛮で恥ずかしい存在しかない。交易経済が発展しているので、日本のせまーい土地で米なんてものを作らせて税金徴収するなんてバカなことは関ケ原の戦いの50年後にはなくなった。18世紀に入ると各地域農民労働者が蜂起して自治権漸次的に認められるようになっていく。そちらとは違って武士の強権的な支配がないのでゆるやかにリベラル化していく素地があった。キリスト教も新旧両派が認められ、仏教二大勢力になっている。その後、ユダヤ教イスラム教を信じる人も増えていく。武士がいなくなっていくにつれて神道儒教は消えていった。後述のように、近隣のアジア諸国でも儒教は消えていった。今でも神社の残骸のようなものは残っているが参拝する人は誰もいない。

19世紀になると大名支配していた地域労働者農民代表者からなる議会と豊臣を首班とする貴族からなる議会が設置されていく。いわゆる列強とも条約を締結したが、そちらの江戸幕府かいものが結んだような不平等条約ではない。もちろん条約議会承認する。19世紀の半ばにはアメリカヨーロッパ思想日本語に翻訳され、誰でも読めるようになっているが、モンテスキューロック思想自分たちのやっていることと大して変わらないということで学校議論する程度。そちらの学校では武士の強権的な支配によって作られたせいで自由議論することは認められてないらしいけど、こちらは子どもたちが自由議論して学ぶのがメイン。この教育きっかけに貴族の力は次第に失われていく。19世紀半ば以降は欧米列強に対抗するため、近隣諸国連合国家形成する構想が何度も浮かぶアジア大陸では日本と同様、仏教キリスト教がメイン。儒教は非合理的なので衰退。ここでは一致できるのだが、しかし、ヨーロッパ発の社会主義思想の影響もありうまくいかない。結局最初は2~3か国の同盟から連合が始まる。19世紀終盤にはアジア圏と欧米列強との間で大きな戦争が起きる。武士のような強権的で野蛮な人間が早い時期にいなくなり、無駄戦争はしなくなっていったこともあり、1年ちょっとで早々に講和条約を締結。20世紀を迎える。


20世紀に入ると漸次的にアジア太平洋連合国家APS)が形成されていく。APSはそれぞれの構成国で温度差はあるもの民主的憲法国民が制定した国家からなる。日本列島地域は力を失った貴族政治的な実権を失い、国民代表からなる議会と各地域代表者からなる元老院APS議会派遣される議員存在している。ヨーロッパで発生したファシズムと戦う第二次世界大戦こちらの世界でも勃発する。しかし、日本地域に強権的で野蛮な武士存在しないこちらの世界では他国侵略を行うようなことはない。APS含む連合国がイタリアファシストナチスドイツを倒して戦争は2年半で終結。その後、APS共産圏欧米諸国との間でイタリアドイツを再建。アジア大陸では中国共産党APSの戦いが続くが、1964年に休戦。中華人民共和国はそちらの世界よりも規模がかなり小さく(朝鮮半島の付け根北部地域のみ)、影響力もあまりない。APS中東諸国に対する共産圏アメリカ侵略から防衛にあたり、友好関係現在に至るまで結び、勢力圏を拡大。意地でも共産主義を譲らないソ連と意地でも資本主義を手放さなアメリカ1980年代になると衰退していく。インド中東諸国が加入したことAPSアジア太平洋連邦共和国(FRAP)へと改組される。FRAPと欧州連合アメリカソ連の再建の中心となる。


21世紀に入ると世界はFRAP、欧州連合北米連合南米連合アフリカ連合連邦国家構成されていく。返す返すも、そっちの世界のように東日本の野蛮な武士支配権を握らなくてよかったと思ってる。

2021-01-04

ファンタジー王家名字=国名になったのっていつから

俺が初めて見たのはテイルズオブジアビスだったんだけど。

幻想水滸伝まで遡るとハイランド王家名字ブライト全然違う。

そもそも王家名字=国名になったのってなにが由来だ?

実際のヨーロッパどころか、日本ですら王家=国名だったりしない。

天皇家名字日本だし、規模を小さくして藩だってほとんど藩名≠藩主名前だろ。

徳川家が治めてた藩だって水戸とか紀州とかだし、外様だって伊達米沢藩島津薩摩藩前田加賀藩全然違うだろ。

ヨーロッパだとイングランドプランタジネット家とか、フランスだとメロヴィングとかカロリング家とか?オーストリアハプスブルグ家、プロイセンホーエンツォレルン家だっけ?

