『生き延びるための作文教室(14歳の世渡り術)』 石原千秋:著 2015年
・読書感想文などという何の役にも立たない糞のような課題を課せられる中学生のために、
"学校が生徒に何を求めているか"を解説し、それを意識した上で、せめてその枠の中で個性的に"見える"作文を書く手法を教えよう、というロックな本。
たとえば、先生に「もっと客観的に自分を見なさい」などと説諭されたことはないだろうか。端的に言って、これは罠である。この時先生が期待している、あるいは強いている答えは簡単だ。「私はまちがっていました」だけだ。
『伝わる・揺さぶる!文章を書く』 山田 ズーニー:著 2001年
・「その文章、何のために書くか?」
文章を書くときには「その文章が何を目的とするか」ということを見失ってはいけない。と解説する本。
会話と同様に、文章にも読み手と書き手のすれ違いがある。就職活動の自己推薦状の例で考えてみよう。
学生Dは、会社訪問を申し込み、「形式は自由だから、自己推薦状を書いて持ってきてください」と言われた。
Dは考えた。「学生生活を振り返って、自分が唯一やってきたのは音楽だ。自分には、音楽しかとりえがない」。そこで、「音楽への情熱では誰にも負けません」という趣旨の自己アピールを書いた。
このままの文章では、採用担当者は首をひねるだろう。その会社は、音楽にまったく興味がない。音楽への情熱が、入社後、何の役に立つのだろうと。
まったくかみ合っていない。採用担当は、仕事への適正を見たいのだ。その問題関心から外れたところで、どんなに自分をアピールしても意味がない。どうすればいいのだろうか。
文章書くなら読んでおいて損はない鉄板本だが、内容濃すぎて読み込むのに時間がかかる。
文章の綴り方がいくら上手くなったとしても、それに見合うほどに就職試験の評価が上がるわけではないので、
これまでの日本語教育の根幹を流れる方針は、理解力や記憶力ばかり重視し、独創性・想像力・創造力を最も必要とする作文を軽視または無視するというやりかたです。
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だから今の小学校では、「綴り方」の時間さえも少なくて、そのかわり「読書感想文」などというものがあるんですね。
あれは作文というよりも理解力のテストみたいなもので、あれで作文をやったつもりでいたら噴飯ものというべきでしょう。おかげで読書も嫌いになる。
文章関係の本を読んでいると、「読書感想文は何の役にも立たない。あんなものを子供に書かせるな!」と筆者が憤る内容の記述がよくあるので、学生時代に読書感想文が書けなかったからといって気にする必要はないと思いますよ。
読書感想文が嫌いだった。 中学か高校の頃「自分のことを作文しましょう」と原稿用紙を渡されてどうしてもかけなくて授業中泣き出した。 大学の頃、授業ごとの出席表替わりのコ...
あなたにお勧めの本 『生き延びるための作文教室(14歳の世渡り術)』 石原千秋:著 2015年 ・読書感想文などという何の役にも立たない糞のような課題を課せられる中学生のために、 ...
この増田は…、伸びる!?
設問を字面通りに受け取り過ぎなんだな。 つまりアスペ。 ・感想文 本の内容と自分の体験でリンクしたところは何処ですか? あらすじ~自分のこと~この本よんでそれを思い出しまし...
自分も一時期それに近い症状に陥ったことがある。 今は全然平気になった。 逆に、ライブのあとのペラアンケートとかもわりと埋めて出すようになった。 折り合いというより、克服話...
自分も感想文なんかは全く手がつけられないほど苦手だから気持ちはよくわかる。 トラバやブコメにあるように書き方を覚えろというのは納得できる反面、自分の場合この考え方が自分...