今調べたらカスティーリャ王国スペイン)がヒメノ家、スウェーデングスタフ・アドルフがヴァーサ家だった。

でもブルゴーニュ公国がブルゴーニュ家っぽい?

もっと古い時代だと、イングランドウェセックス王国アルフレッド大王ウェセックス家っぽい。

一方ボヘミア王国オタカル一世はプシェミスル家だった。

案外王家名字=国名の国もあるのか。

ポーランドはどうだろうと思ったらウィキペディアに乗ってる一番古いのがピャスト家だった。

更に遡って王政のころのローマ王家は…と思ったら王政なのに王家世襲じゃないらしい。なんじゃそりゃ。

なんとなく、王家名字=国名なのはゲルマン風習のような気がするぞ。族長名前一族名前→国の名前族長の子孫もそれを名字にする)って感じじゃないのか。

(ただの思いつきです)

でもザクセン人は由来がサックス(斧)だったはずだし、フランク人はフリーが由来(諸説あり)だったから、名字=国名とならないことも多かったんじゃないか

(すべてただの想像です)

誰か詳しい人おせーて。

2020-12-11

anond:20201211105712

教っていうか事実だよね。

だってそうじゃなきゃ女性自分の力で平等を勝ち取れているはずでしょ。

それこそ徳川家が豊臣家を滅ぼしたように。

だが現実には男性承認してもらわなければできない。

フェミニズムが常に「依頼」の形を取らなければならないのはそのためでしょ。

そしてその依頼の後ろ盾は強い男性男性の力が働くシステム

2020-10-25

妖刀村正は知ってる人がいつもいるけど、妖刀村雨は知ってる人が減った

妖刀村正

実在する。

重心が普通の刀と違ってちょっとおかしくて床に置いているとき勝手に上を向く刀。

重心の位置が変わってるので、結果的に切れ味も良く殺傷能力やばい

ヘタクソが使っても殺傷能力やばい刀という意味合いが強いらしい。

真田幸村が愛用してたので徳川家が嫌がってて妖刀の名が付いた。

 

妖刀村雨

実在しない架空の刀。

実在しないくせに日本海軍駆逐艦名前に選ばれてる。

南総里見八犬伝で登場する。

刀身から露が滴りおちる奇妙な刀。

用途としては水が滴り落ちてるので血糊が付きにくく、拭いてケアしなくてもそのまま継続して長持ちして使いやすいという特徴になるらしい。

極めると凍氷系の技を繰り出せる。(まぁフィクションなので)

2020-07-25

部落民 Lives Matter

場所とある被差別部落、昔から治安が悪いことで有名だった。そこでチンピラ偽札を使ったという通報があり、警察が駆けつけた。警察官は4人で容疑者の男を押さえつけた。

警察官が抑えているとその男だんだんと息が細くなってきた。「息ができないよぉ...」男の悲痛な叫び、あたり一面に散らばる男の尿。どう見ても異様な光景を周囲の人々は警察官に叫びながらスマホで録画していた。

男はついに死んでしまった。

この一連の光景SNSで瞬く間に拡散された。またこの男が旧被差別部落出身であることも併記されていた。人々は警察官を非難し、容疑者の男は同情を集めた。

警察容疑者に対する横暴な対応、また死に至らしめたという衝撃から、全国で一斉に被差別部落民の命を大事にせよというデモが巻き怒った。

警察組織の解体を迫る声が大きくなり、一部の地域では警察を追い出し自警団による治安維持が始まった。

はいしか警察暴力から構造差別啓蒙廃止に移っていった。

かつて部落地名総鑑を利用したとされる企業には暴徒が押し寄せ、店舗は焼き払われた。これに危機感を持った企業ロゴを変えたり声明を出すことで自分たち反差別派にいることを強調した。

首相被差別部落出身者を政府の重役に付けたことをアピールした。

化学系の企業差別助長につながるとしてエタノール名称変更を推進することをアピールした。

差別に繋がる身分制度確立したとして、全国で徳川家銅像が取り壊される動きが激化した。お笑い芸人や人気アーティストがしきりにこの動きを称賛していった。

穢多非人支配階級であった武士を称賛するものはことごとく排除する動きが激化していった。

野球界ではサムライジャパンという呼び方差別に繋がるとして、名称の変更の議論が沸き起こった。

時代劇では被差別部落民の役は被差別部落の子孫が演じることがトレンドとなった。

これらの運動に少しでも疑問を呈する者は差別主義者であるとラベル付けされ、攻撃された。SNSでの発言が雇い主に通報され、解雇された者も多数現れた。

2020-06-11

anond:20200610215845

徳川家なんて三河あたりの田舎侍が武力暴力)で政治権力簒奪しただけですやろ。

だいたい、京都天子様がおわしましますのに、何が悲しゅうて東国田舎江戸かいう寒村に政治の中心を持っていかあかんかったんやいう話や。

2020-05-20

翻訳サービス比較

原文

The Tokugawa Shogunate was established by Tokugawa Ieyasu after victory at the Battle of Sekigahara, ending the civil wars of the Sengoku period following the collapse of the Ashikaga Shogunate. Ieyasu became the Shōgun and the Tokugawa clan governed Japan from Edo Castle in the eastern city of Edo (Tokyo) along with the daimyō lords of the samurai class. The Tokugawa Shogunate organized Japanese society under the strict Tokugawa class system and banned most foreigners under the isolationist policies of Sakoku to promote political stability. The Tokugawa and daimyō de facto administered Japan through their system of han (feudal domains) alongside the de jure Imperial provinces. The Tokugawa Shogunate saw rapid economic growth and urbanization in Japan which led to the rise of the merchant class and Ukiyo culture. The Tokugawa Shogunate declined during the Bakumatsu ("Opening of Japan") period from 1853 and was overthrown by supporters of the Imperial Court in the Meiji Restoration in 1868. The Empire of Japan was established under the Meiji government and Tokugawa loyalists continued to fight in the Boshin War until the defeat of the Republic of Ezo at the Battle of Hakodate in June 1869.

Google翻訳

徳川幕府は、関ヶ原の戦いでの勝利後に徳川家康によって設立され、足利幕府崩壊に続く戦国時代内戦を終わらせました。家康将軍になり、徳川藩は江戸の東の都市東京)にある江戸から武士大名領主とともに日本統治しました。徳川幕府は厳格な徳川階級制度の下で日本社会組織し、政治的安定を促進するために、サコクの孤立主義政策の下でほとんどの外国人禁止しました。徳川と大明の事実上日本は、ジュール帝国領土とともに、藩(藩)のシステムを通じて管理されました。徳川幕府は、日本の急速な経済成長都市化を見て、商人階級と浮世文化の台頭をもたらしました。幕末には幕末に幕を下ろし、明治維新により皇室の支持者たちにより打倒されました。明治政府のもと日本帝国樹立され、徳川忠誠は1869年6月函館の戦いでのエゾ共和国の敗北までのぼしん戦争

Excite翻訳

徳川幕府関ヶ原の戦い勝利の後に徳川家康により設立されて、足利幕府崩壊に続いている戦国時代内戦を終えた。家康は、サムライクラスのdaimyō君主とともに江戸東京)の東の都市江戸からShōgun徳川一族管理日本になった。徳川幕府は、厳密な徳川クラスシステムの下の日本社会組織し、政治的な安定性を促進するために、Sakokuの孤立主義方針の下のほとんどの外国人禁止した。徳川とdaimyō事実上は、正当な帝国地方そばのhan(封建制度ドメイン)のそれらのシステムを通して日本管理した。徳川幕府は、マーチャントのクラスとUkiyo文化の上昇に通じていた日本の急速な経済成長都市化を見た。徳川幕府は、Bakumatsu(「日本の冒頭」)期間の間に1853から傾き、1868年明治維新宮中サポーターにより倒された。大日本帝国は、1869年6月に忠臣が函館戦争でエゾウの共和国の失敗までボシン戦争において戦い続けた明治政府徳川の下で設立された。

DeepL翻訳

徳川幕府は、足利幕府崩壊に伴う戦国時代内乱終結させ、関ヶ原の戦い勝利した徳川家康によって成立しました。家康将軍となり、徳川家は江戸城を拠点武家大名とともに日本統治しました。徳川幕府は、厳格な徳川階級制度の下で日本社会組織し、佐国の鎖国政策の下で外国人入国禁止して政治の安定を図りました。徳川大名は、事実上日本行政を、事実上皇国と並んで藩制度で行っていた。徳川幕府は急速な経済成長都市化を遂げ、商人階級や浮世文化の台頭をもたらしました。徳川幕府1853年から幕末開国時代に衰退し、1868年明治維新朝廷の支持者によって倒されました。明治政府の下で大日本帝国樹立され、戊辰戦争では、1869年6月函館の戦いで蝦夷共和国が敗北するまで徳川家臣たちが戦い続けました。

みらい翻訳

関ヶ原の戦い勝利した徳川家康によって徳川幕府が成立し、足利幕府崩壊に伴う戦国時代内乱終結した。家康将軍となり、徳川氏は武家大名とともに江戸 (東京) 東部江戸から日本を治めた。徳川幕府は、政治の安定を図るため、厳格な徳川階級の下で日本社会組織し、鎖国政策の下ではほとんどの外国人禁止しました。徳川事実上大名は、日本を藩制(藩)で実質的支配した。日本徳川幕府による高度経済成長都市化が進み、町人階級や浮世文化が興った。1853年から幕末(「日本開国」)の間に徳川幕府は衰退し、1868年明治維新で勤皇志士たちによって倒され、明治政府のもとに大日本帝国が成立し、1869年6月箱館戦争蝦夷共和国が敗れるまで戊辰戦争を戦った。

2020-04-02

anond:20200402193935

多分そういうリベラル水戸黄門降臨に期待してんだ

代官様は自分らをいじめるけど権力の頂点は庶民の味方になってくれるというイメージ

悪代官は嫌いだけどじつは葵の御紋の威光を否定する気はない

でも徳川家自分の意に沿わなくなったら尊皇攘夷に切りかえる

かように弱者にとって権力とは都合良く利用するものなのだ

からといって権力側が可哀相とは思わんぞ

連中だっていい思いしてるんだし

2020-01-08

世界アメリカが戦ったらどっちが勝つの

アメリカの横暴を止められない世界だけど、もし世界が一致団結したらアメリカに勝てるんだろうか?

アメリカ世界より強かったら世界アメリカのものだ。

豊臣政権下の徳川家みたいだ。

さすがに徳川VSそれ以外のすべてなら徳川は勝てないが。

2019-10-25

anond:20191025215320

俺の友達吉田君マジでレスバする時に血の涙を流すんだけど、一度どうしてそんな涙を流せるのが聞いたことがある。

詳しく聞くと吉田君キケロ末裔で、鉄砲伝来とともに日本先祖が入ってきたらしい。

兎に角いろんな弁舌を使い生計を立てて、徳川家の弁舌役として、様々な大名の間を取り持ってきたらしいんだ。

でも徳川家、もとい自分の家の生命が全て弁舌にかけられている分、教育も熾烈を極めていたらしい。

まず2歳で言葉を話し始めた時から、今まで吉田家がやってきた弁舌を全て頭に叩き込められる。

そして毎日16時間学習をする。そして6歳になるとある山奥の納屋に閉じ込められて、自問自答を繰り返し続けるんだ。

飲まず食わずでそれを7日間続けると、目の前にぼうっと、黒い顔をして血の涙を流す顔が浮かぶらしい。そして、そいつと弁舌バトルを繰り広げる事になる。

吉田君の兄は、その弁舌バトルに負け、今は精神病院でずっとうわごとを呟き続けているらしい。

でも吉田君は負けずに、ついに勝利したらしい。そして外に出てふと自分の頬を触ると、手に血がついている。実は問答していたのは鏡で、まさに自分自身と戦っていたわけだ。

その日から吉田君レスバをするとき、血の涙が浮かぶようになったらしい。でもそれは、吉田君努力の証で、実際吉田君レスバで負けたのは見たことはない。

僕はそんな吉田君尊敬している。

2019-10-24

天皇家徳川家みたいにしたらいいんじゃないの?

もう何度も言われてるけど、甚だしい人権侵害システムだし、天皇制というものを辞めるべきだと思う。国家必要から人権侵害やむなし、ってそれ許されないでしょ。誰を跡次にするかすら法律で決められて、自分たち自由にできないってっておかしいやん。

例えば天皇家徳川家みたいに一般市民となって、日本名家として残ったらいいと思う。自由職業選択して、必要なら徳川おっさんみたいに選挙にも出て、当主だって女性がいいなら女性当主自分たちで決めて。結婚相手だって自分たちが良いと思うか、悪いと思うかで決めてさ。世間からジャッジされず。絶対そうした方がいいじゃん

2019-06-21

anond:20190621164358

名古屋ってわりとおかあさん的おだやか味です。

朝ごはん食べる喫茶店なんかはわりと穏やかなあじけがおおいですよ、

赤味噌は苦甘しょっぱ酸っぱいけどこれは汗書いた時にものすごくおいしいのと

あんかけスパゲッティちょっとスパイシーに感じるくらいで。

 

特筆すべきスイーツというと岐阜栗きんとん文化圏が近いか

栗100%栗きんとんのおひねり型のが秋になるといろんなデパ地下で売ってます。 

赤福栗きんとんならべてたべる贅沢ってそういえばやったことないな、形が似てるのに)

 

尾張紀州徳川家の影響が強く残ってるせいか

子供会とかでお茶たてて飲む茶道文化がけっこう残ってます

お寺も京都をさしおいて愛知が全国で一番多いらしい。

そのせいかちゃんとした高級和菓子店がわりといろんなところにあります

県外でやけに有名な「ういろう」なんかもその1つでしかない印象があります

2019-06-06

本能寺の変の謎が明らかになるには

明智光秀山崎の戦いで敗れ、逃げる途中で落ち武者狩りに殺されたため、明智光秀織田信長を殺した理由永遠の謎となった。

どうすれば本能寺の変が謎にならずに済んだのか。

明智光秀山崎の戦いで勝ち、豊臣秀吉のように天下人となる

晩年側近などに本能寺の変について漏らしたらOK。ただし勝者が作る歴史だ。

明智光秀山崎の戦いで敗れ羽柴秀吉に捕えられる

問答無用処刑される。

明智光秀山崎の戦いで敗れるが生き延びて潜伏し、天下一統を成し遂げた豊臣秀吉の前に現れる

御伽衆に加えられて本能寺の変について話す機会があるかもしれないが、逆賊として処刑されるかもしれない。

明智光秀山崎の戦いで敗れるが生き延びて徳川家の天下になるまで潜伏し、徳川家に召し抱えられる

明智光秀豊臣秀吉よりも年上のようなので長生きする必要がある。

明智光秀山崎の戦いで敗れるが生き延びて、織田や羽柴とそれほど誼を通じていない大名家に拾われる

本能寺の変について誰かに話しているかもしれない。

明智光秀山崎の戦いで敗れるが生き延びて、出家して天海となる

天海本能寺の変について何も言っていないので謎は明らかにならない。

2019-05-28

anond:20190528114106

頑張ってその地位に行った人以上に、何もしてないけどその地位に行った人が多すぎ

田舎地主の息子とか。そういうのが家の金を投資に回して更に金持ちになる

土地に関しては正直昔に上手くやったかどうかで、完全に運

極端な話、徳川財団とかあるけど、徳川家って守る意味あるの?

2019-05-02

anond:20190502090206

江戸時代も実権は徳川家が握って天皇はお飾りだったしそれ以前も…

2019-03-22

anond:20190322191435

なんで急に徳川家の話をしだしたのか、FGOかとおもったらよその国の話してんの?

スパイだねwwwはよ亡命してくれwww

2019-03-21

anond:20190321091125

現代近未来舞台SFを書いても、それは和風にはならないのではないか

和風……明治よりも前に時間を戻す。そこから西欧化しない歴史時間軸を設定し、SFといえるような科学技術の発達を加える。

明治から西欧化なしに、科学技術が発達する未来を描くのが難しいぞ。

セイバーマリオネット SFである移民船の生き残りの一人が「日本人」そのクローンによって構成される都市国家江戸時代である

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%BB%E3%82%A4%E3%83%90%E3%83%BC%E3%83%9E%E3%83%AA%E3%82%AA%E3%83%8D%E3%83%83%E3%83%88

22世紀末、人口増加に苦しむ地球から新たな天地を求めて外宇宙に乗り出した宇宙船団の船の一つ恒星移民船「メソポタミア号」が惑星テラツーに不時着し、生き残ったのは徳川家安、ゲルハルト・フォン・ファウストアレクサンドル・キーシンジョイヒューリック、王庸平、ヴィレイ・メディチの6人で、女性がいないために彼らの細胞からクローン技術で子孫を作り、都市国家建設した。

惑星テラツーの都市国家日本江戸時代モデルにした「ジャポネス」、ナチス・ドイツモデルにした「ゲルマニア」(アニメではガルラント)、ロシアモデルにした「ペテルブルグ」、アメリカモデルにした「ニューテキサス」、中国モデルにした「西安」、イタリアモデルにした「ロマーナ」の6か国が存在する。

2018-12-05

anond:20181205114001

でもさ、こういうところで「御三家出身だけど~」って云われると

どこの徳川家ですか?ってなるじゃん

2018-08-09

無職としての学問

 特に文系において、大学研究を取り巻く環境が厳しいので、少し愚痴を書かせていただきたくお邪魔します。

* * *

 研究生活が実生活、ことに家庭生活に対し極度の不安定性を与えることは、今日に始まったことではない。

 例えばかの有名なマックス・ウェーバーによる1919年の講演の中では、「大学に職を奉ずるもの生活はすべて僥倖支配下にある」と語られており、「精神的に打撃を受けることなくこうした境遇に堪ええたためしは極めて少ない」とまで言われている。

 このような状況は、100年の時と洋の東西とを超えた今日日本においても、同様である。むしろ人口減少と学問に対する軽蔑——それはおそらく、ウェーバーが講演の中で強調した、学問がなんの「救い」も「啓示」ももたらさないということを、多くの人々が正しく認識たからに他ならないが——に直面している極東島国の方が、研究生活を取り巻く環境過酷であるといえるだろう。

 博士号を取ったとしても多くの人々には就職先がなく、あっても有期雇用で、しか低賃金であり、長期的な研究生活の途を描くことは全く不可能である

 日本より恵まれ研究環境を有する国、例えば博士課程から給与が出るアメリカや、高等教育がほぼ無償であるフランスの例を持ち出すことは簡単であるしかし、研究生活はその研究者が根ざしている言語文化、あるいは人的ネットワークにある程度は依存せざるをえない。また、他国研究環境は、一部だけを切り出せば外面的には羨望の的になりえるが、実際は、給与と引き換えに研究テーマ選択制限されたり、あるいは無償で得られる研究環境には限りがあったりするのである

 当然のことながら、研究者における研究成果はそれぞれのおかれた研究生活の諸条件に左右されるのであり、それは資本的な制約を大きく受ける理工学系のみならず、人文系についてもそうなのである

 ハンナ・アーレントのように、生地での生活を根こそぎ奪われ、新天地で大きな研究成果を挙げる例もないわけではない。大学官職への道を閉ざされてから活躍したカール・マルクスそもそも学歴のなかったピエールプルードンなども、偉大な思想家としてのちに崇められる存在であるしかしながら、すべての人が偉大な人、指導者のような人、あるいは預言者になることを目指して研究に励んでいるわけではない。実態はむしろ逆であり、陽が当たらない部屋で日がな一日、誰も読まないような古雑誌の1ページをどう解釈するかについて考え、その謎を解けた時に無常の喜びを感じる、そういう人が研究生活に入るのである。そのような、全くつまらないことこそ重要研究成果なのであり、むしろ大きな社会的反響を呼び起こす御宣託が科学的な研究成果とは全く呼べないようなものであることは、ウェーバーの指摘するところであり、歴史が度々証明してくれたところでもある。いずれにせよ、研究生活とは社会的名声や富と全く関係がないどころか、資本主義社会ではしばしばそれらは相反するものとなるのである

 尤も研究者も所詮人間であるからして、研究のものの「客観性」や科学位置付けとは無関係に、それぞれの求める研究生活上のあり方というのは存在する。名声や富を求めて研究に取り組む人もいるのかもしれない。しかしそれは明らかに悪手だ。羽生名人でも挽回できないぐらいの悪手だと思う。

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 さて、反面、家庭生活はまさに「経済」の必要に駆られるところのものであり、十分な収入、定住可能な住居、そして可能な限り多くの家事労働自動化が進んだとはいえなお労働集約的だ)が投入されて、初めて成り立つものである

 収入がないなどもっての外であり、亡命収監失踪放浪なども、家庭生活とは相容れないものである

 歴史を顧みれば、自死発狂、子捨て、虐殺に至るまで研究に身を置いた人々の末路は様々であるが、なんとかしてそのような事態は避けたいと誰しもが願うところであろう。

 できれば平穏無事に、昭和時代理想とされたライフスタイル、すなわち夫婦円満子供と共にマイホームに住み、安定した立場で働き定年後は年金生活という人生を歩みたいところである(これは皮肉である)。

 しか今日の若き研究者は、子供はおろか結婚もままならず、マイホームマイカーも持たず、年金制度破綻を前に怯えながら年老いるのである

 もしあなた結婚したとすれば、それはパートナーの全く寛大な心によるものか、パートナー無知蒙昧で完全に誤った選択をしたかのいずれかであろう。

 さら子供がいるとすれば、当然あなた研究生活放棄するか、あるいはなんらかの安定した不労所得に拠って研究生活と家庭生活の両立を試みねばなるまい。(あるいは、あなたが非常に体制時代に順応的な研究をなしていたとすれば、すでに十分な収入に恵まれいるかもしれない。これこそウェーバーの言った「僥倖である。そういう人には心から祝福を送ろう。願わくば同じような僥倖が数多の迷える研究者たちにあらんことを。)

 多くの研究者たちにとって、結婚出産研究生活首にかけられた縄である

 女性研究者の研究生活性別役割分業的発想や家庭生活に対する支援パートナーから十分に得られないなどの理由によりすぐに縛り首になってしまうが、男性研究者の研究生活も同様に性別役割分業的発想や金銭支援パートナーから十分に得られないことですぐにギロチンにかけられてしまう。

 いずれにしろ他者にとって金にならず有用性のわからない行為としての研究は、家庭生活に直面すると挫折する公算が大きいのである

 だからといって、家庭生活を全く否定してしまうことも困難である穂積陳重来日本の身分法学者は、日本国民の位置付けを次の三つの身分のいずれかあるいは複数に属するもの定義した。すなわち、夫婦、親子、親族である

 しかし、親が死に、結婚もせず、親族との紐帯も弱いとなれば、その人は社会的にも法律的にも、全く孤立した存在となってしまう。

 その人は十分な社会保障の対象にならないことはもちろん、社会生活上の様々な面で制約や不利益を受けることとなる。

 実際上の問題として、社会的要請として家庭生活に入ることを我々は求められており、多くの人はその生活が全く不幸であり耐え難く絶望的なものだと感じていたとしてもなお、家庭生活に甘んじているのである

 当然、研究をしていなければ家庭生活が楽になるとは全く言うことができない。しかし、少なくとも研究生活が家庭生活と激しく対立することであることは自明であることのように思われる。

 あるいは「家庭」という理想像の崩壊高齢者二人世帯や単身世帯シングルマザーの増加、生涯独身者の増加などによって、家庭生活という名付け自体空虚ものになっているという批判があるかもしれない。

 しかし反面で、なお結婚出産経験する人は半数を占めており、「家庭」に代わるほど普遍化された結婚出産を前提とした私的領域生活モデルはいまだに存在しないわけだから、やはり家庭生活という呼称を用い、特に若い研究者たちにとってはそれを重視せざるを得ない現状もあるのだ。

* * *

 収入、定住、家事労働を求める家庭生活は、無収入、度々の転職と転居をもたらし、にもかかわらず時間の余裕を求める研究生活とは、完全かつ深刻に対立する。

 では、この間の解決はどのようにしてもたらされるのか。非研究であるパートナーの忍耐によってであろうか。あるいは研究生活の適度な抑制によってであろうか。

 前者はこれまでの男性研究者がしばしば採用した方法であり、女性人権がない時代であればよかったが、21世紀にもなってこの方法採用しようと思っている人がいるなら、その人は妻を見つけることができないであろう。

 後者方法は、実際には採用し得ないものであり、つまりそれは相撲レスラー炭水化物摂取を控えるとか、プログラマーが1日3時間しかモニターを見ないようにするとかいう話であって、研究生活を「適度に抑制する」などということは単に研究生活否定しかない。

 研究者はその人をして全的に研究に没頭せしめなければ、素晴らしい「霊感」を得られないものである。そうでなければ、特に人文学研究においては、それは単なるジャーナリズムに陥るであろう。

 そして、これもウェーバーと同じく声を大にして言いたいところであるが、そのような素晴らしい「霊感」、今日言葉であれば「イノベーション」などというものは、研究のみならず仕事や様々な形の労働の中でも、それに没頭し専心していなければつかむことの能わざるものであり、行政府が旗をふって労働時間の長短や職業訓練の有無をいくら弁じ扇動しようとも、生まれてこないものなのである

 家事労働ワークライフバランス長時間労働問題は、まさにこの没頭の可能性にあるのであり、特に家事労働時間を細切れにしてしまうために人をして何かに没頭させることを妨げること大であるワークライフバランスも、結局その目的とすることが明らかでないか低賃金かつやることのない中途半端余暇をもたらすだけである長時間労働改善しても、人々が自ら欲するところのものに取り組めるような労働時間の設定でなければ、それが長かろうが短かろうが、人々の不満は変わらない。いくら労働時間が短いとしても過労死は起こりうるし、長く労働していても過労死しない場合があるのは、この理由によるのである

 とにかく、家庭生活の求めるもの根本的に否定しなければ、研究生活は成り立たないのである

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 では、解決方法は何か。家庭生活問題点は、それが夫婦という二者で成立するように想定されていることである。それゆえ、収入と定住を男性が支え、家事労働女性が支えるという構図が出来上がった。

 しかしこの想定は噴飯ものであり、シングルマザーは全て一人でやらざるを得ず、あるいは逆に親族から支援収入不安が軽減されたり、実家を譲り受ければ定住も可能というように、家庭生活の諸条件の実現は夫婦という関係性の外部で決まっていることが多い。

 もし家庭生活に関与してから研究生活継続するためには、家庭生活を成立するためのリソースを外部から調達することが最も望ましい。(逆にいえば、外部からリソース調達できなければ、ついにここで研究生活のお墓を立てるしかない。自分研究というアイデンティティよ、さようなら、と。)

 ただ、ここには二つの問題がある。一つは、リソース調達である大川周明のように徳川家から調達したり、大杉栄のように政治家からぶんどってくることができれば最高だし、あるいは明治時代のように女中を置いたりできれば最高だが、なかなかそういうわけにはいかない。もう一つは、その調達個人能力に帰せられることで、研究能力とは別にそれに取り組む環境規定されてしまうということである

 この二つの問題解決するためには、若い研究者同士で研究生活を支えるための生活ネットワークを構築するしかない。あるところには金がある人もいるだろう、あるところには手が余っている人もいるに違いない。

 どうせ研究生活に勤しんでいる人以外に若い研究者に対して同情を寄せてくれる人はいないのである

 アカデメイアリュケイオンがどうだったかはわからないが、古今東西大学に併設されている寮や大学街(カレッジ)では生活上でも学術上でも研究者のコミュニティ形成されていたはずだ。修道院のようなものである

 いま、若い研究者は官僚主義的な大学制度によって互いに分断され、地方に散住し、有能なもの国外へ出て行ってしまっている。もう最後タイミングである

 いま我々若い研究者が団結して助け合わなければ、この国の研究はすぐになくなる。もし研究のなくなり方が緩やかであれば、日本語で達成された学術的成果を、多少なりとも国際的に、人類のために遺す時間猶予が生まれるかもしれない。あるいは、国外から救いの手が差し伸べられるやもしれぬ。「タコツボ」を脱しなければならない。近くで助け合って生活し、なんなら雑誌なども出して(いまであればブログでいいのかもしれないが)、特に文系では消え掛かっている研究の灯火を、なんとか引き継いでいかねばならぬ。ならぬと思う。

いや、それとももう、研究生活を諦めるべきなのか。

2018-07-31

anond:20180731021123

嘘乙。中世日本流動性を欠いてなお400年も政権継続したぞ。

全体的におかしいすぎる。

中世日本

これは何年代を指すか。一般的には、土地領主が発生し地域ごとに支配を行っていた時期を中世と指すことが多い、日本では鎌倉室町までを指すのが一般的(諸説あります)。鎌倉室町時期に400年続いた日本全土を支配的に統治した政権はない。

流動性を欠いて

諸説あるが、体制的な市場ではないにせよ、中世鎌倉中期ごろからなど諸説あります)には、すでに抽象的な市場経済は存在していたとする説が今では一般的増田のいう「中世」が、『400年も政権継続』という言葉から推測して江戸時代だと仮説をしても、すでにトラバにある通り幕府公認の米相場先物取引市場)すらあり市場経済が形成されていた。

400年も政権継続

これを上記のとおり江戸時代と推測して、教科書的な年号で、大政奉還(1868)マイナス徳川家康征夷大将軍になった年(1603)しても、265年間しかない。さらに、この江戸時代中、文字通り265年間安定的政権継続した、と言うのは少々雑ではある。前半40年近くは幕藩体制が固まりきっておらず、後半は100年近く攘夷だ討幕だなんだかんだとやっており、政治体としての徳川家はあるものの「継続してよかったね」と思うほどの政権があったかというと微妙だったりする。

2018-07-29

anond:20180729102723

長州徳川家憎悪関ヶ原の合戦以来の伝統だよね。

徳川幕府自体はともかく、徳川幕府の威光を借る東北人なんて醜悪以外の何であるというのか。

そりゃあ根に持つのは当たり前だろう。

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